大阪 - 大都市は国家を超えるか


いまさら言うまでもなく、私の故郷は兵庫の西宮である。
私の実家から一時間も自転車をこげば梅田。完全に大阪経済圏の中に組み込まれている。
家から甲子園球場の場内アナウンスが聞こえる場所。私の人生の基盤は甲子園球場の近くで培われた。

東京に転居し、一旗をあげようとやってきてから早くも二十三年の月日がたった。だが、私にとって今も兵庫が故郷と言う意識には変わりない。
むしろ、首都圏のラッシュアワーや混雑のひどさに辟易しているが故に、東京に愛着を感じられずにいる。無論、東京への一極集中には断固として反対の立場だ。

首都圏だけではなく、大阪のような諸都市が等しく成長する。
東京だけを衰退させる理由はないが、わが国にあるあまたの都市でも、一つの都市に控えてもらうくらいの規模感。それがちょうどいい。本気でそう考えている。

ただし、そのためには大阪が頑張らなくては。東京都までの規模に肥大する必要はないが、せめて東京で飽和した人口の一部くらいは大阪が引き受けてほしい。東京の持っている権益や集中の一部は大阪が担うくらいの気概を持ってほしい。

今でこそ大阪はわが国の第二、第三の都市としての地位に甘んじている。
が、江戸時代までの大坂は天下の台所との異名がつけられていたように、日の本一の経済都市だった。大阪の活況は明治維新をへても変わらず、むしろ関東大震災で壊滅した首都から被災民を受け入れ、煙都の異名をとるほどだった。
小林一三氏が育て上げた阪急電車は、鉄道会社による地域活性化の強力なモデルケースとなったが、それが首都圏ではなくまず大阪で始まったことでも、大阪の当時の優位は明らかだ。

ただ、このところ大阪に元気がなかった。戦後からずっと。
その状況に変化が生じたのは、ここ二十年のことだろうか。
今や、日本のお笑い文化は大阪文化で育った芸能人が席巻している。

そんなところに登場したのが日本維新の会だ。特に弁護士の橋下氏が大阪府知事に、さらには大阪市長にも就任した事で脚光を浴びた。維新の会が一生懸命、大阪をよくしようと頑張っている。
私も東京にいながら、大阪を応援したい思いは強い。
そう思って本書を手に取った。

残念ながら日本維新の会が企図した都構想は住民投票の結果、否決された。
都構想とは、東京都のように、大阪府と大阪市の行政機構を統合し、大阪都として一新を図るものだ。
それによって財政の無駄は減り、職員や議員も削減できる。これが維新の会が打ち出した構想だ。大阪の抜本的な改善。

本書は、大阪がどういう形で発展し、どう没落したのかを分析している。
それは、大阪都構想の妥当性も検証することにつながる。

残念ながら、大阪都構想が住民投票で否決されたのは、住民から見ればより広い範囲の単位に行政機関が再編されることで、住民サービスが低下することを嫌ってのことだろう。
維新の会の構想に反対する勢力の情報発信に負けたともいえる。

そもそも、大阪都構想は日本維新の会の専売特許ではない。すでに戦後、当時の大阪市長が提唱していた。
大阪府の反対でとん挫した上に、戦後の復興にともなっての都市計画の決定権が都市から国に移管されたことが決定的だった。その時点で東京都になっていたので東京以外の都市は都構想の対象から外されてしまったのだ。

東京が二十三区制で長年運営できている以上、大阪でもやれたのではないだろうか。
だが、本書を読むと物事はそう単純ではない。
東京の場合、二十三区と周辺の市を比較すると、都市の指標の格差が歴然としていたという。だが、大阪の場合、大阪市と周辺の市がほどよくバランスのよい人口構成になっていたようだ。
上に挙げたように、阪急などの鉄道会社の発展が早かったことも集中しなかった原因なのだろう。

また、本書にも書かれているとおり、大阪市域の面積は実は広くない。それも他の大都市と違う大阪の外部要因だ。
大阪市域は狭く、周辺市には交通の便も整備されたことで人口が流入した。そして、都市計画の権限がなく予算も取れずに大阪市は発展の糸口を失った。
せいぜい、大阪港の埋め立てで市域を拡張したのみ。そうした対応が限界にきたのが大阪の経済力低下の原因なのだろう。

周辺の市を統合しようにも、都市計画の権限を国に握られている。
こうみていくと、大阪府と大阪市の統合は必然のように思えてくる。
維新の会は、市民サービスの維持について、もっと積極的に有権者にアピールしたほうがよかったのではないか。丁寧に周知すれば理解ももらえたはず。

結局、否決された理由は変化を嫌う意向もあったのだろう。そして、議員特権が失われる議員からのロビー活動もあったのだろう。

橋下氏が府知事を辞任し、市長に就任する離れ業を成し遂げても、住民に否決されたのではどうしようもない。
橋下氏が政界を引退したのち、跡を継いだ松井市長によってふたたび都構想は住民投票にかけられた。が、その際も否決された。
ようやく手続き上議題に上がった都構想も、廃案にいたってしまった。

実は、本書が発売されたのは二〇一二年である。つまり第一回の住民投票よりも約三年前。つまり、本書は二度の都構想の否決については触れていない。

結局、住民サービスの低下以外にも、統合によるコスト増や統合効果が薄いなどの反対意見を克服できなかったということか。
そして、すでに今の発展した社会の中にあって、巨大な変化を伴う大阪都構想はやぶれる宿命だったのかもしれない。

だが、もし大阪都構想がだめならば、より大きな単位の統合が必要な道州制はもっと難しいはずだ。

本書をもとに、再度挑戦する志を持った方が表れてもよいと思う。
期待したい。

2020/12/1-2020/12/6


今飲むべき最高のクラフトビール100


本書の編者であり、山仲間、飲み仲間である小宮さんから本書を献本いただいた。

今、クラフトビールが盛り上がっている。
マイクロブルワリーが続々と生まれ、世界中で多種多様なビールが世の飲兵衛を迷わせている。

この盛り上がりは本当に嬉しい。
一度はブームが去って寒々しい状態だった地ビールの状況を知っているだけに。

かつて、地ビールが初めて解禁された時期、私はまだ20代前半で自由を謳歌する身だった。そのため、あちこちに出かけてはクラフトビールを飲んでいた。
私が上京して忙しくなったのと期を同じくして地ビールのブームは去り、いくつものお店が閉店した。

それがどうだろう。今のクラフトビールの盛り上がりは。かつての地ビールブームのそれを凌駕している。それどころか、ビールの種類は百花斉放。ブルワリーも各地に開店し、外観も内装も工夫が凝らされている。その地域の風土や産物に合わせて。
クラフトビールはすっかり世の中に根付いたように思う。
一過性の盛り上がりに終わっていないことが本当に嬉しい。

今のクラフトビールが盛り上がり始めた頃、私は高校時代からの親友とJR難波近くで催されていたクラフトビールフェスに行き、そこで彼からIPAのおいしさを教わった。IPAのおいしさに衝撃を受けたその日こそ、私がクラフトビールを本当に好きになった日だといえる。
単なる酒飲みとしてだけでなく、ビールの味や文化も含めて愛好するようになり、各地の旅行での楽しみにビール・ツーリズムが加わったのもそのころからだったように思う。

とはいえ、クラフトビールの盛り上がりはまだまだこれからだ。その証しに、コンビニに行っても必ずクラフトビールが買えるわけではない。コンビニのビールの品ぞろえは大手四社の製品が棚のほとんどを占めている。
もちろん、お店によってはクラフトビールが売られている。が、その銘柄はクラフトビール界である程度の知名度を手にしたものだけだ。

世の中には美味しいビールが皆さんに飲まれる時を待っているにもかかわらず、それらをみなさんが知る機会はそう多くない。

そのためには、全国のあちこちで作られているクラフトビールに触れる機会が必要だ。
私が訪れたようなフェスタの形で行われているビール祭りはその良い機会だろう。

そういうフェスを訪れるとさまざまなビールに出会える。そして飲み比べられる。
新型コロナウイルスは四年近く、私たちからそうした機会を奪った。
だが、そういうフェスに訪れなくても、ビールの奥深さを知る手段は用意されている。
例えば、本書のようなガイド本だ。

本書を手にほんの少しの想像を働かせれば、家にいながらにしてビールの多彩な世界に触れられる。
興味を持てば、そのビールをネット通販で取り寄せることさえできる。
旅をせず、諸国で醸されたビールが飲める。今はそういううれしい時代になっている。

本書は、クラフトビール界隈の話題をかっさらった新進気鋭のブルワリーや、クラフトビールの雄とも言うべきブルワリーも取り上げられている。読んでいるだけで楽しくなることは間違いない。

本書のクラフトビールの説明は、写真付きだ。かつ、味の説明やブルワリーの説明も載っている。一銘柄あたり、約三百文字。
簡潔にして必要な内容が押さえられている。

それだけではなく、受賞歴や、アルコール度数、原材料や製造地、製造者の情報も載っている。

しようと思えば、もう少し詳細に説明も書けるだろう。製法のこだわりも載せられるだろう。
だが、本書はそれをしない。

なぜなら本書はハンディで持ち歩けるガイド本だからだ。
本書を片手に旅先でブルワリーをふらりと訪れる。出張するビジネスマンや旅人にとっては、くだくだしい説明はかえってかさばってしまう。本書は手軽に持っていけることを優先し、簡潔な説明にとどめている。

今、サケ・ツーリズムやアルコール・ツーリズムが盛んだ。私も20代頃から蒸留社巡りを楽しみ、ブルワリーも各地の名店を巡ってきた。

地酒や地ウイスキーのように、クラフトビールはその地を訪れる旅人を引きつける。地域おこしの主役のコンテンツになりうる。
実際、私は蒸留所だけが目当ての旅をしたことが何度もある。
私がレアな存在なのではない。同じようにお酒を目的とした旅を楽しむ人は多いはずだ。

なんと言っても、今は多様性の時代なのだから。

ツーリストにとって、ハンディサイズで持ちやすい本書のようなガイドは、ビールが好きな旅人やビジネスマンの助けになると思う。

もちろん、ネットにも似たようなガイドサイトはあるだろう。
だが、残念ながら銘柄単位ではなかったり、場所別や会社別、ブルワリー別になっていなかったり、使い勝手はまちまちだ。

その点、本書は編集方針が明確であり、地域別や会社別ではない。
淡色・中濃色エール
IPA
濃色エール
小麦エール
ラガー
フルーツ、スパイスなど
の六つのカテゴリーに分けてくれていて、好みに応じて好きな銘柄に思いをはせることが可能なのだ。

本書は他にもコラムやクラフトビールの歴史にも触れている。また、全国のビールイベントの紹介も。
その中には私が友人にIPAを教えてもらった大阪のCraft Beer Liveも。

また本書を携えて各地を巡りたいものだ。

2020/12/1-2020/12/1


森の宿


著者のエッセイは初めて読む。

著者が海軍出身だったことはよく知られている。それもあって、海軍を題材にした作品が多いのは当然だ。
私も著者の作品は海軍を題材としたものが多いという印象を持っている。
山本五十六、米内光政、井上成美の三人をとり上げた伝記はつとに有名だ。
私はその三冊のそれぞれを複数回は読みなおしている。

そうした読書歴からか、私の持つ著者に対する印象は海軍で鍛え上げられた硬派な作家としての印象があった。
それだけに、ユーモアにあふれた本書の内容には思わず顔がほころんだ。

本書は、タイトルからもうかがえるように旅のエッセイの趣が強い。著者による旅先の珍道中が描かれている。
旅が好きな向きには、特に乗り物が好きな方にとって、本書の内容は興味深いはずだ。実際に旅がしたくなることは間違いない。
旅立ちのきっかけになるかもしれない。本書はその点からもお勧めできる。

もともと、著者は幼少期から乗り物が好きだったそうだ。
本書にも船、飛行機、鉄道、蒸気機関車など多種多様な乗り物が登場する。
蒸気機関車を運転する経験を楽しげに描いているかと思えば、飛行機についての随想も記している。
さらに船旅のゆったりとした時間軸がもたらす効果も。

著者の本来の姿とは、謹厳な作家ではないのかもしれず、むしろ、本書に書かれたような姿こそが著者の本当の姿なのだろう。文士としてのしかめ面ではなく。
今風でいえばオタクとしての気風を持っていたのが著者。それを好奇心の赴くままに楽しみ、文章にきちんと表す。
本書によって私の著者に対する親近感は増した。

本書に書かれたような旅が自在にできるから文士はうらやましい。もちろん、創作の際、産みの苦しみに呻吟することはさしおいても。
旅を中心とした題材。乗り物を愛する思いが文章に収まり切れず、硬質な文体であってもユーモアが感じられるのが本書だ。
その絶妙なバランスがとても面白い。

本書の読みどころは旅人としての視線に限らない。随所に登場する文士としてのすごみにも注目してもらいたいと思う。
例えば斎藤茂吉の短歌をすらすらとそらんずる下り。漢詩を鑑賞し、その中に漂う旅情をすくい上げ、旅人としての共感に言及する下り。

そうした素養はいったいどこで培ったのか。そうした読者の疑問にも著者は本書の中で答えてくれる。
著者が海軍を退役後に志賀直哉に弟子入りしたこと。志賀直哉の最後の門人として活躍したこと。
著者の略歴の中で、いつしか文士としての素養が開花したのだろう。

著者の経験や略歴から立ち昇る文士のすごみのようなもの。
そのすごみは、私のつたない文章では伝わらない。そもそもそういうすごみとはなんだろうか。私が訳知り顔で語ってみたところで怪しいだけだ。
今の世の中で文士のすごみなど語ってみても、本当にあったのだろうかとすら思ってしまう。いわば死語のようなものとして。

今の世の中に作家は多い。が、文士と呼べる方はどれだけいるのだろうか。
もちろん、現代の作家と文士の違いを定義することは困難だ。が、それを承知で無理やり定義してみたらどうなるのだろう。

私はその違いをリアルな実感の有無ではないかと考える。つまりはデジタルを知っているかどうか。

本書にとり上げられる旅は、平成に入ってからのものも多い。インターネットが世に広まった後だ。
本書からは著者がことさらにデジタルを避けていたような印象は受けない。
それにもかかわらず、本書からはデジタルの匂いが感じられない。
とらえどころのないデジタルの怪しさといえばよいか。

それも無理はない。年齢を考えると著者がインターネットに触れることはそれほどなかったはずだから。
ネット時代の到来を知る前に老齢になった。デジタルとは無縁。物の手触りしか知らない。それが本書に文士の香りを漂わせている。
そして、その香りの有無こそが、文士と現代の作家の間にある違いではないだろうか。そう思えてならない。

本書に登場するのは動く機械だ。機械とは目に見え、手で扱える。海軍に属していた著者の経験。乗り物が好きな最後の文士としての無邪気な体験。それらはリアルな機械を相手にしたときに発揮される。
もちろん本書に登場する乗り物とて、デジタルと無縁ではない。
昭和の後半からすでに精巧なCPUを内部に備えていたはずだから。

だが、著者のエッセイからは技術的なエンジニアの香りは漂ってくるものの、デジタルがはらむとらえどころのなさは感じない。デジタルとは、言うなれば仮構の存在だ。
データは現実を動かす。が、データそれ自体は人の五感は及ばぬ場所にある。

著者のエッセイからは、データが世の中を動かす虚しさではなく、実感のあるモノを扱う無垢で幸せな時代の名残が濃厚に感じられる。

デジタルの世界に慣れてしまった現代の作家と、リアルしか知らない作家。それが文士と文士以外を分ける違いではないだろうか。

デジタルに記憶を委ねる人生。デジタルに投影された芸術。そうではなく、五感で受け止められる現実。
それしか知らぬ本書のエッセイが、技術的なことをとり上げながらも、文士のすごみを備えていることが、本書にある種の品格を与えている。

言うまでもなく、デジタルを知っているかどうかで、文士と作家の優劣が決まるわけではない。
そもそも時代の違いを無視して比較すること自体が不公平だ。それを作家と文士の優劣の基準にすることは文士や作家に失礼だ。

私たちにできるのは、時代によって作家の語る断面の違いを味わうこと。その味わいこそが、書そのものの価値を決める。
さしずめ本書から味わえるのはデジタルが世を席巻する最後の証しだろう。

私たちの世の中は、これからも一層デジタルによって変化していくことだろう。
その時、乗り物という題材から、デジタルが世を席巻する最後の時代を切り取った本書の価値は見直されてもよいはずだ。
もっと本書が世の中に知れ渡ってほしいと思う。

2020/11/26-2020/11/27


軍神広瀬武夫の生涯


本書が取り上げている広瀬武夫。
実はつい最近までの私が持つ広瀬武夫への知識は、ごくわずかでしかなかった。
せいぜい、日露戦争において活躍した軍人として。

特に、旅順港を巡る戦いでどのような役割を果たしたのか。その人となりは。なぜ軍神と奉られたのか。東郷平八郎や乃木希典のような元帥格でもない中佐が軍神として、広瀬武夫命として祭神として祀られるようになったのか。
そうした広瀬武夫についての詳しい知識は私にはなかった。

2020年夏に仕事で大分に出張した際、前日に原尻の滝や岡城跡や竹田の街並みを訪れた。
竹田の街に足を踏み入れるとすぐに出会ったのが廣瀬神社。立派なたたずまいの鳥居を見かけ、つい立ち寄ってみた。
そして、廣瀬神社の祭神ってあの広瀬中佐?という驚きを得た。

広瀬中佐についてつたない知識しか持っていなかった私は、なぜ豊後竹田に廣瀬神社があるのかも知らずにいた。

竹田は広瀬中佐の出身地である。日露戦争の当時、軍神として奉られるほどの活躍が報じられ、各地に広瀬中佐の銅像が建てられた。
出身地の竹田には神社が建立された。それがこの廣瀬神社だ。

境内には広瀬中佐に関する資料館も建てられていた。廣瀬武夫記念館だ。私はもちろん、中をじっくりと見学した。

軍人として旅順港封鎖作戦において前線の陣頭に立って指揮をとり、自らが沈没させた船に取り残された部下を助けるため、三回も船の中を探し回り、ついに捜索を断念して本船に戻ろうとした刹那、砲弾で命を散らせたその最期。

私が廣瀬武夫記念館で知った広瀬中佐の実像とは、軍神としての姿だけではない。
漢詩を良く詠み、柔道家であると同時に謹厳で実直な人物。それでいて、ロシアに留学していた際は、ロシアの武官令嬢と恋に落ちるなどの話もあった偉丈夫。

廣瀬武夫記念館には、ロシアで広瀬中佐に熱い思いを寄せた二人の女性のうち一人からの手紙も展示してあった。
また、広瀬中佐はロシアから育ての母である祖母に向けて絵葉書を何度も送ったそうだ。その手紙の実物が廣瀬武夫記念館には数多く展示されていた。その孝行心にも印象を受けた。
武の人としてだけではなく、文の人としても才能を持っていた広瀬中佐。明治の時代が生み出した偉人であり、私にとって目指すべき人として映った。

本書は、廣瀬神社と廣瀬武夫記念館を訪れた私が、より深く広瀬中佐の人となりを知りたいと思って読んだ一冊だ。
本書はいわゆる伝記にあたる。
竹田の広瀬記念館の展示も時系列でその生涯を追い、人となりを教えてくれた。が、展示物だけでは理解がおぼつかない。
本書はそれを文章の形で補完してくれる。

広瀬中佐の生涯が教えてくれること。それは、明治という時代のある一面に過ぎない。
だが、明治時代がわが国のピークの一つであったことに異を唱える人は少ないはずだ。
毀誉褒貶はあるかもしれないが、明治とはわが国の歴史でも特筆すべき時代であった。
富国強兵の名の下に教育が整備され、国が強力なリーダーシップを発揮した。

もちろん、わが国の歴史を見渡せば、広瀬中佐に匹敵するような方はいつの世にもいたことだろう。
だが、広瀬中佐には残された肖像画や遺品が多い。後世の私たちがその面影をしのぶことができる手がかりに富んでいる。
さらに、戦争放棄をうたった現代の私たちは、軍人という存在を身近に感じることが少ない。
直近の軍人といえば、日本が大敗を喫した第二次大戦の軍人の肖像が真っ先に浮かんでしまう。

日本が勝った戦で、その活躍を容易にしのぶことが出来る直近の人物こそが広瀬中佐だ。
しかも広瀬中佐は私たちにとっての雲上人である元帥ではなく佐官である。それもあって私たちにとって手の届く位置にいる。

広瀬中佐は、わが国が世界を驚かせた日露戦争の勝利に多大な貢献を果たした。
わが国は明治維新から短期間で成長を遂げ、日露戦争に勝利するまでに至った。それは世界史上における奇跡の一つであり、広瀬中佐の生涯は、その軌跡の一つの好例でもある。
寺子屋の教育から数十年。広瀬中佐のような国際派の軍官を生む明治へ。明治は、国の整備と成長が成果となって国民に還元され続けた幸せな時代だ。

言うまでもなく、今のわが国の状態は明治期の高揚からは程遠い。
いくつでもその理由は挙げられるだろう。
その一方で、今の時代があらゆる面で明治時代に劣っていたかというと、そうも言い難い。

組織や国が優先される社会は息苦しい。
さしずめ、国に殉じた広瀬中佐の最期などは、息苦しい明治の空気に押し殺されたと言えるのかもしれない。
だが、広瀬中佐はそうした世の中であっても、個の力を鍛え上げることで生き抜いた。

広瀬中佐をつき動かした力とは何なのだろう。それが本書には記されている。
勤王主義。
広瀬家がどのような家だったのか。広瀬中佐がどのような思想の影響を受けて育ったのか。本書の前半で語られるのはそうした背景だ。

かつて天皇家が南北に分かれて戦った南北朝時代。後醍醐天皇を戴き、南朝方について足利家に抗した武将たちがいた。南朝に殉じ、戦地に倒れたそれらの武将たちは、後世、尊王家から大いなる尊敬が払われた。楠木正成や新田義貞、北畠顕家などのそうそうたる武将に並んで称されるのが菊池武光だ。

