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坂の上の雲(四)


本書では日露戦争の最初の山場が描かれる。それは黄海海戦と沙河会戦、そして遼陽会戦だ。

黄海海戦は、ロシアの旅順艦隊にとって惨々たる結果となった。もちろん日本にとっても。
それまでは旅順港外での小規模な戦いや機雷の敷設の応酬があったとはいえ、戦いというよりも小競り合いと呼んだ方がよいぐらい。小手調べのような争いに終始していた。

それは旅順艦隊がロシア本国の皇帝の命令に縛られていたからである。その命令とは、ウラジオストクへ向かえという意図のはっきりしないもの。そこに極東総督のアレクセーエフが抱く、やがてやって来るはずのバルチック艦隊が極東に来るまでは艦隊を温存しておきたいとの思惑が絡み、旅順艦隊司令長官のウィトゲフトから決断力を奪っていた。

三巻ではそうした帝政ロシアにはびこっていた官僚主義の弊害に触れている。
ヴィッテがロシア満州軍総司令官のクロパトキンに進言していたのは、アクレセーエフを早めに追放すること。指揮と命令の系統が硬直した官僚主義は、ロシアにとっては不幸な結末の原因となったが、日本にとっては幾たびも幸運な結果をもたらす。

しかし、機が熟したと判断したウィトゲフトは、ついにウラジオストクへ艦隊を出航させる。そしてそれを防ごうとした日本の艦隊との間で砲火を交える。黄海海戦だ。
著者の筆は、この海戦の一部始終を語る。本書の巻末にも黄海海戦の動きが図解されている。
この海戦で威力を発揮したのは、日本の砲弾に詰められた下瀬火薬だ。下瀬火薬は貫通力には乏しい。だが、当たると高熱の火災を生じさせる。その火災は、甲板の非金属部分や乗員に甚大な被害を与える。
下瀬火薬によって旅順艦隊は指揮系統が乱された上に、三笠の放った十二インチ砲弾が旅順艦隊旗艦のツェザレウィッチの司令塔に命中し、ウィトゲフトや操舵員を消し去る。著者はこの砲弾を「運命の一弾」と名付けている。また、後年になっても黄海海戦で勝てる見込みはわずかしか持っていなかったという秋山真之も「怪弾」と呼んでいる。この一弾が戦局に決定的な役割を果たす。黄海海戦のみならず日露戦争にも影響を与えた一撃だった
といえよう。

沈没はしなかったものの、コントロールが効かず漂い始めたツェザレウィッチは、かえって他の旅順艦隊の動きを乱す。旅順艦隊のそれぞれの戦艦は、下瀬火薬によって甲板上をさんざんに痛めつけられながら、あちこちの港に逃げ込む。逃げこんだ先が中立国の港であった場合は武装解除され、別の港に逃げ込めたとしても戦艦として二度と使えなくなる。ウラジオストクから出撃してきたウラジオ艦隊も日本の連合艦隊から戦艦として使えなくなるほどの打撃を受ける。
そうして黄海海戦は日本の勝利が確定した。旅順艦隊の一部は旅順に逃げ帰り、再び旅順港に籠ってしまう。

続いては陸軍の戦いだ。遼陽の会戦。それは、近代日本が戦った初の大会戦。
ロシア軍はシベリア鉄道を活用して物資も要員も潤沢に供給できる。対する日本は弾薬の使用量の見込みが信じられないほど甘く、常に戦闘員と砲弾と物資の残りを心配しながらの戦う羽目に陥る。

この戦いで運命を分けたのは、秋山好古の率いる騎兵だ。敵の後方で躍動し、それがクロパトキンの判断を散乱させたことが、戦局の流れを変えた。そして第一軍の黒木大将が敵将のクロパトキンの目をかすめ、太子河の渡河に成功したことも結果に大きな影響を与えた。

本書の全体に通じるのは、情報が不便だった時代だからこそ、情報を得られなかった側が負ける教訓だ。
通常であればどの戦いもロシアが圧倒的に有利であるはず。なのに、一瞬の判断が勝敗を分けている。ロシアは情報が不足することで疑心暗鬼となる。対する日本は遮二無二の攻めダルマを貫いてロシアを押し切ってしまう。

それは沙河会戦でも同じ。もはや砲弾の不足は異常な状態。本書の記述を読んでいると、日本は砲弾がないのにどうやって勝ったのか疑問に思えるほどだ。
実は日本の勝利とは、薄氷を踏むような奇跡が繰り返し起こり、その積み重ねで勝ったことを著者は繰り消し語る。

