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2021年9月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括 ついにコロナウィルスにかかってしまいました。1日から12日まで。ずっと家にいました。かなりしんどかったですね。

私の感染から回復までの経緯については、「コロナ感染記」のブログをご覧ください。
また、8月の福井、豊川稲荷の旅の後から、様々な思いが去来していました。そこで得た啓示をもとに東海寺の沢庵和尚の墓に詣で、さらに山を2回チャレンジし、2回目の山では遭難して朝まで山の中で1人で過ごす羽目になりました。
それらのことも、全て「私の中身は空虚なり(沢庵和尚の騒々しいお墓)」に書きました。
さまざまな意味で思い出に残りそうなこの二カ月でした。

月末になって、緊急事態宣言等は全国で解除されました。急激に患者数が減り、医療関係者のなども理由がわかっていないといいます。コロナが毎年のインフルエンザのような存在になるまでにはまだ時間がかかりそうです。
私はコロナに振り回されるのも嫌で、病み上がりが完全でないうちから外に出てしまいました。
挙げ句の果てには山で遭難まで。
それともコロナの中でも自らの人生を全うしようとあがく方。一人一人に人生観が問われています。

昨年の九月に読んだ「死」についての分厚い本の内容を脳内で反芻しつつ、生きる意味を問い続ける毎日です。
人生は有限であり、残された時間もあとわずかであること。豊川稲荷のホテルで一晩中煩悶し、コロナウィルスの熱で朦朧とし、誰もいない山の中で一人過ごしてみて、その実感を得ました。

死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えていくこともわかっています。
それでも、自分に与えられた生を全力で全うするために、仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。

今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されないのです。
だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。

今月は家族とは一回お出かけしました。妻とは二回、妻と長女とはゼロ回、妻と次女とは一回、長女とはゼロ回、次女とはゼロ回。

娘たちはいつか巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんの人間です。だから、子離れや引退をきっかけに老け込むことはないでしょう。ですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§  月表

・九月お出かけ

町田山崎北郵便局、Dr.はん診療所、哲学堂公園、哲学の庭、Yesmart、薬師池公園 蓮園、44APARTMENT 薬師池店、町田薬師池公園四季彩の杜 ウェルカムゲート、鶴川駅前図書館、ファミリーマート 渋谷東二丁目店、濃厚蟹みそらーめん 石黒商店、東海寺、沢庵墓、賀茂真淵墓、東海寺大山墓地、鉄道記念物 井上勝墓、ローソン 川崎田町店ファミリーマート 川崎殿町三丁目店金谷海浜公園the Fishおさかな市場地魚回転寿司 船主総本店海ほたるファミリーマート、笹子駅、笹一酒造、三丈の滝、ラーメン田田、くまざわ書店 八王子店、揚州商人、セブンイレブン 横浜榎が丘店海ほたるアロハガーデンたてやま道の駅 南房パラダイス海の駅だいぼ洲埼灯台、坂田海岸、漁師料理たてやま南総城山温泉 里見の湯道の駅 富楽里とみやま / ハイウェイオアシス富楽里ココデンタルクリニック相鉄ローゼン 薬師台店、折花神社、三角山、金太郎権現、中開戸 バス停(神奈中バス)

・九月ツイート
https://togetter.com/li/1781732

§  家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は一回です。


コロナ後の初めての遠出は、妻と房総に出かけました。それを家族でももう一度行こうと思ったのでアクアラインを通って(9/23)。
妻と行こうとして断念したアロハガーデンたてやまを目指して向かった道中では、アクアラインにも立ち寄りました。かつても娘たちが幼い頃、アクアラインで撮った写真があります。それから十数年がたち、大きくなった娘たちを同じ場所、同じアングルで。大きくなったなあという感慨とともに、月日の経過を感じる瞬間でした。
アロハガーデンのハワイ風味溢れる園内でのんびりと過ごし、数々の動物たちに触れ合う。良い時間が過ごせました。近隣の海が汚かったのが残念でしたが。そこからは海鮮料理に舌鼓をうち、里見の湯という温泉で長く過ごしました。


今月はコロナで長女以外の三人が寝込み、長女が頑張りました。今月はわが家族にとっても忘れられない月になりそうです。
疫病にかかると家族の機能が停止してしまう。そのことを今回のコロナは教えてくれました。だからこそ、毎日をどう過ごすのかを能動的に考えないと。そうしないと時間はあっという間に過ぎ去っていきます。
仕事だけの毎日ではなく、自分自身や家族との時間をどう過ごすのか。家という基盤がある幸せを噛みしめつつ、限られた一生をどういきるのか。それを娘たちに伝えたいと考えています。



