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柳田國男全集〈2〉


本書は読むのに時間が掛かった。仕事が忙しかった事もあるが、理由はそれだけではない。ブログを書いていたからだ。それも本書に無関係ではないブログを。本書を読んでいる間に、私は著者に関する二つのブログをアップした。

一つ目は著者の作品を読んでの(レビュー)。これは著者の民俗学研究の成果を読んでの感想だ。そしてもう一つのブログエントリーは、本書を読み始めるすぐ前に本書の著者の生まれ故郷福崎を訪れた際の紀行文だ(ブログ記事)。つまり著者の民俗学究としての基盤の地を私なりに訪問した感想となる。それらブログを書くにあたって著者の生涯や業績の解釈は欠かせない。また、解釈の過程は本書を読む助けとなるはず。そう思って本書を読む作業を劣後させ、著者に関するブログを優先した。それが本書を読む時間をかけた理由だ。

今さら云うまでもないが、民俗学と著者は切っても切れない関係だ。民俗学に触れずに著者を語るのは至難の業だ。逆もまた同じ。著者の全体像を把握するには、単一の切り口では足りない。さまざまな切り口、多様な視点から見なければ柳田國男という巨人の全貌は語れないはずだ。もちろん、著者を理解する上でもっとも大きな切り口が民俗学なのは間違いない。ただ、民俗学だけでは柳田國男という人物を語れないのも確かだ。本書を読むと、民俗学だけでない別の切り口から見た著者の姿がほの見える。それは、旅人という切り口だ。民俗学者としての著者を語るにはまず旅人としての著者を見つめる必要がある。それが私が本書から得た感想だ。

もとより民俗学と旅には密接な関係がある。文献だけでは拾いきれない伝承や口承や碑文を実地に現地を訪れ収集するのが民俗学。であるならば、旅なくして民俗学は成り立たないことになる。

だが、本書で描かれる幾つもの旅からは、民俗学者としての職責以前に旅を愛してやまない著者の趣味嗜好が伺える。著者の旅先での立ち居振舞いから感じられるのは、旅先の習俗を集める学究的な義務感よりも異なる風土風俗の珍しさに好奇心を隠せない高揚感である。

つまり、著者の民俗学者としての業績は、愛する旅の趣味と糧を得るための仕事を一致させるために編み出した渡世の結果ではないか。いささか不謹慎のような気もするが、本書を読んでいるとそう思えてしまうのだ。

趣味と仕事の一致は、現代人の多くにとって生涯のテーマだと思う。仕事の他に持つから趣味は楽しめるのだ、という意見もある。趣味に締切や義務を持ち込むのは避けたいとの意見もある。いやいや、そうやない、一生を義務に費やす人生なんか真っ平御免や、との反論もある。その人が持つ人生観や価値観によって意見は色々あるだろう。私は最後の選択肢を選ぶ。仕事は楽しくあるべきだと思うしそれを目指している。どうせやるなら仕事は楽しくやりたい。義務でやる仕事はゴメンだ。趣味と同じだけの熱意を賭けられる仕事がいい。

だが、そんなことは誰にだって言える。趣味だけで過ごせる一生を選べるのなら多くの人がそちらを選ぶだろう。そもそも、仕事と趣味の両立ですら難儀なのだから。義務や責任を担ってこそ人生を全うしたと言えるのではないか。その価値観もまたアリだと思う。

どのように生きようと、人生の終わりではプラスもマイナスも相殺される。これが私の人生観だ。楽なことが続いても、それは過去に果たした苦労のご褒美。逆に、たとえ苦難が続いてもそれは将来に必ず報われる。猛練習の結果試合に勝てなくても、それは遠い先のどこかで成果としてかえってくる。また、幼い日に怠けたツケは、大人になって払わされる。もちろんその水準点は人それぞれだ。また、良い時と悪い時の振幅の幅も人それぞれ。

