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「真鶴でチャレンジの総量を真鶴で」イベントでkintoneを説明しました


2024年1月25日に『チャレンジの総量を真鶴で』に登壇しました。


今回のイベントは、昨夏に開催された『kintone Café 神奈川 Vol.15』と同じ場所である真鶴町観光案内所の二階にある会議室で行われました。
(kintone Café 神奈川 Vol.15の開催に関する詳細は、このブログでご覧いただけます。)

上記のブログにも載っていますが、その盛り上がりが冬の山北町での『kintone Café 神奈川 Vol.16』へと繋がり、一緒に企画した株式会社あわえさんとの共同作業を経て、真鶴町の活性化にkintoneを活用しようという思いが強まりました。
その思いを具体的にするため取り組んでいたのが、真鶴町でkintoneを使った地域創生への試みです。
昨夏のイベントで一緒に企画した株式会社あわえさんと、真鶴町をkintoneを使って活性化させたいとの思いが一致しました。コンセプトや開催内容など、何回も打ち合わせを重ねました。一度は開催日程も決まったのですが、開催を目前にして延期の決断を下したこともありました。

そうした困難を乗り越え、真鶴でまたkintoneのイベントを企画しようとした理由は、真鶴が抱える過疎地としての課題や危機感をkintone Café 神奈川のイベントの中で共有できていたからです。


地域活性化の手法は各地域や知見を持ったかたがそれぞれのやり方で実践しています。
その中で弊社や私やギボンズ社の藤村さんが地域活性化の手段として提供できるのは情報技術、それもkintoneを使った業務改善においてです。
実際に真鶴町の事業者さんに行っていただいた事前ヒアリングによると、まだビジネスの中では昔からのやり方が主流だそうです。そのやり方を改善するだけでも地域のために貢献できる余地があるはずと考えました。


今回のイベントには最終的に二社の真鶴の事業者の方に参加していただきました。
他にも数社に申し込んでいただいていましたが、都合が合わず、まずは二社から。

しかもご多忙とのことで、時間も二時間半ほどでした。
その限られた時間で、kintoneについての機能や使い方、可能性についてを語りました。その特徴や魅力なども交えて。

おかげでkintoneについてはその良さを理解してもらいましたが、今回の開催によって導入していただくには到りませんでした。
小規模な事業での導入に関しては、既存のツールから月額7500円を支払って移行することが難しいという意見もありました。

ただ、私の後にギボンズ社の藤村さんがマンダラアートについてワークをしてくださったことで、風向きが変わりました。ワークによって違う発想が刺激されたことも良かったのでしょう。
実際、ワークによってご自身の仕事の洗い出しができた結果、kintoneを使うことも選択肢の一つとして見直すきっかけになったようです。
私の話によってkintoneの魅力は理解していただけたので、思考のフレームワークを使って考えを整理してもらえれば有力なツールとして選ばれる。それこそが今回のイベントの効果だと思います。


私もワークの有効性を感じました。後は真鶴のこれからについてより一層の対話を進め、真鶴町の状況にあった道を探っていきたいと思いました。
一朝一夕で行うにはテーマが大きいので、一日で成果はでません。何回も何回も繰り返し真鶴の皆さんと会話する必要があると感じています。

皆さんが帰られた後は、私とギボンズ社の藤村さん、あわえ社の三宅さん、松木さんと四人で真鶴の街を楽しみました。
以下は上のイベントとは少し関係性が薄いのですが、真鶴の地域創生の可能性を感じた良い機会だったので、少し長い文章になっています。よかったらください。

今回の会場である真鶴町観光協会のすぐそばにあるのが、sumi marcheさん。昨夏のkintone Café 神奈川の懇親会でも利用させてもらいましたが、その時は人数が多かったので、離れのスペースでの開催でした。


ところが今回はsumi marcheさんの中でおいしい料理とお酒を頂きました。時間はまだ16時。平日のこんな時間に飲むことなどめったにありません。
ですが、この時間に飲むことこそが真鶴時間。私も真鶴の時間を身体に刻むため、あえてこの時間から飲む道を選びました。
鯖やはばのり、イカ。海産物は目の前の海から上がってきます。刻一刻と暗くなっていく空や海を見ながら、会話を楽しみ、時間を気にせずに飲む真鶴の夕暮れ。
都会でビジネスの風に吹かれているとつい忘れてしまうゆとりです。

地方創生にあたって都会の価値観を持ち込むと失敗する。よく聞く言葉です。
都会の価値観とは平日の夕方からお酒を飲む時間の使い方とは一線を画しているはずです。

続いて向かったのは青木商店 GLIDE。こちらのお店は前に来た時には気づきませんでした。松木さんにうかがったところ、最近できたらしいです。
こうした新たなお店ができるのは、真鶴のためにも喜ばしいことです。

実は、この日真鶴駅で藤村さんと待ち合わせた私たちは、おおみち通りという街の目抜き通りでいつも活気があったお魚屋さんが代表の方がお亡くなりになったとかで休業する旨の張り紙をみたばかりでした。
お昼は伊藤商店というデビット伊東さんのお店でラーメンを頂きました。こちらのお店が真鶴で存在感を示していますし、これまでの数回の訪問でポツンポツンと頑張るお店も観てきました。ですが、真鶴の街の全体が衰退しつつあることは、数回訪れただけでも感じていました。
ですが、このように少しずつ町もお店もリノベーションされ、少しずつ点るあかりが戻っています。


こちらのお店ではジャックダニエルのハイボールとソフトクリームをいただきました。この取り合わせがまたうまかった!また今度来たいと思います。


そして最後に訪れたのが駅前にある塩と檸檬さん。このお店は前に来た時にも気になっていました。お酒も料理もとてもおいしかった!
たまたまお隣にいらっしゃったのが松木さんや三宅さんもご存知の方で、その方も交えて楽しいお酒の時間が持てました。
こうしてみると、真鶴もまだまだ行くべきお店が多いこと、街は決して未来をあきらめていないことが分かります。

実際、第一次作業に課題を抱えているとはいえ、都会から気軽に訪れられる過疎地というポジションは真鶴ならではの長所にもなります。
そのような街で、私に何ができるのか。kintoneを武器に、これからも何回も訪れることになるでしょう。

今日はご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
今回のイベントを通じて、真鶴町の地域創生に向けての新たな一歩を踏み出すことができました。今後も真鶴の可能性を信じ、kintoneを活用して地域活性化に貢献していきたいと考えています。


おいでなって! ビルド山梨に運営・参加してきました



2023/12/2に甲府において『おいでなって! ビルド山梨』というイベントを開催しました。
運営メンバーは、私(代表)、妻(役員)、そして長女(総務・経理担当)でした。
告知ページ

1.総括


このイベントは弊社が催しました。企画から会場確保、さらに告知や当日の進行まで。
すべてが弊社の責任の下にありました。

『ビルド山梨』の開催目的は、最低限の目標を達成できたと考えています。
むしろ、10日前までほとんど動いていなかったことを考えると、上出来だったと思います。

ところが、うちの家族の中でこのイベントの総括が全くできていません。私もnoteでもブログでもこの総括は妻に任せようと思い、何も書かずにいました。
ところが、妻はFacebookに投稿した内容で満足し、総括は終わったと考えている節があります。あれでは総括になっていません。それはよくないので、本稿としてアップします。

『ビルド山梨』の開催目的とは、2024年6月29日に予定している地域クラウド交流会(ちいクラ)のキックオフです。

そもそも、この12月2日こそが、本来のちいクラの開催予定日でした。ところが妻の判断で延期し、新たに山梨県立図書館で予約し直しました。
ちいクラの参加予定人数から考えると、この日の会場であるコットンクラブさんがではキャパシティが足りないこと。そもそも妻のスケジュールから、12月開催が厳しいこと。

せっかく予約を取って押さえていたコットンクラブさんの場を活かすため、初めはkintone Café 山梨の開催も検討しました。
kintone Café 山梨は時期尚早という判断が運営メンバーの皆さんとの打ち合わせでなされました。であるなら、弊社主催でイベントを開催し、そこにちいクラに関わってほしいと思う方々に集ってもらい、交流を深めよう。それが今回の目的でした

前の日に突貫で資料を作り、当日、それを見事に説明しきったこと。
次のちいクラに向け必要となる方に来ていただき、その方々にきちんと説明ができたこと。今後の主要なメンバーの交流が図れ、信頼感も向上できたこと。
本当に上々な出来だったと思います。

が、ここでダメ出しをしておく必要があります。まず、上のような上出来の結果になったのは、妻の個の能力があったこと。参加者の皆さんの登壇協力とプレゼン能力があったことです。
これがなかったらかなりグダグダだったはず。ちいクラ山梨の開催にも悪影響を及ぼしかねないところでした。

2.悪かった点

最大の欠点は10日前まで事前の準備が全くできていなかったことです。

『ビルド山梨』は弊社で催したイベントなので、最終的な責任は代表である私にあります。
が、イベントの仕切りは全部妻に任せようと思ってました。なにしろ、ちいクラのオーガナイザーは妻ですから。

ところが11月になっても妻は動く気配がありません。たまりかねた私は、11月19日に家族で山梨の八ヶ岳に行く車中でその話を振りました。ところが芳しい反応がありません。娘たちとの話に興じている妻。おそらく、開催のイメージがつかめず、どうしたら良いかわからないので、イベント開催から逃避しているようにすら見えました。

これはまずい、このままでは間違いなく12月2日のイベントは失敗すると思いました。
そのため、その日から翌日にかけ、私から皆さんに登壇依頼を送りました。そして、相談内容をまとめ、当日のタイムスケジュールの素案も私の方で考えました。
信じられないことに開催の12日前まで誰になんの話をしてもらうのか、イベントの内容も含めて何も決まってなかったんです。


妻の個人的な能力はさすがです。前日から夜中までかけてちいクラの説明資料を突貫で作りました。そして、当日も見事にそれを話し、演じ切りました。参加された皆さんからも妻の話す能力の高さに印象を持ってもらえたと思います。

が、ちいクラは個人能力を出す場ではありません。全員で作り上げていくイベントのはずです。今回のやり方だと、当日に手伝ってくれるスタッフが準備不足で臨み、右往左往することになるのは必至。まず間違いなくやばいことになるでしょう。ここは猛省を促したい。

3.当日の様子

さて、当日の様子です。
私が登壇をお願いした方々の出番も含め、妻には開催の前日にスケジュールを再調整してもらいました。

会場のコットンクラブは80人は入れるキャバだったので、集まった15人は少し寂しい気もしましたが、それでもキーとなる皆さんが集って下さったと思います。
本当に皆さんには感謝です。


まずは妻から開催開始のご挨拶。


そして続いて藤野さんに一言ご挨拶をその場でお願いしました。
妻がちいクラ山梨を開催するにあたり、藤野さんと出会ったことから山梨での人脈つくりがスタートしました。藤野さんにはいろんな方を紹介してくださり、感謝しています。今後もちいクラ山梨には関わっていただきたいと願っています。

続いて会場にいらっしゃる方々に自己紹介をお願いしました。座っている場所の順番に。
山梨の大企業で活躍されている方、kintone Café 山梨の主催者、山梨の自治体にお勤めの方、サイボウズ社の社員、山梨に移住し起業されている方、山梨中央銀行に勤めつつ、地元の若手支援や山梨経済活性化をしている方、山梨に移住と会社移転を検討している方。山梨のこれからを担っていただく志のある方々です。


そして、妻によるちいクラの説明。
上にも書きましたが、話すことについては妻はさすがです。資料も前日に突貫で作ったにしては起承転結も備わっていました。


皆さんにもちいクラが何か、については伝わったのではないかと思います。
できる限り地域(山梨)の経済を回し、しかもそれを新たに起業したい、または起業して間もない方や企業が発展するための仕組み。
決して一企業(アクアビット)の利益のためではないもの。
妻からはなぜ町田に住むのに山梨で開催しようと思ったかについても話してもらいました。


続いて代表の私からは、kintone Café 山梨の開催から、よっちゃばれっ kintone 無尽の紹介に至るまで、この半年の山梨とkintoneコミュニティのかかわりを話しました。
ちいクラは主催は地域のオーガナイザー、つまり妻や弊社が主催するのイベントです。が、サイボウズ社がちいクラの仕組みを立ち上げ、協賛としても参加してくださっています。

そのkintoneのエコシステムについては会場に来られた方にも説明しておく必要があります。またどの程度山梨で活動を拡げているかについても。
ここで私からkintone Café 山梨の主催者であるあかねさんにバトンたっち。よっちゃばれっ kintone 無尽を立ちあげておられるあかねさんからそのあたりについて補足してもらいました。
続いて同じく主催者の小林さんにも。
お二人のお話から、山梨にkintoneエコシステムを拡げたい思いは伝わったのではないかと思います。あかねさん、小林さんありがとうございました。


続いては富士吉田市の小俣さんから「Cybozu Daysに登壇して」というタイトルで話していただきました。

私から登壇を依頼した狙いは、サイボウズさんの活動を知ってもらうことです。それにはそこに登壇した方に話してもらうのが一番。
皆さんにサイボウズ社が何をしている会社なのか、さらに情報を持ってもらえたのではないかと思います。

そして小俣さん自身が学んだ
アウトプットの大切さ
コミュニティの大切さ
は、ちいクラ山梨にも通ずる点があります。

小俣さんからは富士吉田市で行われる布の芸術祭のチケットを皆さんにご提供いただきました。私は残念ながらいかれませんでしたが、小俣さんありがとうございました。


続いては、富士吉田市に移住された西見さんから「山梨に移住してみて」というタイトルで語っていただきました。
夏の真鶴でのkintone Café 神奈川で初めてお会いしてから、Cybozu Days 2023の弊社ブースの懇親会にも来ていただいたり、他のkintone技術者コミュニティでもご一緒するなど、ご縁が深まっています。

私から登壇を依頼した狙いは、山梨の地域を活性化することがちいクラ山梨のミッションなら、外から流入する経済効果も考えておかねばなりません。それには実際に山梨に移住した方にその体験を話していただくのが一番です。実は弊社も我が家も山梨移住に向けて準備を進めています。
我が家の場合、甲府を念頭に置いていたのですが、西見さんには完全にロックオンされてしまいました。西見さんからはネタも交えて富士吉田への移住を何度も話中でいじっていただきました。甲府市役所の方もいる前というのに(笑)。
でも、西見さんの思いもわかるほど、富士吉田が住みよい場所だということは伝わってきました。本当に検討しています。実はこのイベントの二週間ほど後に実際に富士吉田に泊まりました。西見さんありがとうございました。


続いては、山口さんから。「外から見た山梨」というタイトルで語っていただきました。
山口さんと初めてお会いしたのも夏の真鶴のkintone Café 神奈川です。そこではワールドカフェのファシリテーターを務めていただきました。
その後、山口さんが山梨中央銀行にお招きされ、山梨でも何度も講師として招かれていることを知り、ぜひ外からの視点を話していただこうと思ったのでした。藤野さんともそこですでに知己であることも知っていたので、ここで話してもらうにふさわしいと。

ところが、私が想像する以上に山口さんは山梨にご縁がある方でした。藤野さんだけでなく、来ていただいていた甲府市役所のお二方ともすでに知己であったとは。
それもそのはず。山口さんは甲府市役所やCROSS BEでも講師を務められたとか。ほかにもさまざまな甲府の企業での研修ファシリテーターの経験をお持ちでした。私の期待以上に山口さんを今回お招きしたことがはまったことがとてもうれしかったです。

山梨の印象を「せまっ!」と一言でまとめ、その真意を「関係人口が多くてせまい → 「それ、やってみよう!」がたくさん生まれる」と覆して見せたあたりはさすが!

