Articles tagged with: 契約

アクアビット航海記 vol.39〜航海記 その24


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/3/29にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回も家の処分について語ってみます。この経験を通して私をとても強くしてくれた家のことを。

家の防犯に取り掛かる


家の処分に着手した私。まず取り掛かったのは、家の防犯でした

当時、私たち夫婦と幼い長女が住んでいたのは、鉄筋三階建ての家屋でした。
その裏には木造二階建ての家が建っていました。本連載の第十九回にも書きましたが、私が初めて妻と出会った旅で泊めてもらった家です。

この家は空き家だったので、種々のリスクの温床となっていました。
たとえば、本連載の三十四回で登場した泥棒を稼業とする方にとって、裏の家は格好の獲物でした。
さらに本連載の第三十八回に書いたとおり、道路拡張を邪魔していると誤認した誰かの嫌がらせの標的になる恐れがありました。
裏の家が空き家で有り続ける限り、わが家は必ずならず者のターゲットになったことでしょう

もう一つの理由として、裏の家を片付ける必要を感じていました。いずれ訪れるはずの引っ越しの際、四代にわたって二軒の家にためこまれたモノの処分に難儀することは確実。今のうちに取り掛かっておかなければ。

初めて自分で契約書を作成する


私の手元に、弁護士のIさん向けに家の流れを説明した年表があります。弁護士のIさんは後の連載に登場していただきます。
その中の2002/12/29の出来事としてこう書かれています。
「友人「山下さん」に現住所木造2階建て家屋を貸す」
これは文字通り、私たち夫婦が住んでいた二軒のうちの木造2階建て(つまり裏の家)を山下さんに貸したことを示しています。

山下さんは私の大学の先輩にあたります。私が山下さんと知り合ったのは大学時代ではなく、私が東京に住んでからでした。
それ以来20年ほどは親しくさせてもらっています。私たち夫婦の結婚式では二次会の受付も引き受けていただきました。
当時、山下さんが住んでいたのは、私たち夫婦の家から車で20分ほど離れた賃貸マンションに住んでおられました。近くだったこともあって山下さんに裏の家に住んでもらえないか、と頼んでみたのです。

空き家であるから問題が生じる。それならば、人に住んでもらえばよい。人の気配がすればその家には活気が生じます。そして悪い輩を引き寄せなくなります。その結果、家の敷地全体が私たち家族にとって安全な場所になる。
さらに、山下さんに住んでもらっている間に荷物の片付けを少しずつ進められれば一石二鳥です。
もちろん山下さんのお手間を考慮し、家賃は破格の値段に設定しました。月二万円で町田の駅近一軒家なら、山下さんにとっても悪くない話のはず。つまりこの賃貸契約はどちらにもメリットのあるWin-Winになるに違いない。そう考えて山下さんに話を持っていきました。

この契約は不動産業者を介さずに締結しました。それどころか、契約内容の文言も一から私が練り上げました。おそらくその条文は法的には穴だらけだったはず。そりゃそうです。私は法律の専門家じゃありませんから。
この契約は、契約書の体裁はとったとはいえ、友人の間で交わされる信義に基づいた紳士協定に近かったかもしれません。破ろうと思えば、ほごにさえできたはず。それにもかかわらず最後まで契約に従ってくださった山下さんには感謝です。おかげで泥棒に襲われたのは本連載の三十四回に書いた時の一度だけで済みました。また、引っ越しまでの間に致命的な嫌がらせを受けることもありませんでした。

この時、契約の文章を自分で作ったことは後々の財産になりました。なぜなら、いずれ来る地主との交渉で、契約をめぐって一悶着が起こることは確実だったからです。
そればかりか、“起業”してからもこの時の経験は糧になりました
弊社では基本契約や機密保持契約をひと月に一度は交わしています。その際、契約内容は必ず熟読します。法的文書を読むセンスは、自分で契約書を一から作ったことによって身に付きました

プロの師匠にご助言をいただけた幸運


同じころ、私はもう一人の方とコンタクトを取り始めました。その方の名はHさんといいます。
本連載の第十九回で社会と接点を持とうとした私がいくつかのオフライン会に出ていたことは書きました。Hさんとはその中で知り合いました。
Hさんは私の結婚式の二次会にも来てくださり、乾杯の発声も引き受けてくださいました。
私が勝手にわが酒飲みの、そして人生の師匠としているHさんは、補償コンサルタントとして早いうちから独立しておられました。補償コンサルタントとはHさん曰く「国が定めた基準に基づいて、建物などの立ち退きに必要な移転の費用を算定する仕事」です。
つまり、わが家のような土地の一部が都市計画の一部に引っかかるようなケースの専門家です。もちろん、わが家のような借地権が絡んだケースも豊富に手がけていらっしゃったことでしょう。これぞまさにご縁のありがたみです

私はこのHさんからたくさんの貴重なご助言をいただきました。
私が関西の実家に帰った折、うちの母を連れてHさんの構える大阪市内の事務所にお邪魔したこともあります。Hさんは私が住んでいた町田の家にまでわざわざ足を運び、家の状況を確認することまでしてくださいました。

前回の連載で私が採るべき七つの案について列挙しました。私は、地主との交渉にあたって、それらの案の中から徐々に方向性を定めていきました。その際にHさんからいただいたご助言がどれだけ役に立ったか。
なお、Hさんは私たち夫婦と町田市や地主との契約には絡んでいません。そもそも大阪にお住まいですし。
その立場でありながら、いろいろとご尽力くださったことに感謝の念は尽きません
人生や酒の師匠であり、私が苦しめられていた家の処分にあたっての恩人だと今も今後も思っています。
Hさんは私が関西に帰省する度、時間を見つけてお会いする方の一人です。コロナがまん延し始めてからはお会いできていませんが、また関西に返ったらお会いしたいと思っています。

私はこうした行動をおそらく2002年の夏過ぎに始めていた記憶があります。2002年の夏。その時、わが国ではとあるイベントが開かれていました。日本のみならず世界を沸かせたイベント。
なんだかわかりますか? そう、日韓共催サッカーワールドカップです。
当時、私はスカパーのカスタマーセンターに勤めていました。そしてスカパーのカスタマセンターはワールドカップ景気に沸いていました。全試合をスカパー加入者であれば無料放映したためです。加入申し込みの殺到で猛烈に忙しい状態が続いたのを覚えています。
そのワールドカップが終わり、一息つけたことでようやく家の処分に着手できたのでしょう。

スカパーカスタマーセンターの仕事に一つの区切りがつき、ようやく家の処分に向けて本腰を入れ始める。それは私にとって一つの転換点でした。
その話はまた次回で。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.38〜航海記 その23


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/3/22にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回から、家の処分について語ってみます。この経験を通して私をとても強くしてくれた家のことを。作:長井、監修:妻でお送りします。

高額な地代以外にも問題が


家をどうするのか。それが私と妻に突き付けられた現実でした。
その現実は、他人に肩代わりしてもらうものでもなければ、晴れ間を待ってしのぐものでもありません。それなのに、私も妻も何をどう進めればよいのかわかっていませんでした。

