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坂の上の雲(三)


ロシアの南下の圧力は、日本の政府や軍に改革を促す。
そんな海軍の中で異彩を放ちつつあったのが秋山真之だ。彼は一心不乱に戦術の研究に励んだ。米西戦争の観戦でアメリカに行っていた間もたゆまずに。つちかった見識の一端は米西戦争のレポートという形で上層部の目にとまり、彼は海軍大学校の戦術教官に抜擢される。

そんな真之が子規に会ったのは子規の死の一カ月前のこと。
子規は死を受け入れ、苦痛に呻きながらもなお俳句と短歌革新の意志を捨てずにいた。
その激烈な意志は、たとえ寝たままであっても戦う男のそれだ。

本書はこの後、日露戦争に入ってゆく。そこで秋山兄弟は、文字通り日本を救う活躍を示して行く。
日露戦争は本書の中で大きな割合を占めており、秋山兄弟もそこで存在感を発揮する。では、三巻で退場してしまう子規とは、本書にとって何だったのか。

まず言えるのは、秋山兄弟と同じ時代の同郷であったことだろう。
賊軍の汚名を着た松山藩から、明治を代表する人物として飛躍したのがこの三人だったこと。
それは、薩長土肥だけが幅を利かせたと思われがちな明治の日本にも骨のある人物がいた表れだ。
著者はこの三人に焦点を当てることで、不利な立場を努力で有利に変えた明治の意志を体現させたのだろう。

次に言えるのは、秋山真之という日本史上でも屈指の戦術家の若き日の友人が子規だったことだ。
秋山真之が神がかった作戦を示し、日本海軍を世界でも例を見ない大勝へと導く。
そのような人物がどうやって育ったかを描くにあたり、正岡子規の存在を抜きにしては語れない。
正岡子規に感化され、文学を志した秋山真之が、軍人としての道を選ぶ。その生き方の変化は正岡子規との交流を描いてこそ、より幅が出てくるはずだ。

最後に言えるのは、本書が書き出したいのが明治という時代の精神ということだ。
果たして明治とは何だったのか。それを表すのに子規の革新を志し続けた精神が欠かせない。そうとらえても間違いではないと思う。
今の世の私たちは、結果でしか明治をみない。だから封建の風潮に固まっていた江戸幕府が、どうやって近代化できたかという努力を軽く見てしまう。実はそこには旧弊を排する勇気と、逆境を顧みず、新しい風を吹かせようとする覚悟があったはずだ。
正岡子規の起こした俳諧と短歌の変革にはそれだけのインパクトがあり、明治が革新の自体であったことを示すのにふさわしい人物だった。

著者は子規が死んだ後、稿をあらためるにあたってこのような一文から書き出している。
「この小説をどう書こうかということを、まだ悩んでいる。」(39P)
つまり、三人を軸に書き始めた小説の鼎が欠けた。だから主人公以外の人物をも取り上げねばならない、という著者から読者への宣言だ。
ここで登場するのが山本権兵衛である。日本の海軍史を語る際、絶対に欠かせない人物だ。

山本権兵衛が西郷従道海軍大臣のもとで行った改革こそ、日本の海軍力を飛躍的に高めた。それに異論を唱える人はそういないだろう。
その結果、日清戦争では清の北洋艦隊をやすやすと破り、日露戦争にもその伝統が生かされ、世界を驚かせる大勝に結びついた。
本書は太平洋戦争で日本が破滅したことにも幾度も触れる。そして陸海両軍の精神の風土がどれほど違うかにも触れる。その差が生じた理由にはさまざまに挙げられるだろう。そして、山本権兵衛が戊辰戦争から軍にいた能力の足りない海軍軍人を大量に放逐した改革が、海軍の組織の質に大きく影響を与えたことは間違いない。

その結果、海軍からは旧い知識しか持たない軍人が一掃された。
それは操艦の練度につながり、最新の艦船の導入を可能にした。
日露戦争の直前には、舞鶴鎮守府長官の閑職に追いやられていた東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢したのも山本権兵衛だ。

山本権兵衛こそは海軍の建設者。それも世界でも類をみないほどの、と著者は賛美を惜しまない。
そして、それをなし得たのは西郷従道という大人物の後ろ盾があったからこそだ。
陸軍の大山巌も本書では何度も登場するが、維新当時を知る人物が重しになっていたことも日本にとって幸いだったことを著者は指摘する。

