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別れ


フィクションのエルドラードと銘打たれたこのシリーズに収められた作品は結構読んでいる。ラテンアメリカ文学の愛好者としては当然抑えるべきシリーズだと思う。加えて本書の訳者は寺尾隆吉氏。とあらば読むに決まっている。氏の著した『魔術的リアリズム』は、2016年の私にとって重要な一冊となったからだ。

本書は三編からなっている。それぞれが味わい深く、優れた短編の雰囲気を醸し出している。

「別れ」
表題作である。訳者の解説によると、著者は本編を偏愛していたらしい。著者にとって自信作だったのだろう。

海外の小説を読んでいると、描かれる距離感に戸惑うことがある。小説に置かれた視点と人や建物との距離感がつかみにくくなるのだ。日本を舞台にした小説なら生活感がつかめ、違和感なく読めるのだが。その訳は、読者である私が他国の生活にうとく、生活感を体で理解できていないからだろう。だから、生活どころか訪れたことのない地が舞台になると描かれた距離への違和感はさらに増す。それがラテンアメリカのような文化的にも日本と隔たった地を舞台としていればなおさらだ。ラテンアメリカを舞台とした本書も例に漏れず、読んでいて距離がつかみづらかった。描かれた距離の違和感が私の中でずっとついて回り、後に残った。その印象は若干とっつきにくかった一編として私に残り続けている。

本編の舞台はペルー。謎めいた男の元に届く意味ありげな封筒。それを男に届ける主人公はホテルマン。次第に泊まっている男の正体がバスケットボールの元ペルー代表であることが明かされる。そして、男を診断した医師の話によると、男は不治の病にかかっているとか。次第に明らかになってゆく男の素性。だが、男は町の人々と打ち解けようとしない。それどころか部屋に閉じこもるばかり。

ある日、男のもとにサングラスをかけた女が訪れる。すると男はそれまでとは一転、朗らかで明るい人物へと変貌する。そして、女の訪問とともにそれまで定期的に届いていた二種類の封筒が来なくなる。数週間、男の元に逗留した女が去ると、再び二種類の封筒は定期的に届き始める。さらに、男の態度も世捨て人のような以前の姿に戻る。

夏のクリスマスが終わる頃、男の元には別の若い娘がやって来る。男は山のホテルで、若い娘との時間を過ごす。口さがないホテルの人々の好奇の目は強まる。娘が去ってしばらくすると、再びサングラスの女が来る。今度は子供を連れて。さらには若い娘も再び姿をあらわす。男のもとで2組の客人は鉢合わせる。一触即発となるかと思いきや、二組は友情を結ぶかにも見える。

そうした客人の動きを主人公はメッセンジャーとなって観察する。一体この男と二組の訪問者はどういう関係なのか。町の人々の不審は消えない。彼らのそばを送迎者となって動き回る主人公までもが、町の人々の容赦ない好奇の目にさらされる。男が死病によって世を去る直前、主人公は男に渡しそびれていた二通の封筒を見つける。そして中を開いて読む。そこには男と若い娘、そして母子との関係が記されていた。そして自分だけでなく、ホテルの人々がひどい誤解をしていたことに気付くのだ。主人公の胸にはただ苦い思いだけがのこり、物語は幕をとじる。

本編は男と二組の関係が最後まで謎として描かれていたために、あいまいさが際立っていた。そのあいまいさは、それぞれの関係どころか、小説の他の距離感までもぼやけさせていたように思う。本編で距離感をつかめなかった点はいくつかある。例えばホテルと山の家との距離。そして、登場人物たちをつなぐ距離感だ。例え閑散期であっても、一人の男の動向がうわさの的になるほどホテルは暇なものだろうか、という疑問。それほどまでに暇なホテルとはどういう状況なのか。その疑問がついて回る。それほどまでに他人に排他的でいながら、ホテルが営めるほどの需要がある街。そして、繁忙期は逆に人が増えることで男の行方がわからなくなる1950年代のペルー。一体どのような人口密度で、人々のつながりはどこまで密なのか。本編を読みこむにはその距離感が肝心なはずだが、私にはそのあたりの感覚がとうとうつかめずに終わった。

