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澄みわたる大地


魔術的リアリズムの定義を語れ、と問われて、いったい何人が答えられるだろう。ほとんどの方には無理難題に違いない。ラテンアメリカ文学に惹かれ、数十冊は読んできだ私にも同じこと。魔術的リアリズムという言葉は当ブログでも幾度か使ってきたが、しょせんは知ったかぶりにすぎない。だが、寺尾氏による『魔術的リアリズム』は、その定義を明らかにした好著であった。

その中で寺尾氏は、魔術的リアリズムに親しい小説や評論をかなり紹介してくださっている。その中には私の知らない、そもそも和訳がまだで読むことすらままならない作品がいくつも含まれていた。

著者略歴には寺尾氏が訳したラテンアメリカの作家の著作も数冊載っている。それによって知ったのは、寺尾氏が、理論だけでなく実践「翻訳」もする方であること。私は寺尾氏がまだ知らぬラテンアメリカ文学を翻訳してくれることを願う。

そんなところに、本書を見掛けた。著者はラテンアメリカ文学を語る上で必ず名の挙がる作家だ。だが、上述の寺尾氏の著作の中では、著者の作品はあまり取り上げられていない。作風が魔術的リアリズムとは少し違うため、寺尾氏の論旨には必要なかったのだろう。だが、著者の名は幾度も登場する。メキシコの文学シーンを庇護し、魔術的リアリズムを世界的なムーブメントへと育てるのに大きな役割を果たした立役者として。その様な著者の作品を訳したのが寺尾氏であれば、読むしかない。

本書はセルバンテス文化センター鯵書の一冊に連なっている。セルバンテス文化センターとは、麹町にあってスペイン語圏の文化を発信している。私も二度ほど訪れたことがある。セルバンテス文化センターでは、スペイン本国だけでなくスペイン語圏を包括している。つまり、本書のようなメキシコを舞台とした文学も網羅するわけだ。

そういったバックがあるからかは知らないが、本書の内容には気合いが入っている。小説の内容はもちろんだが、内容を補足するための資料が充実しているのだ。

脇役に至るまで登場するあらゆる人物の一覧。メキシコシティの地図。本書に登場したり、名前が言及されるあらゆる人物の略歴。さらには年表。この年表もすごい。本書の舞台である1950年代初頭までさかのぼったメキシコの近代史だけでなく、そこには本書の登場人物たちの人物史も載っている。

なぜここまで丁寧な付録があるかというと、本書を理解するためには少々の知識を必要とするからだ。革命をへて都市化されつつあるメキシコ。農地を手広く経営する土地持ちが没落する一方で、資本家が勃興してマネーゲームに狂奔するメキシコ。そのようなメキシコの昔と今、地方と都市が本書の中で目まぐるしく交錯する。なので、本書を真に理解しようと思えば、付録は欠かせない。もっとも、私は付録をあまり参照しなかった。それは私がメキシコ史を知悉していたから、ではもちろんない。一回目はまず筋を読むことに専念したからだ。なので登場人物達の会話に登場する土地や人物について、理解せぬままに読み進めたことを告白する。

筋書きそのものも、はじめは取っ付きにくい思いように思える。私も物語世界になかなか入り込めないもどかしさを感じながら読み進めた。それは、訳者の訳がまずいからではない。そもそも原書自体がやさしく書かれているわけではないから。

冒頭のイスカ・シエンフエゴスによる、メキシコを総括するかのような壮大な独白から場面は一転、どこかのサロンに集う人々の様子が書かれる。紹介もそこそこに大勢の人物が現れては人となりや地位を仄めかすようなせりふを吐いて去ってゆく。読者はいきなり大勢の登場人物に向き合わされることになる。やわな読者であればここで本書を放り投げてしまいそうだ。本書に付されている付録は、ここで役に立つはずだ。

前半のこのシーンで読者の多くをふるいにかけたあと、著者はそれぞれの登場人物を個別に語り始める。それぞれの個人史は、すなわちメキシコの各地の歴史が語られることに等しい。メキシコの地理や歴史を知らない読者は、物語に置いていかれそうになる。またまた付録と本編を行きつ戻りつするのが望ましい。

実のところ、中盤までの本書は導入部だ。読者にとっては退屈さとの戦いになるかもしれない。

しかし中盤以降、本書はがぜん魅力を放ち始める。本書は、文章の表現や比喩の一つ一つが意表をついた技巧で飾られている。それは、著者と訳者による共作の芸術とさえ言える。前半にも技巧が凝らされた文章でつづられているのだが、いかんせん世界に入り込めない以上は、飾りがかえって邪魔になるだけだ。だが、一度本書の世界観に入り込むことに成功すると、それらの文章が生き生きとし始めるのだ。

文章が輝きを放つにつれ、本書内での登場人物達の立ち位置もあらわになって行く。ここに至ってようやく冒頭のサロンで人々が交わす言葉の意味が明らかになっていく。本書はそのような趣向からなっている。

登場人物たちが迎える運命の流れは、読者にページをめくる手を速めさせる。本書を読み進めていくうちに読者は理解するはずだ。本書がメキシコを時間の流れから書き出そうとする壮大な試みであることに。

革命とその後に続く試行錯誤の日々に翻弄される人々。その変わりゆく営みのあり方はさまざまだ。成り上がり階級の人々が謳歌していた栄華は、恥辱に塗れ、廃虚となる。没落地主の雌伏の日々は、名声の中に迎えられる。人々の境遇や立場は、時代の渦にはもろい。本書の中でもそれらは不安定に乱れ舞う。吉事に一喜し、凶事に一憂する人々。著者のレトリックはそんな様子を余すところなく自在に書いてゆく。閃きが縦横に走り、メキシコの混乱した世相が映像的に描き尽くされる。

だが、それらの描写はあくまでも比喩として多彩なのだ。非現実的な出来事は本書には起こらない。つまり、本書は魔術的リアリズムの系譜に連なる作品ではないのだ。それでいて、本書の構成、描写など、間違いなくラテンアメリカ文学の代表として堂々たるものだと思う。おそらくは、寺尾氏もそれを考えて『魔術的リアリズム』に本書を取り上げなかったと思われる。だが、魔術的リアリズムを抜きにしても、本書はラテンアメリカ文学史に残るべき一冊だ。寺尾氏も我が意を得たりと、本書の翻訳を引き受けたのだと思う。

‘2016/07/17-2016/08/05


人間臨終図鑑II


本書では享年五十六歳から七十二歳までの間に亡くなった人々の死にざまが並べられる。五十六歳から七十二歳まで生きたとなれば、織田信長の時代であれば長生きの部類だ。当時にあっては長寿を全うしたともいえる。

人生の黄昏を意識し始めた人々は、死に際して諦めがいい。とはかぎらない。

本書に収められている以上は、それぞれがその世界で名を成した人々だ。努力に研鑽を重ね、なにがしかの実績を重ねて来た人々でもある。が、そういった人々こそ、まだまだ道なかば、と思いながら日々を生きているのではないか。死を前にして、自分はまだ若いと考えたことだろう。

人の死にざまを描くことで、その人の一生を総括できるのか。著者がこの図巻で試みようとするのは難儀な試みだ。その人の一生を知りたければ葬儀の参列者を観察すればいい。誰が言ったかは知らないが、一面の真理をついている。では、その人の死に方を観察すれば、その人の一生は理解できるのか。悟ったように従容と死に臨むことができれば、その人は生涯を悔いなく過ごせたといえるのか。これまた難しい問いだ。

私自身、齢四十三を数えた自らの人生を振り返ると、道半ばどころか、ひよっこもいいところだと思っている。まだまだ知りたいことやりたいことが無数に残っている。仮に今、死期を知らされたところで、きっと未練で取り乱すに違いない。

産まれた瞬間に死刑宣告を受けるのが生きとし生けるものの定め。それは頭ではわかっていても、悟りを開くにはやるべきことがまだまだ残っている。そう思っている。もちろん、一生を悟りの中に生きることもありだろう。だが、そこに諦めは持ち込みたくない。死に臨むなら、諦めの中でなく、やり切った満足の中に臨みたい。最後に一念発起し、盛大に花火を打ち上げるのも良いが、生半可な花火ではかえって悔いが残るかもしれない。それであれば体力のある今のうちにやりたいことをやっておきたい。

本書を読むと、否応なしに死に方について思いを致したくなる。日々を生きるのに精一杯な状態では、死に方について考える暇もないだろう。であれば、せめて他人が死に臨んでどのように納得したのか。どのように折り合いをつけたのか。その様を知り、自らの死生観を養うのがよい。いまだかつて、死で自らの生を終わらせなかった人間はいない。これを書いている私にもやがて死は訪れる。これを読んでくださっているあなたにも。死は等しくやってくる。

そして、死ぬ事を、頭のなかでわかったような気になっているのも私も含めて皆一緒だ。それであれば、少しでも自分の死に際して、慌てず騒がず、悔いなくその時を迎えるにはどうすればいいか。本書は、やがて訪れる死を前に、読んでおくべき一冊だと思う。

’2016/07/08-2016/07/10


人間臨終図鑑I


伝奇作家として知られる著者だが、有名な諸作品を読む前に著者の書いた伝記を読むことになってしまった。何を隠そう、私は著者の作品を今まで読んだことがなかったのだ。雑誌ではなく、書物で読むのは初めて。

本書は、古今東西の有名人の死に様を集めている。取り上げられているのは、享年が若い順だ。

冒頭をかざるのは、八百屋お七。想い人に逢いたいあまり放火をしでかした江戸の女性。享年十五歳。次は大石主税。忠臣蔵で知られる内蔵助の息子だ。父と共に吉良邸に討ち入りを果たし、切腹で生涯を終えた。享年十五歳。その次に登場するのは、ナチの強制収容所で命を落としたアンネ・フランク十六歳だ。

冒頭の若くして亡くなった三人は、どれも我が国では知られた存在だ。だが、人類の歴史を振り返れば享年十五歳未満で亡くなった人は他にもたくさんいるはずだ。だが、本書には登場しない。恐らくは本書に取り上げられるに足る業績がないためだろう。(放火を業績というのは憚られるが。)

なぜ、十五歳未満の人物が登場しないのか。それは、人生で成果を出し始める時期が十五歳以降であることを示す証拠だと思う。

本書は以降、十代から二十代、三十代と取り上げられる享年が上がってゆく。それに従い、紹介される死に様が変わっていくのが興味深い。

若いうちに亡くなる原因とは、不慮の事故であることがほとんどだ。もしくは若さ故の勇み足か。だが、将来を嘱望されながら、若くして病に世を去った方もいる。彼ら彼女らの無念も本書には取り上げられている。

三十代にもそれぞれの一生の締めくくりがあり、四十代にも死に至るまでの事情がある。著者がとりあげるのは、聖人君子だけではない。鬼畜な犯罪者だって革命家だって等しく取り上げる。いかに死んだのかを書く本書だが、何かを成し遂げないと本書には取り上げられないのだ。ただ死んだだけなら他にも該当者は沢山いる。諸外国にはその地で有名な若くして亡くなった人もいるだろうが、つまりは著者が取り上げるかどうかだ。やはり何をなしたか、が重要になるのかもしれない。

ただ、生前の業績が取り上げられる理由になるとはいえ、やはり本書は死に様を描く本だ。本書は享年五十五歳でなくなった大川橋蔵までが取り上げられている。人生五十年の信長の時代ならともかく、今から見ると五十代で死ぬのは若死にを意味する。

そのためだろうか、著者が書く若い人々の死に様には、どことなく哀惜の色が漂う。本書には32歳で暗殺された坂本竜馬も取り上げられているが、著者は以下のような言葉をはなむけに添えている。「もう少し生かしておきたかった、と思われる人間は史上そう多くないが、坂本竜馬はたしかにその一人である」。他に著者が本書内で同様に評価しているのは大杉栄、小栗虫太郎、島津斉彬などだ。

また、著者が作家なだけに、作家の訃報には紙数が割かれている。石川啄木や夏目漱石など。

本書は日本人の著者によって書かれただけに、日本人の割合が非常に高い。だからこそ、我々にとっては思い入れもあるし、日本人の死生観について興味深い例を教えてくれる。

自分がどうやって死ぬか。死ぬときには後世に恥じぬ死に様でありたい。そう思うのだが、まだまだそう思うには時間が掛かるのだろうな。

‘2016/07/06-2016/07/08


自殺について


なにしろ題名が「自殺について」だ。うかつに読めば火傷すること確実。

悩み多き青年には本書のタイトルは刺激的だ。タイトルだけで自殺へと追い込まれかねないほどに。23歳の私は、本書を読まなかった。人生の意味を掴みかね、生きる意味を失いかけていた当時の私は、絶望の中にあって、本書を無意識に遠ざけていた。ありとあらゆる本を乱読した当時にあっても。

だが、今になって思う。本書は当時読んでおくべきだった、と。

もし当時の私が本書を読んでいたとしたら、どう受け取っただろう。悲観を強めて死を選んだか。それとも生き永らえたか。きっと絶望の沼に陥らず、本書から意味を掴みとってくれていたに違いないと思う。本書は人を自殺に追いやる本ではない。むしろ本書は人生の有限性を説く。有限の生の中に人生の可能性を見出すための本なのだ。

自殺は、苦患に充ちたこの世の中を、真に解脱することではなく、或る単に外観的な-形の上からだけの解脱で紛らわすことであるから、それでは、自殺は、最高の道徳的な目標に到達することを逃避することになる(199ページ)。

このように著者ははっきり主張する。つまり、自殺した者には解脱の機会が与えられないということだ。なんとなく著者に厭世家のイメージを持っていた私は、著書を初めて読む中で著者への認識を改めた。

確かに本書を一読すると厭世観が読み取れる。だが、それはあくまで「一読すると」だ。本書の内容をよく読むと、厭世観といっても逃げの思想に絡め取られていないことがわかる。むしろ限りある苦難の生を生きるにあたり、攻めの姿勢で臨むことを推奨しているようにすら思える。

そのことは時間に対する著者の考えで伺える。43ページで著者は、時間は、ひとつの無限なる無なのだから、と定義している。また、32ページでは、それに反して意思は、有限の時間と空間とを占める生物の身体として、と定義している。つまり著者によると、自己を意識する自我が主体だとすれば、時間とはそれ以外の部分、つまり客体に適用される。しかし、主体である我々に時間は適用されない。適用されないにもかかわらず、時間の有限の制約を受けることを余儀なくされた存在だ。そして限られた時間に縛られながら、精一杯の欲望を満たそうとする儚い存在でもある。そこに生きる悩みの根源はあると著者はいう。

もう一つ。自我にとって認識できる時間は今だけだ。過去はひとたび過ぎ去ってしまうと記憶に定着するだけで実感はできない。過去が実感できないとは、過去に満たされたはずの欲求も実感できないことと等しい。一度は満たしたかに思えた欲求は一度現在から過ぎ去ると何も心に実感を残さない。つまり、欲求とは満たしたくても常に満たせないものなのだ。そんな状態に我々の心は耐えられず、不満が鬱積して行く。何も手を打たなければ、行く手にあるのはただ欠乏そして欲望のみ。生を意欲すればするほど、それが無に帰してしまう事実に絶望は増して行くばかり。著者は説く。意欲する事の全ては無意味に終わると。尽きぬ欲求を解消する手段は自殺しかない。そんな結論に至る。私が悩める時期に幾度も陥りかけたような。