4.まとめと今後の交流


というわけで、無事にイベントも終わりました。ここで集合写真を一枚。

続いての、懇親会ですが、実は全く予定を決めていませんでした。
が、コットンクラブさんについてから急遽お店の方とお話をし、参加希望者を募ってある程度人数が集まるようでしたら、お店で簡単な懇親会の開催をお願いできないか聞いてみました。
すると、ご快諾していただいたので、皆さんに募ってみたところ、上の集合写真に登場した方は全員問題ないとのこと。

そこで13人で楽しくお話しさせていただきました。

コットンクラブさんには本当に急なお願いに対応していただき感謝です。素晴らしい音響と設備など、キックオフには十分すぎるほどの会場でした。
またライブでもお伺いさせていただきたいと考えています。

結果として、『おいでなって! ビルド山梨』は甲府市役所からこられたお二方が途中でご用事があるとのことで集合写真には写っていませんが、遅れてこられた方も含めて15名で楽しくやれました。

本日来られた皆さんは、ちいクラに何らかの形で関わっていただければと願っています。

そして、妻も4月の上旬が過ぎれば、縛られていたものから自由になるはずです。おそらく、ちいクラの準備にもまい進できることでしょう。
そうすれば、今回のように直前まで準備を全くやらない、といった状態からは改善されるはず。

そうすれば、きっとちいクラ山梨は成功するはずです。今日、妻が話している姿とそれを聞き入る皆さんの姿からそれを確信しました。

この先、kintone Café 山梨やよっちゃばれっ kintone 無尽などのイベントが予定されています。そして2024年6月29日は山梨県立図書館の1階交流スペースで地域クラウド交流会 in 山梨を開催予定です。
さっそくこのコットンクラブでのご縁をきっかけに次の展開につながったといううれしいお知らせもいただいております。この勢いで今後ともよろしくお願いいたします。


kintone Café 白馬 Vol.1に参加してきました


11/11にkintone Café 白馬 Vol.1が開催されました。
弊社の代表と役員二人で参加してきました。
告知ページ

スケジュール的にCybozu Daysが終わった翌々日の開催と言うことで、白馬への移動は時間的にかなりギリギリでしたが、とても楽しい時間を過ごせました。
まずは皆様に感謝します。

現地での移動の便を考え、私たちは町田から車で向かいました。

早朝に町田を出て、中央道と長野自動車道を経由して白馬に着いたのは12時少し前です。


少し早く着いたので、今回の主催企画を担ってくださった根崎さんにおすすめ頂いた蕎麦酒房 膳 ZENさんで新そばをいただきました。しかも十割そば。とてもおいしかったです。

こちらのお店からは遠くに白馬のジャンプ台が見えます。私が白馬を訪れるのは3年半ぶりでした。コロナ禍の最中、大町の星野リゾート界に泊まった翌日、家族で栂池高原を訪れて以来です。
その前となると、大学時代にシュプール号に乗って白馬にスキーに来ていた頃までさかのぼります。


その白馬のジャンプ台のふもとにあるのが、今回の会場である白馬ノルウェービレッジ。
名前からすでに旅情を感じさせますし、建物の佇まいも木の手作り感がとても風情を醸し出しています。
私たちが着いた時、入り口には今回ご一緒する長野の和尚こと植田さんがいらっしゃいました。幸先のいい到着です。

車の外にでると、冬到来を感じさせる寒さが肌を刺します。前々日までいた幕張メッセの陽気さに比べてこの寒暖差!これこそが旅です。
幕張では出番のなかったkintoneエバンジェリストの新たなノベルティジャンパーが活躍しました。


ところが建物の中にはいると一転。
暖房が旺盛に効いていて、即座にジャンパーを脱ぎました。すでに集っている皆さんの期待の熱気とあいまって室内は暑い暑い。


やがて皆さんがそろった時点で、kintone Café 白馬の開始です。
まずは根崎さんから開催の挨拶。

今回のkintone Café 白馬開催にあたっての根崎さんの並々ならぬ思いを知っているだけに、そして、どれほど苦労して開催調整に粉骨砕身されていたかを知っているだけに、私も今回の開催がとても喜ばしいのです。


【kintone説明】kintone って何?何ができるの?
トップバッターは小泊さん。多分私の記憶が確かなら小泊さんと一緒にイベントで登壇するのは始めてのはず。kintoneの動きや仕組みよりもプランに重点を置いて紹介する内容がとても新鮮でした。これから色んなところでご一緒できると嬉しいです。


続いて私。
【事例紹介】①日本一を目指すアメフト部の、強いチームを作るためのkintone活用術 ②誰も置き去りにしない自治会のデジタル化とは?

私にとって、この二つのテーマは過去に登壇して話した事があります。そのため、スライドもすんなり作れました。
二日前のCybozu Daysの会場では、サイボウズのNPO担当の方にもこのスライドを見てもらいました。問題ないこともチェック済み。


【事例紹介】すごくない事例発表
ハッシーさん

すごくないと言いながら、実はすごい内容がちりばめられているのがハッシーさんのすごいところ。そもそも行動力が凄すぎです。
この先、47都道府県の全てでハッシーさんと登壇する日もそう遠くない気がします。まずは今回で長野を一緒に制覇できましたね。


植田さん
【事例紹介】-神も仏も業務改善-「やらなくても良さそうなことはやめてみよう」「やらなきゃいけないことで手間のかかるものをkintoneでやろう」

今、kintone界隈で最も熱い男、植田さん。
さすがと言うべき話術は、ここ白馬でも健在でした。
そもそもスライドの冒頭に白馬に乗った何かを出してくる時点でひねりが効いています。植田さんとはDaysの懇親会でも辺りがやかましくてゆっくり話せなかったので、とても嬉しかったです。あとで書きますが、懇親会もとても楽しかった。


【カスタマイズ】ミウミウの究極KAWAIIカスタマイズ

個人的に、今回ミウミウさんのスライドが白馬で聴けたのがとても有り難かったです。
というのも私、Cybozu Daysのkintone show + case unlimitedでミウミウさんの登壇が聴けなかったのです。ブース対応で。
それが結構ショックで、ミウミウさんの登壇内容はどんなだろうととても楽しみにしていました。その内容が聞けたのがほんとによかった。

語り口や立ち居振る舞いなど堂々としたもので、もうミウミウさん、これからもどんどんkintone界隈で活躍してくれるんじゃないかと楽しみでなりません。


ここで中休み。皆さん名刺交換などされていました。
私は先ほど、ゆっくり見られなかったジャンプ台を見に行こうと斜面を駆け上がり、ジャンプ台の近くまで登りました。
ところがあまりにも寒い中にも関わらず、肺胞を全力で開いたものですから、戻ったあと咳き込んでしまいました。皆さん失礼しました。


【実演】kintoneでアプリを作ってみよう

続いての後半戦は根崎さんから。今回参加された中には、kintoneに詳しくない方もいらっしゃいました。その方々にもわかるようにkintoneを最初から作って見せてくださいました。
根崎さんの周到な配慮の跡が伺えます。kintoneの仕組みをしっかり説明してくださるのは良いことだと思います。これもあって、小泊さんの登壇内容がkintoneそのものを説明せず、プランの説明に重きを置いていたのも納得です。

【サイボウズさんから】cybozuDays2023の振り返り

ついでは、サイボウズから倉林さん。倉林さんの内容はCybozu Daysのブースを振り返りつつ、これからの新たな考え方のフレームワークも示してくださり、とても勉強になりました。

今、私にとっての課題はカイゼンマネジメントエキスパート資格を早く受かってしまうことです。ところが私がエキスパート試験を何度もしくじっている間に倉林さんを中心とした皆さんはもっと先へ進んだ考え方を取り入れているのでしょう。こういう考え方を学ぶ機会って刺激的で好きです。


白馬ってどんなとこ?

続いては渡邉さんによる白馬の紹介。
上に書いた通り、かつてはスキーで何度か来た白馬。
実は私が白馬に通っていた頃は、すでにスキーブームも冷め始めた頃だったのですね。
それでもインバウンド客の増加など、国内でも観光地として確固たる立場に甘んじず、現状維持をよしとしない姿にこれからの白馬を期待しました。


おかあさんの白馬自慢
ということで、根崎さんを白馬に導いた方だそうです。
スライドなしで話されてましたが、それも確固たる理由と信念を持って白馬に住んでいるから。
こういう方がいらっしゃる事が地域を盛り上げるのですよね。


教育現場でのDX布教活動
清水さんとは今回初めてお会いしたのですが、実は私住んでいる場所に濃いご縁のある方だったのですね。

清水さんの登壇内容から、私が実は教育にご縁のあることにも気づかされました。
そのことについては、
note
に書きました。

私がkintoneを使って教育の分野でも何かやれる事があるのではないか。そんな気付きを得られたのも清水さんのセッションからです。


そのあとは集合写真を撮ったのも、kintone Caféでは恒例ですよね。kintoneという共通のよすがで集まった皆さんが、今、この場所で集まった証し。
本当に、一期一会というだけではなく、この場で生じたご縁が今後もどこかで花開き、だれかがkintoneを使って幸せになる。
そんなご縁の出発の証しとして集合写真を撮るのはよいことです。


その後はいったん皆さんは宿に戻り、そして居酒屋「きっちょんちょん」集まって懇親会。

この懇親会がめちゃ面白かった!
あまりに面白くて料理やお酒を撮る暇がありませんでした。


妻が放った誘い水からジョイゾーの小渡さんやミウミウさんがこんなに乗ってくれるとは。スナックジョイゾーではついぞ知らぬ顔が。
そして倉林さんがこっちにも造詣の深い方だったとは。
宴はたけなわになり、話題は植田さんを中心にした仏教界へと。仏教界の宗派の違いや運営の違いなど、植田さんの豊かな知識と話術が時間のたつことを忘れさせてくれます。
実は弊社も宗教法人様にkintoneを入れた経験はありますが、どちらかというとStripe、freee、WordPress連携が主であり、kintoneを使ってがっつり業務に絡んだわけではありません。
kintoneを使って宗教界を変革できるのではないか。そんな壮大な気宇に満ちた懇親会でした。いやぁ楽しかった。

翌朝も私は早朝から白馬駅の周りを徘徊していました。
そしてsnow peak 白馬のスターバックスに皆で集まりました。そこでは、植田さんが開設したXのスペースにいつの間にか私も参加していて、朝から全国のkintoneファンと植田さんファンに私の寝ぼけた声を発信する羽目になったのはご愛敬です。

そしてsnow peakで皆さんと別れたあとは、妻と糸魚川へ。MOVEDさんに7月にお招きいただいた糸魚川に妻を連れて行きました。
白馬から糸魚川へ。
弊社は今、甲府や山梨に力を入れようとしています。町田から甲府。そして白馬から糸魚川へ。一つの線がつながりました。

おそらく、その線をたどり、白馬にも糸魚川にもまたいくことがあるでしょう。
次の訪問はkintone Café 白馬 Vol.2なのか、それとも別のイベントなのか。はたまた、プライベートで訪問するのか。

その際はまた白馬の皆さんとお会いしたいですね。本当にありがとうございました。


kintone Café 神奈川 Vol.15を主催・登壇しました



8月19日にkintone Café 神奈川を真鶴で開催しました。
告知サイト

今回は株式会社あわえさんにもご協力いただき、現地での会場の確保や真鶴の皆さんへの声かけ等をお願いしました。

なぜ真鶴で開催することになったのか、その背景を説明します。
まず、今年の1月にさかのぼる必要があります。

私が自社でサテライトオフィスを開きたいと考え、その候補地の一つとして真鶴を訪れたのが発端です。その際に真鶴の街並みに惹かれ、また来たいなあと思っていました。

その後、5月にCLS高知があり、私も高知まで足を伸ばして参加しました。その中のセッションでとても心に刺さるキーワードが提示されました。
「公私混同」
この言葉を語った方こそ、登壇されておられた株式会社あわえの吉田代表です。
私はその言葉にとても印象を受け、あわえさんのページを訪れたところ、なんとあわえさんのサテライトオフィスの1つに真鶴があるではありませんか。
株式会社あわえ様


kintone Café 神奈川は、4月の頭に小田原で開催しました。小田原で会場として使わせてもらったコワーキングスペースも、一月に真鶴に訪れた後、小田原で使わせてもらった場所でした。
CLS高知で得た着想から、kintone Café 神奈川の次は真鶴で開催したいけどどうだろうか、kintone Café 神奈川を運営する皆さんに諮ったところ、いいねえ。という声をいただいたので、私からあわえさんにコンタクトを取り、今回のkintone Café 神奈川が実現しました。

まず最初のあわえさんとのオンラインミーティングでは、kintone Café 神奈川を一緒に進めてくださっている藤村さんとkintone Caféの理念やイベントの内容を説明し、協力し合える可能性をすり合わせました。
さらには私と藤村さんとで真鶴にお伺いし、あわえさんのスタッフとして現地で活動されている松木さんと会場の使い方や当日のテーマやスケジュールを打ち合わせました。

早い段階でテーマが地域創生と言う方向性は決めていました。あわえさんが手がけておられる地方創生の事業と、神奈川県唯一の過疎地である真鶴町の課題をkintoneで解決する。そのようなイベントスキームが早い段階から頭にあり、ブレることもありませんでした。

言うまでもなく、kintone Caféは企業セミナーではありません。理念でもそれは厳しく禁じています。
なので、私たちからもあわえさんとの最初のオンラインミーティングでそれは入念にお伝えし、ご理解いただきました。そして、あくまでもkintoneを使って真鶴町の課題の解決策を探る方針で臨みました。


8月19日。
真鶴町最大の祭りである貴船祭りも一段落し、真夏の海日和が続く真鶴町。
この日もとても暑く、駅から会場である真鶴町観光役場に向かうだけで一苦労でした。

でも、海を目の前にした会場はまさに開放的。
私はデビット伊東さんのいらっしゃる伊藤商店でラーメンを啜り、13時前に現地に着きました。すると、皆さんも開始時間である15時を待つのも惜しいかのように、14時過ぎにはかなりの人が集まってきました


今回は、ジョイゾーの根崎さんに司会進行を担ってもらうことにしました。

kintone Caféの理念や会場の諸注意など、ここでX(Twitter)でハッシュタグでつぶやいてもらうよう皆様にお願いせず、ホワイトボードに書いただけにしたのは失敗でした。おかげで今回のkintone Caféはつぶやきが控えめでした。

でも、その後の自己紹介は23、4人の全参加者に円滑に行ってもらい、根崎さんの進行も順調。目玉焼きをどのように食べるか、また、何をかけるかと言う質問を交えたことで、自己紹介の内容にバラエティが生まれたのは良かったです。
実際、皆さんの自己紹介を聞いていると、人によってそれぞれの目玉焼きがあるんだなぁと思いました。