この時期、軍に対して発言力を持つ政治家は多くいた。元老である。
彼らは軍の視点だけでなく国際政治の視野も持ち、日本を導いていった。

その彼らが制御できなかったのが、ロシアの極東への野心だ。
野心はたぎらせているが、戦争の意志はないとうそぶくロシアと繰り広げる外交戦。年々きな臭くなってゆくシベリアと満州のロシア軍基地を視察の名目で堂々と巡回する秋山好古。本書では明石元二郎も登場し、諜報戦をロシアに仕掛けて行く。
ロシアが高をくくるのはもっともで、日本は日清戦争で戦費も底ををつき、軍隊も軍備もロシアのそれには到底届いていない。

戦時予算を国庫から出させるため、西郷従道と山本権兵衛は財界の大物澁澤栄一に訴える。どれだけロシアの脅威が迫っているか。日本の存亡がどれだけ危ういかを。その熱意は澁澤栄一や高橋是清を動かす。さらにユダヤ人を迫害する帝政ロシアへの脅威を感じたユダヤ人財閥からの寄付を受けることにも成功する。その後ろ盾を得て、法外な戦時予算を確保する。

明治三十七年二月十日。日本がロシアに宣戦布告した日だ。
ここから著者は日露戦争の描写に専念する。 旅順港を封鎖し、ロシアが誇る旅順艦隊を港に釘付けにする。その間、陸軍は遼東半島や朝鮮半島経由で悠々と大陸に首尾よく渡る。
そして封鎖されたことに業を煮やした旅順艦隊に対し、さらに機雷を敷設し、輸送艦を沈めることで牽制を怠らない。
そそうした必死の工作の中、秋山真之の友人である広瀬中佐は海に消え、ロシア軍の司令官は機雷の爆発で命をおとす。連合艦隊もロシアに設置しか返された機雷によって二隻が沈没の憂き目にあう。

そうした駆け引きの間、決して喜怒哀楽を表さず平静かつ沈着であり続けたのが東郷司令長官だ。
最初は無名の軍人として軍の中でもその就任を危ぶむ者が多かった。だが、その将としての才を徐々に発揮して行く。

撃沈された二隻の戦艦が、軍費の乏しい日本にとってどれほど致命的だったか。
そうした苦境にもかかわらず、平静であり続けることのすごみ。
日本海海戦は東郷平八郎を生ける軍神に祭り上げたが、すでに戦いの前から東郷平八郎がカリスマを発揮していたことを著者は描写する。

‘2018/12/11-2018/12/12


坂の上の雲(二)


本書では日清戦争から米西戦争にかけての時期を描いている。その時期、日本と世界の国際関係は大いに揺れていた。
子規は喀血した身を癒やすため愛媛で静養したのち、小康状態になったので東京に戻った。だが、松山藩の奨学金給付機関である常盤会を追放されてしまう。
それは、短歌・俳句にうつつをぬかす子規への風当たりが限界を超えたから。

そんな子規の境遇を救ったのが、子規が生涯、恩人として感謝し続けた陸羯南だ。
羯南は子規を自分の新聞社「日本」の社員として雇い入れ、生活の道を用意する。それだけではなく、自らの家の隣に家まで用意してやる。
その恩を得て、子規は俳諧の革新に邁進する。
本書には随所で子規の主張が出てくる。そこではどのように子規が俳諧と短歌の問題を認識し、どう変えようとしたのかがとても分かりやすく紹介されている。

著者は日清戦争がなぜ起きたのかについて分析を重ねる。
日清戦争の勃発に至るまでにはさまざまな理由はある。だが、結局は朝鮮の地政が原因で日中の勢力の奪い合いが起こったというのが著者の見る原因だ。
そこに日本も清国も朝鮮も悪い国はない。ただ時代の流れがそういう対立を産んだとしかいえない。その歴史を著者はさまざまな視点から分析する。

