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2021年6月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§ 総括 梅雨が続いています。夏はすぐそこまで来ている。準備の時期。
そのはずですが、夏の訪れを無邪気に喜ぶには、世の中が騒然としすぎています。
一方でコロナに関するニュースが相変わらず世を騒がし、もはや日常の一部となっています。
コロナに従い続けるのか、それともコロナに立ち向かうのか。一人一人に人生観が問われています。

昨年の九月に読んだ「死」についての分厚い本の内容を脳内で反芻しつつ、あらためて生きる意味を問う最近です。人生が有限であること。残された時間があとわずかであること。

たとえ死ねば全てが無に消えるとわかっていても、全力で自分に与えられた生を全うしたい。仕事もプライベートも。
今は仕事に集中し、好きなことは引退後。そんな悠長な考えでは人生はあっという間に終わってしまいます。毎日を公私とも全力で生きる、という決意で過ごしています。
そうした考えが娘たちにも伝わればいいな、と思っています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。

家族とは四回お出かけしました。妻とは六回、妻と長女とは二回、長女とは一回、次女とは数回。

娘たちはいつか巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんの人間なので、子離れや引退をきっかけに老け込まなさそう。ですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§ 月表

・六月お出かけ

一番いちばん、ハローワーク町田、有隣堂、町田モディ町田ロフト、グリーンハウス 新宿早稲田、てんぷら 高七、鶴川駅前図書館サイゼリヤららぽーと立川立飛JINSヴィレッジヴァンガードGeorgesNEWERA TACHIKAWA北海道うまいもの館Pinkberry九龍點心有隣堂ZARAGAP北海道うまいもの館LEMONADE by Lemonica、阿佐ヶ谷神明宮、COCODE阿佐ヶ谷、北海道らーめん 味丸、阿佐谷パールセンター、四川郷土菜 郷巴老、Honda Cars東京中央 町田西店リカーランドトップ 町田店、薬師池公園 蓮園、薬師池公園、根府川駅、寺山神社、東海道本線 白糸川橋梁 (根府川鉄橋)、湘南メンチ、釈迦堂、根府川関所跡、佐奈田霊社、石橋山古戦場、文三堂、与一塚、小田原(早川)の道祖神、紀伊神社、早川駅、COCODE笹塚、麺 りあん、十号坂商店街、keep will marce、讃岐うどん かいと、自家製麺つけそば 九六、多摩川、薬師池公園、薬師池公園 蓮園、二子玉川 蔦屋家電、帰真園旧清水邸書院、帰真園、二子玉川公園、マヨルカ好奇心の部屋文教堂Cinnabon Seattles Best Coffee、東京オリンピック(1964) 50km競歩折り返し点、Sizzler瀧神社柏屋大國魂神社大國魂神社 本殿、府中市観光情報センター、スーパーアルプス 多摩境店クロスガーデン多摩多摩境天然温泉 森乃彩、市ノ坪神社、川崎市コンベンションホール、福祉パルなかはら(中原区社会福祉協議会)、完熟屋 BEE FRIENDSHIPシアタークリエ炭焼 うな富士NIIGATA100HMV&BOOKS日比谷しまね館千代田線 日比谷駅 (C09)サンドラッグ 町田野津田店、大雄山駅、金太郎生家跡地、足柄万葉公園、足柄城址、新羅三郎義光吹笙之石、足柄関所跡、道の駅 足柄・金太郎のふるさと、相鉄ローゼン 薬師台店町田市鶴川市民センター、ラーメン大桜 町田・野津田店

・六月ツイート
https://togetter.com/li/1738161

§ 家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は四回です。

近所に軽く夕食に食べに行った日(6/5)の翌日、私の誕生日でした。あいにくの雨の予報だったので、私がせめて行ったことのない場所に行きたいと希望し、ららぽーと立川へ(6/6)。ここで飲茶バイキングのお店でたらふく食べ、館内でショッピングを楽しみました。


梅雨の中、妻が行きたい神社があるというので、ついでに娘たちもつれて府中のシズラーに行ったのは父の日(6/20)。美味しい料理と会話が嬉しい一日でした。その日の夜に家族で温泉に行こうと向かったところ、温泉が緊急事態宣言の最終日の日曜日であり、しまっていました。そのため、その翌日に再度家族で向かい、今度は温泉に浸かれました(6/21)。

