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2023年1月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括
1月。
今月も仕事が忙しく、なかなか思うようにプライベートな時間が確保できませんでした。
正月も弊社の人事制度や評価制度や給与テーブルの策定に時間を使ったので、あまりのんびりする暇がとれていません。

とはいえ、正月は弊社のこれからのために鎌倉を訪れました。また、家族で栃木に旅しました。出張で名古屋にも行きました。
合間を見つけて旅はできています。が、私にとって、行きたい場所とやりたい事は無限にあります。

どのようにすれば、仕事とやりたいことを両立させることができるのか。公私でより一層の努力が必要だと心の底から思っています。このままでは仕事だけの人生になってしまう。
今月も先月に続いて本のレビューは一冊のみしか書けず、アクアビット航海記は三ヶ月続けて書けていません。

人生は有限であり、残された時間はわずかであることを常に考えています。
国際関係や未知のパンデミック、天災がいつ私たちの生活を脅かすか。

生きていることのありがたみを公私ともに忘れぬようにしながら、充実した日々を送れるよう、今年も精一杯人生を生きたいと思います。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちの事をフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。

今月は家族とは一回お出かけしました。妻とはゼロ回、妻と長女とは三回、妻と次女とはゼロ回、長女と次女とはゼロ回。長女とはゼロ回、次女とはゼロ回。


§  月表

・一月お出かけ

龍口寺、五重塔、仏舎利塔、日蓮宗 本龍寺、腰越駅 (EN07)、Tully’s Coffee、江乃華 JAPAN RAMEN、小動神社、船玉神社、稲村ヶ崎公園、稲村ヶ崎、和田塚、和田塚駅 (EN14)、石造宝篋印塔 (伝畠山重保墓塔)、鶴岡八幡宮 大鳥居 (一の鳥居)、比企能員一族之墓、妙本寺、日蓮上人辻説法跡、妙隆寺、土佐坊昌俊邸址、北條執権邸舊蹟、大蔵幕府舊蹟、法華堂跡 – 源頼朝墓・北条義時墓、白旗大明神、源頼朝墓、三浦泰村一族墓所、島津忠久墓、大江広元墓、毛利季光墓、荏柄天神社、覚園寺 地蔵堂、覚園寺、永福寺跡、Tully’s Coffee、鞍掛けの松、大宮八幡宮 表参道、大宮八幡宮、和田堀公園、ドトールコーヒーショップ 永福町店、佐野SA (上り)ベルテラシェ大谷天狗の投石平和観音大谷観音 (大谷寺)大谷ポケットテラス日光プリン亭ベルテラシェ大谷店大谷石採石場跡大谷資料館日光東照宮宇都宮みんみん来らっせ川口ハイウェイオアシス、アボットチョイス、Weekend Green&Cafe、真鶴駅、石工先祖の碑、謡坂(うたい坂)、源頼朝船出の浜、岩ビーチ、岩海岸、岩大橋、津島神社、真鶴町民俗資料館、品川台場礎石乃碑、しとどの窟、真鶴町観光協会、伊藤商店、真鶴港郵便局、コミュニティ真鶴、荒井城址公園、小田原宿なりわい交流館、小田原市観光交流センター、旧三福コワーキング、北条氏政・氏照の墓所、地酒とうまいもの 金時、丸亀製麺、しおらーめん進化2nd、大井海貨上屋第2号、土佐しらす食堂二万匹、アントンビー 龍土町店、アントンビー、うおみ 安城高棚店、JPタワー オフィスフロア、名鉄イン 刈谷、みかわ三水亭 西尾東店、西尾市歴史公園、旧近衛邸、西尾城址、西尾城 本丸丑寅櫓、晴月園、スパゲティハウス チャオ、慶元寺、世田谷区立 喜多見農業公園、喜多見 氷川神社、Starbucks、ビーフン東、漣橋、東京イーストサイド ホテル櫂会(カイエ)、麺屋 五常、Lad’s De Wine、01CAFE SURF DINER、自家製麺つけそば 九六、上海菜館、立場駅 (B03)、ハマッ子 直売所 みなみ店、Aeonliquor 新百合ヶ丘店

・一月ツイート
https://togetter.com/li/2065168

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は一回です。

今月はずっと妻が宝塚の代表の仕事にしばられていました。正月も二日から公演だったらしく、ほとんど余裕がありません。

その合間、一日だけ空いた日があったので家族で栃木に行きました。
10カ月前に私が一週間ほど宇都宮に滞在している間、餃子や大谷資料館の素晴らしさに触れました。家族を連れてきたいと思っていたところ、この機会が巡ってきたので家族で。
特に地下に広がる広大な大谷資料館の雰囲気には家族も満足してくれたようです。大谷観音やその近くにある平和観音、さらにベルテラシェ大谷の雰囲気も家族にはよかったようです。
ただ、そこから妻のたっての希望で日光東照宮に向かったところ、時間を読み違えてしまい、数分の差で中に入れず、妻は打ちひしがれてしまいました。
そんな妻も家族がなだめて再び宇都宮の街に戻って来らっせで餃子を食べまくったことで、少しは持ち直してくれたようです。
ここでキャンペーンに応募したところ、34店舗のギョウザが当たってしまい、しばらく連日餃子を食べる日が続いたのも今月のトピックです。

今月は次女もアルバイト先で仕事に励んでいました。そのため、家族で顔を合わせることがこの日だけでした。正月ですらおせちを囲んで食べませんでした。


§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で出かけることはありませんでした。

妻が宝塚の代表に縛られていたためです。


§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は三回ありました。

近所の丸亀製麺で食べたいものがあるとかで、三人で出かけました(1/16)。

別の日は、妻の友人からの紹介で弊社の新メンバーに名乗りを上げた方の面談があり、あとで長女も合流して和やかな面談ができました(1/23)。
ちなみに長女も今年の4月から弊社に入ってもらう予定です。

また別の日には、三人で近所のハワイアンCaféでのんびりと夕食をいただきました(1/25)。

§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会は一回もありませんでした。


次女は昨年末で就職したお店を辞め、今はアルバイトで飲食の仕事を続けています。
弊社へ参画することも検討したのですが、私の判断でやめました。まだ若いし、もっといろいろした方がよいので。


§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は今年の春に弊社で正式に雇用し、いろいろと手伝ってもらいます。合間をみて作業は教えています。

これは珍しく長女と二人で家飲みしたワインです。

また、次女は私の判断でもう少し社会で仕事をしてもらうことが必要と思い、本人もその意をも汲んでくれたのか、アルバイト先で一生懸命働いているようです。

昨年末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。


●私自身の一月(交友関係)

§  関西の交流関係 先月は関西の友人たちと充実した交流を楽しめました。今月はその余韻がありました。そのため、交流は行っていません。
年始には年賀状のやりとりを通し、懐かしい友との交流を温めました。今も交流が続く友人や、途切れてしまった友人。皆を偲ぶ余裕もないまま、仕事モードに突入した年始でした。

ただ、今月は関西大学の東京経済人俱楽部新春賀詞交換会がありました。かつて遊んだ大学時代の友人とは会えずにいますが、東京で知り合った方や、今回の会で知り合った方など、関西とのご縁が作れたのは良かったです。

それだとあまりにも寂しいので、2月か3月には関西に行って友人と交流するつもりです。その時は実家にも家族を連れて行くつもりです。


§  今月の交流 今月はリアルのイベントとしてkintone Café 名古屋に参加しました。また、その道中はお客様とご一緒でした。お客様とは二日間をご一緒しました。その度を経て、単なるビジネス上のお客様という関係ではない、違う絆が作れるのではないかと感じています。
こういう交流が欲しいと思います。

また、高知からのお客様たちを六本木でお迎えし、楽しい一夜を過ごしたのも今月の喜びです。
お互い、仕事の日々で息をつく暇もないはず。学生時代のように無限の時間を一緒に過ごす交流は望めないでしょう。が、多忙な中でもこうやって交流を深められることに感謝します。
今後もこうした交流を続けていきたいですね。

また、今月は関西大学東京経済人倶楽部の新春賀詞交歓会に参加しました。
大学を同じくする人々、そして大阪ではなく東京で仕事をする皆さんが一堂に集まり、交流を深める。これも交流の在り方です。同じ年で東京で社長をされている方とお知り合いになれたのは嬉しい出来事でした。

ご縁のあった皆さん、ありがとうございました。

●私自身の一月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2020年に読んだ1冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。今月はかろうじて一冊だけレビューを書くことができたものの、私にとってこれは到底満足のいく冊数ではありません。読んでから原稿をアップするまでの時間も二年になろうとしています。
仕事でバタバタしている今は、本当に物を書く時間がとれていません。このところプライベートの時間がほぼ仕事によって犠牲になっています。レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は私にとって、ワークライフバランスのバロメーターです。ワークに傾いてしまっている今の状況を早く取り戻さねば。かなり危機感を持っています。

「アクアビット 航海記」の続きは今月もかけませんでした。もう三ヶ月間書く暇が取れていません。

今月、書いた本のレビューは1本(
軍神広瀬武夫の生涯

今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は1本(
2023年の抱負

) 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは0本() 。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、先月から毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

1月3日 1月3日 年纏めと今年の抱負を記します
1月4日 1月4日 今年の情報動向を学んでおく事
1月5日 1月5日 年初めは既存に依存しない誓い
1月6日 1月6日 職住近接をどう実現するかの旅
1月10日 1月10日 拠点には仲間・交流・絆が必要
1月11日 1月11日 また一つAIが情報処理業界を。
1月12日 1月12日 返事は即レスで楽になる。
1月13日 1月13日 Twitter Blueに加入する?
1月16日 1月16日 メタバースはリアルを超えるか
1月17日 1月17日 今を悔いなく生きるための一日
1月18日 1月18日 著名で生きる?無名で生きる?
1月19日 1月19日 お店のメニューは決まっている
1月20日 1月20日 街中で出会えるカイゼンの種
1月23日 1月23日 風土を変えると仕事が整う事
1月25日 1月25日 人前で話す機会を増やしたい
1月26日 1月26日 大規模運用設計の難しさを
1月27日 1月27日 儲からぬが動画発信は必要

§  今月の読書 今月は8.5冊の本を読みました。内訳は、ビジネス書三冊、ミステリ一冊。評伝二冊。旅本一冊。人生ライフハック本一冊。宗教0.5冊。

今月も本を読む時間が取れず、無理やり本を読む機会を増やしたような月でした。本を読む間があれば連絡や調べ物をしている状態でした。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。

また、今月に読んだ多くの本がビジネス書でした。
こうした本はビジネスのスキルを高め、私の仕事に役立ってくれます。それは良いのですが、私と言う人間の深みが失われていくようで危機感を抱いています。哲学書や宗教、小説ももっと読まねばと感じています。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。

今月も見たい映画があったにも関わらず、見ることができていません。

また、昨年に見通した大河ドラマ『鎌倉殿の13人』ですが、総集編も全て見終えました。私が全て見た初めての大河ドラマが「鎌倉殿の13人」です。総集編も含めて見られたことで、年始は鎌倉で史跡を探訪しました。鎌倉の近くに住んでいながら、今まで訪れられていなかった場所の多さに自分の不明を恥じながら。
今年の大河ドラマ「どうする家康」も第三話まで見られています。
ただ、岡崎の近くに出張で行っていたにもかかわらず、今回は松平家の史跡は訪れられていません。


§  今月の舞台 舞台については、今月は見ていません。

今、いくつか見たい舞台があります。
「12人のおかしな大阪人」
「笑の大学」
ただ、私に見に行く余裕があるかは微妙です。



§  今月の音楽 コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月は浜田省吾さんの全アルバムを聴き、20曲にまとめました。
浜田省吾
自らの闇や弱さを客観視した詩の数々。浜田省吾さんの楽曲はメロディの良さや声や演奏も素晴らしいのですが、詩の世界で私を魅了してくれます。
私の心性と人格に影響を与えたシンガーソングライターとして、真っ先に挙げる尊敬する方です。


§  今月の美術 今月は美術に触れる機会はありませんでした。

ただ、西尾市の旧近衛邸の茶室でいただいたお茶は私を強く美の世界に誘ってくれました。
茶室のしつらえや、畳に映る庭の笹のゆれる影など。
自分の日々の余裕のなさを諭してくれるかのようでした。
連れて行ってくださったお客様には感謝です。


§  今月のスポーツ 今月は正月に江ノ電に沿って藤沢から鎌倉まで自転車で旅したことが唯一の運動と言えましょうか。

そういえば、車椅子テニスの国枝選手の引退発表のニュースもありました。
私も国枝選手のメンタルの上げ方など参考にし、これからの人生を乗り切ろうと思います。


§  今月の滝 今月は滝というほどの滝ではないですが、龍口寺の裏手にそそぐ水流の前で心を落ち着けて制度設計に集中しました。

寒い毎日だったので、少し足を伸ばして氷瀑など見たかったのですが、他の滝には行けずでした。


§  今月の駅鉄 今月は四駅を訪れました。「腰越駅(1/2)」「和田塚駅(1/3)」「真鶴駅(1/15)」「立場駅(1/27)」

まずは正月に二日続けて訪れた江ノ電沿線。初日は藤沢駅で借りたHello Cyclingの自転車で腰越駅を。腰越駅の近くは江ノ電の沿線でも併用軌道が最もよく見られる場所です。私もその光景を楽しみながら江ノ電の走る姿を写真に収めました。

翌日は同じく藤沢駅でHello Cyclingを借りて和田塚駅近くの駐輪所まで。和田塚駅も何度か江ノ電の車内から見ていましたが、ホームを利用するのは初めてです。ホーム脇のちょっとした入口に都会の駅にはないほほえましさがあって好きです。

別の日には真鶴駅へ。お隣の根府川駅には2年前に訪れましたが、この辺りは交通の難所であり、駅の立ち姿にもどこか覚悟が感じられます。真鶴駅もホームよりも駅前のたたずまいと、荒井城址近くからみた姿がとても印象的な駅です。

最後の立場駅はお客様と一緒に拠点訪問で打ち合わせをした帰りに訪れました。横浜市営地下鉄はかつてセンター北駅や中山駅を訪問しましたが、それ以来。ここも駅前に広がるバスターミナルが印象を残します。コンコースも広くとられているのが好印象。


§  今月の酒楽 今月は余裕がなかったとはいえ、何度か飲み会には参加出来ました。

まず、一人で訪れた町田のアボットチョイスではシングルモルトを軽く(1/11)。とある案件でめどがついたことの祝杯でした。

さらに、一人で真鶴と小田原で仕事とプライベートを兼ねての旅の最後に小田原の裏通りにある「地酒とうまいもの 金時」で地元の隆の緑ラベルを(1/15)。これもうまかった。

