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サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ


サイゼリヤは私が上京してからよく訪れているレストランだ。さまざまな店舗を合わせると、百回近くは行っているはずだ。
その安さは魅力的だ。そして味も常に一定のレベルの品質が保たれている。
(一度だけ、わが家の近所の店であれ?ということはあったが)

著者はサイゼリヤの創業者であり、今も会長として辣腕を振るっている。
その著者がサイゼリヤを創業し、経営していく中でどのように一大チェーンを築き上げたのか。そのノウハウや哲学を語るのが本書だ。

本書は、レストランの業界誌に連載されていた内容をもとにしているという。そのため、ページ数はさほど多くない。とはいえ、内容がコンパクトにまとめられているので、著者なりの経営の要点が学べる。

私が経営者として感じている壁は無数にある。その一つが、個人からチェーン展開への壁だろう。
個人で全てを回せているうちはまだいい。だが、規模を拡大しようとした途端、個人の能力や時間では賄えなくなってしまう。個人には24時間しか与えられていないからだ。
そこで人を雇う。さらに拠点を増やす。そうなると経営者の目は行き届かなくなる。個人のノウハウをどうやれば伝達できるのか。社員を多く雇い、規模を大きくするには、個人のノウハウを伝達しなければならない。スキル、哲学、規律。それを教えることが最初の壁だ。経営者が自らのビジネスを拡大するためには、まずその壁を乗り越えなければならない。その壁は高く険しい。
それは私自身が今、零細企業の経営者として実感していることだ。

本書は、地に足のついた経営を実践する上で参考になる点が多い。
個人から組織へと規模を拡大するにはどうすればよいか。
本書を読むと、サイゼリヤの成長の軌跡が分かる。サイゼリヤは、資金を調達し、急拡大を遂げてきたのではない。本書から受けるのは、一歩一歩徐々に規模を大きくし、自社でノウハウを積み上げながら経営を進めてきた印象だ。
それは経営の壁にぶつかっている私の立場からは、とても心強い。融資を受けるにはハードルが高いからだ。

著者は市川で開業した一号店で、多くの苦労と失敗をした。そしてそこから多くを学んだ。
著者は状況を打開するため、イタリアに視察に行った。そしてイタリア料理に着目した。当時は高級料理だったイタリア料理に着目したのは著者の先見の明だ。だが、それだけではない。そこから、思い切って金額を下げることで他店との差別化を行った。それらは著者が失敗から学んだことであり、それも著者の明断だといえる。

金額を下げる。それは、いわゆる安売りである。だが、一般に安売りはよくないとされている。私自身、かつては自分の単価を安く設定してしまい、自分の価値を下げてしまった失敗がある。
だが、著者は安く売ることで状況を打開した。私もそこを本書から学びたいと思った。

安売りといっても単に安く売るのではない。安く売るためには、安くてもなお、利益を出せなければ。そのためには利益を出すための体制が欠かせない。

著者は創業の頃から人時単位での生産性を重視してきたという。粗利益÷従業員の1日の総労働時間。この基準を著者は6000円という金額に設定しているそうだ。
また、ROI(Return On Investment)、つまり投資利益率を求める計算式は利益÷投資額×100だ。これも最低基準として20%に設定しているとのこと。

本書を読んでいると、サイゼリヤの成功の秘訣が見えてくる。それは、創業者である著者がどんぶり勘定ではなく、初めから利益と経営への意識をしっかり持っていたことによるのだろう。
だからこそ、継続的に成長を刻みながら、今の規模まで育てられたのだと思う。

もちろん成功の理由はそれだけではない。商品開発や組織開発なども必要だ。本書には財務だけでなく、経営全体に対する著者の努力も書かれている。
財務と組織。その両輪をきちんと押さえていたからこそ今のサイゼリヤがあるのだろう。

翻って私の反省だ。
私は個人で動くことに慣れてしまっていた。一人でやる分には、仕事も十分に回る。私は独立したとはいえ、長い期間を常駐の現場で働いてきた。そのため、私が本当の意味で経営者となったのはごく最近のことだ。常駐から抜け、個人で仕事を請けて回すようになったこの五年。それが私の経営者としての歴史だ。

この五年、個人で仕事を回せるようになってきた。とはいえ、著者の例でいうと、私はまだ、商品開発に没頭している状態だ。組織開発や財務への意識は二の次。
著者を例に例えると、店内で調理をしながら配膳をし、レジ打ちもこなしている。それが私だ。多店舗展開とは程遠い状態にある。

ようやく本書を読んだ数カ月後から、弊社でも人を雇い始めた。ようやく次の壁を乗り越えようとし始めたのだ。

その壁を乗り越えるためにも、経営者としての心の持ち方を養わねばならない。また、失敗を次への教訓として生かさねばならない。また、経験を次代に伝えなければならないし、そのためにも公平な評価を心掛けなければならない。あれもこれも追うのではなく、要となる商品をベースにおき、数値目標は一つに絞る。
ここに書いたことは、どれも本書にも書かれている経営の要諦なのだろう。

そして、経営を行うためには、単なる精神論に頼らない。気持ちを前向きに持ちながらも、押さえておくべき経営のツボはきちんと把握する。その大切さ著者は説いている。
それは例えば在庫回転率や立地の重要性である。著者はそうした観点や指標を例に挙げる。ただ、著者が経営するチェーンストア業界ではなく、それぞれの読者の属する業界によって、その指標は臨機応変に変わるはず。まずはそれを理解すべきだろう。

例えば私のような情報処理業界の場合に置き換えてみる。
例えば、適切な案件が継続的に請けられ、その用意と準備と実装と保守が順調に回る状況。それこそがあるべき姿なのだろう。
そのためには、自社の得意分野を踏まえた上で、正当な商圏を見据える。そして、むやみやたらと広告や営業を打つのではなく、特定の企業に売り上げを依存するのでもなく、適度に分散してリスクを負わない営業チャネルを構築する。そんなところだろうか。

著者は働くことは幸せになることだ、という理念を掲げ、それを常に見直しているという。さらに、経営に失敗という概念はなく、失敗に思えるものはすべて次へつながる成功なのだとも説く。
そして、著者が説くことでもっとも私の心に刺さったことがある。それは、変化に対応するために必要なのが「組織」だと著者はいう。
普通に考えると、機動力と行動力のある一人の方が変化に対応しやすいのではないか。だが、一人だと、対応できるのは一人が動ける時間に限られる。一人の一日の持ち時間は24時間だ。
だが、組織の場合、人数×営業時間が持ち時間として与えられる。分業だ。それぞれが分業をこなし、その能力を磨きつつ、能力を発揮する。それができたとき、組織は一人の時よりも変化に対応できる。

本書で著者が説いている内容は決して難しくない。だからこそ、理屈をこねくり回す必要もない。経営とは複雑なものではなく、本来は単純なものなのかもしれない。だが、そう分かっていても経営は難しい。だが、経営者はそれをやり遂げなければならない。

私は自分の会社をどうしたいのか。経営理念は作り、雇用に踏み切った。失敗もして、ようやく少しずつ組織が形になりつつある。
税理士の先生、社労士の先生に加え、人財コンサルタントの方にもご指導を受けている。
本書で学んだこと、諸先生方のご指導を踏まえ、少しずつ経営の実践と安定に努力しようと思う。

2020/10/5-2020/10/5


人災はどこから始まるのか 「群れの文化」と「個の確立」


本書は、元日本原子力研究所や日本原燃株式会社といった原子力の第一線で働いていた著者が書いている。
原子力技術者が、東日本大地震が起こした惨禍とそれに伴う福島第一原子力発電所の事故を受け、贖罪の気持ちで書いたものだという。

題材が題材だからか、本書はあまりなじみのない出版社から出されている。
おそらく、本書に書かれている内容は、大手出版社では扱いにくかったのだろう。
だが、本書をそれだけの理由で読まないとしたらもったいない。内容がとても素晴らしかったからだ。

こうした小さな出版社の書籍を読むと校正が行き届いていないなど、質の悪さに出くわす事がたまにある。本書にも二カ所ほど明らかな誤植があった。
私の前に読んだどなたかが、ご丁寧に鉛筆の丸で誤植を囲ってくださっていた。
だが、その他の部分は問題がなかった。文体も端正であり、論旨の進め方や骨格もきっちりしていた。
著述に不慣れな著者にありがちな文体の乱れ、論旨の破綻や我田引水の寄り道も見られない。

しかも本書がすごいのは、きちんとした体裁を備えながら、明快かつ新鮮な論旨を含んでいる事だ。
原子力発電所の事故を語るにあたり、官僚組織の問題を指摘するだけならまだ理解できる。
本書のすごさは、そこから文化や文明の違いだけでなく、事故を起こす人の脳の構造にまで踏み込んだ事にある。

こう書くと論理が飛躍しているように思えるかもしれない。だが、著者が立てた論理には一本の芯が通っている。
著者は福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、人間の脳を含めた構造や文化から説き起こさなければ、過ちはこれからも起こりうると考えたのだろう。
事故が起こる原因を人間の文化や脳の構造にまで広げた本書の論旨は、きちんとまとまっており、新鮮な気付きを私たちに与えてくれる。

本書の主旨はタイトルにもある通り、ムレの文化が組織の危機管理の意識を脆弱にし、責任の所在が曖昧になる事実だ。

日本の組織ではムレの意識が目立っている。それは戦後の経済成長にはプラスとなった。
だが、著者は、日本が高度経済成長を達成できた背景がムレの意識ではないと指摘する。それどころか、日本の成長は技術の向上とその時の国際関係のバランスが有利に働いた結果に過ぎないと喝破する。
日本の高度経済成長に日本のムレ組織の論理はなんら影響を与えなかった。
それは私たちにとって重要な指摘だ。なぜなら、今もなお、過去の成功体験にからめとられているからだ。
著者のような高度成長期に技術者として活躍した方からなされた指摘はとても説得力がある。

その結論までを導くにあたり、著者はまずムレと対立する概念を個におく。
それは西洋の個人主義と近しい。当然だが、個人主義とは「俺が、俺が」の自分勝手とは違う。

そうした文化はどこから生まれるのだろうか。
著者は、文化を古い脳の記憶による無意識的な行動であると説く。レヴィ=ストロースの文化構造論も打ち出し、それぞれの文化にはそれぞれに体系があり、それが伝えられる中で強制力を備えると説明する。

一方で著者はフェルナン・ブローデルの唱えた「文明は文化の総体」を批判的に引用しつつ、新たな考えを提示する。その考えとは、古い脳の所産である文化に比べ、文明は新しい脳である大脳の管轄下にある。要するに、理性の力によって文化を統合したのが文明だと解釈してよいだろう。
続いて著者は西洋の文化の成り立ちを語る。西洋はキリスト教からの影響が長く強く続いた。宗派による争いも絶えず、国家も文化も細かく分かれ、摩擦が絶えなかった西洋。そのような環境は相手の信教の自由を尊重する関係を促し、個人の考えを尊重する文化が醸成された。著者はイタリア・スペイン・フランス・ドイツ・イギリス・アメリカの文化や国民性を順に細かく紹介する。