好色や多淫は、著者にとっては人間の弱さだ。けれども、その弱さが種の保存という結果に昇華されるのであれば、それで弱さは相殺されると著者は考える。

著者の論が卓抜なのは、生を種族のレベルで捉えていることだ。個体としての生が無意味であっても、それが種の存続にとっては意味があるということ。つまり生殖だ。著者は淫楽をことさらに取り上げる。人は性欲に囚われる。それも人が囚われる欲の一つだ。しかし、性欲の意義を著者は種の存続においてとらえる。そして親が味わった淫楽の代償は次の世代である子が生の苦しみとして払う。

生殖の後に、生がつづき、生の後には、死が必ずついてくる。(81ページ)

或る個人(父)が享受した・生殖の淫楽は彼自身によって贖われずに、かえって、或る異なった個人(子)により、その生涯と死とを通して贖われる。ここに、人類というものの一体性と、それの罪障とが、ひとつの特殊な姿で顕現するのだ。(81-82ページ)

上にあげた本書からの二つの引用は、生きる意味を考える上で確かな道しるべになると思う。つまるところ、個人の夢も会社の成長も、あらゆる目標は種の存続に集約される。そういうことだ。逆にそう考えない事には、死ねば全てが無になってしまう事実に私は耐えられない。おそらく人々の多くにとっても同じだと思う。

ここで誤解してはならないことが一つある。それは子を持つことが人類の必須目的という誤解だ。子を持つことは人の必要条件ですらないと思う。人生の目的を個体の目的でなく、種の目的に置き換える。そうする事で、子を持つことが義務ではなくなる。例えば子がいなくとも、種の存続に貢献する方法はいくらでもある。上司として、隣人として、同僚として。ウェブやメディアで人に影響を与えうる有益な情報を発信する事も方法の一つだ。要は子を持たなくても種のために個人が貢献できる手段はいくらでもあるという事。それが重要なのだ。その意識が生きる目的へと繋がる。著者は生涯結婚しなかったことで知られるが、その境遇が本書の考察に結実したのであればむしろ歓迎すべきだと思う。

本書で著者が展開する哲学の総論とは、個体の限界を認識し、種としての存続に昇華させることにある。それは個体の生まれ替わりや輪廻転生を意味するのだろうか。そうではない。著者が本書で展開する論旨とはそのようなスピリチュアルなほうめんではない。だが、種の一つとして遍在する個体が、種全体を生かすための存在になりうるとの考えには輪廻転生の影響もありそうだ。著者の考えには明らかに仏教の影響が見いだせる。

著者の考えを見ていくと、しっかりと仏教的な思想が含有されている。実際、本書には仏教やペルシャ教を認め、ユダヤ教を認めない著者の宗教観がしっかりと表明されている。なにせ、ユダヤ教が、文化的な諸国民の有する各種の信仰宗教のなかで、最も下劣な地位を占めている(181ページ)とまで述べるのだから。

著者がユダヤ教、その後裔としてのキリスト教に相容れようとしないのは、自殺という著者の考えの根幹を成す行為が、これら宗教では何の論拠もなしに宗教的に禁じられているからではないか。著者は自殺を礼賛しているのではない。むしろ禁じている。だが、ユダヤ・キリスト教が自殺を禁じる論拠になんら思想的な錬磨もなく、盲目的に自殺を禁ずることを著者は糾弾する。

ここまで読むとわかるとおり、著者にとっての自殺とは、種の存続には何ら益をもたらさない行為だ。そもそも個人がいくら個人の欲求を満たそうにもそれは無駄なこと。生とはそもそも辛く苦しい営み。だからこそ、種としての貢献や存続に意義を見出すべきなのだ。つまり、個人としての欲望に負け自殺を選ぶのは、著者によれば個人としての解脱にも至らぬばかりか、種としての発展すら放棄した行為となる。

だが私は思った。著者の生きた時代と違い、今は人が溢れすぎている。生きることがすなわち種の存続にはならない。むしろ、生きることそのものが地球環境に悪影響を与えかねない。そんな時代だ。いったい、この時代に自殺せず、なおかつ種の存続に貢献しうる生き方はありうるのだろうか。多分その答えは、著者が説く、人を自殺に至らしめる元凶、つまり際限なき欲求にある。欲求の肥大を抑える事は、自殺欲望を抑制することになる。また、欲求の肥大が収まることで、地球環境の維持は可能となる。それはもちろん、種の存続にもつながる。つまり、自殺と人間の存続は表裏一体の関係なのだ。自殺の欲求から醒めた今の私は、本書からそのようなメッセージを受け取った。

もちろん、そんな単純には個々人の人生や考えは戒められないだろう。国にしてもそう。東洋の哲学を継承するはずの中国からして、猛烈な消費型生活に邁進し、自殺者も出しているのだから。少し前までの我が国も同じく。だが、それでもあえて思う。自殺を超越しての解脱を薦め、個体の限りある 生よりも種としての存続に人生の意義を説く本書は、東洋人の、仏教の世界観に親しんだ我々にこそ相応しい、と。

‘2016/06/08-2016/06/15


柳田國男全集〈2〉


本書は読むのに時間が掛かった。仕事が忙しかった事もあるが、理由はそれだけではない。ブログを書いていたからだ。それも本書に無関係ではないブログを。本書を読んでいる間に、私は著者に関する二つのブログをアップした。

一つ目は著者の作品を読んでの(レビュー)。これは著者の民俗学研究の成果を読んでの感想だ。そしてもう一つのブログエントリーは、本書を読み始めるすぐ前に本書の著者の生まれ故郷福崎を訪れた際の紀行文だ(ブログ記事)。つまり著者の民俗学究としての基盤の地を私なりに訪問した感想となる。それらブログを書くにあたって著者の生涯や業績の解釈は欠かせない。また、解釈の過程は本書を読む助けとなるはず。そう思って本書を読む作業を劣後させ、著者に関するブログを優先した。それが本書を読む時間をかけた理由だ。

今さら云うまでもないが、民俗学と著者は切っても切れない関係だ。民俗学に触れずに著者を語るのは至難の業だ。逆もまた同じ。著者の全体像を把握するには、単一の切り口では足りない。さまざまな切り口、多様な視点から見なければ柳田國男という巨人の全貌は語れないはずだ。もちろん、著者を理解する上でもっとも大きな切り口が民俗学なのは間違いない。ただ、民俗学だけでは柳田國男という人物を語れないのも確かだ。本書を読むと、民俗学だけでない別の切り口から見た著者の姿がほの見える。それは、旅人という切り口だ。民俗学者としての著者を語るにはまず旅人としての著者を見つめる必要がある。それが私が本書から得た感想だ。

もとより民俗学と旅には密接な関係がある。文献だけでは拾いきれない伝承や口承や碑文を実地に現地を訪れ収集するのが民俗学。であるならば、旅なくして民俗学は成り立たないことになる。

だが、本書で描かれる幾つもの旅からは、民俗学者としての職責以前に旅を愛してやまない著者の趣味嗜好が伺える。著者の旅先での立ち居振舞いから感じられるのは、旅先の習俗を集める学究的な義務感よりも異なる風土風俗の珍しさに好奇心を隠せない高揚感である。

つまり、著者の民俗学者としての業績は、愛する旅の趣味と糧を得るための仕事を一致させるために編み出した渡世の結果ではないか。いささか不謹慎のような気もするが、本書を読んでいるとそう思えてしまうのだ。

趣味と仕事の一致は、現代人の多くにとって生涯のテーマだと思う。仕事の他に持つから趣味は楽しめるのだ、という意見もある。趣味に締切や義務を持ち込むのは避けたいとの意見もある。いやいや、そうやない、一生を義務に費やす人生なんか真っ平御免や、との反論もある。その人が持つ人生観や価値観によって意見は色々あるだろう。私は最後の選択肢を選ぶ。仕事は楽しくあるべきだと思うしそれを目指している。どうせやるなら仕事は楽しくやりたい。義務でやる仕事はゴメンだ。趣味と同じだけの熱意を賭けられる仕事がいい。

だが、そんなことは誰にだって言える。趣味だけで過ごせる一生を選べるのなら多くの人がそちらを選ぶだろう。そもそも、仕事と趣味の両立ですら難儀なのだから。義務や責任を担ってこそ人生を全うしたと言えるのではないか。その価値観もまたアリだと思う。

どのように生きようと、人生の終わりではプラスもマイナスも相殺される。これが私の人生観だ。楽なことが続いても、それは過去に果たした苦労のご褒美。逆に、たとえ苦難が続いてもそれは将来に必ず報われる。猛練習の結果試合に勝てなくても、それは遠い先のどこかで成果としてかえってくる。また、幼い日に怠けたツケは、大人になって払わされる。もちろんその水準点は人それぞれだ。また、良い時と悪い時の振幅の幅も人それぞれ。

著者を含めた四兄弟を「松岡四兄弟」という。四人が四人とも別々の分野に進み、それぞれに成功を収めた。著者が産まれたのはそのような英明な家系だ。だが、幼少期から親元を離れさせられ郷愁を人一倍味わっている。また、英明な四兄弟の母による厳しい教育にも耐えている。また、著者は40歳すぎまで不自由な官僚世界に身をおいている。こうした若い頃に味わった苦難は、著者に民俗学者としての名声をもたらした。全ての幼少期の苦労は、著者の晩年に相殺されたのだ。そこには、苦難の中でも生活そのものへの好奇心を絶やさなかった著者の努力もある。苦労の代償があってこその趣味と仕事の両立となのだ。

著者が成した努力には読書も含まれる。著者は播州北条の三木家が所蔵する膨大な書籍を読破したとも伝えられている。それも著者の博覧強記の仕事の糧となっていることは間違いない。それに加えて、官僚としての職務の合間にもメモで記録することを欠かさなかった。著者は官僚としての仕事の傍らで、自らの知識の研鑽を怠らない。

本書は、官僚の職務で訪れた地について書かれた紀行文が多い。著者が職務を全うしつつもそれで終わらせることなく、個人としての興味をまとめた努力の成果だ。多分、旅人としての素質に衝き動かされたのだろうが、職務の疲れにかまけて休んでいたら到底これらの文は書けなかったに違いない。旅人としての興味だけにとどまることなく文に残した著者の努力が後年の大民俗学者としての礎となったことは言うまでもない。

本書の行間からは、著者の官僚としての職責の前に、旅人として精一杯旅人でありたいという努力が見えるのである。

本書で追っていける著者の旅路は実に多彩だ。羽前、羽後の両羽。奥三河。白川郷から越中高岡。蝦夷から樺太へ。北に向かうかと思えば、近畿を気ままに中央構造線に沿って西へと行く。

鉄道が日本を今以上に網羅していた時期とはいえ、いまと比べると速度の遅さは歴然としている。ましてや当時の著者は官僚であった。そんな立場でありながら本書に記された旅程の多彩さは何なのだろう。しかも世帯を持ちながら、旅の日々をこなしているのだから恐れ入る。

そのことに私は強烈な羨ましさを感じる。そして著者の旅した当時よりも便利な現代に生きているのに、不便で身動きの取りにくい自分の状態にもどかしさを感じる。

ただし、本書の紀行文は完全ではない。たとえば著者の旅に味気なさを感じる読者もいるはずだ。それは名所旧跡へ立ち寄らないから。読者によっては著者の道中に艶やかさも潤いもない乾いた印象を持ってもおかしくない。それは土地の酒や料理への描写に乏しいから。読む人によっては道中のゆとりや遊びの記述のなさに違和感を感じることもあるだろう。それは本書に移動についての苦労があまり見られないから。私もそうした点に物足りなさを感じた。

でもそんな記述でありながらも、なぜか著者の旅程からは喜びが感じられる。そればかりか果てしない充実すら感じられるから不思議なものだ。

やはりそれは冒頭に書いた通り、著者の本質が旅人だからに違いない。本書の記述からは心底旅を愛する著者の思いが伝わってくるかのようだ。旅に付き物の不便さ。そして素朴な風景。目的もなく気ままにさすらう著者の姿すら感じられる。

ここに至って私は気づいた。著者の旅とわれわれの旅との違いを。それは目的の有る無しだ。いわば旅と観光の違いとも言える。

時間のないわれわれは目的地を決め、効率的に回ろうとする。目的地とはすなわち観光地。時間の有り余る学生でもない限り、目的地を定めず風の吹くままに移動し続ける旅はもはや高望みだ。即ち、旅ではなく目的地を効率的に消化する観光になってしまっている。それが今のわれわれ。

それに反し、本書では著者による旅の真髄が記される。名所や観光地には目もくれず、その地の風土や風俗を取材する。そんな著者の旅路は旅の中の旅と言えよう。

‘2016/05/09-2016/05/28


流れ星と遊んだ頃


著者の自在に変幻する叙述の技は、大勢いる推理作家のなかでも最高峰といってもよい存在だと思う。

くだけた口調の独り語りでスタートする本書。だが、その語りこそが曲者だ。それぞれの章ごとに鮮やかに視点が入れ替わってゆく。誰の視点で語られているのか常に追っておかねばならない。油断するとすぐ著者の仕掛けた罠に嵌ることになる。その技はお見事としか言いようがない。あまりにも切れ味の鋭いどんでん返しが次々と繰り出される。鮮やかにひっくり返されたあまり、そこで小説が終わったと勘違いしてしまうほどだ。特に前半のうちは、本書の全体ボリュームを知らずに読んでいたため、本書を中編小説だと勘違いしたほどだ。つまり小説が終わり、次の短編が続くのだ思わされたくらいに。そんな私の期待を裏切り、次のページからは何事もなかったかのように次の視点で本書の続きが紡がれてゆく。他の小説を読んでいてそう思わされた経験はあまりないが、本書では何回そうやって見事にしてやられたことか。著者の力量をあらためて思い知らされた思いだ。

本書では二人の中年男が主人公だ。芸能人とその付き人。彼らを中心として物語は進む。彼らの思いはスターにさせたいなりたいというスター志望と付き人志望のもの。彼らの思惑が入り乱れる。生き馬の目を抜くといわれる慌ただしい芸能界。よほど気の利いた売り込みを図らねばあっという間に埋もれて行ってしまう。そんな世界を頼りなく進んでいく中年男達はどこに進んでいくのか。本書の語りは世界観を再現するかのようにあくまでも軽快だ。芸能界の掟に生きる二人の男とその間にいる一人の女。三人の関係を語るには軽すぎるリズムで本書は進む。著者の語りは読者を惑わせ、結末を予測させない。したがってページを繰る手も止まらない。

芸名の名字がもう片方の本名の名字というややこしい関係。そのややこしい関係は言うまでもなく著者の仕掛けたトリックの一つだが、読者はよほど注意していないと誰の話しなのか分からなくなる。片方の男の話として読んでいたはずが、実は視点が反転していていつの間にもう片方についての話が進んでいた、ということもあるかもしれない。

