アクアビット航海記 vol.18〜航海記 その6


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2017/11/30にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

はじめてSEの現場に触れる

1997年の11月。芦屋市役所を離れた私が次に訪れた場所。それは神戸三宮でした。
DUNLOPといえばテニスボールで有名ですが、ここのシステム統括部門らしき場所。それが私の次の職場となりました。
このDUNLOPの現場も、大学の政治学研究部の先輩に手配していただきました。芦屋市役所の時と同じです。
その先輩の属する大手情報企業の系列会社の配下で、アルバイトか派遣社員の身分として雇われたような気がします。

ところが、私はここで一体何を仕事をしたのか、そもそもなんのためにいたのか、全く思い出せないのです。
それもそのはずで、私はなんの仕事もしていないからです。
冒頭で「統括部門らしき場所」と書きました。”らしき”というのは、私がそもそもそこが何を目的とする場所かを皆目、理解していなかったからです。
なんとなく記憶しているのは、全国のDUNLOPの統括部門だったことと、現地にエンジニアを派遣し、エンジニアの支援をする場所だったことだけ。そもそもエンジニアを何のために派遣していたのかも知りません。何を統括するのかも、まったく私は覚えていません。ただ座って周囲の忙しそうな様子を眺めているだけの私でした。
それも周りの会話をなんとなく覚えているから言えることで、当時の私はなんのためにそこにいたのか、今もなお思い出せません。
大勢の技術者がそれぞれの業務に従事する中、私は数人のシステムエンジニアのチームに配属されました。そのチームのエンジニアの皆さんには随分とかわいがってもらった記憶もあります。

私が覚えているのは、wordでALTキーを押しながらドラッグ&ドロップすると、行単位でなく縦方向に範囲選択できることをお見せしたら、「それは知らんかったわ〜」と感心されたことくらい。
それはつまり、本業では何も貢献していなかったことを意味しています。つまり、当時の私は何の取りえもなかったのです。
当時、私をかわいがってくださったエンジニアさんたちの名前も顔も何人かは覚えています。
ですが、今の私がもしその時にお世話になった皆さんに「お久しぶりです~」とあいさつしても「は?どなた?」と言われることでしょう。全く覚えられていないと思います。
ひょっとしたら「ああ、あの、ただ、座っていただけの彼?」と言われるかもしれません。忘れられていることの方が必然です。

結果、その現場も数カ月で離任になりました。
それはそうでしょうね。そもそも、なんの業務をしている部署かすら把握も出来ないような、そんな使えない人間を養うほど仕事は甘くはありませんから。今の私ならそう思います。

ところが、私がDUNLOPを離任した後、大学の先輩はそんな私のために懲りずに骨を折ってくださいました。
そして、私を人材派遣会社に紹介してくださったのです。つまり、派遣社員です。
派遣元の会社名は日本ワークシステムさん。山陽電鉄のグループ会社で、今も会社は活動されているようです。

派遣社員へ

日本ワークシステム経由で、私は2カ所に派遣されました。
確か最初は神戸市役所の本庁舎です。ここでもわたしが何をしていたのか、記憶は曖昧ですが、確か教育委員会でデータエントリーのオペレータをしていたように思います。
ここで覚えていることもあまりありません。多分、言われるがままにデータ入力をこなしていたのでしょうね。何を入力していたのか全く覚えていませんから。
この部署は教育委員会のシステムの統括部門だったらしく、サポート担当のエンジニアの方が淡々と電話対応していた声の調子だけはいまだに覚えています。木で鼻をくくったような事務的なサポートな感じだけは。

さて、神戸市役所には2週間程度、通勤していたでしょうか。
次に私が派遣されたのは山陽電鉄の本社です。
ここではAccessのフォームに住宅情報を入力していたようなうっすらとした記憶が残っています。
もう一つ覚えていることといえば、Accessのデザインなどしたこともない素人の私が、エンジニアの方に対し、入力フォームに注文を付けたことです。
全く、なんという思い上がりでしょうか。

もちろん、二つの現場ではデータエントリーはきっちりこなしましたよ。
神戸市役所でも山陽電鉄でも与えられた期限よりもだいぶ早く打ち込みを終えてしまいました。おそらく私の打ち込むスピードが速かったのでしょう。
全体の入力件数とその報酬額が決まっていたため、入力が早く終わった分、日割りするとずいぶんと高い報酬額をいただきました。
たしか一日単位に換算すると数万円にも及んでいたような記憶があります。

私は望外の報酬を得たことで、データエントリーの仕事を甘く見てしまいました
データエントリーの仕事を続けていれば一日で数万円も稼げてしまう、と。今、思うと勘違いもはなはだしい。
でも、当時の私はまさに大いなる勘違いの中に遊んでいました

今の私はその勘違いの危うさをすぐに指摘できます。データ登録をこなすだけでは将来の成長が見込めないことを。
それは、今の私が当時のデータエントリーやDUNLOPでこなしたはずの仕事の内容を全く覚えていないことでも明らかです。
もし私がこれらの仕事から前向きに何がしかの糧を得ようとし、自分を成長させようと取り組んでいたら、仕事の内容ぐらい少しは覚えているはずだからです。それがたとえ20年前のことであっても。
要するに当時の私はまだ舐めていたのでしょう。仕事を。

私が山陽電鉄の現場を離れたのがいつか、全く記憶にありません。
そもそも上に書いた当時の私の勤務先の変遷すら、本当にそうだったのか確かな自信はありません。
芦屋市役所→DUNLOP→神戸市役所→山陽電鉄の順だったと思うのですが、芦屋市役所→神戸市役所→山陽電鉄→DUNLOPの順だったかもしれません。一切が曖昧です。
この流れを過ごしたのがどれぐらいの間で、終わったのがいつだったかも全く覚えていません。
当時はとにかく、何も記録に残していませんでした。今の私にもはや確かめるすべはありません。1998年の夏前でしょうか?

この当時のあいまいな記憶

今の私が、当時の私を叱るとすれば、当時の私は言われるがままだったことでしょう。何も考えていなかった自分を真剣に怒ることでしょう。
工夫のない仕事はただの作業作業は人は成長させない。ということを口を酸っぱくして教え諭そうとし、しまいには手ごたえのなさに激高するに違いありません。
今の私からみた当時の私は、起業できるだけの経験もなければ、起業できる兆しすらまったく感じられません。

ただ、好転の兆しが全くなかったわけではありません。
というのも、データ入力で食っていけると思い込んだ私が甘かったことを間もなく悟るためです。
そして、私にいよいよ転機が訪れます。

本連載の第十五回で1996年から1999年の3月までは記憶があいまいと書きました。
このころ、私は鬱状態から脱したとは言え、全てが手探りな日々が続いていました。
ですが、鬱から立ち直った反動は、私を再び前向きな方向に推し進めます。
本は相変わらず読みまくっていました。一日で5,6冊を読破することなどザラにありました。
読書だけにとどまらず、私は再び世の中に飛び出していこうともがき始めます。
いろんな場所を訪れ、人と会話し、何かをつかもうとし始めるのです。

それにしてもこうやって当時のことを思いだすと、先輩の恩をあらためて深く感じます。

次回も、引き続き私の日々を書きます。


アクアビット航海記-リモートワークの効用


「アクアビット航海記」の冒頭では十回分の連載を使い、起業の長所と短所を述べました。
本稿ではその長所となる自由な働き方を実現する上で欠かせない基盤となるリモートワークについて語りたいと思います。

そもそも、私自身の「起業」に最大のモチベーションとなったのは、ラッシュアワーが嫌だったためです。
ラッシュアワーに巻き込まれたくない。巻き込まれないためにはどうするか。嫌なことから逃れる方法だけを考え続けて今のスタイルに落ち着いた、というのが実際です。

では、ラッシュアワーはなぜ起きるのでしょう。
それは周辺都市に住んでいる労働者が、首都に集まった職場に通うためです。
リモートワークやテレワークなどという言葉がなかった時期、人々は一つ所に通い、そこで顔を突き合わせながら働くしかありませんでした。
そうしなければ仕事の資料もありません。指示すら受けられません。そして雇う側も管理するすべがないのです。
そのため、一カ所に集まって仕事をするのが通念となっていました。

今、情報技術の進化によって、リモートワークが当たり前になりつつあります。リモートワークによって、ラッシュアワーからはおさらばできるのです!

ただし、それには条件があります。その条件とは、置かれた立場の違いによって変わります。
大きく分けて、雇われているか、そうでないか、の違いです。

まず、あなたが雇われているか、契約によってどこかに通う条件に縛られているとします。
雇用契約を結んでいる場合は、雇い主の人事発令に応じた部署で働くことが前提です。
その企業の人事制度が自由な働き方を認めている場合は、喜び勇んでその制度の恩恵にあずかればよいでしょう。
そうでない場合は、まずリモートワークを認めてもらうための運動を始めなければなりません。

おそらく、その企業にはそれまでの慣習があるでしょうから、リモートワークを見越した業務の設計がなされていません。
リモートワークを申請しようにも、体制が整っていないから無理、と却下されるの関の山でしょう。
その体制を上司や別の部署を巻き込んで変えてもらう必要が生じます。おそらくは大変で面倒な作業となることでしょう。
それをやりぬくには、あなたの日ごろの業務への姿勢と、あなたが扱う情報の性質にかかっています。
上司の理解と信頼、という二つの味方が支えてくれていれば、決して不可能ではないはずです。

もう一つの立場とは、個人事業主か経営者の場合です。この場合、上司はいません。あなたの意思が組織の意思です。リモートワークまでの障壁は低いはずです。
ただし、顧客先との契約によってはリモートワークが無理なこともあります。契約に特定の場所で作業することが定められている場合、リモートワークはできません。
そうしたケースは情報処理業界の場合によく見られます。
常駐でなければならない理由は、情報漏洩のリスクです。ハッキングのリスクもさることながら、監視がゆるいため、モラルがない故意に情報をさせてしまうのです。
また、情報処理業界といってもまだまだ対面による打ち合わせが主流です。そして、進捗管理や仕様の伝達に手間がかかります。そうした手間がリモートワークの普及を妨げています。

しかし、それらもリモートワークのためのツールは多く存在しています。実際は、組織や企業の考え方次第で、リモートワークの導入は進むはずです。
また、労働者の側でも意識を変える必要があることは、言うまでもありません。

ここでは、労働者として、私自身がどういうことに心がけてきたかを述べたいと思います。

・連絡をこまめに。
リモートワークは、相手の顔が見えません。だから発注側はお願いした仕事がきちんと納品されるのか不安です。だからこそ、こまめな連絡は必須です。
初めて出会った方は、こちらの人物をまだよく知りません。私の場合、さまざまなイベントで出会った方にはメールで丁寧なメールを返すことを心がけています。
最初はメールで、そのうちに徐々にチャットツールでの連絡に導きます。その方がメールよりも簡略に連絡ができるからです。電話もよいのですが、やりとりが後に残りません。また、電話は相手に準備の時間を与えないため、チャットツールをお薦めします。
ただし、連絡をもらったら返信は即座に。原則として受け取ったボールは相手に預けるようにしましょう。

・コンプライアンス意識
リモートワークは信頼がなければ成り立ちません。
情報を意図して漏洩させることは論外ですし、ミスも起こさないように気をつけたいものです。
その意味でもメールではなくチャットツールは有用です。添付ファイルは後でも取り消せますし、暗号化通信が基本です。堅牢な防御体制をクラウド事業者に任せてしまうのです。もし、印刷して紙の情報に頼ってしまう癖があるのなら、あらためた方が良いです。

・リモート端末の操作に通じる
リモートワークである以上、ノートパソコンは欠かせません。タブレットやスマートフォンは連絡程度であれば可能ですが、業務や作業にはまだまだ不向きです。
また、最近は有線LANが張りめぐらされている光景もあまり見なくなりました。ほとんどがWi-Fi接続による無線LANです。だから、お使いの端末にWi-Fiアダプタがあるか、また、出先でもWi-Fiのアクセスポイントをうまく拾う方法をチェックしておきましょう。
キャリアや鉄道会社、コワーキングスペースが提供しているWi-Fiが安全です。コンビニのものも連絡程度ならよいでしょう。
また、電源の確保も重要なので、どう言った場所に電源があるのか、チェーン別に把握しておくことは大事です。モバイルバッテリーの準備も検討してよいですね。
また、ブラインドタッチに慣れてしまうと、タブレットやスマホで文字入力がやりにくく能率が落ちます。フリック入力などもマスターしておくべきでしょうね。

・移動中はスマホやタブレットの操作に十分注意する。
これは最近、鉄道会社のマナー啓発キャンペーンでも良く登場します。実際に操作しながら移動するあなたは動く凶器です。
なので操作と移動はきっちりメリハリをつけた方が良いです。
そもそも、せっかくリモートワークを行なっているのですから、もっと外の景色を楽しみましょうよ。外の景色から刺激を受けることは、あなたの生産性の向上にもきっと寄与してくれるはずです。


アクアビット航海記 vol.16〜航海記 その5


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させていただくことになりました。前々回からタイトルにそって弊社の航海記を書いていきます。以下の文は2017/11/23にアップした当時の文章が喪われたので、一部修正しています。

芦屋市役所でデータ入力の仕事に

阪神・淡路大震災から1年9カ月後、地震で全壊した家を親が建て直し、一家で西宮に戻ることになりました。
時に1996年の10月。そんなタイミングで、先輩が声をかけてくださいました。データ入力の仕事をしないか、と。
その先輩は本連載の第十三回でも少し登場いただいた政治学研究部の方で、私が卒業する一年前に卒業して社会に出ていました。
その先輩が勤めていたのは、日本で知らない人はいない大手情報企業です。その企業が当時手掛けていたのが、兵庫県の芦屋市役所の人事システムの刷新案件でした(システム名は今まで完全に忘れていましたが、今調べて思い出しました。が、20年前のこととはいえ、念のため企業名とともにも伏せておきます)。
その案件の営業担当だった先輩が、ブラインドタッチができた私にオペレーターとして白羽の矢を立てたのです。今の私には先輩のお気持ちがよくわかります。ブラブラしている知り合いの若者がいれば、私もきっと声をかけるはずですから。
でも、当時の私にはそういう事情はさっぱりわかりません。その話を受けた時の情景や私の気持ちは忘れてしまいました。でも、私はお話をためらわずにお受けしたはずです。そして、これが私の転機となりました