さて、自己紹介の前にはあわえ社の三宅さんから真鶴について軽く触れていただきました。
その中では、皆さんに真鶴の置かれた状況や、今回の目的をインプットしてもらいました。

続いては、私からkintoneの紹介を行いました。
まず私から聞いたのは、皆さんの中にkintoneを初めて触る方がどれくらいいるか、ということです。すると10名ほどの方がkintoneを触ったことがないそうです。
実際、事前に聞いていた話でも、何人かはkintoneを初めて触ると聞いていました。そのため、私のスライドの内容もかなり初心者向けかつコンパクトにしました(ちなみに今回初めてcanvaをkintone Caféのスライドに使いました)。

今回の紹介では、kintoneの基本機能では、地域課題を解決するには足りないと判断し、外部との連携の可能性を理解してもらうことが地域創生の肝だと考えていたので、外からのさまざまな情報をkintoneに流入させる方法やkintoneから外の媒体に情報を出力させるやり方について話をしました。

まぁ皆さんうなずいてくださったり一生懸命聞いてくださっていたので、少しは役に立ったのかなと思います。
スライド(kintone Café 神奈川 Vol.15 (canva.com))

さて、私の登壇の次は、いよいよ今回のメインの一つである山口さんによるグループワークです。


実は、皆さんが参加者が入室される際、真鶴の良いところを付箋に書いてもらい、窓に貼って貰いました。

そして山口さんの登壇では、まず、アイスブレイクとして、改めて参加者の皆さんに個人のやりたいことや希望願望を付箋に書いてもらい、窓に貼り出してもらいました。

この猛暑の中、ダウンジャケットが欲しいとか、旅行したいとかマンホールカードを取得したいとかYSL展に行きたいとか、真面目な学術的なことや、技術的な目標を書いてくださる方もいたり、とてもバラエティー豊かな内容でした。
こうやってアイスブレイクを設けるだけで、研修とはよく回るっていうのは私も経験上知っています。まさにその生きた実例が見られました。

実は、こうした事は、全て山口さんの周到な準備の一つでした。
山口さんのグループワークの手法はワールドカフェを踏襲しておられましたが、その上に山口さん自身による準備や山口さん自身のファシリテーション能力によって、とても良い形で議論が進みました。

4人ずつ5テーブルに分かれた各グループではとても熱心に議論が進みました。私たち運営側でも議論が円滑に進められるように、真鶴の方や真鶴以外から参加した方をテーブルごとに分散させた形で分けました。
それもあって、本当に皆さんが真鶴のことをよく考え議論してくださったと思います。

私が山口さんにお会いするのは今回が初めてでしたが、その進め方にとても感銘を受けました。

実は私も先日研修講師を100人ほどの方の前で行いました。そのご縁で別の研修講師の方の手腕も拝見し、最近私の中では、研修講師と言うキーワードがとてもホットです。

今回の山口さんの手法も今後どこかで参考にさせてもらいたいと思いました。
ワールドカフェの手法自体は、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ワールドカフェ
のリンクに書いてますので、ご参考にしていただければと思います。

このときの私の担当は、各テーブルから挙げられた解決策をホワイトボードに書き移す係。
それぞれが別々の課題と解決策を提示してくださっており、良い感じに散らばった結果となりました。真鶴の皆さんにも良いきっかけができたのではないでしょうか。

さて、ここで一度休憩をとり、水分補給や名刺交換等に時間を使ってもらいました。

続いては「真鶴の課題を語る」と題して、あわえ社の松木さんと、観光案内所の近くでhonohonoというお店を経営されておられる入江さんからそれぞれ10分ずつ真鶴の現状や課題を語ってもらいました。

今回のテーマは真鶴と言う神奈川県でも、唯一の過疎地域として認定されている町の課題をkintoneでどう解決するか、という事でした。
6700人を擁する街の人口も、年々減少しており、5000人を切る可能性も視野に入らなければならないそうです。
5000人といえば村から町になるための必要条件です。さすがに町になった後、再び村に格下げされることはあまりないそうですが、危機感も持たれている方が多いとの印象を受けました。
一方で、東京から見れば真鶴は熱海の手前であり、まだまだ可能性があるはず。今回も多くの真鶴の方が来ていただき、活発な議論が繰り広げられましたが、お二方の話も、まさにそうした議論をより裏付ける内容でした。

お二方の話の後は、藤村さんからkintoneを使った課題解決の提案と言うことで2つほど提案をしていただきました。

kintoneをよく存じ上げている藤村さんならではの提案は、これからの真鶴にとって参考になる情報のはずです。
その後、私も藤村さんとともにパネリストとして、皆さんの前に移動し、皆様からの質問やkintoneを使ってどのようにこの場で出た課題を実現していくかということをお答えしました。皆さんからも時間の許す限り、積極的に質問を行っていただき、私からもその場でお答えさせていただいたつもりです。

今回の反省点としては、ここをもう少しじっくりと掘り下げたかったところですが、ちょっと時間が足りなかったかなと言う感じです。

でも、私が皆さんからの質問に答える内容を真鶴町役場の中村さんが一生懸命ノートにメモしておられるのが印象的でした。きっとこの後、真鶴町でも地域課題の解決にあたっては、kintoneを使った仕組みを検討していただければ、私たちも本望です。期待したいと思います。

最後には恒例の全員写真。

さて、お楽しみの懇親会です。今回は観光案内所の目の前にあるお店の別部屋をお借りし、約七割ほどの方が残って歓談と懇親を楽しみました。

真鶴といえば魚です。真鶴の漁港で揚がったお魚のフライや刺身が美味しくて美味しくて。そこに真鶴みかんが添えられていたのが素晴らしい。

その他もきちんとお腹にたまるものもたくさんご用意していただき、我々も存分に食べて満足しました。

さて、一次会で何人かの方が帰られましたが、続いての二次会はなんと草柳商店と言うお酒屋さん。こちらはお店でお酒を買ってその辺で飲むことができます。このスタイルがとても新鮮で、かつ真鶴町に迎え入れられたと言う感触が得られました。それがとても嬉しかったです。
ここでも、皆さんの間では話が盛り上がりました。10人ほどの皆さんと楽しく会話ができました。もちろん、次のkintone Caféへのや仕事へのつながりもこの一次会と二次会で生まれました。
もちろん、そして真鶴の今後の事についても。

私としては、マンホールカードのことで盛り上がったり、私を指して現職の議員の方から議員に向いていると言われたことも印象に残りました。

そろそろ帰宅です。まだ夜の10時前だというのに暑い。汗が滝のように流れる中を駅まで歩きました。そして、おそらくはちゃんとそれぞれが家に帰れたはず。
真鶴も神奈川県の一部なのです。少し遠いけど。

それにしても今回は本当に楽しかったです。朝にお知らせを見てわざわざ遠くからきてくださった方もいれば、通り掛かって参加してくださった真鶴の方もいました。神奈川県の全域から様々な人が参加し、とても盛り上がりました。

毎回やる度にやって良かったと感動するkintone Caféですが、今回も100%以上の満足感が残りました。反省点もありましたが、kintone Caféの新しいあり方が作れたような手応えがありました。

まずは今回参加してくださった方、登壇してくださった方、ありがとうございました。また、企画段階から関わっていただき、場所を用意してくださったり、相談もしてくださった株式会社あわえのお二方や、素晴らしいグループワークを進めていただいた山口さん、お店の皆さんやその他真鶴の皆さん、本当にありがとうございました。

もう一度、いや、何度でも真鶴には来たいと思います。


糸と魚と川 Vol.12に参加しました。


お誘いいただいていた「糸と魚と川」に参加してきました。
公式サイト

7月に入ってからの一週間は、私の疲労がかなり蓄積されていました。
北海道の釧路でのCLS道東から倶知安へ(6/30-7/4)。そして、お客様先常駐(7/5)から、弊社のメンバー8人で臨んだkintone hive Tokyo(7/6)から、翌日のシークレットイベントへの参加(7/7)まで。
普通なら参加を断念してもおかしくない状況でした。

ところが、私は自分で自分を行かねばならない状況に追い込んでいました。
4月のkintone Café 神奈川でテクネコの加藤さんからは、糸と魚と川についてかなりの熱を持ってお勧めいただきました。その流れで、六月のkintone hive Osakaでお会いしたMOVEDの渋谷さんには糸魚川に伺わせていただきます、と宣言していました。加えて、二日前のkintone hive Tokyoでお会いしたMOVEDの小林さんにも行きますと宣言しました。ここまで言った以上、もう後には引けません。

そんな中、訪問した「糸と魚と川」。とても素晴らしい訪問になりました。皆さま、ありがとうございました。


私が糸魚川に向かったのは上記のシークレットイベントの翌日の土曜日(7/8)でした。
その日は朝10時からずっと銀座のお客様のもとで対面開発をしていました。結局、私がお客様のもとを出たのが20時ごろ。
新橋駅から東京駅へ乗り継ぎ、最終の金沢行きのはくたかに乗れました。

はくたかの車中では、翌々日(7/10)に控えたトヨクモkintoneユーザーフェスの後夜祭のため、まだ見られていなかったトヨクモkintoneユーザーフェスの皆さんの登壇動画を一気に見ました。まだ見る暇が取れていなかったのです。

そんな強行軍の中、糸魚川に到着しました。
私にとって、長野より先の北陸新幹線に乗るのは初めてのことです。そもそも糸魚川は遠い学生時代に二十人ほどを連れて野尻湖畔で合宿した後、帰りに一人で福井の母方の実家を訪問する際に通っただけでした。降りたったことさえなく、つまり、糸魚川に訪問するのは初めてでした。

糸魚川駅に降り立ち、街の空気を吸うよりも早く、改札にはなんとMOVEDの小林さんが。さらにその奥にはMOVEDのコジロウさんこと小島さんが。
びっくりしました。糸魚川に着いて早々、わざわざ迎えに来てくださったお二人からのご好意と歓迎の気持ちをひしひしと受け取りました。

MOVEDさんは、私にとって気になる会社の一つです。kintone界隈で確たる立場を築いておられるにもかかわらず、コーディングをしないスタイルを貫いておられます。
さらに、ほとんどのメンバーは業務委託の形で関わり、正社員はほんのわずかしかいないと聞いています。
そのようなMOVEDさんの運営の秘訣や、業務を回すためのポリシーはどのようなものなのか。
kintoneに対してどういうスタンスで関わられ、今後はどういう経営の道筋を描いておられるのか。

弊社には今、多くのkintone案件の引き合いがきています。ですが、弊社は一部のプラグインは使うものの、JavaScriptやPHPを用いたコーディングがまだ多くを占めています。
そのやり方に明確な限界を感じている今、弊社がどういう方向に進むべきなのか。
私の抱える課題意識の上でも、MOVEDさんの運営にはとても興味を抱いていました。

今回、糸と魚と川に参加しようと思った理由の一つには、MOVEDさんからとある案件をご紹介いただいたお礼も含まれていました。
他にも、私として学ばねばならないのはMOVEDの皆さんが可能性を感じておられる糸魚川についてです。どのような街なのかも伺えればと思っていました。
皆さんから伺う限り、糸魚川にはとても可能性があり、それもあって熱心に関わっておられるとのことです。

糸魚川駅から約30分近く。街のさまざまな魅力を伺いながら歩きました。
糸魚川は地方衰退の風をもろに受ける中、町の中心部を灰に変えた2016年の大火によっていっそう傷つきました。
私は、糸魚川大火については、歩きながら教えてもらうまで、わずかしか覚えていませんでした。聞いて初めて、そういえばそういうことがあったなぁということを思い出したぐらいです。
それから7年。大火によって失われるまで、街の風情の一部を担っていた雁木と言う構築物の多くは今も残っています。雁木とは商店街のアーケードのようなものといえばよいでしょうか。巨大な絵馬が飾られる雁木は、商店街の軒先を思わせるようでいて、ほかの街や地方ではあまり見かけた記憶がありません。
令和になって、町はかなり復旧しましたが、一部の施主は復旧にあたって雁木を復元しなかったと聞きます。
それも含めて、糸魚川の街は令和の新しい姿から、平成、さらにさかのぼって昭和明治大正の街の歴史を残しています。
各時代の歴史を物語るバラエティに富んだ建物が並んでおり、街が時代の流れを語り継いでいます。また、これから街が再生されていく最中であることが夜の街を歩いていても感じられます。そんな街の魅力を解説してくださる小林さんとコジロウさんの言葉が私の脳にしみ込んでいきます。
糸魚川がかつて加賀藩主の参勤交代のルートにあたり、そうした歴史を擁する興味深い場所であることも知ることができました。

小林さんは糸魚川の街の人々がとにかく熱いのだと熱弁を奮っておられます。その魅力はどこにあるのか。興味は増すばかりです。

星場荘に着きました。MOVEDさんが借り上げておられるこちらは、かつてとある経営者が住んでおられた一軒家です。
昭和の家によくあった砂壁や、切り子模様で飾られたガラスや、天井から釣られた点灯と、ひもスイッチから継ぎ足されたひもが伸びる様子など、昭和の雰囲気が息づいていました。
応接間は王の間と呼ばれ、三方の壁には厚地の布で豪奢に織られた壁紙が、在りし日のこの家の暮らしをしのばせてくれています。

ちなみに、星場荘については、こちらの記事をご覧いただければ。

この家、至るところが私の心の琴線に触れてきます。阪神・淡路大地震で全壊した私の家を久々に思い出させてくれて。
私の家の窓はカラフルなステンドグラス。二階の部屋は砂壁が古き良き日本家屋の雰囲気を出し、応接間には凝った壁紙が飾られていました。
星場荘のあらゆる要素が、そんな私の育った家を思い出させてくれました。30年ぶりに今はなき自分の家の面影に触れられた気分です。

この後、王の間で小林さんとコジロウさんと3人で語り合いました。
この機会に私は今まで気になっていたMOVEDさんの運用や仕事のやり方などをいろいろと聞きました。それに応えるように、小林さんからも、業務改善や組織運営や地域創生についての熱い思いの数々を伺いました。
実は私は、小林さんとこうやってゆっくり話すのは初めてなのです。今までにもkintoneのさまざまなイベントでお会いしていますが、すれ違ってあいさつをする程度。コジロウさんに至っては、この1月に名古屋のコラボスペースで催されたkintone Café NAGOYAのイベントで初めてお会いしました。

でも、3人の間にはkintoneという共通言語があります。そして、地方を盛り上げたいという思いも一致しています。3時過ぎまで時間を忘れ、話し合うネタは尽きません。2時を過ぎてから、熱が入った小林さんがノートパソコンを開いて練り上げておられるフレームワークの図を説明いただくほどの白熱。
プロ雑用を名乗る小林さんの底の知れない博識と、名声や富に頓着しない無私の精神にとても感銘を受けました。そして、MOVEDさんの今後にも大いに可能性を感じました。
夜中までお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。

