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海に生きる人びと


本書は沖縄旅行に持って行った一冊だ。

沖縄といえば海。海を見ずに沖縄へ行くことはできない。切っても切れない関係。それが沖縄と海の関係だ。「うみんちゅ」なる言葉もあるくらいだから。

そんな海の人々を知るには本書の民俗学的なアプローチが有効だと思い、かばんにしのばせた。結局、旅行中に読めなかったが。

ところが今回の沖縄旅行で訪れた海とは、観光としての海だった。民俗学の視点で考え込むより、青く透き通る美しい海で遊ぶこと。妻子の目的はそれだった。私も楽しんだけれど。

ところが一カ所だけ、海を民俗学的に扱っている場所を訪れた。その場所とはうるま市立海の文化資料館。ここは、海中道路の途中にある。沖縄本島から海中道路を渡った先には浜比嘉島、平安名島、宮城島、伊計島がある。これらの島々は沖縄でも造船技術の発達した場所。中国大陸に影響を受けた造船技術が現代もなお受け継がれている。それもある一家に相伝で伝わっているという。

この資料館には船の実物や造船技術のあれこれが展示されていた。私は駆け足ではあるが、展示物を見て回った。

その上で本書を読んだ。本書は、日本各地で海とともに生きた人々を取り上げている。その生活や歴史を。漁をなりわいとする人々はどういう生活圏を作り上げてきたのか。そして時代とともにどう生活圏を変えてきたか。そしてどういう職業をへて、海に寄り添って文化を作り上げてきたか。それらが本書では詳しく描かれている。

それは、著者の該博な知識があってこそだ。そうでなければ、各地の地名、伝承、古文書をこれだけ登場させられないはず。そう思えるほど、本書には日本各地の地名や伝承が次々と出てくる。著者によると、これでもまだ表面だけだという。

それだけ各地に残る古文書には、人々の暮らしの歴史が膨大に含まれているのだろう。そして、海の人々の足跡が刻まれているのだろう。それをたどってゆくだけでわが国の漁民文化の変遷が見えることが本書から読み取れる。

その変遷はなかなか多様だ。各地に残る「あま」の地名。それはまさに漁民の移動と広がりの跡にほかならない。隠岐の海士、兵庫の尼崎、石川の尼御前、阿波の海部、肥後の天草など、各地の「あま」が付く地名にたくさん跡が残されている。今の千葉県の安房が、徳島の阿波の国から来ている可能性など、旅が好きな人には本書から得られる知識がうれしいはず。

現代に生きる私たちが「あま」と海を結びつけるとすれば、鳥羽の海女しか出てこないと思う。それも観光ショーとしての。またはNHKテレビ小説の「あまちゃん」ぐらいか。ところが、かつては各地の海で生計を立てる人々を総じて「あま」と呼んだそうだ。だから日本の各地に「あま」が付く地名が多いのだ。

本書は、各地の地名の成り立ちを追いながら漁民の移動の歴史を概観する。その各章だけでかなり興味深い歴史が手に入ることだろう。

さらに本書は時代を少しずつ下ってゆく。それは漁法の進歩にともなう生活のあり方の変化として描かれる。漁民によってその変化はいろいろだ。潜水の技術をいかし、アワビ取りで糧を得る人もいた。妻だけが海に潜り、夫は沖に出て漁に従事することもあった。漁師から職を替え、船による運搬を職業に選ぶ人もいた。海から陸に上がり、商いで身を立てる人もいた。海は長距離の行動を可能にする。だから、海に生きる人々の生活範囲は広い。

著者は泉州の佐野を例に出す。いまは関空の拠点だが、かつては海に生きる人が多かったという。はるかな対馬まで毎年遠出する人もいたし、日本沿岸を余さず巡る人もいたという。そうした人々が日本各地に痕跡を残し、その地に地名を残す。

本書はあくまでも海の人々に集中している。だから、歴史を語る際に欠かせない中央政府の動向はあまり出てこない。だが、本署の描写からは海の人々が時代に応じて変化していく明白な様子が感じられる。

著書の調査の綿密さ。それは、海と人の交流を克明に描いていることからも明らか。例えばクジラ漁。例えばエビス神の信仰。なぜエビス様は左手に鯛を持っているのか。それは海の神から来ているという。西宮出身の私にはエビス様はおなじみだ。だから、恵比寿信仰のイメージは強く私に刻まれている。

結局、本書から私たちは何を学べばよいか。それは人々の流動性だ。たかだか八〇年の人生で物事を考えると、定職や定住を当たり前と考えてしまう。ところが古来、日本人には海の民族としての絶え間ない行動の歴史があったことが本書から学べる。それなのに私たちには海への文化的視点があまりにも欠けている。

海を舞台に活動した文化の伝統を忘れたこと。それは、日本人の活力を低下させたのではないだろうか。かつての日本人にはフロンティアであり冒険家だった海の人々がいた。そして、今もそうした人々の末裔はいるはず。海の文明を思い出し、日本人が旅心を取り戻した時、日本はまた立ち上るのかもしれない。

