妻から台湾に行こうと誘われたのはだいぶ前のこと。春先だった気がします。宝塚の星組に属するジェンヌさんのファン代表をやっている妻は、台湾公演について行かねばならなくなったのです。そこで妻は、私を一緒に連れて行くことで、私をなだめ、なおかつボディーガード役を担わせよう、ともくろんだのでしょう。なにしろ妻にとっては初めての台湾。台湾はおろかアジア圏にすら旅したことがなかったというのですから。

なだめられていると分かっていても、台湾と聞いて私の心は大いに動きました。22歳の時に台湾に行ってからすでに23年がたっています。いずれは台湾には再訪したいと思っていた私。妻の誘いに乗るしかないでしょう。断らないはずは、、ありません。切れていたパスポートも更新して、この日に備えていました。

この日の朝、私は妻を乗せて羽田への道を運転していました。私たちが乗る飛行機はLCCのPeachで、朝の5時55分に羽田を出発する予定。この時、私は離陸前に行わねばならないチェックインのことをあまり深く考えていませんでした。チェックインを所定の時間までに終わらせていないと飛行機には乗れません。妻からはその所定の時間を聞いておらず、通常と同じく30分前にはついていればいい、と思っていました。間違いでした。

私の予定通り5時前には羽田空港に着きました。楽勝です。早く着きすぎた、とすら思っていました。ところが、羽田空港のPeachのチェックインカウンターに向かったところ、どうもおかしい。人気がないのです。カウンターには人気どころか、スタッフの姿もない。慌てふためき、あらゆるカウンターを巡り、インフォメーションにも聞いてみました。早朝とはいえ、何人かの方が親身になって調べてくれました。結局、分かったのは、私たちがチェックインの時間に遅れてしまったこと。その飛行機は私たちが状況を理解しようと交渉している間に旅立っていってしまったことです。

すでに6時をまわり、天を仰いでいる暇はありません。なんとかして台湾に行く方法を見つけなければ。妻にとってみれば、代表としての務めを果たすため、何としても台湾に行かないと。台湾の宝塚ファンの友人が向こうで待っていて、昼食をともにする約束があるとか。

私はこの時点でもう諦め、私は行かなくていいから妻1人だけでも台湾にいかせようとしました。ところが妻は偉い。何とか頑張って交渉し、2時間後に成田から離陸するバニラエアの便を見つけてきました。当然、Peachに支払った全額は戻ってきません。さらに余分70,000円ほどの費用をバニラエアに払わねばなりません。ですが、せっかく妻が粘ってくれた機会をみすみす逃すわけには行きません。成田まで車を飛ばし、なんとかバニラエアの10時の便に乗ることができました。私はほぼ、台湾行きを諦めていたので、妻の粘りには感謝しかありません。

さて、台湾に着きました。23年ぶりの台湾。その感慨に浸る間も無く、入国審査の列に並びます。時間は迫っています。妻は台湾の友人との昼食は謝って参加を諦めたけど、台北の国家戯劇院で行われる星組公演の開演にはギリギリ間に合うかもしれません。急がねば。私も妻の執念が実るよう、間に合わせたい。

私たちは、何も考えずにタクシー乗り場に直行しました。年配の運転手の方に交渉し、国家戯劇院まで乗せてもらう事にしました。実は23年前の旅では、通常のタクシーには全く乗りませんでした。台湾の南端の枋寮駅から墾丁国家公園までを闇タクシーに乗ったぐらい。もちろん、前回は高速道路にも乗っていません。

タクシーの車窓からみる高速道路の外に広がる景色は、まぎれもない台湾。かつての記憶を重ね合わせようにも、初めて訪れた異国のように思えます。羽田、成田、桃園と目まぐるしく移動した朝の興奮はまださめません。そこにきて23年ぶりの台湾。私の目に映るものすべてがただ新鮮でした。

タクシーの運転手は、70代をゆうに越えている男性でした。でもiPadと思われるタブレットをカーナビとして、なんのためらいもなく操っています。そして私たちも、日本から持ってきたiPad/iPhoneが何の操作もせずに使えている事に気づきます。

やがて車は台北市内へ。23年もたつと、当時のことなど何も覚えていません。しかも、台湾一周を終えようとする私が万感の思いでペダルを漕ぎ、台北市内に入ったのは夜のこと。だから、なおさらこの景色は新鮮でした。でも夜の台湾で感じた方向感覚や、地形などの綾がまざまざと思い出され、23年ぶりに帰ってきた喜びがあふれてきます。