さて、翌朝です。あいにくの雨模様です。
まずは近くの神社に参拝しました。
糸魚川でのご縁に感謝し、これからのご縁のつながりについてもご加護を願います。


やがて迎えに来てくださったのが山崎さん。糸魚川市役所の商工観光課で町おこしを担当しておられます。
山崎さんの運転で向かった先は美山キャンプ場。今日のイベントは、ここの美山ゲストハウスでウッドデッキを作ることです。
美山ゲストハウスは、以前は長期間にわたって使われていなかったそうです。
そうは思えないほど、子供が遊べる絵本コーナーや、ちょっとしたコーヒーが飲めるカウンターなどが整っており、ワーケーションの場として過不足のない設備のようです。
また、許可の関係で飲食業が営めなくても、コーヒー豆を買えばその場で豆を挽いて、その場で飲めるスタイルがとても斬新です。

床にはすでに木材が並べられており、この後のウッドデッキ工作の準備には抜かりがないようです。
早速私たちはあいさつの後、いくつかの班に分かれてウッドデッキを作り始めました。

私、こういう工作やDIYの類がとても苦手です。また、若い頃までは見知らぬ人たちに混じっての作業やイベントに参加することさえも苦手でした。
そのため、子供の頃からこうしたイベントからは逃げ続けていました。東京に出て、社会人になってもそれは変わらずでした。
が、大人になり、結婚して子供を育てる立場になると逃げ続けることは不可能です。
私の娘たちが通う小学校の学童保育は、保護者の参加がとても活発なところでした。私もその仲間に入り、キャンプやソフトボールやその他子供たちと語らうためのさまざまな活動に駆り出されるようになりました。
その中で、私も少しずつ、こうしたイベントの中での動き方を学びました。どういう風に動けば自分が浮かず、足を引っ張らず、さらに仲間に貢献できるのかについて。
私にとって、学童での経験が得難かったのは、組織や集まりの中での身の処し方を学べたことです。
その学びは、ありとあらゆる交流会や勉強会やコミュニティに参加した際に、自分の立ち位置を見定め、その中に溶け込むコツの会得にもつながりました。もちろん、それが今の仕事につながっています。

この後で、実際にウッドデッキ作成を社員研修に取り入れたら、という声がどなたかからでました。
うちの若いメンバーもそうですが、こういう仲間と協力する経験をせずに大人になってしまう人がいかに多いことか。私自身がそうだったらよくわかります。
そういう人たちに達成感や、仕事の回し方やコミュニケーションの取り方を学んでもらうためにも、こういう社員教育の場が必要と言う意見には、とても強く賛同します。弊社のメンバーも連れてきたい位です。


皆さんと協力しながら、私もネジ穴を開け、ネジを締め、線引きなどのさまざまな作業に従事しました。
私の班は、押田さんとテクネコの加藤さん。3人で協力し合って作業は進みます。
それにしても、作業服に身を包んだ押田さんがとてもてきぱきとかっこよくて。3人で協力し合ってと書くとかっこいいのですが、実際は要所要所で押田さんに手伝ってもらいながらでした。
DIYや工作が苦手な私にとって、すべてが学びですべてが新鮮です。ニトリの家具を組み立てる際ですら、必ず一カ所は日光東照宮の故事にのっとって未完成の場所を残してしまう私ですから。


そうしている間に、少しずつウッドデッキも形になっていきます。
作業に没頭する私たちの横では、ダッチオーブンがおいしそうなカレーを煮込んでいます。
そして、その合間にもさまざまな方からの野菜や海の恵みが次々と持ち込まれます。


街の人たちが、庭先でとれた野菜や川や山でとれた産物を次々と持ち込んでくれる。この持ち込みは都会ではまず味わえないものです。
私も今までにいろんな土地や地方を旅してきましたし、地元の方がふいに取れたての物を庭先に置いていく光景は何度も目にしてきました。
ですが、今日のイベントに持ち込まれる物の種類や人の数は、糸魚川が最も活発なように感じました。

これこそが、昨日小林さんが熱弁されていた、糸魚川は人が魅力的という言葉の一つの証しなのでしょう。
また、昨夜の小林さんとの語らいの中で印象に残ったのは、糸魚川市、つまり行政の皆さんの敷居の低さです。
山崎さんもそうですが、私たちがウッドデッキを作っている間にふらりと訪れた方は糸魚川市の副市長さんでした。お連れの方もなく、まさに単身ふらりとやってきた感じが自然体でした。
どこの自治体さんも当然民間の取り組みやイベントに対しては積極的だし、人を出してきます。
一週間前に私が訪れていたCLS道東は、毎回釧路市長が来られます。私も夜の懇親会でも市長と会話をし、その場で釧路出身の町田市議の方をご紹介していただいたこともあります。
釧路市長も境目の低い方で、とても好きなのですが、さらに糸魚川市のほうが行政と民間の壁が低いように感じました。

昨晩の話でも感じ、私からも質問をしたことは、糸魚川の何がほかの地方と違うのか、ということでした。
私の中では、その理由は、行政が積極的にイベントに関わり、かつ行政と民間の垣根がないことだと合点がいきました。実際にウッドデッキを作る中で、私はそれを実感しました。


カレーをいただき、さまざまな食べ物に舌鼓を打ちつつ、飲むビールのうまかったこと!疲労と寝不足となれぬ作業に疲れた体にビールがとてもしみました。
この顔はまさに私の自然体そのもの。普段の私がこういう顔をさらしながら飲んでいるのかは自分ではわかりませんが、それをすかさずファインダーに収めたコジロウさんの撮影術が光ります。


さて、午後からは残り三つのウッドデッキを仕上げます。
ところが、午後の作業において、午前中は確かにできていたはずの作業が急にできなくなりました。細い穴を空けるドリルを二本立て続けに折ってしまったり、ネジ穴をつぶしてしまい、皆さんに引き抜かせる面倒を起こしたり。
こうなると本当に申し訳なさが募ります。かつての弱気な自分がDIYへの苦手意識と手を結び、私の意気を殺ぎはじめます。
ですが、この時に悪態をつかないのが糸魚川の皆さんのやさしさです。きちんと教えていただき、私も引き続き残りの作業をこなすことができました。

今回のイベントの参加を通し、自分の苦手な作業と無能さを今更ながらに痛感できたことは、自分の慢心を抑えるためにもよかったと思います。経営者だkintone エバンジェリストだとドヤ顔していても、しょせんお前はただの人。自分に謙虚になれました。

ですが、細いドリルは残り一本。私が何かしでかすと、ウッドデッキが作れなくなってしまいます。他のウッドデッキの進捗も佳境になったこともあり、私はウッドデッキを庭先に運んで設置する作業に移りました。
ここでは皆さんは水平器を駆使して足元の土や土台を調整し、ウッドチップをまきなおしたりしながら、複数のウッドデッキを組み合わせる作業に従事していました。
位置を調整するたびにウッドデッキを浮かせたりする作業。これなら私もドリルを折ったりネジ山をつぶすこともなく作業に貢献できます。かつて私が学童のキャンプなどで会得した身の処し方を生かしました。


さて、ウッドデッキが完成しました。午後からは晴れ間すらのぞく様になった天候の中、ビールや食べ物をいただきつつ、皆さんとともに作り上げた一体感に私も浸ることができました。この達成感。
これこそが若い時の私が知らなかったものです。この達成感を得るために、皆さんはDIYに汗を流し、仲間と一緒に作業に励むのです。
私も大きくなってからこの連帯感を学んだことが、今のキャリアにつながっています。先に書いた通り、このウッドデッキ工作は社員教育のコンテンツに間違いなくなります。ビットとバイトの組み合わせだけでは得られない現実の手触りのある達成感に。


さて、日差しは刻一刻と西へ落ちていきます。
実はこの日、私はどこかのタイミングで東京に帰るつもりでした。なぜなら翌日の月曜日の朝は相模大野で弊社の定例会を予定しており、夜は日本橋のサイボウズ本社でトヨクモkintoneユーザーフェスの後夜祭に出席する予定だったからです。
東京に帰るためには、19時台のはくたかに乗らなければ間に合いません。ところが、私が今滞在している美山ゲストハウスから糸魚川駅までは距離が離れています。しかも、お宿にトランクを預けっぱなしです。
この状態で宿まで送ってもらう選択肢はどうしても取れませんでした。
何よりも糸魚川の人たちとの絆をこの機会により深めたいという気持ちが勝ります。そこでもう一泊を決断しました。弊社のメンバーに定例会の開始時刻を遅らせてもらうように伝えた上で。

一度、吹っ切れたら後は交流を深めるのみ。夜になっても、糸魚川が誇る海の幸と山の幸が次々に繰り出されます。その豊かさが私の胃に次々と収まっていきます。

夕方には、出来上がったウッドデッキに座る皆さんの前で、1分間の自己紹介もこなしました。
今回は、私にとって完全なアウェイというだけでなく、私の苦手な工作イベントであり、しかも実際にご迷惑をかけてしまっています。普段の経営者やkintoneエバンジェリストといった肩書も通じません。そんな中、私にできるのは皆さんのご厚意に感謝し、ドリルを折ったことを謝るのみ。それに加えてこれからも糸魚川を応援する決意を語るのみ。
私の一分間スピーチが少しは皆さんの印象に残ってもらえばと願っています。

今回は、私は仕事を持ち込むつもりがあまりなく、名刺交換もしなくてもよいと思っていました。
が、夜になって山崎さんや五十嵐さんとは名刺交換をさせていただきました。ほかの方ともあらためてのごあいさつを。
今回はこれでよいのです。今後、私が何度も糸魚川に通えば、皆さんとの関係が強くなり、私も認知されていくはずですから。
先日のCLS道東のブログ記事でも書いた通りです。

やがてすっかり辺りは暗闇に包まれ、雨脚はイベントの終わりを待っていたかのように激しくなりました。
皆さんも三々五々、帰宅に向かいました。私も車で送っていただきました。
楽しかったです。皆さんには本当に感謝しかありません。


翌朝、7時7分発の始発のはくたかに乗るため、6時半に起きて出発しました。
まだ町は眠っています。が、前々日の夜には見えなかった糸魚川の街を存分に感じながら歩くことができました。
海の景色も眺め、天使のはしごが糸魚川のこれからを約束している光景も見ました。大火からよみがえろうとする街並みもよくわかりました。
人のいない街を歩きつつ、糸魚川の皆さんが一生懸命街を思い、街を盛り上げようとする思いをかみしめつつ、駅までの道を歩きました。

昨晩も、糸魚川の方が、糸魚川がつまらないから都会に出てみたいという話をされていました。私たちはその気持ちに理解を示しつつも、都会は都会のつらさとしんどさがあるんよ、という話をしました。
私はすでに都会に疲れています。だからこそ、こうして旅に出て皆さんとのご縁に癒やされるのです。
その視点からも、渋谷さん、小林さん、コジロウさんをはじめとしたMOVEDの皆さんがなぜ糸魚川のためにひと肌脱ごうとしたのか、少しは理解したつもりです。

数日前に伺った釧路ではジョイゾーさんが。糸魚川ではMOVEDさんが地域のために活動しておられます。
その活動は決して目の前の利益のためではありません。
会社経営の観点からは、こうした活動から得られるところは少ない。でも、今のわが国の現状と地方の現実を見るにつけ、何かをやらなければならないことは確か。
それは弊社のような零細企業を経営する私にとっても同じです。弊社の場合はまだ頻繁に地方に関われるゆとりがありません。案件に追われる毎日です。
が、地域の創生が地域のためになり、しかも社員やメンバーの福利厚生につながれば本望です。

そのあたりの思いは、
こちらのnote
にも書きました。

弊社も山梨や甲府で地域クラウド交流会「ちいクラ」のオーガナイザーとして活動することになり、山梨や甲府のために何とかしたいと動き始めています。
甲府からはスーパーあずさで南小谷まで来られます。糸魚川はすぐそこです。また、その途中にある白馬では今度kintone Caféの開催が予定されていて、私もかかわる予定です。
甲府からでなくとも、住んでいる町田からは東京駅まで出れば、そこから糸魚川までは2時間で行けます。


私も銀座から2時間で来れたことや、7時7分発のはくたかに乗ると、相模大野には10時半に着いたことで、糸魚川の近さを体感しました。
糸魚川は私が感じていたよりも、ずっと近い街なのです。ふっといける街であることも。
また必ず来ます。

今回お世話になったMOVEDの皆さん、糸魚川市の皆さん、本当にありがとうございました。
また、必ずや、家族または妻と来たいと思います。妻にとっては石の街であるだけで、必ず糸魚川を気に入ってくれるはずですし。


地方への流れはまずプロ野球から


今年の日本シリーズはホークスが完全にジャイアンツを圧倒しましたね。
二年続けて四タテでジャイアンツを破ったホークスの強さに隙は見当たりません。

この圧倒的な結果を前にして、私たちは「球界の盟主」という古びた言葉を久々に思い出しました。仮にこの言葉に意味があったとして、それが今回の日本シリーズの結果によって東京から福岡へと移ったという論調すら見かけます。

東京と福岡。古くからのプロ野球ファンは、この二つの土地から象徴的な関係を思い出すはずです。それは読売ジャイアンツと西鉄ライオンズ。
かつて、ジャイアンツの監督を追われ、西鉄ライオンズの監督に就任した三原監督は「我いつの日か中原に覇を唱えん」と語ったと聞きます。数年後、西鉄ライオンズはジャイアンツを三年続けて日本シリーズで破り、三原監督の宿願は見事に成就しました。
三原監督のこの言葉からは、この頃の東京が中原=中心と位置づけられていたことが読み取れます。
なにせ、この頃の世相を表す言葉として有名なのが「巨人、大鵬、卵焼き」なる言葉だったくらいですから。これは、当時の子どもたちに愛された対象を並べたキャッチフレーズですが、地方の野球少年少女にとって巨人が羨望の的だったことは事実でしょう。

全国からの上京者を飲み込み続けた東京が文字通りの首都だった時代。
それが今や、コロナにあって四カ月連続で転出超過となっています。
(記事はこちら
これはまさに時代を表す出来事だと思います。
この出来事は、東京への一極集中に異常さを感じていた私にとっては歓迎したい現象です。ようやくあるべき姿に戻りつつある傾向として。

実はプロ野球は、地方への流れを先んじて実施していました。プロ野球、というよりパ・リーグが、です。
今や、プロ野球において、強いチームとは地方に比重が移りつつあります。かつてはセ・パー両リーグともに東名阪にプロ野球チームが集中していました。わずかに広島と福岡に本拠を置くチームがあった以外は。
その頃に比べ、今は福岡・広島・仙台・北海道にチームが移り、それらのチームが一時代を築くまでになりました。
その流れはパ・リーグに顕著です。
その流れが近年のパ・リーグの強さにつながっていると思います。

かつて「人気のセ、実力のパ」という言葉がありました。
私はかつての西宮球場の状況を知っています。戦力的には黄金期であったにもかかわらず、試合中でも閑散とした球場の異様さを。それは、近くの甲子園球場で行われた試合の観客が盛り上げる様子に比べると悲壮さすら漂うほどでした。
最も格差が開いた時期(1975年)では、セ・リーグの観客数がパ・リーグの2.96倍、つまりほぼ3倍に達していました。
それが今や、ここ数年は1.20倍前後に落ち着いています。人気の面でもパ・リーグがセ・リーグに伯仲しようとしているのです。
セ・リーグ観客数の推移表(https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_cl.pdf
パ・リーグ観客数の推移表(https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_pl.pdf
セ・パ両リーグの観客数の推移グラフ

