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輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路に参加してきました


前夜祭の楽しさから一夜明け、本日はいよいよちいクラの全国大会です。
オーガナイザーは9時に集合という指示を受け、私も妻と共に9時前に会場に入りました。

私は立場上、9時に入る義務はありません。
とはいえ、弊社も甲府で開催する予定のちいクラ山梨を企画運営します。
もちろん、ちいクラ山梨の運営は妻の役割です。しかし、私も当日はサポートをする必要があると予想しています。
それもあって、雰囲気や準備などを見ておかねばと思いました。


釧路市観光国際交流センターは、いつも釧路を訪れる際に必ず立ち寄るMOOフィッシャーマンズワーフのすぐそばにあります。
広い会場では設営がほぼ終わり、次々とマルシェの店舗を出す方々がお店の飾り付けや設営準備に勤しんでいました。妻もオーガナイザーの一員として朝礼に出席し、朝礼の後もそれぞれの役割を果たして行きます。

私自身も、この日の夕方、ちいクラ全国大会が終わった直後に、別のイベントでオンラインでLT登壇する予定がありました。そのため、どの場所であれば接続ができるか、どの場所であれば音声がクリアになるのかを把握する必要がありました。そこで会場の中だけでなく、建物の外も歩きまわりながら、ロケーションハンティングに勤しんでいました。

場所のめどがつき、作業していたところに妻からの連絡があったので、会場に戻りました。

すると、妻はマルシェでお店番の役割を与えられていました。そして、何やら楽しそうにお店の店番をしていました。マリモデザインファクトリーさんのショップです。

こちらでは、オーガニックな素材や鮭が美味しく食べられるお皿などユニークな商品が展示されています。同じオーガナイザー仲間として妻とも仲良くしてくださっていると言うことで、私もいろいろなご縁を結ばさせていただきました。

他のショップもいくつか覗かせていただきました。

中でもCLS道東で私に日本酒と山椒のコラボレーションを教えてくださった佐藤さんのブースでは変わり種日本酒もいただきました。
さすがにこの日は夕方に登壇の予定があったので一杯だけにしましたが。


他にも会場にkintoneがいたことも書いておかないと。サイボウズ災害支援プログラムです。
サイボウズ災害支援プログラムサイト

ここ数年の日本は、明らかに災害が増えています。そうした災害の際にkintoneなどのツールを活用し、ボランティアの受け入れや指示、災害場所の迅速な把握などに使ってもらう取り組みです。

私もkintone Café 神奈川でスタッフがサイボウズ災害支援プログラムについて話しているのを聞いていました。そのため、内容についてはおおよそは知っていましたが、きちんと聞くのは今回が初めて。代表の柴田さんとも初めてきちんとご挨拶ができましたし、驚いたのはあっとクリエーションの黒木さんまでが釧路に駆けつけてくださっていたことです。だいぶ前に黒木さんとは、神戸でお会いしたことがありますが、まさか、こういう出会いに恵まれるのも、このちいクラの良さでしょうね。
そうしているうちにいよいよ本編のプログラムが始まりました。


まずは地元の釧路鳥取傘踊り保存会による傘踊りの演舞披露から始まりました。
私は釧路に鳥取という地名があることを知っていましたし、それが鳥取からの開拓者にちなんでいることも推測していましたが、この傘踊りについては知りませんでした。
開拓の志に燃えた当時の人々の思いを、今もこうやって受け継いていることは素晴らしい。


続いて、サイボウズの青野社長による講演です。
私は初めて大塚商会のセミナーで青野社長の講演を聞いてから、今までに何度も青野社長の講演は聞いてきました。ただ、地域をテーマにした講演は聞いた記憶がありません。

東京などの大都市と地方の格差は埋まるどころかますます開いています。
衰えていく一方の地方を活性化するにはどうするか。その地の産業の力を育てるしかない。
ただ、わが国の場合、地方どころか都市にすらIT人材が枯渇しており、諸外国に比べてもIT技術者の割合が少ない状況にあります。

kintoneのようなローコードツールを使えば、地方にもITの力を導入できるはず。

ちいクラの開始にあたっての思いも含め、あらためてサイボウズさんの理念は一貫していると思いました。

そして、最前列で青野社長の講演を聞いていた妻にもその理念は伝わったはず。
なぜ私が地方に肩入れするのか、という理由も含めて。


続いてはちいクラの本編がスタートです。
ちいクラといえばアイスブレイクに必ず設けられている大人の本気のラジオ体操。
会場に集った皆さんにラジオ体操の手本を示すため、壇上に五人のオーガナイザーが現れます。
ん?その中に見知った顔が。なんとうちの妻が混じっているではありませんか!

まだ一度もちいクラを開催していないにもかかわらず、いきなりオーガナイザーデビューを果たしてしまった妻。
まずはおめでとうです。

そしていつもの音楽に乗って体を動かす皆さん。ところが私はラジオ体操が久しぶりすぎて、周りの人と右左を逆に踊っていました。
あれ?さては壇上の妻を見つめすぎたかな?

さて、いよいよ本編が始まります。
ここからは全国各地の地域クラウド交流会で選ばれた方々が、それぞれの思いを発表する場です。
プレゼンターご本人と一緒に登壇するのは各地のオーガナイザーの皆さん。

さすがというべきか、皆さんの思いがそれぞれ熱い。
特筆すべきは、ほとんどのプレゼンターの方が個人の思いだけで登壇までされていることです。
何かの企業の後ろ盾や組織ぐるみでの登壇ではなく、個人の思いだけで発表までしてしまうこの熱量。

同じ時刻、はるか高知ではCLS高知が催されています。
そちらではさまざまなコミュニティのあり方や運営が議論されているはず。既存のコミュニティも含めて、多くは他の企業に所属されている方が運営しています。
その一方、ちいクラでは個人の方がそれぞれの思いを聴衆に問い、支援を求めています。

いうまでもなく、どちらにも優劣は付けられません。
ただ、ちいクラは個人の思いがダイレクトに表出されるので、私たちの感情に響くかもしれません。

実際、皆さんのプレゼンによって私も感情を揺り動かされました。
cocoスペースの今野さんの壇上で感情をあふれさせる姿。前夜祭でもお隣で話させてもらった釧路の秋田さんの苦しみを乗り越えた姿。秋田さんは見事に優勝しました。おめでとうございます。
甲賀で馬と人の居場所に取り組む稲増さんの内容には興味を持ちましたし、仙台で高校生向けのオンライン学習サービスを立ち上げた佐々木さんの取り組みはこれからのわが国に直結するはずです。
豊岡の守本さんの取り組みは同じ地元としてとても共感し、社会的処方という言葉も教わりました。豊岡の久保さんは懇親会でお話し、同じ阪神間にご縁があることと、私の次女のキャリア形成に参考になりそうな取り組みをされているのでとても共感しました。
郡山の相樂さんの助産師としての取り組みは、まさにこれから少子化と戦っていかなければならない希望そのものです。


さて、続いては、これまた地元釧路の昭和小学校の金管バンドによる演奏です。
これがまた、とても上手かった!
私の次女も中学校の頃、吹奏楽部でユーフォニアムを担当していたので、私も何度も演奏会を聴きに行きました。
なので、最初は小学生の演奏ということが信じられませんでした。お見事!


続いては、オーガナイザーの四宮琴絵さんによるファシリテーションのもと、サイボウズの青野社長、蝦名釧路市長、漫画家の最上うみみさんによるトークセッション。
なかなか意表を突く人選ですが、これが面白かったし、参考になりました。
青野社長は著書や講演、サイボウズさんの社風として私もなじんでいます。そして、蝦名市長は毎回CLS道東に必ず顔を出してくださるばかりか、懇親会にも登場し、私も何度かお話しさせていただいた方。その政治家らしからぬフランクでオープンな人当たりに好感を持っていました。そこに最上さんのアーチストとしての感性が入ることで、セッションの内容が予測できなくなりました。
まさにセッションの中に登場した通り、掛け算が生み出す予想できない変化が期待できそうです。アドベンチャーと地域の力と漫画が何かを生み出せるのではないか。そんな期待を持たせてくれるセッションでした。

私はまだ、ファシリテーターを行った経験はあまりありません。未経験者からの意見からではありますが、見事なコラボレーションを生み出した琴絵さんのファシリテーションには感心しました。春先のCLS高知でもかすがい製菓の原さんのファシリテーションに感心した時と同じ感覚です。
いつかは私や妻もこういう場でもファシリテーターとしてトークセッションを切り回せるようにならないと、と思わされました。


さて、これをもってちいクラ全国大会も終了です。
そして皆さんで集合写真の撮影。
この時の私の心は少し焦っていました。なぜならこの後、SORACOM UG ExplorerのLT登壇が控えていたからです。朝の時点で登壇する場所のめどはつけておいたので、接続や音声障害の懸念はなかったのですが、そもそも時間に間に合わなかったらどうしよう。

結論からいうと、登壇は無事に終わりました。登壇については別ブログで取り上げたいと思います。

さて、会場を移動し、946BANYAでの懇親会です。
この懇親会もとても楽しい時間を過ごすことができました。
いちいち皆さんとの会話は繰り返しません。

例えば、
サイボウズのソーシャルデザインラボの皆さんと会話ができました。
但馬信金の皆さんとも会話ができました。
蝦名釧路市長とは結構長い時間お話をさせていただきました。前後半の二部制に分かれ、後半は妻も交えて。
5月のkintone hive sendaiのアフターhiveの場で一緒に業務改善のワークショップに取り組んだ宮城第一信金の皆さんからは先方から気づいてお声がけいただきました。
久保さんとは同じ阪神間にご縁があったことで盛り上がりました。
札幌と和歌山を結ぶ活動をされているさとうさんともご縁がつながりました。ほかにも皆さんとの貴重な時間がとてもうれしかったです。

最後の挨拶でジョイゾーの小渡さんが男泣きを見せる姿に私ももらい泣きしてしまいました。地域のご縁から採用につながり、しかも今や八面六臂の活躍をなされている小渡さんと、小渡さんに活躍の場を与えられたジョイゾーさんにうらやましさを感じると同時に、弊社も同じような方に入ってもらうようにならなければ、という決意が沸きました。

妻もまた、皆さんとの交流のパイプを太くしていたようです。
そこで、その後の二次会は妻と私は別々の行動をしました。
私は、デジラポを見学させてもらえるというので、そちらの皆さんと行動を共にし、妻はオーガナイザー仲間と釧路の夜に繰り出しました。


デジラポは釧路市役所の目の前のビルに位置しています。
ここがすごい内容でした。コワーキングスペースとしての機能はもちろんですが、子供が情報技術に興味を持ってもらえるような設備が充実しています。
ロボット、IoT、メタバース、3Dプリンター、カッティングマシーン、ドローン。なんとこれらのツールがたくさん使えるとのこと。
まさに技術者にとっては垂涎の場所。釧路に高専があることは上にも書きましたが、釧路はジョイゾーさんの拠点でもあるし、今後はデジタルの街として名をはせるかもしれません。
デジラポサイト

さて、ここで三々五々、散会した私たち。
私もせっかくなので、ここ1年半で釧路を三回訪れていながら、まだいけていなかった場所を巡りました。
モシリヤチャシ跡と、Whisky Bar 高森さんです。
うーん、厚岸おいしかった!!! 見事に釧路の夜が締まりました。

本日も皆さん、ありがとうございました!

翌日もちいクラツーリズムで釧路湿原、鶴居村、摩周湖、硫黄山を巡りましたが、それはいずれ別ブログで取り上げたいと思います。


スナックジョイゾー&輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路前夜祭に参加してきました


本稿のタイトルは長いですが、それは二つのイベントが同時に開催されたからです。
以下は、妻と一緒にこの二つのイベントに参加してきたレポートです。

前夜は三次会まで帯広で飲み明かしていました。投宿していた北海道ホテルに着いたのは2時ごろだった気がします。

ところがこの日は平日。朝九時からオンラインで東京のお客様と打ち合わせがありました。
お客様と話す際、私の喉はかなりかれていたことでしょう。


打ち合わせが終わると、帯広で旅情を味わう間もなく、すぐに釧路へと向かいました。帯広で仕事をすることも考えましたが、天気はあいにくの雨でした。帯広の地を堪能する暇もなく、駅で食べた豚丼だけで釧路に向かいました。
そんな風に早めに釧路に移動する必要があったのは、夜のイベント前に妻と釧路で合流するためです。


そこで、11時39分発のおおぞらで釧路に向かいました。この便については、昨夜三次会まで一緒だった濱内さんに教えてもらいました。ありがとうございます。
別車両に乗ってらっしゃった濱内さんも同じく向かう先は釧路!いざ!ちいクラへ!