本書には一人の外交官が登場する。小村寿太郎。
日露戦争の幕引きとなるポーツマス条約の全権として、本書の全編に何度か登場する人物だ。
彼の向こう気の強さと努力の跡が本書では描かれる。
そして日本の中国駐在公使代理として着任した小村寿太郎の立場と、朝鮮をめぐる日本と清の綱引きを描く。さらには虎視眈々と朝鮮を狙うロシアの野望を絡めつつ、著者は歴史を進めて行く。

そうした人々の思惑を載せた歴史の必然は、ある時点で一つの方向へと集約され、戦いの火蓋は切られる。
秋山兄弟はそれぞれ陸と海で任務を遂行する。そして本書を通して重要な役割を果たす東郷平八郎は浪速艦長として役割を果たす。

そうした軍人たちに比べ、伊藤博文の消極的な様子はどうだろう。
伊藤博文は、初代の朝鮮統監であり、後年ハルビンで暗殺されたことから、国外からは日本の対外進出を先導した人物のように思われている。だが、実は国際関係には相当に慎重な人物だったことが本書で分かる。
日清戦争の直接のきっかけとなった朝鮮への出兵も、伊藤博文が反対するだろうから、と川上操六参謀次長が独断で人数を増員して進めたのが実際だという。

日清戦争の戦局は、終始、日本の有利に進む。
清国の誇る北洋艦隊は軍隊の訓練度が足りず、操艦一つをとっても日本とは歴然とした差がある。
また、全ての指図が現場の指揮官では判断できず、その都度、北京に伺いを立ててからではないと実行できない。
両国の士気の差は戦う前から明らかであり、そんな中で行われた黄海海戦では日本は圧勝する。そして陸軍は朝鮮半島を進む。さらに旅順要塞はわずか一日で陥ちる。

こうした描写からは、戦争の悲壮さが見えてこない。それは清国の兵に何が何でも国を守るとの気概が見えないからだと著者は喝破する。同時に著者は、満州族を頭にいただく漢民族の愛国意識の欠如を指摘する。だからこそ、日清戦争の期間中、日本と清国の間には膨大な惨禍もおきなければ、激闘も起こらなかったのだろう。

そうした呑気な戦局を遊山気分で見にいこうとしたのが、当時、結核の予後で鬱々とした子規だ。彼はなんとか外の世界を見ようと、特派員の名目で清国の戦場へと向かおうとする。
彼が向かおうとしたタイミングは幸いと言うべきか、ほぼ戦争の帰趨が定まり、戦火も治まりつつある時期だ。
ところが彼は、陸羯南をはじめとした人々が体調を理由に反対したにも関わらず、渡航を強行したことでついに倒れる。それ以降、子規が病床から出ることはなかった。脊椎カリエスという宿痾に侵されたことによって。

そうした子規の行動は、見方によっては呑気に映る。だが、その行動は別の視点からみれば、明治の世にあって激しく自分の生を生きようとした子規の心意気と積極的にとらえることも可能だ。

威海衛の戦いでは海軍が圧勝し、日清戦争は幕を閉じる。それを見届けて真之はアメリカにゆき、米西戦争を観戦する。
そこで彼が得た知見は後年の日露戦争で存分に生かされる。
その知見とは、例えば、港に敵艦隊を閉じ込めるため、わざと船を港の入り口に沈める作戦を見たことだ。
また、米西戦争の観戦レポートの出来栄えがあまりに見事で、それが真之を上層部に取り立てられるきっかけになる。

そうしているうちに、事態は独仏露による三国干渉へと至る。
三国干渉とは、日本が清国から賠償で受け取った遼東半島を清国へと返却するよう求めた事件だ。そこには当然、ロシアの満州・朝鮮への野心がむき出しになっている。そのシーンで著者は、ロシアのヴィッテの嘆きを紹介する。
ヴィッテ曰く、ロシアの没落は三国干渉によって始まったとのことだ。ヴィッテ自身の持論によれば、ロシアはそこまで極東への野心を持ってはならないとのこと。だが、その思いはロシア皇帝ニコライ二世やその取り巻きには理解されず、それが嘆きとして残ったという。

