地域を豊かにする働き方 被災地復興から見えてきたこと


先日、ソトコトの編集長による地域創生の本『ぼくらは地方で幸せを見つける ソトコト流ローカル再生論』を読んだ。
『ぼくらは地方で幸せを見つける ソトコト流ローカル再生論』で取り上げられた取り組みは、最近の働き方改革の文脈に沿っていたように思う。私が同書から学んだのは、働き方改革を絡め、若い世代を巻き込むことだ。それが地域創生に有効であることも。

本書は、地域創生を被災地の復興の視点から取り上げている。
被災地の復興で何よりも重要なのは、天災で傷ついた地域を元に戻す作業だ。つまり、創生よりもまず復旧が優先される。その過程においては、より地域に根ざした視点が欠かせない。
未曽有の大災害、つまり東日本大震災によって生活基盤を失った人々が地域を復興するにあたり、どのような手法を採ったのか。
本書には成熟社会という言葉が登場する。成熟した社会の中で培われたノウハウを使い、どうやって地域を復興させるか。そうしたケースが紹介されているのが本書の特徴だ。

地域での中小企業経営者、または飲食業に携わる人々。本書に登場するそれらの人々が被災地の復興にあたって採用した手法は、いたってオーソドックスだ。
その手法は『ぼくらは地方で幸せを見つける ソトコト流ローカル再生論』で紹介されていたような、情報技術を駆使し、働き方改革の風潮に沿った方法ではない。
本書では、地縁のつながりを生かす手法が取り上げられている。

例えば飲食業。根こそぎ津波にさらわれ、見渡す限りの更地となった生活の場。再び人々が暮らせる街として蘇らせるにはどうすればよいのか。
更地になった土地であっても、全ての希望が失われたわけではない。
ただ、更地から復興させていく方法については確かな答えはない。
情報技術や最新の手法に頼らず、従来のやり方でどのように復興させるのか。本書にはそうした取り組みの事例が豊富に載っている。
本書に登場する人物はほとんどが年配の方であり、取り組みも洗練されているとはいえない。だが、培われた地縁を生かした復興への取り組みは参考になる。

更地となった同じ場所に店舗を再建するのは簡単ではない。
仮設店舗を設置し、そこに人を集める方法も一つの方法だ。だが、周囲の住宅が根こそぎ更地にされ、住民が激減した場所で客を集めることは簡単ではない。
となると、新たな土地を求め、そこで店を再建し、集客からやりなおす方法が考えられる。本書の中に登場する方は、福島県の二本松市に新たに活路を求め、そこで同じ地域からの避難者を対象に店を開業しているという。

新たな土地に活路を求める方法ももちろん有効だ。だが、被災地の復興の観点で考えると、被災地とは別の場所に店を構えたとしても、復興したとはいえない。
仮設でもよいから元の場所に店舗を構えたい。被災者の心情としては当然のことだろう。

だが、津波によって風景が一変し、そこにかつて住宅や店があった記憶は刻々と失われつつある。そのような中、どのようにして復興させるのか。並大抵のことでは成し遂げられないはずだ。
そこで、本書に登場するある方は、他の残った店舗から機材や資材を融通してもらったという。他にもさまざまな伝とネットワークをたどり、地道な努力を重ねれば活路は拓ける。
工場が被災した場合も同じだ。工場が浸水し、傾いて使えなくなった機械をいかにして復旧させるのか。経営者としてはまず従業員の生計を第一に考えなければならない。そこで、壊れた機械や備品の数々を同業者のネットワークを使い、全国から取り寄せる。その時は、SNSなど、今風の手段も使うが、根本にあるのは縁やネットワークの力だ。

情報技術を駆使し、新たな方法論を活用して果敢にチャレンジする地方創生。それもまた真っ当で、やるべきことだ。
だが、本書では既存の方法論も依然として有効であると説く。特に復興においては。
もちろん、どちらが良いと決めることはない。両方を状況に合わせて使い分けるのが望ましいのだろう。

私は情報技術で生計を立てている。そのため、私の立場としては、情報技術を活用した仕組を大いに推進したい。
だが、データだけでは現実の復興が覚束ないのも事実だ。物を使い、人が動かす。そうした目に見える形の取り組みはまだまだ必要だ。その観点からは、従来の方法論の有効性を強調する本書の論調には賛成する。

また、被災地の場合、そもそもの生活基盤が破壊されている。従来の地域創生とは前提が違うのだ。
しばしばケースに取り上げられる地方創生の場合、徐々に地域の活力が先細りしてゆく。だが、天災は地域の活力を一気に失わせる。
そのため、まず急務とすべきは生活基盤の迅速な復旧と仕事の創出なのだ。

東日本大震災で大きな被害を受けたのは、岩手・宮城・福島・茨城などだ。そのため本書が焦点に当てるのは、それらの地域だ。

まず、岩手県大槌町が取り上げられる。
大槌町役場は浸水し、町長もお亡くなりになった。私のような被災者でない者にも、大槌町が受けた被害の痛ましさは印象に残っている。津波の猛威を最も悲惨な形で被ったのが大槌町だ。
街の多くの産業がどのような被害を受けたのか。全てが更地になった街をいかにして復興させるか。著者は克明に記してゆく。
大槌町でも高台にあった家や会社は無事で、低地にあった建物は全て波にさらわれたという。
低地にあった店舗や工場は、もはや同じ場所での再建が難しい。そのため、違う土地に移るしかなかった。だが、高台にあった工場は平常通りの操業に復すことができた。

生活の基盤を失った住民たちに対して、仕事や生活をすみやかに復旧させる。
高台にあった工場の場合、代わりとなる備品や設備の調達をすみやかに実施し、同業者ネットワークから仕事を回してもらう。そうした多様な取り組みが紹介される。

続いて福島県楢葉町。
ここは、東日本大震災の被害のシンボルとなった福島第一原子力発電所に近い。事故直後、全町民に緊急避難指令が出され、街は放置された。住民が課されたのは過酷な試練だ。
そもそも住民は元の場所に戻ることすら不可能。そのため、生活を再建するには別の場所に活路を求めるしかない。福島県の他の市町村や他の都道府県に新たな暮らしの場を求める。
楢葉町役場は役場ごと、福島県の二本松市に移った。楢葉町の人々も、二本松市を中心に生活を再建していく。その様子が描かれる。
他にも、長く続いた日本酒の醸造蔵が山形県米沢市に移転し、再び醸造を開始する様子も描かれる。
楢葉町の人々が故郷の家に戻る日はいつか。誰にも分からない。故郷を失った人々は郷愁を引きずりつつも、新天地で生活を再建していかなければならない。従来の地域創生とは違うのだ。

続いて茨城県の日立市だ。
日立は顕著な津波の被害を受けなかった。また、近隣にある原発にも被害はなかった。とはいえ、日立市も地震の揺れによって相応の被害を受けたそうだ。
そうした被害からの復興がどうなされたのか。その取り組みが描かれる。

最終章で著者は、これからの地域創生のあり方に触れる。
もちろん、著者は情報技術を駆使した取り組みや、若者を軸にした組織を構築する大切さも理解している。
その上で、著者はそれだけでない、従来のやり方の有効性も忘れてはならないという。
そもそもなぜ著者は地域創生の場として、被災地を選んだのか。それが明かされるのが次の一文だ。

現在、「世界で最も熱い『現場』」は東日本大震災の被災地なのです。そこに身を置き、暮らしとは何か、生きるとは何か、地域とは何かを考え、自らの進むべき道を見定め、そこに向かっていくことです。(157p)

この文には著者の思いが詰まっている。復興とは理論やノウハウだけではない。泥臭い取り組みも必要で、リアルの手触りも必要。目に見える現実を忘れてはならない。それを最も分かりやすく実感できるのが被災地の復興だといいたいのだろう。
情報技術を駆使し、若い感性が主導して復興に取り組むのもいい。だが、血の通った熱も地域創生には必要と訴えたいのだろう。

まずは現場に行け。これはどの地域創生プランナーも強調するはずだ。
それを実感するにはまず被災地。といいながら、私はまだ十年の間に一度も宮城や岩手を訪れられていない。原子力発電所事故による居住制限地域も。
まず、私はそれらの場所に行かねばならないと思っている。

‘2019/10/22-2019/10/23


丹下健三 一本の鉛筆から


石井光太氏の『原爆 広島を復興させた人びと』を読んでから、本書の著者である丹下健三氏と建築家に興味を持ち、建築家が著した本、建築物を紹介する本などを読んできた。

『原爆 広島を復興させた人びと』は、広島の戦後復興を、原爆ドームと平和公園と広島平和記念資料館の建設過程とからめて描いていた。
その中では、著者が平和記念公園の都市設計を手掛けるようになった背景にも触れている。

昭和20年8月6日。
今治の実家の父が死すとの電報を受け取った著者が乗った列車が、突然尾道で止まってしまう。それは広島に新型爆弾が落とされたからだった。
ようやく故郷の今治にたどり着いた著者は、父が既に8/2に亡くなっていたことと、8/6の今治空襲によって母も世を去っていた事実を知る。
戦争が母を奪い、そして原爆が旧制高校時代に著者が学んだ広島を破壊した衝撃。
その衝撃が著者を広島平和公園の都市設計に駆り立てたことは容易に理解できる。
『原爆 広島を復興させた人びと』で紹介された8/6の著者の体験は、本書から引用されていた。

それ以来、一度は本書を読まねばと思っていた。

本書の表紙には著者の晩年の顔写真が掲載されている。とても福々しい容貌だ。上方の落語家、桂米朝師匠に似ている。
失礼ではあるが、建築家には思えない。ましてや世界のタンゲというキーワードは浮かんでこない。
だが、著者の名声は世界中に知れ渡っている。広島以外にも日本や世界のあちこちにシンボリックな建築物の設計を手掛けた実績。

本書の内容は、広島平和公園を手掛ける前半部までは自伝的な要素が強い。だが、それ以降は華麗なる世界の名士にふさわしい遍歴が続く。
某国の王室、某国の政府、さる国の首都の都市計画。会う人、会う人物が各国の首長であり、大統領である。もらう勲章、爵位、勲位。キリがない。とにかく華麗。とにかく豪華。功名を遂げた者にしか許されない高み。本書の後半は私ですら、鼻につくほどの栄誉の連続だ。
表紙に載せられた著者の福々しい風貌が中和していなかったら、本書の余韻は後半の印象に引きずられて悪くなっていたに違いない。

だが、本書は自分の経歴を誇らしげに語っているだけと見なしてよいのだろうか。そんな疑問も湧く。

本書で著者は、自らの活動を振り返っている。
他の本やWikipediaでも触れられていたが、著者は普段、そうした自分の経歴や業績をあまり語らなかったそうだ。Wikipediaの著者の項目にも、過去の業績に対して無頓着だったと書かれている。
それらを信じるならば、著者は普段、自らの実績や自らを誇るようなことは語らないし書かなかったようだ。つまり、本書は、一生に一度のつもりで、普段は振り返らなかった自らを詰め込んだのだろう。

著者をかばうわけではないが、著者がやり遂げたことのレベルは高すぎる。だからこそ、ありのままの姿を書いてもそれが自慢に感じられてしまうのだろう。
ましてや本書は日経新聞に連載された「私の履歴書」が元になっているという。ということは、限られた紙面しか与えられておらず、エッセンスを詰め込んだ。
それが後半の業績や華麗なる交流となって現れているのではないだろうか。

本書には、著者が設計を主導した建築物の写真や完成予想模型が豊富に載せられている。著書はそれらの建物にも言及している。その数たるや膨大。
その多くに私は足を踏み入れている。広島平和記念資料館。フジテレビ本社。代々木体育館。東京都庁。東京ドームホテル。兵庫県立人と自然の博物館。大阪万博お祭り広場。大津プリンスホテル。横浜美術館。
それぞれの建物の外観がすぐに思い出せる。それだけ著者の手掛けた作品が独創的であり印象に残ったのだろう。

建築の分野に限らず、名声を浴びる人は間違いなく何かを表現し、それを発表している。
著者の場合、表現の対象が建築物である。そのため、著者の実績も目立ち、長きにわたって人の目に触れている。批評にさらされ続けながら。

著者は本書の中で自らの建築家としての哲学や仕事のやり方にも触れている。
何度も一位を獲得した各種の設計コンペティションに臨むにあたり、泊まり込みも辞さなかったこと。何人ものチームで徹底的に議論し、少しでもよい提案を行うべく議論したこと。

著者の業績は、そのような不断の努力に裏打ちされていることはいうまでもない。もちろん、私が付け足すこともない。
では、そのような実績と栄誉が書き連ねられた本書から、読者は何を読み取ればよいのだろうか。

私は本書から三つの学びを読み取った。

一つ目は、著者が建築家を志したきっかけだろう。
星が好きで数学を得意とする少年が、多感な時期に芸術に心を動かされたこと。
文系に志望を変えようとしたが、建築は理系の頭脳を生かしながら芸術も表現できると思い至り、志望を建築に変えたこと。
そこからは、文系や理系といった枠にこだわらず、より広い視野で物事に取り組むことの大切さが学べる。

二つ目は、冒頭に書いた通り、父母の死去が原爆投下に重なった悲劇だ。それを著者は創造へのエネルギーに昇華させた。
そのエネルギーは、著者の広島への思いとあいまって平和記念公園の設計への熱意と変わった。

私たちは毎日の暮らしから、著者が体験し、昇華させたような体験をどこに見いだすべきだろうか。そして、その体験をどうとらえ、どのように自らの創造の力に変えればよいのだろうか。
それを見つけ出すのは私たちだ。

三つ目は、著者の仕事への姿勢だ。
本書が書かれたのは著者が70歳を超えた頃だと思う。が、まだ一日ぐらいの徹夜は平気と書かれている。本書の中では一ページほどしか割かれていないが、著者のバイタリティと集中力は、私たちも見習わなければなるまい。

本書に書かれた華麗な交流や栄誉や実績に目を奪われ、こうした著者の努力を見逃してはならない。

本書には、『私の履歴書』の連載に加えて、著者によるこれからの建築論が披歴されている。
著者はその中で、情報技術が進化する将来にあって、建築はどうあるべきかを述べている。建築物それ自体の機能ではなく、建築と建築をつなぐ空間の大切さ。その空間を情報が流れるための媒体として生かすべきだと。
技術が進歩し、建物の機能は充実してきた。だからこそ、建物に利用者や設計者の感情や美を含めるべきだし、そうした感情の情報が流れることを考え、空間設計をしなければならないと主張している。

本書には著者が手掛けた「東京計画――1960」も紹介されている。
「東京計画――1960」とは、川崎と木更津を太い線で結び、その線上に首都機能を配置する構想だ。
周知のとおり現代ではこの構想はアクアラインとして実現している。だが、海ほたるをのぞけばアクアラインの現状はただの連絡道路にすぎない。
また、著者が構想した時期に比べると、首都圏の集中の弊害ははるかに深刻になっている。地震や富士山噴火のリスクも無視できない。

今こそ、東京の都市計画が求められている。
著者のような人物が、遷都を含めた東京のマスタープランを構築しなければならない。
もちろん、そのためには、私たちも努力しなければならない。
著者の受けた無数の名誉や栄誉に嫉妬しているだけではだめなのだ。

‘2019/10/21-2019/10/21


パル判事-インド・ナショナルリズムと東京裁判


靖国神社。
わが国の戦死者の多くを英霊として祀る神社としてあまりにも著名だ。
神社の境内の一角には遊就館と名付けられた建物が設えられている。わが国の礎となって命を散らした戦死者を顕彰する施設である。

遊就館の脇には、いくつもの顕彰碑が建てられている。
その中の一つが、本社で取り上げられているパル判事を顕彰する碑だ。私も首を垂れたことがあるが、立派なものだ。
私は同じ顕彰碑を京都の霊山護国神社の境内でも見かけた。
二つの場所に共通しているのは、日本のために命を捧げた英霊を祀った神社であること。

極東国際軍事裁判において判事に任命されたパル氏は、被告となったすべての戦犯を無罪とする意見書を出したことで知られている。極東国際軍事裁判とは、第二次世界大戦の後、連合国が枢軸国の一員だった日本に対して戦争犯罪を告発し、求刑した裁判を示す。

普通、そうした裁判は勝者が敗者を一方的に裁く。
ところがパル判事の意見書では、戦勝国側の判事の立場でありながら、敗戦国である日本の犯した戦争犯罪の罪をなかったものとした。
平和に関する罪、人道に関する罪とは事後法であり、裁判の開始前に行われた日本の戦争犯罪には適用されないこと。罪刑法定主義の立場からも、戦争犯罪があらかじめ決められた罪刑ではないことなど。
法学の専門家の立場から日本の戦争犯罪がそもそも成立しないという解釈は、日本の多くが否定された極東国際軍事裁判において異質だった。

その異質さは、戦前の日本を良しとする立場からは歓迎されるはず。
だからこそ、靖国神社や遊就館のような極東国際軍事裁判と対立する施設において、パル判事の顕彰碑が建てられているのだ。
私はパル判事についてはいくつかの書物や小林よしのり氏の本で知っていた。

ただ、そうした顕彰碑の存在は、かえって私を身構えさせる。それを鵜呑みにしてはならじ、という戒めとともに。
本書を図書館で見かけ、パル判事のことを知る良い機会だと思い手に取ってみた。

顕彰碑だけを見ていると、パル判事の経歴や人格、そして東京国際軍事裁判の判事としての立場には一点の曇りもないと思える。完全無欠な人物で、なおかつ日本の立場を裁く人物からのお墨付き。
著者は冷静な立場からそうした見方に釘をさすような指摘を行う。

常に思うことだが、こうした歴史問題にはイデオロギーの存在がつきものだ。
イデオロギーの罠から逃れるには、資料を一つだけ読んでそれを盲信するのではなく多角的に見る必要がある。
本書はどちらかといえば、パル判事を賛美する従来の立場からは距離を置いている。そして、パル判事の認識や判断にそもそもの誤りがあったことをいくつも指摘している。
パル判事を本書のような視点で分析し、批判的に描いた書物を読んでおくのは良いと思う。

著者は法学の専門家でもなければ、日本史の専門家でもない。著者はインドの、中でもベンガルの歴史を主に専攻した方だという。
その立場からパル判事の生い立ちや経歴を綿密に調査する。どういう形でパル判事が東京国際軍事裁判の判事に選ばれ、どういう思想から日本の戦争犯罪が成立しないという判断に至ったのか。それを著者は分析していく。

まず本書は、パル判事の生まれた実家の当時の状況と、その当時のベンガル地方の歴史について触れる。
インドといえばカースト制が有名だ。カースト制が今なお幅を利かせるインドでカルカッタ大学の副学長にまで登り詰めたパル判事はどういうカーストの下に生まれたのか。
ラダ・ビノード・パル判事が生まれた一族は、陶器をこね、それを商う陶工をなりわいとしていたようだ。陶工とはいえ商売の手を広げ、商業カーストとして中級の地位にいたそうだ。

そこからパル判事は懸命な努力も行っただろうし、周りに引き立てられた運もあって、学徒として学ぶことに集中できた。まず数学を修め、ついて成績が優秀だったので法学の分野に進んだ。
そうした記述からは、パル判事が持って生まれた素質や向学心が一流のものだったことが理解できる。

次いで著者は、一介の法学士としてパル判事がたどった道のりや、カルカッタ大学の副学長に推挙されたいきさつを分析していく。副学長とは、学長が名誉職だとすれば現場の最高責任者ともみなせるだろう。
だが、著者の調べによると、就任までのいきさつにはやはり一悶着があったという。

だが、ここまでの経歴に関しては、パル判事が提出した意見書にはそれほど関係がない。
ここで著者が指摘するのは、極東国際軍事裁判においてパル判事が提出した意見書には、パル判事が持つ政治的な意図があったことだ。
その意図には、法学の立場を逸脱する要因があったという。
その要因とはインドがイギリスの植民地であった歴史だ。インドが植民地にされていた事実について、パル判事が植民地政策に対する怒りを持っていたということも。

つまり極東国際軍事裁判とは、パル判事の目にはこう映っていた。西洋の勝者が極東の敗者を一方的に裁く、不公平な裁判だと。
その考えは私たちも戦後ずっと抱き続けている。そもそも東京裁判とは何だったのかという問いとして、いまだにしこりを残し続けている。歴史修正主義者であろうとなかろうと。
遊就館や霊山護国神社が、太平洋戦争で日本の事績にも良い点はあったとする施設であることを考えると、パル判事を顕彰するのも当たり前のことだ。

著者は、極東国際軍事裁判でのパル判事の行動にも疑問はあると説く。就任早々に公判を欠席し、いったんカルカッタに帰ったこと。判事の辞任を申し出ていること。
また、着任早々に意見書によって自身の立場を明確にし、早くも極東国際軍事裁判のあり方そのものに一石を投じている。

著者とて、極東国際軍事裁判が全く汚れのない完全な裁判とは考えてはいない。
だが、著者の立場は、極東国際軍事裁判の結果が、そ後の人類の平和にいくばくか貢献するというものだ。
勝者が敗者を一方的に裁くだけでなく、どこかで人類の平和に貢献しているのであれば、裁判にも一定の評価を与えるべきとの立場だ。
その立場が影響しているのか、本書では東京でのパル判事の振る舞いには批判的な描写が多い。

また、最終章として著者は、なぜ。パル判事が戦後のわが国で顕彰されたのか。日本でパル神話と呼ぶべき現象が形成されていったのは、どの人物のどのような意図によるものかということを詳しく描いていく。そこにはやはり戦犯の罪を免じ、戦前の日本に対する復権を1とする一団の存在があった。旧軍人であったり、旧国粋主義者であったりといった人物がパル判事の顕彰を推進したようだ。具体的には平凡社社主の下中氏などが。

本書を読んでなお、私にはパル判事への感謝の念は残っている。
それは、一方的になってしまう裁判に別の見方を示し、それを後世に残してくれたことだ。
その一方で無条件にパル判事を賛美する風潮には背を向けたいと思う。

私は、極東国際軍事裁判を以下の通りにとらえている。
A級戦犯の判決にも、外交官の広田首相の絞首刑だけはどうかと思うが、おおかたの部分では賛成だ。
その一方で、極東国際軍事裁判が勝者による敗者への判決に過ぎない、との主張にも賛成する。結局、日本は負けたことのみにおいて罰せられたのだと思っている。

さらに、共同謀議の問題について、私はなかったと思っている。また、特定の人物が主導した戦争でないとも思っている。
だが、確固たる見込みもないままわが国を戦争に突入させ、破滅へ導いた責任は重いと思う。A級戦犯として裁かれたのも致し方ないと思っている。

つまり、極東国際軍事裁判とは、判決で終わりなのではない。
その裁判自体の正当性も含め、日本人がなぜ戦争に突き進んでしまったのか、戦時中の高揚する精神のあり方も含め、考え続けいかなければならない。
その意味でも、パル判事の示した立場は裁判を考える格好の機会になるはずだ。

‘2019/10/20-2019/10/21


マウンドドレイゴ卿/パーティの前に


私が好きな欧米の作家は何人もいる。著者もその一人だ。
「人間の絆」「月と六ペンス」「お菓子と麦酒」は読んだ。おそらく今、新潮文庫で読める作品は読破したのではないか。

だが、本書は光文社文庫から出されている。著作権が切れたからだろうか。おかげで私の読んでいない作品が読めた。ありがたいことだ。

私の好きな英語圏の作家は、ミステリやSF系の作家が多い。だが、著者はミステリやSFのエンターテインメント作家ではない。
さりとて、純文学の分野の作家とくくるのも違うように思う。

著者の短編が魅力を備えている理由は何だろうか。
それはおそらく、著者がきっちりと物語を締めるからではないだろうか。ある種の純文学にあるように読者をあいまいさの中に置き去りにせず、韜晦させたり、迷わせたりしないこと。
本書に収められているような短編のどれもが、起承転結をしっかりと備えている。
だから、物語がきっちりと読者に届く。大衆作家という言い方は好きではないが、著者がそうしたラベリングをされるのもわかる気がする。
かのスティーブン・キングも、著者の愛読者だそうだ。実際、著者の作品を幾度となく小説の中に登場させている。
おそらく、当代でも有数のホラーの大家であり、ストーリーテラーの巨匠も著者の作品から学んだことは多々あるに違いない。

本書に収められた六編は、どれもきっちりと結末がついている。そして、どれもが短編としての結構を備えている。

「ジェイン」

老年に差し掛かったジェイン。彼女は年若い男性から想いを寄せられ結婚する。その夫はいったいジェインのどこに惹かれたのだろう。
語り手とタワー夫人は、その男性が一時だけ気の迷いを見せたのだろうと見限る。そして、どうせ結婚生活も長くは続かないとたかをくくる。
ところが、夫のコーディネートによって不可解な魅力を身につけたジェインは、社交界の名士となる。そして当代きっての人気者となる。

ジェインの変化を疑問に思う語り手とタワー夫人。ところが、ジェインの振る舞いは二人の予想をさらに覆してゆく、というストーリーだ。
本書が出版されたのが1920年代のイギリスであることから、当時の社交界の様子が想像できる。
ジェインのような女性が人気になる程に無味乾燥だったのだろうな、という著者の皮肉めいた考えもうかがえる一編だ。

「マウントドレイゴ卿」

押しが強く、威厳も備えていた若手政治家のマウントドレイゴ卿。彼が精神科医のオードリン博士の元を訪れる。
彼の悩みとは、夢で見た出来事が現実になること。その夢の中では必ず自分が大恥をかくことになっている。そして、その夢の中では政敵であるウェールズのグリフィス議員が必ず登場している。
卿は夢の意味がわからずに、気が狂いそうだという。
落ち着いた物腰と言葉によって治癒の実績を積み上げてきたオードリン博士は、精神科医としての知見からさまざまな治療を施す。だが、うまくいかない。

オードリン博士はこう考える。マウントドレイゴ卿がグリフィス議員の演説に対し、反論を許さないほどの論破をし、それによって政敵に対する無意識の罪悪感があるのではないかと。
だから夢の中で大恥をかいている。その状況を改めるにはグリフィス議員に謝りなさいと説く。そのようなオードリン博士の見立てに対し、そんなことは無理だと言い張るマウントドレイゴ卿。果たしてその結果は。
本編は、著者の持つ心理学の知見を生かし、見事な短編小説に仕立て上がっている。当時、こうした心理学に基づいたプロットは新鮮だったことだろう。