ついでわが国だ。温暖な島国であり外敵に攻め込まれる経験をしてこなかったわが国では、ムレから弾かれないようにするのが第一義だった。ウチとソトが区別され、外に内の恥を隠蔽する文化。また、現物的であり、過去も未来も現在に持ち込む傾向。
そうした文化を持つ国が明治維新によって西洋の文化に触れた。文化と文化が触れ合った結果を著者はこのように書く。
「欧州という「個の確立」の文化の下で発展した民主主義や科学技術という近代文明の「豊かさ」を享受しています。それを使い続けるならば「個の確立」の文化の下でなければ、大きな危険に遭遇する事は免れません。」(168p)

ここまでで本書は五分の三を費やしている。だが、脳の構造から文化と文明にいたる論の進め方がきっちりしており、この部分だけでも読みごたえがある。

そして本書の残りは、東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故と、その事故を防げなかったムレ社会の病巣を指摘する。
ムレに不都合な事実は外に見せない。津波による被害の恐れを外部から指摘されても黙殺し、改善を行わない。それが事故につながった事は周知のとおりだ。
社会の公益よりムレの利益を優先するムレの行動規範を改めない限り、同様の事故はこれからも起こると著者は警鐘を鳴らす。

著者は最後に、ムレ社会が戦後の民主化のチャンスを逃し、なぜ温存されてしまったかについて説き起こす。敗戦によって公務員にも職階制を取り入れる改革の機運が盛り上がったそうだ。職階制とは公務員を特定の職務に専念させ、その職域に熟達してもらう制度で、先進国のほとんどがこの制度を採用しているそうだ。
ところが明治から続く身分制の官僚体制が通ってしまった。GHQの改革にもかかわらず、冷戦体制などで旧来の方法が通ってしまったのだという。
その結果、わが国の官僚はさまざまな部署を体験させ、組織への帰属意識とともに全体の調整者の能力を育てる制度の下で育ってしまってしまった。
著者はそれが福島第一原子力発電所の事故につながったと主張する。そして、今後は職階制への移行を進めていかねばならないと。
ただ、著者は世界から称賛される日本の美点も認めている。それがムレの文化の結果である事も。つまり「ムレの文化」の良さも生かしながら、「個の確立」も成し遂げるべきだと。
著者はこのように書いている。
「これからは、血縁・地縁的集団においては古い脳の「ムレの文化」で行動し、その一方で、感覚に訴えられない広域集団では「個の確立の文化」によって「公」の為に行動する、というように対象によって棲み分けをする状況に慣れていかなければなりません。」(262P)

本書はとても参考になったし、埋もれたままにするには惜しい本だと思う。
はじめにも書かれていた通り、本書は原子力の技術者による罪滅ぼしの一冊だ。著者の年齢を考えると自らの人生を誇らしく語るところ、著者は痛みで総括している。まさに畢生の大作に違いない。
著者の覚悟と気持ちを無駄にしてはならないと思う。

‘2020/01/30-2020/02/01


井上成美


本書を読むのはニ回目だ。
私は以前から井上成美と言う人物にとても興味を惹かれてきた。本書も含め、数冊の井上氏についての本を読んだ私の井上氏への思いは尊敬の一言に尽きる。

井上氏の経歴を概して書くと、以下のようになるだろうか。
海軍の中で曲がったことが嫌いな剛直な人物として著名で、日独伊三国同盟の締結には山本五十六元帥や米内光政大将・首相とともに猛烈に反対した。が、陸軍や海軍内の強硬派に押しきられた。最後の海軍大将として海軍の解体を見届けた後は、横須賀の長井に逼塞し、清貧の余生を過ごした。
どれだけ窮乏に苦しもうと、海軍の部下や校長時代の教え子たちが援助をしようと、首を縦に振らなかったと言う。世に再び出ることを潔しとせず、信念を貫き通した人物。

井上氏が余生を過ごし、亡くなった地は長井。私の名字と同じだ。
また、井上氏は自らを教育者と任じていたようだ。私の二人の祖父は、ともに大学で教えていた教職者だった点でも同じ。
そうした共通点があるためか、私は、井上氏になにかの縁を感じていた。

横須賀の長井にある井上邸には三回訪れた。最初に訪れた際は、すぐ近くまで行ったものの、場所を見つけられずに断念した。が、それから数年後、ようやく見つけた。それが本書を読む二カ月前のこと。
その時の印象が消えないうちに本書をもう一度手に取った次第だ。

本書を通して井上氏の人生を振り返って思うこと。それは、組織の中で個人が生きていくことの難しさだ。
組織と言う巨大な怪物の中にあって、人はどのように生きていくべきか。これは、私たちすべての人間が突き付けられる問いだ。

井上氏もまた、海軍の組織の中で自らの信念を通そうとした。そして時流に呑まれ、挫折した。
本書は、井上氏が組織の中で戦い抜き、それでも敗れ去った記録だ。その姿から著者が書き表そうとしたのは、組織の中で信念を貫く方の難しさと尊さだ。

軍隊の中にあって自らの筋を通すこと。ほとんどの人は長いものに巻かれてしまう。そして組織の論理に組み込まれていく。だが、井上氏は節を曲げずに頑張り通した。
山本・米内の両氏と組み、アメリカと戦争すれば絶対に負けると主張した。
その正しさは、日本の敗戦という形で証明された。それは、井上氏の望んだ形ではなかったことだろう。
ドイツやイタリアの初期の目も眩むような戦果に目を奪われた推進者に対して、自らの信念が遠ざけられた無念さは推察できる。

組織とは手ごわい。
だが、組織の手ごわさは、井上氏のように徹底的に組織と戦った人物だからこそ言える。
その点、私には資格がない。
私は組織と徹底的に戦う前に、個人事業の世界に独立してしまった。だから、私が言えるのは、せいぜい本書のような組織と戦った人物の評伝を通して自らの考えを述べる位だ。

井上氏の経歴から私たちはなにを学べば良いだろうか。
私が思うに、それは軍人とは戦が上手くなければならないとの通念を疑うことだ。本人も認めている通り、井上氏は決して戦が上手ではなかった。赫赫たる戦果を上げたわけでもなく、着実な実績を積んだわけでもない。だが、それでも井上氏は軍人として無能ではなかったと思える。
なぜなら、軍隊とは戦だけしていれば良いものではないからだ。戦略・戦術の立案もそう、兵站の確保や組織の編成もそう。そして、井上氏自身が最も性に合っているとした教育もそう。次を担う軍人の教育は、軍隊にとって必要だからだ。

当時の海軍軍人が海軍での生活を始めるにあたり、自らの向き不向きを考える間もなく海軍兵学校に入学する。その中でもまれながら、そして学校を出た後も組織の中で自らの向き不向きを考えていく。
今の人間社会や組織の複雑さは、若いうちから自らの生きる未来を見つけるには難しい。だからこそ、若者は生きづらく、人生は大変なのだ。多分それは当時の海軍でも同じだったはずだ。
不運な人の場合、自分が本当に向いている職に巡りあえぬままに人生を終えていく。
だが、本人が自らを見つめる努力をしていれば、やがて道は見つかる。井上氏の場合、それこそが教育者として適性だった。

そうした意味で、井上氏が戦後の自らの生き方を英語塾での教育に賭けようとした気持ちは理解できる。
自らの本分を教育にあると見いだし、子女の教育に力を注いだ井上氏。だが残念なことに井上氏の体調の悪化や、井上氏が柔軟に戦後の世の中に合わせようとしなかったこともあり、英語塾は数年で閉じてしまう。かえすがえすも残念なことだ。

不運が重ならず、井上氏がもう少し柔軟に生きていれば英語塾も隆盛になったかもしれない。それもまた仕方のないことだが。

だが、私はそもそも聖人君子と言われるような人はあまり魅力を感じない。むしろ、聖人君子とあろうとしながら、その所々に覗く人間的な弱さにこそ惹かれる。
井上氏は、確かに堅物だったかもしれない。自らの信念と筋を通す剛直さもあった。周囲との軋轢にも戦い抜いた。一見すると強そうに思える。
だが、そんな井上氏にも弱さがあった。組織の中で生きられない不器用なところや、組織の中で自らを処する術を持たなかったところ。若くして海軍軍人に嫁がせたが夫が戦死し、本人も結核で亡くなってしまった娘のこともそうだ。そして、そうした時流に振り回された不運すらも井上氏の人間的な魅力に映る。
さらにギターを弾き、パズルを考案するなど、本人なりに人としてのゆとりを持とうとした努力も感じられる。

本書を読んだ半年ほど後、もう一度井上氏の旧宅を訪れた。
また、府中市にある多磨霊園の中にある井上氏の墓には、免許更新の帰りに立ち寄って手を合わせた。

私にもこれからまだまだ苦難が訪れるだろう。不運にもぶつかるだろう。だからこそ、清貧で生き抜いた井上氏の強さにあやかりたいと思う。

‘2020/01/11-2020/01/14


40代を後悔しない50のリスト 1万人の失敗談からわかった人生の教訓


本書を読んだのは私が46歳になろうという直前だった。つまり、40も半ばを過ぎた頃だ。

論語の有名な一節に
四十而不惑
とある。

しかし、私の四十代は惑いの中にある。今の情報があふれる時代にあって、惑わずにいることは難しい。

論語のその前の文は
三十而立
だ。

私の場合、三十では立てなかった。いや、立ってはいたものの、足取りが定まらず、よろめいていたというべきか。
たしかに世間的には独り立ちしていたと見られていたかもしれない。だが、今から思えば全て周りの環境に引きずられていただけだ。

私なりに今までの人生を振り返る機会は持ってきたつもりだ。
ブログという形で何度も振りかえってきたし、アクアビット航海記として起業の経緯を連載している。
それら文章では、自分が人生の中で選択してきた決断の数々を記録してきた。

そうした選択のいくつかについては、悔いがある。逆に満足のいく今につながるような、過去の自分を褒めたい決断もある。
悔いについては、思い出す度、汗が噴き出るような恥も含まれている。他にも家族が瓦解しかねない危うい瞬間もあった。仕事を会社にするまでにも綱渡りを何度も超えてきた。

そうした振り返りは何のために行うのか。
それは、過去にとらわれ、現在に踏みとどまるためではない。未来へ、これから自分がどう生きるべきかについて考えるためだ。

そもそも私の場合、まだ何も成し遂げていない。成功にはほど遠く、目指す場所すら定かではないと自覚している。
家庭や経営、私自身についての課題は山積みになったままだ。
そもそも人生が成功に終わったかどうかなど、死ぬまで分からない。死んだらなおさら分からない。
私の場合、勲章を得たわけでもなく、ノーベル賞を得たわけでもない。
ましてや老後、自らの生き方を懐かしく振り返ると年齢にも達していない。
むしろ、今までの生き方を振り返り、これからの半生に活かさねばならない若輩者が私だ。

だから今、本書のような本を読むことも無駄ではない。

序章で著者は「一生の中で40代が重要な理由」を語っている。
その通りだと思う。
私にとっての39歳から40代前半にかけては転機となった出来事が多かった。
2012年の6月に私は39歳になった。その4月から、私にとって最後の奉公となった常駐業務が始まり、同時に自治会の総務部長になった。初めてのkintone案件が運用を開始したのもその頃。妻がココデンタルクリニックを開業したのは6月だ。