菊池武光に代表される菊池一族の影響は竹田にも及んでいた。広瀬家にも代々、その遺徳が伝わっていた。
「いいか、わが家の祖先は、勤王を旗印に起ち上がり、最後まで勤王に殉じた。したがって、われわれ子孫もまた勤王に終始しなければならぬのじゃ」(10ページ)
といったのは広瀬中佐の父、重武。幕末には志士として活動した父の言葉はすなわち祖母の智満子の言葉でもある。
上にも書いたように広瀬中佐がロシアから何度も絵葉書を送った相手こそが祖母の智満子。育ての母である祖母の影響は大きい。そうした環境で育った広瀬中佐の生涯が勤王主義に終始したことは当然だ。

広瀬中佐の幼き頃から、こう教え込まれていたはずだ。
国のために役立つ人間になる。天皇や国に殉じるため、個の能力を極限まで高める。培ったその能力は天皇家を頂点とした国のために使う。

明治とは、今の私たちから見ると窮屈で息苦しい時代だ。
だが、勤王主義に生きる人々にとっては逆だったのはないだろうか。
長きにわたった武家政権からようやく天皇を頂点とした政権に移り、わが世の春と水を得た魚のように感じていたのではないか。

今の世の全てが悪いとは決して言えない。
が、天皇家を戴いた明治はGHQによって否定された。そのかわり、経済大国として生きる道を見いだしたはずが、バブル後の失われた数十年によって自信を失った。今や技術立国としての誇りすら地に堕ちた。
結果、国としてのよりどころを失ったのが今のわが国の姿だと思う。

広瀬中佐の生き方を追ってみると、国としての何かの柱が必要と思えてならない。
それが皇国主義である必要も拝金主義である必要もない。だが、違う何かが必要だ。
多様性国家を打ち立ててもよい。サブカル立国としての未来に賭けてもよい。

あるいは、観光立国として生きるのもよいかもしれない。私が竹田の街並みを愛でたように。

また竹田には訪れたいと思う。廣瀬神社にも。

2020/11/21-2020/11/26


故郷七十年


数年前に著者の故郷である福崎を訪れたことがある。

その訪問の記録はこちらのブログにまとめた。
福崎の町に日本民俗学の礎を求めて

訪問する前の秋には、神奈川県立近代文学館で催された「柳田國男展」を見た。展示を見た感想はこちらのブログにまとめている。
生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよを観て

著者の偉大なる実績と生涯はその二つの経験で十分に学んでいたつもりだ。著者だけでなく、著者の生家である松岡家がとても偉大であったことも含めて。というのも、著者を含めて成長した松岡家の四兄弟の皆が世に出て名を残したのだから。
民俗学という研究分野が、私にとっての関心でもある。どうすればあれだけの成果をあげられたのだろうか。
著者が私に感銘を与えたことは他にもある。著者が博覧強記を誇る民俗学の巨人として実績を積み上げながら、実はキャリアのほとんどを官僚として勤め上げたことだ。

私は展示会において、著者がどのようにして日々の勤めと自らの興味を両立したのかについて強い興味を持った。
そこで展示会を訪れた後、福崎の街を訪れた。
著者が少年時代を過ごした場所を見てみたいと思ったためだ。

私が訪れた福崎の街。今もなお中国自動車道が街を横断し、JR播但線が南北を貫く交通の要衝だ。だが、今の福崎の状況からかつての街道の栄華を想像することは難しい。東西の動脈を擁するとはいえ、かつての往来のあり方とは違ってしまっている。かつての繁栄のよすがを今の福崎から想像することは難しい。
訪れた著者の生家の近くは拓けている。農村風景の余韻もの残っている。が、著者が幼い頃は旅人が頻繁に往来し、家の存在感はさらに顕著だったはずだ。
生家は明治・大正の様子をかろうじて想像させる。そのたたずまいは、著者が小さい家だったと本書でも述べている通りの質素な印象を私に与えた。生家の裏山から受ける印象はからりとして明朗。民俗という言葉からうける暗さやしがらみを感じなかった。

著者は、どういうところから民俗学の関心を得たのだろうか。

まず一つは、本書にも書かれている通りだ。生家近くの三木家の書物から受けた恩恵は大きい。三木家へ預けられている間に、著者は三木家にあった何百、何千冊の書物をあまねく読み込んだようだ。それはは著者の世その冊数は何千冊もあったことだろう。書物の世界をきっかけに、人間の住むこの世界への想像をたくましくしたことは想像がつく。さらに、これも本書に書かれているが、街道に面した著者の家の近くにはありとあらゆる旅の人が行き交い、幼き著者はそうした人々から興味深い地方のよもやま話を聞かされたのだろう。

あともう一つだけ考えられるのは著者が場所による文化の違いを若い頃から知ったことだ。著者は、福崎で生まれ育った。が、長じてのちに茨城の布佐で医師となって診療所を開いた長兄を頼り、茨城へ住み家を移した。つまり著者は幼い頃に兵庫の福崎と茨城の布佐の二カ所で育った。文化が全く違う東西の二カ所で暮らした経験は、地域ごとの風習や民俗の違いとして著者の心に深く刻まれただろう。

私が訪れたのは福崎だけだ。布佐にはまだ訪れたことがない。
もっとも、私が訪れたところで福崎と布佐の違いをつぶさに観察できると思えない。ただ、当時は今よりも訛りや習わしやしきたりの違いも大きく、若き日の著者に大きな影響を与えた事を想像するしかない。

本書で著者は福崎で過ごした日々と、布佐で受けた日々の印象を事細かに書いている。

本書はインタビューを聞き書きし、再構成したものだという。著者はおそらく椅子に座りながら昔を語ったのだろう。昔を記憶だけですらすらと語れること著者の記憶力は驚くべきことだ。
著者の博覧強記の源が、老年になっても幼い頃のことを忘れないその記憶力にあったことは間違いない。
私は本書から、著者のすごさが記憶力にあることを再確認した。

民俗学とは、文献と実地を見聞し、比較する学問である。インターネットのない著者の時代は、文献と文献をつなげる作業はすべて記憶力に頼っていたはずだ。たとえ手帳に書きつけていたとしても、そのつながりを即座に思い出すには記憶の力を借りる必要があった。
各地の伝承や伝説をつなぎ合わせ、人々の営みを一つの物語として再構成する。
誰も手をつけていなかったこの学問の奥深さに気づいた時、著者の目の前には可能性だけがあったことだろう。
ましてや、著者が民俗学を志した頃は江戸時代の風習がようやく文明開化の波に洗われつつあった。まだまだ地域ごとの違いも大きく、その違いは今よりもいっそう興味をそそられるものだったはずだ。
そう考えると今のインターネットや交通が発達した現代において、民俗学の存在意義とはなんだろうか。

私が考えるに、文明が地域ごとの違いを埋めてしまいつつある今だからこそ、その違いを探求する事は意義があるはず。
本書を読み、民俗学に人生をかけようと思った著者の動機と熱意の源を理解したように思う。

最後に本書から感銘を受けたことを記しておきたい。
このこともすでに展示会を訪れて感じ、本稿でも述べた。それは、著者の民俗学の探究が中年に差し掛かって以降に活発になった事だ。

私たちは人生をどう生きれば良いか。
著者のように官吏として勤務につきながら、自分の興味に打ち込むために何をすれば良いか。

本書を読む限りでは、それは幼い頃からの経験や環境にあることを認めるしかない。
幼い頃の環境や経験に加え、天賦の才能が合わさり、著者のような個人が生まれるのだろう。

では、私たちは著者のような才能や実績を前に何をすれば良いのだろうか。
それはもちろん、時代を担う子供たちへ何をすればよいのか、についての答えだ。
子供たちに何をしてあげられるのか。経験・環境・変化・交流。

私たちが著者のようになることは難しいが、子供たちにはそのような環境を与えることはできる。
著者の人生を概観する本書は、著者の残した実績の重さとともに、人が次の世代に何ができるかを教えてくれる。

2020/11/11-2020/11/21


逸翁自叙伝 阪急創業者・小林一三の回想


本書こそまさに自伝と呼ぶべき一冊。本当の自伝を読みたいと願う読書人に薦められる一冊であると思う。

阪急電鉄を大手私鉄の雄に育て上げただけではなく、宝塚歌劇団や東宝グルーブ、阪急ブレーブスの創設など興業の世界でも日本で有数の企業を育て上げた立志伝中の人。
線と点からなる鉄道を面の事業として発展させ、鉄道を軸にした都市開発や地域開発に先鞭をつけたアイデアマン。
独創的な着眼点でわが国の近代企業史に燦然と輝く経済人。
小林一三。ロマンチストであり続けながら経営の世界でも実績と伝説を残した希有の人物である。

明治以降、わが国の財界は多くの人物を輩出してきた。それら錚々たる人物列伝の筆頭に挙げられる人物こそ、小林一三ではあるまいか。
本書はその小林一三が自らしたためた自伝だ。しかも財界人が自らを思い返したただの随想ではない。かつて作家を目指し、新聞に連載小説を受け持っていた人物が書く自伝である。それが本書を興味深い一冊にしている。

小林一三が残した遺産の多くは、幼い頃の私にとっておなじみのものだった。阪急電車。西宮スタジアム。西宮球技場。宝塚ファミリーランド。宝塚大温泉。
私の人間形成において、おそらく小林一三が残した影響はいまだに残っているに違いない。
だが、このブログでも何度も書いたとおり、私は今の宝塚歌劇団の経営姿勢に良い印象を持っていない。

その一方で、小林一三が宝塚少女歌劇団を創設したときの純粋な志まで否定するつもりはない。少女歌劇を立ち上げるにあたっての試行錯誤は、小林一三が作家として挫折した思いを考えると尊い。
不評で廃業したプールの上に蓋をした「ドンブラコ」から始まったタカラヅカは、いくつもの試練を乗り越え、100年続く劇団に育った。その功績は小林一三のものだ。
自ら戯曲を書き、作詞まで手がけた異彩の人を抜きにしてタカラヅカは語れない。

小林一三は「私が死んでもタカラヅカとブレーブスは売るな」と言い残したと伝えられている。が、今の阪急グループを見て小林一三は何を思うだろうか。ロマンチストのアイデアがふんだんに盛り込まれたはずの事業は、企業を存続させるための論理の前にはかなくついえた。しかも阪急自身の手によって。
阪急ブレーブスはとうの昔に身売りされた。タカラヅカも少しずつ公演の重心を有楽町に移しつつある。宝塚ファミリーランドはなくなり、跡地にはどこにでもある商業施設がのさばっている。
本稿をアップする三週間ほど前、宝塚ファミリーランド跡地の横を車で走り抜けた。が、何の感興も湧かなかった。無惨と言うしかない。

今の阪急グループは大企業となった。つまり、株主や投資家の期待に応え、従業員を養わねばならない。それはわかる。だが、今の阪急グループにワクワクする感じを期待する事は出来ない。
経営が現実の中に縛られてしまっているのだ。経営が現実の中に逃げ込むほど、ロマンチストの思いを経営に色濃く反映させた小林一三の凄さは際立つ。
私は小林一三には尊敬の念しかない。
文学で身を立てようとして挫折し、実業界で才能を発揮した転身の妙。それも私には強烈な魅力として映る。
同じ経営者として、小林一三のユニークな経歴から学ぶべきことは多い。憧れと言ってもよい。

その型破りな発想の秘訣はなんだろうか。その発想の源泉はどこにあるのか。
その答えは、著者が自分を語る本書に載っているはずだ。小林一三が若き日の無軌道な振る舞いの中に。

著者は自分の幼いころからの日々を振り返り、その中で犯した過ちも包み隠さず書いている。

大学を十二月に卒業し、三井銀行に就職が決まった後も、入社式や卒業式もほったらかしで熱海に逗留しつづけ、そこで知り合った女性のことが忘れられず、ズルズルと出社を延ばして、結局三カ月も出社しなかったという。今の世では絶対に許されない行いだろう。
考えてみればのどかな時代ではある。現代の方が物質的にも技術的にもきらびやかで洗練されている。技術も進歩し生活も豊かである。が、実は日本人の精神力は半比例するように硬く貧しくなり、衰えているのではなかろうか。小林一三の破天荒な青年時代はそんなことさえ思わせる。

本書で語られる前半生の著者を見ていると、自分の核がない代わりに、降ってくる話を拒まない。自らの天分と天職に巡り合うまで、自らの境遇を定めずにいる。まず飛び込んでから身の振り方を考えている。
その姿勢こそが著者の大器を晩成させたのだろう。
その姿勢は、上にも書いた通り、本気で作家を目指していた著者の資質から導かれたものだろう。

慶応大に在学中の著者が山梨日日新聞に連載していた小説「練絲痕」も本書には収められている。
いくら当時の文壇が発展途上だからといって、新聞に連載を持ったことは大したことだ。著者は半ば職業作家だった。そして、そのような経歴の持ち主で、かつ著者ほどの実績を打ち立てた経営者を私は知らない。
著者の前半生は、謹厳な経営者とは真逆だ。無頼派と呼ぶにふさわしい乱脈なその姿は、作家が文士と呼ばれた頃のそれを思わせる。

著書がすごいのは、そこから生まれ変わったかのように経営に目覚めたこと。そして、経営にしっかりと若き日の自由な発想を活かしたことにある。
それでいながら、鉄道の開通にあたって資金繰りの厳しい時に見せた辛抱強さなど、それまでの著者とは打って変わった人間性を見せた事も著者の人生を決定づけたはずだ。

こうした著者の動きを念頭におき、仮に著者が同じ人格を持っていたとしよう。ここでもし著者が世間に合わせて勤め人であろうとし、冒険を控えていたらどうだっただろう。あくまでも仮定でしかないが、阪急で成し遂げたような多角化の発想は生まれなかったのではないだろうか。
自由な発想の持ち主が心の赴くまま、自由な振る舞いにおぼれ、存分に自らの心魂を理解したからこそ、経営者になった著者の脳内には発想の豊かな泉が涸れずに残ったのではないかと思う。

今のわが国の停滞が叫ばれて久しい。
その理由を画一的な学校教育に求める人も多い。
だが、同じくらい企業文化の中にも画一化の罠が潜んでいるように思う。

本書を読み、経営者としての目標の一つに著者を設定した。

2020/11/7-2020/11/10


本格小説 下


上巻からの続きで、下巻は本編から始まる。長い長い前書きではない。

冨美子からハイ・ティーに誘われた祐介は今にも崩れそうな古い別荘に招かれる。重光と三枝、宇多川という表札のかかった古びた洋館。かつて軽井沢が別荘地として旧家を集めていた時期の名残だ。
その洋館で祐介は、冨美子からタローにまつわる長い話を聞かされる。

冨美子の語りに引き込まれていく祐介。
重光家と三枝家、宇多川家は、小田急の千歳船橋駅付近で戦前から裕福な暮らしを送っていた。成城学園に子女を通わせるなど、優雅な毎日。冨美子もそこに家政婦のような立場で雇われた。

では、タローこと東太郎はどのような立場だったのか。

宇多川家がかつて雇っていた車夫は、敷地の一角に居宅を与えられていた。その車夫から、甥の一家が大陸から引き上げてくるから一緒に住まわせてほしと懇願され、同居する事になったのが東家。

大陸からの引き上げ者の息子として、居候のような立場だった太郎。その経済の差は歴然としており、同じ敷地内でも生活や文化などあらゆる違いがあった。
三枝家の娘として何不自由なく育っていたよう子にとっては家格など関係ない。同じ年頃の友達として、太郎とよう子は一緒に遊ぶようになっていた。

幼い頃より、よう子と遊んで過ごす日々の中で、少しずつ太郎はよう子に思慕を抱くようになる。
だが、東家にとって三枝家ははるか上の家格。周りから見ても、当人たちにとっても不釣り合いなことは明らか。

昭和の高度成長の真っただ中とはいえ、摂津藩の家老だった重光家や大正期に商売で成り上がった三枝家は、まだ古い価値観に引きずられている。
有形無形の壁を前にした太郎はよう子との結婚を諦める。そして、単身アメリカへ飛ぶ。

やがて富を重ね、大金持ちになって日本に戻ってきた太郎。そこにはもはや自分の居場所はない。よう子は重光家の御曹司雅之と結婚し、三枝家と重光家は隣の家同士の関係から、親戚になる。

太郎は日本で過ごすことを諦める。が、つかず離れずこの両家の周辺に姿を見せる。冨美子がさまざまな人生の経験をへてもなお、この両家とつながっているように。

やがて、この両家も時代の荒波をかぶり、その栄華の日々に少しずつ影が生じる。
少しずつ衰退に向かっていく三枝家と重光家の周囲に太郎の気配がちらつく。つかず離れずよう子を見守るかのように。

家の格によって恋を引き離された二人の運命。それが描かれるのが本書だ。日本は経済で成長し、古い価値観は置き去られていく。この両家のように。
わが国の歴史が何度も繰り返してきた盛者必衰のことわり。それに振り回される男女の関係のはかなさ。

上巻ては特異な構成に面食らった読者は、下巻では冨美子の語る本編に引き込まれているはずだ。「嵐が丘」を昭和の日本に置き換えた本書の結末がどうなるかと固唾を飲みながら。

ここまで読むと、本書が著者の創作なのか、それとも序や長い長い前書きで著者が何度も強調するようにほんとうの話なのかはどうでも良くなる。
本書の本編は、祐介が冨美子か聞いた太郎とよう子の物語だ。だが、そこで語られた言葉が全ての一語一句を再現したはずはない。そこかしこに著者の筆は入っている。
だから本当のことをベースにした物語と言う考え方が正しいだろう。

本書の終わりはとても物悲しい。
私が『嵐が丘』を読んだのは20代の前半の頃なので、あまり筋書きも余韻も覚えていない。
が、本書の終わり方はおそらく『嵐が丘』のそれを思わせるものなのだろう。

本書の舞台となる時代は、戦後のわが国だ。
一方の『嵐が丘』は18世紀の終わりから19世紀初頭のイングランドが舞台だ。
その二つの時代と国だけでも大きな隔たりがあるが、戦後日本の移り変わりは、まだ旧家の価値観を留めており、物語としての本書の設定を成り立たせている。

たが今はどうだろう。世の中の動きはグローバルとなり、仕組みもさらに複雑になっている。つまり、本書や『嵐が丘』のテーマとなった価値や信条の大きな断絶が成り立たなくなりつつある。
いや、断絶がなくなったわけではない。むしろ、世の中が複雑になった分、断絶の数は増えているはずだ。
だが、読者の大多数が等しく感じるほどの巨大な断絶はだんだんとなくなっていくように思う。

もちろん、人間と人間の間にある断絶は細かく残り続けるだろう。だが、それを大きなテーマとしてあらゆる読者の心に訴求することにはもはや無理が生じている気がする。
本格小説に限らず、これからの小説に大きなテーマを設定することは難しくなるのではないか。
あるとすれば人間と人間ではなく、人間と別のものではないか。例えば人工知能とか異星人とか。

だが、そのテーマを設定した小説は、SF小説の範疇に含まれてしまう。
人と人の織りなすさまざまなドラマを本格小説と定義するなら、これからの世の中にあって、本格小説とは何を目指すべきなのだろう。

本書のテーマや展開に感銘を受ければ受けるほど、本格小説、ひいては小説の行く末を考えてしまう。

著者の立てたテーマは、本書を飛び越えてこれから人類が直面する課題を教えてくれる。

2020/11/5-2020/11/7


本格小説 上


本書のタイトルは簡潔なようでいて奥が深い。
小説とは何か。そうした定義に思いが至ってしまう。むしろ、何も考えない人はどういう心づもりで本書を読むのかを聞いてみたい位だ。
そんな偉そうなことをいう私も、そのようなことを普段は一切考えないが。

小説だけでも多様なジャンルがある。私小説や、童話、SF小説、ミステリー、純文学。
そのジャンルの垣根を飛び越えた普遍的なものが本格なのだろうか。

それともジャンルに関わらず、プロットや構成こそが本格を名乗るのにふさわしい条件なのだろうか。
または、『戦争と平和』や、『レ・ミゼラブル』のような長い歴史をつづった大河小説こそが本格の名に値するのだろうか。

書き手と読み手の二手にテーマを設定するとさらに解釈は広がる。
「本格」とはその語感から連想される枠の窮屈さではないように思う。むしろ逆だ。受け取り手の解釈によってあらゆる意味を許される。つまり「本格」とは曖昧な言葉ではないだろうか。

読者は本書を手に取る前に、まずタイトルに興味を持つはずだ。
そして、上に書いたような小説とは何か、という疑問をかすかに脳内で浮かべることだろう。それとともに、本書の内容に深い興味を持つはずだ。
いったい、本格小説と自らを名付ける本書はどのような小説なのか。この中にはどのような内容が書かれているのか、と。

本来、小説とは読者にある種の覚悟を求める娯楽なのかもしれない。今のように無数の本が出版され、ありとあらゆる小説がすぐに手に入る現代にあって、その覚悟を求められることがまれであることは事実だが。
時間の流れのまま、好きなだけ視覚と思考に没入できるぜいたくな営み。それが読書だ。読者は時間を費やすだけの見返りを書物に期待し、胸を躍らせながらページをめくる。
例えばエミリー・ブロンテによる『嵐が丘』が世界中の読者の感情をかき乱したように。
本書のタイトルは、そうした名作小説の持つ喜びを読者に期待させる。まさに挑戦的なタイトルだと言えるだろう。

ところが、本書は読者の期待をはぐらかす。
著者による「序」があり、続いて「本格小説の始まる前の長い長い話」が続く。
前者は5ページほど、本書の成り立ちに関わる挿話が描かれている。そして後者は230ページ以上にわたって続く。そこで描かれるのは著者を一人称にした本編のプロローグだ。
読者はこの時点でなに?と思うことだろう。私もそう思った。

本書の主人公は東太郎だ。アメリカに単身で流れ着き、そこから努力によって成り上がった男。

著者は長い長い話の中で東太郎と自らの関係を述べていく。
親の仕事の関係で12歳の頃からアメリカで住む著者。そこにやってきたのがアメリカ人実業家の家に住み込んでお抱え運転手をすることになった東太郎。
そこから著者と東太郎の縁が始まる。
やがてアメリカで成功をつかみ、富を重ねていく東太郎。ところがその成功のさなかに、東太郎はアメリカから忽然とその姿を消してしまう。
成功から一転、その不可解な消え方についてのうわさが著者の耳にも届く。

