打たれても出る杭になれ 自らの弱点・失敗をバネにして


私の人生観に最も影響を与えた本。それはひょっとすると本書かもしれない。
本書を読むのは今回が初めてだったというのに。

では、なぜそう思うのか。
その訳は、本書のタイトルが物心のついた頃から私の目にずっと触れていたからだ。
それがいつからだったかは覚えていないが、おそらく小学校の低学年あたりからだと思う。
それから小中高を過ごし、大学三回生の年に阪神・淡路大震災で家が全壊するまでの期間のほぼ毎日、私は実家の本棚に収まっていた本書のタイトルを見ていたはずだ。

本書のタイトルは「打たれても出る杭になれ」だ。つまり出る杭になることを前提としている。
打たれても出ることのできる強い生き方。本書のタイトルはそれを一言であらわしている。
本書を買ったであろう父は、私に対する教育効果など考えていなかったはず。だが、この文句は思った以上に私の人生に深い影響を与えていたかもしれない。

本書を読む少し前、実家に帰省した。そして本棚に収まっている本書に目を留めた。
実家を出てから21年。21年間、本書の存在は忘れていたにもかかわらず、実家に帰ったら本書に目が留まった。それも何かの縁なのだろう。
奥付によると本書の出版は1979年。40年強の年月をへて、ようやく本書を読むことになった。

だいぶ前に勤め人から独立した私。
だから、いまさら本書を読んで独立に向けて心を奮い立たせる必要などない。
だが、このタイミングで本書のタイトルに惹かれたのには何か理由があるはず。
年齢を重ね、自分の心身の衰えを感じたのかもしれない。もしくは弊社で人を雇用する次のステップに進むにあたり、今一度、初心に帰りたいと感じたのかもしれない。

そんな私が本書を読んでみて思ったこと。それこそが、冒頭に書いた通りだ。実は本書のタイトルこそが私の人生に深い影響を与えてきたのではないか、ということ。

本書には13人の方が語るそれぞれの人生とそこからつかみ取った哲学が述べられている。
私はその中の8人の名前しか存じ上げなかった。だが、どの方も名を遂げた方であることは確かだ。
どの方も高度成長期の日本を支えてきた。そして敗戦した日本を経験し、貧しさと苦しさを経験してきた。
そして、本書が出された1979年。日本の高度成長期がオイルショックによって頭打ちとなったとはいえ、情報時代か到来するのは十数年も先の話。バブルで浮かれる時期にすら至っていない。
ということは、まだ昭和の考え方が全盛の頃だ。

打たれても出る杭とは、出る杭が目立ってこそ成り立つ話だ。
本書は、出る杭が目立つ時代に出版された。組織の力が日本を奇跡的な成長に導いた神話が息づいていた時代。
組織を飛び出すことが異端児にも等しい扱いを受けた時代だ。

だから本書の序章で描かれる「打たれても出る杭」とは、逆境からの奮起を指している。
組織から外れて独立を推奨する訳では決してない。
そのため本書で語られる趣旨は、個人や組織がどうだろうと関係がない。もちろん独立も。
要は個人として挫折にいかにして立ち向かうのか、ということだ。

だが、十三人の話はそうした観点だけにとどまらない。
組織の中でのささいな失敗も描かれるし、スポーツ選手の勝負の世界も描かれる。諦めないことで活路を開いた話も登場する。
組織を率いることの妙味と、人をうまく使うことの難しさと喜びも描かれる。もちろん独立して会社を興し、大手に育て上げた立志伝も語られる。

本書に取り上げられているのは、職業も立場も多様な人々だ。それぞれの人生にはその数だけの逆境がある。どういう立場であれ、逆境を乗り越えた人物、だからこそ、本書にも取り上げられている。
こうした話から伺えるのは、出る杭を協調性や同調圧力といった観点で考えてはならないということだ。

結局、それぞれの人生を決めるのは個々人だ。
人が自らの人生をどう生きるのか。それに尽きる。

では、「打たれても出る杭」とは本書において何を指しているのだろうか。
私はこう考えた。
出る杭には基準となる平らな座標軸がある。その座標軸とは、あらゆる人々の平均値だ。
その平均値とは、さまざまな人々の中の最大公約数を抽出した要素。つまり、多くの人々に共通する要素だ。例えば小中高大を出て会社に勤め、定年まで勤めあげることは、1979年にあっては平均的な生き方だろう。
つまり、大きな軸とは人々の間にある通念や平均的な生き方を指す。それにたいして出る杭とは、現状維持や平穏を良しとせず、それに抗うことだ。
ところが、そうした努力を冷笑する内なる声がある。努力を軽蔑し、挑戦や奮起を醒めた目で見る内なる声。または人々から受ける同調圧力もそれに属する態度だろう。
そうした内なる弱い自分に抗う強さ。それこそが「打たれても出る杭」の要諦だろう。

そうした弱い自分とは、挫折や蹉跌の時にこそ勢いを増す。
その弱さに負け、打たれてしまうと、平板な自分に落ち着いてしまう。そして、挑戦を避け、組織の中に埋没して終わってしまう。

組織の中であっても、弱い自分に抗い、出る杭になれた人は本書に登場するだけの力を蓄えられる。

むしろ、組織の力が強い時代だった当時に、本書に取り上げられるだけの個の強さを持つことは、今よりも難しかったのではないだろうか。
今のようにYouTubeやTwitterやブログなどの手段がなかった時期だからこそ、13人にはすごみが感じられる。
これらの人々の語る人生についての考えを読むと、打たれても出る杭、とは、自らの可能性に対しての言葉なのだと理解できる。

そう考えると、今の私に本書が刺さってきた理由が分かる。
それは、努力を怠っていた私への無意識からの叱咤なのだろう。
その努力とは、人を雇い、家族以外の人の人生に責任を持ち、後進を育成することへの努力だ。
個人の力でずっとやってきた私が怠っていたのが、そうした努力。
そうした能力をこれからは磨く。そして、今までの自分が打っていたのが、自分の可能性という杭だったことを自覚する。

そんな時、妻が本書のタイトルを見て言ったことがある。
若いラッパーか誰かが「出る杭は打たれる」なら、打たれないぐらいに出ればいい、むしろ引っこ抜かれて取り立てられぐらいに、と言ったそうだ。まさにそう。周りに合わせるのではなく、自分の可能性を最大限に高める。これこそが生の意味だと思う。

本書を読んでから一年数カ月がたち、ようやく人を雇えるまでになった。
あとは、本書が私の人生にどのような影響を与えてくれたのか、これからの人生で明らかにしていくことだ。
それまでに実家の本棚に本書を返却しなければ。

‘2019/9/28-2019/9/29


あの日からの建築


本書もまた、『建物と日本人 移ろいゆく物語』に続いて建築という営みに興味を持って読んだ一冊だ。
丹下健三氏の自伝を読もうと図書館を探したが、見当たらなかったので本書を手に取った。
著者の名前は、建築関連の文章を読むと時折目にしていた。建築界では著名な方に違いない。だから、建築とは何かを知るにはふさわしいと思った。

本書のタイトルにもある「あの日」とは3.11を指す。すなわち東日本大震災。
建築家にとって地震とは己の腕を試される試練だ。
想定した耐震設計が揺れに耐えられなければ建造物は倒壊する。揺れに耐えても津波などが次々と押し寄せる。
倒壊した場合、己の技術の未熟さがさらされる。一方で、災害に耐え抜いた姿が賞賛をもたらすこともある。
著者が手掛けたせんだいメディアテークは、東日本大震災においてわずかな損害を受けただけだったようだ。

著者は東日本大震災を機に建築のあり方や、建築家としての生き方を見直したという。
「日本の社会で、建築家は本当に必要とされているのか」(27P)。
このように自らを省みた著者は、釜石で復興支援プロジェクトに携わる。

建築家はただ建物を設計するだけでよいのか。その問いは建築家である自らの存在意義を揺るがす。
津波で街全体が更地となり、街を一から再構築する必要が生じた際、建物一つを設計すればよいだけの建築家に居場所はあるのだろうか。
そもそも建築とはそこに住まい、通う人々があって成り立つはず。
であれば、街の人々が復興にどう取り組み、それにどう建築家として関与するのかを問わねばなるまい。

設計する。作る。そして住まう。この建築に関わる三つの工程が終われば設計者が関与する余地はなくなる。
つまりその建物がどのように街の中で息づき、活用されるかを設計者が点検する機会がなくなるのだ。
地震によってあらわになった建築家の存在意義。著者の危機意識はそこに発している。

著者は仙台市宮城野区の「みんなの家」にも関わる。
震災後の仮設住宅は行政によって用意された。だが、住民が交流する場所や心を落ち着ける場がない。「みんなの家」はその要望に応じたものだ。
著者は「みんなの家」で住む人と作り手の交流を体感し、建築家としてのこれからのあり方をとらえたことに心を動かされる。

著者はその反省を生かして「伊東建築塾」という私塾を立ち上げる。建築を一般の市民にも開かれたものにしようとする試みだ。
建築家とは現実の社会から遊離しているのではないか、という著者の真摯な反省。その答えがこの私塾として結実する。

本書に満ちているのは、著者の自らへの問いかけや反省だ。
コンセプトがありきで建てられた建築物は、現実に住む人々のことを本当に考えた設計になっているのか。
これは『建物と日本人 移ろいゆく物語』のレビューにも書いたが、私を含めたわが国の人々が建築物に無関心な理由の一つであるに違いない。

続いて著者は、自らの建築家としての歩みを振り返る。
最初は一般の住宅を手掛け、そして徐々に公共の大きな建物へとステップアップした著者。
だが、著者は自らの歩みを振り返り、自らのキャリアに飽き足らない思いを抱く。

著者の歩みは、建築家として一般的なものだろうか。門外漢の私にはよくわからない。
当然ながら、その時々に手掛けた仕事は、その時々の精一杯の力を出しているはずだ。だが、後から思い返すと反省ばかりが目につく。それは私にも理解出来る。

むしろ、著者は、成長してきた自分を見つめなおしたからこそ、この流れの先にさらなる高みを見いだしたのだと思う。
まず社会に飛び込み、その中で苦しんで設計を作り上げるスタイル。それこそが自らのスタイルだったことに気づく。
そのスタイルをベースにし、今の時点で達したレベルとこれからの向上への伸びしろを考える。

そこから導き出された考えとは、その時々のレベルや流行に一喜一憂しないというものだ。
自らの建築家としての意識がどう変わってきたかを、過去を読み解きながら理解する。
社会に飛び込み、その中で住まい方や社会の要請と葛藤する。その姿勢がぶれない限り、今後の成長も見込める。そして、建築家が社会に対してどうやって貢献出来るかの答えが見つかる。
著者はそのような考えにたどり着いた。

著者は公共建築の権威性を壊したいという。
私に限らず、一般の人々が建築に興味を持たない理由。それは、近年、急激に増えた建造物のほとんどが、似たり寄ったりの外観だからではないか。
建築の妙味を知ろうと思えば寺社仏閣などの歴史的建造物か、近代ならばシンボルとなり得る大掛かりな建物しかない。

公共建築である以上、機能が優先される。そこに権威性の衣をまとわせようとしたとき、機能が足かせとなって似たようなデザインに落ち着いてしまう。
機能とはつまり、建築物をどう使うかという機能設計だ。
機能設計については建築家が入り込む余地がない。
コンセプトがありきで建てられた建築物は、現実に住む人々のことを本当に考えた設計になっているのか。この著者の問いがまさに矛盾となってあらわれたのが公共建築だ。
そうした矛盾を著者は権威そのものと受け取った。著者が壊したい権威性とはこのことだろう。

秩序の象徴としてではなく、建築物に違う意図を持たせられないか。
著者はそこで建築の秩序を自然の秩序で置き換える試みを行う。
自然の秩序には直線はない。曲線が主だ。
そこに著者は建築家としての突破口を見いだす。
自然の秩序を建築物で表すには、建築の内部環境を外部環境に近づければよいのではないか。著者はそう考える。

また、著者の公共建築の権威性とは、建築物に対する批評性が社会から遊離したことに問題の根本がある。そう著者は述べている。
著者にとって建築の外観と機能が乖離している問題。それは、建築そのもののあり方に加え、建築の本質が社会の内と外で隔てられていることにあるということだろう。

それは著者が3.11で学んだことにも通じる。地震と津波が建築の内と外を心理的にも物理的にも壊してしまった。
それを再構築する上で、建築を外から区切るものではなく、内と外をつなげられないか。その主張こそが本書の核心だと思う。

今まで触れてこなかった建築家の主張。それを本書で知ったことで、私にとっても建築物を見る目がさらに磨かれた気がする。旅先などで建築の粋を見て回りたい。

‘2019/9/27-2019/9/28


建物と日本人 移ろいゆく物語


本書を読もうと思ったのは、先頃に読んだ『HIROSHIMA』の影響だ。
『HIROSHIMA』は広島の被曝からの復興を四人の人物に焦点を当てて描いていた。
描かれた四人の一人が丹下謙三氏だった。
そこで描かれた丹下氏の方法論、つまり都市の景観を建物の外まで広げ、都市としてのあり方を定める方法に感銘を受けた。
そして、久しぶりに建築や建築家の世界に興味が出てきた。そこで本書を手に取った。

図書館に行って丹下健三氏の自伝を探したが何か見当たらなかった。かわりに目に入ったのが本書だ。
丹下氏の思想もよいが、まず日本人にとって建物か何かということを考えてみよう。そう思ったのが本書を手に取ったきっかけだ。

本書の編者は共同通信社取材班である。さまざまなスタッフが日本の中の、または世界中の日本人が関わった建物を取り上げている。
その数49棟。すべてに写真が載せられている。
以下にリストを掲示してみる。なお、※が付された建物は実際に私が入ったことのある建物だ。また、〇が付された建物は外から外観を見たことがある建物。

東京スカイツリー※
光の教会
あさこはうす
グラウンド・ゼロ
雄勝硯伝統産業会館新館
核シェルター
神戸ポートピアホテル⚪︎
新宿末廣亭⚪︎
オートバイサーカス小屋
辻村史朗の家
城山の鐘つき堂
森のイスキア
クッキングハウス
みかわ天文台
ジャパニーズ・バー
枯松神社
五島列島の教会
札幌市時計台⚪︎
富岡製糸場※
旧神戸移住センター
大鳥居・南米神宮
深沢晟雄資料館
パリ国際大学都市日本館
鉄道遺産
東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)※
佐喜真美術館
旧朝鮮民族美術館
サドヤ
ギャラリー・エフ
サファリホテル
出雲大社※
興福寺中金堂
三仏寺投入堂
瑠璃光寺五重塔
丸岡城※
神長官守矢史料館※
基町高層アパート
高松丸亀町商店街
吹屋小学校
聴竹居
渡部家
杉本家住宅
西の正倉院
篪庵
有料老人ホーム長寿閣
芝川ビル
坂出人工土地
本の学校
金時娘の茶屋

今まで私がそれほど建物に関心を持たずに過ごしてきたため、本書に取り上げている建物で※か〇が付された建物はそれほど多くない。
私が見たり入ったりした建物の数の少なさは、私の経験の貧しさでもある。反省しなければ。

私がそれほど建物に関心を持たずに過ごしてきたのは、私の持って生れた感性にもよるのだろう。
だが、生れてからの経験の積み重ねにも影響されているのではないか。そんな仮説を考えてみた。

私が今、住んでいる家は建売だ。また、私が生れてから幼稚園の頃までは団地に住んでいた。阪神・淡路大震災後に両親が建て直した家も普通の間取りだった。これらの場所での生活年数を足すと30年ほどになる。人生の約2/3だ。
それ以外にも、多くの時間を殺風景な学校で過ごしてきた。
その結果、建築物への関心を失ってしまったのだろうか。画一的な感性に毒されて。

こう考えてみると、建築に無関心なのは私だけではないようだ。日本人の多くが建物に関心を持たずに生きているように思える。
それは、画一的なオフィスビルや建売住宅といった設計の建物に慣らされたからだろうか。
ウサギ小屋と揶揄されたわが国の土地事情からくる家屋の狭さが原因なのか。
それとも自然災害に無力さを感じるあまり、家屋などしょせんは一時の仮宿という諦めがあるからか。
寺社仏閣が重厚で厳かなあまり、それと対比する自らの家屋は控えめにするような国民性が隠されているからなのか。

その結果、建築という営みについて何も感じなくなってしまうのだろうか。
私には、その理由がわからない。

だが、本来ならばわが国にこそ、個性的な建築がもっとあってよい気がする。
むしろ、新たな文化を取り入れることに抵抗がなく、中華圏をはじめとした異文化を取り入れ続けてきたわが国であるからこそだ。個性的でかつわが国の風土にあった多様な建物があってしかるべきなのだ。
家を建て、家に住む営み。本来ならば、その営みにはもっと個人の性格が色濃く現れてもよいのではないだろうか。
そして、人々が建物に対する関心をもっと持つべきではないだろうか。

ここに登場する建物には、それを設計する人の思想や住んでいる人々の思いが濃厚に込められている。

建築士が何を思って設計したか。それは建物によってさまざまだ。
ある建物は施工主の意向が強く働いている。また、施工主の職種や職業上の動線を考えた結果でもあるだろう。
毎日を過ごす建物であるがゆえに、どうすれば自らの感性にとって心地よい場所となりうるか。
そしてその施主の思いを建築士がどう解釈し、どう培った感性と技で味付けしたのか。
そこには当然、日本の風土が反映する。日本の歴史や文化の中でもまれ、洗練されてきた粋が建築物として具現する。

本書に登場するこれらの建物には、わが国の雑多な文化が集まった粋がより先鋭的な形で現れている。
それらを鑑賞するだけなら、芸術品を鑑賞することと変わらない。
だが、家を建て、家に住まう営みとは、もっと生きる営みに深く関わっているはずだ。
芸術作品はあくまで外から鑑賞して感性を豊かにするためのものであり、生きる営みそのものとはリンクしない。

おそらく、今のマンションや建売住宅が失ってしまったものも同じではないだろうか。それが本書に登場する建物たちは体現しているのに違いない。
それは多様性。
それは私自身も今の年齢になって意識するようになってきた概念だ。これからの日本にとっても重要な概念となることだろう。

そして多様性こそは、今後の少子化の中で住宅メーカーや工務店が目指すべき活路なのかもしれない。

‘2019/9/23-2019/9/26


信濃が語る古代氏族と天皇ー善光寺と諏訪大社の謎


本書はとても面白かった。私のここ数年の関心にずばりはまっていたからだ。

その関心とは、日本古代史だ。

日本書記や古事記に書かれた神話。それらは古代の動乱の一端を表しているのか。また、その動乱はわが国の成り立ちにどう影響したのか。
大和朝廷の起源はどこにあり、高千穂や出雲や吉備などの勢力とはどのようにしのぎを削って大きくなってきたのか。
神功皇后の三韓征伐はいつ頃の出来事なのか。熊野から大和への行軍や、日本武尊の東征は大和朝廷の黎明期にどのような役割を果たしたのか。
卑弥呼や壱与は歴代天皇の誰を指しており、邪馬台国とは畿内と九州のどちらにあったのか。
結局、日本神話とは想像の産物に過ぎないのか。それとも歴史の断片が刻まれた史実として見るべきなのか。そこに尽きる。

わが国の古代史の謎を解くカギは、現代まで散在する神社や遺跡の痕跡をより精緻に調べることで分かるのだろうか。
上に挙げた土地は、そうした歴史の証人だ。
そして、本書で取り上げられる信濃も日本の古代史を語る上で外せない場所だ。

国譲り神話に記された内容によると、建御名方神は建御雷神との力比べに敗れ、諏訪まで逃げたとされる。そしてその地で生涯を終え、それが今の諏訪大社の起源だともいう。
出雲から逃れた建御名方神は、諏訪から出ないことを条件に助命された。そのため、他の国の神々が出雲に集まる10月は、諏訪では神無月と呼ばないという。出雲に行けないからだ。

実際に諏訪大社やその周辺の社に詣でると、独特のしきたりが見られる。例えば御柱だ。四方に屹立する柱は、日本の他の地域ではあまり見られない。

私は友人たちや妻とここ数年、何度も諏訪を訪れている。諏訪大社の上宮、下宮はもちろん、守屋山にも登ったし、神長官守矢資料館にも訪れた。
諏訪を訪れるたびに力がみなぎり、旅の喜びも感じる。
この辺りの城や神社や地形から感じる波動。私はそれらに惹かれる。おそらく、神話が発する浪漫を感じているのかもしれない。

さらに、この辺りには神話の時代より、さらに下がった時代の伝説も伝わっている。それは上にも書いた守屋山に関するものだ。
守屋とは物部守屋からきているという伝承がある。
物部守屋とは、日本に仏教が入ってきた際、仏教を排撃する立場にたった物部氏の長だ。蘇我氏との権力争いに敗れた物部氏が諏訪に逃亡したという伝説がある。現代でも物部守屋の末裔が多く住んでいるという。
上に書いた建御名方神が諏訪に逃げた神話とは、実は蘇我氏に敗れた物部氏を描いているという説もあるほどだ。

本書の序章では、建御名方神の神話を振り返る。
海から糸魚川で上陸して内陸へと向かい、善光寺のある長野から松本を通り、諏訪へと至る道。その道に沿って建御名方神を祀る神社の多いことが紹介されている。かつて、何らかの勢力がこの道をたどって糸魚川から諏訪へと至ったと考えてよいだろう。
さらに、その痕跡には九州北部を拠点としていた海の民の共通点があるという。
松本と白馬の間に安曇野という地名がある。ここも阿波や安房やアマの地名と同じく海の民に由来しているという。

第一章では「善光寺秘仏と物部氏」と題されている。善光寺と諏訪大社には建御名方神という共通項がある。
そもそも善光寺とは由来からして独特なのだという。それは高僧や名僧や大名が建立したのではなく、本田善光という一庶民がきっかけであること。本筋の仏教宗派ではなく、民俗仏教というべき源流。そこが独特な点だ。
また、善光寺は現世利益を打ち出している。牛に引かれて善光寺参り、とは有名な言葉だ。
その思想の底には、過酷な自然に苦しめられ、自然に対して諦念をかみしめるわが国に独特の思想があるという。現世が過酷であるがゆえに、自然を征服せんとする西洋のような発想が生まれなかったわが国の思想史。
その思想を濃厚に残しているのが善光寺であるという。
さらに、誰も見たことのないという秘仏や、善光寺の七不思議といわれる他の仏閣にない独特な特徴。

本田善光が寺を建てたきっかけとは、上にも挙げたように物部守屋と蘇我稲目の仏教を導入するか否かで争った際、捨てられた仏像を拾ったことにあるという。
つまり善光寺と諏訪大社は物部守屋でもつながっていたという。次から次へと興味深い説が飛び出してくる。
さらに著者は、物部氏と蘇我氏が実は実権をめぐる争いをしておらず、実は共闘関係にあったという衝撃の説も述べている。
また、聖徳太子が建立したとされる四天王寺と物部守屋との関係や、信濃(しなの)や長野といった地名の起源も大阪の河内にあったのではという説まで提示する。もうワクワクしかない。

第二章では「諏訪信仰の深層」と題し、独特な進化を遂げた諏訪大社をめぐる信仰の独自性を探ってゆく。
上にも書いた通り、諏訪大社の周辺に見られる独特な民俗の姿は私を飽きさせない。御柱もそうだが、神長官守矢資料館では独特の神事の一端を垣間見ることができる。
鹿食免という鹿を食べてもかまわない免状など、古来の狩猟文化を今に伝えるかのような展示など、興味深い展示がめじろ押しだ。
ここは藤森照信氏による独特の外観や内部の設えも含めて必見だ。

この地方にはミシャグジ信仰も今に残されており、民俗学の愛好家にとってもこの辺りは垂涎の地である。
上社の御神体である守屋山に伝わる物部守屋伝説も含め、興味深いものが散在している。
本章では、そうした諏訪信仰の深みの秘密を探ってゆく。なんという興味深い土地であろうか。

第三章では「タケミナカタと海人族」と題し、古代日本を舞台に縦横に活躍した海の民が信濃にもたらしたものを探ってゆく。
歴史のロマンがスケールも豊かに描かれる本章は、本書でももっともワクワクさせられる。
安曇野が海由来の地名であることは上にも書いたが、宗像大社でしられる九州北部のムナカタがタケミナカタに通ずる説など、興奮させられた。
神社の配置に見られる規則や、各地の神社の祭神から導き出される古代日本の勢力の分布など、まさに古代史の粋が堪能できる。

第四章は「信濃にまつわる古代天皇の事績」
神功皇后をはじめ、神話の時代の天皇と神社にあらわれた古代日本の勢力の関係などについても興味深い。
あらゆる意味で、古代史の奥深さが感じられる。
まさに日本書記や古事記の記述には、古代史を探る上でヒントが隠されている。今に残る史跡や神社や民俗とあわせると、より意外な真相も明かされるのかもしれない。

もちろん、著者の述べる魅力的な説をうのみにして、これが史実だ、などと擁護するつもりはない。
だが、私にとって歴史とはロマンと一体だ。
本書はまさにそれを体現した一冊だ。また機会があれば著者の本は読んでみたいと思う。

‘2019/9/19-2019/9/24


amazon 世界最先端の戦略がわかる


私はあまりamazonで買い物をしない。
そもそも私は物欲よりも知識欲のほうが勝っている人だ。そのため、普段はオンライン・ショッピングすらあまりしない。amazonもたまに本を買う程度だ。
だが、amazonのすごさについては十分に理解しているつもりだ。

あらゆる商品を扱うamazon世界の豊かさ。家にいながらにして世界中の品物が手に入るのだから、現代のサンタクロースと呼んでも過言ではないだろう。

2018年から世界の長者番付の筆頭に就いたのはamazonの創業者であり、今もamazonを率いるジェフ・ベゾス氏だ。
世界中のオンライン上の流通をほぼ一手に握ったのだから、氏が世界一になった理由もわかる。