前回の連載でこのように書きました。「家を処分した大きな理由は、四年後に地代が支払えなくなるため」と。ところが、私たちが家を処分した理由は地代だけではありませんでした。
地代さえ支払っていれば、家に住み続けられるかもしれない。そんな甘い期待を打ち砕くには、私たち夫婦に突き付けられた現実はあまりにも苦しかった

前回の連載で、私たちが住んでいた家の問題点を列挙しました。しかし、その中で書かなかったことはまだあります。
一つは、わが家に対する風当たりの強さです。
わが家の敷地が市の都市計画で拡張される道路予定地に含まれていたことは書きました。その道路の沿道には拡張予定であることを示すための柵がずらりと並んでいました。そしてその柵は、わが家の庭の手前で止まっていました。
つまり、何も知らない人が見ると、まるでわが家が道路拡張を邪魔する元凶に見えるのです。そのためわが家は、世間からの風当たりに耐えねばなりませんでした。庭に嫌がらせのゴミを放り込まれ、罵声を浴びることさえありました。

もう一つは、平成七年に妻の祖父母が亡くなった後、妻の母が診療室部分を改築しようとしたことです。
診療室を一新するにあたり、妻の母は業者に依頼して既存の診療室の内装をいったん取り払ってもらっていました。ところが、妻の母は内装を取り払ってもらった時点で病に倒れ、そのまま亡くなってしまいました。そのため、診療室は見るも無残な状態で遺されたのです。打ちっぱなしのコンクリート、地がむき出しになった床。ほこりっぽい室内には、歯科器具が乱雑に置かれ、数台の歯科ユニットが無言でたたずんでいました。私が初めてこの家の中に入った時、かつて米田歯科として栄えていた診療室はただの廃虚になっていました。
本来ならば、妻の母がこの部屋を一新し、診療室として新たな命を与えるはずだったのです。ところが、妻の母が平成九年に亡くなったことで、この場所がかつての栄華を取り戻す可能性は断たれました。よどんでほこりが積もったこの場所は、かつての栄華を知らない私にとって死んだも同然でした。
二度と生き返ることのない部屋。その部屋を生き返らせることができるのは、かつての生き生きとした姿を知っている妻や妻の父でした。が、妻の父が徒歩数分の場所で歯科診療室を開き、そこで妻と妻の父が診療を行っている以上、死んだ診療室を新たに生まれ変わらせる理由はありません。

地代を払う、払わないを議論する以前に、この家はすでに息の根を止められていたのです。
そして、たとえ地代を払い続けたとしても、家が拡張予定の道路の一部である事実は動きません。

対応案を基に弁護士の先生に相談


その現実が変わらない以上、私と妻はそれを踏まえた対応を考えなければなりませんでした。
この時、私と妻が取りうる選択肢は何だったのでしょう。今の私の立場から挙げてみました。

1案:毎年275万の地代を妻に遺された遺産から四年間地主に払い続け、尽きたらその時に考える。
2案:毎年275万の地代を賄えるだけの額を稼ぎ続け、ずっと地主に払い続ける。
3案:地代契約を見直すための交渉に持ち込み、現実的な地代に変えてもらった上で地代を支払い続ける。
4案:土地を地主から買い取り、土地も含めて所有する。その後で町田市との交渉に入る。
5案:地主と協力して町田市との交渉に臨み、先に拡張道路分を町田市に売却する。残りの140坪はそこから地主との再交渉に臨む。
6案:道路拡張分の売却と同時に、140坪分の借地権を地主に売却する。
7案:借地権を第三者に売却し、その売却益で新たに家を得る。

私がまずやろうとしたこと。それは、弁護士の先生に相談することでした。
妻と一緒に麹町に行き、弁護士の先生に相談しました。その先生を紹介してくださったのが誰だったのか、どういうつてだったのか、今となっては先生のお名前も含めて全く覚えていません。ですが、家を処分して十年ほど経過した後、私が常駐した現場のすぐ近くの景色と、このとき先生の事務所の光景がフラッシュバックしたことは覚えています。
その時に相談したのは、今の地主との借地権契約は法的に有効なのか、そして有効だとすればこの借地権契約を元にどう話を進ればよいか、だったと思います。
ところが、先生に相談したところで、私と妻の目論見通りに行くはずはありません。
借地権契約は毎年の支払い実績がある以上は有効。そして借地権契約の原本がなく、現状の契約に至ったいきさつが分からない。そうである以上、弁護士としても再交渉の手がかりをつかむのは難しいという回答でした。

この先生さんにお会いしたのは、結婚して一、二年目の頃だったように思います。
私たち夫婦はこの後も数年にわたり、多くの士業の方にお会いしました。ところが、その皆さんの見解は一様に同じでした。

私も妻も、それまでの人生で士業の方とのご縁はなく過ごしてきました。そのため、私も妻も士業の先生とどう付き合えばよいかについての知識がありません。どの弁護士に相談すればよいのかも分からない。上に挙げた七つの案が正しいのかも分からない。そもそも、上に挙げた七つの案を相談する先として弁護士がふさわしいのかすらも分かりません。まさに五里霧中。

“起業”した今はこう言えます。やるべき作業、向かうべきゴールが見えている作業はまだ楽だと。
何を行えばよいか、どこに進めばよいかが分からない仕事ほど苦しいものはないと。

対応案のどれもが暗雲含み


ここで上に挙げた七つの案について、今の私からツッコミを入れてみましょう。
1案:毎年275万の地代を妻に遺された遺産から四年間地主に払い続け、尽きたらその時に考える。
↑ありえない。と、切り捨てたいところです。が、私と結婚した時点で妻と妻の父はずるずるとなし崩しで地代を払っていました。
2案:毎年275万の地代を賄えるだけの額を稼ぎ続け、ずっと地主に払い続ける。
↑結婚当初の思惑どおり夫婦で働けていたらあるいは可能だったかもしれない案。でも妻が子育てに入ってしまい、当時の私にはそれだけの実力がありませんでした。
3案:地代契約を見直すための交渉に持ち込み、現実的な地代に変えてもらった上で地代を支払い続ける。
↑契約の根拠が見当たらず、それでいて支払い実績がある以上、難しいという弁護士の先生の見解からもムリ目な案です。
4案:土地を地主から買い取り、土地も含めて所有する。その後で町田市との交渉に入る。
↑180坪の土地代を支払うだけの資金がない以上、当時は机上の空論でした。ですが本来は一番理想の案でしょう。なお、今の私の目標は、この案を実現させることにあります。この土地を買い戻せるだけの資力を得ること
5案:地主と協力して町田市との交渉に臨み、先に拡張道路分を町田市に売却する。残りの140坪はそこから地主との再交渉に臨む。
↑一番堅実に見えますが、その分、難儀な案です。こちらに一切の思惑を読ませまいとする地主と私の間には、毎回の交渉の度に無言の火花が散っていました。
6案:道路拡張分の売却と同時に、140坪分の借地権を地主に売却する。
↑表面だけをいえば、最終的にこの案に落ち着きました。ですが、当時はこの案が一番難儀に思えました。この案で落とし込むのは難しいだろうというのが、当時の私の肚づもりだったように記憶しています。
7案:借地権を第三者に売却し、その売却益で新たに家を得る。
↑この案は魅力的でした。実際、私たち夫婦には第三者の心当たりがありました。ところが、この案はこの後の連載で書きますが、頓挫しました。

