お誘いいただいていた「糸と魚と川」に参加してきました。
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7月に入ってからの一週間は、私の疲労がかなり蓄積されていました。
北海道の釧路でのCLS道東から倶知安へ(6/30-7/4)。そして、お客様先常駐(7/5)から、弊社のメンバー8人で臨んだkintone hive Tokyo(7/6)から、翌日のシークレットイベントへの参加(7/7)まで。
普通なら参加を断念してもおかしくない状況でした。

ところが、私は自分で自分を行かねばならない状況に追い込んでいました。
4月のkintone Café 神奈川でテクネコの加藤さんからは、糸と魚と川についてかなりの熱を持ってお勧めいただきました。その流れで、六月のkintone hive Osakaでお会いしたMOVEDの渋谷さんには糸魚川に伺わせていただきます、と宣言していました。加えて、二日前のkintone hive Tokyoでお会いしたMOVEDの小林さんにも行きますと宣言しました。ここまで言った以上、もう後には引けません。

そんな中、訪問した「糸と魚と川」。とても素晴らしい訪問になりました。皆さま、ありがとうございました。


私が糸魚川に向かったのは上記のシークレットイベントの翌日の土曜日(7/8)でした。
その日は朝10時からずっと銀座のお客様のもとで対面開発をしていました。結局、私がお客様のもとを出たのが20時ごろ。
新橋駅から東京駅へ乗り継ぎ、最終の金沢行きのはくたかに乗れました。

はくたかの車中では、翌々日(7/10)に控えたトヨクモkintoneユーザーフェスの後夜祭のため、まだ見られていなかったトヨクモkintoneユーザーフェスの皆さんの登壇動画を一気に見ました。まだ見る暇が取れていなかったのです。

そんな強行軍の中、糸魚川に到着しました。
私にとって、長野より先の北陸新幹線に乗るのは初めてのことです。そもそも糸魚川は遠い学生時代に二十人ほどを連れて野尻湖畔で合宿した後、帰りに一人で福井の母方の実家を訪問する際に通っただけでした。降りたったことさえなく、つまり、糸魚川に訪問するのは初めてでした。

糸魚川駅に降り立ち、街の空気を吸うよりも早く、改札にはなんとMOVEDの小林さんが。さらにその奥にはMOVEDのコジロウさんこと小島さんが。
びっくりしました。糸魚川に着いて早々、わざわざ迎えに来てくださったお二人からのご好意と歓迎の気持ちをひしひしと受け取りました。

MOVEDさんは、私にとって気になる会社の一つです。kintone界隈で確たる立場を築いておられるにもかかわらず、コーディングをしないスタイルを貫いておられます。
さらに、ほとんどのメンバーは業務委託の形で関わり、正社員はほんのわずかしかいないと聞いています。
そのようなMOVEDさんの運営の秘訣や、業務を回すためのポリシーはどのようなものなのか。
kintoneに対してどういうスタンスで関わられ、今後はどういう経営の道筋を描いておられるのか。

弊社には今、多くのkintone案件の引き合いがきています。ですが、弊社は一部のプラグインは使うものの、JavaScriptやPHPを用いたコーディングがまだ多くを占めています。
そのやり方に明確な限界を感じている今、弊社がどういう方向に進むべきなのか。
私の抱える課題意識の上でも、MOVEDさんの運営にはとても興味を抱いていました。

今回、糸と魚と川に参加しようと思った理由の一つには、MOVEDさんからとある案件をご紹介いただいたお礼も含まれていました。
他にも、私として学ばねばならないのはMOVEDの皆さんが可能性を感じておられる糸魚川についてです。どのような街なのかも伺えればと思っていました。
皆さんから伺う限り、糸魚川にはとても可能性があり、それもあって熱心に関わっておられるとのことです。