だが、私のような技術者にとって、amazonのすごさは別にある。それはAWSだ。
AWSこそはクラウドの雄だ。情報技術の基盤サービスとして必要なあらゆるサービスを網羅されている。おそらくGoogleやMicrosoftの同種のサービスよりも。
そのすごさは、技術者の誰に聞いても証言してもらえることだろう。
あえて弱点をあげるとすれば、英語ベースのドキュメントが多いため英語圏以外の人にはとっつきにくいことだろうか。

本書はAWSを含めたamazonのビジネスモデルについて解説する。
著者は日本マイクロソフトの社長として名の知れた方だ。その視点は、amazonと同じGAFAMを構成するMicrosoftの経営を知っている。
だが、そのような上を見た人の視点でありながら、著者はamazonに対して驚嘆を隠さない。
その結果、本書は全体としてamazon礼賛の論調が勝っている。

だが、それもうなずける。それほどにamazonのすごさが圧倒的なのだ。そのすごさは本書を読めば読むほどに感じられる。
規模が巨大なだけでなく、その成長の速さこそがすさまじい。世界史の上でもamazonほどに急成長を遂げた企業は見つけにくい。おそらくダントツだろう。
しかもamazonは自らの企業情報をあまり公表しない。そのため、本当の規模がどれぐらいなのかはもはや誰にも分らない。おそらく創業者のジェフ・ベゾス氏でさえも。

その秘密として著者はいくつかの切り口から語る。
まずは、徹底した投資主義だ。
儲けや利潤を留保せず、全て拡大のための投資に振り向ける。それによって税金の支出を抑え、自社の規模を拡大することに専念する。
また、amazonが各事業体ごとに自由意志を持ち、ジェフ・ベゾスですらも統制していない。統制をやめることによって管理コストを抑える。
管理のための管理には一切の無駄金は使わない。その金はすべて拡大のための投資に振り向ける。その徹底は見事だ。
それによって組織は肥大しない。しかも、防御のための費用が節約できるだけでなく、企業の活力は維持される。
これが普通の会社であれば、規模の拡大と同時に統制や管理にも気を配る。だが、amazonはそれをしない。だから他社と違って拡大の規模とスピードが違う。それが他社のサービス規模を凌駕し、サービス内容でも優位に立てる。

全ての利潤を自社でまなかうサービスや体制の増強に回す。
本書を読むと、amazonとは徹底した自前主義であることが理解できる。
物流やシステム回りを自社で構築することにより、他社の都合や支払いを気にせずに社業の拡大に専念できるのだ。
その構築のノウハウを研ぎ澄まし、クラウドとして全世界に広げたのがAWSということだろう。

物流網の構築やシステムの内製により、世界中に兵站の網の目を張り巡らせたamazon。
いまや、圧倒的な商品点数と物流網を確保することで認知度は圧倒的になり、さらに潤沢なキャッシュフローを擁するまでになった。
著者はそのキャッシュフローの潤沢さこそがamazonのすごさだという。

仕入れた商品が手元でキャッシュになるまでのキャッシュ・コンバージョン・サイクル(CCC)という指標がある。
amazonは小売業でありながら、その値がマイナスなのだ。ウォルマートでさえCCCは12日なのに。普通、CCCがマイナスになるのは飲食業などその場で現金払いがされる業態に限られる。それなのに小売でそれを実現したamazon。
つまり仕入れの前に現金を手に入れてしまう。それにより、キャッシュの流れが後手後手に回らず、先手を打てる。
著者はそのキャッシュフローにこそ、amazonが次々と規模拡大にまい進できる秘密があると指摘する。

どのようにして先手を打てるようなキャッシュフローを構築したか。それは、amazonが開設したマーケットプレイスの仕組みによるところが大きい。マーケットプレイスの開設により、決済までの間、顧客から預かり金を受け取ることができる。この預かり金こそamazonのキャッシュフローの源泉だと著者はいう。
プラットホームを開設することの利点は、預かり金を自由に扱えることにある。それによってキャッシュフローを潤沢にする。それこそがamazonの経営の秘密だろう。そのあたりの仕掛けが本書では学べる。

ここまで巨大な体制を構築したamazon。だが、今のamazonに硬直の兆しはない。むしろ積極的に他分野に打って出ている。生鮮流通・無人店舗・自動配達・宇宙・AI・顔認識など。
そうした活力は、管理部門にコストをかけない社風が大きく影響を及ぼしているはずだ。

おそらく、今後とも私たちはamazonとは無縁でいられないだろう。
私が推しているkintoneもアメリカ版は全てAWSを基盤として動いている。

ここまで大きくなると、amazonから学べる部分はあまりないように思える。
だが、ヒントはある。
例えばamazonの会議でプレゼン資料が禁止されていることはよく知られている。その趣旨は資料を作っている暇があればアイデアを出し合う時間に使え、ということだろう。

そうした無駄を徹底的に省くamazonの経営手法。私たちがそこから学ぶとすれば、「協調は必要とせず、個のアイデアが優先される組織であれ」の精神だろう。
amazonにとってはコミュニケーションすらも無駄だとされている。コミュニケーションが必要なうちは、組織は未熟というわけだ。
個人が自立し、研修や社風の醸成などが不要な社風。
もちろん、それには社員一人一人に組織への依存があっては成り立たないはずだ。

この考え方に立てば、私の経営などまさに未熟に違いない。
顧客ごとに個別の対応をしているうちは規模の拡大など難しいことはわかっているつもりなのだが。

‘2019/9/13-2019/9/19


ミサイルマン


「DINER」で再び著者に関心を持ち、本書を手に取った。
かつて「独白するユニバーサル横メルカトル」を読んだ時に感じた強烈な新鮮さは本書にはない。
だが、本書は「独白するユニバーサル横メルカトル」よりも深い文学的な方向へ舵を切ったかに読める。

もっとも、私は「独白するユニバーサル横メルカトル」に描かれた人体を冒涜する描写の衝撃が強すぎて、そこに描かれていた文学的な深さを見逃していただけかもしれないが。
なお、ここで文学的というのは修辞の技法やテーマだけでなく、心理描写も含んでいる。

本書にももちろん、人体が破壊される描写は登場する。
だが、本書は描写の猟奇性よりもむしろ、人体の器官とは人にとって何なのか、という本質を問うことに注力しているように思えた。
身体の器官はなぜそこにあるのか。そこにあることで器官はなぜ器官として動くのか。
これらは、ニワトリが先か卵が先か、という例の問答にも通じる人を惑わせる問いだ。

本書に収められた七編は、どれもがそうした問いを追求した著者の闘いの後だと思えた。

「テロルの創世」は、SFテイストの一編だ。グロテスクな描写はない。
だが本編で描かれるのは、人の体が部品として扱われ、養殖され、培養される世界。部品を育てるために生かされる子供たちの話だ。設定そのものがグロテスクなのだ。
人体の器官は、それを統べる自我の所有物なのだろうか。という私たちが当たり前として持っていた概念に一石を投じる一編だ。

「Necksucker Blues」
ここからがグロテスクな世界の始まりだ。
まず崩れた顔面が登場する。美しく整った容貌は本編において価値を与えられない。なぜならそれは単なる見た目でしかないから。
それよりも本編では人体の純度が追求される。つまり血液のおいしさだ。タイトルから想像される通り、本編は吸血の物語だ。
血のうま味は、摂取する食物や液体によって大きく変わる。何を食えば血は至高の食材と化すのか。
その描写は狂っていて、しかも純粋。
血とは何で、容貌とは何か。そんな普段の社会生活を送る上での観念がひっくり返されること請け合いだ。

「けだもの」
本編は、ミステリの短編に似ている。
不死を与えられた吸血鬼。その呪われた血の物語を閉ざそうとする生き残りは、長寿に飽き、長寿を厭うて日々を送っている。
それにもかかわらず、その呪われた血が受け継がれてしまう悲劇。
私にとって長寿は憧れだが、その憧れも、一度叶ってしまうとどうなるのか。
誰もが一度は考える長寿について、深く掘り下げた一編だ。

「枷」
人体を破壊する営み。それを普通は殺人と呼ぶ。だが、そこに横たわっている倫理という概念をとっぱらった時、人体を破壊する営みとは何なのか。
本編は人体を破壊する営みから倫理的な概念を投げ捨て、殺人の意味を問い直す。そこでは殺人とは殺人者と殺害される側の共同作業として再構築される。
拷問して殺す。その営みは、人体の器官の意味をひっぺがし、解体することに本質を求める。その際、殺される側の意思など顧みないのは当然だ。
その時、殺される側の意思を慮った途端、その営みは殺人として顕現する。
殺人や解体を、器官の解体としてみるか、それとも相手の意思を慮るのか。
牛や豚や魚や鳥の屠殺の本質も問われる本編は、考えさせられる。

「それでもおまえは俺のハニー」
老人の性も、一般にはグロテスクな対象とされる。
本編の狂った二人の物語は、二人から聴覚が失われた時、さらに異常さを加えて暴走を始める。
ある一点を超える、つまり無音状態になった時、相手が老婆だろうがかかわりなく、一切が無意味になる。無音の世界に頼るべき対象は性愛しかない。そのように静寂を突き詰めた先の到達点が強烈な印象を与える一編だ。
老いという現象は生物である以上、避けられない。ならば、老いた後に意思を発揮することは価値がないのか。否、そんなことはないはず。
肉体に価値を認める既成の概念に大きく問いを投げつける一編だ。

「或る彼岸の接近」
本編は著者が得意とする怪談だ。墓の近くに越してきた一家が、狂わされてゆく様子が描かれる。
タクシー運転手をしている主人公が留守の間に、全ての怪異が妻子をめがけて殺到してゆく。
徐々に侵されてゆく妻が壊れてゆく様子を、徐々に怖さを高めながら描く力はさすがといえる。
本編は人体については触れてはいない。その代わり、人の精神がいかにもろく、外から影響を受けやすいかが描かれる。
本書の中では正統派の怪談ともいえる異色の一編だが、それだけに本編の怖さは出色の出来だ。

「ミサイルマン」
↑THE HIGH-LOWS↓の「ミサイルマン」を歌いながら、殺人と遺体遺棄に励む二人組。
狂った殺人者による身勝手な論理は、ミサイルのようにとどまるところを知らない。彼らが繰り返す殺人と遺体遺棄。その描写は目を覆うばかりだ。
彼らが誤って、以前に殺して埋めた死体を掘り返す羽目になる。
人体もまた有機物であり、腐って土に返る。その途中の経過はおぞましく凄惨だ。
まさにタイトルにふさわしく、人体とは結局はただの有機物の集まりに過ぎない、という達観した思想が本編には込められている。

本書に収められた七編を読んでみると、価値観の転換が呼び起こされる。
九相図という美女が骸に変わってゆく様子を描いた絵巻があるが、その悟りを表したかのような本書は、生きる営みそのものへの鋭い問いを読者に突き付ける。
人の心と体の関係は、こうした極端な描写を通さないと自覚すら難しい概念なのだと思わされる。あまりにも当たり前であるがために。

著者はそのテーマを突き詰め、執筆活動をしている。そして読者に強烈な問いを残していく。
これからも読み続けなければならない作家だと思う。

‘2019/9/11-2019/9/13


ドキュメント 滑落遭難


ここ数年、滝に関心を持ち、ひとりであちこちの滝を訪れている。ここ二年は山登りのパーティーに参加し、あちこちの山へ登るようになってきた。
そのパーティーのリーダーによる硬軟を取り混ぜた見事なリーダーシップに、私自身も経営者として学ぶところが多い。

私の場合、独りで移動するにあたってはかなりむちゃもしている。体力にはある程度の自信があり、パーティーでの移動とはちがって速度を緩める理由がないためだ。実際、一人の行動では標準タイムよりもペースが速い傾向にある。
それは過信だ。その過信が事故を招きかねないと肝に銘じている。そのため、山はあまり一人では登らず、なるべくパーティーで訪れるようにしている。

実際、本書を読む一年前には、独りで相模原の早戸大滝をアタックし、遭難しかけたことがある。
それがどれほどの危険な状況だったのかは、正直なところ、まだ甘く見ていた。本書を読むまでは。
本書を読むと、私のその時の経験は、実は相当に危険な状況だったのではないか、と思うようになった。

本書を読んだことで、そうした無謀な行動は控えなくては、と思うようになった。
また、遭難の事例を通じ、人々の山への熱意がより感じられた。それによって私に残された命がある限りは、できるだけ多くの山に訪れたいと意識するきっかけにもなった。

本書は、六例の遭難事例が載っている。また、それに加えて埼玉県警山岳救助隊の報告としてさまざまな遭難の事例がドキュメントとして収められている。

まず富士山。私自身は、まだ富士山に登ったことがない。しかも冬山に関してはスキーであちこちを訪れた程度であり、山登りを目的に置いたことはない。
スキーで訪れた際に、雪山の視野の悪さは充分すぎるほど知っているし、あえて雪山を目指そうとする意欲はない。

とはいえ、実際に雪山での滑落がどれほど想像を絶するものかは、本書の記述から感じ取れる。おそらく、スキー場の急斜面よりももっと強烈な斜面を転げ落ちていったのだろう。
夏山でもよく目にするのが、登山道の脇にありえない角度で斜面が口を開けている光景だ。あの斜面を転がり落ちたらどういうことになるか。想像するだけで恐ろしい。
本書で書かれている通り、そもそも止まることすら不可能になるのだろう。
ここで取り上げられた方は500メートルを滑落したと言う。そのスピードがどれほど強烈だったのか。

本編では教訓として富士山の冬山トレイルであれば、さほど難易度が高くないという錯覚と、下準備の不足を指摘している。また、登山届が未提出だったことや、救急療法に関する知識の不足というところも教訓として上がっている。
これらの教訓は、私にとって耳の痛い内容を含んでおり、私がもし無謀な思い付きを実行していたら間違いなく糾弾の対象となることだろう。ちょっとやばいと思った。

続いての事例は、北アルプスの北穂高岳だ。こちらは山のベテランがガレ場から滑落し、膝を強打したというものだ。
本書に載っている事例の中では最もケガとしては軽いが、膝の打撲がひどくて下山できず、ヘリコプターを呼ぶ羽目になったという。
ヘリコプターを呼んだことによる救出のための費用は相当かさみ、その額なんと440,000円だという。
山岳保険に加入していたため、実際の費用は抑えられたそうだが、山岳保険に入っていない私の身に置き換えてみると、これはまずいと痛感した。
また、ストックの重要性にも触れられているが、私はまだ持っていない。これもまずい。

続いては、大峰山脈・釈迦ケ岳の事例だ。
練馬区の登山グループ17名が、新宿から大峰山系の釈迦ケ岳に向かっていたところ、続けて2件の事故を起こしてしまう。そのうちの1人は、首の骨を折って即死するという痛ましい事故だ。

当日の天気は地元の人に言わせれば山に行くべきではない程度の雨脚だったという。一方でパーティーのリーダーであるベテランの引率者は小雨だったという。
出発時間も早いほうがよかったという批判があり、そのリーダーは時間には問題なかったと言い張っている。つまり平行線だ。
責任逃れと切って捨てることもできるが、実際の状況はその場にいた方しかわからない。ただ、それで人が死んでしまったとすれば大問題だ。

著者は大峰山の自然を守ろう会の方の意見を紹介している。事故が起きたあたりは、修験道の修行場であり仏の聖域でもある。そのような場所に人が入るべきではないと言う意見は、登山そのものへの問題提起だ。
決して登山自体が悪いわけではないと断った上で、いわゆる昨今流行している登山ツアーのあり方について一石を投じる。ここで事故が起こったコースは、二つの日本百名山に登れることから、登頂数が稼げるコースとしても人気があったという。こうした登頂数を稼ぐ考え方に問題の根がある、と。これは私自身も肝に銘じなければならない。

続いては赤城山・黒檜山だ。
数日前に訪れたばかりの冬山を急遽、一人で登ることになった遭難者の五十代女性。
数日前に訪れていたことによって冒険心を起こしてしまったのか、違う道を行ってしまった。登山届がでておらず、単独行だったので足取りも推測するしかない状態だが、迷った揚げ句に体力を消耗し、最後は滑落して動けなくなって凍死したということらしい。
自らの経験への過信と、何かあった時に備えた装備の不足とリスクマネジメントの欠如がもたらした事例だ。

ちょっと知っているから、と芽生えた冒険心に誘われるまま、違う道に分け入ってしまう。これは似たような行動をしがちな私にとって、厳に教訓としなければなるまい。

続いては、北アルプス・西穂高岳独標の事例だ。
登山には着実なステップアップの過程がある。まず近所の小さな山から始め、やがて千メートル級の山、二千メートル級の山、さらには冬山、そして単独行といったような。
その道のりは長くもどかしい。それが嫌だから着実なステップを踏まずに次々と難易度の高い山に挑戦し、そして大ケガを負う。
そんな人がいる中、本編で事故にあった方は着実で堅実なステップアップをこなしてきた方だ。準備も多すぎるほど詰め込むタイプで、事故には遭いにくいタイプ。

ところが、山荘からすぐ近くの独標へ向かう途中で滑落してしまう。そこから一気に400メートルを滑り落ちてしまう。
奇跡的に命は取り止めた後、ほんのわずかだが、つながった携帯電話を頼りに、切れ切れに遭難の一報も出すことができた。
重すぎるザックがバランスを崩した原因となったが、そのザックがクッションになり、さらにザックの中には連絡手段や遭難時の備えが入っていたことが功を奏した。

なによりも、この方が生きて社会復帰してやる、との強い意志を持っていたことが、生き延びた原因だという。これもいざとなった場合に覚えておかねばなるまい。

続いては、南アルプス・北岳の遭難事例がとり上げられる。
この編で語るのは滑落した当人ではなく、それを間近で目撃し、救助にも携わった方だ。
この時期の北岳にはキタダケソウという可憐な花が咲き乱れ、それを目当てに訪れる人も多いのだとか。だが、六月末とはいえまだ雪渓は残っている状態。そこをアイゼンやピッケルもなしで向かおうとする無謀な行為から、このような事故が起こる。夏山とはいえ、準備は万端にする。思い込みだけで気軽に訪れることの危険を本編はよく伝えている。

最後は、埼玉県警山岳救助隊があちこちの事例を挙げている。
ここであがっている山はそれ程の高峰ではない。
それでも、ちょっとした道迷いや油断によって転落は起こりうる。
高峰に登ろうとする際は心の準備に余念がないが、低山だとかえって気楽な気持ちで向かってしまうため、事前に山に行ったことを教えずに向かってしまうことはありそうだ。そうなると遭難の事実も分からず、救助隊も組織されない。
そうやって死んでいった人の多さを、本編は語っている。
多分、私がもっとも当事者になりそうなのが、ここで取り上げられた数々の事例だろう。

こうして本書を読み終えてみると山の怖さが迫ってくる。
本書を読む少し前、私は十数人のパーティーの一員として至仏山に登った。
そこから見下ろす尾瀬は格別だったが、雲の動きがみるみるうちに尾瀬の眺望を覆い隠してしまい、それとともに気温がぐっと下がったことも印象に残っている。これが山の怖さの一端なのだろう。

私はまだ自分が山の本当の怖さを知らないと思っている。また、私は自分の無鉄砲な欠点を自覚しているため、独りで無謀な登山はしないように心がけている。
だが、その一方で私は一人で滝を巡りに行くことが多い。多分、私にとって危険なのは滝をアタックしてアクシデントに遭遇した場合だろう。
滝に向かう時、おうおうにして私は身軽だ。遭難時のことなど何も考えていない。

冒頭に書いた早戸大滝の手前であわや遭難しかけた事など、まさに命を危険にさらした瞬間だったといえる。
早戸大滝は今までもなんどもチャレンジし、その度に引き返す勇気は発揮できている。
この引き返す勇気を今後も忘れないためにも、本書はためになった。

‘2019/9/9-2019/9/10


BRANDY:A GLOBAL HISTORY


妻の祖父の残したブランデーがまだ何本も残っている。10本近くはあるだろうか。
最近の私は、それらを空けるためもあって、ナイトキャップとしてブランデーを飲むことが多い。一本が空けば次の一本と。なるべく安い方から。

こうやってブランデーを集中して飲んでみると、そのおいしさにあらためて気づかされる。おいしいものはおいしい。
まさに蒸留酒の一角を占めるにふさわしいのがブランデーだ。
同じ蒸留酒の中で、今人気を呼んでいるのはウイスキーやジンだ。
だが、ブランデーも酒の完成度においては他の蒸留酒に引けを取らないと思っている。
それなのに、ブランデーはバーでも店頭でもあまり陽の当たらない存在に甘んじているように思う。
それは、ブランデーが高いというイメージによるものだろう。
そのイメージがブランデーの普及を妨げていることは間違いない。

そもそも、ブランデーはなぜ高いのか。
ブランデーのによるものか。それなら、他の蒸留酒と比べてどうなのだろうか。原料はワインだけなのだろうか。ワインの世界でよく言う土壌や風土などによって風味や香りを変えるテロワールは、ブランデーにも当てはまるのだろうか。また、ブランデーの元となるワインに使用する酵母や醸造方法に通常のワインとの違いはあるのだろうか。蒸留に複雑なヴァリエーションはあるのだろうか。貯蔵のやり方に特色はあるのだろうか。
疑問が次から次へと湧いてくる。

そこで、一度ブランデーをきちんと勉強してみようと思い、本書を手に取った。
そうした疑問も含め、私はブランデーの知識を持ち合わせていない。そんな私にとって、本書はとても勉強になった。

そもそも、ブランデーの語源とは、焼いたワインを意味する言葉から来ている。
ブランデーの語源は、ウイスキーの歴史を学ぶと登場する。つまり、あらゆる蒸留酒の歴史は、ブランデーから始まっている可能性が濃い。

ブランデーには大きくわけて3つあるという。ワインから造るブランデー。ブドウではない他の果実から作られるもの(カルヴァドス、スリヴォヴィッツ、キルシュ)。ワインを造った時のブドウの搾りかすから造られるもの(グラッパ、マール)。
本書ではワインから造るものに限定している。

ブランデーの銘柄を表す言葉として、コニャック、アルマニャックの言葉はよく聞く。
では、その違いは一体どこにあるのだろうか。

まず、本書はコニャックから解説する。
当時のワインには保存技術に制約があり、ワインを蒸留して保存していたこと。
また、ボルドーやブルゴーニュといった銘醸地として知られる地で生産されるワインは、品質が良いためワインのままで売られていた。それに比べて、コニャック地方のワインは品質の面で劣っていたため、蒸留用に回されていたこと。
1651年の戦いの結果、ルイ14世から戦いの褒美としてワインや蒸留酒にかかる関税を免除された事。また、コニャック周辺の森に育つリムーザンオークが樽の材質として優れていたこと。

一方のアルマニャックは、コニャックよりも前からブランデーを作っていて、早くも1310年の文献に残されているという。
ところが、アルマニャック地方には運搬に適した河川が近くになく、運搬技術の面でコニャック地方におくれをとったこと。蒸留方法の違いとして、コニャックは二回蒸留だが、アルマニャックはアルマニャック式蒸留機による一回蒸留であることも特筆すべきだろう。

ブランデーの歴史を語る上で、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフィロキセラによる害虫被害は外せない。フィロキセラによってフランス中のブドウがほぼ絶滅したという。
それによってブランデーの生産は止まり、他の蒸留酒にとっては飛躍のチャンスとなった。が、害虫はブランデーにとっては文字通り害でしかなかった。

だが、フランス以外のヨーロッパ諸国にはブランデー製造が根付いていた。
そのため、コニャックやアルマニャックの名は名乗れなくても、各地で品質の高いブランデーは作られ続けている。著者はその中でもスペインで作られているブランデー・デ・ヘレスに多くの紙数を費やしている。

また、ラテンアメリカのブランデーも見逃せない。本書を読んで一カ月後のある日、私は六本木の酒屋でペルーのピスコを購入した。ブランデーとは違う風味がとても美味しいかった。これもまた銘酒といえよう。
購入直後に五反田のフォルケさんの酒棚に寄付したけれど。

ブランデーはまた、オーストラリアや南アフリカでも生産されている。アメリカでも。
このように本書は世界のブランデー生産地を紹介してゆく。
ところが本書の記述にアジアは全くと言って良いほど登場しない。
そのかわり、本書では中国におけるアルマニャックの人気について紹介されている。日本ではスコッチ・ウイスキーがよく飲まれていることも。
本書は消費地としてのアジアについては触れているのだが、製造となるとさっぱりのようだ。
例えば山梨。ワインの国として有名である。だが、現地に訪れてもブランデーを見かけることはあまりない。酒瓶が並ぶ棚のわずかなスペースにブランデーやグラッパがおかれている程度だ。

日本で本格的なブランデーが作られないのは、ブランデーが飲まれていないだけのことだと思う。
私は本書を読み、日本でもブランデー製造や専門バーができることを願う。そのためにも私ができることは試してみたい。

本書はコニャックやアルマニャックが取り組む認証制度や、それを守り抜くためにどういう製造の品質の確保に努力するかについても触れている。
期待がもてるのは、ブランデーを使ったカクテルの流行や、最近のクラフトディスティラリーの隆盛だ。
周知の通り、アメリカではビールやバーボンなど、クラフトアルコールのブームが現在進行形で盛んな場所だ。

本書のそうした分析を読むにつけ、なぜ日本ではブランデー生産が盛んではないのだろう、という疑問はますます膨らむ。

今、日本のワインは世界でも評価を高めていると聞く。
であれば、ブランデーも今盛り上がりを見せている酒文化を盛り上げる一翼を担っても良いのではないだろうか。
大手酒メーカーも最近はジンやテキーラの販促を行っているようだ。なのにブランデーの販促はめったに見かけない。

私もブランデーのイベントがあれば顔を出すようにしたいと思う。そして勉強もしたいと思う。
まずはわが家で出番を待つブランデーたちに向き合いながら。

‘2019/9/7-2019/9/8


HIROSHIMA


著者の作品は読んだことがないが、第二次大戦の戦場で数々のノンフィクションをものにした方だそうだ。
また、イタリア戦線にも従軍し、その内容を『アダノの鐘』に著し、ピューリッツァー賞の小説部門を受賞したそうだ。それらはウィキペディアに載っている。

