あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/1/11にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

横浜ビジネスパークでの日々が始まる


私の記憶では、スカパーのカスタマーセンターに初めて出勤したのは1999年の5月連休明けからだったと思います。
当時、スカパーのカスタマーセンターは横浜の天王町にありました。横浜ビジネスパーク(YBP)という場所です。マリオ・ベリーニという建築家が手掛けたおしゃれで憩える池があり、よくプロモーションビデオにも登場しています。私も一度ロケの現場に遭遇したことがありますし、今思い出してもとても素晴らしい職場の環境だったと思います。

ところが私の記憶には、YBPの洗練された環境があまり焼き付いていません。
それは、仕事が激務だったからではありません。それよりも、東京に出て仕事をすることへの高揚感と緊張感に胸をふさがれていたからだと思っています。
当初は一人暮らしの気楽さと孤独を満喫していた私にも、いざ就職となるとやるべき雑務は重なっていきます。
さらに仕事上で覚えるべきことがあまりにも多かった。つまり余裕がなかったのです。

スカパーのカスタマーセンター。そこはスカパーの加入者様との窓口全般を行う場でした。
私が配属されたのは種々の申込書の新規登録を行う「登録チーム」でした。当時はまだ郵送経由による申込書がほとんどで、その申込書を何人ものオペレーターさんが一斉に端末に入力していました。
私はそのオペレーターさんを統括するスーパーバイザー(SV)として採用されたのです。SVという仕事が具体的に何をするかといえば、オペレーターさんが入力するにあたり、申込書に記載してある内容が不明瞭で判断に迷った場合に適切に指示することです。あと、作業の割り振りやペース配分、作業の指示なども臨機応変に行います。
カスタマーセンターにあるのは、登録チームだけではありません。
例えば届いた郵送物を仕分ける「受付チーム」もあれば、実際に申込書の内容が正しくない場合にお客様に不備として指摘する「不備チーム」もあります。他にも契約内容の変更を受け付ける「変更チーム」もありました。お客様の利用料金を管理する「料金チーム」も。それと実際の外部配送業者とやりとりする「物流チーム」も忘れてはいけません。そして、最後にそれらのチームをまとめる「運用サポートチーム」がありました。
スーパーバイザーの仕事には、そうしたチームとの連携も求められたのです。

もちろんカスタマーセンターの機能はそれだけではありません。
たとえば加入者様からの電話を受けつけるコールセンターの機能が要りますよね。他にも機器の設置に関するトラブルを管轄する部署や、電気屋さんなどスカパー契約を取り次いでくださる加盟店との連携を行う部署だって必要です。
要するにカスタマーセンターに求められるあらゆる機能が集まっていたのが私の職場でした。
あまりにも業務が多岐にわたるため、それを請け負う派遣会社も3,4社に分かれるほど。私が派遣登録したパソナソフトバンクという会社はその中の一社でした。
名前の通り、その会社は人材派遣大手のパソナと孫さんのソフトバンクが資本を大きく分け合っていました。
そして、パソナソフトバンクがスカパーのカスタマーセンターで請け負っていたのが「受付」「登録」「不備」「変更」「物流」「運用サポート」の各業務だったのです。

そんな大規模な現場で、SVとして覚えるべきことは多く、新たな環境をゆっくり楽しむ暇もありません。
そして、私がようやく仕事に慣れた頃にはYBPの景色自体を見飽きていました。そんな理由でせっかくの素晴らしい環境も、今に至るまで私の記憶に残っていません。今でも数年に一度はYBPの近くに行きますが、今度、近くを通った際はじっくりと訪れてみようとおもいます。

楽しかった日々


さて、事務仕事の要所を知り尽くしていた訳でもなければ、衛星放送の仕組みや業界も知らない私。当然ながら新規登録にあたっての入力ルールも現場に入ってから覚えていきました。だから、当初はとても危なっかしいSVだったことでしょう。入って2カ月は同僚の女性SVのSさんによく怒鳴られましたし。

その他にも、私が職場に溶け込むにあたっての苦労はいろいろとあったはず。それでも私はこの仕事をやめずに続けました。辞めるどころか、登録チームでの日々にはとても楽しかった思い出だけが残っているのです。

当時この文章を書いた私は既に四十を過ぎていました。今も四十台半ばを過ぎ、イタく絶賛老化中です。
なので、自分でこんな事を書くのは面映ゆいし、若い頃の武勇伝を語るイタいオヤジのようで避けたい。避けたいのですが書きます。なぜスーパーバイザーの仕事が楽しかったのかを。
それは、登録チームでの私はこれまでの生涯でもモテ期のピークだった、ということです。