§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で二回出かけました。

コロナから回復して初めての遠出。二人で車で房総のアロハガーデンたてやまを目指しました。ところが、この日は車運に恵まれず。横浜青葉ICの入り口で東名高速の渋滞が波及し、相当待たされました。さらに、NAVITIMEが大黒SAで私たちを一般道に降ろそうとするので、それに抗い湾岸線を向かったら、なんと東扇島で大事故が。結局アロハガーデンたてやまは諦めました。そのかわり、浜金谷駅そばの砂浜でシーグラス拾い。漁港の一角でしたが、綺麗な貝をたくさん拾うことができました。夜はそのすぐ近くの回転ずしで地元の産物をたっぷりと(9/19)。

妻とは9/24にもココデンタルクリニックで商談があり、その後も買い物。
夫婦そろってコロナにかかってしまいましたが、これもまた人生。心機一転来月を迎えたいと思います。



§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会はありませんでした。

長女も専門学校を卒業し、仕事をこなしながら、家事をいろいろと手伝ってくれています。今回はコロナに家族三人がかかった中、とうとう最後までかからずにいてくれました。家事も買い物も全て担ってくれました。ありがたい。
仕事も、私からも今、一つお願いしています。

§  妻と次女とのお出かけ 妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で一回出かけました。

コロナによる自宅療養期間終わり、私は最終日でしたが、妻と次女が新大久保に行きたいというので、行き帰りを運転しまして。
もちろん、私は二人が買い物している間に待っていたのではなく、中野の哲学堂公園まで足を延ばしていました。
二人を迎えに戻った後、別の店で買い物がしたいというので、そこだけ私もついていきました。Yesmartという韓国のお店で。
次女は今月、修学旅行で九州に行く予定でしたが、中止になってしまいました。最初は台湾だったのですが、それが早々に中止になり、続いて国内でという予定だったのですが。かわいそうな高校生活を送っているな、と気の毒に思います。次女は就職も控えているので、これからの人生をどう設計するのか。教えてあげられることはたくさんありそうです。

§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月は娘たちとは長女とゼロ回、次女とゼロ回出かけました。

コロナに人生を乱され、気の毒とは思いますが、そこで何をするかで人生は変わってきます。
ですが、20才そこそこの私もあまり褒められた時間を過ごしていませんでした。もう少し様子を見てみようと思います。
これからも家族の時間が持てることを期待しつつ。

●私自身の九月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月も関西には行きませんでした。夏の帰省もコロナでここまで縛られていては行きようがありません。
仕事では毎週、関西の方とオンライン・ミーティングを行っているので、それほど疎遠になった感じはしません。
私の遭難で、実家の両親に過大な心配をかけてしまったことが今月の反省点です。


§  今月の交流 今月も緊急事態宣言やまん延防止法が足かせとなり、交流どころではありませんでした。

月の前半はコロナでほぼ台無しとなり、後半も交流するには私の体調がいまいちでした。一度だけ商談を一緒にいった技術者と商談の後に蟹みそラーメンを食べたのみです。
リアルでは仕事ですら、二度サテライトオフィスに行ったきり。とはいえ、家族との時間が多く取れたので、特に孤独は感じていません。

来月は緊急事態宣言も解除され、徐々に交流は復活するでしょう。が、もし交流できなくても、私の場合、一人の時間も苦になりません。またどこかに旅をして気持ちを発散するつもりです。山にも挑もうと思います。

●私自身の九月(文化活動)

§  弊社ブログへのアップ記事一覧 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2020年に読んだ5冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年七カ月以上に延びています。
ちょっと遅れが目立ってきており、こちらも危機感を持っています。質を落とさずにこの期間を縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

三年前の春まで連載していたCarry Meさんが運用している本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。(「アクアビット航海記 vol.36〜航海記 その21」)
今回は娘の誕生を機に初めてホームページを作る話です。これも今に至るマイルストーンの一つです。

今月、書いた本のレビューは5本(
アンジェラの灰
殺人鬼フジコの衝動
日本昔話百選
その後の鎌倉 抗心の記憶
日本書記の世界
)。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は2本(
コロナ感染記
私の中身は空虚なり(沢庵和尚の騒々しいお墓)
) 。
今月、書いた弊社の活動ブログは1本(
kintone Café 神奈川 Vol.9を開催しました
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

§  今月の読書 今月は9冊の本を読みました。内訳は、ホラー二冊、ミステリー三冊、純文学二冊、経営本一冊、歴史本一冊。

コロナ陽性中は、ベッドの上から動けない時間のほとんどを本を読んで過ごしていました。
コロナが私の情動を緩めていたためか、The Shiningのラストや螺旋の手術室の終わりでは大泣きしてしまいました。

私の今年の目標の一つは本を出版することですが、昨年の11月に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版するとの思いは増すばかりです。
山の中で遭難し、沢庵和尚の生涯と自分の今の空虚を比べ、発信力にもっと力を入れなければ、という思いに駆られました。

§  今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。
ただし、テレビでインディ・ジョーンズ 魔宮の伝説を20年以上ぶりに見ました。何度も見た作品ですが、久々にみて見入ってしまいました。