釧路に着いた私は、まっすぐ釧路フィッシャーマンズワーフ MOOにある「946BANYA」に向かいました。
946BANYAでは明日、第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路(ちいクラ全国大会)の懇親会が催されます。
そして、あとで訪れる夜のイベント会場(炉ばた浜番屋)とは川を挟んだ対岸にありました。妻と待ち合わせるには最適の場所です。
また、私もここでなら作業ができるとあたりをつけていました。

私の予想通り、946BANYAでは仕事が快適に進みました。オフラインの作業も、東京のお客様とのオンライン会議も、全てが円滑でした。
釧路でも仕事ができる今の情報環境には本当に感謝しています。この事は言葉に尽くせません。

さて、時間が来たので、私と妻は菅原さん原田さんと連れだって会場となる炉ばた浜番屋に移動しました。


今回はこちらの会場で本稿のタイトル通りの二つのイベントが開催されました。
とくにスナックジョイゾーは、釧路で初の出張開催。いつも催されている東陽町でも同時に開催され、窓と言われる縦長のデジタルサイネージを使って双方の会場で二元中継し、それぞれスナックジョイゾーを開催してしまう斬新な試み。さらに、それをちいクラの前夜祭と絡めてしまうあたりが、ジョイゾーさんの発想力を現しています。

中継だけならツールを使えば簡単にできてしまうでしょう。ですが、釧路と東陽町に同じ機材を導入し、それをお店に持ち込んでしまうまでの準備は大変だったはずです。
ジョイゾーさんに拍手ですね。



私は皆様のお膳立てに感謝しながら、美味しい料理を楽しみ、会話に花を咲かせていました。

思い起こせば七月のCLS道東でも、こちらの浜番屋で花咲蟹を食べたのでした。
別の方のSNS投稿でこのお店から蟹を自宅発送できることを知った妻から、なぜ家に送ってくれないのかとお叱りのメッセージがあったので、帰りの新千歳空港で蟹を買って送ったのも思い出です。
そんな過去の失敗も、今回浜番屋に妻を連れてきたことで帳消しになったのではないでしょうか。

今回、妻が釧路に来たのは、ちいクラ全国大会があるからです。そして、私にとってもこうした地方でのイベントに妻と同行するはじめての機会でした。
この夏、妻はちいクラのオーガナイザーとしての研修を受け、晴れてオーガナイザーとして認定されました。
そのため、妻は初めから釧路に来ることに積極的でした。はたから見れば、妻のイベントに私が従順についていったように見えるかもしれません。

ですが、ちいクラに妻を巻き込んだのは私の目論見でした。
発端から話すと、今年の春先にジョイゾーの四宮琴絵さんから連絡がありました。オーガナイザーになる人を募集しているので誰かいないか、と。
私はそれを聞いた途端、これは妻にやらせよう、やらせるべきだ、とひらめきました。

妻は結婚してから20数年の間、いろいろなコミュニティや集いに参加していました。そしていいように使われ、数年で疲弊してそのコミュニティを離れることを繰り返していました。
私よりも弁舌が立って頭も回るのに、お人好しでいいように使われてしまう。そして疲れ切って消耗する。それが毎回のパターンでした。まさに琴絵さんからお誘いいただいた時も某コミュニティの中で疲弊の極にありました。
私はそれをとてももどかしく見ていました。適所におけばいきいきと活躍できる妻なのに、なんともったいない、と。

今回のちいクラオーガナイザーの話を琴絵さんから受け、妻にやらせようと思った背景にはそういういきさつがありました。
ちいクラならば、サイボウズさんの事業なので、私もある程度は知っています。理念にも共感しています。アホはええけどウソはあかん、という社風を擁するサイボウズさんになら裏切られることはないでしょう。
また、私自身もちいクラには今まで墨田や郡山で三回ほど出たことがあり、なじみもあります。
また、会社としてオーガナイザーに登録する必要があるため、弊社にとっても必ずプラスの効果があらわれるはず。

そうした背景もあって私も初めから妻のオーガナイザー就任は後押ししてました。そして、ぜひ妻にはちいクラ全国大会に行くべきだと伝えていました。
今回のちいクラ全国大会の日程はCLS高知と重なっていましたが、私は最初から釧路を選んでいました。七月にCLS道東で訪釧した際も、10月21日にはCLS高知ではなくちいクラ全国大会に来るからよろしく、と皆さんに言っていたくらいです。

なぜ私がそこまで妻を連れてくることに積極的だったかについては、もう一つ理由があります。
それはCLS高知やCLS道東、または他の地域で行われるkintone Caféや糸と魚と川のようなイベントに、なぜ私が参加するのかということを妻に知って欲しかったからです。

ある地域に全国から人が集まり、そこで各地の文化やご縁を結び合う。
それによって地域は元気になると、東京や他の大都市に人が集中する問題にも解決の道が見える。私や弊社が首都圏で埋もれるつもりがなく、地域を応援しよう、外に向けて積極的に打って出ようとの意思を皆さんに伝えられる。
それによって地域から仕事が舞い込むこともあり、地域から登壇依頼が来ることもある。
私はそう思って地域のイベントに積極的に参加しています。

妻にとっては、私のこのような活動は、旅好きの道楽の一環に見えていたかもしれません。
が、実際にこうやって一緒にイベントに参加してもらうことで、各地域から来る人たちのご縁やつながりが道楽を超え、仕事にまでつながるんだよ。地域で得たご縁が首都圏での仕事にまでつながることもあるんだよ。
それを伝えたかったのです。それには百聞は一見に如かず。一緒に釧路に来てもらい、体験してもらえればいい。

今回のイベントは、kintone CaféやCLSとはまた違うメンバーが集っていました。私にとっても新鮮な顔ぶれでした。
中でも、サイボウズ社の青野社長を始め、旧社長室であるソーシャルデザインラボの皆さんが釧路に集結しておられました。
私は普段、サイボウズの多様な部署の方とやりとりをしています。が、ソーシャルデザインラボの皆さんとはまだお会いしたことのない方が多く、今回のイベントでは貴重なご縁をいただきました。


釧路に来て早々、素晴らしいご縁に恵まれました。
妻にとっても今後の活動に向けて弾みとなる出会いだったのではないでしょうか。
もはや明日の本番は楽しみでしかない。そんなふうに思えた一日でした。

まずはこの日、お会いした皆さん、ありがとうございました。そして妻へのきっかけを作ってくださった琴絵さん、今回の準備を行ってくださったジョイゾーの皆さん、本当にありがとうございました。サイボウズの皆さんもありがとうございました。


鉄道の廃止に物申す


JR西日本が自社の抱える路線網のうち赤字に陥っている路線についてその収支を公表したことは、沿線の自治体に波紋を広げました。
JRが国鉄から民営に変わって約35年。こうなることはわかっていたのかもしれません。
社会的なインフラとしての鉄道の使命を考えるならば、国や自治体が責任を持つべきでしょう。ですが、私企業であるJRにはその義務がありません。むしろ赤字路線を抱えていることは、他の優良線区を含めた企業としてのJRの存続にダメージを与えかねません。

私はもちろん廃止には反対の立場です。ですが、JRや地方の鉄道会社に赤字を背負わせ続けて良いとは思いません。
JRを含めた鉄道の存続の議論を真剣にしなければならないと思っています。


この連休の前半、岐阜の美濃加茂市に出張で訪れました。
翌日、美濃太田駅から始発の長良川鉄道に乗り、終点の北濃に行きました。一両編成の車内には、前平公園駅や関駅、美濃市駅と駅に到着するにつれ、自転車とそのオーナーが何台も乗り込んできました。そして、郡上八幡駅や美濃白鳥駅、北濃駅で降りていきました。いわゆるサイクルトレイン。ここまで大々的に活用されているのは初めて見ました。

一両編成のディーゼルカー。しかも始発。普通、こうしたローカル線では閑古鳥がないているはず。それが終点の北濃でもかなりの人数が乗っていました。この姿に鉄道の未来を見ました。
帰りの北濃発の列車は「ゆら〜り眺めて清流列車」と名付けられ、二両編成でした。クロスシートの車内は満員でした。

長良川鉄道も二期前と三期前は自然災害やコロナで苦しかったそうです。ですが、昨季は黒字転換しています。
決算公告

長良川鉄道は、ほぼ全線で東海北陸自動車道が競合相手です。しかも、始発駅の美濃太田駅までの名古屋からのアクセスはあまり良くありません。
それにもかかわらずこの健闘は素晴らしい。
美濃市や関市を沿線に擁し、郡上八幡という観光地を持っているからでしょうか。

そんなふうに長良川鉄道の健闘に対して好印象を抱いた私ですが、始発駅である美濃太田駅への最初の印象はあまり良くありませんでした。
私が美濃太田駅に着いたのは夜の21時半過ぎ。東山動植物園にあるお客様のオフィスを出て、千種駅前で夕食と乗り換えをこなし、多治見で乗り換えた長い旅でした。
駅こそ立派な作りだと思いましたが、とにかく駅前に何もなさすぎます。駅の北口と南口を歩きましたがコンビニ一つさえも見つかりませんでした。私が見つけたのは駅から相当離れた場所にあるファミリーマートでした。

美濃太田と言えば、中山道の太田宿を擁する町。私も太田宿の面影を残す旧街道を歩きましたが、旅情を感じるには良い場所です。観光地のような繁栄とは無縁の、風情が今に残された建物を歩きました。

ですが、風情が残されていることは、再開発の対象にすらならなかったことでもあります。つまり、交通の担い手としての役割がとうの昔に太田宿から奪われたからこそ、保存されていただけです。
次に太田宿から交通の主役を奪ったのは鉄道。かつては美濃太田駅が国鉄の三本の路線を集約させ、一大ターミナルとして街の中心でした。その名残が、駅の広大な構内からも感じられました。
ですが、JRや長良川鉄道が行き交う美濃太田の駅前も今は寂れています。
そして、にぎわいは郊外の国道沿いに移っていました。お客様の工場への行き帰りに送っていただいた車内から、その様子を見ることかできました。
美濃太田駅がある美濃加茂市は、地方の都市がおかれた現状をよく表しているように思いました。旧街道に続き、衰退の対象が鉄道に移り、さらに車が交通の主役を担った姿。
では、鉄道は車にその役割を譲ってしまっても良いでしょうか。私はそう思いません。

鉄道は駅と駅を結ぶ線です。一方、車は鉄道より自由が利きます。線を自由に描くことができます。線から面へと。
てすが、その自由さが限度を超えると、無軌道になります。そこに集中が加わると渋滞が発生します。

鉄道の線と線の不自由さは、大量の、そして遠距離の運搬に向いています。例えば、長良川鉄道が実施しているヤマト運輸の貨客混載など。
そして、点と点から面を広げるためのサイクルトレインやレンタサイクルなどを組み合わせれば、より可能性も増えるはずです。

要は、鉄道が担うべき大量かつ遠距離の運搬までも車に担わせているから歪みが発生しているのです。
その歪みは交通渋滞となり、大気を汚染し、人々の時間を奪っています。そして鉄道は衰退し続けています。都会だけに過密ダイヤが組まれ、ギリギリの状態で運行されています。

今回の出張でも美濃太田の後、大阪に向かいました。そして、福知山線列車脱線事故の慰霊施設を訪れました。そこで感じたことは今の交通の歪みです。

日本全国で適正な人口の分布と交通の分散。私たちに課せられた数多い課題の一つです。

そのためには長良川鉄道が行っているようなサイクルトレイン、ヤマト運輸との貨客混載のような施策はもっとやるべきでしょう。ITの力を駆使して各無人駅にもレンタサイクルを置くべきでしょう。当然、各ステーションごとに乗り捨て可能なポートを設けて。
今回も北濃駅にレンタサイクルがあれば、と思いました。15、6キロも歩かずに時間をもっと有効に活用できたのに。

冒頭に書いたとおり、今、鉄道の維持が難しく、廃止を含めた論議が起こっています。
ですが、一度廃止されてしまった鉄道が復活することはあまり例がありません。難しいでしょう。
温暖化を含め、私たちに負わされた課題はとても多い。その課題がこうやれば解消できる、いや、すでに解消に向けて実現できていることを長良川鉄道の取り組みに感じました。再び駅が街の核となれば、地方創生にもつながるでしょう。東京への一極集中も是正されるはず。

安易に鉄道を廃止してはならない。
これは、各鉄道会社や自治体だけでなく、それぞれの住民が考えていく問題だと思いました。


未来の年表


本書は発売当時に話題になっていた。警世の書として。

本書の内容を一言で表すと少子化が続くわが国の未来を予言した書だ。このまま人口減少が続くと、わが国の社会や暮らしにどのような影響が表れるかを記述している。
その内容は人々に衝撃を与えた。

