本稿は、以下のリンクに書いた内容と重複しています。

福島県お試しテレワークツアー


こちらのリンク先の内容は、福島県お試しテレワークツアーから帰ってすぐに書き込んだものです。

3日目の朝。
前日と同じように、皆さんでみそ汁やご飯などをよそっていただきました。おいしい。

三日目ともなると、初日のぎこちない関係から、普通に会話が成り立ちます。
こういう関係性が構築できるのも、テレワークツアーの良いところでしょうね。
残念ながら、テレワークツアーの後、コロナが世の中を襲ったことにより、皆さんとのご縁が薄れてしまいました。それが残念です。

さて、この日の予定は、はじまりの美術館に向かうところからです。
ところがこの日、はじまりの美術館は閉館中でした。たまたま閉館日に当たってしまったのです。残念です。

そんな訳で、私たちが向かったのは、はじまりの美術館の前にある稲川酒造さんです。七重郎の銘柄を擁する稲川酒造さんでは、蔵見学こそしませんでしたが、昔ながらの店頭を思わせる風情が満ちている店舗で各人がそれぞれお酒を買い求めました。
この旅でも一行は七重郎を一升瓶と四合瓶で開けたはずです。地方の魅力の一つが地酒なのは確かなので、こうやって買い求めることも立派な貢献だと思います。

はじまりの美術館や稲川酒造が並ぶこの界隈は、猪苗代町のかつての中心部だと思います。
ここで前日夜の散策でも教わったのですが、猪苗代町の中心部には、ドイツの作家TONAさんが、街のあちこちにアート作品を残してくれています。リアルな男の子女の子の遊んでいる姿。これが街のあちらこちらに描かれていることによって、街の中が活気づいて見えるから不思議なものです。

このあたりは、前日に1人で街を歩いた時には来られなかった場所。遠藤さんに夜の街を案内してもらい、翌朝も街を歩いてみると、私が前日に気づかなかった猪苗代の魅力に気づきました。

さて、私たちが続いて向かったのは、キャベツ収穫です。遠藤さんのご紹介で伺ったこちらで、深谷さんと古川さんに案内していただきました。お二人は会津猪苗代激甘フルーツ雪下キャベツ-猪苗代キャベツ研究会という名前で雪下野菜の栽培と普及を行っていらっしゃいます。

この時期の猪苗代は、あたり一面、一メートルの雪に覆われるそうです。その雪の下で寒さに耐えながら甘みを蓄える雪下キャベツ。
本当ならば、雪の中でキャベツは甘みを失ってしまうそうです。ところが、甘みを維持できる品種があり、それを栽培することによって、雪の中でも甘いキャベツが育ちます。それが雪下野菜。

ところが、今年は暖冬です。スキー場にも雪が降らず、もちろん畑にも雪が全く見られません。雪下野菜なのに雪下を名のれない苦悩が伝わってきました。
温暖化の一つの事例として覚えておきたいです。

ところが、お二人の苦悩にもかかわらず、私たちがその場で刈り取らせてもらい、かぶりついたキャベツの甘いことといったら!
これでも、本来の雪下キャベツより少し甘みが落ちているそうです。本格的な雪下野菜を食べてみたくなりました。

猪苗代キャベツ研究会さんは、近隣の農家とも協業し、会津・猪苗代の独自の野菜を追求しておられます。
少しでも自分のところの野菜を差別化し、首都圏や都会の人々に独自性を打ち出して食べてもらう。
ところが、この雪下野菜は、首都圏や都会には卸していないそうです。つまり地産地消。
ここにも生産を工夫するだけでなく、ブランディングにも意を砕く農家さんの苦労や努力の跡が見て取れます。
そうした不断の努力が、農家の今後を左右することは間違いないでしょう。

私たちも野菜を刈り取らせてもらいながら、農産物の魅力や、農業の奥深さについて思いをはせました。
一年半前にお邪魔した会津若松の長谷川さんの会津伝統野菜もとてもおいしく、伺った後にも後日購入させてもらったのですが、あっという間になくなってしまいました。
その際に上がらせていただいた長谷川さんのお宅の様子にも伝統のある農家の風格を感じました。その風格は深谷さんのお宅でも感じました。
昔からの農家の伝統とは、少々の科学技術のうわべだけでは揺るがないのでしょう。本物の姿を見た思いです。本当にありがとうございました。