なぜ、ロシアが極東に目を向け始めたのか。
そうした地理の条件からの説明を含め、著者は近世以降のロシアの歴史を説き起こしてゆく。そして、今に至るまでのロシアの状況を的確に彫りだしてゆく。
それによれば、西洋の進歩に乗り遅れた劣等感がロシアにはあった。当時のロシアは、社会に制度が整っていないこと。官僚主義が強いこと。そして、政府の専制の度合いが他国に比べて厳しいこと。さらに、不凍港を求めるあまり、極東へ進出したいというあからさまな野心が見えていること。最後に、ニコライ二世が、訪日時に津田三蔵巡査によって殺されかけたことから、日本を野蛮な猿として軽んじていたこと、などを語っていく。

そうして、日本とロシアの間に戦いの予感が漂っていく。そんな緊迫した中、意外なことにロシアは日本との戦いを予想していなかったという。それはロシアにとってみれば、日本の国力があまりにも小さいため、どれだけロシアが極東に圧力をかけようとも、日本がロシアに戦争を挑むはずがない、と高をくくっていたからだ。もちろん、歴史が語るとおり、日本は世界中の予想を跳ね返してロシアに戦いを挑むわけだが。

当時の日本がどれだけ世界の中で認識されていなかったか。そしてどれだけ侮られていたか。それなのに、日本にとってはどれだけロシアの圧力が国の存亡をかけたものととらえられていたか。風雲は急を告げる中、著者は次の巻へと読者をいざなう。

‘2018/12/7-2018/12/11


坂の上の雲(一)


海上自衛隊の横須賀地方総監部の見学に訪れたのは2017年の秋のこと。
その時、護衛艦「たかなみ」に乗船させていただいたが、たかなみに乗るまでの時間が空いてしまい、先に「三笠」見学に訪れた。

三笠公園は、横須賀地方総監部から30分ほど歩いた場所にある。海に面した風光明媚な公園は海に面し、岸壁には「三笠」が停泊している。
岸壁には平らかな広場が設えられている。丸く形どられた池には噴水が吹き出し、その池の中央には三笠を背後にした東郷平八郎元帥の銅像が遠くを見据えている。

私にとって初めての三笠。
艦内は思ったより広く、そして現役当時を思わせる雰囲気が保たれていた。
甲板には巨大な鎖が無造作にさらされ、その先は海へと消えている。

その時、ご一緒した方より聞かれたのが「「坂の上の雲」読みました?」だった。私は恥じらう気持ちと共に「まだ読んだことがないんですよ~」と返した。
そして、三笠の甲板や操舵輪や艦長室を存分に堪能する間、私の心にわだかまっていたのは、自分がまだ明治を描いた本書を読んでいないことだった。
読者家を称していながら、まだ本書を読んでいない事実に気づかされたのが、この時の会話だった。

もう一つ、私に本書を読まねばと思わせたのは、東郷元帥記念公園の存在だ。
当時、私が半常駐していた職場の近所の東郷元帥記念公園によく散歩に訪れていた。
公園に残されたライオン像と給水塔の遺物だけがかつての旧宅の広壮さの名残を今に伝えている。
この公園には本当に何度も訪れており、私は東郷元帥には何かとご縁があったのだろう。

私が「坂の上の雲」を読み始めるのも時間の問題だったに違いない。
2018年も後半になり、意を決して読みはじめた。

もっとも、読む前から本書の内容はおぼろげには知っていた。
秋山兄弟と正岡子規を軸に据え、勃興する明治日本の時代の空気を描く。そんな認識だった。

その第一巻である本書では、三人の生い立ちを語る。
伊予松山での日々。それは、戊辰戦争で新政府軍に抗した賊軍としての汚名との戦いだった。
その汚名は、伊予の若者から栄達の道を奪う。
未来の希望が喪われた有為の若者にとって、政府高官の道は選択肢にない。軍隊に入るか、学問で生きるしか、身を立てる術はなかった。

秋山兄弟は、そうしたタガを破ろうと、迷える青年期を送る。そして正岡子規も身を立てる道を文学に求める。
一巻である本書は、彼らの若さと野心が充満している。

彼らの心を支えていたのは、時代の空気もあった。
封建の時代が去り、次なる未来へ駆け上がろうとする明治日本の勃興。
それは賊軍とされた伊予松山でも同じだ。
人々は枠にはまらず、自由でありながら、日本人としての矜持を持っていた。