ウィキペディアには本書も載っている。その内容によれば、本書は学校の社会科の副読本になり、20世紀アメリカジャーナリズムのTOP 100の第1位に選出されたそうだ。
実際、本書の内容は、原爆を投下した側の国の人が書いたと考えるとかなり詳しい。しかも、まだ被爆の記憶が鮮やかな時期に書かれたことが、本書に資料としての価値を与えている。

本書についてはウィキペディアの英語版でかなり詳しく取り上げられている。ウィキペディアの記述も充実しているが、本書の末尾に付された二編の解説もまた素晴らしい。
一つは、本書を和訳した三人の一人でもあり、本書に取り上げられた六人の被爆者の一人でもある谷本清氏が1948年9月に著した長文の解説。もう一つは、訳者である明田川融氏が2003年6月に著した解説。この二つの解説が本書の内容と価値を十分に説明してくれている。

解説の中では、被爆地である広島で本書がどのように受け止められたかにも触れている。広島でも好意的に受け取れられたそうだが、それだけで本書の価値は明らかだ。
原爆がヒロシマに落とされてから75年の年月がたった。
その間にはいろいろな出来事が起こり、歴史が動いた。そして、記録文学や映画や絵画が数え切れないほど書かれてきたし描かれてきたし撮られてきた。
そうした数多くの作品の中でも、投下から一年以内にアメリカ人によって取材された本書は際立っている。
なにしろ、1946年の8月にニューヨーカー誌面で発表されたというのだから、本書の取材内容の新鮮さは、永久に色あせないだろう。

本書は、六人の被爆者の被爆から数日の日々を取材している。丹念に行動を聞き取り、そこで目撃した投下直後の悲惨な街の状況が克明に描写されている。私たちは、当時のアメリカ進駐軍が被爆地に対して報道管制を敷き、日本人の国民感情を刺激せぬように配慮した事実を知っている。
だから、本書を読み始めたとき、本書にはそこまで大したことが書かれていないのでは、と考えていた。
だが、本書には私が思っていた以上に、原爆の悲惨さと非人道的な側面が記されている。もちろん、本書が発表された当初はさまざまな配慮がなされたことだろう。たとえば、本書が日本ではなくアメリカでのみ発表されたことなど。
そうした配慮によって、日本人の国民感情を刺激せず、同時にアメリカ人に対して自国が行った行いを知らしめる意図を満たしたはずだ。

著者は告発というより、ジャーナリズムの観点から事実を報道することに徹したようだ。だが、恐るべき原爆の被害は、事実の報道だけでもその非日常的さと非道さが浮き彫りになる。
著者は、被爆者が語った内容をそのままに、添削も斟酌もなしに書いているが、それがかえって本書に不朽の価値を与えているのだろう。

当然のことながら、本書に取り上げられた六名の方の体験だけが原爆の被害の全てではない。二十万人以上の人々が被爆したわけだから、悲惨さは二十万通りあって当然だ。
本書に登場する方々は、いずれも爆心地から1キロメートル以上離れた場所で投下の瞬間を迎えた。しかもたまたま建物の影にいたため、熱線の被害にあわなかった方々だ。
言うまでもなく、本書に取り上げられている六名の方の悲劇を他の被爆者の悲劇と比べるのはナンセンスだ。むしろ失礼に当たる。
この六名の方も、無慈悲で無残な広島の光景を十分すぎるほど目に焼き付けたはず。それがどれほど心に深い傷を残したかは、想像するしかない。
本書に描かれた六通りの非道な運命だけで、ほかの数十万の悲劇について、どこまで当時のアメリカの人々に届いたのか。それはわからない。

とはいえ、本書はアメリカ人にとっては報道の役割を十分に果たしたと思われる。自国で生み出された原爆がヒロシマとナガサキの人々の上に筆舌に尽くし難い惨禍をもたらしたこと。多くの人々の人生を永久に変えてしまったこと。この二つを知らしめただけでも。原爆の悲劇が早い時期に報道されたことに本書の意義はある。
本書に登場した六名の被爆者の方々が、西洋文化に理解を持っており、被爆を通してアメリカを恨み続けていないことも、アメリカの方々の心には届いたと思いたい。

夫を南方の戦場で失い、一人で三人の子供を助け、その後の惨状を生き延びた中村初代さん。日赤病院の医師として不眠不休の治療にあたった佐々木輝文博士。同盟国ドイツの人物として、西洋人の目で原爆の惨禍を見たウィルヘルム・クラインゾルゲ神父。事務員で崩れた建物に足を粉砕された佐々木とし子さん、病院の院長であり、崩壊した病院の再建とともに一生を生き抜いた藤井正和博士。かつてアメリカで神学を学んだ牧師として、原爆の被害をアメリカに訴え続けてきた谷本清氏。

六名の方が語る体験が描かれた本書は、後日談も描かれている。
39年後、再び広島を訪れた著者がみた、平和都市として生まれ変わったヒロシマ。その移り変わった世の中を被爆者として懸命に生きた六名の人生。

被爆者としての運命を背負いながら、長い年月を生きた六名の被爆者。ある人は原爆とは直接関係のない理由で亡くなり、ある人はいまだに反核運動に生涯をささげ、ある人は神の僕としてそれなりの地位についている。

上にも書いた通り、もともと六名の方が西洋文化に素養があったからこそ、著者のインタビューを受ける気になったのかもしれない。そうした六人だったからこそ、その後の人生も懸命に生きたことだろう。

六名の方が、被爆直後の恨みを傍にいったんおき、苦しい体験をあの時期に、それも原爆を落とした相手の国のジャーナリストに語る。
その決断が、民間レベルでの日米間の交流にどれほど貢献したかははかりしれない。
そして、その決断にどれほどの葛藤があったことだろう。敬意を表したい。

‘2019/9/6-2019/9/7


背番号なし戦闘帽の野球 戦時下の日本野球史 1936-1946


当ブログでは、幾度か野球史についての本を取り上げてきた。
その中では、私が小学生の頃から大人向けの野球史の本を読んできたことにも触れた。

私の記憶が確かなら、それらの本の中には大和球士さんの著作も含まれていたように思う。
残念なことに、当時の私は今のように読書の履歴をつけておらず、その時に読んだ著者の名前を意識していなかったため、その時に読んだのが大和球士氏の著作だったかどうかについては自信が持てない。
だが、40年近く前、球史を網羅的に取り扱った本といえば、大和氏の著作ぐらいしかなかったのではないだろうか。明治から大正、昭和にかけてのわが国の野球史を網羅した大和球士氏の著作の数々を今、図書館や本屋で見かける事はない。おそらく廃版となったのだろう。

それは、大和氏のように戦前の野球史を顧みる識者が世を去ったからだけではなく、戦前の野球そのものへの関心が薄れたことも関係していると思われる。
毎年のペナントレースや甲子園の熱闘の記録が積み重なるにつれ、戦前から戦中にかけての野球史はますます片隅に追いやられている。

ところが、この時期の野球史には草創期ならではのロマンが詰まっている。
だからこそ最近になって、早坂隆氏による『昭和十七年の夏 幻の甲子園』や本書のような戦前から戦中の野球史を語る本が発刊されているのだろう。

なぜ、その頃の野球にはロマンが感じられるのだろうか。
理由の一つには、当時の職業野球がおかれた状況があると考える。
職業野球など、まともな大人の就く職業ではないと見なされていた当時の風潮。新聞上で野球害毒論が堂々と論じられていた時期。
だからこそ、この時期にあえて職業野球に身を投じた選手たちのエピソードには、豪快さの残滓が感じられるのかもしれない。

もう一つの理由として、野球とは見て楽しむスポーツだからだというのがある。
もちろん、野球は読んでも面白い。そのことはSports Graphic Numberのようなスポーツジャーナリズムが証明している。例えば「江夏の21球」のような。
そうしたスポーツノンフィクションは、実際の映像と重ね合わせることによってさらに面白さが増す。実際の映像を見ながら、戦う選手たちの内面に思いを馳せ、そこに凝縮された瞬間の熱量に魅せられる。私たちは、文章にあぶりだされた戦いの葛藤に極上の心理ドラマを見る。

野球の歴史を振り返ってみると映像がついて回る。古来から昭和31年から33年にかけて西鉄ライオンズが成し遂げた三連覇や、阪神と巨人による天覧試合。そして巨人によるV9とその中心であるONの活躍。阪神が優勝した時のバックスクリーン3連発も鮮やかだったし、イチロー選手の活躍や、マー君とハンカチ王子の対決など、それこそ枚挙に暇がない。

ところが、野球史の中で映像が残ってない時期がある。それこそが戦前の野球だ。
例えば沢村栄治という投手がいた。今もそのシーズンで最高の活躍を残した投手に与えられる沢村賞として残っている名投手だ。
沢村栄治の速球の伸びは、当時の投手の中でも群を抜いていたと言う。草薙球場でベーブ・ルースやルー・ゲーリックを撫で切りにした伝説の試合は今も語り草になっているほどだ。ところが、沢村投手の投げる姿の映像はほとんど残っていない。その剛速球の凄まじさはどれほどだったことだろう。
数年前、一球だけ沢村栄治が投げる当時のプロ野球の試合の映像が発掘され、それが話題になった。そうした映像の発掘がニュースになるほど、当時の映像はほとんど残されていないのが現状だ。

景浦將という阪神の選手がいた。沢村栄治のライバルとして知られている。景浦選手の自らの体をねじ切るような豪快なスイングの写真が残されているが、景浦選手の姿も動画では全く残っていない。
他にも、この時期のプロ野球を語る上で伝説となった選手は何人もいる。
ヘソ伝と呼ばれた阪急の山田伝選手の仕草や、タコ足と言われた一塁手の中河選手の捕球する姿。荒れ球で名を遺す亀田投手や、名人と称された苅田選手の守備。
そうした戦前に活躍した選手たちの伝説のすべては、文章や写真でしか知るすべがない。延長28回の試合なども有名だが、それも今や、字面から想像するしかない。
だからこそ、この時期のプロ野球には憧れやロマンが残されている。そしてそれがノンフィクションの対象として成り立つのだと私は思っている。

私も戦前のプロ野球については上述の大和氏の著作をはじめ、さまざまな書物やWikipediaで目を通してきた。だが、本書はそうした私の生半可な知識を上回る内容が載っている。

たとえば戦時中に野球用語が敵性語とされ、日本語に強制的に直されたことはよく知られている。だが、それらの風潮において文部省や軍部がどこまで具体的な干渉を野球界に対して突き付けていたかについて、私はよく知らなかった。
文部省からどういう案が提示され、それを職業野球に関わる人々はどのように受け入れたのか。
もう一つ、先にも書いた延長28回といった、今では考えられないような試合がなぜ行われたのか。そこにはどういう背景があったのか。
実はその前年、とある試合で引き分けとなった試合があった。その試合が引き分けとなった理由は、苅田選手の意見が大きく影響したという。ところが、その試合が戦いに引き分けなどありえないという軍部の心を逆なでしたらしい。その結果、勝負をつけるまでは試合を続ける延長28回の長丁場が実現したという。
そうした些細なエピソードにも、軍国主義の影が色濃くなっていた当時の世相がうかがえる。

本書はプロ野球だけではなく、戦時中の大学野球や中等野球についてもさまざまな出来事を紹介している。
大学野球が文部省や軍部の横やりに抵抗し、それにも関わらず徐々に開催を取りやめていかざるを得なかったいきさつ。
私は、当時の大学が文部省や軍部の野球排斥の動きに鈍感だった事を、本書を読むまで知らなかった。
中等野球についても、戦時色が徐々に大会を汚してゆく様子や、各大会の開催方式が少しずつ変質させられていった様子が描かれる。そうした圧力は、ついには朝日新聞から夏の甲子園の開催権を文部省が取り上げてしまう。

厳しい時代の風潮に抗いながら、野球を続けた選手たちの悲劇性は、彼らの多くが徴兵され、戦地に散っていったことでさらに色合いを増す。
本書は、戦没選手たちの活躍や消息などにもきちんと触れている。
少しずつ赤紙に呼ばれた選手が球場から姿を消していく中、野球の試合をしようにも、そもそも選手の数が足りなくなってゆく苦しさ。選手だけでなく、試合球すらなかなか手に入らなくなり、ボールの使用数をきちんとカウントしては、各球場でボールを融通し合う苦労。著者が拾い上げるエピソードの一つ一つがとてもリアルだ。

選手の数が減ってくると、専門ではないポジションなど関係なしに持ち回ってやりくりするしかない。それは投手も同じ。少ない投手数で一シーズンを戦うのだから、今のように中四日や中五日などと悠長なことは言っていられない。南海の神田投手や朝日の林投手のシーズン投球回数など、現代のプロ野球では考えられないぐらいだ。高校野球で最近議論された投手の投球数制限など、当時の時代の論調からいえばとんでもない。そう思えるほどの酷使だ。
そうした選手や関係者による必死の努力にも関わらず、昭和19年になるともはや試合の体をなさなくなるほど、試合の質も落ちてきた。
そんな中、昭和20年に入っても、有志はなんとかプロ野球の灯を消さないように活動し続ける。
そうした戦前と戦中の悲壮な野球環境が本書の至るところから伝わってくる。

本書の前半は少々無骨な文体であるため、ただ事実の羅列が並べられているような印象を受ける。
だが、詳細なエピソードの数々は、本書を単なる事実の羅列ではなく、血の通った人々の息吹として感じさせる。

ここまでして野球を続けようとした当時の人々の執念はどこから来たのか。野球の熱を戦時中にあっても保ち続けようとした選手たちの必死さは何なのか。
野球への情熱にも関わらず、応召のコールは選手たちを過酷な戦場へと追いやってゆく。
才能があり、戦後も活躍が予想できたのに戦火に散ってゆく名選手たちの姿。ただただ涙が出てくる。

本書は昭和20年から21年にかけて、プロ野球が復活する様子を描いて幕を閉じる。
そうした復活の様子は本書のタイトルとは直接は関係ない。
だが、野球をする場が徐々に奪われていく不条理な戦前と戦中があったからこそ、復活したプロ野球にどれだけ人々や選手たちが熱狂したのかが理解できると思う。
大下選手が空に打ち上げたホームランが、なぜ人々を熱狂の渦に巻き込んだのかについても、戦中は粗悪なボールの中、極端な投高打低の野球が続いていたからこそ、と理解できる。

本書を読むと、東京ドームの脇にある戦没野球人を鎮める「鎮魂の碑」を訪れたくなる。もちろん、野球体育博物館にも。

本書は、大和球士氏の残した野球史の衣鉢を継ぐ名著といえる。

‘2019/9/5-2019/9/6


原爆 広島を復興させた人びと


広島平和記念資料館を私は今までに三度訪れたことがある。1995年、1997年、2013年。
それぞれの訪問のこともよく覚えている。中でも初めて訪れた時の印象は強烈に刻まれている。
投下から五十年目の前日、8/5の朝を原爆ドームの前にテントを立てて野宿で迎えた私。その後に訪れたのが初訪問だ。
翌朝、8/6の投下時刻には、他の大勢の方々とともに原爆ドームの前でダイ・インに参加したことも懐かしい。

平和記念資料館を訪れると、東西に分かれたそれぞれの棟をつなぐ渡り廊下のガラス窓を通して平和記念公園が一望できる。完全に計算された配置は機能的で洗練されている。
洗練された公園の整備は、このあたりが原爆によって更地にされたからこそ実現した。資料館の中を訪れると、無残で悲惨という言葉しか絞り出せない被曝の資料の数々が私たちの胸を打つ。それらは、一瞬でなぎはらわれた荒野に残された痛ましいモノたちだ。

資料館、広島平和記念公園、平和大通り。この三つを含む地域は、川の対岸の原爆ドームや相生橋、元安橋と合わせて、平和都市広島を象徴している。

被曝で75年は草木も生えぬ、と言われた焼け野原の広島。その都市を復興させ、平和の尊さを世界と未来に伝え続けるシンボルとして整備を行ったのは誰か。膨大な資料館の展示品は、そもそも誰が最初に集めたのか。
本書はそうした巨大な事業に関わった四人の物語だ。

資料館に展示された膨大な展示物の中から、最も印象に残る物は、人によっていろいろだろう。
その中でも、実際に被爆し、亡くなった方が被爆当時に身に付けていた服は、実物そのものであるだけに、来館者の心に強く刻まれるに違いない。
でも考えてみてほしい。その展示物とは、着ていた方の肉親にとっては、亡くなった方の唯一の形見である場合も多いのだ。
遺族にとっては、亡くなった息子や娘を思い出すよすがとなる遺品。そうしたかけがえのない遺品が資料館には陳列されている。この事実に今の私たちはもっと意識を向けるべきだろう。
ただ単に歴史の証として展示されているのではない、ということに。

本書の主役は、膨大な被曝の収集物を集め、初代の平和資料館館長に就任した長岡省吾さん、原爆市長と称された浜井信三市長、広島の平和都市として都市計画を設計し、出身である広島に報いた丹下健三さん、そして自らが被爆者でありながらその被曝の思いを世界に発信し続けた高橋昭博さんの、四人だ。

被爆後のあたり一面の焼け野原に公園を設計し、整備し、シンボルを創り出す。
私のように都市計画を知らない素人には、人も家もないため、かえって楽じゃないかなどと考える。
だが、そうではない。
原爆の惨禍からかろうじて生き延びた人々は家を失っている。生き延びた彼らは、これからも生きるために家を確保しなければならない。ありあわせの材料をかき集め、バラックの家を建てる。
誰もいない荒れ地には、都市計画も道路計画も無意味だ。所有権も借地権も証明する書類は全て灰になり、証明する人もいない。あり合わせの材料で建てられたバラックも、被曝した人々が長らく住み続ける間に居住権が発生し、市当局はますます都市整備がやりにくくなる。

浜井市長が当選し、広島市の復興に向けて立ち上がった当時の昭和22年の広島は、そんな混乱の時期だった。
平和公園などを立案する以前に、現実に市民の最低限の生活をどうするか、という目先の仕事で精いっぱいの時期。
復員などで人が増えるにつれ、無秩序が市を覆い始めていた。そのような都市をどうやって平和都市として蘇らせるのか。それは、市政の先頭に立つ浜井市長の手腕にかかってくる。
浜井市長はもともと東大を出ながら結核で広島に帰郷し、広島市役所に奉職せざるをえなかったという。いわば挫折の経歴を持った方だ。
原爆の投下当時は配給課長として、被爆市民にいかに食料や衣料を提供するかの困難な課題に立ち向かった人物だ。戦後、その功績が認められ助役に、そして市長に推される。
原爆市長として十六年の間、市長を務める中で、粘り強く都市計画をやり遂げた功績は不朽だ。その困難な市政を遂行するにあたり、浜井市長が育んできた経験や人生観が大きく影響したことは間違いないだろう。

そして、丹下健三さん。
世界的な建築家として著名な方である。
広島平和記念資料館が実質的な建築家としてのデビュー作だそうだ。
デビューまでにも、丹下氏は幾度も挫折に遭遇し、それを乗り越えてきた。特に、死を前にした父を見舞おうと広島に向かう途中、尾道まで来たところで原爆が投下されたこと。父はすでに八月二日に亡くなっていたこと。五日から六日にかけての今治空襲で母を亡くしたこと。
原爆投下の前後に起こったこれらの出来事は、丹下さんの一生を通して、原点となり続けたに違いない。
高校時代を過ごした丹下さんの広島への想いが、平和大通りの横軸と、平和祈念資料館、慰霊碑、原爆ドームを通す縦軸への構想を生み出す原動力になったと思うと、平和記念公園を見る目も変わる。

丹下さんは、平和祈念公園を手がける前にも復興計画についてのコンペ募集があり、その時に挫折を経験していた。
さらに平和祈念公園ができた後も、平和のシンボルとなった公園を巡ってはさまざまな人々の思惑や暗躍が入り混じる。

本書を読んだきっかけに丹下さんのことをウィキペディアで調べると、手掛けた代表作のリストに私ですら知っている建物の実に多いことか。入ったことがある施設だけでも二十カ所近い。あらためて丹下氏に興味を持った。

長岡省吾さんの人生も実に陰影が深い。
若い頃に満州で過ごし、そこで現地の陸軍特務機関に入ったことで、一生をその経歴につきまとわれることになる。
鉱物に興味をもち、在野の研究者として活動した後、内地に戻る。在野の研究者として名が通っていたため、広島文理大学の地質学講師に職を得るが、研究者としては経歴が弱かったことが災いして不遇の日々を送る。

被爆後、経歴と興味から被爆遺物の収集を開始した長岡さんは、原爆の研究も開始する。
その努力は、後に初代の資料館館長に推されることで報われる。ところが経歴の不足が足を引っ張り、それ以上の待遇が長岡さんに与えられることはなかった。冷遇され続けた長岡さんは、個人で原爆研究を続けるためにUCAAにも籍を置く。だか、そこでも論文の署名が末尾に置かれるなど、長岡さんの不遇には同情するほかはない。

平和資料館の展示内容が、国や政府の思惑によってで原子力の平和利用の展示が追加されるなど、長岡さんの思いは裏切られ続ける。
長岡さん自身がUCAA活動によって市や資料館との関係が疎遠になったり、出征していた長岡さんの子息が戻ってきて対立したり、と長岡さんと資料館の関係は長年、良好とは言い難かった。
長岡さんの経歴には不明な点が多く、ウィキペディアにも独立の項目はない。
本書で著者が一番苦労した点は、長岡さんの経歴を調べることにあったようだ。長岡さんもまた、戦争に人生を狂わされた一人であることがわかる。

高橋さんは、資料館の展示でも著名な「異形のツメ」の持ち主だ。
投下の瞬間、屋外の作業に従事させられていた大勢の中学生が熱線をモロに浴びた。高橋さんもその一人。
死ぬまでの何十年の間、異形のツメは生え続けた。反核の活動者として、広島市の職員として、後には資料館の館長にもなった高橋さんの記憶に被曝の体験が残っている間。

被爆のケロイドとどのように向かい合い、葛藤をどのように乗り越えたのか。
長岡さんの後継者として目をかけられたが、長岡さんのように被爆資料と向き合うことができず、苦痛のあまり、一度は後継者にと目をかけながらも袂を分かった高橋さん。
被爆の瞬間を70キロ離れた場所で迎えた長岡さんと、1.5キロの至近で浴びた高橋さんには被爆物への思いの桁が違うのだろう。

高橋さんは、原爆ドームの保存を決断した浜井市長やそれに賛同した丹下さんの力も得て、原爆ドームの保存運動に市の担当者として貢献する。
なお、高橋さんは結婚したが子孫を残せなかったという。それは被爆の影響が大きいのだろうが、かわりに原爆ドームという平和のシンボルを残せたことで、わずかにでも心が安らいだのなら良いのだが。
著者は高橋さんの奥様にもインタビューを行っている。まさに奥さまが語った言葉が高橋さんの思いを代弁していることだろう。

本書は、かたちあるものを残すことの困難と、残すことができた建造物がいかに人類に永く影響を与えられるか、を示している。
私は今まで、人工の建造物に対しては山や滝を見るよりも思い入れが少なかったが、本書を読んで思いが変わったように思う。

本書には、高橋さんの体験だけでなく、資料館に陳列された遺品の持ち主の遺族のインタビューもかなりの数が挿入されている。読んでいて涙が出そうになる。
資料館では説明パネルの枠の幅から、遺品の背後にある被爆者の思いの全てが汲み取りにくい。
だが、著者はきちんと遺族を訪ね、インタビューを行ったのだろう。言葉の1つ1つにあの日の血と肉が流れているようで痛ましい。肉親をなくした悲しみが文章から吹きこぼれ、私に迫ってくる。

著者の取材は丁寧で、文体も端正。
私が知らなかった資料館の展示に一時、原子力の平和利用があったことや、浜井市長が一度落選した経緯、反核・非核の運動の紆余曲折など、押さえるべきところを押さえた内容はお見事だ。
そして、20代の初めにヒロシマを訪れ、ヒロシマから影響を受けながら、とうとう本書のような作品を書こうともしなかった私自身が本書から受けた感銘は深い。

著者の作品を読むのは本書が初めてだが、他の作品も読んでみたいと思った。
本書は広島を描いたノンフィクションとして、私の中では最高峰に位置する。

‘2019/9/4-2019/9/4


昭和史のかたち


毎年この時期になると、昭和史に関する本を読むようにしている。
その中でも著者については、そのバランスのとれた史観を信頼している。
当ブログでも著者の作品は何回もとり上げてきた。

ただ、著者は昭和史を概観するテーマでいくつも本を出している。私もそのいくつ下には目を通している。概要を論じる本からは、さすがにこれ以上斬新な知見には出会えないように思う。私はそう思い、本書の新鮮さについてはあまり期待せずに読み始めた。

本書は、昭和史を概観しながら、時代の仕組みや流れを数学の図形になぞらえ、その構造がなぜ生まれたのか、その構造のどこがいびつだったのかを解き明かす試みだ。
つまり、文章だけだと理解しにくい日本の近代史と社会の構造を、数学の図形という媒体を使って、読者にわかりやすく示そうとする狙いがある。
図形を媒体として取り扱うことによって、読者は脳内に論旨をイメージしやすくなる。そして、著者を含めた数多くの識者が今まで語ってきた昭和の歪みがなぜ生じたのかの理解が促される。

図形に変換する試みは、私たちが事象を理解するためには有用だと思う。
そもそも、私たちは文章を読むと同時に頭の中でいろんな手段を用いて理解する。人によっては無意識に図形を思い浮かべ、それに文章から得たイメージを投影したほうが理解しやすいこともあるだろう。本書はそのイメージを最初から文章内に記すことによって、読者の理解を促そうという狙いがある。

私たちは昭和の教訓から、何を読み取ればいいのか。それを図形を通して頭に刻み込むことで、現代にも活かすことができるはずだ。

例えば第一章は、三角錐を使っている。
著者は昭和史を三期に分け、それぞれの時期の特色を三角錐の側面の三辺に当てはめる。
その三角錐の一面には戦前が、もう一面は占領期、残りの一面は高度経済成長の日本が当てはめられる。そして、それぞれの面を代表する政治家として、戦前は東條英機、占領期は吉田茂、高度経済成長期に田中角栄を置く。

