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2023年4月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括
4月。
今月も仕事が忙しく、オフの日は1、2日程度でした。
が、出張を利用して方々へ出かけられました。
今月は小田原・郡山・米沢・仙台を仕事で訪問しました。また、近場では足立区の竹の塚や相模原の城山を旅しました。

仕事をしながら、旅をする。そのノウハウをいかに実現するかが私のテーマです。
少しずつやり方を理解しています。が、まだ努力が必要です。私にとって、行きたい場所とやりたい事は無限にあるのですから。

どうすれば仕事とやりたいことを両立させられるのか。
まだ、今の私は仕事に偏っています。
そうならないためのさらなる工夫が必要です。

仕事に偏っている証拠は、執筆活動に現れています。
今月は本のレビューを全くかけませんでした。アクアビット航海記は半年続けて書けていません。

人は同時に二つのことができない。私に与えられた時間は有限。そして、刻一刻と少なくなっています。
残された時間を少しでも有意義にしなければ、あっという間に死を迎えてしまう。

生きていること、生かされていることのありがたみ。
それを常に忘れぬようにしながら、充実した日々を送りたい。
皆さんと私の思いは同じです。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちをフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。


今月は家族(妻)にアクシデントが起こりました。重大な事案でしたが、支出が飛んだだけで済んだのが幸いでした。
次女はひと月まるまる韓国へ。

今月は家族とはゼロ回お出かけしました。妻とは一回、妻と長女とは四回、妻と次女とはゼロ回、長女と次女とはゼロ回。長女とは四回、次女とはゼロ回。


§  月表

 ・四月お出かけ
小田原城、小田原市郷土文化館、報徳二宮神社、Tully’s Coffee、旧三福コワーキング地酒とうまいもの 金時小田原城、らあめん花月嵐、ココデンタルクリニック、元祖台湾まぜそば はなび 二俣川店、01CAFE SURF DINER、ロイヤルホスト、デニーズ、足立竹の塚郵便局、中華料理 光龍、大師前駅、西新井大師ぼたん園、西新井大師 總持寺、ジロー’s テーブル、イオンスタイル板橋、イオンシネマ板橋、松月院、赤塚不動の滝、赤塚溜池公園、赤塚城本丸趾、マクドナルド、洋風居酒屋 寿、地下鉄成増駅 (Y02/F02)、津久井湖観光センター、太鼓曲輪、飯縄神社、宝ヶ池、鷹射場、大杉、月島もんじゃ もへじ 町田店、豆狸、安積国造神社、板前料理 膳、東横イン 福島駅東口1、曽根田駅、お休み処 ナナセン、曽根田駅ホーム、アクティブシニアセンター アオウゼ、ミスタードーナツ 福島駅前ショップ、東北新幹線 福島駅、山形新幹線 米沢駅、立ちそば処 鷹、居酒屋ゆあーず、東横イン米沢駅前、ホテル ルートイン 仙台長町インター、仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺、地下鉄 長町駅 (N15)、勾当台公園駅 (N08)、せんだいメディアテーク、C60 1 蒸気機関車、西公園、伊達政宗公胸像、林子平記念碑、仙台藩御用酒発祥の地、仙台城跡、伊達政宗公騎馬像、宮城縣護國神社、国際センター駅 (T04)、地下鉄 長町駅 (N15)、仙台PIT、長町駅前プラザ、長町駅、JR 仙台駅、東北新幹線 仙台駅、酉蔵 二俣川店、時代屋、鶴川駅前図書館、自家製麺つけそば 九六、明治神宮、杜のテラス 2nd、明治神宮ミュージアム、代々木公園、Starbucks、東急プラザ銀座尾崎牛焼肉 銀座ひむか、一蘭、やまよこ鮮魚店、横浜家系ラーメン 津田家、喜界、薬師池公園 蓮園、薬師池公園、らぁ麺 ばらや、やぶ広、町田市立中央図書館、守屋精肉店カラオケBanBan 町田金井店、ヒッコリーファーム、餃子の王将、dandan noodles、YI-CHANG イーチャン、Quattro Cuori ボーノ相模大野店、Honda Cars東京中央 鶴川店ティフィン・デ・ココ 鶴川平和台店富士通川崎スタジアム

・四月ツイート
https://togetter.com/li/2136193

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月はゼロ回です。

今月は1日から次女が彼氏のいる韓国にずっと滞在しており、家族は一度もそろっていません。


§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で一度でかけました。


妻と出かけた(4/16)の日のこと。
次女の家へ向かい、妻はそこで用事を済ませ、私はそこから明治神宮に向かいました。そして夜、日比谷で合流しました。
東急PLAZAの上にある尾崎牛焼肉 銀座ひむかでおいしいお肉を。美味かった!



