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破れた繭 耳の物語 *


耳の物語と言うサブタイトルは何を意味しているのか。

それは耳から聞こえた世界。日々成長する自分の周りで染みて、流れて、つんざいて、ひびいて、きしむ音。
耳からの知覚を頼りに自らの成長を語ってみる。つまり本書は音で語る自伝だ。
本書は著者の生まれた時から大学を卒業するまでの出来事を耳で描いている。

冒頭にも著者が書いている。過去を描くには何から取り出せばよいのか。香水瓶か、お茶碗か、酒瓶か、タバコか、アヘンか、または性器か。
今までに耳から過去を取り出してみようとした自伝はなかったのではないか。
それが著者の言葉である。

とは言え音だけで自伝を構成するのは不可能だ。本書の最初の文章は、このように視覚に頼っている。
一つの光景がある。
と。

著者は大阪の下町のあちこちを描く。例えば寺町だ。今でも上本町と四天王寺の間にはたくさんの寺が軒を占めている一角がある。そのあたりを寺町と呼ぶ。
幼い頃に著者は、そのあたりで遊んでいたようだ。その記憶を五十一歳の著者は、記憶と戦いながら書き出している。視覚や嗅覚、触覚を駆使した描写の中、徐々に大凧の唸りや子供の叫び声といった聴覚が登場する。

本書で描かれる音で最初に印象に残るのは、ハスの花が弾ける音だ。寺町のどこかの寺の境内で端正に育てられていた蓮の花の音。著者はこれに恐怖を覚えたと語っている。
後年、大阪を訪れた著者は、この寺を探す。だが幼き頃に聞いた音とともに、このハスは消えてしまったようだ。
音はそれほどにも印象に残るが、一方で、その瞬間に消えてしまう。ここまで来ると、著者の意図はなんとなく感じられる。
著者は本書において、かつての光景を蘇らせることを意図していない。むしろ、過去が消えてしまったことを再度確認しようとしているのだ。
著者は、日光の中で感じた泥のつぶやき、草の補給、乙行、魚の探索、虫の羽音など、外で遊んで聞いた音を寝床にまで持ち運ぶ。もちろん、それらの音は二度と聞けない。

昭和初期ののどかな大阪郊外の光景が、描写されていく。それとともに著者の身の回りに起こった出来事も記される。著者の父が亡くなったのは著者が小学校から中学校に進んだ歳だそうだ。
しばらく後に著者は、父の声を誰もいない部屋で聞く。

時代はやがて戦争の音が近づき、あたりは萎縮する。そして配色は濃厚になり、空襲警報や焼夷弾の落下する音や機銃掃射の音や町内の空襲を恐れる声が著者の耳をいたぶる。

ところが本書は、聴覚だけでなく視覚の情報も豊富に描かれている。さらには、著者の心の内にあった思いも描かれている。本書はれっきとした自伝なのだ。

終戦の玉音放送が流れた日の様子は、本書の中でも詳しく描かれている。人々の一挙手一投足や敵機の来ない空の快晴など。著者もその日の記憶は明晰に残っていると書いている。それだけ当時の人々にとって特別な一日だったに違いない。

やがて戦後の混乱が始まり、飢えに翻弄される。聴覚よりも空腹が優先される日々。
そのような中で焼け跡から聞こえるシンバルやトランペットの音。印象的な描写だ。
にぎやかになってからの大阪しか知らない私としては、焼け跡の大阪を音で感じさせてくれるこのシーンは印象に残る。
かつての大阪に、焼けただれた廃虚の時代があったこと。それを、著者は教えてくれる。

この頃の著者の描写は、パン屋で働いていたことや怪しげな酒を出す屋台で働いていたことなど、時代を反映してか、味覚・嗅覚にまつわる記述が目立つ。面白いのは漢方薬の倉庫で働いたエピソードだ。この当時に漢方薬にどれほどの需要があるのかわからないが、著者の物に対する感性の鋭さが感じられる。