ここに挙げられた三人に共通する要素は何か。
それは、アメリカとの関係が経歴の多くを占めていることだ。東條英機はアメリカと戦い、吉田茂は占領国であるアメリカとの折衝に奔走し、田中角栄はアメリカが絡んだロッキード事件の当事者。

三角錐である以上、底面を形作る三角形も忘れてはならない。ここにアメリカもしくは天皇を置くことで、昭和と言う激動の時代の共通項として浮かび上がってくる。
図形で考えてみると確かに面白い。
三角錐の底辺に共通項を置くことで、読者は昭和史の特徴がより具体的に理解できるのだ。
本書の狙いが見えてきた。

続いて著者は正方形を取り上げる。
具体的には、ファシズムが国民への圧迫を行う手法を、四つの柱に置き換える。
四つの柱がそれぞれ情報の一元化(大本営発表)、教育の国家主義化(軍人勅諭・戦陣訓)、弾圧立法の制定と拡大解釈(戦時下の時限立法)、官民あげての暴力(懲罰招集)に擬せられ、正方形をなすと仮定する。
その四つの辺によって国民を囲い、ファシズムに都合の良い統治を行う。
反ファシズムとは正方形の一辺を破る行為であり、それに対するファシズムを行う側は、正方形を小さく縮めて国民を圧してゆく。
当然のことながら、檻の中に飼われたい国民などいるはずもない。正方形の怖さを著者は訴える。今の右傾化する世相を憂いつつ。

続いては直線だ。
著者はイギリスの歴史家・評論家のポール・ジョンソンの評を引用する。著者が引用したそのさらに一部を引用する。
「発展を線的にとらえる意識はほとんど西洋的といってよく、点から点へ全速力で移動する。日本人は時間とその切迫性を意識しているが、これは西洋以外の文化ではほとんど例を見ないもので、このため日本の社会では活力が重視される」
著者は戦前の軍国化の流れと、池田勇人内閣による所得倍増政策と、戦後初のマイナス成長までの間を、一直線に邁進した日本として例える。まさに的を射た比喩だと思う。

続いては三角形の重心だ。
三角形を構成する三点は、天皇、統帥権、統治権になぞらえられている。
このバランスが軍の暴走によって大きく崩れたのが戦前の日本とすれば、三角形を持ち出した著者の意図は明確だ。三点の動きによっていびつになる様子が理解できるからだ。
統帥権の名のもとに天皇を利用し、なおかつ統治権を無視して暴走したのが戦前の軍部であり、軍部の動きが著者の描く三角形の形を大きく崩してゆく。
天皇を三角形の頂点にし、左下の一点だったはずの頂点が上に移動し、天皇をも差し置いて高みに登ろうとしたのが戦前のわが国。著者はそもそも三角形の上の頂点が天皇ではなく統帥権にすり替わっていたのではないか、とすらいう。不敬罪が適用されるべき対象とは、あるいは戦前の軍部なのかもしれない。

続いて著者が取り上げるのは、三段跳びだ。ここにきて数学とは離れ、スポーツの概念が登場する。
ところが、著者は戦前の若手将校の超量が飛躍していく様を三段跳びと称し、増長に増長を重ねる動きを当てはめる。
そろそろ図形のネタが尽きてきたようにも思えるが、著者はさらに虚数の概念まで持ち出す。
そもそもの思想の根幹が虚があり、それゆえに数字を乗じようと掛けようと足そうと、何物も生まれない軍部の若手将校に痛烈な皮肉を浴びせている。三段跳びも踏み板が虚無であれば飛べないのだ。

続いては球。
完全無欠の球は、坂道を転がり始めると加速度がつく。これは物理学の初歩の初歩だ。
ここで言う加速度とは、魂の速度が無限に増える事象を示す。ちょうど戦争へ向けたわが国のように。著者のいう球は日本が突入していく戦争と破滅の道の上を走る。
著者は、「昭和という時代を詳細に見ていると、意外なほどに社会に波乱が少ない。」(85p)と言う。つまり、著者に言わせれば昭和とは、完全な球のような状態だったという。だからこそいちど弾みがついた球は誰にも止めようがなく、ひたすら破滅の淵に向かって突き進んでいったのだろう。

では、球に勢いをつけるためには、どういう成果があれば良いだろうか。それは派手な緒戦の大戦果だ。真珠湾攻撃はまさにそうして望まれた。
その決断は、わずか重職にある数人が知っていたにすぎない。この大戦果によって、国のムードは一気に最高潮になり普段は理性的なはずの文士ですら、われを忘れて喜びを連呼する。
その球の内部には、何があったのか。実は何もなかった。ただ目的もなく戦争を終わらせる見通しすらないまま、何かに向かって行動しようとしていた見栄だけがあった。

転げ落ちた球はどこかでぶつかり、大きく破壊される。まさにかつての日本がそうだったように。

S字曲線。
著者が次に持ち出すS字曲線は、言論を対象とする。
S字曲線と言えば、関数のややこしい式でおなじみだ。
縦横の座標軸で区切られた四つの領域を曲がりくねったS字曲線はうねる。そして時代の表と裏を進む。戦前のオモテから戦後のウラへと。戦前のウラから戦後のオモテへと。
敗戦をきっかけにがらりと変わったわが国の思想界。著者はそれを、オモテの言論とウラの言論と言い表す。
戦後になって太平洋戦争と呼ばれるようになったが、敗戦までは大東亜戦争と称していた。その言い方の違いは、国が、戦争の大義と言い方のレトリックに過ぎない。

著者は最近、右傾化が進むわが国を歴史修正主義という言葉を使って批判する。そうした思想の論じられ方一つで、歴史の表と裏が繰り返されると言いたいかのようだ。S字曲線のように。

著者が続いて取り上げるのは座標軸だ。
座標軸とは、戦争に参加した人々が自らの戦争体験を表す場合、どのような階級、どこの組織に所属していたかによって分布を見る際の基準となる。多くの人々によって多様な戦争の体験が語られているか。それを著者は分布図を使って分析する。
例えば、後方から戦術を立案する高級将校による体験記の記述の場合、そうした現場を知らない人々が語る言葉には、実際の戦争の姿が描かれていないと批判する。
それに比べ、最前線で戦った戦士の手記が世に出ることは驚くほど少ないと著者は指摘する。
そうした不公平さも、分布図に表すと一目瞭然だ。

続いて自然数。
ここでいう自然数とは正の整数の中で、1と素数と合成数からなる数だ。
1は自分自身しか約数がない。素数は自分と1以外に約数のない数だ。合成数は約数が3つ以上からなる数だ。
つまり数を構成する要素がどれだけあるかによって、その対象を分析しようという試みだ。
多彩な要素が組み合わさった複雑な要素、つまり約数が多くあればあるほど、その要素となった数の要素は色濃く現れる。例えば、素数のように約数が少ない関係は、二国間の国民間の友好的交流がない状態と例える。逆に合成数が多い場合、二国間の国民間には、さまざまな場面での交流がある状態と例える。

多彩な交流があればあるほど、二国間の友好度は盤石なものとみなせる。
だが、素数のように要素となる数が少なければ少ないほど、政府間の交渉が決裂した途端、他に交流をつなぎ留めるものもなくなる。つまり、国交断絶状態だ。
かつての日本とアメリカの関係は、戦争の直前には素数に近い状態になっていた。今の日本と中国、日本と韓国、日本と北朝鮮の関係もそう。
この分析は、なかなか面白いと思った。
本書のほかでは見かけたことのない考えだ。ここに至って、著者の試みる国際関係や歴史を数学の概念で表す試みは、成功したと言える。

最終章は、平面座標。
ここで著者は、昭和天皇の戦争責任を題材に取り、天皇が法律的・政治的・歴史的・道義的・社会的に、どのフェーズにおいて責任があるかをマトリックスにして分析する。
責任のフェーズとは、臣民の生命を危機に陥れた、臣民に犠牲を強いた、終戦、敗戦、継戦、開戦のそれぞれを指す。
著者のこの分析は、著者の他の本でも見かけたことがある。

昭和天皇が考えていたと思われる戦争責任
法律的 政治的 歴史的 道義的 社会的
臣民の生命を危機に陥れた
臣民に犠牲を強いた
終戦
敗戦
継戦
開戦

昭和天皇が考えていたと思われる戦争責任(保阪案)
法律的 政治的 歴史的 道義的 社会的
臣民の生命を危機に陥れた
臣民に犠牲を強いた
終戦
敗戦
継戦
開戦

上記の表の通り、著者は昭和天皇に相当多くの戦争の責任があった、と考えている。
ただし、この図を見る限りでは厳しく思えるが、当初は戦争に反対していた天皇の心情はこの章の中で、著者は十分に汲み取っているのではないか。

私は個人的には昭和天皇には戦争責任はあると思う立場だ。それはもちろん直接的にではなく、道義的にだ。
もちろん、昭和天皇自身が戦争を回避したがっていた事や、消極的な立場だったことは、あまたの資料からも明らかだろう。
そこから考えると、私が思う天皇の政治責任は天皇自身が考えていたようなマトリックス、つまり上の図に近い。

読者一人一人が自らの考えを分析し、整理できるのも、本書の良さだと言える。

‘2019/9/1-2019/9/4


<インターネット>の次に来るもの


本書は、これからのビジネスを考える上で、豊富な示唆を与えてくれる一冊だ。

カバーの折り返しにはこのように書かれている

「人間の歴史の中で、何かを始めるのに今ほど最高の時はない。
今こそが、未来の人々が振り返って、
「あの頃に生きて戻れれば!」と言う時なのだ。

まだ遅くはない。」

なんとも頼もしい言葉ではないか。

タイトルにもあるように、本書は技術が人類を進歩させるとの考えに基づいている。
インターネットが今まさに、世界にもたらしつつある変化。その変化は今後の私たちにどのように影響し、その変化の先にはどのようなビジネスの可能性は眠っているのか。
私たちは未知数のビジネスチャンスに向けてどのようなアプローチをとればよいのか。それを探り、読者に有益なヒントを与えようとするのが本書の主旨だ。

そう、今こそがビジネスを始めるチャンスなのだ。

言うまでもなく、ここ20年の間にインタ-ネットがもたらした変化は誰もが知っている。
だが、後からそれを批評するだけでなく、その渦中にあってそのチャンスをチャンスととらえ、ビジネスの立ち上げまで進められた人はそう多くはない。私のみすみすチャンスを逃したうちの一人だ。

だが、まだ間に合うことも確かだ。今、新たにビジネスを立ち上げれば、ブルーオーシャンが開けている。そのことも理解している。少なくとも頭の中では。

個人としての行動力はある程度は備えているつもりの私。だが、いざビジネスを立ち上げるには実力が不足している。それも自覚している。
そもそも、私はビジネスを始めようという熱意に欠けているのだろう。私に欠けたその資質は、ビジネスとして市場に問う以前の問題だ。

そこで、本書を購入した。
本書には、今のインターネットがもたらした恩恵が、今後のビジネスにどうつながるのかについてのヒントが無数に紹介されている。
著者は、ワイヤードの初代の編集長である。ワイヤードといえば、最近は影が薄くなってしまった。が、ネット創成期には一定の認知度と影響力を有していたメディアだ。まさにかつてのYahoo!のように。

そんな経歴を持つ著者だが、今の趨勢をおさえる目は確かだ。
本書の分析は最新の情報技術の動向を踏まえているし、アメリカで生まれつつある実際のスタートアップ企業の例もふんだんに紹介されている。
本書は全体を通して、相当に実用的な内容が詰まっている。2016年という、ネットの世界の時間軸では昔に出された本だが、まだ日本ではビジネスとして送出されていない話題も触れてくれている。

本書は12の章からなっている。各章には現在進行形の動詞が付けられ、それがまさに今この時にも起こっている変革を表わしている。

1、BECOMING
なっていく。

このキーワードは本書の冒頭を飾るにふさわしい。
個人が何を望もうとも、デジタルを拒否しようとも、世の中の進歩に情報技術が欠かせないことは、誰もが認めているはずだ。この流れを押しとどめることは誰にも出来ない。

とはいえ、つい30年以上前の時点ではインターネットについて知っている人はほぼいなかった。
まだ誰もインターネットの価値に気づいていなかったため、その巨大な可能性についても半信半疑だった。当時はあらゆるドメインが好きなだけ所有できたことも本書には載っている。
その進化が目に見えて世の中を変えてしまった今、この巨大な変化の流れを一体どれだけの人が客観的にみられているだろう。
それは逆に言うと、今から30年後のことについても言える。
現在、まだ誰も考え付いていないサービスが30年後の社会インフラの中核を担っている可能性だってあるのだ。
その変化の激しさを予想できる人も皆無だと思われる。
だからこそ、今が何かを始めるチャンスなのだ。
著者はそのことを強調する。本書が書かれた当時、インターネットが誕生してからまだ8000日しか過ぎていなかった。本稿を書いている現在でも10000日を超えていないはずだ。
当時、インターネットの可能性に気づけなかった人の無知を笑うのではなく、今、生きている私たちが未来の可能性に思いをはせられれば、巨大な名声と富を得ることも不可能ではない。
ビジネスの種は無数に転がっている。

2、COGNIFYING
認知化していく。

本章ではAIの進化について語られる。
著者はどちらかと言うと楽観的に人工知能をとらえているようだ。AIが人類を滅ぼす未来ではなく、人類と共存する未来。
もちろん、AIが人類の仕事を奪い、人の仕事のありかたを根本的に変えていくことは避けられないだろう。そして、AIによって人の仕事の意味が変えられたことは、人の生のあり方にも根本的な変化をもたらすはずだ。
著者は、人間とAIの共存のために考えられるさまざまなパターンを挙げ、その可能性を熱く語る。
ビジネスの種は際限なく転がっている。

3、FLOWING
流れていく。

今までの経済は、実体である物を流すことで回っていた。物々交換から貨幣経済に至るまで。
それが今や、経済を回す主体はデータによるコンテンツにとってかわられつつある。そして今後もその流れは止むことなく加速していくに違いない。

それは、コンテンツを作り出すクリエイターのあり方や働き方にも影響を及ぼす。今も実際、コンテンツの流通経路の変化が、クリエーターにとって新たな発表手段をもたらしている。
世の中の変化は今後も激しく動いていくことだろう。今までの経済のあり方にも根本的な変化が起こることは間違いない。
ここにも、ビジネスの種は膨大に転がっている。

4、SCREENING
画面で見ていく。

あらゆる情報がディスプレイで確認できるようになった今、私たちの視覚に方法を与えるための機械や、媒体の進歩には見違えるものがある。
おそらく、今後も次々と革新的なテクノロジーが生まれ、私たちのために情報を提供してくれるはずだ。現時点で誰一人として考え付いていない方法で。

私たちの五感を満たすあらゆる情報の発信の手段はディスプレイ以外にも生まれつつある。
この先、私たちはいつでもどこからでも情報を得られるようになる。それらの情報機器に囲まれた私たちの毎日が、がらりと様相を変えてゆくのはもはや避けられない。
ここにも、ビジネスの種は数えきれないほど転がっている。

5、ACCESSING
接続していく。

ものによって価値がやりとりされるのではなく、情報が価値となった今、情報へのアクセス手段を提供するプラットフォームが有利なのは明らかだ。
すでに、巨額の利益を上げている企業は、ものを持たずにサービスを主にしている企業が多くを占めている。今後もその流れは変わらない。
データがサービスの核となった今、いつでもどこでも好きな時に情報へのアクセスが可能となり、そのアクセス手段がよりいっそう重要となることだろう。
であるならば、その手段の構築において、あらゆるビジネスのチャンスは眠っているはずだ。
ここにも、ビジネスの種は数限りなく転がっている。

6、SHARING
共有していく。

シェアリング・エコノミーとはここ数年よく聞く言葉だ。
所有と言う概念が薄れつつある今、何か価値のあるものを皆で共有し、享受するライフスタイルが主流となりつつある。

物質は同時に別の場所・時間に存在できない。誰かが占有してしまえば他の人がそれを使用することができない。長らくその常識が人々の間にまかり通っていた。
だが、データは同時に複数の人が同じものを利用することを可能にした。それによってシェアという新たな考えが人々の新たな常識となってゆく。そして生活を潤してくれている。
サービスの消費者である私たちは、いまや所有が時代遅れになりつつあることを認めなければならない。そして、サービスの提供元としても所有ではない新たな常識になじんでいかなければならない。
ここにも、ビジネスの種は星の数ほど転がっている。

7、FILTERING
選別していく。

毎日・毎時・毎分、膨大な数の情報がアップされている。そして、すでにアップされた膨大な数の情報が世の中に流通している。
それらに全て目を通すだけでも人の一生は百万年あっても足りない。
その中で、自分にとって必要な情報をいかに抽出し効率よく取り込めるか。そうした選別の技術が求められている。
Amazonはリコメンド機能としてそれを昔から行っているし、Google検索などもまさに選別の一つだろう。
どうやって情報の選別を行い、それを人々にとって適した情報として届けられるか。

今はまだ情報には雑音が混じっている。これを個人の嗜好や考え方に最適化した形で届けるサービスを今後のビジネスを制するといっても過言ではない。
ここにも、ビジネスの種は多彩に転がっている。

8、REMIXING
リミックスしていく。

これだけ膨大な数の情報が流れている今、全くの無から新たな価値を生み出すことは不可能といってよい。
既存のあらゆる情報をどのようにして相互に効果を生じさせ、新たな価値として生み出していくか。
まさにこのリミックスの技術こそが、これからのコンテンツ制作の中核になることだろう。
すでに、既存のものから新たな価値をビジネスとして創造する企業は多くある。
だが、より本質的な価値の創造の余地はまだ残されているように思う。リミックスできる組み合わせは無限なのだから。
ここにも、ビジネスの種は限界を超えて転がっている。

9、INTERACTING
相互作用していく。

ここではAR/VRの世界が語られる。
すでに、これらの世界の精巧さは、現実とあまり変わらない体験を私たちにもたらすことが可能だ。
今までは現実の世界とデータが作り上げた仮想の世界は、相互に影響を及ぼさないとされてきた。だが、もはやその認識は古くなりつつある。

現実世界でしかビジネスが成り立たない。そんな認識から一歩先んじた企業は、仮想の世界でのビジネスを展開している。そして、人々の暮らしも仮想空間を受け入れたものへと変わっていく。そのことが本章で語られる。
ここにも、ビジネスの種は仮想の数だけ転がっている。

10、TRACKING
追跡していく。

この章ではライフログが語られる。ライフログについては私もブログや読読レビューでもたびたび取り上げてきた。
ライフログについては、私は肯定派である。さらに、本書に取り上げられているような自分の行動を常時記録する人々の域にまでは達していないが、ある程度の行動は記録している。
ライフログの流れは、人々のネットへの拒否感が薄まり、セキュリティ技術が進展するにつれ、広まってゆくに違いない。
ここにも、ビジネスの種は億兆ほどに転がっている。

11、QUESTIONING
質問していく。

なんでも検索すれば答えが出るようになった現在、それが逆に人々の思考の在り方や本質を変えてしまったように思う。
そして、それは知恵の結集としての社会や組織の在り方にまで影響を及ぼしている。

今までの人々が行っていたような一対一の質問については、すでにAIが答えを返してくれるようになった。
そうなった今、私たちは質問の仕方から見つめなおさねばならない。
人にしか出来ない質問、AIには答えることができず、人にしか答えられない質問。これからの人類にはこうした問いを考える素養が必要になってくることだろう。
ここにも、ビジネスの種は考え付く限り転がっている。

12、BEGINNING
始まっていく。

本書のまとめである本章。データがもたらす知識の総量や伝達の速度は、すでに人智の及ばないところへ向かっている。
そんな中、人類とAIのかかわり方にも本質からの違いが生じるはず。その状態を著者はホロス(Holos)と呼ぶ。
シンギュラリティはあるはずと著者は予想するが、一方でそれが人類に与えるインパクトは深刻なものではないと著者は説く。
私は著者の楽観的な見方を支持したい気持ちはあるが、短期的には人類はこれからの変革の中で無数の痛みに耐えていかねばならないはずとみている。

そこでどのような立ち居振る舞いをするべきか。どういう思想を世に問うていくべきか。そもそも市井の一市民に何ができるのか。
ここにも、ビジネスの種はミクロとマクロで転がっている。

‘2019/8/7-2019/9/1


動物農場


『1984』と言えば著者の代表作として知られている。その世界観と風刺の精神は、現代でも色褪せていない。むしろその名声は増すばかりだ。
権力による支配の本質を描いた内容は、人間社会の本質をえぐっており、情報社会の只中に生きる現代の私たちにとってこそ、『1984』の価値は真に実感できるのではないだろうか。
今でも読む価値がある本であることは間違いない。実際に昨今の言論界でも『1984』についてたびたび言及されているようだ。

本書も風刺の鋭さにおいては、『1984』には劣らない。むしろ、本書こそ、著者の代表作だと説く向きもある。
私は今回、本書を初めて読んだ。
本書のサブタイトルに「おとぎばなし」と付されている通り、本書はあくまでもファンタジーの世界の物語として描かれている。

ジョーンズさんの農場でこき使われている動物たちが、言葉を発し、ジョーンズさんに反乱を起こし、農場を経営する。
そう聞かされると、たわいもない話と思うかもしれない。

だが、動物たちのそれぞれのキャラクターや出来事は、現実世界を確実に模している。模しているどころか、あからさまに対象がわかるような書き方になっている。
本書が風刺する対象は、社会主義国ソビエト連邦だ。しかも、本書が書かれたのは第二次世界大戦末期だと言う。
著者はイギリス人だが、第二次世界大戦末期と言えば、ヤルタ会談、カイロ会談など、ソビエトとイギリスは連邦国の一員として戦っていた。
そのため、当時、著者が持ち込んだ原稿は、あちこちの出版社に断られたという。盟友であるはずのソビエトを風刺した本書の出版に出版社が恐れをなしたのだろう。

それを知ってもなお、著者が抱く社会主義への疑いは根強いものがあった。それが本書の執筆動機になったと思われる。
当時はまだ、共産主義の恐ろしさを人々はよくわかっていなかったはずだ。
粛清の嵐が吹き荒れたスターリン体制の内情を知る者もおらず、何よりもファシズムを打倒することが何よりも優先されていた時期なのだから。
だから今の私たちが思う以上に、本書が描かれた時代背景にもかかわらず本書が出版されたことがすごいことなのだ。

もちろん、現代の私たちから見ると、共産主義はもはや歴史に敗北した過去の遺物でしかない。
ソ連はとうに解体され、共産主義を掲げているはずの中国は、世界でも最先端の資本主義国家といってよいほど資本主義を取り入れている。
地球上を見渡しても共産主義を掲げているのは、北朝鮮のほかに数か国ぐらいではないだろうか。

そんな今の視点から見て、本書は古びた過去を風刺しているだけの書物なのだろうか。
いや、とんでもない。
古びているどころか、本書の内容は今も有効に読者に響く。なぜなら、本書が風刺する対象は組織だからだ。
そもそも共産主義とは国家が経済を計画し、万人への平等を目指した理想があった。だからこそ、組織だって狂いもなく経済を運営していかねばならない建前があった。
だからこそ、組織が陥りやすい落とし穴や、組織を運営することの困難さは共産主義国家において鮮明な矛盾として現れたのだと思う。そのことが本書では描かれている。

理想を掲げて立ち上がったはずの組織が次第に硬直し、かえって人民を苦しめるだけの存在に堕ちてゆく。
われわれはそうした例を今まで嫌というほど見てきた。上に挙げた共産主義を標榜した諸国において。
その多くは、共産主義の理想を奉じた革命者が理想を信じて立ち上げたはずだった。だが、理想の実現に燃えていたはずの革命家たちが、いざ統治する側に入った途端、自らが結成した組織に縛られていく。
それを皮肉と言わずして何と呼ぼう。

それにしても、本書に登場する動物達の愚かさよ。
アルファベットを覚えることがやっとで、指導者である豚たちが定めた政策の矛盾に全く気付かない。
何しろ少し前に出された法令の事などまるで覚えちゃいないのだから。
その無知に乗じて、統治する豚たちは次々と自らに都合の良いスローガンを発表していく。朝令暮改どころではない速さで。

柔軟といえば都合はいいが、その変わり身の早さには笑いがこみあげてくるしかない。

だが、本書を読んでいると、私たちも決して動物たちのことを笑えないはずだ。
先に本書が風刺する対象は共産主義国家だと書いた。が、実はあらゆる組織に対して本書の内容は当てはめられる。
ましてや、本書が描かれた当時とは比べ物にならないほどの情報量が飛び交っている今。

組織を担うべき人間の処理能力を上回るほどの判断が求められるため、組織の判断も無難にならざるを得ない。または、朝令暮改に近い形で混乱するしか。
私たちはその実例をコロナウィルスに席巻された世界で、飽きるほど見させられたのではないだろうか。

そして、そんな組織の構成員である私たちも、娯楽がふんだんに与えられているため、本書が描かれた当時よりも衆愚の度が増しているようにも思える。
人々に行き渡る情報量はけた違いに豊かになっているというのに。

私自身、日々の仕事に揉まれ、ろくにニュースすら読めていない。
少なくとも私は本書に出てくる動物たちを笑えない自分を自覚している。もう日々の仕事だけで精いっぱいで、政治や社会のニュースに関心を持つ暇などない状態だ。
そんな情報の弱者に成り下がった自分を自覚しているけど、走らねばこの巨大な世の中の動きに乗りおくれてしまう。私だけでなく、あらゆる人が。

本書の最後は豚と人間がまじりあい、どちらがどちらか分からなくなって終わりを迎える。
もう、そんな慄然とした未来すら来ているのかもしれない。
せめて、自分を保ち、客観的に世の中を見るすべを身に着けたいと思う。

‘2019/8/1-2019/8/6


八日目の蝉


著者の小説は初めて読んだが、本書からは複雑な読後感を感じた。
もちろん、小説自体は面白い。すいすい読める。
だが、本書が取り上げる内容は、考えれば考えるほど重い。