ところがその後、著者の元に東太郎の消息が伝えられる。
伝えたのは祐介という一読者。東太郎に偶然会った祐介は会話を交わす。そこで祐介は東太郎から著者の名前を聞く。かつてアメリカで知り合いだったことを教わる。
そのご縁を著者に伝えるため、祐介は著者のもとにやってきたのだ。

著者は東太郎とのアメリカでの日々から祐介に出会うまでの一連の流れを「本格小説の始まる前の長い長い話」に記す。
そしてこの長い前書きの最後に、著者が考える「本格小説」とは何かについてを記す。

「「本格小説」といえば何はともあれ作り話を指すものなのに、私の書こうとしている小説は、まさに「ほんとうにあった話」だからである」(228ページ)

「日本語で「私小説」的なものから遠く距たったものを書こうとしていることによって、日本語で「本格小説」を書く困難に直面することになったのであった」(229ページ)

「なぜ、日本語では、そのような意味での「私小説」的なものがより確実に「真実の力」をもちうるのであろうか。逆にいえば、なぜ「私小説」的なものから距だれば距たるほど、小説がもちうる「真実の力」がかくも困難になるのであろうか」(231ページ)

「日本語の小説では、小説家の「私」を賭けた真実はあっても、「書く人間」としての「主体」を賭けた真実があるとはみなされにくかったのではないか。」(232ページ)

続いて始まる本編(235ページから始まる)は、祐介の目線から語られる。
軽井沢で迷ってしまい、道を尋ねた民家。そこで出会ったのがアズマという動物のように精悍な顔をした男。冨美子という老女とともに住むその男のただならぬ様子に興味を持った祐介。
後日、軽井沢の街中で冨美子と出会ったことをきっかけに、祐介は老いた三姉妹に別の別荘に招待される。そこで冨美子や老いた三姉妹と会話するうちに、彼女たちにタローとよばれるアズマの事が徐々に明かされていく。

本編に入ると、ところどころに崩れかけた家や小海線、軽井沢の景色が写真として掲げられる。
それらの写真は、本編が現実にあったことという印象を読者に与え、読者を下巻へといざなう。

2020/11/1-2020/11/5


図解・首都高速の科学


東京に住んで20年以上になる私。
首都高速は、もっぱら休日のレジャーでよく利用している。
また、本書を読んで約一年半後には、次女が都心で一人暮らしを始めた。その送迎でもよく利用している。

首都高速をドライブしていると、複雑なジャンクションや立体交差をよく見かける。それらを通りすぎる度に思う事は、この複雑なフォルムはどのような構造からなっているのか、という驚嘆だ。それらの建造には、どのような段取りが必要なのか。関心は増す一方だ。また、トンネルの工法や渋滞を制御しようとする工夫など、首都高速をめぐるあれこれについて、興味を抱くようになってきた。

本書は、そうした首都高速の運営のさまざまな疑問を解消してもらえるありがたい本だ。

著者は、さまざまな技術の解説本を担当されているそうだ。東北大学の大学院を出た後、化学メーカーに奉職し、その後にライターとして独立した経歴の持ち主らしい。

第1章 首都高速の原点=都心環状線
この章では、実際に運転した視点から見た都心環状線の景色を描写する。描写しながら、随所にある特色を紹介していく。
日本初の高速道路は、首都高速の都心環状線ではない。京橋から新橋までの区間を走るKK線と呼ばれる路線が日本初の高速道路と名付けられた道路だそうだ。数寄屋橋交差点の脇を高架で跨いでいるあれだ。
この道路、私はまだ通った事がないはずだ。本書によると無料だそうだ。無料なのは、GINZA INSが高速の下にあり、そこからのテナント料で維持費を賄えているかららしい。さらに、この道路は首都高速を運営する首都高速道路株式会社とは別組織の会社が運営しているらしい。その名も東京高速道路株式会社。この会社は、戦後のモータリゼーションの波によって道路交通が機能しなくなりつつあることを危惧した当時の財界人によって設立されたそうだ。この辺りの記述は、東京の歴史を語る上でもとても興味深い。

また、当初の都心環状線は江戸城のお堀の上を通した。それによって工期を短縮し、東京オリンピックに間に合わせた。そのような逸話も載っている。
先日、日本橋の上空に架けられた首都高速の高架を撤去することが決まった。この景観をどうするかの問題も語られているのも本章だ。

第2章 首都高速ネットワーク
この章では、高速規格道路の歴史が語られる。
そもそも、日本道路公団と首都高速株式会社がなぜ別の組織に分かれているのか。それについての疑問もこの章で明かされる。また、東名や名神といった道路よりも先に首都高速が作られていった理由なども。
私は、首都高速道路が東京オリンピックのために作られた、という誤解を持っていた。実はそうではないことを本書で教わった。
逼迫する首都圏の道路事情を改善するために、首都高速の建設が急がれたのだという。上のKK線も同じく。

第3章 建設技術の発展=羽田・横羽線と湾岸線
この章では、この二つの路線を実際に運転した視点から描いている。
この二つの路線は私もよく使う。横浜ベイブリッジや大黒パーキングエリアのループ構造、さらに鶴見つばさ橋。そうした建設技術の解説が本章の目玉だ。
また、湾岸線は多摩川の河底をトンネルて通っている。トンネルを作るにあたって採用した工法など、門外漢にもわかりやすく記してくれている。

第4章 交通管制システム
この章では、気になる渋滞のことについて描かれる。
渋滞発生の検知や通知の仕組みは、ドライバーにとって関心が高い。

例えば、首都高速を走っているとよく見かける大きな図で渋滞状況を表した掲示板。これは図形情報板と呼ぶそうだ。どの路線が渋滞を起こしているか、一目で分かるのでありがたい。東名道から首都高速に入ると、大橋ジャンクションの手前に設置されている。また中央道から首都高速に入った時も、西新宿ジャンクションの手前でお世話になっている。
事故情報をキャッチし、車の流れをセンサーで検知し、それを速やかに通知する。そうした管制センターの業務も紹介されている。

第5章 新しい首都高速=中央環状線
中央環状線は、比較的最近に開通した路線だ。
私も大橋ジャンクションから大井ジャンクションまでの区間はたまに利用している。
先にできていた東側は荒川の堤防を利用しており、後にできた西側は山手トンネルで地下を進む。
この路線は、最新の土木技術が惜しみなく使われている。そのため、建築業界の関係者には見どころの多い路線なのだ。

第6章 山手トンネルの技術
前の章でも取り上げられた中央環状線。
この西側、つまり、豊島区あたりから品川区あたりまでは、トンネルが続く。その名前が山手トンネルだ。日本で一番長い道路トンネルだそうだ。シールド工法を駆使して掘り進められたこのトンネルの土木技術の高さを紹介するのが本章だ。

第7章 ジャンクションと立体構造
首都高速に乗っていると、あちこちでダイナミックな立体交差を見かける。
土木技術の素晴らしさをもっともわかりやすく示してくれるのが、こうしたジャンクションだろう。
本章は、そうしたジャンクションの魅力を紹介してくれる。

第8章 首都高速の維持管理と未来
本章は、これからの首都高速道路を示す。
利用者にとってもっとも気になるのは、首都直下型地震が発生した際、首都高速は耐えられるのか、ということだ。

私自身、首都高速にはお世話になっている。応援もしたい。
その一方で、首都高速が必要になり、活躍する状況とは、つまり東京一極集中が改善されていない事でもある。その意味で言うと、私は複雑な気持ちになる。
首都高速の役割とはショーケース。本来はこうした道路が全国各地に均等に整備されていくべきと考えている。まずは地震に耐えぬいてほしい。

2020/10/30-2020/10/31


全一冊 小説 立花宗茂


先日に読んだ『立花三将伝』はとても面白かった。本書はそれに続いて読んだ一冊だ。
『立花三将伝』は、立花家の滅びを描いていた。作中の中でも史実でも、立花家は一度終わった。そして、新たな立花家の当主に就いたのが、戸次道雪とその養子である立花宗茂だ。

立花宗茂といえば関ヶ原の戦いで西軍に属し、一度は領地を没収された。その境遇から旧領に復帰した唯一の大名としてよく知られている。
その起伏に満ちた生涯を描いていているのが本書だ。
著者はさまざまな歴史上の人物を取り上げ、それを小説仕立てにする技術に長けている。
立花宗茂の生涯を小説にし、概観するには適任の方だ。

本書は、関ヶ原の敗戦後から始まる。肥後の加藤家の下で食客として過ごす中、京に出て浪人となる道を選ぶ。殿についていきたいと願う多数の家臣から一九名をくじで選び、故郷を出た一行。京では日々の糧を得るため、虚無僧に身をやつしたり、人足に出かけたりする家臣たち。皆、殿のために役に立てることに喜びを感じ、進んで労役に就く。

その時期の立花宗茂を表すとしてよく取り上げられるのが、以下の挿話だ。
家臣が干飯を作ろうと干していた飯を、雨が降り出して台無しになりつつある中、何もしなかった立花宗茂。
小事にこだわらず、大事にまい進する。将たるものはこうでなければ。小事にこだわらない立花宗茂の姿勢を示し、将の心構えを端的に表す挿話としても分かりやすい。

この挿話は浪人時代、十九人の家臣と京にいた時のものだ。何百、何千、何万の家臣を従えているならまだしも、十九人ならば私の手の届く人数だ。
少ない人数であれば、それぞれがそれぞれのことに手一杯。さらに十九人がそれぞれすべての事を差配しなければならない。だが、そのような中にあって、立花宗茂は小事にこだわらない。
将が悠揚とした姿勢を貫く事は容易ではない。ここで卑屈になってはならない。家臣たちの心を案じて同じ視点を持ち、同じように振る舞ったらそれはもう殿ではない。家臣からの信を失ってしまう。
家臣たちもそんな殿だからこそ仕えがいがあると信じてついて行く。

もちろん立花宗茂は暗愚な武将ではない。干飯が十九人の糧であることも何となく察している。その上でその様な些事にあえて手を付けないことも自分の役割だと分かっている。そして彼は自分を「作為的な道化者」として演じる道を選ぶ。

著者は、このときの立花宗茂の心中をこのように書いている。あえて家臣たちが自分に信じてついてきてくれている。そうである以上、家臣が付いて来てもらえるのにふさわしい将たる姿勢を演じよう、と。それが家臣の安心につながるのであれば良いではないか。将とは、人の上に立つものとは、案外そういうものかもしれない。同じ船に乗っていても友達のようになってはダメなのだ。

私も勤め人から独立し、経営者になってきた。そして今は人を雇用するようになった。その中で、人の上に立つ者としてのあり方は何かを考えてきた。細かいことは気にせず、器を大きく保ち続けなければ、と。
だが、実際のところはまだ私がコーディングをすることが多い。商談も私が表に出る事がほとんどだ。そうした時、小事にこだわらねば事態は進まない。
小事にかかずらう度、私は自分の未熟さを痛感する。まだまだだと。もっと大局から見るようにしなければ、と。

本書は、冒頭の挿話を描いた後、立花宗茂の幼少から語り直していく。大友家中の二大大将として知られる高橋紹運と戸次道雪。高橋家に生まれた宗茂は、やがて戸次道雪の娘誾千代と夫婦になり、戸次家の養子になる。この二大将の下、人としての生き方や筋の通し方を学んでいく。島津家の侵攻に抗して豊臣軍について戦う日々。実父は、岩屋城の戦いとして知られる激烈な戦闘の末に命を落とし、いくさ人としての死にざまを人々に刻み付けた。
やがて、時代は豊臣家から徳川の世に移る。そして関ケ原の戦い前夜へ。その時、立花宗茂は、豊臣家の恩顧を忘れぬため、あえて西軍についた。
そこから京、そして江戸での浪人生活を経て、二代将軍秀忠の御相伴衆として呼ばれる。そこで秀忠の信任を得、陸奥棚倉一万石で大名に復帰する。さらに家康が亡くなってしばらくの後、旧領の柳川への復帰を果たす。

立花宗茂は筋を通したことによって道を開いてきた。それに尽きる。
棚倉をかりそめの地とは考えず、徳川家の恩を返すために必死に励んだ。そのため、骨を埋める覚悟を家臣たちや領民に示し、必死になって内政に取り組んだ。
本書にも書かれている通り、棚倉の地形を故郷の立花山城に似ているとして鼓舞するシーンもそう。私も棚倉には訪れたが、三つのこぶの山を探したものだ。

筋を通すことも私の課題だ。私は同じことをすることが嫌いだ。昨日と今日が違わず、同じであると苦痛を感じる。
私が大名であれば、次々と領地を変えてほしいと願うかもしれない。これではいけない。ついてくる人には筋道を示してやらないと。それも太く伸びる一本の筋を。
もちろん、私も弊社の中でも筋を示そうとはしている。クラウドを担いでシステムを提供する業務を社業に据えると。そのクラウドとはkintoneだ。弊社の業務を情報処理とし、それを一本の太い道として伸ばし、その道にはkintoneと書かれている。
だが、私は決してkintoneだけに限ろうとしない。IoTやメタバースにも手を出す。他のPaaS/SaaSにも関わってゆくし、kintone Caféやワーケーションのイベントにも頻繁に参加する。
もし一本の筋だけを進むことが真理なら、さしずめ私は節操がない代表なのだろう。

本書を読み、そうした経営者としての姿勢についてあらためて考えさせられた。
おそらく私の性分は、同じことを繰り返すことを今後とも嫌い続けるだろう。昨日と同じ明日を断じて避ける事だろう。
だが、それにメンバーを振り回さぬよう、自戒しなければ。

本書は将たるものの示すあり方を私に教えてくれた。

2020/10/29-2020/10/30


選別主義を超えて―「個の時代」への組織革命


本書は、私が人を雇用し、そろそろ組織を構築しなければ、と思い始めた頃に読んだ。

私の社会人のキャリアは、人とは違う道を歩んだように思う。
新卒で就職する事を諦めた私は、フリーター・ニートの道へ。しばらく、アルバイト生活を転々とした後、就職を決意するもののブラック起業に入ってしまい、揚げ句に皆の面前でクビを宣告され。
そこから、いきなり上京した私は派遣社員の道へと。やがて正社員に登用された私は程なくして転職。そこで個人事業主として会社の立ち上げにスカウトされ、さらにそこを抜けた後は個人事業主として、複数の現場を渡り歩くフリーランサーの稼業へと。やがて、個人事業主を法人にし、雇用に踏み切って今に至った。
このテーマでは、以前鎌倉商工会議所で登壇して話したこともある。

私のキャリアは上に書いたとおりだ。そのため、組織の中で組織の論理に苦しめられた経験が少ない。むしろ、苦しめられたらすぐにそこを離れた。そして、組織の論理に縛られるのを嫌って、その度に自分にとって楽であろうと選択を重ねてきたら今に至った。

本書の後半には、組織の中で自営業のように自由に動く働き方や、フリーランスの形を選ぶ働き方が登場する。ところが、私はだいぶ前にフリーランスの生活を選んだ。すでに本書に書かれている内容は自分の人生で実践していた。つまり、私は本書から学ぶところは本来ならばなかった。

だが、ここに来て私は人を雇用し、組織を作る側になった。すると、本書の内容は私にとってちがう意味を帯びてくる。

組織になじめず、組織から遠ざかっていた私が組織を作る。この皮肉な現実について、本書はいろいろな気づきを与えてくれた。
つまり、私が嫌だったと思う事を個人にしないような組織。それを私が作り上げていけばよいのだ。

しかし、どのように自分に合った組織を作ればよいのだろうか。
例えば経営者としての私が人を雇い、評価し、昇進・昇給させる。その時の基準はどこにおけば良いのだろうか。
私が人を昇進させ、昇給させる営み。それはつまり選別することに等しい。
一方、本書のタイトルは「選別主義を超えて」と題されている。選別がそもそも今の世の中にそぐわなくなり、その次を説いている。
と言う事は、私の中でされて嫌だったことをする必要はない。そのかわり、新たな手法を駆使して組織を運営していかなければならない。ここで私の脳内は堂々巡りを始める。

第一章 席巻する選別主義

この章では、今までのように横並びで入社し、終身雇用の名の下に全ての社員を平等に扱う建前から、早めにエリートを選別し、昇給や昇進にもあからさまな差をつけるやり方が広まっている現状を紹介している。

弊社はまだ零細企業だ。メンバーも少ない。一括で何十人も採用できるような規模になるにはまだ早い。そもそも、働けない社員を雇う余裕はない。そのため、弊社は採用面接の段階で選別をしなければ立ち行かなくなる。

また情報技術を旨とする弊社であるため、昔ながらありえたような単純作業のために人を雇うつもりもない。むしろ、そうした作業は全てシステムに任せてしまうだろう。

第二章 選別主義の限界

この章では、そうした選別主義がもたらす組織の限界について触れている。
社員間に不公平感がはびこること。そもそも選別を行うのは人間である以上、完璧な選別などありえないこと。本章はそうした限界が紹介される。
私も今、経営をしながらそれぞれの社員の適性やスキルや進捗を見極めるようにしている。だが、規模がより広がってくると、私一人ですべての社員の評価をすることは不可能だ。そもそも、私も人の子だ。完璧に客観的な評価ができるか正直自信はない。

第三章 「組織の論理」からの脱却を

ここからは、新たな働き方への転換を紹介している。

組織が人を選別することの限界が来ているのなら、一人一人の社員が個々の立場で自立し、組織に頼らない人間として成長する。そうした道が紹介されている。

この章で書かれているのは、私が組織の中にいながら次の道を模索した試行に通ずる。実際、私はそのような選択を自分の人生に施してきた。今の私は弊社のメンバーにも、自立できるような人になってほしいと望んでいる。

もう、組織に頼りっぱなしで生きる生存戦略は、その本人の一生にとって良くない結果をもたらす。

何も言わず、文句も言わず、ロボットのように働いてくれる社員は果たして経営者にとってありがたいのか。おそらく私はそうした社員の明日は厳しいと感じる。

第四章 適用主義の時代へ

この章で紹介するのは、選別主義に代わる新たなパラダイムである適応主義だ。ある一定の年数がたてば昇給していくのではなく、その都度の会社の業績と個人・部署の業績を社会の状況に照らし合わせ、その都度で評価を行う。それが本書のいう適応主義だ。つまり年功序列は関係ない。

まさに今、社会はこのようになりつつある。

著者は、そのような社会になるためには、学校自体も変わらなければならないと言う。つまり従来のように新卒で大量採用し、といった企業側の要請が変わりつつある以上、学校側も変わらなければならな。企業からも任意のタイミングで社員を学校で学ばせることもある。柔軟で流動的な制度とカリキュラムも必要だとする。

私もこの点は同感だ。
今のような複雑な社会において、企業に入った後は勉強せずに過ごせる訳がない。会社に入っても常に勉強しなければ、これからは社会人としては通用しないと思う。
では、人々は何をどのように学べばよいか。それは企業側では教えにくい。だからこそ大学や専門学校は、常に社会人に対して門戸を開いておかなければならない。

第五章 21世紀の組織像
本書が刊行されたのは2003年。すでに21世紀に突入していた中で21世紀の組織像を語っている。
本書が刊行されてから19年がたち、ますます組織のあり方は多様化している。情報技術の進化がそれを可能にした。

本書で、フリーランスなどの新たな働き方が紹介される。それは、会社や組織を一生の働き場として見ず、スキルアップの場として見る考えだ。キャリアの中で組織に属するのは、あくまでも自らをバージョンアップさせるため。

本章で書かれていることは、私から見ると当たり前の事のように思える。たが、まだまだ組織に依存する働き方を選ぶ人が多いのは事実だ。2022の今でも。まだまだこれは改善の余地はある。そして、企業側でも流動的に働き方を前提に業務を組み立てることが求められる。

終章 日本型システムを見つめ直す

この章では、欧米の最新型の経営手法を安易に持ち込み、日本でまねる事の危険性を述べている。

私もまだ、自分なりの経営手法については試行錯誤の段階だ。
結局、私がいくらあがいたところで、組織としてきちんとした運営ができるようになには、規模が大きくなければ意味がない。
弊社の今の規模であれば、まだ私一人で対応できる。だが、やがては人事担当者を設け、本格的に考えていかなくては。
ただ、そうなったら今度は私個人のくびきを離れ、組織が組織としての自前の論理を備えていく。そうなったとき、個の時代を標榜する本書の意図に反した組織になっていかないか。

そうした段階に達したとき、どこまで経営者の、つまり個を重視する私の考えが評価の中に生かされていくのか。
本書を読むと、そうした課題のあれこれが果てしない未来になるように思える。努力するしかない。

2020/10/21-2020/10/28


住友銀行秘史


かつて私は、某大手銀行の本店に勤務していた。全国の行員が使う内部のシステム構築の担当として。
開発センターではなく本店の中での勤務だったので、いわゆるシステム開発の現場とは違った雰囲気の中での仕事だった。朝は早く、帰りも残業ができず、強制的に帰らされることが多かった。他の開発現場に比べて納期に直接追われない現場だったのはありがたかった。受けるストレスといえば、朝夕に都心まで通うラッシュアワーだけだった事を覚えている。

今までの私の社会人経験を振り返ると、カスタマーセンターや中小企業や開発現場が多い。
個人事業主としてエージェントに仲立ちしてもらい、常駐先に通うように初めの現場は某上に挙げた大手銀行とは別の銀行の開発センターであり、かなりストレスを受けた現場だった。
その次に入った本店が開発センターと違い、現場と本店ではこうまで違うのかという経験を積ませてくれた。

この時の本店の個人個人の行員の皆さまは私によくしてくださった。私が離任するとき、行員の皆さんが10名弱集まって私のために慰労の飲み会を開いていただいたことも思い出す。

とはいえ、私は今までのさまざまな経験から組織と言うものをあまり信頼していない。

個人としては人間味が豊かに感じられる方であっても、組織の中では組織の論理に従い、非情な振る舞いに徹する。それが組織の中に生きる現実であることは分かっている。
本書は、そのような組織の中の人の振る舞いを教えてくれる。

かつての銀行勤務経験が私に本書を手に取らせた。そして本書は、それ以上の気付きを私に与えてくれた。

私は本店にいたとは言え、しょせんは外部から来た協力会社の人間に過ぎない。もちろん、内部のグループウエアにアクセスできたので、普通の人が知り得ない情報に触れられた。が、それすらもきちんとリスクマネジメント部署による統制が効いており、私が触れられることができた情報などはほんの一握りだったはずだ。