本書が出版されたのは2017年6月。おそらく2017年の頭から本書の執筆は開始されたのだろう。そのため、本書の年表は2016年から始まっている。
2016年はわが国の新生児の出生数が100万人を切った年だ。
著者はここで、真に憂慮すべきは出生数が100万人を下回ったことではなく、今後も出生数の減少傾向が止まらないことであると説く。
このまま机上で計算していくと、西暦3000年のわが国の人口は2000人になってしまう、というのだ。2000人といえば、私がかつて通っていた小学校の生徒数ぐらいの数だ。

本書は2016年から未来の各年をたどってゆく。顕著な影響が生じる21の年を取り上げ、その年に人口減少社会が何をもたらしていくのかを予測している。そこで書かれる予測はまさに戦慄すべきものだ。
その全てを紹介することはしない。だが、いくつか例を挙げてみたい。

例えば2019年。IT技術者の不足が取り上げられている。本稿を書いているのは2021年だが、今の時点ですでにIT技術者の不足は弊社のような零細企業にも影響を与えている。

2020年。女性の半分が50代に突入するとある。これが何を意味するのかといえば、子を産める女性の絶対数が不足しているので、いくら出生率が改善しても出生数が容易に増えないことだ。
わが国はかつて「産めよ増やせよ」というスローガンとともに多産社会に突き進んだ。だが、その背景には太平洋戦争という未曽有の事件があった。今さら、その頃のような多産社会には戻れないと著者も述べている。

2021年。団塊ジュニア世代が五十代に突入し、介護離職が増え始めるとある。私も団塊ジュニアの世代であり、2023年には五十代に突入する予定だ。介護問題も人ごとではない。

2042年。著者は団塊世代が75歳以上になる2025年より、2042年をわが国最大の危機と予想する。団塊ジュニア世代が70歳になり、高齢者人口がピークを迎えるのがこの年だからだ。私も生きていれば2042年は69歳になっている。本書が警告する未来は人ごとではない。

帯に表示されているほかの年を挙げてみると以下の通りだ。
2024年 全国民の3人に1人が65歳以上
2027年 輸血用血液が不足
2033年 3戸に1戸が空き家に
2039年 火葬場が不足
2040年 自治体の半数が消滅

私はもともと、今のわが国で主流とされる働き方のままでは少子化は免れないと思っていた。

朝早くから家を出て、帰宅は夜中。誰もが日々を一生懸命に生きている。
だが、なんのために働いているのかを考えた時、皆さんが抱える根拠は脆弱ではないだろうか。
働く直接の理由は、組織が求めるからだ。役所や企業が仕事を求めるからその仕事をこなす。その次の理由は、社会を回すためだろうか。やりがい、生きがいがその次に来る。
そうやって組織が求める論理に従って働いているうちに、次の世代を育てることを怠っていた。それが今のわが国だ。
仮に働く目的が組織や社会の観点から見ると正しいとしよう。だが、その正しさは、組織や社会があってこそ。なくなってしまっては元も子もない。そもそも働く場所も意味も失われてしまう。

私たちは一生懸命働くあまり、子育てに割く余力をなくしてしまった。子を作ったのはよいが、子供の成長を見る暇もなく仕事に忙殺される毎日。その結果が今の少子化につながっている。

子育ては全て妻に。高度成長期であればそれも成り立っていただろう。
高度成長期とは、人口増加と技術力の向上が相乗効果を生み、世界史上でも例のない速度でわが国が成長を遂げた時期だ。だが、その成功体験にからめとられているうちに、今やわが国は世界史上でも例を見ない速度で人口が減っていく国になろうとしている。
いくら右寄りの人が国防を叫ぼうにも、そもそも人がいない国を防ぐ意味などない。それを防ぐには、国外から移民を募るしかない。やがてそうした移民が主流になり、いつの間にか他の国に乗っ取られていることもありうる。現にそれは進行している。
本書が出版された後に世界はコロナウィルスの災厄によって姿を変えた。だが、その後でもわが国の少子化の事実はむしろ深刻化している。世界各国に比べ、わが国の死者は驚くほど少なかったからだ。

著者は本書の第二部で、20世紀型の成功体験と決別し、人口減少を前提とした国家の再構築が必要だと訴える。
再構築にあたって挙げられる施策として、以下の四つがある。移民の受け入れ、AIの導入、女性や高齢者の活用。だが、著者はそれら四つだけだと効果が薄いと述べている。
その代わりに著者が提言するのは「戦略的に縮む」ことだ。
少子化を防ぐことが不可能である以上、今のわが国の形を維持したままでこれからも国際社会で国として認められるためには、国をコンパクトにしていくことが必要だと著者は訴える。その上で10の提言を本書に載せている。

ここで挙げられている10の提言は、今の私たちの今後を左右することだろう。
1.「高齢者」をなくす
2.24時間社会からの脱却
3.非居住エリアを明確化
4.都道府県を飛び地合併
5.国際分業の徹底
6.「匠の技」を活用
7.国費学生制度で人材育成
8.中高年の地方移住促進
9.セカンド市民制度を創設
10.第3子以降に1000万円給付

これらは独創的な意見だと思う。わが国がこれらの提言を採用するかどうかも不透明だ。
だが、これぐらいやらなければもう国が立ちいかなくなる瀬戸際に来ている。
そのことを認め、早急に動いていかねばなるまい。
今の政治がどこまで未来に対して危機感を抱いているかは甚だ疑問だが。

‘2020/05/24-2020/05/25


日本昔話百選


日本昔話と言えば、私たちの子どもの頃は市原悦子さんのナレーションによる土曜夜のアニメがおなじみだった。よくテレビで見ていたことを思い出す。
また、子どもの頃、わが家には坪田譲治氏によって編纂された日本昔話の文庫本があった。私はこれを何度も読み返した記憶がある。

長じた今、あらためて日本の昔話とはどのようなものだったかを知りたくなった。そこできちんと読み返してみようと思った。本書は大きな新刊の本屋さんで購入した。
本書は三省堂が出している。三省堂といえば辞書の老舗出版社だ。そうした出版社が昔話についての本を出しているのが面白い。辞書に準ずるぐらい、永久に収められるべき物語なのだろう。

日本昔話とは、誰でも知っている「桃太郎」や「浦島太郎」「舌切雀」といった話だけではない。それ以外にも名作は多い。
知られている昔話の他にも、面白い作品はまだまだ埋もれている。
私がかつて読んでいた坪田譲治氏の作品で覚えているのが「塩吹き臼」だ。欲をかいた男が何でも出てくる臼から塩を出したまま、止め方を知らぬまま船とともに海に沈む。どこかの海の底で今もなお、臼から湧きだし続けている塩が海の水を塩辛くしたというオチだ。
「塩吹き臼」は、子どもの頃の私に、なぜ海の水は塩辛いのかという疑問に答えてくれた。それとともに、欲をかいてはひどい目にあうとの教訓を与えてくれた。印象に残る「塩吹き臼」は本書に収められている。

昔話と言っても、単に勧善懲悪の話だけではない。寝太郎のように寝ているだけの男が思わぬ富を手にする話もある。それとは逆に実直で堅実な老夫婦に思わぬ幸運が飛び込んでくる話もある。
言いつけを守らなかったばかりに得られるべき幸運を逃す話もあるし、人でない生き物が思わぬ富を持ち込む話もある。

そうした昔話の数々は昔から伝えられてきただけあって、物語として洗練されている。幼い子どもでも理解できる長さで、物語の展開の妙を伝え、教訓をその中に込める。長い間にわたって語り伝えられてきた間に物語の骨格に適度な脚色だけが残されてきた。そうした粋と言えるものが昔話には詰まっている。

本書には全部で100話の話が収められている。

例えば本書の中には「桃太郎」も載っている。本書に載せられた「桃太郎」は川を流れてきたのが桃であることや、長じてから鬼退治に向かうところはおなじみの内容だ。だが、怪力の持ち主との設定だけで、桃太郎は義侠心や正義にあふれた青年ではない。成り行きで鬼退治に向かうところも大きく違う。
おそらく正義感の要素はあとから追加された設定なのだろう。その方が子どもにとって伝えやすいという思惑が加わったのだろうか。

本書の中には「花咲爺」も収められている。本書に載っている「花咲爺」は、私の知っている話とそう違わない。善人の爺さんの身の回りには金になる話が舞い込むが、悪人の爺さんは善人の爺さんの上前をまねる。そしてすぐに成果だけを求めては、うまくいかずにひどいことをする。

本書には「舌切雀」も載せられている。夫婦でも温和な夫と強欲で狷介な妻によって取りうる態度が違えば、得られるものも違う。夫婦であっても物事への対処の仕方によって得られるものが違う教訓は、欲望の醜さを分かりやすく教えてくれる。

本書は各地の古老の名前が何人も載っている。こうした人々が脈々と地域に伝わる話を口承で伝えてくれたのだろう。
だがいまや、こうした話が子どもたちの間に伝わることはほぼないはずだ。炉辺の物語の代わりに、テレビやネットやゲームが子どもたちの時間の友だからだ。わざわざ祖父母から話を聞く必要もなく、時をつぶす楽しみなど無限にある。
現代で失われてしまったものは他にもある。それは地域ごとの豊かな方言だ。本書にも話の中に方言があふれているし、終わりを表す決まり文句として登場する。

面白いのは「文福茶釜」だ。有名なのは群馬県館林市の文福茶釜だが、本書に採録されているのは鳥取県に伝わる話だ。
同じ話であっても全国に広まり、それぞれの地で方言をまといながら人口に膾炙していったのだろう。

テレビの力によって関西弁のような特定の方言は全国区に広がっている。その一方で、地域の中で人知れず絶滅への道をたどっている方言のいかに多いことか。そうした方言が本書には収められているが、それも本書の功績であろうか。

もう一つ本書には「わらしべ長者」に類する話が載っていない。
知恵を使ってさまざまなものを物々交換していく中で、少しずつ保有する資産を上げていき、ついには長者へと成り上がる。
その話は資本主義の根幹にも関わる話なので、採録してくれてもよかった気がする。

こうした昔話から、私たちはどのような教訓を受け取ればよいだろうか。
昔話から私たちが受け取るべき教訓とは、普通に生きている上で気づかないきっかけを、ここぞという時に取り込むための心の準備だろうか。
昔話の多くからは能動的ではなく、受動的な態度が重んじられているようにも思う。
つまり、私たちは人生の中で受動的に与えられた環境をもとに受け入れ、その中でいざという時に動く心構えを感じ取っておくべきなのだろうか。

受動的。これはわが国特有の人生への考えにも通じている気がする。
これらの昔話には、天変地異への備えや諦めといった日本人がわきまえておくべき態度が含まれていない。だが、積極的に自らの人生を変えていこうとする意欲や取り組みの大切さは主張していない。少なくとも本書からはその大切さはあまり感じられない。

こうした本書の癖を考えてみた時、実は本書は代表的な話を百話選んだだけで、まだまだ昔話の豊潤な世界には限りがないのだと思う。

‘2020/03/09-2020/03/23


地方への流れはまずプロ野球から


今年の日本シリーズはホークスが完全にジャイアンツを圧倒しましたね。
二年続けて四タテでジャイアンツを破ったホークスの強さに隙は見当たりません。

この圧倒的な結果を前にして、私たちは「球界の盟主」という古びた言葉を久々に思い出しました。仮にこの言葉に意味があったとして、それが今回の日本シリーズの結果によって東京から福岡へと移ったという論調すら見かけます。

東京と福岡。古くからのプロ野球ファンは、この二つの土地から象徴的な関係を思い出すはずです。それは読売ジャイアンツと西鉄ライオンズ。
かつて、ジャイアンツの監督を追われ、西鉄ライオンズの監督に就任した三原監督は「我いつの日か中原に覇を唱えん」と語ったと聞きます。数年後、西鉄ライオンズはジャイアンツを三年続けて日本シリーズで破り、三原監督の宿願は見事に成就しました。
三原監督のこの言葉からは、この頃の東京が中原=中心と位置づけられていたことが読み取れます。
なにせ、この頃の世相を表す言葉として有名なのが「巨人、大鵬、卵焼き」なる言葉だったくらいですから。これは、当時の子どもたちに愛された対象を並べたキャッチフレーズですが、地方の野球少年少女にとって巨人が羨望の的だったことは事実でしょう。

全国からの上京者を飲み込み続けた東京が文字通りの首都だった時代。
それが今や、コロナにあって四カ月連続で転出超過となっています。
(記事はこちら
これはまさに時代を表す出来事だと思います。
この出来事は、東京への一極集中に異常さを感じていた私にとっては歓迎したい現象です。ようやくあるべき姿に戻りつつある傾向として。

