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イマドキ古事記 スサノオはヤンキー、アマテラスは引きこもり


旅が好きな私。日本各地の神社にもよく訪れる。
神社を訪れた際、そこに掲げられた由緒書は必ず読むようにしている。
ところが、その内容が全く覚えられない。特に御祭神となるとさっぱりだ。

神代文字に当てた漢字の連なりも、神の名前も、神社を出るとすぐに忘れてしまう。
翌日になるとほとんど覚えていない。
そんな調子だから、いまだに古事記の内容を語れない。
何度も入門書や岩波文庫にチャレンジをしているのだが、内容が覚えられないのだ。

結局、私が覚えている事は、子供向けの本に出るような有名な挿話をなぞるだけになってしまう。
いつも、旅に出て神社を訪れる度に、何とかして古事記を覚え、理解しなければ、と思っていた。

そんなところに、妻がこのような本を買ってきた。タイトルからしてクダけている。
クダけ過ぎている。
スサノオはマザコンのヤンキーだし、アマテラスは引きこもりでしかもロリ巫女。因幡の白ウサギはバニーガールで、海幸山幸はねらー(5ちゃんねるの住人)だ。

文体もそう。砕けている。
私はあまりライトノベルを読んでいないが、ライトノベルの読後感は、多分こんな感じなのだろう。
折り目正しく端正な日本語とは無縁の文体。
ネット・スラングを操り、SNSを使いこなす神々。
かなりはっちゃけている。今の若者風に。
それがイマドキ。

でも、イマドキだからいいのだ。

暴れ狂うスサノオも、古事記に書かれる姿は何やらしかつめらしく武張っている。威厳ある神の姿。
だが、暴れ狂う姿は、成人式で傍若無人の所業に狂うヤンキーと変わらない。しかも母のアマテラスへの甘えを持っているからたちが悪い。
スサノオにサジを投げ、天の岩戸に隠れたアマテラスも、見方を変えれば、ドアを閉め切った引きこもりと変わらない。

文化、文明、言葉。そうしたものが古めかしいと、権威を帯びてしまう。
そして、古典としてある種の侵しがたい対象へと化ける。

だが、同じ時代を生きた神々が見た身内とは、案外、今の私たちがSNSに一喜一憂し、仕事にレジャーに家庭に勤しむ姿とそう変わらないように思える。
「いまどきの若いものは」と愚痴る文句が古代の遺跡から見つかった、と言う話はよく聞く。
このエピソードは、今も昔もそう変わらない事実を私たちに教えてくれる。
結局昔も同じなら、日本人の祖先を描いた古事記も同じではないか。

神々の行いを全て神聖なものと見なし、全てに深淵なる意味を結びつける場合ではない。
そうした行いは、見る神から見れば、単なる甘えた駄々っ子の振る舞いと変わらない。そう気づいた著者は偉い。
神々とはいえ、今の人間とそう変わらないのでは。そう見直して書き直すと本書が生まれ変わるのだろう。

古事記と名がついていても、やっている事は、今の私たちの行いとそう変わらない。
なら、いっそのこと今風の文体や言葉に変えてしまえ。

そうして、全編が今風な文体と言葉で置き換えられた古事記が本書だ。

本書の内容は古事記の内容とそう変わらない。
ただし、その内容やセリフが大幅にデフォルメされ、脚色されている。
そのため、圧倒的に読み進められる。

まず、あの古めかしい言葉だけで古事記を遠ざけていた向きには、本書はとっつきやすいはずだ。
上に書いた通り、古事記といっても難しいことはなく、ただ神々の日々を少し大げさに描いただけのこと。
それが本書のようにイマドキに変えられると、より親しみが湧くだろう。

ただ、古事記の内容は簡潔だ。
そして登場する神の心象も詳しく描かれることはない。
著者はそれを埋めようと、イマドキのガジェットで埋め尽くす。
それによって現代の若者には親しみが湧くだろう。

だが、ガジェットも行きすぎると、肝心のシナリオを邪魔してしまう。
ライトノベルを読み慣れていないからだろうか。
イマドキの表現に目移りして、肝心の筋書きが頭に入って来にくかった。
それは著者のせいでなく、そうしたイマドキの表現に印象付けられた私のせいなのだが。

これはライトノベルを読み慣れた読者にとって、どうなんだろう。
慣れ親しんだ表現なので、帰って筋書きは頭に入ったのだろうか。
若者が古事記に関心を持ってもらえるなら、私一人が惑わされても大したことではないのだが。

古事記とは、日本創世神話だ。
ナショナリズムを今さら称揚するつもりはないが、古事記に込められている物語の豊かさは、注目しても良いはずだ。
ましてやそれが1700ー2000年の昔から語り継がれて来た。
これだけ豊穣な物語。大陸やユダヤの影響があったとしても荒唐無稽とはいいきれないが、それが昔の日本で編まれたことは事実だから。

だから日本はすごい、とかは考えなくても良い。
けれど、日本人であることを卑下する必要もないと思う。
そうした物語の伝統が今もなお息づいていることを、本書を読んだイマドキの方が感じ取ってくれればと思う。