本書は、当時部長だった著者がイトマン事件に揺れる住友銀行の内情を赤裸々に語っている。文字通りの事件の渦中にありながら、著者は当時のことを克明にメモに取っていたそうだ。本書はそのメモをもとに構成されている。

本書で取り上げられるイトマン事件は、戦後最大の経済事件と呼ばれる。
大阪の中堅商社である伊藤萬の経営が傾いた。住友銀行から送り込まれた河村社長の経営責任が問われる。当時、住友銀行の天皇の異名をとった磯田会長は子飼いの河村氏を伊藤萬に送り込んだ以上、尻ぬぐいのために動かざるを得ない。道理を無理が押し通し、磯田氏の家族を巻き込んだ不透明な金が伊藤萬に投入される。そこにつけこんだ闇のフィクサーとしての異名を持つ許永中氏や伊藤寿永光氏の名前が連日のように報道され、何人もの逮捕者を生み出した。

事件によって、数千億の資金が住友銀行から伊藤萬を通してのみ社会に消えていったとされている。
そうした一連の事件を指して、バブルに踊る当時の日本の虚しさを指摘する事はたやすい。

本書に登場する人物のほとんどは当時の部長以上の役職だ。ほとんどが取締役や副頭取・頭取・会長といった経営陣ばかり。一般の行員は本書にはめったに出てこない。つまりそうした高い地位の人々だけが自らの裁量で金を自由に動かせる。銀行の些末な業務など一般の行員にまかせておけばよい。そのような論理が透けて見える。
さしずめ、本書に登場するような人々から見ると、システムを作るだけの私など一顧だにされなかったはずだ。銀行の内部にいた私も、銀行の抱える闇も深みも何も見ていなかったに違いない。

そんな私が本書から感じたこと。それは、資本家のグループと労働者の価値基準の違いだ。資本家とはつまり、会長や頭取、執行役員などを示している。そして労働者とは部長以下の一般の行員をさしている。

あえて資本家と言う手垢のついた言葉を使ったのは、本書に登場する人物たちの言動が世の価値基準から浮いてしまっているからだ。本書には高位の役職の人しか出てこない。
かろうじて労働者に属する著者が、資本家の毒に染まらずに義憤を感じて内部告発に踏み切った。そういう構図が読み取れる。

本書を読んでいると、取り扱われる額の大きさにも時代を感じる。わが国が空前のバブル景気に湧いていた時代。銀行が、バブル景気の演出者として最も羽振りの良かった時代だ。
少しくらい審査が甘くても乱発される融資。財務や経理データの語る事実よりも人と人のつながりやしがらみが重んじられる取引。それは本書の記述のあちこちに記されている通りだ。
最もリスクに敏感だったとされる当時の住友銀行にしてこの有り様。つまり、ほとんどの銀行が同じような状況だったと理解して差し支えないだろう。
後の世にさんざん批判され、大手銀行を苦しめることになる不良債権の種。それが旺盛に世の中にまかれてゆくいきさつ。それこそが本書だ。
著者のメモも、誰それと会ったとか密談したとかばかり。帳簿とにらめっこして頭を絞る担当者の姿や窓口で預金者と対話するテラーの姿は全く登場しない。それは著者が部長という役職だから当たり前なのかもしれない。

本書は、著者が訴えたいバンカーとしての自らの存在価値を越え、好景気に浮かれた当時の銀行がわが国の失われた30年を作り出したことをはからずも告白している。

私が大学に入学する少し前に弾けたバブル。それは私の人生の漂流に少なからぬ影響を与えた。
幸いにして、私は銀行内に勤務する経験も含めて、さまざまな経験を積んできた。そして、今も経営者の端くれとして活動している。

私が本書から学ぶとすれば、自分が金を操るだけの人間に堕さないようにという戒めだろう。資本家としてただ単に金を操るだけの人間には。
経営者であってもその戒めは常に持ち続けたい。

2020/10/19-2020/10/20


昭和天皇の終戦史


岩波書店は、注意深く覆い隠しているが、どちらかと言えば左寄りの論座を持っている。もちろんそれは悪いことではない。
本書のタイトルから推測するに、昭和天皇の戦争責任についてある程度は言及し、認めているであろうことは予想していた。

昭和天皇が崩御して間もない時期に発見された昭和天皇独白録。敗戦後すぐの時期に内々で語られたというこの独白録が発見された時、新聞で一面に取り上げられたことを私は見た覚えがある。
本書はこの独白録の成立までの過程や、その内容などを取り上げている。著者は、この独白録が「平和のために苦悩する天皇」という先入観につながることを危ぶんでいる。著者は軍国とリベラルの二元で終戦史を捉えることに反対する立場だ。

私は、昭和天皇は一点の過ちも曇りもない、いわゆる聖人君子だとは思っていない。結局、すべての歴史上の人物と同じ、歴史の波に翻弄された方だと思っている。巨大な歴史の渦に抗おうと、懸命に努力し、あわや最後の天皇として名を残すところまで追い詰められた方だと。

判断を誤った局面もあった。逆に日本をそれ以上の破滅から救った英断もあった。
終戦の際、御前会議で聖断を下したことも昭和天皇の本心だったと思う。勝者として進駐してきたGHQのマッカーサー司令官に会った際、私がすべての責任を取るといった言葉も紛れもなく本心からの言葉だったと思う。緒戦の戦果に喜んだのも事実だろうし、開戦が決断される御前会議において明治天皇御製の句を詠んで深い憂慮を示したのも事実だろう。
一人の人間が担うにはあまりにも大きな重荷を背負ったのが昭和天皇。その逆境に耐え、日本の戦後の復興に導いたのも昭和天皇。実に英明な人だったと思う。昭和天皇がこの時、日本の天皇でよかったとすら思っている。

理想主義に燃え、軍国主義に対抗する天皇だったら、軍部の若手将校に退位させられていただろう。悪くすれば幽閉や暗殺さえあったかもしれない。
逆に愚昧な方だったとしたら、聖断もくだせなかっただろうし、GHQの協力も得られぬまま日本は共産主義に赤く染まっていたかもしれない。日本はもっと破滅的な未来を迎えていた可能性だってあった。

賢明でバランスのとれた方であったため、自らの置かれた政治的な立場やよって立つ体制の仕組みや限界もわかっていたはずだ。また、帝王学を学んでいたので、国際関係や地政学もある程度は身につけていたと思う。その上で世論の右傾化や軍の強硬な態度も把握していたことだろう。
その一方、ひと時の衝動で千数百年と続いた王朝を自らの代で終わらせられないとの危機感も強く抱いていたはずだ。

著者が描く昭和天皇のイメージとは以下の文に表される。

「天皇自身は、国家神道的国体観念をふりかざす「精神右翼」や「観念右翼」を一貫して忌避し、そうした勢力の政治的代弁者とみなされていた平沼騏一郎や「皇道派」系の将軍に対しては、終始批判的な姿勢をくずさなかった。
しかしそのことは、天皇が国体至上主義から少しでも自由であったことを意味しない。むしろ天皇は、「皇祖皇宗」に対する強烈な使命感に支えられながら、「国体護持」を至上の課題として一貫して行動した」(219 ページ)

つまり著者は、昭和天皇独白録を奉るつもりもなければ、戦争を主導した戦犯だと昭和天皇を糾弾するつもりもない。その一方で、昭和初期の日本が戦争主導グループとリベラルなグループに分かれ、昭和天皇が終始リベラルな側にいて戦争に反対を唱えていたと言う論調が定着し、それがこの昭和天皇独白録によってさらに助長されるのではないかと言う懸念を表明している。

本書は、独白録の内容や、成立までの過程を丁寧に追っている。
著者のスタンスは上に書いた通り。その上で著者は、本書において宮中派と呼ばれるグループに焦点を当てている。宮中派とはつまり牧野伸顕から木戸幸一に至る天皇の側近グループであり、穏健派とも呼ばれるグループだ。

「この「穏健派」の評価いかんによって、日本の近代史はまったく異なった像をむすぶが、私見によれば、当初、対米英協調路線と政党内閣制を支持していたこのグループは、十五年戦争の経過のなかで次第にそのスタンスを変化させ、軍部の路線との間の距離を縮めていった」(228ページ)

東京裁判において裁判に協力的な姿勢を示し、軍部に戦争責任を押し付ける形で国体の護持、すなわち天皇の戦争責任を免責に持ち込んだ事は、穏健派としては上々の成果だろう。この独白録の作成も対策の一つであることは当然の話だ。むしろ、国難にあたってこうした弁明書がないことの方が不思議に思える。

私は、穏健派と昭和天皇が成し遂げた今の日本の基盤をよしとし、感謝している。
戦前の皇国主義が今も続いていたら私のような自由を尊び、多様性を重んずる人間には生きづらい世の中だったと思うし、日本が悪平等を旨とした共産主義になっていたら、もっと生きづらかったはずだ。
私は昭和天皇には戦争責任はあったと考えている。だが、それは昭和天皇をおとしめることにはならないはずだ。一人の人間として懸命に努力し、知恵を絞り、立場や体制のバランスを考え、いざというときには毅然とした態度で事に当たった昭和天皇に私心はなかったちろう。その苦悩や責任の重さは私には到底想像もつかない。
だが、それでもどうにもならないのが歴史の当事者の宿命だ。

その過程では後世から見れば誤りと判断できる言動もあった。戦局にも一喜一憂した。ときには首相を叱責し、反乱軍に対してつよい口調で意思を示したこともあった。作戦に口を出したこともあった。
それらだけを取り上げれば、昭和天皇の戦争責任は重く、東京裁判ではA級戦犯並みの判決を受けた可能性だってあっただろう。少なくとも退位は避けられなかったはずだ。たが、昭和天皇は退位論にも与せず、あえて困難な道を選び続けた。
国民から畏れ敬われる立場から、親しまれる象徴の立場へ。国内を行幸し、四十数年の間をかけて新たな天皇像と戦後の日本を作り上げた。それは、普通の人にはとうてい成し得ないことだと思う。

聖人君子としての固定のイメージで語ることは、決して昭和天皇も喜ばないと思う。むしろ、バランスのとれた方だからこそ、自分の戦時中の過ちも含めて、バランスを取るために本書を良しとしたはずだ。むしろ喜ばれたのではないだろうか。天皇機関説をその通りだと認めた方だけに。

2020/10/14-2020/10/18


立花三将伝


2020年の夏に福岡へ出張した先のお客様が歴史に深い関心を持ち、立花宗茂を敬愛しておられる方だった。その方のお住まいも立花山城の近くだとか。伺った際に、歴史談義で大いに盛り上がってしまった。
私もせっかくのご縁なので、図書館で見かけた本書を手に取った。また福岡に来ることもあるだろうし。

だが、実は本書には立花宗茂はほぼ出てこない。プロローグとエピローグで立花家の主として間接的に触れられるぐらい。
立花宗茂の父である立花道雪は、本書の後半に重要なキャラクターとして登場する。だが、立花道雪も本書の中では本名である戸次鑑連の名前で描かれる。

立花家と言えば立花道雪と宗茂の親子が有名だ。たが、その二人は実の親子ではない。しかも、二人とも立花家の血筋を引いていない。
立花宗茂の実の親は岩屋城の戦いで知られた高橋紹運。立花道雪に請われて高橋家からの養子として迎えられたのが宗茂。そして、立花道雪のもともとの苗字は戸次。
立花家は、立花宗茂や立花道雪がその名を全国に知らしめる前に筑前で勢力を保っていた。だが、主家である大友家に二度にわたって反旗を翻したことで、結果として廃絶させられている。家名だけ存続させ、主人は戸次鑑連が大友家の命で就いた。立花家の人から見ると乗っ取られたのに等しい。

立花家とはそもそも大友家の家臣として長年奉公してきた。たが、その本拠地は筑前、つまり今の福岡にある。立花家の拠点である立花山城は博多と宗像の中間あたりに位置している。主家である大友家は豊後、つまり大分に本拠を構えており、筑前に盤石の基盤を築いていた訳ではない。
立花山城は、天然の良港である博多を見下ろす要衝にあり、良港を擁するこの辺りは、戦国時代の初期から、立花家、原田家、宗像家、秋月家などで小競り合いが続いていた。
さらにその周囲には龍造寺家や大内家が虎視眈々と狙っており、のちには毛利家や島津家にも狙われる。

立花家が道雪と宗茂によって全国的に名が知られる前の立花家は、不安定な領地を確保する小勢力に過ぎなかった。
そのような脆弱な立花家で奮闘する三人の将の物語。それこそが本書だ。
タイトルにも登場する三将とは、薦野弥十郎こと薦野増時と、米多比三左衛門こと米多比鎮久、そして藤木和泉の三名を指す。私は本書を読むまで、この三将のことは全く知らなかった。三将のうち先に挙げた二人はWikipediaにも項目として設けられている。が、もう一人の藤木和泉はWikipediaでは項目としてすら設けられていない。

Wikipediaで藤木和泉を検索しても、ヒットするのは上のWikipediaに登場する二人の記事のみ。
記事の中では、藤木和泉の名は、薦野増時と米多比鎮久を討伐するため、立花鑑載によって差し向けられた将として言及されている。
しかし、これ以外にあったはずの藤木和泉の事績や生涯の起伏にはWikipediaでは全く触れられていない。

頭ではわかっているつもりでもついつい忘れてしまうこと。それは戦国時代とは、有名な大名や軍師や武将だけの時代ではなかったことだ。庶民には庶民の暮らしがあり、悲喜こもごもの生活を繰り返していた。武将も同じ。巷間に伝えられるエピソードを持つ武将などほんの一部でしかない。ほとんどの武将は伝えるにふさわしいエピソードを持っていても、それが後世に伝わらぬままに戦場で死んでいく。私が知らないあまたの武将たちは、それぞれがそれぞれの縄張りを守るため、必死に戦っていた。彼らの逸話は語り継がれていないだけで、有名な武将たちに遜色のない、むしろそれ以上に勇壮で悲惨な武勇伝や挫折が無数にあったはずだ。

だが、後世の人たちがそれを知る術はない。私たちは藤木和泉が何をした人物かを知らない。ましてや、日々の暮らしでどのような悲しみや喜びを感じ、戦場ではどれほどの苦しみと昂りに炙られていたのかも知らない。

若いころから、米多比三左衛門と薦野弥十郎とともに立花家に忠節を貫いていた藤木和泉。だが、主君が大友家に反旗を翻したことによって家が二つに割れた。それによって固い友情を抱きながらも、三人は敵と味方に分かれ、その結果、生と死も分かれてしまった。米多比三左衛門と薦野弥十郎にとってかけがえのない友であり、名将の資質を存分に発揮していた藤木和泉。たが、若くして亡くなったため、名も残さぬままに戦国の渦の中に消えてしまった。後世の私たちに伝えられることもなく。

ここで登場する立花鑑載が、藤木和泉にとっての宿命だった。立花鑑載は大友家を二度にわたって裏切り、薦野増時と米多比鎮久の二名はその乱の中で親を殺されている。だが、下克上の世にあって藤木和泉は立花鑑載を主君として立てつづけ、忠誠を貫き通した。そして結局は立花家を後世に残すため、従容として死についた。
その覚悟を決めた姿はまさに本作のクライマックスといえる。

本書のプロローグは老年に差し掛かった米多比三左衛門が、関ヶ原の戦いで西軍に身を投じようとする直前にかつての友たちを懐かしむ。また、エピローグも隠居した米多比三左衛門が登場する。
そこに共通するのは時の流れだ。時の流れは斟酌せず、誰の上にも等しく影響を及ぼす。

著者は本書において、歴史に名を残さなかった者に光を当てようとする。歴史に名が残せるかどうかは、本人の能力や運もあるし、周りの協力があってこそだ。その人の実績を悪様に書かれても、本人には修正のしようがない。
それは今の私たちにも通じる。
今の私たちから数百年後の人類に私たちの日々の暮らしや実績を伝えられるだろうか。それはほぼ期待しない方がよい。だが、私たちは日々の生活を真剣に懸命に生きる。それが人生というものだから。

藤木和泉のように歴史に名を残さぬまま、優れた人物だった人は他にも無数にいるだろう。私たちは歴史小説を読むとき、そうした人のあり方にも心を向けたいものだ。

2020/10/12-2020/10/14


翳りゆく夏


本書は江戸川乱歩賞の受賞作だ。
江戸川乱歩の受賞作はどの回の受賞作も出色の出来であり、読ませてくれる。
本書もまた受賞作にふさわしい素晴らしい一作だった。

本書を読んでもらえれば、その面白さはすぐに伝わることだろう。

本稿をその結論で終えても良いが、きちんとしたレビューとして成り立たせたい。
だが、ミステリーをレビューとして成り立たせるには少しの工夫がいる。
それは、本稿を読んでくださった方が本作を読む興を削がないようにすることだ。つまり、ネタバレの禁止だ。
一方、本書の構成はきっちりとしている。
つまり、本書の流れを書くだけでネタバレになりかねない。そこに難しさがある。

その難しさを承知で本書のあらすじを書いてみる。
日本でも有数の新聞社である東西新聞社。そこに来春の内定が決まった50数名の一人が朝倉比呂子だ。
彼女は20年前に横須賀で起きた誘拐事件の犯人の娘だ。かつての誘拐犯の娘を新卒で採用する記事が、東西新聞とは犬猿の仲である秀峰出版の週刊誌に書かれそうになった。そこで杉野社長が調査を命じたのは梶。梶は現役の記者ではない。20年前の誘拐事件に横須賀支局の記者として携わり、今は不祥事の責任をとって閑職に追いやられている。

その誘拐犯、九十九昭夫は事件の中で警察から逃走しようとして愛人とともになくなった。九十九の妻は、事件から一年ほど過ぎた後に病気で亡くなった。身寄りがなくなった朝倉比呂子は子供のいなかった伯母夫婦のもとで育てられ、一橋大学に進んだのち、東西新聞社を志望し、入社試験では優秀な成績をあげた。
その人柄や能力に感銘を受けた東西新聞社の経営陣は、優秀な朝倉比呂子に是非とも入社してもらいたいと手をつくす。
事件の調査を命じられた梶は、持ち前の記者としての能力を発揮して、当時を知る人々に取材を行う中で事件の真相に近づいていく。そのようなストーリーだ。

ミステリー小説とは読者にある程度の情報を開示し、フェアに進める。伏線もないままにいきなり新情報を持ち出さない。もちろんそうではないミステリーも多々あるが、本書はあくまで正攻法で物語を前に進める。本書は語り口や地の文も含めて端正だ。

だが、本書は端正であっても無味乾燥な小説ではない。きちんと所々にメリハリを効かせて読者の心をつかみにかかる。

本書で肝となる登場人物は数多くいる。中でも、東西新聞社の杉野社長を取り上げておきたい。
杉野社長の出番はあまり多くないが、登場するシーンはどれも読者に印象が残るはずだ。
そもそも、すでに時効であるはずの事件の謎をなぜ解く必要があるのか。20年前の事件を今さら暴いたところで、誰にも何の得にもならない。そうなると本書が小説として成り立たない可能性すらある。
そこで、謎解きを推し進める人物の存在が求められる。その人物こそが杉野社長だ。杉野社長の人間の描き方が魅力的であれば、杉野社長の言動が本書の推進力となり、物語を前に進めることを読者は納得する。
杉野社長の描き方には入念な注意を払っていることが感じられる。本書のメリハリとなる数シーンはこの杉野社長を欠かしては語れない。

また、本書は、取材や調査を業務の柱とする新聞社やその記者の描写がとても丁寧に描かれている。人の心に踏み込むことをなりわいとする記者の葛藤や、社会に真実を届ける使命と組織が組織を維持するために求められる建前。
ウィキペディアにも著者の略歴は書かれている。それによると長年テレビ業界で記者をしていた方のようだ。つまり取材や執筆は得意分野。
そうした組織のあり方や組織の中の論理がきちんと描かれているのも本書の特筆すべき点だ。

「長く記者生活を続けていると、思わぬことがきっかけとなって、取材対象の人生の暗部に突き当たり、茫然自失となって立ち尽くしてしまうことがある。」(284ページ)
これは、梶が二十年前の事件の調査を進める中で、誘拐された赤ん坊の親と会った後の彼の心境を描いている。おそらくは、著者自身にも同じような経験があったのだろう。

なぜ、真実とは明かされなければならないのか。なぜ人々は新聞記事を熱心に読み、ルポルタージュに隠された事実を求めるのだろうか。
それは、自分が社会から正当に扱われたいからだ。
人生には運も不運もある。不運に流される人もいるし、不運から立ち直ろうとする人もいる。その不運が事実をもとにしていたなら、まだ諦めもつく。だが、もし誰かによってねじ曲げられた事実が自分の不運の源であったなら、人はそれを不当に感じ、許せないと憤る。

本書の終わりは、とても清々しい。それは、隠された真実が元で不運になった人々が救われるからだ。20年前に起きた事件の真実が明かされることによって、不運であった人々が救われる。だからこそ、二十年前の事件をモチーフとした物語は成り立つ。

それは、同時に本書に限らず、ジャーナリズムと呼ばれる職の本質にも関わる。真実を調べるジャーナリズムとは、不運な人々を救うためにこそ存在する。

著者は本書を通してそのことを証明している。お勧めできる一冊だ。

2020/10/11-2020/10/11


日本史の内幕


著者のお顔はここ数年、テレビでよくお見かけする。
テレビを見ない私でも見かけるくらいだから、結構よく出ているのだろう。
そこで著者は歴史の専門家として登場している。

著者の役割は、テレビの視聴者に対して歴史を解説することだろう。だが、ディスプレイの向こうの著者は、役割をこなすだけの存在にとどまらず、歴史が大好きな自分自身を存分に楽しんでいるように見える。著者自身が少年のように目を輝かせ、歴史の面白さを夢中で話す姿には親しみすら覚える。

本書は、筋金入りの歴史愛好家であり、歴史をなりわいにしている著者による歴史の面白さをエッセイのように語る一冊だ。

歴史のうんちく本と言えば、歴史上の謎や、思わぬ歴史のつながりを解きほぐす本が多い。それらの本に比べると、本書は該博な著者の知識を反映してか、独特の視点が目立つ。

著者はフィールドプレーヤーなのだろう。書斎の中から歴史を語るのではなく、街に出て歴史を語る。古本屋からの出物の連絡に嬉々として買いに出たり、街角の古本屋で見かけた古文書に胸をときめかせたり、旧家からの鑑定依頼に歴史のロマンを感じたり。
古文書が読める著者に対する依頼は多く、それが時間の積み重ねによって埋もれた史実に新たな光を当てる。