誰が誰のために演技をし、誰が誰のためにマネージメントをするか。本書にあっては芸の肥やしとは演技の肥やしであり、演ずることと生きることの境界がぼやけ曖昧になってゆく。柔軟で枠にはまらぬ生き方が芸能界には求められるのかもしれないが、本書のそれはあまりにもトリッキーだ。

芸能界とはパフォーマーが脚光を浴びる場所。それゆえにスターの変幻自在な生き方を支える付き人にもトリッキーさが求められる。スターをいかにきらめかせ続けるか。細切れに時間が過ぎてゆく芸能界の中で、スターとは照らされる光をあまさず集め、観客へその光を反射させ続けなければならない。付き人に求められる能力とは、照らされる光の発信源を即座に捉え、その方向にスターを向かせること。つまり感度が人一倍高いことが求められる。大衆が求めるもの、つまり光の発信源を探す能力は一朝一夕には身につかない。それはもはや才能と呼んでよいかもしれない。せわしない芸能界にあってその能力を発揮し続けることは重責であり才能だ。あるいはその能力が付き人本人を芸能界で光り輝かせるほどに発揮されることだってあるはずだ。

だが、万が一失敗すると、もはや光を照らしてくれる相手はいない。光が照らされなくなったスターはもはや輝くことはない。それはスターと一心同体の付き人も同じ。光を喪ったスターと付き人は一市民として生きて行くしかない。そんな芸能界の移ろいやすさと次々に切り替わる人々の求めるスター像。本書では光と影が交錯する芸能界の現実も描かれる。

「お客さん、今の東京の夜空じゃもう一等星だって光らないですよ」

結末に近くなってタクシー運転手が発する台詞が象徴的だ。

‘2016/03/18-2016/03/22


聖痕


本書は221党員にとってして待ちに待った最新作である。221党なんて言葉はない。著者のファンを勝手にこう呼んだだけだ。だが、パソコン通信の時代から運営されている著者のフォーラムの名前は221情報局という。221=ツツイであることはいうまでもない。221は著者の番号であり、ファンにとってはお馴染みの数字なのだ。

著者のホームページ(https://www.jali.or.jp/tti/)には221情報局へのリンクに貼られている。パソコン通信の頃からネットを活用した文筆活動を自在に行っていた著者にふさわしく、シンプルかつ読み応えのあるページとなっている。だが、更新頻度がさほど高くないのが惜しいところだ。だが、そんな221党員のためにASAHIネット企画「笑犬楼大通り」が開設された。もちろん著者のホームページからも笑犬楼大通りへのリンクが貼られている。笑犬楼大通りの中でも「偽文士日碌」はちょくちょく拝見している。それはWeb上の日記。だがblogとは少し違う。ページは書籍をあしらったデザインになっている。読者はページをめくるように紙の端をクリックする。すると著者の日々を行き来できるのだ。

著者の日々とはテレビに出たり、著書にサインをしたり、編集者を応対したり、執筆活動をしたり賑やかだ。作家と役者とタレントを兼ね、座長やクラリネット奏者やパネリストをこなし、東京と神戸の両方に家を持つ著者の日々はマンネリとは程遠い。ファンにはお馴染みだが、著者は今までに何度となくこうした日記スタイルの作品を出版している。「偽文士日碌」も今までの日記スタイルの作品を踏襲している。自らも家族も編集者も作家も友人も、著者の日記に登場する人や事物は全て実名だ。著者の日記スタイルには私も大きく影響を受けている。そんな私にとって「偽文士日碌」を読むことは楽しみの一つだ。

さて、本書である。なぜ前置きで「偽文士日碌」を紹介したかというと、本書の筆致は「偽文士日碌」に良く似ているからである。本書は葉月貴夫の生涯を書いている。幼少時から髪に白いものが混じる年齢までの生涯が書かれている。本書で描かれる貴夫と貴生の周囲の人々の織りなす日常は、「偽文士日碌」で描かれた著者の日常を思わせる。

先に私は著者の日記スタイルに多大な影響を受けたと書いた。著者の日記は今までに何冊も出版されている。それらに共通するのは露悪的な姿勢である。つまり、謙譲や遠慮とは無縁のスタイル。生活や出来事を隠さずに描く。例えそれが贅沢三昧な日々であろうとも。自粛などという小癪な態度とかけ離れた日記スタイルは実に小気味良い。下手な隠し事はかえって読む人にとって侮辱となり、隠すことがすなわち嫌みにもなる。そのスタイルは、「偽文士日碌」でも本書でも顕著といえる。

葉月貴生は幼い頃に暴漢にナニ(本書内の雅語では露転と呼ばれる)をちょんぎられる。そのため、中性的な美しさを損なわない。また、性欲にも悩まされることがない。しかも、頭脳明晰で東大卒。料理の腕も抜群で、経営するレストランは客が引きも切らない。レストランに来店する各界の名士とも懇意で、友人関係にも困っていない。また、彼の年の離れた妹を娘として育てる。その娘がこれまた美形で躍りの名手だ。そういった恵まれた、華麗な日常が描かれるのが本書である。そんな彼の日常が遠慮や謙譲など一切なく語られる。

本書には露悪以外にもう一つ特徴がある。それは、かつて世界の文学史で脚光を浴びたラテンアメリカ文学からの影響だ。マジックリアリズムと称されたその作風は、現実に即した描写をしながら極端な状況を描写することで人間の認識を超えたところに読み手を運ぶ。本書には突飛なことが起こるわけではない。ありえない風景が出現するわけでも超人がスゴ技を披露することもない。だが、葉月貴生の周辺の人々や事物は出来すぎている。理想的過ぎるぐらいに理想的なのだ。その誇張された美化こそが、本書に漂っているマジックリアリズムの影響だと思う。ちなみに著者はラテンアメリカ文学からの影響を隠そうとしていない。かく言う私がラテンアメリカ文学の愛好家となったのも、著者からの感化なのだから。

では、理想的すぎる葉月貴生の生活をここまで露悪的に描いたのは何故だろうか。

一つは、日本的な偽善性への著者なりの態度表明だろう。昭和天皇の崩御の際や、東日本大震災では自粛という言葉が大分取り沙汰された。

もう一つは著者の考える美、にあるのではないか。葉月貴生は去勢された身だ。そのため、性欲に煩わされない。しかし、性を嫌悪するかと思えばそうでもない。それは自ら経営するレストランの上階を逢い引きの場として提供することでも表明されている。つまり、真の美とは周囲に影響されず、世俗にあっても美しさが損なわれない。清濁併せ呑んでもなお、美が決然と立っている様とでもいうか。世俗にありながら超然かつ孤高を保てる強さこそが真の美ということだろう。要するに著者が考える美とは自ら無欲であること、ではないだろうか。

美をテーマとした本書を書くにあたり、著者はある工夫を施している。それは雅語の多用だ。いまやほとんどの日本人から忘れ去られ、誰にも顧みられなくなった語が本書にはたくさん登場する。ページが進むにつれ、使われる雅語の割合は増えていく。このところの著者の作品に目立つのはことばに関するこだわりだ。昔から、愚鈍ではなく魯鈍という言葉を使う著者に相応しく。

本書は老いてなお創作意欲盛んな著者の、余生の手慰みとはかけ離れた力作である。私も著者の作品はほぼ全て読んでいるつもりだが、まだまだ著者の日々は追いかけて行きたいと考えている。

‘2015/03/05-2015/03/09


我、六道を懼れず―真田昌幸連戦記


2016年の大河ドラマは真田丸。私にとって20年ぶりに観た大河ドラマとなった。普段テレビを観ない私にしてはかなり頑張ったと思う。本書を読み始めたのは第4回「挑戦」を観た後。そして本稿は第8回「謀略」の放映翌朝に書きはじめた。

真田丸の主役は堺雅人さんが演ずる真田信繁(幸村)だ。これは間違いないだろう。ところが、本稿に手をつけた時点で私が印象を受けたのは草刈正雄さん演ずる真田昌幸だ。その存在感は真田丸の登場人物の中でも群を抜いている。あまりテレビを観ない私にとって、草刈正雄さんの演技を初めてまともに観たのが真田丸だ。その演技はもはや名演と呼べるのではないか。かの太閤秀吉に表裏比興の者と呼ばれ、家康を恐れさせた謀将昌幸。草薙さんは老獪な武将と語り継がれる昌幸を見事に演じている。

第4回と第8回は、両方とも謀略家昌幸の本領が前面に押し出された回だった。その時期、真田家は武田家滅亡後の空白を乗り切るため、あらゆる策を講じねばならなかった。弱小領主である真田家を守り抜くため、時には卑劣と言われようと、表裏の者と言われようと一族を守らんとしたのが、昌幸ではなかったか。昌幸が知恵を絞った甲斐あって真田家は戦国から幕末までお家を存続できた。泉下の昌幸にとって満足な結果だったのではないだろうか。

昌幸は謀略の分野で才能を発揮した。しかし、それと本人の人格とは別の話。後世から策士と評される昌幸とて、生まれながらの謀略家だった訳ではない。

本書には、謀略を知らぬ前の純粋で無垢な昌幸が息づいている。

本書は昌幸が源五郎という幼名で呼ばれていた7歳の頃から始まる。

7歳といえばまだ母の温もりが必要な時期。そんな時期に源五郎は父から武田晴信、すなわち後の信玄の小姓となることを命ぜられる。要は人質である。源五郎は到着して早々、新たな主君とのお目見えの場で近習に取り立てられる。7歳にしてそのような重荷を背負わされた源五郎も気の毒だが、7歳の童子に大成の器を見極めた晴信の人物眼もまた見事。

幼くして鍛錬の場に置かれた源五郎は、信玄の弟典厩信繁に目をかけられ成長を遂げていく。そして信玄の近習として側に仕えながら、薫陶を受けることになる。生活を共にし、戦略を練る姿に親しく接する。その経験は源五郎の素養を確かに育んで行く。そして将来の昌幸を間違いなく救うことになる。機転や頭脳の働かせ方、策の練り方活かし方。活きた見本が信玄だったことは昌幸にとっての僥倖だったに違いない。

元服し、源五郎から昌幸となってすぐ迎えたのが、かの川中島合戦。しかも初陣となったのは、本邦の合戦史でも五指に入るであろう第四次合戦だ。信玄と謙信の両雄一騎討ちがあったとされ、世に知られている。

著者には、第四次川中島合戦を描いた「天佑、我にあり」という作品がある。合戦に至るまでの息詰まる駆け引きから合戦シーンまで、傑作と呼ぶ以外ない一冊だ。「天佑、我にあり」は近くの山から合戦の一部始終を見届ける設定の天海僧正の視点で語られる。だが、本書で語られる第四次合戦は昌幸の視点によって語られる。同じ合戦を同じ著者が描いているのだが、視点を変えているため読んでいて既読感を感じなかった。著者の筆力が一際抜きんでいることの証拠だろう。

第四次合戦において有名な一騎打ちとは大将同士によるそれだ。だが、同じ合戦では武田典厩信繁と柿崎景家との一騎討ちも見逃せない。「天佑、我にあり」で詳細に語られるその一騎打ちの場面は、何度読み返しても魂が震える。本書は昌幸の視点で描かれているため、二人の一騎打ちは描かれない。だが、信繁に目を掛けられ、育てられた昌幸が信繁の亡骸に昌幸が取りすがって号泣する姿は、本書において白眉のシーンだといえる。

また、「天佑、我にあり」では信玄と謙信の一騎打ちも読み応えのある場面だ。そして信玄近習である昌幸は、両雄の間を刹那飛び交った火花の目撃者でもある。昌幸が目撃した両雄の一騎打ちは、「天佑、我にあり」とは違った形で描かれており本書の山場の一つとなっている。

初陣にして己の価値を見出してくれた人物の死に直面した昌幸は、武将の成長をして大人となる。そして、信玄になくてはならぬ側近となってゆくのである。本書は戦国屈指の謀将真田昌幸の成長譚であり、ずっしりとした読み応えが読者に返ってくる。

川中島合戦が収束しても昌幸の身辺は慌ただしい。松という伴侶を得て身を固めたかと思えば、武田家中を襲う謀反劇の直中に巻き込まれる。

桶狭間で主が織田信長に討ち取られてから衰退著しい今川家。信玄嫡男の義信は、その今川義元の娘を正室に迎えている。そして信玄の冷徹な脳裏には今川家を見限り、その替わりに昇り調子の織田家との外交関係を結ぶ戦略が編まれていた。それに反発して実力行使で主君を諫めようとする義信一派。その中には昌幸が幼き頃から共に近習として武田家に仕えた仲間もいた。幼き日からともに学んだ仲間と刀を交える苦味。その中にあって信玄への忠義を揺るがせにしなかった昌幸は、ますます信玄の信頼を得ることとなる。無垢な昌幸は、仲間の死を通して戦国の世の習いを一つ身につける。

武田家に内紛の余韻漂う中、武田家は北条家と戦端を開く。北条家の本拠地小田原を攻め、帰路に三増峠で北条軍と戦う。ここで昌幸は、北条軍にあって武名を馳せる北条綱成と何合か打ち合わせる機会を持つ。本書には昌幸の武士の矜持を持った一面がきっちりと描かれている。謀略家のイメージばかりが取り沙汰される昌幸は歴とした武士だった。著者の視点はそのことにしっかり行き届いており好感が持てる。

関東遠征を経たことで昌幸への信玄からの信頼は一層篤くなる。そして昌幸は信玄の身辺を任されるようになる。寝室や厠近くに侍るようになった昌幸が目撃したのは、咳き込んだ信玄と口からの喀血。その病は後に天下獲り間近の信玄を道半ばで倒すことになる。己に残された時間がもはや少ない事を悟った信玄は、ついに上洛へと乗り出す。

敵の本拠地駿河に進軍してからも徳川軍をやすやすとひねる武田軍。家康にとって終生胆を冷やさせることになる三方ヶ原の敗戦も、信玄にとっては余技のごとく書かれている。事実、当時の戦国最強との呼び声高い武田軍にとっては徳川軍など鎧袖一触。敵役にもならなかったほど弱かったのだろう。しかし徳川家にも武辺者はいた。それは本多忠勝である。昌幸はこの戦場で本多忠勝と相まみえることになる。ここでも若き昌幸は謀将ではなくもののふの姿で描かれている。本書において、昌幸はまぎれもない武将である。それも戦国最強の武田軍の中にあって首尾一貫して。

しかし、武運は信玄に味方しなかった。朝倉軍が織田包囲網から離脱し、信玄の描いた戦略に綻びが生じる。それと時を同じくして信玄に巣食う病が重くなる。信玄は昌幸を含めたわずかな家臣を呼んで別れを告げ世を去る。

昌幸の元に遺されたのは碁盤と碁石のみ。病が急変する前、昌幸は信玄と一局打つ機会を得る。六連銭の形におかれた置石から始まった一局で、それまで一度も勝てなかったのに、持碁、つまり引き分けに持ち込む。その遺品は、図らずも己の軍略を伝えようとした信玄の意志そのもののよう。いうなれば、信玄流軍略の一番弟子の形見に碁盤を託された形となる。これまた、本書の中でも印象の深い場面である。