著者を含めた四兄弟を「松岡四兄弟」という。四人が四人とも別々の分野に進み、それぞれに成功を収めた。著者が産まれたのはそのような英明な家系だ。だが、幼少期から親元を離れさせられ郷愁を人一倍味わっている。また、英明な四兄弟の母による厳しい教育にも耐えている。また、著者は40歳すぎまで不自由な官僚世界に身をおいている。こうした若い頃に味わった苦難は、著者に民俗学者としての名声をもたらした。全ての幼少期の苦労は、著者の晩年に相殺されたのだ。そこには、苦難の中でも生活そのものへの好奇心を絶やさなかった著者の努力もある。苦労の代償があってこその趣味と仕事の両立となのだ。

著者が成した努力には読書も含まれる。著者は播州北条の三木家が所蔵する膨大な書籍を読破したとも伝えられている。それも著者の博覧強記の仕事の糧となっていることは間違いない。それに加えて、官僚としての職務の合間にもメモで記録することを欠かさなかった。著者は官僚としての仕事の傍らで、自らの知識の研鑽を怠らない。

本書は、官僚の職務で訪れた地について書かれた紀行文が多い。著者が職務を全うしつつもそれで終わらせることなく、個人としての興味をまとめた努力の成果だ。多分、旅人としての素質に衝き動かされたのだろうが、職務の疲れにかまけて休んでいたら到底これらの文は書けなかったに違いない。旅人としての興味だけにとどまることなく文に残した著者の努力が後年の大民俗学者としての礎となったことは言うまでもない。

本書の行間からは、著者の官僚としての職責の前に、旅人として精一杯旅人でありたいという努力が見えるのである。

本書で追っていける著者の旅路は実に多彩だ。羽前、羽後の両羽。奥三河。白川郷から越中高岡。蝦夷から樺太へ。北に向かうかと思えば、近畿を気ままに中央構造線に沿って西へと行く。

鉄道が日本を今以上に網羅していた時期とはいえ、いまと比べると速度の遅さは歴然としている。ましてや当時の著者は官僚であった。そんな立場でありながら本書に記された旅程の多彩さは何なのだろう。しかも世帯を持ちながら、旅の日々をこなしているのだから恐れ入る。

そのことに私は強烈な羨ましさを感じる。そして著者の旅した当時よりも便利な現代に生きているのに、不便で身動きの取りにくい自分の状態にもどかしさを感じる。

ただし、本書の紀行文は完全ではない。たとえば著者の旅に味気なさを感じる読者もいるはずだ。それは名所旧跡へ立ち寄らないから。読者によっては著者の道中に艶やかさも潤いもない乾いた印象を持ってもおかしくない。それは土地の酒や料理への描写に乏しいから。読む人によっては道中のゆとりや遊びの記述のなさに違和感を感じることもあるだろう。それは本書に移動についての苦労があまり見られないから。私もそうした点に物足りなさを感じた。

でもそんな記述でありながらも、なぜか著者の旅程からは喜びが感じられる。そればかりか果てしない充実すら感じられるから不思議なものだ。

やはりそれは冒頭に書いた通り、著者の本質が旅人だからに違いない。本書の記述からは心底旅を愛する著者の思いが伝わってくるかのようだ。旅に付き物の不便さ。そして素朴な風景。目的もなく気ままにさすらう著者の姿すら感じられる。

ここに至って私は気づいた。著者の旅とわれわれの旅との違いを。それは目的の有る無しだ。いわば旅と観光の違いとも言える。

時間のないわれわれは目的地を決め、効率的に回ろうとする。目的地とはすなわち観光地。時間の有り余る学生でもない限り、目的地を定めず風の吹くままに移動し続ける旅はもはや高望みだ。即ち、旅ではなく目的地を効率的に消化する観光になってしまっている。それが今のわれわれ。

