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破れた繭 耳の物語 *


耳の物語と言うサブタイトルは何を意味しているのか。

それは耳から聞こえた世界。日々成長する自分の周りで染みて、流れて、つんざいて、ひびいて、きしむ音。
耳からの知覚を頼りに自らの成長を語ってみる。つまり本書は音で語る自伝だ。
本書は著者の生まれた時から大学を卒業するまでの出来事を耳で描いている。

冒頭にも著者が書いている。過去を描くには何から取り出せばよいのか。香水瓶か、お茶碗か、酒瓶か、タバコか、アヘンか、または性器か。
今までに耳から過去を取り出してみようとした自伝はなかったのではないか。
それが著者の言葉である。

とは言え音だけで自伝を構成するのは不可能だ。本書の最初の文章は、このように視覚に頼っている。
一つの光景がある。
と。

著者は大阪の下町のあちこちを描く。例えば寺町だ。今でも上本町と四天王寺の間にはたくさんの寺が軒を占めている一角がある。そのあたりを寺町と呼ぶ。
幼い頃に著者は、そのあたりで遊んでいたようだ。その記憶を五十一歳の著者は、記憶と戦いながら書き出している。視覚や嗅覚、触覚を駆使した描写の中、徐々に大凧の唸りや子供の叫び声といった聴覚が登場する。

本書で描かれる音で最初に印象に残るのは、ハスの花が弾ける音だ。寺町のどこかの寺の境内で端正に育てられていた蓮の花の音。著者はこれに恐怖を覚えたと語っている。
後年、大阪を訪れた著者は、この寺を探す。だが幼き頃に聞いた音とともに、このハスは消えてしまったようだ。
音はそれほどにも印象に残るが、一方で、その瞬間に消えてしまう。ここまで来ると、著者の意図はなんとなく感じられる。
著者は本書において、かつての光景を蘇らせることを意図していない。むしろ、過去が消えてしまったことを再度確認しようとしているのだ。
著者は、日光の中で感じた泥のつぶやき、草の補給、乙行、魚の探索、虫の羽音など、外で遊んで聞いた音を寝床にまで持ち運ぶ。もちろん、それらの音は二度と聞けない。

昭和初期ののどかな大阪郊外の光景が、描写されていく。それとともに著者の身の回りに起こった出来事も記される。著者の父が亡くなったのは著者が小学校から中学校に進んだ歳だそうだ。
しばらく後に著者は、父の声を誰もいない部屋で聞く。

時代はやがて戦争の音が近づき、あたりは萎縮する。そして配色は濃厚になり、空襲警報や焼夷弾の落下する音や機銃掃射の音や町内の空襲を恐れる声が著者の耳をいたぶる。

ところが本書は、聴覚だけでなく視覚の情報も豊富に描かれている。さらには、著者の心の内にあった思いも描かれている。本書はれっきとした自伝なのだ。

終戦の玉音放送が流れた日の様子は、本書の中でも詳しく描かれている。人々の一挙手一投足や敵機の来ない空の快晴など。著者もその日の記憶は明晰に残っていると書いている。それだけ当時の人々にとって特別な一日だったに違いない。

やがて戦後の混乱が始まり、飢えに翻弄される。聴覚よりも空腹が優先される日々。
そのような中で焼け跡から聞こえるシンバルやトランペットの音。印象的な描写だ。
にぎやかになってからの大阪しか知らない私としては、焼け跡の大阪を音で感じさせてくれるこのシーンは印象に残る。
かつての大阪に、焼けただれた廃虚の時代があったこと。それを、著者は教えてくれる。

この頃の著者の描写は、パン屋で働いていたことや怪しげな酒を出す屋台で働いていたことなど、時代を反映してか、味覚・嗅覚にまつわる記述が目立つ。面白いのは漢方薬の倉庫で働いたエピソードだ。この当時に漢方薬にどれほどの需要があるのかわからないが、著者の物に対する感性の鋭さが感じられる。

学ぶことの目的がつかめず、働くことが優先される時代。学んでいるのか生きているのかよくわからない日々。著者は多様な職に就いた職歴を書いている。本書に取り上げられているだけで20個に迫る職が紹介されている。
著者の世代は昭和の激動と時期を同一にしている。感覚で時代を伝える著者の試みが読み進めるほどに読者にしみてゆく。五感で語る自伝とは、上質な歴史書でもあるのだ。

では、私が著者と同じように自分の時代を描けるだろうか。きっと無理だと思う。
音に対して私たちは鈍感になっていないだろうか。特に印象に残る音だったり、しょっちゅう聞かされた音だったり、メロディーが付属していたりすれば覚えている。だが、本書が描くのはそれ以外の生活音だ。

では、私自身が自らの生活史を振り返り、生活音をどれだけ思い出せるだろう。試してみた。
幼い頃に住んでいた市営住宅に来る牛乳売りのミニトラックが鳴らす歌。豆腐売りの鳴らす鐘の響き。武庫川の鉄橋を渡る国鉄の電車のくぐもった音。
または、特別な出来事の音でよければいくつかの音が思い出せる。阪神・淡路大震災の揺れが落ち着いた後の奇妙な静寂と、それを破る赤ちゃんの鳴き声。または余震の揺れのきしみ。自分の足の骨を削る電気メスの甲高い音など。

普段の忙しさに紛れ、こうした幼い頃に感じたはずの五感を思い出す機会は乏しくなる一方だ。
著者が本書で意図したように、私たちは過去が消えてしまったことを確認することも出来ないのだろうか。それとも無理やり再構築するしかないのだろうか。
五感を総動員して描かれた著者の人生を振り返ってみると、私たちが忘れ去ろうとしているものの豊かさに気づく。