「パーティーの前に」

長女のミリセントの態度がこのところずっと奇妙だ。
八カ月前、夫のハロルドに先立たれ、ボルネオから1人で戻ってきてからずっと。
家族の皆が奇妙に思い、それはミリセントが味わった悲しみのせいだと遠慮している。
家族でそろって出かけようとするある日、それは起きた。ハロルドの私物を少しずつしまい、ハロルドの喪をやめたいと言葉を切り出したミリセント。そんな家族に家族が問いただす。

ミリセントの口から語られたボルネオで過ごしたハロルドとの日々。その内容に一同は衝撃を受ける。
体面と形式が支配していた当時のイギリス社会の世相が感じられるのではないか。
現代から考えるとそれほど問題にされないであろうこと。だが、本編が語られた当時には立派な理由となっていたのだろう。
ミステリの要素を濃厚にたたえた展開がお見事な一編だ。

「幸せな二人」

ミス・グレイの隣家に引っ越してきた若いクレイグ夫婦。
隣人としてのお付き合いをしたいと、何度もミス・グレイが昼食の誘いをかけ、ようやく実現した会食。
語り手である私とミス・グレイ、そしてランドン判事で会食の場に臨んだところ、会食のお誘いに消極的だったクレイグ夫妻の挙動が急におかしくなる様子が描かれた本編。

お隣の方とお茶を楽しむのが英国流。
そうと知っていても、ミス・グレイがここまでして隣人との会食を整えようとする熱意を目の当たりにすると、当時のイギリス文化を知悉していないと理解しにくい。
それがまた興味を惹かれる部分なのだが。

「雨」

かつて、この一編には強い印象を受けた。
あらためて読んでみると、当時とは違った味わいが感じられる。
それは、人の弱さだ。
デイヴィッドソン宣教師は、神の名の下に峻厳な人物として登場する。
だから、島の風紀を乱すミス・トンプソンに対する反応はきつい。

絶え間なくサモアの島に降る雨。閉ざされた環境の中、キリスト教のストイックな教えと規律を拒む享楽がぶつかる。
不況によって島々をあまねくキリスト教に教化しつつあるが、その謹厳な姿勢は、人にとって果たして自然なのかどうか。
本編は人の心のあり方や信仰について深く考えさせられる。

本書の他の作品は、当時のイギリスの文化を知っていないと理解しにくい部分もある。
だが、本編はそれを超えたところを描いている。だから通用する。やはり名編だ。

「掘り出しもの」

本編は、メイドとしてとにかく有能なプリチャードに尽きる。そんなプリチャードを雇うのはリチャード・ハレンジャー。
本編は、ラッキーなハレンジャーが最後まで幸せだったという話だ。
もちろん、本編には起伏のないままに終わりまで進むつまらない話ではない。そこは著者がストーリーテラーとしての腕を振るい、盛り上がりを用意している。

メイドという職業からは、いささか通俗な印象を受ける。これこそがイギリス文化の特質のはずなのに。
私が今の日本の尺度で見てしまっているからだろうか。

‘2019/10/18-2019/10/20


ぼくらは地方で幸せを見つける ソトコト流ローカル再生論


旅が好きな私にとって、自分の趣味と仕事をどう結び付けるか。これが私の生き方の指針となっているように思える。

仕事を趣味に無理やりくっつけることはしない。仕事だけに没頭し、趣味のない人間にもなりたくない。もちろん、趣味にうつつを抜かして仕事がおろそかになることもない。
趣味と仕事を両立させつつ、その趣味と仕事をどうやって社会貢献に結び付けられるか。

もちろん、こなしている仕事が対お客様の意味では社会貢献になっていることは確かだ。だが、それは狭い意味の社会貢献であり、あくまでも間接的なものだ。
直接的に、かつ広い範囲の社会に貢献していきたい。そのためには、一対多の関係を構築していかなければならない。
理想をいえば、私が趣味として楽しめるものが世間的には仕事としてみなされること。さらにそれで生計が成り立ること。

趣味を楽しみつつ、それをどうやって社会貢献として実践していくのか。私の今までの人生とは、その試行錯誤に費やしてきたと思っている。

ここ数年、地域創生に関する本を何冊か読んできた。

本書もそれらに連なる一冊だ。
著者は雑誌ソトコトの編集長だ。その人脈もあって、本書で取り上げられている人の数は多い。ソトコトの誌面に登場する人々や、取材の中で知り合った人など、著者の人脈の豊かさがうかがえる。

著者のような人こそ、趣味と仕事をうまく結び付け、なおかつそれが立派な社会貢献になっている人だと思う。
自分の培ってきた能力と人脈を生かした仕事。私が著者のような生き方をするためにはどうすればよいのか。それが本書を読み始めた理由だ。

地域創生といっても、私にできることは限られている。
私が提供できるスキルなど、システム提案や構築やプログラミング、さらにはライティングだけだろうと思っている。
木工や大工仕事は苦手だし、おそらく組織を束ねて臨機応変に指示できるタイプでもないと思っている。

そんな私がどうやって地域貢献を行うか。本書はそうしたヒントに満ちている。

自分にスキルがないから地域貢献や社会貢献を諦めてしまう人。そうした方はかなりの数、いらっしゃるのではないだろうか。こう書く私もその一人だった。
だが、スキルがないから無理と思い込むのは早計だと思う。では、どうすればよいのか。何になればいいのか。どう働きかければ、地域に貢献できる仕事につけるのか。

本書は全国の14の例を紹介している。
全国のあちこちで行われているさまざまな取り組み。本書はそれらを多彩な切り口で紹介している。
全国のあちこちで地域に根差した取り組みの様子を知ることもできる。

その前に著者は「ソトコト」についてふれる。
著者が編集者になってから「ソトコト」がどういう誌面に変わってきたか。ソトコトが今後、目指そうとしているのはどこか。

スローフードやロハスといった言葉を日本で広めた先駆者が「ソトコト」。だが、それらのキーワードは今やビジネスで利用され、人口に膾炙している。当初の新味が失われ、理想すら曖昧になった。
そこで著者はソーシャルを今後の「ソトコト」のキーワードとして掲げた。ソーシャルとはつまり、つながりだ。

今、世界の、日本の若者が苦しんでいる。人生をどうやって生きていくのか。そもそも自分は何のために生きているのか。それらがわからずさ迷っている。
「自分探し」という言葉は今や一定の市民権を得ている。
だが著者は提起する。若者が探しているのは自分ではなく居場所ではないのか、と。
確かにその通り。私も挫折と蹉跌の二十代前半を過ごしたから、著者のいうことがよくわかる。
若者が切実に求めているのは、自分が何かということではない。自分が社会のどこならば無理せず生きていけるのか。そして、その入り口が社会のどこにあるのか。若者が探し求めているのはそこだと思う。

若者にとっては生きていける場所が都会だろうが田舎だろうが僻地だろうが関係はない。自らが社会で生きていく足がかりがあればよいのだ。
ソーシャルな環境の中で居場所さえ見つかれば、そこから交流や人脈で生きる道は広がる。
つまり、地方創生とは居場所を作ることなのだ。

結局、なぜ地方が衰退しているのか。
それは若者が都会に出て行ってしまっているからだ。
なぜ若者は都会に出ていくのか。
それは働く場所を含めた居場所がないからだ。
なぜ働く場所がないのか。
地方の豊かな資源が忘れられているからだ。

日本のあちこちで地方を活性化させようと活動する人々は、ITよりもソーシャルの力を利用し、地方創生を実践しているように思う。
まず地域の資源を生かした産業を興し、そこに働く場所を作る。そして若者を呼び込む。
若者を呼び込むには、居場所も兼ねた場を作る。そして居場所の中で人間関係が迷子にならないように配慮する。

要するに、都会の生活が若者から奪ったものを提供すればいい。
都会では人間関係が希薄になり、居場所がない。居場所といえば、生活の糧を得るための仕事場のみ。そしてその居場所は新たな誰かによって簡単にとって変わられる。
それは、マニュアルが整備され、システムとは無縁に暮らせない社会の課題と言えようか。そのやるせなさが都会の若者を疲れさせる。

しかし、地方では効率が追及されていない。マニュアルもなく、分業もなされていない。
だから、そのコミュニティには仕事が豊富にある。人も少ないし、お互いの職務が定まっていないからだ。柔軟に人間関係が移り変わり、しかも居場所はすぐに見つかる。
その柔軟な関係をソーシャルと呼べばいい。

本書はそうした取り組みを豊富に紹介している。
アート集団。食のつなぎびと。街のなにげない日常の写真を毎日アップ。ヒッチハイク。移住促進。暮らし方提案。過疎地の価値の再発見。ローカルビジネス。DIY。鍛冶屋。空き家。着ぐるみ。地域素材。芋煮会。
そうしたさまざまなソーシャルの作り方が紹介されている。
そのやり方は千差万別であり、正解はない。誰もが手探りのままに進めている。
マイルストーンもゴールもノルマもない。手本や正解すらない。ただがむしゃらに。

著者はまず、内を向くことを推奨する。外にどう発信するかより、まず内なのだ、と。
外向けに発信することにこだわらず、まず、内を固める。それが地元の魅力の構築につながる、と言いたいのだろう。
そして、この内を固める行いこそが、仕事につながる。そして、その仕事が趣味とつながっていればなおいい。さらに、それが地方創生に貢献すれば言うことはない。
それが、私の望みでもある。

‘2019/10/13-2019/10/17


MONSOON


実は著者の作品を読むのは初めてかもしれない。
著者の広範なフィールドワークや知識や着眼点など、若い頃はかなり興味を持っていた。
ところが結局、著作は読まずに今まで来てしまっていた。

著者のような人の本を読むと、自らの視野の狭さに愕然とする。
常に視野は広く持ちたい。私も自らの器も広くあろうと努めているつもりだが、仕事の実務・雑務に携わるとそうはいかない。
目の前の文言について一つ一つのチェックを行い、内容や仕様の整合性などを検証している時、狭い範囲に意識が集中してしまう。集中しないとミスが生じるため、大枠への意識がおろそかになる。
長じてからあらゆる実務に手を染めるようになった私の視野は狭まる一方だ。
そんな今だからこそ、著者の本を読んでおいてよかったと思える。

もちろん、著者のスタンスが厳密な科学とは呼び難いことは知っている。
著者の人智を越えた領域に踏み込んだ考えが、学会の主流ではないことも。

とはいえ、著者のさまざまの分野にまたがった興味・関心の持ちようは、今でも通用すると思っている。
むしろ、著者のような興味の持ち方は参考にしたいと思う。
年齢を重ね、自分の認識や心の持ちようが硬くなりつつあることを知る今だからこそ。
行動力は衰え、柔軟さもかつてのようなしなやかさを失いつつある今だからこそ。
好奇心だけは持ち続けたい。好奇心だけが、自らの生命線だと思う。
自らの視野の狭さと伸びしろに気づかせてくれる著者のような人物の著作は読んでおきたい。

本書は友人が貸してくれた十数冊の中の一冊だ。
本書はエッセイで構成されている。
どのエッセイも著者が世界のあちこちで従事したフィールドワークの中で得た気づきに満ちている。

冒頭の「グリーンフラッシュを求めて」では、このような一文からはじまる。
「世界で真に神秘的なのは、見えるものであって、見えないものではない」(9p)
とはじまるこのエッセイ。
旅の本質をついている。
「最良の旅は空間のみならず時間をも超越する」(10p)
「必要なのは好奇心と大きく目を見開くことだけである」(13p)
私もまだまだ旅をして生きていきたい。このような言葉を胸に刻みながら。

続いての「モンスーンの吹く海」。著者はかつての体験を思い起こしながら、海の男たちがモンスーンの風に吹かれて自在に航海を行っていた姿の気高さを追憶する。
著者にとっては、モンスーンのような自然に身を任せ、自然を操る営みが魅力的に映ったのだろう。
今の快適な船旅に対する倦怠感で幕を閉じるあたりも、著者の考えが見て取れる。

続いての「魔性の島」は、セーシェル諸島のアルダブラを襲うサイクロンの猛威について語っている。
自然の力を前にした時の人間の無力さ。著者は謙虚さをわきまえている。
セーシェルとは日本人にとって果てしない楽園のイメージが強い。著者のこのようなエッセイを読むと、なおのこと、訪れたくもなる。

続いての「忘却の盃」は、インドネシアのテルナテ島にある陶磁器の店で出会った、由緒のありそうな古器の物語だ。
かつての大貿易時代に船であちこちから運ばれた由緒のある銘品。この話は、まさに東南アジアの歴史のうねりと大海原の広がりを感じさせて心が躍る。

続いての「旅は道づれ」は、旅につきものの細菌や病原菌、寄生虫に関する話だ。
土地ごとに土着の細菌が住み着いている。そこに数週間を過ごすと汗と垢で汚れた体がその土地の細菌になじむ下り。私はまだ未経験なので何ともいえないが。
そして、著者は自ら寄生虫を飲み込み、旅先の道づれとしたという。藤田紘一郎氏の講演でも同様の話を聞いたことがあるが、こうした方は同じような発想を抱くらしい。

続いての「ドラゴン・サファリ」はコモドオオトカゲについてのエッセイだ。
これもまた著者が体験したエピソード。
コモドオオトカゲの巨大な身体が、人類との共生を全うすることは可能なのだろうか。そんな問いかけで終わっている。

続いての「法王の漁師たち」は、クジラ漁に従事する漁師の話だ。
捕鯨に携わる漁師の間に脈々と受け継がれてきた文化。その粋が描かれている。
そういえば本編にはグリーンピースやシーシェパードといった単語は登場しない。
これらの激烈な活動で知られる反捕鯨団体は、著者の目にはどう映ったのであろうか。
動物行動学者にとって反捕鯨の意味とは。

続いての「レヴァイアサン」もまたクジラの話だ。
イギリスのテムズ川に迷い込んだクジラの話から、それをめぐってのイギリスのクジラへの考え方を紹介しておりとても興味深い。
本編によると著者はインド洋をクジラの保護区にする運動に携わったらしい。

続いての「アイリッシュ・シチューの味」は、アイルランドに住んでいる著者が、アイルランドに暮らすことのぬくもりや居心地について書いている。
著者はウィキペディアによると南アフリカの出身らしい。一体、生涯で何カ所に住んだのであろうか。

続いての「デス・ヴァレー体験」は、アメリカのカリフォルニア州の過酷な場所が描かれている。
著者はこの場所を別の惑星に例えている。それほどの過酷な地、というわけだ。
実際、Google Mapでこのあたりを眺めるだけでなにやら恐ろしい気にさせられる。禍々しい地名や平板な人の絶えた平原など、航空写真で見るとその荒涼ぶりがわかる。
一度は訪れてみたいものだ。

続いての「グリーン・ゴースト」はアマゾンに関する物語だ。アマゾンには森の精霊が住んでいる。
その神秘性は、山根一眞氏の『アマゾン入門』でも触れていた。
その神秘性は著者にとっては守るべきもののようだ。著者はあくまでも自然保護主義者なのだろう。

続いての「心のアフリカ」で著者は、人類の揺籃の地であるアフリカを礼賛している。著者は南アフリカ出身であり、アフリカの魅力について語る資格は持っているはずだ。
人類の文明の先取りをした地であり、本書が書かれた当時は荒れた情勢に振り回されたアフリカ。
それでもなお、アフリカには多くの可能性が眠っていることを著者は熱く説いている。
今のアフリカの発展をあの世から見て、著者は喜んでくれているだろうか。

続いての「グレート・リフト・ヴァレー」。これはいわゆるアフリカの大地溝帯のことだ。
今も分裂を続け、割れ目が広がりつつあるというこの地。
グレート・リフト・ヴァレーを著者はこのように語っている。
「わたしは、人類の歴史がこれほど豊かに蓄積され、いまだに過去との直接の接触をなまなましく感じさせるところをこの地上でほかに知らない」(165p)

続いての「ミッシング・リンク」は、人類の揺籃の地であるアフリカで、人類の進化の鍵を探す学者たちを描いた話だ。
著者はこの分野から学問に入ったそうだ。そのためか、愛情をこめてこの分野の人々を取り上げている。

最後に収められた「彼らとわたしたち」は、ブッシュマンの文化と私たちの近代文明を比較している。
本編で開陳された著者の考えは、著者の哲学の粋ともいえる。
人類が推し進めた文明が、極限まで仕事を効率化し、それがブッシュマンの文明では到底たどり着けない進歩を遂げさせたこと。著者はそのことを認める。
だが、ブッシュマンの文化の豊かさと奥深さにも敬意を表し、憧れを隠さない。もはや文明を巻き戻すことはできるはずもないし、著者もそれを望んではいない。
だが、今の文明がどこへ向かっているのかは、著者も想像できていないようだ。

本書が世に出てから、インターネットやAIが現実のものになっている今、著者は何を泉下で思っているのだろう。

‘2019/10/11-2019/10/13


村上海賊の娘 下


木津川砦をめぐる戦いにおいて、本願寺が門徒たちに示した旗。そこに書かれていたのが「極楽往生を遂げたければ、敵に背を見せるなかれ」。
その旗を見て逆上した”景”。
はるばる大坂本願寺まで信心の篤い信徒たちを送り届ける船旅の中で、漁民たちの一途な思いに触れ、今まで軽んじていた信仰心を見直した”景”。
なのに、その信心を利用し、使い捨てのように使う本願寺のやり方が許せない。

戦いの中で斃れた源爺の亡骸を担ぎ、本願寺の軍を指揮する下間頼龍の元に向かった”景”。そこで”景”は、源爺が確かに極楽浄土に行ったことを証明せよ、下間頼竜に迫る。
そんなことができるはずもなく、けんもほろろに扱われる”景”。
傷ついた”景”は、自らに好意を寄せてくれていたはずの眞鍋海賊の長、七五三兵衛にまでおもろないやつ、と見放されてしまう。

苛烈な戦国の世にあって、何よりも必要なこと。
それは御家を、一族とそれを支える人々を生き延びさせることにある。
一向宗の漁民たちを道具として扱う本願寺への”景”の憤りは、あくまでも私憤でしかない。つまり、小局だ。
己の感情に縛られ、大局を見ずに私憤だけで行動する”景”は、ようやく世の中の動かしがたい現実を知る。

人々の抱く信念と己のそれの決定的な違い。
それを突きつけられた”景”は傷心のまま、能島に戻る。戻ってきた娘を父の村上武吉は何も言わずにただ労わる。
父には最初からお見通しだったのだ。
だからこそ、ひたむきな気持で漁民たちを送るために飛び出していった景をあえて追わなかった。それが”景”に戦国の世の冷徹な現実を悟らせるなら、良い機会と見定めていた。
まさに娘には旅をさせよ、だ。

そんな村上武吉は、村上家を今後どうすべきか思考を巡らせていた。
そもそも、事の発端は、織田家に包囲され兵糧が乏しくなってきた大坂本願寺が毛利家に援助を乞うたことにある。
毛利家も単独では食料を輸送することは難しい立場。能島を本拠にする村上水軍に協力を依頼しなければどうにもならず、苦慮していた。

だが毛利家を支える小早川隆景は、北国の上杉謙信が立たぬ以上、本願寺だけで織田家に向かうのは勝ち目がないと判断していた。
その状態で毛利家が本願寺に援助を行うことは、織田家に敵対する意思を表明するのと同じ。
村上武吉はそんな毛利家の思惑を読み切っていた。だからこそ、時間を稼ぐために”景”の嫁ぎ先を毛利水軍の児玉就英にと条件を吹っ掛けたり、大山祇神社での連歌奉納に悠々と参加したりしていた。

そして、兵糧を積んだ船を大坂に向けて出帆させた後も、村上武吉は上杉謙信の出陣はないことを見切っていた。そして、途中で戦局を見守ったまま、いたずらに戦いを仕掛けず様子を見るように指示していた。
それはすなわち、兵糧攻めを受けている本願寺の人々を見殺しにすることに等しい。

能島に帰ってからというもの、すっかり人が変わり、おしとやかになっていた”景”。ところが、父から出帆した船が本願寺に行くことはない、と打ち明けられる。それに逆上した”景”は、単身大坂へと向かう。

大坂本願寺の人々からは、明石の浦から淡路の岩屋城へ続々と集まる軍船が見えている。淡輪にいる眞鍋水軍にも。
だが、いったん集結した船が動くことはない。いくら待てども。それらの船が動く気配はないことを知った人々に絶望の気運が高まる。

業を煮やした”景”は、単身で織田軍の味方である眞鍋水軍へ乗り込む。そして、兵糧を本願寺に運びたいから包囲を解くよう七五三兵衛に談判する。
だが、毛利軍と村上水軍の多数の軍船が控えている中でも、七五三兵衛は退かない。眞鍋水軍は村上水軍に受けて立つと吼える。
ここで引くことは、大局を見た場合には利があるのだろうが、それを行うことは海賊としての誇りが許さない、と。

交渉が決裂する。
上杉謙信の出陣の報も見込めず、万策が尽きた毛利水軍と村上水軍の連合軍は、再び本拠地へ向かって一戦も交えぬまま撤退する。

だが、”景”はその中の五十隻を率い、単身眞鍋水軍へ戦いを挑む。
大局に唯々諾々と従うのではなく、己が奉ずる信念のために。
そんな”景”を迎え撃つのは、大局よりも海賊としての己の本能に従った、七五三兵衛の率いる眞鍋水軍。
かくして歴史に残る第一次木津川口の戦いは始まった。

今まで私が読んできた多くの歴史小説でも海の上の戦いは初めだ。
著者も海戦に目をつけて本書の構想を練ったのだろう。だから熱の入り方が違う。
下巻の後半のほとんどは、この海戦の描写に費やされている。

最初は五十隻で挑んだため、多勢に無勢の不利があって追い詰められる”景”と村上水軍。
だが、その事実を”景”の弟、景親が大声で自陣に告げる。
村上水軍の軍紀として、女が海戦に参加してはならぬ。この掟は、実は村上水軍にとって鬼手とされる秘策だった。そのような掟に縛られていたからこそ、”景”は無頼を気取って好き放題に生きてきた。
だが、”景”の影に隠れ、弱弱しい弟だった景親が放った大声が、村上水軍の全軍に響きわたる。”景”が自ら鬼手である秘策を実行したのであれば、村上水軍に勝機は見えた。
そこで村上水軍の残りが明石の浦に再び現れ、大坂湾へと戻ってくる。

眞鍋水軍に傾きつつあった戦局は、村上水軍がそろったことで逆転する。そればかりか、村上水軍の秘策である焙烙弾によって壊滅的な被った眞鍋水軍は不利となる。

海賊としての誇りをかけて、それぞれの水軍の将が思うがままに暴れまわる。
ここに大局を見る、といったささいな心は捨てられ、ただ己の奉じる信念と戦いのために磨いてきた能力だけ。それが生き残りの武器となる。

“景”と七五三兵衛の因縁にもケリがつけられる。
己を指しておもろないやつ、と見限った相手に対し、再び価値を認めさせる戦い。
実に読み応えのある海戦のシーンが続く。

戦国の世を描いた物語は、大局を見据えた人物が最後は勝つのが定石だ。
だが、敗れた側が大局を見る目を持っていなかったのではなく、己の信念に殉じただけにすぎないのだろう。
七五三兵衛もそうなら、かろうじて勝利を収めた”景”もそう。

本書の末尾では、主要な登場人物のその後に触れている。が、”景”のその後の消息はわずかにしか伝わっていないと述べる。
“景”もまた、非情の戦国の世に翻弄され、己の信念を全うできずに歴史の中に消えていったのかもしれない。または、彼女なりに己の信念を貫いたのかもしれない。

大局と小局の対比。そのことを考えさせられた小説だった。
それこそ、海賊の言葉が標準語に近いことなどささいなことと思えるぐらいに。

‘2019/10/10-2019/10/10


村上海賊の娘 上


著者の本を読むのは「のぼうの城」「忍びの国」に続いて3冊目だ。
本屋の店頭で話題になっていた本書の記憶が残っていて、いずれ読むべき本として常に脳裏にあった。

瀬戸内海、特に村上水軍の伝説は、さまざまなご縁を通して興味を持っていた。
かつて、大久野島に単身で訪れたことがある。忠海から運搬船に乗って。その旅では尾道も訪れたように記録しています。坂の上から見下ろした狭い海峡が印象に残っている。
つい先年には、島田荘司氏の『星籠の海』を読んだ。その中で取り上げられていた村上水軍の残した秘密に興味を持った。さらにその後、福山でkintone Café広島にお招きいただいた際には鞆の浦を見学することもできた。
そうした経験の数々は、瀬戸内の島々の光景とあいまって、私に豊かな海のイメージを与えてくれた。

私は戦国時代の物語が好きだ。織田信長と大坂本願寺が戦ったことも知っている。
だが、その戦いに村上水軍も参戦していたことは、本書を読むまですっかり忘れていた。

私は村上水軍について十分な知識を持っていない。本書を読む時点でもまだ。
だが、本書は村上水軍についての知識を備えていなくても純粋に楽しめる。
というのも、本書の舞台は瀬戸内よりもむしろ大坂が主だからだ。

大坂、つまり大阪は、私が育った場所だ。つまり本書は、私にとって土地勘のある場所が舞台となっている。
これは私に本書を親しませてくれた。もちろん、当時の大坂の地形は今の大阪と随分違っている。

そもそも大坂本願寺は上町台地に飛び出た岬の突端にあり、今とはレベルが違うほど、天険の地だったこと。また、大坂湾の沿岸には堺の町を除いて目立つ建物がなかったこと。そのため、例えば村上水軍が明石の浦を超えた途端、大坂湾や大坂本願寺の様子が一望に見えること。逆に本願寺からは明石の浦に展開する村上水軍が見えること。今の大阪湾の距離感覚で考えると遠く思えるが、当時は近くに感じられたことは覚えておきたい。

ところが、いくら当時の距離感が今の感覚とはかけ離れていたとしても、軍船すら未発達だった戦国時代において、船の数の違いがどれほどだったかはわかりにくい。また、海賊の重んじる価値や、陸と海の間で違う軍の兵士のあり方など、今の私たちにとって理解しにくいことも多い。

正直に言えば、本書にはそこまで海賊の内面は描かれていないと思う。
そもそも海賊である以上、あらくれ者の集まり。やりとりされる言葉も現代の広島弁の原型より、さらにわかりにくかったはずだ。
ところが、本書に出てくる村上水軍の登場人物が操っている言葉は標準語に近い。いくら交易のため各地の言葉に通じていただろうとはいえ、ささいなことではあっても無視出来ない違和感となって最後まで残る。
大阪の海賊たちが達者な大阪弁を操っていただけに、喋られるべき言葉が期待と違うのは残念だ。
本書について海賊のことが描かれていたかと問われる前に言葉が、と言うしかない。