本書は著者が東北芸術工科大学文芸学部に在籍している間、授業の課題から産まれたそうだ。自由で良いと思う。
温故知新というが、若い人たちが古い書物に新しい光を与えてくれることはよいことだ。

‘2018/10/28-2018/10/29


日本語教室


『相手に「伝わる」話し方』()に続いて読んだのが本書。二冊とも表現がテーマだ。私が続けて同じ分野の本を読もうと思ったのは、私の向上心ゆえだ。今後、世の中を渡っていく上で求められるスキルは無数にある。私もその中のいくつかは装備して世渡りの助けとしている。中でも文章を書く能力は、私が独力で、組織の力を借りることなく、世に打って出られる可能性の高いスキルだと思っている。

私が最近予想すること。それは今後、人工知能がいつの間にか、世のあらゆる分野になくてはならない存在になる、ということだ。それは、組織のあり方を劇的に変えてゆくはずだ。世の中の多くの組織は段階を踏んで解体されて行き、今私たちがなじんでいるものとは違う組織になっていることだろう。今までは組織の人員の力で対応しなければ成し遂げられたなかった仕事が、人口知能によって相当の領域で置き換えられていくに違いない。それは、人工知能vs人間といったわかりやすい構図ではなく、いつのまにか人工知能に深く依存し、そこから引き返せなくなる未来として私の脳裏に思い浮かぶ。

ただ、組織の未来を考えるとき、人の組織への帰属心は容易には消えないはずなので、組織は何らかの形で残っていくに違いない、とも思う。一方で組織の中で働く個人に求められるスキルは変わっていくことだろうという予想も湧き出てくる。つまるところ、組織に勤めていようが独立していようが、これからの個人に求められるスキルとは、組織の中で人々を調整する力よりも個人の力ではないかと思うのだ。とくに個人は、実名で何かを発信しなくては、かなり厳しくなるのではないか。

そのための準備として私が鍛えるべきなのは文章力、そして日本語力だ。著者は日本語にこだわる作家としてよく知られている。ちなみに私は著者の小説は読んだことがない。私の親が著者の文庫本を何冊も持っていて、そのタイトルをそらんじられるにもかかわらず。それなのに、著者の名作たちを差し置いて、はじめに読む著者の本が講演集であることの後ろめたさ。さらにいうと私は著者のことを何も知らなかった。そもそも著者が上智大学出身であることすら、本書を読んで初めて知った次第だ。

本書は著者の出身校である上智大学での講演を書籍化したものだ。講演であるため、本書は話し言葉で貫かれている。つまり、すらすらと読める。しかも時々脱線する。そうした酒脱な雰囲気が本書には始終流れており、楽しく読める。

著者の軽妙な姿勢は、日本語に対する考えからも感じ取れる。本書の第一講「日本語はいまどうなっているのか」では、現代の日本語に英語が幅を利かせつつある状況を紹介する。ところが著者はそれをただ憂うのではない。日本語原理主義を振りかざすこともしない。著者は英語が氾濫する今の日本語に警鐘を鳴らしつつ、言葉は変わりゆくものと柔軟な意見も開陳する。正直いって私も今のカタカナ語の氾濫には閉口している。IT業界に属していると、ビジネス用語も含めた外来語の氾濫にさらされる。しかもIBMなどの外資系の文化が横行する現場だとなおさらだ。それゆえ、過度の日英の単語がちゃんぽんされ、飛び交う現状にはこれ以上ついていけない。だから、その融合するスピードをもう少し緩められないか、という著者の意見に与したい。著者は第二講の「日本語はどうつくられたのか」の中でリコンファームやエンドースメント、そしてコレクトコールのような言葉は無理に日本語訳にせず、外来語のままでよい、とも言っている。そのあたりの柔軟さは必要だし、本書はその点で好感が持てる。

昔、漫画『こち亀』の中で外来語を日本語に律義に言い換えるおじさんが登場したことがある。たとえば「ローリングストーンズ」を「転がる石楽団」とかいう感じで。日本語に相当する言葉がないのなら、珍妙な日本語を作ることにこだわらず、外来語は外来語のままで、というのが著者の主張だ。

第二講で著者は、明治期に西周や福沢諭吉といった人々が外来語を苦労して日本の言葉に翻訳した歴史を紹介する。当時は彼らのような碩学が苦労して翻訳の労を取ってくれた。だが、今は当時とは違い、情報の流入量が違いすぎる。どこまでを外来語として取り入れ、どこまでを日本語に翻訳していけば良いか。それは常に文を書く上で意識していくことが求められる。もう一つ、第二講では、著者の政治的な意見も吐露される。どちらかといえば左寄りの発言が知られる著者の想いが。

たとえば、「完璧な国などないわけですね。かならずどこかで間違いを犯します。その間違いを、自分で気が付いて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。」(118P)との箇所がそうだ。著者も含め、左寄りとされる論客は話が国際関係に及んだとたん、その主張の説得力がなくなってしまう。対象が自分の国だけならそれで良い。けれど、相手の国があると理想主義を貫くのは難しい。