私がそれまで営んでいた個人事業を法人として登記したのが42歳の時。
当時、常駐システムエンジニアという自らの仕事のあり方にとても悩んでいた私は、そこから逃れる方法をいろいろ模索していた。
しかし30代の頃にしでかした選択のミスが尾を引いており、私は身動きが出来なかった。
結局、貯金もほぼゼロの状態で法人を設立する暴挙に踏み切り、それが私の道を開いた。
とはいえ、30代については悔いが多い。

著者は、40代に行動を起こさなかったことで、定年退職後に後悔している人が多いと説く。40代の10年をどう過ごすかによって、その後の人生がからりと変わる、とも。

仕事と家庭。そして自分。どれもが人生を全うするために欠かせない要素だ。私もそれはわかっていた。
なので、30代の終わりごろからはじめたSNSを、仕事と家庭、そして自分のバランスを取るために活用してきた。
仕事だけに偏らず、遊びも家族も含めた内容として世に公言することで、自分にそのバランスを意識させるSNS。私にとってうってつけのツールだと思う。

ただし、そうした自分の振る舞いについては、何かの明確なメソッドに基づいた訳ではない。
その時々の私が良かれと思って選択した結果に過ぎない。

本書は、そうしたメソッドを50のリストにして教えてくれる。

本書の工夫は、50のリストの全てをある人物の悔いとして表していることだ。
例えば、
「01 「自分にとって大切なこと」を優先できなかった」
「25 「付き合いのいい人」である必要などなかった」
「50 「もっと「地域社会」と付き合えばよかった」
のような感じだ。
ある人物とは、著者が今までの経験で関わった人物から仮定した、40代を無為無策のままに過ごしてしまった人物だ。
その人物の悔いとして表すことで、より危機感を持ってもらおうとの試みだろう。

誰もが今を生きることで一生懸命になっている。
なかなか将来を見据えた行動などできるものではない。
私もそうだった。
そして今も、これからの自分や世の中がどうなるかなど全く分からない。

私の世代は著者の世代よりもさらに10歳若い。そして第二次ベビーブーム世代だ。
私たちの世代が老境に入った頃、福祉に潤沢な予算が回されるのだろうか。他の世代に比べて人口比が突出している私たちの世代を国や若年層は養ってくれるのだろうか。
そうした将来に目を向けた時、今やっておくべき事の多さにおののく。
今を生きるだけでなく、これから先を見据えた行動が求められる。

四十代になると、人から叱られたり、指摘されることが減ってくる。これから先はさらに減っていくことだろう。
誤った方向に向かってしまった時、自分を正してくれるのは、誰だろう。
親友、妻、子、家族、恋人、親、同僚、上司、部下などが思い浮かぶ。
だが、そうした人々の助言も、最後は自分の次第だ。決断をどう下すかによって、助言は生きもすれば死にもする。
最後は自分なのだ。

本書は折に触れて読み返したいと思う。
将来、四十代の自分を後悔したくないから。
今の私が三十代の頃、決断出来なかった事を後悔しているようには。

‘2019/02/14-2019/02/17


2020年上半期個人の抱負(実践版)


 ウイスキー検定二級の取得、唎酒師に向けて勉強開始

昨年、二級に向けて勉強するはずが、仕事が忙しくて全く手が回りませんでした。
昨年は仕事で複数の資格を取得したので、個人的な資格にも再度チャレンジしたいと思います。

 トランクルームの棚設置

こちらも仕事の忙しさの中ですっかり後手に回っていました。
本が大量にたまっているので、読んだ本から順次移せるよう、棚を作成したいと思います。

 東京オリンピック・パラリンピック

今のところチケットは取れていません。
ですが、パラリンピックも見たい試合が多々あります。
チケット取得へあきらめずに努力したいと思います。

 海外1国、国内12都道府県の旅行

ここでいう旅行とは、その地を足で歩くことです。
日本の滝百選の滝は8カ所を目指します。
近畿/中部/関東/東北の駅百選は20カ所を目指します。
日本の城百選、続日本の城百選の城は10カ所を目指します。
酒蔵は3カ所、ウイスキー蒸留所は3カ所訪問します。
日本百名山、続日本百名山の登頂は三座は目指したいです。
去年はほとんど未達だったので、今年は時間の配分を考えて。

 毎月一度の一人のみの実施

これは昨年、実現できました。
酒の種類、場所は問いません。毎月一度は一人で反省する時間を作ります。

 毎月一度の一人旅の実施

上に書いた12都道府県の旅は、この一人旅で実現していきたいです。
仕事で地方を訪問する機会を増やすことで実現できるはずだと思っています。
ワーケーションが実現できる自信もつきましたし。
三泊は車中泊をしながらの遠距離の旅がしたいですね。

 SNS

SNSは毎日のFacebookへの投稿は続けます。人生360度を表現するため、投稿内容をなるべく雑多にする方針は変えるつもりはありません。
また、Twitterも同様に不定期で続けます。俳句や雑感や仕事も交えながら。
さらにInstagramも同様に不定期で続けます。よく撮れた写真の公開場所として。

ここ二年、私自身の投稿へのいいねやメンションが減ることは承知で、あえて他人様のSNSには無反応でした。昨年後半から、仕事をこなしながらの余裕が出てきたので、今年はまた他人様の投稿に反応する時間を増やすつもりです。ただし自分からフレンドリクエスト申請をしないポリシーは変えませんが。

 レビュー執筆にあたっての音声入力の勉強

読書量が少し減ってきているのが昨年の反省です。
また、読書レビューをアップするスピードも落ちてきています。
これを両立するために引き続き音声入力の可能性を追求します。

 娘たちのフォロー

家族との融和を大切に、締めるところはきっちりと。

 両親と関西の友人への感謝

昨年は関西の友人に数度しか会えていません。
今年はその機会を増やします。
また、両親に会いに帰る機会も増やします。
今年は私の人生に強烈なインパクトを残した阪神・淡路大震災から25年たった年なので。

 体のケア

いくつか、私の肉体に衰えが出てきています。
早いタイミングで基本健診を受けに行きます。
仕事と個人と地域の三方よしの両立はまず体から。

 人に会って感謝する

SNSでできないこと。それは、対面で会っての感謝です。
忙しい毎日で、すべての人にお会いすることが次第に難しくなってきています。
が、折を見て伺ったりしながら、交流と感謝の基礎は対面にあり、を実践したいと思います。

 家計をきっちり

だいぶ家計には統制が効いてきたように思います。
ですが、まだまだです。引き続き長女と協力していきたいと思います。

 当抱負のアラート表示

昨年は下半期の抱負をアップし忘れたので、この抱負が書きっぱなしにならぬようにします。
毎月末に通知やアラートで自分にリマインドを投げます。
なおかつ、毎月末に書くまとめでは、計画の進捗も含めて書きます。
また、下半期に入る前に、下半期用の抱負(実践版)を書きます。


2020年上半期弊社の抱負(実践版)


 弊社サイトのSSL対応

現レンタルサーバーは引き続き最低限のプランで継続する予定です。
継続した上でレンタルサーバー内のプランでSSL化に対応するサーバーに移管する作業を行います。
WordPressの移転作業はすでに経験済みなので大丈夫でしょう。
1月中に必達でやってしまいます。
3月には非SSLサイトが軒並み遮断される見込みが高いので。

 売上額

2019年度の1.25倍を目指します。粗利は今年度の実績を維持します。

 事業計画

すでに正月の三が日に4月以降の第6期の経営計画は作成しました。(公開はしない予定です)
あとは五年後の中期計画を4月までに立てます。

 新規のkintone案件

新たに10本の受注・検収を目指します。
それによってサイボウズ社とのオフィシャルパートナー契約をさらに継続します。
あわせてkintone エバンジェリストとしても来期につなげる成果を示します。

 モバイルアプリ

MONACAを使った案件を一本受注・検収します。

 自治会・町内会・PTAなど地縁団体のIT化へ尽力する

昨年の冬になって成果が出始めました。
今年はさらに深くかかわっていきます。
年間で5団体の案件を納品したいと思っています。

 交流会への参加とそこでの受注率向上

昨年は技術系のイベントで生まれた交流からはほぼ受注がつながりました。
一方で他業種や経営者の交流会では全く受注につながりませんでした。
その原因もほぼ分かっているので、今年は他業種や経営者の交流会での受注を目指します

 そのほかのお客様案件

ここには詳しくは書きませんが、納期を守るよう最大限の努力を払います。

 技術者の雇用

3月までに4月以降の雇用を行うかを判断したいと思います。
昨年、サテライトオフィスを開設したことから、今年はパートナー企業との協業に向けてかなりの力を割こうと思っています。
なので、雇用については行わない可能性が高いです。

 kintone Café の実施

昨年は神奈川ではなくkintone Café 東京を二回主催しました。
今年もkintone Café 東京は多摩地区を拠点に開催しようと思っています。町田、府中あたりを念頭においています。
町田ではすでに候補をいくつか挙げていて、あとは実行するだけです。
kintone Café 神奈川は去年、準備を進めていましたが、とうとう実施できませんでした。
ですが、昨年、武蔵小杉、鎌倉で開催場所につながるご縁ができました。
人数は最低限でもよく、体裁は問いません。まずは実績を作ります。

 freee Open Guildの運営

今年から運営側で関わることになりました。
freee Open Guildは地方開催も含め、6回は行われると思います。
そのすべてに運営で関わることを目指します。
また、そこで生まれたご縁を生かし、freee案件を二本は納品にまでもっていきたいと考えています。

 英語の睡眠学習開始

昨年、早々に挫折してしまった英語学習に再チャレンジしようと思います。
まず、Devrel Conference Tokyoで英語漬けの一日を送る予定です。
そこでモチベーションを満たして勉強に振り向けようと思います。
海外のカンファレンスにいつ行くことになってもよいように。

 LinkedIn、Eightの活用

仕事関係のSNSはFacebook、Twitterの二本を軸とします。
Twitterについては、代表が書くこともあれば、中の人が書くこともあります。
Facebookは今と同じ頻度にし、主に自社、他社の記事をシェアするのに使います。
その他、LinkedInとEightにも弊社および代表の仕事上の活動報告をアップします。

 AWSの資格試験の合格

まずはクラウドプラクティショナーとソリューションアーキテクトアソシエイトの合格を目指します。

 関西大学東京経済人倶楽部の参加率を増やす

昨年早々に加入したこちらの倶楽部ですが、イベント参加は1度にとどまりました。
こちらへの参加頻度を増やします。具体的には年間で3回。

 当抱負のアラート表示

昨年は下半期の抱負をアップし忘れたので、この抱負が書きっぱなしにならぬようにします。
毎月末に通知やアラートで自分にリマインドを投げます。
なおかつ、毎月末に書くまとめでは、計画の進捗も含めて書きます。
また、下半期に入る前に、下半期用の抱負(実践版)を書きます。


ベーシック・インカム入門 無条件給付の基本所得を考える


若い時には理想主義にふけっていた私。利潤の追求は間違っている、とかたくなに信じていた。人々が利潤を独占せず、広く人々に共有できれば、世の名はもっと良くなる。半ば本気でそんなことを考えていた。

経営者になった今、さすがに利潤を無視するわけにはいかない。それは利潤が利潤を呼び、いつまでも成長することが経済のあり方だから、と無邪気に信じているからではない。有限の資源しかない地球でそんなことは不可能だ。利潤を追い求める営みを認めるのは、私の中に飢えへの恐怖があるからでもない。

