私の関心対象のひとつに川がある。川は面白い。上流部の岩場や滝は荒々しく。中流部の草生い茂る川面と緑豊かな土手はのどかに。清濁合わせ呑んだ下流部の拡がりは悠々自適。川を人の一生に例えることは昔から行われてきたが、その気持ちもわかる。
私は、未熟で無鉄砲な上流部が好きだ。生まれたての雫が人跡未踏の沢を下り、木々の間を自由にすり抜けるかと思えば、断崖を急落下する。思うままの独り旅。憧れる。
しかし、人間と川の歴史を語るのであれば、それは中下流部だろう。水在るところ人々は集い、歴史を作ってきた。
本書は、4章にわたって日本各地の川と人々の関わってきた歴史を紹介する。本書に登場するのは本邦の有名河川たち。多々良川以外は全て一級河川である。それらが4章のそれぞれの切り口から取り上げられている。
第一章 名前で読み解く川の歴史
淀川・九頭竜川・球磨川・利根川・筑後川・多々良川
第二章 合戦のゆくえを知る川
千曲川・姉川・手取川・長良川
第三章 川の恵みに育まれた信仰
四万十川・信濃川・吉野川・富士川・天竜川
第四章 アイヌ語に秘められた川の由来
最上川・北上川・石狩川・日本各地の「金」の川
第一章は、それぞれの川の名前から、その地域の歴史や風土を絡めて紹介する。第二章は、合戦の舞台として著名な川である。なお、千曲川の合戦という合戦はないが、川中島の舞台といえばお分かりだろうか。
本書は紙数の限界もあって有名な川のみの紹介にとどまっているが、まだまだ我が国には見るべき河川が多数ある。小さな川まで数えれば、河川の数だけ故郷があるといっても過言ではあるまい。私にとっても武庫川・久寿川・猪名川・芦屋川といった河川には愛着があるし、ほぼ毎朝晩に渡河している多摩川・鶴見川も捨てがたいものがある。本書を通して川に興味が湧き、少しでも美化意識が高まることを願ってやまない。
‘2014/10/26-10/31
釜無川と御勅使川の治水工事に特化した歴史小説「無名の虎」を読んだばかりなので、コメントしてみました。古来川は合戦の舞台になることが多く、他にも耳川の戦いや瀬田の唐橋などが思い起こされます。特に古来瀬田を守って勝利したことがないというジンクスから、大阪夏の陣で浪人衆から出された案は却下されました。
個人的には建御名方の謎を追っている関係で天竜川と姫川に着目しています。糸魚川⇒白馬⇒長野⇒小野⇒諏訪という説を根拠に追いかけていますが、伊勢⇒豊川⇒天竜川⇒諏訪というまさに中央構造線をなぞったような動きも説としてあるので捨て切れません。いずれにしても口永良部島のすぐ南にある火山島である諏訪瀬島からやって来た建御名方が地震に関係のあるフォッサマグナ地帯に密接な関係があるのは間違いないとにらんでいます。
島津の件ですが、秦氏の一族である島津氏は惟宗氏の流れで、惟宗広言もしくは忠康の息子が島津氏の始祖忠久だということまで調べました。島津つながりで那覇の港に描かれた軍船の絵図から「尚氏が秦氏のお社・八幡宮の紋と同じ「左三つ巴」の紋を使用していた」という興味深い事実にぶつかりました。島津のみならず尚氏までもが秦氏の一族であったならば、柳田國男の日本文化が沖縄経由で南方からもやってきたという説が証明されるのではと期待しています。
水谷さん、こんにちは。
まさに川は水だけでなく文化の流路でもあります。諏訪盆地を分水嶺として天竜川と姫川の関係に着目されたのはさすがですね。私も川と火山の地脈が我が国の文化形成に大きな役割を果たしたのは間違いないと思います。
私がふといった住吉大社の島津氏始祖の誕生石の話題からここまで調べられた努力は見習わねば。はやめに天竜川は再訪しましょう。前回の中断をそのままにしてはおけません。
先日図書館で借りてきた平山優氏の真田三代は、戦国時代の基礎資料として非常に優れていて、かつコンパクトなので改めて購入しようと思っています。この本で川中島合戦で謙信の先方として戦った長沼城主の島津忠直という武将が、島津忠久の庶流だということを知りました。忠直の息子である義忠は本能寺の変の後の天正壬午の乱では、上杉景勝の軍監として天正十一年に小県・埴科両郡の境にある虚空蔵山にて真田昌幸と戦い、翌年には信濃の旧領奪回を企図する小笠原貞慶との間で麻績・青柳両城をめぐる戦いが起った。戦いは上杉方の大勝利となり、義忠はおおいに奮戦、貞慶軍を深志近くまで追撃する活躍を示した。
青柳城とは、MNYで次回行こうと画策している坂北駅付近の青柳城です。
天竜川のリベンジと共に長篠の戦跡巡りもいつかやってみたいものですね。
そうですね。天竜川を下るとともに前回訪れられなかった秘境駅を再訪し、
さらには長篠の戦跡に行かれればよいですね。
島津家の庶流が戦国時代の信州で活躍していたとは知りませんでした。
そのあたりもいきたいですね。