今年初の観劇となったのは、宝塚歌劇団星組演ずる本作だ。
本作はまた、星組トップの北翔海莉さん、妃海風さんの退団公演でもある。そんな退団公演の題材として選ばれたのは、意外にも桐野利秋。 桐野利秋とは日本陸軍の初代少将であり、南州翁こと西郷隆盛にとって近しい部下としてよく知られる人物だ。だが、宝塚が取り上げるには少し意外と言わざるを得ない。
なぜ、 北翔さんは退団にあたって桐野利秋を演ずるのか。それは私にとってとても気になることだった。
北翔さんは以前から妻が好きなタカラジェンヌさんである。私も始終その人となりは聞かされていた。舞台人としても苦労して這い上がり今の高みまで達した努力の人でもある。その努力はタカラヅカの活動だけに止まらない。重機の運転やサックス演奏、殺陣の振る舞いをタカラジェンヌとしての活動の合間にマスターしたこともそうだ。人生を前向きに捉える飽くなき向上心は見習うほかはない。また、 北翔さんは技量だけでなくかなりの人徳を備えた方であると伺っている。それは、その人間性が認められ、一旦は専科という役回りに退いたにもかかわらず、星組のトップとして呼び戻されたことでもわかる。いわば異能の経歴の持ち主が北翔さんである。
では桐野利秋はどうなのか。それを理解するため、私は小説に力を借りることにした。 作家の池波正太郎の作品に「人斬り半次郎」というのがある。この作品こそまさに桐野利秋の生涯を描いており、桐野利秋を理解するのに適した一冊といえる。唐芋侍として蔑まされる鹿児島時代。自己流でひたすら剣を振り続けることで剣客として認められ、島津久光公の上洛に付き従う従者の一人として取り立てられる。以降、尊皇攘夷や公武合体など、目まぐるしく情勢が入れ替わる殺伐の世相の合間で剣を振るう日々。それだけでなく、薩摩藩士としての活動の合間に書籍を読み、書を極めて人物を磨いた。女好きでありながらも豪放磊落な利秋は人情の機微を解する人格者としても慕われたという。
つまり、桐野利秋とは北翔海莉さんのキャラクターを思い起こさせる人物なのだろう。殺陣をマスターした北翔さんと剣の達人でもあった桐野利秋。様々な異能を持つ北翔さんと独学で書や儀典をこなすまでになった桐野利秋。人徳の持ち主北翔さんと親分肌の桐野利秋。こう考えると、北翔海莉さんと桐野利秋という取り合わせがさほど奇異に思えなくなってくる。
だが、退団公演に桐野利秋をぶつける理由とはそれだけではない気がする。まだあるのではないか。
先年、宝塚歌劇団は100周年を迎えた。その当時、星組のトップを務めていたのは柚希礼音さん。宝塚の歴史の中でも有数の人気を誇った方として知られる。そんな柚希さんの後を託された人物として 北翔さんが専科から戻されたわけだ。そこには正当な100年の宝塚歌劇の伝統を後代につなげてほしいという宝塚歌劇団の思惑もあるだろう。中継者として北翔さんの人徳や技能が評価されたともいえる。だが、言い方は悪いが、体のいいつなぎ役ともいえる。もっと油の乗った若い時期に正当に評価されるべき方だったのかもしれない。北翔さんは。
本作には、そのあたりを思わせる演出が随所にある。 季節外れに咲いた桜を指してボケ桜と呼ぶシーンがそれを象徴している。生まれてくる時代が早すぎたというセリフもそうだ。北翔さんにとってみれば、もっとはやく評価されたかった。もっとはやくトップに立ちたかった。そんな思いもあったのかもしれない。或いはそれは穿った意見なのだろうか。
だが、北翔さんはトップ就任時の約束どおり、3作でトップを降りることになる。それは潔い決断だ。
本作のみのオリジナルキャラとして衣波隼太郎が桐野利秋の親友として登場する。彼を演ずるのは紅ゆずるさん。北翔さんの次の星組トップとして内定している方だ。衣波隼太郎は桐野利秋と袂を分かって大久保利通、つまり新政府側に付く。そして、本作の最後、城山のシーンでも官軍の軍人として登場し、桐野利秋の最後を看取る。新しい日本の礎となって死んだ桐野を悼み、「義と真心をしっかりと受け継いで」というセリフが衣波隼太郎の口から発せられる。義と真心の持ち主とは、すなわち北翔さんに他ならない。それは次のトップ紅さんによる新時代の宝塚を作っていく決意表明でもあり、伝統への餞とも取れる。
果たして、北翔さんの衣鉢は次代に受け継がれていくのだろうか。本作のサブタイトルはSAMURAI The FINALと銘打たれている。SAMURAI、つまり北翔さんのようなタカラジェンヌは最後になってしまうのだろうか。たたき上げのタカラジェンヌとしての努力の人としてのタカラジェンヌはもう現れないのだろうか。それとも、100周年を経た宝塚は新たな芸術を模索していくのだろうか。とても気になる。
その模索は本作の娘役と男役の関係にすでに顕れているように思える。娘役トップの妃海風さんは、本作で退団する。私が知る限り、本作の娘役と男役と関係は、明らかに今までの関係と違っている。男役に殉じたり従順である娘役像とは一線を画し、独立独歩の姿を見せているのが本作の特徴だ。これは新しい宝塚を占う上で参考としてよい演出なのだろうか。あるいはそうではないのか。とても気になるところである。
本作の並演のロマンチック・レビュー「ロマンス!!」は本編とは違い、伝統的なレビューを見せてくれる。多分、本編のステージ「桜華に舞え」の作風と釣り合いを持たせるためなのだろう。ただひたすらに王道を極めているといえる。ラインダンスありのデュエットダンスありの、そして大階段ありの。個人的にはエルビス・プレスリーのHound DogやDon’t be Cruelの曲が流れた際、指揮者の塩田氏がカラダを揺らしてRock and Rollしていたのがとても印象的であった。
今年初めての観劇となった本作であるが、時代の移り変わりを体験でき、さらには王道のレビューも観られ、とても満足だ。
あ、そうそう。本作は薩摩弁で全編通すなど、とても地域色に演出の気が遣われていた。その一方で、史実ではシカゴですでに髷を断髪しているはずの岩倉卿が、本作で依然として髷を結った姿で西郷の征韓論を一蹴していたのが気になった。折角方言を活かしていたのに、もうちょっと時代考証に気を使ってほしいと思わずにはいられなかった。でも、西郷さんに扮する美城れんさんは本作でもとても印象的だった。この方も本作で退団されるのだとか。残念である。
‘2016/8/26 宝塚大劇場 開演 15:00~
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2016/ouka/