著者は、あまり専門色を打ち出していないように思える。例えば古代史、平安時代、戦国時代、江戸時代など、多くの歴史学者は専門とする時代を持っている。だが、著者からはあまりそのような印象を受けない。
きっと著者はあらゆる時代に対して関心を持っているのだろう。持ちすぎるあり、専門分野を絞れないのか、あえて絞らない姿勢を貫いているように思える。

私も実はその点にとても共感を覚える。私も何かに嗜好を絞るのは好きではない。
歴史だけでなく、あらゆることに興味を持ってしまう私。であるが故に、私は研究者に適していない。二人の祖父がともに学者であるにもかかわらず。
本書から感じる著者の姿勢は、分野を絞ることの苦手な私と同じような匂いを感じる。

そのため、一般の読者は本書から散漫な印象を受けるかもしれない。
もちろん、それだと書物として商売になりにくい。そのため、本書もある程度は章立てにしてある。第二章は「家康の出世街道」として徳川家康の事績に関することが書かれている。第三章では「戦国女性の素顔」と題し、井伊直虎やその他の著名な戦国時代に生きた女性たちを取り上げている。第四章では「この国を支える文化の話」であり、第五章は「幕末維新の裏側」と題されている。

このように、各章にはある程度まとまったテーマが集められている。
だが、本書の全体を見ると、取り上げられている時代こそ戦国時代以降が中心とはいえ、テーマはばらけており、それが散漫な印象となっている。おそらく著者や編集者はこれでもなんとかギリギリに収めたのだろう。本来の著者の興味範囲はもっと広いはずだ。

そうなると本書の意図はどこにあるのだろうか。
まず言えるのは、なるべく広い範囲、そして多様なテーマに即した歴史の話題を取り上げることで、歴史の裏側の面白さや奥深さを紹介することにあるはずだ。つまり、著者がテレビ番組に出ている目的と本書の編集方針はほぼ一致している。

本書を読んでもう一点気づいたのは、著者のアンテナの感度だ。
街の古書店で見かけた資料から即座にその価値を見いだし、自らの興味と研究テーマにつなげる。それには、古文書を読む能力が欠かせない。
一般の人々は古文書を眺めてもそこに何が書かれているか分からず、その価値を見逃してしまう。だが、著者はそこに書かれた内容と該博な歴史上の知識を結び付け、その文書に記された内容の真贋を見通す。
著者は若い頃から古文書に興味を持ち、努力の末に古文書を読む能力を身に付けたそうだ。そのことがまえがきに書かれている。

私も歴史は好きだ。だが、私は古文書を読めない。著者のような知識もない。そのため、著者と同じものを見たとしても、見逃していることは多いはずだ。
この古文書を読み解く能力。これは歴史家としてはおそらく必須の能力であろう。また、そこが学者と市井の歴史好きの違いなのだろう。

これは私がいる情報処理業界に例えると、ソースコードが読めれば大体その内容がわかることにも等しい。また、データベースの定義ファイルを読めば、データベースが何の情報やプロセスに役立つのか、大体の推測がつくことにも通じる。それが私の仕事上で身に付けた能力である。
著者の場合は古文書がそれにあたる。古文書を読めるかどうかが、趣味と仕事を大きく分ける分岐点になっている気がする。

上に挙げた本書に書かれているメッセージとは、
・歴史の奥深さや面白さを紹介すること。
・古文書を読むことで歴史が一層面白くなること。
その他にもう一つ大きな意図がある。
それは、単なる趣味と仕事として歴史を取り扱う境目だ。その境目こそ、古文書を読めるかどうか、ではないだろうか。

趣味で歴史を取り扱うのはもちろん結構なことだ。とてもロマンがあるし面白い。

一方、仕事として歴史を取り扱う場合は、必ず原典に当たらなければならない。原典とはすなわち古文書を読む事である。古文書を読まずに二次資料から歴史を解釈し、歴史を語ることの危うさ。まえがきでも著者はそのことをほのめかしている。

そう考えると、一見親しみやすく、興味をそそるように描かれている本書には、著者の警句がちりばめられていることに気づく。
私もここ数年、できることなら古文書を読めるようになりたいと思っている。だが、なかなか仕事が忙しく踏み切れない。
引退する日が来たら、古文書の読み方を学び、単なる趣味の段階から、もう一段階上に進んでみたいと思う。

2020/10/10-2020/10/10


賊将


『人斬り半次郎』に書かれた桐野利秋の生涯。本書はその前身となった短編『賊将』が収められた短編集だ。

本書は著者が直木賞をとる直前に出され、まさに脂ののった時期の一冊だ。

多作で知られる著者だが、著者のキャリアの早期に出された本書にも流麗な筆さばきが感じられる。
とはいうものの、速筆で知られていた著者も本書を書くにはかなりの苦労があったらしい。

私たち一般人にとっては、時代小説が書けるだけでも大したものだ。おそらく私たちは書くだけで難儀するだろう。今を書くことすら大変なのに、価値や文化の異なる当時を描きつつ、小説としての面白さを実現しなければならないからだ。特に、時代小説は、登場人物をその時代の人物として描かねばならない。その違いを描きながら、読者には時代小説を読む楽しみを提供しなければならない。時代小説作家とは、実はすごい人たちだと思う。
読者は時代小説を読むことで、現代に生きる上で当たり前だと思っていた常識が、実は時代によって変わることを知る。現代の価値とは、現代に沿うものでしかない。それを読者に教えることこそが時代小説の役割ではないだろうか。

「応仁の乱」

本編は応仁の乱を描いている。
応仁の乱を一言で語るのは難しい。
もし応仁の乱を一言で済ませろと言われれば、山名宗全と細川勝元の争いとなるのだろう。だが、応仁の乱を語るにはそれでは足りない。
応仁の乱によってわが国は乱世の気運がみなぎり、下克上を良しとする戦国時代の幕を開けた。

その責任を当時の足利幕府八代将軍である足利義政にだけ負わせるのは気の毒だ。
後世に悪妻と伝えられる日野富子との夫婦関係や、二人の間に生まれた義尚が、還俗させ義視と名乗らせた弟の立場を変えてしまったこと。日野富子の出自である公家や朝廷との関係も複雑だったこと。加えて、有力な守護大名が各地で政略を蓄えており、気の休まる暇もなかったこと。どれも義政にとって難題だったはずだ。

後世の印象では無能と見られがちの義政。だが、本人にはやる気もあった。愚鈍でもなかった。だが、受け継いだ幕府の仕組みが盤石ではなかったことが不運だった。

そもそも、足利幕府の始まりが盤石でなかった。初代将軍の足利尊氏は圧倒的な力を背景に征夷大将軍に就いたわけではなかった。建武の乱から観応の擾乱に至るまで戦乱は絶えず、天皇家すら南北朝に分かれて争っていた。
ようやく三代将軍の義満によって権力を集中させることができたが、義政の父である六代将軍義教が嘉吉の乱で白昼に殺されてからは、将軍の権威は弱まってしまった。義政の代は、各守護大名の協力のもとでないと幕府の権力の維持は難しくなっていた。

複雑な守護大名間の勢力争いや、夫婦間の関係などを細やかに描いた本書は、義政の葛藤と苦悩を描くとともに、応仁の乱へ歴史が導かれていった事情を詳らかにしていてとてもわかりやすい。
応仁の乱の背景を知るには本編は適していると思う。

「刺客」

こちらは、江戸時代の松代藩における権力争いを描いている。
松代藩といえば、真田家だ。著者の代表作の一つに「真田太平記」がある。

著書の著作リストを見る限り、松代藩を舞台とした作品は多そうだ。

本編は、松代藩の権力争いの中、翻弄されていく娘の無念と、刺客として任務を果たす男の運命を描いている。
現代に比べると、当時は相手の生を尊重することはあまりなかった。本編にもその習慣の低さが描かれている。
ただし、本編のような人と人の争いは今の世でもありえる。実は、今の世にも同じような悲劇が隠れているのではないか。

「黒雲峠」

仇討ちも現代の私たちにはなじみのない習慣だ。
だが、当時は幕府や藩に届けを出せば肉親の敵を成敗することは認められていた。忠義を奨励することになるため、幕府の統治にも都合がよかったからだ。

仇討ちとは個人的な思いの強い行いだ。そして、それは命にも関わる。
だからこそ、真剣にもなる。濃密な関係の中、人の本章が顕わになる。

現代の私たちは、当時の人々が仇討ちにかける思いと同じだけの何かを持っているだろうか。そう思わせてくれる一編だ。

「秘図」

人は謹厳なだけでは生きていかれないものだ。
本編は、そのような人間の本性を描いており、本書の中でも印象深い一編だ。

若い頃に放蕩の道に迷いかけ、名を変えて生まれ変わった徳山五兵衛。
今では藩の火付盗賊改として、厳格な捜査と取り調べによって人々に一目置かれていた。

だが毎夜、妻子が寝静まった後、自室で五兵衛が精根を傾けるのは、絵描き。それも男と女の交わる姿を描いた秘図。つまり春画だ。

やめようにもやめられぬまま、死を自覚した五兵衛。自分の数十年にわたるこのような別の姿を人々にさらすわけにはいかない。
妻にも自分の亡き後は絶対に手文庫を処分するようにと言い残す。

自負に満ち、誇りの高い武士も楽ではなかったのだろう。

今の世も終活と称し、ハードディスクの中身をいかにして処分するか、という問題がある。またはSNSにアップした内容の取扱いなど。まったく、江戸時代も今の世も、人の心のあり方はそう変わらない。これもまた時代小説から得られる面白さだ。

「賊将」

本書の表題になっている本編は、人斬り半次郎が、陸軍少将桐野利秋になってからの物語だ。

西郷どんを慕うあまり、征韓論で不利になったことに悲憤し、西郷隆盛と共に薩摩に下野する桐野利秋。
薩摩を立ち上がらせよう、西郷どんの意見を政府に認めさせようと奔走したのも桐野利秋。西南戦争に向けてもっとも急進論を唱えた一人が桐野利秋だった。

幕末には名うての志士として活動した人斬り半次郎は、結果的に官軍の側の人として栄達した。だが、すぐに運命に操られるままに逆賊の汚名を被る。
その結果、西南戦争では賊将として突き進み、戦死する。その様子を描いた本編は、人間の運命の数奇さとはかなさだ。
後日、著者が桐野利秋の志士の時代を長編にしたて直したくなったのもよくわかる。

「将軍」

明治に生き、明治に準じた乃木希典将軍も、自分に与えられた天運と時代の流れに翻弄された人物だ。

西南戦争で軍旗を奪われた事を恥と感じ、軍人と生きてきた乃木将軍。
さらに日露戦争における旅順攻略戦でも莫大な戦費を使い、あまたの兵士の命を散らした。自分の恥をすすぐためには息子たちを戦地で失ってもまだ足りないかというように。

明治天皇の死に殉じて死を選んだ乃木将軍の姿は、明治がまだ近代ではなく歴史の中にあったことを教えてくれる。

2020/10/6-2020/10/10


サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ


サイゼリヤは私が上京してからよく訪れているレストランだ。さまざまな店舗を合わせると、百回近くは行っているはずだ。
その安さは魅力的だ。そして味も常に一定のレベルの品質が保たれている。
(一度だけ、わが家の近所の店であれ?ということはあったが)

著者はサイゼリヤの創業者であり、今も会長として辣腕を振るっている。
その著者がサイゼリヤを創業し、経営していく中でどのように一大チェーンを築き上げたのか。そのノウハウや哲学を語るのが本書だ。

本書は、レストランの業界誌に連載されていた内容をもとにしているという。そのため、ページ数はさほど多くない。とはいえ、内容がコンパクトにまとめられているので、著者なりの経営の要点が学べる。

私が経営者として感じている壁は無数にある。その一つが、個人からチェーン展開への壁だろう。
個人で全てを回せているうちはまだいい。だが、規模を拡大しようとした途端、個人の能力や時間では賄えなくなってしまう。個人には24時間しか与えられていないからだ。
そこで人を雇う。さらに拠点を増やす。そうなると経営者の目は行き届かなくなる。個人のノウハウをどうやれば伝達できるのか。社員を多く雇い、規模を大きくするには、個人のノウハウを伝達しなければならない。スキル、哲学、規律。それを教えることが最初の壁だ。経営者が自らのビジネスを拡大するためには、まずその壁を乗り越えなければならない。その壁は高く険しい。
それは私自身が今、零細企業の経営者として実感していることだ。

本書は、地に足のついた経営を実践する上で参考になる点が多い。
個人から組織へと規模を拡大するにはどうすればよいか。
本書を読むと、サイゼリヤの成長の軌跡が分かる。サイゼリヤは、資金を調達し、急拡大を遂げてきたのではない。本書から受けるのは、一歩一歩徐々に規模を大きくし、自社でノウハウを積み上げながら経営を進めてきた印象だ。
それは経営の壁にぶつかっている私の立場からは、とても心強い。融資を受けるにはハードルが高いからだ。

著者は市川で開業した一号店で、多くの苦労と失敗をした。そしてそこから多くを学んだ。
著者は状況を打開するため、イタリアに視察に行った。そしてイタリア料理に着目した。当時は高級料理だったイタリア料理に着目したのは著者の先見の明だ。だが、それだけではない。そこから、思い切って金額を下げることで他店との差別化を行った。それらは著者が失敗から学んだことであり、それも著者の明断だといえる。

金額を下げる。それは、いわゆる安売りである。だが、一般に安売りはよくないとされている。私自身、かつては自分の単価を安く設定してしまい、自分の価値を下げてしまった失敗がある。
だが、著者は安く売ることで状況を打開した。私もそこを本書から学びたいと思った。

安売りといっても単に安く売るのではない。安く売るためには、安くてもなお、利益を出せなければ。そのためには利益を出すための体制が欠かせない。

著者は創業の頃から人時単位での生産性を重視してきたという。粗利益÷従業員の1日の総労働時間。この基準を著者は6000円という金額に設定しているそうだ。
また、ROI(Return On Investment)、つまり投資利益率を求める計算式は利益÷投資額×100だ。これも最低基準として20%に設定しているとのこと。

本書を読んでいると、サイゼリヤの成功の秘訣が見えてくる。それは、創業者である著者がどんぶり勘定ではなく、初めから利益と経営への意識をしっかり持っていたことによるのだろう。
だからこそ、継続的に成長を刻みながら、今の規模まで育てられたのだと思う。

もちろん成功の理由はそれだけではない。商品開発や組織開発なども必要だ。本書には財務だけでなく、経営全体に対する著者の努力も書かれている。
財務と組織。その両輪をきちんと押さえていたからこそ今のサイゼリヤがあるのだろう。

翻って私の反省だ。
私は個人で動くことに慣れてしまっていた。一人でやる分には、仕事も十分に回る。私は独立したとはいえ、長い期間を常駐の現場で働いてきた。そのため、私が本当の意味で経営者となったのはごく最近のことだ。常駐から抜け、個人で仕事を請けて回すようになったこの五年。それが私の経営者としての歴史だ。

この五年、個人で仕事を回せるようになってきた。とはいえ、著者の例でいうと、私はまだ、商品開発に没頭している状態だ。組織開発や財務への意識は二の次。
著者を例に例えると、店内で調理をしながら配膳をし、レジ打ちもこなしている。それが私だ。多店舗展開とは程遠い状態にある。

ようやく本書を読んだ数カ月後から、弊社でも人を雇い始めた。ようやく次の壁を乗り越えようとし始めたのだ。

その壁を乗り越えるためにも、経営者としての心の持ち方を養わねばならない。また、失敗を次への教訓として生かさねばならない。また、経験を次代に伝えなければならないし、そのためにも公平な評価を心掛けなければならない。あれもこれも追うのではなく、要となる商品をベースにおき、数値目標は一つに絞る。
ここに書いたことは、どれも本書にも書かれている経営の要諦なのだろう。

そして、経営を行うためには、単なる精神論に頼らない。気持ちを前向きに持ちながらも、押さえておくべき経営のツボはきちんと把握する。その大切さ著者は説いている。
それは例えば在庫回転率や立地の重要性である。著者はそうした観点や指標を例に挙げる。ただ、著者が経営するチェーンストア業界ではなく、それぞれの読者の属する業界によって、その指標は臨機応変に変わるはず。まずはそれを理解すべきだろう。

例えば私のような情報処理業界の場合に置き換えてみる。
例えば、適切な案件が継続的に請けられ、その用意と準備と実装と保守が順調に回る状況。それこそがあるべき姿なのだろう。
そのためには、自社の得意分野を踏まえた上で、正当な商圏を見据える。そして、むやみやたらと広告や営業を打つのではなく、特定の企業に売り上げを依存するのでもなく、適度に分散してリスクを負わない営業チャネルを構築する。そんなところだろうか。

著者は働くことは幸せになることだ、という理念を掲げ、それを常に見直しているという。さらに、経営に失敗という概念はなく、失敗に思えるものはすべて次へつながる成功なのだとも説く。
そして、著者が説くことでもっとも私の心に刺さったことがある。それは、変化に対応するために必要なのが「組織」だと著者はいう。
普通に考えると、機動力と行動力のある一人の方が変化に対応しやすいのではないか。だが、一人だと、対応できるのは一人が動ける時間に限られる。一人の一日の持ち時間は24時間だ。
だが、組織の場合、人数×営業時間が持ち時間として与えられる。分業だ。それぞれが分業をこなし、その能力を磨きつつ、能力を発揮する。それができたとき、組織は一人の時よりも変化に対応できる。

本書で著者が説いている内容は決して難しくない。だからこそ、理屈をこねくり回す必要もない。経営とは複雑なものではなく、本来は単純なものなのかもしれない。だが、そう分かっていても経営は難しい。だが、経営者はそれをやり遂げなければならない。

私は自分の会社をどうしたいのか。経営理念は作り、雇用に踏み切った。失敗もして、ようやく少しずつ組織が形になりつつある。
税理士の先生、社労士の先生に加え、人財コンサルタントの方にもご指導を受けている。
本書で学んだこと、諸先生方のご指導を踏まえ、少しずつ経営の実践と安定に努力しようと思う。

2020/10/5-2020/10/5


怒る富士 下


下巻では、富士の噴火によって人生を左右された人物のそれぞれの行動が描かれる。

上巻にも書いたように、膨大な富士からの噴出物は、駿東郡五十九カ村を亡所扱いにした。亡所とはその地域からの年貢が不可能となり、その地の農民には年貢の義務を課さない代わりに、庇護も与えない過酷な処置だ。
深刻な飢えの危機に直面した駿東郡五十九カ村の名主たちは、幕府への直訴に及ぶ。

そうした農民たちの思いに応えたのが、伊奈半左衛門忠順だ。間に立って名主たちの訴願を取り持つ。さらに、酒匂川の浚渫工事に農民たちを雇用し、生活が成り立つようにした。

だが、浚渫工事を江戸の組が請け負ったことで、浚渫工事は中途半端なものとなった。酒匂川の氾濫によって堤防が切れるたびに伊奈忠順は非難される。
駿東郡ではあちこちに伊奈忠順をたたえる伊奈神社が創建されているのに、足柄下郡あたりでは伊奈忠順の評判はあまりよろしくないらしい。

本書は、上下巻を通し、関東郡代である伊奈半左衛門忠順の生涯を軸に描いている。
だが、本書の構図を、硬直した幕府の官僚主義と伊奈忠順の対決の構図に限定すると物語が退屈になってしまう。
物語を広げるためには、実際に被害にあった農民たちの立場を描くことが欠かせない。彼らが富士の噴火によってどういう生涯を送ったかが重要になる。そこを描いておかないと物語が一面的になってしまうからだ。

本書には幕府の元で働く役人や奉行もたくさん登場する。が、農民たちも多く登場する。その一人はおことだ。

おことは、伊奈忠順とともに実直で有能な人物として描かれる。
伊奈忠順が民のために尽力したことの一つに、駿東郡五十九カ村の人々で希望する人々を駿河で働けるようにと紹介状を書いた。
その時、大勢の人を引率していったのがおこと。容姿に恵まれた上に、年上も含めた大勢を引率できるほどしっかりした女性だ。
おことは、噴火直後の混乱で引き離された佐太郎とつるのことも忘れずに気を配っている。
名主の跡取りであり、荒廃した土地を蘇らせようと奮闘する佐太郎。百姓の娘であるつる。二人は惹かれあっていたが、佐太郎の実家からは身分が違うとして避けられていた。

噴火の後、駿河に奉公に出たつるを追うように、皆を連れて駿河に落ち着いたおことは、その器量と能力を駿河町奉行の能勢権兵衛に見込まれる。

だが、おことの美貌は駿府代官に目をつけられる。駿府代官は、おことをわがものにしようと画策し、遊郭の女将も巻き込んで周到な罠をおことにかける。それを知らぬおことは、罠にはめられていってしまう。

伊奈忠順は、飢えて苦しむ駿東郡五十九カ村の民を救うため、駿河に蓄積されている備蓄米を放出させようと駿河町奉行の能勢権兵衛に依頼する。能勢権兵衛も心ある人物であり、放出にあたってのさまざまな手続きや職責を越えて伊奈忠順の依頼に応える。

おことの手引きによって、作太郎とつるは結ばれる。だが、おことは罠にかけられてしまう。近づいてきた恋人にそそのかされ、能勢権兵衛の元から持ち出した書類が世話になった人物を切腹に追い込んでしまう。自分のしたことが人々を裏切り、人の命を奪ったあげく、恋人にも良いように裏切られていたことを知ったおことは、遊郭に入れられて間も無く死を選ぶ。

「なにもかも、あの美しい顔をした、富士が仕組んだことなのだ。富士山の噴火さえなかったら、おそらく幸福な生涯を送ることができたのに。おことはその富士に手を合わせて別れを告げると、風月の物置きに入って首を吊った」(329ページ)

伊奈忠順も、さまざまな行いの詰め腹を取らされ、死を選ぶ。
後に残ったのは、民の事など顧みず、政略争いと面目を立てることに血道を上げる官僚たち。

「駿東郡五十九カ村はこの半左衛門一人が死んだことによって直ぐ救われるとは思われない。更に更に長い年月がかかるだろうが、決して、民、百姓を見棄ててはならぬ、また民、百姓から見棄てられてはならぬ」(318ページ)

