昨日、「スターウォーズ フォースの覚醒」を観に行ってきました。映画自体のレビューについては、ネタバレにならない範囲でこちらに書きました。結論としては、完璧な続編振りに一ファンとして満足しています。

さて、そのレビューの中であえて書かなかったことがあります。それは、私たち観客がドロイド達を見る視線の変化です。ドロイドとは、スターウォーズシリーズのアイコンでもあるC-3POやR2-D2のことです。今回のフォースの覚醒では、BB-8というドロイドも新たに登場しました。サッカーボールに乗っかったようなあれです。

これらドロイド達は、見た目はロボットそのものです。しかし彼らは言語を聞き取り、話します。話すだけでなく、自らの意思を持っています。

スターウォーズにおけるドロイド達の役割は四十年前に公開されたエピソードⅣから変わっていません。砂漠の惑星タトゥーインに不時着したC-3POとR2-D2は我々観客の前に自意識をもって登場しました。しかし、当時の我々はかれらをロボットとしてしか見ていなかったように思います。スターウォーズサーガ、つまり作り話の中の登場ロボットの一つとして。それは酒場にいた異星人達と一緒の扱いです。人類と異なる容姿の彼らもまた、サーガの中に登場する異星人にしかすぎません。つまりは空想の中の世界の住人というわけです。我々はC-3POとR2-D2をそれら異星のクリーチャーたちと同列に空想の産物として扱っていたように思います。

しかし、今回のフォースの覚醒では、我々観客がドロイド達に向ける視線は変わりつつあります。少なくとも私にとってはそうです。

もはやドロイドは、遠い遠い遥か彼方の銀河、遥か昔に住む存在ではありません。ドロイドは、我々の住む地球上に現に産まれつつあるのです。この瞬間、どこかの研究室でR2-D2が産声を挙げていたとしても、私は驚きません。遠からず、我々はC-3POやR2-D2と話をすることになるでしょう。

2015年は自動運転カーやドローン、人工知能が一気に我々の日常に登場した年として後世に記憶されるはずです。さらに言うとSF(サイエンス・フィクション)というジャンル名が返上された年としても記録に残るかもしれません。今やスターウォーズのドロイド達は、フィクション世界の住人ではなく、実話世界の住民として認識されようとしているのですから。

もはや、アナログ至上主義を掲げて安穏としている場合ではなさそうです。実話の世界に住む先輩として、我ら人間はドロイド達を仲間に迎えるべく準備を進めなければなりません。取り扱い、対処法、暴走防止、仕事のシェア。ドロイド達と考えるべきことは多そうです。

今回スターウォーズを観て、おとぎ話として楽しんでいる場合ではない。そのような思いに駆られました。


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