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kintone Café 帯広 Vol.4に参加・登壇しました。


2024年2月10日に開催された「kintone Café 帯広 Vol.4」に参加・登壇しました。
告知サイトはこちらです。

参加に当たって

一週間前、私は釧路でのCLS道東(コミュニティ・リーダーズ・サミット in 道東 2024 極寒編)に参加し、翌日の大人の遠足編にも参加してから、帯広へ移動しました。
CLS道東の参加ブログはこちらです。
大人の遠足編の参加ブログはこちらです。
そこから一週間、私の毎日は十勝平野の中にありました。

一週間もの間、十勝に滞在していたのは、kintone Café 帯広に参加する予定があったからです。
そのため、CLS道東が終わった後、どうやってkintone Café 帯広までの一週間を過ごすかを考える必要がありました。
以下では、十勝での活動にも触れつつ、なぜ私がkintone Caféにリアルで参加しようとするかの理由も語りたいと思います。

幸いなことに、同じ時期に丸正田中様への納品タイミングが重なっていました。丸正田中さんは弊社の十勝のお客様です。
CLS道東からkintone Café 帯広までの間に納品も済ませてしまう。
これもタイミングが全てうまく合ったからです。全てが天の配剤と言うべきタイミングでした。
十勝ではほぼ全日程をSEEDPLUS社を経営されている前嶋さんと過ごしました。

前日と当日、十勝でのご縁が強まりました

特に前日には、十勝での様々なご縁がありました。以下に軽く触れます。

開拓村
前日の2/9の午前には道の駅 ピア21しほろを切り回している堀田さんと懇談しました。CLS道東でお会いした堀田さんからは、道の駅の運営についての貴重なお話が伺えました。わが国でも筆頭に挙げられるじゃがいも産地の士幌で存分に腕を奮われておられる堀田さんの取り組みからは、十勝の底知れぬ可能性を体感しました。十勝でのご縁がまたひとつ増えました。
その後、帯広空港で丸正田中の社長様を迎えに行き、夜には社長様からのご要望をその場で全て実装しました。これで、CLS道東とkintone Café 帯広までの十勝滞在の最大の目的を達しました。
そして2/10。kintone Café 帯広 Vol.4の当日。丸正田中の社長様と前嶋さんとで中札内村の焼肉 開拓村で美味しいお肉をいただきました。このお店は前日にお会いした堀田さんのご実家であり、こうやって十勝でのご縁が次々とつながっていくことに手応えだけを感じました。

LAND内
社長様に帯広まで送っていただいた後、私と前嶋さんは帯広駅前にあるLANDで小田さんと懇談しました。とかち財団の小田さんもCLS道東でご縁をいただいた方です。

さて、なぜここまで十勝での様々なご縁を紹介したか。
それは、今回のkintone Café 帯広に参加した目的にもつながります。
kintone Café 帯広の参加にあたっては、十勝での弊社の認知度や皆さんとのご縁を広げることが主な目的でした。

というのも、今回のkintone Café 帯広で、私は当初、登壇する予定がなかったのです。
普段ならkintoneエバンジェリストとして何らかの登壇を行いますが、今回は、登壇者の晩成温泉の高田さんの登壇を応援できればそれで目的は達せられました。

急な登壇のご依頼

ところが、登壇予定の方が来られなくなったらしく、私に登壇依頼の白羽の矢が立ちました。それが前日の夕方のこと。

丸正田中の社長様に作業の成果とご要望のヒアリングをする前の30分ほどで登壇内容を考え、資料を作り始めました。その日の夜中と翌朝(登壇当日)に資料の作成を続け、さらにLANDにおいて資料の残りを作り上げました。

kintone Café 帯広 Vol.4

相互電業近くの雪道
時間が近づいてきたので、kintone Café 帯広の会場の相互電業さんへ向かいました。
相互電業さんに伺うのはこの一年で四回目です。
前年の3月にkintone Café 帯広 Vol.2でお伺いした際にも雪が残っていました。が、今回はその時よりも雪が積もっています。路面は凍っていて気を付けて歩かないと剣呑です。
それまで滞在していた中札内村や大紀町の雪も大変でしたが、街の中に大量の雪が残る様は、まさに雪国の現実を思わされました。

茶々丸
会議室に入ると、なんと茶々丸が辺りを徘徊しているではありませんか。
茶々丸こそは、愛するペットと暮らしながら仕事がしたいと言う今野さんの願いの象徴であり、働き方改革のツールとしてのkintoneの開発者・利用者の間でも広く知られたワンちゃんです。
全国のあちこちで開かれているkintone Caféの中でも茶々丸と帯広は著名な組み合わせです。

kintone Café 帯広 Vol.4
茶々丸を抱っこした今野さん
その茶々丸を抱きかかえた、今野さんからの開始挨拶でkintone Café 帯広 Vol.4は始まりました。

高田さん
そしてトップバッターとして話していただくのは、晩成温泉の高田さん。
私も前々日に晩成温泉に泊まらせてもらい、そのアイラモルトを思わせる豊かな泉質に疲れが癒されました。私の好きな温泉です。

高田さん
今回、私が丸正田中さんにおいてkintoneの実装を行う上で、高田さんの尽力は大きかったです。
高田さんの登壇のテーマは「楽をしたい」という潔いもの。高田さんの掲げるテーマは、まさにkintoneの存在意義そのものです。
私も詳しく業務の内容をヒアリングした晩成温泉の運用。
手動でExcelに手打ちで入力し、紙ベースでの回される運用。業務が人に属し、業務が変わらない限り楽にならない運用。そこからどうやって楽になるか。そこに焦点を合わせ、一貫した高田さんのお話はとても魅力的でした。

高田さん
私もしばしばkintone Caféで話します。ところが、弊社のお客様をお招きし、kintone Caféで話してもらう機会はそう多くありません。その意味で、今回のkintone Café 帯広 Vol.4で高田さんに話してもらったことはよい思い出になりました。

高田さん、ありがとうございました。

白石さん
次いで、株式会社ズコーシャの白石さんからです。
白石さんは、ご自身でkintoneやgusuku Customineを駆使して業務改善にまい進しておられます。

白石さん
現場の事をもっともよくわかっている方がkintoneを使いこなした方が、現場の業務改善には有効。

白石さんの取り組みは、まさにその証しです。
ボタンもさまざまに組み込み、kintoneとその可能性を試しておられる様は、印象を受けました。
カスタマイズをやりすぎているのではないか、というご自身への客観的な視点を語りながらも、自社のDX推進として現場の運用と矛盾が生じないようにさまざまな実装を試しておられる姿は、まさにkintoneとユーザーの幸せなマリアージュ。

白石さん、ありがとうございました。

和田さん
続いては、モノデジタル社の和田さんから。

和田さん
和田さんはなんと和歌山から駆けつけて下さったとのことです。kintone Caféの会場には娘さんを連れてこられていました。
茶々丸を追っかけまわしていた娘さんの姿がかわいらしかったです。

和田さん
さて、かわいらしい娘さんと対照的に、和田さんの登壇内容はDXとセキュリティという硬質でかつ、kintone Caféとしても知っておくべき内容でした。
和田さんはモノデジタル社の代表取締役と同時に、一般社団法人日本デジタルトランスフォーメーション推進協会の和歌山支部でも活動されておられます。
スライドは後者の立場からの啓蒙的な内容で、さまざまなセキュリティの脅威がありますよ、ランサムウェアは恐ろしいですよ、という内容でした。もちろん、kintoneは政府のISMAP(政府情報システムのためのセキュリティ評価制度)にも登録されていますが、その点でもきちんとお話をしてくださいました。

最近ではお客様へのkintoneの導入前にセキュリティが整っているかについても説明を求められることが増えています。そうした規模のお客様にkintoneを進めるにあたって、セキュリティ知識のアップデートは怠るべきでないことを痛感しました。

和田さん、ありがとうございました。

ここで休憩を挟み、SEEDPLUS社の前嶋さんは一足先に東京へとお帰りです。
月曜日の昼すぎから土曜日の夜まで、約六日間、ありがとうございました。

長井
さて、次は私の番。
前日の夕方に依頼を受けて作ったスライドをご披露しました。

長井
今回のkintone Café 帯広のテーマが【kintoneや連携サービスの好きな所を共有し合ってみよう!】だったので、連携サービスをテーマにしました。その時たまたま目に入ったのが、kintoneエバンジェリストの石際さんがカレンダーPlus+Stylesという拡張機能を出したXのPostでした。
そうや!カレンダーPlusで行こう!栄さんもkintone Café 帯広に来られると参加者名簿に載っていたし!

ということで、カレンダーPlusは拡張できる余地があるからよいよ、というスタンスで発表しました。
私のスライドはこちらです。

小野寺さん
トリは、ホーム創建の小野寺さんから。
「働きやすい環境をつくる」というテーマでした。まさに会社を良くするため、という目的のためのツールとしてkintoneを使っておられるよい発表です。

たまたま私が座っていた同じテーブルの島に同じホーム創建の濱村さんがおられ、会社としてkintoneを使って真摯に改善していこうという思いを強く感じました。
濱村さんからは私が発表したカレンダーPlusのカスタマイズについても質問をいただきました。
部下にとって働きやすい環境を作りたいという小野寺さんの思いも発表に加えて濱村さんとお話ししたことでよく伝わりました。

小野寺さん
工務店さんの業務の場合、顧客管理、案件管理、進捗管理、施工管理などが多岐にわたり、管理も大変になる。
私もそうした実装を何回もしてきたからよくわかります。
kintoneに着手して間もないけれど、ウェブ上の情報だけでは理解しきれないkintoneを使った業務改善。だからこそ、こうした場に実際に参加し、情報を収集し、一生懸命カイゼンしていこうという思い。これこそ、kintone Caféを開く意義です。運営側の冥利につきます。

小野寺さん、ありがとうございました。

わがままカード
さて、時間が余ったので、今野さんから秘密道具が登場しました。わがままカードです。
それぞれの持ちカードを基に、山から一枚引いたカードで自分の価値観に合致するものだけを手元に残し、あとは捨て札として開示していきます。

私も持っているのに、そういえば久しく使っていませんでした。これ、今度弊社でもまた使ってみようと思いました。

わがままカード
ちなみに私の価値観はこんな感じです。だいぶ経営者目線よりの選択になりましたが、個人としての思いと経営者の責任のバランスに悩む私にもよいきっかけでした。
ちなみに、私のいた島は上述の濱村さん、そしてラジカルブリッジの栄さん、さらにインセンブルの濱内さん。なんと経営者が3名も。

kintone Café 帯広 Vol.4の懇親会

さて、会場を出て私たちは懇親会へ。この日の懇親会は「居酒屋 とっくり」
居酒屋 とっくり
とてもおいしかったです。十勝といえば食の王国。
kintone Café 帯広の楽しみも懇親会のお酒と食。そして、会話。

居酒屋 とっくり
kintone Caféの場で聞けなかった皆さんからのお悩み相談。こうした酒席では、皆さんの緊張もほぐれ、生のお悩みを聞くことができます。それを私たちも飾らず気取らずにその場で応える。これこそがまさに懇親会の場の良さですね。
今回も皆さんからのさまざまなご相談を受けました。

二次会は「TOKIO」。こちらは前回も立ち寄り、楽しませてもらいました。
TOKIO
kintone Café 帯広の夜と言えばこちらが定番になりそうです。昭和歌謡をこよなく愛する栄さんがご一緒の限り。

続いての三次会は「COCKTAIL BAR PAL」さん。
PAL
ここでは、帯広の地元グルメについてディープな情報をかなりいただきました。
ラーメン屋さん情報や上士幌町が運営しているJALとの航空サブスクリプションプランなど、また来たくなる情報をたくさんもらいました。

kintone Caféにリアル参加する理由

こうした会話からその地の暮らしぶりを知ることができ、それがまた次の訪問にもつながる。商談の際の雑談のネタも増える。
業務改善とは、単に仕事のプロセスを改善するだけでなく、人や会社の社風や周りの環境も含めて理解することが欠かせないと思っています。こうやって地方にやってきてその地の皆さんと会話を楽しむ中で、それが未来へとつながる。

私がリアル訪問にこだわるゆえんでもあります。
kintone Caféは一時はコロナの影響でオンライン開催が増えました。が、私はこうした触れ合いや交流こそが大切だと思っています。
リアルで会って胸襟を開かなければ聞けないkintoneの悩みは、その場で応える。そして各地でkintoneのファンを拡げ、それをさらに次のご縁につなげていく。
このスパイラルを続けられるよう、私もリアルで御呼ばれするたびにお伺いしたいと思います。さらに、そのための切磋琢磨を続けたいと思います。

最後の締めは「らーめん酒場 三楽」さん。そして、私はチェックイン済みのNUPKAさんへ。宿に帰ったのはすでに夜中の二時ごろでしたが、とても楽しい夜を過ごすことができました。
翌日はほとんどの時間を帯広競馬場で過ごし、ばんえい競馬を楽しんで帰京しました。2/2(金)~2/11(日)まで、長い出張でしたが、本当に充実できました。

参加者の皆さん、登壇者の皆さん、そして毎回会場をご提供してくださる相互電業の皆さん、今野さん、ありがとうございました。
kintone Café 帯広 Vol.4のまとめサイトはこちらです。


CLS道東 2024 極寒編 大人の遠足編に参加してきました


奇跡的に5時頃に目覚めました。
なぜなら、前夜、CLS道東の懇親会からどうやって宿に帰ったのか全く覚えていないからです。普通、そこまで飲んでいると目覚められません。
目覚ましをかけたおかげで、8時頃に起きられました。

泊まっていた大喜湯にお願いしてタクシーを呼んでもらい、私はその間に朝風呂に入りました。
正直、二日酔いで頭もぼーっとしています。しかし、朝風呂とコーヒーで少しだけ頭はしゃっきりとし、迎えのタクシーに乗りました。

MOO前のローソンでタクシーを降り、ローソンでおにぎりを食べて歯を磨き、バスの集合時刻の10分前に間に合いました。
よかった。寝過ごしていれば、今日の大人の遠足編に参加できない失態をさらすところでした。

とはいえ、私は大人の遠足編でどこにいくのか、あまり具体的に把握していませんでした。
私が知っていたのは塘路湖と厚岸を訪れることだけでした。でも、道東が好きな私には、それだけで十分魅力的。