明治とは、日本人の一人一人が自身の生き方を真剣に悩み、日本のこれからを真摯に考えていた時代でもある。
そして、封建の時代から新時代に切り替わるにあたり、仕組みが整っていないため、なろうと思えば、身を立てられる時代でもあった。

正岡子規は、秋山真之とともに、松山中学を首尾良く中退する。そして上京して一高に入学し、栄達への足掛かりを掴む。
しかし、一高に入学したはよいが、文学に熱中してしまう。
哲学を論じ、人はどう生きるかに頭を悩ませる子規。
その姿は、国家建設の理想に燃えていた一部の学生にとっては看過できない振る舞い。一高の学生でありながら文学にうつつを抜かすとは何事か、と糾弾される。

さらに秋山兄弟の兄、好古は一足先に陸軍に入る。
一高での肩身の狭さや、兄に学費を負担してもらっている引け目もあり、真之も海軍へと進路を変更する。それは、一緒に文学を極めようと誓った仲の正岡子規を裏切ることでもある。
真之はここで自らの資質を要領が良すぎることと見極めている。試験にも勉強せずにヤマを張って臨み、そのヤマを見事に当てて高得点を取る。
文学に惹かれながらも、自らの容量の良さを生かす場を違う世界に求める。この点は重要だ。

本書で描かれる真之は要領も良いが、向こう気の強い人間だ。
そんな真之が唯一頭が上がらない人物。それが、兄の好古だ。その兄が陸軍に入ったため、同じ軍でも兄とは違って海軍に目を向けたことも見逃せない。

もちろん、真之のその選択は、将来の日本を救うことになる。日本海海戦の勝利として。そのことを読者の私たちは知っている。そして、著者も読者がそれを承知していることを前提の上で本書をつむいでゆく。

本書で見逃してはならないのは、好古の欧行のエピソードだ。
好古の留学先は、明治の陸軍が模範としたドイツではなくフランス。
それは陸軍の教育方針では見えない視点を好古に与え、後年、黒溝台や奉天で好古が騎兵を率いて活躍する素地となる。
本書ではドイツから招いたメッケルがどれだけ日本陸軍に影響を与えたかについても触れている。
その事実とあわせて読むと、好古の後年の日露戦争での活躍がより深みをともなって理解できる。

また、子規が喀血する場面も本書に登場する。野球に熱中した少年が味わった初めての蹉跌。
真之たちと歩いて江ノ島まで行ったほどの男が、旅に疲れた結果、喀血を友とする悲哀。
海軍兵学校に入った真之は学校が江田島に移ったこともあり、松山に帰り、病床の子規を見舞う。
軍人としての道を進む真之と病床に臥す子規の対比。これが本書に複雑な味わいを与えている。

もちろん、病床で諦めなかったことが、子規の名前を不朽にした。そして秋山兄弟もそれぞれの経験を積み、後年の名声の基礎を培っている。
彼らの名が後世に輝かしく伝わっているのはなぜか。そうした彼らの青年期のエピソードこそ、本書のかなめだ。

読者は、本書で描かれる日本の歴史を知っている。結果を知った上で、なおかつわくわくしながら読める。
それこそが、本書の魅力でもある。

‘2018/12/5-2018/12/7


日本語教室


『相手に「伝わる」話し方』()に続いて読んだのが本書。二冊とも表現がテーマだ。私が続けて同じ分野の本を読もうと思ったのは、私の向上心ゆえだ。今後、世の中を渡っていく上で求められるスキルは無数にある。私もその中のいくつかは装備して世渡りの助けとしている。中でも文章を書く能力は、私が独力で、組織の力を借りることなく、世に打って出られる可能性の高いスキルだと思っている。

私が最近予想すること。それは今後、人工知能がいつの間にか、世のあらゆる分野になくてはならない存在になる、ということだ。それは、組織のあり方を劇的に変えてゆくはずだ。世の中の多くの組織は段階を踏んで解体されて行き、今私たちがなじんでいるものとは違う組織になっていることだろう。今までは組織の人員の力で対応しなければ成し遂げられたなかった仕事が、人口知能によって相当の領域で置き換えられていくに違いない。それは、人工知能vs人間といったわかりやすい構図ではなく、いつのまにか人工知能に深く依存し、そこから引き返せなくなる未来として私の脳裏に思い浮かぶ。