本書はそうしたささいな点を除けば、読むべき内容も多い。特に、大局を見通す目の大切さだ。戦国の殺伐とした世にあって、その能力がより重んじられていたこと。大局を見通す目の大切さを著者は本書の随所に挟む。
大事の前の小事にはこだわらない。それは本書の全体を通して感じることだ。

本書の主人公”景”は、海賊の心意気を存分に持っている。野放図ななりをする粗野な醜女として、近隣に名を轟かせていた。村上水軍の長、村上武吉の娘として。
本書のタイトル通り、村上水軍で育った強さを持ちながら、まだ世間を知るには経験が足りない。そして未熟な行いをする。

“景”に比べて父の村上武吉や毛利家を支える小早川隆景の大局を見通す目。
大坂本願寺で信長に歯向かい続ける顕如のこだわりが時代の大局とは逆を行っていること。大坂本願寺を中心とした一連の攻防の中で木津川砦や天王寺砦をめぐる小競り合いも、しょせんは大局の前の小局にすぎない。

大局を見るとは、身の回りのことを気にしない、ということとは逆だ。
気にしない、のではなく身の回りのことにこだわらない。そして、本当に必要なものに向かってゆくことなのだと思う。

だが、実際に人が現実を前にした時、局面の大小など気にする余裕もないのも事実。
例えば本書に出てくるような木津川砦の戦いに参加したら、周りの兵たちと同じ動きをしなければならない。一人だけ違う動きをしたら、たちまち仕留められ、命を失うのが落ちだ。
つまり、自らがそれぞれの局面でそれぞれの適性を見極めた上で適した振る舞いをする。その繰り返しによって大局観は養われてゆく。
修羅場が続いても命を存えさせる。ということはすなわち、その場ごとに適した振る舞いをし続けたことになる。ということは、自然と周りからも大局観の持ち主と認められる。

もちろん、ただ生き延びるだけでなく経験も必要だ。だから”景”が向こう見ずに飛び込んでゆくのは決して間違ったことではない。
経験を積まねば、適した振る舞いをしようとしてもやりようがないのだから。

上巻では”景”は大坂本願寺のために駆けつけようとする一向宗の漁民を連れてゆく。そして、本願寺へと送り届ける。
そこで目撃した戦いの血腥さや、陸戦ならではの戦い方。それは”景”に自らの未熟さをつきつけ、経験をつけさせる。

また、大坂の南の方にある淡輪辺りを根城にする眞鍋海賊が”景”の容貌を褒めそやす。そして、実際にその頭目である七五三兵衛から想いをかけられる。その経験は、自らの容貌が劣り、女子に似つかわしくないと言われ続けた”景”に価値観の違いを感じさせる。

‘2019/10/9-2019/10/10


君の働き方に未来はあるか? 労働法の限界と、これからの雇用社会


個人事業主として9年、法人を設立して5年。常に働き方については意識してきたつもりだ。

意識するだけでなく、毎朝夕をラッシュにもまれる消耗に耐え切れず、そこから逃れるためにもがいてきた。それが実を結んだのか、ここ二年ほどは通勤から逃れられている。

そして今、弊社で人を雇い始めた。
その二年以上前から、パートナー企業に仕事を発注している。技術者さんに仕事を依頼する度に、どのように働いてもらうのがいいのか考えてきた。
私にとって、働き方とは自分が働く環境としても、働いてもらう環境としても重要な事柄だ。
これからも私は働き方について考え続けてゆくことだろう。

そもそも労働とは何か。
それは生きるためについて回るものだ。漁民が魚を捕らえ、農民が田畑でクワを振るい、狩猟民が野山を駆け回る。食べ物を得るため、人は働く。
労働の原点とは、生きるための営みだ。そう考えるにつけ、現代のように都市に集って仕事をするあり方が唯一の労働のあり方とはとても思えなくなってきた。
実際、労働の歴史を振り返ると、今のような労働の形は英国の産業革命期に誕生したようだ。
つまり、現代の労働の姿とは、たかだか二、三百年の歴史しか持っていないのだ。

産業革命は、資本主義の勃興とともに、雇用関係が発生してようやく成立した。
以来、二、三百年、産業革命で成立した働き方が当たり前と思われている。もしくは、そう思わされてきた。
私も以前は働くとはどこかの組織に属し、そこに通うのが当たり前だと考えていた。

だが、今こうやって独立して仕事をしていると、朝夕のラッシュが当たり前と思わない。また、決まった場所に毎日通うことが、労働の必須条件とも思わない。

もちろん、独りで仕事が成し遂げられるはずがないのは当たり前だ。
顧客から仕事を受注し、作業して納品し、対価をもらう。つまり、顧客がいてこそ初めて対価が発生し、それで生計が立てられる。また、仕事の種類によっては一人では難しいため、共同で作業することも必要だ。
その意味では、独立しようが雇われていようが、仕事の本質は同じだと思っている。

その観点からすると、私もしょせんは資本主義を動かす労働力の一つでしかない。
これは、私一人がどうこうできる問題ではない。どうしても資本主義を動かす労働力の一つになるのが嫌なら、家族を捨て、山奥で自給自足の生活に乗り出さなければ。

となると、本書のような本を読んで、働き方の本質について考える必要がある。
本書を読んだ一カ月後、鎌倉商工会議所で働き方について登壇する機会があった。
そうした機会をいただく度に、働き方を一つだけに限定せず、もっと多様な働き方について考えなければ、と思う。

本書は、雇用のあり方について本質に踏み込み、かつ実践できる話が展開されている。
著者は神戸大学で労働法を教える教授であり、本来ならば法を掲げる立場にある。
だが、本書では法よりも前に、まず人としてどうあるべきかという教えを強調されている。つまり、教条主義でもなく、人間主義を掲げていることが特徴だ。
もちろん、雇用には束縛といった悪い面だけでなく、生活を保障する良い面もある。本書はそのことにも触れている。
つまり、本書は雇用から脱出して、安易に独立や脱サラを説く本ではない。そのことは強調しておきたい。

本書は以下の八章からなっている。
第1章 雇用の本質
第二章 正社員の解体
第三章 ブラック企業への真の対策
第四章 これからの労働法
第五章 イタリア的な働き方の本質
第六章 プロとして働くとは?
第七章 IT社会における労働
終章 パターナリズムを越えて

そもそも、雇用には非正社員と正社員がある。さらに正社員の中でも名目だけの正社員が存在するという。
そうした名目だけの正社員は、企業にとって使い捨ての正社員でしかない。そして、ブラック企業はこうした正社員を正社員の名のもとに酷使する。かつて私が痛い目をみたように。(私の場合は試用期間で首になったが)。
著者は、ブラック企業に巻き込まれたらすぐに逃げ出すこと。そしてブラック企業に入ってしまう前にしっかりその企業を調べておくことを勧める。全くその通りだと思う。

また、今の日本の経済状況では、企業が正社員を以前のように保持し続けることは難しい。
だからこそ非正社員が増えており、正社員であっても束縛される代償に得られるはずの生活の保障が次第に厳しくなっているのが実情だ。
そうした時流を読まずに正社員の座に甘んじていると、ある日突然、リストラに巻き込まれ、そして途方に暮れる。

今の労働法はわが国が高度経済成長を遂げた時期に整備されている。つまり、終身雇用を前提に作られている。
だから、正社員が飽和するこれからの時代には労働法だけに頼っていてはならない、と著者はいう。労働法の研究者が自分の研究対象を突き放したように語るあたりが、本書の読み応えだ。

本書でとても勉強になったのは、イタリアの働き方を紹介する第五章だ。
イタリアといえば、私たちにとってはラテン気質で享楽的な人々のイメージがある。正直、仕事人のイメージは薄い。
実際、欧州で経済危機がささやかれる際、その火種はギリシャ・イタリア・スペインなどのラテン系諸国だ。
だが、実はイタリアの経済規模は欧州で四番目に位置するという。それでいながら、イタリアのサービスのスタイルは個人主義で、従業員は一切サービス残業をしないという。

それでいて、なぜイタリアの経済が強いのか。それを著者は以下のように分析する。
まず、労働組合が企業別ではなく業種別に分かれているため、転職がしやすいこと。
また、年功序列で給与が上がるのではなく、職能別になっている。そのため、個々人がその職種でプロフェッショナルにならなければ給与が上がらない。だから、人々はその職業に熟達してゆく。
そして、余計な雑務は一切しないため、サービス残業もない。つまり生産性がとても高い。

著者は、わが国ではイタリアのように業種別の労働組合ができることはないだろうと予想する。だが、イタリア人のようにその職種でプロフェッショナルになる道を勧める。
結局、プロになることで、企業にとって欠かせない人材になれる。すると、就業規則や給与テーブルの枠など関係のない優遇契約も勝ち取れる。
もちろん、そうしたプロフェッショナルは正社員が減っていくであろう未来においても企業が手放さない。そして、人員整理の波にすり減らされることもない、と説く。

情報機器を使った仕事は、今後どんどん増えていくだろう。そして、一部の仕事は間違いなく情報技術の進展によって取って代わられるはず。
その際、不要な人材として切り捨てられるか、それともプロフェッショナルとして残るか。
わが国のかつての企業において、OJTの名のもとに、まんべんなく当たり障りもなく、さまざまな現場と職種の経験を積ませる。そうしたキャリアを積んできただけの人は使い道がない。そんな時代が来ている。

「正社員になれば安泰という考え方は、人生80年時代の4分の3を占める部分をどう過ごすかということを考えていくときの戦略としては、もはや危険きわまりないものです。」(235P)
まとめを兼ねた最終章で、著者はこのように述べている。まさにこの言葉こそ至言だ。
本書を通して訴えている論点も、組織に頼るのではなく自分の身は自分で守らなければ、ということに尽きる。

‘2019/10/6-2019/10/9


光待つ場所へ


著者の作品を読むのは本書が初めてだ。
だが、著者の名前は今までもよく目にしていた。

何の予備知識もないままに読んだ本書だが、まず文体に惹かれた。
その理由は、頻繁に改行を繰り返す著者の文体のスタイルが、私とは違っていたからだ。

私には文体の癖がある。パラグラフごとに複数の文を連ねて書く。
その一方で、一文ごとはそう長くならないように、数年前に変えた。
だが、私の文でもまだ長いのだろう。短い文であっても複数の文がまとまっていれば、読者にとっては重く感じられるのかも仕方がない。

著者の文体は改行が一文ごとに行われる。それがテンポを生んでいるように思える。
私も著者のテンポのある文体をまねしてみようと思った。

そのような文体から書き連ねられる物語。
本書は三つの物語からなっている。
どの主人公も、自己の意識が強く、周囲とうまく折り合おうと苦しんでいる。
それゆえ、周りの人たちとの関係に疲れている。自らの思いの強さと周囲のバランスのずれに無意識に苦しんでいる。

自己意識とは、なかなか厄介だ。
自分が正しいと思っているが故に、その行動を改めることは難しい。
感情でも理屈でも自分が正しい思うので、その行動は改めにくい。
人間とは誰しも誤っており、自分も含めて間違っている。そうは分かっていても、振る舞いを変えるまでには踏み切れないものだ。

自らの心をあえて曲げ、周りの人とうまくやっていく術を練り上げてきたのが日本の和の心だ。
ただし、和の心とは、村や社会、会社といった組織の中だからこそ効果を発揮する。

ところが、目指すべき目標が芸術の場合は違う。個人の世界に閉じている場合、和の心はかえって足かせとなる。
芸術を究めようとする中で、いかにして自分の振る舞いを周囲と折り合わせるか。
本書に収められた三編とも、芸術が取り上げられており、自己と周囲の対立をテーマとしている。

「しあわせのこみち」
絵を描く営みは、1人の世界だ。1人でキャンバスに向き合い、自分の心情のイメージを絵筆に伝える。
その一部始終に、他人を寄せ付ける余地はない。

だからこそ、その状態に心地よさを感じる人もいる。
そして、努力して周囲と合わせる努力が不要であれば、それが高じて周りとの心の垣根を自分で張り巡らしてしまうこともある。
本編の主人公、清水あやめはそうした心の持ち主だ。

自らの美的センスに絶対的な自信を持っている。
そんなあやめが、大学の授業で提出した課題で初めて人に負ける。
しかも負けた相手から、自らの芸術に潜む独りよがりな点を的確に指摘される。
ショックのあまり震えるあやめ。自らの負けをわずかな余地もないほどに自覚した瞬間である。
それをきっかけに、あやめが自らの狷介な心の狭さとその限界に気づき、少しずつ周囲との関わりを変えていこうとする。そんな物語だ。

自らの心の持ちようは、他人と比べて違っている。
そうした心の動きは、自らの心と他人の心の間に境目を作る。
境目とは、すなわち壁のこと。心の持ちようによって他人との間に壁まで作ってしまう。
それは自らの心の可能性に枠をはめる。
芸術を目指し、自分の技に没頭しようとすることで、自らの心に枠をはめ、将来の可能性を大きく損ないかねない。

だからあやめは、一度は出展しようとした自らの作品をいちどあきらめ、白紙に戻す。
そして、新たな自分を表現するため、新たなモチーフに挑戦する。
それは異性でもあり、尊敬できる相手でもあり、自らが何年も秘めてきた思いの対象に対し、向き合ってみようとした瞬間でもある。

その対象が見えてきた時、あやめは新たな自分の可能性に向け、大きな一歩を踏み出す。

「チハラトーコの物語」
千原桃子は、幼い頃からステージママに振り回されてきた。
少女の頃から意識を常に急き立てられ、見えを張って自らを飾りつけることに長けて成長してきた。
自らを虚飾で飾り立て、しかも見破られないようなテクニックを駆使する。誰も傷つけず、自分も傷つけない嘘。
そうした嘘を重ね続ける中、誰にも自分の素顔はさらさずに違う自分を演じてきた。

ところがある日、自らの経歴があるファンに見破られそうになってしまう。
その出来事がきっかけでトーコは、嘘にまみれた自らの半生を振り返る。
そもそも、いったい自分は何になりたいのだろうか。

芸能事務所に所属するも、自らの感性に合った作品しか出ようとしない。
嘘に嘘を塗り付けて30歳を目前にした今、俳優としての未来に広がりはあるのか。

千原桃子は路上パフォーマンスで活動する後輩との交わりにも感化され、パフォーマンスとはいったい 何なのかについて深く思いを深める。

俳優とは、嘘と色にまみれた職業だ。演ずる営みこそが、そもそも素の自分とは違う他人に化けることだから。
とはいうものの、そこで自分の本質を見誤ってはならない。自分の芯を持たずして演じたところで、何者にもなれないし、自分自身にすらなれない。
そうした切実な気づきが得られる瞬間。トーコにとってとても大きな気づきだ。
それを大人への入り口と呼ぶ人もいるだろう。
親の束縛から逃れた瞬間だ。

「樹氷の街」
本編は、過剰な自意識が組織の中に飲み込まれて苦しむ物語だ。
クラスの合唱コンクール。そのピアノ伴奏者は、花形の役割だ。
ところが、少ししか演奏スキルがないのに立候補してしまった倉田。
その伴奏は、クラスのみんなから酷評される。そして倉田は立場をなくす。

もともと、クラスに別の伴奏者がいるのに、あえて立候補した倉田への風あたりはきつい。
とうとう、練習にも参加しなくなった倉田。それを見かね、クラスのリーダーの何人かが対策に動く。
彼らのクラスには、音楽大学に進学を考えるほどのピアノの神童がいた。松永。松永の圧倒的な演奏は、伴奏者のレベルをとうに超えていた。
松永が倉田に対して伴奏を教えることにより、クラスで目立たないようにしていた松永も、そのきっかけにクラスに気持ちを開いていく。

本編は、誰もが中高の頃に経験する合唱イベントを通し、自意識の成長する瞬間をたくみに捉えている。
この瞬間こそ、大人への成長と同じ意味だ。まさに青春小説と呼ぶにふさわしい。

‘2019/10/3-2019/10/6


ふしぎな国道


講談社現代新書に収録された多彩なラインアップの中でも、本書はあまり見られない趣味の本だ。
本書は肩の力を抜いて、楽しく読める。

国道とはつまり道路。道路のあり方を楽しみ、その踏破を目標とする。私にとってとても共感できる趣味だ。

かつて、私は自転車であちこちを旅することを楽しんでいた。
旅の途中で通り過ぎる市町村境の看板を自転車とともに写真におさめる。そんなこともしていた。
残念ながら結婚して家族を持った私には趣味に費やす時間がなくなり、道や国道の趣味からは離れてしまった。

ところが、ここ二、三年で少しだけそうした趣味の時間がとれるようになってきた。そして、あちこちへと旅する頻度が増えてきた。
東北・関東・中部・近畿の駅百選を訪れたり、日本の滝百選を訪れたり、日本百名城を訪れたり。
残り少ない人生の中で、私の生きた証しを立てようとする本能が、私を旅へと駆り立てる。
まだ訪れていない場所を踏破する営みの裏には、有限の生しか与えられていない私の切ない感情がある。

だから、本書で書かれているような各地の国道を踏破し、多様な国道を走りぬく営みは私にとって相通ずる趣味といってもよい。
私も可能な限り、残りの余生で日本各地の国道を走破してみたい。
本書はその良きガイドとなるはずだ。

著者はサイエンス・ライターとしての仕事の傍ら、国道マニアとして趣味にまい進している方だ。
実際、本書は国道マニアとして思い浮かぶ全ての項目を押さえているように思える。

第1章 国道の名所を行く
第2章 酷道趣味
第3章 国道の歴史
第4章 国道完走
第5章 レコードホルダーの国道たち
第6章 国道標識に魅せられて
第7章 都道府県道の謎
第8章 旧道を歩く
第9章 深遠なるマニアの世界

第1章の国道の名所とは、各地にある特色のある国道を示す。
例えば、階段国道やエレベーター国道、石畳国道や裏路地国道、歩行者天国国道など。全国には面白い国道が散在している。
そして、私はそのほとんどを訪れたことがない。
こうした名物国道に訪れていないことを考えるにつけ、私が今まで経験した旅の乏しさを痛感する。

第2章の酷道とは、国道に指定されているのが不思議なほど、荒れた路肩や路面を擁した国道のことだ。
私は酷道を特集したムックを所持している。そもそも、あちこちの山や滝を訪れることの多い最近の私にとっては、酷道はより身近で憧れるジャンルでもある。
滝までのアプローチでけもの道を行く際にそうした廃道の遺構に出会うことがある。そのたびにかつては人々が行き交っていたはずの道の成れの果てに思いをいたす。
まさに冒険心とロマン、消えゆく歴史への哀惜など、酷道の世界には私の趣味心をくすぐってくれる要素が満載だ。

第3章の国道の歴史も面白い。
本書の帯にもあるが、国道60号や99号はわが国には存在していない。
それは二級国道を定義しなおした際、あらたに101番から番号が付けられたからだ。
だが、普通の人はそれらの国道の番号が欠番になっていることに不審を感じないはずだ。
だが、国道マニアにとっては、それこそが重大な事実なのだ。歴史や経緯など、調べていくと興味は尽きない。それがマニア。
本書はこのような重箱の隅をほじくるような知識が散らされており、それもまたうれしい。

第4章の国道完走も、私にとっては憧れだ。
鉄道の分野でいう、乗り鉄が全線を乗り尽くすぐらいの難易度だろうか。
私は本書を読むまで国道完走を数えたことはなかったが、いくつかの国道は完走しているはずだと思い、数えてみた。
例えば稚内から旭川までの40号線や本章にも紹介されている網走から稚内までの238号線。あと実家近くを走る43号線(大阪⇔神戸)は何度も完走している。三宅坂から沼津までの246号線も。
こういうのを地図上で埋めていくと、きっと楽しくなるはずだ。

第5章のレコードホルダーの国道たちは、いろいろな切り口で国道を紹介していて面白い。
長さ短さ高さ低さ広さ狭さ速さ多さなど。他にも道の駅が最も多い国道とか、多くの都道府県を通過する国道とか。
そうした目で見てみると、まだまだ国道趣味には多くの楽しみが見いだせそうだ。
誰か国道の沿道にあるコンビニエンスストアやファミリーレストランの数の統計をとってくれるとうれしいのだが。

第6章の国道標識に魅せられても興味深い。
国道マニアは、あの青くて角が丸い逆三角形の標識を「おにぎり」と呼ぶそうだ。重複国道では複数の「おにぎり」が並んでいる姿が見られる。私もいくつか、そうした光景を見たことがある。
それ以外にもいわゆる青い看板の意匠にときめくマニア。昭和前期に設置された昔ながらの国道標識が道端でひっそりと標識の役目を果たしている姿に胸を熱くするマニア。
こうしたモノに惹かれる気持ちはとても分かる。

第7章の都道府県道の謎で取り上げられる都道府県道も奥の深さでは国道にひけをとらない。
たまに私もWikipediaで都道府県道の項目にのめり込んでしまうことがある。
国道のように整備されておらず、地元に密着した道路だけに、それを極めるだけで至福の時間が過ごせるだろう。
都道府県道であれば、私は多くの道を走破しているはずだ。町田街道や行幸道路、鎌倉街道、尼宝線や武庫川右岸、兵庫県道82号や51号など。

第8章の旧道を歩くで取り上げられる旧道もいい。私は旧道にもロマンを感じる。
江戸から明治、大正の頃までは幹線道路として人々の旅を支えていた道。沿道の風景のそこかしこにかつての風情を残している道。
整備された現代の快適な道よりも、私はこうした道に旅情を感じる。

こうした道を歩き、自転車で走っていると、道の側溝や橋やトンネルなどに愛おしさを感じる。
新道ができたことで急速に寂れ、忘れ去られようとする道のはかなさに惹かれる。不便であるがゆえにかえってかつての風情を残す。
上にも挙げた兵庫県道82号は、新しく盤滝トンネルができたことによって旧道は寂れてしまった。だが、私はこの旧道を阪神・淡路大震災の当日の朝、決死の思いで走り抜けた。懐かしい思い出があり、著者のいうノスタルジーがより理解できる。
この章では道路元標にも脚光をあてている。特に大正期の元標はまだまだ発見されていないものもあるらしい。
私も本書を読んでからというもの、旅先で道端を見つめることが増えている。

第9章の深遠なるマニアの世界では、今まで取り上げていなかった国道趣味の他の分野について触れている。例えば国道グッズや歌・映画などに登場する国道など。それはそれでマニアには需要があることだろう。
本章で私が面白いと思ったのは、非国道走行というジャンルだ。国道を通らずにある場所からある場所まで走破できるか、というチャレンジ。例えば十字路で国道をまたぐのは許されるが、それ以外はだめというルールを課し、それにそっていけるところまで行く。
鉄道にも一筆書き乗車というのがあって、私も関東を一日乗りとおしたことがあるが、それに近い面白さを感じる。
本書によると東京から大阪まで、国道を使わずに走りきることが可能らしい。おそるべきマニア。

私が本書を読み、国道の旅に出たくなったことはいうまでもない。
だが、私は著者並みのマニアになれそうもない。残念ながら。

というのも、時間の自由がだいぶ利くようになってきたとはいえ、仕事の都合でまとまった時間がとれない。
また、かつては二台の車を持っていたが、今は一台しか持っていないので車が自由に使えない。
それに加え、私の住んでいる東京の多摩あたりは帰りの渋滞がひどく、それが車旅の意欲を極端になえさせる。

そうした意味でも国道マニアとは本当にうらやましい趣味だと思う。そして、その趣味に生涯を掛けられることが本当にすばらしいと思う。
こういう本を読むたび、人は自分の好きなことをして過ごしていくのが本当に幸せなのだ、と再確認できる。
人に与えられた時間のあまりの少なさにも。

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‘2019/10/3-2019/10/3


打撃の神髄 榎本喜八伝


プロ野球の歴史は長く、幾人もの名選手を輩出してきた。
名投手、ホームランバッター、守備の達人。そして打撃の職人。

打撃の職人といえば、私と同年齢のイチロー選手がすぐに思い浮かぶ。メジャーリーグでも殿堂に選出されることは間違いない実績を上げた名選手だ。
孤高の雰囲気をまとい、打撃の道を求める姿。まさに求道者と呼ぶにふさわしい。

打撃の求道者は他にもいる。それは広島東洋カープの前田智徳選手だ。前田選手もまさに求道者としてのエピソードを多く持つ選手だ。
そのストイックな挿話を聞くにつけ、私はある選手を思い出していた。
その選手こそ、本書が取り上げる榎本喜八選手だ。

前田選手は現役を引退した後、テレビにも解説者としてにこやかな顔で如才無く役割を果たしているように見える。
その姿をみて、私はいつもある安堵を覚える。前田選手が榎本選手のようにはならないという安堵だ。
柔らかくテレビの前で語る前田選手の姿に危うさは感じられない。少なくとも自らを追い詰め、精神の均衡を崩した榎本選手のようには。おそらく、前田氏は現役引退と同時に心の中で折り合いをつけることに成功したのだろう。

前田選手と違い、榎本選手は現役を引退した後、ついに一度もプロ野球界と関りを持たなかった。
コーチ・監督はおろか、解説者としても。
名球会に入るための十分な実績を残しながら、一度も名球会に参加せず、OBの集まりにもでない。
そのような選手は榎本選手ぐらいだろう。

榎本氏が体得した難解な打撃理論をたやすく理解できる若手はおらず、それがますます晩年の榎本氏を追い込んでいった。
榎本氏は打撃コーチとしての道を望んでいたそうだが、その声すらかからなくなってしまった。
それが榎本氏をさらにプロ野球界から遠ざけたのだろう。

何度か当ブログでも書いたとおり、私は昭和30年代のプロ野球にとても強い憧れを持っていた。小学生のころからだ。
さまざまな個性を持った選手がしのぎを削り、野性的な魅力にあふれた時代。
昭和30年代を彩った名選手は数多いが、榎本選手の挿話はその中でも際立っていた。
特に「神の域に達した」と本人が語る絶好調の時期に達した経験など。
打撃の神様といわれた川上哲治選手も同様の挿話があることはよく知られている。それと同じぐらい、榎本選手の経験も著名だ。

そうした榎本選手の現役時代や引退後のストイックな挿話を知る度、おそらく榎本選手のようなプロ野球選手は、将来も二度と現れないのでは、と思う。

だが、榎本選手を描いた書籍は今まで読んだことがなかった。名選手の自伝や評伝は無数に出版されているというのに。
だから、本書を見かけてすぐに手に取った。しかも本書を手に取ったのは町田市役所のロビーだ。ご自由に持ち帰ってよいコーナーに置かれていた。これぞご縁とばかりに持ち帰った。そしてすぐに読み終えた。