今、私は経営者として順調に売り上げを上げ続けている。だが、それは私が健康だからできること。何かの理由で仕事ができなくなったとたん、収入は途絶える。そうなったら飢えの恐怖が私の心身をむしばむに違いない。その恐れは常に心のどこかに居座っている。私の心身に異常が生じた時、どこからともなく助けが得られる。などと虫のいいことは考えていない。よしんば助けが得られたとしても、それは最低限の生活を送るための資金がせいぜいだろう。だから私は、利潤を追い求めるだけが人生ではない、という理想は捨てていないが、経済の論理は無視できないと思っている。

そこで、ベーシック・インカムだ。生きていくのに必要な金額が国から支給される。しかも無条件に。助成金や補助金のような複雑な申請はいらない。ただ、もらえる。魅力でしかない制度だ。

だが、経営者になった今、私はこの制度に無条件に賛成できないでいる。それは、私が経営者になった事で、勤しんだ努力だけ見返りがあるやりがいを知ってしまったからだ。勤め人だった頃のように失敗や逆境を周囲のせいにする必要はない。失敗は全て己のせい。逆に努力や頑張りが見返りとして帰ってくる。全ての因果が明確なのだ。見返りがあるということは人を前向きにする。それは人間に備わった本能からの欲求だ。楽になりたいとか、利潤が欲しいという理由ではなく、自分の生き方を自分で管理できる喜び。

だから、私はベーシック・インカムの思想にある「無条件に」という言葉には引っかかりを感じる。「無条件に」という言葉には、努力や責任が一切無視されている。もちろん、弱い立場の方に対してベーシック・インカムが適用されることは否定しない。私がもし、体を壊して仕事ができなくなった時、ベーシック・インカムから無条件に給付を受けられればどれだけ助かるか。それを考えた時、弱い方へのセーフティとしてのベーシック・インカムは必要だと思う。だが、それでは今の福祉制度と変わらなくなってしまう。

私が抱えるベーシック・インカムへの矛盾した思い。その疑問を解決するには勉強しなければ。本書はそうした動機で手に取った。

本書は全6章からなっている。ベーシック・インカムの理念や仕組みだけでなく、古くから検討されてきたベーシック・インカムの歴史が紹介されている。民主主義の勃興に時期を合わせるようにベーシック・インカムは提唱されてきた。その歴史は意外と古い。今までの人類の歴史で、幾人もの哲学者や経済学者、また、マーティン・ルーサー・キングの様な著名な運動家がベーシック・インカムの考えを提唱してきた。ベーシック・インカムはにわかに現れた概念ではないのだ。私は本書を読むまでベーシック・インカムの長い歴史を全く知らなかった。

第1章 働かざる者、食うべからずー福祉国家の理念と現実

この章ではベーシック・インカムの要諦が語られる。著者はその定義をアイルランド政府がベーシック・インカム白書の中で示した定義から引用する。
・個人に対して、どのような状況におかれているかに関わりなく無条件に給付される。
・ベーシック・インカム給付は課税されず、それ以外の所得は全て課税される。
・給付水準は、尊厳をもって生きること、生活上の真の選択を行使することを保障するものであることが望ましい。その水準は貧困線と同じかそれ以上として表すことができるかもしれないし、「適切な」生活保護基準と同等、あるいは平均賃金の何割、といった表現となるかもしれない。

より詳しい特徴として、本書はさらに同白書の内容から引用する。
(1)現物(サービスやクーポン)ではなく金銭で給付される。それゆえ、いつどのように使うかに制約はない。
(2)人生のある時点で一括で給付されるのではなく、毎月ないし毎週といった定期的な支払いの形をとる。
(3)公的に管理される資源のなかから、国家または他の政治的共同体(地方自治体など)によって支払われる。
(4)世帯や世帯主にではなく、個々人に支払われる。
(5)資力調査なしに支払われる。それゆえ一連の行政管理やそれに掛かる費用、現存する労働へのインセンティブを阻害する要因がなくなる。
(6)稼働能力調査なしに支払われる。それゆえ雇用の柔軟性や個人の選択を最大化し、また社会的に有益でありながら低賃金の仕事に人々がつくインセンティブを高める。

この章では他にもベーシック・インカムのメリットが紹介される。その中で、社会保険や公的扶助の現状もおおまかに紹介される。そうした制度が対象とする貧困層に対し、国家はどう認識し、どう対処してきたのか。それは国が行うべき機能の一つと挙げられている。だが、かつて貧困層とは国から完全に見捨てられた層だった。

貧困層とは、雇用されず、生計が成り立たない人々をさす。国としてみれば完全雇用が達成されれば社会保障は不要。だが、現実にはそうはいかない。しかも日本の場合、生活保護対象世帯のうち、実際に保護を受けているのは二割程度だという。これは捕捉率というそうだが、先進国の中でも日本の捕捉率は際立って低いそうだ。

そもそも生活保護とは、貧困者を選別する制度につながる。他にも公的な社会システムはある。そのうち、生活保護制度だけが対象を選別するそうだ。選別という行為は、為政者にとって避けたい。ならば、誰に対しても等しく適用されるベーシック・インカムの制度のほうが政策にも取り入れやすい。そうした観点を著者は説く。

日本ではそのため、完全雇用に近づけるようなワーク・フェアの施策がとられていると著者は指摘する。完全雇用が達成できれば、民間に福祉を完全に委ねられる。そのような発想だろう。だが、諸外国のワーク・フェアと比べ、日本のワーク・フェアには公の補助が欠けているという。

第2章 家事労働に賃金を!ー女たちのベーシック・インカム

本章では、アメリカやイタリア、イギリスで繰り広げられたここ数十年のベーシック・インカムの運動をおさらいする。女性がベーシック・インカムを主張する場合、通常の値上げ運動とは性格が異なる。というのも、通常の値上げ運動は失業時や低所得者の救済を主な目的とする。だが、そうした運動には女性の家事労働に視点が向いていない。そもそも女性が家事労働に従事する場合、それ自体に報酬が支払われることはない。一般的な家庭では、夫たる男性が外で稼ぎ、収入を持ち帰る。妻たる女性は、それを受け取り、家庭のために使う。つまり、夫から受け取る金額の中に、家事労働の報酬も暗黙のうちに含まれている。そのような解釈だ。

だが、報酬を暗黙でなく、家事労働それ自体に報酬を与えよ、というのが彼女たちの主張だ。だが、家事労働の労力など測れるはずもない。なので、女性に対するベーシック・インカムを要求するのが、本章で取り上げる運動の趣旨だ。

アメリカでの運動にはマーティン・ルーサー・キング牧師が関わっていた。そこには公民権運動の一環としての性格もあったのだろう。当時、黒人の女性は弱い立場にあった。それを救済するための手段の一つとして検討されたのがベーシック・インカムだった。イタリアではその運動がもう少し趣を変え、家事労働自体が他の賃金労働と等しく労働だ、という主張がなされた。ただ、ここで誤解してはならないのが、主婦業への賃金を求める運動ではなかったということだ。

イギリスでは要求者組合という形をとり、弱者への福祉も含めた運動に広がってゆく。その中で、受給資格をめぐる議論もより深まっていったという。例えばベーシック・インカムを受ける資格がある女性は、一人暮らしなのか、男性と同居しているか、結婚しているか、など。要は生計を男性に援助してもらっているかどうかによって、ベーシック・インカムの受給資格は変動する。

第3章 生きていることは労働だー現代思想のなかのベーシック・インカム

本章では、アメリカやイギリスでは女性によるベーシック・インカムの運動が衰退したが、イタリアでは発展して長く続いた理由を考察する。そこには賃労働の拒否、そして家事労働の拒否、という二重の拒否があった。ベーシック・インカムはその主張の解決策でもあった。それは、労働の価値化をどう捉えるか、という次の考察につながってゆく。労働とは通常、何か基となるものから付加価値を生み出す営みを指す。生み出された付加価値のうち、労賃が労働者に支払われるというのが古典的な経済の考えだ。そして、今までは家事労働には付加価値が発生しないと考えられていた。発生したとしてもそれは家庭内で消費されてしまうと。もし家事労働に付加価値が発生するとすれば、それは夫である労働者が外で付加価値を生み出すための労働であり、子供という次代の労働力を社会に生み出すための労働であり、それ自体に価値を見いだす考えがなかった。

本章では、行きていること自体が労働という観念が紹介される。生きているだけで労働と認められるなら、その労働には賃金が支払わねばならない。それこそがベーシック・インカムという論法だ。その考えは斬新にも思えるし、突飛にも思える。もちろん、その考えが認められれば、ベーシック・インカムの論理はこれ以上なく確かなものだろう。なにしろ、仕事内容や性別、資産に応じた額の増減を考えずに済むからだ。

日本でも青い芝の会という障害者の権利向上を求める集まりがあるそうだ。青い芝の会では、障害者は生きている、すなわち労働だとの考えに基づいているという。著者はそれもベーシック・インカムに近いと考えているようだ。

後に触れるように原資をどうするか、という問題を脇に置くとすれば、私もこうした考えをベーシック・インカムの一つとみなすことに賛成したい。

間奏 「全ての人に本当の自由を」ー哲学者たちのベーシック・インカム

ここでは哲学者たちがベーシック・インカムをどう考えてきたかについて触れられる。ベーシック・インカムは社会主義や無政府主義に比べ、人類にとって適正な制度であるというバートランド・ラッセルの説や、真の自由を人類が得るためには、必要だとするフィリップ・ヴァン=パレイスの考えが紹介される。苦痛からの逃れる意味での自由ではなく、より真の意味での自由。ベーシック・インカムが給付された場合、生存のために働く必要はなくなる。だが、それでも働きたい人が働く自由も保証されるべき。そうした選択の幅が拡充されるのがベーシック・インカムの根本思想だという。

第4章 土地や過去の遺産は誰のものか?ー歴史のなかのベーシック・インカム

ベーシック・インカムの考え方は、社会制度が封建主義から次の民主主義に移ってしばらくしてから生まれた。それは同時に経済制度が資本主義に変わったとみなしても良い。要するに近代の社会制度が生まれ、ベーシック・インカムの考え方も芽生えた。本書はそれらの紹介を順に進めてゆく。現代の資本主義国家では、土地の私有が認められている。だが、資本主義が勃興した当初、土地は共有という考えがまだ支配的だった。つまり誰にでも土地の権利があり、その土地から収入を得られる権利があったということだ。その考えを敷延すると、まさにベーシック・インカムの考え方そのものとなる。無条件で収入を得る権利というベーシック・インカムの考え方が、土地の扱いという観点で資本主義の発生時からあったことを著者は指摘する。

その考えは、経済学の中でも代々受け継がれてきたという。弱者を救済するための社会制度という性格は同じだが、保険や保護を社会が担うのではなく、無条件に給付するベーシック・インカムのほうが、制度として有効だとの考えも一定数で唱えられていたそうだ。それは、社会主義が見事に失敗した今でも変わらない。

著者はここで、経済制度の分析にまで踏み込んでいない。だが、現行の資本主義の制度の中でも、土地が共有である考えは受け継がれていて、ベーシック・インカムの根拠となる考えは有効であるとの立場のようだ。それはもちろん、人は生きているだけで労働だからベーシック・インカムの権利がある、という考えにも照応する。

