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煙草おもしろ意外史


なぜ本書を読もうと思ったのか。正直あまり覚えていない。
ふと積ん読の山の中からタイトルに目を留めたのだろう。普段から私がタバコを含む嗜好品の歴史について関心を持ち続けていたからかもしれない。

本書はタイトルだけで判断すると、お気軽に読めるタバコの紹介本に思える。だが、それは間違いだ。
本書が取り上げているのはタバコの歴史だけはない。もちろん、タバコの世界的な伝播や、流行の様子には触れている。だが、本書はその様子から人や社会を描く。さらに本書の追究は、嗜好品とは何かという範囲にまで及んでいる。人が生まれてから成長し、社会に受け入れられる中で嗜好品が果たす役割など、民俗学、社会学の観点からも本書は読み応えがある。
正直、本書はタイトルの付け方がよくない。そのために多くの読者を逃している気がする。それほど本書の内容は充実している。

今、日常生活でタバコに触れる機会はめっきり減ってしまった。
公共の場は禁煙。それが当たり前になり、歩きタバコなどはめったに見かけない。肩身が狭そうに街の喫煙所に集まる喫煙者たち。副流煙がモクモクとあたりを煙らせる中、喫煙所のそばを足早に通り過ぎる非喫煙者たち。その中に私もいる。

私はタバコを吸わない。ただし18歳の頃、早速吸い始めた高校時代の同級生に吸わされそうになったことがある。その時、反発してキレそうになり、それ以来、紙巻きタバコは一度も吸ったことがない。
ただ、水タバコと葉巻はそれぞれ一回ずつ吸ったことがある。30代から40代にかけてのことだ。美味しかったことを覚えている。

なぜ私がタバコに手を出さなかったか。それは、喫煙者が迫害、もしくは隔離される未来が目に見えていたからだ。
当時から束縛されるのが嫌いだった私は、タバコを吸うと行動範囲が制限されると感じ、決して吸うまいと決めた。

だが、上で水タバコや葉巻を試したことがあると書いた通り、私は嗜好品としてのタバコにそれほど嫌悪感を持っていない。もちろん街を歩いていて煙が流れてくると避けるし、喫煙部屋に誘われると苦痛でしかない。
他の三つの嗜好品と違い、タバコだけは副流煙が周りの非喫煙者に不快な思いを与える。だから、専用の場所で吸えば良いのだ。酒も同じ嗜好品だが、酔っ払って暴れない限りは他の人に迷惑をかけない。せいぜい酒臭いと思われる程度だ。
だから、喫煙が可能なバーはもっと増えるべきだし、喫煙者が集える場所がもっと増えても良いと思っている。その中で好きなだけ吸えば済む話だと思う。要するに公共の場で吸わなければいいのだ。

私は酒やコーヒー、お茶をよく飲む。これらは嗜好品だ。タバコを加えて四大嗜好品というらしい。嗜好品が好きな立場から物申すと、タバコだけが迫害される現状は少々喫煙者に気の毒とさえ思っている。
タバコだけを迫害する前に、他に手を入れるべき悪癖は世の中に多いと思っている。
タバコ文化がどんどん迫害され、衰退している。
それは私にとって決して歓迎すべき事態ではない。タバコを吸わないからと悠長に構えていると、他の趣味嗜好にまで迫害の手が及ぶかもしれない。
だからこそ私は、本書を手に取ろうと思ったのかもしれない。

シャーマンが呪術で使う聖なる草。薬にもなるし、心を不思議な作用に誘う。トランス状態に人をいざなうためにタバコは用いられ、病んだ精神を癒やす効果もあるという。
アンデス高地が原産のタバコが、アステカ・インカ帝国を征服したスペイン人によってヨーロッパにもたらされ、それが瞬く間に世界で広まっていった。

イギリスの国王や、日本の徳川秀忠のようにタバコを嫌い、迫害した君主もいる。だが、人々がタバコの魅力を忘れなかった。
嗅ぎタバコや葉巻、パイプ、噛みタバコ。さまざまな派生商品とともにマナーやエチケットが生まれ、世界を席巻した。

産業革命によって大きく産業構造を変えた世界。その中で人々は都会に集い、ひしめきあって暮らした。技術を使いこなすことを求められ、最新の情報を覚え、合理的な動きを強いられる。情緒面よりも理性面が重視される毎日。
そのような脳が重んじられる時代にあって、脳を癒やすための手段として、嗜好品、つまり酒や茶やコーヒーやタバコはうってつけだった。

私が開発現場にいた頃、タバコ休憩と称して頻繁に席をはずす人をよく見かけた。
私はタバコを吸わない。だが、よく散歩と称して歩き回り、それによってプログラミングの行き詰まりを打破するアイデアを得ていた。
同じように、タバコ休憩も安易に無駄な時間と糾弾するのではなく、そうした間を取ることによって新たなアイデアを得ることだってある。タバコを吸うことで脳が活性化されるのであれば、それこそまさにタバコの効能だろう。

だが、近代になりタバコが若年層にも行き渡るようになり、健康と喫煙の問題が取り沙汰されるようになった。

ここからが本書の核となる部分だ。
ここで断っておくと、本書の著者は日本嗜好品アカデミー編となっている。その立場は、嗜好品をよしとし、大人のたしなみを重んじて活動する団体のようだ。
つまり、タバコに対して好意的に捉えている。むしろ、タバコを排除する動きには反対していることが本書から読み取れる。
例えば、健康の基準が時代とともに変化していることを指摘し、その基準を社会が一律に決めることに反対している。
また、物質が幅を聞かせる世の中にあって、人々の心が空洞化していることを取り上げ、タバコを悪と糾弾することが社会の正義にかなっているという風潮に反対する。乗っかりやすいキャッチフレーズが空洞化した心に受け入れられたのが、タバコへの迫害ではないかと喝破する。

そもそも昔はタバコも大人への通過儀礼として認められていた。それが、大人と子供の境目が曖昧になってしまった。それがタバコから文化的な意味を奪い、単なる健康に悪い嗜好品と認識されていまった現状も指摘している。
この部分では、河合隼雄氏、小此木啓吾氏、岸田秀氏といったわが国の著名な精神分析家の分析が頻繁に引用される。民俗学、社会学、精神分析理論、心理学、民法などを援用し、現代の文明社会の歪みと、その中で生きていかねばならない人の困難を提起する。
本来なら、生きる困難を和らげるのがタバコの役割だった。ところが、和らげる手段すら排除されようとしている。
人は死ぬ。生まれた瞬間に死ぬ運命が決まっている。その恐れは人類の誰もが持っている。それを和らげる存在が必要だからこそ、人は嗜好品に手を出す。それは責められる類のものではないだろう。人が進化し、自我を持つようになってしまった以上は。

「本能の壊れた」人間は、自然に即して生きることが出来なくなったため、さまざまな装置や仕組みを考案し、それらを使って生きる道を確実なものにしようと努力するようになった。(190ページ)

つまり、古来シャーマンがタバコを用いて人に癒やしを与えていた機能。それを今、文明社会から奪ってしまってよいのだろうか。編者はそう訴えたいのだろう。

本書でも述べられているが、嗜好品を闇雲に排除するのではなく、節度を持った喫し方を啓蒙すれば良いはず。喫煙者が節度を持って決まった場所で吸い、それが守られていればタバコが絶滅させられるいわれはないはずだ。
それこそ、私が前々から考えていたことだ。

ただし、本書を読んだ後に世界はコロナウィルスによって蹂躙された。コロナウィルスは肺を攻撃する。もし、喫煙によって肺が弱っていれば、肺炎になって致死率は上がる。これは、タバコにとっては致命的なことだ。
タバコが生き残るとすれば、まず禁断症状を薄めつつ、精神を安定させるように改良する必要がある。さらに、肺への影響も最小限にしなければ。そうした改良がないと、タバコはますます絶滅へと追いやられていく。
むやみやたらにタバコを排除すればそれで済むはずはない。もし今のように能率ばかりを求めるのであれば、その代替となる嗜好品には気を配る必要がないだろうか。そうでなければストレスが増すばかりの世に暮らす人々の精神的な健康が損なわれる気がする。
ストレスフルな世の中にあって、タバコなどの嗜好品が絶滅した世の中に魅力的な人間はいるのだろうか。いない気がする。