実はプロ野球は、地方への流れを先んじて実施していました。プロ野球、というよりパ・リーグが、です。
今や、プロ野球において、強いチームとは地方に比重が移りつつあります。かつてはセ・パー両リーグともに東名阪にプロ野球チームが集中していました。わずかに広島と福岡に本拠を置くチームがあった以外は。
その頃に比べ、今は福岡・広島・仙台・北海道にチームが移り、それらのチームが一時代を築くまでになりました。
その流れはパ・リーグに顕著です。
その流れが近年のパ・リーグの強さにつながっていると思います。

かつて「人気のセ、実力のパ」という言葉がありました。
私はかつての西宮球場の状況を知っています。戦力的には黄金期であったにもかかわらず、試合中でも閑散とした球場の異様さを。それは、近くの甲子園球場で行われた試合の観客が盛り上げる様子に比べると悲壮さすら漂うほどでした。
最も格差が開いた時期(1975年)では、セ・リーグの観客数がパ・リーグの2.96倍、つまりほぼ3倍に達していました。
それが今や、ここ数年は1.20倍前後に落ち着いています。人気の面でもパ・リーグがセ・リーグに伯仲しようとしているのです。
セ・リーグ観客数の推移表(https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_cl.pdf
パ・リーグ観客数の推移表(https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_pl.pdf
セ・パ両リーグの観客数の推移グラフ

その理由はいくつでも挙げられると思います。
その中でも、今の都市圏にはかつてのように地方の野球少年を惹きつける魅力がないことに尽きると思います。
テレビ放送の黎明期を担った方がジャイアンツのオーナーであった頃、地方で放映されるプロ野球の試合といえばジャイアンツのみでした。それが全国の野球少年の憧れをジャイアンツに向けさせていたことは否めません。それが入団希望者の多さにもつながっていました。
その時の影響は、今もなお、FAで巨人を希望する選手や、逆指名でジャイアンツを希望する選手もいる現象として見られるくらいです。

でも、少しずつジャイアンツの占める重みは減り続けています。
「球界の紳士たれ」なる窮屈な言葉がある球団に入るより、地方の球団でのびのびしたいという選手の思い。
今や、ジャイアンツの選手であることのブランド力は薄れ、それが今回の日本シリーズの結果でさらに拍車がかかるような気がします。

情報が流通する社会において、都市に集まる利点はどんどん減っています。
かろうじて、ビジネス面では首都であることの利点があるのかもしれません。でも、そのメリットはプロ野球の世界ではもはや効果を失いつつあります。
それにいち早く気づき、活路を見いだしたのがパ・リーグの球団。であるとすれば、いつまでも東名阪に止まっているセ・リーグの各球団はそろそろ地方に目を向けるべきだと思うのです。

特に、首都圏に五球団というのは多すぎます。埼玉、千葉、横浜はいいとしても、東京に二つというのはどうなんでしょう。例えば思い切って、キャンプ地の宮崎を本拠地にするぐらいの改革をしても良いのではないでしょうか。
今回の二年続けてのような体たらくでは、やがては観客数すら逆転しかねません。

もちろんこれはプロ野球だけの話ではなく、東京に集中して報道しがちなマスコミやビジネス界についても同じです。
もはや東京への一極集中はデメリットでしかない。それが今回の東京からの転出超過につながっているように思います。

これは、何も東京を軽んじているわけではないのです。
私は常々、日本の健全な発展とは、東京一極集中ではなく地方と東京が等しく発展してこそ成されるものだと思っています。それが逆に東京の魅力をよみがえらせる処方箋であると。

ジャイアンツも、いつまでも首都の威光を傘にきて「球界の盟主」なる手垢のついた言葉に頼っているうちは、地方の活きのいい球団の後塵を拝し続ける気がします。
今回の日本シリーズの結果がまさにそれを証明しているのではないでしょうか。


生きるぼくら


著者の名前は最近よく目にする。
おそらく今、乗りに乗っている作家の一人だからだろう。
私は著者の作品を今まで読んだことがなく、知識がなかったので図書館で並ぶ著者の作品の中からタイトルだけで本書を手に取った。

本書の内容は地方創生ものだ。
都会で生活を見失った若者が田舎で生きがいを見いだす。内容は一言で書くとそうなる。
2017年に読んだ「地方創生株式会社」「続地方創生株式会社」とテーマはかぶっている。

だが、上に挙げた二冊と本書の間には、違いがある。
それは上に挙げた二冊が具体的な地方創生の施策にまで踏み込んでかかれていたが、本書にはそれがないことだ。
本書はマクロの地方創生ではなく、より地に足のついた農作業そのものに焦点をあてている。だから本書には都会と田舎を対比する切り口は登場しない。そして、田舎が蘇るため実効性のある処方も書いていない。そもそも、本書はそうした視点には立っていない。

本書は、田舎で置き去りにされる年配者の現実と、その介護の現実を描いている。そこには生きることの実感が溢れている。
生きる実感。本書の主人公である麻生人生の日常からは、それが全く失われてしまっている。
小学生の時に父が出て行ってしまい、母子家庭に。その頃からひどいいじめにさらされ、ついには不登校になってしまう。高校を中退し、働き始めても人との距離感をうまくつかめずに苦しむ日々。そしてついには引きこもってしまう。

生計を維持するため、夜も昼も働く母とは生活リズムも違う。だから顔を合わせることもない。母が買いだめたカップラーメンやおにぎりを食べ、スマホに没頭する。そんな「人生」の毎日。
だがある日、全てを投げ出した母は、置き手紙を残して失踪してしまう。

一人で放りだされた「人生」。
「人生」は、母の置き手紙に書かれていたわずかな年賀状の束から、蓼科に住む失踪した父の母、つまり真麻おばあちゃんから届いた達筆で書かれた年賀状を見つける。
マーサおばあちゃんからの年賀状には「人生」のことを案じる文章とともに、自らの余命のことが書かれていた。
蓼科で過ごした少年の頃の楽しかった思い出。それを思い出した「人生」は、なけなしの金を持って蓼科へと向かう。
蓼科で「人生」はさまざまな人に出会う。例えばつぼみ。
マーサおばあちゃんの孫だと名乗るつぼみは、「人生」よりも少し年下に見える。それなのにつぼみは、「人生」に敵意を持って接してくる。

つぼみもまた社会で生きるのに疲れた少女だ。しかもつぼみは、立て続けに両親を亡くしている。
「人生」の父が家を出て行った後、再婚した相手の実子だったつぼみは、「人生」の父が亡くなり、それに動転した母が事故で死んだことで、身寄りを失って蓼科にやってきたという。

「人生」とつぼみが蓼科で過ごす時間。それはマーサおばあちゃんの田んぼで米作りに励みながら、人々と交流する日々でもある。
その日々は、人として自立できている感触と、生きることの実感を与えてくれる。そうした毎日の中で人生の意味を掴み取ってゆく「人生」とつぼみ。

本書にはスマホが重要な小道具として登場する。
先に本書は田舎と都会を比べていない、と書いた。確かに本書に都会は描かれないが、著者がスマホに投影するのは都会の貧しさだ。
生活の実感を軸にして、蓼科の豊かな生活とスマホに象徴される都会の貧しさが比較されている。
都会が悪いのではない。スマホに没頭しさえすれば、毎日が過ごせてしまう状況こそが悪い。
一見すると人間関係の煩わしさから自由になったと錯覚できるスマホ。ところがそれこそが若者の閉塞感を加速させている事を著者はほのめかしている。

「人生」がかつて手放せなかったスマホ。それは、毎日の畑仕事の中で次第に使われなくなってゆく。
そしてある日、おばあちゃんが誤ってスマホを池に水没させてしまう。当初、「人生」は自らの生きるよすがであるスマホが失われたことに激しいショックを受ける。
だが、それをきっかけに「人生」はスマホと決別する。そして、「人生」は自らの人生と初めて向き合う。

田舎とは人が生きる意味を生の感覚で感じられる場所だ。
本書に登場する蓼科の人々はとにかく人が良い。
ただし、田舎の人はすべて好人物として登場することが多い。実際は、それほど単純ではない。実際、田舎の閉鎖性が都会からやってきた若者を拒絶する事例も耳にする。すべての田舎が本書に描かれたような温かみに満ちた場所とは考えない方がよい。
本書で描かれる例はあくまで小説としての一例でしかない。そう受け取った方がよいだろう。
結局、都会にも良い人と悪い人がいるように、田舎にだって良い人や悪い人はいるのだから。
そして、都会で疲れた若者も同じく十把一絡げで扱うべきではない。田舎に合う人、合わない人は人によってそれぞれであり、田舎に住んでいる人もそれぞれ。

「人生」とつぼみはマーサおばあちゃんという共通の係累がいた事で、受け入れられた。彼らのおかれた条件は、ある意味で恵まれており、それが全ての若者に当てはまるわけではない。その事を忘れてはならない。
そうした条件を無視していきなり田舎に向かい、そこで受け入れられようとする甘い考えは慎んだ方がよいし、受け入れられないからと言って諦めたり、不満をSNSで発信するような軽挙は戒めた方が良いだろう。

私は旅が大好きだ。
だが私は、今のところ田舎に引っ越す予定はない。
なぜなら生来の不器用さが妨げとなり、私が農業で食っていく事は難しいからだ。多分、本書で描かれたようなケースは私には当てはまらないだろう。
一方で、今の技術の進化はリモートワークやテレワークを可能にしており、田舎に住みながら都会の仕事をこなす事が可能になりつつある。私でも田舎で暮らせる状況が整っているのだ。

そうした状況を踏まえた上で、田舎であろうと都会であろうと無関係に老いて呆けた時、都会に比べて田舎は不便である事も想定しておくべきだ。
本書で描かれる田舎が理想的であればあるほど、私はそのような感想を持った。

間違いなく、これからも都会は若者を魅了し続けることだろう。そして傷ついた若者を消耗させてゆくだろう。
そんな都会で傷ついた「人生」やつぼみのような若者を受け入れ、癒やしてくれる場所でありうるのが田舎だ。
田舎の全てが楽園ではない。だが、都会にない良さがある事もまた確か。
私はそうした魅力にとらわれて田舎を旅している。おそらくこれからも旅することだろう。

都会が適正な人口密度に落ち着く日はまだ遠い先だろう。
しばらくは田舎が都会に住む人々にとって、癒やしの場所であり続けるだろう。だが、私は少しずつでもよいから都市から田舎への移動を促していきたいと思う。
そうした事を踏まえて本書は都会に疲れた人にこそお勧めしたい。

‘2019/01/20-2019/01/20


地方消滅 東京一極集中が招く人口急減


わが国をめぐる問題を挙げろ、と問われて答えをいくつ思い浮かべられるだろうか。私はすぐに十以上は用意できると思う。
では、その問題の中ですぐに解決策が見いだしやすく、しかも今のわが国に悪い影響を及ぼしている問題を一つ挙げろと言われればどうだろう。
その場合、私は東京への一極集中を挙げる。

本書にも書かれている通り、都心への一極集中は地方から人を一掃し、消滅の危機に追いやっている。
そして、都心の機能は3.11の時に如実に現れたとおり、飽和の極みにある。このまま問題を放置しておけば悪い事態に陥るのは確実。
だが、一極集中への解決策は他の問題(国防、少子化、移民、地震、感染症、温暖化、宇宙からの災厄、人工知能、遺伝子)に比べるとまだ対策のしようがあると思う。少子化をのぞいた他の問題は日本だけでは難しいが、一極集中は国内でどうにかできる問題だからだ。

本書は、このまま手をこまねいていると896の都市が亡くなると危機感をはっきり表明している。そして、それに対してさまざまな打つ手を提示している。
元岩手県知事で総務大臣も務めた著者が提示する現状認識と処方箋は明確だ。白い表紙がおなじみの中公新書で、赤一色の本書の装丁は目立つ。内容もあいまって本書はベストセラーになったという。

だが、こうした危機が迫っているにもかかわらず、国が一極集中へ本腰を入れて対応しているとはとても思えない。それどころかマスコミもこの問題については口を閉ざしているように思える。
おそらく出版・マスコミ業界がもっとも一極集中の恩恵を受け、また、促進してきた当人だからだろう。

だが、新聞離れ、テレビ離れが叫ばれている今、もう既存のビジネスモデルに未来はないと思う。
インターネットは情報の価値を拡散し、都市でも都会でも情報が等しく受け取れるようにしてしまった。
今や、情報に関しては都会の優位性はなくなっている。あえて言うなら、ネットワーク越しよりも対面で会った時のほうが受け取れる情報は多いぐらいだろうか。

