あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/3/22にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回から、家の処分について語ってみます。この経験を通して私をとても強くしてくれた家のことを。作:長井、監修:妻でお送りします。

高額な地代以外にも問題が


家をどうするのか。それが私と妻に突き付けられた現実でした。
その現実は、他人に肩代わりしてもらうものでもなければ、晴れ間を待ってしのぐものでもありません。それなのに、私も妻も何をどう進めればよいのかわかっていませんでした。

前回の連載でこのように書きました。「家を処分した大きな理由は、四年後に地代が支払えなくなるため」と。ところが、私たちが家を処分した理由は地代だけではありませんでした。
地代さえ支払っていれば、家に住み続けられるかもしれない。そんな甘い期待を打ち砕くには、私たち夫婦に突き付けられた現実はあまりにも苦しかった

前回の連載で、私たちが住んでいた家の問題点を列挙しました。しかし、その中で書かなかったことはまだあります。
一つは、わが家に対する風当たりの強さです。
わが家の敷地が市の都市計画で拡張される道路予定地に含まれていたことは書きました。その道路の沿道には拡張予定であることを示すための柵がずらりと並んでいました。そしてその柵は、わが家の庭の手前で止まっていました。
つまり、何も知らない人が見ると、まるでわが家が道路拡張を邪魔する元凶に見えるのです。そのためわが家は、世間からの風当たりに耐えねばなりませんでした。庭に嫌がらせのゴミを放り込まれ、罵声を浴びることさえありました。

もう一つは、平成七年に妻の祖父母が亡くなった後、妻の母が診療室部分を改築しようとしたことです。
診療室を一新するにあたり、妻の母は業者に依頼して既存の診療室の内装をいったん取り払ってもらっていました。ところが、妻の母は内装を取り払ってもらった時点で病に倒れ、そのまま亡くなってしまいました。そのため、診療室は見るも無残な状態で遺されたのです。打ちっぱなしのコンクリート、地がむき出しになった床。ほこりっぽい室内には、歯科器具が乱雑に置かれ、数台の歯科ユニットが無言でたたずんでいました。私が初めてこの家の中に入った時、かつて米田歯科として栄えていた診療室はただの廃虚になっていました。
本来ならば、妻の母がこの部屋を一新し、診療室として新たな命を与えるはずだったのです。ところが、妻の母が平成九年に亡くなったことで、この場所がかつての栄華を取り戻す可能性は断たれました。よどんでほこりが積もったこの場所は、かつての栄華を知らない私にとって死んだも同然でした。
二度と生き返ることのない部屋。その部屋を生き返らせることができるのは、かつての生き生きとした姿を知っている妻や妻の父でした。が、妻の父が徒歩数分の場所で歯科診療室を開き、そこで妻と妻の父が診療を行っている以上、死んだ診療室を新たに生まれ変わらせる理由はありません。

地代を払う、払わないを議論する以前に、この家はすでに息の根を止められていたのです。
そして、たとえ地代を払い続けたとしても、家が拡張予定の道路の一部である事実は動きません。

対応案を基に弁護士の先生に相談


その現実が変わらない以上、私と妻はそれを踏まえた対応を考えなければなりませんでした。
この時、私と妻が取りうる選択肢は何だったのでしょう。今の私の立場から挙げてみました。

1案:毎年275万の地代を妻に遺された遺産から四年間地主に払い続け、尽きたらその時に考える。
2案:毎年275万の地代を賄えるだけの額を稼ぎ続け、ずっと地主に払い続ける。
3案:地代契約を見直すための交渉に持ち込み、現実的な地代に変えてもらった上で地代を支払い続ける。
4案:土地を地主から買い取り、土地も含めて所有する。その後で町田市との交渉に入る。
5案:地主と協力して町田市との交渉に臨み、先に拡張道路分を町田市に売却する。残りの140坪はそこから地主との再交渉に臨む。
6案:道路拡張分の売却と同時に、140坪分の借地権を地主に売却する。
7案:借地権を第三者に売却し、その売却益で新たに家を得る。