タクシーを国家戯劇院まで回してもらい、妻は下車。そこからは私一人です。まず、妻が予約しておいてくれたカイザーホテル台北にたどり着かないと。速やかに行き先をタクシーの運転手に伝えなければ、台北で複数の重い荷物を持ったまま迷子になってしまいます。iPadを駆使してホテルのウェブサイトを調べ、運転手に見せたところ、運転手に住所を理解してもらえました。そして無事にホテルに着きました。この運転手さん、それまでの旅路の間でも、iPadの翻訳機能を使い、一生懸命に日本語でコンタクトを取ろうとしてくれていました。私たちに話しかけてはこないものの、iPadに歓迎の言葉を打ち込み、それを日本語に翻訳するのです。その武骨な気持ちがとてもうれしかったです。かつての一周旅行の中、行く先々で年配の方々から受けた親切を思い出しました。

ホテルに着きました。チェックインをひとりでやらなければなりません。そもそも、パスポートが切れていたことからも分かりますが、私にとって海外旅行自体が10数年ぶりです。次女がまだ乳児だった頃、家族4人でハワイに行った時が最後です。それ以来、英語でしゃべる機会はほとんどありません。ましてや、ホテルでチェックインを行うなど、私にとって亀が皇居を一周するようなもの。実際、ホテルのカウンターでかなり苦労しました。どうもフロントの方が言っていたのは手付金を払ってくださいと言う事だったらしいけれど、私はそんなことすら理解できません。一生懸命、交渉していたのです。無知って怖い。

ただ、妻が成田空港で先に日本円を台湾ドルに両替してくれていてました。それをホテルのフロントの方に渡し、なんとかチェックインは終了。荷物も預けられました。

さて、その時点ですでに台湾時間の13時を過ぎていました。私がこの日、計画していたのは、台湾国鉄と平渓線を乗り継ぎ、十分瀑布に行く事でした。ところが予定よりも四時間も遅れています。もう、私が十分瀑布を訪れる時間はなさそうです。

でも台湾に来た以上、ホテルでこもっているなどあり得ない。旅をとことん愛する私が私であるゆえん。それは、骨身を惜しまず行動する事です。なのでまず、ホテルの近くにある龍山寺駅に向かいました。台北メトロ(MRT)です。前回の旅ではもちろん使っていませんし、そもそも未開通でした。前回の旅では自転車が主だったので電車にも乗っていません。この台北メトロ、日本よりも進んでいると思える点があります。いわゆるプリペイドカードの代わりにプリペイドコインが使えるのです。自販機でプリペイドコインを購入すれば、それを改札口に入れるだけ。この点、日本よりも進んでいます。切符がないので。

地下鉄の中は日本とそう変わりません。整然としています。駅も清潔で、かつて訪れた際に感じた猥雑さはどこへやら。23年の月日を感じます。電車は整然と台北駅へ。再び改札をとおって駅コンコースへ。

台湾の地下街を歩くこと、それは大阪の地下街を歩く感じに似ています。梅田の地下街を歩いているような不思議な感覚に襲われますが、ここは台北。並んでいる店の看板は漢字と英語。全ての漢字は繁体字で書かれています。当たり前ですが。

私は勝手の知った場所を歩いているような気持ちになりました。足取りも軽く、堂々と。台湾国鉄、台鉄の看板を頼りにコンコースを歩く私。程なく、台鉄の切符売り場にたどり着けました。ところが、事前にウェブで切符や電車の種類を調べていたにもかかわらず、やはり買い方がわかりません。自強号、莒光号。いろんな列車があるのです。

だが、時刻はすでに14時過ぎ。これから十分に行くことは叶わない時間です。無念。もっともこれは私も悪いので仕方ない。まず切符を買ってみてどこかに行ってみよう。なんとか十分瀑布の近くまで行けないか、と考えて思いついたのは基隆。基隆の街は、前回の台湾一周旅行でも通り過ぎたはずですが、全く記憶がありません。何か港のようなものが見えたような気もしますが、それすらもあやふや。であれば、この機会に訪れ、きちんと街を歩いてみよう、と。

そして電車を待つことしばらく。よくわからないままに、少し古びた電車が来たのでそれに乗りました。台湾国鉄には急行や特急のような列車種別もあります。ですがそうした列車に乗ると、花蓮や蘇澳の方まで行ってしまうというので、區間車に乗りました。しかも基隆行。

台北駅を出ると、しばらく列車は地下を進みます。それにしても、どの駅も光量が足りないように思えます。どよーんとした印象の駅が続きます。それとも日本の駅が無駄に明るすぎるのでしょうか。地上の駅も心なしか古びて見えます。