§  今月の舞台 舞台については、今月は0本です。

§  今月の音楽 今月も生演奏を聴く機会がありませんでした。
コロナが始まってから、70年代の洋楽を聴きまくっています。今月は先月に続いてElectric Light Orchestraを。そしてついにThe Rolling Stonesを最初からアルバムを聴き直しました。今まで苦手意識を持っていましたが、全てのアルバムを聴くことでその魅力がチャーリー・ワッツ氏のドラミングにあったことも分かってきました。まさに偉大なドラマーであったことを亡くなってから感じました。

§  今月の美術 訪れた美術関係のイベントについては、今月は0回です。

§  今月のスポーツ 今月の頭にはまだパラリンピックが行われていました。私もコロナの中、いくつかの試合を見ました。国枝選手の金メダルには大泣きしましたし。
あと、大谷選手の43号アーチの動画でも大泣きしました。
大谷選手の投手・打者の結果が気になるのと、プロ野球の阪神タイガースの首位争いも気になる一月でした。

今月は山登りを抜きにしては語れません。滝子山に挑んで中途で断念し、自分の不甲斐なさに怒りを感じました。コロナの二年間と罹患で落ちた体力は、容易な事では回復しません。
その敗北感を払しょくしようと三角山を登り切ったのはよいですが、帰りに降りられずに山で一晩を過ごしたのもよいスポーツといえるかも。

§  今月の滝 今月、訪れた滝は四滝です。「名もなき滝(9/20)」「名もなき滝(9/20)」「三丈の滝(9/20)」「エビラ沢の滝(9/25)」
滝子山へアタックする途中で立ち寄りました。そして私が滝子山を断念したのが、三丈の滝でした。
水を忘れていたので、三丈の滝の前でたくさん水を飲んだのですが、その美味しかったこと。
いづれ、滝子山はまたアタックするつもりです。再訪を楽しみにします。

また、エビラ沢の滝はじっくり立ち止まりませんでしたが、二度目の訪問でした。

§  今月の旅行 今月は、前半がコロナで縛られていたので、その分後半に旅をしました。


まず、上にも書いた通り、コロナの自宅療養期間の最終日。妻と次女を新大久保で下した後、中野の哲学堂公園を訪れました(9/12)。妖怪博士でもしられ、東洋大学を創立した井上円了博士が設えた公園です。哲学堂の名に恥じず、園内には哲学への道に訪問者をいざなうための様々な場所が用意されていました。世界の哲学の偉人の像が並ぶ一角や、数々の建物。
私がコロナでまだ心身が万全でなく、哲学の場にいながら、思索につなげられなかったのが残念です。


続いては旅というには少し近場ですが、東海寺と東海寺大山墓地です(9/17)。今月は沢庵和尚の偉大さを追い求めた月でした。上にも挙げたブログにも書いた通りで、沢庵和尚が亡くなった場所とお墓を詣でようと思いました。ここは、旅情を味わうには騒々しい場所でしたが、そのギャップが逆に沢庵和尚没後の360年の年月を感じさせてくれました。

妻と二人で房総に向かいました(9/19)。上でも書いたので繰り返しませんが、ようやく遠出できたことで鬱屈した気分が癒されました。

その翌日(9/20)、一人で山へ。笹子駅で下車し、滝子山を目指しました。ところがこの時、高尾駅の乗り継ぎが悪く、29分待たされました。それもあって笹子駅に着いたのは1時45分。駅の写真を撮って山に向かったのが14時。山に入る時間としては遅くなってしまいました。上った途中で上から降りてきた方に残り時間を聞いたら、ここから2時間半といわれ、すでに時間は16時前。三丈の滝だけ見て、諦めて帰りました。
自分の不甲斐なさに怒りながら、笹一酒造で買った一合瓶を電車内で飲み干してしまったところ、てきめんに酔いが回りました。八王子についたときにはもうふらふらで、駅前から放射状にのびる八王子ユーロードのベンチで寝込んでしまいました。その後目の前にあった八王子ラーメン田田で腹を満たし、駅前のくまざわ書店で山の地図を購入。
上に載せたブログにも書きましたが、自分の中に芽生えた意志が怒りとなってほとばしり出たのは、自分の為にも良かったと思います。