皆さんも前夜はかなり盛り上がっていたようです。私など序の口で、もっと遅くまで飲んでいた方も多かったようです。
実際、バスの皆さんの多くがまだ眠気に襲われているようでした。

それでも、ガイド役を務める琴絵さんは立派。20名弱の眠気に襲われた皆さんを率い、釧路周辺を案内してくださっています。
『ホテルローヤル』のモデルとなったホテルとか、私も初めて見ました。新たな情報も取り入れつつ、私は眠るどころではなく、ひたすら大好きな道東の眺めに見入っていました。

やがてバスは釧路町を経て標茶町へ。塘路駅では迎えに来てくださったカヌーのガイドさんのワゴンに乗り換え、塘路湖畔へ。


湖畔には二梃が横に連結された形のカナディアン・カヌーが浮かんでいました。このようなカヌーがあることも初めて知りました。そもそも川下りのカヌーに乗るのが初めて。
湖岸の氷にバランスを崩しそうになりながら、六人でカヌーに乗り込んで出発。


まずは、塘路湖の中心部に向けてカヌーは進みました。
はるか先まで広がる湖面には、ワカサギ釣りのテントが散在しています。
氷に覆われた湖面は、ただ白く、ただ静寂で、私たちの感動する言葉だけが聞こえます。


湖面には白鳥が優雅に浮かんでおり、周りの風景に完璧に溶け込んでいます。
風景に見とれる私たちの前で、私たちの動きを察知したのでしょうか、白鳥は飛び去っていきました。
その姿はエレガントの一言。騒々しい都会からきた私たちに自然の品格とは何かを示してくれました。
私のiPadではうまく写真が撮れなかったので、同行した佐竹さんの写真をお借りします。写真だけでも美しさが思い浮かびます。


カヌーはそこから逆を向き、塘路湖から流れ出ているアレキナイ川へ。その穏やかな流れにそって、釧路川との合流点まで下っていきました。

あたりは凛とした寒気に覆われています。ところが身も心も凍えるどころか、その神聖さに洗われて温かい気持ちになりました。
音もなく流れる川。辺りには何の物音もしません。私たちの会話とオールを漕ぐ音。カヌーが水をかき分ける音。それだけが辺りを支配しています。


川の水の方が外気より温かいため、水蒸気が川から立ち上り、それが倒れた木々の枝にびっしりと霧氷となって幻想的な光景に彩りを与えています。
辺りを占めるのは白で覆われた世界。そうでありながら、目に見える全てがいきいきと色彩で彩られているように錯覚します。

樹々に止まる鳥があたりを自由に飛び回っています。川岸にはタラの芽を食べる親子鹿の姿も見られました。
人手が振れていない自然はこれほどまでに尊いのか。自然に対する畏敬の念が自然と沸いてきます。

こういうコンテンツは、都会で味わえません。
動画でもブログでも再現は不可能です。
今書いているこの文章でも私の味わった感動の百分の一も表せていません。
だからこそ、人は旅に出るのでしょう。体感するため、経験するため。

地方を活性化させるためには、こういうコンテンツを武器にすることです。
ただ、人をたくさん呼んでしまうと、自然の良さが失われてしまいます。

快適さと安定・安心を求めるのが人の本性であるとするならば、相反する刺激を求めるのもまた人。
都市と地方、集中と過疎。
それらの相反するキーワードをまとめつつ、地方をどうやって創生するか。

東京から塘路まで来るのは大変でも、釧路から塘路はそれほど離れていません。
釧路経済圏の経済を活性化し、そこに人を集め、道東にしかないコンテンツが好きな方に集まってもらえるだけのメリットを感じてもらう。

現実的に大都市から標茶町に移住する方を募っても、一部の方しか来ないはず。でも、釧路に来てさえくれば、移住者も道東も共存できるのではないか。

川に揺られながら朧げに考えていたことをまとめてみました。


神々しいとしか言いようのない川を下る体験は、自然に生かされている自分、という気づきももたらしてくれました。
自分の本性を押し殺し、これからも都会に住み続けることが果たして自分にとってふさわしいのだろうか、とか。
そもそも、このような寒さの道東に住み続けることが現実的なのか。冬の道東へのあこがれは、甘ったれた都会人の妄想に過ぎないのか。


川はゆったりと流れ、釧路川との合流点に。
今までの緩やかな流れとは打って変わり、釧路川の本流の流れは早く、そして力強い。
川面にはシャーベット状になった氷が連なり、しゃりしゃりと音を立てながら川岸を削っています。

穏やかなアレキナイ川の流れから、自然の荒さが少し垣間見える釧路川の流れへ。
自然の現実を少しかいま見たところで、私たちは再びアレキナイ川の流れを遡っていきました。


いくら川の流れが緩やかでも、川を遡るには協力が必要です。みんなでオールを漕ぎました。
そのため、行きのように自然を見ながらのんびり感動に浸る時間は減りましたが、これもまた自然の現実。

そうやってオールを漕ぎながらも、カワセミやオオワシやヤマセミやカラス、スズメやゴジュウカラ、マガモなどさまぞまな野鳥が私たちの目を楽しませてくれます。鹿の姿も見かけました。そうやって漕いでいるうち、塘路湖を出てすぐにある釧網本線の鉄橋をくぐり、インバウンドの観光客も含め多数のカヌーと挨拶しながら、元の湖岸に戻りました。

とにかく感動の時間でした。本当にありがとうございます。
コーヒーも振る舞ってもらい、塘路駅まで送ってもらいました。


さて、塘路駅で少し待てば、SL冬の湿原号がやってきます。約一時間ほどSLの到着を待ちました。
塘路駅への訪問は、私にとって約4半世紀ぶり。
かつて一人旅で北海道を回った際、釧路駅前で寝袋で野宿し、翌朝のノロッコ号に乗った時の終着駅が塘路駅でした。それ以来です。
駅巡りが趣味の一つの私にとっては、ぜひとも再訪したい駅でした。今回、このような貴重な時間があったことに感謝です。


しばらく待っていると人が集まり始めました。カヌーに乗っていても釧網本線の鉄橋に三脚を構える人々の姿がありましたが、SLを目当てにする撮り鉄はたくさんいるようですね。
やがて、彼方から汽笛が聞こえ、煙が見えてきました。やがて、SLの勇壮な姿がやってきました。


塘路駅は雪景色の中にあります。辺りは白。そこに入線してきた黒いSLの存在感は抜群です。雪景色の中、黒いSLが白い煙と黒い煙を盛んに吐き出し、辺りは黒と白の二色に染まりました。まさにコントラストの妙です。


動くSLを見るのは本当に久しぶりです。
かつては日本各地を、北海道各地を走り回っていたSLも、今や観光客向けの貴重なコンテンツとして余生を生きています。各地の公園に安置されているSLを見る機会は多いですが、動いているSLはまだまだ観光資源になりうるはず。
環境にとってどの程度SLが許容されるのかは分かりませんが、季節運行ではなく、通年運行にしてもよい気がします。

標茶まで去っていくSLの後ろ姿をみていると、可能性しか感じませんでした。
今や、都会でSLが走れる余地はまったくないはず。
SLこそ、広大な釧路湿原だからこそ許され、人を集められる存在になるのではないでしょうか。

丁度SLが去っていくタイミングに合わせて、近くのTHE GEEKでサウナで整っていた皆さんも戻ってこられました。
それぞれがそれぞれの好きなコンテンツを選び、楽しめる。素晴らしいですね!アテンドしてくださったジョイゾーの皆さんのプランが素敵です。

さて、バスは続いて厚岸へ。
これまた、私にとって楽しみな場所です。


かつて友人と二人で北海道を一周した際、厚岸に立ち寄った記憶はあります。ですが、その時はただ通り過ぎるだけでした。
その数年後にウイスキーとその周辺の文化を愛するようになり、Whisky Tourismを趣味の一つにしました。それから約二十年後、厚岸にウイスキー蒸留所ができたことも知ってました。
私が釧路に来始めた一昨年の夏から、厚岸にはいずれ行きたいと思っていました。

昨年夏のCLS道東の会場でも厚岸のモルトと牡蠣の取り合わせを楽しみました。昨年の10月には釧路のWhisky Bar 高森で多様な厚岸のシングルモルトやブレンデッドウイスキーを楽しみました。
私の中の厚岸へのあこがれが高まるばかりです。

そこにきて、今回の大人の遠足編です。厚岸にいって牡蠣が食べられる。ついに。

今回はカキキンさんの運営するオイスターバー 牡蠣場を貸し切りです。しかも普段は昼にやっていないのにお願いして開けてもらう贅沢。


牡蠣を使ったありとあらゆる品々が舌と胃袋を満たしてくれます。
カウンターには贅沢にもウイスキーを振りかけるための瓶が。好きなだけ牡蠣にふりかけられます。牡蠣だけではなく料理にも。中に入っているのはLightly-Peatedのサロルンカムイ。なんという贅沢な時間!


暖炉がふんだんに焚かれ、暑いとすら思える室内。そこから窓の外に広がる景色は氷が浮かぶ厚岸湖。快晴の空と対照的な白がまぶしく窓の外で光っています。
景色と振舞われる料理のすべてがここでしか味わえないもの。おそらく、どれだけ冷蔵技術が進んだとしても、目の前の景色までは持ってこられません。
素材が新鮮なことも当然ですし、景色を含めた場の空気までは都会では再現できません。二十名弱の旅仲間と共有できる時間は尊い。
まさに厚岸でなければ体験できない時間と空間と味覚です。





CLS道東のレビューの記事でも書きましたが、雪川醸造の山平さんが中嶋さんと商談を進める姿もとても印象に残りました。
必ず再訪したいと思いました。訪れた私たちにとって、また再訪するためのプレゼントも琴絵さんからいただけたことですし。
カキキンの中嶋さんやスタッフの皆さん、ありがとうございました。琴絵さんにも感謝!




帰りのバスの中で、道東の景色を眺めながら、前日のCLS道東のブログを少しずつ書き始めました。


と、私の通路を挟んだ反対側の小島さんの席に琴絵さんがやってきました。
なんと、琴絵さんがやっているVoicyの収録を小島さんを迎えて行うというのです。
Voicyの収録が目の前で行われる!これをチャンスといわずしてどうするのか。

私もブログを書くために開いたパソコンを閉じ、二人の対談に聞き入っていました。
Voicyはあとからある程度の編集ができるとは知っていましたが、それは各チャプターの並びだけ。
#56 パラレルマーケター 小島英揮さんを迎えて、CLS道東を語ります
ここで語られる内容は、私が目の前で聞いた内容と同じです。

つまり、完全に即興でこれだけの対談が成り立ったわけです。
まさに、私にとって生きた見本を目の前で見せてもらえました。

登壇とはライブです。前もって資料を作っていれば、ある程度は話せます。
ですが、資料もなしにその場で即興で話す、しかも対談とあれば、前もって深く考えていなければとてもできるものではありません。
しかも、どもったり、えーとかあーとかの間投詞もなく、それでいながら即興で話し合える二人に感心しながら聞いていました。
CLSの事やコミュニティやマーケティングについて普段から考えておられる証拠ですね。学びになりました。


空港でかなりの方が釧路を離れられました。そこから釧路市観光国際交流センターまでの道中も、琴絵さんと小島さんの対談は続きます。
CLSやコミュニティだけではなく、部下への接し方、組織についてなど、Voicyに収まっていないためになる話が聞けました。

自由と安定。その中で小島さんがおっしゃったキーワードです。
私もその両立を目指しています。個人としても、弊社のメンバーが実現できるようにも。

その意味でもとても興味深い一日でした。小島さんと琴絵さんには感謝です。
バスを降りた後、高知からはせ参じてくださった片岡幸人さんと釧路駅前まで歩きながら語りました。
CLS高知を運営されて、こうしてCLS道東まできてくださる事には頭がさがります。
それとともに、私も移動しつつ、自分の仕事もこなせるだけの力を持ちたいと願いました。

今回の大人の遠足編は、私の個人的な喜びを満たしてくれる機会でした。そして、さらに学びの場でもありました。
地域コンテンツの充実が都会にとって何を意味するのかについて。そして山平さんが見せてくれたようなその場で機を逃さずに商談する行動力について。最後にVoicyを使ったその場で語れるだけの自己研鑽の重要性です。
それらを満たすことによって、私が地域に対して何らかの提案ができるようになることを願っています。

まだ私にはできることがある。努力すれば、伸びしろだってある。
またこうやって道東を旅し、仕事もし、人と交流がしたい。
今回、道東を訪れ、皆さんと一緒に旅ができたことは、間違いなく私にとって更なる良い効果を与えてくれるはずです。

皆さんへの感謝の心と決意を抱きながら、帯広への特急おおぞらに乗りました。帯広では仕事をするために。
今回の皆さんには感謝です。CLS道東、懇親会、大人の遠足編で会った皆さんに。


CLS道東 2024 極寒編に参加してきました



2024年2月3日に開催された「CLS道東 2024 極寒編」に参加してきました。
告知ページはこちらです。

CLSはコミュニティ・リーダーズ・サミットの略です。
つまり、全国の様々な地域・職種のコミュニティを率いる方々が集ってコミュニティのあり方や取り組みを紹介し、共有する場です。皆さんがそこで学び、コミュニティ活動に実践することが趣旨です。

私はCLS道東の初開催から全てに参加しています。

なぜ毎回参加するかというと、コミュニティ運営についての学びが得られるからです。

私は、kintone Caféというコミュニティ運営に複数の支部で関わっています。最近では、新たな支部の立ち上げや休眠していた支部の再活性化にも携わっています。

また、弊社も山梨県に関わりを深めています。
山梨県への関わり方をどうすればよいかについては、まったくの未経験からのスタートでした。

弊社の場合、役員である妻がGoodWay社とのご縁を深めました。そのご縁から、学生団体トップファンや山梨県活性化プロジェクトなどに人脈を拡げつつあります。
私もまた、kintone関連のイベントを通じて山梨での知己を増やしています。

山梨県ではこのように既存のコミュニティに参加してから、新たなコミュニティの立ち上げに関わりました。さらに、自社でも新たなコミュニティの創生も模索しています。

私と妻は共に、人口減少に悩む山梨県の役に立ちたいと志しています。そして、これからの働き方や暮らし方を考える上で山梨が適しているのではないかと考えています。
そこで、山梨に弊社の拠点を構えることを考えています。山梨に拠点を構え、リモートワークにより首都圏や他地域の案件は引き続き対応します。それと同時に、山梨での案件を増やすことで仕事を通じて地域に貢献したいという思いが増しています。
そうした活動を通して山梨のために還元できるやり方として、単なるクラウドを用いたシステム構築だけでなく、雇用創出やコミュニティ作りを組み合わせることが有効だと確信しています。

ゼロから人脈を広げるには、具体的にどのような行動を取るべきか。山梨で上記のような活動をするには何を考え、どう動くべきか。
CLSからは多くの事を学びました。
今までは、コミュニティのイベントに参加するだけだった私が、コミュニティの立ち上げや創出にも関われるようになったのも、CLS道東やCLS高知で得た知見があったからです。
今回のCLS道東でもそれぞれの地で活動されるコミュニティの運営事例を伺うことができました。


さて、CLS道東が始まりました。
風邪をひいているにもかかわらず司会役を全うしたみうみうさんによる開会のあいさつの後は、早速本編へ。その前に四宮琴絵さんからは946BANYAの入場者数が一万人を超えたというとてもうれしいニュースと記念すべき一万人目のお二人に花束贈呈が。おめでとうございます!