今回のコロナを通し、毎日のメリハリの大切さを痛感しています。漫然と過ごしていてはあっという間に時間が過ぎていきます。仕事だけの毎日ではない、自分自身や家族との時間にも思い出を刻みたいと考えています。

家という基盤がある幸せ。それを噛みしめつつ、生きる意味とは何か、死ぬと人は無に消えるのか。コロナを通して生きる意味を考えたいと思います。
この一年、そして今月もコロナによってあまり出かけられませんでした。それによって、今の一瞬一瞬の大切さを強く感じています。

§ 妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で六回出かけました。

まずは新調する車を見に二人で(6/10)。帰りには近くのリカーランドトップさんで美味しいお酒を買いました。
妻は医療従事者なので、早めにワクチン接種のお知らせが来ていました。とはいえ、咋秋に手術した妻の身に何かあるとまずいので、二子玉川まで私が運転。二人で二子玉川のお店を見て歩きました(6/19)。妻の接種の間、私は近くの帰真園で読書を。
その翌日は父の日を家族で過ごしたのですが、娘たちは神社に興味がないので、私と妻で瀧神社と大國魂神社を参拝しました(6/20)。
また、妻から強く誘われていたのが舞台。有楽町のシアタークリエでCLUB SEVENの公演を見てきました。久々の観劇の後は、妻がお勧めするうなぎ屋さんで美味しいうなぎに舌鼓を打ちました(6/24)。
他にも家の近所で買い物に行ったり、手続きで市民センターに訪れたりした月でした。

§ 妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で二回出かけました。

まずは町田の街中を。いろいろと買い物をして回りました(6/1)。あと、近所のお店にも食べに行きました(6/16)。

長女も専門学校を卒業し、仕事をこなしながら、家の事もいろいろと手伝ってくれています。それもあって長女とは良く語った月でした。

§ 妻と次女とのお出かけ 妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で出かける機会はありませんでした。

次女は今月、ミシュランで星を獲得した慈華という外苑前にある中華料理のお店でインターンに励んでいました。
厳しい現場の雰囲気におののきながらも、腕のたつシェフのプロ意識や厳しさに触れ、とても刺激になっている様子です。
私も何度も駅まで迎えに行きましたが、その度に疲れ切ってはいたものの、将来の夢が見えてきた様子なのがよかったです。

§ 娘たちとのお出かけ 娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月は娘たちと出かける機会はありませんでした。

とはいえ、家では会話がたくさんあったので良かったです。
これからも家族の時間が持てますように。

●私自身の六月(交友関係)

§ 関西の交流関係 今月は関西には行きませんでした。
私も余裕がなかったので、没交渉のひと月でした。

§ 今月の交流 今月は、緊急事態宣言やまん延防止法が足かせとなり、私自身も仕事が忙しかったこともあり、お酒を飲む機会はほぼありませんでした。

その分、商談や打ち合わせやイベントがあったので、交流は盛んだったのです。
来月もまだ交流は出来ないでしょう。私の場合、一人の時間も苦にならないので、またどこかに旅をして気持ちを発散しようと思っています。


●私自身の六月(文化活動)

§ 弊社ブログへのアップ記事一覧 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2019年に読んだ10冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年六カ月以上に延びています。
ちょっと遅れが目立ってきており、こちらも危機感を持っています。質を落とさずにこの期間を縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

一昨年の春まで連載していたCarry Meさんが運用している本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.33〜航海記 その19」)
技術者として一歩を踏み出した私の頃を書いています。

今月、書いた本のレビューは10本(
パニック・裸の王様
叫びと祈り
夏の約束
介護入門
A
海の上のピアニスト
十二人の死にたい子どもたち
明日の子供たち
ウロボロスの波動
やぶれかぶれ青春記
)。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた物申すは0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは1本(
kintone Café 神奈川 Vol.8を開催しました
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

§ 今月の読書 今月は9冊の本を読みました。内訳は、SF二冊、英国純文学一冊、ミステリ二冊、伝記一冊、トルコ純文学二冊、自己啓発本一冊。

仕事の合間に本を読んでいますが、9冊はよく読んだ方でしょう。
特に『無垢の博物館』の二冊には時間を掛けました。また、感銘を受けました。
ですが、私が読んでいない本はまだ無数にあります。残された余生で何冊の本が読めるのか。私に残された時間は短いのです。