スポーツ選手の目指すべき道とは何か。自らが信じたその道を突き詰めようとした榎本選手の姿が本書には書かれている。

著者は引退後の榎本選手にインタビューする機会を得た。
その結果が本書だ。

著者はかなりの時間を榎本選手とのインタビューに充てたのだろう。
プロローグにも著者が榎本氏のお宅に二年間通い、延べ五十時間をインタビューの時間に費やしたと書かれている。

その中で著者は榎本氏の奉ずる難解な打撃理論をできるだけかみ砕いて読者に伝えようとする。
精神と肉体を統合し、臍下丹田を意識し、そこから肉体の隅々にまで意識を行き渡らせることで、肉体を精神の思うがままに操る。

著者はプロローグで、話を聞き始めた当初は榎本氏の話が理解しにくかったと正直に書いている。
榎本氏の話す内容を理解するため、聞いたばかりの榎本氏の言葉を実践するため、著者はバッティングセンターに向かう。
また、解剖学、運動生理学、身体論、運動科学、さらには武道・武術の歴史まで学び、脱力法や呼吸法のトレーニングに六年も通ったという。

著者の学びは、第4章 魂の注入において詳しく述べられている。
合氣道の宗主である藤平光一氏から直に教わった合氣道の教えを受け、打撃に開眼する榎本選手。
そうした氣について描かれたこの章こそが本書のクライマックスだ。そして、何冊も出版されてきたプロ野球の選手の評伝や自伝の中にあって、本書が独自性を発揮している部分でもある。

合氣道は、植芝盛平氏の創始した武術だ。その演武は今でもYouTubeなどで確認することが可能だ。
柔道の三船久蔵十段の空気投げにも通じる不可思議な術。
笑ってしまうぐらい、大人が簡単に投げ飛ばされる。素人にはそのすごさがまったく理解できず、八百長では?と思ってしまう。

だが、そこには体の重心や動きを余さず理解した体術の究極があるという。
その教えを受けたことで、榎本選手の打撃術は神の域へと導かれる。

「土踏まずから足の付け根までの内側に、ユニフォームの縫い目にそって一本のラインを意識してた」(250p)
「バットを構えて、脚の内側のユニフォームの線を意識した榎本は、それから深く呼吸をして臍下丹田に気持ちをしずめた。そして、改めて臍下丹田から五体のスミズミまでを結び、全身に気力をみなぎらせる。すると、突然、全身の脈や血流、関節や筋肉の動きがありありと感じられるようになった。まるで透明人間にでもなったかのように、自分の体内の様子があるがままにはっきりとわかる。バッターボックスでこんな感じになったのは、初めてのことだった。」(252p)
「臍下丹田に自分のバッティングフォームが映るようになると、ピッチャーとのタイミングがなくなってしまった。ピッチャーの投げたボールが、指先を離れた瞬間からはっきりとわかる。こっちは余裕を持ってボールを待ち、余裕を持ってジャストミートすることができた。だから、タイミングなんてなくなっちゃったんです。最初からないから、タイミングが狂わなくなったですね。」(255p)

野球とはチームスポーツだ。打撃の道を追い求める榎本選手の姿は、チームの中では決して歓迎されるものではなかったはずだ。
だが、バッターがピッチャーと対峙する時、ピッチャーとバッターも個人の闘いに没入できる。
塁上に誰がいようと、個人の力でスタンドにボールを放り込めばチームに貢献できる。ピッチャーの立場でもまた同じ。
突き詰めれば野球とは個人のスポーツともいえるのだ。

残念なことに、そうした熱い思いを榎本氏は周囲にうまく伝えられなかった。自らの難解な打撃理論も含めて。
榎本氏とて、若手時代にはオリオンズの同僚選手などの理解者に恵まれていたらしい。
それが、長じてからは周りから理解者を失い、ついには孤独な境遇に沈んでしまった。

榎本氏も晩年に至って、著者のような理解者に巡り合えたことはよかったと思う。
そして、没後の2016年には野球殿堂に選出された。
これで榎本氏の当時の心中が少しでも理解されれば私も嬉しい。

あとは、榎本氏の衣鉢を継ぐ打撃人が現れることを待つのみだ。
イチロー氏、前田氏に続く誰かを。
私はその誰かを待ちたいと思う。

‘2019/10/2-2019/10/2


殉死


乃木希典将軍の生きざまは令和に生きる私たちに教えてくれる。太平洋戦争で負ける前にはまだかろうじて残されていた、武士道のあり方を。
新渡戸稲造博士が西洋人向けに書いた「BUSHIDO」。明治の世に新興国日本の精神を世界に紹介したこの本の存在も今や忘れ去られてしまった。
BUSHIDOが世界に知られたのと反比例するように、西洋文明を急速に吸収しつつあったわが国においては、殉死という習慣は廃れていった。文明開化の名のもとに。
文明開化の旗印は、殉死を封建の時代の旧弊であると捨て去った。近代化を進める国において殉死など野蛮な習慣になった、はずだった。

ところが、明治の御代の象徴であった明治天皇が死に際し、乃木将軍はその死に殉じるかのように自らの人生に幕をひいた。
その際、奥さまもともに死を選んでいる。
乃木将軍の精神はいかなる環境のもとで育まれたのか。または養われたのか。
殉死を選んだ時の乃木将軍の心中はいかばかりか。

著者は明治のわが国の精神を『坂の上の雲』の中で描いた。
『坂の上の雲』においても、乃木将軍は日露戦争における最大の激戦としてしられる旅順攻略の中で重要な役割を果たしている。
旅順攻略までの苦戦に次ぐ苦戦。激甚な死者を出した二百三高地の占領。それらの全てを第三軍の大将である乃木希典は背負った。
沈痛な顔をして苦戦の責任を背負う乃木将軍を著者は糾弾せず、かわりに参謀の無能をののしっている。

その不器用な軍人らしからぬ振る舞いは、著者が『坂の上の雲』を書く上で強い印象を残したのだろう。
本書は二百三高地や旅順での乃木将軍の行動も描きながら、殉死を選ぶまでに至った乃木将軍の心中をあぶりだそうとしている。

そもそも『坂の上の雲』において乃木将軍の姿は複雑な陰影をもって描かれている。そこには、著者が乃木将軍に抱くさまざまな思いが反映されていると思われる。
著者は旅順の戦いや二百三高地の戦いにおいて、参謀の伊地知大佐にあらゆる無能を擦りつけるような描き方をしている。だが、乃木将軍に対しても礼賛するようには描いていない。どっしりとして不動の乃木大将の姿を沈着であると好意を含んだ解釈も可能であるにもかかわらず。
著者の書く乃木像には、決断力に欠け、軍人として不適格ではないか、と暗に書いているようにすら読める。
旅順攻略の苦戦の責任は司令官である乃木将軍に帰すべきなのは明確だ。それは分かっていながらも、著者はどこか乃木将軍を人間として愛すべき人物とみなしているように読める。

そもそも本書は、著者にとって小説として書かれなかったという。それどころか当初は作品としても考えていなかったらしい。
著者はただ、乃木将軍の人物を見定め、分析したかった。そのために書いた文章が本書の形になったという。
「著者はこの書きものを、小説として書くのではなく小説以前の、いわば自分自身の思考をたしかめてみるといったふうの、そういうつもりで書く。」(14ページ)

乃木将軍を取り上げて描いている以上、当然、本書は乃木将軍の生い立ちや軍人を志したいきさつについても触れる。
そもそも乃木将軍が残した遺書には、西南戦争時に熊本城で軍旗を賊軍に奪われたことへの深い反省と悔悟によるととれることが書かれていた。
本書は軍旗を奪われた戦いの展開や、終戦後に陸軍が乃木希典に対してとった措置などにも触れている。それによると陸軍に若き乃木希典を糾弾する意図はなく、むしろその忠節の鏡ともいうべき責任感をよしとしていたとも書いている。

ところが乃木将軍は、軍旗を奪われた屈辱の反動だったのか、西南戦争後に結婚したにもかかわらず、酒色に明け暮れる毎日を送っていた。
そんなところに命じられたドイツへの留学が乃木希典の態度を一変させる。プロイセン流の軍人としてのあり方に急激に感化され、謹厳かつ寡黙な軍人としての生き方に目ざめる。
帰国してからの将軍は、寝る時すら軍服を脱がなかったようだ。プロイセンで生じた変も著者は分析し、殉死に至るまでの乃木将軍の心中を慮ろうとする。

軍人の鏡ともいうべき普段の立ち居振る舞いが明治天皇に気に入られ、それが当初予定されていなかった日露戦争での第三軍司令官への抜擢につながった。
そして、その抜擢があまたの死者を生み、乃木将軍の軍人としての資質を疑わせたことは言うまでもない。

本書が私にとって勉強になったのは陽明学についての分析だ。
陽明学はもともと、中国の宋で王陽明が創始したという。
だが、日本の歴史にも何度か陽明学が影響を与えている。
陽明学の思想は封建思想を強化するが、それが極端な信奉者を生む傾向にあった。自分の身を犠牲にすることもをいとわない思想。
例えば山鹿素行。この人物も陽明学の徒だったが、後年赤穂藩に召し抱えられたという。その教えが赤穂浪士の忠烈なる振る舞いに影響を与えた。江戸末期の大塩平八郎もまた陽明学の学徒だったそうだ。庶民を守る理想に殉じるため、幕府の役人としての地位を捨てて幕府に反逆した行いは大塩平八郎の乱として知られている。
幕末には吉田松陰とその叔父である玉木文之進にも影響を与えた陽明学。吉田松陰が黒船に密航しようとまで思いつめた行動の背後にも陽明学の影が見える。そして、乃木将軍も玉木文之進の門下生であり、その影響を強く受けている。

乃木将軍の行動の原理には、玉木からの思想の強い影響があった。
その素地があったところに西南戦争で軍旗を奪われた。そして、旅順の戦いでは明治天皇の期待通りに応えられなかった。そうした出来事によって自責の念が高じ、さらにそこに忠義をささげる相手となる明治天皇が崩御したことが、乃木将軍をますます追い詰めていったこと。想像に難くない。

本書は、可能な限り明治天皇が亡くなってから乃木将軍が殉死に至るまでの行動が記されている。
乃木将軍が自死を選ぶまでの行動において、なぜ奥さまの静子さんが一緒に死ぬことになったのか。それについても、著者は想像も交えながら可能な限り再現しようと試みている。

私は今まで静子夫人は明治の女性らしく、夫の決めたことに従順に従ったため一緒に亡くなったのだと思っていた。
ところが、著者によれば、静子夫人には当初は殉死の意思がなかったという。
それが偶然やその場の空気によって、夫婦でともに死ぬことになったと推察している。いわば犠牲者なのだ。

本書を読み、乃木将軍に興味がわく。
もちろん私は、殉死という営みの全てを肯定するつもりはない。
だが、今から100年少し前まで、日本の戦国時代の精神をメラメラと伝え続けた人物がいた。その事実は、陸軍のその後の運命も含め、考えておくべきことだと思う。
これからのわが国を見据えていくためにも。

‘2019/10/1-2019/10/2


知の越境法 「質問力」を磨く


著者は一度テレビ出演から引退する意向を示したはず。にもかかわらず、いまだに節目のイベントにはメディアに登場している。
テレビ界から引っ張りだこなのも、多くの支持を得ている表れだ。素晴らしいことだと思う。

著者が支持されている理由は、いろいろと考えられる。
真っ先に考えつく理由は、伝え方や聞き方に誠実さが感じられるからだと思う。
テレビ画面で見かける限り、著者はあくまでもジャーナリストであろうとしている。伝えること、調べることに徹している。それが私や世間の共感を呼んでいるのだろう。
専門家のようなオーラを押し出さず、自らの考えを押し付ける雰囲気も感じない。客観的な立場を堅持し、役割をわきまえている。そして、自らの役割をテレビ越しに視聴者に伝える術にも秀でている。

そうした術の全ては、著者が今までのキャリアで身につけてきたスキルだ。スキルを身につける上では、著者自身の数多くの努力があったことだろう。

著者は、今までのキャリアの何が自分を助けてきたのかを振り返る。
キャリアで成し遂げてきた何か。それを著者は越境するという言葉で言い表す。
越境する。それはつまり、専門分野を作らず多様な分野に軸足を移し、異なる立場に身を置く姿勢を示す。
越境するキャリアとは、言葉で表すならジェネラリストがふさわしい。いわゆるエキスパートの対義語としてのジェネラリスト。
ジェネラリストとは、日本の会社人間を育てる上で便利な言葉であった。OJTの名のもとにあらゆる部署を経験させし、幹部候補として育てる。
そのため、ジェネラリストとはわが国の組織にとって都合の良い言葉としての印象が強い。個人主義に傾きつつある今の世の中にはあまり歓迎されないようだ。

著者は今の自らの活躍を客観的にとらえている。その上で今の状況は、越境し続けてきたキャリアとそこで培ったスキルによるものだと言い切っている。
確かにそれはうなづける。著者が本書で越境という言葉に込めているのは、単にいろんな仕事を渡り歩いてきた歴史を振り返っているだけではないはずだ。
おそらく著者は、キャリアの中で越境する度、ある目的を意識し続けてきたに違いない。ジェネラリストであっても、漫然としたジェネラリストではなかった、と言い換えても良いだろう。
つまり、その時々の立場に全力で向き合い、その時々でエキスパートたらんとしたこと。それが結果としてジェネラリストを極めることになったとはいえ、同時にジェネラリストを極めるという意味において無二のエキスパートとして鍛えあがったのだろう。

越境のきっかけは、会社からの業務命令であったり異動命令であったりしたのだろう。
だが著者はそれらを悪い方向にとらず、良くなるきっかけと考え、その度に多彩なスキルを身につけるよう努力してきた。
そのモチベーションの高さと、その全ての仕事を報道や発信といった著者の仕事につなげた努力が、著者を今の立場に引き上げたのだと思う。
そしてその時に役立った実践とは、積極的に質問する姿勢ということだ。越境者ゆえに、無知は当たり前。無知を恥じず、無知を自覚して質問を重ねる。もちろんなにも事前に調べずに質問しても無意味だ。事前に調べた上で的確な質問を発する。それが信頼へとつながる。

本書はこうした著者の考えに則り、六章からなっている。
第一章 「越境する人間」の時代
第二章 私はこうして越境してきた
第三章 リベラルアーツは越境を誘う
第四章 異境へ、未知の人へ
第五章 「越境」の醍醐味
第六章 越境のための質問力を磨く
終章 越境=左遷論

本書から得られる教訓はとても大きい。その教訓とは、組織に属してキャリアを積むとしても、そこから得られる果実の大小は個人の意識の力によって変わることだ。
組織によって括られた見えない枠を受け入れ、その枠をはみ出さないように生きているだけでは越境したことにならないし、力もつかない。
枠を認識した上で、その枠を越える意思を持つ。それこそが越境の力であり妙味ということだ。
つまり組織によって与えられた枠を逆手にとり、それを越境することに面白さと意欲を見いだす。これを言っているのだと思う。

これは独立していようが、勤め人であろうが関係がない。社会に生きている以上、あらゆる組織や立場の枠が個人を枠に囲おうとするのは同じだ。
その時、その枠があるからと萎縮するのではなく、むしろ枠があるが故にそれを越えることに意欲を燃やす。
その意識があるとないのとでは、その仕事から得られるインプットの量に格段の違いが生ずる。

今まで私もいろんな仕事をしてきた。それらはかけがえのないインプットになっている。
だが、それだけでは未来はひらけない。自分をどうひらいていくか。それは、自分の仕事や能力をどう発信するかにかかっている。
自分が人に対してどう力になれるのか。どう相手にとって役立てるのか。それを社会に対して示す。それこそが発信の重要性なのだと思う。
それは組織の枠の中で発信するだけではだめだ。枠の外に越境して発信しなければ、発信にはならない。

どれほどキャリアからさまざまな影響を受け、それを糧にしていようとも、発信しなければそれは外部には認められない。
そして、その発信先を同じ会社内や個人のつながりだけに限定していては、その枠の中にしか効果を及ぼさない。
著者はその時々のキャリアの中で、不特定多数の人に発信するスキルを越境してまで身につけようとしてきた。

それこそが越境の力だ。今の世にはいくらでも越境するためのツールがある。SNSやブログや登壇といった。その機会を逃さないように心がけたい。

‘2019/9/29-2019/9/30


打たれても出る杭になれ 自らの弱点・失敗をバネにして


私の人生観に最も影響を与えた本。それはひょっとすると本書かもしれない。
本書を読むのは今回が初めてだったというのに。

では、なぜそう思うのか。
その訳は、本書のタイトルが物心のついた頃から私の目にずっと触れていたからだ。
それがいつからだったかは覚えていないが、おそらく小学校の低学年あたりからだと思う。
それから小中高を過ごし、大学三回生の年に阪神・淡路大震災で家が全壊するまでの期間のほぼ毎日、私は実家の本棚に収まっていた本書のタイトルを見ていたはずだ。

本書のタイトルは「打たれても出る杭になれ」だ。つまり出る杭になることを前提としている。
打たれても出ることのできる強い生き方。本書のタイトルはそれを一言であらわしている。
本書を買ったであろう父は、私に対する教育効果など考えていなかったはず。だが、この文句は思った以上に私の人生に深い影響を与えていたかもしれない。

本書を読む少し前、実家に帰省した。そして本棚に収まっている本書に目を留めた。
実家を出てから21年。21年間、本書の存在は忘れていたにもかかわらず、実家に帰ったら本書に目が留まった。それも何かの縁なのだろう。
奥付によると本書の出版は1979年。40年強の年月をへて、ようやく本書を読むことになった。

だいぶ前に勤め人から独立した私。
だから、いまさら本書を読んで独立に向けて心を奮い立たせる必要などない。
だが、このタイミングで本書のタイトルに惹かれたのには何か理由があるはず。
年齢を重ね、自分の心身の衰えを感じたのかもしれない。もしくは弊社で人を雇用する次のステップに進むにあたり、今一度、初心に帰りたいと感じたのかもしれない。

そんな私が本書を読んでみて思ったこと。それこそが、冒頭に書いた通りだ。実は本書のタイトルこそが私の人生に深い影響を与えてきたのではないか、ということ。

本書には13人の方が語るそれぞれの人生とそこからつかみ取った哲学が述べられている。
私はその中の8人の名前しか存じ上げなかった。だが、どの方も名を遂げた方であることは確かだ。
どの方も高度成長期の日本を支えてきた。そして敗戦した日本を経験し、貧しさと苦しさを経験してきた。
そして、本書が出された1979年。日本の高度成長期がオイルショックによって頭打ちとなったとはいえ、情報時代か到来するのは十数年も先の話。バブルで浮かれる時期にすら至っていない。
ということは、まだ昭和の考え方が全盛の頃だ。

打たれても出る杭とは、出る杭が目立ってこそ成り立つ話だ。
本書は、出る杭が目立つ時代に出版された。組織の力が日本を奇跡的な成長に導いた神話が息づいていた時代。
組織を飛び出すことが異端児にも等しい扱いを受けた時代だ。

だから本書の序章で描かれる「打たれても出る杭」とは、逆境からの奮起を指している。
組織から外れて独立を推奨する訳では決してない。
そのため本書で語られる趣旨は、個人や組織がどうだろうと関係がない。もちろん独立も。
要は個人として挫折にいかにして立ち向かうのか、ということだ。

だが、十三人の話はそうした観点だけにとどまらない。
組織の中でのささいな失敗も描かれるし、スポーツ選手の勝負の世界も描かれる。諦めないことで活路を開いた話も登場する。
組織を率いることの妙味と、人をうまく使うことの難しさと喜びも描かれる。もちろん独立して会社を興し、大手に育て上げた立志伝も語られる。

本書に取り上げられているのは、職業も立場も多様な人々だ。それぞれの人生にはその数だけの逆境がある。どういう立場であれ、逆境を乗り越えた人物、だからこそ、本書にも取り上げられている。
こうした話から伺えるのは、出る杭を協調性や同調圧力といった観点で考えてはならないということだ。

結局、それぞれの人生を決めるのは個々人だ。
人が自らの人生をどう生きるのか。それに尽きる。

では、「打たれても出る杭」とは本書において何を指しているのだろうか。
私はこう考えた。
出る杭には基準となる平らな座標軸がある。その座標軸とは、あらゆる人々の平均値だ。
その平均値とは、さまざまな人々の中の最大公約数を抽出した要素。つまり、多くの人々に共通する要素だ。例えば小中高大を出て会社に勤め、定年まで勤めあげることは、1979年にあっては平均的な生き方だろう。
つまり、大きな軸とは人々の間にある通念や平均的な生き方を指す。それにたいして出る杭とは、現状維持や平穏を良しとせず、それに抗うことだ。
ところが、そうした努力を冷笑する内なる声がある。努力を軽蔑し、挑戦や奮起を醒めた目で見る内なる声。または人々から受ける同調圧力もそれに属する態度だろう。
そうした内なる弱い自分に抗う強さ。それこそが「打たれても出る杭」の要諦だろう。

そうした弱い自分とは、挫折や蹉跌の時にこそ勢いを増す。
その弱さに負け、打たれてしまうと、平板な自分に落ち着いてしまう。そして、挑戦を避け、組織の中に埋没して終わってしまう。

組織の中であっても、弱い自分に抗い、出る杭になれた人は本書に登場するだけの力を蓄えられる。

むしろ、組織の力が強い時代だった当時に、本書に取り上げられるだけの個の強さを持つことは、今よりも難しかったのではないだろうか。
今のようにYouTubeやTwitterやブログなどの手段がなかった時期だからこそ、13人にはすごみが感じられる。
これらの人々の語る人生についての考えを読むと、打たれても出る杭、とは、自らの可能性に対しての言葉なのだと理解できる。

そう考えると、今の私に本書が刺さってきた理由が分かる。
それは、努力を怠っていた私への無意識からの叱咤なのだろう。
その努力とは、人を雇い、家族以外の人の人生に責任を持ち、後進を育成することへの努力だ。
個人の力でずっとやってきた私が怠っていたのが、そうした努力。
そうした能力をこれからは磨く。そして、今までの自分が打っていたのが、自分の可能性という杭だったことを自覚する。

そんな時、妻が本書のタイトルを見て言ったことがある。
若いラッパーか誰かが「出る杭は打たれる」なら、打たれないぐらいに出ればいい、むしろ引っこ抜かれて取り立てられぐらいに、と言ったそうだ。まさにそう。周りに合わせるのではなく、自分の可能性を最大限に高める。これこそが生の意味だと思う。

本書を読んでから一年数カ月がたち、ようやく人を雇えるまでになった。
あとは、本書が私の人生にどのような影響を与えてくれたのか、これからの人生で明らかにしていくことだ。
それまでに実家の本棚に本書を返却しなければ。

‘2019/9/28-2019/9/29


あの日からの建築


本書もまた、『建物と日本人 移ろいゆく物語』に続いて建築という営みに興味を持って読んだ一冊だ。
丹下健三氏の自伝を読もうと図書館を探したが、見当たらなかったので本書を手に取った。
著者の名前は、建築関連の文章を読むと時折目にしていた。建築界では著名な方に違いない。だから、建築とは何かを知るにはふさわしいと思った。

本書のタイトルにもある「あの日」とは3.11を指す。すなわち東日本大震災。
建築家にとって地震とは己の腕を試される試練だ。
想定した耐震設計が揺れに耐えられなければ建造物は倒壊する。揺れに耐えても津波などが次々と押し寄せる。
倒壊した場合、己の技術の未熟さがさらされる。一方で、災害に耐え抜いた姿が賞賛をもたらすこともある。
著者が手掛けたせんだいメディアテークは、東日本大震災においてわずかな損害を受けただけだったようだ。

著者は東日本大震災を機に建築のあり方や、建築家としての生き方を見直したという。
「日本の社会で、建築家は本当に必要とされているのか」(27P)。
このように自らを省みた著者は、釜石で復興支援プロジェクトに携わる。

建築家はただ建物を設計するだけでよいのか。その問いは建築家である自らの存在意義を揺るがす。
津波で街全体が更地となり、街を一から再構築する必要が生じた際、建物一つを設計すればよいだけの建築家に居場所はあるのだろうか。
そもそも建築とはそこに住まい、通う人々があって成り立つはず。
であれば、街の人々が復興にどう取り組み、それにどう建築家として関与するのかを問わねばなるまい。

設計する。作る。そして住まう。この建築に関わる三つの工程が終われば設計者が関与する余地はなくなる。
つまりその建物がどのように街の中で息づき、活用されるかを設計者が点検する機会がなくなるのだ。
地震によってあらわになった建築家の存在意義。著者の危機意識はそこに発している。

著者は仙台市宮城野区の「みんなの家」にも関わる。
震災後の仮設住宅は行政によって用意された。だが、住民が交流する場所や心を落ち着ける場がない。「みんなの家」はその要望に応じたものだ。
著者は「みんなの家」で住む人と作り手の交流を体感し、建築家としてのこれからのあり方をとらえたことに心を動かされる。

著者はその反省を生かして「伊東建築塾」という私塾を立ち上げる。建築を一般の市民にも開かれたものにしようとする試みだ。
建築家とは現実の社会から遊離しているのではないか、という著者の真摯な反省。その答えがこの私塾として結実する。

本書に満ちているのは、著者の自らへの問いかけや反省だ。
コンセプトがありきで建てられた建築物は、現実に住む人々のことを本当に考えた設計になっているのか。
これは『建物と日本人 移ろいゆく物語』のレビューにも書いたが、私を含めたわが国の人々が建築物に無関心な理由の一つであるに違いない。

続いて著者は、自らの建築家としての歩みを振り返る。
最初は一般の住宅を手掛け、そして徐々に公共の大きな建物へとステップアップした著者。
だが、著者は自らの歩みを振り返り、自らのキャリアに飽き足らない思いを抱く。

著者の歩みは、建築家として一般的なものだろうか。門外漢の私にはよくわからない。
当然ながら、その時々に手掛けた仕事は、その時々の精一杯の力を出しているはずだ。だが、後から思い返すと反省ばかりが目につく。それは私にも理解出来る。

むしろ、著者は、成長してきた自分を見つめなおしたからこそ、この流れの先にさらなる高みを見いだしたのだと思う。
まず社会に飛び込み、その中で苦しんで設計を作り上げるスタイル。それこそが自らのスタイルだったことに気づく。
そのスタイルをベースにし、今の時点で達したレベルとこれからの向上への伸びしろを考える。