§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は四回ありました。

家の近くにある「01CAFE SURF DINER」で食事をしたのは(4/5)のこと。


別の日はそばが食べたいという妻のリクエストに応え、町田市内で今まで行ったことのなかった「やぶ広」を訪問しました(4/23)。そのあとは町田を訪れ、夜は三人でカラオケで歌いました。久々のカラオケ。

別の日はスナックジョイゾーにうちの若手メンバーと一緒に参加してくれました(4/21)。本人の限界までお酒を飲んでしまいましたが、その失敗も含めてよい経験ができたのではないかと思います。


さらに、妻が車で事故を起こしてしまったので、近所のHondaのディーラーへ。そこから近くのカレー屋さんでお昼を(4/29)。ここで仕事のことを巡って大激論。


その翌日はお客様でもある法政大学ORANGEさんがアサヒビール・シルバースターズと試合をするので川崎へ(4/30)。うちのメンバーも二人が来たので、帰りは車で送って帰りました。


§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会は一回もありませんでした。

次女は昨年末で就職したお店を辞め、今はアルバイトで飲食の仕事を続けています。
次女のことを本当に好いてくれている彼氏にも巡り合え、今は未来のことで頭がいっぱいのようです。

今月は1日から彼氏のいる韓国へ。5月の上旬まで韓国にいっているようです。
モラトリアムと考え、22歳までは大目にみるつもりです。
ただ、そこで彼氏に甘えてしまうのではなく、自分の力で何かを成し遂げてほしいと考えています。
家庭も大切にしつつ、何かに挑戦してほしいな、挑戦をやめないでほしいな、と思う父親です。


§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は4/1付けで雇用しました。
すでに2月から引継ぎもかねて打ち合わせにも同席してもらっていましたし、内部の定例会議にも出てもらっていました。


入社初日からもう一人の入社メンバーとともにkintone Café 神奈川 Vol.14の場でLightning Talkをお願いしました(4/1)。
小田原の「旧三福コワーキング」にて。
コミュニケーションが苦手かと思いきや、その場で機転を利かせて対応したところなど、大いに褒めてやりたいと思います。
夜の懇親会「地酒とうまいもの 金時」でも楽しんでくれていたようでよかった。
夜、帰宅してから長女が飲みたいというので、二人で飲んだこのフルーツビールが入社記念。

登記申請の手続きも、私が前月に官公庁を巡って連れていき、あとは任せました。
手こずっていましたが、まずは転出までは頑張って自力でやってくれました。


メンバーが集まっての初めての週次定例会の日(4/10)。私はその日、夜まで別件があって出られませんでしたが、夜に合流しました。そこから、長女と二人で町田の「月島もんじゃ もへじ 町田店」でお酒を飲みながらもんじゃ焼きを。
まずは社会人デビューを果たしてくれたことをねぎらいつつ。おそらく二人で外で酒を飲むのは初めてのはず。まずはこういう日が来たことに深い感慨を覚えつつ。


その翌週も町田で週次定例会を行いました。その後も二人で「やまよこ鮮魚店」でお酒や海鮮料理を(4/17)。
こういう機会がこれからもちょくちょく持てればいいな、と願います。
その帰りに町田駅で見かけた鳩が象徴するように。

その翌週も登戸近くの週次定例会に来てもらいました。この時は途中で妻の歯科医院を手伝うために帰りましたが、うちのメンバーの対応などはだいぶ任せられるようになってきたのは心強い。

昨年末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。

●私自身の四月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は、4/1に高校の同窓会があり、誘われていたのですが、その日は小田原でkintone Caféを主宰していたため、断念しました。

その高校の後輩であるkintoneプレーヤーで同じ鳴尾高校の中井さんとは、トヨクモさんとスナックジョイゾーにてお会いできました。
このご縁は今後も大切にしたいと思いました。


§  今月の交流 
今月は何といっても、小田原のkintone Café 神奈川 Vol.14の懇親会から始まりました(4/1)。会場から20名以上の方が「地酒とうまいもの 金時」に集っておいしいお酒を。名古屋から二名、高知からも一名。ほかにも神奈川や東京から多くの方が集ってくれた交流は、満足のいくものでした。
懇親会の第二部で訪れた夜の小田原城も、昼間の満開の桜の余韻も鮮やかに、夜桜の美しさを見せてくれました。

そして、今月の旅のハイライトとなった郡山、米沢、仙台の出張です。

郡山では商談の後、さしで「板前料理 膳」へ連れて行ってもらいました。ここ、料理もお酒もとても美味しかったです。とくに米ナスのみそ焼きは私のお気に入りに加わりました。このためだけに再訪したいと思えるほどに(4/11)。


その夜は福島まで移動して宿泊し、翌朝は米沢へ移動。ここでも商談を行ったのち、夜に「居酒屋ゆあーず」にて。唐揚げが名物のこのお店でも6人でとても楽しみました。私はそのあと、うちに参画してくれたリモートメンバーの車で仙台まで。
人のご縁がありがたいとおもえる一日でした(4/12)。


