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人の道を踏み外さぬ経営を


コロナに振り回された一年も終わりを迎えようとしています。
今、福島出張の帰りの新幹線です。その中でこれを書いています。

12/25日のクリスマスには、ジョン・レノンのHappy Xmas (War Is Over)の歌詞を読み、そのシンプルかつじかに心に響く歌詞に惹かれました。

Happy Xmas Kyoko

Happy Xmas Julian

So this is Xmas

And what have you done?

Another year over

And a new one just begun

And so this is Xmas

I hope you have fun

The near and the dear one

The old and the young

A very Merry Xmas

And a happy New Year

Let’s hope it’s a good one

Without any fear

ここに書かれているとおり、来年こそは何の恐れもない年を願いたいと思います。
ジョンの残したシンプルでかつ力のある歌詞に心を揺り動かされたクリスマスでした。

歌詞の余韻の醒めやらぬ中、次の日は福島出張の前乗りで、新白河の隣の駅にあるアウシュヴィッツ平和博物館を訪れました。

かつて、グラフィックデザイナーの青木進々氏が、1980年代後半から1990年代後半にかけ、全国で「心に刻むアウシュヴィッツ展」を開催していました。ここアウシュヴィッツ平和博物館は、その時の展示品を集めた場所です。

かつて、私は「心に刻むアウシュヴィッツ展」が京都で催された際、単身でボランティアに志願しました。どういういきさつで参加したのか思い出せませんが、1時間ほどかけて会場に向かい、一日中、案内係をした記憶があります。
その後の打ち上げ会も、誰も知り合いがいないにもかかわらず一人で参加しました。青木進々氏とも言葉を交わしたように思います。
1997年ごろのことですから、私がようやく鬱から立ち直り、いろいろと外に向いて活動を始めたころです。

正直にいうと、青木進々氏と何を話したかも覚えていません。アウシュヴィッツ展の展示物も、人体から作った石鹸やかつらや衣服や靴やメガネの山に強烈な印象を受けた以外は、あまり覚えていません。

それ以来、23年の月日がたちました。その間の私はあまり社会貢献ができていませんでした。
むしろ自分の家族を築き、家を処分し、仕事を覚え、自らの立場を確立するので精一杯でした。

今年、コロナで世の中は非常に苦しんでいます。
そんな世相にあって、弊社はご縁があって町田市地域活動サポートオフィスの皆さんとご一緒にお仕事をさせていただく機会がありました
その中で、私の中で忘れかけていた社会貢献の熱がよみがえってきました。
町田市地域活動サポートオフィスさんの立ち上げたクラウドファンディングにも寄付させていただいたのも今年です。

コロナがもたらしたリモートワークの促進もあって、弊社は忙しくなったと同時に、金銭的には少し余裕ができつつあります。
それが社会貢献にもつながっています。そして、その余裕を生かして雇用にも目を向けられるようになりました。
年末でお一方を雇用するめどはつきました。来年からは外注先に頼む以外に、自社のリソースを活用できるはずです。

雇用するということは、その方の人生や暮らしにも責任を持たねばなりません。
悪辣な経営者であれば、責任は持たずに搾取して使役して疲弊させることに腐心するのでしょう。

いうまでもなく、私はそうしたくありません。
たとえ微力であっても、弊社のために働いてくださる方の人生にとって糧となるような会社でありたい。そう願っています。
ましてや、私がかつて属していたような圧力で社員を萎縮させるブラック企業のようには。
そのような企業に堕してしまうことは、ナチス・ドイツがかつてアウシュヴィッツをはじめとした収容所で強制労働に駆り立てたことと同じです。
アウシュヴィッツの言語を絶する所業の数々を見るにつけ、経営者の立場として襟を正さねばと思います。利益追求や人を傷つけるような思想に与することのないように。

そのためにも弊社として何をなすべきか。
正当な労働対価を受け取り、それをきちんと社員に還元できるようにしなければ。
今までの安価な見積金額は改めねばならないでしょう。
また、不要な残業ももってのほか。それには生産性を上げるような施策を打たねばなりますまい。
ただ理想を語るだけでは、何も変わらないことは今までの人生で思い知らされてきました。語るだけでなく動こうと思います。

