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声の狩人 開高健ルポルタージュ選集


著者を称して「行動する作家」と呼ぶ。

二、三年前、茅ヶ崎にある開高健記念館に訪れた際、行動する作家の片鱗に触れ、著者に興味を持った。

著者は釣りやグルメの印象が強い。それはおそらく、作家として円熟期に入ったのちの著者がメディアに出る際、そうした側面が前面に出されたからだろう。
だが、行動する作家、とは旅する作家と同義ではない。

作家として活動し始めた頃、著者はより硬派な行動を実践していた。
戦場で敵に囲まれあわや全滅の憂き目をみたり、東西陣営の前線で世界の矛盾を体感したり。あるいはアイヒマン裁判を傍聴してで戦争の本質に懊悩したり。

著者は、身の危険をいとわずに、世界の現実に向き合う。
書物から得た観念をこねくり回すことはしない。
自らは安全な場所にいながら、悠々と批判する事をよしとしない。
著者の行動する作家の称号は、行動するがゆえに付けられたものなのだ。

そうした著者の姿勢に、今さらながら新鮮なものを感じた。
そして惹かれた。
安全な場所から身を守られつつ、ブログをかける身分である自分を自覚しつつ。
いくら惹かれようとも、著者と同じように戦場の前線に赴くことになり得ない事を予感しつつ。

没後30年を迎え、著者の文学的な業績は過去に遠ざかりつつある。
ましてや、著者の行動する作家としての側面はさらに忘れられつつある。
だが、冷戦後の世界が再び動き出そうとする今だからこそ、冷戦の終結を見届けるかのように逝った行動する作家としての姿勢は見直されるべきと思うのだ。

冷戦が終わったといっても、世界の矛盾はそのままに残されている。
ソ連が崩壊し、ベルリンの壁が崩され、東西ドイツや南北ベトナムが統一された以外は何も変わっていない。
朝鮮は南北に分断されたままであり、強大な国にのし上がった中国を統治するのは今もなお共産党だ。
ロシア連邦も再び強大な国家に復帰する機会を虎視眈々と狙っている。
そもそも、イスラム世界とキリスト世界の間が相互で理解し合うのがいつの日だろう。パレスチナ国家をアラブの国々が心から承認する日はくるのだろう。ドイツで息を吹き返しつつあるネオナチはナチス・ドイツの振る舞いを拒絶するのだろうか。
誰にも分からない。

それどころか、アメリカは世界の警察であることに及び腰となっている。日韓の間では関係が悪化している。EUですらイギリスの離脱騒ぎや、各国の財政悪化などで手一杯だ。
世界がまた混迷に向かっている。

冷戦後、いっときは平穏に見えたかのような世界は実は休みの時期に過ぎなかったのではないか。実は何も解決しておらず、世界の矛盾は内で力を蓄えていたのではないか。
その暗い予感は、わが国の活力が失われ、硬直している今だからこそ、切実に迫ってくる。
次に世界が混乱した時、日本は果たして立ち向かえるのだろうか、という恐れが脳裏から去らない。

本書は著者が旅先でたひりつくような東西の矛盾がぶつかり合う現場や、アイヒマン裁判を傍聴して感じたこと、などを密に描いたルポルタージュ集だ。

「一族再会」では、死海の過酷な自然から、この土地の絶望的な矛盾に思いをはせる。
古来、流浪の運命を余儀なくされたユダヤ民族は、苛烈な迫害も乗り越え、二千数百年の時をへて建国する。
生き残ることが至上命令と結束した民族は強い。
自殺者がすくないのも、そもそも自殺よりも差し迫った悩みが国民を覆っているから。
著者の筆はそうした本質に迫ってゆく。

「裁きは終わりぬ」では、アイヒマン裁判を傍聴した著者が、600万人の殺人について、官僚主義の仮面をかぶって逃避し続けるアイヒマンに、著者は深刻に悩み抜く。政治や道徳の敗北。哲学や倫理の不在。
アイヒマンを皮切りに、ナチスの戦犯のうち何人かはニュルンベルクで判決を受けた。だが、ヒトラーをはじめとした首脳は裁きの場にすら現れなかった。
一体、何が裁かれ、何が見過ごされたのか。
著者はアイヒマンを絞首刑にせず生かしておくべきだったと訴える。
顔に鉤十字の焼き印を押した生かしておけば、裁きの本質にせまれた、とでもいうかのように。

「誇りと偏見」は、ソ連へ旅の中で著者が感じ取ろうとした、核による終末の予感だ。
東西がいつでも相手を滅ぼしうる核兵器を蓄えてる現実。
その現実の火蓋を切るのは閉鎖されたソ連なのか。そんな兆しを著者は街の空気から嗅ぎ取ろうとする。
ステレオタイプな社会主義の印象に目をくらまされないためにも、著者は街を歩き、自分の目で体感する。
今になって思うと、ソ連からは核兵器の代わりの放射能が降ってきたわけだが、そうした滅びの終末観が著者のルポからは感じられる。