家族では妻とたどり着けなかったアロハガーデンたてやまを再訪(9/23)。これも上にも書いたので繰り返しません。とてもよい一日でした。


そして今月のクライマックスが9/25。午後から曇り空の中を車で。あてもなく向かった先は道志みち。焼山を登ろうとしたのですが、車を停める場所が見つからず、さらに足を延ばしてエビラ沢の滝へ。そこから袖平山を目指しましたが、登山道が見つかりません。ならば、とさらに車で奥へと向かい、折花神社に車を停めました。そこから鐘撞山を目指したのですが、道が大きく土砂崩れで荒れており、その岩がごろごろしている中を登っていきます。本当にこの道でよいのか疑問に思いつつ。かなり上まで登ったのですが、どうもこれ以上は無理と諦めました。
再び焼山へ。場所は見つかったのですが、そこから山へ進んでいった時、すでに日は薄暗さを出していました。今から1000メートル越えの山は無理だと断念。ここですでに負け試合の気分は濃厚。
と、帰り道に手ごろな山を見つけました。三角山。525メートル。ここなら今からでも登れるかも。一つは山を登っておきたい。自分の負け犬気分を払しょくしたい。そう思って反対側まで移動し、車を停めてから向かいました。私が登った登山道は、後から調べると誰も登っていなかった道でした。それが後で私を遭難に導きます。
頑張って最後の三角山の三角点がある鉄塔までたどり着きました。199段の階段や、高圧鉄塔でこれ以上先に進めないとあきらめかけながらも。自分に買ったという満足もそこそこに、すぐに下山にかかりました。すでに17時を過ぎ、あたりはますます薄暗く。ここで同じ道をたどって帰ったつもりが、見事に道に迷ってしまいました。そもそも上った道が登山道として人が通っていなかったのだから当たり前です。
そこからの遭難への過程は、上に挙げた「私の中身は空虚なり(沢庵和尚の騒々しいお墓)」に書いた通りです。

旅というにはなかなか歯ごたえのある旅でしたが、ここで一晩を過ごしたことで、自分の人生という旅の中で貴重なマイルストーンを刻むことが出来たと思っています。さまざまな方にご心配をおかけしましたが、私の中に後悔はありません。むしろ、コロナで苦しんだ月にこうした体験ができた事で、自分が生きている実感が持てたというか。

§  
今月の駅鉄
 趣味の駅訪問は1駅です。「笹子駅(9/20)」
今までにも車で何度もそばを通ってきた笹子駅。今回は滝子山に登るため、初めて下車と乗車の体験をしました。
ここは駅前に笹子トレーニングセンターという施設があり、そこも含めてじっくりと駅をめぐりました。

§  今月の酒楽 今月も外では一度も飲んでいません。
とはいえ、お酒を買ってきて何度も家のみはしています。房州のビールも。あと、滝子山に登ろうとして敗退した帰り、笹一酒造によって一合瓶を購入し、電車の中で飲み干したのですが、おかげで酔ってしまいました。
前月に、アウシュヴィッツ・レポートを見に行ったことをリツイートしたら当たったスロバキアのワインが赤白一組も一本だけ飲みました。

§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は四カ所。「哲学堂公園(9/12)」「哲学の庭(9/12)」「薬師池公園 蓮園(9/13)」「町田薬師池公園四季彩の杜 ウェルカムゲート(9/13)」「金谷海浜公園(9/19)」「アロハガーデンたてやま(9/23)」


・博物館はゼロカ所。
・美術館はゼロカ所。
・駅は一駅。「笹子駅(9/20)」

・入手したマンホールカードはゼロ枚。
・滝は四滝。「名もなき滝(9/20)」「名もなき滝(9/20)」「三丈の滝(9/20)」「エビラ沢の滝(9/25)」
・温泉は一カ所。「南総城山温泉 里見の湯(9/23)」
・山は一山。「三角山(9/25)」
・酒蔵は一カ所。「笹一酒造(9/20)」
・神社は一カ所。「折花神社(9/25)」
・寺は二カ所。「東海寺(9/17)」「金太郎権現(9/25)」
・教会はゼロカ所。
・史跡は四カ所。「東海寺大山墓地(9/17)」「沢庵墓(9/17)」「鉄道記念物 井上勝墓(9/17)」「賀茂真淵墓(9/17)」

・遺跡はゼロカ所。
・城はゼロカ所。
・灯台は一カ所。「洲埼灯台(9/23)」

・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
自粛自粛と過ごしていれば、日々に追われてあっという間に老け込んでいくことは間違いありません。
そうしているうちに、加齢が気力を奪い、あきらめを自らの自然な感情と勘違いしたままかつての欲求を忘れて老いてゆく。これだけは防ぎたいと思っています。

コロナに人生を台無しにされるぐらいなら、一人でも旅を敢行したいと思います。会話は控え、マスクに口と鼻を隠した黙旅を。
今月に遭難したように、命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もしないままなら命は枯れてしまいます。

家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。
人はいつか死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。何をしても最後には死にます。昨年の九月に読んだ「「死」とは何か」という本には死生観を持つことの大切さが書かれていました。今月はそれに加えて沢庵和尚の生涯から権力にこびず、わが道を行く生き方を学びました。

人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。ハイキングが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
ですから、いつかやろう、引退してからやろうといっていると、未来の社会や環境や老いた自分がそれを妨げにかかってきます。
今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。

仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げは確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていないので。不労所得のタネを持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は俳句を11句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


コロナ感染記


9月1日(水曜)。
この日はサテライトオフィスで作業と三件の打ち合わせを予定していました。
いつもは家から最寄駅までバスで向かうのですが、この時なぜか車で向かったのは、何かの虫の知らせだったのでしょうか。3.11の時、常駐先に行かず家で仕事をしていたように。