上では刷新案件などとわかったようなことを書いていますが、当時の私は何も知りませんでした。
そもそもまともにパソコンを使うのは初めて。連載第十四回で取り上げたダブルスクールで触ったことと、大学の課外講習で一太郎の文書を作って5インチディスク(!)に保存したくらい。
あとは、シャープX68000でゲームやパソコン通信を少しかじっていたことでしょうか。このシャープX68000を譲ってくださったのが当時在学中の先輩でした。当時は先輩もまさか数年後にパソコンの仕事を世話するなんて思っていなかったはずです。人生どういうご縁があるかわかりませんよね。
ちなみにこの先輩は地震で全壊した我が家にまっ先に駆けつけ、差し入れを持ってきてくださった方でもあります。

このように、先輩から話を受けた当時の私は、全くのずぶの素人です。果たして私にパソコンを使った仕事ができるのか、というレベル。
なので、引っ越しのタイミングでうちの親がパソコンを買ってくれました。家用の。確かWindows 95だったはず。
とにかくよくわからぬまま、プレインストールされていたLotus1-2-3をおっかなびっくり触っていただけの。
今やSEでござい、と名乗っている私ですが、本当に何も知らない状態でした

SEの仕事に触れる

私が社会に出て最初の仕事。それが芦屋市役所でのデータ入力の仕事です。1996年の11月。
当初は二人の女の子と一緒に過去の職員の人事経歴を一生懸命パソコンに打ち込んでいました。
当初、私はIMEの変換方法を全く知りませんでした。変換方法もわからないまま、半角カタカナで一生懸命打ちこんだ結果を「ニイタカヤマノボレじゃないから!」とSEの方に怒られたのもこの時です。
後年、ITで身を立てていけるめどがついたあとも、このエピソードは何度も使わせてもらいました。要するに、当時の私はそのくらいパソコン音痴だったのです。そんなヤツがよく金融機関の常駐SEになりおおせ、”起業”にまで踏み切ったなぁ、というネタを語る時のエピソードとして。
私は今もなお、ユーザー側の立場でシステムを考えてしまいがちですが、それは初っ端のこの経験が尾を引いていると思います。

そんなオペレータの仕事ですが、ほどなく女の子たちは退場することになり、私一人でデータ入力の仕事を任されるようになりました。多分ブラインドタッチの腕が認められたのでしょう。
とはいえ、責任や束縛が増したわけではなく、自由でした。広い部屋で好きな時間に昼食を食べ、好きな時間に持参のマグカップに紅茶を淹れて。当時は紅茶に凝っていたのも懐かしい。海外から茶葉を取り寄せたりして。優雅ですよね。
今思えば、この頃は仕事にプレッシャーも何も一切感じていませんでした。

でも、SEの方は大変だったと思います。大阪だけでなく東京からもいろんなSEの方が入れ替わり立ち代わり来られていたくらいですし。素人の私にもシステム導入がうまくいっていない雰囲気が察せられました。
私が人生で初めてSEという人種に会ったのはこの時です。特にその中のトップSEの方にはお世話になりました。
私はこの方からエクセル・マクロの初歩の初歩を盗み、また教わりました。ニイタカヤマノボレで叱ってくださったのもこの方です。また、この方からは人生を楽しむ秘訣も教わったように思います。
この方とお昼を食べに行くたびに、街中のあらゆるものに興味を示す姿はいまでも記憶に鮮やかです。
あらゆるものに興味を示す、という姿勢は、今考えると、人生を生きていく上で最大の味方だと思っています。私はこの方から好奇心というものの大切さを深く教わりました。
20代の私がお世話になり、もう一度お会いしたいと思う方は何人もいるのですが、この方もその一人です。S藤さん、私のことをおぼえていたら連絡ください。心からお礼が言いたいです。

実務で使うプログラムなどそれまでの人生でまったく経験のなかった私ですが、この時にはじめて実務で使うプログラムに手を染めました。
そして、この経験が私にITへの道を踏み出させる一歩となりました。
今も私は、プログラミングを学ぶには実務が一番と思っています。それは、この時の自分の経験によるものです。

鬱に陥る

翌1997年の4月。私は正式に芦屋市役所の人事課のアルバイトとして、それまでいた広い部屋から人事課の部屋に移って仕事をすることになりました。
ここでは人事システムのオペレーションだけではなく、人事課の諸作業もお手伝いすることになりました。
諸作業とは、例えば人事考課の資料のチェックをしたり、稟議書のひな形などを作成したり。基幹システムのGUIの画面でカチカチとデータを打ちこんでひな形となる書類を印刷したり。
どれも懐かしい思い出です。他にもおおげさな帳合機で大量の書類を印刷して資料にまとめたり。

そんな風に社会への一歩を踏み出し始めた私ですが、実は芦屋市役所に入った少し後から1997年の夏ごろまでの約9カ月が、今までの40年少しの人生で一番の暗黒期でした。
暗黒というのは、精神が、です。多分、前年の地震遭遇から就職活動、旅三昧と続いた日々の反動でしょう。当時お付き合いしていた方から愛想をつかされたことも理由の一つです。
当時、読み漁っていた純文学の毒にあてられたことも鬱を亢進させたはずです。
躁に踊らされた時期から、一転、鬱に沈まされる。
つらかったです。生きていく自信を失い、死を思い、状況から抜け出そうとする気力すら湧かない日々。
尾崎豊の「シェリー」を一日中聞いていたのもこの時期。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」で自殺する主人公に衝撃を受けたのもこの時期。
毎日、かろうじて芦屋市役所には通っていたものの、自分がいつになるか這い上がれるのか、どこに行けばたどり着けるのか、完全に見失っていました

そんなつらい日々でしたが、徐々に最悪の時期を抜け出すことができました。
正直、この時期の思い出は断片的にしか残っていません。でも、いくつかの楽しいことだってありました。それは人事課の方々との交流の中で得られました。
レクリエーションとして部課対抗のPK合戦に駆り出されたこともあるのですが、この時に私が決めたシュートの鮮やかさは、いまだに私の成功体験の一つに刻まれています。
また、飲みにもよく連れて行っていただきました。そしてその度につぶれていたのもこの頃。神戸の山手の坂や芦屋駅前の路上で朝まで転がっていたことなど、きりがありません。
有馬温泉の保養所に泊りがけで連れていってもらったこともあります。
そんな日々が私を暗闇から徐々に浮き上がらせてくれました。

1997年の秋だったか、芦屋市役所の方からの勧めもあり、市役所の試験に受験しました。
もしこの時に受かっていたら私は1998年の4月から芦屋市役所職員になっていたはずです。ひょっとすると今もまだ市役所職員で頑張っていたかもしれません。
ですが、落ちました。多分、成績うんぬんより、私の状況や資質を見たうえの判断だったのかもしれません。酒にも弱いし。
でも、この時の人事課の皆さまには今も感謝しています
私が辞める際、一介のアルバイトの私のために会議室を確保し、人事部の皆さまから送迎会を開いていただきました。ねぎらいの言葉をかけていただき、花束の贈呈までも。
この時のことは忘れないでしょう。今も、この当時にお世話になった職員の方とは年賀状のやりとりが続いています。

芦屋市役所での約1年の日々。ここで私はコンピューターの初歩と社会で仕事をすることを学びました
一見、公務員と起業は正反対のベクトルを向いています。でも、目の前にあるタスクを解決しようとする時、そこには組織も個人もありません。起業の冒険も公務員の安定も関係ないのです。
休日にも出勤されている人事課の方の姿(私が何のために休日出勤していたのか覚えていませんが、皆さん私服で執務されていました)。日々の会話から感じる私の今後を案ずる思いやり。
今までの連載で何度も書きながら、当時のことを思い出していますが、”起業”した今でも、組織に勤める方を貶めたり、下に見たりする気はありません。
それはこの時に人事課で働いた経験が大きいと思います。
上に書いた私に好奇心を教えてくださったSEの方も、見るからにひどいインフルエンザで息も絶え絶えになりながら、東京から出て来て作業されていました。
当時の私は、皆さんが何を作業しているのか、何が彼らをそうさせるのか、全く理解できませんでした。が、人々が懸命にタスクをこなし、責任を全うしようとする姿勢は目にやきつきました
それは23才の若造にとても強い印象を残しました。その印象は私の人生の、とくに”起業”したあとのつらい時期に何度もフラッシュバックして私を鼓舞し続けています。
それ以来、24年がたとうとしていますが、実家に帰省したタイミングで機会があれば芦屋市役所を訪れ、外からみつめています。ここが私にとって「仕事」の原点だからです。

“起業”する前に、まず社会を知る。仕事を知る。これはとても重要なことだと思います。
もし本連載を読んでいる学生の方が起業を志していたとしても、起業の心は大切に温めつつ、一度はどこかの組織で揉まれてから”起業”した方がええよ、と言いたいです。
ま、私が言っても説得力はないかもしれませんが。

次回も、引き続き私の日々を書きます。


アクアビット航海記 vol.15〜航海記 その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前々回からタイトルにそって弊社の航海記を書いていきます。以下の文は2017/11/16にアップした当時の文章が喪われたので、一部修正しています。

大学は出たけれど

さて、1996年の4月です。大学は出たけれど、という昭和初期に封切られた映画があります。この時の私はまさにその状態でした。この時から約3年。私にとっての低迷期、いや雌伏の時が続きます。この3年間についての私の記憶は曖昧です。日記もつけていなければ、当時はSNSもありませんでしたから。なので、私の3年間をきちんと時系列に沿って書くことはできないでしょう。多分記憶違いもあるはず。ともあれ、なるべく再構築して紹介したいと思っています。

妙に開き直った、それでいてせいせいするほどでもない気持ち。世の中の流れに取り残されたほんの少しの不安、それでいて焦りや諦めとも無縁な境地。あの頃の私の心中をおもんばかるとすればこんな感じでしょうか。新卒というレールから外れた私は具体的な将来への展望もない中、まだどうにかなるわという楽観と、自由さを味わっていました

大学を出たとはいえ、私の心はまだ大学に留まったままでした。なぜかというと家が大学のすぐ近くだったからです。アクアビット航海記 vol.12〜航海記 その1にも書きましたが、わが家は阪神・淡路大地震で全壊しました。そこで家族で住む家を探したのが私でした。家は大学の友人たちに手分けして探してもらいました。そしてほどなく、私の一家は関西大学の近くに引っ越しました。この時家を見つけてくれた友人には20年以上会えていません。N原君、覚えていたら連絡をください。
さて、家の近くに大学があったので、卒業したはずの私は在学生のようにぬけぬけと政治学研究部や大学の図書館に入り浸っていました。

その時の私は多分、光画部における鳥坂先輩のような迷惑至極な先輩だったことでしょう。鳥坂先輩と同じく大義名分として公務員試験を受ける、という御旗を立てて。それは、私自身でも本当に信じていたのか定かではない御旗でした。ちなみに鳥坂先輩が何者かはネットで検索してください。

1996年の10月。西宮に新しい家が完成し、西宮に戻ることになりました。引っ越す前には幾度も西宮に赴き、引っ越し作業に勤しんでいた記憶があります。なにせ、時間はたっぷりありますから。

孤独な日々

そう、時間だけは自由。何にも責任を負わず、親のスネをかじるだけの日々。この半年、逆の意味で時間の貴重さを噛みしめられたように思います。なぜなら、何も覚えていないから。インプットばかりでアウトプットがないと、時間は早く過ぎ去ってゆく。責任がないと、ストレスがないと、何も記憶に残らない。私が得た教訓です。

ですが、1996年の4月から1999年の3月までの3年間はとてもかけがえのない日々でした。なぜならこの3年間も大学の4年間に劣らず私の起業に影響を与えているからです。この3年間に起こったさまざまなこと、例えば読書の習慣の定着、パソコンとの出会い、妻との出会い、ブラック企業での試練は、起業に至るまでの私の人生を語る上で欠かせません。

この三年で、私が得たもの。それは人生の多様性です。小中高大と順調に過ごしてきた私が、会社に入社せず宙ぶらりんになる。それもまた、人生という価値観。その価値観を得たことはとても大きかった。大学を卒業しそのまま社会に出てしまうと宙ぶらりんの状態は味わえません。そして、それが長ければ長いほど、組織から飛び出して“起業“する時のハードルは上がっていきます。人によってそれぞれでしょうが、組織にいる時間が続けば、それだけ組織の中で勤めるという価値観が心の中で重みを増していきます。
誤解のないように何度も言い添えますが、その価値観を否定するつもりは毛頭ありません。なのに私は23の時、すでに宙ぶらりんの気持ちをいやというほど味わってしまいました。そして、宙ぶらりんの状態もまた人生、という免疫を得ることができました。それは後年、私の起業へのハードルを下げてくれました。
起業とは、既存の組織からの脱却です。つまりどこにも属しません。起業とは多様性を認め、孤独を自分のものにし、それを引き受けることでもあります。卒業してからの半年、私の内面はとても孤独でした。表面上はお付き合いの相手がいて、政治学研究部の後輩たちがいて、家族がいました。でも、当時の私は、あっけらかんとした外面とは裏腹に、とても孤独感を抱えていたと思います。

本に救いをもとめる

その孤独感は、私を読書に向かわせました。本に救いを求めたのです。その頃から今に至るまで、読んだ本のリストを記録する習慣をはじめました。
当時の記録によると、私の読む本の傾向がわが国、そして海外の純文学の名作などに変わったことが読み取れます。
それまでの私はそれなりに本を読んでいました。推理小説を主に、時代小説、SF小説など、いわゆるエンタメ系の本をたくさん。ですが、私の孤独感を癒やすにはエンタメでは物足りませんでした。純文学の内面的な描写、人と人の関係の綾が描かれ、人生の酸いも甘いも含まれた小説世界。そこに私は引き寄せられていきました。私はそれらの本から人生とはなんぞや、という問題に折り合いをつけようとし始めました。

もちろん、それを人は現実逃避と呼びます。当時の私が本に逃げていた。それは間違いありません。でも、この時期に読書の習慣を身に着けたことは、その後の私の人生にとても大切な潤いを与えてくれました。おそらく、これからも与えて続けてくれることでしょう。

この時、私が孤独感を競馬、パチンコなどのギャンブル、またはテレビゲームなどで紛らわそうとしていたら、おそらく私がここで連載を持つ機会はなかったはずです。
とはいえ、私はギャンブルやゲームを一概に否定するつもりはありません。きちんと社会で働く方が、レクリエーションの一環で楽しむのなら有益だと思います。ですが、時間を持て余す若者-当時の私のような-がこういった一過性のインプットにハマったら、後に残るものは極めて少ないと言わざるをえません。
私の中の何が一過性の娯楽に流れることを留めたのか、今となっては思い出せません。自分の将来を諦めないため、私なりに本からのインプットに将来を賭けたのでしょうか。いずれにせよ、本から得られたものはとても大きかった。私もこういうクリエイティブな方向に進みたいと思わせるほどに。

