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BRANDY:A GLOBAL HISTORY


妻の祖父の残したブランデーがまだ何本も残っている。10本近くはあるだろうか。
最近の私は、それらを空けるためもあって、ナイトキャップとしてブランデーを飲むことが多い。一本が空けば次の一本と。なるべく安い方から。

こうやってブランデーを集中して飲んでみると、そのおいしさにあらためて気づかされる。おいしいものはおいしい。
まさに蒸留酒の一角を占めるにふさわしいのがブランデーだ。
同じ蒸留酒の中で、今人気を呼んでいるのはウイスキーやジンだ。
だが、ブランデーも酒の完成度においては他の蒸留酒に引けを取らないと思っている。
それなのに、ブランデーはバーでも店頭でもあまり陽の当たらない存在に甘んじているように思う。
それは、ブランデーが高いというイメージによるものだろう。
そのイメージがブランデーの普及を妨げていることは間違いない。

そもそも、ブランデーはなぜ高いのか。
ブランデーのによるものか。それなら、他の蒸留酒と比べてどうなのだろうか。原料はワインだけなのだろうか。ワインの世界でよく言う土壌や風土などによって風味や香りを変えるテロワールは、ブランデーにも当てはまるのだろうか。また、ブランデーの元となるワインに使用する酵母や醸造方法に通常のワインとの違いはあるのだろうか。蒸留に複雑なヴァリエーションはあるのだろうか。貯蔵のやり方に特色はあるのだろうか。
疑問が次から次へと湧いてくる。

そこで、一度ブランデーをきちんと勉強してみようと思い、本書を手に取った。
そうした疑問も含め、私はブランデーの知識を持ち合わせていない。そんな私にとって、本書はとても勉強になった。

そもそも、ブランデーの語源とは、焼いたワインを意味する言葉から来ている。
ブランデーの語源は、ウイスキーの歴史を学ぶと登場する。つまり、あらゆる蒸留酒の歴史は、ブランデーから始まっている可能性が濃い。

ブランデーには大きくわけて3つあるという。ワインから造るブランデー。ブドウではない他の果実から作られるもの(カルヴァドス、スリヴォヴィッツ、キルシュ)。ワインを造った時のブドウの搾りかすから造られるもの(グラッパ、マール)。
本書ではワインから造るものに限定している。

ブランデーの銘柄を表す言葉として、コニャック、アルマニャックの言葉はよく聞く。
では、その違いは一体どこにあるのだろうか。

まず、本書はコニャックから解説する。
当時のワインには保存技術に制約があり、ワインを蒸留して保存していたこと。
また、ボルドーやブルゴーニュといった銘醸地として知られる地で生産されるワインは、品質が良いためワインのままで売られていた。それに比べて、コニャック地方のワインは品質の面で劣っていたため、蒸留用に回されていたこと。
1651年の戦いの結果、ルイ14世から戦いの褒美としてワインや蒸留酒にかかる関税を免除された事。また、コニャック周辺の森に育つリムーザンオークが樽の材質として優れていたこと。

一方のアルマニャックは、コニャックよりも前からブランデーを作っていて、早くも1310年の文献に残されているという。
ところが、アルマニャック地方には運搬に適した河川が近くになく、運搬技術の面でコニャック地方におくれをとったこと。蒸留方法の違いとして、コニャックは二回蒸留だが、アルマニャックはアルマニャック式蒸留機による一回蒸留であることも特筆すべきだろう。

ブランデーの歴史を語る上で、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフィロキセラによる害虫被害は外せない。フィロキセラによってフランス中のブドウがほぼ絶滅したという。
それによってブランデーの生産は止まり、他の蒸留酒にとっては飛躍のチャンスとなった。が、害虫はブランデーにとっては文字通り害でしかなかった。

だが、フランス以外のヨーロッパ諸国にはブランデー製造が根付いていた。
そのため、コニャックやアルマニャックの名は名乗れなくても、各地で品質の高いブランデーは作られ続けている。著者はその中でもスペインで作られているブランデー・デ・ヘレスに多くの紙数を費やしている。