今年の正月はそのあたりのことも、きちんと心機一転して考えたいと思っています。
ジョンがかつてこう歌ったように。

A very Merry Xmas メリークリスマス

And a happy New Year そして新年おめでとう

Let’s hope it’s a good one よい年になるように祈ろう

Without any fear 何の恐れもないように

War is over! 争いは終わる

If you want it もしそれを望めば

War is over! Now! 今、争いは終わる

人々が、そして弊社が争いもなく過ごせるようになる方法。
それは、人や他社と比べるのではなく、自らと比べ、自らを成長させていくことだと思っています。
このような会社にしていきたいですね。年の瀬によい気付きができたように思います。


結婚20周年の旅 2019/11/22


さて、八ヶ岳の朝を迎えました。
11月の八ヶ岳は都内よりも秋の深まりをしんしんと感じさせてくれます。

まずは昨晩もお世話になった「YYグリル」の朝食ビュッフェで体を整え、丸山珈琲では優雅に朝のコーヒーで体と心を暖めまして。

しかも、コーヒーを飲んでいると、今日は観光するな、ここにいろ、といわんばかりの天候となり、リゾナーレ小淵沢は雨に降られました。

そのため、昨日に引き続き、終日をリゾナーレ八ヶ岳の中だけで過ごしました。
私にとっては実はもっとも苦手な時間の過ごし方。ところが妻にとってはそのような時間こそ求めていたのだそう。動き回らずにのんびりと過ごすゆったりした時間を。

昨日も訪れた「Epicerie Fine Alpilles」で長い間、ためつすがめつ商品選びに余念のなかった妻。迷った揚げ句、フランスのお店の写真があしらわれたエコバッグを購入し、まずはご満悦の様子。

午後は「Books & Cafe」で本に囲まれながら、それぞれ存分に一人の時間を使いました。
私はここで持ってきたパソコンを開いてお仕事もこなしつつ。

旅先に来ているにもかかわらず、どこにも出かけない。バカンスの本来の意味は「空」からきているといいますが、私は地方に来ているのにあちこちに出かけないという時間の過ごし方がもったいなく思えて本当に苦手です。多分、生き急いでいるのでしょうね。
旅に出ると毎度毎度、私にあちこち連れまわされていた妻にとっては、今回の旅のあり方が非常に嬉しかったそうです。

結局、私たちは17時半ごろまでリゾナーレ八ヶ岳で過ごしていました。

このホテルは妻や娘たちがお気に入りで、今までに何度も来ています。泊まりではなく立ち寄るためだけでも。

それほどまでに気に入っているこのホテルですが、実は最初の思い出は芳しくありませんでした。
それは長女がまだ乳児の時分。星野リゾートが運営に携わる前のことです。
その時の残念な対応が妻の中でしこりとなって残っていただけに、十年ほどたって再訪した時に受けた心温まる対応の数々にすっかり魅了され、今では何かあればリゾナーレというほどにほれ込んでいます。

私としてもkintoneのヘビーユーザーとして知られる星野リゾートさんには親近感を覚えています。
今回も貴重な時間を過ごさせてもらえました。感謝です。

最後にせっかく山梨に来ているのだからほうとうを食べていこうと、清里の小作まで足を延ばしました。
雨脚は相変わらず弱まらず、小作の広い店内には私たち夫婦以外はもう一組だけ。
小作には何度も来ているのですが、いつものにぎわった店内とは全く違う雰囲気が印象に残りました。これもまた、思い出に残る出来事でした。

また、こうやって夫婦で来られる日を願いつつ。


結婚20周年の旅 2019/11/21


結婚して二十年目の記念日。
本当は海外に行くなど、より思い出に残る旅をする予定でした。が、いろいろあって妻の気に入っているリゾナーレ八ヶ岳で夫婦の時間を過ごすことにしました。

とはいえ、この日は夫婦ともに日中に予定が入っていました。私は仕事の打ち合わせが入ってしまい、午前は恵比寿にいました。
まさに二十年前のこの日、披露宴を挙げたのが恵比寿。商談とはいえ、記念日に訪れられたのも何かのご縁でしょう。