さて、三日間の旅もそろそろ終わりに近づこうとしています。
内田さんの運転で、猪苗代駅まで送ってもらいました。
今回のテレワークツアーはここで現地解散。皆さんとの三日間も終わりです。内田さんは車で別行動へ。残りの参加者の皆さんは郡山へ向かい、そこから新幹線へ。私だけ逆方向、つまり会津若松へと向かいます。

内田さんも飲ん兵衛が集まったメンバーの取りまとめで大変だったことでしょう。三日間ありがとうございました。
co-ba koriyamaでお会いした三部さんや片岡さん。
LivingAnywhere Commons会津磐梯でお会いした福島県庁の橋本さんと中根さん。そして、猪苗代町で街を盛り上げようと活動されておられるアウレ社の遠藤さんと石川さん。
猪苗代キャベツ研究会の深谷さんと古川さん。皆さん、ありがとうございました!
さらに、道の旅籠「椿」のおかみさんやまるいち食堂の皆さん。すし割烹 はなまるの皆さん。花見屋旅館の皆さん。ありがとうございました!
そして、今回ご一緒した五名+一名のみんな!楽しかったです!ありがとうございました!

さて、ここからは私一人の旅です。
磐越西線の車窓から見る磐梯山の眺めはいつまでも飽きません。かつてはここを伊達軍と蘆名軍が刃を交えたことを考えると歴史の面白さが迫ってきます。
この付近は線路が蛇行し、奇妙なルートを見せていますが、その様子も車窓から見ながら、やがて列車は会津若松駅へ。

会津若松と言えば上に書いたとおり、1年半前にも訪れました。
上にも書いた通り、長谷川さんの畑で無農薬米の収穫を行わせてもらい、隠れ家ゲストハウスの民泊にお世話になり、その場で面白いご縁を得ました。
ところがこの時、帰りに軽く会津若松城に立ち寄ったのみで、白虎隊の史跡には立ち寄っていません。さざえ堂にも。
私はこの機会に白虎隊関連の史跡を巡りたいと思ったのです。
同時に、会津若松の街並みの全貌をこの目で確かめたいと思っていました。

まずは駅前のまるたか食堂でラーメンを食べ、幸先や良し。
ところが、そこからが残念でした。というのも、私と会津若松の交通手段の相性があまり合わなかったからです。
まず、私が訪れたのはレンタサイクルのお店です。
ところがこの時、私が電話でできる端末の充電が切れてしまっていたのです。
そこで電話が通じないことを正直に伝えると、電話が通じない相手にはレンタサイクルを貸せない、と断られてしまったのです。なんということでしょう。
先方としては連絡手段がない以上、確かに返してくれるかどうかわからない。その保証が取れない以上、自転車は貸せないとの一点張り。交渉してみたのですが、取り付く島がありません。そのため、私はレンタサイクルを諦めました。
かわりに思いついたのは、街中を周遊して走っているバスの周遊券を買うことです。
そこで、周遊券を買ったのですが、残念ながら私が行きたい方向へのバスがすでに行ってしまっており、次のバスまで時間を待たねばなりません。

私は自転車の交渉が不調に陥ったことでカリカリしており、ここで待つとさらにイライラしそうでした。そこで、バスのチケットを購入したのにバスに乗らず、目的の場所へと歩きはじめました。
まず、目抜きの通りを歩き、たどり着いたのは会津若松市役所。重厚で堅牢な外観が歴史を感じさせてくれます。が、この日は休日であり、ほとんどの職員は休んでおられました。ここで、会津若松市のマンホールカードもいただき、観光情報も得られました。
私はそこから出て、次に向かったのは興徳寺です。ここには、蒲生氏郷公が眠っています。会津若松は当初、秀吉の命によって配置された蒲生氏郷公によって整備されました。そのままこの地で没し、墓も建てられています。

会津若松は、おととしに来た時にも歩いています。隠れ家や、その近辺の街並みだけは。ですが、こうやって歩いてみると、まだまだ会津若松には私の訪れていない場所が多いことに気づきます。そして、魅力があることにも。昔ながらの建物や、近代的な建物が街に散在しています。
昔ながらの建物といっても、ほとんどは戊辰戦争で焼けてしまい、明治以降の建物がほとんどらしいのですが。さらに、昭和の雰囲気を出している建物については、明らかに古びてしまっています。

そうした街の雰囲気も、今回の旅でかなり理解できました。そこで、私はバスを待って移動することに決めました。
やってきたバスは結構混んでいましたが、そこに乗りました。バスは東山温泉までいって戻り、会津若松の観光地を巡ります。やがて、飯盛山の麓のバス停にたどり着きました。

