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駅を街のランドマークとする発想に物申す


のっけから、私の故郷の話で恐縮です。今年になって相次いで甲子園近隣の駅のリニューアル工事が話題に上がっています。

JR甲子園口駅は7/7から新駅ビルが供用開始となったそうです。
西宮経済新聞より
阪神甲子園駅は工事完了が来年末予定ですが、5月の連休に訪れた時は、すでに屋根が出来上がっていました。
西宮経済新聞より
これは2014/12月に実家に帰った際に撮影した建設途中の駅です。
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今年は夏の甲子園がはじまって百年目の記念すべき年。甲子園球場を擁するわが故郷として、これを機に一新したい気持ちも分かります。分かりますが、私にとってこのニュースから感じるのは寂しさのみです。

その寂しさとは、駅を街のランドマークとする発想に対してです。その発想は、今の日本を覆う安直で軽薄なそれと同じです。日本のランドマークとして君臨するのはイケイケな東京です。そして、ランドマークの地位におさまったまま、私のような地方人を集めてますます肥え太り、その安直な発想の下、麻痺しつつあります。東京は麻痺する日本の象徴とも言える場所になっています。今回の駅の建て替えニュースからは、それと同じ匂いが漂ってきました。東京に住む私は、甲子園がよりによって東京の悪しき発想をまねたことに寂しさを感じます。故郷が遠くなっていく無力感すら覚えます。

私の故郷西宮は、大阪神戸の中間に位置しています。ベッドタウンとして日本有数の規模を持ちながら、静かな住環境が保たれていました。ここ100年の時間軸で眺めると、球場は二つ、競輪場は二つ、競馬場も二つ。日本酒の醸造所は多数、アサヒビールやニッカウヰスキーの工場も立ち並んでいました。いわば、「飲む」「打つ」の男のロマンを備えた街が西宮です。そんな環境にありながら、西宮七園を代表として閑静な住環境が整っていることは、凄いことです。しかも、山あり川あり海あり池ありと自然さえも豊かに揃っています。こんな街、日本を見渡してもそうそうありません。たぶんどこに住もうとも死ぬまで西宮が一番だと云い続けるでしょう。l

かつて、落語家の露乃五郎さんは西宮を称してこう言いました。「ヘソのない街」と。ヘソとは街のランドマーク、自他共に認める中心地を指します。西宮の場合、それがありませんでした。もっとも、そう書くと誤解を受けそうです。甲子園球場、阪神パークを中心とした甲子園駅付近、阪急西宮球場を擁する西宮北口駅付近、西宮戎神社の門前町である阪神西宮駅付近。ランドマークぎょうさんあるやないかい、と。しかし、これらは西宮にとって唯一無二のランドマークとはいえません。これらは三ヶ所に分散しています。しかも通年営業の商業施設ではないため、特定の時期しか人を集めません。ランドマークとは、年中人が集まる場であり、その地域のオンリーワンの場所を指します。これら三ヶ所をヘソと呼ぶことはできないのです。

このバランスが崩れたのが阪神・淡路大震災です。震災復興の名の下に、西宮北口駅付近が一新されました。西宮球場は解体されて阪急西宮ガーデンズとなり、買い物客で賑わいを見せています。また、甲子園球場こそ健在ですが、阪神パークはららぽーと甲子園となり、キッザニア甲子園という目玉施設を中心に、多彩な店舗が集うショッピングモールとして賑わっています。阪神西宮駅は、高架化に伴いエビスタ西宮という駅ビルに生まれ変わりました。

これら三施設に共通するのは、通年集客の考えです。つまりはそれぞれの地が、わてこそ西宮のヘソにふさわしいねん、と名乗りを挙げたわけです。しかし、三施設とも一言で云えばショッピングモールに過ぎません。ショッピングモール三つできた所で、三すくみとなりかねません。いや、事実そうなっているように思えるのは私だけでしょうか。結果、西宮のヘソを作るどころか、ヘソのない街西宮の良さが却ってボヤけたように思えてなりません。しかもJR西宮駅前にも、臨港線沿いにも商業施設があちこちその図体を晒しています。東京から故郷に帰る度、西宮が平凡な街に変わりつつある、そんな寂しさに駆られていました。そこに来てこのニュースです。JR甲子園口駅は、私の幼少期より変わらぬ佇まいの駅でした。それが数年前から徐々に変わり、ついにはこの度の駅ビル完成と相成りました。阪神甲子園駅も、球場の大鉄傘をモチーフとした屋根付き駅に変わりつつあります。私が帰省する度、故郷に帰ってきたと実感させてくれる駅はもうありません。我が故郷の駅よいずこ。