なぜ人は都会に出てきてしまうのか。
その理由は、従来から言われていた仕事があるかどうか、に尽きるのではないか。
戦前や戦後、農村から出稼ぎと称して多勢の人々が都会へと出てきた。それが戦後の高度経済成長につながった。そうした成功の体験を今も引きずっているのが日本ではないだろうか。
ネットワークがない時代、情報は都会が独占していた。都会にはチャンスがあり、金が流れていた。だから人々は集まってきた。都会だと仕事につける。地方にはないやりがいが都会にはある。そうした幻想がわが国をいまだに縛っている。

かつての私もそうだった。
兵庫の西宮に住んでいた私は、私が求めていた編集者には大阪ではなれないと思い、東京に出てきた。
もちろん、理由はそれだけではない。
当時、付き合っていた今の妻が東京に住んでいて、しかも歯科大学の病院に勤務していたため、動けなかったという理由もある。

私の場合、東京に出た理由はそれだけだ。東京に対する憧れはなかった。
家から自転車を漕いで1時間で大阪の梅田に行けた。そもそもファッションやビジネスに興味がなかった。
もし妻が仙台に住んでいて、私が望む仕事があれば仙台にだって向かっていたかもしれない。

そういう過去をもっている私だから、今の若者が地方から都会へと向かう理由も分かる。
当時の私と同じような動機だろうと察する。漠然とした都会に対する憧れで東京に出てきて、そして消耗してゆくのだろう。
その理由や幻滅はよくわかる。なので、私は今の若者たちを非難しようとは思わない。
それどころか、そうした若者に対して地方に仕事先が就職先が用意されていれば、都会に来なくてもよいのではないか、と提案したい。

今や、私が上京した頃と違い、ネットワークが日本の全土を覆っている。
仮に地方から都会に出てきたとしても、仕事が終わればスマホとにらめっこしているのであれば、都会に住む意味はないはずだ。稼げる仕事の有り無しの違いにすぎないので。

そして今、職種にもよるが、地方で仕事は可能だ。
私の仕事は情報系だが、ネット会議で大抵のことはケリがつく。仕事の発注から受注、納品までを一度も顧客と会わずに済ませたことも何度もある。

本稿をアップする二週間前には奈良の下北山村に行き、二泊三日でワーケーション体験をした。
コワーキングスペース「Shimokitayama Biyori」のWi-Fi環境が良かったのか、AWSのオンラインカンファレンスに参加し、東京で行われた顧客との会議にもオンラインで参加できた。

また、この体験で、田舎の暮らしはお金がかからないことも知った。そもそもお金を使う場所がないのだ。
都会には刺激的なものが多すぎる。そして、その刺激が仮にネット上のコンテンツで満たせるのであれば、地方でもそれは享受できる。

個人の性格にもよるが、私の場合、二週間に一度、東京や大阪に出られればそれで十分。それであれば地方でも働けるし暮らしていけるめどはついた。

だが、その体験をもってしても、本書の内容を読むにつけ危機感が募る。
本書には今後の人口予測と消滅可能性のある896の市町村のリストも付されている。
そこには当然、下北山村も含まれている。しかもこのリストによれば2010年の下北山村の人口は1000人を超えているが、先日訪れた時点ではWikipediaの情報では800人を割っていた。
日中でもほとんど車が通らない下北山村のメインストリートを思い出すにつけ、「消滅」の二文字が切実に迫ってくる。

本書では国による国家戦略の必要も記されている。
だが、今の国会ではモリ・カケ問題や桜を見る会やその他の大臣の失言の糾弾にばかり時間が空費されている。
そのような足をすくわれるようなことをしでかす与党にも失望させられるし、そうした問題をあげつらうばかりの野党にも期待が持てない。
党利党略や利益誘導より、国家の大計に取り組み、足元をしっかり固めて喫緊の課題に注力してほしいと思う。
マスコミももっともっとこの問題には発言してほしい。旅情を誘う番組もいいが、一極集中の問題の危機感を報道しないと何が報道機関か、と思う。

少子化の問題も本書は一章を割いて取り上げている。そして、都会の生きにくさが子作りの妨げになっていることは確実だ。
保育園落ちた日本死ね!!! のブログが反響を巻き起こしたことは記憶に新しい。これもまた、都会の生きづらさの顕著な例だと思う。
子育てをしながら働ける環境を。企業においてもそうした対策が求められていることは自明のことだ。
もし自社の利益を追求するモチベーションを自社の百年後の存続にあると考えているならば、少子化を甘く見るとそもそも会社のサービスの売り先が消え去っていますよ、と忠告したい。

本書にはさまざまな処方箋が載っている。それらの一つ一つはもっとも。
だが、実際に効果を上げうるかどうかはやってみてはじめて分かる点が多い。
だから二の足を踏むのではなく、今のうちに取り組まなねば間に合わないのだ。
本書には各地に人口流出のダムとなる地を作る対策を挙げている。
たとえば下北山村を例に挙げると、村の若者が外に出るのを防ぐのは難しいかもしれない。だが、その流出先が東京ではなく、熊野市や尾鷲市であれば下北山村にはすぐ戻れる。
そうしたダムになりうる都市を各地に育てていくべき、という提言には賛成だ。
ある程度の経済規模さえ確保してもらえれば、都会の人が地方で転職する際にもハードルは少ない。

本書では、そうしたモデルケースとして北海道を取り上げている。
今、日本で最も過疎化が進んだ地域と言えば北海道だろう。
私もあの原野の雰囲気は好きだが、それが将来の日本全土の景色と言われれば、言葉を失ってしまう。
北海道の中でも札幌だけがダムになりうるのではなく、函館、帯広、旭川、釧路といった都市をダムとして、それ以上の流出を食い止める。本書にはその事例が詳しく載っている。

それでは地域がどのようにして雇用を創出していけばよいか。
この課題は当然、考えられなければならない。今までにも議論は出し尽くされてきている。
本書には地域が活きる6モデルとして、産業誘致型、ベッドタウン型、学園都市型、コンパクトシティ型、公共財主導型、産業開発型が挙げられている。
どれもが可能性があるモデルだと思うが、地域によってどれを選ぶかは、地域の特性にもよるだろう。

本書は最後に増田氏と識者による三つの対談が載っている。
最初は藻谷浩介氏との対談。藻谷氏はかつて私もブログで取り上げた『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』の編者でもある。(a href=”https://www.akvabit.jp/%E9%87%8C%E5%B1%B1%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%80%8D%E3%81%A7%E5%8B%95%E3%81%8F/” target=”_blank”>レビュー)
二人の結論もやはり今のままでは地方ばかりか日本も破綻するというもの。
さらにお二人は提言として東京に本社を置く必要の意味を問うている。アメリカではニューヨークに本社を置く企業は四分の一だが、日本の場合、七割が東京にあるという。

二つ目の対談は、小泉進次郎氏、須田善明氏と行っている。
小泉氏は政治家として著名だが、須田氏は宮城県女川町の町長であり、東日本大震災で被害にあった町の復興を担当している。
本稿をアップする今、小泉氏の株はかなり下がってしまった。だが、小泉氏が一極集中を問題として認識していることはこの対談でも述べられている。そして今も持ってくれているはずだと期待している。
結局、一極集中の解消を国家戦略として策定し、それを確実に遂行していかなければこの問題は解決しないと思う。
その戦略とは東京オリンピックや大阪万博ではない。地方を主役にしたイベントを誘致するといったことでもない。
たとえば、本社の機能を六大都市以外の都市に移した企業に対しては税務上の優遇措置を与えるとかの策でもあるし、いつの間にか誰も言及しなくなった遷都の問題を真剣に議論することでもある。

三つ目の対談は、慶応義塾大教授の樋口美雄氏と行っている。
6モデルに即した地方の生き残り策を提言しているが、それらを推進するためのリーダーの存在が指摘されている。
まったくその通りだと思う。本当であれば、地方から選出されたはずの国会議員が担うべきことだが、国政や党政を優先させることに汲々としている。

本書を読んで思うのは、考えるよりも実行の必要性だ。
もちろんそれは私や弊社にも当てはまる。
東京に登記し、東京に住んでいる私。働き方を変えることで朝夕の通勤ラッシュを一人分だけ解消させることができた。
ここ数年、地方でも講演する機会も増えてきた。ワーケーション体験に参加し、地方で働き、暮らす可能性も確信できた。
働き方改革を掲げるサイボウズ社のkintoneを担ぐことで、地方の方とのご縁は増えてきた。
そうした実践ができる立場にある弊社と私。だが、それが実体ある生活として地方に還元できているとはとてもいえない。
下北山村へ伺う契機となった紀伊半島はたらくくらすプロジェクトはカヤックLivingさんをはじめとした複数の企業が共同している。そうした取り組みがすでになされている今、私も弊社に協力できることはあるはず。

これから私や弊社に何ができるのか。これからも動いていかねばなるまい。

‘2018/11/13-2018/11/16


劇団四季と浅利慶太


本書を読む数カ月前に浅利慶太氏が亡くなった。
演劇に一時代を築いた方の逝去とあって、盛大なお別れ会が帝国ホテルで催され、大勢の参列者が来場した。私も友人に誘われて参列した。

すべての参列者に配られた浅利慶太氏の年譜には、演劇を愛する一人の気持ちが込められていた。
その年譜には劇団四季の創立時に浅利慶太氏が書いた文章が収められていて、既存の劇団にケンカを売るような若い勢いのある文章からは、演劇への理想が強くにじみ出ていた。
また、豪華に飾られた棺の両脇には演出家として俳優に指導する姿や演劇論を語る在りし日の浅利氏の映像が流されており、棺の前で黙祷する列に並びながら、参列者が浅利氏について思いを致せるように配慮されていた。

「なぜ宝塚歌劇に客は押し寄せるのか」でも書いた通り、宝塚歌劇の運営体制の裏側を知ってしまってからというもの、私は演劇の理想を見失いかけていた。
そんな私は、浅利氏の説く演劇論に救いを感じた。
劇団四季を宝塚と並び称される劇団にまで育て上げた浅利氏は、劇団の運営をどう考えているのだろうか。
私は浅利氏のお別れ会に参列したのを機会に、浅利慶太氏と劇団四季についてきちんと本をよまねば、と決めた。タイトルそのものの本書を。

著者は政治について語る評論家だ。
そんな方がなぜ演劇を?と思う。だが、劇団四季の躍進を支えた一つの要因に浅利氏と政治家との関係があったことは言うまでもない。
そうした関係が劇団四季の経営を支えたことは、ネットで少し検索すればゴシップ記事として出てくる。
また、著者と劇団四季や浅利慶太氏の縁は、本書の「あとがき」で著者が語っている。血縁も地縁もなく、パーティーで浅利氏の知己を得たことで、著者は劇団四季や浅利慶太氏に物書きとしての興味を抱いたそうだ。
ゴシップ趣味ではなく、劇団四季や浅利慶太氏は本来、興行経営の観点から論じられるべきではないか、という著者の意志。それが本書を生んだ。
もちろん浅利氏と知己である以上、本書は劇団四季と浅利慶太氏の立場に立って論を進める。だから良い面しかみていない。それは前もって頭に入れておいても良いと思う。だが、それでも本書の分析は深いと思う。

まえがきに相当する「オーバーチュア」では、劇団四季の概要と本書がどういう方針で劇団四季と浅利氏を描くかを示す。
劇団四季に対する批判は昔から演劇界にあったらしい。その批判とは、セリフが明朗で聞き取りやすいがゆえに、かえって実生活とは乖離しているというもの。
え?と私は耳を疑う。私はあまり耳が良くない。なので、セリフがよく聞き取れない演目は評価しない。なので、セリフが聞き取れないことがなぜ批判の対象になるのか理解できない。
そもそも観客は舞台の全てを感じ取ろうとするはずではないのか。
私にとってはセリフも重要な舞台の要素だと思う。だが、昔の新劇にはそうした演劇論がまかり通っていたらしい。いわゆる「高尚」な芸術論というやつだろうか。
芸術は高尚であっても良いはず。だが、さすがにセリフが聞き取りずらい事を高尚とは認めたくない。浅利氏でなくても憤激するはずだ。そうした演劇論が「オーバーチュア」では紹介されている。かなり興味深い。