そもそも、台湾の建物の多くがそうです。一度建ててしまうと風雪にさらされるままに任せ、メンテナンスをあまりしないようです。機能を重視し、見た目は気にしない。そんな台湾の気風が感じられます。私が車窓から見る景色が、かつて自転車で通ったような気がするのも、多分23年の間、建物は一新されず当時のままの姿を保っているからかもしれません。

23年前の私たちは、無謀にも台北で自転車を買い、何も計画せずに台湾一周自転車旅行の旅に出ました。それ以来、人生山あり谷ありで、当時の無鉄砲さは過去において来てしまったように思います。ですが、変わるのは人だけでよく、建物は古びるがままでよい。そんな台湾の気質の源を、駅や車窓からの眺めを見ながら考えました。

しばらくして、基隆駅に着きました。終点です。この駅は、今まで通ってきた数駅に比べ、かなり綺麗です。改札を出て駅舎を見返ると、新しい駅舎が輝いています。あとで調べたところ、基隆駅はちょうど新しい駅舎に変わったばかりだそう。道理で、と納得しました。

前回の旅の時、私は駅にあまり興味を持っていませんでした。なので、写真にもほとんど残していません。その分、今回の旅ではここぞとばかりに写真に撮りまくりました。

駅舎を出て少し歩けば、基隆の港の桟橋や建物が見えてきます。一新した駅舎とは違い、とても古びています。私にとって興味のある、さまざまな街角の風景。例えばマンホール。郵便ポスト。郵便局。それらのどれもがメンテナンスもそこそこに風砂にすり減らされたまま、潮気に錆びつき、そして時間に溶けています。

埠頭をぶらついてみました。船がたくさん停泊しています。向こう岸には軍艦らしき厳しい船の姿が目に入ってきます。基隆の港をきちんと見るのは初めてですが、知らない場所を訪れている感覚がとてもうれしい。高揚した気分のまま、しばらく歩いていると、観光用の桟橋のような所に着きました。桟橋を模した木の板の広場には地元の人や若者、観光客がたむろしています。K-E-E-L-U-N-Gの文字があしらわれたオブジェが広場に立っています。かなりおしゃれな感じ。日本でもよく見かける観光用の桟橋に来ているよう。

23年もたてば、台湾もすっかり変わります。かつてはこんなオシャレな場所はみなかった気がします。だが、今や台湾は日本を凌駕する勢い。鴻海がシャープを買収したニュースを持ち出すまでもなく、台湾は今や一流の先進地になっています。私は台湾の勢いを、ここ基隆の波止場で強く感じました。

波止場を離れ、そばのファミリーマートに行ってみました。23年前の旅行でもさんざんお世話になったファミリーマート。お店の中には、当然ながら台湾の商品が並んでいます。ところが、日本の商品もちらほら見かけます。23年前にも伊藤園のペットボトルに驚いた記憶がありますが、その時よりもたくさんの日本製品やブランドを見かけます。そうした細かな発見がなんだか懐かしい。二、三本適当なペットボトルを選び、無事にレジで支払いを。初めてのお買い物も無事に完了。

さて、基隆の街をもっとゆっくり歩きたかったのですが、既に時刻は5時を回っています。すこし日が落ちてきました。妻と台北で落ち合う時間まで、まだまだあるとはいえ、夜になると勝手がわかりません。町をぶらつくのは諦め、駅舎や駅の中を撮って時間を過ごしました。基隆駅はちょうど旧駅から新駅で変わったばかりで、旧駅の遺構もまだあちこちに残っています。日本がかつて統治していた頃からある旧駅舎のようですが、風情があります。旧駅は完全に撤去されず、がらんとした空間が通路の一部としてそのまま使われています。廃虚と化した旧駅の中をそのままに普通に見せる。日本であれば旧駅は完全に覆い隠してしまうところですが、台湾は本当にそうした部分で身なりを気にするところがなく、好感が持てます。

新しい基隆駅の駅舎本屋は、帽子のような形の意匠でとてもおしゃれ。だが、そんな洗練された駅と、桟橋も観光地のような瀟洒な様子に変わっているにもかかわらず、駅前の歩道橋の上には大きな犬を側に侍らせ、座り込んでいる年配の人が。そうしたアナーキーで野放図な感じが、かつて私が一周した台湾を思い出させます。かつては道端で野良犬同士が交尾しているのを何度も見たぐらいなので。

さて、基隆駅から再び台北行きの電車に乗って帰ります。台北行の列車がなく、果たして台北に向かうには何に乗れば良いのかよくわかりません。ですが、北廻線と南廻線があり、花蓮や蘇墺行と逆方向の列車に乗りました。来た時と同じく區間車で帰ります。

