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アクアビット航海記 vol.6〜起業のメリットを考える その5


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回は起業を前向きにポジティブにとらえた視点での利点を述べました。今回は、私からみれば利点とは必ずしもいえないのですが、一般的には起業の利点として語られることについて語りたいと思います。なお、以下の文は2017/9/14にアップした当時の文章そのままです。

人間関係に煩わされません

「組織の悩み」と掛けて、「しあわせ」と解く。その心は「し(4)がらみ」。のっけから下手ななぞかけで失礼しました。仕切りなおして組織の煩わしさを問います。その答えは人間関係。それもそのはずで、たくさんの人が毎日一緒に集まって仕事するのが組織なのですから。当然、ソリやウマの合う合わないという問題が噴出します。組織の中で働く皆さまの悩みごとです。少しでも組織の中のしがらみを円滑にするため、いろいろな工夫が凝らされています。飲み会を開き、ゴルフに出かけ、ランチ会でおしゃべり、喫煙所でモクモク。涙ぐましい努力をしても、組織にいるのはものわかりの良い上司や趣味の一致する同僚、意を汲んで仕事をしてくれる部下だけとは限りません。理不尽な上司、敵意をむき出しにする同僚、無関心でシラケる部下に出会うこともあります。そうなっても組織の中の関係を円満にすることは何よりも優先されます。その労力たるや本業よりも大変。そこから脱出したいがために独立に踏み切る、というのも聞く話です。

確かに“起業”すれば、組織の人間関係からは逃れられることでしょう。その意味では起業の利点なのかもしれません。でも、“起業”しても仕事の上の関係は引き続きついてまわります。むしろ、組織の中のほうが潤いのある関係が維持できるかも。組織の中で人は、円滑に機能させようと無意識に配慮という潤滑油を分泌させます。それは日本人が長年培ってきた和のココロのなせる業。

しかし、そんなウェットな関係を嫌う人もいます。そんな方がウェットでなくドライな関係を求めるために“起業”したとします。ウェットな関係から逃れ、ドライでビジネスライクな最小限の付き合いで世渡りできる? そう思ったあなたは、アテが外れることでしょう。というのも“起業”した後にこそ、そういうウェットな配慮が一層必要となるからです。お互いが普段離れているということは、普段は乾いた関係なわけです。ならばこそ、いざ会ったときにたっぷりの潤滑油が必要になるのです。私の意見では、SNSがこれほどまでに支持された理由が、離れていてもお互いの話題で潤う関係が築けるからだと思っています。だからこそ、同じ組織にいる人同士では、SNSの関係が構築されないのです。

もちろん、人には相性があります。大量の潤滑油を分泌してもかみ合わない人もいるでしょう。SNSでも全く接点が発生しない人もいるでしょう。どれだけ顔を合わせてもこの人とはきしみ合うしかない、つまり相性が合わないという方は誰にでもいるはずです。起業とは、そんな人とたもとを分かつことのできる手っ取り早い手段であることは確かです。反りが合わなければ一緒に仕事をしなければいいのですから。それは起業の利点です。

ですが、仕事の成功とはタスクの達成よりも人間関係が円滑であり続けたか、という金言もあります。私が今考え付いた金言なのですが。この言葉は“起業”した後の方がより実感できます。“起業”したからといって人のつながりから逃れられると思ったら大間違いです。その点では起業のメリットは薄いと言わざるをえません。

お金に融通がきく

これは、起業の甘い側面しかみていない意見です。もちろん、組織に属していると給与テーブルの枠の中に納まった額しかもらえません。手当とボーナスの増減に一喜一憂するサラリーマンと違い、“起業”すればダイナミックなお金のやりとりができる。確かに頑張り次第、工夫次第でお金は稼げます。ですが逆を返せば、努力や創意が足りなければジリ貧にも陥るのです。お金に融通がきくとは、逆に言うと振れ幅も激しいことを意味します。潤沢にも登れば、貧窮にも陥るのです。

ただ、お金に融通が効くかどうかは、月給取りの皆さんも一緒です。自分の働きが組織の業績アップにつながった場合はボーナスで報われます。また、自分ではない方が起こした不祥事で業績ダウンをこうむり、ボーナスがなくなる不運を呪うのか。それに納得できるかできないかはあなた次第です。