その理由はいくつでも挙げられると思います。
その中でも、今の都市圏にはかつてのように地方の野球少年を惹きつける魅力がないことに尽きると思います。
テレビ放送の黎明期を担った方がジャイアンツのオーナーであった頃、地方で放映されるプロ野球の試合といえばジャイアンツのみでした。それが全国の野球少年の憧れをジャイアンツに向けさせていたことは否めません。それが入団希望者の多さにもつながっていました。
その時の影響は、今もなお、FAで巨人を希望する選手や、逆指名でジャイアンツを希望する選手もいる現象として見られるくらいです。

でも、少しずつジャイアンツの占める重みは減り続けています。
「球界の紳士たれ」なる窮屈な言葉がある球団に入るより、地方の球団でのびのびしたいという選手の思い。
今や、ジャイアンツの選手であることのブランド力は薄れ、それが今回の日本シリーズの結果でさらに拍車がかかるような気がします。

情報が流通する社会において、都市に集まる利点はどんどん減っています。
かろうじて、ビジネス面では首都であることの利点があるのかもしれません。でも、そのメリットはプロ野球の世界ではもはや効果を失いつつあります。
それにいち早く気づき、活路を見いだしたのがパ・リーグの球団。であるとすれば、いつまでも東名阪に止まっているセ・リーグの各球団はそろそろ地方に目を向けるべきだと思うのです。

特に、首都圏に五球団というのは多すぎます。埼玉、千葉、横浜はいいとしても、東京に二つというのはどうなんでしょう。例えば思い切って、キャンプ地の宮崎を本拠地にするぐらいの改革をしても良いのではないでしょうか。
今回の二年続けてのような体たらくでは、やがては観客数すら逆転しかねません。

もちろんこれはプロ野球だけの話ではなく、東京に集中して報道しがちなマスコミやビジネス界についても同じです。
もはや東京への一極集中はデメリットでしかない。それが今回の東京からの転出超過につながっているように思います。

これは、何も東京を軽んじているわけではないのです。
私は常々、日本の健全な発展とは、東京一極集中ではなく地方と東京が等しく発展してこそ成されるものだと思っています。それが逆に東京の魅力をよみがえらせる処方箋であると。

ジャイアンツも、いつまでも首都の威光を傘にきて「球界の盟主」なる手垢のついた言葉に頼っているうちは、地方の活きのいい球団の後塵を拝し続ける気がします。
今回の日本シリーズの結果がまさにそれを証明しているのではないでしょうか。


生きるぼくら


著者の名前は最近よく目にする。
おそらく今、乗りに乗っている作家の一人だからだろう。
私は著者の作品を今まで読んだことがなく、知識がなかったので図書館で並ぶ著者の作品の中からタイトルだけで本書を手に取った。

本書の内容は地方創生ものだ。
都会で生活を見失った若者が田舎で生きがいを見いだす。内容は一言で書くとそうなる。
2017年に読んだ「地方創生株式会社」「続地方創生株式会社」とテーマはかぶっている。

だが、上に挙げた二冊と本書の間には、違いがある。
それは上に挙げた二冊が具体的な地方創生の施策にまで踏み込んでかかれていたが、本書にはそれがないことだ。
本書はマクロの地方創生ではなく、より地に足のついた農作業そのものに焦点をあてている。だから本書には都会と田舎を対比する切り口は登場しない。そして、田舎が蘇るため実効性のある処方も書いていない。そもそも、本書はそうした視点には立っていない。

本書は、田舎で置き去りにされる年配者の現実と、その介護の現実を描いている。そこには生きることの実感が溢れている。
生きる実感。本書の主人公である麻生人生の日常からは、それが全く失われてしまっている。
小学生の時に父が出て行ってしまい、母子家庭に。その頃からひどいいじめにさらされ、ついには不登校になってしまう。高校を中退し、働き始めても人との距離感をうまくつかめずに苦しむ日々。そしてついには引きこもってしまう。

生計を維持するため、夜も昼も働く母とは生活リズムも違う。だから顔を合わせることもない。母が買いだめたカップラーメンやおにぎりを食べ、スマホに没頭する。そんな「人生」の毎日。
だがある日、全てを投げ出した母は、置き手紙を残して失踪してしまう。

一人で放りだされた「人生」。
「人生」は、母の置き手紙に書かれていたわずかな年賀状の束から、蓼科に住む失踪した父の母、つまり真麻おばあちゃんから届いた達筆で書かれた年賀状を見つける。
マーサおばあちゃんからの年賀状には「人生」のことを案じる文章とともに、自らの余命のことが書かれていた。
蓼科で過ごした少年の頃の楽しかった思い出。それを思い出した「人生」は、なけなしの金を持って蓼科へと向かう。
蓼科で「人生」はさまざまな人に出会う。例えばつぼみ。
マーサおばあちゃんの孫だと名乗るつぼみは、「人生」よりも少し年下に見える。それなのにつぼみは、「人生」に敵意を持って接してくる。

つぼみもまた社会で生きるのに疲れた少女だ。しかもつぼみは、立て続けに両親を亡くしている。
「人生」の父が家を出て行った後、再婚した相手の実子だったつぼみは、「人生」の父が亡くなり、それに動転した母が事故で死んだことで、身寄りを失って蓼科にやってきたという。

「人生」とつぼみが蓼科で過ごす時間。それはマーサおばあちゃんの田んぼで米作りに励みながら、人々と交流する日々でもある。
その日々は、人として自立できている感触と、生きることの実感を与えてくれる。そうした毎日の中で人生の意味を掴み取ってゆく「人生」とつぼみ。

本書にはスマホが重要な小道具として登場する。
先に本書は田舎と都会を比べていない、と書いた。確かに本書に都会は描かれないが、著者がスマホに投影するのは都会の貧しさだ。
生活の実感を軸にして、蓼科の豊かな生活とスマホに象徴される都会の貧しさが比較されている。
都会が悪いのではない。スマホに没頭しさえすれば、毎日が過ごせてしまう状況こそが悪い。
一見すると人間関係の煩わしさから自由になったと錯覚できるスマホ。ところがそれこそが若者の閉塞感を加速させている事を著者はほのめかしている。

「人生」がかつて手放せなかったスマホ。それは、毎日の畑仕事の中で次第に使われなくなってゆく。
そしてある日、おばあちゃんが誤ってスマホを池に水没させてしまう。当初、「人生」は自らの生きるよすがであるスマホが失われたことに激しいショックを受ける。
だが、それをきっかけに「人生」はスマホと決別する。そして、「人生」は自らの人生と初めて向き合う。

田舎とは人が生きる意味を生の感覚で感じられる場所だ。
本書に登場する蓼科の人々はとにかく人が良い。
ただし、田舎の人はすべて好人物として登場することが多い。実際は、それほど単純ではない。実際、田舎の閉鎖性が都会からやってきた若者を拒絶する事例も耳にする。すべての田舎が本書に描かれたような温かみに満ちた場所とは考えない方がよい。
本書で描かれる例はあくまで小説としての一例でしかない。そう受け取った方がよいだろう。
結局、都会にも良い人と悪い人がいるように、田舎にだって良い人や悪い人はいるのだから。
そして、都会で疲れた若者も同じく十把一絡げで扱うべきではない。田舎に合う人、合わない人は人によってそれぞれであり、田舎に住んでいる人もそれぞれ。

「人生」とつぼみはマーサおばあちゃんという共通の係累がいた事で、受け入れられた。彼らのおかれた条件は、ある意味で恵まれており、それが全ての若者に当てはまるわけではない。その事を忘れてはならない。
そうした条件を無視していきなり田舎に向かい、そこで受け入れられようとする甘い考えは慎んだ方がよいし、受け入れられないからと言って諦めたり、不満をSNSで発信するような軽挙は戒めた方が良いだろう。

私は旅が大好きだ。
だが私は、今のところ田舎に引っ越す予定はない。
なぜなら生来の不器用さが妨げとなり、私が農業で食っていく事は難しいからだ。多分、本書で描かれたようなケースは私には当てはまらないだろう。
一方で、今の技術の進化はリモートワークやテレワークを可能にしており、田舎に住みながら都会の仕事をこなす事が可能になりつつある。私でも田舎で暮らせる状況が整っているのだ。

そうした状況を踏まえた上で、田舎であろうと都会であろうと無関係に老いて呆けた時、都会に比べて田舎は不便である事も想定しておくべきだ。
本書で描かれる田舎が理想的であればあるほど、私はそのような感想を持った。

間違いなく、これからも都会は若者を魅了し続けることだろう。そして傷ついた若者を消耗させてゆくだろう。
そんな都会で傷ついた「人生」やつぼみのような若者を受け入れ、癒やしてくれる場所でありうるのが田舎だ。
田舎の全てが楽園ではない。だが、都会にない良さがある事もまた確か。
私はそうした魅力にとらわれて田舎を旅している。おそらくこれからも旅することだろう。

都会が適正な人口密度に落ち着く日はまだ遠い先だろう。
しばらくは田舎が都会に住む人々にとって、癒やしの場所であり続けるだろう。だが、私は少しずつでもよいから都市から田舎への移動を促していきたいと思う。
そうした事を踏まえて本書は都会に疲れた人にこそお勧めしたい。

‘2019/01/20-2019/01/20


地方消滅 東京一極集中が招く人口急減


わが国をめぐる問題を挙げろ、と問われて答えをいくつ思い浮かべられるだろうか。私はすぐに十以上は用意できると思う。
では、その問題の中ですぐに解決策が見いだしやすく、しかも今のわが国に悪い影響を及ぼしている問題を一つ挙げろと言われればどうだろう。
その場合、私は東京への一極集中を挙げる。

本書にも書かれている通り、都心への一極集中は地方から人を一掃し、消滅の危機に追いやっている。
そして、都心の機能は3.11の時に如実に現れたとおり、飽和の極みにある。このまま問題を放置しておけば悪い事態に陥るのは確実。
だが、一極集中への解決策は他の問題(国防、少子化、移民、地震、感染症、温暖化、宇宙からの災厄、人工知能、遺伝子)に比べるとまだ対策のしようがあると思う。少子化をのぞいた他の問題は日本だけでは難しいが、一極集中は国内でどうにかできる問題だからだ。

本書は、このまま手をこまねいていると896の都市が亡くなると危機感をはっきり表明している。そして、それに対してさまざまな打つ手を提示している。
元岩手県知事で総務大臣も務めた著者が提示する現状認識と処方箋は明確だ。白い表紙がおなじみの中公新書で、赤一色の本書の装丁は目立つ。内容もあいまって本書はベストセラーになったという。

だが、こうした危機が迫っているにもかかわらず、国が一極集中へ本腰を入れて対応しているとはとても思えない。それどころかマスコミもこの問題については口を閉ざしているように思える。
おそらく出版・マスコミ業界がもっとも一極集中の恩恵を受け、また、促進してきた当人だからだろう。

だが、新聞離れ、テレビ離れが叫ばれている今、もう既存のビジネスモデルに未来はないと思う。
インターネットは情報の価値を拡散し、都市でも都会でも情報が等しく受け取れるようにしてしまった。
今や、情報に関しては都会の優位性はなくなっている。あえて言うなら、ネットワーク越しよりも対面で会った時のほうが受け取れる情報は多いぐらいだろうか。

なぜ人は都会に出てきてしまうのか。
その理由は、従来から言われていた仕事があるかどうか、に尽きるのではないか。
戦前や戦後、農村から出稼ぎと称して多勢の人々が都会へと出てきた。それが戦後の高度経済成長につながった。そうした成功の体験を今も引きずっているのが日本ではないだろうか。
ネットワークがない時代、情報は都会が独占していた。都会にはチャンスがあり、金が流れていた。だから人々は集まってきた。都会だと仕事につける。地方にはないやりがいが都会にはある。そうした幻想がわが国をいまだに縛っている。

かつての私もそうだった。
兵庫の西宮に住んでいた私は、私が求めていた編集者には大阪ではなれないと思い、東京に出てきた。
もちろん、理由はそれだけではない。
当時、付き合っていた今の妻が東京に住んでいて、しかも歯科大学の病院に勤務していたため、動けなかったという理由もある。

私の場合、東京に出た理由はそれだけだ。東京に対する憧れはなかった。
家から自転車を漕いで1時間で大阪の梅田に行けた。そもそもファッションやビジネスに興味がなかった。
もし妻が仙台に住んでいて、私が望む仕事があれば仙台にだって向かっていたかもしれない。

そういう過去をもっている私だから、今の若者が地方から都会へと向かう理由も分かる。
当時の私と同じような動機だろうと察する。漠然とした都会に対する憧れで東京に出てきて、そして消耗してゆくのだろう。
その理由や幻滅はよくわかる。なので、私は今の若者たちを非難しようとは思わない。
それどころか、そうした若者に対して地方に仕事先が就職先が用意されていれば、都会に来なくてもよいのではないか、と提案したい。

今や、私が上京した頃と違い、ネットワークが日本の全土を覆っている。
仮に地方から都会に出てきたとしても、仕事が終わればスマホとにらめっこしているのであれば、都会に住む意味はないはずだ。稼げる仕事の有り無しの違いにすぎないので。

そして今、職種にもよるが、地方で仕事は可能だ。
私の仕事は情報系だが、ネット会議で大抵のことはケリがつく。仕事の発注から受注、納品までを一度も顧客と会わずに済ませたことも何度もある。

本稿をアップする二週間前には奈良の下北山村に行き、二泊三日でワーケーション体験をした。
コワーキングスペース「Shimokitayama Biyori」のWi-Fi環境が良かったのか、AWSのオンラインカンファレンスに参加し、東京で行われた顧客との会議にもオンラインで参加できた。

また、この体験で、田舎の暮らしはお金がかからないことも知った。そもそもお金を使う場所がないのだ。
都会には刺激的なものが多すぎる。そして、その刺激が仮にネット上のコンテンツで満たせるのであれば、地方でもそれは享受できる。

個人の性格にもよるが、私の場合、二週間に一度、東京や大阪に出られればそれで十分。それであれば地方でも働けるし暮らしていけるめどはついた。

だが、その体験をもってしても、本書の内容を読むにつけ危機感が募る。
本書には今後の人口予測と消滅可能性のある896の市町村のリストも付されている。
そこには当然、下北山村も含まれている。しかもこのリストによれば2010年の下北山村の人口は1000人を超えているが、先日訪れた時点ではWikipediaの情報では800人を割っていた。
日中でもほとんど車が通らない下北山村のメインストリートを思い出すにつけ、「消滅」の二文字が切実に迫ってくる。

本書では国による国家戦略の必要も記されている。
だが、今の国会ではモリ・カケ問題や桜を見る会やその他の大臣の失言の糾弾にばかり時間が空費されている。
そのような足をすくわれるようなことをしでかす与党にも失望させられるし、そうした問題をあげつらうばかりの野党にも期待が持てない。
党利党略や利益誘導より、国家の大計に取り組み、足元をしっかり固めて喫緊の課題に注力してほしいと思う。
マスコミももっともっとこの問題には発言してほしい。旅情を誘う番組もいいが、一極集中の問題の危機感を報道しないと何が報道機関か、と思う。