糸魚川駅から約30分近く。街のさまざまな魅力を伺いながら歩きました。
糸魚川は地方衰退の風をもろに受ける中、町の中心部を灰に変えた2016年の大火によっていっそう傷つきました。
私は、糸魚川大火については、歩きながら教えてもらうまで、わずかしか覚えていませんでした。聞いて初めて、そういえばそういうことがあったなぁということを思い出したぐらいです。
それから7年。大火によって失われるまで、街の風情の一部を担っていた雁木と言う構築物の多くは今も残っています。雁木とは商店街のアーケードのようなものといえばよいでしょうか。巨大な絵馬が飾られる雁木は、商店街の軒先を思わせるようでいて、ほかの街や地方ではあまり見かけた記憶がありません。
令和になって、町はかなり復旧しましたが、一部の施主は復旧にあたって雁木を復元しなかったと聞きます。
それも含めて、糸魚川の街は令和の新しい姿から、平成、さらにさかのぼって昭和明治大正の街の歴史を残しています。
各時代の歴史を物語るバラエティに富んだ建物が並んでおり、街が時代の流れを語り継いでいます。また、これから街が再生されていく最中であることが夜の街を歩いていても感じられます。そんな街の魅力を解説してくださる小林さんとコジロウさんの言葉が私の脳にしみ込んでいきます。
糸魚川がかつて加賀藩主の参勤交代のルートにあたり、そうした歴史を擁する興味深い場所であることも知ることができました。

小林さんは糸魚川の街の人々がとにかく熱いのだと熱弁を奮っておられます。その魅力はどこにあるのか。興味は増すばかりです。

星場荘に着きました。MOVEDさんが借り上げておられるこちらは、かつてとある経営者が住んでおられた一軒家です。
昭和の家によくあった砂壁や、切り子模様で飾られたガラスや、天井から釣られた点灯と、ひもスイッチから継ぎ足されたひもが伸びる様子など、昭和の雰囲気が息づいていました。
応接間は王の間と呼ばれ、三方の壁には厚地の布で豪奢に織られた壁紙が、在りし日のこの家の暮らしをしのばせてくれています。

ちなみに、星場荘については、こちらの記事をご覧いただければ。

この家、至るところが私の心の琴線に触れてきます。阪神・淡路大地震で全壊した私の家を久々に思い出させてくれて。
私の家の窓はカラフルなステンドグラス。二階の部屋は砂壁が古き良き日本家屋の雰囲気を出し、応接間には凝った壁紙が飾られていました。
星場荘のあらゆる要素が、そんな私の育った家を思い出させてくれました。30年ぶりに今はなき自分の家の面影に触れられた気分です。

この後、王の間で小林さんとコジロウさんと3人で語り合いました。
この機会に私は今まで気になっていたMOVEDさんの運用や仕事のやり方などをいろいろと聞きました。それに応えるように、小林さんからも、業務改善や組織運営や地域創生についての熱い思いの数々を伺いました。
実は私は、小林さんとこうやってゆっくり話すのは初めてなのです。今までにもkintoneのさまざまなイベントでお会いしていますが、すれ違ってあいさつをする程度。コジロウさんに至っては、この1月に名古屋のコラボスペースで催されたkintone Café NAGOYAのイベントで初めてお会いしました。

でも、3人の間にはkintoneという共通言語があります。そして、地方を盛り上げたいという思いも一致しています。3時過ぎまで時間を忘れ、話し合うネタは尽きません。2時を過ぎてから、熱が入った小林さんがノートパソコンを開いて練り上げておられるフレームワークの図を説明いただくほどの白熱。
プロ雑用を名乗る小林さんの底の知れない博識と、名声や富に頓着しない無私の精神にとても感銘を受けました。そして、MOVEDさんの今後にも大いに可能性を感じました。
夜中までお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。

さて、翌朝です。あいにくの雨模様です。
まずは近くの神社に参拝しました。
糸魚川でのご縁に感謝し、これからのご縁のつながりについてもご加護を願います。


やがて迎えに来てくださったのが山崎さん。糸魚川市役所の商工観光課で町おこしを担当しておられます。
山崎さんの運転で向かった先は美山キャンプ場。今日のイベントは、ここの美山ゲストハウスでウッドデッキを作ることです。
美山ゲストハウスは、以前は長期間にわたって使われていなかったそうです。
そうは思えないほど、子供が遊べる絵本コーナーや、ちょっとしたコーヒーが飲めるカウンターなどが整っており、ワーケーションの場として過不足のない設備のようです。
また、許可の関係で飲食業が営めなくても、コーヒー豆を買えばその場で豆を挽いて、その場で飲めるスタイルがとても斬新です。