それに反し、本書では著者による旅の真髄が記される。名所や観光地には目もくれず、その地の風土や風俗を取材する。そんな著者の旅路は旅の中の旅と言えよう。

‘2016/05/09-2016/05/28


おくのほそ道


旅。大人にとって魅惑的な響きである。旅を愛する私には尚のこと響く。名勝に感嘆し、名物に舌を肥やし、異文化に身を置く。私にとって旅とは、心を養い、精神を癒す大切な営みである。

しかし、この夏休みは、残念なことに旅に出られそうになかった。参画するプロジェクトの状況がそれを許さない事情もあった。また、私も妻も個人の仕事を飛躍させるためにも、この夏頑張らねばとの覚悟もあった。

旅立てないのなら、せめて旅の紀行に浸りたい。先人の道を想像に任せて追い、先人の宿を夢の中で同じくする。からだは仕事の日々に甘んじても、こころは自由に枯野を駆け巡りたい。それが本書を手に取った理由である。

また、私にとって俳諧とは、縁遠い物ではない。かつて一度だけ、100枚ほど出した年賀状全てに違う俳句を詠んで記したことがある。10年ほど前には、旅先で投句した句が本に載ったこともある。昨夏からは、旅先でその情景を一句詠み、旅の楽しみとして再開したこともある。たとえ駄句であっても、句を詠むことで、写真や散文には収めきれない、こころが感じた情景を残すことができたように思う。

そのような嗜好を持つ者にとって、本書は、一度はきちんと読み通さねばならない。ひと夏の読書として、本書は申し分ない伴侶になってくれるはずである。それもあって、本書のページを繰った。

おくのほそ道。云うまでもなく、本書は日本が誇る紀行文学の最高峰である。中学の古文で、必ず本書は取り上げられ、その俳諧の精神を学ばせられる。

しかし、教科書に取り上げられる際、本書の中で取り上げられる箇所はほんの僅かである。せいぜいが「月日は百代の過客にして、、」で始まる一章と、平泉、山寺、最上川下りの部分が紹介されるのが関の山か。つまり、日本人の大半は、教科書で取り上げられた僅かな部分しか、奥の細道を味わっていないといえる。偉そうにこのような文を綴っている私からして、その大半の中の一人である。古文の教科書でつまみ食いのように本書に目を通して以来、本書をじっくり読むのは四半世紀ぶりであり、通読するのは無論初めてである。

徒歩で江戸を立ち、みちのくへと向け北行し、仙台、松島、平泉へ。鳴子から出羽の国へ抜け、山寺によりながら、最上川を下って酒田へ。象潟を鑑賞し、一路南へ。親知らずの難所を超え、越中、越前を過ぎ大垣へ。今の余裕のない社会人には、同じ行程を電車や車で旅するだけでも、贅沢といえる。ましてやじっくりと徒歩で巡ることなど、見果てぬ夢である。当時の旅の辛さを知らぬ私は、ただ羨ましいと思うのみである。

本書は紀行文学であり、俳句がつらつらと並べられた句集ではない。旅先毎に、一章一章が割り当てられ、そこでの行程の苦難や、旅情を親しみ、受けた恩恵を懐かしむ。本書は一章一章の紀行文の積み重ねであり、そこにこそ、素晴らしさがある。いかに名吟名句が並べられていようとも、それらが無味乾燥に並べられている句集であるならば、本書は数世紀に亘って語り継がれることはなかっただろう。本書のかなめは紀行文にあるといってもよく、肝心の俳句は、それぞれの章に1,2句、心象風景を顕す句が添えられて、アクセントとして働いているのみである。章によっては句すら載っていない。あくまで本書は紀行文が主で、俳句は脇である。