「ソヴェトその日その日」は、終末のソ連ではなく、より文化的な側面を見極めようとした著者の作家としての好奇心がのぞく。
共産主義の教条のくびきが解けようとしているのではないか。暗く陰惨なスターリンの時代はフルシチョフの時代をへて過去となり、新たなスラヴの文化の華が開くのではないか。
著者の願いは、アメリカが主導する文化にNOを突きつけたいこと、というのはわかる。
だが、数十年後の今、スラヴ文化が世界を席巻する兆しはまだ見えていない。

「ベルリン、東から西へ」でも、著者の文化を比較する視点は鋭さを増す。
東から西へと通過する旅路は、まさに東西文化に比較にうってつけ。今にも東側を侵そうとする西の文化。
その衝突点があからさまに国の境目の証となってあらわれる。
それでいながらドイツの文化と民族は同じであること。著者はここで国境とはなんだろうか、と問いかける。
文化を愛する著者ゆえに、不幸な断絶が目につくのだろうか。

「声の狩人」は、ソ連を横断してパリに着いた著者が、花の都とは程遠いパリに寒々しさを覚える。
アルジェリア問題は激しさを増し、米州機構反対デモが殺伐とした雰囲気をパリに与えていた。
実は自由を謳歌するはずのパリこそが、最も矛盾の渦巻く場所だったという、著者の醒めた観察が余韻を与える。
結局著者は、あらゆる幻想を拒んでいた人だったのだろう。

「核兵器 人間 文学」は、大江健三郎氏、そして著者とともに東欧を訪問した田中 良氏による文だ。
三人でフランスのジャン・ポール・サルトルに質問を投げかける様が描かれる。
ジャン・ポール・サルトルは、のちにノーベル文学賞を受賞するも、辞退した硬骨の人物として知られる。
ただ、当代一の碩学であり、時代の矛盾を人一番察していたサルトルに二人に作家が投げかける質問とその答えは、どこか食い違っている感が拭えない。
この点にこそ、東西の矛盾が最も表れているのかもしれない。

「サルトルとの四十分」は、そのサルトルとの会談を振り返った著者にる感想だ。
パリに来るまでソ連を訪れ、その中で左翼陣営の夢見た世界とは程遠い現実を見た著者と、西洋文化を体現するフランスの文化のシンボルでもあるサルトルとの会談は、著者に埋めようもない断絶を感じさせたらしい。
日本から見た共産主義と、フランスから見た共産主義の何が違うのか。
それが西洋人の文化から生まれたかどうかの差なのだろうか。
著者の戸惑いは今の私たちにもわずかに理解できる。

「あとがき」でも著者の戸惑いは続く。
本書に記された著者の見た現実が、時代の流れの速さに着いていけず、過去の出来事になってしまったこと。
その事実に著者は卒直に戸惑いを隠さない。

そうした著者の人物を、解説の重里徹也氏は描く。
「開高がしきりにのめりこんでいくのは、こういう、現実と理想の狭間に生まれる襞のようなものに対してである」(239ページ)

ルポルタージュとは、そうした営みに違いない。

‘2018/11/1-2018/11/2


HUNTING EVIL ナチ戦争犯罪人を追え


人類の歴史とは、野蛮と殺戮の歴史だ。

有史以来、あまたの善人によって数えきれないほどの善が行われてきた。だが、人類の歴史とはそれと同じくらい、いや、それ以上に悪辣な蛮行で血塗られてきた。中でもホロコーストは、その象徴として未来永劫伝えられるに違いない。

私は二十世紀の歴史を取り扱った写真集を何冊も所持している。その中には、ホロコーストに焦点を当てたものもあり、目を背けたくなる写真が無数に載っている。

ホロコーストとは、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量殺戮だ。一般的にはホロコーストで通用している。だが、ヘブライ語ではこの用例は相応しくないそうだ。ジェノサイド、またはポグロムと呼ぶのが正しいのだとか。それを断った上で、本書ではナチスによるユダヤ人の大量抹殺政策をホロコーストやユダヤ人殲滅作戦と記している。

ユダヤ人のホロコーストは、ナチス・ドイツの優生思想によって押し進められた。なお、ユダヤ人を蔑視することは歴史的にみればナチスだけの専売特許ではない。中世の西洋でもユダヤ民族は虐げられていたからだ。だが、組織としてホロコーストほど一気にユダヤ人を抹殺しようとしたのはナチスだけだ。将来、人類の未来に何が起ころうとも、ナチスが政策として遂行したようなレベルのシステマチックな民族の抹殺は起こりえない気がする。