今回は参加者の名札が三種類用意されていました。どれも、秋田さんによる手書きでとてもすばらしかったのです。私はSLを選びました。


「トークセッション1【道東の魅力を掘り起こすー地域と人を巻き込む方法】」
モデレーターの塩崎さんの進行のもと、スピーカーの堀田さんと達川さんが士幌町と標茶町で取り組まれてる事業を話されていました。


堀田さんは株式会社atLOCALの代表として道の駅ピア21しほろの運営を行われています。
道の駅を民間に委託するにあたり、士幌町内で立候補する事業者がいなかったそうです。このままでは町外の事業者によって道の駅から士幌らしさが失われてします。それに危機感を感じ、会社を立ち上げられたとか。

堀田さんが中札内村のご出身で中札内村のJAにおられたという経歴も興味をひきました。
なぜならCLS道東の数日後に中札内村で三泊する予定があったからです。
また、士幌町の隣の音更町にお客様の現場視察の予定もありました。ということは、その際にピア21しほろに立ち寄れそうです。
また、弊社はJAさんにDX支援をしています。その中では直売所のDX推進もやるべきミッションの一つです。堀田さんの取り組みから学べる事は多いのではないかとひらめきました。

日本一町民に必要とされる道の駅という運営方針にも興味があります。道の駅の運営を町の人にも来てもらうためには、運営側としては表に出ない方がよい。
実際、道の駅ピア21しほろのウェブサイト(https://pia21shihoro.jp/)にはatLOCAL社はほぼ出てきません。商品にもロゴはだしていないそうです。

数日後、実際に「道の駅 ピア21しほろ」に伺いました。そこで、堀田さんと懇談し、あらためてその運営方針やお考えについてうかがいました。
実際、「道の駅 ピア21しほろ」には地元の方と思しき方々の姿が多く見られました。また、スタッフと活発に意見を交わすミーティング中の堀田さんの姿もみることができました。
ミーティングで話される内容や指示内容が具体的であることも印象に残りました。この熱意こそが道の駅 ピア21しほろが町民に受け入れられた理由であることに納得しました。

余談ですが、「道の駅 ピア21しほろ」を訪れた翌日に、堀田さんのご実家である中札内村の「焼肉 開拓村」にも訪問できました。中札内村ではよく知られたお店だそうで、そのご縁には驚きました。ボリューム満点で肉もめちゃ美味しかったです。まさにCLSが生み出すご縁です。


また、達川さんは標茶町でTHE GEEKというサウナ&クラフトホステルを営んでおられます。ウェブサイトはこちらです。
達川さんは兵庫の宝塚のご出身で横浜の戸塚で仕事をする中、訪れた塘路に一目ぼれしたそうです。そこから知己もいない中、単身で挑戦を始めたそうです。
誰も知り合いがいない中、イベントを企画し、一人で黙々と準備をしていたら、みかねた地元の方が助けてくれたり、免許停止を食らった状態で移動に難儀していたら地元の方が助けてくれたり。

山梨で挑戦しようという今の弊社にとって共感できるストーリーがありました。

私も達川さんの経歴には親近感を持ちました。宝塚の隣の西宮で育ち、戸塚からそう離れていない町田に住んでいるからです。
ところが今の私は24年強の間、町田から離れられずにいます。達川さんはそこからもう一段高いレベルへ挑戦し、見事に成果を出しつつあります。その心意気は、学ばねばならないでしょう。

よく都会から田舎への移住にあたってよく聞くネガティブ情報として、地元の方に受け入れられないとか排除されるとかの声はよく聞きます。
お二人を見ていると、やり切ることで地域に受け入れられた人の達成感がありました。懸念よりも実際に地域に飛び込んでいくことで地元の方々の共感を得る。とても大切なことだと思います。
とても励みになったお二人のセッションでした。


ここで休憩。私はせっかくなのでお隣の大道東まつりで中札内いなか鶏に反応して、カレーを頂きました。めちゃ美味しかった。



さらにここで日本酒コーナーに吸い寄せられ、佐藤さんの元に伺うと、まさかのサウザーさんことジョイゾーの中嶋さんが!ジョイゾーさんへのご入社おめでとうございます!


「トークセッション2【京丹後で繋がるローカルとソーシャル】」
モデレーターの高山さんの進行のもと、スピーカーの長瀬さんと岸さんと渡邉さんが京丹後市で取り組んでいる事業について話されていました。

京丹後市といえば豊岡のお隣です。つい七日前、私が滞在していた城崎の近くです。
また、京丹後市は10年ほど前、両親とうちの家族で旅行にいき、夕日ケ浦などを訪れた思い出の場所でもあります。

Tangonianの皆さんからは興味深いキーワードがたくさん伺えました。
「コミュニティツーリズム」
「地域を「観光地」から「関係地」へ」
「繋がるローカルとソーシャル」
どれもが新鮮なキーワードです。

そうしたキーワードから通して教わったのは、コミュニティツーリズムが事業として成り立つことです。
観光客も地元の人も生身の人です。データではありません。
地元で働く人々は観光目的で生計を立てていません。そうした人に対し、浅薄な観光客を紹介すると信頼を損ねてしまいます。つまり信頼貯金がなくなってしまうのです。そうならないために本当に信頼できる人を絞って紹介する。つまり、お互いにとって無理のない形で共感を作る。

Tangonianの皆さんの取り組みからは、インバウンド需要をうまくとらえ、それを基にした地域おこしや地域創生が事業として成り立つ可能性を学びました。

私が役に立てるのはクラウドを活用した情報システムの構築です。
旅が好きで地域のために役立ちたいと思っている私ですが、どうすれば地域創生についてお客様に対価としていただけるサービスを提供する方法がよくわかっていません。


コミュニティツーリズムの考え方は、私にとって新たな気づきを与えてくれたように思います。
Tangonianの皆さんありがとうございました。

続いてはサポーターセッション。


「サポーターセッション1 生活協同組合コープさっぽろ」
長谷川さんといえば、武闘派CIOとして著名な方です。このセッションでは長谷川さんが広報担当として売り出したい方(お名前を失念してしまいました・・・・)と掛け合う様子がとても面白く、私も妻と同じようなスタイルで登壇できへんかなぁとつい考えてしまいました。
こういうのも新たなコミュニティの形です。
登壇慣れしていなくても、コミュニティ活動に不慣れでも、こういう場数を踏むことで人は成長していく。その過程が見られたような気がします。


「サポーターセッション2 KEEN株式会社」
KEENさんの事業の中でKEEN Managerは面白いと思いました。
発信者とは育てることも必要でしょう。ですが、発信が好きかどうかは育てる前からわかるはず。つまり、将来のコミュニティにとって欠かせない発信者を発掘することは、コミュニティの継続にとってやるべきことです。それをやってくれるのがKEEN Manager。そういうニーズはお客様の中にありそうなので、頭に入れておき、今後に提案できる機会があればよいと思いました。


「サポーターセッション3 雪川醸造合同会社」
ワイン、飲んでますか?というタイトルでしたが、今回のCLS道東の懇親会ではワイン飲めずに終わりました。
上に書いた通り、日本酒と山椒のマリアージュを教えてくださった佐藤さん、サウザーさんの二人がタッグを組んだ日本酒ブースに吸い寄せられてしまったためです。

ワインの複雑なウンチクやしきたりから脱して、もっとも楽しくワインを飲むように訴える山平さんの話は印象に残りました。
「果実味、酸、余韻」というキーワードは覚えました。今後はこのキーワードを軸にワインを語ろうと思います。
私はワインを極めることはあきらめていました。ですが、ワインもこの三つのキーワードで語ればより面白い世界になるはずです。

山平さんとは翌日の大人の遠足でもご一緒させていただきました。
カキキンさんのオイスターバー牡蠣場にて、牡蠣の殻がワインづくりに使えると、商談を申し込んでいた山平さんの姿がとても印象に残りました。
機を見て素早くご縁を結ぶ。商いとはこうあるべきです。遠足の最中であってもアンテナを立てて次への動きができる。よい見本を見せてもらいました。


続いては、9名の方によるLTタイム。
実は十日ほど前にLT枠に欠員が出たので、LTやりましょうか?と申し出ました。ところが、私がもたついているうちに別の方がLT枠に申し込みました。私のLT登壇の機会は失われました。

今回の皆さんのLTを聞いていて、早いうちに、CLS登壇の実績解除は果たさねばと思いました。
CLSは学びの場として有効です。ただ、参加するにつれ、学べることはどうしても減っていくはずです。それでも、登壇さえすれば、きっと次の展開が開けるはず。
CLS道東に何度も来ていると、顔見知りの方が増えてきます。ただ、顔を知っていることと、実際の活動内容を知る事には大きな隔たりがあります。
皆さんのLTを聞いていて、この方が何の活動をしているかについての情報がアップデートされる感覚を味わいました。
それは私も同じ。よく顔を見るkintoneのエバポロシャツ来ている奴はなに?と思われていることでしょう。それを、皆さんの前で登壇することで情報をアップデートしてもらう。次回は登壇を目指します。


さて、LTタイムの後は、
「ワークショップ 【各地のCLS運営を招いてのワークショップ】」
として、CLS高知の小林さん、CLS道東の四宮さん、そして今度CLS三島らへんを立ち上げる川村さんによるもの。

この組み合わせはとても興味深いものでした。
なぜなら、冒頭に書いた通り、弊社にとって山梨でのコミュニティづくりは避けては通れないからです。その際に参考となるのが、コミュニティのあり方の一つの到達形であるCLSだと思います。


前回、CLS道東に参加した後、CLS三島が立ち上がるとの話を聞きました。それを聞く前は、CLS山梨もありかな、と思っていました。が、CLS三島らへん(らへんというキーワードは微妙)と重なる可能性もあるため、山梨でのCLS開催は控えておいたほうがよさそうです。
ただ、それでもCLSのプラットフォームから学べることは多くあると思っています。山梨のほかに山北や真鶴でも地域創生のご相談を頂いている今となってはなおさらです。

CLS高知やCLS道東は地域が持つ強いコンテンツ(風土や景色や食)がを生かせます。CLS三島らへんもまた、箱根や富士、伊豆といった国内有数の観光地を近隣に擁しています。
かつて函南や三島にはよく訪れていました。妻が持っていた山の家があったからです。だから、三島の持つコンテンツの豊かさは理解しているつもりです。
CLS三島がどのように育っていくのかについても、とても興味があります。


CLSとは私にとっては学びの場でした。ということは、まだ参加したことのない方にとっても十分な学びの場となるはず。
CLS三島らへんは首都圏からも行きやすいですし、日程も発表されたので参加したいと考えています。


丁度のその時間に美しい釧路の夕陽が落ちました。コンテンツの強さを象徴する場面です。


さらにCLSの創始者である小島さんの誕生日が今日であり、まさかの誕生日プレゼントが!!
厚岸のボトルもうらやましいし、秋田さんが描かれた小島さんの似顔絵がとても素敵でした!おめでとうございました!


そしてその後は武市さんの集合写真家としての強力なリーダーシップのもと、全員で集合写真を撮りました。

今回は若干前回よりも人数が減ったように思います。
毎回お見えになっていた釧路市長やえぞ財団の皆さん、惣田さんもお見掛けしませんでした。
(鈴木議員も来ていないと書きましたが、お見えになっていたそうです。琴絵さんからFacebookでご指摘いただきました。ありがとうございます。また、失礼しました)

ただ、こういうのは当然ながら任意参加であり、皆勤だからえらいということはありません。
今後、私もやむを得ない事情によって来られなくなることもあるはずです。


夜の懇親会ではゆっくり話せなかった方々と多くのお話ができました。とても楽しい時間でした。また、その後の二次会、三次会もかなり楽しみました。どうやって宿である大喜湯 春採店に帰ったのか、全く覚えていないぐらいに。
ただ、酔った中でも皆さんと交流を深める中で私なりにCLS道東に来る理由、学ぶべき内容や学んだ内容も整理できたように思います。

実際に私がコミュニティを作り始める前と後では、CLSから受ける情報の質も大きく変わったように思います。
作り始めた今だからこそ、実践されている方々から受け取る情報が明らかに変わったように思います。
そして、山梨やその他の知己で弊社が展開するコミュニティづくりに、今回のCLS道東で学んだことは活かせるはずです。

次の海霧編にもまた来て、学びたいと考えています。
また、その時には私からも何かの取り組みで得た情報を共有したいと思っています。

まずはご参加の皆さん、スタッフや登壇者の皆さん、HOKKAIDO DESIGN CODEやジョイゾー社の皆さん、その他、ご縁のあった皆様、本当にありがとうございました。

XのPOSTまとめサイトはこちらです。


kintone Café 帯広 Vol.3に登壇・参加しました


10/19にkintone Café 帯広 Vol.3が開催されました。弊社の代表が登壇を兼ねて参加してきました。
https://kintonecafeobihiro.connpass.com/event/296630/

前回のkintone Café 帯広 Vol.2は、私からの働きかけが開催のきっかけになりました。
それに続いての今回。企画を一身にやっていただいたのは、相互電業の今野さんです。私も企画の段階から関わらせていただきましたが、ほぼ今野さんにお任せしました。

十勝は、私と弊社にとって大きな可能性のある場所の一つだと思っています。
kintone Café 帯広 Vol.3の前日には大樹町のお客様のところで作業や商談をしてきました。kintone Café 帯広 Vol.3の当日の昼は、中札内村でkintoneの説明や打ち合わせに勤しんでいました。
十勝には弊社のお客様がいらっしゃるのです。

今回も大樹町のお客様をお連れし、我々を含め総勢四人で参加しました。
お客様にkintoneの価値を感じてもらうには、kintoneのエコシステムのつながりと皆さんの思いを感じていただくのが早道です。

私一人が熱弁を振るうよりも、多様なkintoneプレイヤーが集まり、共にkintoneについて語り合い、盛り上がる様子こそが最大の説得力になると思います。


相互電業さんに伺うと、前回と同じようにウェルカムボードが!