その翌日はkintone hive Sendaiでした。ここでも会場や夜の交流会で貴重なご縁をいただきました。人が同じ場を共有することは、さまざまな可能性を生み出してくれます。それをまさに感じたイベントでした。
帰りも一緒に案件に携わってくれている方と新幹線の中で語り合いながら帰途に尽きました(4/13)。

他にも昨春から参画しているお客様が歓送迎会を開いてくださり、胸襟を開いて語り合うことができました(4/14)。
また、トヨクモさんにて動画を撮影した後、お酒を囲んでお話しした機会もとてもうれしかったです(4/19)。本当にありがたいことです。


また、スナックジョイゾーでの語らいも素晴らしいものでした。うちの長女もkintone Café 神奈川に続いておおぜいと一緒にお酒を飲む楽しみを知ってくれたようですし。


もう一つ、今月の交流で欠かすことができないのは、かのってぃさんとのサシのみです(4/8)。私が板橋で映画「Winny」を見た後、その近くの城や滝や公園を放浪していたら、なんとそこがかのってぃさんのご自宅の近く、というご縁でした。
成増駅前の「洋風居酒屋 寿」でおいしい料理とお酒を楽しみました。とても愉快な会話と情報量に、とても素晴らしい時間を過ごすことができました。


うちのメンバーをねぎらうためにサシで飲んだり。

今月も本当にありがとうございました。

●私自身の四月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、一冊も書けませんでした。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。読んでからレビューをアップするまでの時間も二年を超えてしまいました。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていません。
が、一人の時間がほぼないことは見直さなければと考えています。レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。

今月、書いた本のレビューは0本()。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは1本(
Winny
)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは4本(
登記住所及びロゴ変更のお知らせ
kintone Café 神奈川 Vol.14を開催・登壇しました
kintone hive sendaiに参加しました
kintone Café Metaverseに参加&登壇しました。
) 。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

3月30日 3月30日 シンギュラリティへの対応
3月31日 3月31日 第八期を終えて感じた感謝
4月3日 4月3日 今期はコミュニティがテーマ
4月4日 4月4日 入社日に登壇を指示した狙い
4月5日 4月5日  AI、DX、UXの時代も人が要
4月6日 4月6日 プログラム内の著作権に注意
4月7日 4月7日 著名人の訃報に自らの余命を
4月10日 4月10日 Winnyが残した教訓とは
4月11日 4月11日 政治を志す人関心を持つ人
4月12日 4月12日 地方とのご縁は長く続けて
4月13日 4月13日 要件定義のジレンマに悩む
4月14日 4月14日 業務改善の事例を学ぶには
4月17日 4月17日 観光業でも変わらなくては
4月18日 4月18日 日本的組織とデジタル相性
4月19日 4月19日 基礎力があってのAIの活用
4月20日 4月20日 技術者不足に甘えるなかれ
4月21日 4月21日 GitHub Copilotが来たよ
4月24日 4月24日 イベントの参加が即ち営業
4月25日 4月25日 メタバースはまだ来るはず
4月26日 4月26日 芦屋市は私の仕事の原点

§  今月の読書 今月は9冊の本を読みました。内訳は、技術本一冊、ビジネス書一冊、科学啓蒙書一冊、SF一冊、純文学二冊。ミステリ一冊、酒の歴史一冊、エッセイ一冊。

今月も本を読む時間が取れていません。が、無理やり本は読むようにしています。ところが読んでもそれをアウトプットできていないのは上に書いた通りです。
形式的にアウトプットするのなら、ChatGPTに頼るのもありですが、それは自分にとって衰退への道だと思っています。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。

今月はムツゴロウこと、畑正憲さんがお亡くなりになりました。私はまだ著作を読んだことがなく、一度手に取ってみたいと考えています。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞は1本です。

なんとかWinnyを見に行くことができました(4/8)。素晴らしい内容でした。
感動しました。自らの技術者人生を顧み、技術の習得が楽しくて仕方なかったころを思い出させてくれる映画でした。
ブログはこちら

なお、今年の大河ドラマ「どうする家康」も今月に入ってから遅れています。録画が溜まってしまっています。


§  今月の舞台 舞台については、今月は見ていません。



§  今月の音楽 コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月はBruce Springsteenの全アルバムを順に聴いています。
旅行が重なり、常駐先に頻繁に顔を出していたので、家で作業する時間が取れていないことが原因です。

また、今月はYMOや映画音楽やソロ作でおなじみの坂本龍一氏がお亡くなりになりました。
今年の初めになくなった高橋幸宏氏に続いて。私が小学生の頃に一世を風靡した彼らの音楽も40年がたとうとしていることに、自分の年齢とその残り時間を考えさせられました。