また、ラテンアメリカのブランデーも見逃せない。本書を読んで一カ月後のある日、私は六本木の酒屋でペルーのピスコを購入した。ブランデーとは違う風味がとても美味しいかった。これもまた銘酒といえよう。
購入直後に五反田のフォルケさんの酒棚に寄付したけれど。

ブランデーはまた、オーストラリアや南アフリカでも生産されている。アメリカでも。
このように本書は世界のブランデー生産地を紹介してゆく。
ところが本書の記述にアジアは全くと言って良いほど登場しない。
そのかわり、本書では中国におけるアルマニャックの人気について紹介されている。日本ではスコッチ・ウイスキーがよく飲まれていることも。
本書は消費地としてのアジアについては触れているのだが、製造となるとさっぱりのようだ。
例えば山梨。ワインの国として有名である。だが、現地に訪れてもブランデーを見かけることはあまりない。酒瓶が並ぶ棚のわずかなスペースにブランデーやグラッパがおかれている程度だ。

日本で本格的なブランデーが作られないのは、ブランデーが飲まれていないだけのことだと思う。
私は本書を読み、日本でもブランデー製造や専門バーができることを願う。そのためにも私ができることは試してみたい。

本書はコニャックやアルマニャックが取り組む認証制度や、それを守り抜くためにどういう製造の品質の確保に努力するかについても触れている。
期待がもてるのは、ブランデーを使ったカクテルの流行や、最近のクラフトディスティラリーの隆盛だ。
周知の通り、アメリカではビールやバーボンなど、クラフトアルコールのブームが現在進行形で盛んな場所だ。

本書のそうした分析を読むにつけ、なぜ日本ではブランデー生産が盛んではないのだろう、という疑問はますます膨らむ。

今、日本のワインは世界でも評価を高めていると聞く。
であれば、ブランデーも今盛り上がりを見せている酒文化を盛り上げる一翼を担っても良いのではないだろうか。
大手酒メーカーも最近はジンやテキーラの販促を行っているようだ。なのにブランデーの販促はめったに見かけない。

私もブランデーのイベントがあれば顔を出すようにしたいと思う。そして勉強もしたいと思う。
まずはわが家で出番を待つブランデーたちに向き合いながら。

‘2019/9/7-2019/9/8


スコッチウィスキー紀行


私がウイスキーの魅力にはまってから、長い年月が過ぎた。
そのきっかけとなった日の事は今でも覚えている。1995年8月5日から6日にかけてだ。
当時、広島に赴任中だった大学の先輩の自宅で飲ませてもらった響17年。この時に味わった衝撃から私は飲んべえに化けた。

その前日は原爆ドームの前でテントを張った。響に耽溺した翌朝は、原爆投下から50年を迎えた瞬間をダイ・インで体感した。
そうした体験も相まって、ウイスキーの魅力に開眼した思い出は私の中に鮮烈に残っている。
以来、20数年。ウイスキーの魅力に開眼してからの私は、ウイスキーを始めとした酒文化の全般に興味を持つようになった。

ウイスキーを学ぼうとした当時の私のバイブルとなった本がある。
その本こそ、本書の著者である土屋守氏が著した『モルトウイスキー大全』と『シングルモルトウイスキー大全』だ。

著者の土屋氏には、今までに二回お会いしたことがある。
初めてお会いしたのは、妻と訪れた埼玉のウイスキー・フェアだった。ブースには人がまばらで、一緒にツーショット写真を撮っていただく幸運にあずかれた。懐かしい思い出だ。
二度目はWhisky Festival in Tokyoの混雑した会場の中で友人と一緒の写真に入っていただいた。
忙しいさなかに、大変申し訳なかったと思っている。
もちろん土屋氏は私のことなど覚えていないはず。

本書は、世界のウイスキーライターの五人に選ばれた著者がウイスキーの魅力を語っている。
本書はTHE Whisky Worldの連載をベースにしているそうだ。THE Whisky Worldとは、土屋氏が主催するウイスキー文化研究所(古くはスコッチ文化研究所)が発行していた雑誌だ。
その研究所が出版する酒に関する雑誌は、WHISKY Galoreとして名を一新した後も毎号を購入している。さらに書籍も多くを購入してきた。
そのどれもが、情報量の豊富さと酒文化に対する深い愛情と造詣に満ちており、私を魅了してやまない。多分、これからも買い続けるだろう。