これは、伊奈忠順が残した伝言の一つだ。
特に最後の民から見棄てられてはならぬ、という訓言が重要だ。

政治とは本来、富士山噴火のような未曽有の自然災害が発生した時にこそ、存在意義を発揮すべきだ。平時においては民間に任せておけば良い。
だが、民ではどうしようもないこのような自然災害の時にこそ、政治は真価が問われる。
ところが、本書に登場する幕閣の多くは、政治よりも勢力と派閥争いにうつつを抜かしてしまった。そればかりか、民のために奮闘しようとした心ある代官を陥れ、死に追いやった。

本書のタイトル「怒る富士」とは、そのような為政者の怠慢への怒りではなかったか。
今の政治が、同じような体たらくだとは思わない。だが、民のために奉仕する姿勢を忘れた時、富士山は再び噴火するだろう。
首都圏直下型地震よりも東南海地震よりも、今の文明を台無しにしようとする勢いで。

著者がかつて本書で描いて警句とは、三百年以上の歳月をへてもなお、有効であり続ける。

2020/10/3-2020/10/5


怒る富士 上


わが国でも第一の霊峰富士。その姿はまさに日本のランドマークにふさわしい。
だが、富士は古くから常にあのような白く秀麗な姿であり続けたわけではない。
富士もまれに怒る。噴火という形で。

最後に噴火してから三百年、富士山は鳴りを潜めている。
前回の噴火は江戸時代。その時の噴火を指して宝永の大噴火と呼ぶ。

本書はその宝永の大噴火によって人生を左右された人々と、なんとかして復興しようと努力した伊奈忠順の努力を描いている。

富士山の噴火による直接の火砕流や噴石などの被害が集中したのは、富士山に近い地域だった。甚大な被害を受けたのは、今の御殿場市や裾野市や小山町、さらに山北町、松田町、開成町から小田原に至る酒匂川沿いの町々だ。

当時のわが国はまだ鎖国の最中であり、今のように情報機器など皆無だった。
そのため、江戸の市中に数センチの火山灰が積もった程度であり、都市機能に影響はなかった。ましてや徳川幕府の政事に深刻な影響が生じることもなかった。
そのため、当時の江戸で書かれた文章からは噴火による被害の深刻さは伺えない。噴火が本当に深刻だったのは上に挙げた地域だった。それなのに、その悲惨な実情は無味乾燥な記録にしか残されていない。その被害をきちんと描こうとしたことに本書の価値がある。

本書では火山弾が人を襲う様や、火山灰や噴石が人の生活を奪う様が描かれる。凄まじい量の富士からの噴出物は、田畑を埋め、人々の生活の基盤を覆い、前途を暗闇で塗りつぶした。
江戸時代の農民は、農地から生まれる作物がなくては生活が成り立たない。だが、膨大な噴火物は容易には取り除ける量ではない。田畑を覆った堆積物を取り除がなければ復興はない。土木機械のない当時、何十年もの間も田畑は噴火物に覆われていた。史実では同地域の収穫量がもとに戻るまでに九〇年ほどを要したという。

農地を捨て、別の職についた人。売られていく娘。職の種類が少なく、人々に選択肢がわずかしかなかった時代だ。そうした人々が噴火の悲劇に遭遇すればどうなるか。
著者は、そうした人々の悲しみを描く。
そして、悲嘆に暮れる農民を相手にひとごとのような態度で接する人。政争の道具に利用しようとする人。今も江戸時代も人の本質はそう変わらない。
当時の世を収めていたのは徳川幕府。だが、その内実は派閥の間で勢力争いに明け暮れ、出世を争うか事なかれ主義が横行していた。
戦国の世から早くも百年。天下泰平が続けば政治には官僚主義がはびこる。宝永の大噴火が起こったのは五代将軍綱吉の時代。言うまでもなく、生類憐れみの令で悪名高い将軍だ。戦国の余韻が残っていた頃に比べ、徳川幕府にも緩みが見られ始めた頃だ。本書が描いているのは政治の怠慢だ。

本来ならば、このような時のために政治は機能しなければならない。だが、責任のなすりつけあいに終始した幕府は庶民を全く見ない。地元の小田原藩ですら、復興を諦めて幕府に藩領を返上したぐらいだ。

そんな中、庶民のために立ち上がったのが関東郡代の伊奈忠順。
伊奈忠順は苦境に喘ぐ庶民を見過ごさず、元の暮らしに戻れるようにするため奮闘する。暮らし向きを上げるために奔走し、復興工事に向けて働きかける。その工事には田畑を失った人々を雇い入れる。可能な限り農民の側に立とうとした。

今の世の中は当時とは比べ物にならないぐらい進化を遂げた。進化の立役者となったのは情報機器だ。ただ、そうした情報機器は噴火に対してとても脆弱だ。情報機器に頼った便利さは、皮肉なことに、世の中を江戸時代よりも脆弱に変えてしまった。

情報業界にいる身として、私は富士山の噴火は東南海地震や首都圏直下型地震にもましてリスクだと感じている。それは、経営者になった今、なおさら強く感じる。
情報機器が火山灰で使えなくなった時、いかにすれば経営が持続できるのか。それは経営者が抱くべき危機感だ。

だが、それ以上に本書を読んで感じたのは、政治がどこまで私たちを守ってくれるのか、と言う切実な思いだ。
経営が成り立たなくなる自然災害の中、自分の身は自分で守らなければ。

私は本稿を書く一カ月半前に宇都宮一週間ほど滞在した。
その背景には、ワーケーションがしたいという私の希望もあった。が、一番の目的は、富士山噴火時に仕事が出来る場所を探すことだ。火山灰に襲われることが確実な多摩地区に仕事場を置くことのリスク。そのリスクがあったからこそ、私は富士山の噴火時にあまり影響がなさそうな宇都宮で仕事の拠点を移せないか試した。仕事をし、暮らせるかを含めて滞在を試してみた。

さすがに江戸時代と今では違う。東京にも直接の被害は及ぶだろう。都心でも情報機器は不具合を起こすに違いない。
情報が即座に拡散される今、本書に書かれるような批判を浴びるような政治は行われないだろう。政権の批判につながってしまう。

とはいえ、経営者としてできることはしておかないと。
伊奈忠順のような人が活躍してくれるかどうかは誰にもわからないのだから。

2020/10/3-2020/10/3


真田三代 下


下巻では第一次上田合戦から始まる。
上田の城下町の全てを戦場と化し、徳川軍を誘い込んで一網打尽にする。それが昌幸の立てた戦略だ。
それには領民の協力が欠かせない。なぜ領民が表裏比興の者と呼ばれた昌幸の命に諾々と従ったのか。

「昌幸にはひとつの信条があった。
「戦いにおいては詐略を用い、非情の決断もする。だが、おのが領民と交わした約束は、信義をもってこれを守り、情けをかけて味方につけねばならぬ」」(86-87ページ)

周到に準備しておいた昌幸の策が功を奏し、徳川軍を撃退した真田軍。諸国の武将に真田家の武名がとどろく。

だが、昌幸の智謀がすごみを増す一方で、次男の幸村には父とは違う人格が生まれ始めていた。それは義の道。
幸村は、人質として過ごす上杉家の家風である義の心に感化される。
軍神と称えられた先代の不識庵謙信はすでに世にない。だが、主の景勝とその股肱の臣である直江兼続が差配する上杉家は、先代の義に篤い気風を受け継いでいた。
そこで幸村は策に走る父への疑問を抱く。生き残ることを優先すべきなのか、はたまた義を貫くべきか。

「おのれの利を追うことのみに汲々とするのではなく、さらに大局に立ち、おおやけのため、民のため、弱き者のために行動するのが、
「わしの考える義だ」
と、兼続は言った。」(128ページ)

これは私も常々感じている。利を追ってゆくだけでよいのなら、どれだけ楽か。金を稼ぐ苦労はあっても、それだけにまい進すればよいのだから。
従業員の人件費を削り、精一杯働かせる。顧客には高めの金額を提示し、その差額を利潤として懐に貯めこむ。
それができない私だから、飛躍も出来ないでいる。自分に恥じないような経営をしようと思うと、従業員を使い捨てにするマネはできない。見合った金額を支払い、顧客には高い金額を提示できない。これだと飛躍ができない。
私の根本の経営能力に問題があることもそうだが、こうした理念は卓越した努力と才能を伸ばした結果が伴わなければ倒れてしまう。悩んだことも数知れずだ。

ビジネスマンの愛読書は歴史小説だという俗説がある。歴史小説から教訓を読み取り、それをビジネスに生かそうとする人が多いからだろう。
それが本当かどうかはわからない。だが、私にとっては歴史を取り扱った小説から得られる教訓は多い。
本書を読んでいると、未熟な自分の目指すべき道の遠さとやるべきことの多さにめまいがする。

義を貫きたい幸村の志。それに頓着せず、昌幸は上杉家に人質としている幸村に信幸を接触させる。そして信幸を通し、上杉家を出て豊臣家への人質として大坂へ赴くように命ずる。
義のなんたるかを教えてくれた人物を不本意ながら裏切る羽目に陥った幸村の苦悩。

昌幸の視点には、天下の趨勢が豊臣に傾いていることが見えたのだろう。幸村を豊臣家の人質として送り込むこともまた、真田家を生き延びさせるための一手だった。昌幸の読みは当たり、秀吉は着々と天下を統一していく。
その過程に真田の名胡桃城をめぐる攻防があったことは言うまでもない。

ところが豊太閤の天下も秀吉の死によって瓦解を始める。それから関ヶ原の戦いに至るまで、石田三成と徳川家康、さらには上杉や諸武将の思惑が入り乱れる。
真田の場合、兄信幸が徳川四天王の本田忠勝の娘小松姫を娶っていた。幸村は石田三成についた大谷吉継を義父としている。
二人の境遇が真田家を大きく二つに割った犬伏の別れの伏線となる。

「澄んだ秋の夜空に、星が散っている。そのなかで、ひときわあざやかに輝く六つの星のつらなりがあった。
真田家の六連銭の旗の由来ともなった、
━━すばる
である。
「わしは若いころより、つねに心に誓ってきた。あのすばるのごとく、あまたの星のなかでも群れのなかに埋没せぬ、凛然たる光を放つ存在でありたいとな」
星を見つめながら昌幸は言った。
「徳川内府につけば、わしは有象無象の星の群れのひとつに過ぎなくなる。だが、男としてこの世に生を受けた以上、一度は天上のすばるを目指さねばならぬ。いまこそがその時だ」」(344-345ページ)

まさに私もこの志を持って独立した。しびれる場面である。

昌幸は長男の信幸とたもとを分かち、上田城の戦いでは策略を駆使して徳川秀忠の軍を足止めさせる。その結果、関ヶ原の本戦で秀忠軍は遅参した。

だが、西軍は関ヶ原の本戦で敗れた。局所の戦いでは勝ちをおさめたが、昌幸と幸村の二人は高野山へ流罪の身となった。
以来十数年。昌幸はついに九度山で想いを遺しながら亡くなった。そして、徳川家康は、天下取りの最後の仕上げにとりかかる。残すのは豊臣家の滅亡。
豊臣方も対抗するため、大坂に浪人を集める。幸村も大坂からの誘いを受け、最後の死に花を咲かせるために九度山から脱出する。

「「人の世は、思うようにならぬことのほうが多い。まして、わが真田家は周囲を大勢力に囲まれ、つねにその狭間で翻弄されてきた。だが、宿命を嘆き、呪っているだけでは、何も生まれませぬ。苦しい状況のなかから、泥水を嘗めてでもあらんかぎりの知恵を使い、一筋の道を切り拓いてゆく。それがしのなかにも、そうやって生きてきた祖父幸隆や父昌幸と同じ血が流れているのでござろう」」(465-466ページ)

ここからはまさに幸村の一世一代の花道だ。戦国時代、いや、日本史上でも稀に見る華々しい死にざま。真田日本一の兵と徳川方から称賛された戦い。

「叔父上は、数ある信濃の小土豪のなかから、真田家がここまで生き残ってこれたのはなにゆえと思われます。それは、知恵を働かせて巧みに立ちまわったからだけではない。小なりとはいえ、独立した一族の誇りを失わず、ときに身の丈よりはるかに大きな敵にも、背筋を伸ばして堂々と渡り合う気概を持つ。それでこそ、わが一族は、亡き太閤殿下、大御所にも一目置かれる存在になったのではございますまいか」
「目先の餌に釣られ、世の理不尽にものを言う気概を捨て去っては、一族を興した祖父様や、表裏比興と言われながらも、おのが筋をつらぬいた父上に申しわけが立ちませぬ」(497-498ページ)

幸隆から昌幸、そして幸村と、戦国の過酷な現実を生き抜き、しかも自らを貫き通した。さらには、大名家の家名まで後世に伝えることに成功した。
男としてこれ以上の事があろうか。
真田家の三代の生きざまを読んでいると、何やら胸の内にたぎるものが湧いてくる。私もちょうど幸村が討死した年齢に差し掛かった。
あとどれぐらいの花が咲かせられるだろうか。

本書はビジネスマンに限らず、まだまだ枯れるにははやい中年に読んでほしい。

2020/10/2-2020/10/2


真田三代 上


大河ドラマ『真田丸』は私にとってワクワクする作品だった。結局、第十数話目以降は挫折し、最後まで通して見ることができなかった。だが、機会があれば、もう一度見直してみたいと思っている。

真田の物語の何に惹かれるのか。それは小さな勢力が大きな勢力の間で伍して生き抜く姿にある。その必死さは、私自身の境遇に似ている。
大企業に属さず、個人の力でどこまで経営が続けられるのか。それは私が日々実践している経営のスリルでもある。醍醐味とでもいおうか。
どうすれば大企業に呑み込まれず、自分の力で生きていけるのか。私はそのヒントが戦国時代の真田家にあると思っている。戦国時代を駆け抜けるにあたっての真田家の労苦。私はそこに共感している。

武田家や村上家。上杉家と北条家。織田家に徳川家。真田の郷は、そうそうたる戦国の群雄たちがしのぎを削る狭間の地にあった。ささやかな勢力。周りの国々の間で少しでも均衡が崩れれば、即座に自国に影響が生じる。その時、時代に飲み込まれてしまうのか、生き延びられるのか。それは当主の判断にかかっている。生き馬の目を抜くと称された戦国の日々の過酷さは現代とは比べ物にならない。

真田幸隆、昌幸、そして幸村こと信繁。本書はこの真田家の三代を担った男たちの姿を描く。その男たちに共通するのは、大きな組織に属さず、小さくても独立を貫こうとする誇りだ。

「幸隆は生きるためには詐術も使うが、その身のうちには熱い血潮が滔々と流れている。冷徹なようでいながら、どこまでも人間臭く、人間臭いようでいながら、いざとなれば情を切り捨てる冷たさを持っている。その落差の大きい二面性こそが幸隆の魅力であり、最大の武器でもあった。」(121ページ)

急激に力を伸ばしてきた武田晴信は、信濃を手中におさめんとしていた。それに対し、信濃を勢力下に収める村上義清は武田家の侵攻に備える。武田家と村上家の勢力図が刻々と変化する中、真田の郷と一族を守るためにあらん限りの知恵を振り絞る幸隆。真田が後世に伝わったのもこの人物のおかげだろう。
その時々の時流を読みながら、武田家と村上家の間を往復し、勢力図に応じて臣従する相手を変える。だが、心底から服従したわけではない。あくまでも幸隆の行動原理は真田一門のため。そのためなら上辺で協力することも厭わない。冷徹な計算を働かせながら、より大きな勢力に恩を売る。

本書が面白いのは、祢津のノノウの歩き巫女だ。巫女として諸国を巡るノノウは、真田が持つ情報源だ。この時代、各大名は乱破、素破、草の者と呼ばれた忍びの者を活用して情報を収集していた。真田の場合、諸国を行脚して回るノノウを自国に抱えていたことが有利だった。ノノウたちの持ち帰る情報は、忍びから得られる情報とは質が違う。
昔も今も情報を制するものが時代を制する。むしろ、情報伝達の量が貧弱だった戦国期だからこそ、情報の重みが今とは比べ物にならないほど大きかったはずだ。
数年前に友人たちと祢津のノノウの郷を訪れた事がある。ひなびた集落に無縁仏が立ち並び、質素な雰囲気を今に残していた。だが、かつてこの地は情報の集積地だったのだろう。どことなく巨大な渦を残滓を辺りに感じた。

幸隆は、真田家の将来を思い、信綱、昌輝、昌幸を武田家の中枢に送り込む。武田晴信の薫陶を受けさせる事が、真田家のこれからにつながると信じて。
幸隆はさらに昌幸の子どもにも目を配ることを忘れない。

「われらのごとき弱小の一族は、人の欲望のありかを冷静に見定め、それを利用して人を動かし、戦いに勝つしか、生き残る術はない。」(353ページ)
これは幸隆から源三郎と源次郎に伝えた言葉だ。

だが、戦国の世を生き抜くには智謀を尽くすだけではどうにもならない。戦国最強と言われた武田家も、晴信をあらため信玄がいよいよ京に攻め上ろうとする時に信玄の病によって野望がくじかれてしまう。
後を継いだ勝頼は、偉大な父を超えようと焦るあまり、かえって武田家を滅亡へと追いやってしまう。

長篠合戦では三兄弟が事前に得ていた情報によって不利な状況が分かっていながら、面目にこだわって戦いを強行した勝頼。その戦いの中、信綱と昌輝は銃弾に命を散らす。
昌幸は父によって兄二人とは違う役割を与えられていた。それによって反発した昌幸は、腐らずに智謀と知見を磨く。
二人の兄がいなくなったことで真田家を継いだ昌幸は、より一層、冷徹な智謀を突き詰めようとする。父をもしのぐほどに。

だが、昌幸は苦労を重ねただけあり、単なる冷酷な知恵だけの人間ではない。
「たしかに信義の二文字は、上辺だけのきれいごとに過ぎぬ。人は信義ではなく、利欲によって動くというのがこの世の真実だ。しかし、目先の小さな利に踊らされ、右往左往していては、われらは心根の卑しい弱小勢力とあなどられるだけだ。ときに小利を捨て、真田ここにありと気骨をしめさねばならぬときもある」(500ページ)

これは、本能寺の変によって織田信長が死んだ後、上州で戦っていた滝川一益が孤立した際の昌幸の言葉だ。この言葉に沿って正幸は滝川一益を助ける。

単に冷徹なだけでは人は動かない。ここぞと言う時に情を発揮してこそ人は動く。そして世に何がしかの爪痕を残すことができる。

人の心をつかみ、利用するだけでなく後々のために生かす。その抑揚と硬軟を取り混ぜた考えこそ、まさに真田昌幸の真骨頂だ。
表裏比興の者と呼ばれた人物だが、私は、その言葉こそが戦国を必死に生き抜こうとした昌幸への誉め言葉だと思う。やるべきことをやり尽くした昌幸だからこそその称号を得たのだと評価したい。
情に流されない強さと冷静さ。周りの評価に動かされない確とした自ら。どれもあやかりたいものだ。

2020/10/1-2020/10/2


「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版


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本書はその重厚な分厚さと、壇上にあぐらをかいて語る著者の風貌が目につく。本屋や書評でも見かけ、読みたいと思っていた。
そこで47歳の誕生日の自分へのプレゼントとして妻に買ってもらった。

47歳。あと3年で50歳を迎える。いわゆるアラフィフだ。人生の後半戦であり、その後にやってくる死が意識の端にのぼり始める。

永遠に続くはずと思い込んでいた日々。そのはるか先に暗闇、つまり無が口を開けている。無が私たちの前途を黒く塗りつぶす光景は、想像の難しい領域だ。だが、誰にも必ずその終わりは来る。それに備えておかなければ。
本書のテーマである「死」は、私にとって知っておかねばならないテーマだった。

本書はイエール大学で23年間続いたという講義の内容をもとにしている。
とはいえ、本書は死についての本質を明快に語ってくれるわけではない。世に多くある哲学書と同じく、本書は死の概念の周囲を歩き回りながら、さまざまな視点と切り口から死の本質を覗き込もうとしている。
死は著者の慧眼を持ってしても一言で言い表せる類の概念ではない。そのため、本書は決して読みやすいとは言えない。

だが、ありとあらゆる切り口と視点から死と生を語る本書は、私たちにその概念を考えるきっかけを与えてくれる。

自己の同一性や時間の概念。魂の存在や死後の世界。そして自殺は倫理的に正しいのかについての考察。

以前もどこかで書いたように思うが、子供の頃の私は死を恐れていた。
死んだらどうなるのか。自分が死んだ後、世の中は何も変わらず続くのに、世界でたった一つの自我は無に消える。そのことが耐え難く恐ろしく、心の底から死に慄いていた。
頭では、ほぼ全ての人間が自我を持っていることは分かっている。だが、自分の主観から見た世界は、他人の客観から見た世界の間には絶対的な違いがある。唯一無二の自我。それがどうにも理解できないでいた。

それから40年以上が経過した今、私は日々の仕事の忙しさを乗りこなすのに精一杯だ。死や虚無を恐れる暇がない。
私にとって仕事とは、死の恐怖を忘れるために人類が発明した営みだと思っている。
でなければ仕事のための仕事や、管理のための管理がまかり通っている理由がない。

だが、無我夢中で仕事と戦っていた時期に終わりが見え、ある程度乗りこなせるようになってきた。子育ても娘の卒業が見えた今、関わる必要が薄れてきた。

そうなると、次に考えるのは自分の死にざまだ。後半生では、死に向かうだけの自分の生きかたを考えなければ。

だが、今の私には死それ自体や、死の後に来るはずの虚無よりも恐ろている事がある。それは、残りの時間に自分がやりたいことがやれない未練だ。死の瞬間、私は自分のしたいことができずに死んでいく無念を全霊で悲しむだろう。

そうした迷いの数々を振り切りたくて、本書を手に取った。

著者はまず自らの死生観を明らかにする。そこで明言するのは、死後の魂を否定することだ。来世や輪廻、天国を否定する著者の口調に一切の迷いはない。死ねばそれで終わり。救いもなければ、やり直す機会もない。そもそも著者にとって死は悪いものですらない。