なぜ距離感が求められるのか。それは本編が別れをテーマとするからだ。別れとは人と人とが離れることをいう。つまり距離感が本書を読み解く上で重要になるのだ。それなのに本書で描かれる距離感からは、男と女性たちの、男と町の人々の距離感が測りにくかった。当時のラテンアメリカの街並みを思い浮かべられない私にとって、これはもどかしかった。かつて女にもて、栄誉につつまれた男が、あらゆるものとの別れを余儀なくされる。男の栄光と落魄の日々の落差は、距離感がともなってこそ実感となって読者に迫るはずなのだ。それが私に実感できなかったのは残念でならない。男と女の悲哀。そこに人生の縮図を当てはめるのが著者の狙いだとすればこそ、なおさらそう思う。男は女たちだけでなく、人生からも別れを告げようとするのだから。

本編が人々の口に交わされるうわさとその根源となる男女の関係を描き、その中から別れの姿をあぶりだそうとしていたのなら、そこに生じる微妙な距離感は伝わらねばならない。それなのに本書が描く距離感を想像できないのは残念だった。なお、念のために書くと、著者にも訳者にも非がないのはもちろんだ。

続いての一編「この恐ろしい地獄」は、若い尻軽女を妻に持つ、さえない中年男リッソが主人公だ。リッソが妻グラシア・セサルの所業にやきもきしながら、自暴自棄になってゆく様子が書かれている。訳者によると、本編は実話をもとにしているという。それも、三行ほどの埋め草記事。それを元にここまでの短編に仕立てたらしい。

女優である妻グラシアを愛しつつ、彼女の気まぐれに振り回されるリッソ。みずからに放埒な妻を受け止められるだけの度量があると信じ、辛抱と忍耐でグラシアの気ままを受けいれようとするリッソ。だが、悲しいかな、器を広げようとすればするほど、器はいびつになって行く。浮名を流し、自らの発情した裸の写真を街にばらまくグラシア。リッソが幾たびもの別居の末、グラシアを、そして人生を諦めて行く様子が物悲しい。リッソの諦めは、すべての責任をグラシアではなく自分自身に負わせることでさらに悲劇的なものになる。そしてグラシアの破廉恥さすら、非難のまとにするどころか悲しみの中に包んでいくように。生真面目な新聞の競馬欄を担当するリッソ。真面目に実直であろうとした男が、女の振る舞いを負うてその重みに押しつぶされて行く様子。その様を男の視点だけに一貫して書いているため、とても説得力に満ちている。

「別れ」では距離感の把握に難儀した。逆に本編は、男からの視点で描かれているため距離感がつかみやすい。男と女の関係は、日本だろうとラテンアメリカだろうと変わらないということなのだろう。

最後の一編は「失われた花嫁」だ。

結婚するため、ウェディングドレスを着てヨーロッパに向かった若い娘モンチャ・インサウラルデが、結婚相手から裏切られる。その揚げ句サンタ・マリアへと戻ってくる。そして街の家に閉じこもり、庭を徘徊してすごすようになる。

街にある薬局には薬剤師バルテーが住みついていたが、助手のフンタに経営権を奪われ、店は廃墟へと化してゆく。いつのまにか店に住み着いたモンチャとともに。

本編を彩るのはただ滅び。本編の全体に滅び行くものへの哀惜が強く感じられる。ウェディングドレスを狂った老婦人が着流し、町を彷徨う姿に、美しきもののたどる末路の残酷さを著している。著者はその姿を滅びの象徴とし、本編のもの寂しい狂気を読者に印象付ける。それは、美女が骨に変わり果ててゆく様子を克明に描いた我が国の九相図にも、そして仏教の死生観にもつながっている。

モンチャの死を確認した医師ディアス・グレイは、街ぐるみでモンチャを見て見ぬ振りし続けた芝居、つまりモンチャの狂気を狂気として直視しない振る舞いの理由を理解する。
「彼に与えられた世界、彼が容認し続けている世界は、甘い罠やうそに根差しているわけではないのだ。」154ページ