私がまずやろうとしたこと。それは、弁護士の先生に相談することでした。
妻と一緒に麹町に行き、弁護士の先生に相談しました。その先生を紹介してくださったのが誰だったのか、どういうつてだったのか、今となっては先生のお名前も含めて全く覚えていません。ですが、家を処分して十年ほど経過した後、私が常駐した現場のすぐ近くの景色と、このとき先生の事務所の光景がフラッシュバックしたことは覚えています。
その時に相談したのは、今の地主との借地権契約は法的に有効なのか、そして有効だとすればこの借地権契約を元にどう話を進ればよいか、だったと思います。
ところが、先生に相談したところで、私と妻の目論見通りに行くはずはありません。
借地権契約は毎年の支払い実績がある以上は有効。そして借地権契約の原本がなく、現状の契約に至ったいきさつが分からない。そうである以上、弁護士としても再交渉の手がかりをつかむのは難しいという回答でした。

この先生さんにお会いしたのは、結婚して一、二年目の頃だったように思います。
私たち夫婦はこの後も数年にわたり、多くの士業の方にお会いしました。ところが、その皆さんの見解は一様に同じでした。

私も妻も、それまでの人生で士業の方とのご縁はなく過ごしてきました。そのため、私も妻も士業の先生とどう付き合えばよいかについての知識がありません。どの弁護士に相談すればよいのかも分からない。上に挙げた七つの案が正しいのかも分からない。そもそも、上に挙げた七つの案を相談する先として弁護士がふさわしいのかすらも分かりません。まさに五里霧中。

“起業”した今はこう言えます。やるべき作業、向かうべきゴールが見えている作業はまだ楽だと。
何を行えばよいか、どこに進めばよいかが分からない仕事ほど苦しいものはないと。

対応案のどれもが暗雲含み


ここで上に挙げた七つの案について、今の私からツッコミを入れてみましょう。
1案:毎年275万の地代を妻に遺された遺産から四年間地主に払い続け、尽きたらその時に考える。
↑ありえない。と、切り捨てたいところです。が、私と結婚した時点で妻と妻の父はずるずるとなし崩しで地代を払っていました。
2案:毎年275万の地代を賄えるだけの額を稼ぎ続け、ずっと地主に払い続ける。
↑結婚当初の思惑どおり夫婦で働けていたらあるいは可能だったかもしれない案。でも妻が子育てに入ってしまい、当時の私にはそれだけの実力がありませんでした。
3案:地代契約を見直すための交渉に持ち込み、現実的な地代に変えてもらった上で地代を支払い続ける。
↑契約の根拠が見当たらず、それでいて支払い実績がある以上、難しいという弁護士の先生の見解からもムリ目な案です。
4案:土地を地主から買い取り、土地も含めて所有する。その後で町田市との交渉に入る。
↑180坪の土地代を支払うだけの資金がない以上、当時は机上の空論でした。ですが本来は一番理想の案でしょう。なお、今の私の目標は、この案を実現させることにあります。この土地を買い戻せるだけの資力を得ること
5案:地主と協力して町田市との交渉に臨み、先に拡張道路分を町田市に売却する。残りの140坪はそこから地主との再交渉に臨む。
↑一番堅実に見えますが、その分、難儀な案です。こちらに一切の思惑を読ませまいとする地主と私の間には、毎回の交渉の度に無言の火花が散っていました。
6案:道路拡張分の売却と同時に、140坪分の借地権を地主に売却する。
↑表面だけをいえば、最終的にこの案に落ち着きました。ですが、当時はこの案が一番難儀に思えました。この案で落とし込むのは難しいだろうというのが、当時の私の肚づもりだったように記憶しています。
7案:借地権を第三者に売却し、その売却益で新たに家を得る。
↑この案は魅力的でした。実際、私たち夫婦には第三者の心当たりがありました。ところが、この案はこの後の連載で書きますが、頓挫しました。

ここ数回の連載で書いた通り、私と妻の結婚生活には最初からさまざまなトラブルがついて回りました。
妻が子を産めないかもと告げられ、妊娠してからも強盗に襲われて切迫流産の危機に見舞われました。妻は大学病院を静養のため休み、私は正社員に登用されました。そして、長女が生まれてからは子育てに忙しい日々が始まりました。
結局、娘が生まれてから二年ほどは、家の現状を把握することで精一杯でした。
私は毎年末に地主のところに訪れて、地代を手渡し、領収書を受け取り、雑談に過ごしていました。決して内心の苦境を表さず、ポーカーフェースを保ちながら。

ところが、私もただ無策で過ごしていたのではありません。
この頃から次の一手を探り始めます。この時、うちら夫婦を助けてくれたお二人の方がいます。
次回の連載でご紹介したいと思います。ゆるく永くお願いします。


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