ここ数回の連載で書いた通り、私と妻の結婚生活には最初からさまざまなトラブルがついて回りました。
妻が子を産めないかもと告げられ、妊娠してからも強盗に襲われて切迫流産の危機に見舞われました。妻は大学病院を静養のため休み、私は正社員に登用されました。そして、長女が生まれてからは子育てに忙しい日々が始まりました。
結局、娘が生まれてから二年ほどは、家の現状を把握することで精一杯でした。
私は毎年末に地主のところに訪れて、地代を手渡し、領収書を受け取り、雑談に過ごしていました。決して内心の苦境を表さず、ポーカーフェースを保ちながら。

ところが、私もただ無策で過ごしていたのではありません。
この頃から次の一手を探り始めます。この時、うちら夫婦を助けてくれたお二人の方がいます。
次回の連載でご紹介したいと思います。ゆるく永くお願いします。


図解明解 廃棄物処理の正しいルールと実務がわかる本


本書を購入した理由は、仕事で必要となったからだ。
廃棄物処理の一連の手続きをクラウド・システムで作る仕事で必要となった。

廃棄物処理は、扱う対象が破壊され、解体されている。また、複数の種類の廃棄物が混在していることもある。つまり、デジタルとはそぐわない性質を持っている。だから、業界全体でIT化がなかなか進んでいない。
逆に言うとこれからIT化が求められる業界でもある。

世の中のほとんどの商売は、サービスの提供元が顧客に商品を提供し、その対価として金銭をもらう。ところが廃棄物処理業に関してはそれとは逆に動く。
処分すべき品を顧客から受け取り、その処分料金を顧客から受け取る。つまり、通常の商いの場合であれば、サービスと金銭が逆の向きに動くのに対し、廃棄物処理の場合はサービスと金銭が同じ向きに動く。とても特殊だ。静脈物流と言う言い方もするようだ。
そのため、通常の商慣習に慣れた頭で考えると勝手が違うことが多い。

もう一つ、気を付けておくべきことがある。それは、提供されたサービスの行方が顧客には分からないことだ。
通常のサービスであれば顧客の手元にサービスの結果が残る。食品、飲食、モノ、ソフトウエアなど。だから、何かあれば顧客はサービスの提供元に文句が言える。提供されたサービスが気にいらなければ、今後は利用しないとの選択も取れる。
だが廃棄物処理は、サービスの動きが通常の商売とは逆だ。そのため、顧客は提供されたサービスの結果を確認することが難しい。
例えばだが、顧客に黙って処分すべき義務を負った業者が適切ではない処分をすることも可能だ。例えば不法投棄のように。実際にそう言う事例が頻発したためだろう、業界としてそのような事態を防ぐ仕組みが運用されている。

また、業者間で適切な処理がなされたかを確認するためのマニフェスト伝票がある。それは、対象の廃棄物がどのように次の処理工程に進んだかを報告するためのものだ。この結果をもとに自治体に対してもきちんと処分したという結果を報告する義務がある。
通常の商いであれば、受注伝票、売上伝票、仕入伝票、発注伝票を用いて日常の取引が遂行される。また、納品書や領収書、請求書といった商流書類が取り交わされる。ただし、それらは常に一対一の関係だ。帳票を出す側と受け取る側の。
廃棄物処理においては、モノを運ぶ運搬業者、中間貯蔵業者、中間処理業者、最終処分業者にもマニフェストの記載義務がある。つまり、一対一の関係ではない。
これによって、廃棄物がきちんと適切な方法で処分されたかを業者間で確認し合うのだ。
これらの業者はそれぞれの自治体からどのような廃棄物処理が可能かを許可されている。だから、許可されていない廃棄物は扱えないし、許可されていない方法で処分することも許されない。

もう一つ、大切なことがある。それは、廃棄物を出した当事者である排出事業者は、その廃棄物が最終的にどう処理されたのを適切に管理しなければならないことだ。
処理業者や運搬業者に渡したらそれで終わりではない。これはとても重要なことだから覚えておく必要がある。排出事業者は最終的に廃棄物がどう処理されたかをきちんと把握し、管理しておく必要がある。そのためにも排出事業者は定期的に処理業者の事業所に視察・検査に赴き、正しく適切に廃棄物が処分されているかを自分の目で確認・監督しなければならない。
だからこそマニフェスト伝票の仕組みは不可欠なのだ。
マニフェスト伝票はその結果をきちんと残すためにも作成が義務付けられている。マニフェスト伝票には紙の形式以外にも電子マニフェストも可能だ。どちらの場合もシステムを構築する際は適切に出力することは当たり前だ。

廃棄物処理に当たっては、対象となる廃棄物の種類とその処理方法を知っておかねばならない。また、適切な方法で処分することを認められた業者に対し、適切な内容の契約を締結する必要がある。ここまで準備してようやく、日常のマニフェスト伝票を取り交わしての処理業務を行うことができる。
もちろん、先に挙げたような通常の商流とは違う動きをすることと、社会的な責任が課せられる業界であるということを強く覚えておかなければならない。

その上で物理的な塊である廃棄物をデジタルの世界で管理する必要がある。それには、システム構築の知識以外にも独自のノウハウが必要となる。
上にも書いた通り、普通の商慣習の知識だけではとてもシステム構築はおぼつかない。
お客様よりkintoneを用いて産業廃棄物業界に向け、協力してソリューションを作り上げたいというご依頼を受けた。弊社では現在、いくつかの案件を並行で行っている。
そのための知識が必要だと思い、本書を購入した。

本書の著者は二人の行政書士の手による。二人とも行政書士なのは、それだけ廃棄物処理における報告や管理のウェイトの重さを表している。
本書には廃棄物の処理方法の実態についての化学知識はほとんど登場しない。
廃棄物の処理に関する化学知識よりも、実務上では契約や報告の仕事のほうが求められるということだろう。

本書は、まず行政処分を受けた業者の事例を挙げている。廃棄物処理を適切な方法で処分しないと自治体からの認可が取り消される。すると、該当する仕事が受けられなくなる。これは会社にとっては由々しき事態だ。死活にも関わってくる。

まず、法律遵守とコンプライアンスの意識を本書は徹底的に伝える。その上で、先に書いたように廃棄物の種類と処分方法について解説する。その中で運搬業者や処分業者、中間処分業者、最終処分業者の違いが説明される。最後はマニフェストなどの事務的な手続きに触れていく。

個人的には、廃棄物の処理が実際のどういうプロセスで進むのかに興味がある。なぜなら、私たちは自らが出したゴミがどのような形に変わっていくのか皆目見当がつかないからだ。残念ながら、本書ではその辺には詳しく触れない。
例えば、生ごみであれば焼却処理を行うのは分かる。だが、瓦礫などのコンクリートはどのように処分されるのか。強酸・強アルカリはどのように無害にされるのか。それらはどのような経路をたどって処理されるのか。