それを読者に気づかせてくれるのが作家だ。

‘2020/04/09-2020/04/12


やぶれかぶれ青春記


本書も小松左京展をきっかけに読んだ一冊だ。

小松左京展では、著者の生い立ちから死去までが、いくつかの写真や資料とあわせて詳しい年表として紹介されていた。
著者の精力的な活動の数々は、小松左京展でも紹介されていた。あらためて圧倒された。だが、若い時期は苦しみと挫折に満ちた青春時代を送ったそうだ。小松左京展では、それらの若い頃の雌伏についても紹介していた。
だが、業績や著作があまりにも膨大な著者故、著者の若い頃については存分に紹介されていたとはいいがたい。少なくともその時期に焦点を当てた本書に比べれば。

本書は、著者のファンではなくても、自伝としてもと読まれるべきだと思う。それほど素晴らしい。そして勉強になる。何よりも励まされる。

やぶれかぶれ、というのはまさに文字通りだ。
本書の性格や意図については、本書のまえがきで著者自身が書いている。少しだけ長いが引用したい。

「編集部の注文は、大学受験期を中心とした、「明朗な青春小説」というものだった。ーそして、それは私自身の自伝風のものであること、という条件がついている。」(7P)

「まして、私の場合など、この時期と、戦争、戦後という日本の社会の、歴史的異常状況とが重なってしまったから、とても「明朗な青春」などというものではなかった。なにしろ妙な時代に生まれたものである。私の生まれた昭和六年には、満州事変がおっぱじまり、小学校へ上がった十二年には日中戦争がはじまった。五年生の時太平洋戦争がはじまり、中学校にはいった年に学徒動員計画がはじまった。徴兵年齢が一年ひきさげられて、学徒兵の入隊がはじまった。中学二年の時にサイパン玉砕、中学生の工場勤労動員がはじまり、B29の大空襲がはじまる。中学三年の時には大阪、神戸が焼野が原となって終戦、あとは占領下の闇市、食料欠乏の大インフレ、預金凍結、新円切りかえ、中学五年で旧制三高にはいったと思ったら、その年から学制が現在の六三制にかわり、旧制一年だけで新制大学第一期生に入学、その年日本は、大労働攻勢と、大レッドパージの開始で、下山、三鷹、松川事件と国鉄中心に会事件が続発し、翌年朝鮮戦争勃発…。政治、思想、人生などの諸問題、そして何よりも飢餓と貧困にクタクタになって、やっと昭和二十九年、一年おくれで卒業した時、世の中は「もはや戦後でない」という合い言葉とともに「神武景気」「技術革新」の時代に突入しつつあった。その年、家は完全に倒産した。」(12P)

小松左京展でも、著者の戦時体験については一区画が設けられていた。著者の諸作のあちこちに反戦の思いが散見され、著者が心から戦争を嫌っていたことが感じられる。
実際、右傾化した世の中で、著者は相当ひどい目に遭わされたそうだ。そのことが本書にも紹介されている。

鉄拳制裁や教師の無定見からくる差別。理不尽な扱いはしょっちゅう。
何のためにやっているのかわからない勤労奉仕。無意味な作業。
そして戦後になったとたん、戦時中に放っていた勇ましい言葉をすっかり忘れたかのような大人たちの変節。

中学生の時に著者が受けた扱いの数々は、当時の世相や暮らしの実態を知る上でとても興味深い。

戦後、人々がなぜあれほどに左翼思想へと走ったのか。それは戦時中の反動からという説はよく目にする。
実際、著者も大学の頃に共産主義の運動に足を突っ込んだことがあるという。
それもわかるほど、軍国主義に嫌気がさすだけの理由の数々が本書には書かれている。

戦後になって一念発起し、旧制高校にはいった時の著者の喜び。それは本書からもよく感じ取れる。
その無軌道な生活の楽しさと、それが学制改革によって一年で奪われてしまった著者の無念。それも本書からはよく理解できる。

よく昭和一桁世代という。だがその中でも昭和六年生まれの著者が受けた運命の運転や、その不条理な経験は本書を読んでもうんざりさせられる。人を嫌いにさせるには充分だ。
著者の計り知れない執筆量。さらには文壇や論壇の枠からはみ出し、万博への関与や政財界にまで進んだエネルギーが、全てこの時期に培った反発をエネルギーと変えて噴出させたことも本書を読むとよく理解できる。

大学に進んだ著者は、完全に自由なその生活を謳歌する。そしてやぶれかぶれのやりたい放題をする。
その辺の出来事も面白おかしく描かれている。

自伝によくあるのは、ドラマチックなところだけ取れば面白いが、その他の経歴は淡々と読み進める類のものだ。だが、本書は、エピソードの一つ一つが破天荒だ。そしてどれもがとても面白い。そのため、どんな人にとってもスイスイと読めるはずだ。

本書で描かれる大学時代の日々はとても面白い。だが、ある日になって浮かれている著者を置き去りにして周りがフッと醒めていく。周囲の空気の変化を感じた著者が、モラトリアムの終わりを予感するくだり。本書は私にとっても身につまされる描写が多い。

本書に描かれていない出来事は他にもある。そうした情報は小松左京展でも展示されていた。
実家の工場の倒産と、工場長として後始末に駆けずり回る毎日。残された借金を返済するために大量に書きまくる日々。そうした苦しみの数々を小説へのエネルギーに変えたところなど、とても面白い。
おそらくこの時期の著者には面白い出来事をもっと持っていることだろう。そうした体験は著者が別の場所に発表しているはずなので探してみたい。

そして、私にとっては、もう二度と戻ることのない青春時代に、もっとはちゃめちゃな毎日を過ごしておけばよかった、と思うのだ。
私の場合はそれを取り戻そうと、中年になった今でも自由で気ままに生きようと日々を生きているつもりだ。だが、著者のやぶれかぶれで破天荒な青春にはとてもかなわない。