私の今年の目標の一つは本を出版することですが、昨年の11月に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版するとの思いは増すばかりです。
人生の師匠が出版した本のレビューを書いたこともありますし。

§ 今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。

ただし、テレビで放映されていたボヘミアン・ラプソディは見られました。

一方、今月もキングダムは見られずじまい。これでほぼ一年ほど見られていません。
見たい映画もまだまだあるので、今後は映画を観る時間を増やしたいと思います。

§ 今月の舞台 舞台については、今月は1本です。
とても久々に観劇しました。妻が強く誘ってきたので、有楽町のシアター・クリエで。CLUB SEVEN。盛りだくさんな内容でしたが、それをこなす舞台の七人に舞台人のすごさを教わった気がします。
私に宝塚を応援する意思はありませんが、演劇や舞台人は応援したいと思います。
§ 今月の音楽 今月も生演奏を聴く機会がありませんでした。
コロナが始まってから、70年代の洋楽を聴きまくっています。今月はThe Steve Miller Bandの全てのアルバムを順に聴きました。これまた良いですね。


§ 今月の美術 今月は美術館などへ行く機会は取れませんでした。

§ 今月のスポーツ 今月も各種スポーツのネタには困りません。阪神タイガースの佐藤輝選手の打棒も見事だし、大谷・ダルヴィッシュ選手の活躍にも心が躍ります。
ただ、東京オリンピックの状況が不透明ですね。私個人の意見としては、五輪と同等の大会を競技毎に世界各国で開催し、選手には栄誉が与えられるような配慮をお願いしたいと思います。

もちろん、開催されたとして観客が許されるのなら、見に行きたいと思っていますが。


§ 今月の滝 今月、訪れた滝は1滝です。「夕日の滝(6/27)」
かの金太郎こと坂田金時の産湯として使われたともいうこの滝。直瀑ですが、脇の水流の様子も含め、見ごたえのある滝でした。
滝の水に視点をあてると、スローモーションで落ちてゆく水に人生のはかなさを感じました。ここはアクセスも容易なのでお勧めしたい滝です。


§ 今月の旅行 今月は、仕事が忙しく、梅雨空ということもあって旅ができませんでした。もちろんコロナという障害もありましたが。
旅といえるの旅行を二回敢行しました。
まずは、根府川駅の周辺です(6/12)。関東大震災の際に土石流に駅舎や列車が襲われ、海の底には今もまだ遺構が眠っているというこの場所。前から行きたかったのですが、ようやく訪れられました。列車と海と空のコントラストもよかったですし、珍しい観光列車も見られました。
また、近くの白糸川をまたぐ鉄橋の勇壮な様子にも感銘を受けました。
帰りに訪れた鈴木農園さんでは様々なお話をさせていただきましたし、海岸際にある湘南メンチさんでは美味しい試食を楽しみながら、しばし仕事に没頭できました。ワーケーション先としてもお勧めできます。
帰りは、歩いて石橋山まで。かの源頼朝公が蜂起したこの地。初めて訪れられました。
また、その周りには野生の猿が何匹も群れを成しており、私も威嚇されました。でも、線路際で通過する列車をものともせずにいつく姿に図太さと強さを感じました。
後日、そのサルの群れを駆除する発表があったのには驚きました。

もう一回は、南足柄市です。金太郎こと坂田金時の遺構を中心にめぐりました(6/27)。坂田金時の生家跡や遊んだ石、産湯をつかった夕日の滝など、とても印象に残りました。また、大雄山駅にも訪れ、さらに足柄峠では万葉集の頃から防人が訪れ、多くの歴史上の人物が行き交ったとされるこの場所で物思いにふけりました。