お金に融通が効くか効かないかは、“起業”していようがいまいが変わりません。ただ、組織の場合は全く自分の部署に関係ないところが起こした不採算が、自分の部門にも影響を及ぼすこともあり得ます。それが組織なのですから。その点、自分の頑張りがお金に直結するのは起業の利点の一つとしてもよいでしょう。

お金については、起業の欠点としてあらためて取り上げたいと思います。

定年がない

定年がないとは、シビアに言い換えると死ぬまで働け、という意味です。勤め人には長年のねぎらいと老後の資金として退職金が支給されます。それが通例です。ですが、“起業”した場合は退職金はありません。なので、定年がないことを、利点に数えるのは早計だといえます。もっとも、退職金が出せるまでの組織を立ち上げられれば別です。または退職金がなくても、事業を清算した際に蓄えた資金を自分の老後資金に充てられれば。

もちろん、先に書いたとおり、働くことが大好きな方にとっては死ぬまで働けることは幸せでしかないはず。これを利点ととるか欠点ととるかはその人次第です。

次回から、起業の欠点について取り上げていこうと思います。


アクアビット航海記 vol.5〜起業のメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回は、人生観の観点で起業の利点を取り上げました。今回は、正面から起業の利点を取り上げたいと思います。なお、以下の文は2017/9/7にアップした当時の文章そのままです。

起業の利点をさぐる

今までで三回にわたって起業の利点について述べました。逃避できるから起業、責任をより引き受けたくて起業、人生観に急き立てられて起業。それぞれが立派な理由だと思います。でも、これらの理由はどちらかといえば受け身の立場です。ラッシュが嫌だから、好きなときに好きな場所に行けないから、チャレンジをせずに人生が終わっていくのがいやだから。でも、それだけでしょうか。”起業”する理由は他にもあるはず。もっと前向きで建設的でアグレッシブな理由が。

やりたいことができるのが起業

それは、やりたいビジネス、やりたい社会貢献のための起業ではないでしょうか。現在、あなたがこのプランを社会に問いたい。このビジネスで社会に貢献したい。そんなアイデアを持っていたとします。このアイデアをどうカタチにするか。ここに起業が選択肢として挙がってきます。

あなたが例えば学生なら、いまはそのアイデアをカタチにするため最大限に勉強すべきでしょうし、もし会社に雇われていれば、会社を利用すべきです。社内起業制度があればそれを利用しない手はありません。最近は徐々にですが副業を認める会社も増えています。もし副業のレベルでなんとかなりそうであれば、会社にいながらアイデアをカタチにするのもありです。むしろ、会社の力を借りたほうが良い場合もあります。

でも、所属している企業にそういった制度がなく、思いついたアイデアが企業の活動内容と違っている場合、起業を選択肢の一つに挙げてもよいのではないでしょうか。もしくは、背水の陣を敷くために会社を辞めるという選択肢もあるでしょう。どちらが正しいかどうかは、人それぞれです。やりたい内容、資金、原資、準備期間によって起業のカタチもそれぞれ。どれが正しいかを一概に決めることはできないはず。

とはいえ、やりたい仕事が副業で片手間にやれるレベルではなく、属している会社の支援も見込めないとなれば、残りは起業しかないと思うのです。そこまで検討し、悩んだアイデアであれば、“起業”しても成算があるに違いありません。あなたが問わねば誰が世に問うのでしょうか、という話です。

繰り返すようですが、そのアイデアを元に起業に踏み切るのは、属する企業ではアイデアが実現できず、起業しか実現のすべがない場合です。本連載は起業を無責任に薦めるのが趣旨ではありません。しかし、あなたのアイデアの芽をつみ、他の人に先んじられるのをよしとするつもりもありません。企業に属していてはアイデアが世に出ないのであれば、起業はお勧めしたいと思っています。

やりたいことも成果があってこそ

“起業”すれば、あとはあなたの腕にアイデアの成否はかかっています。自分が食っていけるアイデア、誰も思いついていないアイデア、社会にとって良いと思えるアイデア。存分に腕をふるってもらえればと思います。あなたのアイデアに難癖をつける上司はいませんし、やっかむ同僚もいません。アイデアを盗もうとする後輩もいないでしょう。もちろん、ベンチャー・キャピタルや銀行、または善意の投資家におカネを出してもらう場合は、きちんと報告が必要なのは言うまでもありません。やりたいことができるのが起業とは書きましたが、お金を出してもらった以上は成果が求められるのは当たり前。でも、あなたのアイデアがカタチになり、それが世に受け入れられて行く経過を見守る幸せ。これをやりがいといわず、なんといいましょう。自分のアイデアを元に、世間に打って出ていく。そしてそれが受け入れられる快感。この快感こそが何にも増して“起業”する利点と言ってよいでしょう。