この日は偶然にももう一つのニュースがありました。それは、弊社がサイボウズ社のオフィシャルパートナーになった記念の盾が届いたことです。盾が届いたので、弊社としても正式にその旨を告知することができました。

そこから家に戻り、車を駆ってリゾナーレ八ヶ岳に着いたのは17時半頃。
本来の私のスタイルならば、近隣を観光してからチェックインするはず。が、どこにも寄らず、いきなりホテルにチェックインしました。
でも良いのです。今回の旅はとにかくぼーっとしたい、との妻の意向があったので。

リゾナーレ八ヶ岳の街並みは、訪れるたびに新鮮な気分にさせてくれます。来るたびに装いが変わっているから。
今年は、ワインの空瓶をランプに見立て、それをツリー状に束ねたオブジェが見ものでした。
クリスマス仕様に装った街並みは、それだけで旅人の、そして夫婦の気持ちを盛り上げてくれます。

ここの街並みには、旅情に寄り添ってくれる店々が軒を並べています。
ここで私たちが長い間足を止めたのが、「Epicerie Fine Alpilles」というお店です。
このお店にはフランスからの輸入雑貨や食品が並んでおり、店内にいるだけで異国情緒が感じられます。

私たちはロゼシャンパンを買い求めましたが、妻はエコバッグに興味をひかれていた模様。とても長い間、商品を手にとっては返しを繰り返していました。
部屋に戻ってまずは結婚二十周年を祝って乾杯しました。

続いては本屋とCaféが併設された「Books & Cafe」へ。特に夕食までに終わらせるべき用事もなく、ゆとりの時間をたっぷりと味わいました。

そして夕食の「YYグリル」です。ここのビュッフェはリゾナーレに来るたびに訪れています。
今回は結婚記念日ということもあって、デザートもいただきました。美味しい食事に舌鼓を打った夫婦でした。

海外に行って豪勢な二十周年は過ごせなかったですが、妻にとってはのんびりできたことが何より嬉しかったそうです。
この時、すでに翌年の手術もほぼ決まっていただけに。


ソロモンの偽証 第Ⅲ部 法廷


第三部は、初公判から閉廷に至るまでの裁判の過程が描かれる。ど素人の中学三年生による裁判が果たしてうまくいくのか。著者はその部分をどのように書き切るのか。本書の筋や真相だけでなく、著者の手腕に興味は尽きない。

中学生が中学生だけで裁判をやりきる。著者は判事役の井上康夫や検事役の藤野涼子、そして弁護人の神原和彦をどのような役回りで演じさせるのか。裁判をつつがなく進めさせるため、著者は彼ら三人にいくらなんでも弁が立ち過ぎじゃないの、と思わせるほどに弁論させる。語らせる。第一部のレビューで彼らに感情移入できないと書いたのは、その弁論のあまりの達者さについてだ。

だが、それだけ喋らせただけのことはあり、本書の展開は法曹ミステリ―のそれを地で行っている。実に見事なものだ。第一部で謎は提示され、起こるべくしてさまざまな出来事も起きた。第二部では中学生たちが大人への反旗を翻しながら、日々をフル活用して調査を進める。そして本書第三部では謎解きが中心となる。

法廷ミステリ―に付き物の展開としてよくあるのは、意外な証人が出てきて爆弾発言をすることだ。証人が口にする想定外の発言によって新たな展開が産まれ、謎が増幅され波紋を呼ぶ。本書もまた法廷ミステリーの骨法に則り、予想外の証人が次々と登場する。そこで第一部、第二部と細やかに丁寧に書き綴ってきた著者の努力が実を結ぶ。今までの出来事を疎かに書いていたら、本書で登場する証人たちが唐突で、とって付けた感じが出てしまう。

裁判に召喚される証人たちの多くは大人たちだ。中学生の扮する検事や弁護人が大人を証人喚問し、その証言に揚げ足を取り、被告または原告に都合の良い方向に法廷の空気を誘導する。本書で描かれる丁々発止のやりとりは、正直なところ中学生には荷が重すぎると思える。だが、それは置いておこう。彼らはあまりにも優秀すぎる中学生なのだから。