第三講「日本語はどのように話されるのか」で著者が語るのは、日本語の音韻の特徴だ。日本語の母音は”あ”、”い”、”う”、”え”、”お”の五つからなっている。その特徴を説明するため、著者は斎藤茂吉の短歌を取り上げる。
「最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも」
ここで最初の「もがみがわ」の中の”あ”の母音が三つ含まれるところに、著者は開放的な語感を指摘する。また、”う”が五つも続く「ふぶくゆふべ」の語感からは、「吹雪く夕べ」に耐える様子が表現されている指摘する。語感から日本語を指摘する見識はさすがだ。

この前に読んだ『相手に「伝わる」話し方』でも音読の重要性について学んだばかり。母音の数が少ない日本語は、同音異義語、つまりダジャレの土壌となる。また、言葉が母音で終わる日本語の特徴は、外国人の耳に美しい言葉として聞えるらしい。もう一つ、「茶畑」と「田畑」の読みが「ばたけ」と「はた」というように音が濁る場合とそうでない場合についても解説されている。「田」と「畑」のように並列の場合は濁らず、「茶」の「畑」のように従属関係にある場合は濁る。著者はこういった使い分けが日本語に連綿と語り継がれていることを指摘する。これらはとても興味深い。

もう一つ、興味深かった点は、日本語で一息で発音できる音節が十二という記述だ。十二を六と六に分けるとリズムがでない。なので、五と七に分けた。それはつまり俳句のリズムだ。短歌から連歌に発展したリズムが、俳句とつながってゆく。この部分もとても勉強になる。俳句が世界で一番短い詩と言われる秘密がさらりと示される。

第四講「日本語はどのように表現されるのか」では、著者は文法を取り上げる。日本語の文法の構造は、外来語が入ってきたところでおいそれと崩れないことも指摘する。言われてみれば確かにそうだ。「私は」「旅が」「好きだ」と日本語はSOV(主語+目的語+動詞)の順番に並ぶ。しかし英語は「I」「Like」「Travel」とSVO(主語+動詞+目的語)の順に並ぶ。どれだけ英単語が日本語に入り込もうとも、「私は好きだ旅が」という表現が日本で市民権を得るのは難しいし、もしそうなるとすれば、相当の年月がかかるはずだ。それゆえ著者は文法を整理した学者の努力を認めつつ、「私たちは日本語の文法を勉強する必要はないのです。無意識のうちにいつのまにか文法を身につけていますから」(161P)と結論付けるのだ。結局、無意識に刷り込まれた文法の構造こそ、著者にとって守るべき日本語の芯なのだろう。そして日本文化の芯なのだと思う。

先に書いたとおり、本書には右傾化する日本を揶揄する著者の毒が何カ所かで吐かれる。でも、それはあくまで外交関係や領土の領分の話。そういった観点で日本のナショナリズムを主張するのではなく、著者のように文化の立場から日本のナショナリズムを主張してもよいのではないか。私は本書を読んでそう思った。それをごちゃまぜにするのではなく、文化は文化として守るべき。そう考えると左寄りと見られがちな著者は、立派に愛国心を持った人物だと見直すことができる。イデオロギーでカテゴライズすることの浅はかさすら感じさせるのが本書だ。

本書をきっかけに、著者の著作も読んでみなければ、と思うようになった。そこにはきっと、手本にすべき美しい日本語が描かれているはずだから。

‘2018/01/18-2018/01/19


本音で語る沖縄史


本書を読み始める前日までの2日間、沖縄を旅していた。私が沖縄から得たかったのは海での休息ではない。それよりもむしろ、沖縄の歴史や文化からの学びだ。そのために私が訪れた主な場所は以下のとおり。泡盛酒造所。旧海軍司令部壕。平和祈念資料館。斎場御嶽。ひめゆりの塔。旅行の道中については、以下のブログにまとめている。ご興味のある方は読んでいただければ。
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/18
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/19
 ・沖縄ひとり旅 2017/6/20

沖縄を訪れるのは22年ぶり2回目のこと。今回訪れた場所はひめゆりの塔の他はほとんど初訪問。だからこそ全ては新鮮だった。そして多くの気づきを私に与えてくれた。これらの場所が私に教えてくれたことはいくつかある。大きく分けるとすれば二つ。それは、日本にありながら違う文化軸を擁する琉球の魅力と、近世の琉球史が絶え間ない波乱の中にあった事だ。

特に後者についての学びは、私に沖縄の歴史とは現代史だけではない、という発見を与えてくれた。その発見は私に、沖縄についての歴史とは、現代史だけに焦点が当たりすぎてはいないか、という次の疑問をもたらした。とはいうものの、私自身が今まで持っていた沖縄への歴史認識とは、沖縄史すなわち現代史だった。それは率直に認めねなければならない。沖縄戦の悲惨な史実は常に私の胸の奥に沈んでいた。22年前に訪れたひめゆりの塔。そのホールに流れるレクイエムの強烈な印象とともに。だが、沖縄戦を考える時、私の中にあったのは、なぜ沖縄戦が行われなければならなかったかという疑問だ。そして沖縄の人が内地に対してもっている感情の落としどころがどこにあるのか、ということだ。それは、現代史よりもさらに遡り、沖縄=琉球の歴史を理解しなければ到底わからないはずだ。