今回は今野さんからのkintoneの軽い説明とkintone Caféの理念の説明から始まりました。


続いて、サイボウズの山本さんより、ご自身の経験を生かした実感のこもったお話がありました。
山本さんのお子様が保育園に入園する際に苦労された話です。その手続きは従来のアナログな手続きであり、これをkintoneの流れに変えるための必然性を丁寧に語っていただきました。
さすがサイボウズさん、実体験からくる実例を挙げてお話しされるのはとても良いと思います。


続いて、株式会社山忠ホールディングスの生田目さんです。
前回のkintone Café 帯広 Vol.2でも生田目さんとはいろんな話をさせていただきました。
今回も企画段階から一緒にやりとりをさせていただきました。

生田目さんはご自身でシステムエンジニアとしてkintoneを使った実装をされておられます。その改善する過程をわかりやすく説明してくださいました。
FAXや電話などの旧来の形からkintoneへ。さらにkintoneから次の連携へと。つまりRest APIの活用です。実際に会社の情報システムが進化していく様をみるのはうれしいですね。
各企業にこういう方が一人いるだけで、会社の情報環境は劇的に変わっていきます。
どの会社もそう願っているのでしょうが、今のわが国ではそれはなかなか贅沢な願いになっています。
まさにそのために弊社のような会社があるわけです。
生田目さんの登壇内容は、まさにこうすれば改善できる可能性を見せてくれたと同時に、それを開発する生田目さんのような人がいなければ、システム化は難しいと言う事例だったように思います。


続いて、登壇されたのは池田商店の川東さんです。

はじめての登壇と言うことで、とても緊張していらっしゃいました。が、その朴訥で素朴な語り口とともに、一生懸命自社の構築をしていた過程を説明していただきました。
まさにkintoneとはこうあるべき。初めてシステムを触った方でもここまで作れるのだと言う実例に溢れていました。
私にとっても初心に返る意味で、とても参考になる川東さんの登壇でした。


さて、次は私の登壇です。光栄にも最後のスピーカーとして登壇させていただくことになりました。
とはいえ、残り時間があまりありません。そこで私も巻いて喋ることにしました。
今回のテーマは、「すごくなくていい! 自社のkintone共有し合ってみよう!」だったので、弊社のkintone環境を、複数のサブドメインと連携しながらどのように使っているのかを事例としてお話ししました。
実はこのテーマは以前のkintone Café 神奈川でも取り上げたことがありますが、その時はオンラインだったことと、今回私が話すまでの数年の間に変わった点もありました。私が話した内容は、皆さんにとって良い参考になったのではないかと自負しています。

というわけで、コンパクトな時間設定の中、無事にすべての登壇が終わりました。
続いて、皆さんで次の場所へと移動しました。
kintone Caféといえば懇親会。
そして本日の懇親会は「旬菜 まさゆめ 駅前店」。こちらのお店は多人数でかつおいしい十勝の料理が食べられるとあって、私たちもとても盛り上がりました。

こういう場を通して、多様なご縁ができる喜び。そして。私にも弊社にも十勝での今後の展開について貴重な知見をいただきました。


一次会が終わったあとも、その熱は醒めず、有志だけで二次会、そして三次会へと繰り出しました。北海道の魅力を再認識できる一日でした。

参加された皆さん、登壇された皆さん、本当にありがとうございました。また会場をご提供してくださった相互電業の皆様にはいつも本当に感謝です。

次のkintone Café 帯広の開催の際は、私も企画段階から関わり、また皆さんと交流を深めたいと思います。

まとめサイト


樹霊


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私にとって著者の作品を読むのは初めて。
著者は本格トリックの書き手として注目されているらしく、手に取ってみた。

あらゆるトリックが考案され、あらゆる叙述のテクニックが開発されたように思える今、本格トリックの作家として名乗る心意気は応援したい。

本格トリックの作家にとって、科学が幅を利かせる現代の世界は有利なのだろうか。それとも不利なのだろうか。私にはわからない。

新たなテクノロジーが開発されるたび、その盲点をついたトリックが編み出される。死角をついたトリックが読者の度肝を抜き、また一つ推理小説の世界に金字塔が打ち立てられる。
だが、テクノロジーや技術だけで組み立てられたミステリーには、どこか物足りなさを感じることも否めない。

それは、人の心の奥底に自然へのぬぐい難い思いがあるからだと思う。テクノロジーとは反対の自然。それへの依存をやめ、テクノロジーに全面的に生を委ねる。これは、私たちの後、何世代も過ぎなければ払拭されないはずだ。
自然に対して、心の奥底に潜む恐れの心。そして、自然を慈しむ心。
この自然には、バイナリーでは表せない人の感情の源があるように思う。

横溝正史といえば、わが国のミステリー界では著名な巨匠だ。没後かなりの年数がたっているにもかかわらず、作品が何度も映画にリメイクされ、好評を博している。
その世界観は、まさに、自然への恐れそのものだ。自然に包まれた世界。その中で謎が提出される時、謎の醸し出す効果は倍増し、小説としての効果を高める。

本書は、まさに自然を舞台としたミステリーだ。
しかも、神話が息づくアイヌの森。本書の謎は人々が自然を神として恐れ敬っていた地で展開される。アイヌの神々の神威を思わせるような驚きの事件が私たちの作り上げたテクノロジーをあざ笑うように頻発する。木が自在に動き、人がそこで死ぬ。

完全に地面に固定され、容易には動かせないはずの木。誰がなんの目的で木を動かしたのか。その意図は何か。人が殺されるのは、アイヌの神を怒らせた傲慢さゆえなのか。
読者の興味は本書の発端に惹かれるはずだ。
本書には、ミステリーに失われつつあった自然への恐れが描かれているのだから。

それにしても、著者が創造した〈観察者〉探偵とは、面白い存在だとおもう。
自然の生き物を眺めることに何よりの価値を見いだす。〈観察者〉探偵すなわち鳶山とはそうした人物だ。もちろん推理小説にアクセントを与えるため、探偵らしくエキセントリックな性格で味付けがされている。
観察者とは奇態な職だが、要は名乗ってしまえば何でも良い。

〈観察者〉探偵に対する狂言回しは、語り手である猫田夏海が担う。猫田は植物写真家として日本を巡り、各地の珍しい植生を写真に撮ることを仕事にしている。
その猫田が、アイヌの巨木を求めて訪れた日高山脈の麓(おそらく浦河や新冠のあたりのどこか)で、木が夜中にいつの間にか移動する変事を目撃したことが本書の発端だ。その後、人が死ぬ事態に遭遇したことで、事件の収拾がつかなくなった猫田は、鳶山に助けを求める。
鳶山について来たのが、博多弁を操る高階。生物画を得意とするイラストレーターだ。
孤高の鳶山にかわり、より実務的な捜査を行うのが高階という人物の役回りだ。
この高階の発する博多弁が、本書に良いテンポを生み出している。

今まで私は本書のように博多弁がポンポン出てくる作品はあまり読んだ経験がない。それが本書に特徴を醸し出している。
北海道の山奥で、博多弁が話される意外性。

神がかった事件に遭遇した〈観察者〉鳶山はどう事件を解決するのか。
そして、事件の中で猫田はどう振り回されるのか。

上に書いた通り、ミステリーには自然への恐れが必要だ。
一方で事件が起こるにあたっては原因がある。その原因とは欲や思いなど人の心だ。いわゆる犯行動機だ。
事件の動機についてはどれだけ自然や神の恐れを持ち出そうと説得力を出すのは難しい。
動機をいかに説得力のある形で提示できるか。ミステリー作家の腕の見せ所だ。むしろ素養の一つだとさえ思う。

おそらく今後、ミステリーに求められる動機はより多方面に求められ、複雑になっていくことだろう。
本書で描かれる犯行動機については興を削ぐため本稿では語らない。

だが、あえて言うならばアイヌ民族の民俗知識や、アイヌがあがめる神の恐ろしさ、そして山の神聖さなどの要因が本書にもう少し盛り込んだ方が、物語に深みがでたように思う。

私はかつて、この辺りは三回訪れたことがある。平取町のアイヌ民族の博物館。その近くにある国会議員として知られた萱野茂氏が運営していた私設の博物館なども訪れた。
そこで、自然を敬い、自然の中に生きようとするアイヌの人々の思想に影響を受けた。今でも、いや、今だからこそ、その思想はより知られるべきだと思っている。

大多数の日本人にとって、アイヌ民族の文化や日常はまだまだ知られていない。アイヌ民族が自然の中で培った自然と共生する思想の深みは、これからの地球にとって必要だと思う。
だからこそ本書のようにアイヌに題材をとるのであれば、アイヌの神への恐れの深さを描いたほうがサスペンスの効果も増したと思うのだが。

残念ながら本書については、舞台としてアイヌの森であったことの必然性があまり感じられなかった。それが残念だ。

だが、本格ミステリを紡ぎだそうとする著者の意識の高さは評価したい。トリックも面白かったし。

‘2020/08/30-2020/08/30


地方消滅 東京一極集中が招く人口急減


わが国をめぐる問題を挙げろ、と問われて答えをいくつ思い浮かべられるだろうか。私はすぐに十以上は用意できると思う。
では、その問題の中ですぐに解決策が見いだしやすく、しかも今のわが国に悪い影響を及ぼしている問題を一つ挙げろと言われればどうだろう。
その場合、私は東京への一極集中を挙げる。

本書にも書かれている通り、都心への一極集中は地方から人を一掃し、消滅の危機に追いやっている。
そして、都心の機能は3.11の時に如実に現れたとおり、飽和の極みにある。このまま問題を放置しておけば悪い事態に陥るのは確実。
だが、一極集中への解決策は他の問題(国防、少子化、移民、地震、感染症、温暖化、宇宙からの災厄、人工知能、遺伝子)に比べるとまだ対策のしようがあると思う。少子化をのぞいた他の問題は日本だけでは難しいが、一極集中は国内でどうにかできる問題だからだ。

本書は、このまま手をこまねいていると896の都市が亡くなると危機感をはっきり表明している。そして、それに対してさまざまな打つ手を提示している。
元岩手県知事で総務大臣も務めた著者が提示する現状認識と処方箋は明確だ。白い表紙がおなじみの中公新書で、赤一色の本書の装丁は目立つ。内容もあいまって本書はベストセラーになったという。

だが、こうした危機が迫っているにもかかわらず、国が一極集中へ本腰を入れて対応しているとはとても思えない。それどころかマスコミもこの問題については口を閉ざしているように思える。
おそらく出版・マスコミ業界がもっとも一極集中の恩恵を受け、また、促進してきた当人だからだろう。

だが、新聞離れ、テレビ離れが叫ばれている今、もう既存のビジネスモデルに未来はないと思う。
インターネットは情報の価値を拡散し、都市でも都会でも情報が等しく受け取れるようにしてしまった。
今や、情報に関しては都会の優位性はなくなっている。あえて言うなら、ネットワーク越しよりも対面で会った時のほうが受け取れる情報は多いぐらいだろうか。

なぜ人は都会に出てきてしまうのか。
その理由は、従来から言われていた仕事があるかどうか、に尽きるのではないか。
戦前や戦後、農村から出稼ぎと称して多勢の人々が都会へと出てきた。それが戦後の高度経済成長につながった。そうした成功の体験を今も引きずっているのが日本ではないだろうか。
ネットワークがない時代、情報は都会が独占していた。都会にはチャンスがあり、金が流れていた。だから人々は集まってきた。都会だと仕事につける。地方にはないやりがいが都会にはある。そうした幻想がわが国をいまだに縛っている。

かつての私もそうだった。
兵庫の西宮に住んでいた私は、私が求めていた編集者には大阪ではなれないと思い、東京に出てきた。
もちろん、理由はそれだけではない。
当時、付き合っていた今の妻が東京に住んでいて、しかも歯科大学の病院に勤務していたため、動けなかったという理由もある。

私の場合、東京に出た理由はそれだけだ。東京に対する憧れはなかった。
家から自転車を漕いで1時間で大阪の梅田に行けた。そもそもファッションやビジネスに興味がなかった。
もし妻が仙台に住んでいて、私が望む仕事があれば仙台にだって向かっていたかもしれない。

そういう過去をもっている私だから、今の若者が地方から都会へと向かう理由も分かる。
当時の私と同じような動機だろうと察する。漠然とした都会に対する憧れで東京に出てきて、そして消耗してゆくのだろう。
その理由や幻滅はよくわかる。なので、私は今の若者たちを非難しようとは思わない。
それどころか、そうした若者に対して地方に仕事先が就職先が用意されていれば、都会に来なくてもよいのではないか、と提案したい。

今や、私が上京した頃と違い、ネットワークが日本の全土を覆っている。
仮に地方から都会に出てきたとしても、仕事が終わればスマホとにらめっこしているのであれば、都会に住む意味はないはずだ。稼げる仕事の有り無しの違いにすぎないので。

そして今、職種にもよるが、地方で仕事は可能だ。
私の仕事は情報系だが、ネット会議で大抵のことはケリがつく。仕事の発注から受注、納品までを一度も顧客と会わずに済ませたことも何度もある。

本稿をアップする二週間前には奈良の下北山村に行き、二泊三日でワーケーション体験をした。
コワーキングスペース「Shimokitayama Biyori」のWi-Fi環境が良かったのか、AWSのオンラインカンファレンスに参加し、東京で行われた顧客との会議にもオンラインで参加できた。