本書第三部で肝となる人物は三宅樹里だ。柏木卓也の事件が学校の枠をはみ出て社会的な事件になってしまったのは、彼女の作った告発状がマスコミに漏れたからだ。三宅樹里と一緒に告発の手紙を投函した友人の浅井松子は、良心の呵責から真相を暴露しようとしたところ、三宅樹里の目の前でトラックに轢かれてしまう。浅井松子の死の真相はいったいどこにあるのか。ひどいニキビでいじめられ、性格がねじくれてしまった彼女こそが、著者にとって本書の中で一番書きづらい人物だったことは想像できる。

思春期の女の子が容姿を気にするのはとても自然だ。ねたみやそねみなどを胸のうちに隠しながら、他人とどうやって折り合いを付けていくのか。女の子の悩みは深い。私も娘を持つ身としてなんとなく分かる。でも、彼女たちがどのような想いを抱いているかについては、全く想像が及ばないのも事実だ。一見すると穏当な父娘関係を築き上げているかに(私自身は)思っている私と娘ですら、私が思っているよりもはるかに闇に塗れているのかもしれない。

第一部から三宅樹里が放つどす黒い闇の念。それは、彼女が浅井松子の死によって口が利けなくなってからも衰えるどころかますます暗さを増す。いかにして彼女を証人として呼び出すか。検事側と弁護側の駆け引きが盛んにおこなわれる。

三宅樹里と大出俊次。同じ嫌われ者同士。二人の間にあるいじめと報復の関係が、柏木卓也の墜落死をさらなる混乱に導いたともいえる。かれらの苦しみが法廷の場でどこまで暴かれ、どのように浄化されるのか。いじめやねたみはなぜ起きてしまうのか。けがれなき思春期という幻想は嘘であり、実はすでに大人の世界に半分足を踏み入れてしまっている城東第三中の彼らは、その燃え盛る激情を鎮めるすべも知らずに暴走してしまう。

中学生の抱える爆発寸前の悩みは、大人になりたくもあり、なりたくもない微妙な年頃に特有だ。自分の思いが世の中に受け入れられない悩み。また、受け入れてもらうための方法が分からない苦しみ。ただ、肥大した自我だけが膨張する年齢。第一部のレビューに書いた厨二病とは、中学生の自我が必ず通過する成長の痛みであり、人生にとって欠かせない宿痾なのかもしれない。

本書の発端となった柏木卓也墜死事件もそう。自分には止めようもない自我の暴走によって引き起こされた不幸な出来事。その自我に目を配り、暴走を止める責任までを全て教育現場に求めるのは酷といえないだろうか。

最終論告が終わった後、評決を前にして茂木記者と津崎校長が対峙する場面がある。その中で茂木はこのようにいう。
「学校という制度は、この社会の必要悪です。僕はその悪と戦っている」
それに対して津崎校長は「よくわかります。だが、悪といえども“必要”ならば、私はそのなかで最善を尽くしたいと願い、努めてきました」。
このようなやり取りは、作り事でない教育現場を巡る本音の会話なのだろう。本書が傑作である理由とは、教育現場を悪と見なして終わり、と紋切型に描かないことだ。暴発寸前の自我を抱えた何百人の中学生を、その何十分の一の人数の教師たちで運営する。それはどれだけ至難の業か。そのことに中学を卒業して何十年もたって、ようやく気づいた。しかも本書と違って今の中学生にはLINEもメールもinstgramもある。娘たちの学校の出来事もある程度聞いているけど、リアルだけでなくネットの中の世界にも気配りが必要な先生って大変だなぁ、と。

そんな思いを感じたからこそ、本書で明かされる真実はやるせない。そしてとても切ない。

本書は三部作の中でも法曹ミステリーの要素が強いと冒頭に書いた。でも、本書は単なる推理ゲームには堕さない。それどころか、裁判という場を借りて中学生の抱える闇と戸惑いと不安を描き尽した人生小説である。