大本営が沖縄をなぜ捨て石としたのか。その理由の大半は、戦局の推移と沖縄が置かれた地理的条件によるだろう。だが、本当にそれだけで片付けてよいのか、というモヤモヤもあった。沖縄戦が行われた背後には、今の平和な本土の人間が思いも寄らない文脈が流れていたのではないか、という疑問。それが私の中に常にあった。そして、沖縄戦に巻き込まれた人々が今、日本にどのような思いを抱いているのか。それは琉球処置、沖縄戦、占領期、本土復帰を含めてどのような変遷をへてきたのか。沖縄が日本に属することで得られるものはあるのか。日本から独立したい願いはあるのか。今もなお、沖縄の人々は複雑な感情を抱いていることだろう。内地の人間として、その感情を無視して日本にある米軍基地の大半を負担してもらう現状を是とするのか。または海外からの影響が沖縄に及ぶ現状を指をくわえてみているのがよいのか。それらの知見は、私が今後、基地問題についてどういう意見を発信するかの判断基準にもなるはずだ。いったい沖縄の人々は沖縄戦をどう受け止め、どう消化しようとしているのか。

私はその疑問を少しでも解消したいと思い、沖縄へ向かった。初日に訪れた旧海軍司令部壕でも平和祈念資料館でもその疑問は私の中で強まるばかりだった。旧海軍司令部壕では大田実中将の電文を読み、軍の責任者がこういう責任を感じていた志を知った。平和祈念資料館で得た知識や気づきは多かったが、祈念館が取り上げていたのは、琉球仕置以降の沖縄史。そのため、琉球文化の根源や、沖縄戦に至った根本的な理由はついにわからずじまいだった。

その疑問が少し形をとったのは、二日目に斎場御嶽を訪れた時だ。斎場御嶽の奥、三庫理から見える久高島。それは一つの啓示だった。それを観て、私の疑問が解消される道筋が少しだけ啓かれたように思う。それは、沖縄が受け入れる島である、ということだ。久高島とは、琉球の創世神アマミキヨが初めに降り立った島という伝説がある。だからこそ、久高島を遥拝できる斎場御嶽が沖縄で最高の聖地とされているのだ。

沖縄が受け入れる島である、という気づきは私の沖縄についての見方に新たな視点を加えた。ところがこの旅の間、琉球の歴史を紹介する博物館を訪れる時間がなかった。それもあって、旅から戻った私は琉球の歴史を学び直したい、との意欲に燃えていた。単に「基地反対」と唱えているだけだと何も変わらない。かといって今の現状がいいとも思えない。いったいどうすればよいのか、という問題意識は、同じく基地問題に困っている町田住民としても常に持っておきたい。だからこそ、本書を手に取った。本書は私の意欲に応えてくれた。私が知りたかったのは、沖縄をイデオロギーで捉えない史観。本書のタイトルはまさに私の思いを代弁していた。

「まえがき」で著者はいう。「琉球・沖縄というと、とかく過酷な歴史がクローズアップされ、「悲劇の島」として描かれるケースが多い。また、その裏を返すように王朝の華やかなロマンティシズムが強調されることも少なくない。が、そのような被害者の視点や耳障りのいい浪漫主義だけでこの島の生い立ちを語ることは意識して避けた。」(2ページ)
この視点こそ、まさに私が求めるもの。

琉球を無邪気に被害者だけの立場で捉えてはならない。琉球は加害者としての一面も備えている。本書はその側面もしっかり描いている。ともすれば、われわれ内地の人間からは、琉球が加害者であるとの視点が抜けてしまう。ところが琉球を被害者としての立場だけでみると、大切なものを見落としかねない。どういうところが加害者なのか。代表的なのは、沖縄本島から宮古島や八重山諸島へ課した苛烈な人頭税。これは歴史に残っている。薩摩藩の支配下に置かれ、年貢を求められた琉球王朝は、米の育たない島の住民を人頭税の代替として、強制的に米の育つ島に移住させるなどの施策をうった。そのいきさつは本書が詳しく触れている通りだ。

もちろん薩摩藩からの重税のため、やむを得ない政策だったのだろう。とはいえ、弱いものがさらに弱い者をたたくかのような政策は琉球の黒歴史といえるはず。為政者による政策だったとはいえ、琉球もまた、加害者の一面を担っていた。それは忘れてはならない。その視点を持ちつつ、本書を読み進めることは重要だ。

そして、被害者と加害者を考える上で、本島と八重山諸島の間にあった格差。それも見逃すわけにはいかない。その格差が生まれた背景も本書には紹介されている。上に書いた人頭税こそ、その顕著な事例だ。そもそも八重山諸島が本島による収奪の対象となったきっかけ。それは本書によれば、オヤケアカハチが石垣島で宮古島と本島に反乱を起こし、敗北したことだという。そのほかにも与那国島を統治し、人々から慕われたサンアイ・イソバの事績もある。八重山諸島には伝承されるべき逸話が数多くあり、そこには琉球と違う統治者がいたのだ。つまり、われわれが沖縄を無意識に離島と見なすように、沖縄本島からみた八重山諸島も離島なのだ。そして、そこには従わせるべき人々が存在した。その上下関係は無視できない。その関係を本書で学んだことは私にとって大きい。本書を読むまで、私はオヤケアカハチのこともサンアイ・イソバのことも知らなかったのだから。