かつて、作家の筒井康隆氏が短編『最後の喫煙者』を世に問うた。そこで書かれたような世の中にはなってほしくない。

本書は隠れた名書だと思う。

‘2020/04/12-2020/04/18


コロナ感染記


9月1日(水曜)。
この日はサテライトオフィスで作業と三件の打ち合わせを予定していました。
いつもは家から最寄駅までバスで向かうのですが、この時なぜか車で向かったのは、何かの虫の知らせだったのでしょうか。3.11の時、常駐先に行かず家で仕事をしていたように。

虫の知らせがリイイインと告げたのは、電車に乗ってサテライトオフィスの最寄駅で下車し、サテライトオフィスに着く直前です。
妻からの連絡が全てを暗転させました。
妻によると、次女が体調の悪化で学校から早退したので迎えに行ってほしいとのこと。さらには大阪から新幹線で戻っている妻も体調が悪くなっているとのこと。それがコロナの第一報でした。

妻子の願いをむげにもできず、サテライトオフィスで二時間ほど慌ただしく打ち合わせなどをこなした後、逃げるようにそそくさと帰りました。そして、家の最寄駅まで電車で戻ったところ、次女と大阪から戻ってきた妻を拾うことができました。特に次女の体調が悪い様子。

私はその後、家で作業をこなしていました。

次女の体調は悪く、熱が出ている模様。妻もあまり体調が良くない模様。
すると、私の体調にも異変が。喉に違和感が生じたではありませんか。

その後、PCR検査薬を買いに妻と一緒に駅前まで一緒に向かいました。
戻ってから、翌日に打ち合わせを予定していたお客様のもとに、以下のようなメッセージを送りました。それが17時45分。

「一応、正直にお伝えしておくと、まだ定かではないのですが、
家族がコロナに感染した可能性があります。

PCR検査薬を購入したのですが、おそらくこの後発送しても結果が明日になってしまいます。

私は30日に一回目のワクチンを打ちましたが、今、少しだけ喉に違和感を感じています。○○の状況を見ると、オンラインで参加させていただいたほうが良いかもしれません。
それ以外は問題ないのですが、いかがいたしましょうか。」

すると、メッセージを送ってから少したって、急に倦怠感が私の身体全体を覆い始めました。いわゆるインフルエンザの症状のような。
あ、コロナになってもうた、とすぐに感じました。コロナの暗黒面が口を開けて私を飲み込んでいきます。

9月2日(木曜)。
この日はもともと、朝から四件の打ち合わせが予定されていました。

昨日のメッセージにも書いていた通り、都心の客先に行く予定も絡めていましたが、昨日のメッセージの後、オフラインの打ち合わせは延期にしていただきました。
私は自分が確実にコロナ患者であることを自覚しながら、完全に仕事モードで一日を送っていました。三件の打ち合わせはリモートで対応。

11時から12時に新規打ち合わせ一件。14時から15時に新規打ち合わせ一件。16時から17時まで新規打ち合わせ。
この時点では、まだ私の頭は明晰で、やり取りもきちんと普段通りにできていました。
コロナ何するものぞ。負けへんで~。

妻と次女は、15時に病院に行きその場で抗体検査をしてもらい、陽性反応をいただいてきました。私は打ち合わせがあったので病院には行けず。

9月3日(金曜)。
この日は2件の打ち合わせが予定されていました。10時半から11時と、15時から16時。
あと内部の打ち合わせを2件。
発症後、二日間はそこまで熱がなかったのですが、少しずつ疲労と熱が私の身体をむしばんでいるのがわかります。打ち合わせをしていてもしんどくなってきました。
そんな中、昨日今日と新たな案件の引き合いもいただいています。休んでいる場合ではないのです。

そんな中、念のため8月の26、27日に訪問したお客様にもコロナ感染の報告を。
さらに、妻にも許可を取って、家族のうち三人がコロナ陽性になった旨をSNSで書き込みました。

コロナであることを公表したとは言え、この日は週末には終えておかねばならない作業があり、私が寝たのは夜中の二時半過ぎ。

なお、妻と長女はPCR検査でも陽性が確定したらしく、保健所から自宅療養の指示を受けました。
この時、わが家で無事なのは長女一人のみ。買い物やその他の家事は彼女にお任せの状態。感謝感謝です。
頼もしい長女は、自分以外全員が陽性にもかかわらず、ワクチンを打たずに陰性のまま、乗り切ってくれました。

9月4日(土曜)。
この日は土曜日。お客様から連絡がない一日。ですが、私にはやるべき作業があったので作業していました。
この日、私も病院で抗体検査とPCR検査をしに行くつもりでしたが、いざ出かけようとした時、既に午前の診療受付の時間は過ぎていました。

なお、私の味覚・嗅覚障害が始まったのはこの日からだったように記憶しています。
娘が買ってきてくれたBaskin Robbinsのアイスクリームは甘いだけの塊に。味噌汁は塩辛く生暖かい未知の汁へ。

9月5日(日曜)。
この日の私は、完全に仕事をする気力と体力を失い、終日ベッドに寝て読書に勤しんでいました。
この日から発熱が37℃を超えたように記憶しています。

9月6日(月曜)。
午前。一人で車を運転して抗体検査とPCR検査を受けに行きました。確か朝の時点で私の体温は37.7℃。
病院に着きましたが、病院の中には入りません。外の駐車場で検査が完結します。他の患者さんに移すとまずいので。
そのため、先生と二人の看護師さんが完全防備で駐車場に現れ、その場で抗体検査のセッティングを。細く禍々しいほど長い綿棒が左の鼻の穴から喉の奥へと侵入し、コロナはいねえが~と巣を漁ります。この異物混入感はヤバい。
苦痛に満ちた時間の後、私は唾を容器になみなみと満たす作業に没頭しました。

私の凌辱され放題の喉の奥からはその場で陽性反応が出ました。これで私も名実ともに陽性者です。
唾からのPCR検査の結果は翌日。
なお、この時に酸素飽和度を測ってもらったのですが96%でした。8/30に一回目のワクチンを受ける直前は98%だったので、肺に違和感はないけれど2%も下がっていたのですね。

なお、お医者さんに払う料金の1700円を持っておらず、慌てて近くの郵便局で出金してきました。何も手が触れぬようにして。私は今や世に隠すもののない陽性保菌者。一切のおさわりは厳禁!
病院に行く前は、せっかくなので近くの城跡や牧場に行こう、などとのんきなことを考えていた私。病院を後にする時、そんな気力は雲散霧消していました。一刻も早く帰って休みたい。

身体がしんどく、作業をするのも一休みずつ。ですが、メールやチャットの連絡は多く届きます。その度に一つ一つ対応します。

9月7日(火曜)。
この日、妻と次女を対象に町田市保健所より自宅療養のためのサバイバル物資を送ってもらいました。飲料や食料の数々。ありがたい。
前日に受けたPCR検査の結果も陽性判定となり、私も保健所による自宅療養者の一員に仲間入り。これから毎日、指示を待つ身です。
この日から発熱が38℃台を超えることが当たり前になりました。

熱がある中、お客様とのやり取りはいく度も発生しました。そして、私の正気もだんだんと怪しくなっていきます。メールやチャットの内容を後で読み返した時の誤字脱字の多さ。仕事のクオリティが保てない自分に怒る気力すら湧きません。後から考えるとこれだけの誤字脱字をよくも送っていたと思います。平常時にはありえない状態です。

夜、あまりにもしんどいので保冷剤を枕に寝ました。

9月8日(水曜)。
この日の翌朝にとあるお客様との打ち合わせが予定されていました。その打ち合わせまでに53件のkintoneのデータを正しいデータに修正する必要に迫られていました。ところが、53件のデータを開き、そのレコードの三項目を修正して保存するだけの作業がなかなか進みません。
休んでは気力を振り絞って作業に戻る。その繰り返しで、ようやく作業を終えられました。
平常では10分も掛からないはずの作業に、3時間近くかけた気がします。これでは、とても仕事になりません。朦朧とした脳裏に、さすがに仕事人として絶体絶命ではないかという思いがよぎります。