登録チームのオペレーターさんはシフト制でした。毎日40人くらいのオペレーターさんが作業に従事していて、そのうち7割は女性だったように思います。オペレーターさんの中には主婦もいましたし、大学生や短大生の女の子もたくさん在籍していました。
見知らぬ土地に飛び込み、見知らぬ方ばかりの中で仕事をこなし、関西弁で指示を飛ばす。そんな私の姿は、オペレーターさんたちにも新鮮だったようです。
当時の私は25、6才の若手SV。しかも既に婚約していたため薬指には指輪をはめています。そのため、女性からも気軽に声を掛けやすかったのでしょう。
オペレーターさんとはよく飲みに行きました。ほとんどは男性オペレーターさんとばかりでしたが、中には女性オペレーターの飲み会に私だけ一人男、ということもありました。
でも、過ちは起こしませんでした。ここで調子に乗っていたら、今の私はないはずです。
私の人生は失敗の方が多いのですが、それらの失敗が人生を台無しにしなかったのは、この時のような肝心な時に分相応をわきまえてきたためだと思っています。
どれだけ羽目を外しても、期待を裏切っても、信頼を裏切らない時点で踏みとどまること。これはとても大切なことだと思います。
“起業”しても人は傷つけませんが、浮気は人を傷つけます

念のためにいうと、こんなことを書いている私は聖人君子からは程遠い人物です。
この頃の私は若さゆえ、しょっちゅう羽目を外していました。
たとえばオペレーターの皆さんとはよく横浜西口で飲んでましたが、その界隈では何度も人事不省に陥りました。
オペレーターさんたちの前でSVらしからぬ醜態をさらすことなどしょっちゅう。植え込みへとダイブしたり、あれやこれや。

なにせ失うものは何もない独り暮らし。しがらみもなければ体裁を取り繕う必要もない日々だったので。それもこれも含めて登録チームでの半年はとても幸せな日々でした。今も懐かしく思い出します。

Excelで名乗りを上げる


そんな登録チームでの日々の仕事で、私は技術者となるための最初の足がかりをつかみます。それは集計の作業がきっかけでした。
SVの仕事の一つにチームの状況を把握し報告する作業がありました。件数の集計は状況の把握に欠かせません。例えばその日登録された申込書は何枚あり、それがどの種類の申し込みかを数えて集計する作業です。
具体的には、各SVが手分けしてその日に作業した申込書の枚数を数え、それをエクセルのシートに入力する。そして入力した内容を印刷し、翌朝までに運用サポートチームの集計担当に提出する。
これらの作業は絶対に必要で、しかも面倒でした。

エクセルに誤った数字を入れては運用サポートチームの集計担当に怒られる。そんな事が続いたある日、私は登録チームのSVのミーティングの場か何かで提案しました。もしくは直接シニアSVのMさんに提案したか。
きっかけはどちらだったかは忘れましたが、私がした提案とはエクセルへの入力の仕組みを省力化してはどうかというものでした。その仕組みは私が作るから、と。

その仕組みとは、今から思うとたわいのないものでした。月の各日ごとに行が連なる横罫の表。例えば1月の集計表ならば、見だしに1行、各日ごとに31行、そして合計行に1行といった感じです。どこにでもある月単位の集計表です。
その表へ直接入力していた作業が間違いのもとだったので、私が施したのは表に直接入力するのではなく入力用のシートを別に作ることでした。
SVは業務後に入力シートにそれぞれごとの件数を入れ、ボタンを押します。そのボタンにはマクロを仕込まれていて、マクロが横罫の表に正確な値を放り込んでくれます。

この仕組みこそ、私が芦屋市役所の人事課で覚えたマクロを思い出しながら作ったものです。
芦屋市役所を1997年に離れてから約1年半以上。その間、私はマクロを全く触っていませんでした。以前にも書いた通り、その頃の私はプログラミングに全く興味がなかったからです。
ところがかつてSEの方から盗んだ技術を思い出しながら造った集計表が、登録チームの業後の作業時間と手間を短縮し、ミスも劇的に減ったのです。
そして、この実績が私に道を開きます。その道は統括部門である運用サポートチームに続いていました

次回は、運用サポートチームに行ってからの私と、結婚について少しだけ触れたいと思います。ゆるく永くお願いします。


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