そこから導き出された考えとは、その時々のレベルや流行に一喜一憂しないというものだ。
自らの建築家としての意識がどう変わってきたかを、過去を読み解きながら理解する。
社会に飛び込み、その中で住まい方や社会の要請と葛藤する。その姿勢がぶれない限り、今後の成長も見込める。そして、建築家が社会に対してどうやって貢献出来るかの答えが見つかる。
著者はそのような考えにたどり着いた。

著者は公共建築の権威性を壊したいという。
私に限らず、一般の人々が建築に興味を持たない理由。それは、近年、急激に増えた建造物のほとんどが、似たり寄ったりの外観だからではないか。
建築の妙味を知ろうと思えば寺社仏閣などの歴史的建造物か、近代ならばシンボルとなり得る大掛かりな建物しかない。

公共建築である以上、機能が優先される。そこに権威性の衣をまとわせようとしたとき、機能が足かせとなって似たようなデザインに落ち着いてしまう。
機能とはつまり、建築物をどう使うかという機能設計だ。
機能設計については建築家が入り込む余地がない。
コンセプトがありきで建てられた建築物は、現実に住む人々のことを本当に考えた設計になっているのか。この著者の問いがまさに矛盾となってあらわれたのが公共建築だ。
そうした矛盾を著者は権威そのものと受け取った。著者が壊したい権威性とはこのことだろう。

秩序の象徴としてではなく、建築物に違う意図を持たせられないか。
著者はそこで建築の秩序を自然の秩序で置き換える試みを行う。
自然の秩序には直線はない。曲線が主だ。
そこに著者は建築家としての突破口を見いだす。
自然の秩序を建築物で表すには、建築の内部環境を外部環境に近づければよいのではないか。著者はそう考える。

また、著者の公共建築の権威性とは、建築物に対する批評性が社会から遊離したことに問題の根本がある。そう著者は述べている。
著者にとって建築の外観と機能が乖離している問題。それは、建築そのもののあり方に加え、建築の本質が社会の内と外で隔てられていることにあるということだろう。

それは著者が3.11で学んだことにも通じる。地震と津波が建築の内と外を心理的にも物理的にも壊してしまった。
それを再構築する上で、建築を外から区切るものではなく、内と外をつなげられないか。その主張こそが本書の核心だと思う。

今まで触れてこなかった建築家の主張。それを本書で知ったことで、私にとっても建築物を見る目がさらに磨かれた気がする。旅先などで建築の粋を見て回りたい。

‘2019/9/27-2019/9/28


建物と日本人 移ろいゆく物語


本書を読もうと思ったのは、先頃に読んだ『HIROSHIMA』の影響だ。
『HIROSHIMA』は広島の被曝からの復興を四人の人物に焦点を当てて描いていた。
描かれた四人の一人が丹下謙三氏だった。
そこで描かれた丹下氏の方法論、つまり都市の景観を建物の外まで広げ、都市としてのあり方を定める方法に感銘を受けた。
そして、久しぶりに建築や建築家の世界に興味が出てきた。そこで本書を手に取った。

図書館に行って丹下健三氏の自伝を探したが何か見当たらなかった。かわりに目に入ったのが本書だ。
丹下氏の思想もよいが、まず日本人にとって建物か何かということを考えてみよう。そう思ったのが本書を手に取ったきっかけだ。

本書の編者は共同通信社取材班である。さまざまなスタッフが日本の中の、または世界中の日本人が関わった建物を取り上げている。
その数49棟。すべてに写真が載せられている。
以下にリストを掲示してみる。なお、※が付された建物は実際に私が入ったことのある建物だ。また、〇が付された建物は外から外観を見たことがある建物。

東京スカイツリー※
光の教会
あさこはうす
グラウンド・ゼロ
雄勝硯伝統産業会館新館
核シェルター
神戸ポートピアホテル⚪︎
新宿末廣亭⚪︎
オートバイサーカス小屋
辻村史朗の家
城山の鐘つき堂
森のイスキア
クッキングハウス
みかわ天文台
ジャパニーズ・バー
枯松神社
五島列島の教会
札幌市時計台⚪︎
富岡製糸場※
旧神戸移住センター
大鳥居・南米神宮
深沢晟雄資料館
パリ国際大学都市日本館
鉄道遺産
東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)※
佐喜真美術館
旧朝鮮民族美術館
サドヤ
ギャラリー・エフ
サファリホテル
出雲大社※
興福寺中金堂
三仏寺投入堂
瑠璃光寺五重塔
丸岡城※
神長官守矢史料館※
基町高層アパート
高松丸亀町商店街
吹屋小学校
聴竹居
渡部家
杉本家住宅
西の正倉院
篪庵
有料老人ホーム長寿閣
芝川ビル
坂出人工土地
本の学校
金時娘の茶屋

今まで私がそれほど建物に関心を持たずに過ごしてきたため、本書に取り上げている建物で※か〇が付された建物はそれほど多くない。
私が見たり入ったりした建物の数の少なさは、私の経験の貧しさでもある。反省しなければ。

私がそれほど建物に関心を持たずに過ごしてきたのは、私の持って生れた感性にもよるのだろう。
だが、生れてからの経験の積み重ねにも影響されているのではないか。そんな仮説を考えてみた。

私が今、住んでいる家は建売だ。また、私が生れてから幼稚園の頃までは団地に住んでいた。阪神・淡路大震災後に両親が建て直した家も普通の間取りだった。これらの場所での生活年数を足すと30年ほどになる。人生の約2/3だ。
それ以外にも、多くの時間を殺風景な学校で過ごしてきた。
その結果、建築物への関心を失ってしまったのだろうか。画一的な感性に毒されて。

こう考えてみると、建築に無関心なのは私だけではないようだ。日本人の多くが建物に関心を持たずに生きているように思える。
それは、画一的なオフィスビルや建売住宅といった設計の建物に慣らされたからだろうか。
ウサギ小屋と揶揄されたわが国の土地事情からくる家屋の狭さが原因なのか。
それとも自然災害に無力さを感じるあまり、家屋などしょせんは一時の仮宿という諦めがあるからか。
寺社仏閣が重厚で厳かなあまり、それと対比する自らの家屋は控えめにするような国民性が隠されているからなのか。

その結果、建築という営みについて何も感じなくなってしまうのだろうか。
私には、その理由がわからない。

だが、本来ならばわが国にこそ、個性的な建築がもっとあってよい気がする。
むしろ、新たな文化を取り入れることに抵抗がなく、中華圏をはじめとした異文化を取り入れ続けてきたわが国であるからこそだ。個性的でかつわが国の風土にあった多様な建物があってしかるべきなのだ。
家を建て、家に住む営み。本来ならば、その営みにはもっと個人の性格が色濃く現れてもよいのではないだろうか。
そして、人々が建物に対する関心をもっと持つべきではないだろうか。

ここに登場する建物には、それを設計する人の思想や住んでいる人々の思いが濃厚に込められている。

建築士が何を思って設計したか。それは建物によってさまざまだ。
ある建物は施工主の意向が強く働いている。また、施工主の職種や職業上の動線を考えた結果でもあるだろう。
毎日を過ごす建物であるがゆえに、どうすれば自らの感性にとって心地よい場所となりうるか。
そしてその施主の思いを建築士がどう解釈し、どう培った感性と技で味付けしたのか。
そこには当然、日本の風土が反映する。日本の歴史や文化の中でもまれ、洗練されてきた粋が建築物として具現する。

本書に登場するこれらの建物には、わが国の雑多な文化が集まった粋がより先鋭的な形で現れている。
それらを鑑賞するだけなら、芸術品を鑑賞することと変わらない。
だが、家を建て、家に住まう営みとは、もっと生きる営みに深く関わっているはずだ。
芸術作品はあくまで外から鑑賞して感性を豊かにするためのものであり、生きる営みそのものとはリンクしない。

おそらく、今のマンションや建売住宅が失ってしまったものも同じではないだろうか。それが本書に登場する建物たちは体現しているのに違いない。
それは多様性。
それは私自身も今の年齢になって意識するようになってきた概念だ。これからの日本にとっても重要な概念となることだろう。

そして多様性こそは、今後の少子化の中で住宅メーカーや工務店が目指すべき活路なのかもしれない。

‘2019/9/23-2019/9/26


信濃が語る古代氏族と天皇ー善光寺と諏訪大社の謎


本書はとても面白かった。私のここ数年の関心にずばりはまっていたからだ。

その関心とは、日本古代史だ。

日本書記や古事記に書かれた神話。それらは古代の動乱の一端を表しているのか。また、その動乱はわが国の成り立ちにどう影響したのか。
大和朝廷の起源はどこにあり、高千穂や出雲や吉備などの勢力とはどのようにしのぎを削って大きくなってきたのか。
神功皇后の三韓征伐はいつ頃の出来事なのか。熊野から大和への行軍や、日本武尊の東征は大和朝廷の黎明期にどのような役割を果たしたのか。
卑弥呼や壱与は歴代天皇の誰を指しており、邪馬台国とは畿内と九州のどちらにあったのか。
結局、日本神話とは想像の産物に過ぎないのか。それとも歴史の断片が刻まれた史実として見るべきなのか。そこに尽きる。

わが国の古代史の謎を解くカギは、現代まで散在する神社や遺跡の痕跡をより精緻に調べることで分かるのだろうか。
上に挙げた土地は、そうした歴史の証人だ。
そして、本書で取り上げられる信濃も日本の古代史を語る上で外せない場所だ。

国譲り神話に記された内容によると、建御名方神は建御雷神との力比べに敗れ、諏訪まで逃げたとされる。そしてその地で生涯を終え、それが今の諏訪大社の起源だともいう。
出雲から逃れた建御名方神は、諏訪から出ないことを条件に助命された。そのため、他の国の神々が出雲に集まる10月は、諏訪では神無月と呼ばないという。出雲に行けないからだ。

実際に諏訪大社やその周辺の社に詣でると、独特のしきたりが見られる。例えば御柱だ。四方に屹立する柱は、日本の他の地域ではあまり見られない。

私は友人たちや妻とここ数年、何度も諏訪を訪れている。諏訪大社の上宮、下宮はもちろん、守屋山にも登ったし、神長官守矢資料館にも訪れた。
諏訪を訪れるたびに力がみなぎり、旅の喜びも感じる。
この辺りの城や神社や地形から感じる波動。私はそれらに惹かれる。おそらく、神話が発する浪漫を感じているのかもしれない。

さらに、この辺りには神話の時代より、さらに下がった時代の伝説も伝わっている。それは上にも書いた守屋山に関するものだ。
守屋とは物部守屋からきているという伝承がある。
物部守屋とは、日本に仏教が入ってきた際、仏教を排撃する立場にたった物部氏の長だ。蘇我氏との権力争いに敗れた物部氏が諏訪に逃亡したという伝説がある。現代でも物部守屋の末裔が多く住んでいるという。
上に書いた建御名方神が諏訪に逃げた神話とは、実は蘇我氏に敗れた物部氏を描いているという説もあるほどだ。

本書の序章では、建御名方神の神話を振り返る。
海から糸魚川で上陸して内陸へと向かい、善光寺のある長野から松本を通り、諏訪へと至る道。その道に沿って建御名方神を祀る神社の多いことが紹介されている。かつて、何らかの勢力がこの道をたどって糸魚川から諏訪へと至ったと考えてよいだろう。
さらに、その痕跡には九州北部を拠点としていた海の民の共通点があるという。
松本と白馬の間に安曇野という地名がある。ここも阿波や安房やアマの地名と同じく海の民に由来しているという。

第一章では「善光寺秘仏と物部氏」と題されている。善光寺と諏訪大社には建御名方神という共通項がある。
そもそも善光寺とは由来からして独特なのだという。それは高僧や名僧や大名が建立したのではなく、本田善光という一庶民がきっかけであること。本筋の仏教宗派ではなく、民俗仏教というべき源流。そこが独特な点だ。
また、善光寺は現世利益を打ち出している。牛に引かれて善光寺参り、とは有名な言葉だ。
その思想の底には、過酷な自然に苦しめられ、自然に対して諦念をかみしめるわが国に独特の思想があるという。現世が過酷であるがゆえに、自然を征服せんとする西洋のような発想が生まれなかったわが国の思想史。
その思想を濃厚に残しているのが善光寺であるという。
さらに、誰も見たことのないという秘仏や、善光寺の七不思議といわれる他の仏閣にない独特な特徴。

本田善光が寺を建てたきっかけとは、上にも挙げたように物部守屋と蘇我稲目の仏教を導入するか否かで争った際、捨てられた仏像を拾ったことにあるという。
つまり善光寺と諏訪大社は物部守屋でもつながっていたという。次から次へと興味深い説が飛び出してくる。
さらに著者は、物部氏と蘇我氏が実は実権をめぐる争いをしておらず、実は共闘関係にあったという衝撃の説も述べている。
また、聖徳太子が建立したとされる四天王寺と物部守屋との関係や、信濃(しなの)や長野といった地名の起源も大阪の河内にあったのではという説まで提示する。もうワクワクしかない。

第二章では「諏訪信仰の深層」と題し、独特な進化を遂げた諏訪大社をめぐる信仰の独自性を探ってゆく。
上にも書いた通り、諏訪大社の周辺に見られる独特な民俗の姿は私を飽きさせない。御柱もそうだが、神長官守矢資料館では独特の神事の一端を垣間見ることができる。
鹿食免という鹿を食べてもかまわない免状など、古来の狩猟文化を今に伝えるかのような展示など、興味深い展示がめじろ押しだ。
ここは藤森照信氏による独特の外観や内部の設えも含めて必見だ。

この地方にはミシャグジ信仰も今に残されており、民俗学の愛好家にとってもこの辺りは垂涎の地である。
上社の御神体である守屋山に伝わる物部守屋伝説も含め、興味深いものが散在している。
本章では、そうした諏訪信仰の深みの秘密を探ってゆく。なんという興味深い土地であろうか。

第三章では「タケミナカタと海人族」と題し、古代日本を舞台に縦横に活躍した海の民が信濃にもたらしたものを探ってゆく。
歴史のロマンがスケールも豊かに描かれる本章は、本書でももっともワクワクさせられる。
安曇野が海由来の地名であることは上にも書いたが、宗像大社でしられる九州北部のムナカタがタケミナカタに通ずる説など、興奮させられた。
神社の配置に見られる規則や、各地の神社の祭神から導き出される古代日本の勢力の分布など、まさに古代史の粋が堪能できる。

第四章は「信濃にまつわる古代天皇の事績」
神功皇后をはじめ、神話の時代の天皇と神社にあらわれた古代日本の勢力の関係などについても興味深い。
あらゆる意味で、古代史の奥深さが感じられる。
まさに日本書記や古事記の記述には、古代史を探る上でヒントが隠されている。今に残る史跡や神社や民俗とあわせると、より意外な真相も明かされるのかもしれない。

もちろん、著者の述べる魅力的な説をうのみにして、これが史実だ、などと擁護するつもりはない。
だが、私にとって歴史とはロマンと一体だ。
本書はまさにそれを体現した一冊だ。また機会があれば著者の本は読んでみたいと思う。

‘2019/9/19-2019/9/24


amazon 世界最先端の戦略がわかる


私はあまりamazonで買い物をしない。
そもそも私は物欲よりも知識欲のほうが勝っている人だ。そのため、普段はオンライン・ショッピングすらあまりしない。amazonもたまに本を買う程度だ。
だが、amazonのすごさについては十分に理解しているつもりだ。

あらゆる商品を扱うamazon世界の豊かさ。家にいながらにして世界中の品物が手に入るのだから、現代のサンタクロースと呼んでも過言ではないだろう。

2018年から世界の長者番付の筆頭に就いたのはamazonの創業者であり、今もamazonを率いるジェフ・ベゾス氏だ。
世界中のオンライン上の流通をほぼ一手に握ったのだから、氏が世界一になった理由もわかる。

だが、私のような技術者にとって、amazonのすごさは別にある。それはAWSだ。
AWSこそはクラウドの雄だ。情報技術の基盤サービスとして必要なあらゆるサービスを網羅されている。おそらくGoogleやMicrosoftの同種のサービスよりも。
そのすごさは、技術者の誰に聞いても証言してもらえることだろう。
あえて弱点をあげるとすれば、英語ベースのドキュメントが多いため英語圏以外の人にはとっつきにくいことだろうか。

本書はAWSを含めたamazonのビジネスモデルについて解説する。
著者は日本マイクロソフトの社長として名の知れた方だ。その視点は、amazonと同じGAFAMを構成するMicrosoftの経営を知っている。
だが、そのような上を見た人の視点でありながら、著者はamazonに対して驚嘆を隠さない。
その結果、本書は全体としてamazon礼賛の論調が勝っている。

だが、それもうなずける。それほどにamazonのすごさが圧倒的なのだ。そのすごさは本書を読めば読むほどに感じられる。
規模が巨大なだけでなく、その成長の速さこそがすさまじい。世界史の上でもamazonほどに急成長を遂げた企業は見つけにくい。おそらくダントツだろう。
しかもamazonは自らの企業情報をあまり公表しない。そのため、本当の規模がどれぐらいなのかはもはや誰にも分らない。おそらく創業者のジェフ・ベゾス氏でさえも。

その秘密として著者はいくつかの切り口から語る。
まずは、徹底した投資主義だ。
儲けや利潤を留保せず、全て拡大のための投資に振り向ける。それによって税金の支出を抑え、自社の規模を拡大することに専念する。
また、amazonが各事業体ごとに自由意志を持ち、ジェフ・ベゾスですらも統制していない。統制をやめることによって管理コストを抑える。
管理のための管理には一切の無駄金は使わない。その金はすべて拡大のための投資に振り向ける。その徹底は見事だ。
それによって組織は肥大しない。しかも、防御のための費用が節約できるだけでなく、企業の活力は維持される。
これが普通の会社であれば、規模の拡大と同時に統制や管理にも気を配る。だが、amazonはそれをしない。だから他社と違って拡大の規模とスピードが違う。それが他社のサービス規模を凌駕し、サービス内容でも優位に立てる。

全ての利潤を自社でまなかうサービスや体制の増強に回す。
本書を読むと、amazonとは徹底した自前主義であることが理解できる。
物流やシステム回りを自社で構築することにより、他社の都合や支払いを気にせずに社業の拡大に専念できるのだ。
その構築のノウハウを研ぎ澄まし、クラウドとして全世界に広げたのがAWSということだろう。

物流網の構築やシステムの内製により、世界中に兵站の網の目を張り巡らせたamazon。
いまや、圧倒的な商品点数と物流網を確保することで認知度は圧倒的になり、さらに潤沢なキャッシュフローを擁するまでになった。
著者はそのキャッシュフローの潤沢さこそがamazonのすごさだという。

仕入れた商品が手元でキャッシュになるまでのキャッシュ・コンバージョン・サイクル(CCC)という指標がある。
amazonは小売業でありながら、その値がマイナスなのだ。ウォルマートでさえCCCは12日なのに。普通、CCCがマイナスになるのは飲食業などその場で現金払いがされる業態に限られる。それなのに小売でそれを実現したamazon。
つまり仕入れの前に現金を手に入れてしまう。それにより、キャッシュの流れが後手後手に回らず、先手を打てる。
著者はそのキャッシュフローにこそ、amazonが次々と規模拡大にまい進できる秘密があると指摘する。

どのようにして先手を打てるようなキャッシュフローを構築したか。それは、amazonが開設したマーケットプレイスの仕組みによるところが大きい。マーケットプレイスの開設により、決済までの間、顧客から預かり金を受け取ることができる。この預かり金こそamazonのキャッシュフローの源泉だと著者はいう。
プラットホームを開設することの利点は、預かり金を自由に扱えることにある。それによってキャッシュフローを潤沢にする。それこそがamazonの経営の秘密だろう。そのあたりの仕掛けが本書では学べる。

ここまで巨大な体制を構築したamazon。だが、今のamazonに硬直の兆しはない。むしろ積極的に他分野に打って出ている。生鮮流通・無人店舗・自動配達・宇宙・AI・顔認識など。
そうした活力は、管理部門にコストをかけない社風が大きく影響を及ぼしているはずだ。

おそらく、今後とも私たちはamazonとは無縁でいられないだろう。
私が推しているkintoneもアメリカ版は全てAWSを基盤として動いている。

ここまで大きくなると、amazonから学べる部分はあまりないように思える。
だが、ヒントはある。
例えばamazonの会議でプレゼン資料が禁止されていることはよく知られている。その趣旨は資料を作っている暇があればアイデアを出し合う時間に使え、ということだろう。

そうした無駄を徹底的に省くamazonの経営手法。私たちがそこから学ぶとすれば、「協調は必要とせず、個のアイデアが優先される組織であれ」の精神だろう。
amazonにとってはコミュニケーションすらも無駄だとされている。コミュニケーションが必要なうちは、組織は未熟というわけだ。
個人が自立し、研修や社風の醸成などが不要な社風。
もちろん、それには社員一人一人に組織への依存があっては成り立たないはずだ。

この考え方に立てば、私の経営などまさに未熟に違いない。
顧客ごとに個別の対応をしているうちは規模の拡大など難しいことはわかっているつもりなのだが。

‘2019/9/13-2019/9/19


ミサイルマン


「DINER」で再び著者に関心を持ち、本書を手に取った。
かつて「独白するユニバーサル横メルカトル」を読んだ時に感じた強烈な新鮮さは本書にはない。
だが、本書は「独白するユニバーサル横メルカトル」よりも深い文学的な方向へ舵を切ったかに読める。

もっとも、私は「独白するユニバーサル横メルカトル」に描かれた人体を冒涜する描写の衝撃が強すぎて、そこに描かれていた文学的な深さを見逃していただけかもしれないが。
なお、ここで文学的というのは修辞の技法やテーマだけでなく、心理描写も含んでいる。

本書にももちろん、人体が破壊される描写は登場する。
だが、本書は描写の猟奇性よりもむしろ、人体の器官とは人にとって何なのか、という本質を問うことに注力しているように思えた。
身体の器官はなぜそこにあるのか。そこにあることで器官はなぜ器官として動くのか。
これらは、ニワトリが先か卵が先か、という例の問答にも通じる人を惑わせる問いだ。

本書に収められた七編は、どれもがそうした問いを追求した著者の闘いの後だと思えた。

「テロルの創世」は、SFテイストの一編だ。グロテスクな描写はない。
だが本編で描かれるのは、人の体が部品として扱われ、養殖され、培養される世界。部品を育てるために生かされる子供たちの話だ。設定そのものがグロテスクなのだ。
人体の器官は、それを統べる自我の所有物なのだろうか。という私たちが当たり前として持っていた概念に一石を投じる一編だ。

「Necksucker Blues」
ここからがグロテスクな世界の始まりだ。
まず崩れた顔面が登場する。美しく整った容貌は本編において価値を与えられない。なぜならそれは単なる見た目でしかないから。
それよりも本編では人体の純度が追求される。つまり血液のおいしさだ。タイトルから想像される通り、本編は吸血の物語だ。
血のうま味は、摂取する食物や液体によって大きく変わる。何を食えば血は至高の食材と化すのか。
その描写は狂っていて、しかも純粋。
血とは何で、容貌とは何か。そんな普段の社会生活を送る上での観念がひっくり返されること請け合いだ。

「けだもの」
本編は、ミステリの短編に似ている。
不死を与えられた吸血鬼。その呪われた血の物語を閉ざそうとする生き残りは、長寿に飽き、長寿を厭うて日々を送っている。
それにもかかわらず、その呪われた血が受け継がれてしまう悲劇。
私にとって長寿は憧れだが、その憧れも、一度叶ってしまうとどうなるのか。
誰もが一度は考える長寿について、深く掘り下げた一編だ。

「枷」
人体を破壊する営み。それを普通は殺人と呼ぶ。だが、そこに横たわっている倫理という概念をとっぱらった時、人体を破壊する営みとは何なのか。
本編は人体を破壊する営みから倫理的な概念を投げ捨て、殺人の意味を問い直す。そこでは殺人とは殺人者と殺害される側の共同作業として再構築される。
拷問して殺す。その営みは、人体の器官の意味をひっぺがし、解体することに本質を求める。その際、殺される側の意思など顧みないのは当然だ。
その時、殺される側の意思を慮った途端、その営みは殺人として顕現する。
殺人や解体を、器官の解体としてみるか、それとも相手の意思を慮るのか。
牛や豚や魚や鳥の屠殺の本質も問われる本編は、考えさせられる。

「それでもおまえは俺のハニー」
老人の性も、一般にはグロテスクな対象とされる。
本編の狂った二人の物語は、二人から聴覚が失われた時、さらに異常さを加えて暴走を始める。
ある一点を超える、つまり無音状態になった時、相手が老婆だろうがかかわりなく、一切が無意味になる。無音の世界に頼るべき対象は性愛しかない。そのように静寂を突き詰めた先の到達点が強烈な印象を与える一編だ。
老いという現象は生物である以上、避けられない。ならば、老いた後に意思を発揮することは価値がないのか。否、そんなことはないはず。
肉体に価値を認める既成の概念に大きく問いを投げつける一編だ。

「或る彼岸の接近」
本編は著者が得意とする怪談だ。墓の近くに越してきた一家が、狂わされてゆく様子が描かれる。
タクシー運転手をしている主人公が留守の間に、全ての怪異が妻子をめがけて殺到してゆく。
徐々に侵されてゆく妻が壊れてゆく様子を、徐々に怖さを高めながら描く力はさすがといえる。
本編は人体については触れてはいない。その代わり、人の精神がいかにもろく、外から影響を受けやすいかが描かれる。
本書の中では正統派の怪談ともいえる異色の一編だが、それだけに本編の怖さは出色の出来だ。

「ミサイルマン」
↑THE HIGH-LOWS↓の「ミサイルマン」を歌いながら、殺人と遺体遺棄に励む二人組。
狂った殺人者による身勝手な論理は、ミサイルのようにとどまるところを知らない。彼らが繰り返す殺人と遺体遺棄。その描写は目を覆うばかりだ。
彼らが誤って、以前に殺して埋めた死体を掘り返す羽目になる。
人体もまた有機物であり、腐って土に返る。その途中の経過はおぞましく凄惨だ。
まさにタイトルにふさわしく、人体とは結局はただの有機物の集まりに過ぎない、という達観した思想が本編には込められている。