少子化の問題も本書は一章を割いて取り上げている。そして、都会の生きにくさが子作りの妨げになっていることは確実だ。
保育園落ちた日本死ね!!! のブログが反響を巻き起こしたことは記憶に新しい。これもまた、都会の生きづらさの顕著な例だと思う。
子育てをしながら働ける環境を。企業においてもそうした対策が求められていることは自明のことだ。
もし自社の利益を追求するモチベーションを自社の百年後の存続にあると考えているならば、少子化を甘く見るとそもそも会社のサービスの売り先が消え去っていますよ、と忠告したい。

本書にはさまざまな処方箋が載っている。それらの一つ一つはもっとも。
だが、実際に効果を上げうるかどうかはやってみてはじめて分かる点が多い。
だから二の足を踏むのではなく、今のうちに取り組まなねば間に合わないのだ。
本書には各地に人口流出のダムとなる地を作る対策を挙げている。
たとえば下北山村を例に挙げると、村の若者が外に出るのを防ぐのは難しいかもしれない。だが、その流出先が東京ではなく、熊野市や尾鷲市であれば下北山村にはすぐ戻れる。
そうしたダムになりうる都市を各地に育てていくべき、という提言には賛成だ。
ある程度の経済規模さえ確保してもらえれば、都会の人が地方で転職する際にもハードルは少ない。

本書では、そうしたモデルケースとして北海道を取り上げている。
今、日本で最も過疎化が進んだ地域と言えば北海道だろう。
私もあの原野の雰囲気は好きだが、それが将来の日本全土の景色と言われれば、言葉を失ってしまう。
北海道の中でも札幌だけがダムになりうるのではなく、函館、帯広、旭川、釧路といった都市をダムとして、それ以上の流出を食い止める。本書にはその事例が詳しく載っている。

それでは地域がどのようにして雇用を創出していけばよいか。
この課題は当然、考えられなければならない。今までにも議論は出し尽くされてきている。
本書には地域が活きる6モデルとして、産業誘致型、ベッドタウン型、学園都市型、コンパクトシティ型、公共財主導型、産業開発型が挙げられている。
どれもが可能性があるモデルだと思うが、地域によってどれを選ぶかは、地域の特性にもよるだろう。

本書は最後に増田氏と識者による三つの対談が載っている。
最初は藻谷浩介氏との対談。藻谷氏はかつて私もブログで取り上げた『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』の編者でもある。(a href=”https://www.akvabit.jp/%E9%87%8C%E5%B1%B1%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%80%8D%E3%81%A7%E5%8B%95%E3%81%8F/” target=”_blank”>レビュー)
二人の結論もやはり今のままでは地方ばかりか日本も破綻するというもの。
さらにお二人は提言として東京に本社を置く必要の意味を問うている。アメリカではニューヨークに本社を置く企業は四分の一だが、日本の場合、七割が東京にあるという。

二つ目の対談は、小泉進次郎氏、須田善明氏と行っている。
小泉氏は政治家として著名だが、須田氏は宮城県女川町の町長であり、東日本大震災で被害にあった町の復興を担当している。
本稿をアップする今、小泉氏の株はかなり下がってしまった。だが、小泉氏が一極集中を問題として認識していることはこの対談でも述べられている。そして今も持ってくれているはずだと期待している。
結局、一極集中の解消を国家戦略として策定し、それを確実に遂行していかなければこの問題は解決しないと思う。
その戦略とは東京オリンピックや大阪万博ではない。地方を主役にしたイベントを誘致するといったことでもない。
たとえば、本社の機能を六大都市以外の都市に移した企業に対しては税務上の優遇措置を与えるとかの策でもあるし、いつの間にか誰も言及しなくなった遷都の問題を真剣に議論することでもある。

三つ目の対談は、慶応義塾大教授の樋口美雄氏と行っている。
6モデルに即した地方の生き残り策を提言しているが、それらを推進するためのリーダーの存在が指摘されている。
まったくその通りだと思う。本当であれば、地方から選出されたはずの国会議員が担うべきことだが、国政や党政を優先させることに汲々としている。

本書を読んで思うのは、考えるよりも実行の必要性だ。
もちろんそれは私や弊社にも当てはまる。
東京に登記し、東京に住んでいる私。働き方を変えることで朝夕の通勤ラッシュを一人分だけ解消させることができた。
ここ数年、地方でも講演する機会も増えてきた。ワーケーション体験に参加し、地方で働き、暮らす可能性も確信できた。
働き方改革を掲げるサイボウズ社のkintoneを担ぐことで、地方の方とのご縁は増えてきた。
そうした実践ができる立場にある弊社と私。だが、それが実体ある生活として地方に還元できているとはとてもいえない。
下北山村へ伺う契機となった紀伊半島はたらくくらすプロジェクトはカヤックLivingさんをはじめとした複数の企業が共同している。そうした取り組みがすでになされている今、私も弊社に協力できることはあるはず。

これから私や弊社に何ができるのか。これからも動いていかねばなるまい。

‘2018/11/13-2018/11/16


脱限界集落株式会社


前作を読んでから一カ月もしないうちに続編を読む。私にとって珍しいことだ。本書はちょうど1カ月前に読んだ『限界集落株式会社』の続編にあたる。

もともと、私はシリーズ物は一気に読まずにはいられないたちだ。だが、シリーズ物を一気に読むことはそうはできない。そのため諦める。そして読む間隔を空けてしまう。だが、本書をたまたま見かけたことで、一カ月もしないうちに続編が読めた。とても喜ばしい。

本書に関心を持った理由は、前作が面白かったこともある。だが、それだけではない。前作も本書も地域活性化が取り上げられていて、私は仕事で多少それらのテーマに関わっている。それが本書を手に取らせた。前作も本書も取り上げられていたのが私自身に興味のあるテーマだったので、本書もすぐに読み始めた。

前作は限界集落の再生がテーマとなっていた。本作は商店街の活性化がテーマとなる。前作で止村に活気を呼び戻した多岐川優。その成功に乗っかるようにTODOMEモールが誕生した数年後が本書の舞台だ。前作でも登場した幕悦町の上元商店街は、TODOMEモールにとどめを打たれシャッター商店街と化していた。そんなのところに降って湧いたのがTODOMEモールの成功に味を占めたコンサルタントによる地域再開発の話。

前作で多岐川優と結婚した美穂は、止村株式会社の経営方針をめぐって夫と対立し、家出している。そして止村株式会社からの出向扱いでコトカフェの主任として腕を奮っている。コトカフェはコミュニティカフェだ。地域のたまり場として何でも受け入れる事を運営方針に掲げている。巨大なTODOMEモールに対抗するコトカフェに何かを感じた美穂がコトカフェに肩入れする。それが優とのけんかの原因だ。

TODOMEモールに加えて降ってわいた再開発計画に上元商店街は二つに割れる。そして長谷川健太、遠藤つぐみ、新沼琴江といったコトカフェの従業員の面々は、美穂とともに上元商店街を再開発の波から守ろうと、TODOMEモールにも負けない店を目指して奮闘を始める。

そもそもTODOMEモールの開発も地域再開発も、裏で暗躍しているのは多岐川優の商売仲間である佐藤だ。だが佐藤の計画の裏にきな臭さをかぎ取った多岐川優は、アドバイザーとして商店街活性化に一役買い、結果的に美穂の側に立つ。

ニートやコミュニティ障害からの脱却、そして勧善懲悪の視点。それは前作から変わらない。その上で商店街活性化というテーマを持ち出した本書は、地に足が着いているといえる。実際、シャッター商店街は地方に行くと頻繁に目にする光景だ。駅前が閑散としているとその地に活気は生まれにくい。シャッター商店街の再生は地域の切実な願いではないか。

ただし、前作もそうだが、本書には地域活性化の視点に人工知能の観点が抜けている。なので、前作と本書で披露されたノウハウがこれからの活性案や限界集落の処方箋として有効かどうかの判断がつかない。いくら優れた案であっても人工知能の示す案のほうが優れている可能性は大いに考えられる。人間の案がより優れた人工知能の案に置き換えられる可能性は高い。だが、人工知能は地域活性化にとっての本質ではないと思う。それよりも、中央集権、大量消費の均一化に抗するための視点を持つことが大切ではないか。その視点は、人間が持てる視点として絶対に必要なはずだ。そこに知恵を使うことが人間と人工知能の共存の未来が占えるといっても過言ではない。

全ては対人のコミュニケーションに掛かっていると私は考える。それが人間社会をよくも悪くもするはず。ロボットや人工知能がいくら世を席捲しようと、コミュニケーションの大切さこそが人間社会にとって生命線であり続けるはずだから。

本書の底に流れている考えもコミュニケーションの大切さにのっとっている。例えばコトカフェがそう。コトカフェを起点に盛り上がる上元商店街の活気は、結局のところ人対人のコミュニケーションに依存している。そして、コミュニケーションのをおざなりに放置したTODOMEモールからは客足が遠のいていく。

ただ、コミュニケーションの力だけでは地域活性化の起爆剤にはなり得ないことも事実だ。本書の結末がそれを示している。なぜなら佐藤側の自滅に頼るしかなかったのだから。本書の結末は、コミュニケーションだけでは地域活性化は難しい事を意図せずして示してしまった。それはもちろん、本書のせいでも著者のせいでもない。人は利便さを優先する。交通の便や品ぞろえや新奇さは、いつの世もコミュニケーションの力を凌駕する。

多分、抜本的な地域振興策は誰にも簡単に思いつくものではないのだろう。私は地域に人を呼び戻すには、逆説的なようだが、人工知能の力を借りねばならない気がする。田舎に住む不便が、人工知能により補われた時か、情報技術が田舎のコミュニケーションの良さとその反面の閉鎖性を良い具合に中和した時。その時になってようやく、人々は都会に人間が集中することのデメリットを感じ、田舎に住むメリットに目を向け移住を始めるのではないか。

となると、結局は人の力など要らないのでは、と思われるかもしれない。いや、そうではない。コミュニケーションの力はやはり必要だ。取りつく島がないように思える田舎のコミュニケーションは、コミュニケーションの一つの在り方であって、そこには違うコミュニケーションが必要なのだ。

、人間には思いもつかない案が人工知能によって提案され、それを運用するにあたってコミュニケーションという基盤があることが重要なのだ。本書から私が得た気づきとはそこに収束される。

‘2017/07/17-2017/07/18


限界集落株式会社


とてもわかりやすいタイトルだと思う。カバー絵も農池の周りに立って談笑する人たちのイラストだ。一目で話の内容と展開がわかるような構成になっている。

実際、本書の内容もその通りの話なのだ。だが、とても筆運びが滑らかで引き込まれる。なにせ、冒頭の一文からすでに、
「マクドもない、スタバもない、セブン-イレブンさえない。」
なのだから。関西人の私は”マクド”のキーワードに即座に心をつかまれた。そして、あっという間に読み終えた。とはいっても、本書は単純に読んで楽しんで終わりの本ではない。それではもったいない。本書には地方創生の課題とそれを解決するヒントがあちこちに埋めこまれているのだから。ニートやサブカルチャー、少子化や就農支援など、枚挙にいとまがないほどだ。

題名からもわかる通り、本書は消滅寸前の過疎地域、いわゆる限界集落の再生がテーマだ。東京でバリバリの銀行マンだった主人公多岐川優が、充電のため父祖の地を訪れるところから本書は始まる。田舎道に似合わないBMWを駆って来た彼は、田舎者の人懐っこさと、分けへだてなく触れ合ってくる環境に溶け込んで行く。そして土地の人々の無垢なこころに何かを感じ、過疎の村を再び蘇らせようと決心する。対立する勢力の懐疑の眼に戦いつつ奮闘する。本書はこれらの流れがとても滑らかに書かれており、無理なく物語に引き込まれてゆく。

著者の作品は初めて読んだが、相当慣れた書き手だと思った。小説のコツを会得しているといえばよいか。農業組合法人の設立や農法、銀行の審査シミュレーションなどの描写も、専門的な枝葉を描いてしまうことなく、人々の語らいや筋の進め方といった読者の読み心地を優先して筆を選んでいる。それらの会話の端々で、限界集落の置かれた状況、課題、諦めとそれに立ち向かう思い、などが周到に描かれる。

本書で描かれた内容は千葉の某所がモデルとなっているらしい。巻末の謝辞にも千葉の農事組合法人「和郷園」の木内氏へ取材協力への御礼が載っているくらいだ。そして本書には舞台となる地が都心部から中央高速で2時間と記述がある。ということは、山梨と長野と群馬の境目あたりか、房総半島の内陸部が舞台ではないだろうか。何となくの予想だけど。

本書が導く過疎化対策の要諦とは、大消費地である首都圏との結びつきに活路を見いだすものだ。おそらくそれが現実に即した現実解なのだろう。本書にも朝に採れた野菜を早朝の首都圏に向けて配送するシーンが出てくる。となると、大消費地が近くにない過疎地はどうなるのか、という疑問が湧く。今、過疎化に悩む地方とは、本書に登場するような場所ではなく、首都圏に遠い、朝一配送などとても不可能な場所のことではないか。

ベジタ坊というキャラクターをブランド野菜に貼り付け、「やさいのくず」と命名してアウトレット野菜を売る。それらのアイデアやブランディングについてはとても面白い。やりようによっては働き甲斐のある仕事だと思う。

だが、本書で提示される過疎化対策が、現実的であればあるだけ、過疎化対策のあるべき姿が見えなくなってくる。そんな気がした。もちろん、本書にその責を担わせるのはお門違い。本書はあくまでも面白く読ませる小説であり、読者は本書から過疎化対策の一端を感じればよいのだ。

本書の内容に関わらず、現実は厳しい。地方の過疎化がとどまる見込みはない。東京にはますます資源も人も金も集中している。田舎暮らしを指向する若者は地方に居場所を求めるが、本書に登場する彼らのような成功をおさめられるのはほんの一部だ。私自身、都会の暮らしに魅力を感じず、暇ができれば地方に目を向けてしまう。だが、それでいながら生活の場を東京に置かねばやっていけないというのも事実だ。地方で何不自由なく暮らそうと思えば、ネットからの収入手段を得なければ厳しい。例えばアフィリエイトのような。

地方では住人も働き手もいない。それなのに都会には生活に張り合いを感じられず、働き口さえ見つからずにあえぐ若者がいる。その不均衡はどう考えても現実の歪みそのものだ。それを是正するためには、本書に登場する多岐川のような一人の人間の能力に頼るしかないのだろうか。どこかに妙手が埋もれているような気がしてならないのだ。

私の知る人にも里山再生をしている方がいる。セカンドライフを農業にまい進する人もいる。田舎の閉鎖性と都会の閉塞性をつなぐだけの人材。そこをつなぐための仕事に長けた人はたくさんいるはずなのだ。

何か、私にできることはないだろうか。東京への依存度は異常だし、地震に対するリスクがあるというのに。本書の内容が読みやすければ読みやすいだけ、本書を容易に読んではならない、もっと深読みせねば、という焦りが生じる。引き続き、私自身も上に書いたようなつなぎ役として役立てることがないかを模索し続けたいと思う。