床にはすでに木材が並べられており、この後のウッドデッキ工作の準備には抜かりがないようです。
早速私たちはあいさつの後、いくつかの班に分かれてウッドデッキを作り始めました。

私、こういう工作やDIYの類がとても苦手です。また、若い頃までは見知らぬ人たちに混じっての作業やイベントに参加することさえも苦手でした。
そのため、子供の頃からこうしたイベントからは逃げ続けていました。東京に出て、社会人になってもそれは変わらずでした。
が、大人になり、結婚して子供を育てる立場になると逃げ続けることは不可能です。
私の娘たちが通う小学校の学童保育は、保護者の参加がとても活発なところでした。私もその仲間に入り、キャンプやソフトボールやその他子供たちと語らうためのさまざまな活動に駆り出されるようになりました。
その中で、私も少しずつ、こうしたイベントの中での動き方を学びました。どういう風に動けば自分が浮かず、足を引っ張らず、さらに仲間に貢献できるのかについて。
私にとって、学童での経験が得難かったのは、組織や集まりの中での身の処し方を学べたことです。
その学びは、ありとあらゆる交流会や勉強会やコミュニティに参加した際に、自分の立ち位置を見定め、その中に溶け込むコツの会得にもつながりました。もちろん、それが今の仕事につながっています。

この後で、実際にウッドデッキ作成を社員研修に取り入れたら、という声がどなたかからでました。
うちの若いメンバーもそうですが、こういう仲間と協力する経験をせずに大人になってしまう人がいかに多いことか。私自身がそうだったらよくわかります。
そういう人たちに達成感や、仕事の回し方やコミュニケーションの取り方を学んでもらうためにも、こういう社員教育の場が必要と言う意見には、とても強く賛同します。弊社のメンバーも連れてきたい位です。


皆さんと協力しながら、私もネジ穴を開け、ネジを締め、線引きなどのさまざまな作業に従事しました。
私の班は、押田さんとテクネコの加藤さん。3人で協力し合って作業は進みます。
それにしても、作業服に身を包んだ押田さんがとてもてきぱきとかっこよくて。3人で協力し合ってと書くとかっこいいのですが、実際は要所要所で押田さんに手伝ってもらいながらでした。
DIYや工作が苦手な私にとって、すべてが学びですべてが新鮮です。ニトリの家具を組み立てる際ですら、必ず一カ所は日光東照宮の故事にのっとって未完成の場所を残してしまう私ですから。


そうしている間に、少しずつウッドデッキも形になっていきます。
作業に没頭する私たちの横では、ダッチオーブンがおいしそうなカレーを煮込んでいます。
そして、その合間にもさまざまな方からの野菜や海の恵みが次々と持ち込まれます。


街の人たちが、庭先でとれた野菜や川や山でとれた産物を次々と持ち込んでくれる。この持ち込みは都会ではまず味わえないものです。
私も今までにいろんな土地や地方を旅してきましたし、地元の方がふいに取れたての物を庭先に置いていく光景は何度も目にしてきました。
ですが、今日のイベントに持ち込まれる物の種類や人の数は、糸魚川が最も活発なように感じました。

これこそが、昨日小林さんが熱弁されていた、糸魚川は人が魅力的という言葉の一つの証しなのでしょう。
また、昨夜の小林さんとの語らいの中で印象に残ったのは、糸魚川市、つまり行政の皆さんの敷居の低さです。
山崎さんもそうですが、私たちがウッドデッキを作っている間にふらりと訪れた方は糸魚川市の副市長さんでした。お連れの方もなく、まさに単身ふらりとやってきた感じが自然体でした。
どこの自治体さんも当然民間の取り組みやイベントに対しては積極的だし、人を出してきます。
一週間前に私が訪れていたCLS道東は、毎回釧路市長が来られます。私も夜の懇親会でも市長と会話をし、その場で釧路出身の町田市議の方をご紹介していただいたこともあります。
釧路市長も境目の低い方で、とても好きなのですが、さらに糸魚川市のほうが行政と民間の壁が低いように感じました。