本書の中で、人口に膾炙した有名な句として、
 夏草や 兵どもが 夢の跡
が登場する箇所がある。平泉訪問である。しかし平泉の章は、この句だけが載っている訳ではない。その前後を平泉訪問の紀行文が挟む体裁をとっている。要は松尾芭蕉と同行する弟子の河合曽良の平泉観光日記である。他の旅先では、それぞれの紀行文が章を埋める。尿前の関では馬小屋に泊まったり、酒田では地元の名士の歓待を受けたり、親不知では遊女に身をやつした女と同宿になったり、福井では同行の河合曽良と別れたり。名所旧跡をただ回るだけでなく、これぞ旅の醍醐味とも云うべき変化に富んだ紀行の内容が章ごとに展開し、飽きることを知らない。

また、本書は松尾芭蕉が主役かと思いきや、そうではない。同行の河合曽良の句も多数掲載されている。例えば日本三景の一つ、松島を訪問した際は、あまりの風光明媚な様子に、芭蕉翁からは発句できず、河合曽良の一句が替わりに載っている。これも意外な発見であった。

また、他にも私にとっての発見があった。本書はその場の即興で詠んだ句がそのまま載っている訳ではない。おくのほそ道の旅は大垣で終わるのだが、本書が江戸で出版されたのは、旅が終わって数年後のことであり、その間、芭蕉翁は詠んだ句を何度も推敲している。それは紀行文も同じである。あの芭蕉翁にして、その場で詠んだだけでは後世に残る名句を産み出しえなかったということである。これは、新鮮な発見であった。私は本書を読むまで恥ずかしながら、俳句とは即興性に妙味があると勘違いしていた。即興であれだけの句を産み出しえたことに芭蕉翁の偉大さがあると。しかしそうではない。むしろ旅から帰ってきた後の反省と反芻こそが、本書を日本文学史上に遺したのだということを教えられた。

まだ学ばされたことはある。同行する弟子の河合曽良が、曽良旅日記なる書物を出版している。その内容は本書の道程を忠実になぞったものである。その日記と本書の記述を照らし合わせると、行程に矛盾する箇所が幾多もあるとか。つまり、芭蕉翁は、あえて文学的効果を出すために、本書の章立てを入れ替えたことを示している。これも紀行文の書き方として、目から鱗が落ちた点である。ともすれば我々は、紀行文を書く際、律義に時系列で旅程を追ってしまいがちである。しかし、紀行文として、旅程を入れ替えるのもありなのだ、ということを学べたのは、本書を読んだ成果の一つである。

そして、私が旅日記を書く際の悪癖として自覚しているのが、旅程の一々をくどくどと書かねば気が済まないことである。しかし、本書の筆運びは簡潔にして要を得ている。紀行文が簡潔ならば、添えられた句はさらに簡潔である。読者は本書の最小限の記述から、読者それぞれの想像力を羽ばたかせ、芭蕉翁の旅路を追うことになる。無論、そこには読者にもある程度の時代背景や文化を読み解く力が求められる。

そのため、本書は久富哲雄氏の詳細な注釈と現代語訳が各章に亘って付されている。注釈だらけの本は、構成によっては巻末にまとめて並べられていることが多い。そのような本は、毎回ページを繰り戻すことになるので、得てして読書の興を削ぎがちである。しかし本書は章ごとに原文と現代語訳と注釈が添えられ、理解しながら読み進められるようになっている。

また、これは巻末になるが、旅程の地図も詳細なものが付けられている。地図を見るのが好きな私にとり、嬉しい配慮である。ましてや本書をひと夏の旅の替わりとして使いたいといった私の目的に合致しており、読みながら道中のイメージを膨らませることができた。

この夏は、幸いなことに実家の両親を共にし、丹後方面に旅をすることができた。日本三景の一つ、天橋立を自転車で往復することもできた。芭蕉翁は確か天橋立には訪れていないとか。私が本書を読んだ成果を句に残したことは云うまでもない。本書から受け継いだ俳諧の精神を込めたつもりだったが、推敲したからといって、その域には遠く及ばぬものだったのは云うまでもない。芭蕉翁は未だに遠い。

’14/07/24-‘14/08/10