第5章 人は働かなくなるか?ー経済学のなかのベーシック・インカム

ここが今の私には関心の高い点だ。

今の社会福祉は、労働を前提としている。だが、社会からは明らかに人間が必要な労働量が減ってきている。それは、技術革新の恩恵にあずかるところが大きい。つまり、労働がないのに報酬を払わねばならない未来が近づいている。もしそうなったら、労働を基に付加価値をつける営利組織はたちまち立ちいかなくなる。だからこそ国や団体による報酬の支給が必要というわけだ。こうした課題を経済学者は今までさんざん議論してきた。

本書に紹介されるのは、どちらかというとベーシック・インカムに賛成の立場の論考だ。だから反対の意見はあまり登場しない。それを差し置いても、今の社会制度で福祉を継続するためには、保険や保護に頼るのは困難になりつつある。そのような意見が優勢になりつつあると著者は指摘する。

ただ、本書の全体を通し、説得力のあるベーシック・インカムの財源が登場しない。これは考えものだ。たぶん現実問題として、財源の不足こそがベーシック・インカムが普及しない最大の理由だと思うからだ。私としては、ベーシック・インカムの普及には技術の力が欠かせないと思っている。資本からではなく、技術の力で全く違う資源からベーシック・インカムとして支給する何かを生み出す。それが実現するまで、私はベーシック・インカムの実現は難しいと思う。

もう一つ、日本においてそれほどベーシック・インカムの議論が熱中しないのは、わが国には自治体による道路、水道、ガス、電気といったインフラが整備されているからだ。現時点で民営化されているとはいえ、こうしたインフラはもともと国家による国民へのサービスだった。だから現状で十分なサービスを享受できているわが国民にさらにベーシック・インカムの恩恵を施す必要はあるのか、という疑問が生じる。

インフラも整っておらず、実際に生活を送るには収入が欠かせない国の場合、ベーシック・インカムの必要性はある。ただ、生活必需品をそれほど労せずに享受できるわが国では、ベーシック・インカムの普及についての議論が深まらない。もちろん、より多様性のあるサービスを受けられる選択の幅があっても良いと思う。だからこそサービスではなく財で等しく受給できるベーシック・インカムは、国民がサービスを自由に選ぶために必要なのかもしれない。原資の安定供給を技術の進化に頼らねばならない現状は変わらないにせよ。

今、年金制度の崩壊が叫ばれている。年金は、その支給の資金を原資をもとに投資した利子でまかない、支給額を安定確保するために努力していると聞く。つまり、既存の旧来の拡大成長を前提とした経済論理に年金制度は完全に組み込まれている。有限の地球に無限の拡大成長は考えにくいとすれば、それをベースに考えられた福祉にどれほどの期待が持てるのだろう。

もちろん、福祉サービスとベーシック・インカムは別ということは理解している。ただ、本章でも提示されているように、何らかの社会的な貢献活動の代償は制度として設けられているべきだと思う。つまり、働いてこそ代償は受け取れる、という考えだ。

第6章 〈南〉・〈緑〉・プレカリティーベーシック・インカム運動の現在

だからこそ、本章で取り上げられる現在のベーシック・インカムを分析する視野が必要だと思う。章のタイトルにある<南>とは既存の資本主義の熟練国ではなく、新興の国々を指す。要はいまだ発展途上にある国々の事だ。<緑>というのは緑の党のような、持続が可能な社会を目指す人々を言う。

ここで著者はエーリッヒ・フロムを登場させる。フロムもまたベーシック・インカムの提唱者だったそうだ。彼は著書『自由からの逃走』で著名だ。その中で彼が唱えたのは自由を持て余した人々がナチスを生んだという理論だ。だが、それとは別に、ベーシック・インカムこそが人々をより自由にするとの考えも持っていたらしい。そして、彼は財ではなく生活必需品の提供でならばベーシック・インカムが成り立つのではないか、と考えていたそうだ。上にも書いたとおり、私はすでに物資が充実している日本では、生活必需品の提供というベーシック・インカムは成り立たないと思う。著者も同じ考えをもっているようだ。

プレカリティという言葉の意味は本章には出てこない。調べたところ、不安定とか予測できないという意味のようだ。第二章で登場した各国のベーシック・インカム運動のその後が本章では紹介される。どうすれば人々がひとしく恩恵を受けられるのか。それはかつての私がまさに目指そうとした社会でもある。そのような社会の実現が経営者としての立場では難しいことも理解している。まさに今の経済制度では現実は不安定で将来は予測できない。だが、これからも理想の実現に向けた努力は注視していきたいと思っている。

本書は各章ごとにまとめが設けられたり、巻末でもあらためてベーシック・インカムのQ&Aの場が設けられたり、各章のあとにはコラムが設けられたり、なるべく読者への理解を進めるような工夫がちりばめられている。何が人類にとって最適な福祉なのか、本書は一つの参考資料となるはずだ。私も自分の理想がどこにあるのか、さらなる勉強を重ねたいと思う。

‘2018/10/17-2018/10/23


アクアビット航海記 vol.5〜起業のメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回は、人生観の観点で起業の利点を取り上げました。今回は、正面から起業の利点を取り上げたいと思います。なお、以下の文は2017/9/7にアップした当時の文章そのままです。

起業の利点をさぐる

今までで三回にわたって起業の利点について述べました。逃避できるから起業、責任をより引き受けたくて起業、人生観に急き立てられて起業。それぞれが立派な理由だと思います。でも、これらの理由はどちらかといえば受け身の立場です。ラッシュが嫌だから、好きなときに好きな場所に行けないから、チャレンジをせずに人生が終わっていくのがいやだから。でも、それだけでしょうか。”起業”する理由は他にもあるはず。もっと前向きで建設的でアグレッシブな理由が。

やりたいことができるのが起業

それは、やりたいビジネス、やりたい社会貢献のための起業ではないでしょうか。現在、あなたがこのプランを社会に問いたい。このビジネスで社会に貢献したい。そんなアイデアを持っていたとします。このアイデアをどうカタチにするか。ここに起業が選択肢として挙がってきます。

あなたが例えば学生なら、いまはそのアイデアをカタチにするため最大限に勉強すべきでしょうし、もし会社に雇われていれば、会社を利用すべきです。社内起業制度があればそれを利用しない手はありません。最近は徐々にですが副業を認める会社も増えています。もし副業のレベルでなんとかなりそうであれば、会社にいながらアイデアをカタチにするのもありです。むしろ、会社の力を借りたほうが良い場合もあります。

でも、所属している企業にそういった制度がなく、思いついたアイデアが企業の活動内容と違っている場合、起業を選択肢の一つに挙げてもよいのではないでしょうか。もしくは、背水の陣を敷くために会社を辞めるという選択肢もあるでしょう。どちらが正しいかどうかは、人それぞれです。やりたい内容、資金、原資、準備期間によって起業のカタチもそれぞれ。どれが正しいかを一概に決めることはできないはず。

とはいえ、やりたい仕事が副業で片手間にやれるレベルではなく、属している会社の支援も見込めないとなれば、残りは起業しかないと思うのです。そこまで検討し、悩んだアイデアであれば、“起業”しても成算があるに違いありません。あなたが問わねば誰が世に問うのでしょうか、という話です。

繰り返すようですが、そのアイデアを元に起業に踏み切るのは、属する企業ではアイデアが実現できず、起業しか実現のすべがない場合です。本連載は起業を無責任に薦めるのが趣旨ではありません。しかし、あなたのアイデアの芽をつみ、他の人に先んじられるのをよしとするつもりもありません。企業に属していてはアイデアが世に出ないのであれば、起業はお勧めしたいと思っています。

やりたいことも成果があってこそ

“起業”すれば、あとはあなたの腕にアイデアの成否はかかっています。自分が食っていけるアイデア、誰も思いついていないアイデア、社会にとって良いと思えるアイデア。存分に腕をふるってもらえればと思います。あなたのアイデアに難癖をつける上司はいませんし、やっかむ同僚もいません。アイデアを盗もうとする後輩もいないでしょう。もちろん、ベンチャー・キャピタルや銀行、または善意の投資家におカネを出してもらう場合は、きちんと報告が必要なのは言うまでもありません。やりたいことができるのが起業とは書きましたが、お金を出してもらった以上は成果が求められるのは当たり前。でも、あなたのアイデアがカタチになり、それが世に受け入れられて行く経過を見守る幸せ。これをやりがいといわず、なんといいましょう。自分のアイデアを元に、世間に打って出ていく。そしてそれが受け入れられる快感。この快感こそが何にも増して“起業”する利点と言ってよいでしょう。

もちろん、アイデアと意欲だけでは起業はうまくいきません。理想は現実の前に色を失っていきます。それがたいていの人。理想やアイデアを世の中に問うていくためにも、ビジネススキルは必要です。泥臭く、はいずるようなスタートになることでしょう。苦みをかみしめ、世知辛さを味わうこともあるでしょう。起業なんかしなければ、と後悔することだってあるでしょう。そんな起業につきものの欠点は本連載でもいずれ取り上げる予定です。アイデアだけでビジネスが成り立つほど甘くはないのですから。でも、そんな厳しさを知ったうえでも、このアイデアで世に貢献したいのであれば、ぜひ試すべきだと思います。

そして、アイデアは慎重に検討し、楽観的な憶測や他の人の善意に頼らないことです。地道で地味な日々があります。スタートアップで脚光を浴びるのはほんの一部。それをベースに考えておくべきなのかもしれません。でも継続は力。いずれは実を結ぶはずです。実際、私は画期的なビジネスモデルも脚光を浴びるプレゼン能力ももっていませんが、地道に経営を続けられているのですから。

次回、起業のメリットとは言い切れないが、一般的には利点とみなされていることを探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.4〜起業のメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/31にアップした当時の文章そのままです。

起業とは、人生観にも関わってきます。

第三回で、“起業”すると自分自身に対する責任が持てる、ということを書きました。そこでいう責任とは、あくまで仕事に対する責任です。でも「生きる」とは、仕事だけを指す営みではありません。プライベートや家族、老後のことまで含めて「生きる」のが人生。仕事に生きて、家族と生きて、自分を生きるのです。ここに男女や国籍は関係ないと思います。

これは私の個人的な感想ですが、日本人はこの使い分けが不得手なように思います。公私の境目をあいまいにし、プライベートな時間にも仕事を持ち込む。それは、一昔前は日本人の勤勉さの美徳でした。私は何もこの美徳を否定しようとは思いません。ですが、人は仕事のみに生くるにあらず、であることも確かです。人は家族や自分自身や社会によっても生かされているのです。ここが後回しになっていたのが、高度経済成長期の日本でした。その時期はどんな仕事に就いていても社会自体が成長したからよかったのです。三種の神器、いざなぎ景気、ジャパン・アズ・ナンバーワン。右肩上がりで成長する日本に自分の働きが貢献できている、と実感できた時代。でも、もうそういう時代は終わってしまいました。