いよいよ本書は最終章にはいる。長篠の戦いである。昌幸には二人の兄がおり、ともに侍大将の立場で武田軍の重鎮となっていた。が、信長軍の鉄砲戦術に二人の兄を始め、主だった武将が餌食となり、戦場に命を散らす。

昌幸が眼にしたのは惨々たる戦場の様子。死体があたりを埋め、血の匂いが立ち込める。その景色は川中島の戦いのそれを思い起こさせる。信繁の死んだ川中島の戦場の様子が兄二人を亡くしたそれと重なり、昌幸の脳裏を憤怒で染める。無垢で純粋だった昌幸が絶望と悲憤の中で殻を脱ぎ捨てる瞬間である。

戦い済んで甲斐に帰った昌幸は、名乗っていた武藤の姓を返上する。そして真田昌幸を名乗る。父も兄たちも居なくなった今、真田家を継ぐのは昌幸しかいなくなったからだ。そして、昌幸の胸にはただ怒りだけが満ちている。それは、長篠の戦いを敗戦へと導いた者たちへの怒りだ。長坂、跡部といった武田家の重臣たち。彼らは武田家を長篠の戦いに導いた。そして自らは後衛に回って戦況をただ見ているだけだった。昌幸の怒りはそのような者を重用し続ける新たな主君勝頼にも向かう。武田家を見限り、真田家のことを考え始める内なる声が昌幸の中でこだまする。

昌幸の叫びは、もはや無垢な青年のそれではない。哀しみや世の無情、真田家を背負う重責を担った漢の叫びである。それが以下の本書を締める三つの文に集約されている。

人には大切なものを失わなければわからない本物の痛みというものがある。そして、失う痛みを乗り越えることでしか見えない地平というものがある。
それに気づいた時が、まさに、その人の立志の時だった。
痛恨の敗戦を経て、昌幸は真田の惣領を襲名する決意を固め、深まりゆく乱世に翻弄される己の運命と真正面から向き合おうとしていた。

(第一部完)

真田丸でみせる老獪な真田昌幸は、本書に続く第二部でこそ花開くのだろう。しかし、謀略を駆使する昌幸の背景には、本書で描かれたような信玄の薫陶や、度重なる戦いで身につけざるを得なかった憤怒があることを忘れてはならない。草刈正雄さんが本書を読んだかどうかは知らない。脚本を書いた三谷幸喜さんが本書を参考にしたかどうかも知らない。でも、視聴者は昌幸の過去に通り一遍でない人生の起伏があったことを知っておくべきだと思う。草刈昌幸を単に腹黒く人の食えぬ親父と見るだけでは彼の真の凄みは味わえない。そこには振幅の激しい人生に鍛えられた一人の男がいる。そう見直してみるとまた違う姿が見えてくるはずだ。真田丸を見ていると、息子信繁(幸村)の名が川中島で討ち死にした武田典厩信繁の名にあやかっていることや、本多忠勝の娘小松姫が長男信之の正室になるなど、若かりしころの昌幸の出会いが真田家のその後に重要な布石となっていることに気づく。

と、こんな偉そうなことを書いている割に、私は結局真田丸を全て観ることは出来なかった。第16回「表裏」あたりまでは、車内で観たりオンデマンドで観たりと観るための努力を続けていたが、それ以降は仕事が忙しく断念した。無念だ。でも、本書の続編第二部は是非読みたいと思っている。そして真田丸全編も必ず観るつもりである。

‘2016/02/16-2016/02/18


日本の未来は暗いという新成人へ


日本の未来は暗い。

成人の日を前に、マクロミル社が新成人にアンケートをとったそうです。その結果、「あなたは、「日本の未来」について、どのようにお考えですか。」という問いにたいし、67.2%の人が「暗いと思う」「どちらかといえば、暗いと思う」と答えたとか。つまり冒頭に挙げたような感想を持った人がそれだけいたということですね。https://www.macromill.com/honote/20170104/report.html

うーん、そうか。と納得の思いも。いや、それはあかんやろ、ていう歯がゆさも。

この設問にある「日本」が日本の社会制度のことを指すのだったら、まだ分からなくもないのですよ。だけど、「日本」が新成人が頼りとする共同体日本を指すのであれば、ちょっと待てと言いたい。

今の日本の社会制度は、個人が寄りかかるには疲れすぎています。残念ですけどね。これからの日本は、文化的なアイデンティティの拠り所になっていくか、最低限の社会保障基盤でしかなくなる。そんな気がしてなりません。今の日本の社会制度を信じて国や会社に寄りかかっていると、共倒れしかねません。個人の食い扶持すらおぼつかなくなるでしょう。

トランプ大統領、少子高齢化、人工知能。今年の日本を占うキーワードです。どうでしょう。どれも日本に影響を与えかねないキーワードですよね。

でも、どういう未来が日本に訪れようとも、個々人が国や会社におんぶやだっこを決め込むのではなく、人生を切り開く気概を養いさえすれば乗り切れると思うのです。戦後の高度経済成長もそう。戦前の価値観に頼っていた個々人の反動が、原動力になったともいえるのですから。

これからの日本の未来は暗いかもしれませんが、それは疲弊した社会制度の話。組織や国に寄りかかるのではなく、個人で未来を切り開く気概があれば、未来は明るいですよ、と言いたいです。

それは、何も個人主義にはしり、日本の良さを否定するのではありません。むしろ「和を以て貴しとなす」でいいのです。要は、組織にあって個人が埋没さえしなければ。だから、組織を離れるとなにをすればよいかわからない、ではマズいです。週末の時間をもて余してしまう、なんてのはもってのほか。

学問を究めようが、政治に興味を持とうが、サブカルに没頭しようがなんでもいいのです。常に客観的に自分自身を見つめ、個人としてのあり方や成長を意識する。それが大事だと思います。その意識こそが新成人に求められるスキルだといってもよいです。

だから、アンケートの設問で「あなたはどのような方法で、世の中のニュースや話題を得ていますか?[情報を得ているもの]」でテレビが89.6%とほぼ9割であることに若干不安を覚えます。なぜならテレビとは受け身の媒体だから。特定の番組を選び、意識して見に行くのならまだしも、何となくテレビの前でチャンネルザッピングして飛び込んでくる情報を眺めているだけなら、個人の自立は遠い先の話です。やがて日本の社会制度の疲弊に巻き込まれ、尾羽打ち枯らすのが関の山です。

でも、アンケートの結果からは救いも見えます。それは、皆さん日本の未来については悲観的ですが、ご自分の未来については楽観的なことです。アンケートの中に「あなたは、「自分の未来」について、どのようにお考えですか。」という設問があり、65.8%が楽観的な答えだったのです。これはとても良いこと。未来は暗いと言っている場合ではないのですから。同じく「あなたは、自分たちの世代が日本の将来を変えてゆきたいと思いますか。」の問いに61.4%の方が肯定的な回答をしていたことにも希望が持てます。

日本に誇りをもちつつ、日本に頼らない。日本の文化に属しつつ個人としての感性を磨き、充実の社会人生活を送ってほしいものです。

ま、私もこんな偉そうなことを言える新成人ではなかったのですが。私も人のことを言ってる場合やない。私という個人をもっと磨かねば。そして子供たちにも個人の意識を打ち立てるように教え諭さないと!


マダム・フローレンス! 夢見るふたり


この映画は、観る人のさまざまな感情を揺り動かす映画かもしれない。喜怒哀楽。観終わった観客はいろいろな想いを抱く事だろう。私もそうだった。私の場合は二つの相反する想いが入り混じっていた。

一つは、夫婦愛の崇高さへの感動。もう一つは、表現という行為の本質を理解しようとしない人々への怒りと悲しみ。

一緒に観に行った妻は感動して泣いていた。本作でヒュー・グラントが演じたのは、配偶者の夢を支えようとするシンクレア・ベイフィールド。その献身ぶりは観客の心を動かすだけのものはある。ヒュー・グラントのファンである妻はその姿に心を動かされたのだろう。

一方、メリル・ストリープ扮するマダム・フローレンスは純真そのもの。自分に歌手としての天分があり、自分の歌声が人々の癒しとなることを露ほども疑っていない。だが、彼女の無垢な想いは、NYポスト紙の劇評によって無残に汚されることになる。その劇評は、カーネギーホールで夢叶えた彼女のソロリサイタルについて書かれていた。彼女の無垢な夢は、叶った直後に汚されたことになる。そればかりか、その記事で彼女は現実を突きつけられることになる。人々が自分の歌声を嘲笑っており、自分は歌手に値しない存在という容赦ない現実を。夢を持ち明るく振舞うことで長年患っていた梅毒の進行をも止めていた彼女は、現実を突きつけられたことで気力を損ない、死の床に追いやられる。彼女が長い人生で掴んだものは不条理な虚しさでしかなかったのか。その問いは、観客によっては後味の悪さとして残るかもしれない。

籍は入れてなかったにせよ、最愛の伴侶のために25年もの長きにわたって献身的にサポートしてきたベイフィールドの努力は無に帰すことになる。ベイフィールドの献身的な姿が胸に迫れば迫るほど、救いなく死にゆく彼女の姿に観客の哀しみは掻き立てられるのだ。

だが、彼女の不条理な死は本当に救いのない死、なのだろうか。君の真実の声は美しい、と死に行く妻に語る夫の言葉は無駄になってしまったのだろうか。

ラストシーンがとても印象に残るため、ラストシーンの印象が全体の印象にも影響を与えてしまうかもしれない。だが、ラストシーンだけで本作の印象を決めてしまうのはもったいない。ラストシーンに至るまでの彼女は、ひたむきに前向きに明るく生きようとしている一人の女性だ。たとえ自らが音楽的な才能に恵まれていると勘違いしていようとも、才能をひけらかすことがない。ただ健気に自らをミューズとし、人々に感動を与えたいと願う純真な女性だ。

彼女の天真爛漫な振る舞いの影に何があったのか。時間が経つにつれ、彼女の人生を覆ってきた不運の数々が徐々に明らかになってゆく。そして、彼女を夢の世界にいさせようとする懸命な夫の努力の尊さが観客にも伝わってゆく。

明るく振る舞う彼女の人生をどう考えるか。それは、本作の、そして史実のマダム・フローレンスへの評価にもつながるだろう。彼女が勘違いしたまま世を去ることこそ彼女の人生への冒涜とする見方もある。彼女の脳内に色とりどりの花を咲かせたままにせず、きちんと一人の女性として現実を認めさせる。そして、そんな現実だったけれども自分には愛する夫が居て看取られながら旅立てるという救い。つまり、彼女を虚しいお飾りの中に住む女性ではなく、一人の人間として丁重に見送ったという見方だ。

私には、本作でのメリル・ストリープの演技がそこを目指しているように映った。一人の女性が虚飾と現実の合間に翻弄され、それでも最期に救いを与えられる姿を演じているかのように。

実際、本作におけるメリル・ストリープの演技は、純な彼女の様子を的確に表現していたように思う。リサイタル本番を前にした上ずった様子。ヤジと怒号に舞台上て立ちすくみ、うろたえる姿。幸せにアリアを絶唱する立ち姿。それでいて、その姿を能天気に曇りなく演ずるのではなく、自らを鼓舞するように前向きに生きようとする意志をにじませる。そういった複雑な内面を、メリル・ストリープは登場シーン全てで表現する。まさに大女優としての技巧と人生の重みが感じられる演技だ。本作では髪が命の女優にあるまじき姿も披露している。彼女の演ずる様は、それだけでも本作を観る価値があると言える。

ただ、私にとって彼女の演技力の成否が判断できなかった点がある。それは、マダム・フローレンスが音痴だったことが再現できているのか、ということだ。

そもそも、マダム・フローレンスは音痴だったのだろうか。実在のマダム・フローレンスの音源は、今なおYouTubeで繰り返し再生され、かのコール・ポーターやデヴィッド・ボウイも愛聴盤としていたという。カーネギーホールのアーカイブ音源の中でもリクエスト歴代一位なのだとか。そういった事実から、彼女の歌唱が聞くに耐えないとみなすことには無理がある。

音源を聴く限りでは、確かに正統な声楽の技術から見れば型破りなのだろう。コメディやパロディどころではない嘲笑の対象となったこともわかる。でも、病的な音痴という程には音程は外していないように思える。むしろそれを個性として認めても良い気がするほどだ。コール・ポーターやデヴィッド・ボウイが愛聴していた理由は知らないが、パフォーマーとして何か光るモノを彼女の歌唱から感じ取ったに違いない。

そう考えると、メリル・ストリープの歌唱がどこまでオリジナルを真似ていたのか、彼女の歌唱が音痴だったかはどうでもよいことになる。むしろ、それをあげつらって云々する事は彼女の音楽を浅薄に聴いていること自ら白状していることに他ならない。つまりは野暮の極みということ。

だが、本作を理解するには彼女の歌唱の判断なしには不可能だ。歌唱への判断の迷いは、本作そのものについての判断の迷いにも繋がる。冒頭に、観る人のさまざまな感情を揺り動かす映画かもしれないと書いたのは、その戸惑いによるところが大きいと思う。

その戸惑いは、彼女を支える男性陣の演技にもどことなく影響を与えているかのように思える。配偶者のシンクレア・ベイフィールドに扮するヒュー・グラントの演技もそう。

シンクレア・ベイフィールドは、単に自己を犠牲にしてマダム・フローレンスに尽くすだけの堅物男ではない。俳優の夢を諦めつつ、舞台への関わりを断ち切れない優柔不断さ。彼女が梅毒患者であるため性交渉を持てないために、妻合意の上で愛人を他に持つという俗な部分。また、彼の行いが結果として、伴侶を夢の中に閉じ込めたままにし、彼女の人生を冒涜したと決め付けてしまう事だって可能だ。それこそ体のいい道化役だ。 単なる品行方正な朴念仁ではなく、適度に人生を充実させ、気を紛らわせては二重生活を続けるベイフィールドを演ずるには、ヒュー・グラントは適役だろう。

複雑な彼の内面を説明するには、マダム・フローレンスの歌唱を内縁の夫としてどう評価していたか、という考察が不可欠だ。本作でヒュー・グラントはそれらのシーンを何食わぬ顔で演じようとしていた。だが、彼のポーカーフェイスがベイフィールドの内面を伝え切れたかというといささか心もとない。とくに、彼女の歌唱の上手い下手が判断できなかった私にとってみると、ベイフィールドの反応から、彼がどう感じていたかの感情の機微がうまく受け止められなかった。裏読みすれば、ベイフィールドの何食わぬ顔で妻を褒める態度から25年の重みを慮ることが求められるのだろうか。

また、彼女のレッスンやリサイタルにおいて伴奏を務めるコズメ・マクムーンの役どころも本作においては重要だ。

初めてのレッスンで彼は部屋を出るなり笑いの発作に襲われる。だが、ベイフィールドからの頼みを断れず、恥をかくこと必至なリサイタルに出ることで、ピアニストとしての野心を諦める。カーネギーホールでの演奏経験を引き換えにして。そういった彼の悩みや決断をもう少し描いていればよかったかもしれない。