末尾には著者のこの時期を物語る四つの短編が納められている。
「わが青春の野蛮人たち」「わが青春」「わが読書歴」「気ちがい旅行」

これらもあわせて読んでいくと、巨大な著者の存在がより近づく。またはより遠くなってしまう。だが、より親しみを感じられるはずだ。

冒頭にも書いた通り、本書は自伝としてとても推薦できる一冊だ。

‘2019/12/30-2019/12/31


府中三億円事件を計画・実行したのは私です。


メルカリというサービスがある。いわゆるフリマアプリだ。
私が初めてメルカリを利用した時、購入したのが本書だ。

本書はもともと、小説投稿サイト「小説家になろう」で800万PVを記録したという。そこで圧倒的な支持を得たからこそ、本書として出版されたに違いない。
あらゆる意味で本書が発表されたタイミングは時宜にかなっていた。
発刊されたのが事件から50年という節目だったことも、本書にとっては追い風になったことだろう。本書を原作とした漫画まで発表され、ジャンプコミックスのラインアップにも名を連ねた。
私も本書には注目していた。なのでメルカリで数百円のチケットを得、本書の購入に使った。

本書は、犯人の告白という体裁をとっている。
事件から50年の月日がたち、真相を埋れさせるべきではないと考えた老境の犯人。彼は妻が亡くなった事をきっかけに、息子に自らの罪を告白した。
親の告白を真摯に受け止めた息子は、これは世に公開すべき、と助言した。
助言するだけでなく、息子は親の告白をより効果的に公開できるように知恵を絞った。身分が暴露されないように、なおかつ告白の内容が第三者に改変されないように。
その熟慮の結果、息子がえらんだ手段とは、小説投稿サイトに投稿し、世間に真実を問うことだった。実に巧妙だ。
その手段は、本書の発表の時期、媒体、内容を選んだ理由に説得力を与えている。さらに、その説得力は本書に書かれた事件の内容が三億円事件の真実かもしれない、と読者を揺るがす。
本書の文章や文体はいかにも小説の書き方に慣れていない人物が書いたようだ。この素人感がまた絶妙なのだ。なぜなら著者は小説家になりたいわけではなく、自らの罪を小説の体裁で世に出したかっただけなのだから。
文中でしきりと読者に語りかけるスタイル。それも、今の小説にはあまり見られない形式であり、この点も著者の年齢を高く見せることに成功している。

だが、そうした記述の数々が不自然という指摘もある。
そうした疑問の数々に答えてもらおうと、BLOGOS編集部が著者にメールでインタビューし、コメントをもらうことに成功したらしい。
こちらがその記事だ。
それによると、著者が手書きで書いた手記を、息子がデータに打ち直し、なおかつ表現も適切に改めているらしい。そうした改変が、70才の著者が書いたにしては不自然な点がある、という指摘を巧妙にかわしている。実に見事だ。

何しろ、三億円事件と言えば日本でもっとも有名な未解決事件と言っても過言ではない。
有名なモンタージュ写真とともに、日本の戦後を語る際には欠かせない事件だといえる。

それほどまでに有名な事件だけあって、三億円事件について書かれた小説やノンフィクションは数多く出版されている。
私にとっても関心が深く、今まで何冊もの関連本を読んできた。

なぜそれほどまでに、三億円事件が話題に上るのか。
それは、事件において人が陰惨に殺されなかったからだろう。
さらに、グリコ・森永事件のように一般市民が標的にならなかったこともあるかもしれない。
ましてや、保険金が降りた結果、日本国内では損をした人間がほぼいなかったというから大したものだ。
あえて非難できるとすれば、長年の捜査によって費やされた税金の無駄を叫ぶぐらいだろうか。

三億円事件は公訴時効も民事時効もとっくに過ぎている。今さら犯人が名乗り出たところで、犯人が逃亡期間を海外で過ごしていない限り、逮捕される恐れもない。
つまり、三億円事件とは、犯罪者の誰もがうらやむ完全犯罪なのだ。
その鮮やかさも、三億円事件に対する人々の関心が続いている理由の一つだろう。

そんな完全無欠の犯罪を成し遂げた犯人だと自称する著者。その筆致は、あくまでも謙虚である。
そこには、勝ち誇った者の傲慢もなければ、上り詰めた人間が見下す冷酷もない。逃げ切った犯罪者の虚栄すらもない。
本書の著者から感じられるのは、妻を失い、後は老いるだけの人生に寄る辺を失わんとする哀れな姿のみだ。

あれほどの犯罪を成し遂げた人でも、老いるとこのように衰える事実。
老いてはじめて、人は若き日の輝きを眩しく思い返すという。だが、本書から感じられるのは輝かしさではない。哀切だ。誰も成し遂げられなかった犯罪をやり遂げた快挙すら、著者には過ぎ去った哀切に過ぎないのだろう。

1968年といえば学生運動が盛んだった時期だ。当時の若者は人生の可能性の広大さに戸惑い、何かに発散せずにはいられなかった。現代から見ると不可解な事件が散発し、無軌道な衝動に導かれた若者たちが暴れていた。中核派が起こしたあさま山荘事件や、日本赤軍がテルアビブ空港で起こした乱射事件。東大安田講堂の攻防戦など、現代の私たちには到底理解できない衝動。その衝動は本書の著者いわく、犯行のきっかけにもなっているという。
若さを縦横にかけまわり、何かに対してむやみに吠え立てていた時期。そうした可能性の時期を経験したにもかかわらず、老いると人はしぼむ。
本書の内容が歴史的な事実がどうかはさておき、本書から得られる一番の収穫とは、無鉄砲な若さと老いの無残の対比だろう。
それが、手練れの文章ではなく、素人が描いた素朴な文章からつむぎだされるところに、本書の良さがあると思う。

著者から感じられる哀切。それは、著者がいうように、犯罪を遂行する過程で人を裏切ったことからきているのだろうか。
そもそも、本書に書かれていることは果たして真実なのだろうか。
そうした疑問も含め、本書はあらゆる角度から評価する価値があると思う。
文章に書かれた筋書きや事件の真相を眺め、それだけで本書を評価するのは拙速な気がする。
発表した媒体の選定から、読者の反応も含め、本書はメディアミックスの新たな事例として評価できるのではないだろうか。