また、この体験で、田舎の暮らしはお金がかからないことも知った。そもそもお金を使う場所がないのだ。
都会には刺激的なものが多すぎる。そして、その刺激が仮にネット上のコンテンツで満たせるのであれば、地方でもそれは享受できる。

個人の性格にもよるが、私の場合、二週間に一度、東京や大阪に出られればそれで十分。それであれば地方でも働けるし暮らしていけるめどはついた。

だが、その体験をもってしても、本書の内容を読むにつけ危機感が募る。
本書には今後の人口予測と消滅可能性のある896の市町村のリストも付されている。
そこには当然、下北山村も含まれている。しかもこのリストによれば2010年の下北山村の人口は1000人を超えているが、先日訪れた時点ではWikipediaの情報では800人を割っていた。
日中でもほとんど車が通らない下北山村のメインストリートを思い出すにつけ、「消滅」の二文字が切実に迫ってくる。

本書では国による国家戦略の必要も記されている。
だが、今の国会ではモリ・カケ問題や桜を見る会やその他の大臣の失言の糾弾にばかり時間が空費されている。
そのような足をすくわれるようなことをしでかす与党にも失望させられるし、そうした問題をあげつらうばかりの野党にも期待が持てない。
党利党略や利益誘導より、国家の大計に取り組み、足元をしっかり固めて喫緊の課題に注力してほしいと思う。
マスコミももっともっとこの問題には発言してほしい。旅情を誘う番組もいいが、一極集中の問題の危機感を報道しないと何が報道機関か、と思う。

少子化の問題も本書は一章を割いて取り上げている。そして、都会の生きにくさが子作りの妨げになっていることは確実だ。
保育園落ちた日本死ね!!! のブログが反響を巻き起こしたことは記憶に新しい。これもまた、都会の生きづらさの顕著な例だと思う。
子育てをしながら働ける環境を。企業においてもそうした対策が求められていることは自明のことだ。
もし自社の利益を追求するモチベーションを自社の百年後の存続にあると考えているならば、少子化を甘く見るとそもそも会社のサービスの売り先が消え去っていますよ、と忠告したい。

本書にはさまざまな処方箋が載っている。それらの一つ一つはもっとも。
だが、実際に効果を上げうるかどうかはやってみてはじめて分かる点が多い。
だから二の足を踏むのではなく、今のうちに取り組まなねば間に合わないのだ。
本書には各地に人口流出のダムとなる地を作る対策を挙げている。
たとえば下北山村を例に挙げると、村の若者が外に出るのを防ぐのは難しいかもしれない。だが、その流出先が東京ではなく、熊野市や尾鷲市であれば下北山村にはすぐ戻れる。
そうしたダムになりうる都市を各地に育てていくべき、という提言には賛成だ。
ある程度の経済規模さえ確保してもらえれば、都会の人が地方で転職する際にもハードルは少ない。

本書では、そうしたモデルケースとして北海道を取り上げている。
今、日本で最も過疎化が進んだ地域と言えば北海道だろう。
私もあの原野の雰囲気は好きだが、それが将来の日本全土の景色と言われれば、言葉を失ってしまう。
北海道の中でも札幌だけがダムになりうるのではなく、函館、帯広、旭川、釧路といった都市をダムとして、それ以上の流出を食い止める。本書にはその事例が詳しく載っている。

それでは地域がどのようにして雇用を創出していけばよいか。
この課題は当然、考えられなければならない。今までにも議論は出し尽くされてきている。
本書には地域が活きる6モデルとして、産業誘致型、ベッドタウン型、学園都市型、コンパクトシティ型、公共財主導型、産業開発型が挙げられている。
どれもが可能性があるモデルだと思うが、地域によってどれを選ぶかは、地域の特性にもよるだろう。

本書は最後に増田氏と識者による三つの対談が載っている。
最初は藻谷浩介氏との対談。藻谷氏はかつて私もブログで取り上げた『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』の編者でもある。(a href=”https://www.akvabit.jp/%E9%87%8C%E5%B1%B1%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%80%8D%E3%81%A7%E5%8B%95%E3%81%8F/” target=”_blank”>レビュー)
二人の結論もやはり今のままでは地方ばかりか日本も破綻するというもの。
さらにお二人は提言として東京に本社を置く必要の意味を問うている。アメリカではニューヨークに本社を置く企業は四分の一だが、日本の場合、七割が東京にあるという。

二つ目の対談は、小泉進次郎氏、須田善明氏と行っている。
小泉氏は政治家として著名だが、須田氏は宮城県女川町の町長であり、東日本大震災で被害にあった町の復興を担当している。
本稿をアップする今、小泉氏の株はかなり下がってしまった。だが、小泉氏が一極集中を問題として認識していることはこの対談でも述べられている。そして今も持ってくれているはずだと期待している。
結局、一極集中の解消を国家戦略として策定し、それを確実に遂行していかなければこの問題は解決しないと思う。
その戦略とは東京オリンピックや大阪万博ではない。地方を主役にしたイベントを誘致するといったことでもない。
たとえば、本社の機能を六大都市以外の都市に移した企業に対しては税務上の優遇措置を与えるとかの策でもあるし、いつの間にか誰も言及しなくなった遷都の問題を真剣に議論することでもある。

三つ目の対談は、慶応義塾大教授の樋口美雄氏と行っている。
6モデルに即した地方の生き残り策を提言しているが、それらを推進するためのリーダーの存在が指摘されている。
まったくその通りだと思う。本当であれば、地方から選出されたはずの国会議員が担うべきことだが、国政や党政を優先させることに汲々としている。

本書を読んで思うのは、考えるよりも実行の必要性だ。
もちろんそれは私や弊社にも当てはまる。
東京に登記し、東京に住んでいる私。働き方を変えることで朝夕の通勤ラッシュを一人分だけ解消させることができた。
ここ数年、地方でも講演する機会も増えてきた。ワーケーション体験に参加し、地方で働き、暮らす可能性も確信できた。
働き方改革を掲げるサイボウズ社のkintoneを担ぐことで、地方の方とのご縁は増えてきた。
そうした実践ができる立場にある弊社と私。だが、それが実体ある生活として地方に還元できているとはとてもいえない。
下北山村へ伺う契機となった紀伊半島はたらくくらすプロジェクトはカヤックLivingさんをはじめとした複数の企業が共同している。そうした取り組みがすでになされている今、私も弊社に協力できることはあるはず。

これから私や弊社に何ができるのか。これからも動いていかねばなるまい。

‘2018/11/13-2018/11/16


日本ふーど記


著者はエッセイストとして著名だが、著作を読むのは本書が始めて。

最近はエッセイを読む機会に乏しい。
それは発表されるエッセイやそれを産み出すエッセイストの問題ではなく、ネット上に乱舞するブログやツイートのせいだろう。
エッセイもどきの文章がこれだけ多く発信されれば、いくら優れたエッセイであっても埋もれてしまう。
雑誌とウェブでは媒体が違うとはいえ、雑誌自体が読まれなくなっている今では、ますます紙媒体に発表されるエッセイの存在感は薄れる一方だ。

だが、紙媒体のエッセイとウェブの情報には違いがある。それは稿料の発生だ。
ウェブ媒体にも稿料は発生する場合はある。ただ、その対象はより専門分野に偏っている。
そうした中、著者の日々のよしなし事をつづるエッセイに稿料をはらう例は知らない。ましてや有料サイトでは皆無ではないだろうか。

もちろん、そこには文化の違いがある。ウェブ日常の情報収集の手段とする世代と、昔ながらの紙の媒体を信奉する世代の違いが。
ただ、エッセイとして稿料が支払われるには、それだけの面白さがあるはず。ましてや、本書のようにエッセイとして出版されるとなると、理由もあるはずだ。
もちろん、ブログがあふれる今と本書が発行された昭和の終わりではビジネス環境も違う。
だが、著者はエッセイストとして、エッセイで生計を立てている。そこに何かのヒントはないか、と思った。

本書を町田の高原書店の入り口の特価本コーナーで見つけた時、私は会津で農業体験をして間もない頃だった。日本の食にとても関心が高く、何かできないかと思っていた。
だからこそ、本書が私の目にひときわ大きく映った。

本書は著者が日本各地の食を巡った食べ歩記だ。だからうまそうな描写が満載だ。
だが、うまそうな描写が嫌みに感じない。それが本書の良いところだ。
本書を読んでいると、食い物に関するウンチクもチラホラ出て来る。ところが、それが知識のひけらかしにも、自由に旅ができる境遇の自慢にも聞こえないのがよい。
著者は美味を語り、ウンチクも語る。そして、それと同じぐらい失敗談も載せる。その失敗談についクスリとさせられる。結果として、著者にもエッセイにも良い読後感をもたらす。

実はエッセイもブログもツイートも、自分の失敗や弱みをほど良く混ぜるのがコツだ。これは簡単なようで案外難しい。
ツイートやウォールやブログなどを見ていると、だいたいいいねやコメントがつくのは、自分を高めず、他を上げるものが多い。
だが、往々にして成長するにつれ、失敗をしでかすこと自体が減ってくる。プライドが邪魔して自分の失敗をさらけ出したくない、という意識もあるだろう。そこにはむしろ、仕事で失敗できない、という身を守る意識が四六時中、働いているように思える。

だからこそ、中高年の書くものには、リア充の臭いが鼻に付くのだ。
私もイタイ中年の書き手の一人だと自覚しているし、若者とってみれば、私の書く内容は、オヤジのリア充自慢が鼻に付くだろうな、と自分でも思う。
私の場合、ツイートでもウォールでもブログでも、自分を飾るつもりや繕うつもりは全くない。にも関わらず、ある程度生きるコツをつかんでくると、失敗の頻度が自然と減ってくるのだ。
大人になるとはこういう事か、と最近とみに思う。

そこに来て著者のエッセイだ。
絶妙に失敗談を織り込んでいる。
そして著者は、各地の料理や人を決してくさす事がない。それでいて、不自然に自分をおとしめることもしない。
ここで語られる失敗談は旅人につきものの無知。つまり著者の旅は謙虚なのだ。謙虚であり博識。博識であっても全能でないために失敗する。

「薩摩鹿児島」では地元の女将のモチ肌に勘違いする。勘違いしながら、居酒屋では薩摩の偉人たちの名が付けられた料理を飲み食いする。
「群馬下仁田」では、コンニャクを食い過ぎた夜に異常な空腹に苦しむ。
「瀬戸内讃岐」では、うどんとたこ焼きまでは良かったが、広島のお好み焼き屋で間髪入れさせないおばさんに気押され、うどんと答えた著者の前に焼かれるお好み焼きとその中のうどんに閉口する。
「若狭近江」ではサバずしを食したまでは良かったが、フナずしのあまりの旨さになぜ二尾を買わなかったかを悔やむ。
「北海道」では各地の海や山の産物を語る合間に、寝坊して特急に乗り損ねたために悲惨な目にあった思い出を語る。
「土佐高知」では魚文化から皿鉢料理に話題を移し、器に乗せればなんでもいい自由な土佐の精神をたたえる。かと思えば、最後に訪れた喫茶店でコーヒーと番茶で胃をガボガボにする。
「岩手三陸」ではホヤから話を始めたはずが、わんこそばを食わらされてダウンする。
「木曾信濃」は佐久の鯉料理からはじまり、ソバ、そして馬肉料理と巡って、最後はハチの子料理を著者の望む以上に食わされる。
「秋田金沢日本海」ではキリタンポやショッツルが登場する。そして日本の、裏側の土地の文化を考えあぐねて胸焼けする。
「博多長崎」に来てようやく、失敗談は出てこない。だが、ヒリョーズや卓袱料理、ちゃんぽんを語った後に長崎人はエライ!と無邪気に持ち上げてみせる。
「松坂熊野」は海の幸に松坂牛が並ぶ前半と、高野山の宿坊で精進料理にひもじい思いをさせられる後半とのギャップがよい。
「エピローグ/東京」では、江戸前鮨の成り立ちと歴史を語り、ファストフードの元祖が寿司である以上、今のファストフードもどうなるかわからないと一席ぶっておきながら、おかんじょう、と小声で遠慮がちに言う著者が書かれる。

そうしたバランスが本書の心地よい点だ。
かつてのエッセイストとは、こうした嫌味にならず、読者の心の機微をよく心得ていたのだろう。
私もそれにならい、そうしたイベントをほどよく織り交ぜたい。私の場合、ビジネスモードを忘れさえすれば、普通に間の抜けた毎日を送れているようなので。

‘2018/10/31-2018/10/31


伊能忠敬―日本をはじめて測った愚直の人


ここにきて、また伊能忠敬が脚光を浴びている。中高年の希望の星として。

伊能忠敬といえば、日本ではじめて全国地図を作った人物だ。全国を測量して歩き、実際の日本の地形と遜色ない日本地図を作った業績は不朽だ。井上ひさし氏による『四千万歩の男』で取り上げられたこともしられている。

なぜ中高年の希望の星なのか。それは、伊能忠敬が地図作成の世界に入ったのが50歳の年だからだ。50歳といえば、現代人の感覚でも晩年に差し掛かっている。ましてや当時の感覚では隠居して当たり前の歳だ。今の私たちが定年後にセカンドライフを志すのと同じように考えてはならない。当時の尺度では遅すぎるのだ。しかもそんな老齢から19歳年下の高橋至時に弟子入りする謙虚な心も見事だ。当時の感覚では相当な老年であるにも関わらず、当時の不便な交通事情の中、全国津々浦々を歩き回り「大日本沿海與地全図」を完成させた。私はまだ実物を見たことがないが、本書には「大日本沿海與地全図」の一部が載っている。その精緻な出来栄えにはうならされる。見事というほかはない。

本書は伊能忠敬をブックレットの形で紹介している。ブックレットといえば薄い小冊子の体裁だ。本書は88ページという少ない紙数しかない中で伊能忠敬の事績を紹介している。網羅しているとはいえないが、生い立ちと業績、そして伊能図の今に至る歩みまでをコンパクトかつ概観的に紹介している。それが、私にとってはよかった。なにせ伊能忠敬のことを本で読むのはほぼ初めてなのだから。『四千万歩の男』も読んでいないし、せいぜいが教科書で習った程度の知識しかない。要するに私は伊能忠敬のことを何も知らなかったに等しい。そんな私には88ページの本書の内容はかえってコンパクトで頭に入ってきた。ダイジェストで伊能忠敬の生涯を学べた感じがして。