9月9日(木曜)。
早朝、大量の発汗で起きました。すると、熱も下がっていました。

ところが午前に久しぶりにオンライン・ミーティングを行ったところ、受け答えすらままならない自分に気づきました。次に話そうとしたことが脳内で像を結ばず、フリーズしてしまいます。話している最中に咳が出てしまい、途中で失礼することもしばしば。およそ商談を行うには不適切な状態。あまりのことに焦りよりも前に呆ける自分。

午後には、弊社内部での打ち合わせも行いました。ところが、私の状況は午前と同じです。話すべきことがまとまらず、論旨が一貫しない。直前に話した内容を忘れ、自分の中で支離滅裂になってしまう。
仕事人として相当ヤバい状況です。私はそのことに絶望しました。このままだと廃業もやむをえないかも。弊社の社員に申し訳ない、これから家族をどう養っていこうか。そんな思いが頭の中で生まれては消えていきます。
これがコロナの恐るべき後遺症かと戦々恐々とし、落ち込みました。

一方で、この日の夜に9/3にいただいた新規案件の納品報告を行いました。翌日には先方より状況が良好であるとのご連絡もいただけました。その後、9/14にお客様環境へのインストールも終わり、無事に納品・検収となりました。
コロナの症状がピークに達している間にどうやって納品した?と、自分でも信じられない思いでした。私の中のコビトさんに感謝ですね。

9月10日(金曜)。
熱は下がったのですが、私の咳が治まりません。
次女は9/7には熱が下がり、平常の暮らしに戻りつつありました。妻も9月8日には熱は下がった模様。ところが、妻の咳が一向に治まらないのです。ひょっとすると私から再び妻にコロナウィルスを送り返している可能性が。夫婦でコロナをパスし合っているほど暇じゃないので、妻は夜、別の部屋で寝ました。

私一人で寝室を占拠したのですが、この日の夜、病状が次の段階に進んでいることに気づきました。
肺の違和感です。いわゆる肺炎の症状と思われます。息苦しく、きちんと息が肺に行き渡っていない状態。気づかぬうちに肺にウィルスが忍び込んでいたのです。
無理やり深呼吸を繰り返し、肺が死滅しないように努力しました。ここで眠ったが最後、二度と目を覚めない恐怖。コロナの軽症患者が突然死亡したとの報道が眼前にちらつきます。
自分のし残したことの多さに絶望する暇すら与えられず、命と意識がフッと虚無の中に消える。そんな恐怖が私を脅かします。
この時の私の酸素飽和度は何パーセントだったのでしょうか。測っていないので何とも言えないのですが、あるいは80%台にまで落ち込んでいたのかもしれません。

9月11日(土曜)。
保健所からの定期電話で、咳と肺の違和感のことを話しました。
ところが、私の症状はまだ軽症に属する様子。酸素飽和度すら測られずに、私の自宅療養期間は12日で終了とのご指示をいただきました。

この日、気力を奮って読読ブログを一本書き上げました。「アンジェラの灰」。ブログを書くにもエネルギーが必要です。何よりも論旨を整合させる知力が求められます。内容の良しあしはともかく、自分がまたブログを書き上げられたことに満足しました。

9月12日(日曜)。
先に自宅療養期間を終えた妻と次女が、新大久保に買い出しに行きたいと願っています。私もいい加減、外に出たい。そのため、新大久保まで運転しました。
妻子を新大久保で降ろした後、私は一人で中野の哲学堂公園へと向かいました。
初めて訪れた哲学堂公園の園内は、上り下りの勾配があります。園内を歩きながら上り下りを繰り返しましたが、体力の衰えは顕著です。咳もときおり飛び出してきます。
園内には数多くの哲学の概念が設けられています。そうした場所で向かい合い、哲学に頭を働かせられません。哲学とは無縁の知力。とはいえ、異変に襲われず、園内を歩けたのは吉兆です。

この日、携帯電話を家に忘れてしまいました。その間、保健所から日曜日にもかかわらず何度かご連絡をいただいていました。申し訳ないです。
保健所のご担当者は毎日連絡を絶やさずにくださいました。ありがたいことです。感謝です。

私の発熱は治まり、残る症状は咳だけ。後は私の仕事人としての能力が元に戻っているのか。後遺症は残るのか。それらを見極めないことには、私の将来が不透明です。

味覚・嗅覚障害ですが、この日の前日ぐらいに戻った気がします。この日、新大久保で買ってきた食材を家族で久々に食卓を囲んで食べたのですが、その美味しかったこと!

9月13日(月曜)-14日(火曜)。
まだ本調子ではないのですが、作業を行い、指示を出して過ごした両日でした。
合間には、近所を散歩しました。自らの体力の回復具合を見定めるためです。というのも、10日近くも外に全く出ずに過ごす経験はこれまでの私の人生でもめったにありません。予想通り、私の足腰はめっきり弱っていました。

自分の気力・知力・行動力・判断力がどの程度まで衰えたのか。
私の仕事人としての能力はコロナ前のレベルから比較してどれほど低下したのか。それが知りたいという切実な思い。

13日と14日にも読読ブログをそれぞれ一本アップしました。「殺人鬼フジコの衝動」「日本昔話百選」。自分にとってこの二つの記事は、分析や論旨など満足していません。ただ、記事をアップするごとに、自分のロジカルな力の回復を信じることができました。

9月15日(水曜)-16日(木曜)。
咳が一向に治りません。ですが、それぞれ両日にオンライン会議を一件ずつこなしました。
しゃべると咳が口を飛び出してきます。ですが、少しずつ商談をこなしていくにつれ、自分の口に滑らかさや判断力が戻ってきているのが感じられます。
これは自分の救いとなりました。
15日にも読読ブログを一本アップできました。「その後の鎌倉 抗心の記憶」。書いていて、少しずつ自分の文章に論旨が備わってきていることを感じました。

9月17日(金曜)。
この日は、もともと9/10にリアルで渋谷で打ち合わせの予定がありました。ところが私がコロナに罹患したため、延期をお願いしました。延期をご快諾いただいた後も、私は自分の体力や商談に臨む能力に自信を失っていました。そのため商談のタイミングを遅らせてもらっていました。
でも、大きな案件。私も腹をくくらねばなりません。
この日の朝、渋谷にお伺いしました。二件のリアル商談を合わせて二時間。商談の間、私はフリーズもせず、自分で話していることの脈絡も失わずに過ごせました。ホッとしました。
私と同行してくれたのは、この案件で一緒に組む技術者さん。彼にカニ味噌ラーメンをごちそうしました。

私は商談の後、行きたい場所がありました。新馬場です。沢庵和尚が徳川家光より賜った東海寺と、東海寺から離れた場所にある大山墓地の中にある沢庵和尚のお墓が目当てでした。
渋谷から大崎まで電車で移動し、大崎から東海寺と墓地までを歩く。さらに墓参りの後は、大井町まで歩きました。
沢庵和尚については、この後のブログに書くつもりです。
私の体力の衰えは顕著です。ただ、自分の知的好奇心が衰えていないことと、何かを知ることについての自分の思いが失われていないことが確認できました。限りのある人生の尊さに思いをはせたことも。

この日は夕方から二件の打ち合わせがあり、サテライトオフィスから対応する予定でした。ですが、疲れたので自宅まで戻ってから打ち合わせに参加。
商談をこなすごとに口が滑らかになってきているのがわかります。ときおり咳き込む以外は。

夜は、新たな案件で、複数のPaaS/SaaSの連携フロー図の作成を一気に行いました。
そうした作業を通じて、コロナ前の自分に戻りつつあることが実感できました。自分はまだ仕事がこなせる。そんな状況に感謝しつつ。