さきに挙げたBLOGOSのインタビューによると、著者は本書の後日談も用意しているという。
たとえば犯罪後、関西で暮らしたという日々。そこでどうやって盗んだ紙幣を世に流通させずに過ごせたのか。そもそも強奪した紙幣のありかは。
そうした事実の数々が後日談では描かれるという。
他にも本書で解決されなかった謎はある。
たとえば、本書に登場する三神千晶という人物。この人物は果たして実在する人物なのか、というのも謎の一つだ。これほどまでにできる人間が、その後、社会で無名のまま終わったとは考えにくい。本書はその謎を解決させないまま終わらせている。
だが、当該のインタビュー記事から1年半がたとうとする今、いまだに続編とされる作品は出版されていない。
そもそもの発表の場となった小説家になろうにも続編は発表されていないようだ。

NEWSポストセブンの(記事)の中で、本書の内容に対して当時捜査本部が置かれた府中署の関係者にコメントを求めたそうだ。だが、「申し上げることはありません」と語ったそうだ。

願わくは、後日談が読みたい。
続編がこうまで待ち遠しい小説もなかなかあるまい。

‘2019/02/03-2019/02/04


しろばんば


本書は著者の幼少期が取り上げられている。いわゆる自伝だ。著者は伊豆半島の中央部、天城湯ヶ島で幼少期を過ごしたという。21世紀になった今も、天城湯ケ島は山に囲まれ、緑がまぶしい。百年前はなおのこと、自然の豊かな地だったはずだ。その環境は著者の分身である洪作少年に健やかな影響を与えたはず。本書の読後感をさわやかにする洪作少年のみずみずしく素朴な感性。それが天城湯ヶ島によって培われたことがよく分かる。

小学校二年生から六年生までの四年間。それは人の一生を形作る重要な時期だ。伊豆の山奥で洪作少年の感性は養われ、人として成長して行く。洪作の周囲にいる大人たちは、素朴ではあるが単純ではない。悪口も陰口も言うし、いさかいもある。子どもの目から見て、どうだろう、と思う大人げない姿を見せることもある。大人たちは、少年には決して見せない事情を抱えながら、山奥でせっせと人生を費やしている。

一方で、子供には子供の世界がある。山あいの温泉宿、天城湯ヶ島は大人の目から見れば狭いかもしれない。だが、子供の目には広い。子供の視点から見た視野。十分に広いと思っていた世界が、成長して行くとともにさらに広がってゆく。本書を読んでうならされるのは、洪作の成長と視野の広がりが、見事に結びつけられ、描かれていることだ。

洪作の視野は土蔵に射し込む光で始まる。おぬいばあさんと二人、離れの土蔵に住まう洪作。洪作は本家の跡取りとしてゆくゆくは家を背負うことを期待されている。だが、洪作は母屋では寝起きしない。なぜなら洪作は祖父の妾だったおぬいばあさんに懐いているからだ。洪作の父が豊橋の連隊に勤務しているため、母と妹も豊橋で暮らしている。おぬいばあさんも洪作をかわいがり、手元に置こうとする。そんなわけで、洪作は母屋に住む祖父母や叔母のさき子とではなく、おぬいばあさんと暮らす。洪作の日々は閉ざされた土蔵とともにある。

本書の『しろばんば』という題は、白く浮遊する羽虫のことだ。しろばんばを追いかけ、遊ぶ洪作たち。家の周囲の世界だけで完結する日々。外で遊び、学校に通い、土蔵で暮らす。そんな洪作の世界にも少しずついろいろな出来事が混じってくる。母の妹のさき子とは温泉に通い、汗を流す。父の兄であり、学校の校長である石守森之進宅に呼ばれた時は、見知らぬ場に気後れし、長い距離を家まで逃げ帰ってしまう。おぬいばあさんとは馬車や軽便鉄道に乗って両親のいる豊橋に行く。その途中では、沼津に住む親族たちに会う。

話が進むにつれ、洪作の見聞する場所は広がってゆく。人間としても経験を積んでゆく。

低学年の頃、一緒に風呂に入っていた叔母のさき子が、代用教員として洪作の学校で教壇に立つ。洪作にとって身近な日常が、取り澄ました学校につながってゆく。校長というだけで父の兄のもとから逃げていた洪作も、もはや逃げられなくなる。さきこともお風呂に入れなくなる。一気に大人の雰囲気を帯びたさき子は、別の教師との仲をうわさされる。そしてそれは事実になり、妊娠して学校を辞める。そして、結婚して相手の赴任地へ移ってしまう。それだけでなく、その地で結核にかかり命を落とす。さき子は母や妹と離れて暮らす洪作にとって身近な異性だった。そんなさき子があっという間に遠ざかり、遠くへ去ってしまう。

さき子がいなくなった後、洪作に異性を意識させるのは、帝室林野局出張所長の娘として転校して来たあき子だ。あき子は洪作を動揺させる。その動揺は、少年らしい性の自覚の先駆けであり、洪作の成長にとって大きな一歩となる。

おぬい婆さんとの二人暮らしはなおも続く。が、洪作が成長するにつれ、おぬい婆さんに老いが忍び寄る。おぬい婆さんは下田の出身。そこで、老いを感じたおぬい婆さんは故郷の景色を見たいといい、洪作はついて行く。そこで洪作が見たのは、故郷に身寄りも知り合いもなくし、なすすべもないおぬい婆さんの姿だ。自分には知り合いや知識が広がってゆくのに、老いてゆくおぬい婆さんからは知り合いも知識も奪われてゆく。その残酷な対照は、洪作にも読者にも人生のはかなさ、人の一生の移ろいやすさを教えてくれる。

