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なぜかお金を引き寄せる女性39のルール


本書は、いわゆる自己啓発本と言って良い。本書のレビューを書くにあたり、自己啓発に関する本は滅多に読まないことを断っておかねばならない。とはいっても、この類いの本を読まずに毛嫌いしている訳ではない。私の読みたい本は他に沢山あり、読書に充てるための時間は常に足りない。つまり、他の読みたい本より自己啓発本の優先順位が低いだけであり、自己啓発本について含むところも他意もないことは述べておきたい。

同じく断っておかねばならないのは、読んで糧にならない本などありえないということ。全ての本は何らかの価値がある。たとえ、知識が得られなかったとしても作者の考えは読み取れるし、自分の考えと違えば、その違いを検証することでより考えを深められる。その意味で、本書を読んだ価値は確かにあったといえる。

本書は、妻が薦めてくれた一冊である。著者の主張に普段から共感している妻は、本書から良い影響を多分に受けたという。そのことは私も感じており、妻にとって良き本ならば、と薦められるがままに読破した。丁度、家族と共に泊まり掛けで東京ディズニーリゾートへいった時と重なり、アトラクションの待ち時間を利用してするすると読めた。

本書は最初に書いた通り、自己啓発的な内容が述べられている。物事は前向きに。お金にたいして否定的な感情をもたない。自分と自分に起きる出来事を完全に肯定する。マイナス思考は持たない。全ての自分をめぐる出来事を受け入れる。ざっくり要約するとこのような内容にまとめられるだろうか。

妻も私も、自己啓発本やセミナーの類いから距離をおいて生きてきた人なので、免疫が無い分、新鮮な内容として読めた。特に妻が本書の内容に魅せられたのも理解できる。その理由も後で触れたいと思う。

本書は下手にスピリチュアルな内容に踏み込まず、見えない存在の力も借りない。その替わり、前向きに考えることで、人生は好転すると説く。本書に宗教臭は薄い。とはいえ、本書を読んで私の眼からウロコが落ちた、頬を打たれたような衝撃を受けた、自分が新たなステージへ進んだとの自覚には巡り会えなかった。

私が40年少しの人生で何も学んでこなかったわけではない。交わってきた友人達、育んでくれた両親、読んできた本、通ってきた校舎、関わってきた同僚、教えられた先輩、旅してきた土地、憧れた銀幕。これらから得られた知恵や人生訓は多い。

物事は前向きにとらえる。人の陰口は決して云わない。人にも自分にも完璧を求めない。自分は未熟者で、その分延びしろがあると考える。全ての出来事は自分を成長させる糧と受け止める。楽あれば苦あり。禍福は糾える縄のごとしで、人生の決算はプラスマイナス0となる。

これらは今までの人生で汲み取ってきた処世訓であり、自分にとっての人生観といえる。

本書の主張は、私の処世訓とおおかた寄り添っている。つまり、楽天的に前向きに物事をみるという点で。

人は皆、無意識に相手をみている。あなたが発する言葉や仕草を五感で受け取り、無意識に判断し、あなたの全体の雰囲気をつかみとる。あなたの言葉や仕草を前向きにすることは、人に対するあなたの受け取られ方を変えることにつながる。あなたが前向きなメッセージを発すれば、人は無意識に好意的にあなたを受け止め、あなたに対し好意的に振る舞ってくれる。好意的に振る舞われれば、物事はうまく行き、幸せになる。私は前向きになることの効用をこのように解釈している。

上に挙げたことは、何も精霊や守護霊、神や仏などに登場してもらうまでもない。人の心理として納得できる働きではないかと思っている。占い、宗教、風水の類いも同じ。自分が無意識に受け止める物事の印象をいかに好転させるか。自分の発する人へのメッセージをいかに前向きとするか。占い、風水、宗教は、そのためのツールと考えている。前世の業や、先祖の因縁は関係なく、霊験あらたかな壺は、それ自体には何の効果もない。効果があるとすれば、壺を有難いと思うあなたの前向きな気持ちがあなたの現状をよりよくし、因縁がたたるとすれば、先祖や前世の因業を信じるあなたの後ろ向きの気持ちがあなたの今を暗く照らす。それだけの話と考えている。