具体的には、マダム・フローレンスがいきなりマクムーンの家を訪ねてきて、彼女の中の孤独さに気づくシーンだ。あのシーンは本作の中でも転換点となる重要な箇所だと思う。あのシーンで観客とマクムーンは、マダム・フローレンスの無邪気さの中に潜む寂しさと、彼女が歌い続けるモチベーションの本質に気づく。マクムーンがそれに気づいたことを、本作はさらっと描いていた。しかし、もう少しわかりやすいエピソードを含めて書いてもよかったのではないか。そこに、彼女の歌唱が今なお聴き続けられる理由があるように思うのに。

なぜ、マクムーンが彼女に協力する事を決めたのか。なぜ一聴すると聴くに耐えないはずの彼女の歌唱がなぜ今も聴き継がれているのか。なぜ、リサイタルの途中で席を立った記者は辛辣な批評で彼女の気持ちを傷つけ、その他の観客は席を立つ事なく最後まで聴き続けたのか。なぜ、最初のリサイタルでは笑い転げていたアグネス・スタークは、野次る観客に対し彼女の歌を聴け!と声を挙げるまでになったのか。

歌うことは、自己表現そのものだ。彼女の歌には下手なりに彼女の音楽への希望がこめられている。そして苦難続きだった前半生から解放されたいという意志がみなぎっている。その意志を感じた人々が、彼女の歌に愛着を感じたのではないだろうか。彼女の歌がなぜ、愛されているのか。その理由こそが、ここに書いた理由ではないだろうか。

‘2016/12/4 イオンシネマ新百合ヶ丘


悪名の棺―笹川良一伝


パラ駅伝というイベントがある。健常者と障害者が八人で一チームを組み、義足や車椅子で駒沢オリンピック公園を八周する内容だ。

私が家族と見に行った11/29は、パラ駅伝 in TOKYO 2015という名称だった。桝添都知事やSMAP、宝塚歌劇団星組トップ北翔さんと妃海さん始め、多くの来賓も来ていた。その日は陸上競技場のスタンドで開会式から閉会式まで通しで見させていただいた。障害者スポーツについて、とても貴重な知見が得られたと思っている。しかし、残念なことが一つあった。それは、開会式と閉会式にたくさんの来賓から挨拶があったにも関わらず、マイクの調子のせいかほとんど私の耳に聞こえて来なかったことだ。だが、その中で一人だけ私の耳によく届いた声があった。その朗々たる声の持ち主こそ、日本財団の理事長笹川陽平氏であった。

笹川陽平氏のブログはたまに読ませてもらっている。もちろん、笹川陽平氏が日本財団に理事長である事を知った上で。そして陽平氏の父が笹川良一氏であり、日本財団とは、笹川良一氏が創設した日本船舶振興会の後継組織であることを知った上で。笹川良一氏といえば、今40歳以上の方にとってはおなじみの方ではないだろうか。私が子供の頃、日本船舶振興会のテレビCMが頻繁に流れていた。その中で一日一善や火の用心と叫んでいた人こそが、笹川良一氏であった。いまなお、ブラウン管の中の笹川良一氏の姿を思い浮かべることができるほど印象に残っている。幼い私にとっての笹川良一氏とは、ブラウン管の向こう側で一日一善や火の用心といったスローガンを叫び、壇上で賞状を授与されている何やら陽気で意味不明なお爺ちゃんであった。

昭和史に興味を持つようになってからは、笹川良一氏が単なる一日一善のお爺ちゃんではなく、昭和史に暗躍し後ろ暗い噂のつきまとう人物であることを知った。

では、笹川良一氏とは一体何者であったのか。そう自問すると、笹川良一氏のことを何も知らないことに気づく。週刊誌によるバッシング記事やWikipediaの記事を鵜呑みにするべきか。いや、そうではないはず。今回、笹川陽平氏の朗々と響く声をきっかけに笹川良一氏を一度知ってみようと思った。それが本書を手に取ったきっかけである。なお、本稿では笹川良一氏の事を以下良一氏と呼ぶことにする。

著者はノンフィクション作家である。そして著者もまた、私と同じように良一氏の実像に疑問を抱いたらしい。世間に流布している良一氏にまつわる話は、どこまでが伝説でどこまでが事実なのか。そんな疑問を解消するため、精力的に関係者へのインタビューを行った成果が本書である。著者の良一氏へのまなざしはさほど厳しくはない。礼賛とまではいかないにしろ、批判的要素はかなり薄いといってよい。著者は、取材対象である笹川陽平氏を初めとした縁故者への遠慮から批判的な論調を控えたのだろうか。それとも良一氏の真実の姿は本書に書かれたような無私の姿勢に彩られているのだろうか。ちまたでいわれるような政界の黒幕や右翼のフィクサーとのレッテルは、良一氏の表面しか見ていないのか。著者の人物探訪の旅は進む。

本書を読んだは良いが、私にはいまだに良一氏の全貌が把握できていない。むしろ、本書を読み終えた事で一層分からなくなったとさえ言える。分からなくなったのは、良一氏が黒幕か否かという表面的な部分ではない。私に分かったのは、良一氏はそんな表面的な毀誉褒貶を超えたところを生きた人物という事だ。おそらくは著者が本書で取材した内容は正しいのだろう。そしてそれは良一氏の一面でしかないはずだ。本書の及ばぬところ、例えば料亭の一室では良一氏は別の顔を演じていたに違いない。そこで話された内容の中には良一氏が黙したまま墓まで携えて行ったものもあるのだろう。大きく広い器の中に色々な世俗の清濁をあわせ呑んだまま、良一氏は96年の人生を生きぬいたのではないか。

本書を読む限りでは、良一氏の財力は本人の金儲けの才覚によるところが大きいという。だがそれは、裸一貫から築き上げた財力ではない。22歳にして父から莫大な遺産を受け継いで備わったものだ。著者は父からの相続額を今の金額にして1億2500万から3億の間ではないかと算出する。その遺産を元手に二度にわたって米相場で大儲けしたのが良一氏の冨の源泉だという。

このあたりの経歴については、本書にも確とした根拠が書かれているわけではない。全ては伝説の領域に属する話である。全ての冨が合法の下に蓄えられたかどうか、もはや誰にも分からない。しかし、一つだけ言えることがある。それは、当時いた多くの国士やフィクサー達と違い、良一氏が当初から金銭に困らぬ生まれ育ちだったということだ。その事実は、良一氏の生涯を理解する上で外せないポイントだ。

また、良一氏は、幼き頃川端康成氏と同じ郷里で育ったという。歳も近く、よく連れ立って遊んでいたのだとか。その事は本書で始めて知った事だ。川端康成氏の生家には20年ほど前に訪れたことがある。生家には川端という表札が掲げられ、今なお親族の方が住まわれている事が察せられた。偉大な作家の生家としては、生活感にあふれるたたずまいが記憶に残っている。本書によると良一氏の生家もその近くだとか。そして良一氏は、自らの生家に強い愛着を持ち、晩年になるまで妹さんの住む家を足しげく訪れていたという。私が川端氏の生家を訪れた頃は、まだ良一氏もご存命だった。あるいは出会えていたのかも知れない。

良一氏の人生に転機が訪れたのは1929年末。世界大恐慌である。その時期、良一氏は国粋大衆党を結党する。世界大恐慌はソビエトの共産主義革命により起こされた、そこから国を守るには右翼の力を強めねばならないという理屈だ。その解釈には疑問符が付くが、世界大恐慌でも破産しなかった良一氏は、資産家の右翼党首という珍しい立ち位置を手にする事になる。

良一氏は飛行機にも関心を持つ。自らも飛行機を操縦していたというから、本格的な関心だったのだろう。良一氏は東大阪あたりに広大な飛行場をつくる。そしてその飛行場を惜しげもなく軍に寄付する。このような行いこそが良一氏が誤解される一因なのだろう。実際、飛行場寄贈が後年、収賄の容疑をかけられる原因になり拘置までされたそうだ。だが飛行機好きの右翼党首という立場は、時代を下って山本五十六海軍元帥との交流につながる。

その交流は、海軍の飛行使節という形で良一氏を大戦前のイタリアへ赴かせる。そこで良一氏はムッソリーニとの会談を実現することになる。これもまた良一氏が生涯誤解され続けた原因の一つだろう。

開戦前から敗戦まで良一氏が過ごした日々の様子は、本書では簡潔に書かれている。山本元帥との交流は、良一氏に日独伊三国同盟や対英米戦にも反対の立場をとらせる。また良一氏は開戦後に行われた翼賛選挙に非推薦で出馬し、当選する。当選後は東條首相にも議会質問を行ったようだ。その質問内容も本書には紹介されている。それによると、東條内閣に恭順の意を示さなかったことで非推薦の扱いを受けたこと、非推薦候補であるがために受けた妨害の事実を糾弾した風にとれる。また、戦後社会党の党首となる西尾氏とは議員活動を通じて親しい交流も重ねたことも紹介されている。これらの戦前の活動からは良一氏の右翼や左翼といった型にはまらぬスケールのでかさがうかがえる。国粋大衆党の党首だから右翼の黒幕と決めつけることが、かえってつけた側の器の小ささを際立たせるような。もし著者が本書を良一氏の汚名を雪ぐ意図があって書いたのだとすれば、この辺りの事情についてもう少し紙数を割いてもよかったのではないか。

そのかわりに著者は、GHQによるA級戦犯調査の過程をつぶさに書いている。そこでもGHQが良一氏の扱いに困った様子が読み取れる。戦前の良一氏の活動は、右翼の黒幕として戦犯容疑の範囲に括れないスケールだったのだろう。著者が良一氏の替わりに批判の俎上に載せるのは児玉與志雄氏である。後年ロッキード事件で逮捕されたことでも知られる政界のフィクサーだ。著者は児玉氏こそが良一氏の悪評をばらまいた張本人である事を指摘する。戦前の良一氏の行いのあれやこれやが児玉氏によって非難され、罪とされたことが本書には記されている。良一氏は児玉氏による流言を知った上で素知らぬ風を装って遇していたらしい。その経緯が本当であれば、良一氏の器の広さはただ事ではない。

ではなぜ良一氏は進んで戦犯の汚名を被ったのか。それは、良一氏が戦犯として巣鴨プリズンに自ら望んで入獄したかったからだと著者は記す。自分自身が飛行場の収賄容疑で拘置された経験。この経験を元に他の入獄者の獄中生活の助けになりたかったのだという。にわかには信じられない話だ。それが本当なら、良一氏とは凄まじいまでの胆力の持ち主ではないか。

巣鴨での一挿話として東條元首相との関わりが紹介されている。東條元首相がGHQによる逮捕直前に自殺を図り、すんでの所で命を永らえたのは有名な話だ。その東條氏は東京裁判が始まるや態度を一転させ、昭和天皇に罪が及ばぬよう罪を自ら引き受ける堂々とした陳述を行なった事もよく知られている。本書では、東條元首相の態度が一変した裏に良一氏の貢献があったとしている。東條氏を諭したのが良一氏であったことは本書を読むまですっかり失念していた。

東京裁判の結果、七人のA級戦犯が刑場で処刑された。無罪として釈放された良一氏は、篤志匿名で遺族への援助に奔走する。幼い私の記憶に刻まれた日本船舶振興会だが、年度あたりの売り上げが兆を超していたという。そしてその売上の多くはABC級戦犯の遺族へ援助金として供出されたのだとか。ここまで来ると良一氏のスケールのあまりの巨大さに眉に唾つけて読みたくもなる。いったい、良一氏とはどのような人物なのか、本書を読むほどにその実像は遠ざかっていくようだ。

その一方で本書は良一氏の私的な部分にも踏み込む。公的な活動スケールの大きさは十分すぎるほどわかった。では良一氏の人間的な部分はどうなのか。これがまた規格外なのだ。聖人君子どころか英雄色を好むとの言葉そのものなのが良一氏の私生活のようだ。女性遍歴の豊かさについて本書は十分に書いている。浜松を境にして、東に行くと東京の愛妾を愛し、西に戻れば大阪の本妻に愛を注ぐ。それ以外にも陽平氏と兄二人の母がいて、さらに京都山科にも愛する女性がいて、隠れ家として使う。公的な伝説については虚実が曖昧だ。どこまでが本当なのか、それを知る本人はすでに泉下の人となっている。だが良一氏の私生活については深く関わった人々が存命だ。良一氏がパンツにうんこを付けて泰然としていたことや、性的な逸話など豊富に登場するのが本書だ。著者が陽平氏を初め、お手伝いさんや良一氏の愛妾など広く深く話を聞いた成果だと思われる。私的なエピソードからは良一氏の器のでかさよりは、幼いというか奔放な氏の性格が伺える。

著者は笹川陽平氏にも様々な私生活の良一氏を聞いたことだろう。本書における私的なエピソードの数々に登場するのは、息子からみた良一氏の素の姿。けちで有名だった良一氏からの極端でかつ筋の通った躾の数々。陽平氏と母は、東京大空襲の最中を九死に一生を得て生き延びたが、良一氏は当然そこにはいない。それでいて同居していなくても息子へのしつけは欠かさない。かなり規格外れの父親像ではないか。

しかし、陽平氏を初めとする三兄弟は、企業家として、議員として、日本財団の理事長として良一氏の残した物を守り継いでいる。その教育の証こそが、私が聞いた陽平氏の臍下丹田に力の入った声ではないだろうか。

結果として良一氏の破天荒な父親振りが良い父親だったとすれば、同じ父親として、私のあり方を省みて自信をなくすほかない。

そして、この期に及んでなお私は、幼き日に刷り込まれた良一氏による一日一善の言葉の底が、全く見えないことを知るのである。本書を読んで余計に良一氏が分からなくなったと書いたのは、そういうことである。

‘2015/12/04-2015/12/08


天平の甍


今になってなぜ鑑真和上について書かれた本書を手に取ったのか。特に意図はない。なんとなく目の前にあったからだ。あえていうなら、平成27年の年頭の決意で仏教関連の本を読もうと決めていた。そして意気込んで親鸞についての本(レビュー)を読んだのだが、私には歯が立たなかった。それ以来、仏教についての勉強はお留守になっていた。しかし平成27年も師走を迎え、年越しまでにもう一冊くらいは仏教関連の本を読みたいと思ったのが、本書を手に取った理由だろうか。

仏教を学問として取り扱った本よりも本書のような小説の方がリハビリにはちょうどよい。本書は、著者の作品の中でもよく知られている。そして、本書で語られる鑑真和上の事績は日本史の教科書にも取り上げられているほどだ。我が国の仏教伝来を知るための一冊として本書は相応しいといえるだろう。

そんな期待を持ちつつ本書を読み始めたのだが、本書の粗筋は私が学ぼうとした意図とは少し違った。日本への仏教伝来を知ろうにも日本が主な舞台ではない。鑑真和上が倭国に仏陀の教えを伝えんとして幾度もの挫折から失明し、それでも仏教の伝戒師がいない日本のために命を賭けて海を渡ってきた事はよく知られている。その過酷な旅については、奈良の唐招提寺に安座されている鑑真和上座禅像の閉じたまなざしが明らかに語っている。