たとえば隠居前の伊能忠敬がどのように家業を経営していたかについても記している。研究によると伊能家の資産は現在の貨幣価値で45億円以上だったそうだ。立派な億万長者である。しかも伊能忠敬は名主職まで勤めていたとか。それだけの実績を重ねていたのに、江戸に出て測量の弟子入りをし、一からキャリアを積み上げなおしたのだから恐れ入る。

なぜ伊能忠敬は日本を測量しようと思ったのか。それは地球の大きさや形を明らかにしたいという志をもともと名主の頃から持っていたからだという。地球の大きさや形を明らかにするには測量が必要となる。伊能忠敬が師の高橋至時に測量を願い出たところ、せめて蝦夷までの距離を求めなければ地球の大きさは測れないといわれた。それが伊能忠敬を測量に向かわせたという。

第一次から第十次まで行われた全国の測量。それらも本書は概要が紹介する。さすがに第十次の旅は体力面からか弟子たちに任せたようだ。だが、それ以外の旅は全て伊能忠敬本人が足を運んだというからすごい。あと、あらためて理解したことがある。それは伊能図が沿岸の地図を詳しく記したとはいえ、内陸をくまなく測量した訳ではないことだ。 いくつかの内陸部の土地は回っているようだが、あくまでも沿岸のみを網羅したのが伊能図と考えてよさそうだ。よく考えてみれば、ありとあらゆる場所を訪れていたら、20年弱で徒歩で全国を回れるはずがない。つまり沿岸部に特化し、その精度を高めたことが伊能図をこれだけの完成度にしたということだ。このことを本書は教えてくれた。それだけでも読んだ甲斐がある。

本書には伊能図以前に記された日本地図の歴史と、「大日本沿海與地全図」のその後の運命にも紙数を割いている。明治に入ってすぐ、皇居で起こった火事によって 「大日本沿海與地全図」 の正版は失われてしまったという。しかも伊能家に保管されていた副本の控図までもが関東大震災で焼失してしまったとか。しかし模写された図の数々は、今も世に伝えられている。50才から志した日本地図への取り組みは200年以上たった今も世に伝えられているのだ。

なによりも本書が重んじているのは、伊能忠敬の実像を正しく紹介することだ。本書によると伊能忠敬は厳格かつ堅実な人物だったという。そこには後世、皇国史観によって左右され、作り上げられた伊能忠敬像なく、実際の本人を紹介したいという著者の想いがある。著者は国土地理院のご出身のようだ。その立場からも、伊能忠敬の成した歴史的な意義は強調してし足りないのだろう。だから例えば、伊能忠敬が幕府と反目し合いながら全国を測量して回ったという伝説も否定する。幕府や諸藩の妨害を乗り越えて地図を作り上げた伊能忠敬という英雄像は私たちも修正したほうがよさそうだ。そして実直な伊能忠敬像を紹介した著者は、これからの時代を生き抜くのに、伊能忠敬の粘り強く堅実に進む生き方を勧めている。

人類の何年にもわたる努力が、人工知能によって一瞬に達成されようとする今、伊能忠敬の生き方は何を教えるのだろう。私は、もはや成果物の量や精度では人工知能に太刀打ちできなくなるだろうと思っている。だが、それは成果物だけで成果を評価する限りの話だ。人口知能が人の人生を左右しようとする今、個人の自我が蓄える経験の重み。それこそがより大切にされる気がする。経験と自制の大切さを200年前のわが国で体現したのが伊能忠敬。冒頭に書いた通り、50才から実績を作り上げたということばかりが取り上げられているが、そればかりが伊能忠敬の偉大さではあるまい。見逃してはならないのが、商売に精を出している間も伊能忠敬は各種の勉強に励んでいたことだ。名主の頃から勉学に打ち込んでいたことが本書でも紹介されている。50才で一念発起するまでの年月も土台があってのこと。実直にこつこつと。それこそがもっとも肝に銘じるべきことだと思った。

‘2017/12/22-2017/12/27


眼ある花々/開口一番


洋酒文化と純文学。私がそれらに興味を持ったのは20代前半の頃だ。酒文化の方が少し早い時期だったと覚えている。今もなお、その二つは私にとって人生を生きる原動力となっている。その二つの文化を代表する作家として、著者の名前を外すわけにはいかない。

その二つの文化を体現していた著者は、当時、苦悩の淵に沈んでいた私に光を照らしてくれた。それ以来、著者のことは常に意識していた。著者は壽屋(現サントリー)の広報部に属し、キャッチコピーやその他の文章で健筆を振るっていたことで知られる 。なので、洋酒文化に興味を持った私は、著者の文章に相当多くの知識を授けられて来た。サントリーの広報誌「洋酒天国」の総集編の書籍は、わざわざ古本屋の通信販売で取り寄せた。

だが、読むべき作家とは知りながら、著者の作品は思うように読めなかった。私が著者の作品を読まなければと思ったのは、ある日茅ケ崎市の開高健資料館の存在を知ってからだ。なぜそのことを知ったのか。そのきっかけは、茅ケ崎でジーンズショップを開くKさんとのご縁だ。何度かKさんのお店に遊びに行くうちに、茅ヶ崎市には開高健資料館がある事を知った。いずれ行こうと思っていたが、それから数年の月日が過ぎてしまった。私がようやく訪れることができたのは、本書を読む少し前のこと。

訪れた記念館で私が受けた開高健の印象。それは行動する作家ということ。ベトナム戦争に従軍し、世界各国の魚を釣らんと訪ね巡る。その行動は、書斎にこもる作家のイメージとは対極にある。そのような著者のライフスタイルは、私の求める理想にかなり近い。それを知り、著者が残した作品を片っ端から読みたいと思った。そのはじめの一冊が本書だ。

本書はかつて刊行された二冊のエッセイ集から成っている。二冊を一冊に編みなおし、文庫化したのが本書だ。わあ最初の「眼ある花々」は旅の作家にふさわしく、世界の旅先で著者の目に焼き付いた花々についてのエッセイを集めている。

メコン川の豊穣な流れと、肥沃な大地にあるベトナム。凄惨で救いのない戦闘がすぐ近くで行われていながら、花の都の呼び名にふさわしく、多種多様な花が売られている街並みに、人の、自然の営みのたくましさを思う。「君よ知るや、南の国」

パリの街角にさりげなく活けられている花の取り澄ました感じを眺め、そこから都市論に話を伸ばしてゆく。芸術家たちが愛した街の都市の景観と、初のオリンピックを前に切りはりの発展を遂げようとする東京を比較する。「一鉢の庭、一滴の血」

鬱に沈んでいた著者がアラスカの大地でサケと出会い、生命の奔放さに活力を取り戻す。釣りやサケの魅力に内容がほぼ費やされるが、最後に、アラスカの国花がワスレナグサであり、その慎ましやかな花が雄大な大地を象徴することに自然のバランスを感じる。「指紋のない国」

ジャスミン茶が茶碗に浮いている様子から、花茶の数々を並べ立て、ウンチクを傾ける著者。やがて著者の初めての海外旅行で味わった中国での思い出話と、その後の文化大革命が著者の想い出を汚したことに感傷を挟む。「茶碗のなかの花」

ついでに著者は北海道に目を向ける。スズラン、そしてハマナス。実は北海道が花にあふれた北の国であることに気づかされる。原生花園。原野。著者の第一の関心事は魚にあるのかもしれないが、花の描写が楽しげで旅情を刺激される。北海道を描いた旅のエッセイとして覚えておきたい。「寒い国の花」

また別の日に著者はカメラマンとバンコクに飛ぶ。美しい海とそこで獲られる貝。そこに著者は花の美しさを重ねる。饒舌な会話がちりばめられる中、著者の観察は目を飽きさせないほど生息する色とりどりの動植物を味わい尽くす。その豊かさこそが人生の味わいとでも言うかのごとく。「南の海の種子」

続いてはギリシャだ。白い家々に多彩な花弁が咲き誇る様は、さぞや見応えがあるだろう。著者はギリシャの豊穣な神話や戦争で明け暮れた歴史にギリシャの雑多さをみる。著者の想像力は、ギリシャに咲き誇る百花斉放の花の一つ一つがギリシャを主張しているかのように表現する。それが。あゝと叫ぶ。「 ああ!・・ 」

著者は続いてソバの花を語る。あの白くて小さいやつだ。ソバの花の可憐でひっそりとしたすがたに著者は価値を見いだす。痩せた大地でも花を咲かし実をならせる生命力に著者の称賛はやまない。そして痩せた大地の恵みに妙味を発見した人類のたくましさを著者は褒めそやす。「ソバの花」

同じ白い花でも、著者が続いて取り上げる塩の花、つまり死海に咲く塩の華は、投げ込んだ枯れ枝に群がった塩が、ひっしとしがみついて花を咲かせる。それは著者に自然の摂理の美しさと人類には決して味わい尽くせない妙味を教えてくれる。「死の海、塩の華」

著者の旅はバリ島へと至る。バリ島といえば人々の集う地。そこで著者の思索は人種の差とは何かにたどり着く。人間、どこに生まれようと営みは一緒。それを思い出させるようなエッセイだ。分析のような論理展開がなく、ダラダラとつながっているだけのような文の行間から、著者の考えを立ち上らせるあたり、見事。「バリ島の夜の花」

かと思えば、著者は越前岬の荒々しい自然にたたずむ旅の宿で、冬の水仙を堪能している。越前岬はかつて福井の母の実家まで自転車で走破した際に通り過ぎたことがある。人のおらぬ地で旅情に浸る。これもまた、著者の流儀だ。本書を読んでいると、つくづく思わせてくれる。旅人が備えるべき観察眼とはかくありたいものだ、と。「寒い国の美少年」

最後を締めてくれるのは、アンコールワットやノイシュヴァンシュタイン城のような城が歴史を超えて咲き誇っている様をバラに見立てた著者の着眼だ。城がその精妙で複雑な造形で数百年後にも残り続けているように、バラもその飽きさせない姿で私たちの目を数千年のちまで楽しませてくれるはず、と。「不思議な花」

花々のイメージを豊かに世の事物とつなげ合わせ、語る手法。それは私にエッセイの妙とその味わい方を教えてくれた。

本書の後半六割は「開口一番」が収められている。「開口一番」はかつて出版されたエッセイ集の再録だ。こちらはテーマを絞っていない。さまざまに話題が展開される。釣り、魚、パイプ、スキー、セキフェなどのゲテモノ料理、銘酒の数々。著者の博学はとどまるところを知らない。

そうかと思えば、三浦朱門氏が唱えた結婚反対論に挑戦し、「早婚絶対幸福論」と題して硬軟を織り交ぜた議論を展開する。 「結婚は人生の墓場である」とのたまう三浦朱門氏の論に対し、慇懃かつズバリとその矛盾をつき、たしなめるのだ。曽野綾子氏を伴侶に持つ三浦朱門氏の言葉は、曽野綾子氏への侮辱ですよ、といわんばかりに。まあ、著者の唱える結婚も、希望も何もないサバサバとしたものだが。

そして著者の筆は美女の定義を求めてさまよう。各国の中でルーマニアが一番美女ぞろいであったという著者の感想を皮切りに、本書は急速に品を落として行く。ルーマニアで翻訳を頼んだ女性に日本語の一、二、三(ひー、ふー、みー)と話すと、その二番目がルーマニア語で女性器を表していたため、彼女を恥じらわせてしまった話。中国語のウォーアイニーも発音によっては我愛泥になってしまう話題とか。

続いて著者が語るのは銀座だ。著者の庭のような場所なので話は尽きない。次から次へと店や名物、名酒が登場し、客の酔態が暴かれる。話題は銀座から麻布や六本木へと移動しつつ、著者のウンチクは都内の繁華街を縦横に取り上げてゆく。その行く先はゲイの発展場。著者の話題に果てはない。

次いではスリだ。東京のスリは世界一の腕前だとか。警視庁の警部に取材した会話を交えつつ、その中で披歴されるスリの手口や生態。それらをつらつらと俎上に乗せ、批評する。読んでいるこちらまでスリの専門知識を蓄えてしまう。著者の語り口にはただ酔わされるばかりだ。

そしてついに著者はわいせつを語り始める。編集者たちを集めてブルーフィルムの鑑賞会を開帳した話。そこであからさまに映し出される性器の形をあれこれ品評する話から、諸外国での大人のオモチャ屋さんやエログロメディアの今を語ってゆく。何でも規制が緩むことは、表現者にとっては必ずしも恵まれてはいない、と釘をさしつつ。

このような話題の乱雑さと広大な論理の展開。これこそ私がそうありたいと望む生き方なのだ。引き出しが多いとはまさにこのこと。著者の生き方に一つの目標を見いだしている私にとって、著者の高みは遥か先にある。

飽きを知らない豊富な話題を語りつつ、その中に人生の叡智を紛れ込ませる技。その技はあとがきで女優・演出家の野崎美子氏が語る通り、作家が一瞬見せたナイフの研がれ様。著者の域に達するにはあとどれぐらい旅をすればよいのだろう。

  若きの日に
   旅をせずば、
  老いての日に
   何をか、
    語る?