ただ、組織の未来を考えるとき、人の組織への帰属心は容易には消えないはずなので、組織は何らかの形で残っていくに違いない、とも思う。一方で組織の中で働く個人に求められるスキルは変わっていくことだろうという予想も湧き出てくる。つまるところ、組織に勤めていようが独立していようが、これからの個人に求められるスキルとは、組織の中で人々を調整する力よりも個人の力ではないかと思うのだ。とくに個人は、実名で何かを発信しなくては、かなり厳しくなるのではないか。

そのための準備として私が鍛えるべきなのは文章力、そして日本語力だ。著者は日本語にこだわる作家としてよく知られている。ちなみに私は著者の小説は読んだことがない。私の親が著者の文庫本を何冊も持っていて、そのタイトルをそらんじられるにもかかわらず。それなのに、著者の名作たちを差し置いて、はじめに読む著者の本が講演集であることの後ろめたさ。さらにいうと私は著者のことを何も知らなかった。そもそも著者が上智大学出身であることすら、本書を読んで初めて知った次第だ。

本書は著者の出身校である上智大学での講演を書籍化したものだ。講演であるため、本書は話し言葉で貫かれている。つまり、すらすらと読める。しかも時々脱線する。そうした酒脱な雰囲気が本書には始終流れており、楽しく読める。

著者の軽妙な姿勢は、日本語に対する考えからも感じ取れる。本書の第一講「日本語はいまどうなっているのか」では、現代の日本語に英語が幅を利かせつつある状況を紹介する。ところが著者はそれをただ憂うのではない。日本語原理主義を振りかざすこともしない。著者は英語が氾濫する今の日本語に警鐘を鳴らしつつ、言葉は変わりゆくものと柔軟な意見も開陳する。正直いって私も今のカタカナ語の氾濫には閉口している。IT業界に属していると、ビジネス用語も含めた外来語の氾濫にさらされる。しかもIBMなどの外資系の文化が横行する現場だとなおさらだ。それゆえ、過度の日英の単語がちゃんぽんされ、飛び交う現状にはこれ以上ついていけない。だから、その融合するスピードをもう少し緩められないか、という著者の意見に与したい。著者は第二講の「日本語はどうつくられたのか」の中でリコンファームやエンドースメント、そしてコレクトコールのような言葉は無理に日本語訳にせず、外来語のままでよい、とも言っている。そのあたりの柔軟さは必要だし、本書はその点で好感が持てる。

昔、漫画『こち亀』の中で外来語を日本語に律義に言い換えるおじさんが登場したことがある。たとえば「ローリングストーンズ」を「転がる石楽団」とかいう感じで。日本語に相当する言葉がないのなら、珍妙な日本語を作ることにこだわらず、外来語は外来語のままで、というのが著者の主張だ。

第二講で著者は、明治期に西周や福沢諭吉といった人々が外来語を苦労して日本の言葉に翻訳した歴史を紹介する。当時は彼らのような碩学が苦労して翻訳の労を取ってくれた。だが、今は当時とは違い、情報の流入量が違いすぎる。どこまでを外来語として取り入れ、どこまでを日本語に翻訳していけば良いか。それは常に文を書く上で意識していくことが求められる。もう一つ、第二講では、著者の政治的な意見も吐露される。どちらかといえば左寄りの発言が知られる著者の想いが。

たとえば、「完璧な国などないわけですね。かならずどこかで間違いを犯します。その間違いを、自分で気が付いて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。」(118P)との箇所がそうだ。著者も含め、左寄りとされる論客は話が国際関係に及んだとたん、その主張の説得力がなくなってしまう。対象が自分の国だけならそれで良い。けれど、相手の国があると理想主義を貫くのは難しい。

第三講「日本語はどのように話されるのか」で著者が語るのは、日本語の音韻の特徴だ。日本語の母音は”あ”、”い”、”う”、”え”、”お”の五つからなっている。その特徴を説明するため、著者は斎藤茂吉の短歌を取り上げる。
「最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも」
ここで最初の「もがみがわ」の中の”あ”の母音が三つ含まれるところに、著者は開放的な語感を指摘する。また、”う”が五つも続く「ふぶくゆふべ」の語感からは、「吹雪く夕べ」に耐える様子が表現されている指摘する。語感から日本語を指摘する見識はさすがだ。