次回も、引き続き私の日々を書きます。


アクアビット航海記 vol.14〜航海記 その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前々回からタイトルにそって弊社の航海記を書いていきます。以下の文は2017/11/9にアップした当時の文章が喪われたので、一部修正しています。

違う環境に身を置くこと

もう一つ。起業にとって大きな糧となったこと。その糧は、大学のキャンバス内ではなく、大学の外で得ました。当時、ダブルスクールという言葉がありました。ダブルスクールとは、大学以外の別の学校でも学ぶことを指します。そこに入るきっかけはどうだったか覚えていません。多分、電話セールスだったはず。

世間知らずの私は言葉巧みに会う約束を交わされ、そして契約してしまったのです。正直、その金額は覚えていませんが、80万くらいだったのではないかと思います。しかもあろうことか、私はこの学校の名前を忘れていました。この連載までずっと。トリニティー・アカデミーという学校です。今、調べたところ、名前が変わったみたいですね。しかも当時の勧誘方法に問題があったことまでWikipediaに書かれています。営業の方のお名前や顔も覚えていないし、どういう営業トークだったかも覚えていません。ですが、言葉巧みな営業トークで契約まで追い込まれたのでしょうね。親に払ってもらったことにとても感謝しています。

学校の名前すら憶えていなかったくらいなので、そこでの交流関係は当時も今も全くありません。友人は一人も作れなかったし。ところが、そこで得たスキルが今なお役に立っているのだから、何事もやってみるものです

確かこの学校のカリキュラムはワープロとパソコン、英会話の三コースから成り立っていました。パソコンの授業内容は今から思えばベーシック言語で丸や図形を描くといった、ビジネスではまったく使えない類の授業。英会話も当時ならったスキルが自分にどう身に付いたのか心もとないです(第十二回で書いた台湾一周旅行には役立ったのかもしれませんが)。ですが、ワープロコースだけは違いました。なぜなら、私はブラインドタッチをこのコースでマスターしたためです。私はワープロ検定の3級と2級を持っているのですが、その試験もこの学校で受けました。ブラインドタッチこそ、私が後年、パソコンで身を立てる素地となったのです。

もともと中学の頃から家にあったワープロ(確かSANYO製SWP-330だったはず)で、大名家の家系図作りや、アドベンチャー・ゲームを作っていました(うーん、インドアやなぁ)。ところがキータッチは完全に自己流。とても仕事で使えるレベルではありませんでした。でも、この学校で覚えたブラインドタッチが、私にとって重要な武器となったのです。

これだから人生どうなるか分からない。もちろん、私がプログラミングやシステムエンジニアで食っていくなど、当時は想像すらしません。ましてや起業するなど。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、違う環境に身を置いてみること、と忠告しておきたいです。

アルバイトも社会経験の一つです

最後に糧になったこと。それはアルバイト経験です。

建前をいえば、大学生は学ぶことが本分です。アルバイトにうつつを抜かすなどもってのほか、という声があることも理解できます。その上で敢えて言います。社会経験としてアルバイトは必要だと思います。今、せっかく新卒で入った会社を性に合わないとすぐやめてしまう方が多いといいます。ま、私もあまり人のことはいえませんが。それでも私があえて言うとすれば、大学時代になるべく大変なアルバイトを、しかもいろんな職種を経験しておくべきだと思うのです。そうすれば社会人になってもある程度応用は効くはず。ま、入った会社によってまちまちな環境であることは承知の上ですけどね。

私自身のバイト経験ですが、高校の頃は甲子園球場の売り子、年末年始の年賀状配達ぐらいでした。大学に入ってからはダイエー塚口店で日配食品売り場の整理。プランタン甲子園店で自転車整理。プランタン甲子園店の電機売り場でワープロの販売員。そして都ホテル甲子園を拠点とした配膳スタッフを順にこなしました。特に最後の二つは後年の起業を語る上で欠かせません。

ワープロの販売などやったこともない中で、自転車整理から電機売り場にスカウトされまして。もちろん販売ノウハウなどあるわけありません。私はカシオ計算機の販売スタッフとして、カシオのワープロを売っていました。当時のワープロ市場でもカシオ社製はメジャーではありませんでした。ただ、上に書いた通り中学のころからワープロには親しんでいた私。販売員として店頭に立ちながら、自分なりに工夫して売っていたのです。そして私のセールストークで何台も売り上げることもできました。これは自信になりましたね。商談して提案して販売する快感を得たのはこの時だったと思います。実際、カシオ社からは辞める際に引き留められたくらいなので。

また、最後の配膳スタッフは大学3,4回生の2年間を捧げました。配膳スタッフとは結婚式の料理を配膳するホールスタッフと思ってもらえればよいです。これがまた大変なお仕事。表向きの優雅な給仕とは違い、裏側は体育会系の怒号乱れる現場なのです。時間単価は高かったので大学卒業まで勤め上げましたが、よくぞ自分でも続けたものだと思います。もちろん私は、落ちこぼれの配膳スタッフだったと思います。ミスもヘマも何度もしでかしましたし。

こういうチームワークや協力関係が求められる現場は、私はとても向いていないと思いました。自分の仕事のやりかたや向き不向きを知ったことだけでもとてもよい経験だったと思います。ワープロ販売員と配膳スタッフの経験は、私に社会に出る前に自分の素養を教えてくれました。とても得難い経験です。アルバイト関係の交流は、ダイエー塚口店のアルバイト仲間との交流を除いて、今や消滅してしまいました。残念です。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、社会経験を積め、と忠告しておきたいです。

大学時代のまとめ

大きく四つ、大学時代の私を振り返ってみました。こうやって書いていても、当時の私からは、”起業”して社会に活躍するイメージが全くわいてきません。自分のことなのに。いや、当時は当時なりに頑張って生きていたのでしょう。

キャンバスライフをステレオタイプに分けたとして、体育会系で上下関係を叩き込まれる、サークルでぶいぶい言わせる、学術に没頭して学問の世界にのめりこむ、の三つがあります。でも、私のキャンバスライフは三つのどれにも当てはまりません

でも、当時こそ全く気づいていなかったのですが、今から思えば”起業”するための素養は大学のキャンバスライフで養われていたのですね。起業には直接関係ないので触れませんでしたが、他にも大学生活では今から考えると貴重な経験を積まさせていただきました。本当に関わった皆様には感謝です。遊んでばかりいたように思っていましたが、人生で過ごす時間に無駄なものは一つもない、と逆説を言っておきたいです。

次回は、漂流を始めた私の日々を書きます。


アクアビット航海記 vol.13〜航海記 その2


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回からタイトルにそって弊社の航海記を書いていきます。以下の文は2017/11/2にアップした当時の文章そのままです。

大学に入るまで

1996年の3月。私は大学を卒業します。4年制の大学を無事に4年間で。単位も取得し、卒論も提出した上で。その時の私に唯一足りなかったこと。それが4月からの就職先です。

なぜ、そういう事態になったのか。それは本連載の第12回で書いた通りです。私の自業自得。身から出た錆。それ以外の何ものでもありません。私自身に社会に出るだけの準備が整っていなかっただけの話です。モラトリアム(猶予期間)への願望もあったけれど、それは理由にはなりません。誰の責任でもなく、私自身の甘えが招いただけの話です。

では私は大学の4年間、何をしていたのでしょう。単に親のすねをかじって遊び惚けていただけなのか。それとも何かを目指していたのか。たとえば起業を志すとか、学問の世界で身を立てるとか。内定もとれず、大学を過ごした私に志はなかったのでしょうか。いえいえ、そんなことはありません。

高校卒業後、私は関西大学の商学部に現役で入学しました。他にも甲南大学にも受かったのですが、そちらは辞退しました。では当初から商学部に入学したい強烈な動機があったのか。そう聞かれると答えに窮します。正直なところ、商学部にしか受からなかったから商学部に入った。それだけの話です。浪人も面倒だったし。

高校生の私は環境問題に関心がありました。未熟で世間知らずであっても社会のために役に立ちたいと志す気概は持っていたのです。ところが、環境問題を専攻するには理系の学部に入るしかなかったのです。そして私の成績は完全に文高理低に偏っていました。国語と社会は上位、ところが数学や理科は落ちこぼれ。とても将来プログラミングで身を立てるとは思えない体たらく。高校時代の私にはPCやプログラミングの気配など全くなく、スーパーファミコンやPCエンジンでゲームしていたのがせいぜいでした。そんなわけで、私の志とは違って文系の学部にしか進学できませんでした。

商学部で学んだ起業への素地

でも、商学部で学んだ経験は無駄にはなりませんでした。入った当初はまったく興味がなく、必修の語学については苦痛でしかありませんでした。ところが商学部の専門コースに進んでから、少しずつ興味を惹かれ始めたのです。特に、マーケティング論。興味をもって勉強もしたし、優良可の優をとるぐらいには理解していました。いまでも、地方に旅行すると地元のコンビニやスーパー、道の駅巡りは欠かせません。いろんな商品を見て歩き、パッケージに感動する。それはこの時にマーケティング論を学んだ影響が尾を引いています。簿記の初歩も大学の授業で学び、簿記三級の合格が単位取得条件だったのでそれも取りました。こうやって振り返ってみると、勉強も結構していたのですよね。連載の第12回では、私の大学時代は遊びまくっていたように書きましたが。多分、興味を持った授業はそれなりに出ていたということでしょう。ただ、当時の私を振り返ると、将来起業に役立つと考えて授業に臨んだことは一瞬たりともありませんでした。当時はそこでの授業が自分の人生にどう役立つのかまったくわからないまま。でも、商学部での学びは起業の糧となっているのです。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、大学の授業はおろそかにするなかれ、と忠告しておきたいです。

部活動を率いて学んだ起業への素地

あと3つ、大学生活で得た起業の糧があります。一つは部活動です。商学部の私が、なぜか政治学研究部に所属することになりまして。理由は、高校の同級生が関大の法学部に入り、その彼に誘われただけのことです。3回生になった私は政治学研究部の部長を務めます。いまから考えると部活動内容も学生の戯れに過ぎませんでした。が、なんであれ組織を率いるという経験は貴重です。私は高校時代にもホームルーム長(級長)を2回務めたことがあります。ですが、高校のホームルーム長は担任の先生の指導の下、高校の枠の中の役職でしかありません。ところが、大学の部活動における部長にはとても強い自治権が与えられます。その経験は、後年、私が“起業”する上で良い経験となりました。大学時代の私は今よりも人見知りの気質が強かったと思います。今のように積極的にいろんな集まりに飛び込んでいく度胸もありません。そんな未熟な私でしたが、政治学研究部で培った交流関係や、一緒に実行した数々の無謀なイベントはとても得難いものでした。そういうへんな度胸を発揮したり、枠をはみ出たりする楽しさ。私に大学のキャンバスライフを楽しませてくれたのが、この部での体験でした。政治学を専攻する部なのに。生まれて初めて検便を提出したのも学祭のやきとり屋。生まれて初めて貧血で倒れたのも学祭のプロレス観戦中。生まれて初めて胴上げされたのも学祭の後。学祭も政治学研究部で参加しました。いまだにこの部の仲間とは交流が続いていますし、この時に過ごした皆には感謝しかありません。あと、私が社会に出るにあたり大変お世話になった先輩と出会ったのもこの部でした。この方については私の起業人生に関わってくるのでまた触れたいと思います。

話はそれますが、大学の入学時には馬術部にも勧誘されました。新歓コンパまで出ながら、結局入部することはありませんでした。この時、私が馬術部に入っていたらいったいどういう人生を歩んでいただろう、と思うことがたまにあります。内定なしで卒業したことも含め、私は自分の大学時代に後悔は何一つありません。が、この時、馬術部に入らなかったことはいまだに心残りです。朝早いのがいや、という理由で断ったことなど特に。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、どんな仲間でもいいから、とにかく楽しめ、そしてどんな形でもいいから上にたて、と忠告しておきたいです。

次回は、私のキャンバスライフで得た残り2つの起業への糧を述べてみます。


アクアビット航海記 vol.12〜航海記 その1


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第十一回までは起業のメリット/デメリットを述べました。今回からタイトルにそって航海記を書いていきます。以下の文は2017/10/26にアップした当時の文章そのままです。ただ、今回参照しようとしたところ、すでに元サイトはキャッシュにしか残っていない模様です。それも踏まえ、今回の連載再開にあたっては、5回に一度ほど、起業についてのコラムを書いていこうと思います。

私の起業への歩みは、ノウハウでもコツでもありません

なぜ、私が“起業”したか。なぜノウハウも人脈もない中、起業に踏み切れたのか。それを説明するのは困難です。なぜならなりゆきだったからです。なりゆきに導かれるように起業にたどり着いた。それが私の起業の経緯でした。よくあるように、たった一度の機会を生かし、清水の舞台からえいやと飛び降りた起業ではないのです。もちろん、強固な目的意識もなければ、明確なスケジュールに沿った起業でもありませんでした。ですから、本連載では起業のノウハウは記しません。起業へのわかりやすいステップも示しません。また、皆様に独立のコツやタイミングの指南もしません。いや、“しない”のではなく“できない”のです。私は起業コンサルタントではなく、今後なるつもりもありませんので。

そうなると、本連載って何やねん。というツッコミが入りそうです。こういう場をいただいている以上、何かしらの気づきや手応えをつかんでもらわなくては連載の意味がありません。たぶん、私が本連載で伝えるべきは起業のコツやノウハウなのでしょう。成り行き任せで“起業”したのに10年以上も事業を続けられているのもどこかで起業のコツを実践していたのでしょうし、適したタイミングで手を打ったのもノウハウと言えるかもしれません。私自身が、決して起業の奥義やツボを会得しているわけではないのですが、書き連ねた内容の中からヒントをつかみ取っていただければうれしいです。

大学時代の就職活動で挫折を味わいました。

私には三親等以内の親族が30名強います(妻側の親族は除く)。その中で私の知る限り、自営業や経営者はいなかったように思います。みなさん、公務員や教師や会社員、主婦など堅実な道を歩む方がほとんどです。つまり私は一族の異端児。そういう一族に生まれた私は、世が世なら“起業”せずに勤め人として平穏に過ごしていたと思います。しかも、東京に出ることなく関西にずっと住んでいたはずです。では、何が私を起業に向かわせたのか。それを解くには大学時代にまでさかのぼる必要があります。