そういえば、妻と長女と三人でカラオケに行ったのも今月です(4/23)。


§  今月の美術 今月は「明治神宮ミュージアム」を訪れた際(4/16)、明治天皇や皇后が使っていた調度品に気品とはこのようなものか、という感銘を受けました。

華美でも派手でもなく、それでいて質素でもない。
こういう銘品が残された明治時代は、賛否はあるでしょうが、わが国が世界に向けて雄飛した時代だったことは間違いありません。
それを感じさせる美、がここにはありました。

そういえば、今は明治神宮外苑の再開発が議論にあがっています。明治神宮の鎮守の森には手は加わらないそうですが、ここは本当に大切にしてほしいと思っています。


§  今月のスポーツ 今月は津久井城址、つまり城山を登頂しました。
自分の体力の衰えを痛感するかと思ったのですが、案外疲れずに登りきれたのはよかったです。
が、そろそろ山には本格的に登りたいと思います。仕事の調整をしなければならないのですが。

あと、月末にはお仕事でお世話になっている法政大学ORANGEがアサヒビール・シルバースターズと試合をする際の物販のお手伝いで富士通川崎スタジアムに行ってきました。
アメフトのガツンというタックルの音など、ようやくアメフトの魅力がわかってきた最近です。

連れて行ったうちの若手二人も初めて見るそうで、そのうちの一人はNFLが見たくなったと言っていました。
私も二人が読んでいたという「アイシールド21」を読んでみたくなりました。


§  今月の滝 今月は滝を訪れる機会はありませんでした。

が、映画Winnyを見た後、赤塚城跡まで歩いた際に、赤塚不動の滝を通りがかりました。すでに夕闇が濃くなり始めていたので、木々に囲まれた滝身は見えず、チョロチョロと瀧音だけを聞きました。
今度、機会を見て再訪してみようと思います。

今月は永瀬嘉平氏の「滝ゆけば」を読みました。日本の滝百選の選考委員でもある氏の著作を読み、とてもつよく滝を訪れたくなりました。五月は必ずや。


§  今月の駅鉄 今月は三駅を訪れました。「大師前駅(4/7)」「曽根田駅(4/12)」「長町駅(4/13)」


大師前駅は、竹の塚で商談があった帰りに訪れました。少し空き時間ができたためです。西新井大師もまだ参拝したことがなかったことと、この駅は特徴のある駅と聞いていたためです。
西新井駅から一駅。盲腸線の終点であるこの駅は、広大で立派な高架駅であるにもかかわらず無人駅です。自動改札もなく、だれもが一階のコンコースに自由に出入りできます。改札業務は全てとなりの西新井駅で執り行っています。
駅はとても立派なもので、この駅が無人駅ということがにわかには信じられません。プラットホームも広々としていて、しかも列車が来ては出ていく頻度が高く、よく利用されていることもうかがえます。
竹の塚から歩いてやってきましたが、そこからは西新井駅まで一駅乗り、そこから家まで帰りました。


曽根田駅は、私が止まった東横イン福島駅前から至近にあり、朝、打ち合わせとチェックアウトの前に訪れました。
昭和初期の洋風建築の要素を色濃く残す駅舎はとても風情があり、駅舎内の待合室も天井が高くとられていて、ゆとりを感じさせてくれました。
この駅がよいのは、留置線に車両を永年解放していることです。お休み処ナナセンとして。東急で使われていたことが明白な車両は二両とも古びていません。片方の車両は少し改造され、コワーキングスペースとして使えるよう、電源も使用可能です。もう片方の車両は待合室として。
このアイデアはとてもよかった。

車両を出ると福島交通の車両が隣の福島駅へ入線し、または福島駅から発車した列車がこの駅を訪れます。そしてJRの東北本線の貨物列車や仙台行きの列車が行き交い、さらにその上には東北新幹線の長大な車両が行き交っています。
鉄道好きにはとてもよい駅だと思いました。とても気に入りました。なお、私が訪れた日はしまっていましたが、駅舎には喫茶店が併設されており、それもポイントが高かったです。
福島交通の駅は初めて訪れました。また、訪れたいと思います。


長町駅は、kintone hive Sendaiの会場である仙台PITの最寄り駅です。JRの立派な駅舎の横に、地下鉄の入り口が四か所設けられています。
私も仙台地下鉄の利用は初めてです。kintone hive Sendaiの開場まで時間があったので、この駅から市街の勾当台公園駅へと向かいました。せんだいメディアテークや青葉城などを訪れた後、この駅に戻ってきました。
駅そのものは、他都市の地下鉄の駅とそう変わりはなかったのですが、まずは仙台の地下鉄事情を知る入門となりました。