私にとって著者は初体験だが、後者二つは短編としてとても優れていると思う。ただ、訳者あとがきで寺尾氏が述べているように、なかなかに訳者泣かせの作家のようだ。多分「別れ」にしても距離感をうまく訳出しきれなかったのだろう。だが、他の作品も読んでみたいと思う。

‘2017/12/01-2017/12/07


虹の翼


私が四国から連想するイメージとは飛行機だ。四国と飛行機。あまりピンとこない取り合わせだ。しかし私にとってはそうなのだ。多分、過去に四国を旅する中で飛行機に関する史跡を目にしたからだろう。

今から四半世紀ほど前、両親とともに旅行中に訪ねたのは紫電改展示館。海から引き揚げられた機体の残骸を見たのは、確か宇和島の辺りだったように思う。

もう一箇所は二宮飛行神社だ。今から十二年ほど前、当時高松に住んでいた幼馴染に案内してもらいさぬきうどんの名店を巡ったことがある。次女がまだ妻のお腹の中にいた頃だ。2日間にわたって香川全域を車で巡ったこの旅は、私の中で充実した旅として記憶に残っている。この時、二宮飛行神社の横を通りすぎた。この時はスケジュールが強行軍だったため神社には立ち寄らなかったが、なぜここに飛行機に関する史跡があるのかという違和感はずっと持ち続けていた。二宮飛行神社こそ本書の主人公である二宮忠八を顕彰する施設なのだ。

本書を読んで、当時から私が抱いていた違和感は氷解した。

二宮忠八とは、飛行原理の研究者である。彼にあとわずかな資金や運もしくは理解者による援助があれば、飛行機の父の称号はライト兄弟ではなく二宮忠八に与えられていたかもしれない。それほどの先駆的な研究をしていた人物だ。

本書は二宮忠八の伝記だ。著者は忠八を幼少期から描く。愛媛、八幡浜の裕福な商家に生まれた忠八は、利発さで人目を引いていた。その才能は飛び級も許されるほど。しかし、生家は程なく傾いてしまう。忠八の二人の兄が立て続けに行商先で放蕩に溺れ、売上のほとんどを使い果たしてしまったのだ。一度目こそ持ちなおした父だが、二度目の使い込みに至って気力が萎えたのか家業を立て直せず倒産させてしまう。そして、失意の中死んでしまう。それを境に忠八の境遇は一気に暗転する。

忠八はそのような逆境にあって、創作凧を町に飛ばし人々を驚かせる。彼の才気はとどまる所をしらず、凧からチラシをまくという工夫できらめきを見せる。アイデアと技術力の二つを幼くして兼ね備えていた稀有な人物。それが忠八だ。幼少時に得たこの経験は後に忠八を飛行原理の追求へと駆り立てる。

一方で忠八は、自立のために薬学を学び、その知識を広く活かすために軍に入る。厳しい軍の行軍訓練の中、忠八は休憩地となった樅ノ木峠でからすの群れを目撃する。その動きは忠八にとって閃きを与えるものだった。なぜ鳥は飛ぶのか、なぜ空気を滑るように移動できるのか。

そしてその樅ノ木峠こそが、私がうどん巡りで通りがかった二宮飛行神社のある場所のようだ。今回あらためて地図で確認したところ、樅ノ木峠の近くにはうどんの有名店「やまうち」がある。おそらく二宮飛行神社は「やまうち」に向かう途中で見かけたに違いない。

最終学歴が小学校卒でありながら、忠八は軍の病院で認められる。だが彼は薬剤師試験を受ける機会をことごとく逃す。運に恵まれない忠八。試験が受けられなかったことで昇進も逸する。しかし、忠八は仕事を真面目にこなしながら、暇を見つけては飛行機の研究を続けていた。その努力が実り、人を乗せられる飛行機の完成まで間近のところまでたどりつく。残るは動力だけ解決すればよいだけ。