今月のお酒のクライマックスは高知からのお客様と一緒に呑んだ六本木の「土佐しらす食堂二万匹」での一夜です(1/19)。高知の産物が美味しかったのですが、しらす酒がまた’おつ’で美味しかった。しらすの新たな魅力を教わった気分です。

さらに、その中の一人とアントンビー 龍土町店でシードルを美味しくいただきました。私このお店初めてだったのですが、シードルが流行るのではないかと数年前から思っていたので、また来たいと思います。

さらに、アントンビーの本店へ。最初に間違えて龍土町店に行ってしまったのですが、本店では数名の方々と合流し、さらに美味しいお酒を。私、相当酔っぱらってしまいました。翌朝の新幹線で名古屋に移動する必要があったというのに。幸いにしてつつがなく移動できましたが。

最後は「東京イーストサイド ホテル櫂会(カイエ)」です(1/24)。お酒はビール二杯程度に抑えましたが、普段お会いしない方や始めましての方など、関西大学の校友と飲む機会が貴重です。


§  今月の旅行 まずは正月の2日と3日に訪れた江の島・鎌倉です(1/2)(1/3)。初日は藤沢からHello Cyclingで自転車を借りて龍口寺まで自転車を走らせました。腰越駅を訪れ、小動神社や近隣のお寺を巡った後は、腰越海岸を歩きながら、弊社のあり方を考えました。江ノ島駅前のタリーズで腰を落ち着け、夜まで人事・評価・給与制度の検討をしていました。

その翌日、再び藤沢駅前のHello Cyclingで自転車を借り、江ノ電に沿って和田塚駅まで走らせました。今まで車では何回か通ったことのある稲村ケ崎にようやく訪れる事が出来たのはよかった。正月とは思えぬ暖かい日で、しばしの休日気分を味わいました。和田塚の近くで自転車を降りた後は歩いて若宮大路の大鳥居から、比企一族が滅んだ妙本寺を参拝し、さらに千葉一族の邸宅があったとされる妙隆寺を。さらに大蔵御所の脇から源頼朝の墓を詣で、白幡神社を参拝し、さらに大江広元、毛利季光、島津忠久の墓や北条義時の法華堂跡や三浦一族が三浦合戦で最後に討死したやぐら跡を観ました。さらにそこから、荏柄天神社を参拝し、さらに覚園寺へ。この覚園寺がとても良かった。そこへの道すがらには道路をウロチョロするリスにも出会えました。覚園寺はまた来たいと思います。締めに永福寺跡を見学してから、鎌倉駅まで戻りました。


二日間、鎌倉に通った理由は、人事・評価・給与制度を策定するためだけではありません。弊社の事務所開設や住居を構える引っ越し先の下見も含めてでした。将来は鎌倉に居を定めたいと思っています。特に覚園寺に近い二階堂のあたりには。今回、初めて墓参した大江広元はひょっとしたら私の先祖かもしれないので。そのご縁も感じながら。


続いて、別の日は新宿経由で方南町へ(1/8)。東京メトロが昨年からデジタルスタンプラリーを実施しており、仕事であちこちを訪れるたびにパシャリと撮っていました。1/31の時点で144駅中、36駅を訪問しています。今回、休日を利用して中野坂上からまだ訪れたことがなかった方南町までを乗りとおしました。
終点の方南町は数年前に友人と昼からお酒を飲んだ場所です。この近くで大崎八幡宮があり、まだ未訪問だったので足を伸ばしてみました。新年の参拝を済ませ、近所の和田堀公園を巡った後は、永福町の駅前のドトールで夜まで人事制度の完成を目指して仕事をしました

栃木への旅は、上にも書いた通り、今月唯一の家族での旅です(1/9)。
妻にとっては日光東照宮に訪れられず、悲しかったかもしれませんが、私は大谷資料館や餃子を家族に薦められたのがよかったです。昨年にBCP計画の一環で宇都宮に長期間滞在したことは今もまだ記憶に鮮やかですし、何か天変地異が起こった際は、本気で宇都宮に会社を移転させようと考えています。


真鶴・小田原の旅は、これもまた、事務所設置の一環で訪れました(1/15)。駅前は車で何度か通ったことがありますが、駅に降り立つのは初めて。坂を下りて真鶴町役場から海辺の方角へ。石橋山の合戦に敗れた源頼朝が再起をかけて安房へ船出した船出の浜を訪れました。今は岩大橋が景観のかなりを占めています。この橋も車では何度も通っていますが、こうやって下から見ると、安房へ旅立った頼朝公の心細さを感じることができます。
私はそこから真鶴の半島を歩き、港へ。ここでお店をいくつか巡ってみたのですが、海鮮料理のお値段に恐れをなし、途中で見かけた伊藤商店へ。ここ、知らずに入ったのですがデビッド伊東さんがご夫妻で営んでおられ、ご本人もいらっしゃいました。味もとても美味しかった。
私はさらに荒井城跡や真鶴の街並みを巡りながら、この地に住まいを構え、サテライトオフィスとして利用してもらう可能性にも思いを巡らせていました。
駅に戻ってから今度は小田原へ。小田原では年末に開催を検討しながら果たせなかったkintone Café 神奈川の開催候補を探しました。訪れたのが旧三福不動産という名前の付いたコワーキングスペース。まだ現役の不動産業務も営んでおられるそうですが、ここ、なかなか良かった。
私も今まで訪れたことのなかった小田原の場所を巡り、最後は裏路地にある「地酒とうまいもの 金時」で料理やらお酒をいただきました。


西尾・名古屋の旅は今月のハイライトです(1/20)(1/21)。安城のお客様の下を訪れ、二日間にわたって説明会を催しました。2月の第二週にリリースを控え、皆さんに説明を果たせたのは良かったです。
初日の昼は安城でも美味しい海鮮のお店へお連れ頂き、夜は名古屋までお客様の車に乗せてもらい、kintone Café 名古屋に参加しました。そして山本屋の味噌煮込みうどんを。夜は刈谷駅前の名鉄インに泊り、仕事の後に夜の仮や駅前を少し歩きました。

翌日の説明会の後、西尾の街にご案内いただきました。三水亭のうなぎを。ひつまぶしがとても美味しかったです。さらに西尾城址公園へ。ここの旧近衛邸の茶室で金の茶碗で喫するお茶も美味しく。この辺りは、民度が高いのか、こうした場所が多いことに驚きます。昨年も安城の丈山苑でも同じような体験をさせていただきました。


西尾城も素朴でとてもよかったです。西尾はほぼ初訪問に近かったですが、なかなか住みよい街だという印象を受けました。最後にお連れ頂いた晴月園でいただいたイチゴ大福は私が今まで食べたものでも筆頭のおいしさでした。

道中も三河の土地柄や文化など、さまざまな事を教えてくださいました。楽しい旅ができたことに感謝です。

お客様に刈谷駅まで送っていただいた後は、二人で名古屋へ。名古屋駅で別れ、私はそこから東山公園のお客様で商談を。
夜は名古屋駅のうまいもん通りにあるあんかけスパゲッティのチャオで。この二日間、名古屋の食い倒れになりそうになりつつ、素晴らしい旅が過ごせました。お客様をはじめ、名古屋の皆さんとのご縁が感じられた二日間でした。感謝です!


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は五カ所。「稲村ヶ崎公園(1/3)」「和田堀公園(1/8)」「岩ビーチ(1/15)」「西尾市歴史公園(1/21)」「世田谷区立 喜多見農業公園(1/22)」

・美術館はゼロカ所。

・駅は四駅。「腰越駅(1/2)」「和田塚駅(1/3)」「真鶴駅(1/15)」「立場駅(1/27)」

・滝はゼロカ所。
・温泉はゼロカ所。
・山はゼロ山。
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は八カ所。「小動神社(1/2)」「船玉神社(1/3)」「白旗大明神(1/3)」「荏柄天神社(1/3)」「大宮八幡宮 表参道(1/8)」「大宮八幡宮(1/8)」「日光東照宮(1/9)」「津島神社(1/15)」「喜多見 氷川神社(1/22)」

・寺は十カ所。「龍口寺(1/2)」「五重塔(1/2)」「仏舎利塔(1/2)」「日蓮宗 本龍寺(1/2)」「妙本寺(1/3)」「妙隆寺(1/3)」「覚園寺 地蔵堂(1/3)」「覚園寺(1/3)」「大谷観音 (大谷寺)(1/9)」「慶元寺(1/22)」

・教会はゼロカ所。
・史跡は二六カ所。「和田塚(1/3)」「石造宝篋印塔 (伝畠山重保墓塔)(1/3)」「鶴岡八幡宮 大鳥居 (一の鳥居)(1/3)」「比企能員一族之墓(1/3)」「日蓮上人辻説法跡(1/3)」「土佐坊昌俊邸址(1/3)」「北條執権邸舊蹟(1/3)」「大蔵幕府舊蹟(1/3)」「法華堂跡 – 源頼朝墓・北条義時墓(1/3)」「源頼朝墓(1/3)」「三浦泰村一族墓所(1/3)」「島津忠久墓(1/3)」「大江広元墓(1/3)」「毛利季光墓(1/3)」「永福寺跡(1/3)」「鞍掛けの松(1/8)」「天狗の投石(1/9)」「平和観音(1/9)」「大谷石採石場跡(1/9)」「石工先祖の碑(1/15)」「謡坂(うたい坂)(1/15)」「源頼朝船出の浜(1/15)」「品川台場礎石乃碑(1/15)」「しとどの窟(1/15)」「北条氏政・氏照の墓所(1/15)」「旧近衛邸(1/21)」

・博物館は二カ所。「大谷資料館(1/9)」「真鶴町民俗資料館(1/15)」

・遺跡はゼロカ所。
・城は二城。「荒井城址公園(1/15)」「西尾城址(1/21)」

・灯台はゼロカ所。

・動物園はゼロか所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは二枚。「神奈川県小田原市(1/15)(1/15)」
・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
ところが、今月は訪れた場所の数はとぼしく、上に書いた通りほとんどが伊丹です。こうしている間にまた一つ私の人生の残り月が減ってしまいました。

加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。咋秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。

今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、一昨年の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。

そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を15句。いずれもツイートまとめに載せています。

一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


2022年のまとめ(個人)


今年も一年のまとめを書きます。
年のまとめも同様に法人と個人に分けて書きます。

公私の「私」

●家族との一年
§ 総括 目次 今年は次女の卒業と就職、そしてハードな職場で体調を壊し、退職したことがトピックです。また、私の二度目のコロナ感染も加えてもよいでしょう。

一昨年に手術した妻は、自分で経営する歯医者に加え、弟さんの診療所も手伝うようになり、忙しくしています。
さらには、相変わらず宝塚の代表がやめられず、余計にバタバタしているようです。

私は売り上げが倍増し、忙しくなったため、娘たちに会社を手伝ってもらう方向で動いています。
娘たちも社会にうまく入る方法を見つけられればよいのですが、子育てとしては一段落し、社会人としてのサポートを親としてどうするかでしょう。しっかりしてくれているようなので、安心しています。

§ 娘たちに何ができたか 目次
妻とは以下のような場所を訪れました。(主な場所)
2月 カフェCreatea、摩利支天 徳大寺
3月 KAAT 神奈川芸術劇場、上海小龍包専門店 鵬天閣 新館、海の公園、横浜・八景島シーパラダイス、アクアミュージアム
4月 サニーサイドキッチン、森戸神社、農産物直売所 すかなごっそ、リバイバルカフェ
6月 Q CAFE by Royal Garden Cafe、ニクバル CARNIVOR
7月 ふぐだし潮 八代目けいすけ
8月 鬼太郎茶屋、深大寺、元祖 嶋田家、東伏見稲荷神社、大國魂神社
11月 スナックジョイゾー、厳島神社、野島埼灯台、絶景 朝日と夕陽が見える岬、波除稲荷神社
12月 PORTA INN 谷町九丁目、近鉄百貨店 上本町店、エディオン 近鉄上本町店、新歌舞伎座、レム新大阪、華林、青山ブックセンター、FICO & POMUM JUICE CAFE


妻とは遠方の旅は大阪で観劇をともにしたくらいでしょうか。他にも三浦半島、都内や首都圏のあちこちなど。
後は弊社の事業に関心を持つようになったことでしょうか。妻もいろいろな事に手を出してきてうまく行かず、ようやく本筋を考えるようになったということでしょう。

§ 娘たちに何ができたか 目次
妻と長女とは以下のような場所を訪れました。(主な場所)
2月 La Ohana、ホテルJALシティ関内横浜、町田調理師専門学校
3月 薬師池公園、野津田薬師堂、薬師池公園 梅園、鶴岡八幡宮、丸山稲荷社、旗上弁財天社
5月 山梨宝石博物館、河口湖オルゴールの森美術館、ほうとう不動 東恋路店、道の駅 かつやま、小海公園
7月 グリルフクヨシ 町田店
8月 THE CITY BAKERY NEW YORK GRILL、Sizzler、ミライ 南インド料理、美ヶ原高原、おおぎやラーメン 丸子店、道の駅 美ヶ原高原、グランサイファーキッチン、ぎょうざの満州、アリオ橋本、角上魚類、とりバックス、沖縄宝島、モニカ&アドリアーノ
11月 BALLPARK BURGER &9、薬師池公園、薬師池公園 水車小屋、町田薬師池公園四季彩の杜 ウェルカムゲート

妻と次女とは以下のような場所を訪れました。(主な場所)
1月 蕎麦いまゐ、青山通り不動産、Royal Garden Cafe
2月 ファーストハウジング代々木店

長女とは以下のような場所を訪れました。(主な場所)
5月 BigBoy 黒川店

次女とは以下のような場所を訪れました。(主な場所)
6月 サンシャインシティ、グランドシネマサンシャイン
8月 Monmouth Tea
12月 株式会社ジョイゾー、新潟発祥 なおじ 東陽町店

長女と次女とは以下のような場所を訪れました。(主な場所)
12月 pop mart、グランドシネマサンシャイン、サンシャインシティアネックス


今年は次女が卒業し、就職したもののミシュラン一つ星のハードな職場に体調を崩してしまいました。世の中の苦しさを実感してくれたようです。
長女もイラストレーターとして活動しながら、その後は就職せずに宝塚のグッズ作成などのイラスト作成の仕事をこなしています。
娘たちが進路を決めるにあたり、私も妻も意向を押し付けていません。本人たちの人生なので、本人たちがやりたいことを学ぶ道を選んでくれたのは嬉しいできごとでした。助言者としての親でありたいとの思いは貫けたと思います。これからも娘たちの進む道を示すガイドでありたいと思いますが、今年は残念ながら反面教師だったかもしれません。