虫の知らせがリイイインと告げたのは、電車に乗ってサテライトオフィスの最寄駅で下車し、サテライトオフィスに着く直前です。
妻からの連絡が全てを暗転させました。
妻によると、次女が体調の悪化で学校から早退したので迎えに行ってほしいとのこと。さらには大阪から新幹線で戻っている妻も体調が悪くなっているとのこと。それがコロナの第一報でした。

妻子の願いをむげにもできず、サテライトオフィスで二時間ほど慌ただしく打ち合わせなどをこなした後、逃げるようにそそくさと帰りました。そして、家の最寄駅まで電車で戻ったところ、次女と大阪から戻ってきた妻を拾うことができました。特に次女の体調が悪い様子。

私はその後、家で作業をこなしていました。

次女の体調は悪く、熱が出ている模様。妻もあまり体調が良くない模様。
すると、私の体調にも異変が。喉に違和感が生じたではありませんか。

その後、PCR検査薬を買いに妻と一緒に駅前まで一緒に向かいました。
戻ってから、翌日に打ち合わせを予定していたお客様のもとに、以下のようなメッセージを送りました。それが17時45分。

「一応、正直にお伝えしておくと、まだ定かではないのですが、
家族がコロナに感染した可能性があります。

PCR検査薬を購入したのですが、おそらくこの後発送しても結果が明日になってしまいます。

私は30日に一回目のワクチンを打ちましたが、今、少しだけ喉に違和感を感じています。○○の状況を見ると、オンラインで参加させていただいたほうが良いかもしれません。
それ以外は問題ないのですが、いかがいたしましょうか。」

すると、メッセージを送ってから少したって、急に倦怠感が私の身体全体を覆い始めました。いわゆるインフルエンザの症状のような。
あ、コロナになってもうた、とすぐに感じました。コロナの暗黒面が口を開けて私を飲み込んでいきます。

9月2日(木曜)。
この日はもともと、朝から四件の打ち合わせが予定されていました。

昨日のメッセージにも書いていた通り、都心の客先に行く予定も絡めていましたが、昨日のメッセージの後、オフラインの打ち合わせは延期にしていただきました。
私は自分が確実にコロナ患者であることを自覚しながら、完全に仕事モードで一日を送っていました。三件の打ち合わせはリモートで対応。

11時から12時に新規打ち合わせ一件。14時から15時に新規打ち合わせ一件。16時から17時まで新規打ち合わせ。
この時点では、まだ私の頭は明晰で、やり取りもきちんと普段通りにできていました。
コロナ何するものぞ。負けへんで~。

妻と次女は、15時に病院に行きその場で抗体検査をしてもらい、陽性反応をいただいてきました。私は打ち合わせがあったので病院には行けず。

9月3日(金曜)。
この日は2件の打ち合わせが予定されていました。10時半から11時と、15時から16時。
あと内部の打ち合わせを2件。
発症後、二日間はそこまで熱がなかったのですが、少しずつ疲労と熱が私の身体をむしばんでいるのがわかります。打ち合わせをしていてもしんどくなってきました。
そんな中、昨日今日と新たな案件の引き合いもいただいています。休んでいる場合ではないのです。

そんな中、念のため8月の26、27日に訪問したお客様にもコロナ感染の報告を。
さらに、妻にも許可を取って、家族のうち三人がコロナ陽性になった旨をSNSで書き込みました。

コロナであることを公表したとは言え、この日は週末には終えておかねばならない作業があり、私が寝たのは夜中の二時半過ぎ。

なお、妻と長女はPCR検査でも陽性が確定したらしく、保健所から自宅療養の指示を受けました。
この時、わが家で無事なのは長女一人のみ。買い物やその他の家事は彼女にお任せの状態。感謝感謝です。
頼もしい長女は、自分以外全員が陽性にもかかわらず、ワクチンを打たずに陰性のまま、乗り切ってくれました。

9月4日(土曜)。
この日は土曜日。お客様から連絡がない一日。ですが、私にはやるべき作業があったので作業していました。
この日、私も病院で抗体検査とPCR検査をしに行くつもりでしたが、いざ出かけようとした時、既に午前の診療受付の時間は過ぎていました。

なお、私の味覚・嗅覚障害が始まったのはこの日からだったように記憶しています。
娘が買ってきてくれたBaskin Robbinsのアイスクリームは甘いだけの塊に。味噌汁は塩辛く生暖かい未知の汁へ。

9月5日(日曜)。
この日の私は、完全に仕事をする気力と体力を失い、終日ベッドに寝て読書に勤しんでいました。
この日から発熱が37℃を超えたように記憶しています。

9月6日(月曜)。
午前。一人で車を運転して抗体検査とPCR検査を受けに行きました。確か朝の時点で私の体温は37.7℃。
病院に着きましたが、病院の中には入りません。外の駐車場で検査が完結します。他の患者さんに移すとまずいので。
そのため、先生と二人の看護師さんが完全防備で駐車場に現れ、その場で抗体検査のセッティングを。細く禍々しいほど長い綿棒が左の鼻の穴から喉の奥へと侵入し、コロナはいねえが~と巣を漁ります。この異物混入感はヤバい。
苦痛に満ちた時間の後、私は唾を容器になみなみと満たす作業に没頭しました。