ただ、本書を読んでいると、化学処理のプロセスよりも報告のプロセスのほうが複雑だ。その複雑さに武者震いを覚えた。もちろん、それはチャンスでもある。
本書を読んでから、実際にシステム構築の作業に本腰を入れた。おかげさまで一社のお客様ではめどがついた。もう一社も順調に構築が進んでいる。
構築の中では、私の知識が不足していたため、手間取ったこともあった。だが、本書を読んでいなければもっとピントはずれの構築を行っていただろう。そもそもうまくいかなかったことは間違いない。
おそらく今後も廃棄物業界のクラウド・システムには携わっていくはずだと思っている。

廃棄物処理業界のシステム構築の可能性は広い。それと同時に、本書のような入門書の役割をより強く感じる。
本書は、廃棄物処理業界に携わる人にとっては必読のはずだ。

‘2020/06/04-2020/06/07


アメリカの高校生が学んでいるお金の教科書


経済学の本をもう一度読み直さなければ、と集中的に読んだ何冊かの本。本書はそのうちの一冊だ。
新刊本でまとめて購入した。

前から書いている通り、私には経済的なセンスがあまりない。これは経営者としてかなりハンディキャップになっている。

私だけでなく妻も同じ。お金持ちになるチャンスは何度もあったが、そのために浪費に走ってしまった。だからこそ長年私も常駐作業から抜け出せなかった。その影響は今もなお尾を引いている。

私は若い考えのまま、お金に使われない人生を目指そうとした。金儲けに走ることを罪悪のようにも考えていた時期もある。
二十代前半は、金儲けに走ることを罪悪のように考えていた。

妻は妻で、生まれが裕福だった。そのために、浪費の癖が抜けるのに時間がかかった。
幸いなことに夫婦ともまとまったお金を稼ぐだけの能力があった。そのため、家計は破綻せずに済んだ。だが、実際に破綻しかけた危機を何度も経験した。

私たち夫婦のようなケースはあまりないだろう。だが、私たちに限らず、わが国の終身雇用を前提とした働き方は、お金について考える必要を人々に与えなかった。
一つの企業で新卒から定年まで勤めあげるキャリアの中で、組織が求める仕事をこなしていけばよかった。お金や老後のことも含めた金の知識は蓄える必要がなかった。それらは企業や国が年金や保険といった社会保障で用意していたからだ。

私もその社会の中で育ってきた。そのため、金についての教育は受けてこなかった。風潮の申し子だったといってもよい。
だが、私はそうした生き方から脱落し、自分なりの生き方を追求することにした。ところが、お金の知識もなしに独立したツケが回り、会社を立ち上げ法人化した後に苦労している。もっと早く本書のような知識に触れておけば。

世間はようやく終身雇用の限界を知り、それに紐付いた考えも少しずつ改まりつつある。
私も自分の経験を子どもやメンバーに教えてやらねばならない。また、そうした年齢に達している。

本書は、アメリカの高校生が学ぶお金についての本だ。
アメリカは今もまだ世界でトップクラスの裕福な国だ。経済観念も発達している。貧富の差が激しいとはいえ、トップクラスのビジネスマンともなると、わが国とは比べ物にならないほどの金を稼ぐことが可能だ。

それには、社会の仕組みを知り尽くすことだ。金が社会を巡り、人々の生活を成り立たせる。
人が日々の糧を得て、衣服に身を包み、家に住まう。結婚して子を育て、老後に安閑とした日々を送る。
そのために人類は貨幣を介して価値を交換させる体系を育ててきた。会社や税金を発明し、労働と経済を生活の豊かさに転換させる制度を育ててきた。
金の動きを理解すること。どのようなルートで金が流れるのか。どのような法則で流れの速度が変わり、どの部分に滞るのか。それを理解すれば、自らを金の動きの流れに沿って動かさせる。そして、自らの財布や口座に金を集めることができる。

その制度は人が作ったものだ。人智を超えた仕組みではない。根本の原理を理解することは難しい。だが、人間が作った仕組みの概要は理解できるはずだ。
本書で学べることとはそれだ。

第1章 お金の計画の基本
第2章 お金とキャリア設計の基本
第3章 就職、転職、起業の基本
第4章 貯金と銀行の基本
第5章 予算と支出の基本
第6章 信用と借金の基本
第7章 破産の基本
第8章 投資の基本
第9章 金融詐欺の基本
第10章 保険の基本
第11章 税金の基本
第12章 社会福祉の基本
第13章 法律と契約の基本
第14章 老後資産の基本

各章はラインマーカーで重要な点が強調されている。
それらを読み込んでいくだけでも理解できる。さらに、末尾には付録として絶対に覚えておきたいお金のヒントと、人生における三つのイベント(最初の仕事、大学生活、新社会人)にあたって把握すべきヒントが載っている。
それらを読むだけでも本書は読んだ甲斐がある。私も若い時期に本書を読んでおけばよかったと思う。

376-378ページに載っている「絶対に覚えておきたいお金のヒント10」だけは全文を載せておく。

絶対に覚えておきたいお金のヒント10
この本ではお金についていろいろなことを学んだが、いちばん大切なのは次の10項目だ。

1、シンプルに
お金の管理はシンプルがいちばんだ。複雑にすると管理するのが面倒になり、自分でも理解できなくなってしまう。

2、質素に暮らす
お金は無限にあるわけではなく、そして将来何が起こるかは誰にもわからない。つねに倹約を心がけていれば、いざというときもあわてることはない。

3、借金をしない
個人にとっても家計にとっても、代表的なお金の問題は借金だ。借金は大きな心の負担になり、人生が破壊されてしまうこともある。ときには借金で助かることもあるが、必要最小限に抑えること。

4、ひたすら貯金
いくら稼いでいるかに関係なく、稼いだ額よりも少なく使うのが鉄則だ。早いうちから貯金を始めれば、後になって複利効果の恩恵を存分に受けることができる。

5、うまい話は疑う
儲け話を持ちかけられたけれど、中身がよく理解できない場合は、その場で断って絶対にふり返らない。うまい話には必ず裏がある。

6、投資の多様化
多様な資産に分散投資をしていれば、何かで損失が出ても他のもので埋め合わせができる。これがローリスクで確実なリターンが期待できる投資法だ。

7、すべてのものには税金がかかる
お金が入ってくるときも税金がかかり、お金を使うときも税金がかかる。商売や投資の儲けを計算するときは、税金を引いた額で考えること。

8、長期で考える
今の若い人たちは、おそらくかなり長生きすることになるだろう。人生100年時代に備え、長い目で見たお金の計画を立てなければならない。

9、自分を知る
お金との付き合い方には、個人の性格や生き方が表れる。将来の夢や、自分のリスク許容度を知り、それに合わせてお金の計画を立てよう。万人に適した方法は存在しない。