もちろん、アイデアと意欲だけでは起業はうまくいきません。理想は現実の前に色を失っていきます。それがたいていの人。理想やアイデアを世の中に問うていくためにも、ビジネススキルは必要です。泥臭く、はいずるようなスタートになることでしょう。苦みをかみしめ、世知辛さを味わうこともあるでしょう。起業なんかしなければ、と後悔することだってあるでしょう。そんな起業につきものの欠点は本連載でもいずれ取り上げる予定です。アイデアだけでビジネスが成り立つほど甘くはないのですから。でも、そんな厳しさを知ったうえでも、このアイデアで世に貢献したいのであれば、ぜひ試すべきだと思います。

そして、アイデアは慎重に検討し、楽観的な憶測や他の人の善意に頼らないことです。地道で地味な日々があります。スタートアップで脚光を浴びるのはほんの一部。それをベースに考えておくべきなのかもしれません。でも継続は力。いずれは実を結ぶはずです。実際、私は画期的なビジネスモデルも脚光を浴びるプレゼン能力ももっていませんが、地道に経営を続けられているのですから。

次回、起業のメリットとは言い切れないが、一般的には利点とみなされていることを探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.4〜起業のメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/31にアップした当時の文章そのままです。

起業とは、人生観にも関わってきます。

第三回で、“起業”すると自分自身に対する責任が持てる、ということを書きました。そこでいう責任とは、あくまで仕事に対する責任です。でも「生きる」とは、仕事だけを指す営みではありません。プライベートや家族、老後のことまで含めて「生きる」のが人生。仕事に生きて、家族と生きて、自分を生きるのです。ここに男女や国籍は関係ないと思います。

これは私の個人的な感想ですが、日本人はこの使い分けが不得手なように思います。公私の境目をあいまいにし、プライベートな時間にも仕事を持ち込む。それは、一昔前は日本人の勤勉さの美徳でした。私は何もこの美徳を否定しようとは思いません。ですが、人は仕事のみに生くるにあらず、であることも確かです。人は家族や自分自身や社会によっても生かされているのです。ここが後回しになっていたのが、高度経済成長期の日本でした。その時期はどんな仕事に就いていても社会自体が成長したからよかったのです。三種の神器、いざなぎ景気、ジャパン・アズ・ナンバーワン。右肩上がりで成長する日本に自分の働きが貢献できている、と実感できた時代。でも、もうそういう時代は終わってしまいました。

生涯を仕事に打ち込むために

もちろん、社会がどうあろうと仕事の鬼として生涯を仕事に捧げるのも一つの生き方です。ですが、それが成り立つのは生涯のすべてを仕事に捧げられた場合です。普通の勤め人には、どうしても定年や引退が付いて回ります。いざ引退してみると、現役時代に仕事一徹だったためにプライベートな付き合いがなく、家族も顧みなかったため家にも居場所がない、という話が、よくドラマや映画でも描かれました。勤め人は会社や組織の一員である以上、新陳代謝の対象となっていつかは去らねばなりません。去った時点で築き上げたキャリアは終わります。生涯を仕事に捧げられるのは、強大な創業者にのみ許される特権なのかもしれません。

一方で、個人事業主や創業者には引退や定年が事実上ないと言ってよいでしょう。引退は自分の意思次第です。起業のメリットを手っ取り早く述べるなら、定年がないことを力説してもよいぐらい。好きなだけ仕事をしていられる。それは仕事が好きな人にはたまらないメリットです。

ただ、起業のメリットをそれだけに求めるのはもったいないと思います。起業の利点とは、そんな安易なものではありません。起業には人の生き方や人生観にまで関わる長所があるのです。

それは、自分の人生をどう律するか。自分の人生をどうマネージメントしていくか、ということです。それこそ、仕事に生きるか、家族と生きるか、自分を生きるか、のバランスです。まずは、生涯を一人の仕事人としていきるための起業を語ってみたいと思います。