これが故郷を出ていった者の身勝手な郷愁であることは理解しています。私が文句を言う筋合いもなければ資格もないことは承知の上です。

でも寂しいんです。悔しいんです。誇るべき故郷がよりによって東京の悪しき構図を真似たことが。

確かに阪神甲子園駅は通路も狭く、老朽化が進み、施設キャパオーバーになっていたことは認めます。春夏の高校野球ファンや、六甲おろしをガナる愛すべきトラキチ達をこれからも運び続けるためには必要な改修なのでしょう。でもこの改修によって、甲子園駅の下を潜る甲子園線のガード下に残っていた、私が二歳の時まで走っていた阪神電車の路面電車の遺構も消え去ることでしょう。JR甲子園口駅の北側駅舎は1934年の開業当時の風格を残していました。でも、先年のバリアフリー対応の通路付け替え工事は駅ビル建て替えまで進み、あえなく解体されてしまいました。これら駅の記憶も今や、時代の中に消え去ろうとしています。新しい駅ビルは阪神間モダニズムを体現したデザインになっているとか。とはいえ、私が故郷の駅と認識するにはまだまだ時間がかかりそうです。

両駅の建て替えは夏の甲子園百年記念という理由だけで建て替えられたように思えてしまいます。日本にあまねく知られた、西宮が誇る甲子園球場。類まれなランドマークを持ちながら、さらに駅を建て替えてランドマーク化することに寂しさが募る一方です。そう思うのは、故郷を離れた私だけなのでしょうか。

駅をランドマークに見立て、集客を期待する。この構図は、日本にとっての東京と同じです。日本の代表的な都会東京に投資、人口を集中させ、東京を日本のランドマークとする。最近では、ランドマークの中に駄目押すかのように新国立競技場というランドマークを建てようとしています。

ただでさえ一極集中が進み、地震リスクの高まる一方の東京。かつてはさみしい寒村だったこの地は、日本の繁栄を誇示するかのように飾られ、デコられ、ハコモノ展示場のランドマークと化しています。それらを縫って、定時運行すら危うくなってきた寿司詰め電車がひっきりなしに行き来します。

もう、これ以上日本のランドマークとして東京に重荷を背負わせるのはやめようよ、と言いたい。江戸開府以来400年。その歴史は尊重します。でも、今の東京には、私のような地方出身者が集まりすぎています。江戸っ子はどこに消えた?と思う事しきりです。東京はすでに疲れているのです。そんな疲れた東京に、首都直下型地震が来たらどうなるか? 枯れつつある地脈は息絶え、日本自体にも取り返しのつかない傷跡を残すことは間違いないでしょう。安政や大正の昔と比べても、今の東京が地震の直撃に耐えうるとはとても思えません。そして日本が東京に依存する割合も桁違いとなっています。東京の重荷を少し降ろして身軽にしてあげようよ、と云いたい。出来うるならば、オリンピックも名古屋や大阪、福岡に譲ってあげたいぐらいです。

そして同じように、西宮に言いたい。せっかく甲子園やえべっさんちゅう、日本一の球場や神社があるんやさかい、もおええがな、と。住み良い西宮のままで居てえな。駅は閑静なままに、乗降客が不便でないようにすればええだけやないの、と。

各地方にも云いたい。東京を真似るな、と。その地の文化や風土を大事に。限定キャラメルやラー油、プリッツやポッキー、B級グルメもいいけど、昔からの地元の産物を育て、誇れる地元でいて頂きたい。東京は遠からず地震でかなりの被害をうけるか、飽和しきって崩壊します。その受け皿として健在な地方でいて頂きたい、と。

そして政府や各自治体にもいいたい。これ以上東京にお金を使うより、その地域の歴史や文化を尊重した振興策にお金を使うべき、と。具体的には地域を思う議員への助成、真っ当な地域コンサルの招聘。地域芸能への甘えに堕さない補助。自治会へのアイデア公募。シャッター通りへの格安入居の援助。思い付くだけでも出てきますが、国や自治体が本気で振興に取り組めば、民間からまだまだ珠玉のアイデアが出てくると思います。集中の利点という名の下、東京への投資を行ってよい状態ではもはやありません。

今までも私自身、東京一極集中については色々言ったり書いたりしてきました。また、私自身が東京に住み、都心に通う現状に埋もれている中で、一極集中の弊害を書いたところで説得力がないことも痛く感じていました。近々、仕事上でとある提案を頂きます。その提案を私が受けるかどうかもまだ分かりません。が、家族が宝塚好きということもあり、あるいは家族からの理解ももらえるかもしれません。私自身、いつまでも痛勤電車で通うことに意味があるとは思っていません。ましてやITがこれだけ普及している今は。

そのぐらい、今の東京の混み具合には鬱屈が溜まっていますし、それに対して迎合的な姿勢を見せる地方の現状にも苛立ってもいます。日本を住みやすくするためにやるべき処方箋は多々あります。その中の一つとして、東京への一極集中を食い止めるための手は打たないと、と真剣に思います。