梅雨空の中、一瞬だけ姿をのぞかせた富士山も、足柄城址の様子とあわせて印象に残りました。


§ 今月の駅鉄 趣味の駅訪問は3駅です。「根府川駅(6/12)」「早川駅(6/12)」「大雄山駅(6/27)」
根府川駅は上にも書いた通り、関東大震災で甚大な被害を受けた駅で、供養塔もいくつか見かけました。
今見ると、とても土石流に襲われそうな感じはなかったのですが、地震や噴火によっていつ何時この辺りが被害に遭うかもしれず、きっちりと目に焼き付けてきました。
早川駅は帰りに石橋山を経由し、歩いてきました。もう夜だったのですが、小田原駅の隣にある割にはこじんまりとした駅でした。

大雄山駅は根府川駅と同じく関東の駅百選に選ばれています。車庫や古びた駅舎がとても風情を醸していました。思った以上に利用客もあったのでほっとしました。


§ 今月の酒楽 今月は外では一度も飲んでいません。
ですが、妻が酒屋で何本か買ってくれました。私も日本酒も含めて購入しましたし。


§ 今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は四カ所。「薬師池公園(6/11)(6/18)(6/29)」「二子玉川公園(6/19)」「帰真園(6/19)」「足柄万葉公園(6/27)」
・博物館はゼロカ所。
・美術館はゼロカ所。
・駅は三駅。「根府川駅(6/12)」「早川駅(6/12)」「大雄山駅(6/27)」

・入手したマンホールカードは一枚。「東京都府中市(6/20)」
・滝は一滝。「夕日の滝(6/27)」
・温泉は一カ所。「多摩境天然温泉 森乃彩(6/21)」
・山はゼロ山。
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は六カ所。「阿佐ヶ谷神明宮(6/9)」「寺山神社(6/12)」「佐奈田霊社(6/12)」「紀伊神社(6/12)」「瀧神社(6/20)」「大國魂神社(6/20)」「市ノ坪神社(6/22)」
・寺は二カ所。「釈迦堂(6/12)」「文三堂(6/12)」
・教会はゼロカ所。
・史跡は九カ所。「根府川関所跡(6/12)」「石橋山古戦場(6/12)」「与一塚(6/12)」「小田原(早川)の道祖神(6/12)」「帰真園旧清水邸書院(6/19)」「東京オリンピック(1964) 50km競歩折り返し点(6/20)」「金太郎生家跡地(6/27)」「新羅三郎義光吹笙之石(6/27)」「足柄関所跡(6/27)」

・遺跡はゼロカ所。
・城は一カ所。「足柄城跡(6/27)」

・灯台はゼロカ所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあります。
自粛自粛と過ごしていると、疲れに追われてあっという間に老け込んでいきそうです。
一番怖いのは年齢から来るあきらめと気力の減退です。これだけは防ぎたい。

だからこそ、コロナに人生を台無しにされたくない、と万全の準備で旅をしました。会話は控えた黙旅です。

家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよくある老残にならないためにも。
人はいつか死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。昨年の九月は「「死」とは何か」という本を読み通しました。
人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われる。
ですから、いつかやろう、引退してからやろうといっていると、未来の自分にそれを妨げられてしまいます。
今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。
後悔だけはしないように。
仕事だけでなく、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに入っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめには書いた通り、コロナにもかかわらず、法人としての売り上げは確保できています。ただ、私個人としては投資もしなければ賭け事もせず、不労所得のタネも持っていません。
つまり、一人で私自身の体だけが頼りで、体に何かがあれば収入は尽きます。そろそろ貯蓄のことも考えていかなければ。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は10句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで


新型コロナウィルスの発生は、世界中をパンデミックの渦に巻き込んでいる。
だが、人類にとって恐れるべき存在がコロナウィルスだけでないことは、言うまでもない。たとえば自然界には未知のウィルスが無数に潜み、人類に牙を剥く日を待っている。
人類が築き上げた文明を脅かすものは、人類を育んできた宇宙や地球である可能性もある。
それらが増長した人類に鉄槌を下す可能性は考えておかねば。
本書で取り扱うのは、そうした自然災害の数々だ。

来る、来ると警鐘が鳴らされ続けている大地震。東海地震に南海地震、首都圏直下地震、そして三陸地震。
これらの地震は、長きにわたって危険性が言われ続けている。過去の歴史を紐解くと発生する周期に規則性があり、そこから推測すると、必ずやってくる事は間違いない。
それなのに、少なくとも首都圏において、東日本大震災の教訓は忘れ去られているといっても過言ではない。地震は確実に首都圏を襲うはずなのにもかかわらず。