学ぶことの目的がつかめず、働くことが優先される時代。学んでいるのか生きているのかよくわからない日々。著者は多様な職に就いた職歴を書いている。本書に取り上げられているだけで20個に迫る職が紹介されている。
著者の世代は昭和の激動と時期を同一にしている。感覚で時代を伝える著者の試みが読み進めるほどに読者にしみてゆく。五感で語る自伝とは、上質な歴史書でもあるのだ。

では、私が著者と同じように自分の時代を描けるだろうか。きっと無理だと思う。
音に対して私たちは鈍感になっていないだろうか。特に印象に残る音だったり、しょっちゅう聞かされた音だったり、メロディーが付属していたりすれば覚えている。だが、本書が描くのはそれ以外の生活音だ。

では、私自身が自らの生活史を振り返り、生活音をどれだけ思い出せるだろう。試してみた。
幼い頃に住んでいた市営住宅に来る牛乳売りのミニトラックが鳴らす歌。豆腐売りの鳴らす鐘の響き。武庫川の鉄橋を渡る国鉄の電車のくぐもった音。
または、特別な出来事の音でよければいくつかの音が思い出せる。阪神・淡路大震災の揺れが落ち着いた後の奇妙な静寂と、それを破る赤ちゃんの鳴き声。または余震の揺れのきしみ。自分の足の骨を削る電気メスの甲高い音など。

普段の忙しさに紛れ、こうした幼い頃に感じたはずの五感を思い出す機会は乏しくなる一方だ。
著者が本書で意図したように、私たちは過去が消えてしまったことを確認することも出来ないのだろうか。それとも無理やり再構築するしかないのだろうか。
五感を総動員して描かれた著者の人生を振り返ってみると、私たちが忘れ去ろうとしているものの豊かさに気づく。

それを読者に気づかせてくれるのが作家だ。

‘2020/04/09-2020/04/12


アメリカひじき・火垂るの墓


実は著者の本を読むのは初めて。本書のタイトルにもなっている「火垂るの墓」も初めてである。しかし、粗筋はもちろん知っている。スタジオジブリによるアニメを一、二度見ているためだ。「火垂るの墓」は、アニメ以外の文脈からも反戦という括りで語られることが多い。そのため私もすっかり知ったつもりになっており、肝心の原作を読めていなかった。今回が初めて原典を読むことになる。きっかけは「火垂るの墓」が私のふるさと西宮を主な舞台としているからだ。故郷についてはまだまだ知らないことが多く、ふるさとを舞台にした芸術作品にもまだ見ていないものが多い。折を見て本書を読むいい機会だったので今回手に取った。

一篇目「火垂るの墓」の文体は実に独特だ。独特な節回しがそこかしこに見られる。しかしくどくない。過度に感情に訴える愚を避けている。淡々と戦争に翻弄される兄妹の境遇が語られる。

戦争が悲惨なことは云うまでもない。多くの体験談、写真から、映画や小説、舞台に至るまで多数語られている。普段、慎ましく生活する市民が国の名の下に召集され、凄惨な銃撃戦に、白兵戦に否応なしに巻き込まれる。銃後の市民もまた、機銃掃射や空襲で直接の被害を受ける。もう一つ、間接的な被害についても忘れてはならない。それは子供である。養育する大人を亡くし、空襲の最中に放り出された子供にとって、戦争はつらい。戦時を生きる子どもは、被害者としての時間を生きている。

「火垂るの墓」が書かれた時代からも、60年の時を経た。今はモノが余りすぎる時代だ。私も含めてそのような時代に育った子供が、「火垂るの墓」で描かれた境遇を実感するのはますます難しくなっている。西宮を知っている私でも戦時中の西宮を連想することはできない。「火垂るの墓」は今まで著者自身によっても様々に語られ、事実でない著者の創作部分が多いことも知られている。それでも、「火垂るの墓」は戦争が間接的に子供を苦しめることを描いている。その意義は不朽といえる。