中国の古典が原典というこちら、開高健記念館で購入した絵葉書に書いてある文句だ。老いて語れるような人間になるためにも、まだまだ旅をせねばなるまい。本書は家族で訪れた東京ディズニーシーで読んでいたが、東京にあるジャングルではなく、ジャングルにあるジャングルで読んでこそ旅の感性は養われるのだから。

‘2017/11/17-2017/11/20


札幌・由仁の旅 2017/10/20


早朝から起きて前夜の仕事の続きを。こうやって旅先でも仕事ができることに感謝。昨日の旅日記の中で、9月末で常駐から解き放たれた、と書きました。ただし、常駐から解き放たれても仕事からは解放されません。むしろ旅をしながら仕事をするためには工夫がいります。それは私にとって望むところ。旅ができるのであれば旅先で仕事をすることもなんら苦にはなりません。喜んで旅先での仕事を片付けます。

さて、今日は妻の学びの日。私も久々の北海道の一人旅を満喫する日。ただ、その前に一つだけ用事がありました。それはメダイ探し。メダイとは聖母マリアが彫られたメダルのこと。私も妻もクリスチャンではありませんが、一、二回ほど夫婦で教会のミサに行ったことがあります。そして妻は方々でメダイを買います。それを首に掛けていると、メダイが妻を守ってくれるのだそうです。妻の身に何かが起こりそうになると、不思議なことにメダイがなくなるのです。身代わりのように。この旅の前にもなくしたばかり。そこで新たなメダイを買うため、教会を探すことから今日の行動は始まります。

実は前日の余市でも教会を探しました。ところが見つけられませんでした。そこで前の晩、ススキノから歩いて帰る時、教会の場所を調べて立ち寄りました。それはホテルの近くにある「北海道クリスチャンセンター」。そのため、私は2日目の車をクリスチャンセンターの近くにあるタイムズカーシェアリングで予約しました。2日目の相棒もソリオ君です。ところがホテルをチェックアウトし、「北海道クリスチャンセンター」に向かったのですが、そこには妻の求めるメダイがありません。他に売っている場所がないか尋ねたところ、紹介されたのが「カトリック北11条教会」。さすがは札幌。クリスチャンも教会が多い。妻はここで無事にメダイを入手。あとは妻を学会会場の近くまで送るのみ。メダイを得たことで旅の無事は約束されたも同然。

今年の第76回矯正歯科学会はさっぽろ芸文館、ロイトン札幌、札幌市教育文化会館の3カ所で行われています。その近くで妻を下ろします。そして私は南へと向かいます。とその時、私のFacebookのメッセンジャーに着信が来ました。実は昨夜、余市と小樽の写真をFacebookにアップしたのです。それにコメントをもらったのです。「北海道いますよ〜」と。それは仕事を介して知り合った横浜の方からのコメントでした。「どこかのCaféで偶然会うかもですね~♪」とコメントを返した私。するとそれを受けてメッセンジャーで「会いませんか?」。これにはシビれました。こういうご縁が生まれるからSNSは侮れません。この頃すでに私はFacebookへの依存度を少しずつ減らそうと考えていました。だからなおさらこのメッセージが刺さりました。このご縁をいかさない手はない。ただ、お会いするタイミングをどうするか考えねば。なにしろメッセンジャーを受け取った時、私はすでに札幌市街を抜け、真駒内公園を過ぎようとしていましたので。そこで夜に会えないでしょうか?とメッセージを返したところ、OKのご返事が。ちょうど妻とは夜に札幌で落ち合い、ご飯を食べてから千歳に向かおうと約束していました。なので、夜に急遽札幌での飲み会が決まりました。

段取りが決まったことで、私はさらに南へと向かいます。私が向かう先はアシリベツの滝。日本の滝百選の一つです。私は生涯の目標の一つに百選の滝の全制覇を掲げています。札幌の近くにある百選の滝といえばこのアシリベツの滝ぐらい。白老にあるインクラの滝も検討しましたが時間がなさそう。なのでアシリベツの滝を訪れ、その後、夕張に向かう。それが私の計画でした。

そんなふうにアシリベツの滝に向かった私ですが、そこは名うての観光地、北海道。やすやすとは私を滝に近づかせません。運転している私の前に現れたのは謎のモアイ像。「な、なんや、、、あれ?」。度肝を抜かれつつ、いったんはその場を通り過ぎた私。しかし、強烈な印象が脳内でフラッシュバックします。そして、私を強い力で引き止めます。こんなネタをやり過ごしてええんか?という潜在意識からの声。かつて、いや、今もモアイと呼ばれる私がモアイ像を見過ごしていいのか。自分の分身を無視して先に進むことなかれ、と私の中のモアイが何かを告げます。

そこでブレーキを掛けた私。引き返して真駒内滝野霊園という大きな門の前にある広大なスペースに車を停めます。門の中にも車を乗り入れられたのですが、いったん中に入ると最後、二度と戻れないのではという根拠のない予感が私にそれ以上の行動をさせません。不気味なこと極まりないモアイの立像。門の向こうに車を走らせると、必然的に入場者を見定めるように居並ぶモアイの前を通り過ぎなければなりません。待ち構えるモアイの群れ。怖い。

私は今まで何も知らずに生きていました。ところがすでにモアイ軍は札幌に侵攻していたのです。ここは何? なんかの宗教? あまりにも意図が見えず、戸惑う私。門前に車を停めたことすら、とんでもない間違いだったのではないか。私を第二の人生に導く門を、今くぐってしまったのではないか。おもむろに奥から謎の老人がやってきて、「お久しぶりです、マスター」と私を呼びやしないか。

事態がそのように進んでいたら、私が今、この文章を打つことはなかったでしょう。モアイ軍に担がれたみこしに乗ってイースター島に凱旋していたかも。そう考えると、モアイの軍勢を写真に撮っただけでそれ以上は深入りしなかったことは賢明な判断と言えます。

その日の夜にFacebookの書き込みに対し、札幌の方からコメントしてもらった情報によると、この地は札幌では良く知られたスポットであるらしい。ここを訪れてから10カ月近くたち、ようやく真駒内滝野霊園のことを調べてみました。うん、ますますわからない。安藤忠雄氏の設計による頭大仏?モアイ像?ストーンヘンジ?うーん、これは再度訪れてみなければ。不気味さのあまり、モアイ像の写真を撮るだけで逃げてしまったことが悔やまれます。賢明な判断どころか、臆病な自分に喝!

モアイ像の呪縛から逃れた私が向かったのは滝野すずらん丘陵公園。広大な駐車場に車を停め、早速滝を目指します。この公園、とにかく広い。かなり整備された公園との印象を受けます。整然とした敷地の中に紅葉した木々がぽつぽつと立っています。吊り橋とのコントラストがとても美しい。いわゆるフォトジェニックな風景がそこら中にあります。そして私に撮られるのを待っています。アシリベツの滝を見たいとの焦る気持ちもありますが、ついつい周りを見渡しながらの移動します。歩くこと十分ほどでアシリベツの滝に到着。これで私にとって24カ所目の日本の滝百選です。緞帳のような広大な崖から左右に別れた水流が、手前の朱塗りの橋の下をくぐって川となり、流れていきます。音も水量も控えめ。すでに盛りの夏を過ぎた今、最盛期には遠いのでしょう。ですが、それをおいてもやはりよい滝姿。平日のためか、公園の中ではほとんど人を見かけませんでした。ですが、アシリベツの滝では滝愛好家と思われる男性が一心不乱に滝の写真を撮っていました。私も同じく、滝の前で長い時間を過ごしました。ですが、いつまでもいるわけにはいきません。

さきほど歩いてきた道を戻ります。この公園にはあと三カ所の滝があるらしく、せっかくなので滝をめぐろうと思いながら。次に向かったのは白帆の滝。この公園は滝野と名付けられているとおり、もともと滝が集まっていた場所を公園として開発したようです。白帆の滝は小ぶりで水量も控えめでしたが、人影の絶えた滝の前で存分に滝を眺めることができました。

続いては鱒見の滝へ。道中、左側にお堂があり、立ち寄ってみました。このお堂の前には弘法大師の立像が辺りを睥睨しています。その横には牛に乗る大黒様の像が。なにやらご利益をいただけそうな感じ。私もしっかりお参りしてきました。北海道の旅が今後の私に糧となるように、と。あとで調べたところでは、このお堂は北海道八十八箇所の第七十番札所 輝光山 弘法寺奥之院というそう。鱒見の滝道場と看板が掲げられていましたが、修行者も訪れるのでしょうか。

鱒見の滝はそこからすぐのところにありました。アシリベツの滝は少し滝つぼから観瀑台まで離れていましたが、こちらは滝の間近まで寄れます。なによりも、この女性的な滝姿。一枚岩が丸みを帯び、水流もなだらか。これは私が観てきた滝の中でも優美な姿は一番かもしれません。ここでも時間の過ぎるのを忘れて見入っていました。

とはいえ、時間には限りがあります。すでに三つの滝でかなりの時間を費やしてしまいました。滝野すずらん丘陵公園はかなりの敷地の広さを持っており、滝の移動だけで数キロは歩きます。滝野すずらん丘陵公園の地図をみると、私が訪れた範囲などほんの一部。多分、公園全体の1/6にも満たないはず。また機会があればここには来たいと思います。一つだけ行けなかった滝もあったし。

さて、次に向かうのは夕張。ところがすでに時刻は3時に近い。なので、行けるだけ行ってみようと車を走らせます。夕張は一回目の北海道一周で訪れたきり。その時も寂れた雰囲気と、私と連れに起こったアクシデントで印象に残っています。そして今や、夕張と言えば全国でも最悪の財政赤字の街。JRの夕張線も廃止が決まっているとか。それまでの間に再訪を果たしたい。

そんな思いで車を走らせます。ところが慣れないため、カーナビに頼ったのが間違い。遠回りを強いられてしまいます。後で地図を見たところ、上野幌まで札幌市街にもどり、そこから国道274号線に乗って北広島に向かってました。時間のロス。長沼町を抜けて由仁に向かう道中、これぞ北海道といわんばかりの見事な地平線を堪能しつつ、私は急ぎます。ですが、どう考えても夕張まで行ってる時間はなさそう。なので由仁で断念。由仁駅を訪問し、駅と周囲を散策することにしました。駅鉄です。

今回、どこか一つは北海道の過疎駅を訪れたいと思っていました。1度目の旅では網走や原生花園駅を。2度目の一人での一周旅行では函館、森、帯広、釧路の駅前で寝袋にくるまり、稚内、岩見沢、余市、札幌、千歳、塘路、愛国、幸福の各駅を訪れました。それなのに、当時の私はあまり駅や鉄道には関心がなく。もったいないなあ、と。そこで今回はどこか一駅でも、過疎の現実をみたいと思っていました。

かつては蒸気機関車が行きかい、にぎわっていたであろう由仁駅。今は閑散としたもの。広大な駅構内には列車を待つ人の姿が皆無。それもそのはずで、平日でも岩見沢と苫小牧を結ぶこの線は、1日七本しか列車が来ないのです。室蘭本線と本線を名乗っているのに。千歳から帯広へ抜ける石勝線のルートからわずかにはずれ、完全に過疎化しています。私の求める通りに。広大な駅構内がかつての繁栄をしのばせるだけに、なおさら侘しさがにじみます。これぞ旅情と言うべき瞬間。

ただ、そんな旅情も私が気楽な旅人だから感じているだけのこと。本来はこの姿ではダメなんですよね。旅情も駅や線路があってこそ。過疎が進みすぎると、旅情も何も駅や線路そのものが撤去されてしまうのですから。特にJR北海道は全国六つにわかれたJRでも財政的に最も厳しいとか。夕張の廃線もそうだし、由仁駅もこのままでは厳しいでしょう。

もう、保有する過疎路線は廃止するしかないのか。何らかの手段で復活は見込めないものか。貨物こそが、突破口のような気がします。ドライバーの不足が深刻化する運送業界。その突破口の一つとして、鉄道貨物に光が当たっているという話を何年も前に聞いたことがあります。乗客の輸送には需要がなくとも、貨物にはまだ望みがあるのではないか。多分、由仁駅に貨物列車が停まることはもうないでしょうが、苫小牧の港湾と旭川方面をつなぐ貨物ニーズはあるかも。それが由仁駅を少しでも延命せんことを。そんなことを思いました。

なまじ、由仁駅に連結された箱物のホールが立派だっただけに。なまじ、無人の待合室に手作り感があっただけに。なまじ、駐車場の横の公園で十人ぐらうの子供の歓声が聴こえただけに。私は旅情より、由仁駅に活気が戻る日を思わずにはいられません。

すでに時刻は五時を回っています。札幌で私を待つ人がいる。帰らないと。「ヤリキレナイ川」の看板に後ろ髪を引かれつつ、同じ道を通って車を飛ばします。夕張にはきっとまた来る、と誓いながら。

妻との待ち合わせ場所は札幌駅の北口。朝に約束した方も。慣れぬ道を走りやって来たのですが、ところがカーナビ任せだとどこにいるのか全くわからず。ついには札幌の南から北へ抜ける道で迷ってしまいました。それでも何とか妻と合流し、車の荷物を全て下ろします。そこからタイムズカーシェアリングの駐車場へ。その瞬間がまさに返却予定時刻にぴったり。ギリギリでした。そこから待ち合わせている方と合流し、さらに妻とも合流します。

そして向かったのが居酒屋日本一別宴邸。場所はなんと、今朝まで泊まっていたホテルマイステイズの下。昨夜も気になってはいたけど、ススキノに吸い寄せられてしまい、このお店には行けなかったのでした。ところがこのお店がおいしくおススメなのだとか。まさに下暗し。私たちが着いた時、そこにはお二方がお待ちになっていました。そのうち一人は私も既知の方。妻にとってはみなさん初対面。新鮮な顔合わせですが、とても良い飲み会となりました。料理もお酒もおススメというだけあって見事なもの。こぼれ寿司や牡蠣など、昨夜に続いて北海の幸を堪能しました。お呼びいただいた皆様には感謝しかありません。

そんな宴だからこそ、時間は速く進みます。いつの間にか、千歳に向かうエアポート快速の時間が迫って来ました。これに乗らないと帰りの飛行機に乗れないかも。それで私たちだけ辞去することに。慌てて札幌駅に向かいエアポート快速に乗ります。楽しい北海道の旅も終わりを迎えました。最後に飲み会というサプライズも設けていただき感謝です。ちなみにここでお会いした三名の方とは、その後も横浜や東京で会っています。また、今後もお会いすることでしょう。ご縁とはかくもうれしいもの。これからも大切にしたいです。

千歳でお土産を買い求め、両手を荷物だらけにしてスカイマークの搭乗口へ。そして羽田へと。旅の終わりとはいつも寂しい。ですが羽田への機上で、私には寂しさの中にも充実を感じていました。旅を誘ってくれた妻には感謝です。また札幌でうちら夫婦をお誘いしてもらった方々にも。

実はこの記事をアップしようとしたのが、北海道の全域が停電した地震の前夜でした。アップを延期した翌朝に地震が発生。震源地はこの記事にも登場した由仁駅から45キロぐらいしか離れていません。北海道にお住いの方々や、自然、過疎化した駅がどうなってしまったか。気になっています。私にできるのは、北海道に再び人が賑わい、しかも自然が豊かであり続けること。それを願っています。