本書は、ナチス・ドイツが壊滅した後、各地に逃れたナチス党員の逃亡とそれを追うナチ・ハンターの追跡を徹底的に描いている。

ナチス残党については、2010年代に入った今も捜索が続けられているようだ。2013年のニュースで98歳のナチス戦犯が死亡したニュースは記憶に新しい。たとえ70年が過ぎ去ろうとも、あれだけの組織的な犯罪を許すわけにはいかないのだろう。

日本人である私は、本書を読んでいて一つの疑問を抱いた。その疑問とは「なぜ我が国では戦犯を訴追するまでの経過がナチス残党ほど長引かなかったのか」だ。その問いはこのように言い直すこともできる。「なぜナチスの戦犯は壊滅後のドイツから逃げおおせたのか」と。

本書はこの問いに対する回答となっている。

ナチス・ドイツは公的には完全に壊滅した。だが、アドルフ・ヒトラーの自殺と前後して、あきれるほど大勢のナチス戦犯が逃亡を図っている。たとえば「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレ。ユダヤ人殲滅作戦の現場実行者アドルフ・アイヒマン。トレブリンカ収容所長フランツ・シュタングル。リガの絞首人ヘルベルツ・ツクルス。末期ナチスの実力者マルティン・ボルマン。

かれらは逃亡を図り、長らく姿をくらましつづけていた。これほどの大物達がなぜ長期間逃げおおせることができたのか。著者の綿密な調査は、これら戦犯たちの逃亡ルートを明らかにする。そして、彼らが逃亡にあたって頼った組織についても明らかにする。

その組織は、多岐にわたっている。たとえばローマ・カトリック教会の司祭。または枢軸国家でありながら大戦後も体制の維持に成功したスペイン。もしくはファン・ペロン大統領がナチス受入を公表していたアルゼンチン。さらに驚かされるのが英米の情報部門の介在だ。東西の冷戦が生んだ熾烈なスパイの駆け引きにナチス戦犯を利用したいとの要望があり、英米の情報部門に保護されたナチス戦犯もたくさんいたらしい。これらの事実を著者は徹底した調査で明らかにする。

上に挙げたような複数の組織の思惑が入り乱れた事情もあった。そして連合国側で戦犯リストが円滑に用意できなかった理由もあった。これらがナチス戦犯が長年逃れ得た原因の一つだったのだろう。そのあたりの事情も著者は詳らかにしてゆく。

ナチス戦犯たちにとって幸運なことに、第二次世界大戦の終戦はさらなる東西冷戦の始まりだった。しかもドイツは冷戦の東西の境界である。東西陣営にとっては最前線。一方で日本は冷戦の最前線にはならなかった。せいぜいが補給基地でしかない役どころ。そのため、終戦によって日本を統治したのはアメリカを主軸とする連合国。ソ連は統治には参加できず、連合国の西側による秩序が構築された。日本とドイツが違うのはそこだろう。

わが国の戦犯はBC級戦犯を中心として、アメリカ軍の捜査によって訴追された。約5700人が被告となりそのうち約1000人が死刑判決を受けた。その裁判が妥当だったかどうかはともかく、1964年12月29日に最後の一人が釈放されたことでわが国では捜査も裁判も拘置も完全に終結した。それは悪名高い戦陣訓の内容が「生きて虜囚の辱めを受ける勿れ」と書かれていたにもかかわらず、戦後の日本人が潔く戦争責任の裁きを受けたからともいえる。もっとも、人体実験の成果一式をアメリカに提供することで訴追を逃れた旧関東軍731部隊の関係者や、アジテーターとして戦前の日本を戦争に引き込み、戦後は訴追から逃れ抜いたままビルマに消えた辻正信氏といった人物もいたのだが。ただ、我が国の戦後処理は、ドイツとは違った道を歩んだということだけはいえる。

戦後、ユダヤ人が強制収容所で強いられた悲惨な実態とともにナチスの残虐な所業が明らかになった。それにもかかわらず、ナチスの支援者はいまも勢力を維持し続けている。彼らはホロコーストとは連合国軍のプロパガンダに過ぎないと主張している。そしてナチスの思想、いわゆるナチズムは、現代でもネオ・ナチとして不気味な存在であり続けている。

本書が描いているのはナチス戦犯の逃亡・追跡劇だ。だが、その背後にあるナチズムを容認する土壌が今もまだ欧州諸国に生き続けている事。それを明らかにすることこそ、本書の底を流れるテーマだと思う。