遼陽会戦と沙河会戦は、まだ児玉源太郎の立てた入念な計画があったからまだ勝てる見込みが少しはあった。
だが、旅順攻略戦を担当する第三軍の場合、作戦も何もなく、ただ人海戦術で押すしかない稚拙なものであった。
乃木大将は後世、神に祀られた人だ。人物の魅力を高く備え、その魅力によって人々を惹きつけ、将たる威厳を持っていたという。そのカリスマ性は兵を死ぬための突撃に向かわせる力となった。
ところが、乃木大将は戦が上手ではない。そして乃木将軍を補佐すべき参謀がこれまた頑固な人海戦術しか知らない伊知地孝介だったことが第三軍の不幸だった。一度決めた方針に固執し、客観的になれず、人に意見を聞く謙虚さもない日本人の悪い点を体現したような人物。著者はとにかくこの伊知地参謀をけなしにけなす。その描写は全ての日本の悪徳を一身に背負ったかのようだ。

いく度も要塞に突撃を敢行しては、掘に日本兵の死体を埋めてゆく。そして何の工夫もなく、大本営に人員と弾薬の補給をひたすら要請する。

旅順要塞を攻略しないことには港内に閉じこもった旅順艦隊は動かせない。そして旅順艦隊を生き延びさせていると、やがてやって来るバルチック艦隊と合流し、日本の連合艦隊が勝てないほどの戦力となる。旅順要塞を落とし、そこに守られている旅順艦隊を一掃しなければ日本の勝利はない。第三軍に日本の運命が託されているのだ。

焦る児玉源太郎。
彼が朝日を毎朝拝むようになったのもゆえなきことではない。
江ノ島には児玉源太郎を祀る神社がある。後世、神になった彼にして、祈るしかなかったのが日露戦争の現実だった。

戦争の結末を知っているのに、スリルに満ちた物語に引き込まれてゆく。

‘2018/12/13-2018/12/14


坂の上の雲(二)


本書では日清戦争から米西戦争にかけての時期を描いている。その時期、日本と世界の国際関係は大いに揺れていた。
子規は喀血した身を癒やすため愛媛で静養したのち、小康状態になったので東京に戻った。だが、松山藩の奨学金給付機関である常盤会を追放されてしまう。
それは、短歌・俳句にうつつをぬかす子規への風当たりが限界を超えたから。

そんな子規の境遇を救ったのが、子規が生涯、恩人として感謝し続けた陸羯南だ。
羯南は子規を自分の新聞社「日本」の社員として雇い入れ、生活の道を用意する。それだけではなく、自らの家の隣に家まで用意してやる。
その恩を得て、子規は俳諧の革新に邁進する。
本書には随所で子規の主張が出てくる。そこではどのように子規が俳諧と短歌の問題を認識し、どう変えようとしたのかがとても分かりやすく紹介されている。

著者は日清戦争がなぜ起きたのかについて分析を重ねる。
日清戦争の勃発に至るまでにはさまざまな理由はある。だが、結局は朝鮮の地政が原因で日中の勢力の奪い合いが起こったというのが著者の見る原因だ。
そこに日本も清国も朝鮮も悪い国はない。ただ時代の流れがそういう対立を産んだとしかいえない。その歴史を著者はさまざまな視点から分析する。

本書には一人の外交官が登場する。小村寿太郎。
日露戦争の幕引きとなるポーツマス条約の全権として、本書の全編に何度か登場する人物だ。
彼の向こう気の強さと努力の跡が本書では描かれる。
そして日本の中国駐在公使代理として着任した小村寿太郎の立場と、朝鮮をめぐる日本と清の綱引きを描く。さらには虎視眈々と朝鮮を狙うロシアの野望を絡めつつ、著者は歴史を進めて行く。

そうした人々の思惑を載せた歴史の必然は、ある時点で一つの方向へと集約され、戦いの火蓋は切られる。
秋山兄弟はそれぞれ陸と海で任務を遂行する。そして本書を通して重要な役割を果たす東郷平八郎は浪速艦長として役割を果たす。

そうした軍人たちに比べ、伊藤博文の消極的な様子はどうだろう。
伊藤博文は、初代の朝鮮統監であり、後年ハルビンで暗殺されたことから、国外からは日本の対外進出を先導した人物のように思われている。だが、実は国際関係には相当に慎重な人物だったことが本書で分かる。
日清戦争の直接のきっかけとなった朝鮮への出兵も、伊藤博文が反対するだろうから、と川上操六参謀次長が独断で人数を増員して進めたのが実際だという。