浪人もせず現役で大学に入るまでの私は、親の保護下で順調に成長して来ました。が、大学の自由な風は私のリズムを崩したようです。今思えば無軌道なキャンバスライフだったと思います。いや、楽しみました。それに悔いはありません。無軌道で無鉄砲な学生時代でしたが、それでも留年もせず四年で大学も卒業できたのです。ですが、卒業した時の私は、一つも内定を持っていませんでした。これが私の転機でした。小中高大と浪人も留年もなく過ごしてきた私にとって初めての蹉跌。それが就職活動だったと思っています。いまさら振り返っても仕方ないのですが、もしここで普通に就職していたら私の人生行路もずいぶん違っていたことでしょう。

なぜ内定がとれなかったのか。それは私の実力が不足していたことに尽きます。が、それ以前に就職活動をナメていたのですね。いま思えばずいぶんと横紙破りな就職活動だったと思います。リクルートスーツこそかろうじて着ていました。ですが、自転車や車で面接会場まで行ったり、営業ではなく商品企画を希望したり。就職氷河期と呼ばれた真っ只中にありながら、よくぞ甘えていたものです。現在の私が当時の私を面接しても多分落としていたと思います。それでも、いくつかは最終面接まで行きました。そして、最終面接で内定をもらったと勘違いし、それ以降の就職活動をやめてしまうほどに私は若かった。

一つだけ当時の私を擁護させてください。それは、阪神・淡路大震災です。就職活動の年の一月に起きた地震。この地震は私の家を全壊させました。その経緯はブログにも書いたのでここでは繰り返しません。そして、この経験は私の人生観に多大な影響を与えました。人の命のはかなさ。人生は一回きりであるとの達観。そこに、地震を体験したことによる高揚感が加わりました。そんな精神状態で私は就職活動に臨んだのです。そして、あまり断られず順調に最終面接まで行ったのです。そこで就職をナメてしまった。若かったですね〜。

就職活動を辞めた私は、その夏休みを遊び倒します。若狭、広島、福岡、長崎、柳川、厚狭、台湾一周、沖縄。無論後悔はありません。いまでもこの夏の思い出は鮮烈です。そして、この夏の充実は今にいたるまで私の理想の日々です。それ以降、どうすればこの夏のような生活が送れるか、を模索する基準にもなりました。昔はよかったな~、ではなく、この時のような生活を送るために前向きな気持ちで。

1995年は奇しくもITにとってエポックな年でもありました。

この年に起こった出来事は阪神・淡路大震災だけではありません。オウム真理教による地下鉄サリン事件も起きました。当時の私は、大学や駅で宗教に勧誘された経験があったので、宗教からは距離を置いていました。これは現在もかわりません。あと一つ、この年はWindows95が発売された年でもあります。当時の私はパソコンを職業にするなどまったく視野の外。それどころかWindowsにもほとんど興味がありませんでした。先輩から譲ってもらったX68000というパソコンでネット通信を楽しみ、ゲームを楽しむ程度にはパソコンを使っていましたが、仕事でパソコンを使うなど、想像すらしていませんでした。

そんな1995年。新卒で採用される大学生の進路ルートからそれた日々。この年、私の人生に就職活動の失敗という一つの転機が生じたのです。


アクアビット航海記 vol.11〜起業のデメリットを考える その5


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。第七回から今回まで、起業のデメリットを語っています。なお、以下の文は2017/10/19にアップした当時の文章そのままです。

「守られなくなること」

ここまで、起業をつれづれなるがままに語ってきました。何度も書いたように起業のやり方など千差万別。それぞれのやり方があっていいと思うのです。ただ、やり方によっては成功も失敗も両方あり得るのが起業の怖さでもあります。ですから、私は本連載でいう起業を、お花畑に囲まれたハッピーライフとして描くつもりも、イバラの道が続くデス・ロードだけで埋めるつもりもありません。利点も欠点も両方とも書かなくては。そう思いませんか?
ここまでで利点を5回。欠点を5回。ちょうど同じ回数を費やしました。そんなわけで起業の欠点を述べるのは今回でひと段落とします。

ここまで取り上げてきた起業の欠点。それを一言でまとめるなら、「守られなくなること」と言えるのではないでしょうか。学生時代は保護者に守られます。社会人になってからは所属する組織、つまり会社やバイト先から守られます。しかし起業するとそれらがなくなります。守られなくなる、ということは自由の証でもありますが、見方を変えれば失敗が許されなくなることでもあります。

「守られなくなる」とは、例えば

例えば、第7回で書いた時間が不規則になる件です。学生時代は時間割が学校から提示されます。学校が定めた時間割に従っていれば生活のリズムは作れました。社会人になってからもそう。始業時間と就業時間があり、そこに沿っていれば、タスクも割り当てられ、タスクに充てる時間配分も上司の指導のもと行えました。ところが起業すると、時間枠は自分で作っていかねばなりません。指導してくれる上司もいなければ、規範となるルールもありません。あなたがあなた自身の上司を兼ね、あなたがルールを作っていかねばなりません。そうなのです。守ってくれるのは己の力だけ。

例えば第8回で書いた収入が不規則になる件です。学生時代は親の扶養のもとで生活の心配をせずに済みます。就職してもアルバイトしていても一定の収入は約束されます。社会保険や税金の支払いもそう。会社が払ってくれるので、あなたはあまり意識せずに済んでいたのです。ところが、起業するとお金の確保は己の腕一本にかかってきます。定期収入は自分の営業努力で確保せねばなりません。税金の支払いもそう。経理担当を雇う、税理士の先生にお願いする。お願いすれば支払手続きは行って頂けるでしょうが、最終的な支払い責任があなた自身にかかってくるのは同じです。そうなのです。守ってくれるのは己の力だけ。

そして、第9回10回で書いた人付き合いが変わる件です。学生時代は学校の割り振ったクラス分けで人間関係がお膳立てされていました。社会人になったら配属先がそうです。そこを基準に人間関係を作り上げていけばよかったのです。ところが起業すると人脈は自らが構築していかねばなりません。しかも己が信頼に値する人間であると示しながら、です。そして相手が信頼できる人間であると見極めながら、です。信頼を勝ち得られず、仕事が取れない。信頼した相手に裏切られる。そういったことも、すべては自分の責任です。組織にいる間は、組織に守ってもらっていることは意識しません。独立して初めて、組織に庇護されていた境遇を感じるのです。そうなのです。守ってくれるのは己の力だけ。

他にも守られなくなることはあります。それは、あなたご自身の健康です。会社にいると定期健康診断はかならず受けねばなりません。労働安全衛生法にもそう定義されています。ところが、これは正社員、アルバイト、パートなど常時雇用する従業員に対しての義務です。あなた自身は常時雇用されているわけではありませんから、あなた自身の健康診断の義務はないのです。そして、あなた自身の健康診断を受ける義務はありません。ということは、あなたの健康は誰も守ってくれないのです。激務の末に倒れたとしてもそれはあなたの健康管理が悪かったから。という末路が待っているのです。気をつけねばなりませんね。気をつけねば。こう書いている私が一番そう思っています。間違っても倒れてはならないのです。くわばらくわばら。

他にも守られなくなることはあります。それは、あなたご自身の法的な保護です。会社であれば、従業員の監督義務があるため、そうおかしなことはできません。でも従業員もおらず、自分自身で行なう事業であれば、その行為が法的に正しいかどうかは、誰にも注意されません。軽い気持ちでやった行為が実は商法や民法に違反していることだってあるのです。もしそれが摘発されたら、あなたには前科がついてしまう!  それは避けたいですよね。起業はあくまでも正々堂々と。なんの恥じらいも罪の意識もなく、まっとうに活動していきたいものです。また起業すると立場も弱くなりがち。取引相手から違反すれすれの行為を受けることだってあります。請求した金額が入金されないことだってあるでしょう。ですから、そのあたりの知識は持っておかねばならないのです。もちろん法的な書類の取り交わしなど、身を守るべき契約書類はきちんとしておくのが当たり前です。そうしないと仕事をしてもお金が入ってこないことだってありえます。くわばらくわばら。

まだ他にも守られなくなることはあります。それはあなたの老後です。連載の第4回でも書きましたが、生涯を仕事に打ち込むためには起業は有効な選択肢です。でもそれは逆をいえば、退職後の生活保障もされないことでもあります。つまり、老後の貯えは自分で作っていかねばなりません。つまり、起業すると自分の老後を守ってくれるのは自分以外いなくなるのです。年金?  現在、もしあなたが引退後の生活資金を国民年金に見込んでいるのであれば、それは即刻改めるべきだと思います。年金制度が破綻しているとまではいいませんが、この少子化の現状では、どこかで年金改革の波がやってくることは避けられません。その時に年金をあてにしていると、どうにもならない日がやってくる。くわばらくわばら。

それでも私は起業を選びます。

さて、ここまで起業のデメリットを書いてきました。最初にも書いた通り、起業の良い面ばかり持ち上げるつもりはありません。でも、起業の悪い面ばかり煽るつもりもありません。でも、それでも、私は生まれ変わったとして、もう一度起業する人生を選ぶか、と問われれば迷わず「はいっ!」と手を挙げます。ここまで起業のデメリットを知った上でもなお、私は起業を選ぶと思います。それは起業の利点を享受しているからです。

そして、組織に頼り切ってばかりいると、今後起こるAIの波に呑まれたときに何もできなくなります。ですから、この連載を読んでくださっている方の中で、起業のデメリットを知ったうえで、なおかつ起業したい、という方がいれば、私は応援したいです。

次回からは、本連載のタイトルに立ち返り、私自身の歩みを少々語ってみたいと思います。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.10〜起業のデメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。前回、起業前であれば、利害関係が友人との関係にモロに響くことはあまりない、と書きました。ところが、“起業”してからは、その辺りがガラッと変わります。今回はここから続けたいと思います。なお、以下の文は2017/10/13にアップした当時の文章そのままです。

“起業”すると新たな知り合いは増えますが、責任を背負っての付き合いになります。

個人事業であれ、法人であれ、組織のトップである以上、組織の不始末は代表の責任です。責任を分散させ、曖昧にすることは許されなくなります。組織はかばってくれないのです。よく、経営者は孤独だ、という言葉を聞きます。それは責任者である以上、甘んじて引き受けなければなりません。

では、“起業”すると新たな友人を作れないのでしょうか。私の個人的な経験ではそうではありません。むしろ、人と知り合いになれる可能性はより増えます。

“起業”すると、広告塔としての役割を担わねばなりません。トップセールスマンとしての自覚が求められるのです。ということは、外に出かける機会も増えます。セミナーや異業種交流会、パーティーなど。そのような場所に集うのはあなただけではありません。“起業”した方々が同じような目論見で集ってきます。そこでは、“起業”した方だけでなく、“起業”を目指している、または“起業”しつつある人々にも出会えることでしょう。要するに価値観の似通った方が集まるのです。そこで知り合いを作ることはそれほど難しくありません。むしろ、利害の対立がなければ、一生の友人に出会える可能性もあると思います。

ところが、そういった方々は組織のトップであることが多い。従って、利害が対立した時にはお互いが矢面に立たねばなりません。お互いが組織の責任を背負う立場である以上、いざ利害が対立すればたもとを分かたねばならないこともあります。利害が関係構築の邪魔をしたり、仲を引き裂いたりもします。“起業”した皆さんはそれがわかっています。そして、利害を絡めないようなうまい付き合いの方法を模索していきます。ですから、“起業”すると大人の付き合いに長けていかざるをえません。あまりお互いの内部に深く立ち入らず、当たり障りのない話題に終始するような。もっともこれは組織の中で生きていく処世術でもあるため、大人であれば多かれ少なかれ身に着けるスキルなのかもしれませんが。

友人との起業について。

また、信頼できる友人と共同で“起業”する、という事例もよく聞きます。でも、私に言わせるとそれも賛否の分かれるところです。なぜならば、もとからある友人との仲など関係なく、ビジネスである以上は利害が割り込んでくるからです。仮にその友人との関係が、利害とは関係ないところで結ばれた場合はなおさらです。ビジネスの冷徹な利害に直面して、なおも続く友情であればよいのです。が、下手すればせっかく結んだ友情関係だって壊れてしまうかもしれません。

「安心」と「信頼」について。

前回、組織と個人を対比させる際に「安心」と「信頼」という二つのキーワードを示しました。それはどういうことでしょうか。このキーワードは社会心理学者の山岸俊男氏が提唱しています。「安心」とは組織の中の論理です。組織の中でその人物が受け入れられてゆく過程で、組織はその人物を「安心」できる人物として認めます。つまり、組織に属していることは、自らが「安心」できる人物と外部に示すことでもあるのです。一方、組織から外に出て独立することは、「安心」という組織のセーフティネットから出ることと等しい。個人の立場で外に出る時、私たちは自らが「信頼」できる人間であることを示さねばなりません。組織の提供する「安心」のかわりに「信頼」が求められるのです。

新たに知己となった方とお会いするとき、われわれは無意識に「安心」と「信頼」の基準で判断している。それが山岸氏の提唱する主旨です。同じ組織に属しているか、組織の肩書を背負った方であれば「安心」できます。ところがお会いした方が個人事業を営んでいるか見知らぬ会社の代表者であった場合は「安心」はできません。そのかわりに私たちはお会いした方が「信頼」できるかどうかを見極めねばならないのです。利害が衝突するリスクを引き受けてもお付き合いできるかどうか。

学生時代のトモダチには、「安心」も「信頼」もありません。ただ気の合うトモダチなのです。ところが、社会にでると「安心」を基準に仲間が作り上げられます。そして、“起業”すると「信頼」をベースに友人を構築していくのです。ですから、“起業”してから新たに組織を構築する行ないの中には、自らが「安心」できる組織を作りたい希望が含まれている。そんな仮説も可能です。そう考えると、仕事を広げるための体制作りには「信頼」から「安心」への回帰願望があるとみなしても許されるかもしれません。利害が衝突する「信頼」から「安心」へと。

安心から信頼へ。“起業”する前とした後では、あなたが身につけなければならない観念には違いが生じるのです。それこそが私が実感した友人との関係の違いではないかと思います。利害のない中で心を許し合うトモダチ。安心を背負って交際する仲間。そして信頼を武器に付き合ってゆく友人。私の本音は、その区別を取っ払いたいと思っています。「安心」でき「信頼」でき、さらにそこを超えて心を許し合え、本音で付き合える友人。そんな友人を“起業”してからも作っていければ。私は常にそう願っています。

この点をデメリットとみるか、「信頼」を身に着けるチャンスとみるか。それは皆さん次第だと思います。

次回も引き続き、起業のデメリットを語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.9〜起業のデメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。なお、以下の文は2017/10/5にアップした当時の文章そのままです。

人付き合いの質が変わります。

このデメリットを起業前に想定していた方は偉いと思います。少なくとも私には予想外でした。良くも悪くも、人付き合いの質は“起業”すると変わります。公私ともに。何故だかわかりますか?

