昨日、デヴィッド・ボウイ死去のニュースが世界を駆け巡りました。
そのニュースに触れたとき、私と妻はコンサルティングを受けている最中でした。変化し続けるために。歯科医院の経営を良くしていくために。奇しくもそれは成人式の日でした。
ショックでした。でも一方では幸せでした。コンサルティングを受けながら、今までココデンタルクリニックの経営に欠けていたピースが目の前で次々と嵌っていくのですから。デヴィッド・ボウイ逝去のニュースを知った時、私はそういう相反する感情に捉われていました。
ショックでしたとはいいましたが、私はデヴィッド・ボウイの全盛期をリアルに体験していません。私が洋楽に興味を持ち始めた頃、デヴィッド・ボウイはティン・マシーンというユニットを組んでいました。今から思えば、彼の長い音楽キャリアの中でも試行錯誤の時期だったのでしょう。1989年、厨三病たけなわの私にとってデヴィッド・ボウイはすでに過去の人でした。
デヴィッド・ボウイの名前を初めて知ったのも音楽ではなく映画だったし。ラビリンスというファンタジー映画の魔王役だったように記憶しています。
以来、洋楽にはまった私は、80年代、70年代、60年代と色んな音楽にどっぷり浸かった高校時代を送ります。その中でデヴィッド・ボウイが輝いていたことも知りました。80年代の「Let’s Dance」や「China Girl」だけでなく、70年代のベルリン三部作「Low」「”Heroes”」「Lodger」も恰好よく、グラムロックのアイコンであった頃や「Space Oddity」や「・・・Ziggy Stardust and ・・・」ももちろん。凄いと思いました。高校生が背伸びして大人の世界を覗き見るには、あまりにも眩しい存在でした。ここにアップした本はその頃に買いました。初版1986年だから古本屋で買ったのかな?
目まぐるしく変貌を繰り返し、音楽的冒険に果敢に乗り出すデヴィッド・ボウイ。私が初めてリアルタイムで触れたのは「Earthling」。当時drum’n baseに少しはまり、興味を持っていた私は、デヴィッド・ボウイのこのアルバムをすぐ買い、その格好よさにしびれました。
先日もニューアルバムの「★」が出るニュースを知り、買おうかなあ、と思った矢先に今回の訃報です。残念でなりません。
訃報の知らせを聞いたのが、成人式。そしてその時の私は、変わりゆく過程の途中でした。そしてデヴィッド・ボウイといえば、変化の人。changesbowieです。Changesです。
ふと、デヴィッド・ボウイは成人式に出たのだろうか。そんな疑問が頭によぎりました。イギリスに成人式に相当する儀式があるのかどうかはしりません。多分あったとしても、彼自身はそこに何の意味も見いだしていなかったと思います。なぜなら彼の人生そのものが、変貌そして変革。変身そして変身だったからです。
周りにお膳立てしてもらわなくても、自分で変化を遂げられたことでしょう。大人にお膳立てされた場所で暴れて自己表現しなくても、自分で暴れ場所を作り出したことでしょう。それがデヴィッド・ボウイだったのだと思います。
ここ数年、成人式といえば一部の輩による発散の場となっているようです。毎年のように繰り返される「成人式で新成人暴れる」のニュースにはうんざり以前に全く関心がありませんでした。そもそも私自身、成人式には特に思い入れもありません。成人式には行きましたが、市民会館の中には入りませんでしたし。中でやってる式典など眼中になく、市民会館の外で即席の同窓会をやっていた記憶しかありません。同窓会を楽しみ、夜も多数で酒を酌み交わした記憶だけが残っています。
今思い起こしても、成人式に出たからといって何かが変わった実感はありません。成人式よりも、人生に変化をもたらす出来事には沢山出会ってきました。その出来事にうまく乗れたこともあれば、乗り損ねた後悔もあります。でも、私の今までの人生で、変化の切っ掛けが成人式だったとは全く思っていません。
もう、成人式はいいのではないでしょうか。色んな方がブログで書かれているようですが、私ももう成人式は無くしても良いと思います。もっと個人個人の世界で、例えば仲良しでやるもよし、家族で祝うもよし。そんな感じでいいのではないでしょうか。
成人式よりも、その後の人生でいかにして変化の兆しを掴み取り、人生を生きていくか。これこそが大事な気がします。周りに儀式をお膳立てされなくても、人は変わります。変わっていきます。また、変わっていかざるをえません。それが人生だと思います。
そのことを世界中の人々に対し、自分の人生として示し続けたのが、デヴィッド・ボウイだったと思います。残念ながら彼はこの世からいなくなりました。おそらくはジギー・スターダストかトム少佐かシン・ホワイト・デュークかの別人格になって。が、彼の人生の証、人は変われるという証は、26枚のアルバムになって残されています。ゆっくりその遺産を聴きながら、彼を偲びたいと思います。
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