9月18日(土曜)。
雨だったので、家の中で作業を行っていました。作業を行うための知力や集中力はだいぶ元の水準に戻りつつあることが感じられました。
この日も読読ブログを一本アップしました。「日本書記の世界」。こうやって文章を書くことが、仕事の上でも有効なリハビリテーションになっています。

9月19日(日曜)。
せっかくの休みで、快晴なので妻と二人で房総半島をドライブしてきました。海岸で波と戯れつつ、美味しいものを食べる。コロナから生還した夫婦にまばゆく映る人生。
この時の往復の道中、妻とたくさんのことを話せたのは旅ならでは。人生とは何か。何のために生きるのか。夫婦にとって今の人生の中で何が障害だったのか。多くのことを話し合いました。

夫婦ともにコロナを経験した今、残り余生が急に現実感を伴って迫ってきました。
コロナ前から常に考え続けてきたこと。それは仕事だけで終わるにはもったいない人生の豊かさです。豊かな人生を全うするにはどうすればよいか。そして、何をしなければならないのか。
そうした私の考えについて、腹を割って話し合いました。ドライブは話し合いにはうってつけです。

9月20日(月曜)。
三連休の最終日。まだ咳き込む自分が残っています。
知力・気力はだいぶ戻ってきた感触があります。
ですが、体力はどうか。本当にこれからの人生を生き抜ける体力は戻ってきたのか。

それを試すため、一人で山登りへ。電車を乗り継ぎ、笹子駅まで。そこから滝子山へアタックしました。
ところが、高尾駅で30分乗り継ぎに待たされたこともあり、滝子山の登山道に着いたのは14時過ぎ。そこから登れるところまで登ったのですが、日が暮れた後の自分の体力に全く自信がなく、16時前に三丈の滝で越前撤退を決断しました。
帰路、私は自分の体力のなさや準備不足の失敗に心の底から憤っていました。
立ち寄った笹一酒造の酒遊館で購入した日本酒を一合、帰りの電車で飲み干しました。そして見事に酔っぱらってしまいました。目がちかちかし、目の前の明かりが異様にまぶしい。
八王子の駅前広場をさまよい、ベンチで横になる私。横になっている私の横では若者がスケボーを持ちながらしゃべっています。この時、狩られていたら、おじさんは瞬殺されたはずです。

横たわりながら、酔っぱらいながら、私は自分の情けなさに心の底から失望し、コロナごときで体力を落とした自分の体たらくに強烈な反発を感じていました。
今後の自分に課す目標は、山梨百名山制覇。それぐらいやってやる、という決意とともに。

ですが、そうした自らの怒りの底に、自分の可能性もかすかに感じていました。
それは、自分の中に相変わらず強烈な現状維持への拒否感があること、人生に変化をつけたいと言う意思の強さが再確認できたことです。
コロナに負けてたまるかという意思が残っているのなら、自分はコロナに打ち負かされることはない。
強烈な怒りの奥底に、自分の芯の手ごたえを確かめられた一日でした。

9月21日(火曜)。
この日も多数、打ち合わせをしました。
打ち合わせしていて、頭の中が真っ白になったり、自分の脳の動きが制御不能になったりの恐怖に襲われることはなかったです。仕事人として役に立てないという絶望感に覆われることも。
さまざまなプログラミング作業にも手を染めましたが、ロジックを構築する能力に支障はなさそうです。
後は、いつになれば私から咳が去るのか。

9月22日(水曜)。
この日は、サテライトオフィスに赴いて作業していました。
サテライトオフィスを訪問するのはコロナ発症の日以来です。この時、サテライトオフィスに訪れてすぐ、妻子を迎えるために急遽帰宅したのでした。

朝一にも家で打ち合わせをこなし、サテライトオフィスでもオンライン・オフラインを含め、複数の打ち合わせをこなした一日でした。
サテライトオフィスに始まり、コロナからの回復に向けたサテライトオフィスにいる今。そろそろ自分のコロナについて著す時期だろうと思いました。
ただし、咳はまだ残っており、決して完治ではありません。私に可能なのは、いずれ完治すると信じることのみ。
くしくもこの日は、とうとうコロナから逃げ延びた長女が一回目のワクチンを打った日。

私もコロナ患者として、その痛みを多少なりとも知ることができました。
今後、コロナが世界中から根絶されることはないでしょう。だからこそ、少しでも多くの人がコロナに罹患せず、そして家にこもらずにそれぞれの人生を全うしてほしい。そう願います。
まずは皆さんがワクチンを可能な限り打ってくださることを。私も二回目のワクチンを九月末には打ちたいと考えています。

コロナのわが家にかかわってくださった皆さま、本当にありがとうございました。


東京オリンピックが開幕しますが


すでに一部の競技では予選が始まっていますが、明日はいよいよ東京オリンピックの開幕式ですね。
言うまでもなく、開幕前からケチが付きまくってるのですが。
もう、取り返しは付かないでしょう。

ですが、私はスポーツ観戦が好きです。だから、いまさら中止を訴えようとは毛頭思いません。
それよりも競技の中身に期待したいと思っています。
バルセロナで古賀選手が、北京でソフトボールチームが感動を与えてくれたように、選手たちの競技から感動を受け取れると信じて。
今回は白血病からの復活を遂げた池江選手もいます。
無観客のテレビ越しだっていいじゃないですか。今までのオリンピックだってテレビ越しの競技を見ているだけで感動できたのですから。

むしろ、これほどまでにオリンピックとそれにまつわる商業主義や国家の威信が傷ついた後だからこそ、純粋な競技そのものに集中したいと思うのです。
誰もが忘れ去っていますが、クーベルタン男爵が理想とした古代ギリシアのオリンピックとは、純粋に競技だけに熱狂するものだったはず。

もちろん、私も経営者の端くれです。商機がある時に稼いでしまいたくなる気持ちはわかります。
ですが、今回のオリンピックはその路線に限界が生じたことを如実にしめしてくれました。

1976年のモントリオールオリンピックで出た莫大な赤字への反省から、オリンピックは商業主義に舵を切ったことはよく知られています。
その前にもナチス・ドイツによって国威発揚に利用され、ミュンヘンオリンピックではテロリストによって蹂躙され、東西のイデオロギーの争いによってボイコットもされました。
そこに今度のコロナによる延期と、運営の不手際による問題です。
もう、オリンピックの拡大主義と商業主義には無理が生じているのです。

ですが、いまさらJOCの責任を言い募っても仕方がありません。
段取りと前例踏襲を擁したわが国の得意技がコロナによって封じられた以上、こうなっても当然だと思うのです。今さら誰を非難してもオリンピックは始まるし、傷ついた威信は改善されません。

そもそも、復興をうたっていながら東京で行う前提からして間違っていたのですから。
これ以上東京に富と人口を集中させても仕方がないのに、東京に招致してしまったこと。

私は以前からこのことをあちこちで書いてきました。

東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典

東京から地方へ・・・・

むしろ、地震や富士山噴火でダメにならず、無観客とはいえ開幕できたことだけでもよしとしなければ。

開幕式を演出する方も二転三転としていますが、それもシンプルな開幕式でよいではありませんか。
商業主義から脱却する記念の大会としてはふさわしいと思います。
その代わりに競技から感動を受け取ろうではありませんか。


2020年のまとめ(個人)


今年も一年のまとめを書きます。
今年から各月を法人と個人に分けていますが、年のまとめも同様に法人と個人に分けます。

公私の「私」

●家族との一年
§ 総括 目次 今年は妻の手術と長女の二十歳の誕生日がトピックです。

10月に手術を受けるまでも、毎月の通院を通して徐々に手術への準備を進めてきました。かなり大がかりな手術でしたが、無事に妻が乗り切ってくれたことにまずは安どです。

そんな中、娘たち二人とも少しずつ大人としての自覚が出てきているのはうれしいです。二人とも専門性を学ぶ道で頑張ってくれています。
四年生の大学に行って、取り敢えずの世のルールに乗り、そこからやりたい道を進むこともありなのでしょう。ですが、やりたい道があってそれに向かってくれる方が親としては心強いです。