私にはまだ、その原因の本質は分かりません。たぶん、死ぬまで分からないのでしょう。学生時代の友人と社会に出てからできた友人の付き合い方がなんとなく違う。そう思ったことはありませんか? それと同じく、社会に出てから絆を結んだ友人と、“起業”した後に友情を作った友人もどことなく違います。それが良いのか悪いのか。判断は人それぞれですが、私にとってはそこに差が生じることが問題なのです。

子供のころのトモダチ付き合い。

私にとって友人とは財産です。学生時代につるんだトモダチ。いまでも私は関西の実家に帰ると友人に会って旧交を温めます。そんな時、一気に若返ったように話が弾む。みなさんも思い当たる節があるのではないでしょうか。 もちろん、社会人になってからの仲間もかけがえのない財産です。また、“起業”してからできた友人ともこれからずっと仲良くしたいと願っています。社会人になってからの仲間も“起業”してからの友人も、子供の頃に培ったトモダチのように付き合いたい。そこに私の本心はあります。

本稿を書き始める前日、私は某BARで月一回恒例の独り呑みを楽しんでました。何も背負わず、個人の立場でフラっとBARに入り、お酒を楽しむ。私にとっては欠かせない憩いの一瞬です。だんまりの時もあれば、マスターやバーテンダーさんや常連客と話が弾むこともあります。昨夜の場合は後者でした。そこで知り合ったのが、誕生日から運勢や性格をみてくださる方。その方がおっしゃるには私は無邪気な少年の心を持った人、だそうです。

いまなお少年のような心を持ち、当時のようなトモダチ付き合いがしたいと願う。それが現在の私。だからこそ、大人になってから仲間や友人たちの間に挟まる薄紙一枚の仕切りに敏感になるのかもしれません。たかが薄紙一枚。でも、私にとっては壁にも等しい。なぜそんな薄紙にトモダチの付き合いを邪魔されるのか。その理由を考えてみました。

それは、利害が絡むから、ではないでしょうか。仕事をすること。そこにはお金が関わります。利害もからみます。責任がのしかかります。仕事を完遂するにあたっては、友情よりも優先されなければならないものがあるのです。それが、学生時代のトモダチと、大人になってからの仲間や友人との違いだと思います。

トモダチには利害など関係ありません。もちろん、美しいだけではありません。子供心にけんかも嫉妬も行き違いもそれなりにあったはず。なぜ、あいつだけ先生の覚えがめでたく、級友から仲良くされるのか、といった想い。そんな微妙な利害の綱引きはあったかもしれません。人によっては大人顔負けの打算で友人を演じていた人もいたかもしれません。でも、そこには大人になってから味わうようなビジネスの冷徹な論理はありません。だからこそ、いまでも会って話すと懐かしさを感じるのです。貴重なのです。

社会に出てからの仲間付き合い。

ここまでの内容で、学生時代のトモダチと、大人になってからの付き合いに違いがあることはおぼろげに理解しました。では、社会人になってからの仲間と“起業”してからの友人には違いがあるのでしょうか。私はあると思っています。では、何がどう違うのか。私はその違いを組織と個人の違いに求めました。あるいは安心と信頼の違いと言いかえてもよいでしょう。

社会に出た後、たいていの人はどこかの組織に入ります。新卒で採用されたり、私のように卒業すぐに就職しない方は派遣先だったり。夢を追いつつバイト生活で生計を立てる場合もバイト先や夢追う仲間たちとのコミュニティが組織にあたります。そういう場所で、いったん社会のルールを学び、社会に溶け込んでいくのです。まず組織の一員となることが一般的であると思います。そして、組織の一員としての立場で、新たに友人との関係を構築していく。その関係には利害の絡む場合とそうでない場合があります。利害が絡まない場合はいいのです。趣味や異業種交流会や合コンなどで知り合った友人との関係ですね。利害の発生しない付き合いなら学生時代のノリでつきあえることでしょう。

でも、場合によっては利害が発生するかもしれません。例えば、取引社の担当者同士で交流を結ぶ場合です。商談しているうちにウマが合って仲良くなる。よくある話です。でも、仕事上の関係は利害をはらんでいます。もし万が一納期が遅れ、片方がもう片方に迷惑をかけた場合など、モロに利害関係が噴出します。ただし、利害が衝突しても、個人にそれらの責任が問われることはあまりありません。なぜなら組織の一員だから。個人として謝罪の気持ちを表すのは当然ですが、法的責任が個人に及ぶことはそうそうありません。もっとも法人格の種類にもよりますし、個人として懲戒処分に相当するようなトラブルを引き起こしたらそれは別の話。ただ言えるのは、基本的には組織の一員である以上、利害が付き合いにモロに響くことはあまりないということです。利害関係といってもたかが知れているのです。

ところが、“起業”してからは、そのあたりがガラッと変わります。

次回も引き続き、“起業”した後の人付き合いの違いについて語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.8〜起業のデメリットを考える その2


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。なお、以下の文は2017/9/28にアップした当時の文章そのままです。

定期収入の優先がほとんどの方の本音です。

安定した収入が見込めなくなる。これこそ、ほとんどの方が起業に二の足を踏む原因ではないかと思います。実際、“起業”すれば不定期な収入を覚悟しなければなりません。間違いなく。

勤め人であれば、毎月の収入額はほぼ決まっています。しかも正社員としての雇用契約の元で働いているのであればなおさら。給与テーブルに応じた額があり、それに諸手当が加算されます。ベースアップがあれば給与は底上げされますが、給与テーブルベースとした額であることは変わりません。変動する要素があるとすれば、残業時間に応じた時間外手当か、部門や個人の業績に応じて考課され、支給されるボーナスの大小でしょうか。

我が国の世帯の家計も、定期収入に基づいて設計されることが一般的のようです。特に定期的な支出については、定期的に定まった額の収入が入ってくる前提で計画されます。公共料金や租税公課の支払いが月単位になっているのも、給与が毎月一度支給される慣習があるから、といってよいでしょう。家賃やローン、光熱費に通信費、学費、習い事、保険。だいたいが月単位で支払われます。配偶者や扶養家族の有無によって違いはあるでしょうが、毎月決まった額が財布から世間へ旅立っていくのです。

毎月発生する支出の重みは、家庭を持っていればより感じられることでしょう。そのような毎月決まった額の支出ができるのも、毎月決まった額が収入として見込めるからです。ローンの審査にあたっては、毎月の返済能力が重要視されるといいます。また、分割払いのオプションでボーナス払いが一般的なのも、金額の多寡はともかく、夏冬2回の賞与が一般的に設けられているからです。「宵越しの金はもたねぇ」とたんかを切れるのも財布に金があるから。金もないのに宵越しも何もあったものではありません。事前に収入があるから使い果たせるのです。「マスター、今日はツケといてぇや」と言えるのも先に支払っていた実績があるから。そうでなければ、皿洗いの刑が待っているだけの話。

起業すれば不定期収入が主となる。

“起業”するとは、定期収入の道が絶たれることを意味します。当たり前です。“起業”したら、あなたがあなた自身に給与を支払うことになるのですから。支払うためにはそれ以上の額を稼がなければなりません。ない袖は振れないのです。毎月決まった額の支払いが必要なのに、毎月決まった額の収入が見込めない。これは大問題です。だからこそ、”起業”してからも定期収入が得られるよう、皆さんあの手この手を模索するのです。私のように請負契約として大手企業の末端で作業したり、顧客と定期保守契約を結んだり。何とかして定期収入を維持しようとするのです。

本連載の第一回で、私はこう書きました。「そもそも“起業”できたとも思っていない」と。そう書いたのは理由があります。上にも書いたとおり、私は個人事業時代の多くの時間を大手企業の末端の現場で仕事して過ごしました。毎日同じ場所に通い、毎月決まった額の収入を得る。もちろん、勤務形態に応じていろいろなパターンはあるでしょう。ですが、情報技術業界にいる私を例に挙げれば、大手企業の開発現場に毎日通い、開発や設計に従事していました。つまり、はたからみれば私の日々の行動や金の流れは勤め人と変わらなかったのです。ただ違うのは契約形態が請負か正社員かどうかだけ。または職務や職能が違うだけ。そういう状況を自分で一番わかっていたからこそ、私は真の意味では独立も起業もできていないと書いたのです。(なお、補足しておきますと、本原稿がアップされたのは2017年9月末です。私はその直後の10月から常駐現場を離れました。その意味ではようやく独立・起業が達成できたわけです。)

本来なら起業とは独立自立の姿であるべき。ですがそれは理想の姿です。実際は“起業”したとはいえ半独立の方が多いのではないでしょうか。私自身がそうだったのですから。私が属する情報技術業界を例に挙げると、大手システム案件の開発現場には同様の方が多いように見受けられます。システム請負会社の社員でなければ、多くは個人事業の主か社員が一人だけの法人代表として頑張っていることが多いようです。なぜそうした方が多いかといえば、上に書いた通りです。定期収入が見込めるから。

実際の話、定期収入のあるなしでは経営にも家計にも多大な影響があります

起業すれば支払うべき金額も増える。

しかも、“起業”するとさらに払うべきお金は増えます。それは所得税や住民税などの税金、会社が加入している公的年金、さらに健康保険や雇用保険などの保険料などです。会社に正社員として勤めていれば、そういった支払いは会社が立て替えておいてくれます。毎月の給与のうち、決まった額が会社によって支払われているのです。つまり、サラリーマンは手取り額以上の額をもらっているわけです。え?知らなかった? 大丈夫。私も会社に勤めていた頃はほとんど興味なかったですから。そんなものに興味は湧かないですよね。

ですが、“起業”した以上はそれらモロモロの支払いを自分でしなければなりません。それは上に挙げた支出項目に限りません。租税公課だってあります。支払うべき項目が増えることは、元手となる資金がより重要になってきます。手元の資金の増減に敏感にならざるをえません。勤め人の頃と違って収入が不安定になり、なおかつ支払うべきお金は増える。この点をおろそかにしてはなりません。怠ると苦労します。わたしのように。

金銭にまつわるストレスは人によって違うはずです。それは、人によってはとてもつらいはず。特に家族を持つ人にとってはなおさらです。収入が不安定になれば、家族にまでそのしわ寄せがいきます。家族に嫌な思いはさせたくない。だからこそ起業を望まず、つらかろうとも会社勤めを続ける方がほとんどを占めるのです。もしくは“起業”したとしても、実質的には勤め人と同じような働き方に甘んじるか。

起業に向けての最大の障壁。それはまさに、安定収入の確保にあると思います。逆に、安定収入のめどさえつけば、起業に向けてのハードルは下がります。または不定期収入であってもサラリー額を軽くしのぐだけの金額を得るビジネスモデルを確立するか。それらをどうやって得るのかは、熟慮と実力、それにつきるのです。

そんなことを書いている私自身が、熟慮することなしに独立へ踏み出しました。そして今もなお、試行錯誤を繰り返しています。その辺りの経緯については、おいおいつづっていくつもりです。

次回も引き続き、起業のデメリットを語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.7〜起業のデメリットを考える その1


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。今回からは、起業のデメリットを語りたいと思います。なお、以下の文は2017/9/21にアップした当時の文章そのままです。

起業のデメリットを考えてみましょう

第一回でも触れましたが、“起業”しようと意気込む人は、あまり悪い方向には考えません。考えるとしても、せいぜいシミュレーションや想定上のこと。いわゆるマイナス思考やネガティブ思考にとらわれることを恐れるあまり、悪い感情にひたらずに起業に踏み切るものです。そのため、後ろ向きのイメージを抱かずに起業に踏み切っていく。論理やデータでは起業についてまわる悪いことを想定していても、起業のダークサイドを感情で味わった上で“起業”する人は少ないと思います。

私もこのような偉そうなことを書いていますが、成行きで“起業”したため、悪いイメージはまったくもたず、逆に前向きなバラ色起業生活のワクワクもないままの起業でした。どちらの方向にも先走りせず、感情面のシミュレーションが希薄なままの起業だったので、こんなはずでは、という失望にはあまり陥っていません。それが私が10年以上も独立していられる理由なのかもしれません。とはいえ本連載では起業の良い面だけを語るのではなく、悪い面も伝えておくのが使命だと思っています。

この連載をお読みいただいた方の中には、起業の欠点も知り、起業を取りやめる方もいらっしゃるでしょう。または起業のメリットを知り、“起業”したいとの大志を抱いたにもかかわらず、自分に起業は向かない、と組織にとどまる方もいることでしょう。それでいいのです。“起業”したから偉いとか、組織の中で現役を全うしたから偉くないとか、関係ありません。あくまでも人生はその本人のものなのですから。

ただ、起業のデメリットを知ったうえで、なおかつ起業に踏み切る人を私は応援したい。そして、“起業”した方には、社会的にも道徳的にも道を外さず、それでいて私の稼ぎなどあっという間に抜き去っていくぐらいの気概で頑張ってほしいと思います。自分の夢と健やかな家族と会社の利益を両立し、なおかつ起業からはじめて、徐々に会社を大きくしていった方のことは心から応援したいと思っています。

む、また話が堅苦しくなりつつありますね。いけません。ゆるく永く、でしたね。

まずは肩の力を抜き、ありがちな嫌なこと、から語っていきましょう。

生活が不規則になるでしょう

本連載の第二回で、起業の利点としてラッシュから解放され、毎日違った過ごし方ができると書きました。これは逆をいえば、毎日が不規則になることを意味します。なぜ不規則になるかというと、一人で背負い込まねばならない仕事が増えるからです。いったん、ここでいう起業は個人事業を指すとお考えください。個人ですから、一人で営業に向かいます。一人で製品を作り、一人で請求書をおこし、一人でトラブルや問い合わせ対応にあたります。独りで責任を負うわけですし、最初は資金もありません。人を雇えない以上、すべてが自分にかかってきます。 時には納期が急な案件が同時に来てしまうこともあります。複数案件のご依頼をいただくこともあります。そこをコントロールすべきなのはもちろんです。でもそこが、安定した会社勤めと違う起業の宿命。将来のことを考えると受けられる案件は断らずに受けてしまうのです。そして、トラブルや問い合わせ対応は個人でコントロールができにくい種類の作業です。それをこなそうとすれば、定常業務と重なります。そして定常業務が遅れていきます。それを挽回しようと思えば不定期作業に踏み込むしかなくなっていきます。つまり悪循環に陥るのです。