本書を読み、そういった知見を養っておくのは決して悪いことではない。

‘2018/04/02-2018/04/18


沖縄にとろける


本書は、沖縄旅行の前に読んでおきたかった。なぜなら、本書には沖縄を楽しむための知識、それも私が大好きな類の知識がたくさん詰まっているからだ。

本書が語る沖縄とは、海や戦跡、水族館や琉球舞踊、音楽についてではない。ありふれた日常の中にある沖縄を語る。

本書が主に扱うのは食文化や酒文化からみた沖縄だ。その観点からみた沖縄は、混じり合った異文化の魅力を放っている。それは観光客として訪れるだけでも存分に楽しめる。実際、私を魅了し続けている。独特の食材を使い、独自の風味で味付けられた料理。お店には泡盛の甕やシーサーが飾られ、飲み食いしながら味わえる旅人の実感は格別だ。

しかし、その装いや味付けはどことなくよそ行きの雰囲気をまとっているように思うのは私だけだろうか。つまりは観光客向けの。それは私がまだ沖縄を観光地でしか知らないからだろう。観光客は決して知らない、沖縄にしかない食文化が、沖縄の日常には隠れているはずなのだ。シーブンのような。旅の楽しみの一つは、その奥深さに触れることにある。普段は観光客の目に触れないが、日常に足を踏み入れると時折その姿をのぞかせる食文化。それらに触れるには、市場やスーパーなど地元民が訪れる場所に行くのが早い。

沖縄は日本屈指の観光地だ。それだけに観光客として訪れるだけでも十分楽しめる。だが、沖縄の日常には、観光客として行くだけでは決して味わえない、さらなる深い麻薬のような魅力を放っているように思う。

その魅力とは、町の大衆食堂の中にメニューとして掲げられている。自動販売機やA&Wの店を訪れ、店内を注意深く見ると気づく。離島のゆっくりした時間に漂っている。うらぶれた裏通りのホテルに染み付いている。地元民しか訪れないビーチで波に洗われている。

私は今回の沖縄が三回目となるが、観光客がよく行くと思われる沖縄本島の有名な観光地はようやく二割近くは訪問できた。となると、次はより沖縄の日常に触れてみたくなる。当然だ。実は二回目も今回も沖縄在住の方にお会いしている。だが、限られたわずかな時間では本書に取り上げられているような深い経験はできない。本書にはいわゆる観光地は登場しない。旅人としてではなく、住んでみて初めて気づく視点。それが紹介されるのが本書だ。

その視点とは、沖縄に住み、地元の方と長い時間を共有してようやく気づく類いのことだ。たとえば本書には住民のビーチパーティーに招かれた著者が、ビーチパーティーとはなんぞや、と考察する章がある。そもそも観光地を訪れ、普通にホテルに泊まっているだけではビーチパーティーには呼ばれるどころか存在にすら気づかないはず。地元の方との親密な関係を築いてはじめてビーチパーティーに呼ばれるのだから。

他の章では、数十メートルの距離を歩かずに車で移動しようとするウチナーンチュを揶揄している。観光客向けのレストランや居酒屋には登場せず、地元住民が足しげく通う店でしか見られないメニューの数々が登場する。法の遵守などまったく見向きもせず、たくましく生きるウチナーンチュの夜型の生活が描かれる。生活のためなら論外と言わんばかりに自販機の夜間販売の制限を無視するふてぶてしさにも触れる。食品衛生法など度外視で造られる島豆腐の製法から、食品の美味しさを賛美する。どの視点も生活をともにせねば書けない内容だ。著者はそうした沖縄のしたたかさとたくましさが、管理と治安が最優先の日本本土で失われつつあることをいいたいのではないか。自主規制が幅を利かせ、画一的な文化しか見られなくなったメインストリームの文化。そのような対比が透けて見えるため、本書はなおさら面白く興味深い。

本書から見えるのは沖縄のたくましさだ。そのたくましさはアジアのそれを思い出させる。たとえば台湾のような。

かつて私は台湾を自転車で一周したことがある。その時に見かけた台湾の人々はとてもエネルギッシュで活力にあふれていた。町中をバイクで五人乗りで走行する少年たちの姿。日本ではまず見られないものだ。その辺で交尾をし、放し飼いで買われている犬たち。私は夜の道を自転車で走っていて何度犬に追っかけられたことか。そのおおらかなアジアの猥雑さは、当時の私に大きく影響を与えた。本書から垣間見える沖縄の姿は、あのときの台湾を思い出させる。

私が台湾で活気むんむんだった庶民を見かけたのも観光地ではなく、日常の中だった。その経験は私に旅の極意を教えてくれた。旅とは観光地ではなく、日常に入り込むことによって得られるものだと。

その経験からいうと、私はまだ沖縄の表しか見ていない。私が沖縄の日常を知るにはあと何度訪れなければならないのだろう。より深く活気にあふれた沖縄。そのエネルギーは少々管理に疲れたように見える日本人に活気を与えてくれるはずだ。活気だけでなく、日本再生のヒントを。

私ももちろん、沖縄からエネルギーを分け与えてもらいたいと思っている。そしてこの整頓と秩序を重んじる日本で生きるためのヒントを。私の残り時間は短い。

‘2018/03/31-2018/04/02