帯に「一か八かの大勝負でした」との著者の言葉が記されている。大げさに思うかもしれないが、本書の難易度からすると、決して誇張した言葉ではない。

難易度といっても、内容が読者にとって難しいわけではない。難しいのはむしろ書き方だ。筋を破綻させずに辻褄を合わせ、なおかつ複雑な構成を読者に理解させ、楽しませる。本書で著者が自らに課したハードルは実に高い。特に本書のように時間の流れを自在に扱う小説となると、著者の力量が問われる。

昔からタイムトラベルものは、有名な作品がある。例えば「夏の扉」。例えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。例えば「ドラえもん」。本書にはこれら有名な時間旅行ものと違う点がある。それは本書には時間を旅する人物も猫も現れないということだ。替わりに本書の中で旅するのは手紙である。ナミヤ雑貨店という建物のシャッターに取り付けられた郵便受け。これが本書においてはデロリアンの役割を果たし、のび太君の勉強机の引き出しの役割を果たす。

廃屋と化したナミヤ雑貨店の建物。そこに忍び込む三人組から本書は始まる。ひょんなことから忍び込むことになってしまったナミヤ雑貨店で朝を待つことになる三人組。夜中、長らく下りたままのシャッターのポストから郵便物が落ちる音がする。こんな時間に誰が、というところから本書は始まる。ためしにその手紙に返信したところ、差出人の文章から判断すると、どう考えても過去からの返信にしか思えなくなる。

そうして三人組による返信から始まった手紙のやりとりは、本書を通じて色んな人々によって、時空を超えて行われるようになる。

本書は五章からなっている。
第一章 回答は牛乳箱に
第二章 夜更けにハーモニカを
第三章 シビックで朝まで
第四章 黙祷はビートルズで
第五章 空の上から祈りを

これら各章には、三人組以外にも音楽の夢を追い続けるミュージシャン、両親の夜逃げに戸惑う少年、年老いた養親のために経済的な野心を持つ女性などが登場する。彼ら彼女らは等しく人生に迷っている。そしてナミヤ雑貨店の店主が趣味でやっていた悩み相談に救いを求める。ナミヤ雑貨店のポストに悩みを記した手紙を投函すると、店主が独特の感性で返事を認める。その返事が気が利いていると、人々の心のよりどころとなる。そしてそれは店主が世を去り、ナミヤ雑貨店がもはや廃屋と化した現代にまで残り続ける。五章のそれぞれは、いづれもナミヤ百貨店の近隣を舞台としている。だが、それらは全て異なる時代が流れている。ITコミュニケーション全盛の今、インターネット前夜のバブル弾けた頃、高度成長期の昭和。これらの三つの時間軸を、ナミヤ雑貨店の手紙は行き来する。悩み事の告白とそれに対する回答を載せて。そこにはそれぞれの時代の中で人生を悩みつつ生きぬく人々の懸命さが流れている。

冒頭にも書いたように、著者は本書の複雑な時系列を乱さず矛盾も作らず、さらに本書の五章にわたる複雑な筋を破たんさせずに大団円に持って行くことに成功している。それは至難の業といえる。しかし著者はそれに加えて心温まる読後感を本書に添えることに成功している。そのアクロバティックな難度Eの技にはただただ驚き、翻弄されるのが本書の醍醐味だろう。

だが、本書からは別の読み方もできるのではないだろうか。

ナミヤ雑貨店の店主が趣味としていた悩み事の回答は、いつの時代にも需要があるだろう。今のネット界隈にだって、Yahoo知恵袋やOKWAVEなどQAサイトの形で健在だ。時空を超えたコミュニケーションが成り立つのが今のITの世だ。でもそこには人間味が薄味でしか残っていないとも言える。思うに著者は、ネットのコミュニケーションに血を通わせたかったのではないだろうか。そこに血を通わせ、身を入れ、温かみを与えるとどうなるのだろう。そんな試みをしたのが本書ではないかと思う。

ナヤミを相談するには、ミを真ん中に入れるだけで身の有る回答となる。それがナミヤ雑貨店の店主がこの世に残した奇蹟なのだ。

‘2015/5/13-2015/5/14


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