本書のエピローグは2010年に飛ぶ。城東第三中学に教師として赴任したある人物のモノローグで進められる。もちろんその人物とは学校内裁判に登場した主要人物である。

第一部のレビューで、本書の時代と世代が私とほぼ同じことにシンパシーを感じると書いた。私もあの時代をとも過ごしたのだから。エピローグに登場する彼の言葉こそ、同じ裁判を体験した仲間にしかいえない実感がこもっている。殻をかぶっていた私も、自分の中学生活を振り返って、思うことが沢山あった。なんだかんだといろんなことがあった中学時代だったなぁと。よくぞあの時期を乗り越えてきたなぁと。本書のエピローグが2010年だったことで、私にも自分自身の中学時代を振り返るきっかけとなった。

エピローグに登場するのは、その人物だけだ。他に裁判を共にした人々のその後の消息は出てこない。でも、彼の言葉が泣かせるのだ。「あの裁判が終わってから、僕ら」・・・・「友達になりました」。彼が教師であるだけになおさら、20年経ってから振り返る中学生の時期に実感が沸くのだろう。生きていればどれほど壮絶なことがあっても幸せに振り返ることができるのだ。

そんな心に沁みるメッセージで本書は幕を閉じる。間違いなく本書は傑作といえる。

‘2016/01/23-2016/01/25


ソロモンの偽証 第II部 決意


第一部の最後は、藤野涼子による決意の言葉で締められた。第二部は、その決意の提案から始まる。城東第三中学校では、恒例行事として三年生が卒業制作を行うことになっている。その卒業制作を学校内裁判を開くことに充てたい、というのが藤野涼子の提案だ。

優等生である藤野涼子が決意を表明した時、学年主任の高木先生は優等生の予期せぬ反抗に目をむき、逆上のあまり平手で頬を打ってしまう。そして藤野涼子はしたたかにも平手打ちの件を訴えないかわりに学校内裁判を開く権利を勝ち取る。大人の言うがままに操られ、真相から遠ざけられたままで中学生活を終わりたくない。そんな藤野涼子の叫びはクラスに波乱を巻き起こす。裁判の期間は夏休みの2週間。高校受験を控えた中三生にそんな暇があるのか、と拒絶やためらいが乱れ飛ぶ。しかし、有志の生徒たちが少しずつ手を挙げ、検事・弁護人・陪審員・判事が決まってゆく。

だが、肝心の被告である大出俊次の意思はまったく顧みられていない。被告が白黒つけたいと意思を示さない限り、原告のいないこの裁判はそもそも成り立たない。そこで生徒たちを応援する北尾教諭は勝木恵子を仲間に入れる。彼女は大出俊次の元カノ(90年当時にこの言葉は一般的じゃなかったと思う)であり、捨てられた格好となった今も大出俊次のため尽くしたいとの意思を持っている。彼女が仲立ちとなり、大出俊次に被告人の立場で裁判に出廷してもらうためお願いに行く裁判関係者たち。

その中には弁護人の任についた神原和彦が加わっている。彼は他校生だが柏木卓也とは親しい。それもあって彼の死の謎を解くため協力を申し出たのだ。学校内裁判の弁護人に新たな一員が加わった今、大出俊次をどう口説き、どうやって裁判の場に引っ張り出すのか。

大出俊次は自他共に認める札付きの不良だ。とはいえ、周りの皆から殺人犯と見なされて平然としていられるほど図太くはない。図体も態度もふてぶてしいようでいて、そこはまだ中学生なのだ。そんな不安定で危うい彼の心理を著者は細やかに描き出す。大出俊次だけではない。勝木恵子、藤野涼子、野田健一、そして神原和彦。彼ら中学生の壊れそうに揺れ動く心のひだを著者はとても丁寧に、細やかに描く。第一巻のレビューで、私は本書に登場する中学生たちに感情移入できなかったと書いたが、それは彼らの行動そのものへの感想であって、中学生の心を描き出す著者の切り込み方には共感できる。きっと私も中学生の頃はこういう心の振れ方をしていたんだろうなぁ、と。