10、お金のことを真剣に考える
お金は大切だ。お金の基本をきちんと学び、大きなお金の決断をするときは入念に下調べをすること。お金に詳しい人から話を聞くことも役に立つ。

‘2020/05/01-2020/05/11


アクアビット航海記 vol.37〜航海記 その22


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/3/15にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回から、家の処分について語ってみます。この経験を通して私をとても強くしてくれた家のことを。作:長井、監修:妻でお送りします。

巨大な家の重み


本連載の中で何度か、思わせぶりに触れてきた家のこと。ようやく家のことを語り始めたいと思います。

この家については連載第27回でも触れました。
町田の中心部に位置する180坪の敷地と、そこに建つ二棟の家屋です。結婚前、私がこの家に住むことをとても嫌がったことは書いた通りです。
新婚生活を送るにあたり、二人でまっさらな状態から生活を築きたいと願った私の思いをくじいた家。結果、そこで私と妻は新婚生活をはじめました。妻の妊娠が発覚したばかりのころ、強盗に襲われたのもこの家です。

この家は今、影も形もありません。本稿を書いている今、180坪の土地はコンビニエンスストアと公道の一部に姿を変えています。

なぜ住み続けられなかったのか。
180坪の土地ゆえ、固定資産税がかかりすぎた?いえいえ。
相続税が払えなかった?いえいえ。
家が老朽化して住めなくなった?いえいえ。

答えは地代。地代が払えなかったのです。つまりこの家は借地でした。
妻の曽祖父母から祖父母、両親に至るまで四代が住み、歯医者を営んでいた家。それなのに所有していたのはウワモノだけ。家屋は所有していたものの、土地は地主のもの。そして毎年、地主に地代を払っていました。
その額、年額で275万円。普通のサラリーマンの給料では到底払えない額です。

契約を見直すことはできなかったのか?
その地代の根拠はどこにあるのか?
私が住むまで誰も何も手を打たなかったのか?
本稿を読まれた方の脳裏に疑問が湧く様子が思い浮かびます。

危機的な家の状況


まず、契約。
借地権契約は昭和42年に締結されたわら半紙にガリ版刷りの条文のみ。私の手元に今もありますが、信じられないことに他の文書は何も残されていませんでした。
その契約書とすら呼ぶのも躊躇われる文書には、「土地賃貸借基本取極め事項」とタイトルが記されているのみ。覚え書きにすらなりません。なぜならそこには印鑑すらも押されていないのですから。
書面の冒頭にはその場にいた当事者の名前は書かれています。ですが、契約の当事者としてはどこにも定義がありません。たとえば甲乙のような。そのため、法的な書類としてはあまりにも不備が多く、この文書を基に権利を主張するのが相当に困難であることは、法律に疎い私でも分かりました。
登記を調べたところ、昭和23年に借地権が登記された旨は記されていました。ですが、その時に取り交わされたはずの借地権契約の書類はどこにも残っていません。

次に、275万の納付。これは銀行振込ではなく、手で持参する決まりでした。しかも、その場で切られる領収書の額面は250万。残りの25万はどこに消えたのでしょう。わざわざ銀行振込ではなく現金をじかに持参させる意図はどこにあるのでしょう。
不審に思った私が過去の情報を追うと、昭和50年の時点で支払っていた地代は年額28万。28万がいつの間にか275万に変わっており、そしてその根拠は妻も妻の親も誰も知らない。

そんな契約をまかり通させている地主のI氏。これがまた、手ごわい。
後年、家探しの途中でたくさんの不動産業者の方とお会いました。彼らは皆、I氏のことを知っていました。やり手の手ごわい地主として。町田だけでなく、横浜方面にもその名は鳴り響いていたようです。この方を知らない町田近辺の不動産屋はもぐり、とすらいわれたことがあります。

連載第27回で義父がこの180坪の家から歩いて数分の場所に家と歯科診療所を建てたと書きました。なぜ同居せず、わざわざ徒歩数分のところに家を建てたのか。それは明らかに家の処分から逃れるためだったはずです。
ここで義父を非難するつもりは毛頭ありません。むしろ私はこの問題では義父に同情すらしていました。
妻から聞いたところでは、義父もこの家と土地の不透明すぎる契約を何とか見直そうと義父母に働きかけていたのだとか。ところが結局、ムコにしか過ぎない義父にはどうしようもなく、ついにはサジを投げたのでしょう。そしてその近くに家を建て、診療所も設けた。こういうことだったのだと思います。
そもそも私の義父、つまり妻の父からして、この土地の契約にはあまり携わっていなかったようです。

ここで少しだけ、この家の歴史をお話しします。
まず、妻の曽祖父母のY夫妻が借地権をI氏と結びます(昭和23年。借地権契約書は行方不明)。
その娘、つまり妻の祖母はひとり娘。そこに婿養子に入った妻の祖父との間に生まれたのが妻の母。
妻の曽祖父母のY夫妻と、妻の祖父母のY夫妻。妻の母と義父S氏が結婚するにあたっては、婿養子に入ってY夫妻にはなりませんでした。ですが義父は目白の実家を出て、町田に来ました。ということは、ほとんど入り婿に近い状態でしょう。
名字は義父のS氏を名乗っていたのですが、そうするとY家が絶えてしまいます。そのため、子供の一人を養子に出し、Y家を継がせる約束があったようです。その子供こそが私の妻。
実際、妻は昭和62年に養子縁組でSからYへと改姓しました。

この家はそのような複雑な歴史を抱えていました。
あるいは、私と妻がもっと以前に出会っていれば、私も長井を名のることは許されなかったかもしれません。そしてYの名字を名乗っていたかもしれません。入り婿として妻の名を名乗る。つまりマス夫さんのようなものです(苗字はフグ田なので違うのですが)。

しかし、私と妻が知り合う数年前に、妻の祖父母(平成7年)と母(平成9年)が相次いで世を去りました。
そして慌ただしい日々の中で、家と土地の契約のいきさつも伝承されずにどこかに消えたのでしょう。そして義父も、誰もいない空き家となった二軒の家の処分どころではなくなったと思われます。
誰も住んでいないのに、年間275万も払い続けなければならない家。妻の家にとっては巨大な債務でしかない180坪の土地と家。その地代は義父が支払っていたのではなく、私の妻に祖母が残してくれた遺産を取り崩して支払っていました。
私が妻と結婚した時点で、妻が祖母から受け継いでいた遺産は一千万円超が残っていました。その残額から逆算して、地代を支払えるのは残り四年。わりと危うい状態。
そんなところに、妻の結婚相手として名乗りを挙げたのが何も知らない私でした。
ものすごく意地悪に考えれば、私は家の処分担当として見込まれたわけです。私が結婚を許されたのも、家の処分をコミとしてだったのかもしれません。
義父がサジを投げ、どうしようもなくなった二軒の家と土地をなんとかしてくれるムコとして。良い方に考えれば、義父の目には私が家の処分を成し遂げられる男と映ったのかもしれませんが