昨晩の話でも感じ、私からも質問をしたことは、糸魚川の何がほかの地方と違うのか、ということでした。
私の中では、その理由は、行政が積極的にイベントに関わり、かつ行政と民間の垣根がないことだと合点がいきました。実際にウッドデッキを作る中で、私はそれを実感しました。


カレーをいただき、さまざまな食べ物に舌鼓を打ちつつ、飲むビールのうまかったこと!疲労と寝不足となれぬ作業に疲れた体にビールがとてもしみました。
この顔はまさに私の自然体そのもの。普段の私がこういう顔をさらしながら飲んでいるのかは自分ではわかりませんが、それをすかさずファインダーに収めたコジロウさんの撮影術が光ります。


さて、午後からは残り三つのウッドデッキを仕上げます。
ところが、午後の作業において、午前中は確かにできていたはずの作業が急にできなくなりました。細い穴を空けるドリルを二本立て続けに折ってしまったり、ネジ穴をつぶしてしまい、皆さんに引き抜かせる面倒を起こしたり。
こうなると本当に申し訳なさが募ります。かつての弱気な自分がDIYへの苦手意識と手を結び、私の意気を殺ぎはじめます。
ですが、この時に悪態をつかないのが糸魚川の皆さんのやさしさです。きちんと教えていただき、私も引き続き残りの作業をこなすことができました。

今回のイベントの参加を通し、自分の苦手な作業と無能さを今更ながらに痛感できたことは、自分の慢心を抑えるためにもよかったと思います。経営者だkintone エバンジェリストだとドヤ顔していても、しょせんお前はただの人。自分に謙虚になれました。

ですが、細いドリルは残り一本。私が何かしでかすと、ウッドデッキが作れなくなってしまいます。他のウッドデッキの進捗も佳境になったこともあり、私はウッドデッキを庭先に運んで設置する作業に移りました。
ここでは皆さんは水平器を駆使して足元の土や土台を調整し、ウッドチップをまきなおしたりしながら、複数のウッドデッキを組み合わせる作業に従事していました。
位置を調整するたびにウッドデッキを浮かせたりする作業。これなら私もドリルを折ったりネジ山をつぶすこともなく作業に貢献できます。かつて私が学童のキャンプなどで会得した身の処し方を生かしました。


さて、ウッドデッキが完成しました。午後からは晴れ間すらのぞく様になった天候の中、ビールや食べ物をいただきつつ、皆さんとともに作り上げた一体感に私も浸ることができました。この達成感。
これこそが若い時の私が知らなかったものです。この達成感を得るために、皆さんはDIYに汗を流し、仲間と一緒に作業に励むのです。
私も大きくなってからこの連帯感を学んだことが、今のキャリアにつながっています。先に書いた通り、このウッドデッキ工作は社員教育のコンテンツに間違いなくなります。ビットとバイトの組み合わせだけでは得られない現実の手触りのある達成感に。


さて、日差しは刻一刻と西へ落ちていきます。
実はこの日、私はどこかのタイミングで東京に帰るつもりでした。なぜなら翌日の月曜日の朝は相模大野で弊社の定例会を予定しており、夜は日本橋のサイボウズ本社でトヨクモkintoneユーザーフェスの後夜祭に出席する予定だったからです。
東京に帰るためには、19時台のはくたかに乗らなければ間に合いません。ところが、私が今滞在している美山ゲストハウスから糸魚川駅までは距離が離れています。しかも、お宿にトランクを預けっぱなしです。
この状態で宿まで送ってもらう選択肢はどうしても取れませんでした。
何よりも糸魚川の人たちとの絆をこの機会により深めたいという気持ちが勝ります。そこでもう一泊を決断しました。弊社のメンバーに定例会の開始時刻を遅らせてもらうように伝えた上で。