自分自身の人生を生きるために

第一回でも書きましたが、人は人、自分は自分であり、誰にも他人の人生を代わりに生きることはできません。死ぬときは、すべての人が等しく独りぼっち。枕元に大切な人がいようが、何人に囲まれていようが、独りで死ぬことに変わりはありません。その際に自分の人生をどう総括するか。それはそれぞれの人によって違います。組織の中で働き、老後は悠々と日々を過ごす余生。生涯現役を全うする人生。若い時に無頼な生き方を貫き、それがもとで老後は青息吐息の中に消えるような死に方。それぞれが一人ひとりの人生の幕引きです。それぞれの人生、それぞれでいいと思います。大切なのは、死ぬ間際に自分の人生を後悔しないことに尽きると思います。自分の人生を一番知っているのはあなた自身のはず。他人から見た自分の人生がどうだったか、はどうでもよいのです。そうではなく、自分自身で振り返った自分の生涯がどうだったか。それを満足できるかどうかが肝心なのだと思います。漫画「北斗の拳」に登場するラオウのように「わが生涯に一片の悔いなし!!」と天に拳を突き上げ叫べれば、その人の人生は成功なのです。

ところが、それはラオウだからこそ言える話。ケンシロウという良き強敵(とも)と全力で戦い、敗れたラオウ。拳の道、漢の道を突き詰めた人生を歩むことができたラオウにあって初めて悔いなし!と言えるのです。北斗神拳の後継者をケンシロウと互いに争い、その生涯と遺志を伝えるに足る漢に人生を託せた思い。ラオウの言葉にはそういった思いが込められています。ですが、私のように普通の人はそこまでの出会いや強敵(とも)に会えるとは限りません。拳の道どころか、人生も学習も突き詰められずに終わっていく人も多いでしょう。それまでとってきた選択の中には後悔もあるでしょうし、反省もあるはず。私にも失敗や後悔はたくさんあります。

各分野で名を遺した人の伝記を読むと、二十歳前後で何らかの転機に出会っていることが多いようです。伝記になるほどの人は、その転機を経て努力の末に功成り名遂げた方です。一方、現在のわが国で男性の生涯をモデル(理想)化するとすれば、大学を卒業して新卒で採用され、そのまま定年まで勤め上げることのようです。女性の場合は、新卒で採用され、結婚を機に退職すること。そのモデル(理想)の中には、上に挙げたような転機は見い出せません。転機とは例えば、十代のうちにスポーツや芸術で自分の才能を見出され、その世界で強敵(とも)を見つけるようなことです。

そういう転機に若くして出会えた人はよいのです。でも、そんな方はそう多くはありません。私のように二十歳を過ぎてから自分の中に目覚めた独立心をもてあます人もいるはずです。その気持ちを押し殺し、社会や家族のために捧げる人生もまた尊い。でも、私はそのメンタリティに一度目覚めた以上、自分の生涯に悔いが残ると思いました。私と同じように、人生観につき上げられ、何かに飛び込みたいと思った場合、”起業”は一つの手段となりえます。これは”起業”したから偉いとか、定年まで会社で勤め上げた人を貶めるというような狭い意味ではありません。何度も言うように、生き方とはその人自身が引き受け、味わうものなのですから。ただ、私のように起業を選択した人は、人生の目的の一つに仕事を選んだわけです。私もいまだに成長途上ではありますが、定年にさえぎられず仕事に打ち込める起業が一つの選択肢であると思っています。

次回、さらにほかにも起業のメリットがないか探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.3〜起業のメリットを考える その2


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/24にアップした当時の文章そのままです。

起業の利点を活かすために

私自身、社会人であっても勉強を続けることは当然と思っています。むしろ学生時代よりも勉強が必要になるほどに。もちろん、会社より給金をもらっている身では、仕事中に堂々と勉強することは許されません。でも日々の業務の中や職場の雑談、プライベートの時間から得られるものはいくらでもあるはずです。それをどん欲に取り込むかどうかでそのあとの人生が違ってくるでしょう。これは“起業”していようと会社勤めだろうと変わらないと思います。