本書は、ナチ・ハンターの象徴である人物の虚像も徹底的に暴く。その人物とはジーモン・ヴィーゼンタール。ホロコーストの事実をのちの世に伝えるためのサイモン・ウィーゼンタール・センターの名前に名を残している。著者はヴィーゼンタールのナチス狩りにおける功績の多くがヴィーゼンタール本人による虚言であったことや、彼が自らをナチス狩りという世界的なショーのショーマンであった事を認めていた事など、新たな事実を次々と明らかにする。著者の調査が膨大な労力の上に築かれていたことを思わせる箇所だ。

本書を読むと、いかに多くのナチス戦犯が逃げ延びたのかがわかる。今や、ナチス狩りの象徴ヴィーゼンタールも世を去った。おそらく逃げ延び続けているナチ戦犯もここ10年でほぼ死にゆくことだろう。そうなった後、ナチスの戦争責任をだれがどういう方向で決着させるのか。グローバリズムからローカリズムに縮小しつつある国際社会にあって、ナチスによるホロコーストの事実はどう扱われて行くのか。とても興味深い。

ドイツや欧州諸国では、ホロコーストを否定すること自体に罰則規定があるという。その一方、我が国では上に書いた通り、戦犯の追及については半世紀以上前に決着が付いている。ところが、南京大虐殺の犠牲者の数や従軍慰安婦の問題など、戦中に日本軍によって引き起こされたとされる戦争犯罪についてはいまだに被害国から糾弾されている。

一方のドイツでは大統領自身が度々戦争責任への反省を語っている。一方のわが国では、隣国との間で論争が絶えない。それは、ドイツと日本が戦後の戦犯の訴追をどう処理し、どう決算をつけてきたかの状態とは逆転している。それはとても興味深い。

私としては罪を憎んで人を憎まん、の精神で行くしか戦争犯罪の問題は解決しないと思っている。あと30年もたてば戦争終結から一世紀を迎える。その年月は加害者と被害者のほとんどをこの世から退場させるに足る。過去の責任を個人単位で非難するよりは、人類の叡智で同じような行いが起きないよう防止できないものか。本書で展開される果てしない逃亡・追跡劇を読んでそんな感想を抱いた。

‘2017/02/07-2017/02/12


オン・ザ・ロード


「おい、おまえの道はなんだい? 聖人の道か、狂人の道か、虹の道か、グッピーの道か、どんな道でもあるぞ。どんなことをしていようがだれにでもどこへでも行ける道はある。さあ、どこでどうする?」(401P)

「こういうスナップ写真をぼくらの子どもたちはいつの日か不思議そうにながめて、親たちはなにごともなくきちんと、写真に収まるような人生を過ごし、朝起きると胸を張って人生の歩道を歩んでいったのだと考えるのだろう、とぼくは思った。ぼくらのじっさいの人生が、じっさいの夜が、その地獄が、意味のない悪夢の道がボロボロの狂気と騒乱でいっぱいだったとは夢にも考えないのだろう。」(406P)

若いときに読んでおかねばならない本があるとすれば、本書はその一冊にあげられるにちがいない。先日ノーベル賞を受賞したボブ・ディランは、本書を自分の人生を変えた本と言ったとか。

多分、中高生の私が本書を読んでいたならば、私にとっても人生を変えた本になっていたことだろう。私ももっと前に本書を読んでおきたかったと思う。

ただ、20代の私が本書を読んでも、どの程度まで影響を受けていたかはわからない。放浪癖に目覚めた頃だったので、同じ嗜好を持ち、同じ方向を向いている本書はかえってすっと受け入れてしまい、なじみすぎて印象に残らなかったかもしれない。親しんだ記憶は残っただろうけど。

今回、40の坂を越えてからはじめて本書を読んだ。そこから感じた読後感も悪くない。二十歳の頃には出逢えなかったが、40代の感性でしか感じられない新鮮さもある。もっとも、40代の今の視点で本書を読むと、自分自身の過ぎ去った日々を懐かしむ思いがどうしても混じってしまうのも事実。ただ、40代が感じた本書の感想も悪くないはず。その視点でつづりたいと思う。

本書は、あてなき放浪の物語だ。アメリカ大陸の東と西をさまよい、北から南へと越境してメキシコまで。時は1947年〜1949年。第二次世界大戦に勝利し、世界の超大国となったアメリカ。まだソ連が原爆を持つ前の、ベルリンが東西に分割される前の、中華人民共和国が建国される前の勝利の幸福に浸れていた頃のアメリカ。そんなアメリカを縦横に旅しまくるのが本書だ。主人公サル・パラダイスの名前のとおりに幸せなアメリカは、また、素朴なアメリカでもあった。

東西冷戦が始まるや、アメリカは西側の同盟国を引き締めにかかる。自国の文化を紐がわりにして。それは文化的な侵略といってよいだろう。だが、本書で描かれるアメリカは、自国の文化を世界中にまき散らす前のアメリカだ。大戦の勝利の余韻が尊大さの色を帯びる前のアメリカでもある。