旅猫リポート


久々に著者の本を読んだ。本書は猫が主役だ。

冒頭から「吾輩は猫である」を意識したかのような猫の一人称による語りから始まる。そこで語られるのは、猫の視点による飼い主とのなれ初めだ。猫にとっては自らを養ってくれる主人との出会いであっても、そこに猫によるおもねりはない。飼われてやった、とでもいいたげに。自我と自尊心を持つ猫による、猫ならではのプライド。しょっぱなから、猫の心を再現したような描写が思わず読者の頬を緩めさせる。猫好きならばなおさら本書の出だしにはぐっと心をつかまれることだろう。ああ、猫やったらこんな風に考えそうやな、とか。

ナナ、が本書の語り手だ。旅する猫。ナナは五年前、冒頭でナナによって語られたようななれ初めをへて、優しそうな主人ミヤワキサトルの飼い猫となる。今、サトルにはナナを手放さねばならない理由が生じてしまった。

本書のタイトルにもある「旅」とは、ナナとナナを託せる相手を探すサトルの旅のことだ。サトルの小学校の時の親友コースケ、中学校の時の大切な友達ヨシミネ、高校時代に微妙な三角関係を作ったスギとチカコ。彼らはサトルにとってナナを託すに足る人々だ。彼らを訪問し、ナナを預けられないかをお願いしつつ、サトルの人生を旅する一人と一匹。その旅をナナの視点でリポートするのが本書の内容だ。旅をする猫によるリポートだから「旅猫リポート」。

まず小学校時代。サトルは小学校の修学旅行で京都を訪れている間に両親を交通事故で失う。その時にサトルが飼っていた猫がハチ。両親を失ったことでハチを遠縁の親戚に預けざるを得なくなった。それからのサトルは両親を喪失した心の傷を繕いつつ、離ればなれになったハチを案じつつ生きてきた。コースケこそが、一緒にハチを拾った親友であり、大きくなった今は写真館の店主として切り盛りしている。

中学時代の親友はヨシミネだ。両親のいないサトルにとって、両親からの愛を得られずにいたヨシミネとの絆は大切だった。そんな日々を懐かしむ二人がナナの視点で描かれる。サトルがナナにそそぐ愛情の源が感じられるシーンだ。

高校時代によくつるんでいたのはスギとチカコ。彼らは結婚し、富士山のふもとでペットが泊まれるペンションを営んでいる。結果として結ばれたのはスギとチカコだが、サトルとチカコの間に恋が生まれていたかもしれない。そんな思い出を描くのは著者の得意とするところ。また、ここでは犬と猫どっちが好き?というおなじみのテーマが語られる。なぜならスギは犬派でチカコは猫派だから。

小学校、中学校、高校とサトルは大切な友人との旧交を温める。だが、彼らにはナナを託せない。コースケは家を出た奥さんを呼び戻すためナナを飼いたがるが、それを察したナナがゲージから出てこない。ヨシミネの飼い猫とは相性が悪く、スギとチカコのペンションにいる飼い犬とは相性が合わず、ナナを託せる相手は見つからない。だが、サトルがかつて結んだ人生の絆は再び温められて行く。彼らとのエピソードにはサトルとハチのその後が語られ、その思い出がナナとの旅によって思い出させられる。少しずつ、サトルがどうしてナナを飼えなくなったのかが明かされていく。そのあたりのさじ加減は絶妙。

最後にサトルとナナは北海道へ渡る。ここにサトルの両親は眠っている。墓参りを済ませる二人。墓は人が最後に辿り着く場所だ。北海道もまた、サトルにとって最後の場所となる。そこでサトルは叔母のノリコと最後の日々を過ごす。それはナナにとってもサトルとの最後の日々になる。

サトルとの旅の間、ナナがみたさまざまな景色が記憶に蘇る。ナナはサトルの病院から動かず、ただサトルのそばにいる。犬に比べて薄情と言われることの多い猫に、ナナのような感情はあることを著者は訴えたいかのようだ。とても感動させられる。

本書を読み、一カ月前に亡くなったチワワの風花のことを思った。そして残されたヨーキーの野乃花のことを思った。はじめて私が本格的に飼った犬が風花だ。風花を肩に載せたまま町田の駅前をともに闊歩した日々。北海道の幸福駅で行方不明になりかけて探し回った思い出。今の家に引っ越してすぐに2週間行方不明になり探し回った日々。

風花が亡くなってから、野乃花が私にべったりくっつくようになった。そして本書を読んだ数日後、私は野乃花を連れて八王子の金剛の滝に向かった。ここで野乃花と二人で山を歩き、滝を見た。野乃花に心があれば、滝を見ながら何を思うんやろうかと思った。旅猫リポートならぬ、滝犬リポートやな、とひとりごちた。そして野乃花や風花もナナのようにいろいろな心を持ちながら飼われていたんやろうな、と思った。本書を読むまで、私は本当に犬の立場で考えることがなかった。じっとこちらを見つめてくる時、犬には確かに感情がある。そして心がある。それは多分、猫も。

本書を読むと、犬猫の気持ちが少しは理解できるような気持ちになる。

‘2017/08/07-2017/08/08


硝子の葦


帯のうたい文句にこう書かれている。
「爆発不可避、忘却不能の結末
ノンストップ・エンタテイメント長編!」
さすがにこの文句は盛りすぎだと思う。
でも、一気に本書を読めたのは確か。

序章で厚岸の街を舞台に起こった爆発事故。そこで亡くなった幸田節子は、なぜ死ななければならなかったのか。本書は冒頭に爆発事故を置くことで、なぜ爆発事故が起こったのかという謎を読者に提示する。その謎を解きほぐすため、爆発事故までの出来事を追ってゆくのが本書の構成だ。厚岸といえば、北海道の東に位置する牡蠣が有名な海辺の町だ。だが、厚岸はさほどにぎやかな街ではない。それどころか単調な気配が濃厚だ。

ところが、そんな街に住む幸田節子の周囲は単調とは程遠い。複雑な家に生まれたためか、節子は人間をさめた目で見る。さらに人生に対しても乾いた感性でしか向き合えないようになってしまった。彼女は厚岸で飲み屋を営んできた母の律子から虐待を受けていた。律子の男との関係は奔放で、節子の父親も流しの漁船員だという。一夜だけの関係を結んだだけで行方知れずになった父。父を知らず、奔放な母に育った節子は、尖ったりグレる前に、人生を達観してしまった。達観のあまり、人生を平板なものと考えている。そして何の期待も希望も持たずに人生を過ごしている。だからこそ節子は母の元愛人だった喜一郎からの求婚を受け入れたのだ。喜一郎の求婚は、気楽な人生を送らないか、という愛情とは遠い言葉だった。そして節子は、喜一郎の経営するラブホテルに隣接した住居で日々を送っている。

節子は日々を無意味にしないため、短歌の会に参加している。喜一郎の援助のもと、自費出版で歌集も出した。そのタイトルが「硝子の葦」。葦は中が空洞であり、うつろ。硝子は折れやすくもろい。まさに節子の人生観そのもののようなタイトルだ。

そんな節子の日々は、喜一郎が事故を起こし、意識が不明のままというニュースで一転する。ニュースが入って来たその時、節子は結婚する前まで勤めていた税理士事務所の所長澤木と情事の最中だった。澤木は長年喜一郎の事業の経理を担当しており、なにくれとなく節子にも目をかけてくれている。喜一郎の事故をきっかけに、次々に節子の周りに事件が起こる。

節子の作風は性愛。男女の営みをテーマに取り上げるのは、ラブホテルの隣に住むことで己の人生に溜まってゆくオリを取り除くためだろうか。だが、節子の歌は、会の中で節子を少し浮いた存在にしていた。ところがもっと浮いているのが同じ会に属する佐野倫子。家族の健やかな平和と穏やかな日常を描く彼女の短歌に何か偽善のにおいを感じ、節子は佐野倫子を遠ざけていた。それなのに、佐野倫子の方から節子に近づいてくる。

節子の予感は正しく、佐野倫子の旦那の渉は倒産した地元百貨店の親族。日々、生活感のなさを発揮し、落ちぶれた己のうっぷんを妻子にぶつけるダメ夫。娘のまゆみは日々虐待を父から受けている。

そんな日々を描きながら、物語は徐々に疾走を始める。冒頭にあげた帯の文句ほどにはスピード感はないが、物事が次々につながっていき、そして冒頭の爆発事故に至る。その後、どうなってゆくのかは、これ以上書かない。ミステリの要素と犯罪小説の要素が濃い本書。その中で核となる節子の人生の転換がわざとらしくないのがいい。

なぜわざとらしさを感じなかったのか。それは、本書の中で随所に描かれる色彩と関係があるのかもしれない。冒頭から爆発の火と煙で幕を開ける本書。そして主な舞台となるのは、けばけばしいラブホテル。カバーイラストにもある壊れた車の鮮やかな朱色。読者は本書にちらつく艶やかな原色のイメージに気づくはず。ところが、節子の心情を表わすかのような乾いた世界観と、原野を思わせる北海道のイメージが本書の色合いを徐々にセピアに変えてゆく。原色からセピアへと色褪せていく描写。それが節子のあり方にわざとらしさを感じられなかった原因かもしれない。短歌の会という限られた場の閉塞感とラブホテルから漏れ出る性愛の爛れた感じが、節子の乾いたセピア色の世界にアクセントを加える。本書の色相はセピアの中に原色が時折混じり、それが本書のアクセントだ。その原色は節子という一人の女性が願った輝きだったとも解釈できる。

著者の作品を読むのは初めて。Wikipediaの著者の項に書かれていたが、著者の実家は本書と同じくラブホテルだったそうだ。しかも名前まで同じ「ホテルローヤル」。だからこそ著者は、ここまで実感を持ってラブホテルを書けるのだろう。しかもどこか距離をおいて男女の営みを眺めるような視点で。しかも著者は釧路出身だという。厚岸にほど近い地に育ち、道東に広がる原野になじみ、それでいてラブホテルの色彩感覚を知る。だからこそ本書のような色彩感覚が生み出せたのだと思う。

私はあの道東の色を忘れたような色彩感が好きだ。厚岸も。その近くの霧多布湿原も。かつて訪れた道東の静寂にも似た色合い。本書から感じたのは道東の色遣いだ。本書を読み、また道東に行きたくなった。そして、著者の他の作品にも目を通したくなった。旅情にも通じる色彩の描写を楽しむのも、本書の読み方の一つかもしれない。

‘2017/08/04-2017/08/05


脱獄歴六回の記録保持者 五寸釘寅吉の生涯


網走刑務所には二回訪れている。一回目は大学時代に友人と。二回目はまだ小さい長女やワンちゃんもつれて家族で。二度も私に足を向けさせた網走刑務所は実に興味深い場所だ。多分、次に道東を訪れた際にも博物館網走監獄は訪れることと思う。見学が終わった後は売店がある。二回目に訪れた時だったか、見学の記念に売店で売っていた本を購入した。その時に購入したのは、昭和の脱獄王として知られる白鳥由栄氏の伝記だ。白鳥由栄氏といえば、吉村昭氏による「破獄」のモデルにもなっている。とても面白く、劇的な生涯を送った方だと思う。

今回、ブックオフで偶然見つけたのが本書。本書で取り上げられている五寸釘寅吉は、昭和の脱獄王ではなく明治の脱獄王だ。本書の記載によると、白鳥由栄氏とともに網走刑務所の名を世に知らしめた二大人物として知られているらしい。

ただ、私にとって五寸釘寅吉はほとんど未知の人物である。辛うじて二度の網走訪問で名前を記憶に残しているぐらい。五寸釘寅吉とは、足を貫いた五寸釘をものともせずに十二キロの道を逃げたところから名づけられたようだ。

明治のことゆえ、白鳥由栄氏の時代より警備も緩かっただろう。上に挙げた書籍で取り上げられた白鳥由栄氏の脱獄に比べると、派手さや話のネタとしては弱いかもしれない。でも、生涯で6度の脱獄はやはりすごいと思える。

また、本書に紹介されている五寸釘寅吉の逸話には、網走監獄の草創期に関係するものが多い。それがとても興味深い。博物館網走監獄で教えられる知識はたくさんあるが、今の北海道の道路網のかなりを囚人たちが作り上げたこともその一つだ。労役として北海道の荒涼とした原野に道を拓く。そこには想像を絶する過酷さがあったことだろう。実際に過酷さの一端は、博物館で知ることができる。展示されている監獄の足錠や重しのインパクトはとても大きい。だが、私は道路労役の過酷さからも重い印象を受けた。

本書には、釧路から網走への道路開削にも、囚人たちの労力の貢献が多大だったことが紹介されている。五寸釘寅吉もそのうちの一人だった。本書によれば網走監獄ができるにあたり、釧路集治監から囚人が移動された。五寸釘寅吉は、その際に囚人たちの取りまとめ役となったらしい。つまり、五寸釘寅吉は網走刑務所の草創期を知るばかりか、立ち上げに関わった一人でもあるのだ。

また、五寸釘寅吉は網走で一度は脱走したものの、後年は模範囚としてどこでも自由に行ける立場だったらしい。若き日こそ、血の猛るままに脱走を繰り返したものの、ひとたび自分を理解する人物に恵まれると、その牙を収める性質だったようだ。怒りが人間の能力を拡げることを示す実例であるとともに、心理学の観点からも興味深い事例だ。

寅吉は彫り物の達人であり、刑務所の歴代の正門看板には、寅吉が書いたものもあったらしい。また、73歳で出所した後は、五寸釘寅吉自身を出し物とした一座に加わり、 防犯の心得を説くなどしていたらしい。また寅吉の肉体は痛覚のない特異体質だったことも紹介されている。

全般に本書は構成が散漫な印象がある。それもそのはず、著者は長年網走信用金庫で勤めた人物だ。地元の網走の郷土史、中でも網走刑務所の歴史に興味を持ち著作を世に問うているそうだ。たとえば本書のような。いわば在野の郷土史家といってもよいだろう。そのため、構成に難があるのは目をつぶりたいと思う。でも、地方史とはこういう在野の有志によって支えられていることは間違いない。今後も著者の著作が博物館網走監獄で扱われ続ける事を望みたいと思う。

‘2016/06/25-2016/06/26