私の凌辱され放題の喉の奥からはその場で陽性反応が出ました。これで私も名実ともに陽性者です。
唾からのPCR検査の結果は翌日。
なお、この時に酸素飽和度を測ってもらったのですが96%でした。8/30に一回目のワクチンを受ける直前は98%だったので、肺に違和感はないけれど2%も下がっていたのですね。

なお、お医者さんに払う料金の1700円を持っておらず、慌てて近くの郵便局で出金してきました。何も手が触れぬようにして。私は今や世に隠すもののない陽性保菌者。一切のおさわりは厳禁!
病院に行く前は、せっかくなので近くの城跡や牧場に行こう、などとのんきなことを考えていた私。病院を後にする時、そんな気力は雲散霧消していました。一刻も早く帰って休みたい。

身体がしんどく、作業をするのも一休みずつ。ですが、メールやチャットの連絡は多く届きます。その度に一つ一つ対応します。

9月7日(火曜)。
この日、妻と次女を対象に町田市保健所より自宅療養のためのサバイバル物資を送ってもらいました。飲料や食料の数々。ありがたい。
前日に受けたPCR検査の結果も陽性判定となり、私も保健所による自宅療養者の一員に仲間入り。これから毎日、指示を待つ身です。
この日から発熱が38℃台を超えることが当たり前になりました。

熱がある中、お客様とのやり取りはいく度も発生しました。そして、私の正気もだんだんと怪しくなっていきます。メールやチャットの内容を後で読み返した時の誤字脱字の多さ。仕事のクオリティが保てない自分に怒る気力すら湧きません。後から考えるとこれだけの誤字脱字をよくも送っていたと思います。平常時にはありえない状態です。

夜、あまりにもしんどいので保冷剤を枕に寝ました。

9月8日(水曜)。
この日の翌朝にとあるお客様との打ち合わせが予定されていました。その打ち合わせまでに53件のkintoneのデータを正しいデータに修正する必要に迫られていました。ところが、53件のデータを開き、そのレコードの三項目を修正して保存するだけの作業がなかなか進みません。
休んでは気力を振り絞って作業に戻る。その繰り返しで、ようやく作業を終えられました。
平常では10分も掛からないはずの作業に、3時間近くかけた気がします。これでは、とても仕事になりません。朦朧とした脳裏に、さすがに仕事人として絶体絶命ではないかという思いがよぎります。

9月9日(木曜)。
早朝、大量の発汗で起きました。すると、熱も下がっていました。

ところが午前に久しぶりにオンライン・ミーティングを行ったところ、受け答えすらままならない自分に気づきました。次に話そうとしたことが脳内で像を結ばず、フリーズしてしまいます。話している最中に咳が出てしまい、途中で失礼することもしばしば。およそ商談を行うには不適切な状態。あまりのことに焦りよりも前に呆ける自分。

午後には、弊社内部での打ち合わせも行いました。ところが、私の状況は午前と同じです。話すべきことがまとまらず、論旨が一貫しない。直前に話した内容を忘れ、自分の中で支離滅裂になってしまう。
仕事人として相当ヤバい状況です。私はそのことに絶望しました。このままだと廃業もやむをえないかも。弊社の社員に申し訳ない、これから家族をどう養っていこうか。そんな思いが頭の中で生まれては消えていきます。
これがコロナの恐るべき後遺症かと戦々恐々とし、落ち込みました。

一方で、この日の夜に9/3にいただいた新規案件の納品報告を行いました。翌日には先方より状況が良好であるとのご連絡もいただけました。その後、9/14にお客様環境へのインストールも終わり、無事に納品・検収となりました。
コロナの症状がピークに達している間にどうやって納品した?と、自分でも信じられない思いでした。私の中のコビトさんに感謝ですね。

9月10日(金曜)。
熱は下がったのですが、私の咳が治まりません。
次女は9/7には熱が下がり、平常の暮らしに戻りつつありました。妻も9月8日には熱は下がった模様。ところが、妻の咳が一向に治まらないのです。ひょっとすると私から再び妻にコロナウィルスを送り返している可能性が。夫婦でコロナをパスし合っているほど暇じゃないので、妻は夜、別の部屋で寝ました。

私一人で寝室を占拠したのですが、この日の夜、病状が次の段階に進んでいることに気づきました。
肺の違和感です。いわゆる肺炎の症状と思われます。息苦しく、きちんと息が肺に行き渡っていない状態。気づかぬうちに肺にウィルスが忍び込んでいたのです。
無理やり深呼吸を繰り返し、肺が死滅しないように努力しました。ここで眠ったが最後、二度と目を覚めない恐怖。コロナの軽症患者が突然死亡したとの報道が眼前にちらつきます。
自分のし残したことの多さに絶望する暇すら与えられず、命と意識がフッと虚無の中に消える。そんな恐怖が私を脅かします。
この時の私の酸素飽和度は何パーセントだったのでしょうか。測っていないので何とも言えないのですが、あるいは80%台にまで落ち込んでいたのかもしれません。