生涯を仕事に打ち込むために

もちろん、社会がどうあろうと仕事の鬼として生涯を仕事に捧げるのも一つの生き方です。ですが、それが成り立つのは生涯のすべてを仕事に捧げられた場合です。普通の勤め人には、どうしても定年や引退が付いて回ります。いざ引退してみると、現役時代に仕事一徹だったためにプライベートな付き合いがなく、家族も顧みなかったため家にも居場所がない、という話が、よくドラマや映画でも描かれました。勤め人は会社や組織の一員である以上、新陳代謝の対象となっていつかは去らねばなりません。去った時点で築き上げたキャリアは終わります。生涯を仕事に捧げられるのは、強大な創業者にのみ許される特権なのかもしれません。

一方で、個人事業主や創業者には引退や定年が事実上ないと言ってよいでしょう。引退は自分の意思次第です。起業のメリットを手っ取り早く述べるなら、定年がないことを力説してもよいぐらい。好きなだけ仕事をしていられる。それは仕事が好きな人にはたまらないメリットです。

ただ、起業のメリットをそれだけに求めるのはもったいないと思います。起業の利点とは、そんな安易なものではありません。起業には人の生き方や人生観にまで関わる長所があるのです。

それは、自分の人生をどう律するか。自分の人生をどうマネージメントしていくか、ということです。それこそ、仕事に生きるか、家族と生きるか、自分を生きるか、のバランスです。まずは、生涯を一人の仕事人としていきるための起業を語ってみたいと思います。

自分自身の人生を生きるために

第一回でも書きましたが、人は人、自分は自分であり、誰にも他人の人生を代わりに生きることはできません。死ぬときは、すべての人が等しく独りぼっち。枕元に大切な人がいようが、何人に囲まれていようが、独りで死ぬことに変わりはありません。その際に自分の人生をどう総括するか。それはそれぞれの人によって違います。組織の中で働き、老後は悠々と日々を過ごす余生。生涯現役を全うする人生。若い時に無頼な生き方を貫き、それがもとで老後は青息吐息の中に消えるような死に方。それぞれが一人ひとりの人生の幕引きです。それぞれの人生、それぞれでいいと思います。大切なのは、死ぬ間際に自分の人生を後悔しないことに尽きると思います。自分の人生を一番知っているのはあなた自身のはず。他人から見た自分の人生がどうだったか、はどうでもよいのです。そうではなく、自分自身で振り返った自分の生涯がどうだったか。それを満足できるかどうかが肝心なのだと思います。漫画「北斗の拳」に登場するラオウのように「わが生涯に一片の悔いなし!!」と天に拳を突き上げ叫べれば、その人の人生は成功なのです。

ところが、それはラオウだからこそ言える話。ケンシロウという良き強敵(とも)と全力で戦い、敗れたラオウ。拳の道、漢の道を突き詰めた人生を歩むことができたラオウにあって初めて悔いなし!と言えるのです。北斗神拳の後継者をケンシロウと互いに争い、その生涯と遺志を伝えるに足る漢に人生を託せた思い。ラオウの言葉にはそういった思いが込められています。ですが、私のように普通の人はそこまでの出会いや強敵(とも)に会えるとは限りません。拳の道どころか、人生も学習も突き詰められずに終わっていく人も多いでしょう。それまでとってきた選択の中には後悔もあるでしょうし、反省もあるはず。私にも失敗や後悔はたくさんあります。

各分野で名を遺した人の伝記を読むと、二十歳前後で何らかの転機に出会っていることが多いようです。伝記になるほどの人は、その転機を経て努力の末に功成り名遂げた方です。一方、現在のわが国で男性の生涯をモデル(理想)化するとすれば、大学を卒業して新卒で採用され、そのまま定年まで勤め上げることのようです。女性の場合は、新卒で採用され、結婚を機に退職すること。そのモデル(理想)の中には、上に挙げたような転機は見い出せません。転機とは例えば、十代のうちにスポーツや芸術で自分の才能を見出され、その世界で強敵(とも)を見つけるようなことです。

そういう転機に若くして出会えた人はよいのです。でも、そんな方はそう多くはありません。私のように二十歳を過ぎてから自分の中に目覚めた独立心をもてあます人もいるはずです。その気持ちを押し殺し、社会や家族のために捧げる人生もまた尊い。でも、私はそのメンタリティに一度目覚めた以上、自分の生涯に悔いが残ると思いました。私と同じように、人生観につき上げられ、何かに飛び込みたいと思った場合、”起業”は一つの手段となりえます。これは”起業”したから偉いとか、定年まで会社で勤め上げた人を貶めるというような狭い意味ではありません。何度も言うように、生き方とはその人自身が引き受け、味わうものなのですから。ただ、私のように起業を選択した人は、人生の目的の一つに仕事を選んだわけです。私もいまだに成長途上ではありますが、定年にさえぎられず仕事に打ち込める起業が一つの選択肢であると思っています。

次回、さらにほかにも起業のメリットがないか探っていきたいと思います。


2019年上半期弊社の抱負(実践版)


仕事

* まとめの書き方を変更
   今までは一年まとめて一気に膨大なまとめを書いていました。
   これを月ごとにまとめを書きます。
   また、まとめを書く際、個人としてのまとめと仕事上のまとめを分けます。
   これによってより細かく月々の状況を把握することが狙いです。
   水筆で月名を書き、その画像をアップします。

* 弊社サイトのAWS +kusanagi移行(SSL対応)
   現レンタルサーバーは引き続き最低限のプランで継続する予定です。
   ですがSSL化が今のプランではできません。
   また、他プランへの変更の際にサーバーの移管作業が必要です。
   なので、この機会にウェブサイトのみAWS + Kusanagiへの乗せ換えを行います。
   これは4月を予定しています。

* 技術者の雇用
   昨年末に面談を済ませた方と、どういう方式で契約を結ぶか。
   1月~2月中旬までに双方の条件をすり合わせ、
   4月から何らかの形で稼働していただきます。
   仮にその方が折り合い付かない場合も4月からの増員増に変わりはありません。

* 事務所の設置
   3月までに契約面のすり合わせを行い、4月中にレイアウト策定。
   5月の連休明けからの使用を考えています。ただし本拠地は現在と同じです。

* 英語の睡眠学習開始
   すでに機器は入手しましたが、その機器に修理が必要です。
   先日修理に出しましたので、その結果次第です。1月末から勉強を始めます。

* kintone Café 神奈川の実施
   1/19にkintone Café 埼玉に参加します。
   これを機に、kintone Café 神奈川も春と秋に一回ずつ始めます。
   人数は最低限でもよく、体裁は問いません。まずは実績を作ります。
   その他にも何かしらの勉強会を一回は開催します。内容は問いません。
   また、お呼ばれすれば他所のイベントでも登壇します。まず3月のkintone Café 広島。

* 元号、消費税率に合わせ棚卸し
   今までに弊社が手掛けたシステム開発案件で、
   元号計算や元号表示を行っているロジックを棚卸します。3月末までに行います。
   それに合わせ、秋に予定されている消費税率変更にも備え、
   消費税率の棚卸も行います。これも3月末とします。

* LinkedIn、Eightの活用
   仕事関係のSNSはFacebook、Twitterの二本を軸とします。
   Twitterについては、代表が書くこともあれば、中の人が書くこともあります。
   Facebookは今と同じ頻度にし、主に自社、他社の記事をシェアするのに使います。
   その他、LinkedInとEightにも弊社および代表の仕事上の活動報告をアップします。

* 売上額
   2018年度の1.25倍を目指します。そして粗利は今年並みの金額を。

* 事業計画
   自己流であってもよいので、3月までに今年と五年後の計画を。

* 新規のkintone案件
   8本の受注・検収を目指します。

* モバイルアプリ
   MONACAを使った案件を一本受注・検収します。

* 出身大学の東京での経済会加入
   ずいぶん前から検討していましたが、こちらは1月中に入会を行います。

* 自治会・町内会IT化への道筋を描く
   SNSでの発信はもちろんですが、きちんとした形で世に問います。
   そのため、コツコツと文章を書きためます。
   今年9月末までに草稿を書き終えたいと考えています。

* 当抱負のアラート表示
   この抱負が書きっぱなしにならぬようにします。
   毎月末に通知やアラートで自分にリマインドを投げます。
   なおかつ、毎月末に書くまとめでは、計画の進捗も含めて書きます。
   また、下半期に入る前に、下半期用の抱負(実践版)を書きます。

* そのほかのお客様案件
   ここには詳しくは書きませんが、納期を守るよう最大限の努力を払います。


2019年上半期個人の抱負(実践版)


個人

* ウイスキー検定二級の取得、唎酒師に向けて勉強開始
   二年前にとったきりのウイスキー検定三級から二級の取得を目指します。
   年二回の実施なので、初秋での合格を目指します。
   また、唎酒師についても取得に向けて情報収集を開始します。可能ならばビアテイスターも。

* トランクルームの棚設置
   4月末に棚を買い、トランクルームに入れている書籍の整理を行います。
   5月の連休中に行うつもりです。

* ラグビーワールドカップ(一試合は観戦)
   秋に予定されているラグビーワールドカップですが、最低一試合は生で観戦します。
   まだチケットが取れるかもわかりませんし、これから予定を立てる必要もありますが。

* 海外1国、国内12都道府県の旅行
   ここでいう旅行とは、その地を足で歩くことです。
   日本の滝百選の滝は8カ所を目指します。
   近畿/中部/関東/東北の駅百選は20カ所を目指します。
   日本の城百選、続日本の城百選の城は10カ所を目指します。
   酒蔵は3カ所、ウイスキー蒸留所は3カ所訪問します。

* 毎月一度の一人のみの実施
   酒の種類、場所は問いません。毎月一度は一人で反省する時間を作ります。

* 毎月一度の一人旅の実施
   12都道府県の旅行は、この一人旅で稼いでいきます。
   その中で三回は車中泊による遠距離の旅をしたいですね。

* 読書は100冊。読む読むブログも100冊。
   ジャンルは問いません。引き続き読書を続けます。

* SNS
   SNSは毎日のFacebookへの投稿は続けます。
   また、Twitterも同様に不定期で続けます。
   さらにInstagramも同様に不定期で続けます。
   要は昨年と同じような使い方です。
   ただ、Twitterはもう少し影響力を増やす方法を模索します。

* 音声入力の勉強
   これらの読書量とブログ執筆を両立するには、音声入力に頼るしかありません。
   引き続きより最適な方法を検討します。
   また、喋りすぎて充電が減ってしまうことが考えられるので、
   車内充電の手段を確保します。

* 娘たちのフォロー。
   二人とも進学するため、きちんとフォローを行います。

* 腰痛の治癒。
   これは、1月中には一度きちんと訪問します。

* 感謝
   これは、SNSではやりようがないので、
   なるべく今までお世話になったさまざまな人に会うようにします。
   会わないと感謝は届けられないので。


ドクトル・ジバゴ


「国が生まれ変わるというなら、新たな生き方を見つけるまでだ!」

本作は、私にとって初めて観るロシアを舞台とした作品だ。ロシア文学といえば、人類の文学史で高峰の一つとして挙げられる。ロシア文学から生み出された諸作品の高みは、今もなお名声を保ち続けている。トルストイやドストエフスキー、チェーホフやゴーゴリなど巨匠の名前も幾人も数えられる。私も若い頃、それらの作家の有名どころの作品はほぼ読んだ。ところが、ロシア文学の名作として挙げられる作品のほとんどはロシア革命の前に生み出されている。ロシア革命やその後のソ連の統治を扱った作品となると邦訳される作品はぐっと減ってしまう。少なくとも文庫に収められている作品となると。私が読んだことのあるロシア革命後のロシアを扱った作品もぐっと減る。せいぜい、ソルジェニーツィンの『イワン・デニソーヴィチの一日』と本作の原作である『ドクトル・ジバゴ』ぐらいだ。