洪作に人生の何たるかを教えてくれるのはおぬい婆さんだけではない。洪作の家庭教師に雇われた犬飼もそう。教師の仕事が引けた後に洪作に勉強を教えてくれる犬飼は、洪作に親身になって勉強を教えてくれる。だが、犬飼のストイックな気性は、自らの精神を追い詰めて行き、変調をきたしてしまう。気性が強い洪作の母の七重の言動も洪作に人生の複雑さを示すのに十分だ。田舎だからといって朴訥で善良な人だけではない。人によって起伏を持ち、個性をもつ大人たちの生き方は、洪作に人生のなんたるかを指し示す。それは洪作の精神を形作ってゆく。

本書は著者の自伝としてだけでなく、少年の成長を描いた作品としてd語り継がれていくに違いない。そして百年前の伊豆の山間部の様子がどうだったか、という記録として読んでも面白い。

私は伊豆半島に若干の縁を持っている。数年前まで妻の祖父母が所有していた別荘が函南にあり、よく訪れては泊まっていた。ここを拠点に天城や戸田や修善寺や富士や沼津などを訪れたのも懐かしい。その家を処分して数年たち、伊豆のポータルサイトの仕事も手がけることになった。再び伊豆には縁が深まっている。また、機会があれば湯ヶ島温泉をゆっくりと歩き、著者の足跡をたどりたいと思っている。

’2017/10/04-2017/10/08


本音採用にブログを連載しています


なんどかFacebookやTwitterでは告知していますが、
昨年八月よりCarry Meさんの運用されている「本音採用」というWebメディアにおいて、ブログを連載しています。

「アクアビット航海記「ある起業物語」」と題して。

連載も長期にわたると、そろそろ一覧で記事を管理したいと思います。

本日4/19、第三十七回をアップしました。

第三十九回 新しい会社で技術力が向上する
第三十八回 転職と新たな会社での洗礼
第三十七回 新たな会社からのお誘い
第三十六回 仕事のピークとその後の反動
第三十五回 正社員として得た経験
第三十四回 家の処分に本腰を入れ始める
第三十三回 途方に暮れる家の処分
第三十二回 家の重荷
第三十一回 はじめて作ったホームぺージ
第三十回 子を持つ責任の芽生え
第二十九回 流れにまかせ正社員へ
第二十八回 Excelマクロ使いから正社員へ
第二十七回 僕が僕であるために
第二十六回 機会を逃さず飛び込む
第二十五回 自立の願いに暗雲が
第二十四回 自立した自分を悟る
第二十三回 スーパーバイザーとして働く
第二十二回 上京してまもなく
第二十一回 前半生のまとめ
第二十回 単身上京に踏み切る
第十九回 ブラック企業でしごかれる
第十八回 社会に出るために足掛かりをつかもうとする
第十七回 社会に出て自らの無力さを感じる
第十六回 社会に出て、プログラミングに触れる
第十五回 大学を出た後
第十四回 大学での生活が私の起業に与えた影響(後編)
第十三回 大学での生活が私の起業に与えた影響(前編)
第十二回 航海記
第十一回 起業のデメリットを考える その5
第十回 起業のデメリットを考える その4
第九回 起業のデメリットを考える その3
第八回 起業のデメリットを考える その2
第七回 起業のデメリットを考える その1
第六回 起業のメリットを考える その5
第五回 起業のメリットを考える その4
第四回 起業のメリットを考える その3
第三回 起業のメリットを考える その2
第二回 起業のメリットを考える その1
第一回 まずはじめのご挨拶

これからも連載はつづく予定ですが、連載の度に追加していきます。

1 2017/8/10
2 2017/8/17
3 2017/8/24
4 2017/8/31
5 2017/9/7
6 2017/9/14
7 2017/9/21
8 2017/9/28
9 2017/10/5
10 2017/10/13
11 2017/10/19
12 2017/10/26
13 2017/11/2
14 2017/11/9
15 2017/11/16
16 2017/11/23
17 2017/11/30
18 2017/12/8
19 2017/12/14
20 2017/12/21
21 2017/12/28
22 2018/1/4
23 2018/1/11
24 2018/1/18
25 2018/1/25
26 2018/2/1
27 2018/2/8
28 2018/2/15
29 2018/2/22
30 2018/3/1
31 2018/3/8
32 2018/3/15
33 2018/3/22
34 2018/3/29
35 2018/4/5
36 2018/4/12
37 2018/4/19
38 2018/4/27
39 2018/5/13

Vol.18
だめ
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自転車
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%87%AA%E8%BB%A2%E8%BB%8A.jpg

出会い
https://pixabay.com/ja/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AB-%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF-%E6%84%9B-%E4%B8%80%E7%B7%92%E3%81%AB-%E4%BA%BA-%E9%96%A2%E4%BF%82-%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84-%E5%B9%B8%E3%81%9B-1190904/

vol.19
履歴書
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ブラック企業
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得たもの
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vol.20
足跡
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両親
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上京
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vol.21
旅路
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七つの
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感謝
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vol.22
上京したてのなにもない私
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完全なる孤独と自由の日々
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職探し
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vol.23
横浜ビジネスパーク
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乾杯
https://pixabay.com/ja/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC-%E4%B9%BE%E6%9D%AF-%E4%BA%BA%E9%96%93-%E5%96%9C%E3%81%B3-%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88-%E5%80%8B%E4%BA%BA-%E9%81%8B%E5%8B%95-%E6%B0%97%E5%88%86-1458869/

Excel
Excel & OpenOffice Calc navigation shortcuts

vol.24
結婚準備
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巣立ち
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感謝
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vol.25
暗雲
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歯医者
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挫折
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vol.26
重荷
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リクルート
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飛び込む
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vol.27
歯車
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学生
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尾崎豊
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Relief_of_Yutaka_Ozaki_at_Shibuya_Cross_Tower_in_Shibuya,_Tokyo.jpg

vol.28
Y2K
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5a/One_Y2K_Bug_%283664294542%29.jpg

データベース
https://pixabay.com/p-156948/?no_redirect

名刺
http://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=54464&picture=&jazyk=JP

vol.29
流れに乗る
https://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=10514&picture=&jazyk=JP