本書は、鑑真和上来日に関する全てが著者の想像力によって描かれている。ただし、その舞台はほとんどが唐土だ。鑑真和上が奈良時代の大和朝廷に招提されてから入寂するまでの期間、伝戒師として過ごした期間についてはほとんど触れられていない。考えてみれば当たり前のことだ。鑑真和上の受難に付いて回る挿話とは、唐土と海上での出来事がほとんどだからだ。したがって、我が国への仏教伝来事情を学ぼうにも本書の視座は違っているのだ。

だが、それで私の意欲がくじかれたと考えるのは早計かもしれない。当時の我が国は大唐帝国を模範とし模倣に励んでいた。仏教だけではない。平城京の区割りや律令制度にいたるまで大唐帝国を模範した成果なのだ。遣唐使の歴史がこれだけわれわれの脳裏に刷り込まれているのも、当時の我が国にとって遣唐使がもたらす唐文化がいかに重要だったかの証といえよう。

なので、鑑真和上を日本に招提するため、日本の僧が唐土へ渡り各地を巡って仏教を学ぶ姿そのものが、我が国の仏教伝来事情と言い換えてよいのかもしれない。

本書に登場する留学僧たちの姿から感じられるのは「学ぶ」姿勢である。「学ぶ」は「真似ぶ」から来た言葉だという。「学び」はわれわれの誰もが経験する。が、そのやり方は千差万別。つまり、考えるほどに「学ぶ」ことの本質をつかみとるのは困難になる。しかし、その「学び」を古人が愚直に実践したことが、今の日本を形作っている。そういっても言いすぎではないはずだ。

本書の主人公は鑑真和上ではない。日本僧普照である。本書は、普照とともに遣唐使船に乗って唐に渡った僧たちの日々が描かれている。さらに、彼らと前後して唐に渡り、唐に暮らす日本人も登場する。

普照と共に唐に渡ったのは、栄叡、戒融、玄朗。それぞれ若く未来を嘱望された僧である。また、30年前に留学僧として唐に渡り、かの地に留まっていた景雲、業行も本書の中で重要な人物だ。この六人は、それぞれが人生を賭け、学びを唐に求めた僧たちだ。

普照は、本書では秀才として描かれる。他人にあまり関心を持たない冷悧な人間。いわば個人主義の権化が普照である。本来であれば、学びの本質とは個人的な営みである。しかし当の普照は、自らを単に机の前にいるのが長いだけの男と自嘲している。そして、普照は努力の目的を見失ってしまい個人の学びに見切りをつける。替わりに、鑑真を招く事で我が国に仏教を学ばせようとする。個人ではなく国家の視点への転換である。普照の意識が個人から国家や組織へと置き換わってゆく様は、本書の隠れたテーマといえる。普照の意識の変化は、学ぶ事についての意識の深まりである。それは、我が国が歴史の中で重んじた、中華の歴代帝国を手本とする学びにも通ずる。国家単位での学びを個人で体現したのが普照といえる。

では、そもそも普照を鑑真招提の目的へ誘った栄叡は何を学ばんとしたのか。彼は唐へ向かう船上で、すでに国家の立場で学ぶ意識を持っていた。普照が気づくより前に、個人のわずかな学びを積み重ねることが国の学びとなることを理解していたのが栄叡である。なので栄叡こそが鑑真和上の招提を思い付いた本人だ。そして栄叡は招提のために奔走し、普照の人生をも変える。しかし栄叡は二回目の渡航失敗により、病を得、志半ばで異国の土となる。しかし、その志は鑑真や普照を通じて日本仏教に影響を与えた。大義のために私をなげうつ態度は、当時の日本の志士といっても過言ではない。栄叡のような人物たちが、今の日本の形成に大きく寄与しているはずだ。

戒融の学びは、実践の学びである。「机にかじりついていることばかりが勉強と思うのか」と仲間たちに言い放ち、早くから放浪の意思を表す。そして実際に皆と袂を分かち、僧坊や経典に背を向け流浪の旅に出る。学校や教団のような組織に身を置く事をよしとしない戒融は、私自身に一番近い人物といえるかもしれない。自身の苦しみは自身で処理し、他にあまり出さない姿勢。そういう所も、ほとんど独学だけでやって来た私がシンパシーを感じる箇所だ。独りの学びもまた学びである。しかし、それは人に理解されにくい道だ。本書の戒融は、人から理解されない孤高の人物として描かれる。本書は普照の視点で書かれているため、戒融は物語半ばで姿を消す。そして物語の終わり近くになって再登場する。実在の文献によると戒融という僧がひっそりと遣唐使船で帰国した事が記されているそうだ。ただ、戒融が放浪僧だったとの史実はなく、あくまで著者の創作だろう。しかし、創作された戒融の姿からは独学の限界と寂しさがにじみ出ている。私も独学の誘惑にいまだに駆られている。が、私の能力では無理だ。共同作業によらねばならない現実を悟りつつある。何ともはかないことに、独り身の学びを全うするには人の一生はあまりにも短いのだ。それでもなお、独り学びには不老と同じく抗い難い魅力を感じる。

玄朗の学びは、同化の学びといえる。玄朗もある時点までは普照たちと同様に学問を目標としていた。しかし、玄朗は唐に向かう船上ですでに日本への里心を吐露する。そこには、同化と依存の心が見える。当初から向学心の薄かった玄朗の仏教を学ぶ意思は唐に渡って早々に薄らぎ始める。玄朗の意欲はますます減っていき、普照が鑑真和上の招提に奔走する間に唐への同化の度を強め、ついには唐で家族を持ち僧衣を脱ぐに至る。普照や鑑真が乗る日本への船に招かれながら、土壇場で心を翻して唐人として生きる道を選ぶ。玄朗の心の弱さをあげつらうのは簡単だ。だが、それはまた唐の文化に自らを馴染ませる学びの成果といえないか。玄朗は玄朗なりに自らの性格や依存心を早くから自覚し、仏門に向いていない自らの適性を学んだともいえる。それはそれで同化の学びとして何ら恥じるところはない。古来、数限りない適応や同化が繰り返され、人類は栄えてきたのだから。

景雲の学びは、諦めの学びだ。30年間唐にあって何物をも得られず、ただ無為の自分を自覚する。30年とは当時の人にとって一生に等しい時間だ。だが、私を含めた現代の人間の中に景雲を笑える人はそういないだろう。全員が景雲のような無為な人生を送る可能性もあるはずだ。だからこそ、景雲の生き方を反面教師として学ばねばならない。大人になるために学ばねばらないこと。それは自らの適性を探る行為だと思う。決して大学に行くためでも大企業にはいるためでもなく。自分が何に向いているかを試行錯誤する過程が学ぶことともいえる。義務教育とは、適性を学ぶための最低限の知識や社会適応を学ぶ場だと私は思っている。景雲にしてもあるいは他の文化、他の時代に生きていたら自らを表現できる場があったに違いない。諦めの学びは、良い意味でわれわれにとって有効な学びとなるだろう。

最後に業行。この人物の存在が本書に深い陰影を与えていることは間違いない。本書が単に鑑真の偉業をなぞるだけの本に終わっていないのも、業行の存在が大きいと思う。業行が唐に渡ったのは普照たちに遡ること30年前。その間、ひたすらに写経に打ち込んできたのが業行だ。付き合いも避け、栄位も求めず、ただ己の信ずる仕事に打ち込んできた人物。膨大な経典を写し取り、それを日本に持ち帰ることだけを生きがいとする日々。その学びは、寡黙の学びといえる。その成果は、業行と共に海の藻屑と消える。30年間の成果が自らの命と共に沈もうとするとき、業行は何を思っただろう。しかし、業行の寡黙の学びとは、何も業行だけのことではない。業行以外にも同じ志をもって命がけで唐に学んだ無名の人々の中には業行と同じ無念を味わった人もいたのではないか。無名とはすなわち寡黙。寡黙ではあるが、彼らが唐から持ち帰ってきたものが日本を作り上げていったことは間違いない。史書はともすれば饒舌に活躍した人々を取り上げる。当たり前のことだ。史書に残らない人々は、容赦なく時代の塵に埋もれてゆく。しかし寡黙な人々が着実に学びとらなければ、我が国の近代化はさらに遅れていたかもしれないのだ。寡黙な学びを実践した業行はじめ、無名の人々には感謝しなければなるまい。

後世の日本人はこういった人々の困難と徒労の積み重ねの成果を享受しているだけに過ぎないことを、われわれは知っている。本書に出てくる以外の人々によって命を懸けた学びが繰り返されてきたことだろう。それは、簡単に情報を得られ、ディスプレイ越しに旅行すらできてしまう現代人には想像すらできない速度の積み重ねだったのではないか。では、われわれは何を学べばよいのか。本書が問いかけるものとは、本書が刊行された昭和当時よりも今のIT化著しい時代に生きる者にとって重い。

‘2015/11/27-2015/12/02


永遠の0


もったいないなあ、と思っていた。本書のような傑作をものにしながらの作家引退宣言に。某ロッカーや某プロレスラーのように引退撤回を望みたいと思っていた。一連の右寄り発言や故やしきたかじんさんについて書いた「殉愛」の内容。これによって著者はマスコミに叩かれ、その結果著者が出した回答が作家引退。実にもったいないと思っていた。

結果として、引退宣言撤回発言があり、引き続き小説家としての著者の作品が読めることになった。歓迎したい。

私は「殉愛」は読んでいないし、おそらく今後も読む可能性は低い。なので「殉愛」の内容についてはどうこう言うつもりはない。が、一連の右寄り発言については、場の雰囲気やインタビュワーにうまく乗せられたように感じる。マスコミが望むがままにリップサービスを振る舞ううちに、口が滑ったというのが実際のところではないかと。

本音と建前の使い分けが、我が国の大人に求められるのは事実。本音を漏らすと叩かれるのも事実。なので、我が国では建前を評価する文化が根付いている。私の意見では、建前も捨てたものではないと思う。本音の欠点が他人を顧みず自己中心の意見にあるならば、建前の美点とは周囲や他人の事を慮った意見と云える。つまり建前とは上っ面の空々しい意見ではないという見方も出来るはずだ。

著者の本音はともかく、建前として著者が訴えかけたい点は、本書に余さずこめられているのではないか。つまり、本書とは翼の左右を超え、反戦も八絋一宇も包み込むような視野に立って書かれたのではないか。

実は本書を読む前、私には不安があった。私が本書を読んだのは、上に書いた引退宣言の後。さんざん著者の右寄り発言がマスコミをにぎわしていた頃だ。本書を読むまでは、著者が撒いた放言が頭の片隅にあり、どんな神掛かった内容が書かれているのか不安を覚えていた。

しかし、それは杞憂であった。本書の内容からは、零戦の搭乗員を神格化するような意図は感じられない。零戦の搭乗員は、一人の人間として描かれていた。私はそのことに安堵した。

靖国神社では、戊辰戦争以降の近代日本で戦死した方のほとんどが祭神として祀られている。国を近代化する過程で、戦の中で命を落とした方々の魂を祀る場所が靖国神社。戦の中で何を為したかは問わず、等しく祭神として祀られている。零戦の搭乗員ももちろん戦死者の一人として祭神となっている。一方で、靖国神社にはガダルカナルで餓えて亡くなられた方も、インパールの川でワニに喰われた方も、報復裁判でデスバイハンギングを宣告された方も、等しく神となっている。零戦の搭乗員だけが祭神となっている訳ではない。それでいいと思う。自ら敵に突っ込んだ勇気には心からの敬意を払わせて頂くが、靖国神社で零戦の搭乗員だけを特別視することには賛成できない。

だからといって特攻を犬死行為として、彼らを加害者にさえ見立てるような論調には断固反対だ。当時の人々を弾劾できるのは、当時の人々だけに許されるべきこと。ましてや、戦争という異常な状況の中で追い詰められ、または祭り上げられ、国や家族を思いつつ、または悔やみつつ散華した特攻隊員の方々を平和な時代の我々が一方的に非難することがフェアでないのはいうまでもない。

弾幕をかいくぐり、敵軍艦目掛けて突っ込むという行為には、それぞれの搭乗員の人生や人格の積み重ねがある。零戦の搭乗員たちは、色んな想いや思想を抱いた普通の青年だった。平凡な人間に過ぎないと言い切ってもいい。だが、産まれた時代や場所の巡り合わせで、極限状態に置かれてしまった。そういう一般の人こそが、零戦搭乗員だったと思う。

全ての搭乗員が天皇陛下万歳と叫びつつ飛散したわけではないだろう。全てのゼロファイターがおかあさーんと別れを告げたわけでもないだろう。中には号泣しながら、戦争を呪いながら未練と呪詛にまみれつつ、海面に突っ込んだ人もいたはずだ。

だが、平和な時代の我々は、彼らを決して非難できないし、断罪する資格もない。同情する余地すら与えられていない。自らが積み重ねてきた生き様、これから積み重ねられたはずの人生が一瞬で灰になると知りながら、それでもやらねばならない状況に追い込まれたのが特攻。だとすれば、その場に臨む方にしか、特攻を語り得ないのは当然だ。

しかし、誰かが彼らの声を伝えねば。それは誰が伝えるのか。または、誰ならば伝える資格を持つのか。戦中の異常ともいえる戦意高揚の、戦争に異を唱えれば非国民扱いされ村八分にされる空気感。本来ならばその空気感を知る人でないと、伝えたところで理解されることはないだろう。しかもその空気感は、私のような第二次ベビーブーマーズが決して知ることのない空気感だ。

それをいいことに、零戦の搭乗員を悪者扱いし、加害者呼ばわりする意見が一部ある。死人に口なし。著者は、そういった風潮に我慢がならず、本書を著したのではないだろうか。

本書では平成の青年健太郎が、フリーライターの姉の慶子の助手として祖父の足跡をたどることになる。二人が知る存命の祖父ではなく、祖母の前夫であり、二人にとって血のつながった祖父である宮部久蔵について。その祖父宮部久蔵の人生を調べる中、零戦の搭乗員たちの何人かにインタビューする必要が生じ、相対して聞き取りを行う。その渦中で、何が零戦の搭乗員たちを死地に追いやったのかを探るのが本書の粗筋だ。

健太郎が話を聞いた中には、軍隊の理不尽さを語るものもいれば、当時の開き直った透徹な心持ちを語るものもいた。昭和天皇に対し、今も複雑な思いを抱き続けるものもいた。真っ当に戦後を過ごした人もいれば、やさぐれた世界に身を置き、鎬を削って命を生きながらえさせた人もいた。零戦の搭乗員として一くくりにするのではなく、様々な人生の中、ある期間零銭の搭乗員として過ごした普通の人間として。