妻とは大手町でお高めの昼を一緒にし(1月)、勝どきの太陽のマルシェから芝公園を散策し(2月)、横浜中華街を散策しました(2月)。江ノ島を詣で(4月)、町田市の三輪を散策したり(5月)、歩いて町田の市街地まで遠出もしました(5月)。府中の大國魂神社や高蔵寺を参ったのもこの月でした(5月)。
油壷マリンパークや井上成美海軍大将の宅跡を訪れ(7月)、両国の刀剣博物館を見学したのも(7月)。妻は今年から居合を習い始めています。
一緒に私のお客様のショールームオープンに連れていき、JBA洋酒博物館に行ったりもしました(8月)。
10月の手術を終えた後は、秩父に神社を巡ったり、和同開珎の史跡を訪れたり(11月)、川越や鹿島を旅したこと(12月)も今年の思い出です。

§ 娘たちに何ができたか 目次 今年は二人の娘が母親の手術という事態に、頑張ってくれたと思います。
長女はイラストの勉強に励むととともに、卒業制作を控えて作業にいそしんでいます。
次女も調理師学校での勉強にやりがいをもって取り組んでくれています。
娘たちが進路を決めるにあたり、私も妻も意向を押し付けていません。本人たちの人生なので、本人たちがやりたいことを学ぶ道を選んでくれたのは嬉しいできごとでした。助言者としての親でありたいとの思いは貫けたと思います。これからも娘たちの進む道を示すガイドでありたいと思います。

§ 長女の一年 目次 長女は、中学時代から個人事業主として営んでいるイラストの仕事もぽつぽつと頂けているようです。
仕事をこなしながら、学校の課題も頑張って出してくれていたようです。朝まで私と一緒に仕事している姿にも慣れました。
すでに卒業を控え、卒業制作展の準備などもあって、私と朝まで作業することもしばしば。
まだまだ年ごろのため不安定なところもありますが、引き続き長女には期待しています。

§ 次女の一年 目次 頑張ってくれています。頑張ってくれたせいか、学校の入学案内のパンフレットに次女が登場したり、学校のインスタグラムに次女の作品が登場したり、デモンストレーションなども次女が担当することがあるようです。
愛嬌もあり、人付き合いもうまい次女の特徴が、いい方向に本人の人生を導いてくれるように思えてきました。道を踏み外さず、人生の旅路で成果を挙げてくれるはずと信じています。

§ 家族の一年 目次 今年は家族そろっての旅行もできました。コロナが少し小康状態になったタイミングを見計らって長野の白馬へ。二泊の旅でしたがとても楽しめました(6月)。次女と長女の誕生日も、クリスマスも妻の誕生日や結婚記念日も家族で過ごせました。栃木の佐野へいちご狩りに行き、アウトレットモールなどを訪れ(2月)、江ノ島へ旅も出来ました(11月)。妻の誕生日に予約した恵比寿の新進気鋭では娘たちに美味しい肉を食べさせられたとともに、夫婦が結婚式を挙げた恵比寿のタイユバンを始めてみせてやれました(11月)。

§ 年表 目次
私の個人の活動については、各月のページに書いた通りです。


2020年のまとめ(法人)


今年も一年のまとめを書きます。
昨年から各月を法人と個人に分けていますが、年のまとめも同様に法人と個人に分けます。

公私の「公」

●弊社の業績
§ 総括 目次

今年度は売上だけで考えれば、昨年と同じ程度か、それを少し超えた過去最高の実績を上げられそうです。
ただ、今期はあと三ヶ月残っていますが、まだ油断はなりません。今後はコロナ不況の到来がほぼ間違いなく予想されるからです。
そんな中ですが、弊社にとってトピックとなる出来事がいくつかありました。
・四回行われたfreee BizTech Hackに代表が関わり、そのうち二回でオンラインハンズオン講師を、残り二回でビジネスセミナーに登壇したこと。
・代表がfreee Open Guildの運営メンバーとしての活動を開始したこと。
・Cybozu Days 2020 Tokyoで三日間のブース出展(Polaris Infotech社と共同出展)を行ったこと。
・Cybozu Days 2020 Osakaで代表がリアル登壇したこと。
・freeeアプリアワードのIBM賞を受賞したこと(Polaris Infotech社と共同応募)。
・町田市の地域活動に参加し、弊社として社会貢献活動に踏み切れたこと。
・専任の顧問技術者さんに参画いただいたこと。
・求人広告を出し、二名の採用に踏み切ったこと。
こうした活動を通じ、少しずつ弊社の認知度が上がってきたのはよいニュースだといえます。
代表が複数の集まりに参加し、かなりの数のイベントに参加しました。そうした活動によってお話をいただく案件の質が変わってきたように思います。

§ 業務パートナー 目次

三期前に業務パートナーをむやみに増やし、ある程度の自由と自発に委ねたことで失敗した経験があります。今年はその失敗を繰り返さぬように肝に銘じながら、再び協業を復活させています。体制を整えながら。

昨年6月にサテライトオフィスに入居したことで、最低限の拠点構築はできました。サテライトオフィスのパートナー企業様と同じオフィスを構えることによって、協業のシナジー効果を期待しています。その他の会社様とも併せ、複数の協業をこなせるようになりつつあります。

来期は、技術者の育成というあらたな課題と挑戦にも本腰をいれます。まだそれは道半ばだといえましょう。
今年の成果をもとに、来年はより一層努力するつもりです。

§ 開発案件 目次

今年はkintone案件が8、9割を占めるまでになりました。
浅く広く、様々な業務に手を出すことで、自らの首を絞める失敗は繰り返さずにすみそうです。これも弊社のkintone専業へ向けた発信がようやく効き始めてきた成果だといえます。

昨年の11月からサイボウズ社オフィシャルパートナーとして認定いただいたことと、弊社代表がkintoneエバンジェリストとして引き続き活動していることもあり、kintone界隈ではある程度の認知度は頂けるようになってきました。

ただ、kintone単体ではなく、他のSaaSやPaaSと組み合わせての開発が当たり前になっているため、kintoneだけやっているのではなく、他のシステムを学ぶことは積極的に行っています。SalesForceとkintone、boxとkintone、Google Cloud Platformとkintone、freeeとkintone、Color Me Shopとkintone、スマレジとkintone、CMSとkintoneなどの連携にも注力しています。
言語環境や開発環境については日進月歩の業界なので、勉強し続けなければなりません。停滞は許されませんので。

§ 業務基盤の堅牢化 目次

一昨年度から取り組んでいるこの課題こそ弊社の一番の悩みです。家計と法人の財布の混在を完全に分け、資産表や収支表はきっちり顧問税理士の先生に管理していただいています。が、まだ改善すべき点が山積みです。
昨年末にも家計のトラブルがビジネス側に波及してしまい、肝を冷やしました。
財務の正常化が弊社の今後を大きく左右すると認識しています。来年からは雇用が発生するため、きちんと給与の支払いも必要になりますから。
経営計画や事業計画書の策定も、アップデートしたものを作らねばなりますまい。

§ 社内体制 目次

弊社の弱点は財務のほかにもあります。代表が経営者と作業者を兼ねていることです。ここをどう突破するかが個人事業主と企業経営者の壁でもあります。
この壁を破るため、8月から専任の顧問技術者に参画していただきました。さらに来年からは作業者としての二人の仲間に加わっていただきます。ようやく懸案に向けて動き始めます。
もちろんそれには、開発環境の統合化や、情報発信・共有手段の工夫も必要になります。

§ 2020年度売上見込み 目次

上記の通り、売上を確保しつつ、粗利も確保できるようになりつつあります。今のペースを続けられれば、決算でも前期、前々期の実績より上回れることでしょう。ただ、残り三カ月の努力が重要なのは言うまでもありません。