損得
https://www.publicdomainpictures.net/view-image.php?image=174629&picture=hand-with-thumb-up-and-down

正社員のタスク
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vol.30
護摩焚き
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%B7%8F%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E9%87%91%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E4%BF%AE%E9%A8%93%E6%9C%AC%E5%AE%97%E3%80%8C%E6%99%AE%E6%9D%A5%E5%B1%B1%E6%AD%A3%E8%A6%9A%E9%99%A2%EF%BD%A3Img396.jpg

宿った子
実際の長女のエコー写真

新生児
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vol.31
ホームぺージ
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独学
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自分を表現する
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vol.32
負債
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交渉
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綱引き
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vol.33
廃虚
West Lawn - Tinged with Regret

弁護士
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最初の一歩
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vol.34

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契約書
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専門家
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リフレッシュ
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vol.35
経験
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商談
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コンプライアンス
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vol.36
2002 FIFA Worldcup
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:2002_World_Cup_Logo.jpg

2002 FIFA Worldcup
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Saitama_2002_0604.jpg


https://www.google.co.jp/search?as_st=y&hl=ja&tbs=sur%3Afc&tbm=isch&sa=1&ei=QRTOWsasOofc8QXhkaOoCA&q=chain+four&oq=chain+four&gs_l=psy-ab.3..0i8i30k1l8.1917.3877.0.4171.10.10.0.0.0.0.208.900.0j6j1.7.0….0…1c.1j4.64.psy-ab..3.7.897…0j0i4k1j0i19k1.0.ifPceY6eCK4#imgrc=I3PfGxEYSDCkQM:

vol.37
お招き
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迷い
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作業
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vol.38
別れ
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停滞
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倉庫
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vol.39
オフィス
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スキル
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vol.40
誕生
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スタート
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交渉
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喜嶋先生の静かな世界


著者の本は一時期よく読んでいた。よく、と言っても犀川シリーズだけだったけど。犀川シリーズとは、那古野大学の犀川助教授とゼミ生である西之園萌絵が主役のシリーズ。本稿を書くにあたり、著者のWikipediaを拝見したところ、犀川シリーズをS&Mシリーズと呼ぶことを知った。S&Mシリーズはとにかく読みやすい。読みやすさのあまり、内容をほとんど忘れてしまう事が逆に欠点となるほどに。私がS&Mシリーズを読むのを途中でやめてしまったのは、その読みやすさが災いしてのことに違いない。そのため、S&Mシリーズの結末は知らない。結局のところ、西之園萌絵は犀川先生を射止めたのかどうかも。

本稿を書くにあたり、私が最後に読んだS&Mシリーズ及び著者の作品を調べてみた。その作品とは「今はもうない」だ。S&Mシリーズの最後から数えて三つ目の作品だ。しかも私は「今はもうない」を二回読んでいる。1998年の11月と2001年の4月に。おそらくはこのときも一回目に読んだ内容を忘れてしまっていたのだろう。私は、これを最後に著者の作品から遠ざかることになる。

そういうわけで本書は、十数年ぶりに読む著者作品となる。

長音を避ける理系色の豊かな文体は相変わらず。ドクターはドクタ。スーパーはスーパ。エネルギーはエネルギィだ。久々に読んでもやはり個性的だ。懐かしさを感じた。

水のようにすっと心に染み入る読みやすさも健在。小説家として稀有な文章力の持ち主なのだろう。文章がうますぎるのだ。そういえば、本書に載っていた著者の略歴を見ると、元名古屋大学助教授となっている。私が著者の作品を読んでいた頃は、まだ現役の名古屋大助教授だった気がする。いつの間に研究職をやめて作家専業になったのだろうか。そう言えばその頃に比べて作品リストも大分層が厚くなったようだ。国立大助教授の職をなげうっても作家として専念できるだけの手ごたえを著者は感じたのだろうか。

だが、国立大助教授まで登り詰めるのもおいそれとできることではない。それができたのは、著者が学究生活に魅力を感じていたからに他ならないと思う。雑務に追われず、自らのピュアな探求心に身を委ねられる日々。充実と成果が相和して得られた研究生活。研究職を辞す決心をした著者には、小説家としての今後の希望と同じくらい、研究者としての日々に後ろ髪を引かれたのではないか。

本書を読むと、学究生活への愛着を感じる。主人公や主人公の師である喜嶋先生の描き方は、著者がかつて持っていたはずの志を体現した人物そのものだ。

本書にはここに書くほどの特別なあら筋はない。あるとすれば、主人公の幼時から大学入学、そして修士課程、博士課程への道筋がそうだ。取り立ててドラマチックな出来事は起こらないし、登場人物の間の関係も単純だ。著者の文体のように、スッと読める筋書きになっている。

本書は筋のない分、主人公の心の軌跡が明るみになっている。読み書きの苦手な少年が宇宙を志す。文系科目は避け、理系科目にのみ興味を寄せる。大学もやすやすと理系学部に入学する。大学の享楽的な雰囲気に失望するも、大学院の求道的な姿勢を目にし、そこに自らの居場所を定める。己の信ずるままに学問に邁進する主人公の人生は、雑味がなく読んでいてとても小気味良い。

院での生活と、そこでの喜嶋先生との出会いが本書の肝となる部分だ。筋といった筋もない本書だが、著者は先生や先輩の院生の異動をうまくからめながら、話が停滞しないように読者を引っ張ってゆく。うまいなあ、と思う。著者の筆達者な筋運びには一分の乱れもない。

一分の乱れもないのは、主人公が師と仰ぐ喜嶋先生も同じ。雑務を排し、学究のみに向かいたいがために講師以上の職を望まない喜嶋先生。その学究者として筋の通った姿に主人公は感銘を受ける。