9月11日(土曜)。
保健所からの定期電話で、咳と肺の違和感のことを話しました。
ところが、私の症状はまだ軽症に属する様子。酸素飽和度すら測られずに、私の自宅療養期間は12日で終了とのご指示をいただきました。

この日、気力を奮って読読ブログを一本書き上げました。「アンジェラの灰」。ブログを書くにもエネルギーが必要です。何よりも論旨を整合させる知力が求められます。内容の良しあしはともかく、自分がまたブログを書き上げられたことに満足しました。

9月12日(日曜)。
先に自宅療養期間を終えた妻と次女が、新大久保に買い出しに行きたいと願っています。私もいい加減、外に出たい。そのため、新大久保まで運転しました。
妻子を新大久保で降ろした後、私は一人で中野の哲学堂公園へと向かいました。
初めて訪れた哲学堂公園の園内は、上り下りの勾配があります。園内を歩きながら上り下りを繰り返しましたが、体力の衰えは顕著です。咳もときおり飛び出してきます。
園内には数多くの哲学の概念が設けられています。そうした場所で向かい合い、哲学に頭を働かせられません。哲学とは無縁の知力。とはいえ、異変に襲われず、園内を歩けたのは吉兆です。

この日、携帯電話を家に忘れてしまいました。その間、保健所から日曜日にもかかわらず何度かご連絡をいただいていました。申し訳ないです。
保健所のご担当者は毎日連絡を絶やさずにくださいました。ありがたいことです。感謝です。

私の発熱は治まり、残る症状は咳だけ。後は私の仕事人としての能力が元に戻っているのか。後遺症は残るのか。それらを見極めないことには、私の将来が不透明です。

味覚・嗅覚障害ですが、この日の前日ぐらいに戻った気がします。この日、新大久保で買ってきた食材を家族で久々に食卓を囲んで食べたのですが、その美味しかったこと!

9月13日(月曜)-14日(火曜)。
まだ本調子ではないのですが、作業を行い、指示を出して過ごした両日でした。
合間には、近所を散歩しました。自らの体力の回復具合を見定めるためです。というのも、10日近くも外に全く出ずに過ごす経験はこれまでの私の人生でもめったにありません。予想通り、私の足腰はめっきり弱っていました。

自分の気力・知力・行動力・判断力がどの程度まで衰えたのか。
私の仕事人としての能力はコロナ前のレベルから比較してどれほど低下したのか。それが知りたいという切実な思い。

13日と14日にも読読ブログをそれぞれ一本アップしました。「殺人鬼フジコの衝動」「日本昔話百選」。自分にとってこの二つの記事は、分析や論旨など満足していません。ただ、記事をアップするごとに、自分のロジカルな力の回復を信じることができました。

9月15日(水曜)-16日(木曜)。
咳が一向に治りません。ですが、それぞれ両日にオンライン会議を一件ずつこなしました。
しゃべると咳が口を飛び出してきます。ですが、少しずつ商談をこなしていくにつれ、自分の口に滑らかさや判断力が戻ってきているのが感じられます。
これは自分の救いとなりました。
15日にも読読ブログを一本アップできました。「その後の鎌倉 抗心の記憶」。書いていて、少しずつ自分の文章に論旨が備わってきていることを感じました。

9月17日(金曜)。
この日は、もともと9/10にリアルで渋谷で打ち合わせの予定がありました。ところが私がコロナに罹患したため、延期をお願いしました。延期をご快諾いただいた後も、私は自分の体力や商談に臨む能力に自信を失っていました。そのため商談のタイミングを遅らせてもらっていました。
でも、大きな案件。私も腹をくくらねばなりません。
この日の朝、渋谷にお伺いしました。二件のリアル商談を合わせて二時間。商談の間、私はフリーズもせず、自分で話していることの脈絡も失わずに過ごせました。ホッとしました。
私と同行してくれたのは、この案件で一緒に組む技術者さん。彼にカニ味噌ラーメンをごちそうしました。

私は商談の後、行きたい場所がありました。新馬場です。沢庵和尚が徳川家光より賜った東海寺と、東海寺から離れた場所にある大山墓地の中にある沢庵和尚のお墓が目当てでした。
渋谷から大崎まで電車で移動し、大崎から東海寺と墓地までを歩く。さらに墓参りの後は、大井町まで歩きました。
沢庵和尚については、この後のブログに書くつもりです。
私の体力の衰えは顕著です。ただ、自分の知的好奇心が衰えていないことと、何かを知ることについての自分の思いが失われていないことが確認できました。限りのある人生の尊さに思いをはせたことも。

この日は夕方から二件の打ち合わせがあり、サテライトオフィスから対応する予定でした。ですが、疲れたので自宅まで戻ってから打ち合わせに参加。
商談をこなすごとに口が滑らかになってきているのがわかります。ときおり咳き込む以外は。

