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kintone Café 神奈川 Vol.16に参加・登壇してきました


2023年12月16日に『kintone Café 神奈川 Vol.16』に参加・登壇してきました。
詳細は告知サイトをご覧ください。

今回の開催場所は、神奈川と静岡の境にある山北町。

kintone Café 神奈川は、今まで神奈川のあちこちで開催してきました。
今回、山北町を開催場所として選んだのは、夏に真鶴町で『kintone Café 神奈川 Vol.15』を開催したことがきっかけです。ご参加いただいた山北町の町会議員である高橋さんと意気投合し、次回はぜひ山北町でやりましょうということで今回の開催が実現しました。

静岡県に境を接する山北町は、首都圏からはかなりの距離があります。皆さんも山北町に来る道行きだけでそれぞれのドラマがあったようです。
私もそうです。
私は前日の夜、甲府で『よっちゃばれっ kintone 無尽 Vol.2』に参加していました。
甲府からどのようにして山北町に移動したかと言うと、まず、富士吉田市の小俣さんに富士吉田まで送ってもらいました。


そこで日が変わる寸前にチェックインした「ホステル富士山・結」さんで一泊し、翌朝の御殿場行きの路線バスで移動し、そこから数駅を御殿場線で山北駅まで移動しました。

小俣さんのおかげで、甲府から山北までの距離が意外に近く感じました。感謝しています!


山北駅は御殿場線に属しています。ところが、かつて丹那トンネルが開通するまでの山北駅は東海道本線に属していました。交通の要衝として広大な駅構内を機関車が行き交い、往時の駅はかなり賑わっていたそうです。
私も山北駅についてすぐ、駅そばにある鉄道博物館を訪れ、過ぎ去りし日々の山北の街の賑わいをしのびました。


駅前には、ロケセットと見紛うような建物が今も立っていて、かつての賑わいを今に伝えています。

そのような山北町も、今は神奈川でも屈指の過疎率の高さに悩まされています。

前回のkintone Café 神奈川は、真鶴町の町おこしとkintoneの可能性を追求しました。
今回も山北町の町おこしとkintoneの組み合わせを志しました。

山北町議員である高橋さんに紹介していただいた、山北駅近くにある山北町生涯学習センターが今日の会場でした。

今までのkintone Café 神奈川は、私が企画から司会進行から登壇まで関わっていました。
が、昨今の私のリソースは限界に近づいており、今回はかなりの担当をスタッフの皆さんにお任せしました。

藤村さんには企画全般や会場確保。
原田さんには司会進行。
加藤さんには「kintone Caféとは」の登壇。
根崎さんには自己紹介セッションの進行。
私は今回は登壇だけでした。
本当にみなさんには感謝です。


原田さんから開会の挨拶があり、和やかにスタート。今回は原田さんから司会と進行役に立候補してくれました。


続いて「kintone Caféについて」のパートを加藤さんから。
加藤さんは言うまでもなく、kintone Café 神奈川を立ち上げた張本人であり、kintoneの界隈ではFacebookの「kintone活用研究会」を主催する方として重鎮の存在です。


続いては、根崎さんの進行により来場されている全員に自己紹介を行ってもらう時間。

この日、来てくださった皆さんは多士済々。kintone Café 神奈川のスタッフとして活動していただいている皆さん以外にも、以前のkintone Café 神奈川に来ていただいた方や、今回が初参加の方など豊かな顔ぶれが揃っています。
中でも長野の軽井沢から駆けつけてくださった山本さんは神奈川県庁でDX推進に関わられているご縁で来ていただきましたし、小俣さんは昨日の甲府からの帰りの車の中で、私からのラブコールに応えて富士吉田から来てくださいました。
そしてもちろん山北町の皆さんも。ご参加の皆さん、ありがとうございました。


続いて「チャレンジの総量をあげるワーク」を藤村さんから。

アメリカからこのタイミングで聞こえてきたのが大谷選手の巨額の契約金による移籍。
その大谷選手が高校時代から掲げ、夢の実現のためのツールとして使っていたのがマンダラチャート。
藤村さんによるマンダラチャートを使ったワークは、まさに時宜を得た内容でした。

数人からなる四つの班に分かれ、班ごとに皆で考えるチャレンジを決めます。続いてそのチャレンジのための要素を決めます。さらに、その要素を満たすたのための方法を考えます。
このような構成でワークは進みました。