なぜ生活が不規則になるのか

そんな状況で、毎日を規則正しく送れる人がいたらその方は超人です。毎日23時には就寝して、7時に起きるという生活は、ほぼ無理と思ったほうがよいでしょう。もちろん、健康あっての“起業”ですから、健やかな睡眠は重要です。ですが、実際はなかなか理想通りにはいきにくい。難しいのです。もちろん、“起業”した職種によってその点は違います。例えば店舗を構え、来店するお客様からお代をいただくような職種の場合は、営業時間を前もって決めておくことで、規則正しい生活は維持できるでしょう。しかも作業が開店中に完結してしまうような職種の場合は、なおさらです。

でも、“起業”した当初は人もおらず、不規則な日々を逃れられないと思います。たとえばレジを締め、ジャーナルを出力し、会計を合わせ、夜間金庫に入れるためのお金を数える。これは営業時間後にやる作業です。きちんとした方は日報を書いて日々のおさらいをし、翌日の予定を立てて準備を怠らないでしょう。その時間は営業時間後に行なうため、時間も伸びます。さらにそれは、その業態で何十年後も安定したお客様が来てもらえればの話。実際は新たな商圏や商材を仕入れ、勉強する時間も必要です。起業とは常に勉強が求められるのですから。

また、曜日の感覚もあいまいになるでしょう。週休二日制が維持できるかどうかはあなた次第です。日曜日は安息日、といった能書きも“起業”すればどこかに飛んでいくかもしれません。それこそ、起業前には毎週日曜日に感染できていたサザエさん症候群が懐かしく思えるほどに。起業後はちびまる子ちゃん症候群という言葉も忘れてしまうことでしょう。“起業”すると、先に済ませられることは済ませておかねば、という思いに駆られます。なぜなら、いざ作業が重なるとどうにもならなくなるから。そのため、少し暇ができればテレビよりも目の前の作業に向かいたくなります。曜日が不規則になるということは、さまざまなことができなくなります。例えば、“起業”する前に勤しんでいた地元の少年野球のコーチ。見たいテレビ番組、生のスポーツ観戦、子供たちの習いごと送迎、その他その他。起業前に確保できていた余暇や家族との時間すら奪われかねません。

“起業”して最終的な責任者になるということは、部下や下請け業者からの相談ものべつ幕なしにやってきます。お客様からの連絡だって時間を問わずやってくるはず。家族の時間に、容赦なく仕事は入り込んできます。家族との時間は、家族を持つ方にとっては切実な問題のはずです。自由な時間を求めて“起業”したのに家族との時間が奪われる。これは、家族との時間も大切にするという本連載の意図からも外れます。実際、私もこの罠にはまりました。いまだに子供たちには悪いことをしたと思っています。

生活が不規則になる。そのことは“起業”する前は頭では想像できていても、実感としては分からないものです。我が国の場合、在宅作業はまだ根付いていません。仕事は会社でやるもの、という意識が強いです。そんな風潮にあっては、プライベートに仕事が入り込むことは、あまり歓迎されません。いくら工夫によってプライベートとパブリックが分けられるとはいえ、実際は公私混同になってしまいがちです。

それを防ぐには、前もって、ご自身のライフスタイルを見極めておくとよいでしょう。私のようにテレビ番組に興味がなかったり、定期的な課外活動に興味がない場合は、“起業”してもストレスを感じません。そして、あまり不規則な生活も苦にならないかもしれません。家族がいるか、親族の介護などは不要か、についても想定しておいたほうがよいでしょう。特に、家族とは事前にじっくり相談しておいたほうがいいと思います。私の場合は妻が個人事業を生業としていたので、理解は得られましたが。

次回も、起業の欠点について取り上げていこうと思います。


アクアビット航海記 vol.6〜起業のメリットを考える その5


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回は起業を前向きにポジティブにとらえた視点での利点を述べました。今回は、私からみれば利点とは必ずしもいえないのですが、一般的には起業の利点として語られることについて語りたいと思います。なお、以下の文は2017/9/14にアップした当時の文章そのままです。

人間関係に煩わされません

「組織の悩み」と掛けて、「しあわせ」と解く。その心は「し(4)がらみ」。のっけから下手ななぞかけで失礼しました。仕切りなおして組織の煩わしさを問います。その答えは人間関係。それもそのはずで、たくさんの人が毎日一緒に集まって仕事するのが組織なのですから。当然、ソリやウマの合う合わないという問題が噴出します。組織の中で働く皆さまの悩みごとです。少しでも組織の中のしがらみを円滑にするため、いろいろな工夫が凝らされています。飲み会を開き、ゴルフに出かけ、ランチ会でおしゃべり、喫煙所でモクモク。涙ぐましい努力をしても、組織にいるのはものわかりの良い上司や趣味の一致する同僚、意を汲んで仕事をしてくれる部下だけとは限りません。理不尽な上司、敵意をむき出しにする同僚、無関心でシラケる部下に出会うこともあります。そうなっても組織の中の関係を円満にすることは何よりも優先されます。その労力たるや本業よりも大変。そこから脱出したいがために独立に踏み切る、というのも聞く話です。

確かに“起業”すれば、組織の人間関係からは逃れられることでしょう。その意味では起業の利点なのかもしれません。でも、“起業”しても仕事の上の関係は引き続きついてまわります。むしろ、組織の中のほうが潤いのある関係が維持できるかも。組織の中で人は、円滑に機能させようと無意識に配慮という潤滑油を分泌させます。それは日本人が長年培ってきた和のココロのなせる業。

しかし、そんなウェットな関係を嫌う人もいます。そんな方がウェットでなくドライな関係を求めるために“起業”したとします。ウェットな関係から逃れ、ドライでビジネスライクな最小限の付き合いで世渡りできる? そう思ったあなたは、アテが外れることでしょう。というのも“起業”した後にこそ、そういうウェットな配慮が一層必要となるからです。お互いが普段離れているということは、普段は乾いた関係なわけです。ならばこそ、いざ会ったときにたっぷりの潤滑油が必要になるのです。私の意見では、SNSがこれほどまでに支持された理由が、離れていてもお互いの話題で潤う関係が築けるからだと思っています。だからこそ、同じ組織にいる人同士では、SNSの関係が構築されないのです。

もちろん、人には相性があります。大量の潤滑油を分泌してもかみ合わない人もいるでしょう。SNSでも全く接点が発生しない人もいるでしょう。どれだけ顔を合わせてもこの人とはきしみ合うしかない、つまり相性が合わないという方は誰にでもいるはずです。起業とは、そんな人とたもとを分かつことのできる手っ取り早い手段であることは確かです。反りが合わなければ一緒に仕事をしなければいいのですから。それは起業の利点です。

ですが、仕事の成功とはタスクの達成よりも人間関係が円滑であり続けたか、という金言もあります。私が今考え付いた金言なのですが。この言葉は“起業”した後の方がより実感できます。“起業”したからといって人のつながりから逃れられると思ったら大間違いです。その点では起業のメリットは薄いと言わざるをえません。

お金に融通がきく

これは、起業の甘い側面しかみていない意見です。もちろん、組織に属していると給与テーブルの枠の中に納まった額しかもらえません。手当とボーナスの増減に一喜一憂するサラリーマンと違い、“起業”すればダイナミックなお金のやりとりができる。確かに頑張り次第、工夫次第でお金は稼げます。ですが逆を返せば、努力や創意が足りなければジリ貧にも陥るのです。お金に融通がきくとは、逆に言うと振れ幅も激しいことを意味します。潤沢にも登れば、貧窮にも陥るのです。

ただ、お金に融通が効くかどうかは、月給取りの皆さんも一緒です。自分の働きが組織の業績アップにつながった場合はボーナスで報われます。また、自分ではない方が起こした不祥事で業績ダウンをこうむり、ボーナスがなくなる不運を呪うのか。それに納得できるかできないかはあなた次第です。

お金に融通が効くか効かないかは、“起業”していようがいまいが変わりません。ただ、組織の場合は全く自分の部署に関係ないところが起こした不採算が、自分の部門にも影響を及ぼすこともあり得ます。それが組織なのですから。その点、自分の頑張りがお金に直結するのは起業の利点の一つとしてもよいでしょう。

お金については、起業の欠点としてあらためて取り上げたいと思います。

定年がない

定年がないとは、シビアに言い換えると死ぬまで働け、という意味です。勤め人には長年のねぎらいと老後の資金として退職金が支給されます。それが通例です。ですが、“起業”した場合は退職金はありません。なので、定年がないことを、利点に数えるのは早計だといえます。もっとも、退職金が出せるまでの組織を立ち上げられれば別です。または退職金がなくても、事業を清算した際に蓄えた資金を自分の老後資金に充てられれば。

もちろん、先に書いたとおり、働くことが大好きな方にとっては死ぬまで働けることは幸せでしかないはず。これを利点ととるか欠点ととるかはその人次第です。

次回から、起業の欠点について取り上げていこうと思います。


アクアビット航海記 vol.5〜起業のメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回は、人生観の観点で起業の利点を取り上げました。今回は、正面から起業の利点を取り上げたいと思います。なお、以下の文は2017/9/7にアップした当時の文章そのままです。

起業の利点をさぐる

今までで三回にわたって起業の利点について述べました。逃避できるから起業、責任をより引き受けたくて起業、人生観に急き立てられて起業。それぞれが立派な理由だと思います。でも、これらの理由はどちらかといえば受け身の立場です。ラッシュが嫌だから、好きなときに好きな場所に行けないから、チャレンジをせずに人生が終わっていくのがいやだから。でも、それだけでしょうか。”起業”する理由は他にもあるはず。もっと前向きで建設的でアグレッシブな理由が。

やりたいことができるのが起業

それは、やりたいビジネス、やりたい社会貢献のための起業ではないでしょうか。現在、あなたがこのプランを社会に問いたい。このビジネスで社会に貢献したい。そんなアイデアを持っていたとします。このアイデアをどうカタチにするか。ここに起業が選択肢として挙がってきます。

あなたが例えば学生なら、いまはそのアイデアをカタチにするため最大限に勉強すべきでしょうし、もし会社に雇われていれば、会社を利用すべきです。社内起業制度があればそれを利用しない手はありません。最近は徐々にですが副業を認める会社も増えています。もし副業のレベルでなんとかなりそうであれば、会社にいながらアイデアをカタチにするのもありです。むしろ、会社の力を借りたほうが良い場合もあります。

でも、所属している企業にそういった制度がなく、思いついたアイデアが企業の活動内容と違っている場合、起業を選択肢の一つに挙げてもよいのではないでしょうか。もしくは、背水の陣を敷くために会社を辞めるという選択肢もあるでしょう。どちらが正しいかどうかは、人それぞれです。やりたい内容、資金、原資、準備期間によって起業のカタチもそれぞれ。どれが正しいかを一概に決めることはできないはず。

とはいえ、やりたい仕事が副業で片手間にやれるレベルではなく、属している会社の支援も見込めないとなれば、残りは起業しかないと思うのです。そこまで検討し、悩んだアイデアであれば、“起業”しても成算があるに違いありません。あなたが問わねば誰が世に問うのでしょうか、という話です。

繰り返すようですが、そのアイデアを元に起業に踏み切るのは、属する企業ではアイデアが実現できず、起業しか実現のすべがない場合です。本連載は起業を無責任に薦めるのが趣旨ではありません。しかし、あなたのアイデアの芽をつみ、他の人に先んじられるのをよしとするつもりもありません。企業に属していてはアイデアが世に出ないのであれば、起業はお勧めしたいと思っています。

やりたいことも成果があってこそ

“起業”すれば、あとはあなたの腕にアイデアの成否はかかっています。自分が食っていけるアイデア、誰も思いついていないアイデア、社会にとって良いと思えるアイデア。存分に腕をふるってもらえればと思います。あなたのアイデアに難癖をつける上司はいませんし、やっかむ同僚もいません。アイデアを盗もうとする後輩もいないでしょう。もちろん、ベンチャー・キャピタルや銀行、または善意の投資家におカネを出してもらう場合は、きちんと報告が必要なのは言うまでもありません。やりたいことができるのが起業とは書きましたが、お金を出してもらった以上は成果が求められるのは当たり前。でも、あなたのアイデアがカタチになり、それが世に受け入れられて行く経過を見守る幸せ。これをやりがいといわず、なんといいましょう。自分のアイデアを元に、世間に打って出ていく。そしてそれが受け入れられる快感。この快感こそが何にも増して“起業”する利点と言ってよいでしょう。

もちろん、アイデアと意欲だけでは起業はうまくいきません。理想は現実の前に色を失っていきます。それがたいていの人。理想やアイデアを世の中に問うていくためにも、ビジネススキルは必要です。泥臭く、はいずるようなスタートになることでしょう。苦みをかみしめ、世知辛さを味わうこともあるでしょう。起業なんかしなければ、と後悔することだってあるでしょう。そんな起業につきものの欠点は本連載でもいずれ取り上げる予定です。アイデアだけでビジネスが成り立つほど甘くはないのですから。でも、そんな厳しさを知ったうえでも、このアイデアで世に貢献したいのであれば、ぜひ試すべきだと思います。

そして、アイデアは慎重に検討し、楽観的な憶測や他の人の善意に頼らないことです。地道で地味な日々があります。スタートアップで脚光を浴びるのはほんの一部。それをベースに考えておくべきなのかもしれません。でも継続は力。いずれは実を結ぶはずです。実際、私は画期的なビジネスモデルも脚光を浴びるプレゼン能力ももっていませんが、地道に経営を続けられているのですから。

次回、起業のメリットとは言い切れないが、一般的には利点とみなされていることを探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.4〜起業のメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/31にアップした当時の文章そのままです。

起業とは、人生観にも関わってきます。

第三回で、“起業”すると自分自身に対する責任が持てる、ということを書きました。そこでいう責任とは、あくまで仕事に対する責任です。でも「生きる」とは、仕事だけを指す営みではありません。プライベートや家族、老後のことまで含めて「生きる」のが人生。仕事に生きて、家族と生きて、自分を生きるのです。ここに男女や国籍は関係ないと思います。