夜は、新たな案件で、複数のPaaS/SaaSの連携フロー図の作成を一気に行いました。
そうした作業を通じて、コロナ前の自分に戻りつつあることが実感できました。自分はまだ仕事がこなせる。そんな状況に感謝しつつ。

9月18日(土曜)。
雨だったので、家の中で作業を行っていました。作業を行うための知力や集中力はだいぶ元の水準に戻りつつあることが感じられました。
この日も読読ブログを一本アップしました。「日本書記の世界」。こうやって文章を書くことが、仕事の上でも有効なリハビリテーションになっています。

9月19日(日曜)。
せっかくの休みで、快晴なので妻と二人で房総半島をドライブしてきました。海岸で波と戯れつつ、美味しいものを食べる。コロナから生還した夫婦にまばゆく映る人生。
この時の往復の道中、妻とたくさんのことを話せたのは旅ならでは。人生とは何か。何のために生きるのか。夫婦にとって今の人生の中で何が障害だったのか。多くのことを話し合いました。

夫婦ともにコロナを経験した今、残り余生が急に現実感を伴って迫ってきました。
コロナ前から常に考え続けてきたこと。それは仕事だけで終わるにはもったいない人生の豊かさです。豊かな人生を全うするにはどうすればよいか。そして、何をしなければならないのか。
そうした私の考えについて、腹を割って話し合いました。ドライブは話し合いにはうってつけです。

9月20日(月曜)。
三連休の最終日。まだ咳き込む自分が残っています。
知力・気力はだいぶ戻ってきた感触があります。
ですが、体力はどうか。本当にこれからの人生を生き抜ける体力は戻ってきたのか。

それを試すため、一人で山登りへ。電車を乗り継ぎ、笹子駅まで。そこから滝子山へアタックしました。
ところが、高尾駅で30分乗り継ぎに待たされたこともあり、滝子山の登山道に着いたのは14時過ぎ。そこから登れるところまで登ったのですが、日が暮れた後の自分の体力に全く自信がなく、16時前に三丈の滝で越前撤退を決断しました。
帰路、私は自分の体力のなさや準備不足の失敗に心の底から憤っていました。
立ち寄った笹一酒造の酒遊館で購入した日本酒を一合、帰りの電車で飲み干しました。そして見事に酔っぱらってしまいました。目がちかちかし、目の前の明かりが異様にまぶしい。
八王子の駅前広場をさまよい、ベンチで横になる私。横になっている私の横では若者がスケボーを持ちながらしゃべっています。この時、狩られていたら、おじさんは瞬殺されたはずです。

横たわりながら、酔っぱらいながら、私は自分の情けなさに心の底から失望し、コロナごときで体力を落とした自分の体たらくに強烈な反発を感じていました。
今後の自分に課す目標は、山梨百名山制覇。それぐらいやってやる、という決意とともに。

ですが、そうした自らの怒りの底に、自分の可能性もかすかに感じていました。
それは、自分の中に相変わらず強烈な現状維持への拒否感があること、人生に変化をつけたいと言う意思の強さが再確認できたことです。
コロナに負けてたまるかという意思が残っているのなら、自分はコロナに打ち負かされることはない。
強烈な怒りの奥底に、自分の芯の手ごたえを確かめられた一日でした。

9月21日(火曜)。
この日も多数、打ち合わせをしました。
打ち合わせしていて、頭の中が真っ白になったり、自分の脳の動きが制御不能になったりの恐怖に襲われることはなかったです。仕事人として役に立てないという絶望感に覆われることも。
さまざまなプログラミング作業にも手を染めましたが、ロジックを構築する能力に支障はなさそうです。
後は、いつになれば私から咳が去るのか。

9月22日(水曜)。
この日は、サテライトオフィスに赴いて作業していました。
サテライトオフィスを訪問するのはコロナ発症の日以来です。この時、サテライトオフィスに訪れてすぐ、妻子を迎えるために急遽帰宅したのでした。

朝一にも家で打ち合わせをこなし、サテライトオフィスでもオンライン・オフラインを含め、複数の打ち合わせをこなした一日でした。
サテライトオフィスに始まり、コロナからの回復に向けたサテライトオフィスにいる今。そろそろ自分のコロナについて著す時期だろうと思いました。
ただし、咳はまだ残っており、決して完治ではありません。私に可能なのは、いずれ完治すると信じることのみ。
くしくもこの日は、とうとうコロナから逃げ延びた長女が一回目のワクチンを打った日。

私もコロナ患者として、その痛みを多少なりとも知ることができました。
今後、コロナが世界中から根絶されることはないでしょう。だからこそ、少しでも多くの人がコロナに罹患せず、そして家にこもらずにそれぞれの人生を全うしてほしい。そう願います。
まずは皆さんがワクチンを可能な限り打ってくださることを。私も二回目のワクチンを九月末には打ちたいと考えています。

コロナのわが家にかかわってくださった皆さま、本当にありがとうございました。