この日は私にとって下北山村滞在の最終日。三木さんもこの日を最後に次のイベント会場の田辺に移動されるらしく。
それならば、と二人で朝から下北山温泉きなりの湯に赴き、三度目となる裸ン坊トークを。

私にとって、こんな短期間で妻以外の方と集中的に話をする機会はそうそうありません。
私は情報処理。三木さんはコンサルタント。業種は違えど、場所に縛られず仕事ができる立場には相通ずるものがあります。
そして三木さんは私よりも豊富にこうしたワーケーションの経験をお持ちです。

私も一つところに縛られるのが苦手です。そのため、三木さんのようにあちこちで柔軟に仕事がしたいと思っています。
三木さんと話していると、どうすれば仕事しながら自由に旅ができるかという知見と衝動がたまっていきます。こうした刺激こそ、会話の喜びなのでしょう。とても貴重な時間でした。

この旅を終えてしばらくして、世界をコロナが席巻しました。そして、自由な旅に制限をかけました。
その一方で、コロナはリモートワークへの必要を高めて、働き方の変化を促しました。それによって、弊社にも仕事の引き合いを増やしてくれましたが、それが皮肉にも私の時間を奪ってしまいました。
もっとも、コロナ下にあっても5,6回は出張に出かけられました。
ですが、出張先でも効率を落とさずに仕事ができているか、と問われればまだまだ、と答えるしかありません。まだ体制が不足しているからです。
コロナ下でも弊社としてさまざまな実績や認知度を上げることはできたと思っていますが、効率の面では課題を感じています。

今のところ私の結論は、プログラミング作業やテストはワーケーションには向かない、です。その理由は、プログラミングやテストを行うにはある程度の集中する時間が必要であり、二泊三日ではかえって移動のバタバタによって能率が落ちるからです。ワーケーション先でコーディングやテストを行うのなら、二週間ほど滞在するつもりで来ないと逆効果と思っています。
ただ、概要設計や外部設計はワーケーションが向いているようです。
つまり、顧客との要件定義や概要設計や外部設計はワーケーション先で自由な発想のもと行う。そして、並行して本拠にいる方にプログラミングやテストを行っていただくよう依頼する、といった体制です。その方向性については見えてきました。
あとはその体制の作り方と要件定義の伝達手段を煮詰めることが現時点の課題です。

そのあたりの課題を突き詰めていくにあたっては、三木さんとまたお話する機会があれば、自分の中で固めていけると思っています。
三木さんとは下北山村で別れた後、12月に都内で行われた紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトの打ち上げ会でお会いしただけです。
そのあとにも京都の町家でのワーケーションのイベントにお誘いいただいていました。ですが、私が登壇する予定だった京都での別イベントもコロナで中止となり、辞退しました。それからは三木さんとは会えていません。

お風呂トークを終え、初日の夜には閉まっていた食事処で下北山村の特産である「春まなうどん」に舌鼓を打ちました。
「下北春まな」。そして「おくとろ温泉」にも売っていたじゃばら。ともにこの地方の特産物として一定のブランド力を持っています。春まなうどんに至っては家族が気にいり、後日、SHIMOKOITAYAMA BIYORIの方にお願いして取り寄せたほどです。

最後にSHIMOKOITAYAMA BIYORIに立ち寄って皆さんと歓談をしました。その時にいただいた柿がとてもおいしかったです。
お世話になったナオコさんやナツミさん、ノブコさんともお別れです。
そういえば、ノブコさんとは私が住んでいる町田の家を通して思わぬご縁がつながっていました。驚かされました。ナオコさんやナツミさんとは都内で行われた打ち上げや、勝どきの太陽のマルシェで出店に来られていた際にお会いできましたが、紀伊半島ではお会いできていません。上に書いたとおり、私が伺える状況になかったので。

せっかくつながったご縁を大切にするためにも、またSHIMOKOITAYAMA BIYORIには訪れたいと思っています。というか、おそらく伺えるはずだと思っています。
なぜなら、下北山村で行けなかった場所がたくさんありますから。例えば三重滝。例えば釈迦ヶ岳。例えば深仙の宿など。他にも明神池の周囲の散策コースはじっくり歩いてみたいし、下北山村の周囲には私が未訪の名瀑が無数に点在しているはずです。