本書はスコッチの本場を訪れた記録でもある。
冒頭に各地域や蒸留所の写真がカラーで載っている。
その素朴かつ荒涼とした大地のうねり。その光景は、私の眼にとても魅力的に映る。
荒涼とした景色に魅せられる私。
だからこそ、そこから生まれるウイスキーにハマったのかもしれない。

よく知られているように、スコッチウイスキーという名前だが、複数の地域によって特徴がある。
アイラ、スペイサイド、ハイランド、ローランド、その他ヘブリディーズ諸島やオークニー諸島のアイランズウイスキー。
今のウイスキーの世界的な盛況は、スコッチの本場にも次々と新たな蒸溜所を生んでいる。
そのため、本書に登場する蒸留所の情報は少しだけ古びている。10年前のウイスキーの情報は、目まぐるしく活気のあるウイスキー業界ではすでに情報としては古びている。毎年のように新たな蒸留所が稼働をはじめ、クラフト・ディスティラリーを含めるとその数はもはや数えられない。

だからといって、本書に価値がないと思うのは間違いだ。
本書は世界的なウイスキーブームに沸く少し前の情報が載っているため、むしろ信頼できると思う。
今や、あらゆる蒸留所が近代化に向けて投資を進めている。その一方で、古いやり方を守り続ける蒸留所も本書にはたくさん紹介されている。

先にも書いたとおり、著者はウイスキー文化研究所と言う研究所を主催している。そのため著者が著わす文章や情報からは、スコッチウイスキーに関してだけでなく、スコットランドを包む文化についての知識も得られる。
特に本書の第二部「ウィスキーと人間」では、スコットランドの歴史を語る上で欠かせない人物が何人も取り上げられている。
その一人は長崎のグラバー園でもお馴染みのトーマス・ブレイク・グラバーだ。マッサンこと竹鶴正孝氏の名前も登場する。また、ウイスキーの歴史を語る上で欠かせないイーニアス・コフィーであったり、アンドリュー・アッシャーといった人々も漏れなく載っている。また、意外なところではサー・ウィンストン・チャーチルにも紙数が割かれている。
それぞれがスコットランドもしくはウイスキーの歴史の生き証人である。
ウイスキーとは、時間を重ねるごとにますますうま味を蓄える酒。それはすなわち、歴史の重みを人一倍含む酒だ。その歴史を知る上で、ウイスキーに関する偉人を知っておいたほうがいいことは間違いない。

第三部は「ウィスキーをめぐる物語と謎」と題されている。
例えば、日本人が初めて飲んだウイスキーのこと。また、ウイスキーキャットにまつわる物語について。かと思えば、ポットスチルと蒸留の関係を語る。そうかと思えば、謎に包まれたロッホ・ユー蒸溜所も登場する。また、グレン・モーレンジの瓶に記されている紋章の持ち主、ピクト族も登場する。また、ロード・オブ・ジ・アイルズの島々の歴史や文化にも触れている。

第三部を読んでいると、ウイスキーをめぐる物語の何が私を惹きつけるのかがわかる。
それは、ケルト民族の謎に包まれた歴史だ。
ケルト民族が現代に残したロマンは多い。ウイスキー、ドルイド教、ケルト十字、ストーンヘンジ。
それらはおそらく目に見えない形で、現代の遠く離れた日本にも影響を与えているはずだ。
それらが謎めいていればいるほど、そして私たちを魅了すればするほど、ケルト民族に対する興味が湧いてくる。
スコットランドを訪れ、ウイスキーを愛でることは、すなわちケルト民族の魂を今に受け継ぐことに他ならない。

西洋の歴史を語る上で、ローマ帝国とキリスト教は欠かせない。
だが、その波に飲まれてしまい、歴史から消えた民族たちが独自の輝きを放っていたことを忘れてはならない。
消えてしまった民族の中でも、筆頭に挙げられるのがケルト民族であり、その痕跡を知ることは、自分たちのルーツを探る上で参考になる。
そうした意味でも本書は、ケルト民族を振り返るガイドブックになりうるはずだ。