本作の原作を読んだとはいえ、それは十数年前のこと。正直なところ、あまり内容を覚えていない。だが、本作を観たことで、私の中では原作の価値をようやく見直すことができた。その価値は、社会主義という制度の中だからこそ浮き彫りになるということ。そして私があらためて感じたこととは、社会主義とは人類を救いうる制度ではない、ということだ。

『ドクトル・ジバゴ』がノーベル文学賞を受賞した際、ソ連共産党は作者ソルジェニーツィンに授賞式に出ないよう圧力をかけたという。なぜなら、 『ドクトル・ジバゴ』 は社会主義を否定する作品だから。

知られているとおり、社会主義とは建前では階級の上下を否定する。そして平等を旨とする。そんな思想だ。社会主義の目標は平等を達成することにおかれるはず。だが、その目的は組織の統制を維持することに汲々となりやすい。つまり、理想が目的であるはずが、手段が目的になるのだ。それが社会主義の致命的な弱点だ。また、その過程では、組織の意思は個人の意思に優先される。個人の生きざま、希望、愛、はないがしろにされ、組織への忠誠が個人を圧殺する。

そこにドラマが産まれる。なぜ 『ドクトル・ジバゴ』 が名作とされているのか。それは、組織に押しつぶされようとする個人の意思と尊厳を描いたからだろう。その題材にロシア革命が選ばれたのも、人類初の社会主義革命だったからにほかならない。組織が個人をどこまでも統制する。ロシア革命とは壮大かつ未曽有の社会実験だったのだ。実験でありながら、建前に労働者や農奴の解放が置かれていたため、人々はその理想に狂奔したのだ。彼らの掲げた理想にとって敵とはロシア帝国の支配者階級。本作の主人公ユーリ・ジバゴも属していた貴族階級は、ロシア革命が打倒すべき対象である。

ところが、ジバゴは貴族の生まれでありながら、個人の意思を持った人間だ。幼い頃に両親と死に別れ、叔父の養子となった。その生まれの苦労ゆえか貴族の立場に安住しない。そして自分の信念に基づいた生き方を追求する。そんなジバゴに襲い来る革命の嵐。その嵐は彼の運命を大きく揺さぶる。そして、革命の前に出会ったラーラとジバゴは不思議な縁で何度も巡り合う。ジバゴの発表のパーティーの場で。そして、第一次大戦の戦場の野戦病院で。

ラーラもまた、運命に翻弄された女性。そして革命によっても翻弄される。労働者階級だった彼女は、特権階級の弁護士コマロフスキーから辱めをうける。そして、それがもとで恋人のパーシャを失ってしまう。パーシャは、革命を目指すナロードニキ。高潔な理想家の彼にとって、ラーラの裏切りはたとえ彼女自身に責任がなくても耐えがたいものだった。彼は軍に身を投じ、ラーラの元を去ってしまう。

やがて第一次大戦はロシア革命の勃発もあって終戦へと至る。ここまでが第一幕だ。ここまでですでに見応えは十分。

本作の見応え。それは演出の妙にあること、役者の演技にあることはいうまでもない。ただ、本作の舞台装置はシンプルにまとめられていた。これが宝塚大劇場だと奈落から競りあがる仕掛けや、銀橋のような変形された舞台装置が使える。ところが本作は赤坂ACTシアターで演じられる。舞台の制限なのかどうかはわからないが、本作ではいたってシンプルでオーソドックスな舞台装置を使っていた。演出といっても音響や照明を除けばそれほど凝った作りになっていない。舞台の吊り書き割りを入れ替えたり、薄幕で舞台を左右に分割し、それぞれの時間と空間に隔たりがあることを観客に伝えるような演出が施される程度。その分、本作は俳優陣の演技に多くを頼っているということだ。

ラーラはコマロフスキーに強引に接吻され、その後犯される。また、ある場面ではジバゴとベッドで朝を迎える。本作におけるラーラとは悲劇のヒロインではあるが、情欲の強い女性としても描かれている。そしてそれはジバゴも同じ。つまり本作は男女の情欲が濃く描かれている。艶やかなシーンの割合が本作には多いように思えた。そんな男女の艶やかさを女性ばかりの宝塚歌劇が果たして演じきれるのか。そんな私の先入観を本作の俳優陣は見事に覆してくれた。とくに、主演の轟悠さんはさすがというべきか。

ジバゴは原作の設定では20-30代の男性だと思われる。一方、ジバゴにふんする轟さんの年齢は、失礼かもしれないがジバゴよりもさらに年齢を重ねている。ところが風邪を引いたのか、本作の轟さんの声は少々ハスキーに聞こえた。しかしその声がかえって主人公の若さを際立たせていたように思う。女性である轟さんが長年にわたる訓練から発する男性の声。そこにハスキーな風味が加わっていたため、本作で聞えたジバゴの声は年齢を感じさせない若々しさをみなぎらせていた。鍛え抜かれた男役の声。そこには女性らしさがほとんど感じられない。それでいてもともとの声の高さがあるため、若さを失っていないのだ。それはまさに芸の到達点。理事の矜持をまじまじと見せつけられた思いだ。お見事。他の宝塚の舞台を見ていると、男役から発せられる声に女性の響きが混じっていることに気づいてしまうだけに、轟さんの声の鍛え方に感銘を受けた。

また、コマロフスキーを演ずる天寿光希さんも素晴らしい。彼女が発する声。これまた地の底をはうように抑えられていた。その抑えつけたような声が、コマロフスキーの狡猾さや一筋縄では行かないしたたかさを見事に表現していた。コマロフスキーは革命前は鬼畜のような男として登場するが、革命後、本作の第二幕ではラーラとジバゴを救い出そうともする。単なる悪役にとどまらぬ二面性を持つ男。そんなコマロフスキーを豊かに演じていた天寿さんの所作もまた見事だった。さすがに時折押し殺した声音から女性の声らしさが垣間見えてしまっていたけれど。それでも、この二人の男役からは女性が演じている印象がほとんど感じられなかった。それゆえに彼らの、男としてラーラに寄せる情欲の生々しさがにじみ出ていた。それでこそ、人間の本能と組織の規律の対立がテーマとなる本作にふさわしい。

ジバゴには貴族でありながら理想に燃える若々しさが求められる。同時に、革命の中で個人の尊厳を捨てまいとする強靭さも欠かせない。それらを見事に演じていた轟さんの演技こそが本作の肝だといえる。本稿冒頭に掲げたセリフは、第一幕から二幕のつなぎとなるセリフだ。このセリフには国がどうあろうとも、個人として人生を全うせん、という意思が表れている。

それはもちろん、宝塚という劇団の中で、個人として演技を極めようとする轟さんの意思の表れでもある。実に見ごたえのある舞台だったと思う。二幕物が好きな私にとってはなおさら。

第二幕は、すでに革命政府が樹立されたロシアが舞台だ。そこでは個人の意思はさらに圧殺される。その象徴こそが、モスクワから都落ちしウラルへ向かうジバゴ一家の乗る列車だ。第二幕は列車を輪切りにしたセットから始まる。過ぎ行く街々がプロジェクションマッピングで背景に映し出される。車内に閉じ込められているのに、回りの景色は次々と移り変わってゆく。それはまさに車両という組織に閉じ込められた個人の生の象徴だろう。

第二幕ではパーシャあらため赤軍の冷酷な将軍ストレリニコフがジバゴの対称として配される。彼はラーラに裏切られた思いが高じて人間の愛や意思すらも信じられなくなった人物だ。もはやナロードニキではなく、革命の思想に狂信する人物にまで堕ちてしまう。歯向かうものは家族や肉親のことを省みず殺戮する。まさに革命の負の側面を一身に体現したような人物だ。ストレリニコフは革命がなった後、用済みとして革命政府から更迭され、挙句の果てには銃殺される。その哀れな死にざまは、革命の冷酷な側面をそのままに表している。そして、個人の信念に殉じたいとするジバゴにも、同様の事態は迫る。妻子はパリに亡命するのに、たまたま往診先でラーラを見かけたジバゴは、そこにとどまってしまうのだ。さらにはパルチザンの医療要員として徴兵され、シベリアにまで連れていかれる。

彼は、命からがらラーラの下へ戻るが、ストレリニコフの妻であるラーラもまた、革命政府から目を付けられ、逮捕される日が近い。コマロフスキーはそんな二人を助けようとするのだが、ジバゴはラーラを落ち延びさせるために自らは犠牲となる道を選ぶ。そうして、彼もまた野垂れ死んでゆくのだ。組織の論理に殉じたストレリニコフも、個人の信念に殉じたジバゴも、ともに死んでゆく。そこに進みゆく時代に巻き込まれた人のはかなさが表現されている。

組織も個人もしょせんは時代のそれぞれで一瞬だけ咲き乱れ、散ってゆく存在にすぎない。その間に時代は前へと進み、人々が生きた歴史は忘れ去られてゆく。それはおそらく舞台の演者たちも観客も同じ。それでも人は舞台という刹那の芸術をつかの間堪能するのだろう。それでいい。それこそが人生というものの本質なのだから。

‘2018/02/22 赤坂ACTシアター 開演 15:00~

https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2018/doctorzhivago/index.html


喜嶋先生の静かな世界


著者の本は一時期よく読んでいた。よく、と言っても犀川シリーズだけだったけど。犀川シリーズとは、那古野大学の犀川助教授とゼミ生である西之園萌絵が主役のシリーズ。本稿を書くにあたり、著者のWikipediaを拝見したところ、犀川シリーズをS&Mシリーズと呼ぶことを知った。S&Mシリーズはとにかく読みやすい。読みやすさのあまり、内容をほとんど忘れてしまう事が逆に欠点となるほどに。私がS&Mシリーズを読むのを途中でやめてしまったのは、その読みやすさが災いしてのことに違いない。そのため、S&Mシリーズの結末は知らない。結局のところ、西之園萌絵は犀川先生を射止めたのかどうかも。

本稿を書くにあたり、私が最後に読んだS&Mシリーズ及び著者の作品を調べてみた。その作品とは「今はもうない」だ。S&Mシリーズの最後から数えて三つ目の作品だ。しかも私は「今はもうない」を二回読んでいる。1998年の11月と2001年の4月に。おそらくはこのときも一回目に読んだ内容を忘れてしまっていたのだろう。私は、これを最後に著者の作品から遠ざかることになる。

そういうわけで本書は、十数年ぶりに読む著者作品となる。

長音を避ける理系色の豊かな文体は相変わらず。ドクターはドクタ。スーパーはスーパ。エネルギーはエネルギィだ。久々に読んでもやはり個性的だ。懐かしさを感じた。

水のようにすっと心に染み入る読みやすさも健在。小説家として稀有な文章力の持ち主なのだろう。文章がうますぎるのだ。そういえば、本書に載っていた著者の略歴を見ると、元名古屋大学助教授となっている。私が著者の作品を読んでいた頃は、まだ現役の名古屋大助教授だった気がする。いつの間に研究職をやめて作家専業になったのだろうか。そう言えばその頃に比べて作品リストも大分層が厚くなったようだ。国立大助教授の職をなげうっても作家として専念できるだけの手ごたえを著者は感じたのだろうか。