一度、吹っ切れたら後は交流を深めるのみ。夜になっても、糸魚川が誇る海の幸と山の幸が次々に繰り出されます。その豊かさが私の胃に次々と収まっていきます。

夕方には、出来上がったウッドデッキに座る皆さんの前で、1分間の自己紹介もこなしました。
今回は、私にとって完全なアウェイというだけでなく、私の苦手な工作イベントであり、しかも実際にご迷惑をかけてしまっています。普段の経営者やkintoneエバンジェリストといった肩書も通じません。そんな中、私にできるのは皆さんのご厚意に感謝し、ドリルを折ったことを謝るのみ。それに加えてこれからも糸魚川を応援する決意を語るのみ。
私の一分間スピーチが少しは皆さんの印象に残ってもらえばと願っています。

今回は、私は仕事を持ち込むつもりがあまりなく、名刺交換もしなくてもよいと思っていました。
が、夜になって山崎さんや五十嵐さんとは名刺交換をさせていただきました。ほかの方ともあらためてのごあいさつを。
今回はこれでよいのです。今後、私が何度も糸魚川に通えば、皆さんとの関係が強くなり、私も認知されていくはずですから。
先日のCLS道東のブログ記事でも書いた通りです。

やがてすっかり辺りは暗闇に包まれ、雨脚はイベントの終わりを待っていたかのように激しくなりました。
皆さんも三々五々、帰宅に向かいました。私も車で送っていただきました。
楽しかったです。皆さんには本当に感謝しかありません。


翌朝、7時7分発の始発のはくたかに乗るため、6時半に起きて出発しました。
まだ町は眠っています。が、前々日の夜には見えなかった糸魚川の街を存分に感じながら歩くことができました。
海の景色も眺め、天使のはしごが糸魚川のこれからを約束している光景も見ました。大火からよみがえろうとする街並みもよくわかりました。
人のいない街を歩きつつ、糸魚川の皆さんが一生懸命街を思い、街を盛り上げようとする思いをかみしめつつ、駅までの道を歩きました。

昨晩も、糸魚川の方が、糸魚川がつまらないから都会に出てみたいという話をされていました。私たちはその気持ちに理解を示しつつも、都会は都会のつらさとしんどさがあるんよ、という話をしました。
私はすでに都会に疲れています。だからこそ、こうして旅に出て皆さんとのご縁に癒やされるのです。
その視点からも、渋谷さん、小林さん、コジロウさんをはじめとしたMOVEDの皆さんがなぜ糸魚川のためにひと肌脱ごうとしたのか、少しは理解したつもりです。

数日前に伺った釧路ではジョイゾーさんが。糸魚川ではMOVEDさんが地域のために活動しておられます。
その活動は決して目の前の利益のためではありません。
会社経営の観点からは、こうした活動から得られるところは少ない。でも、今のわが国の現状と地方の現実を見るにつけ、何かをやらなければならないことは確か。
それは弊社のような零細企業を経営する私にとっても同じです。弊社の場合はまだ頻繁に地方に関われるゆとりがありません。案件に追われる毎日です。
が、地域の創生が地域のためになり、しかも社員やメンバーの福利厚生につながれば本望です。

そのあたりの思いは、
こちらのnote
にも書きました。

弊社も山梨や甲府で地域クラウド交流会「ちいクラ」のオーガナイザーとして活動することになり、山梨や甲府のために何とかしたいと動き始めています。
甲府からはスーパーあずさで南小谷まで来られます。糸魚川はすぐそこです。また、その途中にある白馬では今度kintone Caféの開催が予定されていて、私もかかわる予定です。
甲府からでなくとも、住んでいる町田からは東京駅まで出れば、そこから糸魚川までは2時間で行けます。


私も銀座から2時間で来れたことや、7時7分発のはくたかに乗ると、相模大野には10時半に着いたことで、糸魚川の近さを体感しました。
糸魚川は私が感じていたよりも、ずっと近い街なのです。ふっといける街であることも。
また必ず来ます。

今回お世話になったMOVEDの皆さん、糸魚川市の皆さん、本当にありがとうございました。
また、必ずや、家族または妻と来たいと思います。妻にとっては石の街であるだけで、必ず糸魚川を気に入ってくれるはずですし。


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