私が属する班では、山北町の魅力を考えるチャレンジを考えました。四人で考えると色々と出てきます。
全国津々浦々。人のいるところに文化あり。どこが劣っていることはありません。優劣を比べるなど論外。山北町も同じ。
今日も山北町を憂い、希望を語る人々が集まっています。こう言う人がいる限り、街はまだ大丈夫なのです。

その思いを乗せて、高橋さんから山北町の魅力を語ってもらいました。
「山北のお峯入り」というユネスコの無形文化遺産に選ばれた山北町の民俗芸能について詳しく語っていただきました。
高橋さん、前回からのご縁もあわせてありがとうございました。

この「山北のお峯入り」について、私は今回山北町に来るまで、全くその存在を知らずにいました。
全国に残された風流踊りの一つとして、「山北のお峯入り」があるそうです。
この風流踊りにkintoneを絡めることで、どういう風に山北町の役にたつのかはまだ想像がつかないのが正直なところです。

私に何ができるのだろうと考え、それを頭に残したまま、休憩を挟んで私の登壇の番になりました。


今回の私の登壇資料は時間がなかったため、真鶴で使った資料の焼き直しでした。真鶴の文字を山北に変えただけ。
でしたが、この日の皆さんの自己紹介を受け、山北町の農業にkintoneがどう活用できるかについてワークの間と休憩時間を利用して内容を盛り込みました。

山北町から出席された方々は、kintoneのことをあまりご存じないようでした。そのため、kintoneについての説明に加え、来られた方の課題に合わせて農業とkintoneの可能性について様々な事例をお伝えしました。皆さんの心に響いてくださったのであればよかったです。
ただ、反省点もあります。「山北のお峯入り」をkintoneにどうつなげるかを話の中に盛り込めませんでした。これは、今後山北町とのつながりの中で模索してきたいと思っています。

私が話し始めた直後に、次の登壇者である一般社団法人かながわ地域振興会の瀬戸理事長が会場にお越しになり、入れ替わるように山本さんが軽井沢に帰られました。山本さん、遠くからありがとうございました。


私の登壇に続いては瀬戸理事長から。瀬戸理事長は、山北町にお住まいで地元のことにもさまざまに関わっておられます。

その思いと熱量は熱く、衰退する街をもう一度盛り上げたい、街のために力を尽くしたいとの気概を感じました。
山北町にも高橋さんだけでなく、瀬戸理事長のような街のためを思う志のある方がいらっしゃることが、本当に心強く思います。
懇親会でも瀬戸理事長とは様々なお話をしました。その中でもお話しされていましたが、山北町の残念なところは、行政側のご担当者がこうした場に出てこないところです。
だからこそ、民間で頑張るしかない。そんな瀬戸理事長の覚悟が垣間見えるセッションでした。
瀬戸理事長、ありがとうございました。


続いてのセッションは、ぴょんさんによる「kintoneリスキリングを進めるコツ5つ」です。
ぴょんさんは12月いっぱいをもって働いていた瀬戸理事長の下から退職し、新たな道に進まれるとか。
そのような状況で上司を前にして、組織への提言とも取れる内容を話すぴょんさんの大胆さは素晴らしい。そして、それ以上に瀬戸理事長とぴょんさんの間の信頼関係の深さが垣間見れる好セッションでした。

組織の中間にいる人たちにとって、ぴょんさんのような動きは煙たかったのでしょうか。折り合いが悪かったのでしょうか。私のような外野がぴょんさんの退職についてあれこれいうことは控えます。
が、ぴょんさんと瀬戸理事長の間には確かな信頼関係を感じました。そして、ぴょんさんのセッションを受け止める瀬戸理事長の器の大きさを感じるとともに、瀬戸理事長こそ、kintoneエコシステムの考えやダイバーシティ、多様な働き方へのご理解をお持ちで、かつ、とても柔軟な思考の持ち主だという確信を得ました。

今回印象に残ったことの一つが、この瀬戸理事長とぴょんさんの関係性と、ぴょんさんから瀬戸理事長へ託されたバトンの重さでした。

ぴょんさんによると、今回のkintone Caféで瀬戸理事長と私をお繋ぎしたかったそうです。
それはこの後の懇親会で存分に発揮されました。ぴょんさん本当にありがとうございました。


