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受験生に向けて-偏差値に負けるな


そこら中で梅の花が咲き誇っています。紅白が美しい季節です。

この季節はまた、受験の季節でもあります。受験が終わった方、まだこれからの方。喜びや悲しみが、それぞれの方に届けられていることでしょう。

我が家も長女が初受験に臨みました。幸いにして第一志望の学校に受かることが出来ましたが、不合格も経験しています。初めての試験がどうだったか。本人にはまだきちんと聞けていません。成長にあたっての通過点として記憶に残してくれればよいのですが。少なくとも偏差値の高低よりも、自分の行きたい道を選んでくれたことは評価したいと思います。

私自身、かつては高校受験生でした。受験した高校は、通っていた小学校の隣に立っていました。私にとって通い慣れた場所です。何もなければ全く印象に残らぬまま、人生の単なる通過点として過ぎてしまったことでしょう。でも、この通過点は結構覚えています。なぜなら生まれてこの方、緊張のあまり胃が痛くなったのは高校受験の時だけだからです。受験前の2、3週間はとにかく胃が痛くて痛くて。

その後の私の人生を考えれば、高校受験で胃を痛めた経験は微笑ましくすら思えます。高校受験よりも胃の痛い試練や苦難など、それこそたくさん潜り抜けてきたので。でも、今の私が胃を痛くするとしたら、食べすぎか呑みすぎが関の山です。多分今後も、私がディナーバイキング以外で胃を痛めることはないでしょう。それはなぜかというと、私が個人事業主の時期を長く過ごし、今は法人の代表という立場に就いているからだと思います。

個人事業や法人経営。それは常に成果が求められる世界です。成果を出せなかったら二度と発注を頂けないだけの話。落選通知すら来ません。これが就職活動であれば「厳正なる選考の結果、誠に残念ではございますが」のような文が届くのでしょう。しかしビジネスの世界ではそれすら来ないことがほとんどです。その度にいちいち胃を痛めていたら、太田胃酸やパンシロンがいくつあっても足りません。

「偏差値」というのは受験生にとってはとかく悪評の高い言葉です。でも、私のような立場からいうと恵まれた言葉です。相対であれ絶対であれ、目標値が明確に設定されているのですから。そして、もっと恵まれていると思うのは、一度「偏差値」の門を潜り抜けてさえしまえば、その評価は生涯変わることがないことです。

同じことは偏差値が設定されている高校や大学受験に限らず言えます。例えば国家資格。医者や教員、税理士や公認会計士、法曹資格のような資格がそうです。それらの国家資格は、更新試験が設けられていません、そのため一度取得すればほぼ不変です。自ら返上するか、不祥事による資格はく奪が無い限りは生涯持ち続けていられます。また、公私企業の正社員もそうです。終身雇用を錦の御旗として掲げてきた我が国としては、一度正社員になるとそうそうクビになることはありません。

立場が守られているという状況は、緊張感を喪わせやすい。これは皆さんも認めるところでしょう。それはまた、既得権益の死守という動機をも産みかねません。

もちろん、私が知っている方は皆さん努力されています。セミナーに出席したり勉強会を開いたり。私の妻は歯医者ですが、最近は歯や口の健康から体全体の健康寿命を取り入れるため勉強しているようです。そういった方々は、一度得た立場に安住することなく、努力を重ねられている方として尊敬したいと思います

でも、色んな事件やニュースを見ていると、どうも我が国の活力を失わせているのは、そういった努力家ではない、立場に安住してしまった方のような気がしてなりません。

最近の日本に活力がなくなっていることは色んな方が指摘しています。それぞれに説得力がある意見だと思います。私はここにもう一つ追加しておきたいと思います。それは、努力が不要な社会になってしまっているということです。一度入ってしまえば、一度得てしまえばさらなる成長努力をせずに既得利益が得られる社会。組織内での立場だけを気にしておけばよい社会。これでは活力も出て来ませんし、他のハングリーな国々に負ける一方です。仮に今後我が国が移民を増やしていくとして、今のような状況が続けばどんどん優秀な移民者に職を取って代わられかねません。

今後は、こういった意識は改められるべきではないかと思います。常にある程度の緊張を保つような社会。努力しなければ安易に地位を追われてしまうような社会。それは流動性のある社会といってもよいでしょう。また、あらゆる方にチャンスが広がる社会でもあります。働きたいのに働けない不定期労働者や結婚したいのに収入がない独身の方や子供が欲しいのに収入も保育園もないご夫婦にとってチャンスが巡る社会。

そして、絶えざる努力が求められる社会にあっては、受験の意味すら変わってくるでしょう。入学のハードルは低いが、卒業時に学問の成果が問われる学校。大学時代遊びまわっていた私がいうのもなんですが、卒業時に学位を容易に与えすぎだったのでしょうね。今までは。