実際、その後の3年半、家を売却して立ち退くまでの一連の交渉にあたっては、私がほぼ一人で担当しました。義父からも義弟からも何の助けも得られませんでした。
妻も、私が初めて訪れた地代の納付の時だけ、私を紹介するために同行してくれました。ですが、妻は最後の契約締結の場に同席してくれた以外は、地主I氏との交渉は私に任せきりでした。
毎年、私が地代を納付し、交渉にも携わっていました。借地権にも所有権にも私の名は登記されておらず、契約の当事者でもないのに。
その交渉の席では、さまざまなことがありました。そのいきさつはこの後の連載でおいおい触れていこうと思います。

交渉に乗り出す私


私が相手にしなければならなかったのは、地主だけではありません。町田市当局との交渉も必要でした。
先に、180坪の土地は今、公道の一部になっていると書きました。どういうことかというと、土地の一部が町田市の都市計画に組み込まれ、拡張される道路の一部に引っかかっていたのです。
そして、その都市計画は、戦後からかれこれ、数十年にわたって施行されずに滞っていました。
町田市役所の立場からは、何十年も進まない都市計画は怠慢でしかありません。速やかに執行せねば、税金泥棒と市民から非難を受けます。だから担当者も必死です。

私たち夫婦にとっては、都市計画の実施にあたっては公道に土地を供出するわけです。だから、市の公金から補償額が支出されます。つまり市からお金をもらえるのです。
公道として供出する土地の広さは40坪。地価評価額にして約四千万円。その四千万円は土地の所有権者と借地権者で任意の割合で案分します。この任意の割合とは、市が定めるのではなく借地権者と所有権者の話し合いによって決まります。
つまり、私たち夫婦と地主I氏の間で、四千万円の金を巡って駆け引きが発生するのです。
さらにその上に、契約の状態があいまいな残り140坪の土地の借地権とウワモノの家屋所有権がからむからややこしい。
市役所も必死です。そして、地主I氏も必死です。それ以上に何も知らないのに巻き込まれた私は無我夢中です。

私は当事者でもなければ、契約の上でなんの義務もありません。にもかかわらず、妻と結婚してその家に住んだがために、その駆け引きの中心に巻き込まれました。
仮に結婚の当初から夫婦で心機一転し、違う家に住んでいたとしたら、私には家の処分の義務は発生しなかったのではないかと思います。たとえ、妻の持ち物を処分するため、私もそれなりの苦労はしただろうとはいえ。

結局、私は若干20代の半ばにして重い責任を背負う羽目に陥りました。

連載第34回で妻が妊娠するまでのいきさつと、妊娠中のトラブル、そして娘の誕生を書きました。その日々の中、私は正社員として身を固められました。
ところが娘が生まれた私の両肩には家をどう処分するのか、という問題が重く重くのしかかっていたのです。

次回も引き続き、家のことを書いてみます。ゆるく永くお願いします。


テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム


本書はテトリスについての物語だ。テトリスの名前を知らない人はあまりいないと思う。私の娘たちも知っていたくらいだから。単純明快。それでいて中毒性を持つのがテトリス。上から落ちてくる四マスからなる四種類の図形を回転させ、横一列にマスを埋めれば消える。上まで積み上がればゲームオーバー。ゲームの歴史を彩った名作は多々あるが、テトリスは単純さと中毒性において屈指のゲームといえるだろう。

私がどうやってテトリスを知ったのかは覚えていない。ゲーセンのアーケードゲームなのか、任天堂のゲームボーイだったのか。その頃、ある程度テトリスをやり込んだ記憶はある。が、それほどはまらなかったように思う。少なくとも本書で紹介されたような人々が陥った中毒症状ほどには。むしろ、私がはまったのはテトリスの系譜を継ぐゲームだ。それは例えばCOLUMNS。またはキャンディ・クラッシュ・サーガ。それらの持つ中毒性には当てられてしまった。だからこそ、ゲームの世界に落ち物ジャンルうを打ち立てたテトリスには興味があるし、それを扱った本書にも興味を抱いた。なお、余談だが私は本書を読み始めてすぐ、読み終えるのを待ちきれずにiPad版のテトリスをダウンロードしてプレイした。その体験は久々で懐かしかったが、中毒になるまでは至らなかった。

テトリスの歴史や魅力のほかにもう一つ、本書が私に教えてくれたことがある。それは、契約の重要性だ。本書は契約の重要性を知らしめてくれたことでも印象に残った。

本書はロシア製のテトリスがどうやって世界中に販売され、受け入れられていったかのドキュメントだ。当時、ソ連はペレストロイカ前夜。社会主義の国是が色濃く残っていた時期。契約についての観念も薄かった。そのため、テトリスの版権や著作権、そして販売代理店や手数料など、西側の資本主義国のビジネスマンがこの不思議な魅力を持ったゲームを販売するにはいくつもの障害を乗り越えねばならなかった。本書はそうしたテトリスにまつわる契約のあれこれが描かれている。巨額の利権を産んだテトリスの権利をめぐる攻防。それは商売における契約の重要性を的確に示している。もちろん、本書はそうした契約上の文言を開示しない。一字一句掲示したところで野暮なだけだ。だが、契約をめぐる熾烈な競争は、私のように、情報サービスの契約を日頃から結ぶ身としてはとても興味深い。

もちろん、技術者としてもとても本書は面白い。テトリスがどういう発想から生み出されたのか。テトリスのプログラムがどういったマシン上で動作し、それを他の機種に移植する苦労。今と違って貧弱な当時のハードウエアの制限をどうやって克服したのか。技術者としてはとても興味をそそられる。

平面のさまざまな形を組み合わせ、別の組み合わせを作るペントミノと回転。それを横一列にそろえて列を消すだけの単純なルール。それは、イデオロギーも言葉や民族の違いを超えて人々を魅了した。また、当時のソ連のマシンは西側に比べ圧倒的に遅く、初期のテトリスは文字だけで実装されたプログラムだったという。アレクセイ・パジトノフがエレクトロニカ60で初期版のテトリスを開発した時、文字だけで動作するゲームしか作れなかった。そして、そんなマシンでも動くゲームだったからこそテトリスは人々をとりこにしていったのだろう。

貧弱なマシンが、当時のソ連にもわずかながら存在したギーク(ワジム・ゲラシモフ)によって別のマシンに移植され、それが当時唯一西と東をつないでいたハンガリーを通って西に出ていき、あっという間に西のマシンにインストールされていくいきさつ。それは、まさに歴史のダイナミズム。ベルリンの壁が崩壊する前、ハンガリーで開かれたピクニックが東から西への人々の移動を勃発させ、それが東西冷戦の終結への流れを生み出した事実は有名だ。テトリスもまた、歴史の舞台の展開に一役買っている。それは歴史が好きな向きにとっても見逃せない。本書には「テトリスをソ連が世界に貢献した唯一の物」と言う文が収められているが、まさにソ連とはそういう存在だったのだろう。

冒頭にも書いたとおり、私が初めてテトリスに触れたのは任天堂のゲームボーイだ。ところが、任天堂がテトリスを出すまでには、一山も二山も超えなければならなかった。その中で大きな役割を果たした人物こそがヘンク・ロジャースだ。彼こそが本書の主人公といってもよいだろう。ところが彼はがテトリスのライセンスを巡る物語のなかでは後発組だ。