本書は日本の歴史をひもとき、その時代時代で日本を襲った天変地異をとり上げている。
天変地異といってもあらゆる出来事を網羅するわけではない。飢饉や火事といった人災に属する災害は除き、地震・台風・噴火・洪水などの自然災害に焦点を当てているのが本書の編集方針のようだ。

著者は、そうした天変地異が日本の歴史にどのような影響を与えたのかという視点で編んでいる。
例えば、江戸末期に各地で連動するかのように起こった大地震が、ペリー来航に揺れる江戸幕府に致命的な一撃を与えたこと。また、永仁鎌倉地震によって起こった混乱を契機に、専横を欲しいままにした平頼綱が時の執権北条貞時によって誅殺されたこと。
私たちが思っている以上に、天変地異は日本の歴史に影響を与えてきたのだ。

かつて平安の頃までは、天変地異は政争で敗れた人物の怨霊が引き起こしたたたりだとみなされていた。
太宰府に流された菅原道真の怨霊を鎮めるため、各地に天満宮が建立されたのは有名な話だ。
逆に、神風の故事で知られる弘安の大風は、日本を襲った元軍を一夜にして海中に沈め、日本に幸運をもたらした。
本書にはそういった出来事が人心をざわつかせ、神仏に頼らせた当時の人々の不安となったことも紹介している。
直接でも間接でも日本人の深層に天変地異が与えてきた影響は今の私たちにも確実に及んでいる。

本書は私の知らなかった天変地異についても取り上げてくれている。
例えば永祚元年(989年)に起こったという永祚の風はその一つだ。
台風は私たちにもおなじみの天災だ。だが、あまりにもしょっちゅう来るものだから、伊勢湾台風や室戸台風ぐらいのレベルの台風でないと真に恐れることはない。ここ数年も各地を大雨や台風が蹂躙しているというのに。それもまた、慣れというものなのだろう。
本書は、歴史上の洪水や台風の被害にも触れているため、台風の恐ろしさについても見聞を深めさせてくれる。

本書は七章で構成されている。

第一章は古代(奈良〜平安)
白鳳地震
天平河内大和地震
貞観地震
仁和地震
永祚の風
永長地震

第二章は中世(鎌倉〜室町〜安土桃山)
文治地震
弘安の大風
永仁鎌倉地震
正平地震
明応地震
天正地震
慶長伏見地震

第三章は近世I(江戸前期)
慶長東南海地震
慶長三陸地震津波
元禄関東大地震
宝永地震・富士山大噴火(亥の大変)
寛保江戸洪水

第四章は近世II(江戸後期)
天明浅間山大噴火
島原大変
シーボルト台風
京都地震
善光寺地震

第五章は近代I(幕末〜明治)
安政東南海地震
安政江戸地震
明治元年の暴風雨
磐梯山大噴火
濃尾地震
明治三陸大津波

第六章は近代II(大正〜昭和前期)
桜島大噴火
関東大震災
昭和三陸大津波
室戸台風
昭和東南海地震
三河地震

第七章は現代(戦後〜平成)
昭和南海地震
福井大地震
伊勢湾台風
日本海中部地震
阪神淡路大震災
東日本大震災

本書にはこれだけの天変地異が載っている。
分量も相当に分厚く、636ページというなかなかのボリュームだ。

本書を通して、日本の歴史を襲ってきたあまたの天変地異。
そこから学べるのは、東南海地震や南海地震三陸の大地震の周期が、歴史学者や地震学者のとなえる周期にぴたりと繰り返されていることだ。恐ろしいことに。

日本の歴史とは、天災の歴史だともいえる。
そうした地震や天変地異が奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・幕末・明治・大正・昭和・平成の各時代に起きている。
今でこそ、明治以降は一世一元の制度になっている。だが、かつては災害のたびに改元されていたと言う。改元によっては吉事がきっかけだったことも当然あるだろうが、かなりの数の改元が災害をきっかけとして行われた。それはすなわち、日本に災害の数々が頻繁にあったことを示す証拠だ。
そして、天変地異は、時の為政者の権力を弱め、次の時代へと変わる兆しにもなっている。
本書は、各章ごとに災害史と同じぐらい、その時代の世相や出来事を網羅して描いていく。