§ 長女の一年 目次
長女は、中学生の頃から個人事業主として営んでいるイラストの仕事もぽつぽつと頂けているようです。
妻が不在がちだったわが家において、実質、家を仕切ってくれているのは長女です。年ごろのため不安定だったところもだいぶ改善されてきました。
だ、まだ自立できているとはいえません。11月に開催されたCybozu Days 2022では、昨年に続いて弊社ブースのパネルを作ってくれましたし、少しずつ大人の社会に慣れていってもらおうとしています。飲み会にも二度呼びました。
引き続き長女には期待しています。来年からは弊社に参加してくれることになりました。

§ 次女の一年 目次
次女は在学中はとても頑張っていました。アルバイトも。
ところが卒業して就職した職場は、娘の想像以上にハードであり、朝までの仕事が連続する中、半年後に倒れてしまいました。泣かされたりもしょっちゅうだったといいます。
2カ月、療養した結果、独りで退職の意思とあいさつにうかがってきたようです。
私も次女の利点を生かせるようにするため、Cybozu Daysに来てもらったり、飲み会にも二回参加してもらったり、スナックジョイゾーにも呼んでみました。その長所が、いい方向に本人の人生を導いてくれることを確信しています。

§ 家族の一年 目次
家族とは以下のような場所を訪れました。(主な場所)
1月 春日神社、ぐりーんうぉーく多摩、ギョウザの萬金
2月 アリオ橋本、
3月 よこはま動物園 ズーラシア、新宿御苑
4月 KABOCHA
5月 オールドヒッコリー
8月 御殿場プレミアム・アウトレット、木の花の湯、ボン・マルシェ
9月 カラオケまねきねこ、南町田グランベリーパーク
10月 箱根ガラスの森美術館、現代ガラス美術館 Modern Glass Museum、とりバックス
11月 ボン ヴォヤージュ、Glocal Food Bazaar、Rainforest Cafe、幕張メッセ、山傳丸、グランブッフェ、ベイサイド金谷、木村ピーナッツ、野島崎公園、房総半島最南端の地、道の駅 保田小学校、金谷海浜公園、地魚回転寿司 船主総本店
12月 ハノイマチベトナムレストラン、Café & Rotisserie La Cocorico、日本百貨店 あかれんが、ローカルインディア、田奈恵みの里 四季菜館、ららぽーと横浜、特選ダイニング FOURSYUN、こまり、Cheese & Doria.sweets、グランドシネマサンシャイン、ドン・キホーテ 新宿明治通り店


次女が就職したこともあり、半年間は家族での行動はできませんでした。
その前後には次女の希望もあって家族であちこち行きました。来年はどういう行動が一緒にできるか。考えていきたいと思います。

§ 年表 目次
私の個人の活動については、各月のページに書いた通りです。
以下は訪れた場所を列挙しています。

訪れた都道府県を挙げると、東京都、神奈川県、大阪府、千葉県、兵庫県、栃木県、北海道、高知県、岐阜県、埼玉県、群馬県、静岡県、愛知県、長野県、奈良県、岡山県、山梨県です。計十七都道府県。

訪れた公園は五三園
「薬師池公園(1/24)(3/2)(3/12)(3/14)(7/11)(7/13)(7/16)(7/30)(8/2)(8/22)(9/11)(11/27)」「都立八国山緑地(1/29)」「海の公園(2/18)(3/19)(3/20)」「泉の森(2/20)」「世田谷区立 喜多見農業公園(2/26)」「薬師池公園 梅園(3/2)(3/12)(3/24)」「宇都宮城址公園(3/5)」「大谷公園(3/6)」「大谷景観公園(3/6)」「横浜・八景島シーパラダイス(3/20)」「小松川境川親水公園(3/30)」「小松川千本桜(3/30)」「幸ヶ谷公園(4/9)」「佐倉城址公園(4/12)」「薬師池公園 蓮園(4/17)(5/15)(10/18)(12/14)」「札場河岸公園(4/20)」「おせん茶屋公園(4/20)」「安城城址公園(4/30)」「丈山苑(5/1)」「太田宿 渡しの広場(5/2)」「小海公園(5/8)」「上野恩賜公園(5/9)」「狛江水辺の楽校(5/14)」「金井遊歩公園(5/16)」「震生湖公園(5/22)」「千鳥ヶ淵公園(5/22)」「鶴亀松公園(5/28)」「十二所果樹園(6/5)」「高知公園(6/10)」「岡豊山歴史公園(6/12)」「奈良公園(6/13)」「名主の滝公園(7/2)」「音無親水公園(7/2)」「飛鳥山公園(7/2)」「数寄屋橋公園(7/10)」「日比谷公園(7/10)」「等々力渓谷公園(7/17)」「山下公園(7/18)」「懐徳館庭園(7/26)」「野津田公園(7/30)」「桐生が丘公園(8/7)」「銅親水公園(8/7)」「当麻山公園(8/28)」「三段の滝展望公園(8/28)」「磯部頭首工公園(8/28)」「町田ダリア園(9/11)」「啄木ゆめ公園(9/23)」「武庫川パークロード(10/1)」「甲子園浜海浜公園(10/2)」「西武庫公園 (交通公園)(10/4)」「西宮震災記念碑公園(10/5)」「野島崎公園(11/21)」「金谷海浜公園(11/21)」「サザエさん公園 (桜新町一丁目緑地)(11/25)」「町田薬師池公園四季彩の杜 ウェルカムゲート(11/27)」「町田ぼたん園(12/14)」「和泉多摩川河川敷(12/29)」

訪れた滝は十八滝
「対島の滝(1/9)」「泉の滝(2/20)」「阿弥陀ヶ滝(5/3)」「五稜滝(5/3)」「霧ケ滝(5/3)」「魚返橋の滝(5/3)」「朝夷奈ノ滝 / 三郎の滝(6/5)」「大樽の滝(6/12)」「小樽の滝(6/12)」「轟の滝(6/12)」「名主の滝(7/2)」「不動の滝(7/17)」「喜多見不動堂の滝(7/24)」「名もなき滝(8/7)」「小中大滝(8/7)」「オシンコシンの滝(9/25)」「三段の滝(9/25)」「カムイワッカ湯の滝(9/25」

訪れた駅は三三駅
「城ヶ崎海岸駅(1/9)」「伊豆高原駅(1/9)」「八景島駅(2/18)」「相模大塚駅(2/20)」「宇都宮駅(3/5)」「南宇都宮駅(3/5)」「鶴田駅(3/6)」「神奈川駅(4/9)」「八街駅(4/12)」「碧海古井駅(4/30)」「美濃太田駅(5/1)」「美濃太田駅(5/2)」「北濃駅(5/3)」「甲陽園駅(5/4)」「岡山駅前電停(6/9)」「堀詰停留場(6/12」「日下駅(6/12)」「高知駅前停留場(6/12)」「飛鳥山停留所(7/2)」「等々力駅(7/17)」「西桐生駅(8/7)」「水沼駅(8/7)」「足尾駅(8/7)」「間藤駅(8/7)」「通洞駅(8/7)」「釧路駅(9/24)」「知床斜里駅(9/25)」「網走駅(9/25)」「原生花園駅(9/25)」「止別駅(9/25)」「道場駅(10/8)」「甲子園駅(10/9)」「榎戸駅(10/29)」

参拝した神社は五一社
「春日神社(1/1)(4/11)(12/29)」「大室山 浅間神社(1/9)」「揚辻稲荷神社(2/17)」「八雲神社(2/20)」「喜多見 氷川神社(2/26)」「宇都宮二荒山神社(3/4)」「鶴岡八幡宮(3/19)」「丸山稲荷社(3/19)」「旗上弁財天社(3/19)」「小野神社(3/27)」「大國魂神社(3/28)(8/12)(10/12)(11/17)」「麻賀多神社(4/12)」「東小松川 香取神社(4/15)」「神明宮(4/20)」「森戸神社(4/24)」「畜霊社(4/24)」「水天宮(4/24)」「おせき稲荷社(4/24)」「和田八雲神社(4/24)」「前谷白山神社(5/3)」「日吉神社(5/6)」「七面社(5/7)」「小野神社(5/22)」「出雲大社 相模分祠(5/22)」「祖霊社(5/22)」「白笹稲荷神社(5/22)」「熊野神社(6/5)」「轟神社(6/12)」「耳の神様(6/12)」「麻賀多神社(6/25)」「王子稲荷神社(7/2)」「八幡八雲神社(7/8)」「横山神社(7/8)」「明治神宮(7/28)」「織姫神社(8/7)」「桐生西宮神社(8/7)」「東伏見稲荷神社(8/12)」「下磯部御嶽神社(8/28)」「栄徳稲荷大神(9/7)」「西宮神社(9/29)」「鳴尾八幡神社(10/2)」「素盞嗚神社(10/2)」「岡太神社(10/3)」「塞神社(10/5)」「有鹿神社(10/23)」「有鹿天神社(10/23)」「三王三柱神社(10/23)」「一之宮天満宮(10/23)」「厳島神社(11/21)」「神田明神(11/26)」「波除稲荷神社(11/27)」

参拝した寺は二六寺
「安全寺(1/3)」「摩利支天 徳大寺(2/1)」「泉龍禅寺(2/4)(4/6)」「慶元寺(2/26)(7/9)」「大谷観音 (大谷寺)(3/6)」「弁天堂の白へび(3/6)」「多氣山不動尊(3/6)」「清巌寺(3/10)」「野津田薬師堂(3/12)(9/11)(10/18)」「東福寺(4/20)」「龍興山 祐泉寺 (美濃三十三観音第27番)(5/2)」「悲願寺(5/3)」「阿弥陀堂(5/3)」「正玄寺(5/5)」「洞昌院(5/22)」「常林寺(6/5)」「滝不動尊(7/17)」「等々力不動尊(7/17)」「湯島聖堂(7/20)」「喜多見不動堂(7/24)」「光明寺(8/7)」「深大寺(8/12)」「時宗 当麻山 無量光寺(8/28)」「能徳寺(8/28)」「安国論寺(9/3)」「高野山真言宗 海老山満蔵寺総持院(10/23)」

参拝した教会は二箇所
「カトリック松が峰教会(3/6)」「夙川カトリック教会(9/29)」

登った山は六山
「大室山(1/9)」「御止山(3/6)」「多氣山(3/6)」「岡豊山(6/12)」「美ヶ原 王ケ頭(8/11)」「七国山(9/11)」

攻城した城は十四城
「深見城跡(2/20)」「宇都宮城(3/5)」「多気城跡(3/6)」「佐倉城跡(4/12)」「安祥城跡(4/30)」「富松城跡(5/5)」「塚口城跡(5/5)」「成瀬城跡(5/29)」「高知城(6/10)」「岡豊城(6/12)」「磯部城跡(8/28)」「海老名氏霊堂(海老名城跡)(10/23)」「梶原景時館跡(10/23)」「有岡城跡(12/4)」

訪れた史跡は七〇カ所
「伊東祐親の墓(1/9)」「久米川古戦場跡(1/29)」「将軍塚(1/29)」「白旗塚(1/29)」「小手指ヶ原古戦場(1/29)」「誓詞橋(1/29)」「安宅家の人々(2/20)」「深見歴史の森(2/20)」「佐倉市武家屋敷(4/12)」「旧武居家住宅(4/12)」「児玉源太郎旧宅跡(4/12)」「旧但馬家住宅(4/12)」「旧河原家住宅(4/12)」「修静居 跡(4/12)」「大手門跡(4/12)」「空堀(4/12)」「畠山重忠公遺烈碑(4/14)」「松尾芭蕉文学碑(4/20)」「草加宿芭蕉庵(4/20)」「草加せんべい発祥の地碑(4/20)」「草加宿 清水本陣跡(4/20)」「千貫松(4/24)」「和田義盛旧里碑跡(4/24)」「七ツ井(4/30)」「丈山苑(5/1)」「太田宿 渡しの広場(5/2)」「旧太田宿本陣門(5/2)」「中山道 太田宿(5/2)」「前谷村定次郎顕彰碑(5/3)」「JR福知山線脱線事故追悼施設 祈りの社(5/5)」「西郷隆盛像(5/9)」「サトウハチロー旧居跡 (文京区弥生)(5/9)」「太田道灌の墓(5/22)」「上総介塔(6/5)」「朝夷奈切り通し (横浜側) 入口(6/5)」「朝夷奈切通し(6/5)」「梶原太刀洗水(6/5)」「板垣退助先生像(6/10)」「山内一豊妻の銅像(6/10)」「山内一豊公之像(6/10)」「旧JR奈良駅舎(6/13)」「畠山重忠古戦場跡(6/24)」「佐倉市武家屋敷(6/25)」「ひよどり坂(6/25)」「洋紙発祥の碑(7/2)」「多摩川決壊の碑(7/3)」「横山党根拠地(7/8)」「姫之橋(7/17)」「孔子銅像(7/20)」「鎮魂の碑(7/20)」「立松和平顕彰碑(8/7)」「間藤水力発電所跡(8/7)」「美しの塔(8/11)」「一遍上人像(8/28)」「上磯部の土塁(8/28)」「西国街道 髭の渡し(10/1)」「西国街道 髭茶屋(10/4)」「小説火垂るの墓 誕生の地(10/5)」「鳴尾球場跡地(10/9)」「国司館と家康御殿史跡広場(10/12)」「海老名氏記念碑(10/23)」「海老名氏霊堂(10/23)」「有鹿之池(10/23)」「有鹿井(10/23)」「八角広場 (旧国鉄西寒川駅跡地)(10/23)」「梶原氏一族郎党 (七士) の墓(10/23)」「梶原景時館跡(10/23)」「旧相模川橋脚(10/23)」「薬師池公園 水車小屋(11/27)」「伊丹郷町館 旧岡田家住宅(12/4)」

訪れた遺跡は一カ所
「猪方小川塚古墳(8/25)」

訪れた博物館は十九館
「狭山市立博物館(1/29)」「宇都宮城ものしり館(3/5)」「まちあるき情報館(3/5)」「清明館(3/5)」「大谷資料館(3/6)」「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム(3/19)」「佐倉城址公園センター(4/12)」「安城市歴史博物館(4/30)」「山梨宝石博物館(5/8)」「日本サッカーミュージアム(7/20)」「相模原市立博物館(8/28)」「大丸ミュージアム・梅田(9/9)」「港文館(9/23)」「釧路湿原野生生物保護センター(9/24)」「知床世界遺産センター(9/25)」「甲子園歴史館(10/9)」「明治大学博物館(11/26)」「明治大学阿久悠記念館(11/26)」「I/M 市立伊丹ミュージアム(12/4)」