本書を読むと気づくことがある。それは琉球の歴史とは周りを囲む強国との国際関係の中にあったことだ。だから本島の中だけで完結する歴史は、本書の中でさほど紙数が割かれていない。各地の豪族が按司として割拠し、それが三山(北山、中山、南山)の有力豪族に集約されていったこと。尚巴志が戦いと治世に才を発揮して三山に覇業を唱え、尚氏王朝を打ち立てた逸話。第一尚氏から、農民出身の金丸が台頭して第二尚氏の王朝を打ち立てる流れ。沖縄を王国として確固たるものにした尚真王の時代。その頃の琉球の歴史は、まだ琉球の中だけで完結できていた。

ところがその間も、琉球と明や清、薩摩の島津家との関係は常に何らかの影響を琉球に与えていた。それらの影響は具体的には平和的な朝貢関係として処理することができた。ところが平穏な日々は薩摩藩の侵攻によって終わりを迎える。それ以降の本書は、薩摩藩の支配下に組み込まれた琉球を立て直すための羽地朝秀による改革や、蔡温による徹底的な改革など、外地との関係の中にいかにして国を存続させるかの苦心に多くの紙数を割いている。戦国武将による琉球への野望や薩摩藩の侵攻、ペリー来琉、琉球処置、人頭税廃止、沖縄戦。琉球の歴史を語る上で欠かせない出来事は、島の外部との関係を語ることなしに成り立たない。

本書は琉球の周辺国との関係史を詳しく語る。とくに薩摩藩の侵攻に至るまでの経緯は、秀吉の朝鮮侵略の野望を抜きに語れない。戦国が終わり、朝鮮の役で悪化した明との関係修復。それのために琉球を利用しようとした徳川家康の思惑。薩摩藩による侵攻の背後には、そのような事情が絡んでいた。その事情がどう絡んでいるのか。薩摩藩の支配下に組み込まれたことは、琉球の歴史にとって重大な出来事だ。なぜ薩摩は琉球に目をつけ、なぜ琉球は清と江戸幕府の二重朝貢を受け入れたのか。その事情を知っておくことは、琉球の歴史を知る上で重要だ。ペリー来琉から琉球処置に至るまでの流れも本書を読むと理解できる。琉球が背負う宿命とはつまるところ、日本と大陸の間に位置していることにある。その地理的条件は動かしようがない。琉球の地政的な位置に目を付けた日本と中国の板挟みにあい、さらに太平洋に進出した米国からの干渉も受けざるをえない。それが琉球の歴史と運命を左右してきた。その端的な結果こそ、沖縄戦である。そして、アメリカ軍政下に置かれた琉球政府としての日々だ。

それらの出来事だけをみると、琉球は確かに被害者だ。だが、先に書いたとおり、琉球は加害者としての一面を持っていた。そして、加害者としての一面は、周辺諸国との身をすり減らすような関係から生まれたことも考慮しなければなるまい。私は著者が宣言したようにロマンティシズムや被害者の立場だけで語らないとの言葉に賛成だ。その上でなお、沖縄が被害者だったことも忘れてはならないと思う。琉球とは一面的に見て済ませられるほど単純な島ではないのだ。

そこには為政者の立場と民衆の立場によって置くべき価値観も違ってくる。なので、批判されるべきは、当時の緊迫した国際情勢も知らず、首里城でロマンティシズムに溢れた王朝文化を築いていた人々だろうか。国を生かすことに苦心した政治家もいたが、おおかたは、状況を受け入れて初めて対策を打ってきた。受け入れに終始し、打って出なかったといってもよい。あえて批判するとすれば、そこにある気がする。

だが、王朝文化の爛熟があってこそ、琉球文化が生まれたこともまた事実。王朝文化もただ非難して済むものでもあるまい。第二尚氏の早期に久高島への参拝の慣習はすたれたそうだ。だが、アマミキヨがやってきたニライカナイに対する憧憬や伝承は、失われることはなかった。聞得大君の存在、組踊の創始、泡盛や琉球料理の数々。それらはニライカナイやアマミキヨへの畏敬の念なしには成り立たない。そして、これらは間違いなく今の沖縄の魅力にもつながっている。

本書は琉球の文化を語ることが主旨ではない。なので、文化史への言及はほとんどない。だが、文化史を語るには、王朝のロマンティシズムに触れないわけにはいかない。著者は被害者意識やロマンティシズムを排した視点で琉球史を語る、という切り口で琉球史を語った。それもまた、沖縄に対する態度の一つだ。その視点からでしか見えない沖縄は確実にあると思う。だが一方で、王朝文化やロマンティシズム、被害者の立場が今の沖縄を作り上げていることも事実。だからこそ、両方の立場から書かれた本があるべきなのだと思う。本書のような立場で沖縄は描かれるべきだし、逆もまたそうだ。本書は琉球を知るために欠かせない一冊として覚えておきたいと思う。琉球を学ぶとは、かくも奥深いことなのだ。