§ 人脈の構築 目次

今年は登壇も含めて露出および交流を増やしました。
名刺コレクターに堕することなく、有効な人脈の構築に専念することで、重要なステークホルダーの方とのご縁が多々作れました。
Facebookを見る時間は一日に5分程度ですが、Twitterでの露出も増やし、焦点を定めた交流を心がけることで有効な営業チャネルがたくさん作れました。それが今年の充実した活動に繋がったと思っています。
来年度も今年のノウハウを活かしつつ、引き続き新たなご縁をいただければと思っています。単なる仕事上のつながり、SNS上のみつながりだけでなく双方に良い関係を。
ただ、代表個人の時間には限りがあり、お誘いしてもらったイベントの多くに参加できていません。この点は申し訳ないと思っています。

§ 対外活動 目次

2020年度は登壇の機会を多くいただきました。合計12回。コロナの影響でほぼオンライン登壇に終始しました。

まず3月は「freee Open Guild トライアル(3/2)」で登壇し、オンラインセミナーのコツを学びました。
4月は「kintone Café 神奈川 Vol.6(完全オンライン)(4/2)」の司会進行と主催とセッション登壇をこなし、「freee & kintone BizTech Hack(4/24)」ではオンラインハンズオンセミナーの講師とビジネスセッションの登壇も果たしました。
5月は「freee Open Guild オンライン #1(5/13)」では司会進行役を務めました。さらに「freee & kintone BizTech Hack(5/22)」ではハンズオンのメンターとして参加しました。
8月の「freee & kintone Biztech Hack(8/6)」でも引き続きハンズオンのメンターとして難しいハンズオンのフォローを行いました。
9月の「まちびとインタビュー(9/13)」では実際の町田市が発行する地域誌に登場しました。「freee & kintone BizTech Hack(9/17)」では、今年最後のオンラインハンズオンセミナーの講師として参加者の皆さんとハンズオンを行いました。
10月は「RPA HACK フリーランスセミナー(10/21)」においてRPA界隈の技術者の皆さんにkintoneとは
何か、その将来性なども含めて語りました。
11月は「Cybozu Days 2020 Tokyo(11/11-13)」です。登壇ではないですが、Polaris Infotech社との共同出展を三日間やり通しました。
12月は「Cybozu Days 2020 Osaka(12/2)」の中の「kintone マニア(12/2)」でリアル登壇し、同じエバンジェリストの矢内さんとファシリテーターの松井さんとの三人で楽しく語りました。そして「kintone EvaCamp 2020(12/2)」でも全国から集ったkintoneエバンジェリストの皆さんと楽しく登壇しました。

機会を与えて下さった皆様には感謝しかありません。

今年は初めてCybozu Days 2020でブース出展を果たしたばかりか、Cybozu Days 2020 Osakaでは大阪の会場に初めて参加しました。それどころかCybozu Daysにおいてリアル登壇したのも初めてです。
また、freeeさんの各イベントにも出させてもらったのも今年の成果ですし、RPA界隈の皆さんを相手にお話しさせていただいたことも思い出の一つです。
今年はワーケーションに本腰を入れようとし、1月に福島県お試しテレワークツアーに参加させてもらい、とても有意義な時間を過ごしました。その前の年の下北山村でのワーケーションツアーの反省会でも皆さんにお会いできたのですが、コロナによってあらゆる予定が瓦解してしまいました。
社会にも貢献したいと思い、町田市関連のさまざまなイベントにも顔を出し、まちカフェ!の公式サイトを担当したのも今年の対外活動として挙げてもよいでしょう。

今年参加させていただいたイベントは以下の通りです。
「kintone 認定セールスアドバイザー講習会(1/9)」「パートナー企業新年会(1/10)」「福島県お試しテレワークツアー(1/16-18)」「デザイナー・リサーチャーLT新年会(1/22)」「関西大学東京経済人倶楽部の総会・年賀会(1/23)」「LivingAnywhere Commons遠野KickOffパーティー(1/28)」「クラウドの終焉とビジネスチャンス / 60分で深まる。ビジネスセミナー!(1/31)」Biz Tech Frontier(2/5)」「LOCAL LETTER LIVE(2/19)」「カマコン(2/21)」「freee Open Guild トライアル(3/2)」「kintone Café 神奈川 Vol.6(完全オンライン)(4/2)」「紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトオンライン飲み会(4/14)」「飲み会PTAの事例を伺うオンラインミーティング(4/16)」「Cybozu Partner Meeting 2020春(4/17)」「オンライン開催!「感染拡大防止協力金」申請方法徹底解説セミナー(4/22)」「【緊急ライブ放送】大阪府と連携し保健所情報共有システムを 作成、全国自治体へのテンプレート提供を開始(4/23)」「PTAのIT活用トーク【2020春】(4/24)」「freee & kintone BizTech Hack(4/24)」「リモート蒸溜所見学会(4/25)」「ミニWeb討論会/何がテレワークを阻害しているのか?(5/7)」「kintone Café Online Vol.1(5/9)」「テレワーク時代のバックオフィス構築セミナー(5/13)」「freee Open Guild オンライン #1(5/13)」「フォームブリッジカフェ(5/15)」「freee & kintone BizTech Hack(5/22)」「バーチャル カチドキ パーティールーム vol.0 お試し編(5/24)」「Strap β版 オンライン説明会(6/2)」「freee Open Guild Online #2(6/17)」「kintone ソリューションフェス ONLINE(6/24)」「みんなの移住フェス 2020 オンライン(6/26、6/27)」「WOLFBURN ONLINE SEMINAR(6/28)」「Cybozu Tech Meetup(7/14)」「freee & kintone Biztech Hack(8/6)」「freee Open Guild Online #03 APIで実現したいあんなこと、こんなこと!(8/19)」「会計freee Firebase SDKハンズオン(8/28)」「VRMコンソーシアム(9/11)」「チャリティーセミナー~町田のリアルから未来を描く~(9/12)」「まちびとインタビュー(9/13)」「デジタルまちだ(9/15)」「freee & kintone BizTech Hack(9/17)」「freee API × kintone 連携・アプリ開発勉強会(9/24)」「RPA HACK フリーランスセミナー(10/21)」「Cybozu Days 2020 Tokyo(11/11-13)」「kintone Café JAPAN 2020(11/21)」「Cybozu Days 2020 Osaka(12/2)」「kintone マニア(12/2)」「kintone EvaCamp 2020(12/2)」「kintone EvaCamp(12/9)」「freee Open Guild Online #04 – 士業によるアプリ開発とストア登録 -(12/17)」

上記のうち、登壇したイベントや、強い印象を受けたイベントについては記事に以下の記事にアップしています。また弊社としてのトピックについても記事としてアップしています。
福島県お試しテレワークツアー
freee Open Guild トライアルに登壇しました
kintone Café 神奈川 Vol.6を開催して得た気づき
freee & kintone BizTech Hackでオンラインハンズオンの講師を務めました
freee Open Guild Online #1で司会進行を担当しました
弊社はCYBOZU DAYS 2020に出展いたします。
freee & kintone BizTech Hackの第一期を終えて
RPA界の技術者の皆様にお話しをしました
Cybozu Days 2020に三日間出展しました
Cybozu Days 2020 Osakaに登壇して
freeeアプリアワードのIBM賞をいただきました
Cybozu OfficeのスケジュールをCalendar Plusで(だいぶ)再現!
kintoneにシステム移したいんや

こうした場に参加することは、自分の知見を高めるだけでなく、そこで得たご縁が次の仕事につながるため重要です。あらためて今年はそのことを感じました。来年はkintone Caféをリアルで神奈川や東京で開きたいですね。

§ 執筆活動 目次 三年前にCarry Meさんの運用する本音採用でブログ「アクアビット 航海記」の連載をさせていただきましたが、これを昨年から弊社サイトで連載し直することにしました。今年は計11回分をアップしています。また、航海記だけだとマンネリになるので、五回に一度はコラムを挟んでいます。末尾にリンクを貼り付けています。

本のレビューは87本、映画のレビューは1本、観劇のレビューは0本アップできました。また、12月には毎年恒例のkintone Advent Calendarに参加し、カレンダーPlus Advent Calendarにも参加しています。弊社の抱負は2本。物申すブログは6本。旅日記ブログは20本。その他の仕事に関したブログは15本。まとめ・抱負ブログは26本をアップしました。2020年も書くことへの情熱が尽きることなく可能な限り書けた一年となりました。ただし、書いた内容はまとまった形にできていません。
昨年末になって代表の人生の師匠と目する方が本を出版して献本をいただきました。とても刺激を受けました。今年は結局出版にまではこぎつけられませんでした。来年、何らかの成果として世に問いたいと思っています。

