今までの連載を通じ、私の人生を振り返ってきました。
私が曲がりなりにも今までやってこれた理由。それはいくつか、考えられます。

・やってきたチャンスに尻込みせず、その時々で飛び込んで行けたこと。
・特定の事物に対するこだわりがなかったこと。
・しがらみを作らずに生きてこれたこと。
・物事に対する好奇心があふれていたこと。

ここでは、最後に挙げた好奇心について語ってみようと思います。

今、激動の時代であることは誰もが知っています。
情報技術が進歩し、暮らしの中にデジタルやAIがいつの間にか入り込んでいます。
電子機器やガジェットに囲まれる日常。当然、それらを扱うにはスキルが求められます。

暮らし方がここまで変化したのですから、働き方やビジネスのあり方も相当に変わりました。十年前のやり方はすぐに古びていき、常にアップデートが求められます。
新たな考えや概念について行けないことは、キャリアの停止に直結します。
今の世の流れは速く、そして変化に富んでいます。そのような昨今の流れについていくためには学びを忘れてはなりません。

私の場合、二人の祖父がともに学者だったことも幸いしたのか、学ぶことに関して抵抗がありません。
とはいえ、学生時代は本分たる学びよりも遊びを優先するダメ学生でした。
それが、社会に出てから、学びへの意欲が増したのですから面白い。学ぶことのありがたみを知る毎日です。

私の場合、特定のメンターはいません。
もちろん、生き方の師匠と呼ぶ方はいます。今までの人生の時々で感化された方もいます。
ですが、私の人生はほとんどが独学でした。本やウェブを頼りにした。

その独学の原動力こそ、本稿の主題である好奇心です。本稿では好奇心の持ち方、養い方を考えてみたいと思います。

好奇心と言いましても、人の性格はそれぞれです。好奇心があまりない方の場合、無理やり好奇心を持てと言われても逆に重荷ですよね。
若い頃の私も同じでした。その頃は今のように好奇心でぎらぎらする人間ではなかったように思います。

そんな私が初めて出会った好奇心が旺盛な人。芦屋市役所でアルバイトのオペレーターをしていた時にお会いしたSさんです。
大手情報企業のSEとして来られていたこの方から受けた影響については、本編の中で書きました。

そしてその方の姿勢こそが、今に至るまで私を支えてくれています。そして人生で苦しい時期も前を向かせてくれています。
それ以来、私の中には知りたいという欲求が渦巻いています。
その根源にあるのは、自分が何者であるか、どこからきてどこまで向かうのか、と言った高尚な動機ではありません。
ただ単に新しいことを知りたい、という切実な思いだけが私を動かしています。
新しいことを知る。
知る前の自分と知った後の自分には明らかな違いがある。進歩が感じられる。
その進歩がたとえわずかな歩みでしかなくても、一歩ずつでも前に進んでいる実感。それが苦しい仕事の時にも私を現世につなぎとめてくれたように思います。

無から生まれ、無へと消えてゆく儚い生。私たちはその無と無の間の限られた時間を生きています。
虚無によって前後をはさまれた生の中で何を原動力にして生きていけばよいのか。
私はその原動力を、一瞬一瞬の達成感で満たすことにしています。

とはいえ、人によってその達成感はそれぞれでしょう。仕事の課題をこなす。ゲームのラスボスを倒す。山に登る。スポーツで敵に勝つ。本を読み倒す。
この中で、私にとって最も手軽に達成感を覚えられるのが、最後に挙げた本を読み倒す営みです。

他に挙げた営みでも、もちろん達成感は挙げられるでしょう。ですが、準備や手間が必要だったり、自分以外の他者が関わったりします。
ゲームは、確かに達成感を得られますが、eスポーツで稼げるほどのスキルを獲得しない限り、自らの成長には貢献しないと判断しました。
となると、既存のメディアに頼る他はありません。それも新聞やテレビや雑誌ではなく、特定の分野が描かれた本を。

本は完全に閉じた世界です。自分と本だけの関係。他の何者も邪魔しないし、影響もされない。つまり、達成感の及ぶ範囲がわかりやすいのです。

その好奇心の及ぶ範囲は、自らの専門分野に限らなくてもよいのです。
私の場合はむしろ、お門違いの分野にも積極的に関わるようにしています。
それが思わぬ形で未知の分野への関心につながりますし、その都度、自分の無知を思い知らせてくれます。

そうやって自分の無知を常に自覚することは、自らを謙虚にしてくれます。
世の中には私の知らないことがある。それに対して興味を持つ人もいて、人生を賭けている人もいる。そうした気づきは、私の周りを明るく朗らかに照らしてくれます。

また、好奇心は仕事にも直接役立ってくれます。例えば新たに商談で出会った方が、私のまだ知らない業種やお仕事についていた場合、その効果は出てきます。
私はその仕事や業種に対して興味を示します。自らの仕事に興味を持ってくれる人に悪感情を持つ人はいません。それが相手からの好感につながりますし、仕事にも結びつきます。

では、そうした好奇心を持つにはどうすればよいでしょう。

私の場合、意識して好奇心を持とうと思ったことはありません。
ただ、現実のつらさを忘れるためにすがったのが好奇心だっただけです。目の前の現実から逃避するため、好奇心を肥大させただけなのかもしれません。
例えば過酷な飛び込み営業をしていた時期。何日も泊まり込みのプロジェクトトラブルに巻き込まれた時。
そのようなつらすぎる現実に巻き込まれた時、逃避するためのスキルとして好奇心はお勧めできます。

そして、つらい時期を乗り越えた後にも、好奇心は人生の助けとなってくれます。
例えば仕事でもそう。好奇心によって興味の範囲を持っておくことは、上にも書いた通り、商談の場において、新たな関係性の構築を助けてくれることでしょう。
商談の中における雑談の重要性は、よく言われるところですよね。雑談が苦手で、うまく場をつなげられない、という方。ぜひ、質問力を高めてみてください。
話すことがなければ、相手のことを尋ねればよいのです。
どういう仕事をしているのか、何を扱っているのか、どういう苦労があるのか、など。好奇心を普段から養っておくと、相手に対する疑問は次々湧いてくるはずです。何しろ、相手のことを何も知らないのですから。
そうやって質問するだけで場は十分につながります。

また、好奇心を養うことは、身の回りのことが何も知らないことへの気づきにつながります。それは自然と周囲に対する関心となり、周囲に対する能動的な態度となってあらわれるはずです。
その前向きな態度は、必ず良い方向へと人生を導いてくれるはずです。

いかがでしょう。好奇心の重要性を感じていただけたでしょうか。本稿が皆さんの参考になれば幸いです。


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