裁判を開こうとする藤野涼子の意図は、上辺だけで考えると無理な流れに思える。しかしこの裁判に法的拘束力はない。真似事であってもいいと先生方が黙認する中、裁判の実現に向けて彼女は懸命に努力する。この流れに少しでも作者のご都合主義が混じると読者は白けてしまう。なので、著者の筆は丁寧に丁寧に裁判開催までの経緯を紡ぎ続ける。中学生が無理なく裁判を実現するための能力と心の有り様に気を配りながら。中学生とはこうであったか、とかつて中学生だった私にも納得できるくらい丁寧に。本書の紙数がこれだけ増えてしまったのも無理もない。

中学生が裁判を開く。それは、中学生が大人の世界に足を踏み出すには格好のイベントだ。イベントとはいえ遊び半分ではない。きちんと裁判の前提や手続きに則っている。それが法的に無効なだけであって、彼らは真剣に裁判を行い事実を明らかにしたいと願っているのだ。

藤野涼子は叫ぶ。「あたしたちは、いろんなことを聞かれて、書かれて、憶測されて、想像されるんだ。何にも確かなことを教えてもらえないまんまで。あなたたちは知らなくていいことですって」

私は、第一部のレビューに書いた通り、のほほんとした無個性のノンポリ中学生だった。なので、藤野涼子が抱いたような深い不信を大人たちに抱いてなかった。でも、私の中学時代は無風平穏な日々ではなかった。校長室にも呼び出されたし、警察にも呼び出されたし、個人面談では担任より攻撃された。友人に大金を盗まれたことだってある。二度にわたって足の手術を受け、合計で1ヶ月はベッドの上にいた。多分、私は自分が思っている以上に親を嘆かせた中学生だったと思う。しかも、どれも私が自ら動いたのではなく、周りに引きずられて。今、こうやって中学時代の自分を思い返しても、反抗期でもなかったのに反省することばかりだ。私個人の反抗期は中学時代ではなくずっとのちにやってきた。大学を出た後、真っ当に新卒就職の道を歩まないことが反抗と信じて。

そんなわけだから、私は本書に登場する中学生達に感情移入出来なかったのだと思う。でも、今の私には同じ年頃の娘がいる。いつの間にか大人になってしまった私は、子どもたちに対して高木先生と同じような態度を取っていないだろうか。まだ子どもなんだから。まだ中学生なんだから。でも、実はそれって中学生からすればもの凄く嫌な気分にさせられる態度なんだろうな。私自身が中学生であった頃、同じような訳知り顔の態度を大人たちから示されて嫌な気分にならなかっただろうか。のほほん中学生だった私も、思い出せないだけできっと同じような気分を味わわされていたはずだ。

大人たちの都合でいいようにされてたまるか。中学生たちが自己を目覚めさせ、成長していく過程。大人の入り口に立った子供が、大人の真似事にどこまで迫れるのか。本書に書かれる中学生たちの悩みは、当人にとっては真剣な思春期の悩みだ。そんな中学生の悩みに迫る本書は推理小説でも犯罪小説でもない。ましてや、ヤングアダルト小説やライトノベルでもない。本書は子供から大人への成長を丹念に描いた人生小説だ。だから本書を読み進めるうち、読者にとって大出俊次が柏木卓也を突き落としたのか、柏木卓也はなぜ死んだのかといった謎は二の次三の次になる。謎解きのスリルよりももっと深い部分で考えさせられる。そして、必ずや読者は自分自身の中学時代について想いを馳せるはずだ。私のように。

本書に登場する親たちの描写も丁寧だ。柏木卓也の親。藤野涼子の親。野田健一の親。それぞれがそれぞれの思惑で子に接している。子どもとともに生きようと愛情を注ぐ親もいれば、心が子から離れてしまっている親もいる。私も娘たちにはなるべく誠実に接しようと心がけているつもりだが、親として残念な自分に思い当たる節も多々ある。