訪れた美術館は八館
「河口湖オルゴールの森美術館(5/8)」「佐倉市立美術館(6/25)」「美ヶ原高原美術館(8/11)」「笹倉鉄平版画ミュージアム(9/4)」「ぎゃらりー桜株(9/4)」「箱根ガラスの森美術館(10/16)」「現代ガラス美術館 Modern Glass Museum(10/16)」「長谷川町子美術館(11/25)」

訪れた水族館は二館
「アクアミュージアム(3/20)」「桐生が岡公園水族館(8/7)」

訪れた動物園は一園
「桐生が岡動物園(8/7)」

訪れた土木遺産はゼロカ所

訪れた酒蔵は三蔵
「御代桜醸造(5/2)」「浜福鶴吟醸工房(5/5)」「老松酒造(12/4)」

訪問した灯台は二基
「今津灯台(10/2)」「野島埼灯台(11/26)」

浸かった温泉は五湯
「多摩境天然温泉 森乃彩(1/31)」「天然温泉 紺碧の湯 ドーミーイン高知(6/9)(6/10)(6/11)」「水沼駅温泉センター(8/7)」「木の花の湯(8/18)」「天然温泉 幣舞の湯(9/23)」

入手したマンホールカードは二一枚
「埼玉県狭山市(1/29)」「栃木県宇都宮市(3/3)」「栃木県宇都宮市(3/5)」「埼玉県草加市(4/20)」「埼玉県草加市(4/20)」「岐阜県美濃加茂市(5/2)」「岡山県岡山市(6/9)」「奈良県奈良市(6/13)」「神奈川県横浜市(6/24)」「千葉県佐倉市(6/25)」「神奈川県川崎市(6/26)」「群馬県桐生市(8/7)(8/7)」「群馬県みどり市(8/7)」「神奈川県相模原市(8/28)」「北海道釧路市(9/23)」「北海道斜里町(9/25)」「東京都府中市(10/12)」「千葉県千葉市(10/29)」「千葉県千葉市(11/9)」「兵庫県伊丹市(12/4)」

訪問したダムは一カ所
「足尾砂防堰堤(8/7)」

入手した御城印は二枚
「宇都宮城(3/5)」「佐倉城(4/12)」

入手した御宿印は一枚
「草加宿(4/20)」


2022年9月のまとめ(法人)


令和四年九月。

先月末はコロナの感染者数が増加の一方でした。今月に予定されていたイベントもまたオンラインになってしまうのか、と恐れていました。
ですが結果よければ全て良し。いくつものイベントがリアルで行われ、私もその主催者や参加者としてとても貴重なご縁をいただくことができました。

世界はまだ、安住を許しません。ですが、私たちは私たちのやるべきことをやるだけです。今の日本の低落傾向を押し止め、日本のもつポテンシャルを生かすにはどうすれば良いか。
今月に出たさまざまなイベントは、私にそのことを指し示してくれました。風が吹いています。

ただし、その状況に慢心してはなりません。弊社には、まだまだ課題が山積みです。

昨年の反省を真摯に踏まえ、弊社がこれからも生き延びていけるよう、努力を続けます。
一見すると成果は出ており、順調に見えます。が、油断してはなりません。案件が積み重なっており、それが逆にリスクにもなっています。

達成度3割。達成感7割。満足感7割。それが今月の代表自身の自己採点です。

幸先がよかったとはいえ、その状況に甘んじず、足元を固めて進みたいと思います。
弊社とご縁をいただいたすべての方々に感謝します。ありがとうございました。

●弊社の業績

§ 総括 九月度の売上は目標額を下回っています。

今月は検収に至れる案件がなかったからです。二つほど10月頭から動く案件があります。が、その金額は事前に頂いています。
その一方で、今月もいくつかの引き合いを頂きました。本当にありがたいことです。

弊社メンバーもがんばってくれています。四人体制で乗り切れるかは、これからの頑張りです。

四月から取り組み始めたある半常駐の案件も、メンバーが頑張ってくれています。雇用して一年半、ようやく独り立ちしてくれそうなところまできました。
それによって、私が半常駐先に行く日数を大きく減らすことができました。そして、私が組織全体のDX推進に向けて提案ができるような体制ができつつあります。
そのメンバーは別の複数の案件も頑張ってくれています。
おかげでkintoneの中で完結できる案件については、うちのメンバーだけで回るようになりつつあります。日によっては代表が打ち合わせに出なくても、うちのメンバーだけでお客様と打ち合わせて進めてくれることもあります。とても助かっています。

ただ、今の案件の数はうちのメンバーだけではこなせない量になりつつあります。メンバーの開発スキルは確実に上がっています。が、それ以上に案件の量が増えています。
今期の売り上げの予想額も算出しました。、場合によってはパートナー技術者にも関わってもらう方向です。もちろん弊社メンバーにも必ず案件をやり遂げられるようなスキルを身に付けてもらわねばなりません。

今月は弊社にとって以下のようなトピックがありました。
・kintone Café 神奈川 Vol.13 & SORACOM UG TOKYOの合同イベントを鎌倉の安国論寺にて代表が主催し、弊社メンバーやパートナー企業の方、お客様などにお越しいただきました。
・代表が郡山地域クラウド交流会 in メタバースに参加し、メタバースの可能性への知見を溜めました。
・チーム応援カフェ「部活動」に弊社代表が登壇し、伴走で関わっている法政大学アメリカンフットボール部の矢澤様よりお褒めいただきました。
・代表がkintone カイゼンマネジメントエキスパート試験に落ち、kintone資格コンプリートの機会を逃しました。
・代表がSORACOM IOT SALES FOR SPSに受かりました。
・高知のカミノバさんとチーム カミノビットとして予選に臨んだkintone hackですが、残念ながら本選には進めませんでした。
・Community Leaders Summit 道東に参加し、多くの方と貴重な知見をいただきました。

実績を出しつつ、日常も充実させるための工夫。それらは全て、代表の求めるワークライフバランスの実現につながってゆくと信じています。引き続きよろしくお願いいたします。

§ 業務パートナー 今月もまた、新たなSaaS様との間で機密保持契約を締結しました。

まだ、以前から懇意にしているパートナー企業の技術者さんには、弊社の定例ミーティングに先月末から参加してもらっています。
複数の案件に関わってもらっているからです。
来年3月の期末まで、さらにその先も弊社案件に関わってもらう予定です。

先々月から、経理や財務諸表の見直しを行い、五年間の長期計画を考えました。その中で経費として外注費をどう考えるかも検討しました。
かつて、外注費をSES業界の割合で設定していた失敗がありました。それを含めてパートナーさんとの外注費も見直し、業務の丸投げはしないように考えました。

リモート体制でも指示がきちんと伝えられるよう、ツールの整備には引き続き取り組んでいきます。

§ 開発案件 今月は九割の開発案件がkintoneがらみでした。
ありがたいことに2,3,4月に頂いたたくさんの案件の実装作業が続いていまさ。それに並行して、週一、二件の頻度で新たな案件のお話をいただけています。感謝ですね。

今、動いている案件が30件ほど。他にも二ダースほど準備が進んでいる案件があります。それらをどのようにこなしていくか。それが今の課題です。
今、弊社が取り扱っているシステムはkintoneをベースにGmail、Google Calendar、Zoom、HubSpot、ChatWork、Slack、freee、freeeサイン、マネーフォワード、スマレジ、LINE、Benchmark、box、Stripe、サブスクペイ、AWS、各種CMS、その他です。
案件によってはパートナー社や技術者さんと一緒に構築し、私や弊社の技術顧問の方も実装に取り組みながら日々の開発に取り組んでいます。

経営者がワーカーとして奔走しているようでは社の発展は望めません。長期計画やビジョンを決め、経営に真摯に取り組み始めた今だからこそ、強くそのことを感じます。
代表が経営に時間を割けなくなると大所が見えなくなります。それは経営上のリスクとなってしまいます。
弊社を発展させるためにも、なるべく代表が手を動かすことなく案件を回すようにしなければ。
うちの内部には、代表は来春をもって実装作業から手を離すと伝えています。営業やブランディング、経営にシフトすると。
ただし、新たな概念や実装についてはきちんと追わなければ経営の判断を誤ります。そうした案件のみ携わる方向性で考えています。

今月は代表がお客様の多くの社員様の前で研修講師を務めました。リアルが30人、オンラインが60人ほどの。

また、大阪のお客様で二年ほど取り組んできた案件の最終テストと切り替えで二回大阪に行きました。

来月も、引き続き弊社メンバーの教育も兼ねた案件に注力していきながら、体制構築に邁進します。

§ 財務基盤の堅牢化 財務をきっちりすること。前からの課題です。
弊社としては問題ないのに、家計が絡むととたんに脆弱になる。
この点は弊社の長年の課題でした。

また、東京都中小企業振興公社の人財アドバイザーの方に昨年末よりアドバイスを受けています。この方から五年後の弊社の目指すべき姿を作るように言われ、SWOT分析をはじめ、売上や経費の計画をきちんと作成しました。税理士の先生にも手伝っていただきながら。
弊社代表が苦手意識を持ち、長年遠ざけていたこれらの作業。これらの作業から目を背けては経営に取り組めない。そのように覚悟を決めました。

§ 社内体制 昨年の師走に、社是、企業理念、経営理念やスローガンを見直しました。メンバーが離任した理由に、肝心な部分の価値観のずれがあったためです。そこで年始にあたり、三人でもう一度忌憚のない意見を交わしながら、それらを練り直しました。以下に掲示します。

企業理念
「情報技術を生かして、
正直に、飾らずに、自分、家族、パートナー、お客様、地域に寄り添う」

経営理念
「一期一会の儲けよりお互いが継続して協業できる幸せを」

9つ(ナイン)の「ない」
「組織図はない」
「タイムカードない」
「ノルマは設けない」
「多数決で決めない」
「社長室は作らない」
「肩書きもいらない」
「皆が経営者の行い」
「定年は強制しない」
「雑談は惜しみない」

アクアビットに合う方
「家族を大切にする気持ちのある方」
「仲間を大切にできる方」
「笑顔のある方」
「まず肯定から入る方」
「夢を持ち続ける方」
「人の話を聴ける方」
「人間が好きな方」
「可能性を信じる方」
「自分が好きな方」
「自分で仕事を見つける方」
「会社に滅私奉公せず公私を大切にする方」

メンバーの募集を出した時と考え方の軸はぶれていません。

昨年の師走より、東京都中小企業振興公社の方に人財制度についてのアドバイスを受けています。
そのアドバイザーの方から作成するようにと指示された、5年後の弊社を見据えたビジョンや課題の解決策は、上記の各理念をより細かく詰めたものです。文章や財務上の数値、目標の形で具体的に表しています。
それらはメンバーにも見せ、説明もしています。また、メンバーからは課題も提出してもらいました。

5年後に向けた体制構築に向け、まずは代表が実装作業から手を引くことに決めました。
営業とブランディングと総務その他の経営に注力します。
教育について、ソース管理について、より効率的で堅牢な仕組みづくりが欠かせません。

§ 人脈の構築 今月は外出や打ち合わせを何度も行い、リアル商談を数多く行いました。
お客様とのリアル商談は約5回です。オンライン商談はざっと数えたところ約41回ほどです。
今月、頂戴した名刺は82枚です。

今月はkintone Café 神奈川 Vol.13 × SORACOM UG 東京とSPSビジネスマッチング会とスナックジョイゾーとCLS道東という大きなリアルイベントへの参加が続きました。
これらを通じてまた面白いお仕事や次の展開に繋がっていきそうです。

皆さんとの熱いつながりが次の案件につながり、お互いが望むビジネスと人生につなげる。
まさに弊社が望むところです。
今月はそのご縁の強さと広がりをまざまざと感じました。
引き続きよろしくお願いいたします。

§  対外活動 今月はこちらのイベントに参加しました。kintone Café 神奈川 Vol.13 & SORACOM UG 東京(9/3)。SPSビジネスマッチング会(9/9)。kintoneエバンジェリスト活動共有会 + 新メンバー交流会2022(9/14)。スナックジョイゾー Vol.7(9/16)。郡山地域クラウド交流会 in メタバース(9/17)。kintone Hack 2022予選会(9/20)。チーム応援カフェ「部活動」(9/21)。CLS道東前夜祭(9/22)。CLS道東(9/23)。大人の遠足(9/24)。

今月は、大型イベントが続きました。
kintone Café 神奈川 Vol.13 & SORACOM UG 東京は鎌倉の安国論寺でお寺Caféとして開催しました。普段のkintone Caféの雰囲気とは違って新鮮な空気で行えました。代表が司会進行とセッションを一つ担当しました。
SORACOMさんからも多数の方が出席してくださました。SORACOMエバンジェリストのMaxさんの語った内容は、私にとって大変参考になりました。座右のLTにしたいほどの。
kintone Café 神奈川 Vol.13を開催しました

またスナックジョイゾーでは、kintoneのエコシステムを共に作るジョイゾーさんの会社に初訪問しました。
Mr.kintoneの異名を持つ四宮さんは、今の弊社が目指す目標です。規模感や社風、インテリアなどとても参考になりました。アイスブレイクの作り方なとも含めてとても刺激になりました。
9月20日 リアルの場とサポーターの必要

また、その時にいらっしゃらなかった四宮琴絵氏さんが準備に勤しんでおられたのがCLS道東。
私の高知→鎌倉→大崎→東陽町のご縁をへて釧路まで飛び、参加させていただきました。これがまた素晴らしいご縁を多々いただきました。公私ともに素晴らしい時間を過ごすことができました。皆様には感謝です。
ブログが今月中に間に合わなかったので、来月早々にアップします。
9月26日 何かを変えたい熱意は通じる
9月27日 伸び代は伸び代のある場で
9月28日 ワーケーションは人が必要

他の活動はオンラインが主です。その中でもチーム応援カフェは、弊社が伴走開発で関わらせて頂いている法政大学アメリカンフットボール部の矢澤様と一緒に登壇しました。弊社は伴走者なのであくまでもメインは矢澤様であり、それほど多くは語っていません。ですが、そのなかで矢澤様より長井に頼んでよかったと言ってくださったことは自信になりました。

弊社の開発のお仕事はこうした対外活動から生まれています。
代表自身による新たな交流を発信することは絶対に怠ってはならないと肝に銘じています。

コロナが小康状態になり、リアルのイベントも増えつつあります。また皆様と交流を深めたいと思っています。
まずは今月の弊社と関わっていただいた皆様、誠にありがとうございました。