今の科学は世界を狭くした。
だが、狭くなった世界は、人々を集約された情報と発達した文明で囲み、人々を都市に押し込めている。自由になったはずが、息苦しくなっているように思う人々もいるだろう。
中央へ、集権へ。そんな昨今を過ごす私たちからみれば、辺境の地にあって、かくも豊かな文明を生み出したケルト民族の姿は、同じ辺境に住む日本人からみても、何か相通ずるものを感じる。
両者が日本酒やウイスキーといった銘酒を生み出した民族であることも、なにやら共通の理由がありそうだ。

今の私たちは、世界中の酒文化を楽しめる。それは間違いなく幸運なことだ。
そして、ウイスキーは今も進化し続けている。
進化するウイスキーの豊かな状況はスコッチだけにとどまらない。バーボン、アイリッシュ、カナディアン、ジャパニーズも同様。
だからこそ、著者の活躍する範囲は多い。
折に触れて読んでいる著者のブログからも著者の忙しさが感じられる。
本書の情報だけに満足せず、著者のブログやWHISKY Galoreといった雑誌を読みながら、より知識を深めていきたいと思う。

‘2019/5/8-2019/5/9


至福の本格焼酎 極楽の泡盛


沖縄旅行から帰って来て、沖縄に関する本を連続して読んでいる。本書は三冊目。歴史、出身者のルーツ、ときて本書。どちらかといえば硬派な本が続く。だが、本書は焼酎と泡盛についての本。少し柔らかい。

今回の沖縄旅行で、車を借りて最初に訪れたのが忠孝酒造だ。今回の旅行では泡盛蔵に絶対行くと決めていた。事前に読んだ旅行ガイドでも忠孝酒造のくぅーすの杜忠孝蔵は紹介されていたし、那覇空港のパンフレットでも紹介されていた。泡盛についての知識がない私は、これといった希望の銘柄もないまま広告に導かれ、くぅーすの杜忠孝蔵を訪れた。

沖縄の旅行記は別の場所でアップし、その中でくぅーすの杜忠孝蔵についての学びや喜びも書いた。
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/18
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/19
なので本稿では深くは触れない。とにかく、泡盛初心者の私がくぅーすの杜忠孝蔵にとても満足したことは書いておきたい。訪問をきっかけにいろんな泡盛を飲み比べたい、それぞれの蔵に訪れたい、と私を泡盛の世界にいっそう興味を持たせたのがくぅーすの杜忠孝蔵だ。ところが、その日の夜、国際通りで泡盛専門店に何店舗か立ち寄ったが、忠孝酒造のラベルを見かける頻度が低い。

東京の酒屋にも泡盛は並んでいる。おなじみの銘柄はもちろんだが、他にも多数も銘柄が並んでいる。そんな中、忠孝酒造の瓶を見かけることが少なかった。これはどういうことだろう、と常々疑問に思っていた。

そんな疑問を持ちつつ本書を読み始めた。焼酎・泡盛を取り上げる本書は、泡盛よりもむしろ焼酎に力を入れている。でも、焼酎と泡盛は同じ九州・沖縄の酒文化の仲間。だから本書は泡盛と焼酎を同時に知る上で最適だ。最初の章では、「至福の焼酎、極楽の泡盛を造る匠たちーその情熱と誇り」と題し、著者が選んだ蔵が9つ取り上げられる。芋焼酎の村尾酒造、西酒造、高良酒造、万膳酒造、佐藤酒造。球磨焼酎の豊永酒造。黒糖焼酎の朝日酒造。麦焼酎の黒木酒造。最後に文庫化にあたって泡盛の宮里酒造所が加えられている。

私は昔から酒造りに関する文化にとても惹かれている。それがなぜかはわからない。多分、酒造りの中では時間がゆっくり進むからではないか。酒造りがビジネスに比べてあくせくしていない事は、商談や納期に追われる日々を送っていると、折に触れ強く感じる。酒造りの現場に流れる時間には、全てにおいてゆとりがある。すべてを微生物の力に頼っている以上、人間には介入できない領域がある。なまじの知恵ではどうしようもなく、人間がいくらあくせくしても進む時間に変わりはないのだ。化学の技術を駆使して製品ができるまでの時間を短縮したとしても、それは短縮したなりの味でしかない。微生物に任せ、じっくりと時間をかけた製品が技術に負けることは決してない。酒造りに流れる時間のゆとりはビジネスを営む者が真っ先に切り捨てる部分だ。だからこそ私は酒造りに惹かれるのかもしれない。ぜいたくな時間の積み重ねを愛でつつ、香りと味を味わう。酒飲みの特権だ。