今の受験生の方々には、一旦受かったからといってゆめゆめ努力を怠ることのないようにして頂きたいです。また、自分の思う志望校に行けなかった方も、決して今後の人生を諦めることのないようにして頂きたいです。偏差値が低い学校だっていいじゃないですか。偏差値が高い学校に入学して気を抜いた連中を追い抜く時間はまだ沢山あります。社会に出たら大学や高校がどこだったかなんて大手企業の学閥しか気にしませんよ。それよりも大切なのは、いかに仕事が出来るかです。社会に出てからも自らの評価を取り戻すチャンスは沢山転がっています。これは間違いありません。

私自身、関西では名の通った大学を卒業しましたが、上京して以来、その威光に頼ることは殆どありません。そもそも誰も知らなかったので頼りようもありませんでしたし。己のほんのちょっとの才覚と、それを補うかなりの努力でこれまで何とかやって来ました。また、これからも勉強を惜しまず世を渡っていこうと思っています。

そういった姿勢を今回合格した娘には教えて行きたいと思っています。そのためには、私自身も常に勉強の意欲を持ち続けねば。そう強く思います。


2016年の抱負


晦日にアップした投稿にも書かせて頂きましたが、昨年度は皆さま色々と有難うございました。
今年も引き続き、よろしくお願いいたします。昨年の流れをさらに加速するべく、努力を惜しまず進みたいと思っております。

今年の抱負としては、胸の中で様々に温めているところです。自分という器の容積を広げるためにも、目標は高く持ちたいと考えております。私的な抱負については、家族とともに考え、家族の前で披露するつもりですが、こちらでは、公的な抱負を書きます。

1.法人化2年目にあたって
昨年は法人化を達成しましたが、あえて背伸びせずに基盤作りの一年としました。今年も実現不可能な目標は立てません。しかし現状維持に落ち着くつもりもありません。今年は常駐に頼らずに前年と同じ収入を得ることに注力しようと思います。個人事業主時代、最高収入を得た2010年度すらも、日中は常駐現場に縛られていました。常駐をこなしながら、深夜まで仕事することには限界があります。昨年も平日の睡眠時間は3〜5時間しか取れていませんでした。しかし、そろそろ脳への負担も考えながら仕事を進めなければなりません。また、日中に営業に回れないことがどれだけ商機を逃していたか考えると、改めるべきなのは明らかです。

と言うわけで、4月以降、常駐作業からの収入は多くとも今年の半分に抑える予定です。大口の安定収入を半分にしても、小口の不定収入だけで昨年と同じだけの収入を得られるか。困難ではありますが無茶な目標ではありません。やるしかありません。昨年末に楽天ビジネスがサービスを終了しました。楽天ビジネス経由でかなりのご縁も収入も頂いていただけにダメージはあります。また、CloudWorksやLancersには登録しているものの、そちら経由での受注には至れていません。まずはこの二つのサービスからの受注を目指します。

さらには昨年、かなりの数参加させて頂いた交流会。それぞれの交流会経由でも直接間接に受注に結び付けられています。交流会経由でのご縁をいかにしてさらに増やすか。こちらも参加頻度を去年並みにするか、検討の上正式加入するなどして重視したいと思います。
そして既存のお客様からのご紹介も疎かにしてはなりません。実はこの大晦日間際になって、ご紹介経由でお見積りのお話を頂きました。ありがたいことです。私の提供したサービスの質を評価していただいたと自負しています。しかし、一方では常駐で多忙になる前と後では私の提供するサービスの質が落ちたとの苦言も頂きました。頂いた言葉を肝に銘じ、常駐の仕事量を減らしたからには、その分お客様にもご納得頂けるサービスを心掛けねばなりません。

2.エキスパート化
昨年読んだいくつかの本からはジェネラリストよりもエキスパートたれ、という示唆を受け取りました。仕事上ではこのことを念頭において自己研鑽やブログに反映させていくつもりです。例えばハードウェア手配、凝ったデザインや動画編集、ネットワーク設定や私の不慣れな言語については積極的に協力会社に協力をお願いしていくつもりです。

一方では、私の価格設定が安すぎるという忠告も何度か頂いていました。それは常駐作業が足かせとなってお客様に100%向き合えないための価格設定でした。しかしこれは改めようと思います。そのためにはジェネラリストとして接するのではなくエキスパートとして振る舞わねばなりません。エキスパートとしてどうやって売り込むか。これについてはすでに腹案があります。昨年12月からkintoneのエバンジェリストとして、ようやく活動を活発化させ始めています。トイロハさんへの連載やAdventカレンダーへの参加など。今年はこの流れをより太くすることが大切です。また、Excel、Access、WordのVBAについてはかなりのレベルに達しているとの自負があります。これをOffice 365やGoogle Appsなどと絡めて究めて行こうと考えています。また、CMSについては各種の開発運用実績も持っていますし、一からCMSを作ったこともあります。これらは引き続き大切なノウハウとして活かします。