主人公サルとアメリカ中を駆け巡るディーンは、狂人すれすれの奇行と社交性を持つ人物として描かれる。だが、そんな彼らにも、やがて落ち着きの日がやってくる。いくら乱痴奇騒ぎを繰り広げようが、彼らも叔母の前では汚い言葉を控えるようになる。彼らとつるんで騒いでいた友人たちも、やがて常識的な言動を身に付け始める。

それは、アメリカが建国以来持ち続けいた、素朴な開拓者スピリットを脱ぎ捨て、政治・文化のリーダーとして振る舞い始める様を思わせないか。サルとディーンが見せる躁鬱の繰り返しは、アメリカ自身が19世紀後半から見せて来た内戦と繁栄の焼き直しに思える。

本書で印象を受けたのは、冒頭に掲げたような言葉だ。これらのセリフは、彼らが旅を終えてから次の旅までの間、金を稼ぎ妻子を養ったりしている間にはかれる。旅中のハイテンションな日々を躁とすれば、旅の合間の準備期間は鬱ともいえる。

だが、本書がひときわ輝いているのは、実はその合間とも言える鬱の時期だ。狂騒の時期はひたすら騒がしい描写に終始しているが、静かな時期にこそ、人生の陰影が彫り込まれてる。その深みは、読者に印象を与える。

冒頭に掲げた二つの文はまさに旅の合間のセリフだ。このセリフには、旅というものの本質が見事に表されている。

私自身、旅への衝動に従って生きてきた。今もそれに身を委ねては、気の向くままに放浪したいと思っている。なので、彼らが旅の合間、稼いだり妻子を養っている間に感じる焦燥感や衝動はとても理解できるのだ。

旅にこそ、人生の実感はある。旅にこそ、人々との触れ合いがある。

だが、旅とはリスクの塊だ。離婚と結婚を繰り返すディーンの生きざまは、旅が結婚という定住生活の対極にあることがわかる。

旅と結婚。その二つは相反するものなのかもしれない。

二つの生き方に迷い、引き裂かれてわれわれは生きていく。本書のサルとディーンのように。

サルが著者ケルアックであり、ディーンがニール・キャサディてあることは訳者が後書きで触れている。著者はビート・ジェネレーションの名付け親であり、その代表的な存在としても知られている。キャサディもまた、破天荒な人生を送った事で知られている。結局、二人ともヒッピー文化が華やかなりし時期に相次いで亡くなっている。本書の終盤で、ディーンはサルと離ればなれになってしまう。サルもディーンも本書において、どういう末路をたどったのか本書には書かれていない。多分、定住を拒み続けただろうし、末路も平穏では済まなかっただろう。

でも、人の一生はそれぞれ。彼らは後悔しなかったに違いない。そもそも人生とは旅なのだから。たとえ結末が惨めなものだったとしても。決して後悔しない。安定を求めない。それが旅人というもの。

私もそういう姿勢で生きていこうと思う。

‘2016/11/01-2016/11/13


ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」


本書は私にとって16年ぶりとなる長崎への旅の途上で読んだ。羽田から長崎への機内と、博多から長崎への電車内で。本書はまさに旅のガイドとなった。その意味でも印象深い。そして、本書を読んだ翌日、本書に書かれた内容を自らの足でめぐることができた。その意味でも、本書は読書体験と視覚体験がシンクロした貴重な一冊となった。

私は今までにたくさんの本を読んできた。それらの本が私に与えてくれたのは得がたい知見だ。私が書物に書かれた内容を消化し、理解する時、その論旨はいったん受け入れる事が多い。なぜなら、書物を読むのは、知らない事実を一方的に書物から吸収したいから。 読む時点ではそもそも反対するための材料も知識もない。また、事前にその本が取り上げる分野について知っていても同じ。私が読んだ本の論旨に反対する事はあまりない。

だが、本書にはとても迷わされた。そして考えさせられた。本書で問い掛けられた事実はとても重い。本書でさらし出された歴史の事実。それを知ってもなお、私の中では判断がついていない。これはとても珍しい事だ。軽率に答えを出すことを拒ませるだけの重みが本書にはある。

実は著者の主張については、読み終えた直後には賛成だった。本書の問いはただ一つ。原爆によって廃虚となった浦上天主堂は後世に残すべきだったか、だ。ではなぜ残すべきだったのか。もちろん、原爆という人類の愚劣さと罪のシンボルとして。著者は残すべきだったと主張する。 その主張を補強するため、著者は浦上天主堂の撤去の背景を探る。著者の突き止めた事実は、撤去した当事者を糾弾するに充分だった。著者の厳しい視線は、米国の対外広報戦略に懐柔され浦上天主堂の再建に傾いた田川元市長や、再建に当たって教会側の意見を主導した山口元司教、そればかりか、長崎の鐘で知られる永井隆博士らの名士に向いている。

