すでに一部の競技では予選が始まっていますが、明日はいよいよ東京オリンピックの開幕式ですね。
言うまでもなく、開幕前からケチが付きまくってるのですが。
もう、取り返しは付かないでしょう。

ですが、私はスポーツ観戦が好きです。だから、いまさら中止を訴えようとは毛頭思いません。
それよりも競技の中身に期待したいと思っています。
バルセロナで古賀選手が、北京でソフトボールチームが感動を与えてくれたように、選手たちの競技から感動を受け取れると信じて。
今回は白血病からの復活を遂げた池江選手もいます。
無観客のテレビ越しだっていいじゃないですか。今までのオリンピックだってテレビ越しの競技を見ているだけで感動できたのですから。

むしろ、これほどまでにオリンピックとそれにまつわる商業主義や国家の威信が傷ついた後だからこそ、純粋な競技そのものに集中したいと思うのです。
誰もが忘れ去っていますが、クーベルタン男爵が理想とした古代ギリシアのオリンピックとは、純粋に競技だけに熱狂するものだったはず。

もちろん、私も経営者の端くれです。商機がある時に稼いでしまいたくなる気持ちはわかります。
ですが、今回のオリンピックはその路線に限界が生じたことを如実にしめしてくれました。

1976年のモントリオールオリンピックで出た莫大な赤字への反省から、オリンピックは商業主義に舵を切ったことはよく知られています。
その前にもナチス・ドイツによって国威発揚に利用され、ミュンヘンオリンピックではテロリストによって蹂躙され、東西のイデオロギーの争いによってボイコットもされました。
そこに今度のコロナによる延期と、運営の不手際による問題です。
もう、オリンピックの拡大主義と商業主義には無理が生じているのです。

ですが、いまさらJOCの責任を言い募っても仕方がありません。
段取りと前例踏襲を擁したわが国の得意技がコロナによって封じられた以上、こうなっても当然だと思うのです。今さら誰を非難してもオリンピックは始まるし、傷ついた威信は改善されません。

そもそも、復興をうたっていながら東京で行う前提からして間違っていたのですから。
これ以上東京に富と人口を集中させても仕方がないのに、東京に招致してしまったこと。

私は以前からこのことをあちこちで書いてきました。

東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典

東京から地方へ・・・・

むしろ、地震や富士山噴火でダメにならず、無観客とはいえ開幕できたことだけでもよしとしなければ。

開幕式を演出する方も二転三転としていますが、それもシンプルな開幕式でよいではありませんか。
商業主義から脱却する記念の大会としてはふさわしいと思います。
その代わりに競技から感動を受け取ろうではありませんか。


コメントを残して頂けると嬉しいです

物申すの全投稿一覧