本書に収められた七編を読んでみると、価値観の転換が呼び起こされる。
九相図という美女が骸に変わってゆく様子を描いた絵巻があるが、その悟りを表したかのような本書は、生きる営みそのものへの鋭い問いを読者に突き付ける。
人の心と体の関係は、こうした極端な描写を通さないと自覚すら難しい概念なのだと思わされる。あまりにも当たり前であるがために。

著者はそのテーマを突き詰め、執筆活動をしている。そして読者に強烈な問いを残していく。
これからも読み続けなければならない作家だと思う。

‘2019/9/11-2019/9/13


ドキュメント 滑落遭難


ここ数年、滝に関心を持ち、ひとりであちこちの滝を訪れている。ここ二年は山登りのパーティーに参加し、あちこちの山へ登るようになってきた。
そのパーティーのリーダーによる硬軟を取り混ぜた見事なリーダーシップに、私自身も経営者として学ぶところが多い。

私の場合、独りで移動するにあたってはかなりむちゃもしている。体力にはある程度の自信があり、パーティーでの移動とはちがって速度を緩める理由がないためだ。実際、一人の行動では標準タイムよりもペースが速い傾向にある。
それは過信だ。その過信が事故を招きかねないと肝に銘じている。そのため、山はあまり一人では登らず、なるべくパーティーで訪れるようにしている。

実際、本書を読む一年前には、独りで相模原の早戸大滝をアタックし、遭難しかけたことがある。
それがどれほどの危険な状況だったのかは、正直なところ、まだ甘く見ていた。本書を読むまでは。
本書を読むと、私のその時の経験は、実は相当に危険な状況だったのではないか、と思うようになった。

本書を読んだことで、そうした無謀な行動は控えなくては、と思うようになった。
また、遭難の事例を通じ、人々の山への熱意がより感じられた。それによって私に残された命がある限りは、できるだけ多くの山に訪れたいと意識するきっかけにもなった。

本書は、六例の遭難事例が載っている。また、それに加えて埼玉県警山岳救助隊の報告としてさまざまな遭難の事例がドキュメントとして収められている。

まず富士山。私自身は、まだ富士山に登ったことがない。しかも冬山に関してはスキーであちこちを訪れた程度であり、山登りを目的に置いたことはない。
スキーで訪れた際に、雪山の視野の悪さは充分すぎるほど知っているし、あえて雪山を目指そうとする意欲はない。

とはいえ、実際に雪山での滑落がどれほど想像を絶するものかは、本書の記述から感じ取れる。おそらく、スキー場の急斜面よりももっと強烈な斜面を転げ落ちていったのだろう。
夏山でもよく目にするのが、登山道の脇にありえない角度で斜面が口を開けている光景だ。あの斜面を転がり落ちたらどういうことになるか。想像するだけで恐ろしい。
本書で書かれている通り、そもそも止まることすら不可能になるのだろう。
ここで取り上げられた方は500メートルを滑落したと言う。そのスピードがどれほど強烈だったのか。

本編では教訓として富士山の冬山トレイルであれば、さほど難易度が高くないという錯覚と、下準備の不足を指摘している。また、登山届が未提出だったことや、救急療法に関する知識の不足というところも教訓として上がっている。
これらの教訓は、私にとって耳の痛い内容を含んでおり、私がもし無謀な思い付きを実行していたら間違いなく糾弾の対象となることだろう。ちょっとやばいと思った。

続いての事例は、北アルプスの北穂高岳だ。こちらは山のベテランがガレ場から滑落し、膝を強打したというものだ。
本書に載っている事例の中では最もケガとしては軽いが、膝の打撲がひどくて下山できず、ヘリコプターを呼ぶ羽目になったという。
ヘリコプターを呼んだことによる救出のための費用は相当かさみ、その額なんと440,000円だという。
山岳保険に加入していたため、実際の費用は抑えられたそうだが、山岳保険に入っていない私の身に置き換えてみると、これはまずいと痛感した。
また、ストックの重要性にも触れられているが、私はまだ持っていない。これもまずい。

続いては、大峰山脈・釈迦ケ岳の事例だ。
練馬区の登山グループ17名が、新宿から大峰山系の釈迦ケ岳に向かっていたところ、続けて2件の事故を起こしてしまう。そのうちの1人は、首の骨を折って即死するという痛ましい事故だ。

当日の天気は地元の人に言わせれば山に行くべきではない程度の雨脚だったという。一方でパーティーのリーダーであるベテランの引率者は小雨だったという。
出発時間も早いほうがよかったという批判があり、そのリーダーは時間には問題なかったと言い張っている。つまり平行線だ。
責任逃れと切って捨てることもできるが、実際の状況はその場にいた方しかわからない。ただ、それで人が死んでしまったとすれば大問題だ。

著者は大峰山の自然を守ろう会の方の意見を紹介している。事故が起きたあたりは、修験道の修行場であり仏の聖域でもある。そのような場所に人が入るべきではないと言う意見は、登山そのものへの問題提起だ。
決して登山自体が悪いわけではないと断った上で、いわゆる昨今流行している登山ツアーのあり方について一石を投じる。ここで事故が起こったコースは、二つの日本百名山に登れることから、登頂数が稼げるコースとしても人気があったという。こうした登頂数を稼ぐ考え方に問題の根がある、と。これは私自身も肝に銘じなければならない。

続いては赤城山・黒檜山だ。
数日前に訪れたばかりの冬山を急遽、一人で登ることになった遭難者の五十代女性。
数日前に訪れていたことによって冒険心を起こしてしまったのか、違う道を行ってしまった。登山届がでておらず、単独行だったので足取りも推測するしかない状態だが、迷った揚げ句に体力を消耗し、最後は滑落して動けなくなって凍死したということらしい。
自らの経験への過信と、何かあった時に備えた装備の不足とリスクマネジメントの欠如がもたらした事例だ。

ちょっと知っているから、と芽生えた冒険心に誘われるまま、違う道に分け入ってしまう。これは似たような行動をしがちな私にとって、厳に教訓としなければなるまい。

続いては、北アルプス・西穂高岳独標の事例だ。
登山には着実なステップアップの過程がある。まず近所の小さな山から始め、やがて千メートル級の山、二千メートル級の山、さらには冬山、そして単独行といったような。
その道のりは長くもどかしい。それが嫌だから着実なステップを踏まずに次々と難易度の高い山に挑戦し、そして大ケガを負う。
そんな人がいる中、本編で事故にあった方は着実で堅実なステップアップをこなしてきた方だ。準備も多すぎるほど詰め込むタイプで、事故には遭いにくいタイプ。

ところが、山荘からすぐ近くの独標へ向かう途中で滑落してしまう。そこから一気に400メートルを滑り落ちてしまう。
奇跡的に命は取り止めた後、ほんのわずかだが、つながった携帯電話を頼りに、切れ切れに遭難の一報も出すことができた。
重すぎるザックがバランスを崩した原因となったが、そのザックがクッションになり、さらにザックの中には連絡手段や遭難時の備えが入っていたことが功を奏した。

なによりも、この方が生きて社会復帰してやる、との強い意志を持っていたことが、生き延びた原因だという。これもいざとなった場合に覚えておかねばなるまい。

続いては、南アルプス・北岳の遭難事例がとり上げられる。
この編で語るのは滑落した当人ではなく、それを間近で目撃し、救助にも携わった方だ。
この時期の北岳にはキタダケソウという可憐な花が咲き乱れ、それを目当てに訪れる人も多いのだとか。だが、六月末とはいえまだ雪渓は残っている状態。そこをアイゼンやピッケルもなしで向かおうとする無謀な行為から、このような事故が起こる。夏山とはいえ、準備は万端にする。思い込みだけで気軽に訪れることの危険を本編はよく伝えている。

最後は、埼玉県警山岳救助隊があちこちの事例を挙げている。
ここであがっている山はそれ程の高峰ではない。
それでも、ちょっとした道迷いや油断によって転落は起こりうる。
高峰に登ろうとする際は心の準備に余念がないが、低山だとかえって気楽な気持ちで向かってしまうため、事前に山に行ったことを教えずに向かってしまうことはありそうだ。そうなると遭難の事実も分からず、救助隊も組織されない。
そうやって死んでいった人の多さを、本編は語っている。
多分、私がもっとも当事者になりそうなのが、ここで取り上げられた数々の事例だろう。

こうして本書を読み終えてみると山の怖さが迫ってくる。
本書を読む少し前、私は十数人のパーティーの一員として至仏山に登った。
そこから見下ろす尾瀬は格別だったが、雲の動きがみるみるうちに尾瀬の眺望を覆い隠してしまい、それとともに気温がぐっと下がったことも印象に残っている。これが山の怖さの一端なのだろう。

私はまだ自分が山の本当の怖さを知らないと思っている。また、私は自分の無鉄砲な欠点を自覚しているため、独りで無謀な登山はしないように心がけている。
だが、その一方で私は一人で滝を巡りに行くことが多い。多分、私にとって危険なのは滝をアタックしてアクシデントに遭遇した場合だろう。
滝に向かう時、おうおうにして私は身軽だ。遭難時のことなど何も考えていない。

冒頭に書いた早戸大滝の手前であわや遭難しかけた事など、まさに命を危険にさらした瞬間だったといえる。
早戸大滝は今までもなんどもチャレンジし、その度に引き返す勇気は発揮できている。
この引き返す勇気を今後も忘れないためにも、本書はためになった。

‘2019/9/9-2019/9/10


BRANDY:A GLOBAL HISTORY


妻の祖父の残したブランデーがまだ何本も残っている。10本近くはあるだろうか。
最近の私は、それらを空けるためもあって、ナイトキャップとしてブランデーを飲むことが多い。一本が空けば次の一本と。なるべく安い方から。

こうやってブランデーを集中して飲んでみると、そのおいしさにあらためて気づかされる。おいしいものはおいしい。
まさに蒸留酒の一角を占めるにふさわしいのがブランデーだ。
同じ蒸留酒の中で、今人気を呼んでいるのはウイスキーやジンだ。
だが、ブランデーも酒の完成度においては他の蒸留酒に引けを取らないと思っている。
それなのに、ブランデーはバーでも店頭でもあまり陽の当たらない存在に甘んじているように思う。
それは、ブランデーが高いというイメージによるものだろう。
そのイメージがブランデーの普及を妨げていることは間違いない。

そもそも、ブランデーはなぜ高いのか。
ブランデーのによるものか。それなら、他の蒸留酒と比べてどうなのだろうか。原料はワインだけなのだろうか。ワインの世界でよく言う土壌や風土などによって風味や香りを変えるテロワールは、ブランデーにも当てはまるのだろうか。また、ブランデーの元となるワインに使用する酵母や醸造方法に通常のワインとの違いはあるのだろうか。蒸留に複雑なヴァリエーションはあるのだろうか。貯蔵のやり方に特色はあるのだろうか。
疑問が次から次へと湧いてくる。

そこで、一度ブランデーをきちんと勉強してみようと思い、本書を手に取った。
そうした疑問も含め、私はブランデーの知識を持ち合わせていない。そんな私にとって、本書はとても勉強になった。

そもそも、ブランデーの語源とは、焼いたワインを意味する言葉から来ている。
ブランデーの語源は、ウイスキーの歴史を学ぶと登場する。つまり、あらゆる蒸留酒の歴史は、ブランデーから始まっている可能性が濃い。

ブランデーには大きくわけて3つあるという。ワインから造るブランデー。ブドウではない他の果実から作られるもの(カルヴァドス、スリヴォヴィッツ、キルシュ)。ワインを造った時のブドウの搾りかすから造られるもの(グラッパ、マール)。
本書ではワインから造るものに限定している。

ブランデーの銘柄を表す言葉として、コニャック、アルマニャックの言葉はよく聞く。
では、その違いは一体どこにあるのだろうか。

まず、本書はコニャックから解説する。
当時のワインには保存技術に制約があり、ワインを蒸留して保存していたこと。
また、ボルドーやブルゴーニュといった銘醸地として知られる地で生産されるワインは、品質が良いためワインのままで売られていた。それに比べて、コニャック地方のワインは品質の面で劣っていたため、蒸留用に回されていたこと。
1651年の戦いの結果、ルイ14世から戦いの褒美としてワインや蒸留酒にかかる関税を免除された事。また、コニャック周辺の森に育つリムーザンオークが樽の材質として優れていたこと。

一方のアルマニャックは、コニャックよりも前からブランデーを作っていて、早くも1310年の文献に残されているという。
ところが、アルマニャック地方には運搬に適した河川が近くになく、運搬技術の面でコニャック地方におくれをとったこと。蒸留方法の違いとして、コニャックは二回蒸留だが、アルマニャックはアルマニャック式蒸留機による一回蒸留であることも特筆すべきだろう。

ブランデーの歴史を語る上で、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフィロキセラによる害虫被害は外せない。フィロキセラによってフランス中のブドウがほぼ絶滅したという。
それによってブランデーの生産は止まり、他の蒸留酒にとっては飛躍のチャンスとなった。が、害虫はブランデーにとっては文字通り害でしかなかった。

だが、フランス以外のヨーロッパ諸国にはブランデー製造が根付いていた。
そのため、コニャックやアルマニャックの名は名乗れなくても、各地で品質の高いブランデーは作られ続けている。著者はその中でもスペインで作られているブランデー・デ・ヘレスに多くの紙数を費やしている。

また、ラテンアメリカのブランデーも見逃せない。本書を読んで一カ月後のある日、私は六本木の酒屋でペルーのピスコを購入した。ブランデーとは違う風味がとても美味しいかった。これもまた銘酒といえよう。
購入直後に五反田のフォルケさんの酒棚に寄付したけれど。

ブランデーはまた、オーストラリアや南アフリカでも生産されている。アメリカでも。
このように本書は世界のブランデー生産地を紹介してゆく。
ところが本書の記述にアジアは全くと言って良いほど登場しない。
そのかわり、本書では中国におけるアルマニャックの人気について紹介されている。日本ではスコッチ・ウイスキーがよく飲まれていることも。
本書は消費地としてのアジアについては触れているのだが、製造となるとさっぱりのようだ。
例えば山梨。ワインの国として有名である。だが、現地に訪れてもブランデーを見かけることはあまりない。酒瓶が並ぶ棚のわずかなスペースにブランデーやグラッパがおかれている程度だ。

日本で本格的なブランデーが作られないのは、ブランデーが飲まれていないだけのことだと思う。
私は本書を読み、日本でもブランデー製造や専門バーができることを願う。そのためにも私ができることは試してみたい。

本書はコニャックやアルマニャックが取り組む認証制度や、それを守り抜くためにどういう製造の品質の確保に努力するかについても触れている。
期待がもてるのは、ブランデーを使ったカクテルの流行や、最近のクラフトディスティラリーの隆盛だ。
周知の通り、アメリカではビールやバーボンなど、クラフトアルコールのブームが現在進行形で盛んな場所だ。

本書のそうした分析を読むにつけ、なぜ日本ではブランデー生産が盛んではないのだろう、という疑問はますます膨らむ。

今、日本のワインは世界でも評価を高めていると聞く。
であれば、ブランデーも今盛り上がりを見せている酒文化を盛り上げる一翼を担っても良いのではないだろうか。
大手酒メーカーも最近はジンやテキーラの販促を行っているようだ。なのにブランデーの販促はめったに見かけない。

私もブランデーのイベントがあれば顔を出すようにしたいと思う。そして勉強もしたいと思う。
まずはわが家で出番を待つブランデーたちに向き合いながら。

‘2019/9/7-2019/9/8


HIROSHIMA


著者の作品は読んだことがないが、第二次大戦の戦場で数々のノンフィクションをものにした方だそうだ。
また、イタリア戦線にも従軍し、その内容を『アダノの鐘』に著し、ピューリッツァー賞の小説部門を受賞したそうだ。それらはウィキペディアに載っている。

ウィキペディアには本書も載っている。その内容によれば、本書は学校の社会科の副読本になり、20世紀アメリカジャーナリズムのTOP 100の第1位に選出されたそうだ。
実際、本書の内容は、原爆を投下した側の国の人が書いたと考えるとかなり詳しい。しかも、まだ被爆の記憶が鮮やかな時期に書かれたことが、本書に資料としての価値を与えている。

本書についてはウィキペディアの英語版でかなり詳しく取り上げられている。ウィキペディアの記述も充実しているが、本書の末尾に付された二編の解説もまた素晴らしい。
一つは、本書を和訳した三人の一人でもあり、本書に取り上げられた六人の被爆者の一人でもある谷本清氏が1948年9月に著した長文の解説。もう一つは、訳者である明田川融氏が2003年6月に著した解説。この二つの解説が本書の内容と価値を十分に説明してくれている。

解説の中では、被爆地である広島で本書がどのように受け止められたかにも触れている。広島でも好意的に受け取れられたそうだが、それだけで本書の価値は明らかだ。
原爆がヒロシマに落とされてから75年の年月がたった。
その間にはいろいろな出来事が起こり、歴史が動いた。そして、記録文学や映画や絵画が数え切れないほど書かれてきたし描かれてきたし撮られてきた。
そうした数多くの作品の中でも、投下から一年以内にアメリカ人によって取材された本書は際立っている。
なにしろ、1946年の8月にニューヨーカー誌面で発表されたというのだから、本書の取材内容の新鮮さは、永久に色あせないだろう。

本書は、六人の被爆者の被爆から数日の日々を取材している。丹念に行動を聞き取り、そこで目撃した投下直後の悲惨な街の状況が克明に描写されている。私たちは、当時のアメリカ進駐軍が被爆地に対して報道管制を敷き、日本人の国民感情を刺激せぬように配慮した事実を知っている。
だから、本書を読み始めたとき、本書にはそこまで大したことが書かれていないのでは、と考えていた。
だが、本書には私が思っていた以上に、原爆の悲惨さと非人道的な側面が記されている。もちろん、本書が発表された当初はさまざまな配慮がなされたことだろう。たとえば、本書が日本ではなくアメリカでのみ発表されたことなど。
そうした配慮によって、日本人の国民感情を刺激せず、同時にアメリカ人に対して自国が行った行いを知らしめる意図を満たしたはずだ。

著者は告発というより、ジャーナリズムの観点から事実を報道することに徹したようだ。だが、恐るべき原爆の被害は、事実の報道だけでもその非日常的さと非道さが浮き彫りになる。
著者は、被爆者が語った内容をそのままに、添削も斟酌もなしに書いているが、それがかえって本書に不朽の価値を与えているのだろう。

当然のことながら、本書に取り上げられた六名の方の体験だけが原爆の被害の全てではない。二十万人以上の人々が被爆したわけだから、悲惨さは二十万通りあって当然だ。
本書に登場する方々は、いずれも爆心地から1キロメートル以上離れた場所で投下の瞬間を迎えた。しかもたまたま建物の影にいたため、熱線の被害にあわなかった方々だ。
言うまでもなく、本書に取り上げられている六名の方の悲劇を他の被爆者の悲劇と比べるのはナンセンスだ。むしろ失礼に当たる。
この六名の方も、無慈悲で無残な広島の光景を十分すぎるほど目に焼き付けたはず。それがどれほど心に深い傷を残したかは、想像するしかない。
本書に描かれた六通りの非道な運命だけで、ほかの数十万の悲劇について、どこまで当時のアメリカの人々に届いたのか。それはわからない。

とはいえ、本書はアメリカ人にとっては報道の役割を十分に果たしたと思われる。自国で生み出された原爆がヒロシマとナガサキの人々の上に筆舌に尽くし難い惨禍をもたらしたこと。多くの人々の人生を永久に変えてしまったこと。この二つを知らしめただけでも。原爆の悲劇が早い時期に報道されたことに本書の意義はある。
本書に登場した六名の被爆者の方々が、西洋文化に理解を持っており、被爆を通してアメリカを恨み続けていないことも、アメリカの方々の心には届いたと思いたい。

夫を南方の戦場で失い、一人で三人の子供を助け、その後の惨状を生き延びた中村初代さん。日赤病院の医師として不眠不休の治療にあたった佐々木輝文博士。同盟国ドイツの人物として、西洋人の目で原爆の惨禍を見たウィルヘルム・クラインゾルゲ神父。事務員で崩れた建物に足を粉砕された佐々木とし子さん、病院の院長であり、崩壊した病院の再建とともに一生を生き抜いた藤井正和博士。かつてアメリカで神学を学んだ牧師として、原爆の被害をアメリカに訴え続けてきた谷本清氏。

六名の方が語る体験が描かれた本書は、後日談も描かれている。
39年後、再び広島を訪れた著者がみた、平和都市として生まれ変わったヒロシマ。その移り変わった世の中を被爆者として懸命に生きた六名の人生。

被爆者としての運命を背負いながら、長い年月を生きた六名の被爆者。ある人は原爆とは直接関係のない理由で亡くなり、ある人はいまだに反核運動に生涯をささげ、ある人は神の僕としてそれなりの地位についている。

上にも書いた通り、もともと六名の方が西洋文化に素養があったからこそ、著者のインタビューを受ける気になったのかもしれない。そうした六人だったからこそ、その後の人生も懸命に生きたことだろう。

六名の方が、被爆直後の恨みを傍にいったんおき、苦しい体験をあの時期に、それも原爆を落とした相手の国のジャーナリストに語る。
その決断が、民間レベルでの日米間の交流にどれほど貢献したかははかりしれない。
そして、その決断にどれほどの葛藤があったことだろう。敬意を表したい。

‘2019/9/6-2019/9/7


背番号なし戦闘帽の野球 戦時下の日本野球史 1936-1946


当ブログでは、幾度か野球史についての本を取り上げてきた。
その中では、私が小学生の頃から大人向けの野球史の本を読んできたことにも触れた。

私の記憶が確かなら、それらの本の中には大和球士さんの著作も含まれていたように思う。
残念なことに、当時の私は今のように読書の履歴をつけておらず、その時に読んだ著者の名前を意識していなかったため、その時に読んだのが大和球士氏の著作だったかどうかについては自信が持てない。
だが、40年近く前、球史を網羅的に取り扱った本といえば、大和氏の著作ぐらいしかなかったのではないだろうか。明治から大正、昭和にかけてのわが国の野球史を網羅した大和球士氏の著作の数々を今、図書館や本屋で見かける事はない。おそらく廃版となったのだろう。

それは、大和氏のように戦前の野球史を顧みる識者が世を去ったからだけではなく、戦前の野球そのものへの関心が薄れたことも関係していると思われる。
毎年のペナントレースや甲子園の熱闘の記録が積み重なるにつれ、戦前から戦中にかけての野球史はますます片隅に追いやられている。

ところが、この時期の野球史には草創期ならではのロマンが詰まっている。
だからこそ最近になって、早坂隆氏による『昭和十七年の夏 幻の甲子園』や本書のような戦前から戦中の野球史を語る本が発刊されているのだろう。

なぜ、その頃の野球にはロマンが感じられるのだろうか。
理由の一つには、当時の職業野球がおかれた状況があると考える。
職業野球など、まともな大人の就く職業ではないと見なされていた当時の風潮。新聞上で野球害毒論が堂々と論じられていた時期。
だからこそ、この時期にあえて職業野球に身を投じた選手たちのエピソードには、豪快さの残滓が感じられるのかもしれない。

もう一つの理由として、野球とは見て楽しむスポーツだからだというのがある。
もちろん、野球は読んでも面白い。そのことはSports Graphic Numberのようなスポーツジャーナリズムが証明している。例えば「江夏の21球」のような。
そうしたスポーツノンフィクションは、実際の映像と重ね合わせることによってさらに面白さが増す。実際の映像を見ながら、戦う選手たちの内面に思いを馳せ、そこに凝縮された瞬間の熱量に魅せられる。私たちは、文章にあぶりだされた戦いの葛藤に極上の心理ドラマを見る。

野球の歴史を振り返ってみると映像がついて回る。古来から昭和31年から33年にかけて西鉄ライオンズが成し遂げた三連覇や、阪神と巨人による天覧試合。そして巨人によるV9とその中心であるONの活躍。阪神が優勝した時のバックスクリーン3連発も鮮やかだったし、イチロー選手の活躍や、マー君とハンカチ王子の対決など、それこそ枚挙に暇がない。

ところが、野球史の中で映像が残ってない時期がある。それこそが戦前の野球だ。
例えば沢村栄治という投手がいた。今もそのシーズンで最高の活躍を残した投手に与えられる沢村賞として残っている名投手だ。
沢村栄治の速球の伸びは、当時の投手の中でも群を抜いていたと言う。草薙球場でベーブ・ルースやルー・ゲーリックを撫で切りにした伝説の試合は今も語り草になっているほどだ。ところが、沢村投手の投げる姿の映像はほとんど残っていない。その剛速球の凄まじさはどれほどだったことだろう。
数年前、一球だけ沢村栄治が投げる当時のプロ野球の試合の映像が発掘され、それが話題になった。そうした映像の発掘がニュースになるほど、当時の映像はほとんど残されていないのが現状だ。

景浦將という阪神の選手がいた。沢村栄治のライバルとして知られている。景浦選手の自らの体をねじ切るような豪快なスイングの写真が残されているが、景浦選手の姿も動画では全く残っていない。
他にも、この時期のプロ野球を語る上で伝説となった選手は何人もいる。
ヘソ伝と呼ばれた阪急の山田伝選手の仕草や、タコ足と言われた一塁手の中河選手の捕球する姿。荒れ球で名を遺す亀田投手や、名人と称された苅田選手の守備。
そうした戦前に活躍した選手たちの伝説のすべては、文章や写真でしか知るすべがない。延長28回の試合なども有名だが、それも今や、字面から想像するしかない。
だからこそ、この時期のプロ野球には憧れやロマンが残されている。そしてそれがノンフィクションの対象として成り立つのだと私は思っている。

私も戦前のプロ野球については上述の大和氏の著作をはじめ、さまざまな書物やWikipediaで目を通してきた。だが、本書はそうした私の生半可な知識を上回る内容が載っている。

たとえば戦時中に野球用語が敵性語とされ、日本語に強制的に直されたことはよく知られている。だが、それらの風潮において文部省や軍部がどこまで具体的な干渉を野球界に対して突き付けていたかについて、私はよく知らなかった。
文部省からどういう案が提示され、それを職業野球に関わる人々はどのように受け入れたのか。
もう一つ、先にも書いた延長28回といった、今では考えられないような試合がなぜ行われたのか。そこにはどういう背景があったのか。
実はその前年、とある試合で引き分けとなった試合があった。その試合が引き分けとなった理由は、苅田選手の意見が大きく影響したという。ところが、その試合が戦いに引き分けなどありえないという軍部の心を逆なでしたらしい。その結果、勝負をつけるまでは試合を続ける延長28回の長丁場が実現したという。
そうした些細なエピソードにも、軍国主義の影が色濃くなっていた当時の世相がうかがえる。