最初にテトリスに目を付けた西側で最初の人物は、ヘンク・ロジャースではなく、ロバート・スタインだ。マクスウェル社のスタインは、ハンガリーから西側に登場したテトリスに真っ先に目を付け、そのライセンシーを獲得しようと奔走する。ところがスタインは、テトリスの開発者アレクセイ・パジトノフと直接コンタクトを取り、FAXでやりとりをして契約を結ぼうとする。それはもちろん過ちだった。よりによって一人のプログラマーに過ぎないパジトノフに西洋流の契約についての知識はない。もちろんスタインも正式な調印無しに事を進めることの危険性を理解していたはず。だが、テトリスの製品化は西側のプログラマによってあっという間に進められてしまう。そして未契約のまま西側で製品を流通させたことに焦ったスタインが時間を稼いだにもかかわらず、西側の市場に出回ってしまう。ソ連側や開発者のパジトノフにまったく利益が還元されないまま。スタインは板挟みになり、ますます契約締結を焦る。

それ以降の本書は、ヘンクがどうやってスタインに先行されたテトリス・ビジネスの劣勢を挽回していくかの物語になる。本書の冒頭で、ヘンクはつてもコネもアポも全くないままモスクワを訪れる。何もあてがなかったヘンクは街中でチェス愛好家と知り合い、それを手がかりにソ連の情報関連の管理を一手に行うERLOGに接近することに成功する。そしてスタインとの契約がソ連側に何ももたらさなかったことを、ERLOGの責任者アレクサンドル・アレクセンコに知らせる。そのことを知らされたERLOGのアレクサンドル・アレクセンコはスタインとの契約に失望を覚え、怒りにかられる。

そこでヘンクはまず契約の不公平さをあらためるため、即座に小切手でソ連が本来取るべきだった取り分を提示する。この誠実さに打たれたERLOGの担当は感銘を受け、ヘンクを信頼する。アレクサンドル・アレクセンコも、後継者のエフゲニー・ベリコフも同じ。ただし、スタインに悪気があったわけではない。ただ、スタインがやってしまった失敗とは、契約の調印が済んでいないのに、FAXのやりとりだけを頼りに西側への販売権をマクスウェル社やスペクトラム・ホロバイトに販売してしまったことだ。

スタインに比べ、後発のヘンクには、先人スタインの犯した過ちを挽回するチャンスも機転もあった。彼はまず誠実な対応をとり、ヘンクという人間を売り込む。ヘンクの対応はベリコフを信頼させるのに十分だった。そこでベリコフはスタインとの契約にとある修正をほどこす。その修正はスタインとERLOGの間に交わされた契約の条項にハードウエアの条件を書き加えるものだ。その修正はスタインの契約をパソコンに限定させる効力を持っていた。それに気づかぬまま調印したスタインは、ヘンクにまんまとポータブルゲームや家庭用業務ゲーム機器にライセンスを与える契約をさらわれてしまう。

ヘンクはその勢いで、テトリスをめぐるアタリ社やテンゲン社とのライセンス契約締結の競争にも勝利する。ヘンクの勝利の裏には、任天堂の山内溥、荒川實、そしてハワード・リンカーンの全面的なバックアップがあった。彼らに共通していたのは、任天堂が発売するゲームボーイに載せるゲームとして、テトリスがもたらす巨大な可能性を見抜く先見性だ。目的を一つにした彼らは、ライバルに契約面で勝利を収め、テトリスとゲームボーイのセットを世界中で売りまくる。

かつてファミコンが世界を席巻する前、ゲーム業界はアタリ社が優勢を占めていた。そのアタリ社が事実上、ゲーム業界で任天堂に覇者の座を譲ったのは、このできごとがきっかけだったのではないだろうか。

本書はパソコンの、そしてゲーム専用機の黎明期、さらに商売の面白さと怖さを知る上でも興味深い。

また、本書はテトリスの歴史に欠かせないヘンクの経歴にも触れる。その中で、ヘンクが開発したザ・ブラックオニキスの話など、初期のゲーム開発の苦労がよくわかるのが面白い。私はザ・ブラックオニキスの名前は知っていたが、プレイしたことがない。本書を読んでいてやってみたくなった。

本書はここまでのいきさつだけでも読み物として十分に面白い。が、それだけでない。本書にはテトリスの科学的な分析が三つのコラムとして挿入されている。BONUS LEVEL 1-3と題されたそれぞれのコラム。そこではプログラムの面からみたテトリス。テトリスの中毒性を心理学からみた考察。PTSDの治療にテトリスを使う試み。それらのどれもが知的興奮を誘う。

また、各章にもミニ知識としてテトリスに関するあれこれの豆知識が仕込まれている。例えば初期のテトリスにはボスが来た(1キー押下で仕事をしている振りを見せる画面を表示させる)機能があったり。

本書はすべての技術者やゲーマーにおすすめできる一冊だと思う。さらには、私のような契約の実務にも携わる方や営業に駆け回る方にも良い教材として勧めたい。

‘2018/05/10-2018/05/17


クラウドワークスさんの直接契約禁止条項を考える


クラウドワークスさんの件が話題になっています。

GoTheDistanceさんのブログ
クラウドワークスで月収20万超え、わずか111名。働き方革命の未来はどこにある?

ふくゆきブログさん
「クラウドワークスで月収20万超え、わずか111名」は嘘だと思う。

やまもといちろうさん オフィシャルブログ
クラウドワークスが悩ましい件で

かく云う弊社もクラウドワークスさんには登録はしているものの、まだ一度も利用していないのですよね。受注どころかこちらからの提案すらまだ。そもそもプロフィールが完全に埋め切れていないという。

替わりに、なぜかクラウドワークスさんからは仕事提案を色々と頂きます。しかもなぜかライター案件ばかり。ビジネス案件にしても、よくあるテンプレートを使ったタイトルや文面が目立ちます。

このあたりの柔らかさが、「クラウドワークスが悩ましい件で」という批判にも繋がっているのでしょうね。ある種の商売の温床に使われているような微妙な香りが漂っていて。堅実なマッチングサイトに徹して頂ければ我々も安心して使えるのに。

これでは「クラウドワークスで月収20万超え、わずか111名」というフレーズでサービス自体を揶揄されてしまうのも分かります。ただ、一方では、ふくゆきブログさんの「「クラウドワークスで月収20万超え、わずか111名」は嘘だと思う。」との指摘もあります。いったい何が正しいのでしょうか。

弊社がクラウドワークスさんの利用を躊躇う理由の一つに、クラウドワークスさんの利用規約に記載のある直接契約の禁止条項があります。この件については、kintone活用研究会を主宰する株式会社テクネコの加藤和幸さんも指摘されています。以下にその部分を抜粋させて頂きます。