これは私の個人的な感想ですが、日本人はこの使い分けが不得手なように思います。公私の境目をあいまいにし、プライベートな時間にも仕事を持ち込む。それは、一昔前は日本人の勤勉さの美徳でした。私は何もこの美徳を否定しようとは思いません。ですが、人は仕事のみに生くるにあらず、であることも確かです。人は家族や自分自身や社会によっても生かされているのです。ここが後回しになっていたのが、高度経済成長期の日本でした。その時期はどんな仕事に就いていても社会自体が成長したからよかったのです。三種の神器、いざなぎ景気、ジャパン・アズ・ナンバーワン。右肩上がりで成長する日本に自分の働きが貢献できている、と実感できた時代。でも、もうそういう時代は終わってしまいました。

生涯を仕事に打ち込むために

もちろん、社会がどうあろうと仕事の鬼として生涯を仕事に捧げるのも一つの生き方です。ですが、それが成り立つのは生涯のすべてを仕事に捧げられた場合です。普通の勤め人には、どうしても定年や引退が付いて回ります。いざ引退してみると、現役時代に仕事一徹だったためにプライベートな付き合いがなく、家族も顧みなかったため家にも居場所がない、という話が、よくドラマや映画でも描かれました。勤め人は会社や組織の一員である以上、新陳代謝の対象となっていつかは去らねばなりません。去った時点で築き上げたキャリアは終わります。生涯を仕事に捧げられるのは、強大な創業者にのみ許される特権なのかもしれません。

一方で、個人事業主や創業者には引退や定年が事実上ないと言ってよいでしょう。引退は自分の意思次第です。起業のメリットを手っ取り早く述べるなら、定年がないことを力説してもよいぐらい。好きなだけ仕事をしていられる。それは仕事が好きな人にはたまらないメリットです。

ただ、起業のメリットをそれだけに求めるのはもったいないと思います。起業の利点とは、そんな安易なものではありません。起業には人の生き方や人生観にまで関わる長所があるのです。

それは、自分の人生をどう律するか。自分の人生をどうマネージメントしていくか、ということです。それこそ、仕事に生きるか、家族と生きるか、自分を生きるか、のバランスです。まずは、生涯を一人の仕事人としていきるための起業を語ってみたいと思います。

自分自身の人生を生きるために

第一回でも書きましたが、人は人、自分は自分であり、誰にも他人の人生を代わりに生きることはできません。死ぬときは、すべての人が等しく独りぼっち。枕元に大切な人がいようが、何人に囲まれていようが、独りで死ぬことに変わりはありません。その際に自分の人生をどう総括するか。それはそれぞれの人によって違います。組織の中で働き、老後は悠々と日々を過ごす余生。生涯現役を全うする人生。若い時に無頼な生き方を貫き、それがもとで老後は青息吐息の中に消えるような死に方。それぞれが一人ひとりの人生の幕引きです。それぞれの人生、それぞれでいいと思います。大切なのは、死ぬ間際に自分の人生を後悔しないことに尽きると思います。自分の人生を一番知っているのはあなた自身のはず。他人から見た自分の人生がどうだったか、はどうでもよいのです。そうではなく、自分自身で振り返った自分の生涯がどうだったか。それを満足できるかどうかが肝心なのだと思います。漫画「北斗の拳」に登場するラオウのように「わが生涯に一片の悔いなし!!」と天に拳を突き上げ叫べれば、その人の人生は成功なのです。

ところが、それはラオウだからこそ言える話。ケンシロウという良き強敵(とも)と全力で戦い、敗れたラオウ。拳の道、漢の道を突き詰めた人生を歩むことができたラオウにあって初めて悔いなし!と言えるのです。北斗神拳の後継者をケンシロウと互いに争い、その生涯と遺志を伝えるに足る漢に人生を託せた思い。ラオウの言葉にはそういった思いが込められています。ですが、私のように普通の人はそこまでの出会いや強敵(とも)に会えるとは限りません。拳の道どころか、人生も学習も突き詰められずに終わっていく人も多いでしょう。それまでとってきた選択の中には後悔もあるでしょうし、反省もあるはず。私にも失敗や後悔はたくさんあります。

各分野で名を遺した人の伝記を読むと、二十歳前後で何らかの転機に出会っていることが多いようです。伝記になるほどの人は、その転機を経て努力の末に功成り名遂げた方です。一方、現在のわが国で男性の生涯をモデル(理想)化するとすれば、大学を卒業して新卒で採用され、そのまま定年まで勤め上げることのようです。女性の場合は、新卒で採用され、結婚を機に退職すること。そのモデル(理想)の中には、上に挙げたような転機は見い出せません。転機とは例えば、十代のうちにスポーツや芸術で自分の才能を見出され、その世界で強敵(とも)を見つけるようなことです。

そういう転機に若くして出会えた人はよいのです。でも、そんな方はそう多くはありません。私のように二十歳を過ぎてから自分の中に目覚めた独立心をもてあます人もいるはずです。その気持ちを押し殺し、社会や家族のために捧げる人生もまた尊い。でも、私はそのメンタリティに一度目覚めた以上、自分の生涯に悔いが残ると思いました。私と同じように、人生観につき上げられ、何かに飛び込みたいと思った場合、”起業”は一つの手段となりえます。これは”起業”したから偉いとか、定年まで会社で勤め上げた人を貶めるというような狭い意味ではありません。何度も言うように、生き方とはその人自身が引き受け、味わうものなのですから。ただ、私のように起業を選択した人は、人生の目的の一つに仕事を選んだわけです。私もいまだに成長途上ではありますが、定年にさえぎられず仕事に打ち込める起業が一つの選択肢であると思っています。

次回、さらにほかにも起業のメリットがないか探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.3〜起業のメリットを考える その2


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/24にアップした当時の文章そのままです。

起業の利点を活かすために

私自身、社会人であっても勉強を続けることは当然と思っています。むしろ学生時代よりも勉強が必要になるほどに。もちろん、会社より給金をもらっている身では、仕事中に堂々と勉強することは許されません。でも日々の業務の中や職場の雑談、プライベートの時間から得られるものはいくらでもあるはずです。それをどん欲に取り込むかどうかでそのあとの人生が違ってくるでしょう。これは“起業”していようと会社勤めだろうと変わらないと思います。

でも、会社の中で仕事をしているだけでは得られない勉強があるのも確かです。それは展示会やセミナー、異業種交流会など、会社の外でしか得られない体験です。交流会は夜に開催されることも多いので、勤務時間の後に出席できるかもしれません。でも、展示会やセミナーは日中に開催されることがほとんどです。担当する仕事にもよるのでしょうが、仕事の都合で行けない方は多いでしょう。でも、仕事に没頭している間にも、外の世界では豊富な情報が展示され、話され、交流されています。そして、そういった情報は、会社の外に出向かなければ逃してしまうのです。高度経済成長期の我が国では、組織の中で役割を全うさえしていれば、必ずしも外部での勉強は必要ありませんでした。でも、現在はそんなことを言って過ごせる状況にないのはみなさまもご存じだと思います。

時間の融通が効きます。


連載の第一回でも書きましたが、私は勤め人であっても引退後の人生も含め、自分の人生を360°で考えておくべきだと思っています。自分と仕事と家族の両立。いまこそ、これらの両立を考えねばならない時代になっているのではないでしょうか。自分の生涯を見据え、どのように自分の生涯のすべてをプロデュースしていくか。仕事時間を成果の出力だけでなく、学びの入力の時間へいかに変えていくか。

それには余暇の時間も確保すべきでしょう。私は旅が好きです。博物館、寺社仏閣、名所、滝、川、蒸留所、醸造所。旅先では時間を惜しんであらゆるところに行きます。人によって余暇はさまざまです。Shadowverseに夢中になる人、グラブることに集中する人、草野球に汗を流す人、庭で土と戯れる人、馬が走る姿に見とれる人、一心不乱に走りまわる人、子供たちと触れあう人。それぞれの自由です。そういった時間も含めて、生涯に与えられた自分の時間をいかに有効に使うか。

“起業”すると、あなたの時間配分はあなた自身が決められます。もちろん、独立しても請負契約など契約の種類によっては、毎日定められた場所に行かねばなりません。その場合も、拘束契約でなければ、セミナーに行こうと思えば行けるはずです。“起業”とはあなた自身があなた自身の監督者であり、上司であり、部下になることでもあります。いつ作業に集中するか、どれだけ移動に費やすか、何時間を打ち合わせに充てるか、そしてどの時間を勉強に使うか。すべてがあなたの判断と責任において行えます。また、“起業”とは絶え間ない工夫と発展の連続です。つまり勉強の時間を確保することが重要なのです。これだけ日進月歩で技術が発展している昨今では、業種や職種に関係なく知識の習得が欠かせません。それを怠ることは、仕事の機会を失うことにもつながります。となると、勉強の時間を確保することが最優先となるのです。 これは、私にとっては確保したい大切な部分でした。

責任感が体中にみなぎります


前回、ちらっと触れましたが、起業とは、つまるところは自分で責任を負うことです。

もともと、社会人である以上は何らかの責任を担わされます。これは避けられません。責任といっても立場によってまちまちです。職に就いていれば職務に付いてくる責任。家族を築いている以上は家族を率いる責任。地域社会で共生する以上は地域社会を豊かにする責任。それらの責任は放っておいても背負わされる責任です。甘んじて受けねばならない責任とでもいいましょうか。周りからやってきて、自分にまとわりつく責任。そこにはどうしても義務感がついて回ります。

ですが、起業とは自分で責任を作り出すことです。周りから押し付けられた責任ではなく、自分が作り出した責任です。当然、その責任は自分で担わなければなりません。仕事を受けた以上は、その責任は全うしなければならないのです。下請け業者に任せたり、社員に任せることもあるでしょう。ですが、最終的な責任は全て”起業”した当人が負わねばなりません。

自分で作った責任は、自分で決着をつける。そこには義務感も発生します。デメリットのところでも触れますが、ストレスにもさらされます。でも、それは自分で作った責任なのです。あなたの中では義務感よりも責任感が大きな割合を占めることになるでしょう。自分自身で種をまき、芽生え育てた責任感。これは”起業”すると間違いなく手に入ります。会社の中で大きな仕事を任された時に生じる責任感にも似ているようですが、会社の中で背負う責任感は、会社を背負った責任感です。それはそれでとても大切な責任感です。ですが、組織の立場としては作業を属人的にするリスクもあるため、責任は分散せざるを得ません。一方、”起業”して得られる責任感とは、自分自身が一身に帯びるしかありません。唯一無二の責任感なのです。

次回も引き続き、起業のメリットを探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.2〜起業のメリットを考える その1


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/17にアップした当時の文章そのままです。

そもそも起業の利点とは何でしょうか?

「“起業”する」とはいい響きです。“起”という漢字からして前向きな印象があります。個人事業主か法人か。店舗を構えるのか無店舗型か、それとも客先に常駐するのか。起業の形態はさまざまです。形態によって肩書もまちまちでしょう。代表取締役、代表社員、院長、店主、オーナー、あるじ、代表、巨匠。いろいろな肩書があります。ですが、そんな肩書は大したことではありません。肩書よりも何をするか、が起業の要点なのですから。自分で責任を負うこと。それこそが起業の本分です。部下がいようと共同代表がいようと、全てを自分で引き受ける。その覚悟が欠かせません。この連載では”起業”を個人が自分の名前を代表に掲げ仕事を受けること、と定めたいと思います。

その責任をどうとらえるか。利点ととるか欠点ととるか。それによって独りで働くことの意味合いが変わります。“起”を前向きにとらえられる方は、独りで働くことの利点を享受できることでしょう。それともう一つ、起業を検討するにあたって、事前に考えておいたほうがよいことがあります。それは、組織に雇用されている現状から逃れることを目的とするか、“起業”した後、自分で経営を舵取り目的に向かって進むことを目的とするか、です。どちらをえらんでもよいと思います。私はともに起業のメリットだと思っています。逃避だって立派な理由です。前向きな理由だけが起業の動機とは限りませんから。最初は後ろ向きな理由かもしれませんが、自分の意志を経営に反映しているうちに、前向きな考えが頭を占めるはずです。ただ、そこは起業の前に自らはっきりさせておいたほうがよいと思います。

人生観にまで踏み込んだ“起業”の利点については、次回以降に取り上げたいと思います。

まずはもう少し肩の力を抜き、わかりやすいメリットから取り上げていきましょう。

通勤ラッシュからの解放


朝夕の通勤ラッシュ。つらいですよね。ラッシュを平静にしのげる方。もしそのような方がいれば私は尊敬します。誰もが外見ではポーカーフェースを保ってラッシュをやり過ごしています。でも、首都圏では毎朝毎夕、どこかの車内で怒号が聞えています。車掌さんは、車内トラブルやお客様救護を防ぐためのアナウンスに余念がありません。ほとんどの人が必要悪としてラッシュを乗り切っているのが実情です。男性であれば痴漢と間違えられないように両手を大きく上げて背伸びの運動、いや、スマホ操作にいそしんでいます。意図に反して女性に密着する体勢になってしまったとしても、男性にとっては喜ぶどころか迷惑極まりない状態です。なにせ痴漢と間違えられれば自分の社会的生命が抹殺される危機にひんしているのですから。一説によれば、ラッシュのストレスとは戦場の最前線で感じるストレスに等しいともいいます。ただでさえビジネスの戦場に赴こうとしているのに、その道中からすでに戦場並の環境というのはたまったものではありません。男性にとって、ラッシュの車内には文字通り立つ瀬がないのです。それなのに冤罪の瀬戸際に立たされる。もはや喜劇と悲劇の境目を超え、大勢の痛勤客を乗せたラッシュはわが道を行きます。職場や家庭以外の場所へと。

“起業”すれば朝夕の通勤時間は自由がききます。もちろん、それは仕事の形態によって違うでしょう。“起業”したからといってラッシュから逃れられるとは限りません。たとえばお客様と請負契約を結び、常駐先への通勤が必要であれば、“起業”してもラッシュの囚われ人のままです。でも、そういった常駐先への出勤義務がない場合は、ラッシュから解放されます。それをどうとるかは人によってそれぞれです。

もちろんこのメリットは、もともと徒歩通勤、自転車通勤、時差出勤を励行している方は享受できません。ラッシュなど発生しない地方在住の方にとっても。本記事の趣旨は、脱サラやノマドワークを推奨することではありません。なのでラッシュを経験していず、他の点でもストレスを感じていなければ会社を辞める必要はないのです。正社員の立場で地方に移住するだけでラッシュよさらば、と幸せになれるのですから。