‘2017/06/21-2017/06/28


パガージマヌパナス


本書を読んだのは、妻からプレゼントされた沖縄旅行を目前に控えた頃だ。私にとって22年ぶりの沖縄。しかも一人旅。本来ならば下調べをみっちり行い、沖縄を知った上でめぐりたかった。だが、仕事が忙しく、沖縄の本を読む暇はない。電車の中ではあまりガイド本を開くわけにもいかない。そもそも細かい情報がランダムに配されるガイドマップ情報を電車内で読むのは好きじゃない。ならば、小説で雰囲気だけでも、と選んだのが本書だ。文庫本だし、かさばらない。

著者の作品を読むのは本書が『テンペスト』『黙示録』に続いて三冊目だ。『テンペスト』『黙示録』で描かれていたのは王朝時代の琉球だ。その二冊では組踊や琉球音楽が豊かな色彩と音程を伴って描かれていた。そこには魔術的リアリズムを思わせるような超現実的な描写がちりばめられおり、琉球がとても魅力的に描かれていた。私は22年ぶりの沖縄旅行にあたり、著者の作品に描き出されたような異国を味わいたかった。そして異国でありながら日本でもある琉球のことを知りたかった。もちろん、沖縄戦のことは忘れてはならない。だが、沖縄はそれだけではくくれない広がりを持つ島であるはず。

本書は現代の沖縄を描いている。年代は分からないが、描写から推し量るに、本書が出版された1994年の少し前の頃だろう。本土に復帰して20年以上たったとはいえ、基地問題への怒りもまだくすぶり続ける時期。ところが本書に怒りはない。逆にユルい。当時の沖縄ですら、本書で描かれるような暮らしが成り立つのだろうかと思えるほどユルい日常。本書の主役は19歳の仲宗根綾乃だ。あくせく勉強にも追われず、バイトにも励まず、もちろん定職にも就かず、日がな一日、親友のお婆オージャーガンマー86歳とガジュマルの樹の下でだべって過ごしている。将来どころか今も気にしない。そして、過去も顧みない。そんなユルい日々が描かれる。

沖縄のイメージを男女のどちらかに例えるとするなら、私は女性を選ぶ。理由は、沖縄に女性のような柔さとしたたかさを感じるからだ。私が沖縄に対して持つイメージは、本書の中の二人に出会ったことでさらに強まった。

本土であくせくしている私のような者から見れば、本書の二人が送る日々は無為の典型だろう。そもそもこんな生活がとうてい許されない。学生であろうと学校や塾、習い事に翻弄される。生きるために、勝ち抜くために、人よりも優れなければならない、人よりも頭一つ抜け出なければならない。生き馬の目を抜く日々。そこに余裕など生まれるはずがない。

ところが、本書の二人にはその気負いがまったくない。「なんくるないさー」とは、一般的に琉球語で「なんとかなるさ」の意味だと思われている。ところが、これはもう少し深い意味がある。こちらの記事によれば、「まくとぅそーけーなんくるないさー」が正しいのだとか。その意味は「正しいことをしていれば、いつか良い日が来る」ということだ。

ところがオージャーガンマーと綾乃はそうした気負いとは無縁だ。正しいことをしようと襟を正し、日々を品行方正に生きるのではなく、日々をまず飾らず生きる。適当な時間にガジュマルの樹の下に訪れる。そこに決まった時間はない。好きな時に会って、アイスを食べ合い、たわいもない話をして時間を過ごす。やりたい事をやり、人を刺激せずに生きる。

そんな日々を送る綾乃の夢にお告げが下る。それはユタ(巫女)になってほしいとのお告げ。ユタとは代々、琉球に受け継がれた年頃の女性にしかなれない巫女のこと。ところが綾乃はそんなものになるのはごめんだ。オージャーガンマーと楽しく過ごせさえすれば十分。ところが綾乃には祖母の能力が受け継がれ、ユタとしての素質は明らか。ユタとして力を持つカニメガは、そんな綾乃にライバル心を抱く。そして力を誇示し、綾乃を妨害する。だが、綾乃はそんなカニメガをおちょくるように逆にいたずらをしかける。

ここでオージャーガンマーの存在感が増す。オージャーガンマーはただの女性ではない。だてに綾乃と日々を過ごしていたわけではないのだ。オージャーガンマーもかつてはユタとになれとお告げを受けたが、処女じゃなければユタになれないとの掟を逆手に取り、相手を構わず男漁りして自らユタとしての資格を放棄した。でも、オージャーガンマーは自分の過去の行いとは逆に、綾乃にユタになる事を勧める。ここにきてオージャーガンマーの年の功が生かされるのだ。遊んでばかりいて、何も考えていないように見えながら、オージャーガンマーは深い知恵を備えている。それこそが女性が持つ柔軟さとしたたかさだ。それは琉球にも共通する特徴だ。

ユタの営みに徐々に綾乃を触れさせ、ユタとしての伝統に綾乃を誘う。ぶつかりあっていたカニメガも、何気なく綾乃を見守る。こういった緩やかな、そして強いつながりこそが、したたかで強い琉球を、列強の中で生き延びさせて来たのだと思う。本書にはウチナーグチがしきりに出て来る。そこには強いだけでなく、ユーモアとゆとりで歴史を作ってきた琉球の歴史が表れている。本土に負けない琉球の芯の強さが感じられる点だ。