折のよいことに妻も、国家戯劇院での舞台が終わったらしく、台北駅で待ち合わせることにしました。後で聞いたところ、妻は台北駅まで行く方法がわからなかったのだとか。昼食を一緒に食べる予定だった方は、そのまま南の高雄の方まで帰ってしまうのですが、その方が近くを歩いていた観劇帰りの方を捕まえ、妻に台北までの案内を頼んだのだとか。そうした行動力の凄みが感じられます。そんなわけで妻とは台北駅の地下街で合流することができました。

それにしてもこの旅の間、何も設定を変えずにLINEがつながったのはありがたかったです。まさに幸いといいましょうか。おかげで妻とは日本にいるのと同じようにコミュニケーションができました。

さて、妻と落ち合ったので、どこかで飯を食うことになりました。もちろん私にも妻にもあてがありません。そこで、台北の地下街をぶらつきながら、どこかのショッピングビルの地下から上へと昇って行きました。もちろん初めて来るビルで、勝手がわかりません。ですが、地下街を歩いていても、日本の渋谷・新宿・池袋・梅田の地下街を歩いているのとまったく変わりません。おしゃれな店は日本と同じような面構えをしています。扱っている品物もそう変わりません。日本で見かけるようなブランドのロゴがそこら中にあふれています。

ショッピングモールの上に登ってゆくエスカレーターもとても華やかで、日本のショッピングモールと全く遜色がありません。むしろ、日本よりも洗練されているかも。そう思わされました。最上階にレストランがあるのも日本と一緒。そこを一周し、店をめぐってみます。と、よくわからないけれど、何かのバイキングらしいお店を見つけました。餐食天堂という名前のお店です。すごく人が並んでいます。どのぐらい待つかはわからないものの、英語で何分待つか聞いてみました。すると予約を受け付けてもらえました。そして、列の後に並ぶように言われたので並びました。

ラッキーなことにその列は、店のオープンを待って並んでいた列だったらしく、私たちは、それほど待たずに開店と同時に店の中に入ることができました。この餐食天堂には全く事前に調べずに入りましたが、大当たりでした。日本で見るバイキングとはレベルが違う種類。そして量。日本でこのお店と比較できるとすればホテルのバイキングレストランぐらいです。そのぐらい素晴らしかった。中華の味付けをベースにしていますが、最新の中華の味付けがされています。つまり洗練されている感じ。寿司もあるしサラダもある。カクテルもあるし、土瓶蒸しまで。妻も私も大満足。ここに来ただけでも、朝のバタバタの苦労が報われたと思えました。

もう十分、これ以上食えない、というまで食べてお店を出ました。また、エスカレーターをぐるぐる回りながら下の階まで向かいます。途中、おしゃれな店に立ち寄りながら。中には日本の酒を専門に売っているお店もあります。本当に日本のショッピングセンターと変わらず、異国情緒がある分、飽きさせません。

23年前の私たちが訪れた百貨店は新光三越百貨店でした。自転車売り場へ直行し、ほかの場所はほとんど観ず。最終日にお土産でLevronの口紅と響17年を買った記憶はありますが、当時も今もおしゃれには全く興味がないので、妻との旅で台北の洗練された部分を堪能しました。今は当時よりお金があるだけのことかもしれませんが。

満足したところで、ホテルに戻ります。地下鉄での帰り方を妻に指南しながら二人で龍山寺駅で下車。そして、ホテルへの道を歩きます。ところがホテルに着いたものの、どうも私の手続きのやり方がまずかったらしく、荷物が見当たらないトラブルが。それはしばらくして解消したのですが、始動が遅かっただけに、もう少し台湾を見て回ろうということで、再び外へ。

妻が夜市に行きたいと言うので、近所の艋舺夜市をぶらつきました。この夜市、後で調べたところ、昔からある夜市らしく、かなり地元に即していました。ワイルドなオーラが漂っています。少し人通りの絶えた華西街観光夜市というアーケードに足を踏み入れると、アダルトショップはあるし、蛇の店はあるし、となかなか怪しい雰囲気を醸し出していました。妻と二人でのんびり歩きつつ、なんとなく台湾を堪能した気分になれたのはよかったです。

部屋に戻ると私はお仕事。ちゃんとパソコンも持ってきています。Wi-Fiがつながり、各サービスも日本にいるのと同じように使えます。全く問題がなくやるべき作業ができました。

つまり、私もやろうと思えば海外でリモートワークができるのです。まさにNOMAD。これこそ23年前には全くなかった環境です。これで今後の旅の選択肢は増えました。あらゆる意味で台湾を満喫しつつ、初日の夜は更けていきました。


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