§ 執筆活動 以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップし直す作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記-エンジニアによる発信」)
私がキャリアを構築する上で、発信が大きく身を助けてくれました。発信についてあれこれをつづっています。

今月、書いた本のレビューは2本(
本格小説 上
本格小説 下

今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは1本(
kintone Café 神奈川 Vol.13を開催しました
) 。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、先月から毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

8月30日 8月30日 技術説明動画の改善点とは
8月31日 8月31日 kintoneとIoTの可能性を探る
9月1日  9月1日 心理的安全性は容易く成せない
9月2日  9月2日 災害は今、私達の未来を脅かして
9月5日  9月5日 アウトプットは自分のためにやる
9月6日  9月6日 クリエイティブな仕事のリスクが
9月7日  9月7日 エンジニアにとって必要なスキル
9月8日  9月8日 kintone導入に際しての道標
9月9日  9月9日 長寿の余生を生き残るために
9月12日 9月12日 何かに全力燃焼する季節です
9月13日 9月13日 名刺を交換して終わりではなく
9月14日 9月14日 日本語以外を扱えない危機
9月15日 9月15日 過疎化をITの可能性の場に
9月16日 9月16日 人前で話す前にはリハーサル!
9月20日 9月20日 リアルの場とサポーターの必要
9月21日 9月21日 いくつであろうと挑戦は気付き
9月26日 9月26日 何かを変えたい熱意は通じる
9月27日 9月27日 伸び代は伸び代のある場で
9月28日 9月28日 ワーケーションは人が必要

§ 年表

・九月お仕事

町田市役所、町田森野郵便局、くいもの屋わん 鎌倉小町通り店、焼き鳥ホームラン、笹倉鉄平 版画ミュージアム、ぎゃらりー桜株、大和市文化創造拠点シリウス、高槻で商談・テスト×3、お好み焼きは ここやねん 高槻駅前店、本町で商談、ONthe UMEDAで作業・オンライン会議、サイボウズ 大阪オフィスで商談、Starbucks、Bubby’s New York、アークヒルズカフェ、二俣川で作業、二俣川で研修講師、二俣川で商談、魚とワイン Hanatare、スナック・ジョイゾー参加、タリーズコーヒーで作業、BUKU BUKU あわ家、居酒屋 藤、つぶ焼 かど屋、釧路フィッシャーマンズワーフ MOO、岸壁炉ばた、隠れ家ダイニング カンティーナ、釧路町役場 遠矢支所・遠矢コミュニティセンター、シレトコラボでオンライン会議、ウトロ港、アクアビット サテライトオフィス×4

§ ツイートまとめ
・九月ツイート

https://togetter.com/li/1951928


kintone Café 神奈川 Vol.13を開催しました


六月のkintone café 高知 Vol.16 & SORACOM UG 四国に呼んでいただいた事は、私に複数の気づきと学びを与えてくれました。

・サイボウズ社が築いたkintoneエコシステムの理念に通ずる文化をSORACOM社に感じたこと。
・互いがAPIで簡単に繋げられたので、ハードウエアが苦手な私でも取り扱える手応えを得られたこと。
・kintoneを取り扱うにあたって、入力をもっと考えねばならないこと。

そしてご縁も。

次のkintone Café 神奈川をSORACOM UGさんと共催しようと決めたのは、高知での懇親会の場です。
そこで仲良くなったSORACOM UGのなっちゃんこと藤田さんとコンタクトを取り、後日なっちゃんの会社にもお伺いして打ち合わせを行い、イベントの趣旨を固めました。

一方、次のkintone Café 神奈川の開催地は鎌倉でやると決めていました。そこで私は、鎌倉でkintone Caféを行える場所の選定を始めました。
私は鎌倉とさまざまなご縁でつながっています。カマコンにも参加しました。カヤックさんが運営する「まちの社員食堂」で食事もいただきました。鎌倉商工会議所で登壇したこともあります。
今回、ヒトノコトという屋号で活動している渡辺みさきさんに開催に良い場所がないか相談したところ、推薦していただいたのが安国論寺さんです。
ヒトノコトウェブサイト
みさきさん、ありがとうございました。

早速、安国論寺さんとアポイントを取り、七月の某日にお寺を訪問しました。
同行してくださったのは、一緒にkintone café 神奈川を運営してくださっている藤村さんです。そこで、施設の設備面や接続環境に問題ないことを確認しました。
安国論寺ウェブサイト

そこまで決まったので、あとは登壇者やセッションです。
高知のイベントは完全にオフライン限定でした。そのため、内容が参加者のみしか知らなかったことは好都合でした。
実は高知のイベントとは登壇者が何人か重なっています。が、登壇者が被ってもさほど支障はないと判断しました。
コロナ感染対策も含めて何度も打ち合わせを重ね、登壇内容を徐々に固めていきました。
コロナ感染患者数が増加した際は、完全オンラインに移行することも覚悟しました。ハンズオンもすべてオンラインで行うことも含めて準備を進めました。
告知

ツイートまとめ [~開催前]



当日、曇り時々雨だった予報は外れ、見事に晴れました。
お寺に行くと、安国論寺の平井住職がご用意くださった案内看板が二つも設置されていました。それがお寺の雰囲気に溶け込み、とても良い感じを出していました。
中世からの古都でありながら、ITでも多くの先進的な企業を擁する鎌倉にふさわしいお出迎えです。
kintone Caféでも例のないお寺Café。参加して下さったみなさんの期待に応えなければ。

境内には蝉時雨が響いています。三方を崖に囲まれた安国論寺の境内にはリスが生息しています(視察で訪問した際に何匹も見かけました)。自然の癒しに満ちた場所です。
今回、イベントを開催する場所は、本堂の裏手をぐるりと巡った場所に建つ観音堂です。

観音堂はまだ新しい建物です。Wi-Fi完備。電源や机、椅子もそろっています。
調光も可能で冷暖房も十分に行き渡ります。パントリーも備わっているし、トイレも広い。
堂内には南無幸福観世音菩薩様が安置され、悩める衆生の営みを静かに見守ってくださっています。

ただ一つだけ問題が。
それは夏の陽射しが堂内に差し込み、投影したプロジェクターの映像が鮮明に見えなかったことです。この問題は、光量を最大にし、コントラストを調整しても解決できませんでした。
これによってリアル参加の方々にとって少し画面が見にくかったのが残念でした。

ツイートまとめ [開催前~当日]


他には音声をオンラインと会場にどう配分するかでうまくいかず、ぎりぎりまで調整を重ねました。
13時10分がやってきました、開会の発声を行う時間です。
今回の司会進行は私。
kintone Caféの理念とkintoneの目指す目標を語り、まずは始まり。

ツイートまとめ [当日~kintone Caféとは]





続いてトップをお願いするのはJOYZOの四宮さん。今回、四宮さんに登壇していただいたことによって、kintone café 神奈川にkintone界の三巨頭が揃いました。
ラジカルブリッジの斉藤さんはリアルとオンラインで一回すつ。アールスリーインスティテュートの金春さんにはオンラインで一回。そして、Mr.kintoneの四宮さん。

そもそも今回のイベントをやろうと思った理由は、高知で登壇した四宮さんのセッションをより多くの人に聞かせたいと言う思いでした。
kintoneは概念を座学で聞くより、実例を出した方がよく理解してもらえます。四宮さんによるセッションは、kintoneと IoTをどうつなぐかを実例のイメージとして皆さんに理解してもらえたのではないでしょうか。
なぜIoTが必要なのか。その理由の一つは人のケアレスミスを防ぐためにあります。
冷蔵庫の締め忘れをデバイスで検知し、それを通知する。JOYZOさんが星野リゾートさんで実装されたこの実例は、IoTをどうビジネスや日常に活かすかの良い例となるでしょう。

高知で私は四宮さんのセッションを聴き、kintoneとIoTをどうつなげ、提案するかの知見を得ました。弊社がIoTに可能性を感じる上で励みになりました。目標にしたいと思います。
また、後に登壇する私の話す内容を補強するように、無尽蔵のレコード追加はkintoneの本分ではない、との点を述べてくださったこともありがたかったです。
IoTによって大量レコードを取り扱うことは、今のkintoneには幾分荷が重い部分です。ですが、要件とデバイスの組み合わせによっては、十分kintoneでもIoTと組み合わせて案件がこなせるのです。

四宮さんありがとうございました。

ツイートまとめ [kintone Caféとは~四宮さん]





さて、四宮さんのセッションは質疑も含めて用意していた時間より5分ほど早く終わりました。そこで私は、自分のセッションを少し伸ばそうと決めました。もともと48枚のスライドを作っていたため、伸ばそうと思えば伸ばせます。

今回、私が語ったのは大きく3つです。

・kintoneに関わる方は、そろそろkintoneに入力する手段や方法を考えた方が良いよ。
・kintoneには1アプリごとに1日1万リクエストの制限があって、対策を考える必要があるよ。
・kintoneには1サブドメインごとに同時接続数100の制限があって、対策を打たないと止まるよ。

今回はIoTをkintoneにつなげる上では理解しておいてもらいたい点だったので、ちょっと真面目に。
でも、笑いは高知で登壇した時に比べると、ちょっと取れなかったなあ。
その理由もわかっています。私の登壇の後にMaxさんが立ったまま話しているのを見た瞬間に。
あ、座ったまま喋ってた、と自分のミスに気づきました。悔やまれます。まだまだ未熟です。

質疑の時間も若干余ってしまいました。そこで、愚にもつかない話で場をつなぎました。それがあとあとのペース配分を狂わせました。
まだ私には精進が必要です。

ツイートまとめ [四宮さん~長井]




続いて、Maxさんとなっちゃんによる「SORACOM User Groupのご紹介」と、 「つながっている社会へ!IoTとSORACOM」をMaxさんから。

今回、弊社メンバーやパートナー技術者にも安国論寺に来てもらいました。その狙いの一つこそ、Maxさんのセッションを直に聞いてもらうことでした。

なぜ、コミュニティに私が肩入れするのか。粛々と案件をこなすだけではなぜいけないのか。
その気づきをMaxさんの語りの中から感じ取って欲しかったのです。
どこかの小人さん達がいつのまにか案件や仕事を用意してくれるわけではないこと。こうした場で発信する繰り返しがなければ、今の弊社は案件をもらえていないこと。
エバンジェリストやアドボケイターとはどんな人か。それは、私が何度も内部に向けて話すだけでは伝わっていなかったでしょう。だから、私以外の方が実践する生きた手本を見てほしかったのです。
なっちゃんのようなSORACOMの外側の方がSORACOMを語る。そのコミュニティのあり方は、kintoneでも盛んです。

そのためには、どういう理念のもとでSORACOMさんが活動しているのか。 それを理解しないとコミュニティは成長しません。
私が感じたSORACOMさんとkintoneの相性の良さはどこにあるのか。
四宮さんとMaxさんのセッションから汲み取ってもらいたかったのは、こうした技術以外の部分にもありました。

もはや一部の人たちが技術を独占する時代ではありません。技術は民主化に向かっています。
その流れを読みそこなうと、会社や組織として先細る未来が待っていることでしょう。

エバンジェリストとは、技術を民主的に広めていく存在であるべき。私がサイボウズさんやSORACOMさんに肩入れする理由もそうです。私がエバンジェリストとしてコミュニティに肩入れする理由もそう。
民主化に向けて活動を続けていくと、やがて独占する特権は失います。が、その活動によって民主化された社会は、それを広めた方を放ってはおかないはずです。
民主主義の手続きにのっとり、その立役者にさまざまな役割を期待します。つまり仕事となって戻ってくるのです。
技術を独占すると、かえって衰えていく。これは人類の歴史が証明しています。

高知でも今回もMaxさんはこういう言葉をおっしゃられました「IoTとの言葉は使われなくなる」。
IoTがコモディティ化した時、当たり前になった時。それがエバンジェリストとしてのゴールです。それを教えてくれたセッションでした。

Maxさん、なっちゃんありがとうございました。

ツイートまとめ [長井~Maxさん&なっちゃん]


さて、ここで一度休憩タイムとネットワーキングタイムを挟みました。
せっかく皆さんに来ていただいた以上、ご縁をつないでいただかなければ。

そして続いてはSORACOM UG 東京の三人様にお話ししてもらいました。


まずは和田さんから。

「GPSマルチユニットの紹介 ーいざ鎌倉ー」と題したセッションで紹介されたデバイスは、まさにIoTの王道を往くものでした。
温度と湿度と加速度センサーを備え、GPSも備えたデバイス。それがGPSマルチユニットです。
つまり、これ一台で色んなことができてしまう優れもの。

例えば位置情報を組み合わせて現在地の情報を取得できます。また、その情報をLINEなどで簡単に知らせることができます。
鎌倉に到着し、「いざ鎌倉」を高らかに世界に宣言することができるのです。それを例に挙げて示してくれました。

SORACOMのダッシュボードではそれらの連携を簡単に行えます。それが理解できました。

和田さん、ありがとうございました。

ツイートまとめ [Maxさん&なっちゃん~和田さん]



続いて前嶋さんからは、「簡単にIoTをはじめる方法 (SORACOM LTE-M Button for Enterprise / Button Plusの応用例)」と題したセッションで、ArduinoとSORACOM Buttoを組み合わせ、その場でIoTのセンサーの動きを見せてくださいました。
農家の熱中症防止デバイスや、見守り デバイス。どれもIoTの活用事例として参考になるものばかり。

電子回路図が出てくるあたりで、私の理解力は飽和しそうになりました。
こうした電子回路に普段触れない私のようなソフトウエア・エンジニアはハードウエアにとっつきにくい印象を持ってしまいます。
むしろ、だからこそ私は、この両者をつなげられる技術者が必要とされると思いました。クラウドはそれを可能にします。この両者を結びつける提案ができれば、今後の生き馬の目を抜く情報業界を生きていけるはずです。
ハードウエアに強い方にはハードウエアをまかせてしまう。そこから出てきたデータをどのように加工し、活用するのかを示してあげられれば、お客様のニーズは満たせられます。この道筋が見えました。

前嶋さん、ありがとうございました。

ツイートまとめ [和田さん~前嶋さん]



最後に大口さんからは「SORACOMデバイスで遊ぶ」というタイトルのセッション。
ボタンを使い、ポストに投函されたことを知らせるシステムの実例を示してくださいました。

フレップボードとかジャンパ・スイッチとか、割り込みとかレジスタとか。私が名前ぐらいしかしらない単語が飛び出します。
ですが、こうした高度な部分を見ておかないと、座学や独学を始めたときに先が見えません。すると挫折してしまうのです。