だが、国立大助教授まで登り詰めるのもおいそれとできることではない。それができたのは、著者が学究生活に魅力を感じていたからに他ならないと思う。雑務に追われず、自らのピュアな探求心に身を委ねられる日々。充実と成果が相和して得られた研究生活。研究職を辞す決心をした著者には、小説家としての今後の希望と同じくらい、研究者としての日々に後ろ髪を引かれたのではないか。

本書を読むと、学究生活への愛着を感じる。主人公や主人公の師である喜嶋先生の描き方は、著者がかつて持っていたはずの志を体現した人物そのものだ。

本書にはここに書くほどの特別なあら筋はない。あるとすれば、主人公の幼時から大学入学、そして修士課程、博士課程への道筋がそうだ。取り立ててドラマチックな出来事は起こらないし、登場人物の間の関係も単純だ。著者の文体のように、スッと読める筋書きになっている。

本書は筋のない分、主人公の心の軌跡が明るみになっている。読み書きの苦手な少年が宇宙を志す。文系科目は避け、理系科目にのみ興味を寄せる。大学もやすやすと理系学部に入学する。大学の享楽的な雰囲気に失望するも、大学院の求道的な姿勢を目にし、そこに自らの居場所を定める。己の信ずるままに学問に邁進する主人公の人生は、雑味がなく読んでいてとても小気味良い。

院での生活と、そこでの喜嶋先生との出会いが本書の肝となる部分だ。筋といった筋もない本書だが、著者は先生や先輩の院生の異動をうまくからめながら、話が停滞しないように読者を引っ張ってゆく。うまいなあ、と思う。著者の筆達者な筋運びには一分の乱れもない。

一分の乱れもないのは、主人公が師と仰ぐ喜嶋先生も同じ。雑務を排し、学究のみに向かいたいがために講師以上の職を望まない喜嶋先生。その学究者として筋の通った姿に主人公は感銘を受ける。

本書には俗世の安易な快楽は登場しない。学生ノリの飲み会すらほぼ登場しない。本書はむさ苦しい男だけの小説と思いきや、女性も数人出てくる。しかし、本書では恋愛さえ、浮世離れした高尚な営みとして描かれる。院生となった主人公に、大学入学当初から主人公に想いを寄せていた清水スピカが告白する。そんな主人公の人生にとってエポックな出来事さえ、著者は繊細に取り扱う。キスしか描写されないまま、研究者となった主人公はスピカと結婚するのだ。果たして婚前交渉かあったのかどうか、本書からは全く伺うことはできない。プラトニックとでも言いたくなるような、清らかな男女関係だ。

喜嶋先生と計算センタのマドンナ沢村さんの関係も高尚かつ純そのもの。しかし本書には主人公や喜嶋先生を笑う無粋な輩は登場しない。学究の高みを目指して研究にうちこむ本書のテーマにとって、二人の間のロマンスをどうこういう余地はない。本書の純粋さは、登場人物だけでなく読者からの下世話な突っ込みすらも跳ね返す。本書からは世のあらゆるもの、人の営みそのものすら、徹底して水や空気のように透明で通り過ぎていくものとして扱おうとする著者の意思が感じられる。本書は、水のようにしみこむ文体と、水のように薄い俗世の味わいと、水のように純粋な学問への思いから成っている。森の奥に静かにたたえられた湖のように。

主人公が助手から他大学の助教授へと招聘されるにつれ、つまり研究以外のものが生活に混じるに従い、喜嶋先生の口調に丁寧さが混じってゆき、自然と疎遠になってゆく。人は成長するにつれ、世の中と折り合ってゆくために、世俗のものと妥協し、それらを身につけてゆく。それゆえ、世俗に染まった者にとっては、喜嶋先生の孤高を貫こうとする姿が淡々としているように見えるほど、逆に痛々しさを感じる。そしてある種の悔しさすらも感じる。さらには哀しみの感情も抱く。俗なものに流されるとは、長いものに巻かれることは、これほどにも楽なことなのか。そして、自己を貫いて生きるとは、これほどまでに苦しいものなのか。そんなことまで思わせる哀切さにみちた結末だ。

本書の帯には、こう書かれている。
学問の深遠さ、研究の純粋さ、大学の意義を語る自伝的小説

私はこう付け加えたい。
学問の深遠さ、研究の純粋さ、孤高の困難さ、大学の意義を語る自伝的小説、と。

‘2016/07/15-2016/07/16


日本の未来は暗いという新成人へ


日本の未来は暗い。

成人の日を前に、マクロミル社が新成人にアンケートをとったそうです。その結果、「あなたは、「日本の未来」について、どのようにお考えですか。」という問いにたいし、67.2%の人が「暗いと思う」「どちらかといえば、暗いと思う」と答えたとか。つまり冒頭に挙げたような感想を持った人がそれだけいたということですね。https://www.macromill.com/honote/20170104/report.html

うーん、そうか。と納得の思いも。いや、それはあかんやろ、ていう歯がゆさも。

この設問にある「日本」が日本の社会制度のことを指すのだったら、まだ分からなくもないのですよ。だけど、「日本」が新成人が頼りとする共同体日本を指すのであれば、ちょっと待てと言いたい。

今の日本の社会制度は、個人が寄りかかるには疲れすぎています。残念ですけどね。これからの日本は、文化的なアイデンティティの拠り所になっていくか、最低限の社会保障基盤でしかなくなる。そんな気がしてなりません。今の日本の社会制度を信じて国や会社に寄りかかっていると、共倒れしかねません。個人の食い扶持すらおぼつかなくなるでしょう。

トランプ大統領、少子高齢化、人工知能。今年の日本を占うキーワードです。どうでしょう。どれも日本に影響を与えかねないキーワードですよね。

でも、どういう未来が日本に訪れようとも、個々人が国や会社におんぶやだっこを決め込むのではなく、人生を切り開く気概を養いさえすれば乗り切れると思うのです。戦後の高度経済成長もそう。戦前の価値観に頼っていた個々人の反動が、原動力になったともいえるのですから。

これからの日本の未来は暗いかもしれませんが、それは疲弊した社会制度の話。組織や国に寄りかかるのではなく、個人で未来を切り開く気概があれば、未来は明るいですよ、と言いたいです。

それは、何も個人主義にはしり、日本の良さを否定するのではありません。むしろ「和を以て貴しとなす」でいいのです。要は、組織にあって個人が埋没さえしなければ。だから、組織を離れるとなにをすればよいかわからない、ではマズいです。週末の時間をもて余してしまう、なんてのはもってのほか。

学問を究めようが、政治に興味を持とうが、サブカルに没頭しようがなんでもいいのです。常に客観的に自分自身を見つめ、個人としてのあり方や成長を意識する。それが大事だと思います。その意識こそが新成人に求められるスキルだといってもよいです。

だから、アンケートの設問で「あなたはどのような方法で、世の中のニュースや話題を得ていますか?[情報を得ているもの]」でテレビが89.6%とほぼ9割であることに若干不安を覚えます。なぜならテレビとは受け身の媒体だから。特定の番組を選び、意識して見に行くのならまだしも、何となくテレビの前でチャンネルザッピングして飛び込んでくる情報を眺めているだけなら、個人の自立は遠い先の話です。やがて日本の社会制度の疲弊に巻き込まれ、尾羽打ち枯らすのが関の山です。

でも、アンケートの結果からは救いも見えます。それは、皆さん日本の未来については悲観的ですが、ご自分の未来については楽観的なことです。アンケートの中に「あなたは、「自分の未来」について、どのようにお考えですか。」という設問があり、65.8%が楽観的な答えだったのです。これはとても良いこと。未来は暗いと言っている場合ではないのですから。同じく「あなたは、自分たちの世代が日本の将来を変えてゆきたいと思いますか。」の問いに61.4%の方が肯定的な回答をしていたことにも希望が持てます。

日本に誇りをもちつつ、日本に頼らない。日本の文化に属しつつ個人としての感性を磨き、充実の社会人生活を送ってほしいものです。

ま、私もこんな偉そうなことを言える新成人ではなかったのですが。私も人のことを言ってる場合やない。私という個人をもっと磨かねば。そして子供たちにも個人の意識を打ち立てるように教え諭さないと!


オレたちバブル入行組


倍返しだ!

一時期、何回この台詞を聞いたことだろう。大人も子供も関係なく。確か流行語大賞の候補にも挙がったのでは無かったか。

ドラマ半沢直樹の中で発せられるこのセリフは、原作の本書の中では私が気付いた限り、290ページに一度きりしか出てこない。それも決め台詞ではなく、他の台詞の中に埋もれていた。しかも倍返しではなく十倍返しである。当初は決して決めセリフとして書かれたのではないような気がする。仮にそうだとすれば、これを決め台詞として見出した脚本家の手腕は高く評価されるべきだろう。

著者が銀行出身であることは知られている。著作の多くは、銀行融資の内実を知る者のみが書ける迫真性を帯びている。無論、出身行と交わしたはずの機密保持契約に抵触するような内容は避けていることだろう。しかし、ここまで書いてよいのか、モデルはないのか、読者であるこちらが心配になるほどだ。

主人公の半沢直樹は、東京中央銀行大阪西支店の融資課長。バブル華やかなりし頃に入行してから、比較的順調に昇進してきた。

しかし、支店長の浅野が功を急いで取ってきた西大阪スチールの融資案件焦げ付きの詰め腹を切らされそうになる。そのやり口に反発した半沢は、西大阪スチール社長の東田を追い詰め、浅野支店長の策略によって本店の人事部や業務統括部とも対立するが、強気に押し通し、十倍返しを実現する。本書をまとめるとすればこうなる。

今にも組織の論理に押し潰されそうになっているサラリーマン諸氏にとっては、胸のすくような内容である。著者が銀行業務を知悉しているからこそ使えるリアルな行内用語。それらが、本書の内容にリアリティーを与え、平素、組織内で似たような用語を使いこなしている読者にも感情移入を容易にする。会話の一つ一つが小説家のフィルターを経ず、ビジネスの現場で活きているやりとりそのままが活かされているのだから、尚更である。

もちろん、半沢直樹の言動は銀行の規格外だろう。このような態度を示して生き残っていけるほど、現実の組織はやわくない。でも、だからこそ半沢直樹に己を投影し、溜飲を下げる読者もいるはずだ。

一匹狼でもなく、特殊能力があるわけでもない。守るべき家庭もある。あるのは強烈な反骨心。理不尽な扱いに怯まず刃向かうだけの気持ち。こういった現実的な設定も受けたのだと思う。バブル後の世知辛い浮き世にあって、半沢直樹は現れるべくして現れたのだといえる。

私自身、銀行内部の世界を全く知らないわけでもない。なので、本書には童心に帰ったかのように心弾ませられ、一気に読み終えた。本書には続編があるそうなので、是非読みたいと思う。また、私は実はテレビドラマの半沢直樹は、音声も含めて全く観たことがない。こちらも機会があれば観たいものだ。

‘2015/02/04-2015/02/05