駅をじっくり見る時間はありませんでしたが、地下鉄の国際センター駅も広瀬川を地上で渡る様子や、駅前の広場に荒川静香さんや羽生結弦さんのモニュメントがあり、とても印象に残っています。
ここのホームで列車の待ち時間にkintone エバンジェリストポロシャツに手早く着替えました。


§  今月の酒楽 今月も先月に続いてお酒体験については申し分なかったと思います。お酒を楽しめました。

kintone Café 神奈川 Vol.14の懇親会で利用した「地酒とうまいもの 金時」では、たくさんの皆さんと飲めました(4/1)。kintone Café 神奈川の下見できた1月にもこのお店を利用しましたが、その時に飲んだ日本酒は今回はプランとしては飲めませんでした。

かのってぃさんとサシで飲んだ「洋風居酒屋 寿」さんは、ワインがとてもおいしかった(4/8)。何杯もお替りしてしまいました。自家製リキュールもよい感じでした。料理がお酒や店の雰囲気とあっていて、とても楽しめました。

長女とはじめてサシで飲んだ「月島もんじゃ もへじ 町田店」は、信号サワーというのを頼みました(4/10)。唐辛子や大葉やレモンが添えられていて、もんじゃに合っていました。記念すべき日でもあるので、後々まで覚えていると思います。


郡山でサシ飲みした「板前料理 膳」さんは米ナスの味噌焼きがとにかくおいしかったのですが、お酒も劣らずおいしかった。笹の川酒造のウイスキーもあわせ、男山のお酒とあわせて、とにかくお酒がおいしかったです(4/11)。

米沢で皆さんで飲んだ「居酒屋ゆあーず」は、料理がおいしく、お酒もかなり飲みました。相当に酔っ払ったことを覚えています(4/12)。

東北新幹線の仙台駅のホームで飲んだ、仙台のビールもおいしく、後日家で飲んだ日本酒も覚えています(4/13)。

その翌日のお客様側にお招きいただいた歓送迎会で飲んだ「酉蔵 二俣川店」も、一次会と二次会でとにかく楽しい酒でした(4/14)。


やまよこ鮮魚店も長女とサシのみ二回目で、じっくりとした日本酒が腹に沁みました(4/17)。


そして、スナックジョイゾーです。ここでは私も差し入れを持っていきました(4/21)。また前々回あたりに差し入れたアクアビットの封を開けてもらったのですが、皆さんに案外好評で、一瓶がすべて空いてしまいました。
うちの長女もアクアビットでよいが回ってしまいました。風の森も相変わらずおいしかった。

他にもトヨクモさん(4/19)やうちのメンバーとのサシ飲み(4/28)でもお酒にはお世話になりました。おいしかったです。感謝。


§  今月の旅行 
今月は上にも書いた通り、小田原と郡山と米沢と仙台の旅です。


繰り返しになるので、あまり多くは書きません。小田原城はとにかく、桜が満開で素晴らしい光景を堪能できました。夜の小田原城も併せてすばらしい景観であることを再確認しました。


また、仙台ではkintone hive Sendaiの開場時間を利用して、勾当台公園駅から歩いてせんだいメディアテークを訪れました。こちらは、東日本大震災の記憶と記録を後世に残すための取り組みが印象に残りました。
また、開架のレイアウトがとにかく洗練されていて、図書館の概念を一新させられました。


そこから西公園を歩き、青葉城へ。青葉城を訪れるのは10数年ぶりのはずです。伊達政宗騎馬像や胸像を愛で、改めて仙台の街の風景を目に焼き付けました。広瀬川の流れに沿った城下町。また仙台には来るはずです。


その前々日には郡山を訪れましたが、合間の1時間ほどを使って安積国造神社を参拝できました。私にとって、郡山の街はkintoneを携えて全国を旅する嚆矢となった地。この時に登壇した郡山商工会議所も懐かしい。また、郡山には来るつもりです。


他にも、竹の塚の商談の帰りによった西新井大師もボタン苑や境内の藤と伽藍と池の取り合わせがとても美しかった。


また、15時から登った津久井城址こと城山も、今まで何度もそばの道を車で通っていたのに、初めて訪れたことで印象に残ります。思っていたよりも山域が広く、広大な城跡のあちこちを飽きずにめぐることができました。

それと、映画Winnyを見た後に訪れた赤塚城址は、練馬や板橋区に対していだいていた東京郊外の面白みのない町との印象を覆してくれました。このような山も設けられていたとは。


もちろん、明治神宮やその帰りによった代々木公園も忘れてはなりません。明治神宮では作業していたらあられが降ってきたのですが、そのあとの青空が美しかった。

今月、足跡を残した地は以下の通り。
東京都
 町田市、狛江市、板橋区、練馬区、江東区、足立区、渋谷区、新宿区、目黒区
神奈川県
 相模原市、大和市、横浜市、小田原市、川崎市
福島県
 郡山市、福島市
山形県
 米沢市
宮城県
 仙台市