第一部のレビューで書いた通り、私にとって本書は同世代を生きた経験からも思い入れを感じる一冊だ。本書を読んだことで私自身の中学生活を省みるきっかけにもなった。しかし、私にとっての本書は、中学生の娘を持つ親の立場でも思い入れを感じる一冊でもある。いや、思い入れを感じるという表現は正確ではない。親となってしまった今、自分がいつの間にか中学生の頃の気持ちを忘れ、大人の目で子どもに接していたことへのうろたえを含んだ「きづき」と言えばよいか。大人の約束事や大人の事情。どれも世を渡って生きていく上で欠かせないスキル。しかし、そんなスキルに溺れすぎて、子供の頃の自分を忘れていないか。そんな自分への苦い問いが本書を読むと湧き上がってくる。しかもその問いに理想論や青臭さは含まれておらず、それが余計に心に沁みる。

三部作の中間にあたる本書は、ミステリの要素が一番薄い。だからその分、最も考えさせられるのかもしれない。

‘2016/01/22-2016/01/23


ソロモンの偽証 第Ⅰ部 事件


厨二病という言葉がある。生真面目に直訳すれば、中学二年生病となろうか。その年代に特有の情動が不安定な様子を指す言葉だ。いわゆるネットスラング。野暮を承知で由来を書くと、中学生を馬鹿にして中坊と呼び、それを一括で漢字変換すると厨房。「厨」房の「二」年生と言った意味だ。

大人向けの知識を聞きかじり始めた、大人と子供の間に挟まった時期。今はネットの発展により大人向け情報がたやすく入手できるので、厨二病患者にとっては過ごしやすい時代かもしれない。

私が中学二~三年だったのは、1987年から1988年にかけてだった。バブルが弾ける前の浮かれた日本の中で多感な時期を過ごした世代。それが私の世代である。私自身が中二の頃は何をして何を考えていただろう。その頃はまだネットが無かった。時代がちがうため現代っ子とは比較できない、と言いたいところだが、多分今の中学二年生と似たり寄ったりだったのだろうな。

本書に登場するのはまさに同じ世代、同じ年代の中学生たちだ。本書の発端となる事件が起こったのは1990年のクリスマスの早朝。私が14歳のクリスマスを過ごした三年後のことだ。

三年とは世代の差として大きく、同じ年代の枠に含めるのは無理があるのかもしれない。それでもなお、本書内の彼らと私は同時代を生きたといえる。何故なら、バブルが弾ける前の時代に多感な時期を過ごし、インターネットを知らずに中学生活を送った世代だから。「バブルが弾ける前」と「インターネットを知らない」。この二つのキーワードは、同じ時代を生きた証として今も有効だと思う。私が本書に思い入れを持ったのは、同じ時代に同じ年代として生きた親近感にあるといってよいだろう。

とはいえ、本書を読む間、登場人物に感情移入できたかというとそうでもない。なぜかというと、当時の私は本書に登場する中学生達の様には個性が確立していなかったから。正直いって私の中学時代は無個性だったといえる。私の中学時代を知る妻の友人は、私と付き合っていると聞くと、あんなショボいやつといったそうだ。そして私と結婚したら全く連絡を断ってしまった。中学時代の私とは、それくらいパッとしないやつだったのだろう。本書には名前が付いている主要なキャラ以外にも、名前も出てこないその他大勢がいる。多分、当時の私が本書の登場人物であったとしても、名も無きクラスメートの一員に甘んじていたことだろう。

そこが、私が本書の登場人物達に感情移入できない理由の一つだ。柏木卓也の墜死体の犯人を探すために学校内で模擬裁判を行い、検事や弁護士、判事や陪審員に扮し、弁論をこなす。そんな派手な活躍など当時の私にはとてもとても。

本書の主要キャラの中で当時の私に近い存在といえるのは、野田健一だろうか。病弱な母と仕事に不満をもらす父のもとで育った彼は、目立つことを極力避け、自己を隠すことに腐心している。しかし、野田健一のその目論みは、柏木卓也の墜死体の第一発見者となったことで破綻を来す。

中学二、三年といえば、いじめや校内暴力がつきものの年代だ。墜死体が発見されてすぐに犯罪を疑われた大出俊次は学校の番長。番長というより札付きの不良と言った方がよいか。本書を通して大出俊次は柏木卓也を殺したという疑いの目で見られ続け、そのことに人知れず傷つく。その疑いをさらに煽ったのは、三宅樹理。ひどいニキビのため皆に嫌われている彼女は、大出俊次にも手酷くいじめられていた。彼女はこの機会を利用し復讐のために友人浅井松子とともに、大出俊次と腰巾着二人による殺人の現場をみたとのチクリ手紙を学校と担任、さらには学級委員の藤野涼子宅に発送する。