中でも著者が取り上げるのは、田川元市長と山口元司教だ。実質的に、この二人の主導で浦上天主堂の廃虚は撤去されたのだから。そして、田川市長については、もともと撤去推進者ではなく保護推進者であったことも著者は強調する。それがなぜ翻心したのか。

その経緯を著者は、米国セントポール市からもたらされた長崎市と姉妹都市提携したいという申し出の経緯から掘り起こす。日本にとって初となった姉妹都市提携。それは米国から持ち出された話だった。そしてその提携の交渉にあたって、米国は田川市長を招待する。米国内での歓待や要人との会談をこなして長崎に戻って来た田川市長。田川市長の浦上天主堂の廃虚についての意見は、渡米前の保護から一転、撤去・再建へとひるがえっていた。

なぜ米国は、浦上天主堂の廃虚を撤去させたかったのか。それは冷戦後の世界で米国が西側を率いるにあたり、西側文明の宗教的バックボーンであるキリスト教会を原爆で破壊した事実がマイナスになると判断したから。著者はそう指摘する。そういった米国の思惑を前提とした、田川市長への働きかけの様子。それが本書には細かく紹介される。

山口司祭は、カトリック長崎教区を統括する立場から天主堂の再建を望んでいた。しかも同じ場所で。というのも、浦上天主堂は浦上地区の信者にとって400年にわたる弾圧からの解放のシンボルだったから。山口司祭にとって廃虚をそのままにし、天主堂を別の場所で再建する案はとても受け入れられなかった。そんな山口司祭と田川市長の思惑が一致したのが浦上天主堂の再建だった。

天主堂は再建し、旧浦上刑務所の跡地は平和公園とする。そして、平和祈念像を被爆のシンボルとして設置する。さらに爆心地公園に、廃虚の一部を移設する。田川市長の施策でこれだけの事業がおこなわれ、今の平和公園周辺のたたずまいとなっている。そしてその施策の結果、ナガサキの街からヒロシマにおける原爆ドームのような、原爆の惨禍を思わせるシンボルはほぼ無くなってしまった。著者はその事実を指摘し、米国の対外戦略に乗った田川市長と山口司祭を指弾する。

この度の長崎探訪は、こちらのブログに書いた。そのなかで、私が今のナガサキの街並みを見てどう思ったかは触れている。当初は本書の意見に賛同していたのに、街を歩いた結果、意見を中立に変えたことも書いた。

平地に立つ原爆ドームと違い、浦上天主堂が高台に立っていること。それが街から見えてしまうこと。浦上天主堂の持つ歴史的な経緯。それらは私に、判断を迷わせ、撤去についての意見を保留にさせた。

だが、私の判断は保留であって、反対ではない。そして、その判断は私が本書に対する評価を損なうものではない。本書の価値はいささかも変わらない。そもそも私が著者の意見に反対しようがどうしようが、ナガサキから被爆のシンボルとなりえた遺構が失われてしまったのは事実なのだ。その経緯をここまで調べあげ、歴史の裏側を明かしたのは間違いなく著者の功績だ。本書もまた、後世に残されるべき労作だと思う。

‘2016/10/30-2016/10/30


人類5万年 文明の興亡 下


541年。著者はその年を東西の社会発展指数が逆転し、東洋が西洋を上回った年として特筆する。

それまでの秦漢帝国の時代で、西洋に遅れてではあるが発展を遂げた東洋。しかし「社会発展は、それを妨げる力を生み出す」パラドックスは東洋にも等しく起こる。三国志の時代から魏晋南北朝、そして五胡十六国の時代は東洋にとって停滞期だった。しかし、それにもかかわらず東洋は西洋に追いつき抜き去る。分裂と衰退の時期を乗り切った東洋に何が起こったのか。著者はここで東洋が西洋を上回った理由を入念に考察する。その理由を著者は東洋のコア地域が黄河流域から南の長江流域へと拡大し、稲作の穀倉地帯として拡大したことに帰する。東洋の拡大は、隋と唐の両帝国を生み出し、東洋は中国をコアとして繁栄への道をひた走る。一方、西洋はビザンティン帝国によるローマ帝国再興の試みがついえてしまう。そればかりか、西洋の停滞の間隙を縫ってムハンマドが創始したイスラム教が西洋世界を席巻する。

西洋は気候が温暖化したにもかかわらず、イスラム教によってコアが二分されてしまう。宗教的にも文化的にも。つまり西洋は集権化による発展の兆しが見いだせない状況に陥ったのだ。一方の東洋は、唐から宋に王朝が移ってもなお発展を続けていた。中でも著者は中国の石炭産業に注目する。豊かに産出する石炭を使った製鉄業。製鉄技術の進展がますます東洋を発展させる。東洋の発展は衰えを知らず、このまま歴史が進めば、上巻の冒頭で著者が描いた架空の歴史が示すように、清国の艦隊をヴィクトリア女王がロンドンで出迎える。そのような事実も起こりえたかもしれない。