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は四カ所。「赤塚溜池公園(4/8)」「西公園(4/13)」「代々木公園(4/16)」「薬師池公園(4/20)」

・美術館はゼロカ所。
・駅は三駅。「大師前駅(4/7)」「曽根田駅(4/12)」「長町駅(4/13)」

・滝は一カ所。「赤塚不動の滝(4/8)」
・温泉はゼロカ所。

・山は一山。「城山(4/9)」
・酒蔵はゼロか所。
・神社は五カ所。「報徳二宮神社(4/1)」「飯縄神社(4/9)」「安積国造神社(4/11)」「宮城縣護國神社(4/13)」「明治神宮(4/16)」

・寺は二寺。「西新井大師 總持寺(4/7)」「松月院(4/8)」

・教会はゼロカ所。
・史跡は五カ所。「C60 1 蒸気機関車(4/13)」「伊達政宗公胸像(4/13)」「林子平記念碑(4/13)」「仙台藩御用酒発祥の地(4/13)」「伊達政宗公騎馬像(4/13)」

・博物館は二カ所「小田原市郷土文化館(4/1)」「明治神宮ミュージアム(4/16)」。
・遺跡は一カ所。「仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺(4/13)」。
・城は四城。「小田原城(4/1)」「赤塚城本丸趾(4/8)」「津久井城址(4/9)」「仙台城跡(4/13)」

・灯台はゼロカ所。
・動物園はゼロか所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは二枚。「福島県福島市(4/12)」「宮城県仙台市(4/13)」
・果物狩りはゼロか所。
・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。


私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、バラエティ豊かな移動ができました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでもこうした場所を訪れてから死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。


加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。一昨年の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。


死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。


今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、一昨年の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。


そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を20句。短歌を1首。いずれもツイートまとめに載せています。


一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


伊達政宗 謎解き散歩


続けて、伊達政宗を扱った書籍を読む。

本書は、磐越西線の車中で読んだ。ちょうど摺上原の戦いの舞台を車窓から見つつ、雄大な磐梯山の麓を駆ける武者たちを想像しながら。

伊達政宗の生涯を眺めると、大きく二つの時期に分かれていることに気づく。
前半は南東北の覇者となるまでの時期。そして、後半は天下取りを虎視眈々と画策しながら、仙台藩主として内政に専念した時期。
本書はそれに合わせ、前者を第1章「戦国武将政宗編」とし、後者を第2章「近世大名政宗編」としている。

本書が、伊達政宗の生涯を彩ったさまざまの出来事をQandAの形で紹介している。QandAで問いと答えを用意しながら、同時に伊達政宗の魅力を描いている。
本書はまた、カラー写真がふんだんに用いられている。それが功を奏しており、とても読みやすい。また、QandAの形式になっていることで、読者はテーマと内容と結論が明確に理解できる。

読みやすい構成になっている本書だが、本書は「秀吉、家康を手玉に取った男「東北の独眼竜」伊達政宗」に比べると学術的に詳しく踏み込んでいる印象を受けた。本書の中には書状が引用され、古図面が載っている。それらは本書に学術の香りを漂わせる。だが、難しいと思われかねない内容もあえて載せていることが本書の特徴だ。そうした配慮には、著者が元仙台市博物館館長という背景もあるはずだ。
また、本書には著者の個人的な意見や思いや推論はあまり登場しない。「秀吉、家康を手玉に取った男「東北の独眼竜」伊達政宗」には、伊達政宗は天下への野心をどれだけ持っていたかという著者の推論が載っていた。それに比べると、本書の編集方針はより明確だ。

第3章「趣味・教養・その他編」は、戦国時代でも有数の傾奇者だったとされる伊達政宗の文化的な側面に焦点を当てている。
その教養は、幼い時期に師として薫陶を受けた虎哉宗乙からの教えの影響が大きい。だが、戦国の殺伐とした日々の合間を縫って伊達政宗自身が精進した結果でもあると思う。
伊達政宗がそのように自己研鑽を欠かさなかったのも、みちのおく(陸奥)と呼ばれた地に脈々と受け継がれた伊達家の歴史が積み上げた文化や環境の影響があったに違いない。

文武に励んだからこそ、後世まで語り継がれる武将となったこと。
培った素養が伊達政宗の生涯にぶち当たったさまざまな苦難を乗り越える助けになったことも。

武だけで戦国の世は生き抜けない。機転も利かせなければ。それでこそ人間の真価が問われる。機転を利かせるには豊富な前例を知っていたほうがよいことは言うまでもない。
戦国はまた、外交の腕も試される時代だ。外交には交渉や駆け引きの能力が必要。時には故事を引用した文も取り交わされる。
文を受けたとき、とっさに適切な故事を交えた文を返せなければ恥をかく。極端な例では、それがもとで国を喪うことだってある。武将といえども教養が求められるのだ。
この章はそうした教養を備えた武将であった伊達政宗の姿を描いている。