もともと、酒類業界には零細業者が多い。泡盛や焼酎のような大量生産に向かない酒を主に扱う限りどうしても零細になる。そのため経営者の個性が蔵に行き渡り、醸造元の社風に現れる。だから経営者にも味のある人が多い。実直な酒。奇をてらった酒。安心できる酒。経営者の個性を感じつつ呑むのも酒呑みの楽しみの一つだ。経営の苦労話。個性ある酒造りの哲学。世界に評価されつつある焼酎・泡盛文化には、面白い取り組みが多数生まれつつある。文化を育成する担い手による酒への愛。絶えず酒を考える想い。それらが、たくさん詰まっているのが本書だ。本書がうれしいのは、いまほど焼酎・泡盛がメジャーになっていなかった時期に取材していることだ。だから本書はブームとは無縁。そこには媚もおもねりもない。

本書にはブームの前から焼酎・泡盛を愛するお店の声を取り上げる章がある。鹿児島が二店舗、東京が八店舗。若干、東京に集中しすぎのような気もする。大阪や名古屋などのお店も登場させて欲しいところだ。本書のために惜しまれる。だが、うれしいこともある。それは、東京で取り上げられたうちの一店が、我が家からほど近い鶴川の酒舗まさる屋さんであることだ。町田の酒屋を三つ挙げろと言われれば、必ず出てくるお店の一つだ。私がしょっちゅう伺っているのは同じ町田にある蔵家さんだが、まさる屋さんにもよくお世話になる。まさる屋さんが載っているだけで私にとっての本書の株はグンと上がる。

本書に登場する人々の語る内容はブームの訪れる前に語られたもの。だからこそ焼酎・泡盛への愛にあふれている。私も本書に登場するようなお店に伺い、カウンター越しに焼酎・泡盛をさかなに談義を交わしてみたいと思う。私は普段、各地のBARをよく訪問する。そして一方では、本書に登場するこういうこぢんまりした店にも惹かれる。焼酎や泡盛を楽しめるお店に行く機会をもっと増やさなければなるまい。泡盛や焼酎で暖かく人との交流を深めたい。そして、このような焼酎・泡盛を愛する店がもっと増えればいいと思う。本書の取材時期に比べると、今は街中でも随分と焼酎や泡盛への認知度も上がってきた。すてきなお店は他にもあるはずだ。だからこそ、本書に登場する店から行ってみたいと思う。

本書の巻末には、焼酎・泡盛のカタログとして酒造がずらりと紹介されている。だが、そこにも忠孝酒造の名前が載っていない。それが気になった。くぅーすの杜忠孝蔵では、マンゴー酵母から作った泡盛(お土産に購入して帰った)のほか、何銘柄かの泡盛やお酢の試飲ができる。展示も東京農業大学で修行して博士号をとった方の紹介があり、自社で甕を作る取り組み(実際に見せていただいた)など、かなり真摯で精力的に泡盛作りに取り組んでいる印象を受けた。一方、積極的に見学ツアーの広告をうち、営業努力を重ねているようだ。忠孝酒造のように広告が前面に出ると、玄人には評価が高くないのだろうか。それとも忠孝酒造はメディアの取材は受けない主義なのだろうか。戦後から酒造りをしているはずだから、本書の取材時期には活動していたはず。忠孝酒造とは果たしてどういう位置付けの蔵なのだろうか。沖縄最古の木造貯蔵庫もあり、もっと評価されて良いと思うのだが。とても気になった。

私としてはうまい泡盛・焼酎が飲めれば何も言うことがない。本書のような焼酎・泡盛文化の発信を通し、ジャパニーズ・ウイスキーのように、日本発の酒文化が世界に受け入れられることを望みたい。焼酎・泡盛文化を盛り立ててくださっている皆様に乾杯!

‘2017/07/15-2017/07/16