「第1章 ロングランかレパートリーか」
劇団四季は日本で唯一のロングラン・システムを演ずる劇団。それでありながらレパートリー・システムも手掛けている。
他の劇団、例えば宝塚歌劇団は五組がそれぞれに1~2カ月の公演期間の演目を切り替えるレパートリー・システムを採用している。
劇団四季は「キャッツ」や「オペラ座の怪人」「ライオン・キング」など、ロングランが多い印象がある。
それが実現できた背景には劇団四季の創意工夫があったことを著者は解き明かしてゆく。
例えば専用劇場。それによって常に劇団四季の演目が上演できるようになった。
また、地方の都市にある劇場でも演目が上演できるよう、シアター・イン・シアターという舞台装置のパッケージ化を進めるなど、効率化に工夫を重ねてきた。
そうした工夫の数々がロングランを可能にしたといえる。

「第2章 俳優」
この章は、私にとって関心が深い。もちろん宝塚歌劇団との対比において。
宝塚歌劇の場合、ジェンヌさんは生徒の扱いでありながら、実際は舞台の上ではプロとして演じている。そして生徒の扱いでありながら、公演以外のさまざまなイベントに駆り出される。
そのため、ジェンヌさんは舞台だけに集中できない。

それを補完するのが宝塚に独自のファンクラブシステムだ。
私設ファンクラブであるため宝塚歌劇団からは公認されない。当然、宝塚歌劇団からファンクラブの代表に対する手当は出ない。
ところが、実際はジェンヌさんのさまざまな雑事はファンクラブの代表が代行している。チケットの手配や席次までも。むろん、無償奉仕で。

一方の劇団四季には、そもそもそうした私設ファンクラブがない。属する俳優に序列は付けないのだ。
宝塚歌劇団は一度トップスターにになると、原則としてどの公演も主演が約束される。ところが劇団四季は各公演の配役をオーディションによって決める。毎回、公演ごとに出演が約束されていないため、出演機会も限られる。
それでありながら、団員には劇団から固定給と言う形で支払われている。
生活の基盤がきちんと保障されており、なおかつ課外活動のようにファンと触れ合う必要もない。お客様とのお食事に同席する必要もない。だから劇団四季の俳優は舞台だけに集中できる。
俳優が舞台だけに集中することが演目の質に良い影響すを与えることは言うまでもない。
本書には俳優の名簿も出ているし、給与システムや額までも掲載されている。

それでいながら、演目ごとのオーディションによって団員の中に慣れも甘えも許さない。
そうした四季の運営を窮屈だと独立し、離れた人もいる。その中には著名な俳優もいる。著者のそうした人に対する目は厳しい。
劇団四季に独自のセリフ回しや、稽古などは、他の劇団ではなかなかまねができないようだ。どちらが優れているというより、それこそが宝塚歌劇団との一番の違いではないだろうか。

「第3章 全国展開と劇場」
第1章でシアター・イン・シアターが登場した。
パッケージングされた劇場設営の仕組みは、ある程度限られた劇場にしか使えない。
だが、それ以外の地方都市までカバーし、劇団四季の公演は行われている。
劇場ごとに装置も大きさも形も違う中、演目によっては上演できる劇場との組み合わせがある。
本章には地方巡業の都市と演目のマトリクスが掲載されている。
それだけの巡業を可能とするノウハウが、劇団四季には備わっているということだ。

このノウハウはまさに劇団四季に独自かもしれない。
東京や大阪、名古屋、札幌、福岡といった大都市でなければ演劇が見られない。
そうした状態を解消し、演劇に関心を集める意味でも、劇団四季が全国を巡る意義は大きいと思う。

「第4章 経営&四季の会」
この章も私にとって関心が深い。
劇団四季は、ファンクラブによる無償の奉仕(宝塚歌劇団)のような方法を取らずに、いったいどうやって経営を成り立たせているのか。おそらく、経営の手法にも長年のノウハウが蓄積されていることだろう。
余計な人や空き時間が出ないような勤務体系が成されているに違いない。
一人の社員が複数のタスクでをこなしつつ、流動する柔軟な作業体制がつくられているのではないだろうか。その分、社員は大変かもしれないが。

また、ファンクラブを公認のみに一本化していることも特筆すべきだ。
一本化するかわりにサポートやサービスを手厚くしているのではないか。
さらに私設ファンクラブの場合、どうしてもファンクラブごとに方法やサービスやサポートに差が生じる。また、その活動が奉仕に頼っている以上、ファンクラブごとの資力の差がサービスの差となる。それはファンにとって不公平を生みかねない。
ファンクラブが一本化されていることでサービスは均質になる。密接な関係を持ちたいファンには不満だろうが、不公平さを覚えるファンも減る。

本書には、観客目線と言う言葉が頻出する。
この言葉が劇団四季と浅利氏の哲学の根底にあるのだろう。
もちろん本書が劇団四季にとってよいことを書く本であることは承知。それを踏まえると、経営の中には見えない闇もあることだろう。書けない内容もあるだろう。
それでも劇団四季がここまでの規模まで成長した事実は、政治家との関係が有利に働いただけでは説明できないと思う。
今までの歴史には経営や運営の数知れぬ試行錯誤があったに違いない。
本書には浅利氏が生涯の七割を経営に割いてきた、という言葉がある。おそらくその努力を軽く見てはならないはず。

「第5章 上演作品」
ロングラン・ミュージカル(海外)。オリジナル・ミュージカル。中型ミュージカル(海外)。ファミリーミュージカル。ストリートプレイ(海外)。現代日本創作劇。その他。
著者は劇団四季の上演する演目をこの七種類に分けている。
海外のミュージカルだけに限っても、劇団四季はかなり豊富なレパートリーを持っている。
そしてそれらの中には、劇団四季が独自に翻案し、その成果が本場からも評価されている演目があるという。もちろんそうした翻案には浅利慶太氏の手腕によるところが大きいはずだ。

結局、難解な芸術だけによっているだけでは、劇団の経営は立ちいかない。
だから、芸術を追求するストリートプレイも挟みつつ、有名なミュージカルでお客様を呼ぶ。そうした理想と現実を併用しながら劇団四季は経営されてきたのだろう。
ただ、本省に出ている現代日本創作劇の演出家がいないという浅利氏の嘆きが、少し気になる。
私もそれほど演劇には詳しくないが、日本にもよいシナリオがあるように思うのだが。

「第6章 半世紀の歴史」
この章では浅利慶太氏の生い立ちから、劇団四季の旗揚げとその後の発展を描いていく。
学生劇団として旗揚げしてから、さまざまな挫折をへて、今の劇団四季がある。本章では挫折の数々も描かれている。もちろん政治家との出会いについても描かれている。
もともと浅利氏の一族は政財界に顔が広かった。そうした持って生まれた環境が劇団四季の成長に寄与していることは間違いないだろう。
それでも、本書で描かれる歴史からは、日本の演劇を育ててきた浅利氏の執念を感じる。

本章で大事なのは、そうした挫折の中でどういう手を打ってきたか、だ。
劇団四季が日本屈指の劇団に成長したいきさからは経営の要諦を学べるはずだ。

「第7章 劇団四季の未来」
本書は浅利氏が存命のうちに書かれた。今から十六年前だ。
だが浅利氏はすでに社長と会長の座を降り、取締役芸術総監督の立場に降りていた。つまり経営を他の人間に任せていた。
任せるにあたっては、劇団四季は浅利慶太氏がいなくなっても独り立ちできると判断したのだろう。実際、そのような意味の言葉を浅利氏はたびたび発しているようだ。

その後、浅利氏がいなくなってからの劇団四季はどう成長するのか。著者は大丈夫だろうと書いている。
浅利氏も自らがいなくなった後の事には何度も言及しているようだ。
それらを引用しながら、舞台、経営、大道具、意匠、営業、人事、教育に至るまでの多彩な要素で劇団四季が盤石になっていることが書かれている。

私も本書を読んだ後、浅利慶太追悼公演の「エビータ」を見に行った。素晴らしい舞台であり、感動した。
あとは十数年たってどうなるか、だ。
宝塚歌劇団も小林一三翁がなくなって十数年後、ベルばらブームの成功によって当初の理想から変質していった。それは経営の正常化のためである。ただ、同じ轍を劇団四季が踏み、営利の海外ミュージカルのみを上演する劇団になってしまうのか。
それとも今のらしさを維持しつつ、世界でも通用する劇団に成長するのか。楽しみだ。

本書はそれを占うためにも有益な一冊だと思う。

‘2018/10/24-2018/10/25


マンホール:意匠があらわす日本の文化と歴史


マンホールの写真を撮りためている。地方を旅したり出張することの多い私。訪問先で地面にファインダーを向け、その地域ならではのマンホールを撮っている。

とはいえ、まだ軽い趣味なのでマンホールのために旅行するまでには至っていない。けれども、旅先で見慣れぬ意匠のマンホールを見かけるとテンションも上がるし、それがレアなカラーマンホールならその後の旅路も足取りが軽くなる。

私がマンホールに興味を持ったきっかけは覚えている。寒川神社から茅ヶ崎まで自転車で走った時だ。寒川神社の駐車場に車を停め、そこから茅ヶ崎のいつもお世話になるジーンズショップに注文していたジーンズを取りに行った。相模線に沿って自転車を漕ぎながら、ふと、足元にあるマンホールに目をやった。すると普段、見慣れた町田市や東京都、相模原市のような丸をベースとしたデザインではなく、一つの絵画のようなデザインのマンホールが敷かれていた。それは茅ヶ崎市のマンホールだった。よく見ると数種類あり、それぞれに雨水汚水の表示もある。用途によってデザインも変わっているようだ。そこに興味を惹かれ、写真を撮ったのが始まりだった。

車で行動するとマンホールの魅力に気付きにくい。また、仕事や日常の暮らしの中では、同じ場所の往復に終始しがち。なので、地域色が豊かなマンホールの特色にはますます気づきにくい。私のきっかけも、いつもと違う場所を自転車で走ったことだった。著者も各地のマンホールを撮りためる際、自転車で各地を走っているそうだ。

ウェブを巡ってみると、マンホール愛好家は結構多いらしい。著者はその界隈では有名な方のようだ。有名というだけのことはあり、本書には全国のかなりの地域のマンホールが載っている。

本書はマンホールの意匠ごとにテーマで分けている。テーマごとに各地のマンホールを写真付きで紹介することで、マンホールの魅力を紹介するのが本書の構成だ。ただ漫然とマンホールを紹介するのではなく、意匠に沿ったテーマでマンホールを語っている事が重要だ。

本書は以下の章に分けられている。
1 県庁所在地を訪ねて
2 富士山と山々
3 富岡製糸場と歴史的建造物
4 いつでも見られる日本の祭りや郷土芸能
5 各地の伝統工芸・地場産業
6 地方ならではの特産物
7 地元のスポーツ自慢
8 楽しいのはデザインマンホールだけじゃない

このように、テーマごとに分けることで、読者は各地のバラエティに富んだマンホールの魅力を手軽に鑑賞できる。

私がマンホールに惹かれるのは、意匠がその土地の意外な名物を教えてくれるからだ。普通、土地の名物とは山、川、神社仏閣、スポーツや食べ物などのことを指す。そうした名物は形があり、通年で見ることができる。だからマンホールでアピールするまでもない。だが、無形の祭りや郷土芸能は、特定の時期、場所でしか体験できない。その土地を訪れるだけでは、無形の名物には気づかないものだ。伝統工芸や地場産業もそう。

私は旅先では駅や観光案内所には必ず訪れる。だが、それでもその地に伝わる有形無形のシンボルに気づかないことが往々にしてある。マンホールは、そうした存在を教えてくれるのだ。しかも、それを街中のいたるところで、至近距離で教えてくれる。間近に、頻繁に目に触れられるもの。考えてみるとマンホールの他にそういうものはあまりない。マンホールをデザイン化し、地域ごとに特色を打ち出そうとした発案者の着眼点はすごいと言える。本書には合間にコラムも挟まれているが、その中の一つが「デザインマンホールの仕掛人」として、昭和60年代の建設省公共下水道課建設専門官が提唱したことが始まりと記されている。

その他のコラムは
「マンホールの蓋はなぜ丸い?」
「蓋の模様はなんのため?」
「最古のマンホールの蓋は?」
となっている。どれも基本であるが押さえておくべき知識だ。また、本書の第8章は、蓋に刻まれた市章や町章についての紹介だ。デザインマンホールではなくとも、たいていのマンホールには市章、町章が刻まれている。そこに着目し、デザインの面白さをたのしむのもいい。

著者は東京都下水道局に37年間、定年まで奉職し、主に下水道の水質検査や開発に携わってきたそうだ。著者紹介によると、今までに撮ったマンホールの写真は4000枚にもなるのだとか。はじめにでは、マンホールに惹かれたきっかけが伊勢市のマンホールをみた時であり、定年退職後に各地を折りたたみ自転車で巡ってマンホールの写真を撮っていることなどが書かれていた。