下北山村には必ず再訪することを誓い、SHIMOKOITAYAMA BIYORIの前の橋を渡りました。そこの見事な紅葉に目をやりながら。
最後に、まだ訪れていなかった町役場や学校の前でしばしたたずみました。そして最後に下北山郵便局で風景印をいただきました。
いよいよ下北山村ともお別れです。

帰り道、425号線を通って十津川村経由で帰りました。それは帰り道に十津川村の笹の滝を訪れたかったからです。
425号線の峠のトンネル近くでは、あたりを一面の霧が覆いました。その幻想的な光景に、私は運転を中断して見入っていました。
私が別れを告げた下北山村が霧の中に遠ざかっていくような感覚。その霧が私を感傷から吹っ切らせてくれました。

十津川村に入ってしばらくすると、立て続けに三つの滝に出会いました。大泰の滝、清納の滝、そして不動滝です。私の中では清納の滝が気にいりました。清納の滝は、舞台型と私が勝手に名付けている滝の形です。刹那ごとに変わる形を演じている滝の舞台。美しかったです。

168号線に合流し、北上した私とストリーム。しばらくすると、笹の滝へといざなってくれる道が見えてきました。すでに日は傾きかけており、滝に間に合うかが微妙でしたが、少し山道を飛ばして走ることしばらく。大胆かつ細心の運転で16時40分には笹の滝の前に立つことができました。日本の滝百選に選ばれた笹の滝。すでに光量は乏しくなってきていましたが、なんとか笹の滝の美しい姿を記憶に収めることができました。

刻一刻と薄暗さが増す中、ぎりぎりまで笹の滝にいた私。
そのため、来た道を戻って168号線に合流した時、すでに空は闇に覆われていました。
168号線を走るのは8年前に妻と熊野三社から吉野へ向かって以来です。けれども、その時の思い出を反芻するには暗くなりすぎていました。
やがて168号線は五条インターチェンジへ。後は高速道路の旅です。
この日の夜、何を食べたのか覚えていませんが、おそらく実家で食べたのでしょう。
そしてその日は東京に帰らず、実家でもう一泊し、翌朝の新幹線で東京に帰りました。
そんな風にして四泊五日の紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトの旅は終わりました。

その後、紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトは紀伊田辺での期間を最後に終了しました。
そして12/19には都内で打ち上げと報告を兼ねた会が行われ、そちらには私も参加できました。
会場となった尾鷲や田辺、そして下北山村のイベントの報告を伺いました。また、その場で披露されたイベントのまとめ動画も見事でした。

各場所とも面白そうなイベントが実施されていたのですね。あらためてうらやましさを感じました。
また、打ち上げには私がお会いできなかった下北山村に参加された皆さんも来られており、下北山村のイベントに参加できなかった私にとって、いろいろなことを教えてもらえました。特に、ジビエの解体の動画を見せてもらえたのは思い出に残りました。
打ち上げに参加できたことで、また紀伊半島に行きたい思いに駆られました。

ところが、年が明けた二月から、世界はコロナに塗りつぶされてしまいます。
私も1月の中旬を最後に、ワーケーションをする機会がなくなってしまいました。
先に書いた通り、私の場合はコロナによって旅の自由が奪われたのではなく、コロナによって仕事が忙しくなってしまったためなのですが。

それに対する処方としては、体制の構築しかないと思っています。
今、こうやって一年少し前の思い出をつづっていますが、数日前に弊社もついに求人募集を出すことになりました。
三木さんと会話した三日間の結論として、ついに求人に踏み切ったということもあります。

体制の構築がうまく実現し、私がワーケーション先で要件定義や基本・概要設計ができるようになれば、きっとまた下北山村にも訪れられると信じています。

今回の旅や打ち上げ会で私とご縁を結んでくださった皆様、本当にありがとうございました!


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