本書はプロ野球だけではなく、戦時中の大学野球や中等野球についてもさまざまな出来事を紹介している。
大学野球が文部省や軍部の横やりに抵抗し、それにも関わらず徐々に開催を取りやめていかざるを得なかったいきさつ。
私は、当時の大学が文部省や軍部の野球排斥の動きに鈍感だった事を、本書を読むまで知らなかった。
中等野球についても、戦時色が徐々に大会を汚してゆく様子や、各大会の開催方式が少しずつ変質させられていった様子が描かれる。そうした圧力は、ついには朝日新聞から夏の甲子園の開催権を文部省が取り上げてしまう。

厳しい時代の風潮に抗いながら、野球を続けた選手たちの悲劇性は、彼らの多くが徴兵され、戦地に散っていったことでさらに色合いを増す。
本書は、戦没選手たちの活躍や消息などにもきちんと触れている。
少しずつ赤紙に呼ばれた選手が球場から姿を消していく中、野球の試合をしようにも、そもそも選手の数が足りなくなってゆく苦しさ。選手だけでなく、試合球すらなかなか手に入らなくなり、ボールの使用数をきちんとカウントしては、各球場でボールを融通し合う苦労。著者が拾い上げるエピソードの一つ一つがとてもリアルだ。

選手の数が減ってくると、専門ではないポジションなど関係なしに持ち回ってやりくりするしかない。それは投手も同じ。少ない投手数で一シーズンを戦うのだから、今のように中四日や中五日などと悠長なことは言っていられない。南海の神田投手や朝日の林投手のシーズン投球回数など、現代のプロ野球では考えられないぐらいだ。高校野球で最近議論された投手の投球数制限など、当時の時代の論調からいえばとんでもない。そう思えるほどの酷使だ。
そうした選手や関係者による必死の努力にも関わらず、昭和19年になるともはや試合の体をなさなくなるほど、試合の質も落ちてきた。
そんな中、昭和20年に入っても、有志はなんとかプロ野球の灯を消さないように活動し続ける。
そうした戦前と戦中の悲壮な野球環境が本書の至るところから伝わってくる。

本書の前半は少々無骨な文体であるため、ただ事実の羅列が並べられているような印象を受ける。
だが、詳細なエピソードの数々は、本書を単なる事実の羅列ではなく、血の通った人々の息吹として感じさせる。

ここまでして野球を続けようとした当時の人々の執念はどこから来たのか。野球の熱を戦時中にあっても保ち続けようとした選手たちの必死さは何なのか。
野球への情熱にも関わらず、応召のコールは選手たちを過酷な戦場へと追いやってゆく。
才能があり、戦後も活躍が予想できたのに戦火に散ってゆく名選手たちの姿。ただただ涙が出てくる。

本書は昭和20年から21年にかけて、プロ野球が復活する様子を描いて幕を閉じる。
そうした復活の様子は本書のタイトルとは直接は関係ない。
だが、野球をする場が徐々に奪われていく不条理な戦前と戦中があったからこそ、復活したプロ野球にどれだけ人々や選手たちが熱狂したのかが理解できると思う。
大下選手が空に打ち上げたホームランが、なぜ人々を熱狂の渦に巻き込んだのかについても、戦中は粗悪なボールの中、極端な投高打低の野球が続いていたからこそ、と理解できる。

本書を読むと、東京ドームの脇にある戦没野球人を鎮める「鎮魂の碑」を訪れたくなる。もちろん、野球体育博物館にも。

本書は、大和球士氏の残した野球史の衣鉢を継ぐ名著といえる。

‘2019/9/5-2019/9/6


原爆 広島を復興させた人びと


広島平和記念資料館を私は今までに三度訪れたことがある。1995年、1997年、2013年。
それぞれの訪問のこともよく覚えている。中でも初めて訪れた時の印象は強烈に刻まれている。
投下から五十年目の前日、8/5の朝を原爆ドームの前にテントを立てて野宿で迎えた私。その後に訪れたのが初訪問だ。
翌朝、8/6の投下時刻には、他の大勢の方々とともに原爆ドームの前でダイ・インに参加したことも懐かしい。

平和記念資料館を訪れると、東西に分かれたそれぞれの棟をつなぐ渡り廊下のガラス窓を通して平和記念公園が一望できる。完全に計算された配置は機能的で洗練されている。
洗練された公園の整備は、このあたりが原爆によって更地にされたからこそ実現した。資料館の中を訪れると、無残で悲惨という言葉しか絞り出せない被曝の資料の数々が私たちの胸を打つ。それらは、一瞬でなぎはらわれた荒野に残された痛ましいモノたちだ。

資料館、広島平和記念公園、平和大通り。この三つを含む地域は、川の対岸の原爆ドームや相生橋、元安橋と合わせて、平和都市広島を象徴している。

被曝で75年は草木も生えぬ、と言われた焼け野原の広島。その都市を復興させ、平和の尊さを世界と未来に伝え続けるシンボルとして整備を行ったのは誰か。膨大な資料館の展示品は、そもそも誰が最初に集めたのか。
本書はそうした巨大な事業に関わった四人の物語だ。

資料館に展示された膨大な展示物の中から、最も印象に残る物は、人によっていろいろだろう。
その中でも、実際に被爆し、亡くなった方が被爆当時に身に付けていた服は、実物そのものであるだけに、来館者の心に強く刻まれるに違いない。
でも考えてみてほしい。その展示物とは、着ていた方の肉親にとっては、亡くなった方の唯一の形見である場合も多いのだ。
遺族にとっては、亡くなった息子や娘を思い出すよすがとなる遺品。そうしたかけがえのない遺品が資料館には陳列されている。この事実に今の私たちはもっと意識を向けるべきだろう。
ただ単に歴史の証として展示されているのではない、ということに。

本書の主役は、膨大な被曝の収集物を集め、初代の平和資料館館長に就任した長岡省吾さん、原爆市長と称された浜井信三市長、広島の平和都市として都市計画を設計し、出身である広島に報いた丹下健三さん、そして自らが被爆者でありながらその被曝の思いを世界に発信し続けた高橋昭博さんの、四人だ。

被爆後のあたり一面の焼け野原に公園を設計し、整備し、シンボルを創り出す。
私のように都市計画を知らない素人には、人も家もないため、かえって楽じゃないかなどと考える。
だが、そうではない。
原爆の惨禍からかろうじて生き延びた人々は家を失っている。生き延びた彼らは、これからも生きるために家を確保しなければならない。ありあわせの材料をかき集め、バラックの家を建てる。
誰もいない荒れ地には、都市計画も道路計画も無意味だ。所有権も借地権も証明する書類は全て灰になり、証明する人もいない。あり合わせの材料で建てられたバラックも、被曝した人々が長らく住み続ける間に居住権が発生し、市当局はますます都市整備がやりにくくなる。

浜井市長が当選し、広島市の復興に向けて立ち上がった当時の昭和22年の広島は、そんな混乱の時期だった。
平和公園などを立案する以前に、現実に市民の最低限の生活をどうするか、という目先の仕事で精いっぱいの時期。
復員などで人が増えるにつれ、無秩序が市を覆い始めていた。そのような都市をどうやって平和都市として蘇らせるのか。それは、市政の先頭に立つ浜井市長の手腕にかかってくる。
浜井市長はもともと東大を出ながら結核で広島に帰郷し、広島市役所に奉職せざるをえなかったという。いわば挫折の経歴を持った方だ。
原爆の投下当時は配給課長として、被爆市民にいかに食料や衣料を提供するかの困難な課題に立ち向かった人物だ。戦後、その功績が認められ助役に、そして市長に推される。
原爆市長として十六年の間、市長を務める中で、粘り強く都市計画をやり遂げた功績は不朽だ。その困難な市政を遂行するにあたり、浜井市長が育んできた経験や人生観が大きく影響したことは間違いないだろう。

そして、丹下健三さん。
世界的な建築家として著名な方である。
広島平和記念資料館が実質的な建築家としてのデビュー作だそうだ。
デビューまでにも、丹下氏は幾度も挫折に遭遇し、それを乗り越えてきた。特に、死を前にした父を見舞おうと広島に向かう途中、尾道まで来たところで原爆が投下されたこと。父はすでに八月二日に亡くなっていたこと。五日から六日にかけての今治空襲で母を亡くしたこと。
原爆投下の前後に起こったこれらの出来事は、丹下さんの一生を通して、原点となり続けたに違いない。
高校時代を過ごした丹下さんの広島への想いが、平和大通りの横軸と、平和祈念資料館、慰霊碑、原爆ドームを通す縦軸への構想を生み出す原動力になったと思うと、平和記念公園を見る目も変わる。

丹下さんは、平和祈念公園を手がける前にも復興計画についてのコンペ募集があり、その時に挫折を経験していた。
さらに平和祈念公園ができた後も、平和のシンボルとなった公園を巡ってはさまざまな人々の思惑や暗躍が入り混じる。

本書を読んだきっかけに丹下さんのことをウィキペディアで調べると、手掛けた代表作のリストに私ですら知っている建物の実に多いことか。入ったことがある施設だけでも二十カ所近い。あらためて丹下氏に興味を持った。

長岡省吾さんの人生も実に陰影が深い。
若い頃に満州で過ごし、そこで現地の陸軍特務機関に入ったことで、一生をその経歴につきまとわれることになる。
鉱物に興味をもち、在野の研究者として活動した後、内地に戻る。在野の研究者として名が通っていたため、広島文理大学の地質学講師に職を得るが、研究者としては経歴が弱かったことが災いして不遇の日々を送る。

被爆後、経歴と興味から被爆遺物の収集を開始した長岡さんは、原爆の研究も開始する。
その努力は、後に初代の資料館館長に推されることで報われる。ところが経歴の不足が足を引っ張り、それ以上の待遇が長岡さんに与えられることはなかった。冷遇され続けた長岡さんは、個人で原爆研究を続けるためにUCAAにも籍を置く。だか、そこでも論文の署名が末尾に置かれるなど、長岡さんの不遇には同情するほかはない。

平和資料館の展示内容が、国や政府の思惑によってで原子力の平和利用の展示が追加されるなど、長岡さんの思いは裏切られ続ける。
長岡さん自身がUCAA活動によって市や資料館との関係が疎遠になったり、出征していた長岡さんの子息が戻ってきて対立したり、と長岡さんと資料館の関係は長年、良好とは言い難かった。
長岡さんの経歴には不明な点が多く、ウィキペディアにも独立の項目はない。
本書で著者が一番苦労した点は、長岡さんの経歴を調べることにあったようだ。長岡さんもまた、戦争に人生を狂わされた一人であることがわかる。

高橋さんは、資料館の展示でも著名な「異形のツメ」の持ち主だ。
投下の瞬間、屋外の作業に従事させられていた大勢の中学生が熱線をモロに浴びた。高橋さんもその一人。
死ぬまでの何十年の間、異形のツメは生え続けた。反核の活動者として、広島市の職員として、後には資料館の館長にもなった高橋さんの記憶に被曝の体験が残っている間。

被爆のケロイドとどのように向かい合い、葛藤をどのように乗り越えたのか。
長岡さんの後継者として目をかけられたが、長岡さんのように被爆資料と向き合うことができず、苦痛のあまり、一度は後継者にと目をかけながらも袂を分かった高橋さん。
被爆の瞬間を70キロ離れた場所で迎えた長岡さんと、1.5キロの至近で浴びた高橋さんには被爆物への思いの桁が違うのだろう。

高橋さんは、原爆ドームの保存を決断した浜井市長やそれに賛同した丹下さんの力も得て、原爆ドームの保存運動に市の担当者として貢献する。
なお、高橋さんは結婚したが子孫を残せなかったという。それは被爆の影響が大きいのだろうが、かわりに原爆ドームという平和のシンボルを残せたことで、わずかにでも心が安らいだのなら良いのだが。
著者は高橋さんの奥様にもインタビューを行っている。まさに奥さまが語った言葉が高橋さんの思いを代弁していることだろう。

本書は、かたちあるものを残すことの困難と、残すことができた建造物がいかに人類に永く影響を与えられるか、を示している。
私は今まで、人工の建造物に対しては山や滝を見るよりも思い入れが少なかったが、本書を読んで思いが変わったように思う。

本書には、高橋さんの体験だけでなく、資料館に陳列された遺品の持ち主の遺族のインタビューもかなりの数が挿入されている。読んでいて涙が出そうになる。
資料館では説明パネルの枠の幅から、遺品の背後にある被爆者の思いの全てが汲み取りにくい。
だが、著者はきちんと遺族を訪ね、インタビューを行ったのだろう。言葉の1つ1つにあの日の血と肉が流れているようで痛ましい。肉親をなくした悲しみが文章から吹きこぼれ、私に迫ってくる。

著者の取材は丁寧で、文体も端正。
私が知らなかった資料館の展示に一時、原子力の平和利用があったことや、浜井市長が一度落選した経緯、反核・非核の運動の紆余曲折など、押さえるべきところを押さえた内容はお見事だ。
そして、20代の初めにヒロシマを訪れ、ヒロシマから影響を受けながら、とうとう本書のような作品を書こうともしなかった私自身が本書から受けた感銘は深い。

著者の作品を読むのは本書が初めてだが、他の作品も読んでみたいと思った。
本書は広島を描いたノンフィクションとして、私の中では最高峰に位置する。

‘2019/9/4-2019/9/4


昭和史のかたち


毎年この時期になると、昭和史に関する本を読むようにしている。
その中でも著者については、そのバランスのとれた史観を信頼している。
当ブログでも著者の作品は何回もとり上げてきた。

ただ、著者は昭和史を概観するテーマでいくつも本を出している。私もそのいくつ下には目を通している。概要を論じる本からは、さすがにこれ以上斬新な知見には出会えないように思う。私はそう思い、本書の新鮮さについてはあまり期待せずに読み始めた。

本書は、昭和史を概観しながら、時代の仕組みや流れを数学の図形になぞらえ、その構造がなぜ生まれたのか、その構造のどこがいびつだったのかを解き明かす試みだ。
つまり、文章だけだと理解しにくい日本の近代史と社会の構造を、数学の図形という媒体を使って、読者にわかりやすく示そうとする狙いがある。
図形を媒体として取り扱うことによって、読者は脳内に論旨をイメージしやすくなる。そして、著者を含めた数多くの識者が今まで語ってきた昭和の歪みがなぜ生じたのかの理解が促される。

図形に変換する試みは、私たちが事象を理解するためには有用だと思う。
そもそも、私たちは文章を読むと同時に頭の中でいろんな手段を用いて理解する。人によっては無意識に図形を思い浮かべ、それに文章から得たイメージを投影したほうが理解しやすいこともあるだろう。本書はそのイメージを最初から文章内に記すことによって、読者の理解を促そうという狙いがある。

私たちは昭和の教訓から、何を読み取ればいいのか。それを図形を通して頭に刻み込むことで、現代にも活かすことができるはずだ。

例えば第一章は、三角錐を使っている。
著者は昭和史を三期に分け、それぞれの時期の特色を三角錐の側面の三辺に当てはめる。
その三角錐の一面には戦前が、もう一面は占領期、残りの一面は高度経済成長の日本が当てはめられる。そして、それぞれの面を代表する政治家として、戦前は東條英機、占領期は吉田茂、高度経済成長期に田中角栄を置く。

ここに挙げられた三人に共通する要素は何か。
それは、アメリカとの関係が経歴の多くを占めていることだ。東條英機はアメリカと戦い、吉田茂は占領国であるアメリカとの折衝に奔走し、田中角栄はアメリカが絡んだロッキード事件の当事者。

三角錐である以上、底面を形作る三角形も忘れてはならない。ここにアメリカもしくは天皇を置くことで、昭和と言う激動の時代の共通項として浮かび上がってくる。
図形で考えてみると確かに面白い。
三角錐の底辺に共通項を置くことで、読者は昭和史の特徴がより具体的に理解できるのだ。
本書の狙いが見えてきた。

続いて著者は正方形を取り上げる。
具体的には、ファシズムが国民への圧迫を行う手法を、四つの柱に置き換える。
四つの柱がそれぞれ情報の一元化(大本営発表)、教育の国家主義化(軍人勅諭・戦陣訓)、弾圧立法の制定と拡大解釈(戦時下の時限立法)、官民あげての暴力(懲罰招集)に擬せられ、正方形をなすと仮定する。
その四つの辺によって国民を囲い、ファシズムに都合の良い統治を行う。
反ファシズムとは正方形の一辺を破る行為であり、それに対するファシズムを行う側は、正方形を小さく縮めて国民を圧してゆく。
当然のことながら、檻の中に飼われたい国民などいるはずもない。正方形の怖さを著者は訴える。今の右傾化する世相を憂いつつ。

続いては直線だ。
著者はイギリスの歴史家・評論家のポール・ジョンソンの評を引用する。著者が引用したそのさらに一部を引用する。
「発展を線的にとらえる意識はほとんど西洋的といってよく、点から点へ全速力で移動する。日本人は時間とその切迫性を意識しているが、これは西洋以外の文化ではほとんど例を見ないもので、このため日本の社会では活力が重視される」
著者は戦前の軍国化の流れと、池田勇人内閣による所得倍増政策と、戦後初のマイナス成長までの間を、一直線に邁進した日本として例える。まさに的を射た比喩だと思う。

続いては三角形の重心だ。
三角形を構成する三点は、天皇、統帥権、統治権になぞらえられている。
このバランスが軍の暴走によって大きく崩れたのが戦前の日本とすれば、三角形を持ち出した著者の意図は明確だ。三点の動きによっていびつになる様子が理解できるからだ。
統帥権の名のもとに天皇を利用し、なおかつ統治権を無視して暴走したのが戦前の軍部であり、軍部の動きが著者の描く三角形の形を大きく崩してゆく。
天皇を三角形の頂点にし、左下の一点だったはずの頂点が上に移動し、天皇をも差し置いて高みに登ろうとしたのが戦前のわが国。著者はそもそも三角形の上の頂点が天皇ではなく統帥権にすり替わっていたのではないか、とすらいう。不敬罪が適用されるべき対象とは、あるいは戦前の軍部なのかもしれない。

続いて著者が取り上げるのは、三段跳びだ。ここにきて数学とは離れ、スポーツの概念が登場する。
ところが、著者は戦前の若手将校の超量が飛躍していく様を三段跳びと称し、増長に増長を重ねる動きを当てはめる。
そろそろ図形のネタが尽きてきたようにも思えるが、著者はさらに虚数の概念まで持ち出す。
そもそもの思想の根幹が虚があり、それゆえに数字を乗じようと掛けようと足そうと、何物も生まれない軍部の若手将校に痛烈な皮肉を浴びせている。三段跳びも踏み板が虚無であれば飛べないのだ。

続いては球。
完全無欠の球は、坂道を転がり始めると加速度がつく。これは物理学の初歩の初歩だ。
ここで言う加速度とは、魂の速度が無限に増える事象を示す。ちょうど戦争へ向けたわが国のように。著者のいう球は日本が突入していく戦争と破滅の道の上を走る。
著者は、「昭和という時代を詳細に見ていると、意外なほどに社会に波乱が少ない。」(85p)と言う。つまり、著者に言わせれば昭和とは、完全な球のような状態だったという。だからこそいちど弾みがついた球は誰にも止めようがなく、ひたすら破滅の淵に向かって突き進んでいったのだろう。

では、球に勢いをつけるためには、どういう成果があれば良いだろうか。それは派手な緒戦の大戦果だ。真珠湾攻撃はまさにそうして望まれた。
その決断は、わずか重職にある数人が知っていたにすぎない。この大戦果によって、国のムードは一気に最高潮になり普段は理性的なはずの文士ですら、われを忘れて喜びを連呼する。
その球の内部には、何があったのか。実は何もなかった。ただ目的もなく戦争を終わらせる見通しすらないまま、何かに向かって行動しようとしていた見栄だけがあった。

転げ落ちた球はどこかでぶつかり、大きく破壊される。まさにかつての日本がそうだったように。

S字曲線。
著者が次に持ち出すS字曲線は、言論を対象とする。
S字曲線と言えば、関数のややこしい式でおなじみだ。
縦横の座標軸で区切られた四つの領域を曲がりくねったS字曲線はうねる。そして時代の表と裏を進む。戦前のオモテから戦後のウラへと。戦前のウラから戦後のオモテへと。
敗戦をきっかけにがらりと変わったわが国の思想界。著者はそれを、オモテの言論とウラの言論と言い表す。
戦後になって太平洋戦争と呼ばれるようになったが、敗戦までは大東亜戦争と称していた。その言い方の違いは、国が、戦争の大義と言い方のレトリックに過ぎない。

著者は最近、右傾化が進むわが国を歴史修正主義という言葉を使って批判する。そうした思想の論じられ方一つで、歴史の表と裏が繰り返されると言いたいかのようだ。S字曲線のように。

著者が続いて取り上げるのは座標軸だ。
座標軸とは、戦争に参加した人々が自らの戦争体験を表す場合、どのような階級、どこの組織に所属していたかによって分布を見る際の基準となる。多くの人々によって多様な戦争の体験が語られているか。それを著者は分布図を使って分析する。
例えば、後方から戦術を立案する高級将校による体験記の記述の場合、そうした現場を知らない人々が語る言葉には、実際の戦争の姿が描かれていないと批判する。
それに比べ、最前線で戦った戦士の手記が世に出ることは驚くほど少ないと著者は指摘する。
そうした不公平さも、分布図に表すと一目瞭然だ。

続いて自然数。
ここでいう自然数とは正の整数の中で、1と素数と合成数からなる数だ。
1は自分自身しか約数がない。素数は自分と1以外に約数のない数だ。合成数は約数が3つ以上からなる数だ。
つまり数を構成する要素がどれだけあるかによって、その対象を分析しようという試みだ。
多彩な要素が組み合わさった複雑な要素、つまり約数が多くあればあるほど、その要素となった数の要素は色濃く現れる。例えば、素数のように約数が少ない関係は、二国間の国民間の友好的交流がない状態と例える。逆に合成数が多い場合、二国間の国民間には、さまざまな場面での交流がある状態と例える。

多彩な交流があればあるほど、二国間の友好度は盤石なものとみなせる。
だが、素数のように要素となる数が少なければ少ないほど、政府間の交渉が決裂した途端、他に交流をつなぎ留めるものもなくなる。つまり、国交断絶状態だ。
かつての日本とアメリカの関係は、戦争の直前には素数に近い状態になっていた。今の日本と中国、日本と韓国、日本と北朝鮮の関係もそう。
この分析は、なかなか面白いと思った。
本書のほかでは見かけたことのない考えだ。ここに至って、著者の試みる国際関係や歴史を数学の概念で表す試みは、成功したと言える。

最終章は、平面座標。
ここで著者は、昭和天皇の戦争責任を題材に取り、天皇が法律的・政治的・歴史的・道義的・社会的に、どのフェーズにおいて責任があるかをマトリックスにして分析する。
責任のフェーズとは、臣民の生命を危機に陥れた、臣民に犠牲を強いた、終戦、敗戦、継戦、開戦のそれぞれを指す。
著者のこの分析は、著者の他の本でも見かけたことがある。

昭和天皇が考えていたと思われる戦争責任
法律的 政治的 歴史的 道義的 社会的
臣民の生命を危機に陥れた
臣民に犠牲を強いた
終戦
敗戦
継戦
開戦

昭和天皇が考えていたと思われる戦争責任(保阪案)
法律的 政治的 歴史的 道義的 社会的
臣民の生命を危機に陥れた
臣民に犠牲を強いた
終戦
敗戦
継戦
開戦

上記の表の通り、著者は昭和天皇に相当多くの戦争の責任があった、と考えている。
ただし、この図を見る限りでは厳しく思えるが、当初は戦争に反対していた天皇の心情はこの章の中で、著者は十分に汲み取っているのではないか。

私は個人的には昭和天皇には戦争責任はあると思う立場だ。それはもちろん直接的にではなく、道義的にだ。
もちろん、昭和天皇自身が戦争を回避したがっていた事や、消極的な立場だったことは、あまたの資料からも明らかだろう。
そこから考えると、私が思う天皇の政治責任は天皇自身が考えていたようなマトリックス、つまり上の図に近い。

読者一人一人が自らの考えを分析し、整理できるのも、本書の良さだと言える。

‘2019/9/1-2019/9/4


<インターネット>の次に来るもの


本書は、これからのビジネスを考える上で、豊富な示唆を与えてくれる一冊だ。

カバーの折り返しにはこのように書かれている

「人間の歴史の中で、何かを始めるのに今ほど最高の時はない。
今こそが、未来の人々が振り返って、
「あの頃に生きて戻れれば!」と言う時なのだ。

まだ遅くはない。」

なんとも頼もしい言葉ではないか。

タイトルにもあるように、本書は技術が人類を進歩させるとの考えに基づいている。
インターネットが今まさに、世界にもたらしつつある変化。その変化は今後の私たちにどのように影響し、その変化の先にはどのようなビジネスの可能性は眠っているのか。
私たちは未知数のビジネスチャンスに向けてどのようなアプローチをとればよいのか。それを探り、読者に有益なヒントを与えようとするのが本書の主旨だ。

そう、今こそがビジネスを始めるチャンスなのだ。

言うまでもなく、ここ20年の間にインタ-ネットがもたらした変化は誰もが知っている。
だが、後からそれを批評するだけでなく、その渦中にあってそのチャンスをチャンスととらえ、ビジネスの立ち上げまで進められた人はそう多くはない。私のみすみすチャンスを逃したうちの一人だ。

だが、まだ間に合うことも確かだ。今、新たにビジネスを立ち上げれば、ブルーオーシャンが開けている。そのことも理解している。少なくとも頭の中では。

個人としての行動力はある程度は備えているつもりの私。だが、いざビジネスを立ち上げるには実力が不足している。それも自覚している。
そもそも、私はビジネスを始めようという熱意に欠けているのだろう。私に欠けたその資質は、ビジネスとして市場に問う以前の問題だ。

そこで、本書を購入した。
本書には、今のインターネットがもたらした恩恵が、今後のビジネスにどうつながるのかについてのヒントが無数に紹介されている。
著者は、ワイヤードの初代の編集長である。ワイヤードといえば、最近は影が薄くなってしまった。が、ネット創成期には一定の認知度と影響力を有していたメディアだ。まさにかつてのYahoo!のように。