だが、健太郎と慶子は話を聞き続けていくうちに、彼らの追い求める祖父宮部久蔵が普通の人間でないことを知る。志願兵でありながら、戦闘を回避し続けた男。それでいて操縦技術や空戦の勘が抜群に優れていたこと。祖父は何故、そこまで戦闘を回避しようとしたのか。生きて虜囚の辱を受けず、という言葉が軍人だけでなく銃後の人々をも縛っていた当時、生きるという信念を戦場に於いても頑なに守ろうとした祖父は、何を守りたかったのか。

司法試験を何度も落第して自棄になりかかっていた健太郎と、ライターの仕事と引き換えに結婚の話が持ち上がっていた慶子。彼ら二人が調査に取り掛かった当初、特攻隊はテロリストとの認識しか持っていなかった。だが、本書の終末で祖父宮部久蔵が何を守りたかったのか、そして祖母と今の祖父に何があったのかを知るにあたり、健太郎と慶子は人として生きることの気高さを知る。それは決して戦争賛美でも神格化でもない。ただ与えられた時代の中、人が人として生きぬくという意思の気高さ。

本書の結末は私にとっては涙なしでは読めない。読んだ当時も泣いたし、本稿を書くにあたって最終章を読みなおしても泣いた。多分、私にとって今まで読んだすべての本で、最も泣かされたのが本書だろう。

エピローグもまた素晴らしい。敵は敵を知る、というのだろうか。宮部久蔵の見事な死に様と、死を扱うに見事なアメリカ軍人の態度は、本書を締めくくるに相応しい。

本稿冒頭に書いた著者の右寄り発言。それが本音か建前かはどちらでもいい。著者は本書、そしてエピローグで答えを示してくれたのだから。

‘2015/07/30-2015/08/01


鉄の骨


一世を風靡した半沢直樹による台詞「倍返しだ!」。文字通り倍返しに比例するように著者の名前は知られるようになった。著者の本が書店で平積みになっている光景は今や珍しいものではない。自他ともに認める流行作家といえよう。とはいえ、私の意見では著者は単なる流行作家ではない。むしろ、経済小説と呼ばれるジャンルを再び活性化させた立役者ではないか。そう思っている。

かつて、城山三郎氏や高杉良氏、清水一行氏による経済小説がよく読まれていた。経済的に上り調子だったころ、つまり高度経済成長期のことだ。それら経済小説には、戦後日本を背負って立つ企業戦士たちが登場する。読者はその熾烈な生き様をなぞるかのように経済小説を読み、自らもまた日本の国運上昇のために貢献せん、と頑張る気を養った。しかし、今はそうではない。かつて吹いていた上昇の風は、今の日本の上空では凝り固まっているように思われる。いわゆる失われた二十年というやつだ。長きに亘った停滞期は、人々の心に自国の未来に対する悲観的な視点を育てた。これからも日本の未来に自信を失う人々は増えていくことだろう。あるものは右傾化することで自国の存在意義を問い、あるものは左傾化して団結を謳う。そんな時代にあって、著者は新たな経済小説の道を切り開こうとする。

著者の凄いところは、経済や資本、組織の冷徹なシステムを描いて、それでいて面白いエンターテイメント性を残しているところである。先に描いた先人たちの経済小説は、経済活動や競争の事実それ自体の面白さをもって小説を成り立たせていたように思う。しかし、これだけ情報や娯楽が溢れる今、経済活動を描いただけでは目の肥えた読者を振り向かせることは難しいのかもしれない。著者はその点、江戸川乱歩賞受賞者として娯楽小説の骨法にも通じている。元銀行員としての知識に加え、娯楽小説の作法を会得したのだから売れないはずがない。

本書は、建設業界を描いている。「鉄の骨」とは建設業界を表すに簡潔で的を射た比喩だといえる。建設業界の中で一人の青年が揉まれ、成長する様が書かれるのが本書だ。

現場で建設に携わる事が何よりも好きな主人公平太。ある日、辞令が出され、本社業務課へ異動となる。そこは別名談合課とも言われる、建設業界の凄まじい価格競争の最前線。公共プロジェクトを入札で落とさねば業績は悪化するため、現場の空気は常に厳しい。

業界では、入札競争が過熱しないよう、業者間で入札の価格や落札者を順番に割り当てる商慣行が横行している。これを談合という。調整者・フィクサーが手配し、族議員が背後で糸を引くそれは、云うまでもなく経済犯罪。露見すれば司法の手で裁かれる。

平太の働く一松組も例外なく談合のシステムに組み込まれている。凄まじい暗闘が繰り広げられる中、一松組は少しでも利益を確保しつつ安価で入札し受注につなげようとする。他方ではフィクサーに対して受注を陳情し、フィクサーは他の工事案件との釣り合いを見て、各業者に受注量を割り振る。きちんと機能した談合では、入札の回数や各回の全ての談合参加業者の入札額まで決められているのだとか。本書にはそういった業界の裏が赤裸々に描かれている。銀行出身者である著者の面目躍如といったところか。

談合の中には、傍観者を決め込み、冷徹にリスクを見極め回避しようとする銀行の存在も垣間見える。そして、談合の正体を暴き、法に従って裁きを下そうとする検察特捜部も暗躍する。

談合につぐ談合で思惑が入り乱れる建設業界とは無縁に、平太の彼女である萌は大学を卒業して銀行に勤めている。建設業界の闇慣習に染まりつつある平太の価値観と、冷徹な銀行論理に馴染みつつある萌の思いはすれ違い始める。悩める萌に行員の園田が接近し、萌の思いを平太から引き離そうとする。園田は一松組の融資担当者であり、仕事柄入手した一松組の将来性の危うさを萌に吹き込み二人の仲を裂こうとする。このように、著者は経済や資本の論理の中に人間の感情の曖昧さを持ち込む。そのさじ加減が実にうまい。

談合という非人間的な戦場にあっても、平太の業務課の仲間も人間味豊かに描き分けられている。先輩。同僚、課長。そして専務。談合と一言で切って捨てることは誰にでもできる。問題はその渦中に巻き込まれた時に、どういった態度を取るか。このことは、現場のリアリティを知る者にしか語れない葛藤である。本書で描かれる登場人物は、端役に至るまで活き活きとしている。平太や業務課先輩の西田。課長の兼松。専務の尾形。フィクサーの三橋やライバル社の長岡。それぞれがそれぞれの役柄に忠実に、著者の作り上げるドラマの配役を演じている。中でも機縁から平太が何度も相対することになるフィクサーの三橋が一際目立つ。三橋が語る台詞の端々からは、談合に関わる人々の宿命や弱さを見ることができる。善悪二元論では語れない、経済活動が内包する宿業を淡々と語る三橋は、本書を理解する上で見逃せない人物である。

著者はおそらくは銀行員時代の人脈から談合の実録を綿密に取材し、本書に活かしたのだろう。おそらくはモデルとなった人物もいるのかもしれない。そう思わせるほど、本書で立ち振る舞う人物達の活き活きした人物描写は本書の魅力だ。談合という経済論理に対する人間臭さこそが本書の肝と言っても良い。経済活動の制約や非人間的な論理の中でなお生きようとする人々の群像劇。本書をそう定義しても的外れではないだろう。

本書の結末は、ここでは明かさない。が、本書を読み終えた時、そこには優れた小説に出会った時に感じるカタルシスがある。一つの達成感といってもよいだろうか。確かに一つの物語の完結を見届けたという感慨。このような読後感を鮮やかに読者の前に提示する著者とは、まだまだこれからも付き合っていきたいと願っている。著者のこれからの著作からは日本の経済小説の未来、ひいては日本の未来すら読めるかもしれないのだから。

‘2015/6/23-2015/6/24


ナミヤ雑貨店の奇蹟


帯に「一か八かの大勝負でした」との著者の言葉が記されている。大げさに思うかもしれないが、本書の難易度からすると、決して誇張した言葉ではない。

難易度といっても、内容が読者にとって難しいわけではない。難しいのはむしろ書き方だ。筋を破綻させずに辻褄を合わせ、なおかつ複雑な構成を読者に理解させ、楽しませる。本書で著者が自らに課したハードルは実に高い。特に本書のように時間の流れを自在に扱う小説となると、著者の力量が問われる。

昔からタイムトラベルものは、有名な作品がある。例えば「夏の扉」。例えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。例えば「ドラえもん」。本書にはこれら有名な時間旅行ものと違う点がある。それは本書には時間を旅する人物も猫も現れないということだ。替わりに本書の中で旅するのは手紙である。ナミヤ雑貨店という建物のシャッターに取り付けられた郵便受け。これが本書においてはデロリアンの役割を果たし、のび太君の勉強机の引き出しの役割を果たす。

廃屋と化したナミヤ雑貨店の建物。そこに忍び込む三人組から本書は始まる。ひょんなことから忍び込むことになってしまったナミヤ雑貨店で朝を待つことになる三人組。夜中、長らく下りたままのシャッターのポストから郵便物が落ちる音がする。こんな時間に誰が、というところから本書は始まる。ためしにその手紙に返信したところ、差出人の文章から判断すると、どう考えても過去からの返信にしか思えなくなる。

そうして三人組による返信から始まった手紙のやりとりは、本書を通じて色んな人々によって、時空を超えて行われるようになる。

本書は五章からなっている。
第一章 回答は牛乳箱に
第二章 夜更けにハーモニカを
第三章 シビックで朝まで
第四章 黙祷はビートルズで
第五章 空の上から祈りを

これら各章には、三人組以外にも音楽の夢を追い続けるミュージシャン、両親の夜逃げに戸惑う少年、年老いた養親のために経済的な野心を持つ女性などが登場する。彼ら彼女らは等しく人生に迷っている。そしてナミヤ雑貨店の店主が趣味でやっていた悩み相談に救いを求める。ナミヤ雑貨店のポストに悩みを記した手紙を投函すると、店主が独特の感性で返事を認める。その返事が気が利いていると、人々の心のよりどころとなる。そしてそれは店主が世を去り、ナミヤ雑貨店がもはや廃屋と化した現代にまで残り続ける。五章のそれぞれは、いづれもナミヤ百貨店の近隣を舞台としている。だが、それらは全て異なる時代が流れている。ITコミュニケーション全盛の今、インターネット前夜のバブル弾けた頃、高度成長期の昭和。これらの三つの時間軸を、ナミヤ雑貨店の手紙は行き来する。悩み事の告白とそれに対する回答を載せて。そこにはそれぞれの時代の中で人生を悩みつつ生きぬく人々の懸命さが流れている。

冒頭にも書いたように、著者は本書の複雑な時系列を乱さず矛盾も作らず、さらに本書の五章にわたる複雑な筋を破たんさせずに大団円に持って行くことに成功している。それは至難の業といえる。しかし著者はそれに加えて心温まる読後感を本書に添えることに成功している。そのアクロバティックな難度Eの技にはただただ驚き、翻弄されるのが本書の醍醐味だろう。

だが、本書からは別の読み方もできるのではないだろうか。

ナミヤ雑貨店の店主が趣味としていた悩み事の回答は、いつの時代にも需要があるだろう。今のネット界隈にだって、Yahoo知恵袋やOKWAVEなどQAサイトの形で健在だ。時空を超えたコミュニケーションが成り立つのが今のITの世だ。でもそこには人間味が薄味でしか残っていないとも言える。思うに著者は、ネットのコミュニケーションに血を通わせたかったのではないだろうか。そこに血を通わせ、身を入れ、温かみを与えるとどうなるのだろう。そんな試みをしたのが本書ではないかと思う。

ナヤミを相談するには、ミを真ん中に入れるだけで身の有る回答となる。それがナミヤ雑貨店の店主がこの世に残した奇蹟なのだ。

‘2015/5/13-2015/5/14


オレたちバブル入行組


倍返しだ!

一時期、何回この台詞を聞いたことだろう。大人も子供も関係なく。確か流行語大賞の候補にも挙がったのでは無かったか。

ドラマ半沢直樹の中で発せられるこのセリフは、原作の本書の中では私が気付いた限り、290ページに一度きりしか出てこない。それも決め台詞ではなく、他の台詞の中に埋もれていた。しかも倍返しではなく十倍返しである。当初は決して決めセリフとして書かれたのではないような気がする。仮にそうだとすれば、これを決め台詞として見出した脚本家の手腕は高く評価されるべきだろう。

著者が銀行出身であることは知られている。著作の多くは、銀行融資の内実を知る者のみが書ける迫真性を帯びている。無論、出身行と交わしたはずの機密保持契約に抵触するような内容は避けていることだろう。しかし、ここまで書いてよいのか、モデルはないのか、読者であるこちらが心配になるほどだ。

主人公の半沢直樹は、東京中央銀行大阪西支店の融資課長。バブル華やかなりし頃に入行してから、比較的順調に昇進してきた。

しかし、支店長の浅野が功を急いで取ってきた西大阪スチールの融資案件焦げ付きの詰め腹を切らされそうになる。そのやり口に反発した半沢は、西大阪スチール社長の東田を追い詰め、浅野支店長の策略によって本店の人事部や業務統括部とも対立するが、強気に押し通し、十倍返しを実現する。本書をまとめるとすればこうなる。

今にも組織の論理に押し潰されそうになっているサラリーマン諸氏にとっては、胸のすくような内容である。著者が銀行業務を知悉しているからこそ使えるリアルな行内用語。それらが、本書の内容にリアリティーを与え、平素、組織内で似たような用語を使いこなしている読者にも感情移入を容易にする。会話の一つ一つが小説家のフィルターを経ず、ビジネスの現場で活きているやりとりそのままが活かされているのだから、尚更である。

もちろん、半沢直樹の言動は銀行の規格外だろう。このような態度を示して生き残っていけるほど、現実の組織はやわくない。でも、だからこそ半沢直樹に己を投影し、溜飲を下げる読者もいるはずだ。

一匹狼でもなく、特殊能力があるわけでもない。守るべき家庭もある。あるのは強烈な反骨心。理不尽な扱いに怯まず刃向かうだけの気持ち。こういった現実的な設定も受けたのだと思う。バブル後の世知辛い浮き世にあって、半沢直樹は現れるべくして現れたのだといえる。

私自身、銀行内部の世界を全く知らないわけでもない。なので、本書には童心に帰ったかのように心弾ませられ、一気に読み終えた。本書には続編があるそうなので、是非読みたいと思う。また、私は実はテレビドラマの半沢直樹は、音声も含めて全く観たことがない。こちらも機会があれば観たいものだ。

‘2015/02/04-2015/02/05


なぜかお金を引き寄せる女性39のルール


本書は、いわゆる自己啓発本と言って良い。本書のレビューを書くにあたり、自己啓発に関する本は滅多に読まないことを断っておかねばならない。とはいっても、この類いの本を読まずに毛嫌いしている訳ではない。私の読みたい本は他に沢山あり、読書に充てるための時間は常に足りない。つまり、他の読みたい本より自己啓発本の優先順位が低いだけであり、自己啓発本について含むところも他意もないことは述べておきたい。

同じく断っておかねばならないのは、読んで糧にならない本などありえないということ。全ての本は何らかの価値がある。たとえ、知識が得られなかったとしても作者の考えは読み取れるし、自分の考えと違えば、その違いを検証することでより考えを深められる。その意味で、本書を読んだ価値は確かにあったといえる。