これだけたくさんの災害に苦しめられてきたわが国。そこに生きる私たちは、本書から何を学ぶべきだろうか。
私は本書から学ぶべきは、理屈だけで災害が来ると考えてはならないという教訓だと思う。理屈ではなく心から災害がやって来るという覚悟。それが大切なのだと思う。
だが、それは本当に難しいことだ。阪神淡路大震災で激烈な揺れに襲われ、家が全壊する瞬間を体験した私ですら。

地震の可能性は、東南海地震、三陸地震、首都圏直下型地震だけでなく、日本全国に等しくあるはずだ。
ところが、私も含めて多くの人は地震の可能性を過小評価しているように思えてならない。
ちょうど阪神淡路大震災の前、関西の人々が地震に対して無警戒だったように。
本書にも、地震頻発地帯ではない場所での地震の被害が紹介されている。地震があまり来ないからといって油断してはならないのだ。

だからこそ、本書の末尾に阪神淡路大地震と東日本大震災が載っている事は本書の価値を高めている。
なぜならその被害の大きさを目にし、身をもって体感したかなりの数の人が存命だからだ。
阪神淡路大地震の被災者である私も同じ。東日本大震災でも震度5強を体験した。
また、福井大地震も、私の母親は実際に被害に遭い、九死に一生を得ており、かなりの数の存命者が要ると思われる。

さらに、阪神淡路大地震と東日本大震災については、鮮明な写真が多く残されている。
東日本大震災においてはおびただしい数の津波の動画がネット上にあげられている。
私たちはその凄まじさを動画の中で追認できる。

私たちはそうした情報と本書を組み合わせ、想像しなければならない。本書に載っているかつての災害のそれぞれが、動画や写真で確認できる程度と同じかそれ以上の激しさでわが国に爪痕を残したということを。
同時に、確実に起こるはずの将来の地震も、同じぐらいかそれ以上の激しさで私たちの命を危機にさらす、ということも。

今までにも三陸海岸は何度も津波の被害に遭ってきた。だが、人の弱さとして、大きな災害にあっても、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう。そして古人が残した警告を無視して家を建ててしまう。便利さへの誘惑が地震の恐れを上回ってしまうのだ。
かつて津波が来たと言う警告を文明の力が克服すると過信して、今の暮らしの便利さを追求する。そして被害にあって悲しみに暮れる。

そうした悲劇を繰り返さないためにも、本書のような日本の災害史を網羅した本が必要なのだ。
ようやくコロナウィルスによって東京一極集中が減少に転じたというニュースはつい最近のことだ。だが、地震が及ぼすリスクが明らかであるにもかかわらず、コロナウィルスがなければ東京一極集中はなおも進行していたはず。
一極集中があらゆる意味で愚行の極みであることを、少しでも多くの人に知らしめなければならない。

本書は、そうした意味でも、常に手元に携えておいても良い位の書物だと思う。

‘2019/7/3-2019/7/4


東京自叙伝


現代の数多いる作家たちの中でも、著者の書くホラ話は一級品だと思っている。本書もまた、壮大愉快なホラ話が炸裂し、ホラ話として読む分には楽しく読み終えることができた。

そもそも小説自体がホラ話であることはもちろんだ。中でもSFはジャンル自身が「ホラ」を名乗っているだけに、全編が作家の妄想空想ホラ話だ。

しかし、それら他ジャンルの作家達を差し置いても、私は純文学出身の著者をホラ話の第一人者に挙げたいと思う。何故か。

ミステリーやSFなどのホラ話を楽しむためには読者に感情移入が求められる。ミステリーであれば、序盤に提示された謎。この謎に対し、6W5Hの疑問を登場人物と一緒に悩む。そして解決される過程の驚きやカタルシスを楽しむ。ミステリーを読むに当たって読者に求められる作法だ。SFであれば、作中に書かれた世界観を理解し、その世界観の中で葛藤や冒険に挑む登場人物に共感する必要がある。そうしなければ、SF作品は味わいづらい。