我が家では妻が必ず見ると泣くから、という理由により滅多にみない。水曜ロードショーであっても土曜洋画劇場であっても。しかし、そろそろ娘達には見せておかねばならないと思う。見せた上で、西宮のニテコ池や満地谷、西宮浜を案内できれば、と思う。これらの場所が戦時中、アニメに描かれたような貧しさと空腹の中にあったことを如何にして教えるか。私の課題とも言える。もっとも訪れたところで今の子供たちに実感することは至難の業に違いないだろうが。

本書には「火垂るの墓」以外にさらに五篇が収められている。まずは二篇目「アメリカひじき」。こちらは敗戦後の日本の世相が描かれている。そこでは復興成ったはずの日本に未だに残る負け犬根性を描いている。未だ拭い去れない劣等感とでもいおうか。TV業界に勤務する俊夫の妻京子が、ハワイで知り合ったヒギンズ夫妻を客人として迎え、好き放題されるというのが筋だ。俊夫は終戦時には神戸にいて、戦時中のひもじさや、進駐軍の闊歩する街を見てきている。父は戦死したが、空腹には勝てず、ギブミーチョコレート、ギブミーチューインガムと父の敵である進駐軍にねだる。終戦の日にアメリカが神戸の捕虜収容所に落とした物資の豊かさと、その中に混ざっていた紅茶をアメリカひじきと思って食べた無知の哀しみ。

ヒギンズ夫妻は、すでに引退したが、かつて進駐軍として日本にいたことがある。俊夫と京子のおもてなしは全て袖にされ、全く感謝もされない。我が道をゆくかのごとく自我を通すヒギンズは、もてなされることを当然とする。その上で俊夫と京子の親切心は全てが空回りとなる。食事も性欲も、すべてにおいて俊夫の想像を凌駕してしまっているヒギンズには、勝者としての驕りが満ちている。その体格や態度の差は、太平洋戦争で日米の戦力や国力の差にも通ずる。

挙句の果てに接待に疲れ果てて、諍いあう俊夫と京子。俊夫と京子が豪勢な食事を準備したにもかかわらず、その思いを歯牙にもかけず、別の場所に呼ばれて行ってしまったヒギンズ夫妻。俊夫はその大量の食材をせっせと胃の中に収めるのであった。その味は高級食材であっても、もはやアメリカひじきのように味気ないものでしかない。

今でこそ「お・も・て・な・し」が脚光を浴びる我が国。野茂、イチロー、錦織、ソフトボール、ラグビー、バブル期の米資産の買い占めなど、表面上はアメリカに何ら引け目を感じさせない今の我が国。しかし、世界に誇る高度成長を遂げる前はまだまだ負け犬根性がこびりついていたのかもしれない。「アメリカひじき」には、その当時のアメリカへの複雑な感情が盛り込まれており、興味深い。

今でこそ、対米従属からの脱却を叫ぶ世論。あの当時に決められた一連の政策を、それこそ憲法制定から間違っていたと決め付ける今の世論。だが、当時は当時の人にしか分からぬ事情や思惑があり、今の人には断罪する資格などない。「アメリカひじき」を読む中、そのような感想が頭に浮かんだ。

三篇目の「焼土層」は、復興成った日本のビジネスマンが、敗戦の日本を振り返る話。芸能プロダクションに努める善衛には、かつて神戸で12年間育ててくれた養母が居た。それがきぬ。終戦直後の混乱の中、善衛を東京の親族に送り届けるため、寿司詰め電車でともに上京したきぬ。以来二十年、善衛はサラリーマンとして生活し身を立てる。そして身寄りのないきぬは神戸でつつましく生き続け、とうとう亡くなった。きぬを葬る為に神戸へ向かう善衛。

20年の間に、善衛は変わり、日本も変わった。しかしきぬは、何も変わらず終戦後を生きていた。養母へのせめてものお礼にと毎月1万円をきぬに送金していた善衛。が、遺品を整理した善衛は、きぬが善衛からの仕送りだけを頼りに生きていたことを知る。そのことに善衛は自分の仕打ちの非道さを思い知る。そして、忘れようと思った敗戦後の月日が自分の知らぬところできぬの中に生き続けていたことに思いを致す。