家族。そして、生まれた環境の重要性。
本書のとりあげるテーマは、エンターテインメントだからと軽々に読み飛ばせない重みを持っている。母性が人の心をどこまで狂わせるのか、というテーマ。
子を育てたいという女性の本能は、はたして誘拐を正当化するのか。
誘拐犯である野々宮希和子の視点で語られる第一部は、本来ならば母親として望ましいはずの母性が、人の日常や一生を破壊する様を描く。

そして、禁じられた母性の暴走が行き着く果ては、逃亡でしかない事実。
勝手に「薫」と名付けたわが子を思うゆえ、少しでもこの生活を守りたい。
そんな希和子の望みは、薫の本来の親からすると、唾棄すべき自分勝手な論理でしかない。
だが、切羽詰まった希和子の内面に渦巻く想いは、母性のあるべき姿を描く。それゆえに、読者をグイグイと作品の世界に引きずり込んでゆく。

そして薫。
物心もつかない乳児のうちに誘拐された薫のいたいけな心は、母を頼るしかない。
母が母性を発揮して自分を守ろうとしているからこそ、薫は母を信じてついて行く。たとえそれが自分を誘拐した人であっても。
薫の眼にうつる母は一人しかいないのだから。

環境が劣悪な逃亡生活は、真っ当な成長を遂げるべき子どもにとって何をもたらすのか。
そのような現実に子どもが置かれる事は普通ならまずない。
ところが、無垢な薫の心は、そもそも自らの境遇を他と比較する術がない。自分に与えられた環境の中で素直に成長して行くのみだ。
母性を注いでくれる母。母の周りの大人たち。その土地の子供達。
環境に依存するしかない子どもにとって、善悪はなく、価値観の判断もつけられない。

本書は、母娘の関係が母性と依存によって成立してしまう残酷を描く。
もちろん、本来はそこに父親がいるべきはず。父のいない欠落は、薫も敏感に感じている。それが逆に薫に母に気遣いを見せる思いやりの心を与えているのが、本書の第一部で読者の胸をうつ。
ここで描かれる薫は、単なる無垢で無知な子だけでない。幼いながらに考える人として、薫をまっとうに描いている。薫の仕草や細かい心の動きまで描いているため、作り事でない血の通った子どもとして、薫が読者の心をつかむ。
著者の腕前は確かだ。

ここで考えさせられるのは、子供の成長にとって何が最優先なのか、という問いだ。
読者に突きつけられたこの問いは、がらりと時代をへた第二部では、違う意味をはらんで戻ってくる。

第二部は大人になった恵理菜が登場する。薫から本名である名前を取り戻して。
恵理菜の視点で描かれる第二部は、幼い頃に普通とは違う経験をした恵理菜の内面から描かれる世界の苦しさと可能性を描く。
恵理菜にとって、幼い頃の経験と、長じてからの実の親との折り合いは、まさしく苦難だった。それを乗り越えつつ、どうやって世の中になじんで行くか、という恵理菜の心の動きが丹念に描かれる。

生みの親、秋山夫妻のもとに返された恵理菜は、親と呼ぶには頼りない両親の元、いびつな成長を遂げる。
そんな関係に疲れ、大学進学を口実に一人暮らしを始めた恵理菜。彼女のもとに、希和子との逃亡生活中にエンジェルホームでともに暮らしていた安藤千草が現れる。

エンジェルホームは、現世の社会・経済体制を否定したコミュニティだ。宗教と紙一重の微妙な団体。
そこでの隔絶された生活は、希和子の目を通して第一部で描かれる。
特殊な団体であるため、世間からの風当たりも強い。その団体に入信する若者を取り返そうとした親が現れ、その親をマスコミが取り上げたことから始まる混乱にまぎれ、希和子は薫を連れ脱出した。
同時期に親とともにそこにいた千草は、自分が体験したことの意味を追い求めるため、取材を重ね、本にする。その取材の一環として、千草は恵理菜のもとを訪れる。

千草との出会いは、恵理菜自身にも幼い頃の体験を考えなおすきっかけを与える。
自分が巻き込まれた事件の記事を読み返し、客観的に事件を理解していく恵理菜。
母性をたっぷり注がれたはずの幼い頃の思い出は記憶から霞んでいる。
だが、客観的に見ても母と偽って自分を連れ回した人との日々、自然の豊かな幸せな日々として嫌な思い出のない日々からは嫌な思い出が浮かび上がってこない。

むしろ、実の親との関係に疲れている今では、幼き頃の思い出は逆に美化されている。
三つ子の魂百まで、とはよくいったものだ。
無意識の中に埋もれる、三歳までの記憶。それは、その人の今後を間違いなく左右するのだろう。

実際、恵理菜は自分の父親を投影したと思われる、頼りない男性の思うままに体を許し、妊娠してしまう。
そればかりか、妊娠した子を堕ろさずに自分の手で育てようと決意する。
それは、自分を誘拐した「あの人」がたどった誤った道でもある。
それを自覚してもなお、産もうとする恵理菜の心のうちには、かつての母性に包まれた日々が真実だったのかを確かめたい、という動機が潜んでいるように思える。
自分が母性の当事者となって子を守り、かつての幻になりそうな日々を再現する。

恵理菜にとって美化された幼き頃の思い出が、記事によって悪の犠牲者と決めつけられている。
だからこそ、恵理菜は、自らの中の母性を確かめたくて、子を産もうとする。その動機は切実だ。
なにせ美化された思い出の中の自分は、記事の中ではあわれな犠牲者として片づけられているのだから。

そうした心の底に沈む無意識の矛盾を解決するため、恵理菜はかつての自分に何がおこったのかを調べてゆく。そしてかつて、偽の母に連れまわされた地を巡る。
自らの生まれた環境と、その環境の呪縛から逃れて飛び立つために。
俗説でいう一週間しか生きられない蝉ではなく、その後の人生を求めて。

母性と育児を母の立場と子の立場から描く本書は、かつて育てられた子として、そして子を育てた親としても深く思うところがある小説だ。
とても読みごたえがあるとともに、余韻も深く残った。

‘2019/7/30-2019/7/31


島津は屈せず


本書を読んだときと本稿を書く今では、一年と二カ月の期間を挟んでいる。
その間に、私にとって島津氏に対する興味の度合いが大きく違った。
はじめに本書を読んだとき、私にとっての島津家とは、関ヶ原の戦いで見事な退却戦を遂行したことへの興味が多くを占めていた。
当ブログを始めた当初にもこの本のブログをアップしている。
それ以外には幕末の史跡を除くと、島津家の戦跡には行く機会がないままだった。

だが、それから一年以上の時をへて、私が島津家に興味を抱くきっかけが多々あった。九州に仕事で行く機会が二度あったからだ。
訪問したお客様が歴史がお好きで、立花道雪、高橋紹運、立花宗茂のファンであり、歴史談義に興じる機会があった。
また、出張の合間に大分の島津軍と豊臣・大友軍が激闘を繰り広げた戸次河原の合戦場にも訪れることもできた。

本書は、その戸次河原合戦からさらに数年下った、島津軍が大友・豊臣軍に敗れた根城坂の合戦の後から始まる。

根城坂の敗戦は局地の敗戦に過ぎず、豊臣家に膝を屈することはない、と徹底抗戦をとなえる義珍あらため、義弘。その反対に、藩主の立場から他の家臣の意見を聞き、現実的な判断を下そうとする義久。
当時の島津家を率いる二人の武将の考えには、現実と理想に対する点で違いがある。

ただ義弘は、自らの考えを兄の地位を奪ってまで成し遂げようとはしない。あくまでも兄を立てる。そして、統治は兄に任せ、自らは武において与えられた役割を全うしようとする。
本書は、義久ではなく、義弘を主人公とし、安土桃山から江戸に至るまでの激動の時代を乗り切った島津家の物語である。

豊臣家の傘下に組み込まれ、太閤検地を乗り切った後は、朝鮮への出陣でが始まる。
秀吉の野望に付き合わされた島津家も半島へと渡り、そこで鬼石蔓子と敵兵から呼ばれるほどの戦闘力を発揮し、大戦果を上げる。
大義が見えない戦いであっても、一度膝を屈した主君の命とあらば抗えないのが戦国の世の習い。その辺りの葛藤を抱えながらも、武の本分を発揮する義弘。

日本に戻ってからも領内で内乱が起き、島津家になかなか落ち着きが見えない。
そうしているうちに、秀吉の死後の権力争いは、島津家に次の試練を与える。
日本が東軍と西軍に割れた関ヶ原の戦いだ。
各大名家がさまざまな思惑に沿って行動する中、遠方の島津家は行動する意味もなく、藩主の義久は静観の構えを崩さない。内乱で疲弊した領内をまとめることを優先し。
だが、義弘はわずかな手勢を連れて東上しし、東軍へ馳せ参じようとする。
ところが、時勢は島津家をさらに複雑な立場に追いやる。
東軍に参加しようと訪れた伏見城で、連絡の不行き届きと誤解から、東軍の鳥居本忠から追い出されてしまう。

それによって西軍へと旗色を変えた義弘主従。
ところが、西軍の軍勢は兵の数こそ多いが、その内情はまとまっているとは言いがたく、義弘も本戦では静観に徹する。

関ヶ原の戦いは、布陣だけを見れば西軍が有利であり、西軍が負ける事はあり得ないはずだった。
ところが、西軍の名だたる将のうち、実際に戦った隊はわずか。
島津軍もそう。

私も三回、関ヶ原の古戦場を巡った。そして、武将たちの遺風が残っているようなさまざまな陣を見て回った。
島津軍の陣地は、林の中に隠れたような場所だった。だが、激戦地からはそう離れていない場所であり、当日は騒がしかったことと思う。
そんな中、微妙な立場に置かれた義弘は何を感じていたのか。
島津家が一枚岩で五千の軍勢を引き連れていれば、島津家だけでも西軍を勝利に導けたものを。

本書では、義弘の心中や家臣たちの様子を描く。
夜襲を提案しても、戦に慣れていない大将の石田治部は体面を前に立てられはねつけられる始末。
義弘の心中は本書にも描かれている。

そして、小笠原秀秋の寝返りから一気に変わった戦局と、その中で刻々と変わるあたりの様子の中、徳川家に島津の武威を見せつけようとする。
そして、美濃から薩摩へと戦史に残る遠距離の退却戦に突入する。

義弘主従は、大阪で人質の太守の家族を救い、薩摩に帰り着くことに成功する。
しかも、強硬な意思を貫き、本領の安堵を勝ち取ることに成功する。

関ヶ原の戦いで西軍に与し、本領の安堵を勝ち取った大名は、全国を見渡してもほぼいない。ましてや、関ヶ原の本戦に西軍として参加した大名に限れば、島津氏が唯一と言っても良い。

本書では家康が悔いる様子が描かれる。毛利と島津をそのままにしておくことが将来の徳川家の災いになるのではないかと。

著者は、本書の姉妹編として「毛利は残った」と言う小説を出している。

毛利家と島津家。ともに、関ヶ原の合戦によって敗戦側となった。
そして関ヶ原の合戦から260年の後に、ついに政権から徳川家を追いやった時もこの二家が中心となった。

戦国の過酷な世を勝ち続け、徳川家にも勝てる自信を持ちながら、戦国の世の義理の中でと主家を立て通した義弘。

その無念は、島津家に安穏とは無縁の家風を養わせた。260年の間、平和に慣れて保身に汲々とするのではなく、国を富ませ、鍛錬を怠らない。
そのたゆまぬ努力がついに徳川家に一矢を報いさせた。

本書は、その原動力となった挫折と雌伏を描いている。
本書を読むと、人の人生など短く思える。
私は島津家の尚武の気風を学ぶためにも、また機会を見て薩摩軍の戦跡を訪れたいと思っている。今、九州にご縁ができ、私の中で島津家への興味が増した今だからこそ。

‘2019/7/26-2019/7/29


ビジュアル年表 台湾統治五十年


はじめ、著者の名前と台湾が全く結びつかなかった。
エンターテインメントの小説家として名高い著者が台湾にどのように関係するのか。
そのいきさつについては、あとがきで国立台湾歴史博物館前館長の呂理政氏が書いてくださっている。
それによると、2013年の夏に日本台湾文化経済交流機構が台湾を訪れたが、著者はその一員として来台したという。

著者はその縁で、もともと興味を持っていた台湾の歴史を描こうと思ったそうだ。
本書の前に読んだ「日本統治下の台湾」のレビューにも書いたが、私ははじめて台湾を訪れたとき、人々の温かさに感動した。そして、台湾と日本の関係について関心を持った。
著者もおそらく同じ感慨を抱いたに違いない。

はじめに、で著者はベリーの来航から90年間で、日本がくぐり抜けた歴史の浮き沈みの激しさを描く。
そして著者は、その時期の大部分は、日本が台湾を統治していた時期に重なっていることを指摘する。つまり、当時の台湾にはかつての日本が過ごした歴史が残っている可能性があるのだ。

本書はビジュアル年表と言うだけあって、豊富な図面とイラストが載っている。
それは、国立台湾歴史博物館と秋惠文庫の協力があったからだそうだ。
それに基づき、著者は台湾の統治の歴史を詳細に描く。歴代の台湾総督の事歴や、領有に当たっての苦労や、日本本土との関係など。

本書は、資料としても活用できるほど、その記述は深く詳しい。そして、その視点は中立である。
台湾にもくみしていないし、日本を正当化してもいない。

ただ、一つだけ言えるとすれば、日本は統治した以上は整備に配慮を払っていたことだ。
本書にも詳しく載っているが、図面による台湾の街の様子や地図の線路の進展などは、五十年の間に次々と変わっていった。それはつまり、日本の統治によりインフラが整備されていったことを表している。
特に有名なのは八田氏による烏山頭ダムの整備だ。そうした在野の人物たちによる苦労や努力は否定してはならないと思う。
歴代総督の統治の意識によっても善し悪しがあることは踏まえた上で。

特に児玉源太郎総督とその懐刀だった後藤新平のコンビは、一時期はフランスに売却しようかとすら言われていた台湾を飛躍的に発展させた。
日本による統治のすべてをくくって非難するより、その時期の国際情勢その他によって日本の統治の判断は行われるべきではないだろうか。

そうした統治の歴史は、本書の前に読んだ「日本統治下の台湾」にも描かれていた。が、本書の方が歴史としての記述も資料としての記述も多い。

私はまだ、三回の台湾訪問の中で台湾歴史博物館には訪れたことがない。初めての台湾旅行では故宮博物院を訪れたが、あくまでも中国四千年の歴史を陳列した場所だ。
台湾の歴史を語る上で、私の知識は貧弱で頼りないと自覚している。だから、本書の詳細な資料と記事はとても参考になった。

特に本書に詳しく描かれている当初は蛮族と呼ばれた高砂族の暮らしや、蛮行をなした歴史についてはほとんどを知らなかった。
高砂族を掃討する作戦については、本書に詳しく描かれている。それだけでなく、当時の劣悪な病が蔓延していた様子や、高砂族の人が亡くなった通夜会場の様子なども。本書は台湾の歴史だけではなく、先住民族である高砂族の文化にも詳しく触れていることも素晴らしい。
おそらく私が最初の台湾旅行で訪れた太魯閣も、かつては高砂族が盤踞し、旅行どころか命の危険すらあった地域だったはずだ。
そうした馴化しない高砂族の人々をどうやって鎮圧していったのかといういきさつ。さらには、男女の生活の様子や、差別に満ちた島をデモクラシーの進展がどう変えていったのか。
皇太子時代の昭和天皇の訪問が台湾をどう親日へと変えていったのか。本書の記述は台湾の歴史をかなりカバーしており、参考になる。

また、本書は日本の歴史の進展にも触れている。日本の歴史に起こった出来事が台湾にどのように影響を与えたのかについても、詳しく資料として記していることも本書の長所だ。
皇民化政策は、この時期の台湾を語るには欠かせない。どうやって高砂族をはじめとした台湾の人々に日本語を学ばせ、人々を親日にしていったのか。
八紘一宇を謳った割に、今でも一部の国からは当時のふるまいを非難される日本。
そんなわが国が、唯一成功したといえる植民地が台湾であることは、異論がないと思う。

だからこそ、本書に載っている歴史の数々の出来事は、これからの日本のアジアにおける地位を考える上でとても興味深い。それどころか、日本の来し方とこれからの国際社会でのふるまい方を考える上でも参考になる。

本書はまた、太平洋戦争で日本が敗れた後の台湾についても、少しだけだが触れている。
日本が台湾島から撤退するのと引き換えに国民党から派遣されてやってきた陳儀。台湾の行政担当である彼による拙劣かつ悪辣な統治が、当時の台湾人にどれほどのダメージを与えたのか。
そんな混乱の中、日本人が台湾での資産をあきらめ、無一文で日本に撤退していった様子など。

国民党がどのようにして台湾にやってきて、どのような悲惨な統治を行ったか。本書の国民党に対する記述は辛辣だ。そして、おそらくそれは事実なのだろう。
台北の中正紀念堂で礼賛されているような蒋介石の英雄譚とは逆に、当初の国民党による統治は相当お粗末な結果を生んだようだ。
だからこそ2.28事件が起き、40年あまり台湾で戒厳令が出され続けたのだろうから。
このたびの旅行で私は228歴史記念公園を訪れたが、それだけ、この事件が台湾に与えた傷が深かったことの証だったと感じた。
そして、国民党の統治の失敗があまりにも甚大だったからこそ、その前に台湾を統治した日本への評価を高めたのかもしれない。

本書がそのように政権与党である国民党の評価を冷静に行っていること。それは、すなわち台湾国立歴史博物館の展示にも国民党の影響があまり及んでいない証拠のような気がする。
本書を読み、台湾国立歴史博物館には一度行ってみたくなった。

この旅で、私は中正紀念堂の文物展示室の展示物である、蒋介石が根本博中将に送った花瓶の一対をこの目で見た。
根本博中将と言えば、共産軍に圧倒的に不利な台湾に密航してまで渡り、金門島の戦いを指揮して共産軍から守り抜いた人物である。
だが、中正紀念堂には根本博中将に関する記述はもちろんない。日本統治を正当化する展示ももちろんない。

そんな根本中将への公正な評価も、台湾国立歴史博物館では顕彰されているのかもしれない。
それどころか、日本による統治の良かった点も含め、公正に評価されているとありがたい。
そんな感想を本書から得た。

‘2019/7/24-2019/7/25


風刺漫画で読み解く 日本統治下の台湾


家族で台湾旅行に行く前日から本書を読み始めた。読み終えたのは、桃園国際機場へ向かう飛行機の中だ。
台湾にはこの旅の半年前にも妻と二人で出かけた。その時は妻も初訪問で、しかも慌ただしい旅だったので、通りをかろうじて歩き回った程度。
今回の台湾旅行は娘たちも同行した。娘たちにとっては初めての台湾。なので、今回の旅も観光客としての移動に終始した。

私にとって台湾は三度目だ。妻と二人で旅する前に台湾を訪問したのは、その二十三年前のこと。
その時は、自転車で約十日かけて台湾を一周した。その前後の三、四日間では台北を動き回り、観光に費やした。
夏の台湾を自転車で一周した経験は、私にとって絶大な自信となった。それと同時に、日本に対する台湾の人々の想いの深さが感じられたことでも印象に残っている。
道中、各地で年配の方が流暢な日本語で私たちに声を掛けてくださった。そして、あれこれと世話をしてくれた事が忘れられない。
親日国の台湾。その印象が強く残っている。懐かしさとともに。

ここ最近、わが国とお隣の韓国との関係がとても良くない。戦後でも最悪と言われる日韓関係が続いている。
だが、台湾の人々は、今もなお日本に好意を持ってくれているようだ。
今回の家族旅行でも、何店ものお店を巡った。そうしたお店に並ぶ商品に、日本語で書かれたパッケージのいかに多かったことか。

日本語をしゃべれる人こそ減っているものの、台湾の皆さんの日本に対する感情の悪化は全く感じられなかった。二十三年前の旅行で得た印象が覆される出来事にも遭うこともなく。

そもそも、日本にとっての台湾とは、日清戦争の賠償で清国から割譲された地だ。
それ以来、第二次大戦で敗れた日本が台湾の統治権を失うまでの五十年間、台湾は日本の統治下にあった。

日本統治下の日々は、台湾にとって良いことばかりだったはずはない。時には日本による誤った行いもあったはずだ。
だが、結果的にはかなりの好印象を台湾の人々に与えた事は確かだ。それは私が三回の台湾旅行で体感している。
そうした対日感情を育んだ五十年間の統治の秘密は何か。統治に当たって、台湾の方々にどのように日本への信頼感を醸成したのか。それを知りたいと思っていた。

日本による台湾の統治がどのように行われたのか。それを解き明かすのが本書だ。
そのために著者がとったアプローチはとてもユニークだ。当時の現地の新聞の漫画を取り上げている。新聞の漫画と言えば、一目で世相を表すような工夫が施されている。だから、当時を知る資料としては一級であるはず。本書は新聞の漫画を取り上げ、それらをふんだんに載せることにより、当時の台湾の世相を今に伝えている。

本書には多くの漫画がとり上げられているが、その中でもよく登場するのが国島水馬の風刺漫画だ。私はこの人物については、本書を読むまでは全く知らなかった。
それもそのはずで、国島水馬は台湾の現地紙にしか漫画を連載をしなかった。しかも戦前から戦後にかけて消息を断ち、どのような最期を遂げたのかもわかってない。全くの無名に近い存在なのだ。

だが、国島水馬や他の方の描いた漫画を追っていくと、日本が台湾をどのように統治していったかがわかる。
統治にあたり、日本人が台湾にどのように乗り込んだのか。日本で時代を作った大正デモクラシーは台湾ではどのように波及し、人々はどのように民主化の風になじんでいったのか。
本書は風刺漫画を通して台湾の世相を紹介するが、本島人と日本人の対立や、日本からは蕃族と呼ばれた高砂族への扱いなど、歴史の表には出てこない差別の実相も紹介している。

少しずつ台湾統治が進みつつあり、一方で日本の本土は関東大震災に傷つく。
その時、台湾の人々がどのように本土の復興に協力しようとしたか。また、その翌年には、皇太子時代の昭和天皇が台湾旅行を行うにあたり、台湾の人々がどのように歓迎の儀式を準備したか。そうしたことも紹介される。

台湾が少しずつ日本の一部として同化していくにつれ、スポーツが盛んになり、女性の地位も改善が進み、少しずつ日本と台湾が一つになってゆく様子も描かれている。

ところが、そんな台湾を霧社事件が揺るがす。
霧社事件とは、高砂族の人々が日本の統治に対して激烈な反抗を行った事件だ。日本の統治に誤りがなかったとは言えない理由の一つにこの霧社事件がある。
霧社事件において、高砂族の人々の反抗心はどのように収束したか。その流れも漫画から読み解ける。
不思議なことに、霧社事件を境に反抗は止み、それどころか太平洋戦争までの間、熱烈な日本軍への志願者が生まれたという。
霧社事件の事後処理では高砂族への教化が行われたはずだ。その洗脳の鮮やかさはどのようなものだったのか。それも本書には紹介されている。

その背景には、台湾から見た内地への憧れがある。台湾からは日本が繁栄しているように見えたのだろう。
ところが当時の日本は大正デモクラシーの好景気から一転、昭和大恐慌と呼ばれる猛烈な不景気に突入する。その恐慌が軍部の専横の伏線となったことは周知の事実だ。
そんな中、どうやって台湾の方々に日本への忠誠心を育ませたのか。それは、本書の記述や漫画から推測するしかないが、学校教育が大きな役割を果たしたのだろう。
先日、李登輝元台湾総統が亡くなられたが、単に支配と被支配の関係にとらわれない日本と台湾の未来を見据えた方だったと思う。
おそらくは李登輝氏の考えを育んだ理由の一つでもあるはず。

残念なことに、本書は国民党が台湾にやってきて以降の台湾には触れていない。
時を同じくして国島水馬も消息を絶ち、現地の風刺漫画に日本語が載ることはなくなった。
だが、本書の紹介によって、現地の人々に日本の統治がどのように受け入れられていったのかについて、おおまかなイメージは掴めたように思う。

本書から台湾と日本の関係を振り返った結果、よいことばかりでもなかったことがわかる。
だからこそ、私が初めて台湾を訪れた時、日本の統治が終わってから五十年もたっていたにもかかわらず、台湾の年配の方々が日本語で暖かく接してくれた事が奇跡に思える。
それは、とりもなおさず五十年の統治の日々の成果だと思ってよいはず。
もちろん、先に書いた通り、日本の統治の全てが正しかったとは思わない。
それでも、中国本土、台湾そして日本と言う三つ巴の緊張の釣り合いを取るために、台湾を統治しようとした日本の政治家や官僚の努力には敬意を払いたい。霧社事件のような不幸な事件があったとはいえ、烏山頭ダムを造った八田氏のような方もいたし、日本の統治には認められるべき部分も多いと思っている。
私が初めて台湾を訪れた時に感じた感動は、こうした方々の努力のたまもののはずだから。

私もまた台湾に行く機会があれば、地方を巡り、次は観光客としてではなく、より深く台湾を感じられるようにし、本書から受けた印象を再確認したい。
日韓関係の望ましい未来にも思いを致しつつ。

‘2019/7/22-2019/7/23


心のふるさと


今までも何度かブログで触れたが、私は著者に対して一方的な親しみを持っている。
それは西宮で育ち、町田で脂の乗った時期を過ごした共通点があるからだ。
また、エッセイで見せる著者の力の抜けた人柄は、とかく肩に力の入りがちだった私に貴重な教えをくれた。同士というか先生というか。

タイトル通り、本書で著者は昔を振り返っている。
すでに大家として悠々自適な地位にある著者が、自らの活動を振り返り、思い出をつづる。その内容も力が抜けていて、老いの快適さを読者に教えてくれる。