本書は、妻が薦めてくれた一冊である。著者の主張に普段から共感している妻は、本書から良い影響を多分に受けたという。そのことは私も感じており、妻にとって良き本ならば、と薦められるがままに読破した。丁度、家族と共に泊まり掛けで東京ディズニーリゾートへいった時と重なり、アトラクションの待ち時間を利用してするすると読めた。

本書は最初に書いた通り、自己啓発的な内容が述べられている。物事は前向きに。お金にたいして否定的な感情をもたない。自分と自分に起きる出来事を完全に肯定する。マイナス思考は持たない。全ての自分をめぐる出来事を受け入れる。ざっくり要約するとこのような内容にまとめられるだろうか。

妻も私も、自己啓発本やセミナーの類いから距離をおいて生きてきた人なので、免疫が無い分、新鮮な内容として読めた。特に妻が本書の内容に魅せられたのも理解できる。その理由も後で触れたいと思う。

本書は下手にスピリチュアルな内容に踏み込まず、見えない存在の力も借りない。その替わり、前向きに考えることで、人生は好転すると説く。本書に宗教臭は薄い。とはいえ、本書を読んで私の眼からウロコが落ちた、頬を打たれたような衝撃を受けた、自分が新たなステージへ進んだとの自覚には巡り会えなかった。

私が40年少しの人生で何も学んでこなかったわけではない。交わってきた友人達、育んでくれた両親、読んできた本、通ってきた校舎、関わってきた同僚、教えられた先輩、旅してきた土地、憧れた銀幕。これらから得られた知恵や人生訓は多い。

物事は前向きにとらえる。人の陰口は決して云わない。人にも自分にも完璧を求めない。自分は未熟者で、その分延びしろがあると考える。全ての出来事は自分を成長させる糧と受け止める。楽あれば苦あり。禍福は糾える縄のごとしで、人生の決算はプラスマイナス0となる。

これらは今までの人生で汲み取ってきた処世訓であり、自分にとっての人生観といえる。

本書の主張は、私の処世訓とおおかた寄り添っている。つまり、楽天的に前向きに物事をみるという点で。

人は皆、無意識に相手をみている。あなたが発する言葉や仕草を五感で受け取り、無意識に判断し、あなたの全体の雰囲気をつかみとる。あなたの言葉や仕草を前向きにすることは、人に対するあなたの受け取られ方を変えることにつながる。あなたが前向きなメッセージを発すれば、人は無意識に好意的にあなたを受け止め、あなたに対し好意的に振る舞ってくれる。好意的に振る舞われれば、物事はうまく行き、幸せになる。私は前向きになることの効用をこのように解釈している。

上に挙げたことは、何も精霊や守護霊、神や仏などに登場してもらうまでもない。人の心理として納得できる働きではないかと思っている。占い、宗教、風水の類いも同じ。自分が無意識に受け止める物事の印象をいかに好転させるか。自分の発する人へのメッセージをいかに前向きとするか。占い、風水、宗教は、そのためのツールと考えている。前世の業や、先祖の因縁は関係なく、霊験あらたかな壺は、それ自体には何の効果もない。効果があるとすれば、壺を有難いと思うあなたの前向きな気持ちがあなたの現状をよりよくし、因縁がたたるとすれば、先祖や前世の因業を信じるあなたの後ろ向きの気持ちがあなたの今を暗く照らす。それだけの話と考えている。

なので、私は宗教、占い、風水の類いは荒唐無稽な迷信とは思っていない。むしろ逆である。物事を前向きに考えられるようになり、人へのメッセージが明るいものになれば、そこに意義はあると思う。ただし、その思いが強まって、他人の信条や信仰を攻撃したり、干渉するようになったり、人の意見を受け入れなくなれば、あなたの発するメッセージは負のイメージに染まる。負の効果が相乗し、自らを傷付けてしまう。信心は自らのうちに収め、外へは出さないのがよいだろう。勧誘などの形をとることもよくない。宗教、占い、風水とは本来は組織に頼るものではなく、自らの内面で完結させるのが理想的な姿と考えている。

上に述べた考えは、本書には載っていない。本書には、前向きになるための実践方法が著者の言葉で綴られている。その中には自己啓発本初心者の私にも初耳のものもあり、それだけでも読んだ甲斐があったといえる。おそらくは妻にとってもこれらの実践方法は参考になり、実践して効果もあがっているのだろう。

とはいえ、本書には大きな疑問点も付く。本書の視点はあくまで個人的なものでしかない。それが端的に出ているのが、金銭礼賛の主張である。「武士は食わねど高楊枝」「ボロは着ていても心は錦」このような考え方を著者は幸福ではないと言う。この点を追及すると、本書の求める幸福とは金銭的に豊かであるかどうかの観点に偏っていると云わざるを得ない。

もっとも私は必ずしも金銭を稼ぐことに対して否定的な考えを持っているわけではない。必要なサービスを受けるための手段として金額の大小はあり得ると思う。私の嗜好を例にとれば、発泡酒よりはクラフトビールであり、トリスや角やハイニッカよりは響や白州や竹鶴であり、テレビの音楽番組よりはライブ会場での盛り上がり。これが金銭を余分に払うことで得られるサービスの質の向上であるといえる。しかし金銭を使わずにそれを貯めこむだけの人生ならば守銭奴と罵られても否定できまい。つまりは金銭とは自分の求めるサービスの質=人生の質を得るための手段に過ぎない。それを忘れ、金銭を最終的な到達点に置くから結論が浅くなってしまうのである。

また、金は流動する。低き位置から高き位置へと移動する。自分に金が集まれば、恵まれない人々の懐からは金が失われる。誰かがさぼれば、その重荷が働き者の肩にのし掛かる。残念ながら、それは事実。自分の成功の代償が会ったことのない別大陸の人に掛かるのなら、まだしも良心の咎めは生じまい。だが、往々にして成功は、身近な人の負担の上に成り立つことが多い。残念ながら、これも事実と云える。誰かの負担や犠牲の上になりたつ成功を何も感じずに享受するだけの強心臓の持ち主ならともかく、普通の人にとってそれは居心地のよい状態とはいえないだろう。

本書は、金があつまることで得た幸福は還元できるので、不均衡は発生しないと説く。しかし本書でいう還元とは金を意味しない。不均衡を発生させないのであれば、稼いだ金のほとんどを、最低限生活できるだけの分を残して献金しなければならないだろう。しかしそれが出来るだけの清廉で強靭な精神の持ち主はそうそういまい。少なくとも私にはできない。

以上から、金銭的な成功のみを到達点に置く本書の主張には賛成できない。前向きになることで幸せになれるという、本書の実践は参考になるだけに、本書が成功の形を金銭的な点にのみおいたのは、残念としか云いようがない。繰り返すようだが実践方法には参考になる部分があるだけになおさら。

‘2014/10/4-2014/10/6


労働問題について


安部内閣が、ホワイトカラーエグゼンプション導入を再び打ちだしてからというもの、労働問題があちこちで再燃しているように思えます。日々、労働問題に関する記事をどこかで見かけます。

今日もBLOGOSにて以下のような記事がアップされていました。
https://blogos.com/outline/106995/

内容は退職強要とも取れる内容です。日本IBM社から退職を強要された方が上司の方とのやりとりを録音し、その一部を文章化したものです。やりとりとしては強要と受け取られても仕方ないと思います。が、おそらくはこのご時世、もっとひどい形の解雇通告も行われていることでしょう。ここに出されているのは、別室に呼ばれて個別に言われるだけまだましと思います。

ホワイトカラーエグゼンプションなど、経営側の理論であることはいうまでもありません。おそらくはこの導入を契機として、次々に労働者への束縛、あるいは低賃金化が進んでいくのではないかと思います。

私も雇われる側としての立場、雇う側としての立場も経験があります。どちらの意見も立場があるのは分かります。社保の負担、福利厚生負担も相当な額が必要で、簡単に賃上げに踏み切れない気持ちも分かります。最初から社員の労力を絞り上げることを前提として収支計画を立てる場合は別ですが。

とはいえ、労働者の立場としては、折角の人生、気持ち良い労働をして過ごしたいですよね。家族のために誇りを持って働く。これはすごく大事なことだと思います。

そんなふうに思っていても、冒頭に紹介したような事例の通り、いつ何時、馘首の憂き目にあうか分かりません。私も20代前半の頃、朝礼の場で馘首宣告を受けたことがあります。あれはやはりショックなものです。人よりものんきな私でもそうだったのですから、大抵の方にとっては世界が音を立てて崩れる、そんな思いもすることでしょう。

しかし、まだ我が国の求人状況が改善する兆しは見えません。景気は好転の兆しも見え始めているようですが、企業が雇用に積極的でないことに変わりはありません。海外のほうが人件費が安く、IT化の進展で人件費の切り詰めはまだまだ可能です。おそらくは今後、首切りも普通に行われていくことになるでしょう。我が国でも。

そのためには、いつ馘首宣告を受けても、動じない心と経済の準備をしておいたほうがよいのかもしれません。また、普段から身を立てる技術は身に付けておいたほうがよいでしょうね。料理や運転など、事務仕事や営業仕事の合間にも、目の前には世界が広がっています。

スマホでゲームをやる時間があれば、やれることは沢山あると思います。再就職が厳しく心が折れそうなときでも、色んな方と普段から接する癖をつけておくだけで、思わぬご縁から次の人生が開けないともかぎりません。

要はいつ首になっても自分と家族の生活は守る。その覚悟だけは身にまとっておくことです。これからは労働者にとっても安泰な時代ではありません。

私にとっても同じです。これから経営者となるにあたって、この労働状況は逆にチャンスです。長時間勤務ではなく、短時間集中型で、やりがいも得られるような会社作りを目指していきたいと思います。


最後の注文


人生。儚く、危なっかしく、そして愛すべきもの。出会い、別れ、喜びと苦しみ。人の数だけそれぞれの生が営まれ、生き様が刻まれる。それは、死に際しても同じ。生の数だけ死が、生き様に応じた死に様がある。

有史以来書かれたあらゆる小説は、人生を描く芸術であり、表現といっても言い過ぎでない。あらゆる作家によって、あらゆる登場人物の人生が記され、描き出されてきた。

本書もまた、その系譜に連なる一書である。

本書の登場人物は主に五人である。生者が四人、死者が一人。死者が遺言として残した、自分が死んだら遺灰をマーゲイトの海に撒いてくれ、という願い。この願いを叶えるために集まった三人の親友と血のつながらない息子の四人の旅路。端役も含めた七人の語り手によって紡がれる、人生の物語が本書の粗筋である。

もっとも、本書の要約だけ書くと、いかにも使い古された構成である。小説や映画で似たような構成の話は、掃いて捨てるほどある。

本書は英国の著名な文学賞であるブッカー賞を受賞した作品である。本書は何故ブッカー賞を獲得できたのか。単なる旅行譚ではそこまでの評価など与えられはしない。本書が本書である所以は何か。それは、人生の追体験である。

死者の願いを叶える旅の中で、それぞれの登場人物は、それぞれの生を生き直す。死者が生前に手配した導きに引かれるようにして。三人の老い先短い人生を精算する時期に、死者の分身ともいうべき息子が、父の遺志を遂行すべく、三人の人生が浄化されていく。楽しかったことも後ろめたいこともひっくるめて。その過程が、実に入念に練られた本書の語りや構成によって、われわれ読者の前に提示される。そして読者は本書を読みながら、読者自身の人生も思い起こすことになる。

数奇な人生でなくてもよい、人の生の営みとは単調に見えても、ドラマに満ちている。平穏の積み重ねであるようでも、波乱に翻弄された歴史である。本書の登場人物たちの一生がまさにそうである。英雄譚はなくとも、人生とは積み重ねた年の数だけ挿話に満ちているもの。今がつらくても、過去が面白くなくても、未来に希望が持てなくても、精算の時期になれば皆平等なのが人生。生きてきた全てが儚く、危なっかしく、そして愛すべきものとなる。

自分の人生の回顧録を書いてみたくなるような、そんな小説が本書である。

’14/05/07-’14/05/16


僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由


悩み深き20代前半。私もどっぷりとその深みにはまりこんだ口である。

強烈な揺れと、その後の混乱を乗り切った冬。内定をもらったと勘違いし、就職活動を止めてしまった初夏。西日本のかなりを旅行し、台湾自転車一周や沖縄旅行など、遊びに遊びまくった夏。吹っ切れて関西一円のあちこちに旅行し続けた秋。大学は卒業したけれど、内定社のない春。

その反動からか、どっぷりと鬱になり、本を読みまくって何かを探し続けた次の年。この時期に読みまくった本と、身に付けたITスキル。そして今に至るまで付き合いの続く年上の友人達との新たな出会い。この時期に助けられた友人たちへの恩。

後悔していないばかりか、人生で輝けた2年間を過ごせたと思っている。22~24歳の私である。

本書に登場する人物達は、あるいは引きこもり、あるいはコミュ障を患い、あるいはゲームの世界に埋没し、あるいは挫折から夢を追う人生に転じ、あるいは奇抜な塾経営から生徒たちの心をつかむ。多くは当時の20代の若者たちである。真っ当な社会生活を送る者からすると、何とも歯がゆく、張り倒してやりたくなる人物がほとんどではないだろうか。

おそらくは当時の私も周囲からこのように見られていたことだろう。人生で何を成し遂げたいのか、「自分さがし」という名の陥穽は、青年にとってあまりにも魅力的で避けがたいものである。

私はその後、上京し、結婚もして家も買い、娘達にも恵まれ、曲がりなりにも個人事業主として8年ほど生計を立てている。世間的には陥穽を避け、順風満帆な生を歩む人間として映っているのかもしれない。しかし、そうではない。私の根底にあるのは20代の頃と同じく、自分への探求心である。40になっても不惑とは程遠く、未完成な自分を少しでも納得の行く完成形へと引き上げようとする人に過ぎない。

おそらくは私の人生観は、一般的な社会人のそれよりも、本書の登場人物達に近いのだろう。だからこそ、彼らの生き方に共感する部分は強い。歯がゆくもないし、張り倒す理由もない。むしろ応援したい気持ちになる。

ただ、彼らに、現代の彼らのような若者たちに会ったとして、私に出来ることは実はそれほどない。月並みだけれど、人生とはその人の生である。他人が肩代わりすることはできない。ただ前向きに、他人を傷つけず、陰口も言わず、己の決断に、与えられた機会に飛び込んでいくのみである。本稿の冒頭で「人生で輝けた2年間を過ごせた」と書いたが、それも過ぎた者だけがいえる台詞。過ぎて初めて人の生は語るに値する。

著者も本書の登場人物達に近いニートのような生活を送ったことがあるとか。著者は下手な同情も記さない代わりに、突き放すこともしない。ただ傍らでその人の人生を見つめるのみである。その視線は温かい。おそらくは著者も、登場人物の生は肩代わりできないことを知っていることだろう。替わりに出来ることとして、その生を描くことで、自らの探究心を満たしたかっただけなのだろう。それでいい。人生とは結局は自らを納得させるためにあるようなものなのだから。

’14/04/16-’14/04/17