続いて最後を飾ってくださるのが山路さん。

山路さんは、夏に真鶴で行った『kintone Café 神奈川 Vol.15』で当日の朝にイベントの存在を知り、都心から真鶴まで駆けつけてくださったフットワークの軽さを持ってらっしゃいます。
今回、山北町だけでなく、全国に通じる地域活性化のためのkintoneを使ったビジネスプランについて語ってくださいました。大学を出てすぐと言うのに、早くもビジネスプランを考えられるその行動力と頭脳がとても頼もしい。

山路さんのこれからが楽しみですし、その行動力に惚れて、今回の『kintone Café 神奈川 Vol.16』をもって、山路さんにはスタッフに加わってもらうことになりました。山路さん、ありがとうございます。

今回をもってスタッフに加わってくださったのは山路さんに加えて中さんもです。中さんは小田原、真鶴そして山北と3回連続でkintone Café 神奈川に参加してくださっています。本当にありがとうございます。
次回から一緒に活動していきましょう!


皆さんの刺激的な登壇内容を受け、予定外であったにもかかわらず、急にLTをしたいと手を挙げたのが藤村さん。
「つながる、しょうなん」と言うタイトルで、今進めていらっしゃるビジネスモデルについて大いに語ってもらいました。
皆さん、本当にこういうビジネスプランの構築がお得意です。私はどうも頭脳が0→1のタイプではないようで、1→10のタイプです。なので、なおさらビジネスモデルを考えつき、その実行に向けて動ける皆さんがうらやましいです。藤村さん、今回はいろいろとありがとうございました。

さて、皆さんのセッションが盛り上がったため、最後に予定していたディスカッションは懇親会に持ち越すことに。


会場撤収の都合もあり、慌ただしく集合写真を撮り、無事に撤収も終えました。


続いては駅前の「ヤマキタバル」さんへ。先ほど駅前で風情のある建物と目を留めた場所こそが懇親会の会場でした。


kintone Caféといえば懇親会。いつも楽しいのですが、今日も楽しかった。
楽しいだけではなく、皆さんの熱い思いをたくさん聞けましたし、語り合えたのがよかった。
私も瀬戸理事長やぴょんさんとはかなり長く語らせていただきました。

普段はこうした場にはほぼ出ないという瀬戸理事長がかなり残ってくださったこと自体が、今回のkintone Caféの素晴らしさを物語ってくれます。
私も来年、経営に加えてこうした活動をよりしていきたいと強く感じました。山北町や真鶴町に対してどういう価値を提供できるか考えます。


今回、山北町でのkintone Café 神奈川に集ってくださったみなさん、心からありがとうございました。
次は相模原市を予定しています。今回の成功を受けて、全神奈川県市区町村でやる目標を公表しました

こちらからポストまとめをご覧ください。


「ご当地もの」と日本人


本書を読んでいる最中、商談の後に神奈川県立歴史博物館を訪れた。
「井伊直弼と横浜」という特別展示をじっくり楽しんだ。

すると、神奈川県立歴史博物館のゆるキャラこと「パンチの守」が現れた。私は館内を鷹揚に巡回する「パンチの守」を追った。「パンチの守」が博物館の表玄関に出て迎えたのは彦根市が誇るゆるキャラこと「ひこにゃん」だ。
全くの偶然で二体のゆるキャラの出会いを見届けられたのは望外の喜びだった。
しかもそのタイミングが本書を読んでいる最中だった。それは何かの暗合ではないかと思う。

私はゆるキャラが好きだ。地方のイベントでも会うたびに写真を撮る。

私が好きなのはゆるキャラだけではない。

私は旅が大好きだ。月に一度は旅に出ないと心身に不調が生じる。
ではなぜ、旅に出るのか。それは日常にない新奇なものが好きだからだ。

日常にない新奇なものとは、私が普段生活する場所では見られないものだ。その地方を訪れなければ見られないし、食べられないもの。それが見たいがために、私はいそいそと旅をする。

例えば寺社仏閣。博物館や城郭。山や海、滝、川、池。美味しい名物や酒、湯。珍しい標識や建物。それらは全てご当地でしか見られないものだ。
もちろん、食べ物や酒はアンテナショップに行けば都内でも味わえる。郷土料理のお店に行けば現地で食べるのと遜色のない料理が味わえる。
でも違う。これは私の思い込みであることを承知でいうが、地方の産物はやはり地方で味わってこそ。