3.話す技術
昨年は妻のココデンタルクリニックで二回にわたってセミナーを開催しました。そのうちの一回は私もプロジェクターを使って話す機会を頂きました。その直後にアンケートを通して皆さまの意見を募りましたが、辛い意見も頂きました。まさに私自身が求めていたのが辛い意見でして、自分でも話した内容に満足がいきませんでした。おそらく今のようにブログが氾濫している状態では、文字を通しての自己表現は、よほどの内容でないと埋もれてしまうことでしょう。

では何をもって自己表現をするか。それは喋ることです。各種交流会やセミナーにも出させて頂きましたが、必ず1分程度出席者の前でしゃべることが求められます。しかし今の私の話術では10分以上のプレゼンテーションを行えるだけのレベルに達していないと考えています。そのための訓練は欠かせません。今年早々に口にとある処置をしますので、滑舌もそれに合わせてよくなるようにしたいと考えています。

4.ブログ
活動のベースは今まではFacebookを主とし、Twitter、Tumblr、ホームページのブログを従として進めていました。昨年はブログ経由での情報発信をかなり増やしました。今年はその流れをさらに強め、全面に公的な色を濃くしたいと思っています。
Facebookでは、個人的な日記に近い形の投稿を日々欠かさず続けてきました。これは引き続き行う予定です。仕事とプライベートの割合を適度に混ぜながら。しかし、仕事用のFacebookページもより前面に出す予定です。しかし昨年、仕事用のFacebookページやブログの宣伝効果はまだまだだったと反省しています。実は今までは私が積極的にブログの内容を宣伝することはしていませんでした。今年は書いたブログの内容がより流布されるように、私自身のブロックを外すつもりです。具体的にはマルチポストだからといって他の媒体への投稿を避けるということを止めます。リンクによるシェアでよいので、あちこちにブログの内容を書き込んでいこうと考えています。エキスパートに徹する仕事上の技術系のブログは対象を絞って。ジェネラリストとしての自分を書評や時事ブログで表現していきたいのであればふさわしい掲示板に。人間的に狭くなることは避けたいので、仕事だけでなく、書評、劇評、映画評をはじめとし、視野を広く、折々に様々なことについて興味を持ち、世間にも自分の考えを積極的に問うていこうと考えています。

昨年の12月からは対価を頂いた上でトイロハさんへの文章アップも初めています。これら技術エキスパートとしてのブログはAdvent Calendarも含めて引き続きエキスパートとして執筆していくつもりです。しかし技術系ブログ以外のブログも、機会があればどんどん対価を頂いてもなお読まれるような文章を中心に、他のブログとは一線を画したようなブログとして育てて行きたいと意気込んでいます。

なお、私が私的な内容の日記を書く際のスタンスは、小説家の筒井康隆さんのそれに影響を受けています。実名で、個人的な内容を書きつつ、その内容が商売ベースとしても成り立つだけの質の高い日記。実名でも批判を恐れずに書き、匿名に逃げることは避け、同じ内容のものは書かず、日々違う内容の出来事を紹介できるようなもの。それを目指したいと思っています。そのためには私自身の生活も単調にならぬように気を付けねばなりません。また、家族や友人、取引先のプライバシーを侵害するような内容は避けなければなりません。これらのことは引き続き気を付けるつもりです。無断タグ付けを避けることはもちろん、文章に登場させることも極力避ける。などなど。

5.体力と魅力増強
仕事と家庭と自分の夢の三つを両立させることは当然です。また、それらの両立は困難です。ただ、今年は常駐という足かせもなくなる予定ですから、少しは時間的な制約が外れるはずです。それでもこれらを両立させるためには体力の増強は昨年に引き続いて必須でしょう。昨年も親子マラソンや自転車での中距離旅行、フットサルやテニス、ローラースケートに参加させてもらいましたが、今年も引き続きそういった機会を頂ければ参加していこうと思っています。とくに自転車で遠距離に行き、名所旧跡に訪れることは体力的にも精神的にも知識的にも私を成長させてくれるはずです。そういう機会を増やそうと考えています。

引き続き本年度もよろしくお願いいたします。


杉原千畝


2015年。戦後70年を締める一作として観たのは杉原千畝。言うまでもなく日本のシンドラーとして知られる人物だ。とかく日本人が悪者扱いされやすい第二次世界大戦において、日本人の美点を世に知らしめた人物である。私も何年か前に伝記を読んで以来、久しぶりに杉原千畝の事績に触れることができた。