冒頭から著者は自らのルーツに迫る。
著者のルーツは岡山の竹井氏だそうだ。竹井氏にゆかりのある地を訪ね、自身のルーツに思いを馳せる内容は、まさに紀行文そのものだ。

続いて著者は、若き日の思い出を章に分けて振り返る。
著者がクリスチャンであることはよく知られている。そして、当社が幼い頃に西宮に住んでいたことも。
西宮には夙川と言う地がある。そこの夙川教会は著者が洗礼を浴びた場所であり、著者にとって思い出の深い教会であるようだ。
そこの神父のことを著者は懐かしそうに語る。そして著者が手のつけられない悪童として、教会を舞台にしでかした悪行の数々と、神父を手こずらせたゴンタな日々が懐かしそうに語られる。

また、著者が慶応で学ぶなか、文学に染まっていった頃の事も語られる。同時に、著者が作家見習いとして薫陶を受けてきた先生がたのことも語られていく。
その中には、著者が親交を結んだ作家とのエピソードや、他の分野で一流の人物となった人々との若き日の交流がつぶさに語られていく。

「マドンナ愛子と灘中生・楠本」
本書に登場する人物は、著者も含めてほとんどが物故者である。
だが、唯一存命な方がいる。それは作家の佐藤愛子氏だ。
90歳を過ぎてなお、ベストセラー作家として名高い佐藤愛子氏だが、学生時代の美貌は多くの写真に残されている。
この章では、学生の頃の佐藤愛子氏が電車の中で目を引く存在だったことや、同じ時期に灘中の学生だった著者らから憧れの目で見られていたこと。また佐藤愛子氏が霊感の強い人で、北海道の別荘のポルターガイスト現象に悩んでいたことなど、佐藤愛子氏のエッセイにも登場するエピソードが、著者の視点から語られる。

「消えた文学の原点」と名付けられた章では、著者は西宮の各地を語っている。書かれたのは、阪神・淡路大震災の直後と思われる。
著者のなじみの地である仁川や夙川は、阪神・淡路大震災では甚大な被害を被った。
著者にとって子供の時代を過ごした懐かしい時が、地震によってその様相をがらりと変えてしまったことへの悲しみ。これは、同じ地を故郷とする私にとって強い共感が持てる思いだ。
本編もまた、私に著者を親しみをもって感じさせてくれる。

本書を読んでいて思うのが、著者の交流範囲の広さだ。その華やかな交流には驚かされる。
さらに言えば、著者の師匠から受けた影響の大きさにも見るべき点が多々ある。
私自身、自らの人生を振り返って思い返すに、そうした師匠にあたる人物を持たずにここまで生きてきた。目標とする人はいたし、短期間、技術を盗ませてもらった恩人もいる。だが、手取り足取り教えてもらった師匠を持たずに生きてきた。それは、私にとって悔いとして残っている。

別の章「アルバイトのことなど」では、著者が戦後すぐにアルバイトをしていた経験や、フランスのリヨンで留学し、アルバイトをしていたことなど、懐かしい思い出が生き生きと描かれている。かつて美しかった女性が、送られてきた写真では、おばあさんになってしまったことなど、老境に入った思い出の無残が、さりげなく描かれているのも本書にユーモアと同時に悲しみをもたらしている。

また別の章「幽霊の思い出」では、怪談が好きな著者が体験した怪談話が記されている。好奇心が旺盛なことは著者の代名詞でもある。だから、そんな好奇心のしっぺ返しを食うこともあったようだ。
私に霊感は全くない。ただ、好奇心だけはいまだに持ち続けている。こうした体験を数多くしてきた著者は羨ましいし、うらやましがるだけでなく、私自身も好奇心だけは老境に入っても絶対に失いたくないと強く思う。

他の章には、エッセイが七つほどちりばめられている。

「風立ちぬ」で知られる堀辰雄のエッセイの文体から、「テレーズ・デスケルウ」との共通点を語り、後者が著者にとって生涯の愛読書となったことや、堀辰雄やモウリヤックの作品から、宗教と無意識、無意識による罪のテーマを見いだし、それが著者の生涯の執筆テーマとなったことなど、著者の愛読者にとっては読み流せない記述が続く。

また、本書は著者の創作日記や小説技術についての短いエッセイも載っている。
著者のユーモリストとしての側面を見ているだけでも楽しいが、著者の本分は文学にある。
その著者がどのようにして創作してきたのかについての内容には興味を惹かれる。
特に創作日記をつける営みは、作家の中でどのようにアイデアが生まれ育っていくかを知る上で作家への志望者には参考になるはずだ。

著者は、他の作家の日記を読む事も好んでいたようだ。作家の日々の暮らしや、観察眼がどのように創作物として昇華されたのかなどに興味を惹かれるそうだ。
それは私たち読者が本書に対して感じることと同じ。
本書に収められた著者のエッセイを読んでいると、一人の人間の日常と創作のバランスが伺える。本書を読み、ますます著書に親しみを持った。

‘2019/7/21-2019/7/21


土の中の子供


人はなにから生まれるのか。
もちろん、母の胎内からに決まっている。

だが、生まれる環境をえらぶことはどの子供にも出来ない。
それがどれほど過酷な環境であろうとも。

『土の中の子供』の主人公「私」は、凄絶な虐待を受けた幼少期を抱えながら、社会活動を営んでいる。
なんとなく知り合った白湯子との同棲を続け、不感症の白湯子とセックスし、人の温もりに触れる日々。白湯子もまた、幼い頃に受けた傷を抱え、人の世と闇に怯えている。
二人とも、誰かを傷つけて生きようとは思わず、真っ当に、ただ平穏に生きたいだけ。なのに、それすらも難しいのが世間だ。

タクシードライバーにはしがらみがなく、ある程度は自由だ。そのかわり、理不尽な乗客に襲われるリスクがある。
襲われる危険は、街中を歩くだけでも逃れられない。襲いかかるような連中は、闇を抱えるものを目ざとく見つけ、因縁をつけてくる。生きるとは、理不尽な暴力に満ちた試練だ。

人によっては、たわいなく生きられる日常。それが、ある人にとってはつらい試練の連続となる。
著者はそのような生の有り様を深く見つめて本書に著した。

何かの拍子に過去の体験がフラッシュバックし、パニックにに陥る私。生きることだけで、息をするだけでも平穏とはいかない毎日。
いきらず、気負わず、目立たず。生きるために仕事をする毎日。

本書の読後感が良いのは、虐待を受けた過去を持っている人間を一括りに扱わないところだ。心に傷を受けていても、その全てが救い難い人間ではない。

器用に世渡りも出来ないし、要領よく人と付き合うことも難しい。時折過去のつらい経験から来るパニックにも襲われる。
そんな境遇にありながら、「私」は自分に閉じこもったりせず、ことさら悲劇を嘆かない。
生まれた環境が恵まれていなくても、生きよう、前に進もうとする意思。それが暗くなりがちな本書のテーマの光だ。
そのテーマをしっかりと書いている事が、本書の余韻に清々しさを与えている。

「私」をありきたりな境遇に甘えた人物でなく、生きる意志を見せる人物として設定したこと。
それによって、本書を読んでいる間、澱んだ雰囲気にげんなりせずにすんだ。重いテーマでありながら、そのテーマに絡め取られず、しかも味わいながら軽やかな余韻を感じることができた。

なぜ「私」が悲劇に沈まずに済んだか。それは、「私」が施設で育てられた事も影響がある。
施設の運営者であるヤマネさんの人柄に救われ、社会のぬかるみで溺れずに済んだ「私」。
そこで施設を詳しく書かない事も本書の良さだ。
本書のテーマはあくまでも生きる意思なのだから。そこに施設の存在が大きかったとはいえ、施設を描くとテーマが社会に拡がり、薄まってしまう。

生きる意思は、対極にある体験を通す事で、よりくっきりと意識される。実の親に放置され、いくつもの里親のもとを転々とした経験。中には始終虐待を加えた親もいた。
その挙句、どこかの山中に生きたままで埋められる。
そんな「私」の体験が強烈な印象を与える。
施設に保護された当初は、呆然とし、現実を認識できずにいた「私」。
恐怖を催す対象でしかなかった現実と徐々に向き合おうとする「私」の回復。生まれてから十数年、現実を知らなかった「私」の発見。

「私」が救われたのはヤマネさんの力が大きい。「私」がヤマネさんにあらためたお礼を伝えるシーンは、素直な言葉がつづられ、読んでいて気持ちが良くなる。
言葉を費やし、人に対してお礼を伝える。それは、人が社会に交わるための第一歩だ。

世間には恐怖も待ち受けているが、コミュニケーションを図って自ら歩み寄る人に世間は開かれる。そこに人の生の可能性を感じさせるのが素晴らしい。

ヤマネさんの手引きで実の父に会える機会を得た「私」は、直前で父に背を向ける。「僕は、土の中から生まれたんですよ」と言い、今までは恐怖でしかなかった雑踏に向けて一歩を踏み出す。

生まれた環境は赤ん坊には一方的に与えられ、変えられない。だが、育ってからの環境を選び取れるのは自分。そんなメッセージを込めた見事な終わりだ。

本書にはもう一編、収められている。
『蜘蛛の声』

本編の主人公は徹頭徹尾、現実から逃避し続ける。
仕事から逃げ、暮らしから逃げ、日常から逃げる。
逃げた先は橋の下。

橋の下で暮らしながら、あらゆる苦しみから目を背ける。仕事も家も捨て、名前も捨てる。

ついには現実から逃げた主人公は、空想の世界に遊ぶ。

折しも、現実では通り魔が横行しており、警ら中の警察官に職務質問される主人公。
現実からは逃げきれるものではない。

いや、逃げることは、現実から目を覆うことではない。現実を自分の都合の良いイメージで塗り替えてしまえばよいのだ。主人公はそうやって生きる道を選ぶ。

その、どこまでも後ろ向きなテーマの追求は、表題作には見られないものだ。

蜘蛛の糸は、地獄からカンダタを救うために垂らされるが、本編で主人公に届く蜘蛛の声は、何も救いにはならない。
本編の読後感も救いにはならない。
だが、二編をあわせて比較すると、そこに一つのメッセージが読める。

‘2019/7/21-2019/7/21


本の未来はどうなるか 新しい記憶技術の時代へ


本書が発刊されたのは2000年。ようやくインターネットが社会に認知され始めた頃だ。SNSも黎明期を迎えたばかりで、GAFAMがまだAMでしかなかった頃の話。
ITが日常に不可欠なものになるとは、ごく一部の人しか思っていなかった時代だ。

本書を読んだのは2019年。本書が書かれてから20年近くがたった時期だ。本書を読んでいる今、ITが社会にとって欠かせない存在になっている事は言うまでもない。
情報デトックスという言葉もあるぐらいだ。もしデトックスを行いたい場合、山籠りか無人島で生活するしか手はない。それほど世の中に情報があふれている。
一方で情報があふれすぎているため、情報の発信地だったはずの本屋が次々と潰れている。そして、新刊書籍の発刊も減りつつある。
本を読むには電子書籍を使うことが主流となり、授業はオンラインかタブレットを使うことが当たり前になってきた。

著者はそんな未来を2000年の当時に予測する。そして本という媒体について、本質から考え直そうとする。
それはすなわち、人類の情報処理のあり方に思いをはせる作業でもある。
なので、著者の考察は書籍の本質を考えるところから始まる。書籍が誕生したいきさつと、本来の書籍が備えていた素朴な機能について。
そこから著者はコンピューターの処理と情報処理の本質についての考察を行い、本の将来の姿や、感覚と知覚にデジタルが及ぼす効果まで検討を進める。

本書の記述は広範囲に及び、そのためか少しだけ散漫になっている。
本書の前半は、グーテンベルクによる印刷技術の発明に多くの紙数が割かれている。活版によって同じ内容を刷る技術が発明されたことによって、本が持つ機能は、情報の伝達から消費へと変わっていった。
というのも、グーテンベルクが書物を大量も発行する道を開くまでは、書物とは限られた一部の特権階級の間で伝わるものであり、一般の庶民が本に触れる事はなかったからだ。

それまでの情報とは、人々の五感を通して伝えられるものでしかなかった。わずかに、パピルスや木簡、粘土板、石版に刻まれるメモ程度に使われる情報にすぎなかった。書簡も大量に生み出せないため、人と人の間を行きかう程度で、世にその情報が拡散することはなかった。
その時代、情報とは、人のすぐそばにあるものだった。
情報を欲する人の近くに情報が集まり、人々の脳や感覚に寄り添う。
情報を受ける人間と発信する人間がほぼ一対一の時代。だから、情報が影響を及ぼす範囲とは個人の行動範囲にほぼ等しかった。

ところが、グーテンベルクが発明した活版印刷技術は、発信した本人から空間、時間、時代を超えて情報が独り歩きする道を作った。個人の行動範囲を超えて情報が発信できるようになったこと。それこそがそれまでの情報媒体とは圧倒的に違う点だ。
そして、独り歩きするようになったことで、それまでの一対一でやり取りされた書簡が、一対多で広がっていった。

それによって、当時の人々は知識を大量に取り込むことが可能になった。
当時の有名な書物の印刷部数は、実は現代の一般的な書物の部数と比べて遜色がなく、むしろ多かったという。人々が競って書物を求めたからだろう。
今の私たちの感覚では、現代の書籍の出版部数の方が当時よりも多いと思ってしまう。だが、そうではなかったのだ。これは本書を読んで知った驚きだ。
要するに、今のベストセラーを除いたおびただしい数の書物は、お互いの出版部数を共食いしているのだ。

それはつまり、出版部数には一定の上限があることを意味している。出版業界が好況を呈していた三十年ほど前の状況こそが幻想にすぎなかったのだ。
情報技術が書籍を衰退させたのではなく、もともと書籍の出版部数には限界があった。このことは本書の指摘の中でも特筆すべき点だと思う。

さまざまな本が無数に発行される事は、情報の氾濫に等しい。しかもその氾濫は、真に情報を求める人が必要な時に必要な情報を得られない事態にもつながる。
すでに20世紀中頃、そうした情報の氾濫や埋没を予測していた人物がいる。アメリカの原子力開発で著名なヴァニーヴァー・ブッシュだ。
ブッシュは適切な情報処理の機器としてメメックスを考案した。本書にはメメックスの仕組みが詳細に紹介されている。そのアイディアの多くは、現代のスマホやタブレットPCが実現している。インターネットもブッシュのアイデアの流れを汲んでいる。

情報処理とは、つまりインプットの在り方でもある。この文章を私は今、iPadに対し声で入力している。それと同じアイデアを、当時のブッシュはヴォコーダという概念ですでに挙げていた。まさに先見の明を持った人物だったのだろう。

他にも、ウェブカメラやハイパーリンクの仕組みさえもプッシュの頭の中にアイデアとしてあったようだ。
通説ではインターネットやハイパーリンクのアイディアは、1960年代に生まれたという。ところが、本書によればブッシュはさらに遡ること10数年前にそうしたアイデアを温めていたという。

続いて著者は、ハイパーリンクについて語っていく。
そもそも本とは、ページを最初から最後のページまでを順に読み進めるのがセオリーだ。私自身も、そうした読み方しか出来ない。
だが、ハイパーリンクだと分の途中からリンクによって別のページと情報を参照することができる。Wikipediaがいい例だ。
そうした読み方の場合、順番の概念は不要になる。そこに、情報の考え方の転換が起きると著者はいう。つまり、パラダイムシフトだ。
もっとも私の知る限りだと、アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの『石蹴り遊び』は、各章を順番を問わず行き来するタイプの小説だったと思う。ちょうど、後にはやったゲームブックのように。
その形態がなぜ主流にならなかったのかは考える必要がありそうだ。

情報を断片に分け、その一部だけを得るという考えが、書籍のあり方に一石を投じる。そのような著者の主張にはうなずけるだけの説得力がある。
本を一冊まるまる読む必要もないし、本を最初から順に読む必要もない。
その考えを突き詰めると、本を買うには必要な部分だけでよい、という考えにもつながる。
それは、今の本の流通のあり方そのものに対して変革を促す、と著者は予測する。事実、今はその変革が起こっている最中だろう。まずはWikipediaによって。おそらく著者の分析と予測はあながち間違っていないと思う。

また本書では、タイムマシン・コンピューティングと言う考え方を紹介する。
それは、同じ場所に対して時間による動画や画像の記録を行うことにより、同じ場所にいながら時代を自在に行き来できる概念だ。
私が知る限り、このアイデアは現実の生活では広まっていないと思う。実際の生活で活用できるシーンがないからだろう。
おそらくそうした概念が真に世の中に受け入れられるとすれば、VRが普及した時だろう。だが、今のVRはまだ人間の五感を完全に再現できず、脳内の認識とも調和しきれていないと思っている。私も既に経験済みなだけに。

本書は、監視カメラやオーウェルが描いた監視社会についても触れている。また、別のページでは電子ペーパーや電子書籍の考えを説明し、今後はどのようなハードウエアがそうした情報機器を実現するかという論点でも考察を重ねる。
ところが、電子ペーパー自体は現代でもまだ広まっているとはいえない。それは、電子ペーパーのコストが問題になるからだ。
そもそもアプリやウェブページの技術が進んだ今、電子ペーパーがなくとも、端末1つで次々とページを切り替えられる。
だから、電子ペーパーの意味はないという著者の指摘は的を射ていると思う。
デジタル・サイネージは最近街角でもよく見るようになってきた。だが、そうした媒体も、よく見るとスマホやタブレットの延長に過ぎない。電子ペーパーである意味はあまりないのだ。
電子ペーパーを代替するデバイスは、Kindleやkoboやスマホやタブレットが実現したため、電子ペーパーという考え方はまだ時期尚早なのだろう。
その事を本書は20年近くも前に唱えていた。

本書は、感覚そのものをデジタルに変えられないかという取り組みも紹介している。
そして、そうした先進的な取り組みの成果を私たちは、生活の中で目にしている。ウエアラブル・コンピューターについても本書は紹介を怠っていない。感覚もデジタルとして受発信できる機器が、今後はますます登場することだろう。

本書の後半は、本そのものよりも情報を扱うメディアの考察に費やされている。
おそらく今後、本が情報処理や娯楽の主役に返り咲く事はほぼないだろう。それどころか、紙で書かれた本自体、図書館でしかお目にかかれなくなるに違いない。
ただ、情報を保存する媒体は何かしら残るはずだ。それがタブレットなのかスマホなのか、それとも人体のアタッチメントとして取り付けられる記憶媒体なのか。私にはわからない。

だが、情報媒体は、人の記憶そのものを保管する媒体として、近い将来、さらに革新的な変化を遂げることだろう。そして、私たちを驚かせてくれるに違いない。

20年前に出された本書であるが、鋭い視点は今もまだ古びていない。

‘2019/7/10-2019/7/21


新田義貞 下


上巻は、日野俊基が鎌倉幕府によって処刑される場面で幕を閉じる。
数度の失敗にもくじけず沸き上がる後醍醐天皇による倒幕の動き。それに対抗する幕府の対応。
新田義貞公はその合間に立ち、どちらとも決めかね、事態を静観していた。

そんな義貞公に近づいてきたのが、朝廷からの密使である刀屋三郎四郎。三郎四郎は武器商人としての利益を確保するため双方を焚き付けようと暗躍していた。

双方の思惑が風雲を巻き起こす中、義貞公は朝廷に睨みを利かせるための京都大番役に抜擢される。そして、幕府の役人として京に赴く。
それが義貞公にとっての波乱の人生の幕開けであった。

幕府の朝廷への圧力は強さを増し、ついには後醍醐天皇を隠岐の島へ流すまでに至る。
ところが、その時期に足利尊氏が幕府に反旗を翻す。そして、足利直義や高師直らによる陰謀で、足利家の下に属するような指令を義貞公にだす。
それによって穏やかならぬ義貞公。源氏を率いるべきは新田氏と足利氏のどちらなのか。足利尊氏に属することはすなわち源氏の棟梁が足利氏であることを認めることに等しい。
義貞公は足利尊氏が鎌倉を落とす前に、自分が先に鎌倉を落とさねば、と決意する。そしてついに上野の新田庄を出立する。

上巻では、お互いが鎌倉幕府の有力御家人だった頃からの足利尊氏と義貞公の関係を描いている。義貞公に対してひたすら丁重に接する足利尊氏。刺激を与えまいと配慮する中で、お互いの力を測る用心深さものぞかせている。
北条家の本拠に近く、朝廷の働きかけも盛んでないこの時期、源氏の主流を争うことは得策ではない。それよりまず、北条氏との関係をどうするか。
朝廷からの密書が届くようになってからも、下手に動いては墓穴を掘る。誰に忠君を励むのかはっきりさせるのは利口とはいえない時期だった。
その時期、足利尊氏も義貞公もお互いが敵になるとは毛頭も考えていなかったことは、本書でも何度か強調されている。
両雄が雌雄を決するにはまだ長い日数がある。

義貞公が立ち上がってからの本書は、私にとってなじみのある場面や戦いが続く。私の家の近くも登場する。
小手指ヶ原の戦いから、分倍河原の合戦へと戦場は移る。さらに関戸の戦場へと。
それらの戦いの中では、私の家の近くでも激しい戦闘も行われた事だろう。だが、本書はそうした些事には触れない。
それよりも、どうやって新田軍が足利軍を打ち破ったのか。分倍河原の戦いの全容に興味が向く。個々の先頭よりも高い視野から活写される戦いの数々。義貞公が最も冴えていたのもこの時期だったはず。

敵と味方が頻繁に入れ替わり、戦場も日本全土に及んだ太平記の時代。
鎌倉から南北朝への目まぐるしい時代を描くには、本書のボリュームでは足りない。
義貞公だけをとり上げても語るべきことはまだあるように思える。
例えば鎌倉包囲戦や、稲村ヶ崎の海を干潮時に渡って鎌倉への攻め口を開く戦いなど、北条家と新田家の戦いだけでも語るべき挿話はまだまだあるだろう。
もちろん、太刀を海に投げ入れて稲村ケ崎からの突破を祈願したことや、そもそも稲村ヶ崎を渡るために苦戦したことなどは描かれている。
だが、鎌倉への攻めこそが義貞公の人生を描くうえで最大の見せ場である以上、もう少し紙数を割いても良かった気がする。

とはいえ、義貞公が稲村ケ崎を抜いたことで、鎌倉を落とし、歴史に名を轟かせたことにかわりはない。
ところがそれ以降の義貞公の動きはあまりさえない。

後醍醐天皇に気に入られ、京の守りを申し付けられた義貞公。ところがその隙に、足利直義が鎌倉に入り、実権を握ってしまう。
そんな中、足利尊氏は建武の新政の現状に見切りをつけ、ついに天皇に反旗を翻す。
ここに至っても義貞公の動きは曖昧で、どちらに付くか旗幟を鮮明にしないまま。そのため、ついに足利尊氏との対立が避けられない情勢まで陥ってしまう。

現代に至るまで、新田義貞公の評価は芳しくない。
足利尊氏が戦後になって復権し、楠木正成は今も皇居に像が立てられているほど、尊王の士としての名声をほしいままにしている。ところが義貞公はそうした評価とは無縁だ。
なぜか。
それは時代の流れにうまく立ち回われず、時代を超えた構想を描けなかったからではないか。

例えば足利尊氏を京都から追い出す戦い。
そこでも著者は軍功があったのは楠木正成の方だとしている。
そして足利尊氏は勢力を立て直すため、九州まで兵を引き再び勢力を盛り返そうとする。
尊氏と同じように鎌倉に帰って勢力を立て直したいとする義貞公の意見は、公家によってことごとく握りつぶされる。義貞公を鎌倉に帰らせてしまうと、関東に覇をとなえ、朝廷に反旗を翻すのではないかと疑われてしまう。
北条家の後継としての野心があるのでは、と公家に曲解された義貞公。
それが足利尊氏への戦いに半端な対応を示した理由だろう。

義貞公は、本書を通じて公家に振り回されている。毅然たる態度をとらず、自分の意見を押し通さなかったこと。確固たる態度をとらず、相手の立場を忖度してしまったこと。
だからこそ、新田義貞公は時代の流れに乗れなかったのであろう。
本書で著者は、なるべく新田義貞公の立場に立って書こうとしている。だが、本書を読んでいると、義貞公は負けるべくして負けた人物に思えてくる。おそらく天下を取る器ではなかったのだろうと思うほかない。

九州から大群を率いて上京してきた足利尊氏を打ち破るにも、公家の横車が頻繁に入り、命令系統に支障をきたしてしまう。
その結果、赤松軍に大回りされて包囲された楠木正成は全滅し、義貞公は京都に逃げ帰る。逃げ帰った後で、後醍醐天皇の次に天皇となった光厳天皇を奉じ、越前で再起をかけようとする。

南北朝時代や義貞公に対する知識が疎い私は、なぜ義貞公が越前で再起を図ろうとしたのかよくわかっていなかった。
本書を通し、新田一族は上野だけでなく、越後にも地盤を広げていたことが描かれる。つまり越前の背後は新田一族の所領であった。だからこそ新田義貞公は越前を再挙の地として選んだのだろう。

ところが、燈明寺畷において義貞公は戦死を遂げてしまう。
その最後は、日本史上に名を残した武将にしてはあまりにも残念なものだった。
油断した義貞公は、少年時代の心に帰り、馬で遠掛けしようとした。
その情報が敵に筒抜けとなり、敵軍の待ち伏せに会い、死に至る。

義貞公の死によって、新田幕府が打ち立てられることはついになくなった。新田庄に残した愛妾や妻子に会うこともついに叶わなかった。
結果だけ見れば、義貞公の一生はついに負けておわった。それだけでしかない。

だが、義貞公をそれだけで片付けてよいのだろうか。
そもそも、歴史の上で勝ち続けた人はいない。勝ち続けた人物とはもちろん最終的な勝者として歴史に名を残す。歴史に名を残すことができた最終的な勝者とは、以下のような人物たちがそうだろう。
中大兄皇子、大海人皇子、藤原道長、後白河院、源頼朝、足利尊氏、豊臣秀吉、徳川家康。
だが、彼らの生涯には起伏があった。ここに挙げていない織田信長や平清盛も一時は天下を確かにつかんだ。
徳川家康もようやく晩年にチャンスをつかんだのであって、それまでは苦しい負けを乗り越えた人生だった。
歴史上を生きた数多くの人物は、勝って負けてを繰り返した。それが実情だろう。
ところが、最後に勝利したことで歴史に名を残した。そのほかの歴史を生きた無数の人々は、名を残すことすらなく死んでいった。
それを考えると、歴史に名を残すとは最後に敗れたとはいえ、とても評価されるべき業績とはいえないだろうか。