§ 妻のココデンタルクリニック 目次 妻のココデンタルクリニックは、妻の手術もあったことから、前年に比べてトントンの様子です。
妻もいろいろと考えたところ、もう一度歯医者として最後の力を注ごうと思ってくれているようなので、妻にもその状態まで登って欲しいと思っています。

§ 年表 目次
各月の詳しい内容は各月のページで紹介しています。

あらためて「公」を振り返ってみました。今年はコロナに翻弄された一年でしたが、そんな中でも業績を前年度と同じレベルにとどめられたことはよかったです。
あとは来年以降、新体制の中でどのように成果を出していくかですね。
あらためて、今年弊社と関りをもってくださった皆様、まことにありがとうございます。
後1日、今年を無事に締めくくり、来年へと繋げようと思います。

アクアビット航海記
アクアビット航海記-リモートワークの効用
アクアビット航海記 vol.18〜航海記 その6
アクアビット航海記 vol.19〜航海記 その7
アクアビット航海記 vol.20〜航海記 その8
アクアビット航海記 vol.21〜航海記 その9
アクアビット航海記 vol.22〜航海記 その10
アクアビット航海記-営業チャネルの構築について
アクアビット航海記 vol.24〜航海記 その11
アクアビット航海記 vol.25〜航海記 その12
アクアビット航海記 vol.26〜航海記 その13
アクアビット航海記 vol.27〜航海記 その14

読読
この国の空
僕が本当に若かった頃
ビジネスモデルの教科書 経営戦略を見る目と考える力を養う
この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡
坂の上の雲(一)
坂の上の雲(二)
坂の上の雲(三)
坂の上の雲(四)
坂の上の雲(五)
坂の上の雲(六)
坂の上の雲(七)
坂の上の雲(八)
ライフログのすすめ―人生の「すべて」デジタルに記録する!
運営からトラブル解決まで-自治会・町内会お役立ちハンドブック
セヴィラの理髪師
イノック・アーデン
水晶 他三篇
労働基準法と就業規則
ノックス・マシン
生きるぼくら
中小企業の人材コストは国の助成金で払いなさい
MとΣ
夢を売る男
2分間ミステリ
本屋さんのダイアナ
府中三億円事件を計画・実行したのは私です。
宝塚ファンの社会学―スターは劇場の外で作られる
お金に愛されるお金持ちの考え方大全
40代を後悔しない50のリスト 1万人の失敗談からわかった人生の教訓
怒り(上)
怒り(下)
教団X
球体の蛇
パソコン入門
夏の名残りの薔薇
蜩ノ記
七日間ブックカバーチャレンジ-FACTFULLNESS
七日間ブックカバーチャレンジ-成吉思汗の秘密
七日間ブックカバーチャレンジ-占星術殺人事件
七日間ブックカバーチャレンジ-ワーク・シフト
七日間ブックカバーチャレンジ-かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編
七日間ブックカバーチャレンジ-チームのことだけ、考えた。
七日間ブックカバーチャレンジ-天津飯の謎
ジンの歴史
さくら
時生
チームのことだけ、考えた。
盤上の夜
愚者の夜
魔法の種
楽園のカンヴァス
任務の終わり 上
任務の終わり 下
魔法のラーメン発明物語―私の履歴書
世界史を創ったビジネスモデル
スコッチウィスキー紀行
心霊電流 上
心霊電流 下
世界一速く結果を出す人は、なぜ、メールを使わないのか グーグルの個人・チームで成果を上げる方法
追憶の球団 阪急ブレーブス 光を超えた影法師
奥のほそ道
掏摸
ミステリークロック
メデューサの嵐 上
メデューサの嵐 下
天国でまた会おう 上
天国でまた会おう 下
今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで
新田義貞 上
新田義貞 下
本の未来はどうなるか 新しい記憶技術の時代へ
土の中の子供
心のふるさと
風刺漫画で読み解く 日本統治下の台湾
ビジュアル年表 台湾統治五十年
島津は屈せず
八日目の蝉
動物農場
<インターネット>の次に来るもの
昭和史のかたち
原爆 広島を復興させた人びと
背番号なし戦闘帽の野球 戦時下の日本野球史 1936-1946
HIROSHIMA
BRANDY:A GLOBAL HISTORY
ドキュメント 滑落遭難
ミサイルマン
amazon 世界最先端の戦略がわかる

映画
劇場版「鬼滅の刃」無限列車編

物申す
世界が音楽で熱くなった頃-The Beatles
コロナをSDG’sの実現に活かすために。
47歳。若いとみるか、老いとみるか。
75年目に社会活動に思いをいたす
地方への流れはまずプロ野球から
人の道を踏み外さぬ経営を

旅マップ
福島県お試しテレワークツアー
笠岡・鞆・kintone Café 広島@福山 2019/3/1
福山・三次・常清滝・邑南町 2019/3/2
神戸三宮・北野・梅田 2019/4/29-4/30
鳥取・由良・北栄の旅 2019/5/1
蒜山・長浜神社・出雲大社・日御碕の旅 2019/5/2
高速道路・沼津の旅 2019/5/3
名古屋出張・桑名・養老・大垣の旅 2019/6/4-5
尾瀬の旅 2019/7/20
至仏山登山 2019/7/21
家族で台湾・中正記念堂 2019/7/22
家族で台湾・九份 2019/7/23
家族で台湾・十分・士林 2019/7/24
家族で台湾・台北101・台北 2019/7/25
結婚20周年の旅 2019/11/21
結婚20周年の旅 2019/11/22
紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト前日迄 ~2019/11/24
紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト一日目 2019/11/25
紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト二日目 2019/11/26
紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト三日目 2019/11/27


今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで


新型コロナウィルスの発生は、世界中をパンデミックの渦に巻き込んでいる。
だが、人類にとって恐れるべき存在がコロナウィルスだけでないことは、言うまでもない。たとえば自然界には未知のウィルスが無数に潜み、人類に牙を剥く日を待っている。
人類が築き上げた文明を脅かすものは、人類を育んできた宇宙や地球である可能性もある。
それらが増長した人類に鉄槌を下す可能性は考えておかねば。
本書で取り扱うのは、そうした自然災害の数々だ。

来る、来ると警鐘が鳴らされ続けている大地震。東海地震に南海地震、首都圏直下地震、そして三陸地震。
これらの地震は、長きにわたって危険性が言われ続けている。過去の歴史を紐解くと発生する周期に規則性があり、そこから推測すると、必ずやってくる事は間違いない。
それなのに、少なくとも首都圏において、東日本大震災の教訓は忘れ去られているといっても過言ではない。地震は確実に首都圏を襲うはずなのにもかかわらず。

本書は日本の歴史をひもとき、その時代時代で日本を襲った天変地異をとり上げている。
天変地異といってもあらゆる出来事を網羅するわけではない。飢饉や火事といった人災に属する災害は除き、地震・台風・噴火・洪水などの自然災害に焦点を当てているのが本書の編集方針のようだ。

著者は、そうした天変地異が日本の歴史にどのような影響を与えたのかという視点で編んでいる。
例えば、江戸末期に各地で連動するかのように起こった大地震が、ペリー来航に揺れる江戸幕府に致命的な一撃を与えたこと。また、永仁鎌倉地震によって起こった混乱を契機に、専横を欲しいままにした平頼綱が時の執権北条貞時によって誅殺されたこと。
私たちが思っている以上に、天変地異は日本の歴史に影響を与えてきたのだ。