本書には俗世の安易な快楽は登場しない。学生ノリの飲み会すらほぼ登場しない。本書はむさ苦しい男だけの小説と思いきや、女性も数人出てくる。しかし、本書では恋愛さえ、浮世離れした高尚な営みとして描かれる。院生となった主人公に、大学入学当初から主人公に想いを寄せていた清水スピカが告白する。そんな主人公の人生にとってエポックな出来事さえ、著者は繊細に取り扱う。キスしか描写されないまま、研究者となった主人公はスピカと結婚するのだ。果たして婚前交渉かあったのかどうか、本書からは全く伺うことはできない。プラトニックとでも言いたくなるような、清らかな男女関係だ。

喜嶋先生と計算センタのマドンナ沢村さんの関係も高尚かつ純そのもの。しかし本書には主人公や喜嶋先生を笑う無粋な輩は登場しない。学究の高みを目指して研究にうちこむ本書のテーマにとって、二人の間のロマンスをどうこういう余地はない。本書の純粋さは、登場人物だけでなく読者からの下世話な突っ込みすらも跳ね返す。本書からは世のあらゆるもの、人の営みそのものすら、徹底して水や空気のように透明で通り過ぎていくものとして扱おうとする著者の意思が感じられる。本書は、水のようにしみこむ文体と、水のように薄い俗世の味わいと、水のように純粋な学問への思いから成っている。森の奥に静かにたたえられた湖のように。

主人公が助手から他大学の助教授へと招聘されるにつれ、つまり研究以外のものが生活に混じるに従い、喜嶋先生の口調に丁寧さが混じってゆき、自然と疎遠になってゆく。人は成長するにつれ、世の中と折り合ってゆくために、世俗のものと妥協し、それらを身につけてゆく。それゆえ、世俗に染まった者にとっては、喜嶋先生の孤高を貫こうとする姿が淡々としているように見えるほど、逆に痛々しさを感じる。そしてある種の悔しさすらも感じる。さらには哀しみの感情も抱く。俗なものに流されるとは、長いものに巻かれることは、これほどにも楽なことなのか。そして、自己を貫いて生きるとは、これほどまでに苦しいものなのか。そんなことまで思わせる哀切さにみちた結末だ。

本書の帯には、こう書かれている。
学問の深遠さ、研究の純粋さ、大学の意義を語る自伝的小説

私はこう付け加えたい。
学問の深遠さ、研究の純粋さ、孤高の困難さ、大学の意義を語る自伝的小説、と。

‘2016/07/15-2016/07/16


佐藤家の人びと―「血脈」と私


本書は本来なら血脈各巻の解説として巻末に附されるべきものだ。

しかし、上中下巻あわせて原稿用紙3400枚ともいう大作「血脈」。その解説には、語り尽くすべき内容が多すぎる。多彩な登場人物、無数のエピソード、何箇所もの舞台。一族の大河を描いた3400枚の中にはあまりにも多くの情報が込められている。

特に、血脈の登場人物には著者自身も含め、個性的な人物が多い。著者の筆があまりにも活き活きと登場人物を描くものだから、読者はついその人の顔をみたくなる。放蕩の限りを尽くすこの節という人物はどんな面構えなんだろう。狂恋に翻弄されシナを振り回す洽六の馬面とは、そして洽六をそうまでさせる女優シナの容姿とは。さらに、作者の子供時代のあどけなくも意志を感じさせる顔とは。本書には読者にとって興味の対象である登場人物達の写真が豊富に載せられている。

私は「血脈」上中下巻を読み通す間、いったい何度本書を繙いたか。十回や二十回どころではない。それこそ数えきれないくらいだ。弥六から洽六。シナの女学生時代や女優時代。洽六の一人目の妻ハツと、八郎、節、久の兄弟。夭折した長女喜美子。さらには早苗と愛子姉妹。八郎の息子たちに、八郎や愛子とは腹違いの真田与四男。八郎の師匠である福士幸次郎。個性的な人物の肖像がすぐに確認できる座右にあることで、血脈本編をめくる手にも一層熱がこもるというものだ。

また、本書には血脈登場人物の家系図も掲載されている。それによって読者は複雑な佐藤家の血脈関係を確認しながら本編を読み進めることができる。

また、本書にはいわゆる著者による謎解き的な解説文も豊富に掲載されている。私はそれらの文については、本編を読む間は一顧だにせず、本編読了後にまとめて読んだ。しかし、本書に収められた解説を読んでから再度本編を読み直すと、一層本編の理解も深まることは間違いない。著者自身による「血脈」や佐藤家の一族を語る冒頭から、著者と豊田氏、著者と長部氏、著者と大村氏による対談、さらには血脈の本編を補強するエピソードの数々。これほどの内容が載っているからこそ、本来は解説として下巻の巻末に附されるべき本書が独立した書籍として刊行されたのだろう。まさしく著者畢生の大作に相応しい扱いだともいえる。

本書を読んで、改めて「血脈」についてまとまった感想を述べてみたいと思う。

それは、特定の人物を小説のモデルにする、ということの是非についてだ。おそらくは「血脈」に出てくる内容のほとんどは限りなく事実に近いと思う。それは佐藤家の登場人物にとっては自分の悪行が暴かれ、読者にさらされることを意味する。しかも死後に。よくある評伝や伝記は、モデルの死後、生前のモデルを知らぬ人物によって書かれることが多い。よくある暴露本の類はモデルに近い人物によって書かれることが多いが、それは亡くなってすぐに書かれるため、生々しい内容になりがちだ。

「血脈」に登場する人物のほとんどは、なくなった後随分経ってからモデル化されている。存命だが、著者に色々と書かれた人物といえば、サトウハチロー記念館館長を務めているハチローの息子四郎ぐらいだろうか。あと、ハチローの孫にあたる佐藤家の嫡男恵も忘れてはならない。「血脈」は恵が著者に会いに来る場面で終わる。八百屋の引き売りになるという、佐藤家の血脈を引くに相応しい世俗的な栄華とは無縁の生き様を見せる一方で、荒ぶる血が鎮まったかのように細く落ち着く様子が本書の幕切れとして鮮やかな効果を与えている。つまり、恵は著者によって貶されるどころか佐藤家の血を鎮める役割として好意的に描かれている。