わたしも撮りためたマンホールは多分数百枚、新旧市町村単位で150くらいにはなったと思う。私はまだ現役で仕事をしているので、著書ほどの域に達することはできない。だが、私なりのペースで各地のマンホールを巡ってみようと思う。

なお、本書に載っていないネタとして、各地のマンホールを一堂に見られる場所を知っている。それは、河口湖畔だ。道の駅かつやまの周辺の道には、全国各地のマンホールが敷かれている。どういう理由でなのかは分からない。マンホール趣味の興を削ぐとして、顔をしかめる愛好者もいることだろう。私もそうだった。あと、千代田区麹町のセブンアンドアイホールディングスの本社ビルのそばに、なぜか行田市のマンホールが敷かれている。こういうあってはならない場所に敷かれているマンホールを探すと面白いかもしれない。

あとは、本書では触れられていないが、下水道広報プラットフォームがここ数年で出し始めたマンホールカードは外せないだろう。私も今までに八枚ほど集めた。これもマンホールの魅力を知らしめる意味でも面白い試みだと思う。

デザインマンホールのような試みはもっと広がるべきだ。私が他に思いつけるのは、信号のたもとにある制御盤ぐらいだろうか。制御盤にローカル色溢れる意匠が施されると面白いと思う。もっとも、そうなると私の人生はますます時間が足りなくなるのだが。

‘2018/07/08-2018/07/08


脱限界集落株式会社


前作を読んでから一カ月もしないうちに続編を読む。私にとって珍しいことだ。本書はちょうど1カ月前に読んだ『限界集落株式会社』の続編にあたる。

もともと、私はシリーズ物は一気に読まずにはいられないたちだ。だが、シリーズ物を一気に読むことはそうはできない。そのため諦める。そして読む間隔を空けてしまう。だが、本書をたまたま見かけたことで、一カ月もしないうちに続編が読めた。とても喜ばしい。

本書に関心を持った理由は、前作が面白かったこともある。だが、それだけではない。前作も本書も地域活性化が取り上げられていて、私は仕事で多少それらのテーマに関わっている。それが本書を手に取らせた。前作も本書も取り上げられていたのが私自身に興味のあるテーマだったので、本書もすぐに読み始めた。

前作は限界集落の再生がテーマとなっていた。本作は商店街の活性化がテーマとなる。前作で止村に活気を呼び戻した多岐川優。その成功に乗っかるようにTODOMEモールが誕生した数年後が本書の舞台だ。前作でも登場した幕悦町の上元商店街は、TODOMEモールにとどめを打たれシャッター商店街と化していた。そんなのところに降って湧いたのがTODOMEモールの成功に味を占めたコンサルタントによる地域再開発の話。

前作で多岐川優と結婚した美穂は、止村株式会社の経営方針をめぐって夫と対立し、家出している。そして止村株式会社からの出向扱いでコトカフェの主任として腕を奮っている。コトカフェはコミュニティカフェだ。地域のたまり場として何でも受け入れる事を運営方針に掲げている。巨大なTODOMEモールに対抗するコトカフェに何かを感じた美穂がコトカフェに肩入れする。それが優とのけんかの原因だ。

TODOMEモールに加えて降ってわいた再開発計画に上元商店街は二つに割れる。そして長谷川健太、遠藤つぐみ、新沼琴江といったコトカフェの従業員の面々は、美穂とともに上元商店街を再開発の波から守ろうと、TODOMEモールにも負けない店を目指して奮闘を始める。

そもそもTODOMEモールの開発も地域再開発も、裏で暗躍しているのは多岐川優の商売仲間である佐藤だ。だが佐藤の計画の裏にきな臭さをかぎ取った多岐川優は、アドバイザーとして商店街活性化に一役買い、結果的に美穂の側に立つ。

ニートやコミュニティ障害からの脱却、そして勧善懲悪の視点。それは前作から変わらない。その上で商店街活性化というテーマを持ち出した本書は、地に足が着いているといえる。実際、シャッター商店街は地方に行くと頻繁に目にする光景だ。駅前が閑散としているとその地に活気は生まれにくい。シャッター商店街の再生は地域の切実な願いではないか。

ただし、前作もそうだが、本書には地域活性化の視点に人工知能の観点が抜けている。なので、前作と本書で披露されたノウハウがこれからの活性案や限界集落の処方箋として有効かどうかの判断がつかない。いくら優れた案であっても人工知能の示す案のほうが優れている可能性は大いに考えられる。人間の案がより優れた人工知能の案に置き換えられる可能性は高い。だが、人工知能は地域活性化にとっての本質ではないと思う。それよりも、中央集権、大量消費の均一化に抗するための視点を持つことが大切ではないか。その視点は、人間が持てる視点として絶対に必要なはずだ。そこに知恵を使うことが人間と人工知能の共存の未来が占えるといっても過言ではない。

全ては対人のコミュニケーションに掛かっていると私は考える。それが人間社会をよくも悪くもするはず。ロボットや人工知能がいくら世を席捲しようと、コミュニケーションの大切さこそが人間社会にとって生命線であり続けるはずだから。

本書の底に流れている考えもコミュニケーションの大切さにのっとっている。例えばコトカフェがそう。コトカフェを起点に盛り上がる上元商店街の活気は、結局のところ人対人のコミュニケーションに依存している。そして、コミュニケーションのをおざなりに放置したTODOMEモールからは客足が遠のいていく。

ただ、コミュニケーションの力だけでは地域活性化の起爆剤にはなり得ないことも事実だ。本書の結末がそれを示している。なぜなら佐藤側の自滅に頼るしかなかったのだから。本書の結末は、コミュニケーションだけでは地域活性化は難しい事を意図せずして示してしまった。それはもちろん、本書のせいでも著者のせいでもない。人は利便さを優先する。交通の便や品ぞろえや新奇さは、いつの世もコミュニケーションの力を凌駕する。

多分、抜本的な地域振興策は誰にも簡単に思いつくものではないのだろう。私は地域に人を呼び戻すには、逆説的なようだが、人工知能の力を借りねばならない気がする。田舎に住む不便が、人工知能により補われた時か、情報技術が田舎のコミュニケーションの良さとその反面の閉鎖性を良い具合に中和した時。その時になってようやく、人々は都会に人間が集中することのデメリットを感じ、田舎に住むメリットに目を向け移住を始めるのではないか。

となると、結局は人の力など要らないのでは、と思われるかもしれない。いや、そうではない。コミュニケーションの力はやはり必要だ。取りつく島がないように思える田舎のコミュニケーションは、コミュニケーションの一つの在り方であって、そこには違うコミュニケーションが必要なのだ。

、人間には思いもつかない案が人工知能によって提案され、それを運用するにあたってコミュニケーションという基盤があることが重要なのだ。本書から私が得た気づきとはそこに収束される。

‘2017/07/17-2017/07/18


新訂 妖怪談義


日本民俗学の巨人として、著者の名はあまりにも名高い。私もかつて数冊ほど著書を読み、理屈に収まらぬほどの広大な奥深さを垣間見せてくれる世界観に惹かれたものである。

本書は著者の多岐に亘る仕事の中でも、妖怪に視点を当てたものとなる。

妖怪といえば、私にとっては子供の頃から水木しげる氏原作のゲゲゲの鬼太郎のテレビアニメが定番だ。とくに子泣き爺や砂掛け婆や一反木綿や塗り壁の印象は、このテレビアニメによって決定的に刻印されたといってもよい。ゲゲゲの鬼太郎はアニメだけでなくファミコンでもゲーム化されたが、結構秀逸な内容だった。青年期に入ってからも、京極夏彦氏の京極堂シリーズによってさらに奥深い妖怪の世界に誘われることになる。京極堂シリーズはご存じのとおり妖怪とミステリの融合であり、該博な妖怪知識が詰め込まれた内容に圧倒される。さらにその後、私を妖怪世界に導いたのが本書で校注と解説を担当されている小松和彦氏の著作である。確か題名が日本妖怪異聞録だったと思うが、新婚旅行先のハワイまで氏の著作を携えていった。ハワイで妖怪の本という取り合わせの妙が強く記憶に残っている。

一時の勢いは衰えたとはいえ、最近では子供の間で妖怪ウォッチの話題が席巻している。こちらについては、もはや私の守備範囲ではない。しかし、妖怪ウォッチの各話では’70年~’80年代のカルチャーが幅広く登場し、明らかにアニメのゲゲゲの鬼太郎世代の製作者による影響が見られる。私も娘から何話か見せてもらった画、製作者の狙い通り結構楽しませてもらった。

上に挙げたように、平成の今も妖怪文化が連綿と伝承されている。そういった一連の流れの走りともいえるのが本書ではないだろうか。著者以前にも鳥山石燕氏や井上円了氏などの妖怪研究家がいた。しかし近代的な文明が流入した世にあって妖怪を語ったのは本書が嚆矢ではないかと思える。そのことに本書の意義があるように思える。

伝承されるさまざまな妖怪一体一体の発生について文献を引用し記している。語彙的な分析から筆を起こし、語源や各地での伝わり方の比較がされている。河童、小豆洗い、狐、座敷童、山姥、山男、狒々、ダイダラボッチ、一つ目小僧、天狗。本書で取り上げられる妖怪は比較的有名なものが多い。とくにダイダラボッチは私が住む相模原、町田に伝承が多く残っている妖怪であり、著者の解釈を興味をもって読んだ。

本書の良い点は、それらについての記述についての詳細な注解が附されていることだ。その労は校注者として名前が挙がっている小松和彦氏による。かつて私を妖怪学へと導いて下さった方だ。そして、本書の解説も校注者の小松氏自らが買って出ている。この解説こそが本書の価値を一段と高めているのだが、意外なことに小松氏は著者の事績を全て手放しで褒めてはいない。逆に堂々と批判を加えている。それは文献引用の不確かさや著者自身による創作の跡が見られることについての批判だ。

冒頭に書いた通り、著者の名前は日本民俗学の泰斗としてあまりにも高名であり、そのために、著者のいう事を鵜呑みにしがちなのが我々である。しかし小松氏は解説の中でそういった盲信的な読み方を強く諌めている。その権威を盲従せず学問的な姿勢を貫く点にこそ、本書の本当の価値が込められているのではないだろうか。もちろん、著者の価値がそれによって補強されることはあっても貶められることがあってはならない。近代へ移り変わる我が国にあって、旧弊の文化を辛抱強く掬い上げ、現代へと残してくれたのは紛れもなく著者の功績である。

著者の「妖怪談義」は名著として様々な出版社から出されている。が、角川文庫の本書こそは現代の視点も含めた柳田妖怪学を後世に正しく伝えていると言える。

‘2015/6/12-2015/6/18


「我が国を観光立国に」の成果を支持します。


1/30付の菅内閣官房長官のブログは、日本の観光立国化がテーマです。内容は、安部内閣における観光立国政策の成果を自賛するものです。

私もこの成果には全面的に賛同します。むしろ、安部内閣の一連の実績の中でも特筆すべき成果ではないかと思っています。

アベノミクスは頑張ってはいるものの、その評価はまだ定まっていません。その評価はおそらくは歴史に委ねられるでしょう。少なくとも今の我々には景気浮揚策の成果は実感として感じられません。改憲についても、道半ばです。私自身、ここここに書いたとおり、改憲派です。それでも今の安部内閣の動きには拙速との思いが拭えません。沖縄の基地問題にしても、同じです。国際政治のバランスからするとやむを得ない判断かもしれませんが、沖縄県民の一定割合の民意が蔑ろにされていることは否めません。

それに比べ、安部内閣が成し遂げた観光立国の成果については文句の付け入る隙がありません。積極的に評価すべきでしょう。

2010/7/26に民主党の前原氏の講演を拝聴したことがあります。当時の前原氏は民主党政権にあって国土交通大臣の重責を担っていました。講演の中で羽田や成田のハブ空港化について熱く語っていらしたことは覚えています。が、観光立国に向けては具体的な案はありませんでした。多少は触れていたものの、具体的な案までは踏み込むことなく、まだ観光立国化への案は練れていない印象を受けました。

それに比べ安部政権は、我が国の観光立国化を着実にやり遂げつつあります。掛け声だけではなく、良し悪しはあれ爆買いという成果は挙げています。観光立国化こそ、今後の日本が目指すべき政策。私はそう思います。日本は今、どのような国として世界から見られているのか。今後の日本のあり方とはどういうものなのか。日本が積極的に世界に主張し、発信すべきという意見も良く耳にします。しかし日本は東洋の果てに位置しています。終着点として諸国の文化を受け入れ、日本独自の文化として咀嚼することにこそ、日本の本分がある気がしてなりません。