だが、ここでも「社会発展は、それを妨げる力を生み出す」パラドックスが東洋の発展にブレーキをかける。ブレーキを掛けたのは異民族との抗争やモンゴルの勃興などだ。外部からの妨げる力は、洋の東西を問わず文明の発展に水をさす。この時、東洋は西洋を引き離すチャンスを逃してしまう。反対にいつ果てるとも知らぬ暗黒時代に沈んでいた西洋は、とどめとばかりに黒死病やモンゴルによる西征の悲劇に遭う。だがモンゴルによる侵略は、東洋の文化を西洋にもたらす。そして長きにわたったイスラムとの分断状態にも十字軍が派遣されるなど社会に流動性が生まれる。イスラムのオスマン・トルコが地中海の東部を手中に収めたことも西洋の自覚を促す。そういった歴史の積み重ねは、西洋を復活へと導いてゆく。

東洋の衰えと西洋の復活。著者はここで、東洋が西洋を引き離し切れなかった要因を考察する。その要因として、著者は明の鄭和による大航海が東洋の優位と衰退を象徴することに着目する。鄭和艦隊の航海術。それは東洋を西洋に先んじてアメリカ大陸に到達させる力を持っていた。あるいはアステカ文明は、ピサロよりも先に中華文明によって絶滅に追いやられていたかもしれないのだ。そんな歴史のIF。そのIFは、マダガスカルやシリアまでも遠征し、当時としては卓越した航海術を擁した鄭和艦隊にとって不可能ではなかった。著者は鄭和艦隊を東洋の優位性を示す何よりの証拠と見ていた。

しかし明の皇帝たちは引き続いての艦隊の派遣に消極的となる。一方の西洋はバスコ・ダ・ガマやコロンブスなど航海によって大きく飛躍するのに。この差がなぜ生じたのか。この点を明らかにするため、著者はかなりのページ数を割いている。なぜならこの差こそが、541年から1773年まで1000年以上続いた東洋の優位を奪ったのだから。

あらためて著者の指摘する理由を挙げてみる。
・中国のルネッサンスは11世紀に訪れ、外遊の機運が盛り上がっていた。が、その時期には造船技術が進歩していなかった。一方、西洋のルネッサンスは16世紀に訪れたが、その際は東洋の造船技術が流入しており、労せずして西洋は航海技術を得ることができた。
・中国にとって西には西洋の文物があることを知っていた。だが、後進地域の西洋へと向かう動機が薄かった。また、東の果て、つまりアメリカ大陸までの道のりは間に太平洋を挟んでいたため遠方であった。つまり、東洋には距離的にも技術的にも未知の国へ向かわせるだけの動機が弱かった。東洋に比べて文化や技術で劣る西洋は距離的に大陸まで近く、技術の弱さが補えた。

東洋がダイナミズムを喪いつつある時期、われらが日本も登場する。その主役は豊臣秀吉だ。著者は本書の135ページで秀吉による日本統一をなぜか1582年と記している(私の意見では1590年の小田原征伐をもって日本は統一された)。が、そんな誤差はどうでもよい。肝心なのは、当時の世界史の潮流が地球的なスケールで複雑にうねっていたことだ。本書から読み取るべきは世界史の規模とその中の日本の締める位置なのだ。極東の島国は、この時ようやく世界史に名前が現れた程度でしかない。日本が範とし続けてきた中国は官僚による支配が顕著になり、ますます硬直化に拍車がかかる。ではもし、秀吉が明を征服していれば東洋にも違う未来が用意されていたのか。それは誰にもわからない。著者にも。

西洋はといえば、オスマントルコの脅威があらゆる面で西洋としての自覚が呼び覚ましていく。それは、ハプスブルク家による集権体制の確立の呼び水となる。西洋の発展には新たに発見された富の存在が欠かせない。その源泉はアメリカ南北大陸。精錬技術の発達と新たな農場経営の広がりが、西洋に計り知れない富と発展をもたらすことになる。そしてそれは産業革命へと西洋を導いてゆく。王権による集権化の恩恵をうけずに人々の暮らしが楽になる。それはさらなる富を生み出し技術発展の速度は速まる。全てが前向きなスパイラルとなって西洋を発展させる。かくして再び西洋が東洋を凌駕する日がやってくる。著者はそれを1773年としている。