でも、会社の中で仕事をしているだけでは得られない勉強があるのも確かです。それは展示会やセミナー、異業種交流会など、会社の外でしか得られない体験です。交流会は夜に開催されることも多いので、勤務時間の後に出席できるかもしれません。でも、展示会やセミナーは日中に開催されることがほとんどです。担当する仕事にもよるのでしょうが、仕事の都合で行けない方は多いでしょう。でも、仕事に没頭している間にも、外の世界では豊富な情報が展示され、話され、交流されています。そして、そういった情報は、会社の外に出向かなければ逃してしまうのです。高度経済成長期の我が国では、組織の中で役割を全うさえしていれば、必ずしも外部での勉強は必要ありませんでした。でも、現在はそんなことを言って過ごせる状況にないのはみなさまもご存じだと思います。

時間の融通が効きます。


連載の第一回でも書きましたが、私は勤め人であっても引退後の人生も含め、自分の人生を360°で考えておくべきだと思っています。自分と仕事と家族の両立。いまこそ、これらの両立を考えねばならない時代になっているのではないでしょうか。自分の生涯を見据え、どのように自分の生涯のすべてをプロデュースしていくか。仕事時間を成果の出力だけでなく、学びの入力の時間へいかに変えていくか。

それには余暇の時間も確保すべきでしょう。私は旅が好きです。博物館、寺社仏閣、名所、滝、川、蒸留所、醸造所。旅先では時間を惜しんであらゆるところに行きます。人によって余暇はさまざまです。Shadowverseに夢中になる人、グラブることに集中する人、草野球に汗を流す人、庭で土と戯れる人、馬が走る姿に見とれる人、一心不乱に走りまわる人、子供たちと触れあう人。それぞれの自由です。そういった時間も含めて、生涯に与えられた自分の時間をいかに有効に使うか。

“起業”すると、あなたの時間配分はあなた自身が決められます。もちろん、独立しても請負契約など契約の種類によっては、毎日定められた場所に行かねばなりません。その場合も、拘束契約でなければ、セミナーに行こうと思えば行けるはずです。“起業”とはあなた自身があなた自身の監督者であり、上司であり、部下になることでもあります。いつ作業に集中するか、どれだけ移動に費やすか、何時間を打ち合わせに充てるか、そしてどの時間を勉強に使うか。すべてがあなたの判断と責任において行えます。また、“起業”とは絶え間ない工夫と発展の連続です。つまり勉強の時間を確保することが重要なのです。これだけ日進月歩で技術が発展している昨今では、業種や職種に関係なく知識の習得が欠かせません。それを怠ることは、仕事の機会を失うことにもつながります。となると、勉強の時間を確保することが最優先となるのです。 これは、私にとっては確保したい大切な部分でした。

責任感が体中にみなぎります


前回、ちらっと触れましたが、起業とは、つまるところは自分で責任を負うことです。

もともと、社会人である以上は何らかの責任を担わされます。これは避けられません。責任といっても立場によってまちまちです。職に就いていれば職務に付いてくる責任。家族を築いている以上は家族を率いる責任。地域社会で共生する以上は地域社会を豊かにする責任。それらの責任は放っておいても背負わされる責任です。甘んじて受けねばならない責任とでもいいましょうか。周りからやってきて、自分にまとわりつく責任。そこにはどうしても義務感がついて回ります。

ですが、起業とは自分で責任を作り出すことです。周りから押し付けられた責任ではなく、自分が作り出した責任です。当然、その責任は自分で担わなければなりません。仕事を受けた以上は、その責任は全うしなければならないのです。下請け業者に任せたり、社員に任せることもあるでしょう。ですが、最終的な責任は全て”起業”した当人が負わねばなりません。

自分で作った責任は、自分で決着をつける。そこには義務感も発生します。デメリットのところでも触れますが、ストレスにもさらされます。でも、それは自分で作った責任なのです。あなたの中では義務感よりも責任感が大きな割合を占めることになるでしょう。自分自身で種をまき、芽生え育てた責任感。これは”起業”すると間違いなく手に入ります。会社の中で大きな仕事を任された時に生じる責任感にも似ているようですが、会社の中で背負う責任感は、会社を背負った責任感です。それはそれでとても大切な責任感です。ですが、組織の立場としては作業を属人的にするリスクもあるため、責任は分散せざるを得ません。一方、”起業”して得られる責任感とは、自分自身が一身に帯びるしかありません。唯一無二の責任感なのです。

次回も引き続き、起業のメリットを探っていきたいと思います。