1999年に著者がバイク事故を起こし、死の縁をさまよった話は著者のファンにはよく知られている。

私は、日本で出版された著者の本の九割は読んだと自負している。自分ではファンのつもりだ。著者が事故に巻き込まれるまでに上梓された作品に絞れば、読んでいない作品といえば本書を除けばあと二、三冊ほどだろうか。その他の作品はほとんど読んでいる。そして、本書を読み終えたことでさらに未読作品の数は減ったと思う。

これだけたくさん著者の本を読んでいると、今までに読んだ著者の作品と似通った展開や語りが脳裏に思い浮かぶ。

本書も実はそうだった。読みながら既読感にとらわれてしまい、ひょっとして以前に読んだのかも、と20年以上前から付けている読書履歴を読み返そうとしたくらいに。それくらい、本書の出だしは著者の今までの作品を思わせるような節と構成だったのだ。

それはきっと、妻をなくしたショックで小説が書けなくなった、という主人公の設定がそう思わせたのだろう。

結論からいうと、本書をよんだのは今回が初めてだった。そして、著者の他の作品と同じく結末まで一気に読み終えた。もちろん面白さは折り紙つきで。

著者の作品に既読感を感じる理由を二つ挙げてみる。一つは作家が主人公であることが多いこと。もう一つは、作品舞台が狭い地域に集まっていることだ。メイン州のデリーやキャッスルロック周辺。著者の著作をたどると、この辺りで起こった怪異は尋常ではない回数で起こっている。

本書もそうだ。キャッスルロックの近くが舞台だ。著者の他の著作でも名前だけはよく出てくる「TR-90」という土地。本書の舞台はここだ。奇妙な名前なのには理由がある。それはここが自治体の管轄外の地だからだ。いわば番外地とでも言えばよいか。

主人公マイク・ヌーナンは作家としてニューヨークタイムズのベストセラーリストに名前が載るほどの売れっ子。だが、ある暑い日に妻ジョアンナが急死してしまう。その衝撃からライターズ・ブロックに陥ってしまう。つまり小説が書けなくなったのだ。

エージェントのハロルドや出版社の評価はマイクが新たな作品を出す度に高まるばかり。だが新作と称する代物は、マイクが事前に書き溜めていた作品にすぎない。ジョアンナをなくして四年、全く小説が書けないまま、マイクは無為な日々を送っていた。

ハロルドは、マイクの意欲を高め、ベストセラー作家として存在感を示し続けるための処方箋を示し続ける。アメリカのベストセラー作家たちの熾烈なトップ争い。それが実名で記される。例えばそれはジョン・アーヴィングだったり、ディーン・R・クーンツだったり。いずれも私の知る作家だ。

だが、面白いことにその中に著者の名前はない。ここで自身の名前を出さないところが、著者の慎み深さを示すようで微笑ましい。ベストセラー作家のトップ争いをひとごとのように描くあたり、本当のトップを走る著者の余裕なのだろうなと思う。

本書は、小説家の裏側の世界だけでなく、表も描く。表とはつまり作品だ。本書には、文学作品がかなり登場する。例えば、本書のタイトル「骨の袋」は、トマス・ハーディが語ったとされる言葉だ。それは以下の通り。
「あらゆる小説のうちでもっとも生彩ゆたかに描きこまれた人間といえども」「地上を歩きまわって影を落としているすべての人間たちのなかで、もっとも生彩を欠く退屈きわまる人間とくらべた場合でさえ、しょせんは骨の袋にすぎない」(45P)。
骨の袋とは言うまでもなく骸骨だ。そしてその例えは作家の想像力が実在の人間に及ばぬことを表している。また、作家に復帰しようとするマイクの目標がはかないことを象徴しているかのようにも思える。

トマス・ハーディ以外にも本書で言及される作家かいる。それはサマセット・モーム。モームの代表作と言えば「月と六ペンス」だ。その小説の主人公であるストリックランドの名前も本書には幾度も登場する。モームはジョアンナの好きや作家だからだ。

このように、本書には純文学に属する作家が登場する。そこが本書の性格をほのめかせていて興味深い。本書は、著者が得意とするホラーの手法を忠実になぞりつつ、文学的な味わいを与えることに挑戦したのではないか。私はその象徴がトマス・ハーディであり、サマセット・モームの引用だと思えた。

壮絶な描写の冴えは相変わらずだ。それは本書に何度も出てくる怪異現象の描写で味わえる。私の感想だが、本書からは著者の他の作品よりも脳裏にイメージが想起しやすかった。なぜかを考えて思ったのが、本書にはアメリカならではの生活感が薄いことだ。ロック、駄菓子に日用雑貨。著者の作品にはアメリカの日常を彩るガジェットがふんだんにあらわれる。それらが本書にはあまり出てこないだ。その分著者は、自然そのものを描写することに相当熱を込めたのだろう。だから、日本人の私にもイメージしやすかったように思う。

マイクは無為な日々から逃げるかのように「TR-90」を訪れる。マイクとジョアンナの別荘「セーラ・ラフス」があるからだ。ここでならライターズ・ブロックを抜け出せるのではないか、との期待もあって。マイクは、訪れてすぐにマイクはマッティというシングル・マザーに出会う。マッティの三歳になる娘カイラにも慕われたマイクは、「TR-90」に長期間逗留することをきめる。

カイラとマッティには、その義理の父であり祖父のマックス・デヴォアの魔手も伸びる。マッティは地元の名士だったマックスの息子と熱愛の末結婚したが、その息子は不慮の事故で無くなってしまう。もともとマックスにとってマッティは息子と釣り合わぬ女でしかない。しかも、息子が死んだことでマックスの血を受け継ぐのはカイラしかいない。そこでマックスはカイラを養女にするため、あらゆる手を使う。それがたとえマッティにとって不利益であろうとも。

さらにマイクがセーラ・ラフスについてから、不可解な出来事が続く。さらに、生前のジョアンナがセーラ・ラフスで不可解な行動をしたとの証言も聞こえてくる。上巻で、徐々に話を広げてゆく著者のストーリーテリングはさすがである。

‘2017/02/24-2017/02/27


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