しかし著者の作品は、感情移入する必要のないホラ話だ。壮大なホラであることを作家も読者も分かった上でのホラ話。設定も構成も現実に立脚しながら、それでいて話が徹底的なホラ話であるとの自覚のもと書かれているものが多いように思う。読者は内容に感情移入することなく、客観的な視点で著者の紡ぐホラ話を楽しむことができるのだ。少なくとも私は著者の作品と向き合う際、そのように読む傾向にある。「「吾輩は猫である」殺人事件」や「新・地底旅行」や「グランド・ミステリー」などの著者の作品を私は、作品それ自体を大きく包み込むようなホラを楽しみながら読み終えた記憶がある。

恐らくは著者自身、読者による感情移入や共感など度外視で書いているのではないか。読者の感情に訴えるというよりは、構成や筋、文体までも高度なホラ話として、その創造の結果を楽しんでもらうことを狙っているように思う。

それはおそらく、著者が芥川賞受賞作家として、純文学作家として、世に出たことと無関係ではないはずだ。

最近の著者は、ミステリーやSF、時代物、本書のような伝記文学など、広い範囲で書き分けている。それらの著作はそれぞれが傑作だ。そしてミステリーの分野に踏み込んだ作品は、週刊文春ミステリーベスト10やこのミステリーがすごい!といった年末恒例のミステリーランキングの上位に登場するほどだ。

そうしたジャンルの壁を易々と乗り越えるところに著者の凄みがある。それはもはや純文学作家の余技のレベルを超えている。他ジャンルへの色気といったレベルすらも。ましてや生活のために売れない純文学から他ジャンルへの進出でないことは言うまでもない。そういった生活感のにじみ出るようなレベルとは超越した高みにあるのが著者だ。作家としての卓越した技量を持て余すあまり、ホラ話を拡げ、想像力の限界に挑んでいるのではないかとすら思う。

本書はタイトルの通り、東京の近代史を語るものだ。幕末から東日本大震災までの東京の歴史。その語りは通り一遍の語りではない。複数の時代をまたがる複数の人物の視点を借りての語りだ。それら人物に東京の地霊が取り憑き、その視点から各時代の東京が書かれている。地霊が取り憑くのは有史以前の人であり、虫ケラであり、動物である。地霊は複数の物体に同時に遍く取り憑く。或いは単一の人物に取り憑く。本書の全体は、各章の人物間の連関が頻繁に現れる。過去の時代の人の縁を後の時代の人物の行動に絡めたり。そういった縁の持つ力を地霊の視点から解き明かしたのが本書である。

幕末から遷都を経て文明開化の明治まで、地霊が取り憑いたのは柿崎幸緒。この人物は幕府御家人の養子から剣術を極め、幕末の殺伐とした時期に辻斬りとして活動した後、幕府軍の一員として新政府軍と戦う。さらに新政府の官吏となって明治を過ごすが、地霊が離れるにつれ、消えるように一生を終える。

明治から関東大震災、復興の昭和初期、そして終戦間際まで地霊が取り付くのは榊晴彦。軍人として東京を見聞した榊の視点で物語は進む。東京にとっては激動の日々だが、軍人から見た帝都とは、いかなるものだったか。シニカルにコミカルにその様子が描かれる。神国不滅を叫ぶ軍人の視点と、その上にある地霊としての醒めた視点が重なり合うのが面白い。

昭和初期から空襲下の瓦礫と、高度成長期まで地霊が取り憑くのは曽根大吾。空襲下の帝都で九死に一生を得た彼は、愚連隊として終戦後の混乱を乗り越えていく。ここらあたりから東京が少し増長を始める。

戦前戦後の混乱から高度成長期を経てバブルに踊る中、弾けては萎む東京で地霊が取り憑くのは友成光宏。彼の時代は東京が空襲の廃墟を乗り越え、大きく変貌する時期。安保闘争やオリンピック、テレビ放送。それらに、地霊としての様々な縁が重なる。これらの縁の重なりは、東京をして首都として磐石のものにするに十分。地霊としての力は、強力な磁場を放って地方から人間を東京に吸い付ける。東京がますます増幅され、地霊にとっても持て余す存在となりつつある東京の姿がこの章では描かれる。

