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闇の傀儡師 下


下巻は、津留を救い出すため、源次郎が敵の拠点を探リ当てる場面から始まる。都留の居場所に当りを付けた後、実家を訪ねる。武士を捨てて筆耕稼業をはじめる前、廃嫡を望んで縁を切ったはずの実家。そこを訪ねた源次郎は、津留を救い出すために後顧の憂いを振り払う。そしていよいよ自分が八嶽党との雌雄を決する戦いに巻き込まれたことを自覚する。

敵の首領格である八木典膳との果たし合いに入った源次郎は、八木典膳に謀られ、座敷牢に捕らわれる。そこには津留がいた。しかし、源次郎と都留は、何者かに助けられる。その何者かは敵の一味に遭って源次郎に仄かな行為を寄せるお芳。しかし、源次郎が捕らわれている間に世子家基は暗殺されてしまう。

これも八嶽党の魔手によるものか。しかし事態は源次郎が想像する以上にややこしい。八木典膳、伊能甚内、赤石老人と奈美、白井半兵衛、放蕩叔父由之助、そして津留。そこに田沼意次と松平武元の幕政の主導権を握る争いが加わる。

果たして源次郎にとって誰が見方で誰が敵か。源次郎をめぐる人々の思惑や感情が渦巻く。渦巻いた物語の続きに急かされるように、読者のページをめくる手は止まらなくなる。

源次郎の師匠興津新五左衛門は、赤石老人と立ち合い、そこで八嶽党の秘密の一端が明かされる。そして源次郎は、全てに決着をつけるため、甲州へと向かう。

全てが終わった後、全てを手配した黒幕は明示されぬまま、物語は奇怪な後味を残して幕を閉じる。そもそも上巻の始まりからして、謎の黒幕が誰かと密会している場面から始まるのだが、結局黒幕の正体は具体的な名前として名指しされずじまい。当時の権力模様を知悉していない我々にはその当たりがわからない。実は本書を詳しく読み込めば分かるのだが、曖昧にしたままの黒幕像が物語になんともいえぬ余韻を残すことになる。

巻末には著者自身による後書きが付されている。そこには本書の興を削ぐような記載はなく、替わりに著者の読書遍歴が書かれている。そして活劇モノに胸躍らせた読書経験こそが、本書に活かされていることを著者は語る。

さらに著者自身によるあとがきに続き、文芸評論家の清原康正氏による解説も付されている。私が書いた上下巻のレビューよりも内容の筋が詳しく書かれている。私はレビューを書くに当たっては、なるべく筋やタネを明かさないように配慮しているつもりだ。しかし、清原氏の解説は筋の内容にかなり踏み込んでいる。興覚めとはならない範囲だが、筋は事前に分かってしまう。もし清原氏の解説を読まれるのなら、本編を読み終えた後の方がよいとお薦めする。

とはいえあとがきや解説が本書そのものではない。本筋こそが本書の心臓である。本書は時代を超え、今の我々にも一気に読ませる内容となっている。その充実ぶりは、私をして今まで著者の作品を読まずにいた不覚を思わせるに充分だった。

本書は、時代背景こそ、江戸を借りている。しかし、その内容は我々にとって馴染みやすく読みやすい。本書は時代小説でありながら、実は舞台を現代に変えても全く違和感なくスパイ小説として通用する。源次郎をジェームズ・ボンドと読み替えて007の最新作としても或いは通ずるのではないか。それは、著者の筆遣いやテンポのスピードが現代人の思考の流れに合っているからだと思える。そしてそれこそが著者が時代小説の巨匠として名を残した理由だと思える。

私は今まで戦国時代を描いた時代小説は多数読んできた。しかし、江戸時代を描いた小説については徹底的に避けてきていた。その理由はいわゆる暴れん坊将軍や鬼平犯科帳、遠山の金さんに代表される、テレビ時代劇的な世界観に対する偏見であったと思う。テレビではCMやクレジットが入り、一週間経たないと次の話が観られない。そのテンポ感に馴染めなかったのかもしれない。本書を一気に読み終えた私が感じたのは、テンポの問題である。本書のテンポは私にあっていた。しかし、テレビのそれには馴染めなかった。そういう理由で今まで江戸を描いた小説を避けていたのだと理解した。本書は、通俗時代劇を下に見ていた私の不見識を改める契機となった一冊となった。友人に感謝である。