特に筆まめな武将であったとされる伊達政宗の一面を紹介する際は、コミュニケーションに長けていた姿が強調されている。
おそらくコミュニケーションに長けた能力は、伊達家の内政と外交を巧みにさばいていくにあたって大いに助けになったはずだ。

本書を読んで感じた気づき。それは、戦国武将が戦国の世を生き抜くのに最も必要な能力とは対人折衝能力ではないかということだ。
知力や武力といった分かりやすい能力よりも、部下を慰撫して忠誠心を集め、他国の武将と交流してその表裏を見極める能力。それこそが戦国の世にあって最も大切だったのではないか。これは大名や武将だけでなく、農民や商人や僧も含めての話だ。

ただ、歴史上の人物を評する上で対人折衝能力はあまり取り上げられないようだ。
信長の野望などのシミュレーションゲームにおいては、戦国武将を能力値で評価する。
例えば「信長の野望 創造」の場合、武将のパラメーターは「統率」「武勇」「知略」「政治」「主義」「士道」「必要忠誠」が用意されている。
もちろん統率や政治に対人折衝能力が必要なことは言うまでもない。対人折衝能力の総体が統率や政治としてあらわれるのだから。
だが、対人折衝能力だけを抽出しても、戦国武将のパラメーターとしては成り立つように思うがいかがか。

伊達政宗の場合、もちろん知力や武力が人より抜きんでていたことは間違いない。
だが、本書を読んで伊達政宗の生涯を振り返ってみると、戦場で圧倒的な武力を見せつけたような印象は受けない。また味方をも欺く剃刀のような智謀を発揮した形跡も見えない。
そのかわり、人と交渉することで死地を切り抜け、部下から信望を受け、領国を統治してきた繰り返しが伊達政宗の生涯には感じられる。

なぜそう思えたのか。それは今、私自身が会社を経営しているからだ。
社長とは一国一城の主。弊社のような零細企業であっても主には違いない。
経営してみると分かるが、社長には知力や武力は必要ない。むしろ人とのコミュニケーション能力こそが重要。他社や自社、協力社との対人折衝能力。それこそが社長のスキルであることが分かってきた。

その視点から本書を読むと、実は伊達政宗とはコミュニケーションに長けた武将であることに気づく。また、その能力に秀でていたからこそ苛烈な戦国の世を生き抜き、最後は御三家をも上回る待遇を得たのだ。
言うまでもないが、コミュニケーション能力とは阿諛追従のことではない。実力がないのに人との交流を対等にこなせるわけがない。人と対するには、裏側に確かな武術の素養と文化への教養を備えていなければ。
私も伊達政宗の達した高みを目指そう。そう思った。

‘2020/01/16-2020/01/18


秀吉、家康を手玉に取った男 「東北の独眼竜」伊達政宗


福島県お試しテレワークツアーに参加し、猪苗代と会津を訪れた。
猪苗代は磐梯山の麓に広がる。そこは、摺上原の戦いの行われた地。
その戦いで伊達政宗は蘆名氏を破り、会津の地を得た。

本書を読んだのは、摺上原の近くを訪れるにあたり、その背景を知っておこうと思ったからだ。
戦いのことを知っておくには、戦いの当事者も理解しておきたい。とくに、その戦いで勝者となった伊達政宗についてはもっとよく知る必要がある。そもそも伊達政宗の生涯については戦国ファンとしてより詳しくなっておきたい。
そんな動機で本書を手に取った。

政宗は、本書の帯にも書かれている通り、戦国武将の中でも屈指の人気を誇っている。

その生涯は劇的なエピソードに満ちている。単に自己顕示に長けているだけの武将かといえば、そうではない。中身も備わった武将との印象が強い。
晩年まで天下を狙える実力も野心も備えながら、とうとう時の運に恵まれずに仙台の一大名として終わった人物。後世の私たちは伊達政宗に対してそのような印象を持っているのではないか。

悲運に振り回されながら、実力もピカイチ。そんな二面性が人々を魅了するのだろう。
そんな伊達政宗が若き日に雄飛するきっかけとなったのが人取橋の戦いと摺上原の戦いである。

本書では、それらの戦いにも触れている。だが、それは本書全体の中ではごく一部にすぎない。
むしろ本書は、伊達政宗の生涯と人物を多面から光を当て、その人物像を多様な角度から立体的に浮き上がらせることに専心している。