かつて平安の頃までは、天変地異は政争で敗れた人物の怨霊が引き起こしたたたりだとみなされていた。
太宰府に流された菅原道真の怨霊を鎮めるため、各地に天満宮が建立されたのは有名な話だ。
逆に、神風の故事で知られる弘安の大風は、日本を襲った元軍を一夜にして海中に沈め、日本に幸運をもたらした。
本書にはそういった出来事が人心をざわつかせ、神仏に頼らせた当時の人々の不安となったことも紹介している。
直接でも間接でも日本人の深層に天変地異が与えてきた影響は今の私たちにも確実に及んでいる。

本書は私の知らなかった天変地異についても取り上げてくれている。
例えば永祚元年(989年)に起こったという永祚の風はその一つだ。
台風は私たちにもおなじみの天災だ。だが、あまりにもしょっちゅう来るものだから、伊勢湾台風や室戸台風ぐらいのレベルの台風でないと真に恐れることはない。ここ数年も各地を大雨や台風が蹂躙しているというのに。それもまた、慣れというものなのだろう。
本書は、歴史上の洪水や台風の被害にも触れているため、台風の恐ろしさについても見聞を深めさせてくれる。

本書は七章で構成されている。

第一章は古代(奈良〜平安)
白鳳地震
天平河内大和地震
貞観地震
仁和地震
永祚の風
永長地震

第二章は中世(鎌倉〜室町〜安土桃山)
文治地震
弘安の大風
永仁鎌倉地震
正平地震
明応地震
天正地震
慶長伏見地震

第三章は近世I(江戸前期)
慶長東南海地震
慶長三陸地震津波
元禄関東大地震
宝永地震・富士山大噴火(亥の大変)
寛保江戸洪水

第四章は近世II(江戸後期)
天明浅間山大噴火
島原大変
シーボルト台風
京都地震
善光寺地震

第五章は近代I(幕末〜明治)
安政東南海地震
安政江戸地震
明治元年の暴風雨
磐梯山大噴火
濃尾地震
明治三陸大津波

第六章は近代II(大正〜昭和前期)
桜島大噴火
関東大震災
昭和三陸大津波
室戸台風
昭和東南海地震
三河地震

第七章は現代(戦後〜平成)
昭和南海地震
福井大地震
伊勢湾台風
日本海中部地震
阪神淡路大震災
東日本大震災

本書にはこれだけの天変地異が載っている。
分量も相当に分厚く、636ページというなかなかのボリュームだ。

本書を通して、日本の歴史を襲ってきたあまたの天変地異。
そこから学べるのは、東南海地震や南海地震三陸の大地震の周期が、歴史学者や地震学者のとなえる周期にぴたりと繰り返されていることだ。恐ろしいことに。

日本の歴史とは、天災の歴史だともいえる。
そうした地震や天変地異が奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・幕末・明治・大正・昭和・平成の各時代に起きている。
今でこそ、明治以降は一世一元の制度になっている。だが、かつては災害のたびに改元されていたと言う。改元によっては吉事がきっかけだったことも当然あるだろうが、かなりの数の改元が災害をきっかけとして行われた。それはすなわち、日本に災害の数々が頻繁にあったことを示す証拠だ。
そして、天変地異は、時の為政者の権力を弱め、次の時代へと変わる兆しにもなっている。
本書は、各章ごとに災害史と同じぐらい、その時代の世相や出来事を網羅して描いていく。

これだけたくさんの災害に苦しめられてきたわが国。そこに生きる私たちは、本書から何を学ぶべきだろうか。
私は本書から学ぶべきは、理屈だけで災害が来ると考えてはならないという教訓だと思う。理屈ではなく心から災害がやって来るという覚悟。それが大切なのだと思う。
だが、それは本当に難しいことだ。阪神淡路大震災で激烈な揺れに襲われ、家が全壊する瞬間を体験した私ですら。

地震の可能性は、東南海地震、三陸地震、首都圏直下型地震だけでなく、日本全国に等しくあるはずだ。
ところが、私も含めて多くの人は地震の可能性を過小評価しているように思えてならない。
ちょうど阪神淡路大震災の前、関西の人々が地震に対して無警戒だったように。
本書にも、地震頻発地帯ではない場所での地震の被害が紹介されている。地震があまり来ないからといって油断してはならないのだ。

だからこそ、本書の末尾に阪神淡路大地震と東日本大震災が載っている事は本書の価値を高めている。
なぜならその被害の大きさを目にし、身をもって体感したかなりの数の人が存命だからだ。
阪神淡路大地震の被災者である私も同じ。東日本大震災でも震度5強を体験した。
また、福井大地震も、私の母親は実際に被害に遭い、九死に一生を得ており、かなりの数の存命者が要ると思われる。

さらに、阪神淡路大地震と東日本大震災については、鮮明な写真が多く残されている。
東日本大震災においてはおびただしい数の津波の動画がネット上にあげられている。
私たちはその凄まじさを動画の中で追認できる。

私たちはそうした情報と本書を組み合わせ、想像しなければならない。本書に載っているかつての災害のそれぞれが、動画や写真で確認できる程度と同じかそれ以上の激しさでわが国に爪痕を残したということを。
同時に、確実に起こるはずの将来の地震も、同じぐらいかそれ以上の激しさで私たちの命を危機にさらす、ということも。

今までにも三陸海岸は何度も津波の被害に遭ってきた。だが、人の弱さとして、大きな災害にあっても、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう。そして古人が残した警告を無視して家を建ててしまう。便利さへの誘惑が地震の恐れを上回ってしまうのだ。
かつて津波が来たと言う警告を文明の力が克服すると過信して、今の暮らしの便利さを追求する。そして被害にあって悲しみに暮れる。

そうした悲劇を繰り返さないためにも、本書のような日本の災害史を網羅した本が必要なのだ。
ようやくコロナウィルスによって東京一極集中が減少に転じたというニュースはつい最近のことだ。だが、地震が及ぼすリスクが明らかであるにもかかわらず、コロナウィルスがなければ東京一極集中はなおも進行していたはず。
一極集中があらゆる意味で愚行の極みであることを、少しでも多くの人に知らしめなければならない。

本書は、そうした意味でも、常に手元に携えておいても良い位の書物だと思う。

‘2019/7/3-2019/7/4


2020年も気がつけば半ばに(法人)



いつの間にか2020年も半ばを迎えようとしています。
年々、時間の過ぎ去る感覚が速まっているとは感じていましたが、今年の上半期はとくにそれを顕著に感じました。

いうまでもなく、コロナウィルスが理由です。

昨年から弊社は、地方創生の流れに乗りたい、そして今後の柱の一つにしたいと、年始に郡山と猪苗代へワーケーションツアーに参加しました。
ところがいまや、それが一年も前のことのように思います。

コロナは、世の中をガラリと変えてしまいました。そして、ワークスタイルを一変させようとしています。

とはいうものの、弊社はもとからフルリモートワークを実践していたため、弊社の業務そのものについてはあまり大きな影響は受けていません。

むしろ、リモートワークへの流れによって、クラウドを使った業務システムの必要性が増し、それが弊社への引き合いの急激な増加となって現れています。

そのため、地方創生の話よりも、いただいた案件を消化するのにいっぱいになってしまいました。
代表のリソースが枯渇しそうになっているため、弊社でもパートナー技術者や協業パートナーとの協業を活発にしています。

その結果、弊社にとっては新たな業務、新たな業種、新たな知見との触れ合いがありました。
働き方の変化は、元から弊社にとっての望む変化であり、もとから推進すべき変化でした。
だからこそ、今後は弊社が学んだ知見を世の中に還元していかねばなりません。

おそらく、今後も社会にとってリモートワークへの要請は強まることでしょう。
この変化についていけず、新たな取り組みに乗り出さないままの企業や組織は衰えてゆくことは確実です。
だからこそ、技術の組み合わせ方、実装の仕方、使ってもらうための方法、肥大した組織のあり方について、弊社が世の中に還元できることは多いはずです。

その取り組みの中、地方創生への貢献もできると信じています。
リモートワークも結局は東京への一極集中への反発。であるならば、それは地方創生にも通じる道のはずなので。
それが弊社の使命だと思っています。

この半年で、コロナウィルスは弊社の社会的な使命をさらに強く呼び覚ましてくれました。
来期はこの使命に従い、前に進むのみです。