この前に読んだ『相手に「伝わる」話し方』でも音読の重要性について学んだばかり。母音の数が少ない日本語は、同音異義語、つまりダジャレの土壌となる。また、言葉が母音で終わる日本語の特徴は、外国人の耳に美しい言葉として聞えるらしい。もう一つ、「茶畑」と「田畑」の読みが「ばたけ」と「はた」というように音が濁る場合とそうでない場合についても解説されている。「田」と「畑」のように並列の場合は濁らず、「茶」の「畑」のように従属関係にある場合は濁る。著者はこういった使い分けが日本語に連綿と語り継がれていることを指摘する。これらはとても興味深い。

もう一つ、興味深かった点は、日本語で一息で発音できる音節が十二という記述だ。十二を六と六に分けるとリズムがでない。なので、五と七に分けた。それはつまり俳句のリズムだ。短歌から連歌に発展したリズムが、俳句とつながってゆく。この部分もとても勉強になる。俳句が世界で一番短い詩と言われる秘密がさらりと示される。

第四講「日本語はどのように表現されるのか」では、著者は文法を取り上げる。日本語の文法の構造は、外来語が入ってきたところでおいそれと崩れないことも指摘する。言われてみれば確かにそうだ。「私は」「旅が」「好きだ」と日本語はSOV(主語+目的語+動詞)の順番に並ぶ。しかし英語は「I」「Like」「Travel」とSVO(主語+動詞+目的語)の順に並ぶ。どれだけ英単語が日本語に入り込もうとも、「私は好きだ旅が」という表現が日本で市民権を得るのは難しいし、もしそうなるとすれば、相当の年月がかかるはずだ。それゆえ著者は文法を整理した学者の努力を認めつつ、「私たちは日本語の文法を勉強する必要はないのです。無意識のうちにいつのまにか文法を身につけていますから」(161P)と結論付けるのだ。結局、無意識に刷り込まれた文法の構造こそ、著者にとって守るべき日本語の芯なのだろう。そして日本文化の芯なのだと思う。

先に書いたとおり、本書には右傾化する日本を揶揄する著者の毒が何カ所かで吐かれる。でも、それはあくまで外交関係や領土の領分の話。そういった観点で日本のナショナリズムを主張するのではなく、著者のように文化の立場から日本のナショナリズムを主張してもよいのではないか。私は本書を読んでそう思った。それをごちゃまぜにするのではなく、文化は文化として守るべき。そう考えると左寄りと見られがちな著者は、立派に愛国心を持った人物だと見直すことができる。イデオロギーでカテゴライズすることの浅はかさすら感じさせるのが本書だ。

本書をきっかけに、著者の著作も読んでみなければ、と思うようになった。そこにはきっと、手本にすべき美しい日本語が描かれているはずだから。

‘2018/01/18-2018/01/19


硝子の葦


帯のうたい文句にこう書かれている。
「爆発不可避、忘却不能の結末
ノンストップ・エンタテイメント長編!」
さすがにこの文句は盛りすぎだと思う。
でも、一気に本書を読めたのは確か。

序章で厚岸の街を舞台に起こった爆発事故。そこで亡くなった幸田節子は、なぜ死ななければならなかったのか。本書は冒頭に爆発事故を置くことで、なぜ爆発事故が起こったのかという謎を読者に提示する。その謎を解きほぐすため、爆発事故までの出来事を追ってゆくのが本書の構成だ。厚岸といえば、北海道の東に位置する牡蠣が有名な海辺の町だ。だが、厚岸はさほどにぎやかな街ではない。それどころか単調な気配が濃厚だ。

ところが、そんな街に住む幸田節子の周囲は単調とは程遠い。複雑な家に生まれたためか、節子は人間をさめた目で見る。さらに人生に対しても乾いた感性でしか向き合えないようになってしまった。彼女は厚岸で飲み屋を営んできた母の律子から虐待を受けていた。律子の男との関係は奔放で、節子の父親も流しの漁船員だという。一夜だけの関係を結んだだけで行方知れずになった父。父を知らず、奔放な母に育った節子は、尖ったりグレる前に、人生を達観してしまった。達観のあまり、人生を平板なものと考えている。そして何の期待も希望も持たずに人生を過ごしている。だからこそ節子は母の元愛人だった喜一郎からの求婚を受け入れたのだ。喜一郎の求婚は、気楽な人生を送らないか、という愛情とは遠い言葉だった。そして節子は、喜一郎の経営するラブホテルに隣接した住居で日々を送っている。