‘2015/02/07-2015/02/08


闇の傀儡師 上


本書は、友人に貸してもらった一冊である。貸してくれた友人によれば、本書は、伝奇小説の性格が強いのだという。

著者は時代小説の分野における巨匠として知られている。しかし実は私、著者の作品をほとんど読んだことがない。ひょっとしたら本書が初めてかもしれない。なので、著者がどういった作風を持っているのかも知らない。つまり、著者の作品群の中で本書がどのような位置付けなのか、うまく語ることができない。

そういった事前知識の中で臨んだ読後感。なるほど、本書が伝奇小説と云われるのも分かる気がした。しかしその一方で荒唐無稽な内容とは思えず、本書が正当な時代小説の衣鉢を継いでいる事を感じた。一見、太平に見える江戸。その裏側で繰り広げられる暗闘を活き活きと描いたすこぶる上質のエンターテイメントといえる。

本書では、幕府御家人の身を捨て筆耕稼業に己の本分を賭けた鶴見源次郎を主人公としている。対するは、太平の江戸に暗躍する八嶽党と、その背後にちらつく田沼意次の影。源次郎の背後は八嶽党の増長を望まない松平武元や松平定信の意を受けた隠密が支える。時代は田沼意次が権勢を誇った田沼時代から松平定信の寛政の改革へ移ろうとする頃。江戸幕府も吉宗による享保の改革を経て、いよいよ治世に伸び悩みがちらつき始める時期である。本書がそのような時代を背景としていることは、暗躍する八嶽党の存在にある種の現実性を与えている。

八嶽党は徳川忠長の遺恨を継ぐ形で、徳川家に対して策謀を仕掛けている徒党という設定である。徳川忠長は、二代将軍秀忠の子である。三代将軍家光による体制確立の過程で、戦国期に外様として徳川家としのぎを削った諸大名が続々とお家取り潰しにあったことは良く知られている。忠長はその渦中にあって島原の乱よりも前に改易され自刃の憂き目にあったとされている。その忠長の遺恨を八嶽党は受け継ぎ、以来、140年近くに亘って将軍継嗣の際に策謀を巡らしながら命脈を保ってきたという。この設定は決して荒唐無稽なものではなく、あり得なくもない設定として今の我々には素直に受け入れられる。

また、主人公の源次郎は、武士や忍びといった武闘派ではない。元は無眼流の免許皆伝を持ち、剣の道を極めんとした武士であるが、今は筆耕、つまりは文字の清書屋である。筆耕屋が悪の組織と闘う、という設定はなかなか悪くない。また、本書では源次郎の友人にも工夫を持たせている。友人の旗本細田民乃丞が玄人並の技術で女の裸婦画を描くという設定は、殺伐となりがちな物語にゆとりを持たせている。

その源次郎が筆耕仕事を斡旋してくれる版元に行った帰り、斬り合いを目撃する。そして切られた男は源次郎にある物を託し、事切れる。ある物とは、八嶽党がまた動き出したことを伝える文書。男は時の老中松平武元にその文書を言づけるように伝えて息を引き取った。武元のところに赴いた源次郎は、江戸の背後に蠢く八嶽党を知り、武元の許にいた白井半兵衛とともにその暗闘に巻き込まれていくことになる。

源次郎が御家人を辞め、筆耕仕事に入るにあたっては、訳があった。それは妻織江の離別である。織江が別の男に組み敷かれた姿を源次郎が目撃したことが離別へと繋がった。そして組み敷いた男は源次郎の叔父由之助であった。離別してしばらくし、八嶽党との暗闘に巻き込まれてすぐ、織江は自裁の最期を遂げた。そのことを告げに来たのは織江の妹津留。以来、津留はなにかれと源次郎の世話を焼きに来る。そのことを疎ましく思いつつも断れないでいる源次郎。男女の機微についても著者は細やかに筆を尽くす。

そして源次郎に松平武元宛の文書を託した男を倒した刺客の構は柳生流のそれであった。なぜここに柳生流が。源次郎は武芸を究める修行の中で知り合った記憶を頼りに隠田村(今の原宿)の老剣客の許を尋ねる。そこでは老剣客赤石とその孫娘奈美がつつましく暮らしていた。そこで刺客の素性が判明する。その刺客こそは、老剣客赤石の愛弟子であった伊能甚内。

甚内という新たな好敵手が登場し、八嶽党の闇討ちとそれを防ぐ松平一派の闘いは静かに、そして激しく続く。源次郎の仲間達は立て続けに凶刃に斃れてゆく。そのさなか、津留が何者かに拐かされる。いよいよ源次郎は、織江を死なせたこと、津留とのこと、そして甚内や八嶽党との決着を付けねばならぬ、と決意して上巻は幕を閉じる。

‘2015/02/05-2015/02/07