云うまでもなく、本篇は戦後の日本の歩みそのものを寓意化しているといえる。日本が何を忘れたのか、何を忘れ去ろうとしているのか、を現代の読者に突き付けるのが本篇と言える。

四篇目「死児を育てる」。これもまた日本の辛く苦しい時期を描いた一篇だ。日本の辛く苦しい時期といえば、真っ先に戦時中の空襲の日々が挙げられる。

主人公の久子は、幼いわが子伸子を殺した容疑で取り調べ室にいる。

子煩悩の夫貞三は伸子をことのほか可愛がっていた。しかし、得体のしれない違和感を伸子に抱き続ける久子。ノイローゼなのか、育児疲れなのか、久子の殺害動機を問い質す刑事たち。取調室の中から、久子の意識は空襲下の防空壕へと飛ぶ。空襲下、まだ幼い妹の文子を喪った記憶に。東京の空襲で母を亡くし、幼い文子を連れて新潟へと疎開する久子。しかし、姉妹に気を配ってくれるものなどいない。防空壕で夜泣きする文子に久子の心身は蝕まれる。文子の分の配給食を横取りし、殴りつけては夜泣きを止めさせる久子。しかも新潟は第三の原爆投下予定地として市民は気もそぞろとなり、久子は文子を土蔵に置き去りにしたことも気付かぬまま飛び出す。戻ってきた時、文子は置き去りにされたまま死に、身体はネズミにかじられていた。

伸子を産んでからの久子が抱える違和感と文子との思い出がよぎり、交差する。我々読者には、久子が伸子を殺した理由を容易に察することが出来る。育児放棄でもノイローゼでもなく、文子への罪悪感といえば分かりやすいか。

本篇における久子と文子の関係は、「火垂るの墓」における清太と節子のそれを想起させる。とはいえ、物語の構成としては「火垂るの墓」よりも文体も含めて洗練されているのが本篇であるように思える。中でも最終頁は実に印象深い。すぐれた短編の持つ鮮やかなひらめきに溢れている。本書の六篇の中でも、本篇は短編として最も優れていると思えるのではないか。また、本篇が反戦文学としての骨格も失わず、短編としてしまった体つきをしていることも印象深かった。

五篇目「ラ・クンバルシ-タ」と六篇目「プアボーイ」は、ともに戦後の混乱の中、身寄りなく生きる少年の無頼な生き様を描いている。この二篇からは戦争の悲惨さよりは、次世代へと向かう逞しさが描かれている。戦争で経験させられた痛みと、その後の復興の最中を生き延びた必死な自分への再確認を、著者はこの二篇に託したとすら思えるのである。そこには、戦後マルチな才能を発揮し、世の中を生き延びた著者自身の後ろめたさも含まれているように思え、興味深い。後ろめたさとは、罪もなく戦争で死んでいった人々に対し、生き延びたことへの無意識の感情だ。

だからといって、著者の生き方は戦死者も含めて誰にも非難できはしまい。私自身も含め。そもそも、私は自粛という態度は好まない。昭和天皇の崩御でも、阪神・淡路大震災でも東日本大震災でも世に自粛の空気が流れたことがあった。しかし、私自身阪神・淡路大震災の被災者として思ったのは、被害者から平穏無事に生きる人々に対して云うべき言葉などないということだ。太平洋戦争で無念にも亡くなられた方々が泉下から戦後の日本について思う感情もまた同じではなかろうか。

著者はおそらくは贖罪の心を小説という形に昇華することが出来た恵まれた方であるとも言える。その成果が、本書に収められた六篇である。そこに贖罪という無意識を感じたとしても、それは私の受け取り方次第に過ぎない。著者の人生をどうこう言えるのは、著者自身でしかないのは論をまたない。そういえば著者のホームページもすっかり更新がご無沙汰となっている。しかしあの往年の破天荒な生き様が失われたとは思いたくない。本書の諸篇にみなぎる、動乱を生き抜いた人生力を見せてもらいたいものだ。

‘2014/11/18-2014/11/22