本作は唐沢寿明さんが杉原千畝を演じ切っている。実は私は本作を観るまで唐沢さんが英語を話せるとは知らなかった。日英露独仏各国語を操ったとされる杉原千畝を演ずるには、それらの言葉をしゃべることができる人物でないと演ずる資格がないのはもちろんである。少なくとも日本語以外の言葉で本作を演じていただかないとリアリティは半減だ。しかし、本作で唐沢さんがしゃべる台詞はほとんどが英語。台詞の8割は英語だったのではないだろうか。その点、素晴らしいと感じた。ただ、唐沢さんはおそらくはロシア語は不得手なのだろう。リトアニアを舞台にした本作において、本来ならば台詞のほとんどはロシア語でなければならない。しかも杉原千畝はロシア語の達人として知られている。スタッフやキャストの多くがポーランド人である本作では、日英以外の言葉でしゃべって欲しかった。迫害を受けていた多くの人々がポーランド人であったがゆえに英語でしゃべるポーランド人たちは違和感しか感じなかった。そこが残念である。しかし、唐沢さんにロシア語をしゃべることを求めるのは酷だろう。最低限の妥協として英語を使った。そのことは理解できる。それにしてもラストサムライでの渡辺謙さんの英語も見事だったが、本作の唐沢さんの英語力と演技力には、ハリウッド進出を予感させるものを感じた。

また、他の俳優陣も実に素晴らしい。特にポーランドの俳優陣は、自在に英語を操っており、さらに演技力も良かった。私は失礼なことに、観劇中はそれら俳優の方々の英語に、無名のハリウッド俳優を起用しているのかと思っていた。だが、実はポーランドの一流俳優だったことを知った。私の無知も極まれりだが、そう思うほどに彼らの英語は素晴らしかった。ポーランド映画はほとんど見たことがないが、彼らが出演している作品は見てみたいものだ。かなりの作品が日本未公開らしいし。

だが、それよりも素晴らしいと感じた事がある。本作はほとんどのシーンをポーランドで撮影しているという。ポーランドといえばアウシュヴィッツを初めとしたユダヤ人の強制収容所が存在した国でもある。本作にもアウシュヴィッツが登場する。ユダヤ人の受難を描く本作において、ポーランドの景色こそふさわしいと思う。そして合間には日本の当時の映像を挟む。それもCGではなく当時の映像を使ったことに意義がある。刻々と迫る日本の敗戦の様子と、それに対して異国の地で日本を想い日本のための情報を集めながらも、本国の親独の流れに抗しえなかった千畝の無念がにじみ出るよい編集と思えた。

また、本作においては駐独大使の大島氏を演じた小日向さんの演技も光っていた。白鳥大使こそは日本をドイツに接近させ、国策を大いに誤らせた人物である。A級戦犯として裁かれもしている。しかし本作ではあえてエキセントリックな大使像ではなく、信念をもってドイツに近づいた人物として描いている。この視線はなかなか新鮮だった。単に千畝のことを妨害する悪役として書かなかったことに。千畝の伝記は以前に読んだことがあるが、白鳥氏の伝記も読んでみたいと思った。

だが、本作を語るにはやはり千畝の姿勢に尽きる。なぜ千畝がユダヤ人に大量のビザを発給したのか。そこには現地の空気を知らねばならない。たとえ日本の訓示に反してもユダヤ人を救わずにはいられなかった千畝の苦悩と決断。それには、リトアニア着任前の千畝を知らねばならない。満州において北満鉄道の譲渡交渉に活躍し、ソビエトから好ましからざる人物と烙印を押されたほどの千畝の手腕。そういった背景を描くことで、千畝がユダヤ人を救った行為の背後を描いている。実は北満の件については私もすっかり忘れていた。だが、関東軍に相当痛い目にあわされたことは本作でも書かれている。そしてそういった軍や戦力に対する嫌悪感を事前に描いているからこそ、リトアニアでの千畝の行為は裏付けられるのである。

戦後70年において、原爆や空襲、沖縄戦や硫黄島にスポットライトが当たりがちである。しかし、杉原千畝という人物の行動もまた、当時の日本の側面なのである。千畝以外にも本作では在ウラジオストク総領事や日本交通公社の社員といったユダヤ人たちを逃すにあたって信念に従った人々がいた。それらもまた当時の日本の美徳を表しているのである。日本が甚大な被害を受けたことも事実。日本人が中国で犯した行為もまたほんの一部であれ事実。狭い視野をもとに国策を誤らせた軍人たちがいたのも事実。しかし、加害者や被害者としての日本の姿以外に、千畝のような行為で人間としての良心に殉じた人がいたのもまた事実なのである。軽薄なナショナリズムはいらない。自虐史観も不要。今の日本には集団としての日本人の行動よりも、個人単位での行動を見つめる必要があるのではないか。そう思った。

‘2015/12/31 TOHOシネマズ西宮OS