そんな経歴を持つ著者だが、今の趨勢をおさえる目は確かだ。
本書の分析は最新の情報技術の動向を踏まえているし、アメリカで生まれつつある実際のスタートアップ企業の例もふんだんに紹介されている。
本書は全体を通して、相当に実用的な内容が詰まっている。2016年という、ネットの世界の時間軸では昔に出された本だが、まだ日本ではビジネスとして送出されていない話題も触れてくれている。

本書は12の章からなっている。各章には現在進行形の動詞が付けられ、それがまさに今この時にも起こっている変革を表わしている。

1、BECOMING
なっていく。

このキーワードは本書の冒頭を飾るにふさわしい。
個人が何を望もうとも、デジタルを拒否しようとも、世の中の進歩に情報技術が欠かせないことは、誰もが認めているはずだ。この流れを押しとどめることは誰にも出来ない。

とはいえ、つい30年以上前の時点ではインターネットについて知っている人はほぼいなかった。
まだ誰もインターネットの価値に気づいていなかったため、その巨大な可能性についても半信半疑だった。当時はあらゆるドメインが好きなだけ所有できたことも本書には載っている。
その進化が目に見えて世の中を変えてしまった今、この巨大な変化の流れを一体どれだけの人が客観的にみられているだろう。
それは逆に言うと、今から30年後のことについても言える。
現在、まだ誰も考え付いていないサービスが30年後の社会インフラの中核を担っている可能性だってあるのだ。
その変化の激しさを予想できる人も皆無だと思われる。
だからこそ、今が何かを始めるチャンスなのだ。
著者はそのことを強調する。本書が書かれた当時、インターネットが誕生してからまだ8000日しか過ぎていなかった。本稿を書いている現在でも10000日を超えていないはずだ。
当時、インターネットの可能性に気づけなかった人の無知を笑うのではなく、今、生きている私たちが未来の可能性に思いをはせられれば、巨大な名声と富を得ることも不可能ではない。
ビジネスの種は無数に転がっている。

2、COGNIFYING
認知化していく。

本章ではAIの進化について語られる。
著者はどちらかと言うと楽観的に人工知能をとらえているようだ。AIが人類を滅ぼす未来ではなく、人類と共存する未来。
もちろん、AIが人類の仕事を奪い、人の仕事のありかたを根本的に変えていくことは避けられないだろう。そして、AIによって人の仕事の意味が変えられたことは、人の生のあり方にも根本的な変化をもたらすはずだ。
著者は、人間とAIの共存のために考えられるさまざまなパターンを挙げ、その可能性を熱く語る。
ビジネスの種は際限なく転がっている。

3、FLOWING
流れていく。

今までの経済は、実体である物を流すことで回っていた。物々交換から貨幣経済に至るまで。
それが今や、経済を回す主体はデータによるコンテンツにとってかわられつつある。そして今後もその流れは止むことなく加速していくに違いない。

それは、コンテンツを作り出すクリエイターのあり方や働き方にも影響を及ぼす。今も実際、コンテンツの流通経路の変化が、クリエーターにとって新たな発表手段をもたらしている。
世の中の変化は今後も激しく動いていくことだろう。今までの経済のあり方にも根本的な変化が起こることは間違いない。
ここにも、ビジネスの種は膨大に転がっている。

4、SCREENING
画面で見ていく。

あらゆる情報がディスプレイで確認できるようになった今、私たちの視覚に方法を与えるための機械や、媒体の進歩には見違えるものがある。
おそらく、今後も次々と革新的なテクノロジーが生まれ、私たちのために情報を提供してくれるはずだ。現時点で誰一人として考え付いていない方法で。

私たちの五感を満たすあらゆる情報の発信の手段はディスプレイ以外にも生まれつつある。
この先、私たちはいつでもどこからでも情報を得られるようになる。それらの情報機器に囲まれた私たちの毎日が、がらりと様相を変えてゆくのはもはや避けられない。
ここにも、ビジネスの種は数えきれないほど転がっている。

5、ACCESSING
接続していく。

ものによって価値がやりとりされるのではなく、情報が価値となった今、情報へのアクセス手段を提供するプラットフォームが有利なのは明らかだ。
すでに、巨額の利益を上げている企業は、ものを持たずにサービスを主にしている企業が多くを占めている。今後もその流れは変わらない。
データがサービスの核となった今、いつでもどこでも好きな時に情報へのアクセスが可能となり、そのアクセス手段がよりいっそう重要となることだろう。
であるならば、その手段の構築において、あらゆるビジネスのチャンスは眠っているはずだ。
ここにも、ビジネスの種は数限りなく転がっている。

6、SHARING
共有していく。

シェアリング・エコノミーとはここ数年よく聞く言葉だ。
所有と言う概念が薄れつつある今、何か価値のあるものを皆で共有し、享受するライフスタイルが主流となりつつある。

物質は同時に別の場所・時間に存在できない。誰かが占有してしまえば他の人がそれを使用することができない。長らくその常識が人々の間にまかり通っていた。
だが、データは同時に複数の人が同じものを利用することを可能にした。それによってシェアという新たな考えが人々の新たな常識となってゆく。そして生活を潤してくれている。
サービスの消費者である私たちは、いまや所有が時代遅れになりつつあることを認めなければならない。そして、サービスの提供元としても所有ではない新たな常識になじんでいかなければならない。
ここにも、ビジネスの種は星の数ほど転がっている。

7、FILTERING
選別していく。

毎日・毎時・毎分、膨大な数の情報がアップされている。そして、すでにアップされた膨大な数の情報が世の中に流通している。
それらに全て目を通すだけでも人の一生は百万年あっても足りない。
その中で、自分にとって必要な情報をいかに抽出し効率よく取り込めるか。そうした選別の技術が求められている。
Amazonはリコメンド機能としてそれを昔から行っているし、Google検索などもまさに選別の一つだろう。
どうやって情報の選別を行い、それを人々にとって適した情報として届けられるか。

今はまだ情報には雑音が混じっている。これを個人の嗜好や考え方に最適化した形で届けるサービスを今後のビジネスを制するといっても過言ではない。
ここにも、ビジネスの種は多彩に転がっている。

8、REMIXING
リミックスしていく。

これだけ膨大な数の情報が流れている今、全くの無から新たな価値を生み出すことは不可能といってよい。
既存のあらゆる情報をどのようにして相互に効果を生じさせ、新たな価値として生み出していくか。
まさにこのリミックスの技術こそが、これからのコンテンツ制作の中核になることだろう。
すでに、既存のものから新たな価値をビジネスとして創造する企業は多くある。
だが、より本質的な価値の創造の余地はまだ残されているように思う。リミックスできる組み合わせは無限なのだから。
ここにも、ビジネスの種は限界を超えて転がっている。

9、INTERACTING
相互作用していく。

ここではAR/VRの世界が語られる。
すでに、これらの世界の精巧さは、現実とあまり変わらない体験を私たちにもたらすことが可能だ。
今までは現実の世界とデータが作り上げた仮想の世界は、相互に影響を及ぼさないとされてきた。だが、もはやその認識は古くなりつつある。

現実世界でしかビジネスが成り立たない。そんな認識から一歩先んじた企業は、仮想の世界でのビジネスを展開している。そして、人々の暮らしも仮想空間を受け入れたものへと変わっていく。そのことが本章で語られる。
ここにも、ビジネスの種は仮想の数だけ転がっている。

10、TRACKING
追跡していく。

この章ではライフログが語られる。ライフログについては私もブログや読読レビューでもたびたび取り上げてきた。
ライフログについては、私は肯定派である。さらに、本書に取り上げられているような自分の行動を常時記録する人々の域にまでは達していないが、ある程度の行動は記録している。
ライフログの流れは、人々のネットへの拒否感が薄まり、セキュリティ技術が進展するにつれ、広まってゆくに違いない。
ここにも、ビジネスの種は億兆ほどに転がっている。

11、QUESTIONING
質問していく。

なんでも検索すれば答えが出るようになった現在、それが逆に人々の思考の在り方や本質を変えてしまったように思う。
そして、それは知恵の結集としての社会や組織の在り方にまで影響を及ぼしている。

今までの人々が行っていたような一対一の質問については、すでにAIが答えを返してくれるようになった。
そうなった今、私たちは質問の仕方から見つめなおさねばならない。
人にしか出来ない質問、AIには答えることができず、人にしか答えられない質問。これからの人類にはこうした問いを考える素養が必要になってくることだろう。
ここにも、ビジネスの種は考え付く限り転がっている。

12、BEGINNING
始まっていく。

本書のまとめである本章。データがもたらす知識の総量や伝達の速度は、すでに人智の及ばないところへ向かっている。
そんな中、人類とAIのかかわり方にも本質からの違いが生じるはず。その状態を著者はホロス(Holos)と呼ぶ。
シンギュラリティはあるはずと著者は予想するが、一方でそれが人類に与えるインパクトは深刻なものではないと著者は説く。
私は著者の楽観的な見方を支持したい気持ちはあるが、短期的には人類はこれからの変革の中で無数の痛みに耐えていかねばならないはずとみている。

そこでどのような立ち居振る舞いをするべきか。どういう思想を世に問うていくべきか。そもそも市井の一市民に何ができるのか。
ここにも、ビジネスの種はミクロとマクロで転がっている。

‘2019/8/7-2019/9/1


動物農場


『1984』と言えば著者の代表作として知られている。その世界観と風刺の精神は、現代でも色褪せていない。むしろその名声は増すばかりだ。
権力による支配の本質を描いた内容は、人間社会の本質をえぐっており、情報社会の只中に生きる現代の私たちにとってこそ、『1984』の価値は真に実感できるのではないだろうか。
今でも読む価値がある本であることは間違いない。実際に昨今の言論界でも『1984』についてたびたび言及されているようだ。

本書も風刺の鋭さにおいては、『1984』には劣らない。むしろ、本書こそ、著者の代表作だと説く向きもある。
私は今回、本書を初めて読んだ。
本書のサブタイトルに「おとぎばなし」と付されている通り、本書はあくまでもファンタジーの世界の物語として描かれている。

ジョーンズさんの農場でこき使われている動物たちが、言葉を発し、ジョーンズさんに反乱を起こし、農場を経営する。
そう聞かされると、たわいもない話と思うかもしれない。

だが、動物たちのそれぞれのキャラクターや出来事は、現実世界を確実に模している。模しているどころか、あからさまに対象がわかるような書き方になっている。
本書が風刺する対象は、社会主義国ソビエト連邦だ。しかも、本書が書かれたのは第二次世界大戦末期だと言う。
著者はイギリス人だが、第二次世界大戦末期と言えば、ヤルタ会談、カイロ会談など、ソビエトとイギリスは連邦国の一員として戦っていた。
そのため、当時、著者が持ち込んだ原稿は、あちこちの出版社に断られたという。盟友であるはずのソビエトを風刺した本書の出版に出版社が恐れをなしたのだろう。

それを知ってもなお、著者が抱く社会主義への疑いは根強いものがあった。それが本書の執筆動機になったと思われる。
当時はまだ、共産主義の恐ろしさを人々はよくわかっていなかったはずだ。
粛清の嵐が吹き荒れたスターリン体制の内情を知る者もおらず、何よりもファシズムを打倒することが何よりも優先されていた時期なのだから。
だから今の私たちが思う以上に、本書が描かれた時代背景にもかかわらず本書が出版されたことがすごいことなのだ。

もちろん、現代の私たちから見ると、共産主義はもはや歴史に敗北した過去の遺物でしかない。
ソ連はとうに解体され、共産主義を掲げているはずの中国は、世界でも最先端の資本主義国家といってよいほど資本主義を取り入れている。
地球上を見渡しても共産主義を掲げているのは、北朝鮮のほかに数か国ぐらいではないだろうか。

そんな今の視点から見て、本書は古びた過去を風刺しているだけの書物なのだろうか。
いや、とんでもない。
古びているどころか、本書の内容は今も有効に読者に響く。なぜなら、本書が風刺する対象は組織だからだ。
そもそも共産主義とは国家が経済を計画し、万人への平等を目指した理想があった。だからこそ、組織だって狂いもなく経済を運営していかねばならない建前があった。
だからこそ、組織が陥りやすい落とし穴や、組織を運営することの困難さは共産主義国家において鮮明な矛盾として現れたのだと思う。そのことが本書では描かれている。

理想を掲げて立ち上がったはずの組織が次第に硬直し、かえって人民を苦しめるだけの存在に堕ちてゆく。
われわれはそうした例を今まで嫌というほど見てきた。上に挙げた共産主義を標榜した諸国において。
その多くは、共産主義の理想を奉じた革命者が理想を信じて立ち上げたはずだった。だが、理想の実現に燃えていたはずの革命家たちが、いざ統治する側に入った途端、自らが結成した組織に縛られていく。
それを皮肉と言わずして何と呼ぼう。

それにしても、本書に登場する動物達の愚かさよ。
アルファベットを覚えることがやっとで、指導者である豚たちが定めた政策の矛盾に全く気付かない。
何しろ少し前に出された法令の事などまるで覚えちゃいないのだから。
その無知に乗じて、統治する豚たちは次々と自らに都合の良いスローガンを発表していく。朝令暮改どころではない速さで。

柔軟といえば都合はいいが、その変わり身の早さには笑いがこみあげてくるしかない。

だが、本書を読んでいると、私たちも決して動物たちのことを笑えないはずだ。
先に本書が風刺する対象は共産主義国家だと書いた。が、実はあらゆる組織に対して本書の内容は当てはめられる。
ましてや、本書が描かれた当時とは比べ物にならないほどの情報量が飛び交っている今。

組織を担うべき人間の処理能力を上回るほどの判断が求められるため、組織の判断も無難にならざるを得ない。または、朝令暮改に近い形で混乱するしか。
私たちはその実例をコロナウィルスに席巻された世界で、飽きるほど見させられたのではないだろうか。

そして、そんな組織の構成員である私たちも、娯楽がふんだんに与えられているため、本書が描かれた当時よりも衆愚の度が増しているようにも思える。
人々に行き渡る情報量はけた違いに豊かになっているというのに。

私自身、日々の仕事に揉まれ、ろくにニュースすら読めていない。
少なくとも私は本書に出てくる動物たちを笑えない自分を自覚している。もう日々の仕事だけで精いっぱいで、政治や社会のニュースに関心を持つ暇などない状態だ。
そんな情報の弱者に成り下がった自分を自覚しているけど、走らねばこの巨大な世の中の動きに乗りおくれてしまう。私だけでなく、あらゆる人が。

本書の最後は豚と人間がまじりあい、どちらがどちらか分からなくなって終わりを迎える。
もう、そんな慄然とした未来すら来ているのかもしれない。
せめて、自分を保ち、客観的に世の中を見るすべを身に着けたいと思う。

‘2019/8/1-2019/8/6


八日目の蝉


著者の小説は初めて読んだが、本書からは複雑な読後感を感じた。
もちろん、小説自体は面白い。すいすい読める。
だが、本書が取り上げる内容は、考えれば考えるほど重い。

家族。そして、生まれた環境の重要性。
本書のとりあげるテーマは、エンターテインメントだからと軽々に読み飛ばせない重みを持っている。母性が人の心をどこまで狂わせるのか、というテーマ。
子を育てたいという女性の本能は、はたして誘拐を正当化するのか。
誘拐犯である野々宮希和子の視点で語られる第一部は、本来ならば母親として望ましいはずの母性が、人の日常や一生を破壊する様を描く。

そして、禁じられた母性の暴走が行き着く果ては、逃亡でしかない事実。
勝手に「薫」と名付けたわが子を思うゆえ、少しでもこの生活を守りたい。
そんな希和子の望みは、薫の本来の親からすると、唾棄すべき自分勝手な論理でしかない。
だが、切羽詰まった希和子の内面に渦巻く想いは、母性のあるべき姿を描く。それゆえに、読者をグイグイと作品の世界に引きずり込んでゆく。

そして薫。
物心もつかない乳児のうちに誘拐された薫のいたいけな心は、母を頼るしかない。
母が母性を発揮して自分を守ろうとしているからこそ、薫は母を信じてついて行く。たとえそれが自分を誘拐した人であっても。
薫の眼にうつる母は一人しかいないのだから。

環境が劣悪な逃亡生活は、真っ当な成長を遂げるべき子どもにとって何をもたらすのか。
そのような現実に子どもが置かれる事は普通ならまずない。
ところが、無垢な薫の心は、そもそも自らの境遇を他と比較する術がない。自分に与えられた環境の中で素直に成長して行くのみだ。
母性を注いでくれる母。母の周りの大人たち。その土地の子供達。
環境に依存するしかない子どもにとって、善悪はなく、価値観の判断もつけられない。

本書は、母娘の関係が母性と依存によって成立してしまう残酷を描く。
もちろん、本来はそこに父親がいるべきはず。父のいない欠落は、薫も敏感に感じている。それが逆に薫に母に気遣いを見せる思いやりの心を与えているのが、本書の第一部で読者の胸をうつ。
ここで描かれる薫は、単なる無垢で無知な子だけでない。幼いながらに考える人として、薫をまっとうに描いている。薫の仕草や細かい心の動きまで描いているため、作り事でない血の通った子どもとして、薫が読者の心をつかむ。
著者の腕前は確かだ。

ここで考えさせられるのは、子供の成長にとって何が最優先なのか、という問いだ。
読者に突きつけられたこの問いは、がらりと時代をへた第二部では、違う意味をはらんで戻ってくる。

第二部は大人になった恵理菜が登場する。薫から本名である名前を取り戻して。
恵理菜の視点で描かれる第二部は、幼い頃に普通とは違う経験をした恵理菜の内面から描かれる世界の苦しさと可能性を描く。
恵理菜にとって、幼い頃の経験と、長じてからの実の親との折り合いは、まさしく苦難だった。それを乗り越えつつ、どうやって世の中になじんで行くか、という恵理菜の心の動きが丹念に描かれる。

生みの親、秋山夫妻のもとに返された恵理菜は、親と呼ぶには頼りない両親の元、いびつな成長を遂げる。
そんな関係に疲れ、大学進学を口実に一人暮らしを始めた恵理菜。彼女のもとに、希和子との逃亡生活中にエンジェルホームでともに暮らしていた安藤千草が現れる。

エンジェルホームは、現世の社会・経済体制を否定したコミュニティだ。宗教と紙一重の微妙な団体。
そこでの隔絶された生活は、希和子の目を通して第一部で描かれる。
特殊な団体であるため、世間からの風当たりも強い。その団体に入信する若者を取り返そうとした親が現れ、その親をマスコミが取り上げたことから始まる混乱にまぎれ、希和子は薫を連れ脱出した。
同時期に親とともにそこにいた千草は、自分が体験したことの意味を追い求めるため、取材を重ね、本にする。その取材の一環として、千草は恵理菜のもとを訪れる。

千草との出会いは、恵理菜自身にも幼い頃の体験を考えなおすきっかけを与える。
自分が巻き込まれた事件の記事を読み返し、客観的に事件を理解していく恵理菜。
母性をたっぷり注がれたはずの幼い頃の思い出は記憶から霞んでいる。
だが、客観的に見ても母と偽って自分を連れ回した人との日々、自然の豊かな幸せな日々として嫌な思い出のない日々からは嫌な思い出が浮かび上がってこない。

むしろ、実の親との関係に疲れている今では、幼き頃の思い出は逆に美化されている。
三つ子の魂百まで、とはよくいったものだ。
無意識の中に埋もれる、三歳までの記憶。それは、その人の今後を間違いなく左右するのだろう。

実際、恵理菜は自分の父親を投影したと思われる、頼りない男性の思うままに体を許し、妊娠してしまう。
そればかりか、妊娠した子を堕ろさずに自分の手で育てようと決意する。
それは、自分を誘拐した「あの人」がたどった誤った道でもある。
それを自覚してもなお、産もうとする恵理菜の心のうちには、かつての母性に包まれた日々が真実だったのかを確かめたい、という動機が潜んでいるように思える。
自分が母性の当事者となって子を守り、かつての幻になりそうな日々を再現する。

恵理菜にとって美化された幼き頃の思い出が、記事によって悪の犠牲者と決めつけられている。
だからこそ、恵理菜は、自らの中の母性を確かめたくて、子を産もうとする。その動機は切実だ。
なにせ美化された思い出の中の自分は、記事の中ではあわれな犠牲者として片づけられているのだから。

そうした心の底に沈む無意識の矛盾を解決するため、恵理菜はかつての自分に何がおこったのかを調べてゆく。そしてかつて、偽の母に連れまわされた地を巡る。
自らの生まれた環境と、その環境の呪縛から逃れて飛び立つために。
俗説でいう一週間しか生きられない蝉ではなく、その後の人生を求めて。

母性と育児を母の立場と子の立場から描く本書は、かつて育てられた子として、そして子を育てた親としても深く思うところがある小説だ。
とても読みごたえがあるとともに、余韻も深く残った。

‘2019/7/30-2019/7/31


島津は屈せず


本書を読んだときと本稿を書く今では、一年と二カ月の期間を挟んでいる。
その間に、私にとって島津氏に対する興味の度合いが大きく違った。
はじめに本書を読んだとき、私にとっての島津家とは、関ヶ原の戦いで見事な退却戦を遂行したことへの興味が多くを占めていた。
当ブログを始めた当初にもこの本のブログをアップしている。
それ以外には幕末の史跡を除くと、島津家の戦跡には行く機会がないままだった。

だが、それから一年以上の時をへて、私が島津家に興味を抱くきっかけが多々あった。九州に仕事で行く機会が二度あったからだ。
訪問したお客様が歴史がお好きで、立花道雪、高橋紹運、立花宗茂のファンであり、歴史談義に興じる機会があった。
また、出張の合間に大分の島津軍と豊臣・大友軍が激闘を繰り広げた戸次河原の合戦場にも訪れることもできた。

本書は、その戸次河原合戦からさらに数年下った、島津軍が大友・豊臣軍に敗れた根城坂の合戦の後から始まる。

根城坂の敗戦は局地の敗戦に過ぎず、豊臣家に膝を屈することはない、と徹底抗戦をとなえる義珍あらため、義弘。その反対に、藩主の立場から他の家臣の意見を聞き、現実的な判断を下そうとする義久。
当時の島津家を率いる二人の武将の考えには、現実と理想に対する点で違いがある。

ただ義弘は、自らの考えを兄の地位を奪ってまで成し遂げようとはしない。あくまでも兄を立てる。そして、統治は兄に任せ、自らは武において与えられた役割を全うしようとする。
本書は、義久ではなく、義弘を主人公とし、安土桃山から江戸に至るまでの激動の時代を乗り切った島津家の物語である。

豊臣家の傘下に組み込まれ、太閤検地を乗り切った後は、朝鮮への出陣でが始まる。
秀吉の野望に付き合わされた島津家も半島へと渡り、そこで鬼石蔓子と敵兵から呼ばれるほどの戦闘力を発揮し、大戦果を上げる。
大義が見えない戦いであっても、一度膝を屈した主君の命とあらば抗えないのが戦国の世の習い。その辺りの葛藤を抱えながらも、武の本分を発揮する義弘。

日本に戻ってからも領内で内乱が起き、島津家になかなか落ち着きが見えない。
そうしているうちに、秀吉の死後の権力争いは、島津家に次の試練を与える。
日本が東軍と西軍に割れた関ヶ原の戦いだ。
各大名家がさまざまな思惑に沿って行動する中、遠方の島津家は行動する意味もなく、藩主の義久は静観の構えを崩さない。内乱で疲弊した領内をまとめることを優先し。
だが、義弘はわずかな手勢を連れて東上しし、東軍へ馳せ参じようとする。
ところが、時勢は島津家をさらに複雑な立場に追いやる。
東軍に参加しようと訪れた伏見城で、連絡の不行き届きと誤解から、東軍の鳥居本忠から追い出されてしまう。

それによって西軍へと旗色を変えた義弘主従。
ところが、西軍の軍勢は兵の数こそ多いが、その内情はまとまっているとは言いがたく、義弘も本戦では静観に徹する。

関ヶ原の戦いは、布陣だけを見れば西軍が有利であり、西軍が負ける事はあり得ないはずだった。
ところが、西軍の名だたる将のうち、実際に戦った隊はわずか。
島津軍もそう。

私も三回、関ヶ原の古戦場を巡った。そして、武将たちの遺風が残っているようなさまざまな陣を見て回った。
島津軍の陣地は、林の中に隠れたような場所だった。だが、激戦地からはそう離れていない場所であり、当日は騒がしかったことと思う。
そんな中、微妙な立場に置かれた義弘は何を感じていたのか。
島津家が一枚岩で五千の軍勢を引き連れていれば、島津家だけでも西軍を勝利に導けたものを。

本書では、義弘の心中や家臣たちの様子を描く。
夜襲を提案しても、戦に慣れていない大将の石田治部は体面を前に立てられはねつけられる始末。
義弘の心中は本書にも描かれている。

そして、小笠原秀秋の寝返りから一気に変わった戦局と、その中で刻々と変わるあたりの様子の中、徳川家に島津の武威を見せつけようとする。
そして、美濃から薩摩へと戦史に残る遠距離の退却戦に突入する。

義弘主従は、大阪で人質の太守の家族を救い、薩摩に帰り着くことに成功する。
しかも、強硬な意思を貫き、本領の安堵を勝ち取ることに成功する。

関ヶ原の戦いで西軍に与し、本領の安堵を勝ち取った大名は、全国を見渡してもほぼいない。ましてや、関ヶ原の本戦に西軍として参加した大名に限れば、島津氏が唯一と言っても良い。

本書では家康が悔いる様子が描かれる。毛利と島津をそのままにしておくことが将来の徳川家の災いになるのではないかと。

著者は、本書の姉妹編として「毛利は残った」と言う小説を出している。

毛利家と島津家。ともに、関ヶ原の合戦によって敗戦側となった。
そして関ヶ原の合戦から260年の後に、ついに政権から徳川家を追いやった時もこの二家が中心となった。

戦国の過酷な世を勝ち続け、徳川家にも勝てる自信を持ちながら、戦国の世の義理の中でと主家を立て通した義弘。

その無念は、島津家に安穏とは無縁の家風を養わせた。260年の間、平和に慣れて保身に汲々とするのではなく、国を富ませ、鍛錬を怠らない。
そのたゆまぬ努力がついに徳川家に一矢を報いさせた。

本書は、その原動力となった挫折と雌伏を描いている。
本書を読むと、人の人生など短く思える。
私は島津家の尚武の気風を学ぶためにも、また機会を見て薩摩軍の戦跡を訪れたいと思っている。今、九州にご縁ができ、私の中で島津家への興味が増した今だからこそ。

‘2019/7/26-2019/7/29