死は悪くない。その考えは果たしてどこから来るのか。死とはいったい何にとって悪いのだろうか。死を残念がるのは、死する主体、つまり魂なのか。その時に死ぬのは肉体だけで、魂は別と主張する人もいる。
では、肉体と魂は別々の存在なのだろうか。肉体が死んでも魂が別ならば、死を恐れる必要がない。魂があるなら死後の世界も生まれ変わりもあるだろう。天国すら存在するかもしれない。
だが、それを実証する術は私たちにはない。著者は魂の不在を主張する。だが、ないことを証明できない以上、魂が存在しないとも断言しない。

魂や意識は今の科学でも説明ができない。物質主義に寄った立場を隠そうとしない著者も、魂の存在については両者が引き分けと言っている。

著者は物質主義を貫くが、性急に結論を出さない。デカルトやプラトンの見解を援用し、詳細に彼らの哲学を検討し、本当に魂は存在しないのかについての綿密な論考を重ねてゆく。

私たちが魂を信じる理由は、自己の一貫性があるからだ。夜に寝て朝に起きた時、前の日の私と今の私は同一人物だ。私たちはそれを当たり前のこととして受け入れている。だが本来、それは証明ができない。同一に見えるのは外見だけ。もし精神に変調をきたした場合、前の日と次の日の自分は同じなのだろうか。それを証明する手段はない。だが、私たちはその同一性を当たり前のようにして日々を生きている。

著者はこの同一性を魂ではなく人格だと説く。記憶、肉体、魂で歯なく人格。
著者は人格こそが人の本質であることをほのめかす。この自己同一性があるからこそ、私たちは自分の人格を信じる。同一性が大切なことは、時間と空間を隔てても保持できることからも分かる。肉体と魂は別ではく、肉体の一機能である脳機能の発現こそ人格。

ここまで、本書の400ページ弱が費やされている。まだ半分だ。死とはまず何の主体に対しての死なのか。それをきちんと定義しておく。それが著者のアプローチだ。

ここまで論を深めた上で、著者はようやく死とは何かについて語る。意識の不在が死であるなら、睡眠もまた死と言えるはずだ。だが、睡眠が死とは違うことは誰もがわかっている。
そもそも本人にとって悪い事とは何か。悪い事と意識が認識して初めて、それが悪い事になる。意識とは生きている。悪い事を認識するには生きていることが必要だ。
では、意識が虚無である死のなかで、死は本人にとって悪い事なのだろうか。

さらに、意識のない状態が悪ならば、生まれてくる前の状態は本人にとってどういう状態なのか。生とは無限の時間の中で一瞬だけの間の話なのだろうか。

死が人間にとって悪くないとすれば、生きている間は人にとってどのような状態なのか。それが永遠に続く、いわゆる不死の状態は人にとって果たしてあるべき姿なのか。それは悪いことではないのか。

上に出てきた自己同一性の問題も不死が必要なのかについて考える題材になる。不死の体現者となった時、人は何百年、何万年と生きるだろう。その時、膨大な時を隔ててもその人は果たして同じ人物と言えるのだろうか。
10,000年前の自分が考えていたことを完全に覚えていない場合、自分は10,000年前の自分と同じ人物と言えるだろうか。
不死も同じ理由だ。しかも、不死と言っても常に成長を続けることはできない。どこかで衰えや飽きに苛ませられる。その時、不死は人にとって良いことではなくなる。むしろ、身の毛のよだつと言う表現まで使って著者は不死を拒否する。
そのように突き詰めて考えると、死は悪いことでない。

その上で著者は人生の価値、人生の良し悪しが何かについて述べる。
結局、人は死によってその生を中断させられる。来世も転生もなく。限られているからこそ、生を輝かせようとする。

著者は本書において明確な生の本質を語らない。むしろ、著者自身も自らの考えをまとめながら死を考えているように思う。
だが、著者による回りくどくも精緻な分析は、私たちが普段、考えずにやり過ごしている己の生を考えさせてくれる。本書から明確な死の定義を求めようとしても無駄だ。
だが、宗教が形骸化し、元となった仏典や経典が顧みられなくなった今、現代の人が死を考え直さねばならない現実を本書は教えてくれる。

正直に言うと、私は本書を読んでもなお、膨大な時間を求めている。数万年の生を。だが、いざ不死が自分の身に訪れた時、一億年もの間、衰えや飽きを知らずに生きていけるだろうか。
それを考えるためにも折に触れ、本書を読みなおしてみようと思う。

2020/9/2-2020/9/25


無頼のススメ


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私は独り。一人で生まれ、独りで死んでいく。

頭で考えれば、このことは理解できるし受け入れられる。だが、孤独でいることに耐えられる人はそう多くない。
独りでいることを受け入れるのは簡単ではない。

群れなければ。仲間といなければ。
新型コロナウイルスの蔓延は、そうした風潮に待ったをかけた。
独りで家にこもることが良しとされ、群れて酒を飲むことが悪とされた。
コロナウイルスのまん延は、独りで生きる価値観を世に問うた。

孤独とは誰にも頼らないこと。つまり無頼だ。

無頼。その言葉にはあまり良いイメージがない。それは、無頼派という言葉が原因だと思われる。
かつて、無頼派と呼ばれた作家が何人もいた。その代表的な存在として挙げられるのは、太宰治と坂口安吾の二人だろう。

女性関係に奔放で、日常から酒やドラッグにおぼれる。この二人の死因は自殺と脳出血だが、実際は酒とドラッグで命を落としたようなものだ。
既存の価値観に頼らず、自分の生きたいように生きる。これが無頼派の狭い意味だろう。

本書のタイトルは、無頼のススメだ。
著者は、広い意味で無頼派として見なされているそうだ。ただ、私にとって無頼派のイメージは上に挙げた二人が体現している。正直、著者を無頼派の作家としては考えていなかった。

だが、そもそも作家とは、この現代において無頼の職業である事と言える。
ほとんどの人が組織に頼る現在、組織に頼らない生き方と言う意味では作家を無頼派と呼ぶことはありだろう。

今の世の中、組織に頼らなければやっていけない。それが常識だ。だが、本当に組織に頼ってばかりで良いのだろうか。
組織だけではない。
そもそも、既存の価値観や世の中にまかり通る常識に寄りかかって生きているだけでよいのだろうか。
著者は、本書においてそうした常識に一石を投じている。

人生の先達として、あらゆる常識に頼らず、自分の生き方を確立させる。著者が言いたいのはこれだろう。

著者はそもそも出自からしてマイノリティーだ。
在日韓国人として生を受け、厳しい広告業界、しかも新たな価値を創造しながら、売り上げにつなげる広告代理店の中で生き抜いてきた人だ。さらには作家としても大成し、ミュージシャンのプロデュースにまで幅を広げている。著者が既存の価値観に頼っていれば、これだけの実績は作れなかったはず。
そんな著者の語る内容には重みがある。

「正義なんてきちんと通らない。
正しいことの半分も人目にはふれない。
それが世の中というものだろうと私は思います。」(19ページ)

正義を振りかざすには、それが真理であるとの絶対の確信が必要。
価値観がこれほどまでに多様化している中、そして人によってそれぞれの立場や信条、視点がある中、絶対的な正義など掲げられるわけがない。

また、著者は別の章では「情報より情緒を身につけよ」という。
この言葉は、情報がこれほどまでに氾濫し、情報の真贋を見抜きにくくなった今の指針となる。他方で情緒とは、その人が生涯をかけて身に付けていくべきものだ。そして、生きざまの表れでもある。だからこそ、著者は情緒を重視する。私も全く同感だ。

ノウハウもやり方もネットからいくらでも手に入る世の中。であれば、そうした情報に一喜一憂する必要はない。ましてや振り回されるのは馬鹿らしい。
情報の中から自分が必要なものを見極め、それに没頭すること。全く同感だ。

そのためには、自分自身の時間をきちんと持ち、その中で自分が孤独であることを真に知ることだ。

著者は本書の中で無頼の流儀についても語っている。
「「酒場で騒ぐな」と言うのは、酒場で大勢で騒ぐ人は、他人とつるんでヒマつぶしをしているだけだからです。」(64ページ)

「人をびっくりさせるようなことをしてはいけない。」(65ページ)
「人前での土下座、まして号泣するなんて話にもならない。」(65ページ)

「「先頭に立つな」というのも、好んで先頭に立っている時点ですでに誰かとつるんでいるから。他人が後からついてくるかどうかなんて、どうでもいいだろう。」(65ページ)

老後の安定への望みも著者はきっぱりと拒む。年金や投資、貯蓄。それよりも物乞いせず、先に進む事を主張している。

「「私には頼るものなし、自分の正体は駄目な怠け者」」(96ページ)
そう自覚すれば他人からの視線も気にならない。そして、独立独歩の生き方を全うできる。冒頭で著者が言っている事だ。

そもそも著者は、他人に期待しない。自分にも期待しない。
人間は何をするかわからない生き物だと言い切っている。
「実際、「いい人」と呼ばれる人たちのほうが、よっぽど大きな害をなすことがあるのが世の中です。」(107ページ)

著者は死生観についても語っている。
「自分が初めて「孤」であると知った場所へと帰っていくこと。」(130ページ)

「なぜ死なないか。

それは自分はまだ戦っているからです。生きているかぎり、戦いとは「最後まで立っている」ことだから、まだ倒れない。」(131ページ)

本書は一つ一つの章が心に染みる。
若い頃はどうしても人目が気になる。体面も気にかけてしまう。
年月が過ぎ、ようやく私も経営者となった。娘たちは自立していき、自分を守るのは自分であることを知る年齢となった。

これからの人生、「孤」を自分の中で築き上げていかねばならないと思っている。

努力、才能、そして運が左右するのがそれぞれの人生。それを胸に刻み、生きていきたい。

著者は運をつかむ大切さもいう。時代と巡り合うことも運。

私の場合は技術者としてクラウドの進化の時代に巡りあえた。それに職を賭けられた運に巡り合えたと思う。
だが、著者は技術そのものについても疑いを持つ。
「技術とは、人間が信じるほどのものではなくて、実は曖昧で無責任なものではないか。
技術革新と進歩には夢があるように聞こえるけれど、技術を盲信するのは人間として堕落しているということではないか。私は、人類みんなが横並びで進んでいくような技術の追求は、いつか大きな失敗をもたらすような気がしてなりません。」(174ページ)

私もまだまだ。人間としても技術者としても未熟な存在だ。多分、ジタバタしながら一生を生き、そして最後に死ぬ。
そのためにも、何物にも頼らず生きる。その心持だけ常に持ちたいものだ。とても良い一冊だと思う。

2020/9/1-2020/9/1


日本でいちばん大切にしたい会社3


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月末に経営の理想を思い出すため、本書に目を通すようにしている。
本書はシリーズの三冊目にあたる。読むたびに感動を受ける。刺激も受けるし、新鮮さを感じさせてくれる。

本書は、全部で七つの会社が取り上げられている。

一つ目は、徳武産業株式会社。香川県さぬき市の会社だ。もともとは手袋のメーカーだった。だが、靴の方が年間を通しての売り上げが見込めるため、業態を転換したそうだ。

この会社がユニークなのは、お年寄り向けに靴を特化したことにある。お年寄りだからあまり出歩かない。そのような固定観念は捨てなければならない。
お年寄りであってもおしゃれはしたい。むしろ、外に出たい。それなのに履く靴がないため、病院や家に閉じこもってしまうのが課題だそうだ。

靴は左右で一足。そんな固定観念さえも一蹴するのが徳武産業だ。
お年寄り向けの靴を販売するにあたり、左右のサイズを別々に作成するどころか、左右の靴をそれぞれ単品で販売する施策まで打っているという。そうした靴業界の常識を打ち破るサービスも、あくまでもお年寄りの希望に寄り添うため。その姿勢はお年寄りに対してだけではない。障害者に対しても同じだ。まったくすごいと言うしかない。

ついては、中央タクシー株式会社。長野県長野市にある会社だ。もともと、タクシー会社を継いで経営に奮闘していた社長が、あらためて自らの理想とするタクシー会社を目指して設立したそうだ。

残念なことに、タクシー業界には少し身を持ち崩しかけたようなドライバーもいたという。そのイメージはまだまだ世の中に根強い。タクシー業界にとっては、イメージの改善が喫緊の課題だと思う。中央タクシーも初めの頃は経験者を多く抱えていたため、その中にはガラの悪いドライバーもいたと言う。それを未経験者の募集から始め、既存のドライバーに煙たがられながらも社員教育を続けてきたことで、十年たった今ではドライバーは未経験者がほとんどを占めたと言う。

そうした社員教育の成果が実り、中央タクシーと言えば長野県内では同業者からも手本とされるまでになったそうだ。

タクシー業界は上にも書いた通り、まだ古い体質が幅を利かせている業界だ。そのため、会社を改革するため、タクシー業界の組合の存在がかなり足かせになったらしい。そこで中央タクシーは組合から脱退した。さらに長野オリンピックによって県内の景気が上向く中、オリンピックによる景気よりも地元のお客様を優先する姿勢を示した。それによってさらに地元の尊敬を勝ち得たそうだ。

その次に行った施策は、長野から成田や羽田へ向かう便を空港便として発足させたことだ。すべてはお客様のニーズのため。その施策が支持された。利益は後からついてくると顧客を第一に考える姿勢は本書にふさわしい。

三社目は、株式会社日本レーザー。東京都新宿区にある会社だ。もともとはとあるメーカーの子会社だった。だが、経営者と従業員による自社買収の結果、完全に独立した。
子会社の立場は親会社に縛られる。資産的にも資金的にも従属した立場だ。自らの会社の理想を追うためには、子会社の立場に甘んじず、独立独歩がふさわしい。

独立時の社長は、親会社からの出向社員だった。にもかかわらず、就任後、子会社側に骨を埋めると宣言した。それで社員の心をつかみ、さらにそこから努力を重ねた結果、完全に独立を成し遂げたと言う。

会社の最大の目的とは雇用すること。この会社の姿勢は、まさに見習うべきものだろう。
鶏口となるも牛後となるなかれ。それは私のモットーだ。それを実現するため、親会社や巨大会社の傘下に甘んじず、自立を目指すべきだろう。

四つ目はラグーナ出版。鹿児島県鹿児島市の会社だ。
精神障がい者のため、福祉と企業の間を隔てる壁を壊すことを目指し、メンタルヘルスに関する文芸誌や書籍の発刊を行っているという。

心の病はとても厄介だ。私もかつて鬱になったことがあるからよくわかる。重篤な症状で苦しむ人は、自分ではどうしようもない心の動きに苦しめられているのだろう。

そうした人々にとって、生きる意味とは何だろう。そこにもちろん答えはない。だが、心の病に苦しむ人々がやりがいや働きがいを見つけられれば、心の苦しみから少しでも遠ざかった暮らしが送れる。そのため、働く場所が必要なのであれば作るべきだ。このラグーナ出版もそうした会社だ。

五社目は、株式会社大谷。新潟県新潟市の会社。印章つまり印鑑だ。印鑑業界は今、厳しい状況に置かれている。リモートワークやペーパーレスの風潮が盛んだからだ。私も電子契約を率先して行っている。

だが、それがこうした会社の仕事を奪っていると考えると、後ろめたい思いに駆られる。障害者雇用をかなり率先して行っているこちらの会社に対して何かできる事はないだろうか。
そこで私も株式会社大谷のホームページを見に行ってしまった。すると本稿をアップする前日には、ウイスキー製造に乗り出すという記事を見かけた。ぜひ応援したいと思う。

六社目は島根電工株式会社。島根県松江市の会社だ。地域の設備工事の会社だが、従来型のゼネコンや官公庁の仕事から脱却することに成功した。「お助け隊」と言う制度を作り、細かい設備工事を請け負うことで成長してきた。大口受注からの脱却。それはどの会社でも苦労することだろう。私も弊社を立ち上げるにあたり、最初から大口顧客に頼らないと決めてやってきた。さまざまな施策を打つ中、やらねばならないのはきめ細かいサービスと営業だ。それを感じた。

七つ目は、株式会社清月記。葬祭業を営んでいる。
東日本大震災でもかなりの数のご遺体を納棺したという。それらすべてをやり遂げたその責任感。
こちらの会社も顧客第一のサービスを貫き、地道に業績を伸ばしてきた。

本書には著者が常々訴える、顧客第一よりも従業員第一の事例はそこまで出てこない。だが、著者は一貫してこう言っている。従業員が会社に愛着を持っていないのに、顧客に対して十分なサービスができるわけがない、と。

本書に登場する会社も顧客第一のサービスが支持を受けて業績を伸ばしている。顧客を優先したサービスが提供できることは、同時に会社が従業員第一の経営を続けている証しなのだろう。本書には何よりも雇用を優先するという言葉も紹介されている。

私もそれを踏まえた経営がしたいと思う。

‘2020/08/30-2020/08/31


樹霊


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私にとって著者の作品を読むのは初めて。
著者は本格トリックの書き手として注目されているらしく、手に取ってみた。

あらゆるトリックが考案され、あらゆる叙述のテクニックが開発されたように思える今、本格トリックの作家として名乗る心意気は応援したい。

本格トリックの作家にとって、科学が幅を利かせる現代の世界は有利なのだろうか。それとも不利なのだろうか。私にはわからない。

新たなテクノロジーが開発されるたび、その盲点をついたトリックが編み出される。死角をついたトリックが読者の度肝を抜き、また一つ推理小説の世界に金字塔が打ち立てられる。
だが、テクノロジーや技術だけで組み立てられたミステリーには、どこか物足りなさを感じることも否めない。

それは、人の心の奥底に自然へのぬぐい難い思いがあるからだと思う。テクノロジーとは反対の自然。それへの依存をやめ、テクノロジーに全面的に生を委ねる。これは、私たちの後、何世代も過ぎなければ払拭されないはずだ。
自然に対して、心の奥底に潜む恐れの心。そして、自然を慈しむ心。
この自然には、バイナリーでは表せない人の感情の源があるように思う。

横溝正史といえば、わが国のミステリー界では著名な巨匠だ。没後かなりの年数がたっているにもかかわらず、作品が何度も映画にリメイクされ、好評を博している。
その世界観は、まさに、自然への恐れそのものだ。自然に包まれた世界。その中で謎が提出される時、謎の醸し出す効果は倍増し、小説としての効果を高める。

本書は、まさに自然を舞台としたミステリーだ。
しかも、神話が息づくアイヌの森。本書の謎は人々が自然を神として恐れ敬っていた地で展開される。アイヌの神々の神威を思わせるような驚きの事件が私たちの作り上げたテクノロジーをあざ笑うように頻発する。木が自在に動き、人がそこで死ぬ。

完全に地面に固定され、容易には動かせないはずの木。誰がなんの目的で木を動かしたのか。その意図は何か。人が殺されるのは、アイヌの神を怒らせた傲慢さゆえなのか。
読者の興味は本書の発端に惹かれるはずだ。
本書には、ミステリーに失われつつあった自然への恐れが描かれているのだから。

それにしても、著者が創造した〈観察者〉探偵とは、面白い存在だとおもう。
自然の生き物を眺めることに何よりの価値を見いだす。〈観察者〉探偵すなわち鳶山とはそうした人物だ。もちろん推理小説にアクセントを与えるため、探偵らしくエキセントリックな性格で味付けがされている。
観察者とは奇態な職だが、要は名乗ってしまえば何でも良い。

〈観察者〉探偵に対する狂言回しは、語り手である猫田夏海が担う。猫田は植物写真家として日本を巡り、各地の珍しい植生を写真に撮ることを仕事にしている。
その猫田が、アイヌの巨木を求めて訪れた日高山脈の麓(おそらく浦河や新冠のあたりのどこか)で、木が夜中にいつの間にか移動する変事を目撃したことが本書の発端だ。その後、人が死ぬ事態に遭遇したことで、事件の収拾がつかなくなった猫田は、鳶山に助けを求める。
鳶山について来たのが、博多弁を操る高階。生物画を得意とするイラストレーターだ。
孤高の鳶山にかわり、より実務的な捜査を行うのが高階という人物の役回りだ。
この高階の発する博多弁が、本書に良いテンポを生み出している。

今まで私は本書のように博多弁がポンポン出てくる作品はあまり読んだ経験がない。それが本書に特徴を醸し出している。
北海道の山奥で、博多弁が話される意外性。

神がかった事件に遭遇した〈観察者〉鳶山はどう事件を解決するのか。
そして、事件の中で猫田はどう振り回されるのか。

上に書いた通り、ミステリーには自然への恐れが必要だ。
一方で事件が起こるにあたっては原因がある。その原因とは欲や思いなど人の心だ。いわゆる犯行動機だ。
事件の動機についてはどれだけ自然や神の恐れを持ち出そうと説得力を出すのは難しい。
動機をいかに説得力のある形で提示できるか。ミステリー作家の腕の見せ所だ。むしろ素養の一つだとさえ思う。

おそらく今後、ミステリーに求められる動機はより多方面に求められ、複雑になっていくことだろう。
本書で描かれる犯行動機については興を削ぐため本稿では語らない。

だが、あえて言うならばアイヌ民族の民俗知識や、アイヌがあがめる神の恐ろしさ、そして山の神聖さなどの要因が本書にもう少し盛り込んだ方が、物語に深みがでたように思う。

私はかつて、この辺りは三回訪れたことがある。平取町のアイヌ民族の博物館。その近くにある国会議員として知られた萱野茂氏が運営していた私設の博物館なども訪れた。
そこで、自然を敬い、自然の中に生きようとするアイヌの人々の思想に影響を受けた。今でも、いや、今だからこそ、その思想はより知られるべきだと思っている。

大多数の日本人にとって、アイヌ民族の文化や日常はまだまだ知られていない。アイヌ民族が自然の中で培った自然と共生する思想の深みは、これからの地球にとって必要だと思う。
だからこそ本書のようにアイヌに題材をとるのであれば、アイヌの神への恐れの深さを描いたほうがサスペンスの効果も増したと思うのだが。

残念ながら本書については、舞台としてアイヌの森であったことの必然性があまり感じられなかった。それが残念だ。

だが、本格ミステリを紡ぎだそうとする著者の意識の高さは評価したい。トリックも面白かったし。

‘2020/08/30-2020/08/30


サクリファイス


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本書は、第5回本屋大賞で二位になったという。と同時に大薮晴彦賞を受賞したそうだ。
その帯の文句にもひかれ、本書を手に取った。

