今上天皇が生前譲位の意思を漏らされたとのスクープが世を舞っています。

嘘か真かは、宮内庁からの発表や天皇陛下ご自身のご発言を待つほかありません。でも、その噂にはゴシップや憶測よりも真実に近い色を帯びていると思うのは私だけではないでしょう。そこには陛下ご自身の82歳という年齢もあります。御高齢にも関わらず未だに天皇としての責任を疎かにせず、全うされているとか。

日々潔斎し、神事も行い、国事行為をこなされる日々。その合間を縫って、東日本大震災や熊本地震のお見舞い、沖縄の対馬丸記念館への訪問など、昭和天皇の御代に起こった出来事にまで向き合おうとされているのだから頭が下がります。

その大変な仕事については、『天皇陛下の全仕事』という本に紹介されています。それを読む限り、天皇陛下がこなされる公務は並大抵の心根では勤まらなさそうです。

この1月、私の妻が皇居の奉仕活動に参加しました。そして陛下のお姿を目にすることが出来ました。そこでお会いした陛下から放たれる気品に圧倒されたと聞きます。82歳を感じさせない凛とした雰囲気を身にまとわれていたとか。煩悩を微塵も感じさせない気をまとうには、一朝一夕の付け焼き刃ではだめでしょう。そこには、昭和天皇から受け継いだ皇室の在り方も無関係ではないと思われます。

先代の昭和天皇の御代、日本は激動の中にありました。大正デモクラシーと第一次大戦の好景気から一転、昭和恐慌と軍部の専横を経て、日本は国策を誤り、アジアへの侵略に打って出、そして国土は空襲の下で焦土と化しました。そして、その廃墟の中から、日本は戦後は世界史上の奇跡と呼ばれる高度経済成長を果たし、先進国の一角として迎えられるまでになりました。そんな中、昭和天皇は現人神から人間へと移り変わり、全国を巡って人間裕仁として国民の前に姿を晒しました。その生涯は激動という言葉では語り尽くせないほどの転変に次ぐ転変でした。私自身の考えでは、昭和天皇と戦争責任は切り離せません。立場的にも責任は逃れられないですし、昭和天皇ご自身のご判断にも過ちはあったと思います。でも、その失敗を受け止め、安易に退位という身の処し方を採らなかったところに昭和天皇の真の価値があると思っています。完全無欠の聖人君子としての昭和天皇で終わったとしたら、それは単なるお飾りにしかすぎません。そうではなく、天皇という役目を引き受けた一人の人間として、失敗をやらかしながらもそこから逃げず、波乱の人生を生き切ったところに昭和天皇の偉大さがあると思っています。並大抵の人ならとっくに擦り切れてしまうほどの過酷な人生を。

その遺訓は今上天皇にも確実に受け継がれているのではないでしょうか。父の苦悩を間近に見聞きし、激動の時代を生きた人として。実は今上天皇とは、戦前の現人神としての天皇、そして日本の破滅と復興、さらにはバブル後の停滞までの日本の歴史を全て見届けることのできた稀有な方だと思っています。

平成の御世はバブルの破裂で幕を開ける苦難の時期でした。オウム真理教の事件や、阪神淡路大震災、そして東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故という災害にも遭遇しました。特にオウムによる地下鉄サリンや福島第一原子力発電所の事故は、昭和に我が国の築き上げた立場を一挙に喪いかけないほどの大事件だったと言えるでしょう。しかし、今上天皇は皇太子時代から昭和天皇のし残した仕事に取り組み、その遺志を立派に汲み取ったと思います。平成とは波乱の年号だったかも知れませんが、その振幅の幅は昭和よりは遥かに平らです。乱高下した昭和に比べれば、平成という語感の通り落ち着いた日本でいられたのではなかったでしょうか。少なくとも昭和よりは平らかな歴史を取り戻すことができた時代だったと言えます。今上天皇は、象徴天皇としてこれ以上ない得難い方だったと思います。

しかし、日本は経済大国としてではなく、次なる価値観で世界に存在感を示す時期に来ています。今は人工知能が人類の英知を凌駕せんとする時代です。そんな人類としての在り方が揺らぐ時代にあって、求められるべきは経済成長ではありません。おそらくは思想であり、文化なのでは無いでしょうか。これからの日本が世界に存在感を示し、かつ貢献出来るとすれば、もはやエコノミックアニマルとしての国威ではありません。技術立国としての日本でもありません。独自の培った文化や価値観を持つ日本の文化によってだと思います。

それを見据えての今回の生前譲位では無いでしょうか。世界から見た日本は過去の経済大国かもしれませんが、実は違う価値観で世界をリードする。これからの日本がそんな日本である事を願いたいと思います。


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