クラウドワークス利用規約
第5条 本サービスの内容
14. 会員又は過去5年以内に会員であった者は、会員又は過去5年以内に会員であった者と、本サービスを利用せずに、直接に本サービスを通じて委託可能な内容に関する業務委託契約を締結すること及びその勧誘をすることを行ってはならないものとします。但し、弊社が事前に承諾した場合はこの限りではありません。
出典元:https://crowdworks.jp/pages/agreement.html

この条文って我々利用者にとっては結構重大だと思うのですよね。今年の年頭に弊社は一年の計を考えました。その中でクラウドワークスさんの利用促進を考えねば、と利用規約を読みました。それで、上記の一文に行き当たり、なんやこれ? と思いました。

弊社が今年年頭にクラウドワークスさんの利用促進を考えたのには、理由があります。それは2015年末に楽天ビジネスさんがサービスを終了したことです。楽天ビジネスさんには、2010、2011年度にかなりお世話になりました。弊社がまだ法人化する前、個人事業主として活動していた頃です。

今回のサービス終了にあたり、楽天サービスさんのサイトも3月末でアクセス不可になるようです。よい機会なのでサイト内に残された弊社の利用情報の取得を行いました。その上で2010年度の利用状況はどうだったかを簡単にまとめてみました。

見積り数
商談数
受注数
受注金額
月額利用料
紹介手数料
税抜純利益
:67件
:21件
:6件
:1,318,000円
:6800円×12か月=81600円
:1000円×21件=21000円
:1,215,400円

2010年4月~2011年3月 楽天ビジネス利用概況

12か月で121万円ですから、月に均すと10万円。今回話題になったクラウドワークスさんの決算報告で出てくる20万円の半額です。ちなみに弊社の2010年度のお仕事は楽天ビジネスさん経由が全てではないので念のため。他のお客様からも多数のお仕事を頂いておりましたよ。ありがたいことに。

で、何が云いたいかというと、この年、楽天ビジネスさん経由で頂いた恩恵は131万に限らないということです。最初のご縁こそ楽天ビジネスさんを通じ、結果として131万円を頂きました。でも、お仕事って一度きりのご縁では終わらないですよね。楽天ビジネスの案件が終わって以降もこの時受注した方々からは継続的にお仕事を頂いています。また、この時ご縁が出来た中の幾人かの方とは未だにプライベートも含めてお付き合いを続けさせて頂いています。要はこの時のご縁から受けた恩恵は131万という金銭だけでは評価できないということです。この時のご縁からは、長きにわたって金額やそれ以外の部分も含めて何倍もの恩恵を受けています。感謝です。

でも、仮に楽天ビジネスさんの利用規約に直接契約の禁止条項が定められていたら? 楽天ビジネスさんを通じて繋がったご縁を直接取引に切り替えることが禁止されていたとしたら? あるいは弊社も今に至るご縁は頂けていなかったもしれません。

弊社(個人事業主時代)と楽天ビジネスさんで締結した契約によれば、金額体系は以下の通りです。月額固定のシステム利用料6800円と商談成立毎に1000円、それと初回の研修受講料として20000円のみ。個人事業主であったため、安価でしかも単純明快な料金体系でした。しかも当該案件に関しない直接取引については全く自由でした。楽天ビジネスさんの出展規約を改めて読み直してみましたが、該当しそうな条項は精々以下の箇所ぐらいでしょうか。

第8条(本サービスの利用)
4.出展者は、本サービスに関し以下の事項を遵守するものとします。
(3)本サービスの利用の結果、サービス希望者との間で契約(口頭、書面を問いません。)を締結した場合において、当社から要請があった場合には、直ちに、サービス希望者の名称、契約に関する代金の金額、支払方法その他当社の定める事項を当社の定める様式にしたがって当社に報告すること。
出典元:https://business.rakuten.co.jp/docs/info/terms_exhibitor/terms_exhibition.html

楽天ビジネスさんがサービスを終了した理由はわかりません。プレスリリース上にも理由は書かれていませんでしたし。ならば仮に、クラウドワークスさんのように当該案件が終わった後の取引も、サービス運営元を経由することを義務付けていたらどうだったでしょうか。継続的にサービス運営元に収入が入る仕組みにしていれば、楽天ビジネスさんのビジネスは中止の憂き目を見なかったのでしょうか。それもわかりません。分かるのは、楽天ビジネスさんのように月額固定でのシステム利用料を徴収していても、案件成立毎に固定の手数料を頂く料金体系でも、サービス継続を行う理由にはならなかったということです。

クラウドワークスさんの場合、料金体系はもっと単純です。契約額の一定割合を徴収します。そして楽天ビジネスさんと同じく、案件を提示する側は原則無料で案件を提示できるのです。基本利用料の発生しない料金体系は出展者には魅力的に映りますよね。しかしその料金体系を採用している限り、案件数が多くなければサービス運営元にとって収益になりません。

案件数を増やしたいのであれば、案件を出す発注元は大切にしなければなりません。発注元の負担が増すような仕組みはもってのほかです。でも、直接取引の禁止という規約は発注元の負担を増すだけのように思えます。折角最初の取引で馬が合う業者さんを見つけても、5年間は発注の際にクラウドワークスさんの仕組みを通さなければならないのですから。メールやLINEやChatworkでひょいっと「こういう仕掛けってちゃちゃっと作れない?工数見合いでお金はきちっと出すからさぁ?」といった依頼も出せなくなります。これって案件を出す発注元にとってクラウドワークスさんを使う意欲を萎えさせませんか? 発注元にとって魅力的な仕組みであってこそ案件数も増え、クラウドワークスさんの収益モデルにとって有益になると思うのですが。優良な発注元が減り、長期的なお付き合いなど無用で一回切りでよいから安価な提案を集めたいという発注元ばかりになると、出展者にとってクラウドワークスさんが魅力的なサービスでなくなってしまう気がします。

とっかかりのご縁はとても重要です。案件マッチングサイトの存在意義は間違いなく今後もあります。でも、発注者と出展者にとっては、そのご縁をきっかけに築きあげる直接の信頼関係もとても重要なのです。クラウドワークスさんには、是非とも直接契約の禁止条項(第5条14項)の撤廃検討をお願いしたいところです。または、条項に記載されているような「但し、弊社が事前に承諾した場合はこの限りではありません」の“場合”が何かをきっちり定義して頂くとか。

その替わり、クラウドワークスさんが継続的にサービスを継続できるための料金体系の構築は、我々出展者や発注元も真剣に考えていかねばなりません。クラウドワークスさんのようなサービスが今後も生き残るためには、サービス運営元としての利益確保は蔑ろにはできないのですから。楽天ビジネスさんのサービス終了は出展者にとっては商流チャネルの消失でもあります。避けたいところなのです。

例えば出展者へのオプションとして月額利用料有りのプランを設けるとか。発注元にも成約金額の一定割合の負担をお願いするとか。当該取引によって得た業務改善効果や収益改善効果の記事をクラウドサービス内にアップしてもらうことを義務付けるとか。この記事はクラウドワークスさんだけでなく、発注元、出典者にとっても外部リンク効果や広告効果として長期的な利益になるかもしれません。

是非ともご検討をお願いしたいところです。