そして、義貞公の残した業績は、評価が芳しくないにも関わらず、歴史に名を残さずに死んでいったほとんどの人物よりも際立っている。
それを踏まえると、私たちが義貞公の生き方から学ぶべきことは大いにあると思う。

それだけの実績を残した義貞公だからこそ、人生から教訓とすべきこともわかりやすいように思える。
例えば、将たる者として対外的に毅然とした態度を貫くこと。その判断に権威への盲従を含めてはならないこと。刀屋三郎四郎がもたらす情報だけではなく、より自主的な情報を取りに行くべきこと。
そうしたことは、今のせわしない世の中を生きるためにも活かせる教訓だ。

将ともなれば出る杭として打たれ、率いる身としての重圧は大きい。
だからこそ、全てを丸くおさめ、調整しようとした義貞公の試みが破綻したのだろう。
どこかで調整者としての立場を打ち捨て、自分の意志を強く打ち出さねば。新田庄を出立した時のように。

私も小さいながらも組織の上に立つ身だ。本書から学んだ義貞公の生涯から、自らの判断や身の処し方について活かせることは多かった。
だからこそ、義貞公を私たちが参考にできる人物として評価したいと思う。
偉大な勝者ではなく、私たちが参考とすべき歴史上の偉人として。

今度、小手指が原の合戦地、上野の新田庄、そして最期の地となった灯明寺畷にも訪れたいと思っている。

‘2019/7/6-2019/7/10


新田義貞 上


私の家のすぐ近くを鎌倉街道が通っている。
林を抜ける切り通しと井戸の跡がよく残っており、往時の鎌倉街道の姿をしのぶことのできる場所だ。
ここを訪れるたびに、鎌倉と地方を往来した武士たちの姿がたやすく思い浮かべられる。そのため、私も折に触れて散歩で立ち寄っている。

私の家から車で鎌倉街道を少し北に向かえば、多摩川を渡る関戸橋に至る。そこには関戸の史跡が残されている。さらに北へ向かうと、分倍河原の合戦が行われた地があり、石碑も建てられている。分倍河原の駅前には、騎馬にまたがった新田義貞公の勇壮な像が立ち、往時の勇姿を今に伝えている。
逆に私の家から鎌倉街道を少し南に下ると井出の沢の合戦場があり、菅原神社の境内に碑が残されている。どれもが新田義貞公の合戦場として今に残されている。

一方、私の母は福井の出身だが、新田義貞公がなくなったのは母が通っていた藤島高校のすぐ近く。そして、新田義貞公とともに南北朝の時代を駆け抜けた楠木正成公が戦死したのは、神戸の湊川。私の出身地西宮にほど近い。

そんなふうに考えると、私と新田義貞公のご縁はいろいろとつながっているようだ。特に、鎌倉街道に近い今の家に住んでからはそれを強く感じる。一度は新田氏が出た地である新田庄を始め、新田義貞公にまつわる史跡はめぐってみたいと思っていた。

新田義貞公が活躍した南北朝時代。
太平記で知られるこの時代は、戦国時代にも劣らぬほど縦横無尽に兵たちが駆け回り、政局が目まぐるしく動いていた。
むしろ、各大名の群雄割拠と小競り合いの色が強く、時代の終盤になってようやく流れが太くなった戦国時代よりも、平泉、鎌倉、福井、京都、吉野、神戸、隠岐、福岡と日本各地を狭しと舞台としたこの時代の方が、より政局のうねりが太く能動的だったのでは、とさえ思っている。

ところが、私は今まで南北朝時代を取り上げた本はあまり読んでこなかった。太平記もまだ読んでいない。
戦国時代があらかた語りつくされたように思える昨今、南北朝に関する歴史、それも新田義貞公に関する本を読んでみるのも悪くないと思った。

著者のペンネームは名字が同じ新田氏だ。もちろん、著者の文名は広く知られており、著者の筆名の新田は出身地の場所を取っていて、新田義貞公に連なる一族ではないことも知られている。
同族ではなくても、著者も同姓のよしみで新田義貞公を扱ってみたいと思ったのだろう。本書に取り組む著者の意気込みが感じられる。
もともと、著者が描く時代小説には一定の水準が保たれている。私も、それを期待して読み始めた。

そもそも私は、新田義貞公の幼少期について何も知らない。
ある日突然、上野の国から颯爽と現れ、鎌倉を鮮やかに奪い取り、北条一族の支配する鎌倉を滅亡に追いやった。そして後に足利尊氏との戦いに敗れ、福井の灯明寺畷であえなく戦死した。
私が持っていた新田義貞公に関する知識とはそれぐらいだ。

本書を読んで思うこと。
それは南北朝時代とは、まだ朝廷、そして天皇の威光が思いのほか強かったということだ。時代をあらわす言葉に朝廷の一字が使われている事でもそれは明らか。

源頼朝が鎌倉幕府を開いて以降、朝廷は政の表に立たず、あくまでも権威としてのみ存在してきた。そして実際の政事は武士が実権を握ってきた。朝廷に政治の実権を取り戻す試みが、承久の変の結果、後鳥羽上皇などの流罪によって頓挫すると、武士の支配は盤石のものになった。私たちはそう習って来た。
特に、文永・弘安の役で元寇を撃退した鎌倉幕府と、それを束ねる北条家の威光は、朝廷の権威をより貶めたと思っていた。

ところが、鎌倉時代の末期とは、後醍醐天皇や朝廷の意向が、思いのほか強いことがわかる。特に、東国や上野の地にあっては、朝廷の勅旨や勅令、勅許は絶対的な力を持っていた。
いかな北条家といえども、天皇に対しては表立って楯突くこともままならず、それが北条家の支配を揺るがす輩の跳梁を許していた。
建武の新政が一度は成功したのも、朝廷の権威が失われていなかったからと言える。

もう一つ、本書で学んだ事。
それは、源氏の棟梁という地位の重みだ。家の棟梁を尊ぶ風潮。
本書は、そうした当時の武士たちの価値観を理解しなければ、共感しづらい。
新田氏にとっては、源氏の棟梁が足利氏にあるのか、それとも新田氏なのかという問題が何においても重要であること。
そうした事実を知らないと、本書における新田義貞公の行動は、少々間の抜けたものに映ってしまう。それは足利尊氏の行動にも言えることだ。

また、度重なる倒幕運動が露見したにもかかわらず、なぜ北条氏は後醍醐天皇に対し死罪も含めた強い姿勢で望めなかったのかと言う疑問。それも、朝廷の権威が損なわれていなかった時代の流れを知ってはじめて理解できる。
本書において、当時の価値基準は私たちのそれとは違っていたことと、その観念が世にいきわたっていた現実は踏まえておく必要がある。
一所懸命や、いざ鎌倉といった今も残る言葉に込められていた思い。それは現代の私たちからみるとはるかに強く本邦を支配していたはずだ。

また、女性の運命がはかなきものであったことも当時の世相の特徴だ。
本書には、新田義貞公を通りすぎていった幾人もの女性が登場する。初恋の女性は、北条得宗家の側室となり、新田義貞公の最初の縁組相手は、家柄のために正妻となることを許されず、側室として扱われた。後に正妻として迎えられた筑波の小田氏の娘すら、新田義貞公の亡き後の運命は描かれていない。

新田義貞公は鎌倉を落とした後、京都に軍役で呼ばれる。そして、その後の足利尊氏との絶え間ない争いに明け暮れるようになったまま、とうとう上野の新田庄には帰れない。
そして、新田庄に残された人々のその後は描かれずに終わる。

本書で悪しざまに描かれているのは、北条得宗家と公家だ。
建武の新政と称される私たちが日本史の授業で習う政治の改革も、後醍醐天皇の意思のみがすべてであり、公家に矜持はなく、それどころか武士を自分たちにとっての手足となる駒としか考えていなかった。
そんな公家たちに翻弄され、いいように使われた新田義貞公の運命。哀れに感じられる。新田義貞公が変わりゆく時代の犠牲者として今もとらえられているのも順当かもしれない。

本書には特徴がある。それは、各章の終わりに著者自身による取材ノートが挟まれていることだ。
取材した地の様子や史書を著者がどう解釈したかなど、執筆当時に抱いた著者の感想が記されている。
著者の取材は昭和五十年前後に集中しているが、中には著者が戦前に訪れた際の感想も挟まれ、開発によって失われる前の史跡の様子を色濃く残す貴重な証言となっている。
各章ごとにそうしたノートが挟まれることを、話の流れを切る邪魔と感じる向きもあるだろう。
だが、当時の価値観が理解しづらい現代からすると、著者の適切な解説は役に立つ。

‘2019/7/5-2019/7/6


今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで


新型コロナウィルスの発生は、世界中をパンデミックの渦に巻き込んでいる。
だが、人類にとって恐れるべき存在がコロナウィルスだけでないことは、言うまでもない。たとえば自然界には未知のウィルスが無数に潜み、人類に牙を剥く日を待っている。
人類が築き上げた文明を脅かすものは、人類を育んできた宇宙や地球である可能性もある。
それらが増長した人類に鉄槌を下す可能性は考えておかねば。
本書で取り扱うのは、そうした自然災害の数々だ。

来る、来ると警鐘が鳴らされ続けている大地震。東海地震に南海地震、首都圏直下地震、そして三陸地震。
これらの地震は、長きにわたって危険性が言われ続けている。過去の歴史を紐解くと発生する周期に規則性があり、そこから推測すると、必ずやってくる事は間違いない。
それなのに、少なくとも首都圏において、東日本大震災の教訓は忘れ去られているといっても過言ではない。地震は確実に首都圏を襲うはずなのにもかかわらず。

本書は日本の歴史をひもとき、その時代時代で日本を襲った天変地異をとり上げている。
天変地異といってもあらゆる出来事を網羅するわけではない。飢饉や火事といった人災に属する災害は除き、地震・台風・噴火・洪水などの自然災害に焦点を当てているのが本書の編集方針のようだ。

著者は、そうした天変地異が日本の歴史にどのような影響を与えたのかという視点で編んでいる。
例えば、江戸末期に各地で連動するかのように起こった大地震が、ペリー来航に揺れる江戸幕府に致命的な一撃を与えたこと。また、永仁鎌倉地震によって起こった混乱を契機に、専横を欲しいままにした平頼綱が時の執権北条貞時によって誅殺されたこと。
私たちが思っている以上に、天変地異は日本の歴史に影響を与えてきたのだ。

かつて平安の頃までは、天変地異は政争で敗れた人物の怨霊が引き起こしたたたりだとみなされていた。
太宰府に流された菅原道真の怨霊を鎮めるため、各地に天満宮が建立されたのは有名な話だ。
逆に、神風の故事で知られる弘安の大風は、日本を襲った元軍を一夜にして海中に沈め、日本に幸運をもたらした。
本書にはそういった出来事が人心をざわつかせ、神仏に頼らせた当時の人々の不安となったことも紹介している。
直接でも間接でも日本人の深層に天変地異が与えてきた影響は今の私たちにも確実に及んでいる。

本書は私の知らなかった天変地異についても取り上げてくれている。
例えば永祚元年(989年)に起こったという永祚の風はその一つだ。
台風は私たちにもおなじみの天災だ。だが、あまりにもしょっちゅう来るものだから、伊勢湾台風や室戸台風ぐらいのレベルの台風でないと真に恐れることはない。ここ数年も各地を大雨や台風が蹂躙しているというのに。それもまた、慣れというものなのだろう。
本書は、歴史上の洪水や台風の被害にも触れているため、台風の恐ろしさについても見聞を深めさせてくれる。

本書は七章で構成されている。

第一章は古代(奈良〜平安)
白鳳地震
天平河内大和地震
貞観地震
仁和地震
永祚の風
永長地震

第二章は中世(鎌倉〜室町〜安土桃山)
文治地震
弘安の大風
永仁鎌倉地震
正平地震
明応地震
天正地震
慶長伏見地震

第三章は近世I(江戸前期)
慶長東南海地震
慶長三陸地震津波
元禄関東大地震
宝永地震・富士山大噴火(亥の大変)
寛保江戸洪水

第四章は近世II(江戸後期)
天明浅間山大噴火
島原大変
シーボルト台風
京都地震
善光寺地震

第五章は近代I(幕末〜明治)
安政東南海地震
安政江戸地震
明治元年の暴風雨
磐梯山大噴火
濃尾地震
明治三陸大津波

第六章は近代II(大正〜昭和前期)
桜島大噴火
関東大震災
昭和三陸大津波
室戸台風
昭和東南海地震
三河地震

第七章は現代(戦後〜平成)
昭和南海地震
福井大地震
伊勢湾台風
日本海中部地震
阪神淡路大震災
東日本大震災

本書にはこれだけの天変地異が載っている。
分量も相当に分厚く、636ページというなかなかのボリュームだ。

本書を通して、日本の歴史を襲ってきたあまたの天変地異。
そこから学べるのは、東南海地震や南海地震三陸の大地震の周期が、歴史学者や地震学者のとなえる周期にぴたりと繰り返されていることだ。恐ろしいことに。

日本の歴史とは、天災の歴史だともいえる。
そうした地震や天変地異が奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・幕末・明治・大正・昭和・平成の各時代に起きている。
今でこそ、明治以降は一世一元の制度になっている。だが、かつては災害のたびに改元されていたと言う。改元によっては吉事がきっかけだったことも当然あるだろうが、かなりの数の改元が災害をきっかけとして行われた。それはすなわち、日本に災害の数々が頻繁にあったことを示す証拠だ。
そして、天変地異は、時の為政者の権力を弱め、次の時代へと変わる兆しにもなっている。
本書は、各章ごとに災害史と同じぐらい、その時代の世相や出来事を網羅して描いていく。

これだけたくさんの災害に苦しめられてきたわが国。そこに生きる私たちは、本書から何を学ぶべきだろうか。
私は本書から学ぶべきは、理屈だけで災害が来ると考えてはならないという教訓だと思う。理屈ではなく心から災害がやって来るという覚悟。それが大切なのだと思う。
だが、それは本当に難しいことだ。阪神淡路大震災で激烈な揺れに襲われ、家が全壊する瞬間を体験した私ですら。

地震の可能性は、東南海地震、三陸地震、首都圏直下型地震だけでなく、日本全国に等しくあるはずだ。
ところが、私も含めて多くの人は地震の可能性を過小評価しているように思えてならない。
ちょうど阪神淡路大震災の前、関西の人々が地震に対して無警戒だったように。
本書にも、地震頻発地帯ではない場所での地震の被害が紹介されている。地震があまり来ないからといって油断してはならないのだ。

だからこそ、本書の末尾に阪神淡路大地震と東日本大震災が載っている事は本書の価値を高めている。
なぜならその被害の大きさを目にし、身をもって体感したかなりの数の人が存命だからだ。
阪神淡路大地震の被災者である私も同じ。東日本大震災でも震度5強を体験した。
また、福井大地震も、私の母親は実際に被害に遭い、九死に一生を得ており、かなりの数の存命者が要ると思われる。

さらに、阪神淡路大地震と東日本大震災については、鮮明な写真が多く残されている。
東日本大震災においてはおびただしい数の津波の動画がネット上にあげられている。
私たちはその凄まじさを動画の中で追認できる。

私たちはそうした情報と本書を組み合わせ、想像しなければならない。本書に載っているかつての災害のそれぞれが、動画や写真で確認できる程度と同じかそれ以上の激しさでわが国に爪痕を残したということを。
同時に、確実に起こるはずの将来の地震も、同じぐらいかそれ以上の激しさで私たちの命を危機にさらす、ということも。

今までにも三陸海岸は何度も津波の被害に遭ってきた。だが、人の弱さとして、大きな災害にあっても、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう。そして古人が残した警告を無視して家を建ててしまう。便利さへの誘惑が地震の恐れを上回ってしまうのだ。
かつて津波が来たと言う警告を文明の力が克服すると過信して、今の暮らしの便利さを追求する。そして被害にあって悲しみに暮れる。

そうした悲劇を繰り返さないためにも、本書のような日本の災害史を網羅した本が必要なのだ。
ようやくコロナウィルスによって東京一極集中が減少に転じたというニュースはつい最近のことだ。だが、地震が及ぼすリスクが明らかであるにもかかわらず、コロナウィルスがなければ東京一極集中はなおも進行していたはず。
一極集中があらゆる意味で愚行の極みであることを、少しでも多くの人に知らしめなければならない。

本書は、そうした意味でも、常に手元に携えておいても良い位の書物だと思う。

‘2019/7/3-2019/7/4


天国でまた会おう 下


上巻では、戦争の悲惨さとその後の困難を描いていた。
その混乱の影響をもっとも被った人物こそ、エドゥアールだ。
戦争で負った重い傷は、エドゥアールから言葉と体の動きを奪った。さらに破壊された顔は、社交の機会も失わせた。

そのような境遇に置かれれば、誰でも気が塞ぐだろう。エドゥアールも半ば世捨て人のようにアルベールの家にこもっていた。
ところが、顔を隠すマスクを手に入れたことによって、エドゥアールの生活に変化が生じる。
そしてエドゥアールは良からぬことをたくらみ始める。それに巻き込まれるアルベール。

本作においてアルベールは、気弱でおよそ戦いの似合わない青年である。常に他人の意志に巻き込まれ、振り回され続ける。
そのような人物すらも兵士として徴兵する戦争。
戦争の愚かさが本書のモチーフとなっている事は明らかだ。

上巻のレビューに書いた通り、戦争は大量の戦死者を生む。そして、戦死者を丁重に葬るための墓地も必要となった。戦死した兵士たちの亡骸を前線の仮の墓地から埋葬し直す事業。それらはプラデルのような小悪党によっては利権のおいしい蜜に過ぎない。
プラデルによって安い作業員が雇われ、彼らによっていい加減な作業が横行する。おざなりな調査のまま、遺体と名簿が曖昧になったままに埋葬される。
国のために戦った兵士たちの尊厳はどこへ。

国のために戦った兵士も、小悪党の前には利潤をうむモノでしかない。
そんな混乱の中、国によって兵士の追悼事業を催す計画まで持ち上がる。
そこに目を付けたのがエドゥアールだ。
その企画に乗じ、架空の芸術家をでっち上げ、全国の自治体に追悼記念碑<愛国の記念>なる像を提供すると称し、金を集める。
そんなエドゥアールの意図は、プラデルの悪事と似たり寄ったりだ。

だが、大きく違う事がある。それはエドゥアールには動機があったことだ。
戦争をタネに一儲けしようとするエドゥアールの姿勢は、戦争への復讐でもある。戦争によってふた目とは見られない姿に変えられたエドゥアールには、戦争へ復讐する資格がある。
そして、戦争の愚かさをもっとも声高に非難できるのもエドゥアールのような傷痍軍人だ。
ただし、本書の語り手はエドゥアールではないため、エドゥアールの真意は誰にも分からない。不明瞭な発音はエドゥアールの真意を覆い隠す。

そもそも、おびただしい数の傷痍軍人はどのように戦後を生きたのだろう。
戦後を描いた小説には、しばしば傷痍軍人が登場する。彼らは四肢のどれかをなくしたり、隻眼であったりする。彼らは、戦争の影を引きずった人物として描かれることはあったし、そうした人物が戦争を経験したことによって、性格や行動の動機にも影響はあったことだろう。だが、彼らの行動は戦争そのものを対象とはしない。なぜなら戦争は既に終わった事だからだ。
本書は、エドゥアールのような傷痍軍人に終わった戦争への復讐を行わせる。その設定こそが、本書を成功に導いたといってもよい。
エドゥアールのたくらみとは、まさに痛快な戦争へのしっぺ返しに他ならない。

エドゥアールの意図には金や報復だけではなく、別のもくろみもあった。
それは、エドゥアールの芸術的な欲求を存分に活かすことだ。芸術家として自分のデッサンを羽ばたかせ、それを評価してもらう喜び。
親が富裕な実業家であるエドゥアールにとって、自分の芸術への想いは理解されないままだった。それが戦争によって新たなる自分に生まれ変わるきっかけを得た。

エドゥアールにとって、戦争は単なる憎しみの対象ではない。憎むべき対象であると同時に、恩恵も与えてくれた。それが彼の動機と本書の内容に深みを与えている。

そのようなエドゥアールを引き留めようとしていたはずのアルベールは、いつのまにかエドゥアールのペースに巻き込まれ、後戻りが出来ないところまで加担してしまう。
一方、後戻りができないのはプラデルも同じだ。
戦争中の悪事は露見せずに済み、戦後も軍事物資の横流しによって成り上がることができたプラデル。
だが、彼の馬脚は徐々に現れ、危機に陥る。

エドゥアールとプラデルの悪事の行方はどこへ向かうのか。
そしてエドゥアールの生存を実業家の父が知る時は来るのか。
そうした興味だけで本書は読み進められる。

こうして読んでみると、第一次大戦から第二次大戦への三十年とは、欧州にとって本当に激動の時代だったことが実感できる。

社会の価値観も大きく揺れ動き、新たな対立軸として共産主義も出現した。疲弊した欧州に替わってアメリカが世界の動向を左右する存在として躍り出た。
国の立場や主義が国々を戦争に駆り立てたことは、政府へある自覚を促した。それは、政府に国民の存在を意識させ、国民を国につなぎとめ、団結させる必要を迫った。

政府による国民への働きかけは、それまでの欧州ではあまり見られなかった動きではないだろうか。
だが、働きかけは、かえって国民の間に政府への反発心を生む。
それを見越した政府は、戦争という犠牲を慰撫するために催しを企画し、はしこい国民は政府への対抗心とともに政府を利用する事を考えた。
そのせめぎ合いは、政府と国民の間に新たな緊張を呼び、その不満を逸らすために政府はさらに戦争を利用するようになった。
それこそが二十世紀以降の戦争の本質ではないかと思う。

本書をそうやって読みといてみると、エドゥアールやプラデルの悪巧みにも新たな視点が見えてくる。

そうした世相を描きながら、巧みな語りとしっかりした展開を軸としている本書。さまざまな視点から読み解くことができる。
まさに、称賛されるにふさわしい一冊だ。

‘2019/6/29-2019/7/2


天国でまた会おう 上


本書は評価が高く、ゴンクール賞を受賞したそうだ。

本書は第一次世界大戦の時代が舞台だ。悲惨な戦場と、戦後のパリで必死に生きる若者や元軍人の姿を描いている。

第一次世界大戦とは、人類史上初めて、世界の多くが戦場となった戦いだった。しかも、それまでの戦争にはなかった兵器が多数投入され、人道が失われるほどの残虐さがあらわになったことでも後世に語り継がれることだろう。
ただ、第一次大戦の時は、戦争とはまだ戦場で軍人たちによって戦われる営みだった。市街地が戦場になることは少なく、一般市民にはさほど害が及ばなかった。だから、一般には戦争の悲惨さが知られたとは言い難い。

二十年後に勃発した第二次世界大戦では、空襲、原爆、島を巡る熾烈な戦い、ホロコースト、虐殺の映像が無数に記録されている。それに比べ、第一次世界大戦には映像や動画があまり残っていないことも、私たちの印象を弱めている。
第一次世界大戦の実相を私たちが目にすることは少ないし、大戦中にそれほど大規模な戦闘が行われなかった東洋の果ての私たちにとってはなおさらだ。

だが、第一次大戦とは人類の歴史にとって記録されるべき戦争なのだ。飛行機や戦車、毒ガスなどの兵器は兵士たちの肉体を甚だしく損ない、たくさんの傷痍軍人を生み出した。
それまでの戦争とは違い、人道に反する兵器が多数投入されたこと。それゆえ、第一次世界大戦とは人類の歴史でもエポックに残る出来事であることは間違いない。

人類にとってはじめての大規模な戦いだった第一次世界大戦は、もう一つ、新たな概念を人類にもたらした。それは戦後処理の概念だ。
大規模な戦線が構築されたことは、大量の兵士の徴兵につながった。
彼ら兵士は、戦争が終われば戦場からの帰還者となる。しかも、その中にはひどい傷を負った大勢の兵士がいた。また、戦死者もそれまでの戦争とは段違いに多かったため、葬るための墓も用意しなければならなかった。さらに、徴兵されて職を失った兵士が一斉に復員することになり、失業問題も発生した。

国としてそれまで経験のなかった戦後処理。それをどうさばくのか。国のために戦った兵士に対してどう報いるのか。やることは山積みだ。

兵士たちは兵士たちで、戦後の自らの生活の糧をどうやって得るのか考えなければならない。誰にとっても経験のない大規模な戦争は、国と国民に多大な被害をもたらした。そんな悲惨な戦場の後遺症を人々はどう乗り越えたのか。

本書はそういった時代を生き生きと描いている。

本書の主人公であるアルベール・マイヤールとエドゥアール・ペリクールは、塹壕の中で深い絆を結んだ。
上官の策略によって生き埋めにされてしまったアルベールをエドゥアールが助けたことによって。
だが、エドゥアールが助けてくれたため、アルベールは命を永らえることができたが、砲弾がエドゥアールの下顎を永久に失わせてしまった。

自分の命の恩人であるエドゥアールに恩義を感じ、戦後もともに生活を続ける二人。
エドゥアールは下顎を失ったことから言語がはなはだしく不自由となり、アルベールとしか意思を通ずることが出来ない。
しかも顔の形は生前から大きく損なわれ、その変貌は肉親ですら気づかないと思われるほど。

エドゥアールの父マルセルは富裕な実業家。エドゥアールはその後継ぎとして期待されていた。だが、エドゥアールの芸術家としての心根は、実業家としての道を心の底から嫌っていた。
自分が戦死したことにすれば、後を継ぐ必要はなくなる。
そんなエドゥアールの意思をくんだアルベールは、エドゥアールを戦死した別人として入れ替え、エドゥアールを戦死したものとするように細工をする。