他にもご当地ソングやご当地アイドルがある。地方に行かなければ存在にも気づかない。でも、現地に行けばポスターやラジオで見聞きできる。

私などは、ご当地ものが好きなあまり、地方にしかない地場のスーパーや農協にも行く。必ず観光案内所にも足を運ぶ。もちろん駅にも。

そうした私の性向は、ただ単に旅が好きだから、日常にないものが好きだから。そう思っていた。

だが、著者は本書でより深い分析を披露してみせる。
著者によると、ご当地意識の発生については、律令国家の成立の頃、つまり奈良時代にまで遡れるという。
当時、大和朝廷には各地から納められた物品が届いていた。いわゆる納税だ。租庸調として知られるそれらの納税形態のうち、調は各地の名産を納めることが定められていた。
地方からの納税の形で、大和には各地の風物の彩りに満ちた産物が集まっていた。

大和が地方を統べるためには、役人も派遣する。国司として赴任する役人も、地方と大和の赴任を繰り返していた。地方ではその地の新鮮な産物を楽しんでいたはずだ。例えば魚は、大和では干物でしか手に入らないが、現地では生魚として刺し身で味わえたことだろう。干物とは違う新鮮な風味に満足しながら。

各地の名産を納めさせるためには、その地の状況を把握しなければならない。だから、各地の風土記が編まれた。著者はそう推測する。

大和朝廷と地方を行き来する役人の制度は、江戸時代になり参勤交代が制度に定められたことで強固なものとなった。それが260年近い年月も続けられたことにより、日本人の中にご当地意識として根付いたのだと著者は説く。

実際、他の国々では日本ほどご当地にこだわらないのだという。その理由を著者は、日本の国土が東西南北に広く、海と山の多様な起伏に恵まれているため、土地によって多様な産物があるためだと考えている。

江戸時代から各地の産物の番付表があったこと。春夏の甲子園が地方の代表としての誇りを胸に戦うこと。県民性の存在が科学的に実証されていること。地域性を実証する団体として、県人会の集まりが盛んであること。

そう考えると、私も東京に住んで二十年近くになるが、いまだに故郷への愛着は深い。マクドナルドはマクド。野球は阪神タイガース。そのあたりは譲れない。

私は、クラウドを使ったシステム構築を専業にしている。だから、合理的な考え方を尊んでいるつもりだ。だが、故郷への愛着はそうした合理性の対象外だ。そもそも比べること自体がナンセンスで、価値の範疇が違っている。
それは当然、私だけでなく日本の多くの人に共通した考えだと思っている。

東京は私のように各地から集った人の持ち寄る文化や価値の違いが渦を巻いている。顔には出さずとも、それぞれが違う県民性を抱く人の集まり。だからこそ、各人が鎧をまとって生きている。皆が仮面をかぶって生活をしているから、こんなに冷たい街になったのだ、という論はよく聞く。

著者は本書でさまざまなご当地ものの実情を挙げていく。その中で、ご当地ものにも光と影があることを示す。
ゆるキャラの成功が経済効果をもたらした自治体もあれば、いつのまにかひっそりと姿を消し、お蔵入りを余儀なくされたゆるキャラもいる。

また、商品に産地を名付けることの規制が整っていないこと。それが傍若無尽な産地を騙った手法の蔓延につながっていることにも警鐘を鳴らす。
著者が例として示すように、縁日の屋台に描かれた富士宮焼きそばや中津から揚げの文字は本当に産地の製法を使っているのかという疑問はもっともだと思う。さらにいうと、製法はその土地の手法をまねていても、果たして素材はその土地のものなのか。つまり地産地消でなくても良いのか、という疑問まで生じる。

また、ゆるキャラの著作権の問題も見過ごされがちだ。本書ではひこにゃんの著作権訴訟も取り上げている。著作権について述べられている章は、私が神奈川県立歴史博物館でひこにゃんを見てすぐに読んだため、印象に残る。

今、戦後の経済発展が、似たような街をあちこちに作ってしまった反動がご当地キャラに現れているとの分析はその通りだと思う。各地が画一的だからこそ、無理やり地域に結びつけた名物を創造し、違いを打ち出す必要に駆られている。それが今のゆるキャラの過当競争になっている事実など。

著者はそうした負の面をきちんと指摘しつつ、地域の多彩な名物が日本の魅力の一つとして、諸外国にアピールできる可能性も指摘する。
オリンピックを控えた今、日本には有名観光地だけでない魅力的な場所を擁していることも。

地方の活性化をなんとかしてはかりたい、東京一局集中の弊害を思う私には、本書は参考となった。

‘2020/02/21-2020/02/26