大口さんの処理で実装する部分のうち、AWS以降の処理については想像ができました。それは、私が理解できていない弱点がどこかも明らかにしてくれました。
目指す高みを見せてくれた意味でも、大口さんのこのセッションは参考になりました。
そして、概念を理解した上で、ハードウエア・エンジニアにお任せしたほうがよいという気づきも得ました。まずは私も学ばなくては。

大口さん、ありがとうございました。

ツイートまとめ [前嶋さん~大口さん]



続いては高知でも盛り上がったハンズオンです。
高知から島根経由で駆けつけてくださった片岡幸人さんが事前にkintone・SORACOMの試用環境をご用意していただき、準備は万端。
また、今回もSORACOMさんより事前に人数分のボタンをご用意くださいました。

いざハンズオンのスタートです。kintoneエバンジェリストであり、IoTをビジネスに活用する幸人さんの本領が発揮されます。今回は遠距離の異動にも関わらず、パトランプまで運んできてもらい、本当に頭が下がります。

今回は会場にいる皆さんがハンズオンに参加するだけではありません。同時に、オンラインでもハンズオンを実施しました。
仮想的なボタンを用意することで、オンラインの方にもIoTとkintoneの連携を行ってもらえる。それは、リアルでなければIoTのハンズオンはできないという常識を打ち破る壮挙です。
それだけでも凄いのに、リアル側と同時進行する離れ業は幸人さんが事前にシナリオを作りこんでいてくれたおかげです。

このハンズオンが盛り上がったこと!
皆が一生懸命にチャレンジする姿に主催者の本望が満たされました。

私は高知では真っ先に完走し、ボタン押下回数でも一位を獲ってしまいました。自分の大人げのなさに恥ずかしい思いをしました。
今回、私のノートパソコンはZoom配信用に使っており、私はハンズオンにiPadで参加しました。ツイートもしながら、サポートもしながらのハンズオンでしたが、なんとか完走ができました。
完走した後は、遅れている皆さんのサポートに回りました。
今回のハンズオンは、私や四宮さんやSORACOMのDaisukeさんやDaiさんなど多くの方がフォローを行ってくださいました。
それもあって、会場にパソコンを持ってきている方はほぼ全員が完走できました。スマホしか持ってきていない方はPC版しか用意していなかったため、画面を操作の度にズームする必要があり、参加を諦めた方もいました。

そうした方もいらっしゃいましたが、成功でした。
私の中の印象では、ハンズオンに取り組む皆さんの熱意は高知よりも上回っていた気がします。主催者バイアスがかかっていることは承知ですが。

片岡幸人さん、ありがとうございます。そしてご参加の皆さんも。

ツイートまとめ [大口さん~片岡さん(連携ハンズオン)]


さて、ここからはLTコーナー。


まずは原田さんから。

「サイボウズ災害支援チームとの取り組み(経過報告)」
前々々回のkintone Café 神奈川 Vol.10で語ってくださった、サイボウズ社との防災協定の取り組みの続報です。
カンタンマップとの連携なども含め、災害情報をkintoneで管理する仕組みが出来上がりつつある現状を語ってくださいました。

わが国はこの夏も災害が頻発しました。これから先も同じような事態が各地を襲うことでしょう。
今回のこの協定を基に、災害にあたってのさまざまな情報共有が進むことを願っています。
そして、IoTとkintoneの連携がますます必要になるはずです。

原田さん、ありがとうございました。

ツイートまとめ [片岡さん(連携ハンズオン)~LT(原田さん)]



続いては山崎さんです。
災害協定に続いては、災害についてのソリューションのネタがよいだろうと考え、話してもらいました。

山崎さんは昨年のCybozu Days 2021の弊社ブースにおいて、雨量計をkintoneと連携する出展物を提供してくださいました。
この出展物は、制作した雨量計に水を入れると、センサーからRaspberry Piを通して、その雨量データや緯度経度や時間をkintoneに飛ばします。
それによってkintoneで雨量を管理する仕組みです。

まさに今回のイベントの趣旨にふさわしい内容です。
この秋に予定されているCybozu Days 2022でも山崎さんには何かを作ってもらう予定です。

山崎さん、ありがとうございました。

ツイートまとめ [LT(原田さん)~LT(山崎さん)]



続いては藤村さんです。
藤村さんは安国論寺の視察からイベントに至る部分でご協力をいただきました。
会場の入り口にデジタルサイネージによるウェルカムボードを設置したのも藤村さん。
会場の皆さんが来場した際のアンケートフォームを作ったのも藤村さん。そこでは設置した体温計を書き込み、コロナ感染があった場合の連絡先の取得も含めていました。

藤村さんからはまず、kintone Café 神奈川のメンバー内で立ち上がったkintone Café METAVERSE支部のご紹介。
さらに、安国論寺のお堂内にいるということで、マンダラ思考法をご紹介くださいました。kintoneの画面をカスタマイズし、マンダラ思考法のツールとしてしまうHackです。

これまた、お寺Caféにふさわしい内容でした。

藤村さん、ありがとうございました。

ツイートまとめ [LT(山崎さん)~LT(藤村さん)]





最後にMaxさんがLTネタを二つ持ち込んでくださったので、
締めをMaxさんにお願いしました。

まず「”電波”のちょっとイイ話」です。
私もそうですが、クラウド・エンジニアの多くはWi-Fiをただ単に享受するだけです。
何も意識せずに使っている方がほとんどではないでしょうか。

ですが、当然IoTを実装するにあたっては、デバイスの設置位置が重要です。きちんと正確なデータが定時に飛ばせるように設置しなければなりません。
電波の特性を説明していただくことで、kintone界隈の方にもより具体的な実装方法のTIPSとして届いたと思います。

この電波についてが一番よかったという嬉しいツイートもいただきました。

続いて「アウトプットって、なにそれ美味しいの?ブログとLTのすゝめ」です。

このLTが私にとってはとても刺さりました。上にも書きましたが、なぜアウトプットするとよいのか。
会社のためでもなく、誰のためでもない。自分のためにアウトプットする。

私が弊社メンバーやパートナーさんに伝えたかったことが、このLTに詰まっていました。
もちろん、私にとって学びになったのはもちろんです。というか、私にとってこのMaxさんのLTは何度も聴き直そうと思っています。
「座右のLT」として。

Maxさん、ありがとうございました。

ツイートまとめ [LT(藤村さん)~LT(Maxさん)]



この後、皆さんで集合写真を撮りました。
なっちゃんが音頭をとり、和田さんがセルフタイマーで二枚。kintoneとSORACOMのそれぞれのハンドサインを。

そして無事に撤収作業も終わり、安国論寺の皆さんにもお礼を言いまして。

夜は鎌倉駅前まで移動して懇親会をしました。参加をご希望する方が22名ほどまで膨れ上がってしまったため、収容できるお店が限られてしまいました。
結果、神奈川で展開しているチェーン店に落ち着きましたが、皆さん、三つのテーブルで話に花を咲かせていました。盛り上がってましたねぇ!

さらに10名ほどは二次会の懇親会へ。ここでも百戦錬磨の皆さんにしかできないディープな話が。
こういうバックボーンが明らかになるのも懇親会をやる面白さですね。

リアルとオンラインで参加された皆さん、すばらしい内容を発表してくださった登壇の皆さん、素敵な会場と案内板をご用意くださった安国論寺の皆さん、安国論寺をご紹介くださったみさきさん、スタッフの皆さん、本当に本当にありがとうございました。
とても盛り上がりました。

ツイートまとめ [LT(Maxさん)~それ以降]

皆さんから現時点で四つのブログが!
福井さん
渋屋さん
SORACOMさん
SORACOM UGさん



その後の鎌倉 抗心の記憶


本書の出版社は山川出版社だ。
こ存じの方も多いと思うが、高校の世界史と日本史の副読本でお馴染みだ。

そんな本書が取り上げるのは、タイトルの通り鎌倉の街についてだ。
イイクニツクロウ鎌倉幕府。
誰でも知っている1192年の鎌倉幕府成立の年号を語呂合わせで覚えるための言葉だ。

1192年に鎌倉幕府が開かれたことで、東国の一寒村に過ぎなかった鎌倉は日本史にその名を刻むこととなった。

では鎌倉幕府が瓦解し、室町幕府に幕府の機能を奪われた後の鎌倉は、どのように衰微していったのだろうか。
それを本書は取り上げている。

何度かブログに書いてきたが、私の住んでいる家のすぐ近くを鎌倉街道が通っている。新田義貞公・足利尊氏公といった大平記の世を彩った武将がその道を何度も駆け、鎌倉に攻め込み鎌倉を守ろうと行き来した。

鎌倉幕府が滅びた後も、しばらくは鎌倉が歴史の中心であり続けた。
中先代の乱で北条時行は諏訪から鎌倉を目指して進軍し、政治の中心が京都の室町御所に移った後も、東国の中心は依然として鎌倉であり続けた。
鎌倉府や鎌倉公方が設置され、東国の武将たちが東国に睨みを利かせるためには鎌倉に拠るのが普通だった。南北朝の抗争においても鎌倉は島国の中心であり続けた。

なぜ私は鎌倉の街並みについて本書を通して学ぼうと思ったのか。それは鎌倉に仕事上でご縁が生じたためだ。「カマコン」という街を活性化させるための参加型のイベントにも参加した。また、鎌倉に本拠を構える面白法人カヤックさんとのご縁もできた。その他、鎌倉にて活動する会社の方とのご縁もできた。私自身も鎌倉市商工会議所で登壇した。

こうしたご縁の数々を通し、鎌倉の街並みの魅力が現代でもなお保たれていることを知った。

一度は歴史の表舞台から消え去ったはずの鎌倉は、なぜいまだに存在感を保ち続けているのだろうか。寺社仏閣が多く残されているからだろうか。それとも小町通りの風情が観光客を惹きつけるからだろうか。
それだけでなく、何か鎌倉時代からの歴史の風が脈々と吹き続けているからではないか。
鎌倉には何か進取の気性のような風土があるのではないか。

それを知るために本書を通して鎌倉を知りたかった。
そもそも、鎌倉幕府が瓦解した後もどのように鎌倉の街が命脈を保ち続けたのかを知りたかった。

室町時代に入っても上杉禅秀の乱の舞台となり、さらに永享の乱などの諍いもあった。上杉家や関東公方、堀越、古河公方などが関東の覇権を求めて乱立した。その時に関東でもっとも騒乱が絶えなかったのが鎌倉の街だ。室町幕府が置かれた京と比べてもその不安定さは同じだった。そうした流れの中、鎌倉は徐々にその中心を失っていく。
決定的なのは、戦国の騒乱によって室町幕府や関東管領から権威が失われたからだろう。そうなってからの鎌倉にかつての勢威は失われてしまった。

本書は続いて、場の記憶と称して、街のあちこちに残された歴史の遺構を紹介している。七つの切通で外界から閉じられた鎌倉。外からの攻めには強いが、一度攻めこまれると脆かった鎌倉。そのため、街が兵火で灰塵に帰すこともなく、街の外観は保たれた。
鎌倉幕府が去ってのちは、日本の中心から徐々に外れていった鎌倉ことで、当時を偲ばせる遺跡が今も残されている。

鎌倉の街並みに残された遺跡を紹介しながら、それぞれの出来事が鎌倉に残した遺構を紹介する本書は、場から鎌倉の歴史と記憶を掘り起こしていく。

特筆すべき事は、鎌倉は何か特定の勢力の拠点ではなかったと言うことだ。元弘の乱で鎌倉幕府が滅ぼされて以降は特に。
それ以降は鎌倉を本拠とする勢力が入れ代わり立ち代わり鎌倉でかりそめの政務をとった。そして短い間に次のあるじに勢力を明け渡した。
中世を通じて政治の中心としての性格が弱く、それが、鎌倉を決定的に破壊の対象となる事態から無縁だった理由だ。
そして、鎌倉を現代に生きながらえさせたと言える。

本書は、応仁の乱以降の鎌倉を全く描いていない。
江戸時代に水戸光圀のような人物が鎌倉にやってきてその衰えを慨歎する姿が紹介されているのみだ。

だが実はその時期の鎌倉こそ、私たちにとって知りたい鎌倉の情報が詰まっているのではないか。

特に鎌倉は仏教の本場だ。そうした仏教の大寺院が江戸幕府の宗教統制の中をどのように生き延びたのか。
その観点からの鎌倉の歴史はぜひとも知りたかったように思う。

また、明治になって鉄道が通った。その際に街の人々は鉄道が通ることについてどのような反応を示したのか。伝統のある都市が進取の陸蒸気を受け入れる際には何の葛藤もなかったのだろうか。
また、今の若宮小路を軸とした鶴岡八幡宮の門前町である街並みの再構築はどのようになされたのか。
そうした観点でも実は鎌倉はまだまだ興味深い。
本書がそれに触れていなかったのは残念でならない。

おそらく、上に書いた現代の鎌倉が備える進取の風土を考えるには、江戸と明治の鎌倉も知らなければなるまい。
著者かまたは別の著者による鎌倉の歴史を当たってみたいと思う。

‘2020/03/24-2020/03/26


新田義貞 下


上巻は、日野俊基が鎌倉幕府によって処刑される場面で幕を閉じる。
数度の失敗にもくじけず沸き上がる後醍醐天皇による倒幕の動き。それに対抗する幕府の対応。
新田義貞公はその合間に立ち、どちらとも決めかね、事態を静観していた。

そんな義貞公に近づいてきたのが、朝廷からの密使である刀屋三郎四郎。三郎四郎は武器商人としての利益を確保するため双方を焚き付けようと暗躍していた。

双方の思惑が風雲を巻き起こす中、義貞公は朝廷に睨みを利かせるための京都大番役に抜擢される。そして、幕府の役人として京に赴く。
それが義貞公にとっての波乱の人生の幕開けであった。

幕府の朝廷への圧力は強さを増し、ついには後醍醐天皇を隠岐の島へ流すまでに至る。
ところが、その時期に足利尊氏が幕府に反旗を翻す。そして、足利直義や高師直らによる陰謀で、足利家の下に属するような指令を義貞公にだす。
それによって穏やかならぬ義貞公。源氏を率いるべきは新田氏と足利氏のどちらなのか。足利尊氏に属することはすなわち源氏の棟梁が足利氏であることを認めることに等しい。
義貞公は足利尊氏が鎌倉を落とす前に、自分が先に鎌倉を落とさねば、と決意する。そしてついに上野の新田庄を出立する。