‘2017/06/18-2017/06/18


長崎の旅 ハウステンボスの魅力について


妻と二人で長崎を旅したのは2000年のゴールデン・ウィークの事です。前年秋に結婚してから半年が過ぎ、一緒の生活に慣れてきた頃。そんな時期に訪れた長崎は、妻がハウステンボスでつわりに気付いたこともあり、とても思い出に残っています。

それ以来16年がたちました。娘たちを連れて行きたいね、と言いながら仕事に雑事に追われる日々。なかなか訪れる機会がありませんでした。今回は妻が手配し、娘たちを連れて家族での再訪がようやく実現しました。うれしい。

2016/10/30早朝。駐車場に車を停め、踏み入れた羽田空港第一ターミナルは人影もまばら。諸手続きをこなし、搭乗口へと。私は搭乗口の手前の作業スペースでノートPCを開き、搭乗開始を待ちながら作業します。家族四人揃っての飛行機搭乗は11年ぶり。ハワイに旅行して以来のことです。実は私にとっても飛行機搭乗は10年ぶりとなりました。今回はスカイマークを利用したのですが、LCC(Low Cost Carrier)自体も初めての利用です。機内ではスカイマークデザインのキットカットが配布され、旅情を盛り上げてくれます。

やはり飛行機は速い。2時間ほどで福岡空港に着陸です。私にとって九州に上陸するのも前回のハウステンボス以来です。心踊ります。ただでさえ旅が好きな私。海を渡ると気分も高揚します。空港のコンコースを歩く歩幅も二割り増し。目にはいるすべてが新鮮で、私の心を明るく照らします。

福岡市営地下鉄に乗るのは20年ぶり。全てが懐かしい。ちょくちょく福岡に来ている妻に交通の差配は任せ、JR博多へ。みどりの窓口でハウステンボス号のチケットを購入し、いざホームへ。お店を冷やかし、パンフレットを覗き、街ゆく人の博多弁に耳を澄ませます。よかたいばってん。旅情ですね。

ホームに降り立つと、フォルムも独特なJR九州の車両群がホームにずらりと並んでいます。その光景に浮き立つ気分を抑えられません。鉄ちゃんじゃなくともワクワクさせられる光景です。もともと妻がJR九州には良い印象を持っていて、ユニークなデザインの車両については妻から話を聞いていました。私自身、ハウステンボス号に乗るのも、ユニークな車両群に会えるのをとても楽しみにしていました。そんな期待を裏切らぬかのように、やがて入線して来たハウステンボス号は、二種類の異なる車両が連結されていました。ハウステンボス号にみどり号が連結されているのです。

家族揃っての鉄旅は良いです。かつてスペーシアに乗って日光に行った事が思い出されます。本当はもっと何度もこういう旅がしたかったのですが。ま、過ぎた事を言っても仕方ありません。

鳥栖から長崎方向に転じたハウステンボス号は、佐賀の主要駅に停車していきます。私にとってなじみのない佐賀の駅はそれぞれの地の色あいで私を迎えてくれます。吉野ヶ里遺跡らしきものが見え、世界気球選手権大会が線路側で開催されています。有田では街に林立する窯の数に目をみはります。旅情です。旅です。

私は家族と会話したり、車窓をみたり、国とりゲームをしたり。そして、飛行機に乗っている時から読み耽っていた「ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」」を読み切ったり。この本のレビューは、いずれ読読ブログでもアップする予定です。本を読み終えた翌日、家族で長崎の街を歩いたのですが、この本を読んでおいたことは、長崎の街を歩くにあたって得るものがたくさんありました。

早岐の駅で佐世保に向かうみどり号から切り離され、ハウステンボス号は運河沿いを走ります。そして間も無くハウステンボス駅に到着。駅から、運河を挟んでそびえ立っているホテルオークラJRハウステンボスが見えます。ここからのハウステンボスはとても映えます。写真を撮りまくりました。期待が高まります。

私は今回でハウステンボスに来るのは3回目です。そして、ハウステンボス駅を利用するのはたぶん初めて。小ぶりな駅ですが、駅舎の面構えからしてハウステンボス感を爆発させています。これは駅鉄として、駅の全てをくまなく撮らねば。

入り口に向かったわれわれですが、実はまだこの時点で入園券を買っていませんでした。宿泊するウォーターマークホテル長崎・ハウステンボスのみ予約済の状態。16年ぶりの訪問は、正面から見て一番奥にあるホテルへの行き方もすっかり忘れてしまっています。正門から宿泊者用通行券のようなパスを使って入場すると思ったら、そんなものはないとのこと。外をぐるりと回るか、送迎バスに頼るしかないとか。結局、着いて早々、ハウステンボスの外周を送迎バスで回ってから中に入ることになりました。

前回来手から16年。ハウステンボスは波乱の年月を潜り抜けたといいます。一度は会社更生法が適用されたとも。そんな状態からHIS社のテコ入れで復活し、今や日本屈指のテーマパークになった経緯は、まさにカムバック賞もの。何がそれほどハウステンボスを復活させたのか。どれほどすごくなったのか期待していました。ですが不思議です。正門や外周からみたハウステンボスにオーラが感じられないのです。ディズニー・リゾートのように、エリアごと夢と魔法の世界でラッピングしたような演出には出会えずじまい。統一感がなくバラバラな世界観が散らばっているように思えます。

ホテルでチェックインすると、内装はさすがに洗練されています。今回チェックインしたウォーターマークホテルには、前回も泊まりました。その時はたしかホテルデンハーグという名前だったと覚えています。多分ハウステンボス自体の経営権が移った時に名称を変えたのでしょう。なので、ホテルの中では特段違和感を感じることはありませんでした。でも、ホテルを出て、ハウステンボス方向に向かうと何かが違うのです。このエリアはフリーエリアになっていて、ゲートを通らずに楽しめます。石畳に旅情あふれる欧風の建物が並んでいます。それは、異国情緒を感じさせます。ですが、よくよく見ると建物に入居しているのはココカラファインだったりします。観光土産屋さんが長崎の名産品や地域限定商品を陳列しています。建物の飾り付けも自由気まま。好きなように各店がポップを掲出し、幟を立てています。ディズニー・リゾートのような統一された世界とは対極です。おしゃれな道の駅? のような感じさえ抱きます。

それでも我が家は、見かけた佐世保バーガーのお店に入ります。うわさに聞く佐世保バーガーとはどんなんや?うまいっ!旅の疲れが佐世保バーガーで満たされ、気分も上向きます。

が、せっかく上向いた気分も、北に向かって歩いて行くにつれ、違和感に覆われていきます。レトロゲームの展示コーナーがあります。ここでは私も懐かしいゲームを何プレイかしました。でも、ゲームをやりにハウステンボスに来たわけやない、と違和感だけが募っていきます。海辺のウッドデッキをあしらったような場所には、ONE PIECEをあしらった海賊船が停泊しています。そしてウッドデッキにはフードを深々とかぶった謎の人物、フォースを使いこなしそうな人がのろのろと歩いています。この何でもありな感じは、かつて私がきた時の印象とはあまりにも違っています。ディズニー・リゾートの統一された世界観に慣れた我が家の全員が同じ感想を抱いたはず。ハウステンボスって、ショボくねぇ?という。

モヤモヤした感じを抱きながら、入場券をかざしてゲートを潜ります。ハウステンボスのランドマークともいうべきドムトールンを見上げつつ、跳ね橋を渡るとそこはハウステンボスの中心部。先ほど見た謎の人物にも似た妙な通行人がどっと増えます。そう、今日はハロウィーン前日。街中が仮装であふれています。ハロウィーンがアメリカではなく欧風の街並みに合うのかどうか。それはこの際大した問題ではありません。でも、欧風な街並みに洋風の仮装をした通行人が増えたことで、フリーエリアで感じたショボさがだいぶ払拭されました。でも、何でもありな感じは変わりません。お化け屋敷やARのホラー体験のアトラクションがあり、屋外のトイレは惨劇を思わせる血糊で汚されています。

一体どこに向かえばいいのか、行くあてを見失いそうです。それでも事前に下調べしておいたチョコレートの館や、チーズの館、ワインセラー、長崎の名産物などのアトラクションを巡ります。フリーチケットで入場したとはいえ、追加料金が必要となるアトラクションには結局入りませんでした。ただ、広大な敷地を移動し、道中の景色や種々のバラエティに富んだのぼりや掲示をみていると瞬く間に時間は過ぎて行きます。ハロウィーン期間ということもあって、巨大なイルミネーションが園内で展開されています。長崎ちゃんぽんを食べ、SF映画に顔合成された私たちを登場させてくれるアトラクションや、AAAのホログラムコンサートなど、技術の粋を惜しみなく注いだアトラクションには驚かされます。そんな風に過ごしていると、閉園時間が近づいてきます。結局、園内のかなりの場所を訪れることはできませんでした。北側の風車付近や、マリーナ、庭園や美術館の地区など。

広い園内と、雑多過ぎるほど統一感のない世界観。それでいながら、オランダを模した建物が林立する中、建物を縫うように石畳の街路が縦横に広がります。パトレイバーの等身大像や、運河を挟んだ建物の側面に映し出されたプロジェクションマッピングで太鼓の達人が遊べるアトラクション。徹底的に世界観の統一を拒むかのような園内。飽きるどころか、ほぼ並ばずにアトラクションを訪れていても、遊びきれていない満腹感とは反対の感覚。園内で感じた統一感のなさは、マンネリ感や既視感とは逆の感じです。それはかえってハウステンボスの巨大さを知らしめます。

ところが夜になると印象は一変。イルミネーションが園内に点灯し、統一感のある光で満ち溢れるのです。その素晴らしさは、ドムトールンに登って園内を見下ろすとより鮮やかになります。園内がマクロなレベルで統一されています。日中に見えていたオランダ風の街路や建物は、イルミネーションの影のアクセントとして存在感を増します。光の氾濫は眼をくらませるようでいて、その裏にある街路や建物の存在をかえって主張しています。

ここに至って私のハウステンボスへの認識は改まりました。フリーエリアで抱いたショボいかも、という認識。これはハウステンボスの目指す方向を見誤っていたことによるものだと気づいたのです。

ハウステンボスの目指す方向。それは、統一感のある世界観とは逆を向いています。つまり、東京ディズニー・リゾートの作り上げる夢と魔法の国からの決別です。ディズニーキャラの住むカートゥーンの世界観。それは東京のディズニー・リゾートがガッチリと抑えています。大阪のUSJもそう。ハリウッド映画の世界観が大都市からすぐの場所で楽しめる。

たぶん、かつてのハウステンボスは、オランダの異国情緒を体験できるとの触れ込みで統一感のある世界として創りあげられたはずです。しかし、長崎という日本のはしでは無理があった。ではどうすればいいか。HISはハウステンボスが日本の周辺に位置しているという条件を逆手に取ったのです。そして、それにふさわしい方針転換をしたのだと思います。すなわち、なんでもありの世界。統一感のない世界の実現へと。

何度も東京ディズニー・リゾートに行っていると、統一された世界観に、次第にマンネリズムを感じていきます。いくら趣向を凝らしたディスプレイで飾られていても、しょせんはディズニーキャラの世界。世界観が強固であれば、そのぶん閉塞感も増します。春夏秋冬、季節ごとにイベントで色合いを変えても、ディズニーキャラの世界観の延長でしかありません。それは、観客の達成感や飽和感につながります。ハウステンボスは、世界観に左右されないがため、逆に自由な発想が展開できます。オランダ風の建物や路地はただのベースに過ぎないのです。

逆説的ですが、そのことに気づいた時、私は最近のハウステンボスが盛り返している理由をおぼろげに理解したように思いました。ディズニー・リゾートと同じ土俵にあがらず、統一感をあえて出さずに勝負する。そして訪問客に満足感を感じさせない。それが、次なるリピートにつながる。実際、ハウステンボスをくまなく訪れられなかったことで、かえって園内の広さに満足感を持ったくらいなので。聞くところによれば、USJも雑多ななんでもありの路線を打ち出し始めているようです。上に書いたように従来のUSJはハリウッド映画の世界観で統一していました。でも、今は何でもありの世界観を出すことで、ディズニー・リゾートと一線を画しています。そしてディズニー・リゾートを凌駕しつつあります。成功の理由とは、世界観の統一を放棄したことにあるといってもよいのではないでしょうか。いまや、世界観の統一という満足だけだと、訪問客に見切られてしまうのでしょう。

地方を活性化するヒントも、ここにあります。田舎の何でもあり感は、洗練されたスタイリッシュな都心に住んでいるとかえって新鮮です。都心は、人が多すぎる。それゆえに、固定客をつかめば経営が成り立つのです。固定客とはつまり世界観が確立している店へのリピートです。つまり、都心では世界観を固定させることが繁盛へのキーワードだったといえます。しかし、ハウステンボスは田舎にあります。田舎で都会並みの統一感を出したところで、都会の人間にははまらないのです。オランダの街並みがはまった人にはリピーターになってもらったでしょうが、そうでない方には世界観の限界を見切られてしまいます。それこそが、当初のハウステンボスの凋落の原因だったと思います。すでに都会の世界観に疲れている私には、ハウステンボスが展開するこのとりとめのなさが、とても魅力的に映りました。そして、東京ディズニー・リゾートのような感覚で、テーマパークを当てはめてしまっていた自分の感性の衰えも感じました。

すでに寝静まろうとしている店を訪れ、少しでも長く多くハウステンボスを経験しようとする我が家。ホテルに一度戻り、娘たちを寝かせた後、夫婦で再びハウステンボスに戻ります。フリーエリアと有料エリアを分ける跳ね橋のそば。ここに、深夜までやっているbarがあります。「カフェ ド ハーフェン」。16年前もここに来ました。そして妻はジン・トニックの味が違うことにいぶかしさを感じました。それはもちろんつわりの一症状でした。このbarにはそんな思い出があります。今回、大きくなった娘たちを連れて来たことに万感の思いを抱きつつ、結婚生活を振り返りました。そして、16年ぶりのハウステンボスが、世界観を変えてよみがえったことに満足しつつ、お酒を楽しみました。

また、訪れようと思います。


淡路島に地方創生の未来を見た


先日、4/23に淡路島に行って来ました。

淡路島といえば兵庫県。私の故郷です。海峡を挟んだ明石は父の出身地であり、つい数年前まで祖父母が住んでいた地です。淡路島は国産み神話の息づく、花咲く島としても知られています。しかし、そんな身近にありながら、私は淡路島をそれほど訪れていません。今回の訪問が生涯で10回目というところでしょうか。今回の旅は、淡路島の魅力を再認識すると共に、そこを舞台にビジネスと暮らしを両立させる試みに触れさせて頂く貴重な機会となりました。

昨年の秋、10/29に東京の上野でセミナーに参加しました。
「東京×兵庫 移住・起業促進セミナー〜暮らし方と働き方を選んで自分らしく生きる〜」
Facebookページ

今回の淡路訪問は、このセミナーへの出席がきっかけです。当時、私は兵庫で週半分とはいえuターン起業を企図していました。お仕事で懇意にしている方からのご招待を頂いたのを機縁に起業の人脈作りも兼ねて参加しました。実際、こちらで拝聴したセミナー内容や試食させて頂いた産物はとても魅力がありました。が、それだけではありません。ここで得たご縁は、今回の淡路だけでなく、それ以外にも様々なビジネスの展開を私にもたらしてくれました。このセミナーへの出席は私にとって一つの転機となりました。