それによってエドゥアールは自分の世界に浸ることができ、アルベールは罪の意識にさいなまれる。

一方、エドゥアールの姉マドレーヌは、父の会社を継ぐはずだった弟の死がいまだに受け入れられない。会社はどうなってしまうのか。父の落胆の深さを知るだけにマドレーヌの心は痛む。
そんなマドレーヌに巧みに近づいたのがプラデル。彼は大戦中、エドゥアールとアルベールの上官だった。
そもそもアルベールが塹壕に生き埋めにされたのも、プラデルの悪事に気づいたからだ。

だが、プラデルの悪事は誰にも気づかれずに済んだ。それどころか、大戦後のプラデルは軍事物資の横流しによって一財産を築くことに成功した。
そして、首尾よくマドレーヌと結婚することによって大物実業家のペリクールの娘婿に収まる。

後ろ盾を得たプラデルは、その勢いを駆って、よりうまみのある利権を漁る。
その利権とは、大戦で亡くなった大勢の兵士のための墓だ。
おびただしい数の兵士がなくなり、彼らの墓を埋める人も土地も足りない。前線の粗末な墓にとりあえず埋められた兵士たちの亡骸を戦没者追悼墓地に埋めなおさねば、国のために命を捧げた兵士と遺族に顔向けが出来ない。
その作業を請け負ったのがプラデルだ。

プラデルはここでも請け負った費用の利潤を少しでも浮かせるため、作業の費用を極端に切り詰める。それは作業員の質の低下につながるがプラデルは意にも介さない。懐が潤えばそれでよいのだ。

大戦によって濡れ手で粟を掴むプラデルのような人物もいれば、エドゥアールとアルベールのように食うや食わずの日々を送る若者もいる。

上巻は、第一次世界大戦の悲惨さと戦後のただれた現実を描く。

‘2019/6/20-2019/6/28


メデューサの嵐 下


下巻では、着陸する空港を求めてあちこちを飛び回るスコットの苦闘が描かれる。
メデューサが野放しになっている事実は、アメリカ中が知ることとなった。ペンタゴンやCIAも、とんでもない兵器が空にある事態を把握する。一方で、アメリカを危機に陥れた犯罪者がすでに亡くなったロジャーズではなくヴィヴィアンによってなされたと考え、捜査するFBIも。
さまざまな思惑を持つ人々がそれぞれの立場で事態を掌握しようとするため、なかなかうまくいかない。

もっともやっかいなのは、メデューサを無傷で確保したいとの軍の一部の思惑だ。
まだどの国も開発に成功していないメデューサウェーブが今、合衆国の上空にある。それは軍にとって願ってもないチャンスだ。この兵器を可能な限り無傷で入手し、内部を解析することによって、アメリカによる世界の覇権はより一層強固なものとなる。
アメリカに無限の力がもたらされるメデューサは、軍が確保しなければならない。
そう確信した一部の軍人は、兵器を遺棄したいと願うスコットを欺き、スコットの飛行機を軍の飛行場に着陸させようと画策する。

ところがスコットのそばには、兵器の実際の開発者であるロジャーズの妻ヴィヴィアンがいる。かつてロジャーズと一緒に研究職に就いていたヴィヴィアンにとって、ロジャーズの能力はよく知っている。この兵器を完成させてもおかしくないことも。
ロジャーズがやると決めたら必ず実行する。軍がいかに知恵をめぐらそうとも、安全に解体することなど不可能。メデューサは軍が生半可に扱えるような代物ではない。そして、処置を誤ったが最後、アメリカ中の電子機器は使い物にならなくなり、アメリカは二度と立ち上がれないほどのダメージを被る。

ヴィヴィアンからそのような事を聞いたスコットは、アメリカを救わねばという使命につき動かされる。そして、策をめぐらせながら機を飛ばし続ける。スコットエアも自分自身もそしてクルーも最後まであきらめることなく、どうやればメデューサを安全に処分するかを考えながら。

そのスコットからみて、軍のおかしな動きは怪しむに十分だった。軍が自らを欺きメデューサを手中に収めようとしているのではないか、と。その疑いが確信に高まり、いったんは着陸した空港から、軍の制止を振り切って再び離陸への道を選ぶ。
物語を盛り上げるため、このような余計な画策をする役割の人物は必要だ。軍人としての動機がもっともなだけに、スコットを再び空へと送り出す展開も無理やりな感じは受けない。

軍の用意した飛行場が頼りにならないとなれば、もうスコットにとれる道はすくない。時間は少ない。そこで彼がどういう決断を下すのか。

超巨大台風とメデューサ。熱核爆弾としての側面も持つメデューサが爆発すれば、電磁波だけでなく、自身も一瞬にして塵と化す。
そのような極限状況にあって、ある人はパニックに陥り、ある人は判断力を失う。だが、ヒーローでなくとも、集中力を高められる人もいる。本書のスコットのように。
もともと航空機のパイロットは高度な知識と集中力を擁する仕事だという。
本書のような事態に巻き込まれたとしても、スコットが毅然と対処できることはある意味理にかなっている。空軍のもと戦闘機載りの経歴ならなおさら。

おそらく著者も自身や仲間のパイロットの姿をみていたはず。その素養は承知していたため、本書のような設定も著者には荒唐無稽とは考えていなかったのだろう。

飛行機とはただでさえ、一瞬の操作ミスが命の危機に直結する。
だから、もともとサスペンスの題材としては適している。
そして著者にパイロットとしての知識があったならば、飛行機を題材とした本書のようなサスペンスは面白いはずだ。

実際、本書を読む間は手に汗を握るような展開が連続する。本書のように極上の緊張感を楽しめるのは、読者としての喜びだ。

ただ、本書には物足りない点もあった。
正直にいうと、本書の登場人物にはもう少し深みがあっても良かったと思う。
たとえばスコットがなぜ一人で貨物便を扱うスコットエアを創業したのか。上巻の冒頭でそのあたりのいきさつには多少は触れられる。だが、あまりスコットが貨物会社を創業した動機には挫折があまり感じられなかった。
さらに、重要な役回りを演じるドクやジェリーの人物ももう少し深く掘り下げてもよかったのではないだろうか。

そしてリンダにも同じ物足りなさがつきまとう。なぜ南極からの観測データを焦って積み込まねばならないのか。そこに環境学者としての彼女が抱いていた地球温暖化の危機感を書き込めば、より彼女の強引な行為の理由が理解できたはず。

結局、本書で一番無茶な企てを仕掛けたロジャーズと、その企みにまんまとはめられたヴィヴィアンの元夫婦が、人物の中でもっとも深みがあったように思うのは私だけだろうか。
彼らの闇の暗さと、たくらみや巻き込まれた事件はもっとも現実に考えにくい役回りだったにもかかわらず。

だが、そうした欠点など取るに足りないと思えるぐらい、本書は航空機とそれを舞台にしたサスペンスの書き方に長けていたと思う。
あえて人物の書き方に注文を付けたのも、それだけ本書のサスペンスとしての構成がしっかりしていたからだ。

このあたりのバランスをどうすればよかったのかは、結果論に過ぎない。
一つだけいえるのは、本書が極上のサスペンスだったこと。それを読めて楽しめたことぐらいだ。

本書は余韻の描き方もとてもよかった。この終わり方によって、沸騰していた物語に締めくくりが付けられたように思える。

‘2019/6/19-2019/6/19


メデューサの嵐 上


本書は、だいぶ長い間、私の部屋で積ん読になっていた一冊だ。
ちょうど読む本が手元になくなったので手に取ってみた。

本書は、今まで積ん読にしていたのが申し訳ないほど面白かった。
何が面白かったかと言うと、飛行機の運転操縦に関する知識が深く、臨場感に満ちていたことだ。それもそのはずで、著者はもともと貨物便のパイロットをしていたそうだ。

本書の主人公であるスコットもまた零細貨物航空会社スコットエアの経営者であり、パイロットだ。そのスコットエアを運営しながら、綱渡りの経営を続け、営業で案件をとってきては収入を運営につぎ込む。その姿は、私と弊社そのもの。だから感情移入ができた。

しかも、本書の主人公の場合、実際の貨物便を所持している。
という事は、維持費がかかる事を意味する。また、それを運行するためのスタッフも雇わねばならない。
スタッフとはスコットエアの場合、副操縦士のジョン・ドク・ハザードと機関士のジェリー・クリスチャンだ。
スコットエアにはスタッフも大きな機器もある。だから、弊社のようにパソコンだけを持っていれば済むはずがない。
スコットの経営は、私よりもさらに過酷であり、綱渡りの連続であるはずだ。

さて、本書のタイトルにもなっているメデューサとは、メデューサウェーブを発する兵器の事だ。もちろん実在しない。著者の造語だ。
メデューサウェーブとは、強力な電磁波。その強力な電磁波によって、電子と磁気の情報で成り立っている情報機器を一撃で無効にできる。つまりデータを破壊できるのだ。
世界中のハードディスクに保存されているあらゆる情報や、ネットワーク上を行き来する電気信号。そうした情報は電子データであり、電子データが安全に保持されることが社会のあらゆる活動の前提となっている。
だが、メデューサウェーブによってそれらが一気に無効になるとすれば、その恐ろしさは計り知れない。実際、複数の国の兵器関係者は今も研究しているはずだ。

もしそのような恐ろしい兵器が、在野の一科学者によって作り上げられたとしたら。そして、その科学者が狂った動機をもとにその兵器を実際に稼働させようとしたら。もしその兵器がスコットの操縦する貨物機に積まれていたとしたら。
本書はそうした物語だ。全編がサスペンスに溢れている。

その科学者ロジャーズ・ヘンリーは、離婚した妻ヴィヴィアンに対して復讐しようとしていた。そして彼の復讐の刃は自分の才能を認めようとしなかった合衆国政府にも向けられていた。
そんなロジャーズの狂った執念を一石二鳥で実現したのがこのメデューサウェーブ。
ガンで自らの余命がいくばくもない事を知ったロジャーズは、ヴィヴィアンに連絡を取る。
その時、ヴィヴィアンは離婚したことによって収入のあてがたたれ、困窮状態にあった。
死の床で寝込んでいたロジャーズからの頼みを断れずに引き受けてしまったことが、本書の発端となる。

メデューサに巧妙な仕掛けを組んでいたそのロジャーズは、自ら命を断つ。
そしてヴィヴィアンは、生計がいよいよ立ち行かなくなり、ロジャーズの頼みを実行する。
ロジャーズの頼みとはヴィヴィアンも同伴したまま、貨物便にその箱に似た兵器を積み込む事。
しかし、積み込まれるべきだったメデューサは、手違いで積み込まれるべき貨物便とは違う便に積み込まれた。その飛行機こそ、スコットの操縦する飛行機だった。そしてスコットがそのまま飛行機を離陸させたことで、メデューサは空に解き放たれてしまう。
巧妙にも、ヴィヴィアンのペースメーカーと兵器を同期させるようにしていたロジャーズは、ワシントンの上空で兵器を作動させる。
兵器の電子コンソールには、ヴィヴィアンが離れると兵器をすぐに稼働させるという脅迫の文字が。

飛行機は着陸もできなければ、兵器を処分することもできない。つまり、燃料の切れるまで飛び続ける羽目に陥る。
しかも間の悪いことにアメリカに最大級の台風が襲来している。つまり、スコットは巨大な台風の中を、いつ爆発するとも知れない兵器とともに飛び続けなければならない。

貨物の積み込みや、空港での手続き。そして実際の操縦や航空機の形に関する知識。
そうした知識がないまま、本書のような物語を書くと、非現実的な設定に上滑りしてしまう。
だが、冒頭に書いた通り著者はもともと飛行機会社を経営していたという。そうしたキャリアから裏付けられた説得力が本書に読みごたえを与えている。

同時に著者は、兵器の情報がどのようにしてマスコミに漏れ、それがどのように世間を騒がせるかについてもきちんとリサーチを行っているようだ。
危険極まりない兵器が空を飛び回っていることを知った世間はパニックに陥る。
そのいきさつもきちんと手順を踏んでおり、無理やりな感じはしない。だから、本書からは説得力が保たれている。

今の社会は電子データに従って動いている。どこにでもありふれているが、ひとたび混乱すれば、世界の仕組みは破滅し、アメリカの覇権は雲散霧消する。
メデューサウェーブのような兵器の着想は、おそらく他の作家にも生まれていることだろう。だが、私にとっては本書で初めて出会った。それだけに、新鮮だった。

スコットの操縦する飛行機には、ドクとジェリー、ヴィヴィアンの他にもまだ乗客がいる。
南極での調査を終え、政府研究機関に至急渡したいからと荷物を運んでほしいと強引に乗り込んできた女性科学者のリンダ・マッコイ。
この5名の間にコミニケーションが取られながら、5人でどのようにして協力し合い、危機を脱するのか、という興味が読者をつかんで離さない。

実際のところ、本書の核心度や描き方、物事の進め方やタイミングなど、あらゆる面で第一級のサスペンスで、まさにプロの描いた小説そのものである。
才能の持ち主が知識を備えていれば、本書のような優れたサスペンスになるのだ。

いったいスコットたちはどのように危機を乗り切るのだろうか。下巻も見逃せない。

‘2019/6/14-2019/6/19


ミステリークロック


「トリックの奇術化とは、まさにそういうことなんですよ。機械トリックは、奇術で言えば種や仕掛けに当たりますが、それだけでは不完全です。言葉や行動によるミスリードなどで、いかに見せるかも重要になります。機械的なトリックは、人間の心理特性を考慮した演出と相まって、初めて人の心の中に幻影を創り出すことができるんです」(202-203ページ)

これは本書の中である人物が発するセリフだ。
機械的なトリックとは、古今東西、あらゆる推理作家が競うように発表してきた。
謎にみちた密室がトリックを暴くことによって、論理的に整合性の取れた形で鮮やかに開示される。その時の読者のカタルシス。それこそが推理小説の醍醐味だといっても良い。
その再現性や論理性が美しいほど、読者の読後感は高まる。機械的なトリックこそは、トリックの中のトリックといえる存在だ。

冒頭に引用したセリフは、まさに著者が目指すトリックの考えを表していると思う。

本編にはそうしたトリックが四編、収められている。

「ゆるやかな自殺」
冒頭の一編は、さっそく面白い密室トリックを堪能できる。
やくざの事務所で起こった事件。やくざの組事務所とは、読者にとっては異空間のはずだ。入ったことのある人はそうそういないはず。私ももちろんない。
その事務所内に残された、一見すると自殺にしか見えない死体。
事務所の性格から、厳重に施錠された組事務所に誰も入れなくなったため、鍵を開けるために呼ばれた榎本。彼は、現場の様子を見るやいなや、自殺の怪しさに気づいてしまう。

本編は登場人物にとっても密室だが、読者の通念にとっても密室である。そこが本編のポイントだ。
なぜなら、組事務所という舞台設定は、読者にとって堅牢な固定観念がある。そのため、読者は勝手に想像が膨らませ、著者の思惑を超えて密室を構成する。
そのミスリーディングの手法がとても面白いと思った一編だ。

「鏡の国の殺人」
美術館「新世紀アート・ミュージアム」で起こった殺人を扱った一編。
新世紀とか現代美術という単語が付くだけで、私たちはなにやら難解そうな印象を抱いてしまう。

本編も野心的な光によるトリックが堪能できる。
「新世紀アート・ミュージアム」という、いかにも凝った仕掛けの美術館。つまり、仕掛けは何でもありということだ。
そして、執拗なまでに監視カメラが厳重に設置される館内において、どのように犯人は移動し、殺人を犯したのか。その謎は、どのような仕掛けによって実現できたのか。
トリックの醍醐味である、変幻自在な視覚トリックが炸裂するのが本編だ。

視覚トリックと言えば、私たちの目が錯視によってたやすく惑わされる事はよく知られている。
今までにもエッシャーのだまし絵や、心理学者によるバラエティに富んだ錯視図がたくさん発表されていることは周知の通りだ。
それらの錯視は、私たちの認知の危うさと不確かさを明らかにしている。

著者にとっては、本編のトリックは挑み甲斐のあるものになったはずだ。
本編は、錯視を使ったトリックもふんだんに使いつつ、他のいろいろなトリックも組み合わせ、全体として上質の密室を構成している。そこが読みどころだ。

「ミステリークロック」
山荘で起こった密室殺人。鉄壁のアリバイの中、どのようにして犯罪は行われたのか。
さも時刻が重要だと強調するように、本編では時刻が太字で記されている。

現代の作家の中でも伝統ある本格トリックに挑む著者。本編はその著者が、渾身の知恵を絞って発表した意欲的なトリックだ。
時計という、紛れもなく確かで、そして絶対的な基準となる機械。その時計を、いくつも使用し、絶対確実な時間が登場人物たちの上を流れていると錯覚させる。

記述される時間は太字で記され、読者自身にも否応なしに時間の経過が伝わる。
その強調は、時間そのものにトリックの種があることを明らかにしている。だが、読者がトリックの秘密に到達することは絶対にないだろう。多分、私も再読しても分からないと思う。

ミステリークロックと言うだけあって、本編は時計に対する記述の豊かさと絶妙なトリックが楽しめる一編だ。
冒頭に挙げたトリックに対するある人物のセリフは、本編の登場人物が発している。

本編は、時間という絶対的な基準ですら、人間の持つ知覚の弱点を突けば容易に騙される事実を示している。
これは同時に、人間の感覚では時間の認識することができず、機械に頼るしかない事実を示している。
機械の刻む時が絶対と言う思い込み。それこそが、犯罪者にとっては絶好のミスディレクションの対象となるのだ。

本編は、その少し古風な舞台設定といい、一つの建物に登場人物たちが集まる設定といい、本格ミステリーの王道の香りも魅力的だ。
工夫次第でまだまだトリックは考えられる。そのことを著者は渾身のプライドをもって示してくれた。
本編はまさに表題を張るだけはあるし、現代のミステリーの最高峰として考えても良いのではないだろうか。

「コロッサスの鉤爪」
深海。強烈な水圧がかかるため、生身の人間は絶対に行くことができない場所だ。
深海に潜る艇こそは、密室の中の密室かもしれない。
潜水服をまとわないと、艇の外に出入りすることは不可能だ。また、潜水服を着て外に出入りできたとしても、何千メートルの深海から命綱なしで海面にたどり着くことは不可能に近い。

そんな深海を体験したことのある読者はほとんどいないはず。なので、読者にとって深海というだけで心理的な密室として認識が固定されてしまう。その時点ですでに読者は著者の罠にはまっている。

そうした非現実的な場所で起こった事件だからこそ、著者はトリックを縦横無尽に仕掛けることができる。そしてその謎を追う榎本探偵の推理についても、読者としては「ほうほう」とうなずくしかない。
それは果たしてフェアなのだろうか、という問いもあるだろう。
だが、密室ミステリとは、犯罪が不可能な閉じられた場所の中で、解を探す頭脳の遊びだ。
だから本来、場所がどこであろうと、周りに何が広がっていようと関係ないはずだ。その場所に誰が行けるか、誰が事件が起こせるか。
その観点で考えた時、トリックの無限の可能性が眠っているはずだ。
それを教えてくれた本編は素晴らしい。

今や、ミステリの分野でトリックのネタは尽きたと言われて久しい。
ところが、人の心理の騙されやすさや、人の知覚の曖昧さにはまだ未知の領域があるはず。
そこに密室トリックが成り立つ余地が眠っていると思う。
本書のように優れたトリックの可能性はまだ残されているのではないだろうか。

本書にはミステリの可能性を示してくれた。そして頭脳を刺激してくれた。

‘2019/6/12-2019/6/13


掏摸


著者の「教団X」は衝撃的な作品だった。私は「教団X」によって著者に興味を持ち、本書を手に取った。

本書は欧米でも翻訳され、著者の文名を大いに高めた一冊だという。
「掏摸」とはスリのこと。いかに相手に気づかれずサイフの中の金品を掏り取るか。数ある罪の中でも手先の器用さが求められる犯罪。それがスリだ。
もし犯罪を芸術になぞらえる事が許されるなら、スリは犯罪の中でも詐欺と並んで芸術の要素が濃厚だと思う。

スリは空き巣に近いと考えることもできるが、空き巣は大抵の場合、場所の条件によって成否が大きく左右される。
さらに、持ち主が被害に気づきやすい。大事になる。

ところが手練れのスリになれば、移動の合間にサイフの中身を抜き取り、持ち主が気づかぬうちに元の場所に戻すこともできる。
相手に盗まれたことすら気づかれぬうちに財布を戻し、しかもサイフの中の全ての金品を奪わずに、少しだけ残しておく。
そうすることで、極端な場合、移動を繰り返す被害者が、移動中のどこかで落としたぐらいにしか思わないことさえある。
被害者に犯罪にあったことさえ気づかせない犯罪こそ、完全犯罪といえるだろう。

そこには、本来、悪が持っている、やむにやまれぬ衝動ではなく、より高尚な何かがある。
それこそが他の犯罪に比べスリを芸術となぞらえた理由だ。
スリ師の一連の手順には、手練れになるまでの本人なりの哲学さえ露になる。
スリを行う上で、何に気をつけ、どういう動機で行うか。それはスリではないとわからないことだ。
むしろ、生き方そのものがスリとなっているのだろう。

だからこそ、著者はスリを取り上げたのだろう。
スリの生態や動機を知らべ、その生きざまを主人公の行動を通して明らかにし、文学として昇華させようとしたのだろう。
本書に描かれたさまざまなスリの生態。それはスリの営みが犯罪である事を踏まえても、犯罪として片付けるだけでは済まない人としての営みの本質が内包されているようにすら思える。
ただし、スリはあくまでも犯罪だ。スリを礼賛することが著者の狙いではない。

スリとはすなわち手口でしかない、いうなれば小手先の芸術。
そこには、何か作家の琴線に触れる職人的な魅力が備わっているのだろう。

本書には主人公の生き方を否定するかのような、さらに本格的な悪が登場する。
その悪の前には主人公の罪など、しょせん生きるためのアリバイに過ぎないとさえ思える。
思うに著者は、悪の本質を描くため、より軽微なスリという犯罪から描きたかったのではないか

著者は本書で悪の本質を追求したかったのだろう。
それを著者は本書に登場する絶対的な悪、つまり木崎の存在として読者に提示される。

絶対的な悪を体現した人物、木崎は、相手に対する一切の忖度をかけない。
そればかりか、主人公を否定すらしない。ただのモノとして、道具として扱う。

木崎の絶対的な悪に対し、主人公には甘さがある。
万引を繰り返す母子に同情をかける主人公。
子供は親の万引の片棒を担がせられている。そして、母はつぎつぎと男を引っ張り込む売春婦だ。
主人公は、彼らの万引の現場に居合わせる。そして彼らの手口が店側にばれていること。次に同じ現場で犯行を行うと、捕まることを母子に忠告する。
そのような主人公の同情を察し、子は主人公のもとに転がり込む。自らの境遇に嫌気がさして。

誰にとっても、人生とはつらく苦しいものだ。
ところが親にとって道具とされる子にとっては、辛い以前に人生とは万引そのものでしかない。何も将来が見えず、何の希望も知らない日々。
主人公のように、スリという犯罪を芸術として楽しむ余裕や視野すらない。より、憐れむべき存在。
だから主人公は子に同情する。そして憐れむ。

ところが絶対的な悪木崎にとっては、主人公が子にかける同情は一片の値打ちすらない。それどころか相手を意のままに操る弱みとして映る。
主人公は母子を人質にされ、木崎の命に従うことを強いられる。

主人公は木崎からスリを要求される。その難易度の高い手口とスリリングな描写は本書のクライマックスでもある。
主人公はどうやって不可能にも思えるスリを成し遂げるのか。
その部分はエンターテインメントに似た読み応えがあって面白い。

だが、本書には別の読みどころもある。それは絶対的な悪、木崎その人が悪の本質を語る場面だ。

「お前がもし悪に染まりたいなら、善を絶対に忘れないことだ。悶え苦しむ女を見ながら、笑うのではつまらない。悶え苦しむ女を見ながら、気の毒に思い、可哀そうに思い、彼女の苦しみや彼女を育てた親などにまで想像力を働かせ、同情の涙を流しながら、もっと苦痛を与えるんだ。」(119ページ)
「俺は人間を無残に殺したすぐ後に、昇ってくる朝日を美しいと思い、その辺の子供の笑顔を見て、なんて可愛いんだと思える。それが孤児なら援助するだろうし、突然殺すこともあるだろう。可哀そうにと思いながら!」(119ページ)

木崎によれば、この世とは「上位にいる人間の些細なことが、下位の人間の致命傷になる。世界の構造だ。」(140ページ)

その考えをつきつめると、最大の悪に行き着く。悪とは人の人生を完全に操ることだと木崎は語る。
木崎は、ある男の一生を例に挙げる。人生のすべての運命や出会いを知らぬ間に操られ続けた男。懸命に生きてきたと本人は信じているのに、すべての幸運も不幸も、出会いや別れさえもすべて上位のある存在にお膳立てされていたことにすぎなかった。それを知った時の男の絶望。

悪とは何をさすのか。
それは他人の人生への介入であり、支配ではないだろうか。
木崎の哲学はそこに行き着く。
自らを上位に立つ人間として位置づけ、絶対的な悪への信念にもとづき、他人を自らを支配する。
木崎の行動の動機はそこにある。その支配がさらに自らを上位に押し上げ、より純粋な悪へと昇華させる。

われわれ小市民が考える悪とは、自分自身を少しでも楽にするための営みに過ぎない。
木崎の考える悪とは、さらに他人の支配も絡める。例えば相手の体を傷つけたり、相手の金品を盗んだり、相手の生命を奪うといった。それこそが悪の一面だが、ただし、それを自覚的に行うのと自分の中の止まない衝動に操られて行うのでは悪の意味が違ってくる。
木崎は自分の信念に基づき、自覚して悪を行使する。だからこそ彼は悪の絶対的な体現者なのだ。

それに比べると、主人公は母子に対し善意の介入を行う。それは善に属する。
そこが主人公が営む悪、すなわちスリと木崎の考える悪の間にある絶対的な差なのだろう。

スリという営みからここまで悪の輪郭を描き出す本書。
私たちの普段の生き方を考える上でも悪は避けては通れない。
味わい深い一冊だ。

‘2019/6/9-2019/6/12