上巻では、お互いが鎌倉幕府の有力御家人だった頃からの足利尊氏と義貞公の関係を描いている。義貞公に対してひたすら丁重に接する足利尊氏。刺激を与えまいと配慮する中で、お互いの力を測る用心深さものぞかせている。
北条家の本拠に近く、朝廷の働きかけも盛んでないこの時期、源氏の主流を争うことは得策ではない。それよりまず、北条氏との関係をどうするか。
朝廷からの密書が届くようになってからも、下手に動いては墓穴を掘る。誰に忠君を励むのかはっきりさせるのは利口とはいえない時期だった。
その時期、足利尊氏も義貞公もお互いが敵になるとは毛頭も考えていなかったことは、本書でも何度か強調されている。
両雄が雌雄を決するにはまだ長い日数がある。

義貞公が立ち上がってからの本書は、私にとってなじみのある場面や戦いが続く。私の家の近くも登場する。
小手指ヶ原の戦いから、分倍河原の合戦へと戦場は移る。さらに関戸の戦場へと。
それらの戦いの中では、私の家の近くでも激しい戦闘も行われた事だろう。だが、本書はそうした些事には触れない。
それよりも、どうやって新田軍が足利軍を打ち破ったのか。分倍河原の戦いの全容に興味が向く。個々の先頭よりも高い視野から活写される戦いの数々。義貞公が最も冴えていたのもこの時期だったはず。

敵と味方が頻繁に入れ替わり、戦場も日本全土に及んだ太平記の時代。
鎌倉から南北朝への目まぐるしい時代を描くには、本書のボリュームでは足りない。
義貞公だけをとり上げても語るべきことはまだあるように思える。
例えば鎌倉包囲戦や、稲村ヶ崎の海を干潮時に渡って鎌倉への攻め口を開く戦いなど、北条家と新田家の戦いだけでも語るべき挿話はまだまだあるだろう。
もちろん、太刀を海に投げ入れて稲村ケ崎からの突破を祈願したことや、そもそも稲村ヶ崎を渡るために苦戦したことなどは描かれている。
だが、鎌倉への攻めこそが義貞公の人生を描くうえで最大の見せ場である以上、もう少し紙数を割いても良かった気がする。

とはいえ、義貞公が稲村ケ崎を抜いたことで、鎌倉を落とし、歴史に名を轟かせたことにかわりはない。
ところがそれ以降の義貞公の動きはあまりさえない。

後醍醐天皇に気に入られ、京の守りを申し付けられた義貞公。ところがその隙に、足利直義が鎌倉に入り、実権を握ってしまう。
そんな中、足利尊氏は建武の新政の現状に見切りをつけ、ついに天皇に反旗を翻す。
ここに至っても義貞公の動きは曖昧で、どちらに付くか旗幟を鮮明にしないまま。そのため、ついに足利尊氏との対立が避けられない情勢まで陥ってしまう。

現代に至るまで、新田義貞公の評価は芳しくない。
足利尊氏が戦後になって復権し、楠木正成は今も皇居に像が立てられているほど、尊王の士としての名声をほしいままにしている。ところが義貞公はそうした評価とは無縁だ。
なぜか。
それは時代の流れにうまく立ち回われず、時代を超えた構想を描けなかったからではないか。

例えば足利尊氏を京都から追い出す戦い。
そこでも著者は軍功があったのは楠木正成の方だとしている。
そして足利尊氏は勢力を立て直すため、九州まで兵を引き再び勢力を盛り返そうとする。
尊氏と同じように鎌倉に帰って勢力を立て直したいとする義貞公の意見は、公家によってことごとく握りつぶされる。義貞公を鎌倉に帰らせてしまうと、関東に覇をとなえ、朝廷に反旗を翻すのではないかと疑われてしまう。
北条家の後継としての野心があるのでは、と公家に曲解された義貞公。
それが足利尊氏への戦いに半端な対応を示した理由だろう。

義貞公は、本書を通じて公家に振り回されている。毅然たる態度をとらず、自分の意見を押し通さなかったこと。確固たる態度をとらず、相手の立場を忖度してしまったこと。
だからこそ、新田義貞公は時代の流れに乗れなかったのであろう。
本書で著者は、なるべく新田義貞公の立場に立って書こうとしている。だが、本書を読んでいると、義貞公は負けるべくして負けた人物に思えてくる。おそらく天下を取る器ではなかったのだろうと思うほかない。

九州から大群を率いて上京してきた足利尊氏を打ち破るにも、公家の横車が頻繁に入り、命令系統に支障をきたしてしまう。
その結果、赤松軍に大回りされて包囲された楠木正成は全滅し、義貞公は京都に逃げ帰る。逃げ帰った後で、後醍醐天皇の次に天皇となった光厳天皇を奉じ、越前で再起をかけようとする。

南北朝時代や義貞公に対する知識が疎い私は、なぜ義貞公が越前で再起を図ろうとしたのかよくわかっていなかった。
本書を通し、新田一族は上野だけでなく、越後にも地盤を広げていたことが描かれる。つまり越前の背後は新田一族の所領であった。だからこそ新田義貞公は越前を再挙の地として選んだのだろう。

ところが、燈明寺畷において義貞公は戦死を遂げてしまう。
その最後は、日本史上に名を残した武将にしてはあまりにも残念なものだった。
油断した義貞公は、少年時代の心に帰り、馬で遠掛けしようとした。
その情報が敵に筒抜けとなり、敵軍の待ち伏せに会い、死に至る。

義貞公の死によって、新田幕府が打ち立てられることはついになくなった。新田庄に残した愛妾や妻子に会うこともついに叶わなかった。
結果だけ見れば、義貞公の一生はついに負けておわった。それだけでしかない。

だが、義貞公をそれだけで片付けてよいのだろうか。
そもそも、歴史の上で勝ち続けた人はいない。勝ち続けた人物とはもちろん最終的な勝者として歴史に名を残す。歴史に名を残すことができた最終的な勝者とは、以下のような人物たちがそうだろう。
中大兄皇子、大海人皇子、藤原道長、後白河院、源頼朝、足利尊氏、豊臣秀吉、徳川家康。
だが、彼らの生涯には起伏があった。ここに挙げていない織田信長や平清盛も一時は天下を確かにつかんだ。
徳川家康もようやく晩年にチャンスをつかんだのであって、それまでは苦しい負けを乗り越えた人生だった。
歴史上を生きた数多くの人物は、勝って負けてを繰り返した。それが実情だろう。
ところが、最後に勝利したことで歴史に名を残した。そのほかの歴史を生きた無数の人々は、名を残すことすらなく死んでいった。
それを考えると、歴史に名を残すとは最後に敗れたとはいえ、とても評価されるべき業績とはいえないだろうか。

そして、義貞公の残した業績は、評価が芳しくないにも関わらず、歴史に名を残さずに死んでいったほとんどの人物よりも際立っている。
それを踏まえると、私たちが義貞公の生き方から学ぶべきことは大いにあると思う。

それだけの実績を残した義貞公だからこそ、人生から教訓とすべきこともわかりやすいように思える。
例えば、将たる者として対外的に毅然とした態度を貫くこと。その判断に権威への盲従を含めてはならないこと。刀屋三郎四郎がもたらす情報だけではなく、より自主的な情報を取りに行くべきこと。
そうしたことは、今のせわしない世の中を生きるためにも活かせる教訓だ。

将ともなれば出る杭として打たれ、率いる身としての重圧は大きい。
だからこそ、全てを丸くおさめ、調整しようとした義貞公の試みが破綻したのだろう。
どこかで調整者としての立場を打ち捨て、自分の意志を強く打ち出さねば。新田庄を出立した時のように。

私も小さいながらも組織の上に立つ身だ。本書から学んだ義貞公の生涯から、自らの判断や身の処し方について活かせることは多かった。
だからこそ、義貞公を私たちが参考にできる人物として評価したいと思う。
偉大な勝者ではなく、私たちが参考とすべき歴史上の偉人として。

今度、小手指が原の合戦地、上野の新田庄、そして最期の地となった灯明寺畷にも訪れたいと思っている。

‘2019/7/6-2019/7/10


新田義貞 上


私の家のすぐ近くを鎌倉街道が通っている。
林を抜ける切り通しと井戸の跡がよく残っており、往時の鎌倉街道の姿をしのぶことのできる場所だ。
ここを訪れるたびに、鎌倉と地方を往来した武士たちの姿がたやすく思い浮かべられる。そのため、私も折に触れて散歩で立ち寄っている。

私の家から車で鎌倉街道を少し北に向かえば、多摩川を渡る関戸橋に至る。そこには関戸の史跡が残されている。さらに北へ向かうと、分倍河原の合戦が行われた地があり、石碑も建てられている。分倍河原の駅前には、騎馬にまたがった新田義貞公の勇壮な像が立ち、往時の勇姿を今に伝えている。
逆に私の家から鎌倉街道を少し南に下ると井出の沢の合戦場があり、菅原神社の境内に碑が残されている。どれもが新田義貞公の合戦場として今に残されている。

一方、私の母は福井の出身だが、新田義貞公がなくなったのは母が通っていた藤島高校のすぐ近く。そして、新田義貞公とともに南北朝の時代を駆け抜けた楠木正成公が戦死したのは、神戸の湊川。私の出身地西宮にほど近い。

そんなふうに考えると、私と新田義貞公のご縁はいろいろとつながっているようだ。特に、鎌倉街道に近い今の家に住んでからはそれを強く感じる。一度は新田氏が出た地である新田庄を始め、新田義貞公にまつわる史跡はめぐってみたいと思っていた。

新田義貞公が活躍した南北朝時代。
太平記で知られるこの時代は、戦国時代にも劣らぬほど縦横無尽に兵たちが駆け回り、政局が目まぐるしく動いていた。
むしろ、各大名の群雄割拠と小競り合いの色が強く、時代の終盤になってようやく流れが太くなった戦国時代よりも、平泉、鎌倉、福井、京都、吉野、神戸、隠岐、福岡と日本各地を狭しと舞台としたこの時代の方が、より政局のうねりが太く能動的だったのでは、とさえ思っている。

ところが、私は今まで南北朝時代を取り上げた本はあまり読んでこなかった。太平記もまだ読んでいない。
戦国時代があらかた語りつくされたように思える昨今、南北朝に関する歴史、それも新田義貞公に関する本を読んでみるのも悪くないと思った。

著者のペンネームは名字が同じ新田氏だ。もちろん、著者の文名は広く知られており、著者の筆名の新田は出身地の場所を取っていて、新田義貞公に連なる一族ではないことも知られている。
同族ではなくても、著者も同姓のよしみで新田義貞公を扱ってみたいと思ったのだろう。本書に取り組む著者の意気込みが感じられる。
もともと、著者が描く時代小説には一定の水準が保たれている。私も、それを期待して読み始めた。

そもそも私は、新田義貞公の幼少期について何も知らない。
ある日突然、上野の国から颯爽と現れ、鎌倉を鮮やかに奪い取り、北条一族の支配する鎌倉を滅亡に追いやった。そして後に足利尊氏との戦いに敗れ、福井の灯明寺畷であえなく戦死した。
私が持っていた新田義貞公に関する知識とはそれぐらいだ。

本書を読んで思うこと。
それは南北朝時代とは、まだ朝廷、そして天皇の威光が思いのほか強かったということだ。時代をあらわす言葉に朝廷の一字が使われている事でもそれは明らか。

源頼朝が鎌倉幕府を開いて以降、朝廷は政の表に立たず、あくまでも権威としてのみ存在してきた。そして実際の政事は武士が実権を握ってきた。朝廷に政治の実権を取り戻す試みが、承久の変の結果、後鳥羽上皇などの流罪によって頓挫すると、武士の支配は盤石のものになった。私たちはそう習って来た。
特に、文永・弘安の役で元寇を撃退した鎌倉幕府と、それを束ねる北条家の威光は、朝廷の権威をより貶めたと思っていた。

ところが、鎌倉時代の末期とは、後醍醐天皇や朝廷の意向が、思いのほか強いことがわかる。特に、東国や上野の地にあっては、朝廷の勅旨や勅令、勅許は絶対的な力を持っていた。
いかな北条家といえども、天皇に対しては表立って楯突くこともままならず、それが北条家の支配を揺るがす輩の跳梁を許していた。
建武の新政が一度は成功したのも、朝廷の権威が失われていなかったからと言える。

もう一つ、本書で学んだ事。
それは、源氏の棟梁という地位の重みだ。家の棟梁を尊ぶ風潮。
本書は、そうした当時の武士たちの価値観を理解しなければ、共感しづらい。
新田氏にとっては、源氏の棟梁が足利氏にあるのか、それとも新田氏なのかという問題が何においても重要であること。
そうした事実を知らないと、本書における新田義貞公の行動は、少々間の抜けたものに映ってしまう。それは足利尊氏の行動にも言えることだ。

また、度重なる倒幕運動が露見したにもかかわらず、なぜ北条氏は後醍醐天皇に対し死罪も含めた強い姿勢で望めなかったのかと言う疑問。それも、朝廷の権威が損なわれていなかった時代の流れを知ってはじめて理解できる。
本書において、当時の価値基準は私たちのそれとは違っていたことと、その観念が世にいきわたっていた現実は踏まえておく必要がある。
一所懸命や、いざ鎌倉といった今も残る言葉に込められていた思い。それは現代の私たちからみるとはるかに強く本邦を支配していたはずだ。

また、女性の運命がはかなきものであったことも当時の世相の特徴だ。
本書には、新田義貞公を通りすぎていった幾人もの女性が登場する。初恋の女性は、北条得宗家の側室となり、新田義貞公の最初の縁組相手は、家柄のために正妻となることを許されず、側室として扱われた。後に正妻として迎えられた筑波の小田氏の娘すら、新田義貞公の亡き後の運命は描かれていない。

新田義貞公は鎌倉を落とした後、京都に軍役で呼ばれる。そして、その後の足利尊氏との絶え間ない争いに明け暮れるようになったまま、とうとう上野の新田庄には帰れない。
そして、新田庄に残された人々のその後は描かれずに終わる。

本書で悪しざまに描かれているのは、北条得宗家と公家だ。
建武の新政と称される私たちが日本史の授業で習う政治の改革も、後醍醐天皇の意思のみがすべてであり、公家に矜持はなく、それどころか武士を自分たちにとっての手足となる駒としか考えていなかった。
そんな公家たちに翻弄され、いいように使われた新田義貞公の運命。哀れに感じられる。新田義貞公が変わりゆく時代の犠牲者として今もとらえられているのも順当かもしれない。

本書には特徴がある。それは、各章の終わりに著者自身による取材ノートが挟まれていることだ。
取材した地の様子や史書を著者がどう解釈したかなど、執筆当時に抱いた著者の感想が記されている。
著者の取材は昭和五十年前後に集中しているが、中には著者が戦前に訪れた際の感想も挟まれ、開発によって失われる前の史跡の様子を色濃く残す貴重な証言となっている。
各章ごとにそうしたノートが挟まれることを、話の流れを切る邪魔と感じる向きもあるだろう。
だが、当時の価値観が理解しづらい現代からすると、著者の適切な解説は役に立つ。