私はここで降り、飯盛山の山頂を目指しました。飯盛山は、言うまでもなく白虎隊の惨劇の地。白虎隊の惨劇がなぜ起きたのか。なぜ少年隊子達は街の煙や燃え盛る炎を見て、城が落ちたと勘違いしてしまったのか。
そうした土地の感覚や距離感を飯森山の上から見てみたかったのです。
ここで気づいたのは、白虎隊の隊士たちが自刃したのが、飯盛山の山頂ではなく、中腹だったということです。すっかり山頂とばかり思っていました。

しかも、思った以上に若松城との距離があります。煙に巻かれた街並みを見て落ちたと勘違いしたのも無理はありません。ここで、幾人もの有為の少年たちが自ら首や腹を切り、若い命を散らしたのです。その悲劇の地に視線を置いてみることで、いろいろな感慨にも浸れます。
すでに夕方で、人ももうほとんどいません。その分、私はじっくりと見ることができました。もちろんさざえ堂もぐるぐると回りながら上にも登れました。土産物屋さんの展示室でも眺めることもできました。
ただ一つ、残念だったのが、白虎隊記念館が休みで入れなかったことです。

さて、下に降りて軽く食べようと、坂の下のお餅屋さんに立ち寄りました。ここのお姉さんが、とても話し好きで、いろいろとお話をさせてもらいました。
キャベツをもらったんだけど、良い料理はないかと聞くと、キャベツロールをお勧めしてくださいました。
会津伝統野菜はいろいろあるようですが、こうして皆さんが会津の野菜について一家言を持っているのは嬉しいことです。
会津若松をたつ前に良い会話ができたと思います。

そこから駅に向かうには少し距離がありましたが、その途中に見かけた北関東や福島ではしばしば見かけるスーパーのリオンドールでお酒を買って帰りました。
その後、しばらくバスを待つと、やってきたバスに乗れました。もう夕方もだいぶ遅くなっており、乗客は私だけ。やがてバスは会津若松駅へ着きました。

そこから郡山駅の列車にも間に合いました。
いよいよ私も郡山→猪苗代→会津若松から退場する時がやってきました。
帰りの磐越西線の車窓からはすでに何も見えないほど暗く、磐梯山の山容を目に焼き付けることもできませんでした。

ここで一つ、思ったことがあります。それは、磐越西線の車内Wi-Fiの整備です。猪苗代に人を集めるには通信環境を整備したい。そして、県外からの移住者を増やし、県内の移動を促進するには車内Wi-Fiがあれば有効。
遠藤さんから教わった福島市と郡山市と会津若松市の交点にあるのが猪苗代町だとしたら、その移動の合間に仕事ができれば、地理上の利点をさらに生かせます。車で移動したほうが時間も早く、便利という意見もあるでしょう。それはその通りです。ですが、運転中は仕事ができません。会津若松と郡山の間は列車で一時間。この移動時間を仕事に充てられれば、利便性はさらに上がるのではないでしょうか。皆さんがJRを使ってくれれば、猪苗代駅前の惨状も多少はましになる気がします。
遠藤さんからは、東京ではプレーヤーが多すぎるが福島には少ないため、チャンスが多いとのお言葉もいただきました。であるならば、移動時間にもWi-Fiを使ってチャンスをつかみたいと思うのではないでしょうか。

やがて列車は郡山へ。何か帰りの夕食を取って帰ろうと、駅前を短時間ですが歩いたように記憶しています。が、結局郡山駅の売店で郡山っぽい菓子パンを買い、車内で食べました。
郡山から帰りの新幹線については、いまさら語ることもありません。大宮と新宿で乗り換え、小田急で帰ったことも含め。
そんな中、私は今回の充実した旅の余韻を心の中でずっと響かせていました。
とにかく飲んだ旅。そして同時に仕事でも成果を出せた旅。さらに、私が何をすべきかについても見えてきた旅でした。

ところが、旅から戻って間もなく、新型コロナウィルスが世界を席巻し、ワーケーションや地方創生どころではなくなってしまいました。
そもそも、リモートワークの波が弊社にも押し寄せたことで引き合いが増し、仕事が忙しくなってしまいました。

それから1年少しが過ぎ、新型コロナワクチンの接種も実施されつつあります。それによって、また世界が元に戻ることでしょう。ただ、一度根付いたリモートワークの火は簡単には消えません。
この旅で感じたこと。リモートワークやワーケーションの仕事のコツ。そうしたことを、今後の世界に生かしていきたいと思います。


カテゴリ: 旅マップ.
最終更新日: 2月 21, 2021

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