1773年。この前後は西洋にとって重大な歴史的な変化が起こった。アメリカ独立戦争やフランス革命。もはや封建制は過去の遺物と化しつつあり、技術こそが人々を導く時代。ところが西洋に比べ、東洋では技術革新の波は訪れない。著者はなぜ東洋で技術発展が起きなかったのか、という「ニーダム問題」に答えを出す。その答えとは、硬直した科挙制から輩出された官僚が科学技術に価値を置かなかったことだ。東洋は後退し、いよいよ西洋と科学の時代がやって来たことを著者は宣言する。

なぜ産業革命は東洋で起きなかったのか。著者は科挙制の弊害以外に労働者単価が低かったことを主な理由としている。そして19世紀になっても東洋で産業革命が起きていた確率はほぼなかっただろうと指摘する。

いずれにせよ、西洋主導で社会は動きはじめた。その後の歴史は周知の通り。1914年から1991年までの大きな戦争(と著者は第一、二次大戦と冷戦を一つの戦争の枠組みで捉えている)をはさんでも西洋主導の枠組みは動きそうにない。いまだにG8で非西洋の参加国は日本だけ。

だが、著者はその状態もそう長くないと見る。そして、ここからが著者が予測する未来こそが、本書の主眼となるのだ。上巻のレビューにも書いた通り、今まで延々と振り返った人類の歴史。われわれのたどってきた歴史こそが、人類の未来を占うための指標となる。著者はここであらためて世界史の流れをおさらいする。今度は始源から流れに乗るのではなく、2000年の西洋支配の現状から、少しずつ歴史をさかのぼり、どこで東洋と西洋の発展に差が生じたのかを抑えながら。その際に著者は、歴史にあえて仮定を加え、西洋と東洋の発展の歴史が違っていた可能性を検証する。

著者はその作業を通じて「二〇〇〇年までの西洋の支配は、長期的に固定されたものでも短期的な偶発的事件によるものでもないと結論づけることができる」(301P)と書く。つまり、長期的に妥当な必然が今の西洋支配につながっているのだ。

では、これからはどうなるのだろう。著者は2103年を「西洋の時代が終わると予測される一番遅い時点」(309P)と仮定する。

ここ250年、西洋は世界を支配してきた。その日々は東洋を西洋の一周縁地域へとおとしめた。では今後はどうなるのか。これからの人類を占う上で、人工知能の出現は避けては通れない。人工知能が人類の知恵を凌駕するタイミング。それを技術的特異点(シンギュラリティ)という。人工知能に関するコアワードとして、シンギュラリティは人口に膾炙しているといってよい。著者はシンギュラリティが引き起こす未来を詳細に予測するとともに、破滅的な人類の未来もあらゆる視点から予想する。そもそもシンギュラリティに到達した時点で西洋と東洋を分ける意味があるのか、という問い。それと同時に、破滅した世界で東洋と西洋とうんぬんする人間がいるのか、という問いも含めて。著者の問いは極めて重い。そもそも西洋と東洋を分けることの意味から問い直すのだから。

著者の予測する未来はどちらに転ぶともしれない不安定で騒々しいものだ。著者は人類の歴史を通じて西洋と東洋の発展の差を考察してきた。そして今までの考察で得た著者の結論とは、進化という長いスパンからみると東洋と西洋の差などたいした問題でないことだ。

地理学、生物学、社会学。著者はそれらの諸学問を駆使して壮大な人類史を捉えなおしてきた。そして著者は未来を救うための三つの勢力として考古学者、テレビ、歴史を提唱する。考古学者や歴史はまだしも、テレビ? つまり、著者に言わせると、テレビのような大量に流される情報の威力は、インターネットのような分散された細分化され拡散される情報に勝るということだ。

が予測する未来は破滅的な事態を防ぐことはできる、と前向きだ。その予測は私たちにとってとても勇気をもらえる。私が本書のレビューを書き上げようとする今、アメリカの今後を占う上で欠かせない人物が頻繁にツイートで世を騒がせている。トランプ大統領だ。現代の西洋とは、アメリカによって体現されている。繁栄も文化も。そんな西洋のメインファクターであるアメリカに、閉鎖的で懐古主義を標榜したリーダーが誕生したのだ。そして世界をつぶやきで日々おののかせている。トランプ大統領は西洋の衰退の象徴として後世に伝えられていくのか。それともトランプ大統領の発言などは世界の未来にとってごくわずかな揺り戻しにすぎず、トランプ大統領の存在がどうあれ、世界は人工知能が引き起こす予測のできない未来に突入してゆくのか、とても興味深いことだ。

未来に人類が成し得ることがあるとすれば、今までの歴史から学ぶことしかない。今までの教訓を今後にどう生かすか。そこに人類の、いや、地球の未来がかかっている。今こそ人類は歴史から学ぶべきなのだ。本書を読んで強くそう思った。

‘2016/10/21-2016/10/27