日本が技術立国であった過去も今は危うい状態です。技術は移転します。残るとすればITではカバーできない職人技の部分でしょう。しかし、日本人が誇るべきものは、職人技でもない気がします。技術よりも職人技よりも、その背後にある職人気質ともいえるメンタリティー。この心性をこそ誇るべきではなかったか。日本が世界に範を示せるとすれば、日本人の心性こそ相応しい。そう思います。「MOTTAINAI」や「武士道」、先の東日本大震災の際に見せた統制。敗戦直後は混乱の極みにあり、マナーがてんで成っていなかった日本人も、今や世界にその民度を誇ることができるまでになりました。

一方、今の日本の少子化はもう挽回不可能なレベルに達しています。残念ながら、今後は移民受け入れもやむを得ないでしょう。というか、移民受け入れすることなしには、日本の将来は立ち行かない。そんな状態にまで追い込まれています。移民受け入れにあたっては、日本国民の外国人に対する態度も変えねばなりません。かつての日本は中国や朝鮮半島からの移民を受け入れ、日本文化に取り込んでいきました。その時の経験を活かし、拙速に移民を受け入れずに、緩やかな移民の受け入れを日本全土均一に行うことが重要だと思います。

昨年来日した観光客は、空前の数を達成しました。皆さん、意識してはいなかったかもしれませんが、日本人のメンタリティーの由来を知りたくて来日したのではないでしょうか。日本人の心性の秘密は何か。このミステリアスな国の真髄はどこにあるのか。観光客が求めた場所は、以下のリストに挙がっています。

そのリストは、世界的に知られた観光情報サイトであるTripAdvisorが発表しました。「外国人に人気の日本の観光スポット ランキング 2015」。ここに上げられた30の観光地のうち、現代日本を反映する場所は僅かです。17位の「横浜みなとみらい21」と26位の「渋谷センター街」と30位の「六本木ヒルズ展望台」くらいでしょうか。技術面に範囲を広げても27位の「トヨタ産業技術記念館」が入るくらい。あとは、日本の伝統に根差した場所がほとんどです。

このリストにはもう一つ特徴があります。それは東京や奈良、京都以外の場所も多数ランクインしていることです。東京は世界有数の大都会です。しかし観光客の多くは東京をそれほど重視していません。東京ではなく地方にこそ日本の心性が残っているとでも云うかのように。このリストを見ているだけで、そういった意思が感じ取れます。戦後、多くの観光客が日本に惹かれて訪れました。その中には永住された方もいます。そういった方々は自らが身を置く世界のあり方に疑問を感じ、日本に単なるオリエンタリズムではない何かを求めに来たと思いたい。なので、本リストから知る限りでは、それら観光客の方々が東京だけを見ていないことに、私はむしろ安心しました。むしろ、世界は東京に日本を求めていないのでは、という気にすらなります。もちろん、ビジネスや政治の場としての東京は、引き続き存在感を残すでしょう。でも観光客が日本の躍進の秘密や謎めいた文化の根源を東京に求めていないとすれば? 東京は現代日本の繁栄の証。戦後復興し発展した日本を展示する場に過ぎないのかもしれません。ショーウインドウは着飾っていても、バックヤードが荒廃していればそれは虚飾です。そのことは我々日本人が一度認識を改めるべきだと思います。

まずは日本の全土を魅力的にする。そのためにも安部内閣による観光立国化への取組は、後世に残る政策となるかもしれません。日本の観光立国化が成れば、観光振興を通して地方分散に進むまであと一息です。地方分散と移民受け入れが同時に進み、なおかつ日本文化が見直され、活性化される。そうなればいうことはありません。

とかくタカ派扱いされがちな安部政権ですが、こういった取り組みは応援したいと思います。「美しい国へ」がこういったやり方で達成されるとすれば、望ましいことこの上ないでしょう。


生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよを観て


昨日、神奈川県立近代文学館で催されていた「生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよ -「遠野物語」から「海上の道」まで」を観に行きました。残念なことに朝から山手洋館めぐりをしていた関係で、ここでの観覧時間は1時間しか取れませんでした。そのため駆け足の観覧しかできなかったのが惜しいところです。

しかし、そんな中でも少しでも日本の民俗学の巨人の足跡を追い、その業績の一部に触れることができたのではないかと思っています。この展示会は柳田國男の学問的な業績を云々することよりも、生涯を概観することが主眼に置かれていたような印象を受けました。

なぜ柳田國男の生涯に主題を置いたのか。それは本展編集委員の山折哲雄氏の意図するところでもあったのでしょう。宗教学の泰斗として知られる山折氏の考えは分かりません。ただ、私が思うに、柳田國男の生涯がすなわち日本の近代化の過程に等しいからではないかと思います。近代化の過程で都心部と農村の生活の差が激しくなり、農村に残っていた民俗的なモノ、例えば風習や民話、妖怪のようなモノが失われつつ時代に柳田國男は生きました。そして近代化によって失われつつあるものの膨大なことを、誰よりも憂えたのが柳田國男だったと云えます。そしてそのことは、柳田國男が農商務省の官吏であったからこそ、大所高所で農村の現状を観ることができたからこそ気づき、民俗学の体系を築きあげることが出来たのではないかと思います。本展からは、山折氏の意図をそのように見て取ることができました。

実際のところ、柳田國男の民俗学研究には独断や恣意的な部分も少なくないと聞きます。なので、本展ではそれら妖怪研究の詳しいところまでは立ち行っていません。でも、それでよいと思うのです。今の民俗学研究は、柳田國男の研究成果から、独断や恣意部分を取り除けるレベルに到達しつつあるとの著述も別の書籍で読みました。ならば、現代の我々は柳田國男が膨大なフィールドワークで集めた素材を尊重し、そこから料理された成果については批判する必要はないと思うのです。なので、本展でそういった研究成果を云々しなかった編集委員の判断も支持したいと思います。

むしろ、情報が貧弱な柳田國男の時代に出来て、現代の我々に出来ないことは何かを考えた方が良いのではないでしょうか。現代の我々はインターネットで瞬時に世界中の情報を集められる時代に生きています。そのため、地方と都会の情報格差も取っ払われていると思います。が、一方では都心への一極集中は収まる兆しを見せません。地方が都会のコピーと化し、地方の文化はどんどん薄まり衰えつつあるのが現代と言えます。

私は地方が都会に同化されること自体はもう避けようがないと思っています。しかし、それによって地方に残された貴重な文化を軽視するような風潮は、柳田國男が存命であったとしたならば許さなかったと思うのです。先年起きた東日本大震災の津波で、遠く江戸時代初期の石碑が、津波の最大到達範囲を示していたことが明らかになりました。また、同じく先年起きた広島の山津波の被害では、地名がその土地の被害を今に伝えていたことが明らかとなりました。しかし、それら古人の知恵を、今の現代人が活かせなかったことはそれらの被害が如実に示しています。

文字や碑に残せない言葉や文化が地方から消えつつあることは避けえないとしても、文字で伝えられるものは現代の感覚で安易に変えることなかれ。柳田國男の民俗学が懐古趣味ではなく、実学として世の中に役立てられるとすれば、その教訓にあるのでは、と本展を観て感じました。

先日、縁を頂いて奈良県の某自治体の街おこしについて、知恵を貸してくれと頼まれました。なかなかに難しく、私の拙い知識には荷が重い課題です。古来、伝えられてきたその地の土着地名のかなりが○○ヶ丘といった現代的な地名に変えられ、景観すらも新興住宅地やショッピングセンターに姿を変えた今となっては、かなりの難題と言っても良いでしょう。しかし、その地にはまだ古代から連綿と伝えられてきた独特な祭りや古墳の数々が残っています。これらを活用し、本当の街おこしに繋がるヒントが、実は柳田國男が現代に残した業績から得られるのではないか、そう期待しています。

私も浅学ではありますが、柳田國男の本は今後も読み込み、街づくりの課題を与えられた際には役立てるようにしたいと思っています。街づくりだけではなく、日本人として得られる知見もまだまだ埋もれているはずです。それぐらい、偉大な知の巨人だったと思います。今回は素晴らしい展示会を見られたことに、同行の友人たちに感謝したいと思います。


県庁おもてなし課


この題材の取り上げ方は見事。著者お得意の恋愛ストーリーと地方振興にからめ、さらには主人公の成長譚と公務員問題の提起までを一編にまとめてしまったことには脱帽の他ない。公務員が主人公というのもいい。

本書の舞台は高知。著者の郷里だとか。本書のあちこちで高知の魅力が語られ、著者にとっては、故郷愛を満たしつつ、返す刀で故郷への恩返しもするという欲張りな小説でもある。

高知県庁のおもてなし課に勤める主人公掛水は、県の観光振興策を観光大使という形でまとめ、方々に依頼する。そのうちの一人が東京で小説家として活躍する吉門喬介。吉門喬介から散々に役人思考についてダメ出しをくらうが、そこから紹介された人脈の力を得て、人間的に成長し、観光振興にむけて努力する、というのが大筋。これだけで主人公の成長物語として充分成立するが、さらに著者は構成に工夫を凝らす。吉門喬介に紹介された地元高知の観光コンサルタント清遠和政は凄腕だが、かつては高知県庁に在籍していた男。異彩を放つ観光振興案を連発するも、あまりに役人の枠からはみ出た思考が持て余された末、閑職に追いやられ、退職を余儀なくされた経歴をもつ。実は吉門喬介の父でもある。吉門喬介から紹介されて訪れた掛水にかつて果たせなかった高知の観光振興を託し、一肌脱ぐという清遠和政の魅力もよい。そこに吉門喬介が長期取材と称して高知に帰省し、父子で力を合わせて観光振興に腕を振るうという筋も合わさり、重層的な構造となっている。

さらには吉門喬介の血の繋がらない妹や、主人公の下で観光振興にはげむバイトの明神多紀など、著者お得意の恋愛模様のお膳立てにもぬかりない。本書は軽く読める本なのだが、実は物語の構造としては一筋縄ではいかず、さらっと流し読みするには惜しい本である。

本書は地方振興、観光誘致のモデルケースとして大変参考になる。いや、観光に限らず、客商売をする者にとってもよい参考書としても使えること請け合いだ。本書内では反面教師としての役人思考が頻繁に槍玉に挙げられる。それは著者が実際に経験したやり切れなさであり、全国の自治体に共通する悪習でもある。逆にいうと、その点こそが高知県が観光誘致で一頭抜けだすチャンスでもある。著者の小説家としての本能に加え、郷土の観光大使としての使命感は、本書で存分に発揮されているといえよう。本書の観光コンサルタント清遠和政のネタ元は実は著者自身ではないかとも思えるくらいである。観光政策というやりがいのある分野で故郷に関わり、本書のような果実を得た著者は、実にうらやましい。数多くのトラベルミステリー、星の数ほどある旅行記、砂の数ほどある観光パンフレットをはるかにしのぎ、本書一冊で観光大使百人分の役目は担ったのではないか。

巻末には著者と食環境ジャーナリスト、食総合プロデューサーである金丸弘美氏、そして高知県庁おもてなし課にお勤めのお二方との対談まで収められている。これもなかなか他の小説には見られない趣向だ。対談でも著者の郷里愛は炸裂し、読む者を紙面に引きずりこむ。本書で語られる印象的なエピソードは、実際に著者が高知県から依頼された際の体験を下敷きにしているとか。あまりに残念な役人思考に業を煮やしたのが、本書が生まれるきっかけとなったそうだ。もっとも対談相手となった職員お二方の発言を見ると、すでに役人思考から脱却しているように思える。それが証拠に、高知県の最近の観光パンフレットには見るべきものが多い。「リョーマの休日」「高知家へようこそ」など、秀逸なコピーが目を引く。私はアンテナショップ巡りが大好きで、永田町にある都道府県会館地下の全県観光パンフレットコーナーにもよく行く。その私が目立つと思うのだから高知県の観光キャンペーンは他県よりも秀でているのではないだろうか。それもこれも著者の故郷愛のなせる業だろう。人と生れてやりたいことは多々あれど、行政を変えていくことほど痛快なものはない。

先日、銀座にある高知県アンテナショップに訪れたが、名産のゆずを中心に、実に豊かな品揃えであった。実は、高知には四半世紀ほど前に行ったきりで、相当の期間ご無沙汰している。本書を読み、アンテナショップに行くだけで高知観光した気になってしまったのだが、それではいけない。次女が好きだったやなせたかしさんのミュージアムに行く計画も沙汰やみとなってしまった。私自身が高知に長期出張するという話も流れてしまった。このままでは今が旬の高知の観光行政の素晴らしさが味わえなくなってしまう。行くと云ったら行かねばならぬ。本書を読んだからには。

’2014/11/1-2014/11/1