しかし、血脈を体現する主要人物はそうでもない。ワルとされる人物達は著者の人生にあまりにも深く関わっている。著者にとって愛憎半ばというより憎さも一入だったかもしれない。それは「血脈」や本書を読めば容易に感じられる。彼らは自らを憎む著者によってモデル化され、私生活が暴かれていく。自らの悪行を近しい娘であり妹であり姪である著者から書かれるということは、モデルとなった人物にとって何を意味するのか。私は結局のところ、それはどうでもよいことだと思う。彼らにとってみても、自分の人生がどう書かれようとどうでもよかったに違いない。やりたいようにやり切った人生は自分だけの物。死後に誰に何を書かれようとどうでもいい。そう思っていたのではないだろうか。少なくとも自分の行動が死後どのように書かれるか計算しながら生きた人物の人生など、他人から取り上げられることなどそうないだろう。彼らはそんな心配など一瞬たりとも考えずに人生を送ったに違いない。死後に何を書かれようとも気にしない。それは多分、評伝を書かれるような人物全てが思うことだと思う。墓に入ってしまえば何も反論できない。逆に生者たちが何を噂しようとも、死者には何の影響も与えまい。

でも、亡くなった方がつとに願うのは、自らの人生が嘘や捻じ曲げによる情報で汚されないことではないだろうか。どう思われようとも自分がやっていないことが事実としてまかり通ることは嫌だろうな、と思う。その人物を非難できるのはその人物と同じ時代を生きた人にだけ許されること。その人物の成した行為によって直接の影響を与えられた人物にしか非難する資格は与えられない。それは常々私がこうありたいと思う歴史への向き合い方だ。違う時代の人物によって書かれる評伝が学問として認められるのは、そこに取り上げられる対象の人物を非難するからではなく、歴史の正確性を期すためだからだ。一方で、同時代の著者によって書かれる暴露本が軽く見られるのは、生々しく利害がぶつかる内容であり、出来事から発生する波紋がまだ収まっておらず、確定していない事実を描くからだ。

では、「血脈」はどうなのだろうか。モデルとなった人物と同じ時代を過ごした著者によって書かれた「血脈」は、それが許される作品として考えてよいと思う。彼らの生きた人生をモデル化するのも非難するのも、彼らに近しい著者だから出来たこと。洽六もハチローも節も忠も五郎も、さらにはシナやカズ子やるり子や蘭子や早苗も、他人はともあれ愛子には書かれる資格があったのではないだろうか。そして、ここで言っておかねばならないのは、著者は決して彼らを憎しみだけで見ていたわけではなかったことだ。本書の36Pで書かれているが、著者が自伝「愛子」を上梓した際、室生犀星氏から手紙をもらったことが紹介されている。そこには「小説を書くことは、親を討ち、兄弟姉妹を討ち、友を討ち、己を討つことです」とあったという。この言葉がずぅーっと著者の中にあったとか。でも、著者は「血脈」を書く中で、彼らをただ討つだけではない高みに登っていったと思う。ユーモアもある愛すべき点もある人物として。それはたとえば、「佐藤家の人間はしょうがない連中だけど、ユーモラスなんですよ。で、それがあるから助かってる。それがなかったら悲惨な、読むに耐えない小説になったと思います」(P61-62)や、「佐藤家は悪口と怒りが渦巻く一家だった。だが背中合せに濃密な愛があった。「血脈」を描いてそれがわかったことが、私はうれしい」(P168)といった記述にそれが現れている。

どんな奇想天外な人生でも、どんなに人に迷惑をかけた人生でも、死ねば時がその苦さを薄めてゆく。故人をいつまでも非難するのではなく、きちんと向き合い、全力で理解しようと努める。本書は佐藤家の血脈を非難する本ではなく、肉親たちを鎮魂する本なのだ。

特定の人物を小説のモデルにするということは、ただ単に憎み貶すだけでは何物も産みださない。そうではなく本書のようにそこにある人間としての救いを描かないと駄目なのだ。それが本書の優れた点であり、構成に残すべきモデル小説として推薦する点だと思う。

‘2015/09/12-2015/09/15


そうか、もう君はいないのか


巻末の児玉清さんの解説にすべてが書かれている。本文でも静かな共感と感動が、そして読み終えた終わった後には児玉さんの文章にまた心を動かされる本である。

著者が亡くなった後に、依頼を受けて書いていたという奥様とのなれそめや思い出を綴った原稿を、残された遺族の方がまとめたという本書は、原稿に対する気負いも重圧もなく、ただひたすらに著者の愛妻家ぶりと自分の一生への肯定的な気持ちが伝わり、すがすがしい気持ちになる。

私の少ない読書体験の中では、著者の自伝にはまだ巡り会っていないけれど、愛妻との出会い、そして名古屋への通勤から茅ヶ崎への転居、小説家としてのデビューが淡々とした筆致で語られており、本書こそが著者の自伝といっても過言ではないだろう。

巻末には原稿を編纂した遺族の娘さんによる文章も載っており、著者の主観的な文章と、娘さんの客観的な視点から、氏の愛妻家や人柄が伝わってくる。

職住近接のススメとして、本書を取り上げてもいいかもしれない。

なお、この本の解説を児玉さんが書かれたのは、なくなる一年前である。あくまで想像だけれど、お亡くなりになる前に、改めて本書の想いを味わいつつ、旅立たれたのではないだろか。

’12/1/30-’12/1/31


初恋


こちらの著者、プロフィール非公開というのが非常に興味を惹かれる。

なぜかというとこれは著者の半自伝的な3億円事件に関わる実行犯と計画犯の物語だから。

簡明な文体で難解な内部事情をこまごまと描くわけでもなく、ただたんたんとあの事件の一日を描写しているのが、逆に妙な説得力を与える。この物語に対して司法はどういう反応を示したのか気になるので、あとで調べてみよう。

’11/9/21-’11/9/21