なので、私は宗教、占い、風水の類いは荒唐無稽な迷信とは思っていない。むしろ逆である。物事を前向きに考えられるようになり、人へのメッセージが明るいものになれば、そこに意義はあると思う。ただし、その思いが強まって、他人の信条や信仰を攻撃したり、干渉するようになったり、人の意見を受け入れなくなれば、あなたの発するメッセージは負のイメージに染まる。負の効果が相乗し、自らを傷付けてしまう。信心は自らのうちに収め、外へは出さないのがよいだろう。勧誘などの形をとることもよくない。宗教、占い、風水とは本来は組織に頼るものではなく、自らの内面で完結させるのが理想的な姿と考えている。

上に述べた考えは、本書には載っていない。本書には、前向きになるための実践方法が著者の言葉で綴られている。その中には自己啓発本初心者の私にも初耳のものもあり、それだけでも読んだ甲斐があったといえる。おそらくは妻にとってもこれらの実践方法は参考になり、実践して効果もあがっているのだろう。

とはいえ、本書には大きな疑問点も付く。本書の視点はあくまで個人的なものでしかない。それが端的に出ているのが、金銭礼賛の主張である。「武士は食わねど高楊枝」「ボロは着ていても心は錦」このような考え方を著者は幸福ではないと言う。この点を追及すると、本書の求める幸福とは金銭的に豊かであるかどうかの観点に偏っていると云わざるを得ない。

もっとも私は必ずしも金銭を稼ぐことに対して否定的な考えを持っているわけではない。必要なサービスを受けるための手段として金額の大小はあり得ると思う。私の嗜好を例にとれば、発泡酒よりはクラフトビールであり、トリスや角やハイニッカよりは響や白州や竹鶴であり、テレビの音楽番組よりはライブ会場での盛り上がり。これが金銭を余分に払うことで得られるサービスの質の向上であるといえる。しかし金銭を使わずにそれを貯めこむだけの人生ならば守銭奴と罵られても否定できまい。つまりは金銭とは自分の求めるサービスの質=人生の質を得るための手段に過ぎない。それを忘れ、金銭を最終的な到達点に置くから結論が浅くなってしまうのである。

また、金は流動する。低き位置から高き位置へと移動する。自分に金が集まれば、恵まれない人々の懐からは金が失われる。誰かがさぼれば、その重荷が働き者の肩にのし掛かる。残念ながら、それは事実。自分の成功の代償が会ったことのない別大陸の人に掛かるのなら、まだしも良心の咎めは生じまい。だが、往々にして成功は、身近な人の負担の上に成り立つことが多い。残念ながら、これも事実と云える。誰かの負担や犠牲の上になりたつ成功を何も感じずに享受するだけの強心臓の持ち主ならともかく、普通の人にとってそれは居心地のよい状態とはいえないだろう。

本書は、金があつまることで得た幸福は還元できるので、不均衡は発生しないと説く。しかし本書でいう還元とは金を意味しない。不均衡を発生させないのであれば、稼いだ金のほとんどを、最低限生活できるだけの分を残して献金しなければならないだろう。しかしそれが出来るだけの清廉で強靭な精神の持ち主はそうそういまい。少なくとも私にはできない。

以上から、金銭的な成功のみを到達点に置く本書の主張には賛成できない。前向きになることで幸せになれるという、本書の実践は参考になるだけに、本書が成功の形を金銭的な点にのみおいたのは、残念としか云いようがない。繰り返すようだが実践方法には参考になる部分があるだけになおさら。

‘2014/10/4-2014/10/6