日清戦争の戦局は、終始、日本の有利に進む。
清国の誇る北洋艦隊は軍隊の訓練度が足りず、操艦一つをとっても日本とは歴然とした差がある。
また、全ての指図が現場の指揮官では判断できず、その都度、北京に伺いを立ててからではないと実行できない。
両国の士気の差は戦う前から明らかであり、そんな中で行われた黄海海戦では日本は圧勝する。そして陸軍は朝鮮半島を進む。さらに旅順要塞はわずか一日で陥ちる。

こうした描写からは、戦争の悲壮さが見えてこない。それは清国の兵に何が何でも国を守るとの気概が見えないからだと著者は喝破する。同時に著者は、満州族を頭にいただく漢民族の愛国意識の欠如を指摘する。だからこそ、日清戦争の期間中、日本と清国の間には膨大な惨禍もおきなければ、激闘も起こらなかったのだろう。

そうした呑気な戦局を遊山気分で見にいこうとしたのが、当時、結核の予後で鬱々とした子規だ。彼はなんとか外の世界を見ようと、特派員の名目で清国の戦場へと向かおうとする。
彼が向かおうとしたタイミングは幸いと言うべきか、ほぼ戦争の帰趨が定まり、戦火も治まりつつある時期だ。
ところが彼は、陸羯南をはじめとした人々が体調を理由に反対したにも関わらず、渡航を強行したことでついに倒れる。それ以降、子規が病床から出ることはなかった。脊椎カリエスという宿痾に侵されたことによって。

そうした子規の行動は、見方によっては呑気に映る。だが、その行動は別の視点からみれば、明治の世にあって激しく自分の生を生きようとした子規の心意気と積極的にとらえることも可能だ。

威海衛の戦いでは海軍が圧勝し、日清戦争は幕を閉じる。それを見届けて真之はアメリカにゆき、米西戦争を観戦する。
そこで彼が得た知見は後年の日露戦争で存分に生かされる。
その知見とは、例えば、港に敵艦隊を閉じ込めるため、わざと船を港の入り口に沈める作戦を見たことだ。
また、米西戦争の観戦レポートの出来栄えがあまりに見事で、それが真之を上層部に取り立てられるきっかけになる。

そうしているうちに、事態は独仏露による三国干渉へと至る。
三国干渉とは、日本が清国から賠償で受け取った遼東半島を清国へと返却するよう求めた事件だ。そこには当然、ロシアの満州・朝鮮への野心がむき出しになっている。そのシーンで著者は、ロシアのヴィッテの嘆きを紹介する。
ヴィッテ曰く、ロシアの没落は三国干渉によって始まったとのことだ。ヴィッテ自身の持論によれば、ロシアはそこまで極東への野心を持ってはならないとのこと。だが、その思いはロシア皇帝ニコライ二世やその取り巻きには理解されず、それが嘆きとして残ったという。

なぜ、ロシアが極東に目を向け始めたのか。
そうした地理の条件からの説明を含め、著者は近世以降のロシアの歴史を説き起こしてゆく。そして、今に至るまでのロシアの状況を的確に彫りだしてゆく。
それによれば、西洋の進歩に乗り遅れた劣等感がロシアにはあった。当時のロシアは、社会に制度が整っていないこと。官僚主義が強いこと。そして、政府の専制の度合いが他国に比べて厳しいこと。さらに、不凍港を求めるあまり、極東へ進出したいというあからさまな野心が見えていること。最後に、ニコライ二世が、訪日時に津田三蔵巡査によって殺されかけたことから、日本を野蛮な猿として軽んじていたこと、などを語っていく。

そうして、日本とロシアの間に戦いの予感が漂っていく。そんな緊迫した中、意外なことにロシアは日本との戦いを予想していなかったという。それはロシアにとってみれば、日本の国力があまりにも小さいため、どれだけロシアが極東に圧力をかけようとも、日本がロシアに戦争を挑むはずがない、と高をくくっていたからだ。もちろん、歴史が語るとおり、日本は世界中の予想を跳ね返してロシアに戦いを挑むわけだが。

当時の日本がどれだけ世界の中で認識されていなかったか。そしてどれだけ侮られていたか。それなのに、日本にとってはどれだけロシアの圧力が国の存亡をかけたものととらえられていたか。風雲は急を告げる中、著者は次の巻へと読者をいざなう。

‘2018/12/7-2018/12/11