このセミナーで知り合った方には、実際に東京での地位を擲ち、淡路で新たな勉強をし直す方がいました。東京から淡路に移住し、腰を据えてビジネスを展開されている方もいました。また、関西を舞台に様々な町づくり、コミュニティ再生をされている方もいました。実際にビジネス展開の上でITを使ったお手伝いのご相談も頂きました。ここで得た貴重な御縁を一期のものとしないためにも、今回の淡路訪問は何を置いても優先すべきものでした。

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まず最初に訪れたのは、トキワ庵様。サブタイトルに「~淡路島サテライト&コワーキングオフィス~」と名付けられています。古民家を丸ごとリノベーションし、合宿も出来るコワーキングスペースとして再生利用しているのがトキワ庵様です。広々とした窓や縁側から見える景色は飾り気なしの素朴な農村風景。生の素材をそのままに提供したロケーションは文句なしです。雑念に惑わされず集中するのには打ってつけの環境といえるでしょう。ましてやディスプレイを凝視することの多い技術者にとっては、目の健康に欠かせない緑が存分に味わえます。目に良いだけでなく、耳にも心地良いウグイスの鳴き声がそこら中で春の訪れをしきりに告げています。心身の疲れを癒すにはとてもよい環境です。

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淡路訪問の前後、私はとある案件を請け負っていました。一人きりの開発を選択したゆえ、相談相手といえば、Google先生かstackoverflow教授のみ。でも、トキワ庵さんで合宿していれば、誘惑に流されることなくチーム単位でのさくさく開発ができたことでしょう。孤独な闘いを挑んでいた私には、トキワ庵さんはとても魅力的な場所に映りました。

関西で開発をされている会社様はもちろんの事、関東に拠点ある会社にとっても、社員旅行先としても候補に挙げて良いかもしれません。お値段分以上の価値はあると言ってよいと思います。
トキワ庵さんFacebookページ

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さて、我々が続いて案内して頂いたのが、challenge Farmです。こちらの農場、実は株式会社パソナ様が近隣の農場を借り上げて運営しています。近隣のこういった農場を何か所か借り上げ、パソナさんの事業として使用されているのだとか。我々が訪れた時、パソナグループの新入社員達が新入社員研修の一環として農作業を行っていました。パソナさんと言えば、日本橋の自社ビル内に農園を設けている事で知られます。私も見させて頂きました。こういった農を重視するパソナさんの姿勢は、全グループの新入社員研修という形にも現れています。

数年前に楽天グループが、社内公用語を英語に指定して話題を集めました。私は実はこの事をあまり評価していません。何故なら言語の違いはITの進化によって、ここ10年以内に意識されなくなると踏んでいるからです。もちろん、英語を公用語化する事で、論理的な考えやビジネスマインドが身につくという効果はあるでしょう。しかし、論理力やビジネスマインドを身に付けたところで、ITの進化の前には霞んでしまうに違いありません。

一方、農という人間のプリミティブな可能性に着目したパソナさんの選択には大いに賛成します。地に足のついた農の重要性を学んだ人材が、あるいは将来の日本を背負って立つのかもしれません。こちらのchallenge Farmでは、新入社員一人一人が農作業に従事し、同時に、自らの労働時間、原材料、肥料、シートや柵に至るまで、全てをコスト計算する事が求められているとか。単なる土に還れ的な精神論、泥まみれの根性論だけではありません。農作業を通じて社員として必要なビジネス感覚の養成の場として位置付けているのです。私はその事にとても感銘を受けました。かつて私はパソナグループの社員として働いていました。もし当時の自分がこういった研修を受けていたら、今の私は果たしてどうだったろうか、という空想にまで思いを馳せました。

challenge Farmでは、企業研修の受け入れや、団体観光客の農業体験の受け入れで収入を得ているようです。ゆくゆくは私自身も利用させて頂く機会があれば嬉しく思います。

IMG_6434さて、農業は生産だけではありません。小売りまでカバーしての農業です。その発想から出た実践の場こそが、我々が続いてご案内頂いた「のじまスコーラ」です。ここは旧淡路市立野島小学校の建物をパソナグループが無償で譲り受け、全面的に改装して使用しています。その結果、街の商業施設として賑わいの中心を担っています。
のじまスコーラWebサイト

「のじまスコーラ」の随所に元小学校の名残が残されていました。地元の卒業生にとってみれば懐かしき母校が再利用されている姿は嬉しいものです。地元の農家から見れば農作物の販売拠点として恰好の存在になってくれれば作物の育て甲斐もあります。観光客にとっては道の駅とは違う、ユニークな観光スポットとして分かりやすい存在です。私自身、「のじまスコーラ」の存在は東京にいた時から知っていました。実際に訪れた「のじまスコーラ」は、とても繁盛しており、順調な様子が見受けられました。教室がお洒落なレストランと化し、フィギュアの博物館と化し、美味なパン屋さんと化し、BBQの場と化して有効利用されている姿は、地方創生の活きた実例として申し分ないと云えます。

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写真 2016-04-23 12 35 18われわれは、次いでMieleという播磨灘に面したレストランに案内頂きました。ここもパソナグループの手による運営だそうです。スタッフの中の何人かは新入社員で、社員研修の一環として働いているのだとか。名物である玉ねぎや淡路牛を使ったハンバーガーは正に絶品。我々四人はノンアルコールビールで乾杯しましたが、お店の雰囲気だけで十分に酔えました。
Miele

トキワ庵からMieleに至るまで、パソナさんの地方創生に掛ける意気込みはしかと受け止めました。運営している方々はパソナグループの中で募ったところ手を挙げた有志だそうです。それぞれがかなりの裁量を持って運営していることが伺えます。我々を案内して下さったIさんもまさにその一人。充実した感じが眩しいぐらいでした。

パソナ創業者の南部氏といえば、私にとっては大学の先輩にあたる方。とはいえ今回の訪問まで南部氏の御出身が淡路島の対岸の舞子とは知りませんでした。しかし、淡路島への資本投下も、単に故郷に錦を飾るだけとは思えぬほどの本気度です。そしてその本気こそが、一流企業の社会的責任-CSRの在るべき姿ではないかと思えます。

今の日本社会が抱える問題は多々あります。保育園不足や過疎化、医師不足など。そして、その問題のいくつかを解決する為の有効な処方箋とは、一極集中の解消にあるのではないでしょうか。さらに言えば、一極集中に対して有効な策を打てるのは、国や自治体、中小企業よりも潤沢な資本を持つ大企業です。本社こそ東京にあれ、地方にくまなく拠点網を廻らす大企業は、経営者の意思一つで地方に重心を移すことも出来ます。ましてやネットがこれだけ発達した現代ならなおさらです。

パソナさんの淡路島における地方創生事業は先進的な取り組みとして、あるいはCSRの在るべき姿として評価したいと思います。

さて、我々が続いて向かったのは、兵庫県立淡路景観園芸学校です。こちらは、園芸や景観といった緑を活用したノウハウを教える社会人大学としての性格が強い学校です。淡路といえば玉ねぎやハンバーガーといった名物以外にも花や園芸が盛んであることでも知られています。かつて、淡路島ではジャパンフローラ2000、いわゆる淡路花博も開催されました。新婚当時、私も見に行きました。

IMG_6447学校の中をご案内して下さったのは、Tさん。東京での華麗なキャリアから一転、新たなビジネス創出のため淡路で一から園芸を学ぼうとする向上心の持ち主です。その行動力にはただ頭を垂れるのみです。Tさんには寮の自室から教室、教授室、温室、さらには畑や飾り壇、学食のカフェテリアなどを案内頂きました。瀟洒な校舎を囲むように園芸や景観を学ぶための諸施設が点在し、じつに贅沢な環境が設えられています。
学校ホームページ

IMG_6449その贅沢さは人口密度の少なさにも表れています。我々が訪れた土曜日というタイミングを考えても、ほとんど人に会うことなく闊歩できたキャンパス。それはほぼ独り占めと言ってもよいほどです。近所の馬場から遠乗りでやって来た二頭のお馬さんに遭遇しました。サボテンと乗馬の取り合わせはまるでメキシコ。そのような偶然の演出さえも、観客は我々のみという贅沢さ。素敵な出会いもこの学校ならではです。地元の主婦の方々がフリマらしくお店を出されていましたが、売り上げが上がったのかどうか心配になります。誰も客のいないカフェテリアは営業中でしたが、パートさんお二人がシフトに就かれていました。客は我々三人以外には老夫婦のみ。収支状況が気になります。

とにかく浮世離れしたような環境ですが、学び舎としての魅力は抜群です。ただし、あまりにも贅沢な空間の広がりに、逆に採算性が心配になって来るほど。Tさんもその辺りを心配されていました。私も淡路の片隅に花咲いたこの別天地が立ちいかなくなる事態は望みません。機会があれば東京でもこちらの学校のPRのお手伝いをしたいものです。

園芸や緑化は公の仕事。そんな暗黙の了解があります。でも、本当に私企業が園芸や緑化の事業に参入する余地は無いのでしょうか。アイデア次第では、ビジネスとして成り立ちつつ、働く当人が癒されるような仕事のタネは転がっているはず。その気付きが、こちらの学校で得られなければ、一体どこで得られるというのでしょう。特にITと園芸とのコラボレーションには、新たなビジネスの鉱脈が埋もれて居る気がしてなりません。畑を耕して得られるものは何も作物だけではありません。ビジネスの種もきっと掘り起こされるのを待っているはずです。実際、IT技術者には心なしか土いじりが好きな人が多いように思います。案外、ITと園芸とは、相性の良いもの同士かもしれませんよ。こちらの学校への入学にあたっては、兵庫県からも手厚い補助金が出るようですし、興味ある方はセカンドライフの有望な選択肢として含めてみてはいかがでしょうか。もちろん私自身も含めて。

終わりに。

今回、淡路島に来て思った事があります。それは、今や淡路島は行き来に不便な島ではない、という事です。帰路は一緒に同行して頂いたHさんに淡路サービスエリアまで送って頂き、そこから独り、バスでJR舞子まで出ました。片道運賃はわずかに410円。安価な出費で海峡バス渡りの贅沢が楽しめました。かつてのように西宮から甲子園フェリーに乗ったり、明石からたこフェリーに乗ったりといった船旅のイメージはもはや過去のもの。未だに淡路島を遠隔の地として見ているのであれば、その認識は改めなければなりません。少なくとも私はそう思いました。淡路島の魅力は、関西のみならず中京や首都圏の方々にこそ伝えられるべきです。それも単なるレクリエーションの場としてだけではなく、ビジネス創出の場として。

淡路島から、新たな日本の国産み神話が生まれる。そんな感想さえ抱いた今回の旅でした。最後になりましたが、今回の旅でお世話になった皆様、特にIさんTさんHさん、本当にありがとうございました!


生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよを観て


昨日、神奈川県立近代文学館で催されていた「生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよ -「遠野物語」から「海上の道」まで」を観に行きました。残念なことに朝から山手洋館めぐりをしていた関係で、ここでの観覧時間は1時間しか取れませんでした。そのため駆け足の観覧しかできなかったのが惜しいところです。

しかし、そんな中でも少しでも日本の民俗学の巨人の足跡を追い、その業績の一部に触れることができたのではないかと思っています。この展示会は柳田國男の学問的な業績を云々することよりも、生涯を概観することが主眼に置かれていたような印象を受けました。

なぜ柳田國男の生涯に主題を置いたのか。それは本展編集委員の山折哲雄氏の意図するところでもあったのでしょう。宗教学の泰斗として知られる山折氏の考えは分かりません。ただ、私が思うに、柳田國男の生涯がすなわち日本の近代化の過程に等しいからではないかと思います。近代化の過程で都心部と農村の生活の差が激しくなり、農村に残っていた民俗的なモノ、例えば風習や民話、妖怪のようなモノが失われつつ時代に柳田國男は生きました。そして近代化によって失われつつあるものの膨大なことを、誰よりも憂えたのが柳田國男だったと云えます。そしてそのことは、柳田國男が農商務省の官吏であったからこそ、大所高所で農村の現状を観ることができたからこそ気づき、民俗学の体系を築きあげることが出来たのではないかと思います。本展からは、山折氏の意図をそのように見て取ることができました。

実際のところ、柳田國男の民俗学研究には独断や恣意的な部分も少なくないと聞きます。なので、本展ではそれら妖怪研究の詳しいところまでは立ち行っていません。でも、それでよいと思うのです。今の民俗学研究は、柳田國男の研究成果から、独断や恣意部分を取り除けるレベルに到達しつつあるとの著述も別の書籍で読みました。ならば、現代の我々は柳田國男が膨大なフィールドワークで集めた素材を尊重し、そこから料理された成果については批判する必要はないと思うのです。なので、本展でそういった研究成果を云々しなかった編集委員の判断も支持したいと思います。

むしろ、情報が貧弱な柳田國男の時代に出来て、現代の我々に出来ないことは何かを考えた方が良いのではないでしょうか。現代の我々はインターネットで瞬時に世界中の情報を集められる時代に生きています。そのため、地方と都会の情報格差も取っ払われていると思います。が、一方では都心への一極集中は収まる兆しを見せません。地方が都会のコピーと化し、地方の文化はどんどん薄まり衰えつつあるのが現代と言えます。

私は地方が都会に同化されること自体はもう避けようがないと思っています。しかし、それによって地方に残された貴重な文化を軽視するような風潮は、柳田國男が存命であったとしたならば許さなかったと思うのです。先年起きた東日本大震災の津波で、遠く江戸時代初期の石碑が、津波の最大到達範囲を示していたことが明らかになりました。また、同じく先年起きた広島の山津波の被害では、地名がその土地の被害を今に伝えていたことが明らかとなりました。しかし、それら古人の知恵を、今の現代人が活かせなかったことはそれらの被害が如実に示しています。

文字や碑に残せない言葉や文化が地方から消えつつあることは避けえないとしても、文字で伝えられるものは現代の感覚で安易に変えることなかれ。柳田國男の民俗学が懐古趣味ではなく、実学として世の中に役立てられるとすれば、その教訓にあるのでは、と本展を観て感じました。

先日、縁を頂いて奈良県の某自治体の街おこしについて、知恵を貸してくれと頼まれました。なかなかに難しく、私の拙い知識には荷が重い課題です。古来、伝えられてきたその地の土着地名のかなりが○○ヶ丘といった現代的な地名に変えられ、景観すらも新興住宅地やショッピングセンターに姿を変えた今となっては、かなりの難題と言っても良いでしょう。しかし、その地にはまだ古代から連綿と伝えられてきた独特な祭りや古墳の数々が残っています。これらを活用し、本当の街おこしに繋がるヒントが、実は柳田國男が現代に残した業績から得られるのではないか、そう期待しています。

私も浅学ではありますが、柳田國男の本は今後も読み込み、街づくりの課題を与えられた際には役立てるようにしたいと思っています。街づくりだけではなく、日本人として得られる知見もまだまだ埋もれているはずです。それぐらい、偉大な知の巨人だったと思います。今回は素晴らしい展示会を見られたことに、同行の友人たちに感謝したいと思います。