そんな中、日本は清国との戦争へと舵を切り、忠八も従軍を命ぜられる。日清戦争だ。

凄惨な戦場の現実。それを知るにつけ、忠八の頭には飛行機さえあればとの思いがやみがたくなる。そしてその高まる思いは忠八を師団長に直訴させる。しかし、師団長から返ってきたのは却下の言葉。先例がない。欧米が作れないものを日本人の、しかも一介の下士官が作れるわけはない。まだ開国からさほどの時期が過ぎておらず、欧米に対する劣等感が日本人を覆っていたころの話だ。

本書の筆致は乾いている。淡々としているばかりか事務的にすら思える。それは、感情を文章に乗せてしまうことを恐れるかのようだ。一度感情を乗せてしまったが最後、歯がゆさと口惜しさで筆が止まらなくなることを筆者は恐れていたのではないか。

著者は本書で航空機開発にまつわる挿話を披露する。それは世界、そして日本で空を駈ける夢に取りつかれた者たちの努力の跡だ。日清戦争当時、世界の飛行機開発競争はどういう状況だったのか。だれがどのように開発を進めていたか。風船や気球をどう使おうとしたのか。これらの事実を紹介することで著者は何を伝えたかったか。それは、忠八の業績や研究が世界でも最先端だったことだ。ライト兄弟ではなく忠八が飛行機の父と呼ばれる可能性は、限りなく高かったのだ。著者が強調したかったのは当時、わが国にこのような先駆的な人物がいたことではないか。

だが、忠八の研究は常に日陰を歩んでいた。風圧を体で感得するため、傘を差して橋から飛び降りるのも夜間なら、ゴム動力の模型飛行機を飛ばすのも夜。若い頃の忠八には日中に景気よくチラシを凧からばら撒くだけの気概を持っていた。日中であろうがお構い無しに傘をさして橋から飛び降りるほどの気迫をもって研究していた。一方で忠八は組織に忠実であろうとした。それは幼き頃に兄達が放蕩で家を傾けた悲劇を目にしていたからかもしれない。その真面目さは忠八に研究への根気を与えたが、一方では研究上のブレークスルーを許さなかったように思える。

そこには、分別がある。忠八自身の行動を抑える一方で、忠八の提案を却下する分別が。その分別は日本人に規律や統制に服する美徳をもたらし、忠八自身の無鉄砲な行動を抑えた。一方では、忠八の提案を荒唐無稽なものとして却下し、忠八の発明が世に出ることを妨げ、個人の意思を組織の名のもとに潰そうとした。だが、その分別は明治以降の日本の発展をもたらしたことも確かだ。

日本とは、近代日本とはこのように相反する分別によって成り立っていたのではないか。近代史のエピソードを丹念に紹介し、知悉する著者だからこそ気づく視点。多分、この両輪のどちらが欠けても近代日本の発展はなかった。だが、この分別は忠八から飛行機の父の称号を奪った。私はそう思う。

近代日本が抱えた個人と組織の相剋、その背後に横たわる分別。分別がお互いの相反する作用こそが、近代日本に一種のねじれを産み、そのねじれこそが日本の発展を推進したのかもしれない。そのねじれは、国としての日本を大いに富ませたが、忠八のような個人を押しつぶしてしまった。著者が語りたかった論点とはそこにあったのではないだろうか。

晩年の忠八は飛行機の父としての栄誉を手に入れ、八幡の男山にある岩清水八幡宮の近くに飛行神社を創建した。この神社は大分昔、訪れたことがある。だが、当時は忠八個人のことをまったく知らず、そもそもどのような神社だったかの記憶がほとんどない。もう一度行ってみたいものだ。

いまや、個人と国家の間にあったねじれは緩み、忠八が苦しんだ時代は過去の話となりつつある。そもそも人による創意工夫がITに取って替わられようとしている今、忠八の生涯を振り返ってみるのもよいかもしれない。私も機会があれば飛行神社、二宮飛行神社をはじめ、忠八の故郷八幡浜市など、訪れてみたいと思っている。

‘2016/03/02-2016/03/05