毎日同じ場所に向かう繰り返しからの解放


私にとって、日々の一番のストレスは実はこれでした。もちろん、不条理なラッシュに耐えるのも嫌でした。ですが、それ以上に嫌だったのは、同じ毎日が繰り返されることです。毎朝、同じ場所へゆき、毎夕、同じ家に帰る。日々に変化がないことが耐えられませんでした。世の勤め人の皆様のほとんどはこの苦行をなんとかしのいでいるのでしょう。または、そもそも苦行とは感じていないか。これも人によってそれぞれです。ですが、私には無理でした。帰る家が一つなのは苦にならないのです。ですが、日々行き先が同じということにストレスを感じてしまうのです。私が“起業”したことでもっともよかったと思えたのは、毎日に変化がつくようになったことです。

ただ、くりかえしますが人それぞれです。私のように毎日が同じなのが嫌という人だけではありません。毎日が同じであることに何よりも喜びを感じる人だっています。毎日が同じであることを好む方には起業はかえってリスクですし、メリットもありません。また、“起業”して自宅や店舗で商売を営む場合にもこの喜びとは無縁です。

そしてもう一つ、日々が同じことに付いて回るリスクを言っておかねばなりません。それは、毎日同じ場所にいることで遭いやすくなるリスクです。具体的に言うと、東京では首都直下型地震に遭うリスクが高まります。大阪の場合はテロの標的になりやすいリスクにさらされます。オウム真理教によるサリン散布は、人が集まる場所のテロの恐ろしさを世に知らしめました 。同じ場所に通い続けることは、そういった場所に内在するリスクをかぶる可能性を高めます。

また、勤め人であっても直行直帰が日常の営業職の方は、毎日が移動ですから、この利点は無縁です。また、独自の工夫で徒歩通勤、自転車通勤、時差出勤を励行されている方にとっても利点にはなりません。本記事の趣旨は、脱サラやノマドワークを推奨することにありません。なので、日々が同じ場所に行かなくてもよく、組織の中にいることでストレスを感じないのであれば、会社を辞める必要はないのです。

次回も引き続き、起業のメリットを探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.1〜まずはじめのご挨拶


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。今回、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。
この連載、元々はCARRY MEさんにの「本音採用」の中で寄稿させていただいたものです。編集方針の都合により連載は第三十九回でストップしておりましたが、運営元様からのご厚意で、内容を弊社内に移してよいとの許可を頂きました。それに伴い、弊社サイト上にてあらためて三十九回まで連載を転載した後、時間の許す限り続きを書こうと思います。ゆるく長めにお付き合いいただけるとうれしいです。なお、以下の文は2017/8/10にアップした当時の文章そのままです。

私の起業経験をご紹介していきます

さて、この場で皆さんにお伝えできる私の経験とは、起業経験です。私はいま、合同会社の代表社員として経営者の立場にあります。その前は個人事業主として9年間、IT業界を中心に活動してきました。最初に独立してから11年半が経過しています。結婚してから17年。関西から上京して18年。自分でもよくやってきたなぁ、と悦に入っている? とんでもない。私は成功者ではありません。そもそも、真の意味でまだ起業できてすらいないと思っています。

夜に日をついでの猛烈な開発の日々。傍らにはmonsterやRed Bullが常備され、脳内を占めるのはロジックとデザインのみ。そんな猛烈なビジネス戦士の壮絶な日常を期待された方、すみません。本記事がそういう方向を勧めることは多分ないでしょう。むしろ逆です。私は公私も含めたすべてを大切にしたいと思っています。個人的な目標、家族の健やかな日常、仕事からの利益。それらは私にとって等しく重要です。いままで、私の人生には岐路がいくつも訪れました。その度に、私は個人と家族と仕事を平等に扱い、判断してきました。その結果、現在の私があるにすぎません。

生まれ落ちた瞬間に与えられ、死ぬまでに減ってゆく残り時間。それをどう使うのかは、個々人の自由です。それを強制する権利は誰にもありません。私は上下関係があまり好きではありません。私が個人事業主になったのも、上下関係を逃れるため、ジタバタした結果といってもいいでしょう。私が強制されるのを嫌う以上、私も人に強制することはしたくありません。ここで私が書く内容は、誰に対しても強制力を持ちません。ここで書く内容とは、あくまでも私という個人の一例でしかありません。今までに訪れた岐路で私自身が選択した結果、会社を経営しているだけのことです。もちろん、今の私は最適な方向に進んでいると思います。ですが、これを万人向けの決定的な成功体験として誇示するつもりも推奨するつもりもありません。私自身、上に書いたとおりまだ成功したとは思っていないのですから。

三方よしを理想とする仕事人でありたい

もちろん、今の自分の境遇には満足していません。かといって後悔もしていません。そして上場を目指して”ガツガツ”もしていません。創業して成功するためには、多分、”ガツガツ”したところが必要なはずです。個人の趣味の充実や家庭をうっちゃってでも仕事に精を出すような。ですが、上に書いた通り、私の目指す目標とは、個人と家庭と仕事の両立です。仕事で成功したい!と”がつがつ”強烈な意思で会社を起こしたというよりも、私自身が自分、家族、仕事において”三方よし”のライフスタイルを実現しようとした結果、ここに落ち着いたのが実情です。いわゆる”三方よし”とは、”売り手よし” 、 ” 買い手よし ” 、 ” 世間よし ” を差します。そこには社会的な、公的な視野も含めた理想論があります。が、私の場合は、まだ社会に還元できる規模には至っていません。成功も起業もできていないと上に書いたのは、そういう意味です。

いやぁ、のっけから堅苦しくなってしまいましたね。まあ、要するに人は人、自分は自分ということです。誰にも他人の人生を替わりに生きることはできません。私にできることがあるとすれば、これまでの経緯とその後の現実を記すだけです。その結果が皆さんのこれからの人生に参考になればと願うだけです。 ここまで書いたようなゆるいスタンスで、個人事業主としてのあり方や法人化について記事をつづっていきたいと思います。

起業なんてやめておけ? そのプロセスが財産なのだと思う

起業日の写真
まず、起業してよかったことをつらつらと書いていきたいと思います。独立したいという方は一定数いらっしゃることでしょう。そういった方々は会社を離れることに前向きなイメージと希望を持っているはずです。まず、それらの希望はかなうはずです。そこは自信をもって断言できます。明るい経営者の未来に向けて、希望を抱いてもらえれば本懐です。

ですが、良いことばかりではありません。会社を立ち上げたらこんなはずじゃなかった、ということも間違いなく起こります。会社に属していれば、直面しなかったはずの重圧。経営とは、厳しい出来事やトラブルの連続です。私が経験したことも、差し支えのない範囲で書いていきます。普通、悪いことは独立する前は重く考えないものです。真剣に深刻に考えると、会社を創るなんてできませんからね。悪いことは誰もが考えずに済ませたいところですが、現実には間違いなく厳しい現実に直面します。

起業の良いこと悪いことをお伝えした後は、私が個人事業主になった経緯を記していきます。上に書いた通り、決して”ガツガツ”と経営者を目指したわけではなかった私が、なぜ独立するに至ったか、を書いていきます。親兄弟親戚のコネも、鮮やかなプレゼン能力も、卓越した頭脳もなかった私が、どういうきっかけを与えられ、その度にどういう決断を下していったか。一つの人生の例として参考にしていただければと思います。引き続いて、9年間の個人事業主の日々をダイジェストでお伝えした後は、法人化へのお話にも触れたいと思います。

はい、ゆるく長めにお願いします。

 そのあとは、個人事業化や法人経営にまつわるあれこれをテーマとして取り上げます。経理や健康維持、人脈作りやコンプライアンスなど。どれもが経営者にとって避けられない出来事です。この記事全体が、皆様の参考になれば良いのです。そんな風に書いていこうと思います。ゆるく長めにお願いします。


本音採用にブログを連載しています


なんどかFacebookやTwitterでは告知していますが、
昨年八月よりCarry Meさんの運用されている「本音採用」というWebメディアにおいて、ブログを連載しています。

「アクアビット航海記「ある起業物語」」と題して。

連載も長期にわたると、そろそろ一覧で記事を管理したいと思います。

本日4/19、第三十七回をアップしました。

第三十九回 新しい会社で技術力が向上する
第三十八回 転職と新たな会社での洗礼
第三十七回 新たな会社からのお誘い
第三十六回 仕事のピークとその後の反動
第三十五回 正社員として得た経験
第三十四回 家の処分に本腰を入れ始める
第三十三回 途方に暮れる家の処分
第三十二回 家の重荷
第三十一回 はじめて作ったホームぺージ
第三十回 子を持つ責任の芽生え
第二十九回 流れにまかせ正社員へ
第二十八回 Excelマクロ使いから正社員へ
第二十七回 僕が僕であるために
第二十六回 機会を逃さず飛び込む
第二十五回 自立の願いに暗雲が
第二十四回 自立した自分を悟る
第二十三回 スーパーバイザーとして働く
第二十二回 上京してまもなく
第二十一回 前半生のまとめ
第二十回 単身上京に踏み切る
第十九回 ブラック企業でしごかれる
第十八回 社会に出るために足掛かりをつかもうとする
第十七回 社会に出て自らの無力さを感じる
第十六回 社会に出て、プログラミングに触れる
第十五回 大学を出た後
第十四回 大学での生活が私の起業に与えた影響(後編)
第十三回 大学での生活が私の起業に与えた影響(前編)
第十二回 航海記
第十一回 起業のデメリットを考える その5
第十回 起業のデメリットを考える その4
第九回 起業のデメリットを考える その3
第八回 起業のデメリットを考える その2
第七回 起業のデメリットを考える その1
第六回 起業のメリットを考える その5
第五回 起業のメリットを考える その4
第四回 起業のメリットを考える その3
第三回 起業のメリットを考える その2
第二回 起業のメリットを考える その1
第一回 まずはじめのご挨拶

これからも連載はつづく予定ですが、連載の度に追加していきます。

1 2017/8/10
2 2017/8/17
3 2017/8/24
4 2017/8/31
5 2017/9/7
6 2017/9/14
7 2017/9/21
8 2017/9/28
9 2017/10/5
10 2017/10/13
11 2017/10/19
12 2017/10/26
13 2017/11/2
14 2017/11/9
15 2017/11/16
16 2017/11/23
17 2017/11/30
18 2017/12/8
19 2017/12/14
20 2017/12/21
21 2017/12/28
22 2018/1/4
23 2018/1/11
24 2018/1/18
25 2018/1/25
26 2018/2/1
27 2018/2/8
28 2018/2/15
29 2018/2/22
30 2018/3/1
31 2018/3/8
32 2018/3/15
33 2018/3/22
34 2018/3/29
35 2018/4/5
36 2018/4/12
37 2018/4/19
38 2018/4/27
39 2018/5/13

Vol.18
だめ
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自転車
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出会い
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vol.19
履歴書
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ブラック企業
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得たもの
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vol.20
足跡
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両親
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上京
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vol.21
旅路
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七つの
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感謝
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vol.22
上京したてのなにもない私
https://pixabay.com/p-737572/?no_redirect

完全なる孤独と自由の日々
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職探し
https://pixabay.com/ja/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF-%E6%89%8B-%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%82%8B-%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-%E7%94%B7-%E4%B8%8E%E3%81%88-%E6%8F%90%E4%BE%9B%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99-2056023/

vol.23
横浜ビジネスパーク
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/22/Yokohama_Business_Park_Bellini%27s_hill.JPG

乾杯
https://pixabay.com/ja/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC-%E4%B9%BE%E6%9D%AF-%E4%BA%BA%E9%96%93-%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88-%E5%80%8B%E4%BA%BA-%E9%81%8B%E5%8B%95-%E6%B0%97%E5%88%86-1458869/

Excel
Excel & OpenOffice Calc navigation shortcuts

vol.24
結婚準備
https://pixabay.com/ja/%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%91%A9%E8%80%97-%E5%AE%B4%E4%BC%9A-%E7%B5%90%E5%A9%9A-%E6%BA%96%E5%82%99-%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AB-%E4%B8%8D%E5%8B%95%E7%94%A3%E8%81%96%E3%83%9A%E3%83%86%E3%83%AD-1517077/

巣立ち
http://art28.photozou.jp/pub/383/141383/photo/137309596_624.jpg

感謝
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vol.25
暗雲
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歯医者
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挫折
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vol.26
重荷
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リクルート
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飛び込む
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vol.27
歯車
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学生
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尾崎豊
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Relief_of_Yutaka_Ozaki_at_Shibuya_Cross_Tower_in_Shibuya,_Tokyo.jpg

vol.28
Y2K
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5a/One_Y2K_Bug_%283664294542%29.jpg

データベース
https://pixabay.com/p-156948/?no_redirect

名刺
http://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=54464&picture=&jazyk=JP

vol.29
流れに乗る
https://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=10514&picture=&jazyk=JP

損得
https://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=174629&picture=hand-with-thumb-up-and-down

正社員のタスク
http://maxpixel.freegreatpicture.com/Move-Task-Woman-Job-Monitor-Relaxed-Pose-2685460

vol.30
護摩焚き
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宿った子
実際の長女のエコー写真

新生児
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vol.31
ホームぺージ
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独学
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自分を表現する
https://www.pexels.com/photo/person-in-purple-crew-neck-t-shirt-with-just-me-painting-on-hand-52986/

vol.32
負債
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交渉
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綱引き
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vol.33
廃虚
West Lawn - Tinged with Regret

弁護士
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最初の一歩
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vol.34

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契約書
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専門家
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リフレッシュ
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vol.35
経験
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商談
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コンプライアンス
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vol.36
2002 FIFA Worldcup
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2002 FIFA Worldcup
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Saitama_2002_0604.jpg


https://www.google.co.jp/search?as_st=y&hl=ja&tbs=sur%3Afc&tbm=isch&sa=1&ei=QRTOWsasOofc8QXhkaOoCA&q=chain+four&oq=chain+four&gs_l=psy-ab.3..0i8i30k1l8.1917.3877.0.4171.10.10.0.0.0.0.208.900.0j6j1.7.0….0…1c.1j4.64.psy-ab..3.7.897…0j0i4k1j0i19k1.0.ifPceY6eCK4#imgrc=I3PfGxEYSDCkQM:

vol.37
お招き
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迷い
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mayoiga_8086294422_ff2f173cf1_k.jpg

作業
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vol.38
別れ
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停滞
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vol.39
オフィス
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スキル
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vol.40
誕生
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スタート
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交渉
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