節子は日々を無意味にしないため、短歌の会に参加している。喜一郎の援助のもと、自費出版で歌集も出した。そのタイトルが「硝子の葦」。葦は中が空洞であり、うつろ。硝子は折れやすくもろい。まさに節子の人生観そのもののようなタイトルだ。

そんな節子の日々は、喜一郎が事故を起こし、意識が不明のままというニュースで一転する。ニュースが入って来たその時、節子は結婚する前まで勤めていた税理士事務所の所長澤木と情事の最中だった。澤木は長年喜一郎の事業の経理を担当しており、なにくれとなく節子にも目をかけてくれている。喜一郎の事故をきっかけに、次々に節子の周りに事件が起こる。

節子の作風は性愛。男女の営みをテーマに取り上げるのは、ラブホテルの隣に住むことで己の人生に溜まってゆくオリを取り除くためだろうか。だが、節子の歌は、会の中で節子を少し浮いた存在にしていた。ところがもっと浮いているのが同じ会に属する佐野倫子。家族の健やかな平和と穏やかな日常を描く彼女の短歌に何か偽善のにおいを感じ、節子は佐野倫子を遠ざけていた。それなのに、佐野倫子の方から節子に近づいてくる。

節子の予感は正しく、佐野倫子の旦那の渉は倒産した地元百貨店の親族。日々、生活感のなさを発揮し、落ちぶれた己のうっぷんを妻子にぶつけるダメ夫。娘のまゆみは日々虐待を父から受けている。

そんな日々を描きながら、物語は徐々に疾走を始める。冒頭にあげた帯の文句ほどにはスピード感はないが、物事が次々につながっていき、そして冒頭の爆発事故に至る。その後、どうなってゆくのかは、これ以上書かない。ミステリの要素と犯罪小説の要素が濃い本書。その中で核となる節子の人生の転換がわざとらしくないのがいい。

なぜわざとらしさを感じなかったのか。それは、本書の中で随所に描かれる色彩と関係があるのかもしれない。冒頭から爆発の火と煙で幕を開ける本書。そして主な舞台となるのは、けばけばしいラブホテル。カバーイラストにもある壊れた車の鮮やかな朱色。読者は本書にちらつく艶やかな原色のイメージに気づくはず。ところが、節子の心情を表わすかのような乾いた世界観と、原野を思わせる北海道のイメージが本書の色合いを徐々にセピアに変えてゆく。原色からセピアへと色褪せていく描写。それが節子のあり方にわざとらしさを感じられなかった原因かもしれない。短歌の会という限られた場の閉塞感とラブホテルから漏れ出る性愛の爛れた感じが、節子の乾いたセピア色の世界にアクセントを加える。本書の色相はセピアの中に原色が時折混じり、それが本書のアクセントだ。その原色は節子という一人の女性が願った輝きだったとも解釈できる。

著者の作品を読むのは初めて。Wikipediaの著者の項に書かれていたが、著者の実家は本書と同じくラブホテルだったそうだ。しかも名前まで同じ「ホテルローヤル」。だからこそ著者は、ここまで実感を持ってラブホテルを書けるのだろう。しかもどこか距離をおいて男女の営みを眺めるような視点で。しかも著者は釧路出身だという。厚岸にほど近い地に育ち、道東に広がる原野になじみ、それでいてラブホテルの色彩感覚を知る。だからこそ本書のような色彩感覚が生み出せたのだと思う。

私はあの道東の色を忘れたような色彩感が好きだ。厚岸も。その近くの霧多布湿原も。かつて訪れた道東の静寂にも似た色合い。本書から感じたのは道東の色遣いだ。本書を読み、また道東に行きたくなった。そして、著者の他の作品にも目を通したくなった。旅情にも通じる色彩の描写を楽しむのも、本書の読み方の一つかもしれない。

‘2017/08/04-2017/08/05