藤野涼子の父藤野剛は警視庁捜査一課の刑事であり、娘宛に届いた封書の宛名書きの書体が尋常でなかったことから、娘に黙って手紙を開封する。その内容を見て学校を訪問した藤野剛は、津崎校長に捜査は捜査として、学校対応は対応として対応を委ねる。

第Ⅰ部である本書は、教育現場の危機管理についてかなり突っ込んだ問題提起がされる。結果的に津崎校長による危機回避策は全て裏目に出てしまう。しかし津崎校長が打った策は決して愚策ではない。情報公開せず、いたずらに混乱を招かないための配慮はある意味理にかなっている。本書のような子供の視点から描く物語の場合、子供の立場に迎合するあまり、学校を悪者と書いてしまいがちだ。そして情報公開こそが正しいと短絡的に学校対応を非難する。しかし、そんな単純な構図で危機管理が語れないことは言うまでもない。その点を浅く書かず、徹底的に現実的な危機管理対応として書き切った事で、本書の以降の展開が絵空事ではなくなった。そこに本書が傑作となった所以があると思う。

では、なぜ津崎校長による隠蔽に軸足を置いた危機回避策は破綻したのか。それは、三宅樹理が投函した三通のうち、担任の森内恵美子宅に届いた一通が、森内恵美子を敵視する隣人に盗まれたからだ。そしてあろうことかその隣人の垣内美奈絵はその手紙をテレビ局へと届ける。垣内美奈絵が何故そこまでの行動に及んだのか、彼女が抱える事情とそこから生まれる憎悪や敵がい心も著者は丁寧に描写する。このあたりの描写を揺るがせにしないところが、著者を当代有数の作家にしたのだろう。この点を怠ると、作者のご都合主義として読者を白けさせてしまうから。

一つの墜落死が、次々に連鎖を産む。浅井松子は謎の死を遂げ、三宅樹理は口が利けなくなり、大出俊次宅は放火で全焼し、それら事件の数々は世間の好奇の目にさらされる。そこに暗躍するのは教育のあり方や現場の事大主義を問題視し、大衆に訴えるニュースアドベンチャーの記者茂木悦男だ。垣内美奈絵の手紙が茂木のもとに渡った時点で津崎校長の危機管理策は破綻する運命にあった。その結果、学校は大いに揺れる。それぞれの家庭、少年課の刑事、学校による事態収拾の動き。著者の筆運びはとても丁寧に大人たちの右往左往を暴く。

ここに来て、墜落死という事件とその後の出来事は大人たちの都合でいい様に扱われ処理されていく。生徒たちの心の動きにはお構い無しで。もちろん大人たちも精一杯やっている。だが、そこで子供からの視点を考えるゆとりは無い。そんな風にないがしろにされて生徒達が何も思わぬはずはない。著者は生徒たちの間にじっくりと薪をくべる。そして焚きつける。メールもLINEもinstgramもない時代であっても、いや、だからこそ口伝えで生徒たちの間に不満と圧力が高まってゆく。

本書第Ⅰ部の最後で、茂木記者に呼び出され様々なことを探られ藤野涼子は殻を破る。容姿と文武の能力に恵まれ、自他共に認める優等生としての藤野涼子の殻を。それは少女から大人への殻でもあり、中学時代の私がついに脱ぐことのなかった殻である。

藤野涼子の決意によって、本書の展開は大きく前に踏み出す。

現代でも厨二病と揶揄され、当時でも軽んじられバカにされる中学生。子供と大人の境目にある中学生が、大人への成長を遂げる過程が本書では描かれる。本書第Ⅰ部は、それに相応しい藤野涼子のセリフで締められる。

「あたし、わかった。やるべきことが何なのか、やっとわかった」

私も中学時代にこの様なセリフを吐いて見たかった。

‘2016/01/20-2016/01/22