1章「政宗の魅力〜数々の名シーン〜」では生涯を彩ったさまざまな劇的な出来事だけを取り上げている。それは以下のような内容だ。
疱瘡を煩った政宗の右目をくりぬいた片倉小十郎とのエピソード。
父輝宗が拉致され、それを助けようとしたがはたせず、敵もろとも父を撃ち倒した件。
そして圧倒的に不利な条件から、南奥州の覇を打ち立てた戦いの数々。
実の母から毒殺されかかったことで弟に死を命じ、母を二十年以上も実家に追放した一件。
小田原戦に遅参し、死を覚悟した死に装束を身にまとって豊臣秀吉の前に参じた件。
大崎一揆の黒幕と疑われ、花押の違いを言い訳にして逃れた件。
支倉常長をヨーロッパに派遣し、徳川家の覇権が定まりつつある中でも野心を隠さずにいた後半生。

どの挿話も伊達政宗が一生を濃密に生きた証しであるはずだ。これらの挿話から、現代人にとって伊達政宗が憧れの対象となるのもよくわかる。

続いて本書は派手な面だけでない伊達政宗の一生を追ってゆく。伊達政宗は堅実な一面も兼ね備えていた。伊達という言葉から連想される外見だけの一生ではなかったことがわかる。
2章「政宗の野望」ではそうした部分が活写される。

また、伊達政宗は短歌や連歌をたしなみ、風流人としての一面も持っていた。
晩年、最後に江戸へ参勤交代で参る際には鳥の初音を聞きに仙台の山を訪ね歩いたという。また、伊達政宗は筆まめで手紙をよくしたともいう。そうした武張っただけではない文化人としての一面も紹介する。
3章「政宗のすごさに迫る!」では、そうした伊達政宗の別の面も紹介する。

伊達政宗は家臣にも恵まれていた。文武両面で伊達政宗を支えた人々の列伝が4章「政宗を支えた家臣たち」だ。

続いては5章「伊達氏の歴史と名当主たち」で伊達家に連綿と伝えられた伝統を語る。
そもそも伊達政宗という人物は一人ではない。私たちがよく知る伊達政宗は二代目。一代目の伊達政宗は九代目当主にあたる。室町時代に活躍し、伊達家を雄飛させた明主であり、十七代伊達政宗はその先祖にあやかって名付けられたという。
塵芥集を編んだ伊達稙宗や父の伊達輝宗の事績もきちんと紹介されている。そうした伝統の積み重ねがあってこそ伊達政宗が形作られたことを書いている。

本書が良いのは、見開き二ページを一つの項目としている本書において、項目ごとに内容を図示して読者の理解を深めようとしてくれている点だ。
それによって単なる文の羅列だけでは理解しにくい伊達政宗の人物の魅力がさまざまな角度から伝わってくる。

著者は歴史ライターだそうだ。そして、おそらくそれ以上に伊達政宗ファンに違いない。
ファンである以上、歴史のロマンも持っているはずだ。例えば、伊達政宗が持っていた野心とはどの程度のものだったのか、という問いとして。
歴史/政宗ファンがみた伊達政宗の魅力の一つは、十分な実力と人望を持ちながら生まれる時代が遅かったため、ついに天下を取れなかったという悲劇性にある。
そのため、ファンは勝手にこう望んでしまう。伊達政宗には死ぬまで天下への野心を持っていてほしい、と。

伊達政宗の生涯は華やかだったが、一方では実力を持っている故の葛藤と妥協の連続だったはずだ。
仮に天下への野望を抱いたとして、それはいつ頃からだったのか。そして、その野望はいつまで現実的な目標として抱き続けていたのだろうか。

著者はその仮説を6章「『独眼竜』政宗の野心を検証する」と題した章で開陳する。
さまざまな想像と史実を比べつつ、読者の前に仮説として提示してくれている。だが、著者はファンでありながらも野心については案外冷静に観察しているようだ。
畿内だろうが地方だろうが関係はなく、戦国大名は領国の統治と周囲の大名との関係に気を回すだけで精一杯なのが普通。織田信長こそがむしろ当時にあって異常だったと指摘する。
そこから著者が導いた伊達政宗の具体的な天下への野心を持ち始めた時期は、天下の帰趨が定まった奥州仕置きのあとの時代だと著者は考える。

その野心とは、以下の事績にも表れている。支倉常長をローマに派遣し、改易された松平忠輝に娘の五郎八姫を嫁がせ、大久保長安事件に関連した謀反の黒幕と目されたこと。
どれもが伊達政宗の天下への野心に関連していると著者はみる。だが、本格的な行動を起こすほど伊達政宗に分別はなかったと書いていない。
ここは歴史の愛好家が好きずきに想像すればよいのだろう。

私も猪苗代や会津を訪れた際、伊達政宗が駆けた戦国の残り香は感じられなかった。だが、摺上原の戦いの詳細が本書から詳しく学べなかったとしても、伊達政宗の魅力には触れられた。それが本書を読んだ成果だ。

‘2020/01/14-2020/01/15