本書が取り上げるのは、自転車ロードレースの世界。
休日に旅先でよくロードレーサーを見かける。数人で列を作り、整然と走る姿は清々しい。

私自身、かつてマウンテンバイクで台湾を一周したことがある。
現地の百貨店で購入した自転車で一周するといういきあたりばったりの旅だったが、なんとか十日ほどで完走した。
もちろん、大学生五人による完全に素人の集まりだったので、この旅で自転車を極めたというつもりは毛頭ない。けれど、なんとなく自転車で長距離を旅する上で気をつけ、心を配るべき勘所はおぼろげに感じたつもりだ。

だが、本書で描かれる自転車ロードレースの世界は、私の理解をはるかに超えて深い。犠牲や駆け引きなど、想像を遥かに超えた複雑な競技のようだ。私はそのことを本書に教えてもらった。

ヨーロッパでは自転車ロードレースはとても人気のある競技である。それは以前から知っていた。本書の中でも言及されているツール・ド・フランスはテレビ中継を視聴したこともある。

だが、私は自転車レースをチーム戦だとあまり考えていなかった。もちろん、チームで参加する以上は団体競技の性格もあるのだろうと思っていたが、ここまでとは。せいぜい、F-1のように二人のチームドライバーがいて、ポイントによっては一方のドライバーがもう一人に勝ちを譲る程度でしか考えていなかった。そもそも、実業団レースと言う認識すら希薄だった。

そうした競技レースの世界に焦点を当てた本書は、一見すると個人競技にも思える自転車ロードレースの競技が、実はチームプレイの性格を強く持っていることを教えてくれる。

似たような競技として、公営ギャンブルである競輪がある。競輪の勝ち負けを決めるのは、単なる速さなどの身体能力だけではないと聞いたことがある。先輩と後輩の関係や、仲の良さ、出身地など、速さ以外の要素が勝敗を分けるため、競輪ファンはそこも含めて予想するそうだ。

ロードレースの世界も、それが当てはまるらしい。チームの中でエースやアシストの役割が設けられる。
各ステージごとの勝利と年間を通しての勝利を目指し、各地の各ステージを転戦する。各ステージは、それぞれ山岳コースや平地のスプリントコースなどの特色がある。選手は自らの得意なコースとそうでない場所を判断し、勝てるところでは全力で勝利を目指す。そうでないコースではポイントを積み上げて年間を通しての勝利のために走る。
だが、ロードレースはチームプレーが求められる。であるが故に、脱輪したエースのためにアシストの選手がその場でタイヤを差し出す事もある。レースを棄権することもあるし、勝てるレースであってもあえてエースに勝ちを譲らなければならないこともある。

自転車ロードレースが持つ密接なチームワークと駆け引き。その世界は、部外者にはわかりづらい。
本書はその人間関係に着目している。各地を連戦する過酷な戦いを描きながら、チームの中で起こる軋轢や葛藤と、そこから生じる人間ドラマを物語に仕立てている。

本書のタイトルのサクリファイスとは、犠牲を意味する。
チームのために犠牲となる選手は、内面にどういう重苦しい思いを宿しているのか。
チームや選手の過去に起こった悲劇。それは犠牲やチーム内の人間関係の葛藤が生んだのかもしれない。
チーム内の疑心とそこから生まれる微妙な人間関係のひだを盛り込みつつ、著者はミステリ仕立てで選手の内面や戦う姿を描ききった。そこに本書の面白さがある。

主人公は、チーム・オッジのチカだ。チカこと、ぼくの視点で本書は物語られる。
チカは、チーム・オッジには入ったばかりの若手だ。チーム・オッジには、同期の伊庭とチームのエースである石尾、それに他のメンバーもいる。各選手たちの互いの協力のもと、スタッフも含めて各地のレースを転々としている。
チカはもともと陸上の選手だったが、速さ故に受ける注目が重荷となった。そのため、チームプレイに徹することもできる自転車ロードレースの世界に飛び込んだ。
だから、もともとアシストの役目に徹することには何の屈託もない。だが、その心はなかなかチームメートには伝わらない。

同期の伊庭は選手としての野心を持ち、それを隠そうともしない。
そんな伊庭に比べ、チカはクライムヒルのコースに強さを発揮し、単なるアシストには終わらない存在感を大会で示し始める。
そんな若い二人の台頭に、エースの石尾はポーカーフェースを貫き、何を考えているのかわからない。
だが、石尾にはかつてレースの中で事故で衝突した仲間が、選手生命を断念した過去を背負っている。その事件については、石尾の地位を脅かそうとしたその選手を石尾が妨害したのではないかとの疑いがささやかれている。

チカは、そんな選手たちの間に漂う空気を感じつつも、選手としてやるべきことを行う。
そんなチカのアシストとしての献身は、海外のチームからも注目され、チームへの誘いもかかる。

日本人選手にとって、海外のチームに参戦する事は見果てぬ夢の一つだ。そこに惹かれるチカ。そうした、選手としての素直な夢とアスリートとしての矜持。そこにチームメートとの駆け引きがうまく絡む。微妙なバランスの上に立つ関係を著者は絶妙に書き分け、物語を進めていく。

かつての石尾が起こした事故の背後にはどういう事情があったのか。
その謎を物語の背後におきながら、本書に陰湿な読後感はない。むしろアスリートとしての気持ちの純粋さを感じさせる余韻。それこそが本書の評価を高めたのだろう。

私はチームプレイがあまり得意ではない。そうした駆け引きが苦手な方だ。だが、また機会があれば数人で近距離の自転車の旅はしてみたいと思う。

‘2020/08/28-2020/08/29


沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 〈下〉


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下巻では、多士済々の沖縄の人物たちが取り上げられる。

瀬長亀次郎と言う人物は私もかねてから存在を知っていた。かつて琉球独立論を掲げた人々が沖縄にはいた。瀬長氏もその一人だ。
独立論を掲げた人々は、今でも独立論を堅持し、県政に主張を通そうとしているそうだ。瀬長氏以外にもそうした人々がいる事は知っておきたい。
そもそも、沖縄は独立できるのかとの問いがある。ただ、それは私たちが本土の人間が考える問題ではない。沖縄の人々が主体で考えるべきことだ。
私は日本に属していた方が得ではないかと考える。だが、それは沖縄にとって部外者の私がいっても無意味な話だと思う。

部外者としての私の無知は、模合を知らなかったことでも明らかだ。模合とは、頼母子講や無尽と同じ、民間の参加者同士が掛け金を出し合うシステムだ。
日本の本土では講や無尽は衰えた。だが、沖縄ではまだまだ模合が民間に強く根付いているそうだ。
日本の本土と沖縄で経済活動に違いが生じたのは言うまでもなく、米軍軍政下の時代の影響だ。それによってアメリカの自由主義が沖縄に蔓延し、経済の体質が変わってしまった。それが今に至るまで日本本土とは異なる経済体制を作った原因となった。だが、私たち本土から来た人間がリゾートの沖縄を歩いている間はそういうことには気づかない。私も気づかなかった。それに気づかせてくれるのも本書の優れたところだと思う。

また、本書からとても学びになったのが、軍用地主を扱っていることだ。
沖縄と言えば必ず基地問題がセットでついてくる。私たち本土の人間は沖縄の基地問題と聞けば、民を蔑ろにした国と国との折衝の中で勝手に沖縄の土地が奪われているとの文脈で考えてしまう。
その補助金が沖縄を潤している現実は理解していても、それはあくまで国有地をアメリカに使わせている補償として眺めてしまう。
だから、日米安保の大義名分の中で沖縄を犠牲にする考えが幅を利かせてきた。そして、中国や北朝鮮などの大陸からの圧迫を感じる今になっては、米軍基地の存在に対して考える事すら難しい状況が出てきている。
だから、その米軍に基地を貸し出している地主が33,000人もいると知った時は驚いたし、そこに沖縄の複雑な現実の姿を感じ取った。

私が国のからむ土地の地主と聞いて想像するのは、三里塚闘争で知られたような反戦地主だ。だが、軍用地主はそうした地主とは性質を異にしているという。
むしろ、軍用地は不動産物件としては利回りが大きく、とても地主にとっても利潤をもたらすのだと言う。実際、それは不労所得の真骨頂ともいえる優雅な暮らしを生み出す収入だ。
著者は地元の不動産会社や軍用地主連合会に取材することで、そうした裏事情を私たちに明かしてくれている。著者がいう「軍用地求む」という広告ビラをとうとう私は見たことがない。米軍基地反対運動へのお誘いビラは多く見かけたが。

単純に基地問題といっても、こうした事情を知った上で考えると、また違う見方が生まれる。根深い問題なのだ。

他にも本書には沖縄の知事選を巡る裏事情や、ライブドアの役員が殺害された事件などにも触れている。上巻にも登場したが、沖縄とは剣呑な一面もはらんでいる。特に米兵による少女暴行事件など、民が踏みつけにされた歴史は忘れるわけにはいかない。

その一方で、著者は女性たちが輝く沖縄について筆を進めている。牧志公設市場の異国情緒の中で感じた著者の思い。沖縄とは人の気配が息づく街なのだ。

本書を読んでいると、沖縄の魅力の本質とは人であることに気づく。
平和学習やビーチや水族館の沖縄もいい。だが、長らく中国大陸と日本の影響を受け続け、その間で生き抜いてきた人々が培ってきた風土を知ることも沖縄を知る上では欠かせない。むしろ、その影響がたくましくなって沖縄の人には受け継がれている。それは著者のように人と会ってはじめて気付くことだ。
著者はジャーナリストとしてこのことをよくわかって取材に望んでいることが分かる。沖縄とは人と交流しなければ決して理解できないのだ。

本レビューの上巻では、私が今までの三回、沖縄を旅したことを書いた。そこで私は、何か飽き足らないものがあると書いた。それが何か分かった。人だ。私は旅の中で著者程に人と会っていない。
私が沖縄で会って親しく話した人は、皆さん本土から移住した人だ。観光客の扱いに手慣れた方なら何人かにお会いした。だが、沖縄の情念を濃く伝えた人と親しく話していない。
そのことを私は痛感した。

私が本土にいて沖縄を感じるのは、沖縄のアンテナショップで買う物産や、せいぜい琉球音楽の中だけだ。
著者は、沖縄芸能史も本書で詳しく触れている。
いまや、沖縄出身の芸能人は多い。
琉球音楽の観点や、沖縄の三線運動など、沖縄の民俗芸能はそれだけで奥が深い。私も那覇の国際通りでライブを鑑賞したことがあるが、本土の衰退した民謡とは違う明らかなエネルギーのうねりを感じた。著者は最近の沖縄の若者が日本の本土のようになってきたことを憂えているが。

本書は締めで本土の人間にとって関心毎である国内/国際政治と沖縄の関係や沖縄の歴史に立ち戻る。

本書を読んでいると、基地問題もまた別の観点から考える必要があると思える。確かに基地は沖縄にとって迷惑のもと。
ただし、その一方で国からの補助金や助成金によって、沖縄の産業が守られてきたこともまた事実だ。その矛盾は、沖縄の人々をとても苦しめたことだろう。

それを感じさせるのが冒頭の民主党による沖縄の基地問題への対応である。当時の鳩山首相が日米を混乱させる言動を連発したことは記憶に新しい。
沖縄を守るのも殺すのも日本政府に課せられた責任のはずなのだが。
かつて琉球処分によって尚氏を琉球国王の座から追いやり、統治すると決めたのは日本政府。
本書にはその尚氏がたどった明治維新後の歴史も詳しく紹介されている。
そして今や日中間の紛争のタネとなっている尖閣諸島の所有者である栗原家についてのルポルタージュも。

とても濃密な本書は、また沖縄に行く前にも目を通すべき本だと思う。

‘2020/08/23-2020/08/27


沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 〈上〉


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二年続けて沖縄に旅した時から早くも四年が過ぎ、コロナの中で逼塞する毎日。
振り返って旅がしたいと思い、本書を手に取った。

沖縄には今まで三回訪れた。

1995年9月は大学の部合宿で20名の同輩や後輩と。那覇港に船から上陸し、名護までタクシー。名護近くのホテルに泊まり、海辺で遊び。翌日はレンタカーで南部へ。おきなわワールドではハブとマングースの戦いを見、ひめゆりの塔の厳粛な雰囲気に衝撃を受けた。国際通りで散々飲み明かした翌日は首里城へ。
若さを謳歌した旅の中、ひめゆりの塔で受けた衝撃の落差がいまだに印象に残っている。

2017年6月のニ度目の訪問は一人旅で訪れた。初日はあいにくの大雨だったが、忠孝酒造で泡盛の製造工程を見学し、沖縄そばの味を求めて数店舗を訪れた。旧海軍司令部壕では太田中将の遺徳をしのび、沖縄県平和祈念資料館では沖縄戦だけでない、戦前の窮乏と戦後の米軍軍政下の沖縄についても学んだ。夜は国際通りの居酒屋で一人で飲んだ。翌日は晴れ渡った知念岬で太平洋の広さに沖縄が島であることを実感し、神域にふさわしい荘厳な斎場御嶽の姿に心から感動した。ひめゆりの塔では資料館をじっくりと鑑賞し、22年前に受けた衝撃を自分の中で消化した。

2018年3月には家族で。知念岬を見せたいと連れて行った後は、アブチラガマへ。完全な暗闇の中、亡くなられた方々の味わった絶望と不条理と無念を追体験した。さらにはひめゆりの塔へ。
翌日は美ら海水族館へ。途中に立ち寄った崎本部緑地公園のビーチの美しさに歓声を上げ、夜は北谷のアメリカンビレッジへ。栃木から沖縄移住した友人のご家族と食事を楽しみ、沖縄への移住についての話を伺った。
最終日は伊計島の大泊ビーチへ。その途中には浜比嘉島のシルミチューとアマミチューの遺跡を。大泊ビーチは素晴らしかった。帰りには伊計島灯台に寄り、さらにキングタコスの味を堪能し、勝連城跡の勇壮な様子に感動した。那覇に戻って国際通りで買い物をして、帰路に就いた。

なぜ本書にじかに関係のなさそうな私の旅を記したか。
それは私の沖縄の旅が、通り一遍の平和とリゾートだけの旅でないことを示したかったからだ。これらの度で私が巡ったコースは、平和とリゾートの二つだけでない、バラエティに富んだ沖縄を知りたいとの望みを表している。

だが、沖縄はまだまだ奥が深い。
沖縄はしればしるほどそこが知れなくなる。とても重層的な島だ。

平和やリゾートを軸にした通り一遍の見方では沖縄は語れないし、語ってはいけないと思う。だが、私ごときが違った沖縄を味わおうとしても、しょせんは旅人。よく知るべきことは多い。
例えば著者のようなプロの手にかかると。
本書は、ノンフィクションライターである著者が表向きのガイドマップ向けに語られる沖縄ではなく、より深く、予想外の切り口から沖縄のさまざまな実相を描いている。

上巻である本書が描くのは、基地の島の実相と、沖縄の経済、そして任侠の世界だ。

Ⅰ 天皇・米軍・おきなわ

これはタイトルからしてすでにタブーに踏み込むような雰囲気が漂っている。
とはいっても、そこまで過激な事は書かれていない。ただ、本章では昭和天皇がとうとう一度も沖縄を訪れなかったことや、沖縄県警が沖縄戦を経て戦後の米軍の軍政下でどのような立場だったか、そうした沖縄が置かれた地位の微妙な部分がなぜ生じたのかに触れている。
本書の冒頭としてはまず触れておくべき点だろう。

Ⅱ 沖縄アンダーグラウンド

これは、本書を読まねば全く知らなかった部分だ。どこの国にもどの地域にもこうしたアンダーグラウンドな部分はある。
沖縄にももちろんそうした勢力はあるのだろう。だが、旅行者としてただ訪れるだけではこうした沖縄の後ろ暗い部分は見えてこない。
こうした部分を取材し、きちんと書物に落とし込めるのが著者のノンフィクション作家としての本領だろう。

むしろ、米軍の軍政下にあったからこそ、そうした光と闇をつなぐ勢力が隙間で棲息することができたのではないだろうか。
戦前から戦後にかけ、沖縄はさまざまな政治と勢力が移り変わった。権力が空白になり、権力が超法規的な状態の中で生き延びるやり方を学び、鍛え上げていった勢力。そこで狡猾な知恵も発達しただろう。これは旅行者やガイドブックにはない本書の肝となる部分だと思う。

沖縄の人々は被害者の地位に決して汲々としていたのではなく、その中でも研げる牙は研いできたのだろう。

Ⅲ 沖縄の怪人・猛女・パワーエリート(その1)

その1とあるのは、下巻でもこのテーマが続くからだ。
沖縄四天王という言葉があるが、戦後の米軍の軍政下でも力を発揮し、成長した経済人が何人もいる。

日本本土にいるとこうした情報は入ってこない。沖縄のアンテナショップに行けば、沖縄の産物は入ってくる。本章にも登場するオリオンビールのように。
だが、その他にも何人もの傑物が戦後の沖縄で力をつけ、日本へ復帰した後もその辣腕をふるった。
立志伝の持ち主は沖縄に何人もいるのだ。

‘2020/08/19-2020/08/23


黄金峡


公共事業の推進。国による大規模な工事や事業。
それは、あらゆる利害関係の上に立つ国が行使できる権力だ。

国の事業によって影響を受ける人は多い。
例えば、ダムの建設に伴って立ち退きを余儀なくされる人々だとか。本書に登場する村人たちのような。
国が判断した事業がいったん動きだすと、村人たちの思いなどお構いなしだ。事業は進められ、山は切り崩され、川はせき止められる。

国の事業とはいえ、ダムによって立ち退きを強いられる村人がすぐに賛成するはずはない。
自らが生まれ育った景色、神社、山々、川、あらゆるものが水の中に沈む。それは普通の人であればたやすく受け入れられないはずだ。

一方の国は、何が何でも事業を成し遂げるために金をばらまく。ばらまく相手は立ち退きにあたって犠牲となる住民だ。
そのお金も中途半端な額ではない。村人の度肝を抜くような金額だ。それらが補償金額として支出される。
そのため、あらゆる補償対象に対して値段がつけられる。村のあらゆるものが文字と数字の柱に置き換えられる。価値は一律で換算され、その柱の中に埋没していく。個人の感傷や思い出など一切忖度されずに。

その補償は村人に巨額の利益をもたらす。潤った村を目当てに群がった人々は狂宴を繰り広げる。
本書のタイトルは、狂奔する村人の姿を黄金郷と掛け合わせて作った著者の造語である。
その峡とはモデルとなった只見地方のとある村の姿になぞらえたものだ。

その金を手にし、好機が来たと張り切る人。戸惑う人。
金が入ってくると聞きつけ、捨てたはずの故郷にわざわざ戻る人もいる。また、何があっても絶対に山から出ないと頑強に拒む人もいる。
人々は金の魔力に魅入られ、金の恐ろしさを恐れる。
事業を進める側は、あらゆる搦手を使って反対派を切り崩しにかかる。金銭感覚を狂わせ、一時の快楽に身を委ねさせ、懐柔につぐ懐柔を重ねる。

ありとあらゆる人間の醜さが、ひなびた山峡を黄金で染めていく。人々はそれぞれの思惑をいだいている。
そうした思惑を残した交渉には百戦錬磨の経験が必要だ。国が送り込んだ事業の推進者はそうした手練手管に長けている。

本書は、そうした人々の思惑を、一人一人の過去や人格まで掘り起こさない。なだらかだった日々が急に湧き上がり、そしてしぼんでいくまでを冷徹な事実として描いている。
冷静に事実を描くことによって、金に踊らされた人々の愚かさをあぶりだす。その姿こそ、人間の偽らざる姿であることを示しながら。

本書を通して、一時の欲にまみれる人の愚かさを笑うことは簡単だ。
だが、多額の金は人を簡単に狂わせる。多分、私もその誘惑には抗えないだろう。

こうした公共事業に対する反対の声は昔からある。
本書にも、都内からわざわざ反対運動のためにやってきた大学生の姿が描かれる。公権力が振りかざす強権に対し、民はあくまでも抵抗すべきと信じて。
それでも、国は下流の治水が求められているとの御旗を立て事業を推進する。

問題はその事業にあたって巨額の金が動くことだ。土木事業を請け負う業者には巨額の金が国から流れ、それが下流へと低きへと流れてゆく。
それは、流域の人々の懐をうるおす。

問題は、その流れが急であることだ。金に対して心の準備をしていなければ、価値観や生活の基盤が急流に持っていかれる。生きるために欠かせない水が時に生活の基盤を破壊し、氾濫のもととなってしまうように。
そして、金の流れが急に増えたからといってぜいたくに走ってはならない。その急流は、国が金を流したからなのだ。それを忘れた人は、金が枯れたときに途方に暮れる。
国が金を降らせるのは一度きりのこと。同じだけの金を人が自由にできやしない。一度枯れた水源は天に頼るほかないのだ。

公共事業に対する反対とは、公共事業による環境の変化よりも、金が一時に急激に動くことへの懸念であるべきだ。
その急激な金の流れに利権の腐臭を嗅ぎつけた人々は、全ての人は公平であるべきと考え、その理想に殉じて反対運動に身を投じる。
そうした若者や左派の政治家がダム反対などの公共事業に反対運動を起こす例は三里塚闘争以外にも枚挙にいとまがない。田中康夫氏が長野県知事になった際も「脱ダム」宣言をした。民主党政権時にも前原国公相が八ッ場ダムの凍結を実施した。

中流・下流への治水の必要性は分かる。だが、それを上流のダム建設で補おうとしたとき、上流の人々の既得権は侵される。その時、金ですべてを解決しようとしても何の解決もできない。
全ての人が幸せになれることは不可能。そのような諦念に立つしかないのだろうか。
結局、公共の名のもとによる補償がどこまで有効なのかについて、正しい答えは永久にできない気がする。

少なくとも本書に登場する村人たちは、二度生活を奪われた。
一度は故郷の水没として。二度目は金銭感覚のかく乱として。
本書はその事実を黄金峡という言葉を通して描いている。

私たちは、公と個を意識しながら生きるだけの見識は持っておきたい。
それが社会に生きることの意味だと思う。

‘2020/08/18-2020/08/19