バブル後の失われた20年、根なし草のような東京に振り回されるのは、地霊が取り憑いた戸部みどり。バブルの狂騒に負けじと派手に駆け抜けた戸部の一生はバブルの申し子そのもの。ワンレン・ボディコン・マハラジャを体験し、バブルがはじけると一気に負け組へと陥る。そんな取り憑き先の人生の浮沈も、地霊にとっては何の痛痒を与えない。一人の女性の踊らされた一生に付き合う地霊は、すでに東京の行く末については達観している。

 即ち「なるようにしかならぬ」とは我が金科玉条、東京という都市の根本原理であり、ひいては東京を首都と仰ぐ日本の主導的原理である。東京の地霊たる私はズットこれを信奉して生きてきた。(348P)

地下鉄サリン事件のくだりでは、このような思いを吐露する。

 そもそも放っておいたっていずれ東京は壊滅するのだから、サリンなんか撒いたって仕様がない。(352P)

東京を語る地霊が最後に取り憑いたのは郷原聖士。無差別殺人を犯す人物である郷原は、無秩序な発展に汚染された東京の申し子とも言える存在だ。秋葉原無差別殺人も深川通り魔事件も池袋通り魔事件も、そして新宿駅西口バス放火事件も自分の仕業と地霊はのたまう。そして東京を遠く離れた大阪で起こった付属池田小学校の通り魔殺傷事件も同じくそうだという。東京を離れた事件までも自分の仕業という地霊は、それを東京が無秩序に拡大し、地方都市がことごとく東京郊外の町田のような都市になったためと解く。

 たとえば郷原聖士の私はしばらく町田に住んだが、地方都市と云う地方都市が町田みたいになったナと感想を抱くのは私ひとりではないはずだ。日本全土への万遍ない東京の拡散。(412P)

東京が東京の枠を超え、平均化されて日本を覆ったという説は、町田に住む私としてうなづけるところだ。ここに至り読者は、本書が単なる東京の歴史を描くだけの小説でないことに気づくはずだ。東京という街が日本に果たした負の役割を著者は容赦なく暴く。

郷原もまた東京西部を転々とし、家庭的に恵まれぬ半生を過ごしてきた。つまりは拡散し薄れた東京の申し子。その結果、原発労働者として働くことになり、福島原発で東日本大震災に遭遇する。彼はそこで東京の死のイメージを抱き、それが地霊が過去に見てきた東京を襲った災害の数々に増幅され発火する。

本章において、初めて著者が東京へ投影するイメージが読者に開陳されることとなる。それはもはや異形のモノが蠢く異形の都市でしかない。もはや行き着くところが定まっている東京であり、すでに壊滅しつつある東京。2020年のオリンピックで表面を塗り固め、取り繕った街。もはや地霊、すなわち著者にとっては東京は壊滅した街でしかない。

本書がホラ話であることをことさらに強調しようとする文がところどころに挟まれるのが、逆に本書の暗いトーンを浮き彫りにしているといえる。しかし本書は他の著者の著作とは違い、単なるホラ話として受け取ると痛い目に遇いそうだ。

本書は福島の原発事故を東京の将来に連想させるような調子で終わる。本書には書かれていないが、首都圏直下型地震や富士山噴火、あるいは地下鉄サリン事件以上のテロが東京を襲う可能性は著者の中では既定のものとして確立しているに違いない。ホラ話として一級品の本書ではあるが、単にホラ話では終わらない現実が東京を待ち受けている。ホラから出たまこと。ホラ話の達人として、著者はそれを逆手にとって、嗜虐や諷刺をたっぷり利かせながら、東京に警鐘を鳴らす。

‘2015/10/3-2015/10/8


関東大震災 消防・医療・ボランティアから検証する


吉村昭氏の名著やその他新書やムックの数々を読んできた私。春先には「東京・関東大震災前後」4-8188-0932-2 の論点のユニークさや細かさに勉強させられたのだが、こちらの本も参考になった。

未曽有の大災害になった理由を、当時の技術力の未熟さに帰しがちな、現代のわれわれ。ところが実は技術力の不足だけではないということを当時の様々な記録を丹念に記していくことで浮き上がらせていく。

今の首都圏の対策が本当にこの本に書かれたような色んな要因を踏まえて行われているのか疑問に思えてくる。

’11/9/17-’11/9/18