そして綾乃がユタの営みに慣れつつあるころ、役目を果たしたかのように親友オージャーガンマーは死ぬ。人は別れ、そして別れから人は成長する。その繰り返しは、国際政治や国力に関係なく人が世にある限り欠かせない。琉球の真の強さとしたたかさはこの基本的な営みの中にある。そんな日々から「なんくるないさ〜」の真理は伝えられていくのではないだろうか。

私は本書を読んだことで、ユタ、そして御嶽に対して決定的な関心を抱いた。そして本書を読んですぐに訪れた沖縄で斎場御嶽を訪れた。斎場御嶽には琉球文化の中で女性が果たしてきた役割が息づいていた。それは本書の中でオージャーガンマーからカニメガ、そして綾乃へ伝えられた役割でもある。それがよくわかったことが本書の良かったところだ。

‘2017/06/01-2017/06/02


アメリカの鳥


通勤車内が私の主な読書の場である。そのため、読む本はどうしても文庫か新書が多い。全集に至ってはどうしても積ん読状態となる。かさばるし重いし。そんな訳で、全集を読む機会がなかなかない。池澤夏樹氏によって編まれたこの全集も、ご多分に漏れず読めていない。この全集は、英米に偏らず世界の名作が遍く収められており、私も何冊か持っている。が、実際に読むのは本書が初めてだろう。

法人化を控えた2015年元旦。2015年の巻頭に読むべきは、会社設立の心構えについての本が相応しい。それは分かっていたが、全集を読める機会は年始しかないのもまた事実。普段読めない文芸大作が読みたい、という動機で本書にチャレンジした。

とにかく時間がかかった。本作や著者について事前の知識がないままに読み始めたものだから尚更。本書ではピーターという一人の青年の成長が丁寧に描かれている。彼の成長やいささか難解な学びの遍歴をじっくり読むあまり、なかなかページが進まなかったというのが理由だ。

思えば、ジャン・クリストフや次郎物語といった人間の成長をつぶさに書き綴る物語から遠ざかって久しい。この忙しい時代、そういった物語を読み耽ることの出来る時間を捻出することは困難だ。時代に巻き込まれている私もまた、本書のような本を読む時間はあまり与えられていない。

しかし、逆を言えば忙しない時間の合間に本書のような成長の過程を描く物語に触れることで、忙しない日々の中で我々が忘れ去ろうとしているものを取り戻せるのではないか。

そのことは、本書を読むと殊更に思う。何せ本書のテーマのひとつが文明の利器への抵抗なのだから。主人公ピーターの母ロザモンドは、その信条を愚直に貫こうとする人物である。加工食品を頑なに拒み、素材をいかした料理をよしとする。ミキサーやフードプロセッサーには見向きもせず、昔ながらの料理法こそが正しいと信ずる。充分に聡明でありながら、ロザモンドの信念は堅い。

本書は1960年代中盤を舞台とする。遺伝子組み換え食品の問題など影も形もなく、公害すらもようやく問題化され始めた時期である。文明の行く末に過剰な消費文化が待っていることや、IT化の申し子ロボットによって職が奪われる可能性も知らない時代。誰もが文明の利器の便利さに飛び付いていた頃。主人公ピーターは、そのような母ロザモンドと二人きりの家庭で育つ。古きよきピルグリム・ファーザーズのような価値観の中で。

母の薫陶の下、真面目に人生の価値を求める主人公。カント倫理学を奉じ、誰であれ人を手段として利用してはならないと自分に誓う主人公。まだアメリカが1950年代の素朴さを辛うじて残していた時代を体現するのがピーターだ。時は1964年で、ピーターは19歳。自立を追及する余り、放蕩に走るヒッピー文化前夜の話である。母から自立する人生を敢えて選ぼうとするピーターは、かろうじて素朴なアメリカを保つ主人公として読者の前に現れる。本書はそのような危うい時期の危うい主人公ピーターの成長の物語である。

冒頭、ピーターは四年前に母と訪れた地ロッキー・ポートを再訪する。前に訪れた際に巣を拵えていたアメリカワシミミズクに再会するために。しかし、アメリカワシミミズクは、姿を消していた。アメリカワシミミズク。アメリカの鳥だ。本書は冒頭からアメリカの鳥が失われる。そしてその喪失感が読者の脳裏に刻まれる。読者に本書が失われたアメリカの鳥を求める物語であることが示される。アメリカの鳥が失われるのが、アメリカが泥沼のベトナム戦争に踏み込む最中であることは決して偶然ではない。我を失ったアメリカの現状と、それに背を向けるように姿を消したアメリカワシミミズクは、本書の全体のトーンを決める。その時期はまた、既成の権威に背を向けるヒッピー文化花開く前であることも見逃せない。ピーターの性格設定がヒッピーと対極にあることと併せて作者の意図するところだろう。

つまり、本書は失われつつあるアメリカの伝統を、主人公に託して探し求める物語なのだ。

失われたアメリカを求め、母ロザモンドはロッキー・ポートに留まり古き良きアメリカに拘り続ける。一方でピーターは自らのルーツを求め、ヨーロッパへと旅立つ。

新大陸から旧大陸へ。それはアメリカのルーツ探しでもある。リーヴァイというユダヤ人の姓を持つピーター。とはいえ、敬虔なユダヤ教徒でもないピーター。彼がヨーロッパに求めたのは、ユダヤ教ではない。ユダヤ教よりも、自ら信ずる哲学の源泉、連綿と続く芯の通った文化を求めにいったのだ。

だが、その冒険心は、自分が後にしてきたアメリカと同じ性格を持つことにピーターは気付かない。それはアメリカを狂騒の渦に巻き込み、古き良きアメリカを失わせようとする。ピーターがアメリカ人としての自らに気付くのは、ヨーロッパに着いてからの事。ヨーロッパについて早々、手違いでバイクを手放すはめになる。替わりに乗った列車のボックスシートでは、いかにもアメリカ的な賑やかな中年婦人に囲まれ閉口する。この二つの出来事を通じ、ヨーロッパではアメリカ人もまた異邦人に過ぎないことを悟ることとなる。旧大陸はアメリカとは違うのである。その事を改めて実感して。

浮ついたお上りさんとしてのアイデンティティにうろたえ、必死に冷静さを保とうとするが、ますます空回りするばかり。ピーターの姿は第二次大戦の勝利者の地位を得てはじめて国際秩序の守護者としての体裁を整えようとするアメリカそのものだ。

そういった異邦人としての疎外感と母なる文化の産まれた地に住む喜び。そして、狂騒度を増す一方のアメリカ人とは自分は違うという自意識のまま、ピーターはパリやローマで成長を遂げてゆく。友人との交流。家族ぐるみの一家との付き合い。そのパーティーに参加していた女性への片思い。住宅改善デモへの参加。文化的知識と俗っぽい部分を同居させる変わり者のスモール教授との交流。そんな風に徐々にヨーロッパに馴染むピーター。

異国にアメリカを、アメリカの鳥を探しに来たのに、当の母国はベトナム戦争やヒッピー文化に騒がしく、ますますピーターからは遠ざかり、ヨーロッパに愛着は増す。しかしそれでもアメリカの鳥を求め、ピーターは遠い母と文通を重ねる。しかし、母の奮闘もむなしく、アメリカはますます文明の利器に溺れる一方。

しかし、パリで親しくなった一家の晩餐に招かれたピーターは、アメリカのジョンソン政権が北ベトナム爆撃の敢行が間近であることを聞かされ、動揺する。ヨーロッパ人として馴染みつつあった仮面が剥がれた瞬間である。自らがアメリカ人であることに辟易し続けたピーターは、報道を通して自らがアメリカ人であることに狼狽し、図らずもさらけ出してしまったということだろう。

ローマへ旅立ったピーターは、システィーナ大聖堂にスモール教授と赴く。そこでツーリズムについて思いをぶちまける。その思いとは自らがツーリズムの本場であるアメリカ市民であることや、そのツーリズムが俗にまみれ、ヨーロッパの文化の深淵を観ることなく、あまりに表面をなぞることしかしないことへの苛立ちである。そこには現代においては先進国となっているアメリカ人として、豊饒な文化的空間にいることの座りの悪さの裏返しなのだろう。また、この中でピーターは、もはやこの地球には真の旅行に値する処女地は残されていないことも指摘している。それは、母ロザモンドの拘る古き良きアメリカの文化、そして食文化がもはや残されていないことへの諦めとも取れるのかもしれない。

パリへ戻ると、浮浪者の女性を義侠心から部屋に泊める。そこには性的な欲望も何もなく、ただ単に厚意からの行動である。それは若者の正義感でもあり、おそらくはベトナム戦争の反動といった意味が込められているのだろう。本書を通してピーターは童貞を通すが、それもフリーセックス全盛のアメリカ文化への対比軸であることは言うまでもない。

しかし、アメリカの北爆は敢行され、友人と動物園に行ったピーターはそこで鳥に噛まれる。アメリカの鳥を求めてヨーロッパに来たピーターは、黒い鳥に噛まれて感染症にかかる。これ以上ない皮肉である。意識を取り戻したピーターは枕元にいる母ロザモンドを認める。夢から覚めてみれば結局アメリカからの使者が待っていたという結末だ。朦朧としたピーターは夢の中である人に出会う。その人が発した「もう見当はついているかもしれないね。自然は死んだのだよ、マイン・キント(我が子よ)」で本書は締められる。

アメリカが苦しみ、変化を遂げた1960年代にあって、本書のような物語が語られたことは、必然であったのかもしれない。アメリカのうろたえ振りは、当時の著者にとって本書を書かせるまでに深刻に映っていたのだろう。その堕ちていくアメリカと、失われていく自然を描いた本書は、大河小説としても一級であるし、我々が現代で失われていたものを気付かせる点でももっと読まれてもよいのではないか。

結果として、帰省中に読了することができず、痛勤車内で読むはめになってしまった。本書がどこかの文庫も再録されればよいのに。

‘2015/01/02-2015/01/15