‘2019/7/5-2019/7/6


今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで


新型コロナウィルスの発生は、世界中をパンデミックの渦に巻き込んでいる。
だが、人類にとって恐れるべき存在がコロナウィルスだけでないことは、言うまでもない。たとえば自然界には未知のウィルスが無数に潜み、人類に牙を剥く日を待っている。
人類が築き上げた文明を脅かすものは、人類を育んできた宇宙や地球である可能性もある。
それらが増長した人類に鉄槌を下す可能性は考えておかねば。
本書で取り扱うのは、そうした自然災害の数々だ。

来る、来ると警鐘が鳴らされ続けている大地震。東海地震に南海地震、首都圏直下地震、そして三陸地震。
これらの地震は、長きにわたって危険性が言われ続けている。過去の歴史を紐解くと発生する周期に規則性があり、そこから推測すると、必ずやってくる事は間違いない。
それなのに、少なくとも首都圏において、東日本大震災の教訓は忘れ去られているといっても過言ではない。地震は確実に首都圏を襲うはずなのにもかかわらず。

本書は日本の歴史をひもとき、その時代時代で日本を襲った天変地異をとり上げている。
天変地異といってもあらゆる出来事を網羅するわけではない。飢饉や火事といった人災に属する災害は除き、地震・台風・噴火・洪水などの自然災害に焦点を当てているのが本書の編集方針のようだ。

著者は、そうした天変地異が日本の歴史にどのような影響を与えたのかという視点で編んでいる。
例えば、江戸末期に各地で連動するかのように起こった大地震が、ペリー来航に揺れる江戸幕府に致命的な一撃を与えたこと。また、永仁鎌倉地震によって起こった混乱を契機に、専横を欲しいままにした平頼綱が時の執権北条貞時によって誅殺されたこと。
私たちが思っている以上に、天変地異は日本の歴史に影響を与えてきたのだ。

かつて平安の頃までは、天変地異は政争で敗れた人物の怨霊が引き起こしたたたりだとみなされていた。
太宰府に流された菅原道真の怨霊を鎮めるため、各地に天満宮が建立されたのは有名な話だ。
逆に、神風の故事で知られる弘安の大風は、日本を襲った元軍を一夜にして海中に沈め、日本に幸運をもたらした。
本書にはそういった出来事が人心をざわつかせ、神仏に頼らせた当時の人々の不安となったことも紹介している。
直接でも間接でも日本人の深層に天変地異が与えてきた影響は今の私たちにも確実に及んでいる。

本書は私の知らなかった天変地異についても取り上げてくれている。
例えば永祚元年(989年)に起こったという永祚の風はその一つだ。
台風は私たちにもおなじみの天災だ。だが、あまりにもしょっちゅう来るものだから、伊勢湾台風や室戸台風ぐらいのレベルの台風でないと真に恐れることはない。ここ数年も各地を大雨や台風が蹂躙しているというのに。それもまた、慣れというものなのだろう。
本書は、歴史上の洪水や台風の被害にも触れているため、台風の恐ろしさについても見聞を深めさせてくれる。

本書は七章で構成されている。

第一章は古代(奈良〜平安)
白鳳地震
天平河内大和地震
貞観地震
仁和地震
永祚の風
永長地震

第二章は中世(鎌倉〜室町〜安土桃山)
文治地震
弘安の大風
永仁鎌倉地震
正平地震
明応地震
天正地震
慶長伏見地震

第三章は近世I(江戸前期)
慶長東南海地震
慶長三陸地震津波
元禄関東大地震
宝永地震・富士山大噴火(亥の大変)
寛保江戸洪水

第四章は近世II(江戸後期)
天明浅間山大噴火
島原大変
シーボルト台風
京都地震
善光寺地震

第五章は近代I(幕末〜明治)
安政東南海地震
安政江戸地震
明治元年の暴風雨
磐梯山大噴火
濃尾地震
明治三陸大津波

第六章は近代II(大正〜昭和前期)
桜島大噴火
関東大震災
昭和三陸大津波
室戸台風
昭和東南海地震
三河地震

第七章は現代(戦後〜平成)
昭和南海地震
福井大地震
伊勢湾台風
日本海中部地震
阪神淡路大震災
東日本大震災

本書にはこれだけの天変地異が載っている。
分量も相当に分厚く、636ページというなかなかのボリュームだ。

本書を通して、日本の歴史を襲ってきたあまたの天変地異。
そこから学べるのは、東南海地震や南海地震三陸の大地震の周期が、歴史学者や地震学者のとなえる周期にぴたりと繰り返されていることだ。恐ろしいことに。

日本の歴史とは、天災の歴史だともいえる。
そうした地震や天変地異が奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・幕末・明治・大正・昭和・平成の各時代に起きている。
今でこそ、明治以降は一世一元の制度になっている。だが、かつては災害のたびに改元されていたと言う。改元によっては吉事がきっかけだったことも当然あるだろうが、かなりの数の改元が災害をきっかけとして行われた。それはすなわち、日本に災害の数々が頻繁にあったことを示す証拠だ。
そして、天変地異は、時の為政者の権力を弱め、次の時代へと変わる兆しにもなっている。
本書は、各章ごとに災害史と同じぐらい、その時代の世相や出来事を網羅して描いていく。

これだけたくさんの災害に苦しめられてきたわが国。そこに生きる私たちは、本書から何を学ぶべきだろうか。
私は本書から学ぶべきは、理屈だけで災害が来ると考えてはならないという教訓だと思う。理屈ではなく心から災害がやって来るという覚悟。それが大切なのだと思う。
だが、それは本当に難しいことだ。阪神淡路大震災で激烈な揺れに襲われ、家が全壊する瞬間を体験した私ですら。

地震の可能性は、東南海地震、三陸地震、首都圏直下型地震だけでなく、日本全国に等しくあるはずだ。
ところが、私も含めて多くの人は地震の可能性を過小評価しているように思えてならない。
ちょうど阪神淡路大震災の前、関西の人々が地震に対して無警戒だったように。
本書にも、地震頻発地帯ではない場所での地震の被害が紹介されている。地震があまり来ないからといって油断してはならないのだ。

だからこそ、本書の末尾に阪神淡路大地震と東日本大震災が載っている事は本書の価値を高めている。
なぜならその被害の大きさを目にし、身をもって体感したかなりの数の人が存命だからだ。
阪神淡路大地震の被災者である私も同じ。東日本大震災でも震度5強を体験した。
また、福井大地震も、私の母親は実際に被害に遭い、九死に一生を得ており、かなりの数の存命者が要ると思われる。

さらに、阪神淡路大地震と東日本大震災については、鮮明な写真が多く残されている。
東日本大震災においてはおびただしい数の津波の動画がネット上にあげられている。
私たちはその凄まじさを動画の中で追認できる。

私たちはそうした情報と本書を組み合わせ、想像しなければならない。本書に載っているかつての災害のそれぞれが、動画や写真で確認できる程度と同じかそれ以上の激しさでわが国に爪痕を残したということを。
同時に、確実に起こるはずの将来の地震も、同じぐらいかそれ以上の激しさで私たちの命を危機にさらす、ということも。

今までにも三陸海岸は何度も津波の被害に遭ってきた。だが、人の弱さとして、大きな災害にあっても、喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう。そして古人が残した警告を無視して家を建ててしまう。便利さへの誘惑が地震の恐れを上回ってしまうのだ。
かつて津波が来たと言う警告を文明の力が克服すると過信して、今の暮らしの便利さを追求する。そして被害にあって悲しみに暮れる。

そうした悲劇を繰り返さないためにも、本書のような日本の災害史を網羅した本が必要なのだ。
ようやくコロナウィルスによって東京一極集中が減少に転じたというニュースはつい最近のことだ。だが、地震が及ぼすリスクが明らかであるにもかかわらず、コロナウィルスがなければ東京一極集中はなおも進行していたはず。
一極集中があらゆる意味で愚行の極みであることを、少しでも多くの人に知らしめなければならない。

本書は、そうした意味でも、常に手元に携えておいても良い位の書物だと思う。

‘2019/7/3-2019/7/4


DESTINY 鎌倉ものがたり


本作を観終わった私が劇場を出てすぐにしたこと。それは鎌倉市長谷二丁目3-9を検索したことだ。その住所とは作中で一色夫妻の住む家の住所だ。一色夫妻とは、堺雅人さん扮する一色正和と高畑充希さん扮する妻亜紀子のこと。作中、何度も映し出される一色家の門柱にこの住所が記されている。私はその番地を覚えておき、観終わったら実際にその番地があるのか検索しようと思っていたのだ。何が言いたいかというと、本作で登場する二人の家が実際に鎌倉にあるように思えたほど本作が鎌倉を描いていたという事だ。

その住所はおそらく実在しない。二丁目3-6と3-11は地図から地番が確認できるが、二丁目3-9の地番は地図からたどれないからだ。Googleストリートビューで確認すると、3ー9と思しき場所に建物は立っているのだが。ただ、ストリートビューでみる二丁目3-9の周囲の光景は、本作に登場する二丁目3-9とは明らかに違っている。それもそのはず。本作に出てくる鎌倉の街並みは、現代からみればノスタルジックの色に染まっているからだ。パンフレットに書いてあった内容によると、エグゼクティブプロデューサーの阿部氏からは1970-1980年代の鎌倉でイメージを作って欲しいと監督に依頼したようだ。つまり、その頃の鎌倉が本作の舞台となっている。

そのイメージ通り、冒頭で新婚旅行から帰ってきた二人の乗っているクラシックカーは江ノ電と海岸に挟まれた道を走り、江の島をバックにして有名な鎌倉高校前の踏切を折れ、山への道を進む。その光景の中には全く現代風の車は登場しない。走っている江ノ電の正面にある行き先表示は電光掲示板で、あれっ?と思ったが、どうもその車両は1000系のように思えた。調べてみると1000系の車両は1979年にデビューしたようだ。スクリーンで電光掲示を掲げた江ノ電を見た瞬間、本作の時代考証に疑問を抱きそうになったが、その車両ならギリギリ許されるのだろう。

本作はあちこちでVFXを駆使しているはず。ところが、公式サイトの解説によれば冒頭の車のシーンの撮影には苦労したようだ。それはつまりVFXに安易に頼らず、なるべく生のシーンを撮影しようという山崎監督の意識の高さの表われなのだろう。本作は山崎監督の抱く世界観が全編に一貫している。その世界観とは、原作の絵柄を生かしながら、懐かしいと思われるような鎌倉の街並みを再現しつつ、魑魅魍魎が登場してもおかしくない世界でなければならない。そんな難しい世界観の創造に本作は見事に成功している。監督が本作で作り上げた世界観が私にはしっくりとしみた。なお、私は原作は読んだことがないので、本作のイメージがどの程度作風を思わせる仕上がりなのかはわからない。でも、監督がその世界観の再現に相当苦労したであろうことは伺える。

何しろ、本作に登場する鎌倉は現実と幻想のはざまにある鎌倉なのだから。リアルすぎても不思議すぎても駄目。その辺りのさじ加減が絶妙なのが本作のキモなのだ。日本の古都には狐狸、妖鬽の類がふさわしい。京都などその代表といえる。鎌倉は京都と同じく幕府を擁した過去があり、寺社や大仏などあやかしのものを呼び寄せる磁力にも事欠かない。そのため、鎌倉にあやかしがうろついていても違和感がない。ただ、私は本作を観て、鎌倉とあやかしのイメージが親しいことに初めて気付かされた。今までまったくそのことに気づかなかったが、私にそのことに気づかせるほど本作の映像は絶妙だったのだ。

本作でみるべきは、鎌倉を装飾する監督のセンスだと思う。全編にわたって、鎌倉の何気ない路地や、緑地、砂浜が登場する。そこかしこにコマい魔物がうろちょろするのだ。そして現実も幻想もまとめて縫い付けるように走る江ノ電。本作には多くの伏線が敷かれている。その一つが一色正和の鉄道模型趣味なのだが、江ノ電が本作の映像の核になっていて、鉄ちゃんにもお勧めできること請け合いだ。

また、江ノ電が現世と黄泉を1日一度運行しているという設定もいい。海岸の砂浜にある現世駅はとても現実にあり得ない設定のはずなのに、江ノ電ならではの雰囲気をまとっていた。駅が好きな私でも許せるようなたたずまい。運行される車両はタンコロという鉄ちゃんには有名な車両。今も一両が由比ヶ浜で静態保存されている。そして、本作で現世駅が設置されている場所もたぶん由比ヶ浜にあるのだろう。砂浜に海岸と平行に軌道が延び、その先は黄泉へと通ずる渦がまいている。こういう江ノ電の使い方もとても興味深い。

本作は冒頭から一色夫妻の仲の睦まじさが全開だ。それはもちろん、終盤に正和が黄泉へと亜紀子を連れ戻しに行く展開の伏線になっている。伏線は他にもたくさんある。例えば夜店で亜紀子が正和に買ってとねだる鎌倉彫りの盆や、納戸の中で亜紀子が見つける像など、全てが黄泉の国でのクライマックスに向けて進んで行く。

黄泉の国に向けて走る江ノ電のシーンは本作でも印象に残る美しい映像が見どころだ。パンフレットによれば中国にまで赴いてイメージを作って来たそうだ。その甲斐があって、とても特徴的な黄泉の国のイメージに仕上がって居ると思う。死神によると黄泉の国のイメージは見た人が心に抱く黄泉の国のイメージが投影されるらしい。そうやって語り合う正和と死神の背後に映り込む黄泉とは、実は私自身が黄泉に対して抱くイメージなのだろうか。実は一緒に観た妻や娘にはスクリーン上の黄泉が違った風に映っているのだろうか、と思ったり。そう思わされる独創的な黄泉の国だったと思う。昭和30-40年代の家屋が斜面に積み重なったような黄泉のイメージとは、実にステキではないだろうか。

ただ、本作の美術や衣装、小道具をはじめとした世界観は良かったのだが、全体的な構成はアンバランスだったように思えた。もっと言えば前半部分が少し冗長だったかな、と。それは本作が原作のエピソードを複数組み合わせたことによるもので、仕方なかったかもしれない。例えば、一色正和が事件を推理し解決するエピソード。このエピソードが貧乏神への伏線となり、亜紀子の遺体探しのエピソードにしか掛かっておらず、本編全体にかからないなど。

それもあってか、本作の豪華な俳優陣の演技に統一感が感じられなかったのは残念だ。確かに一色夫妻を演じる二人はとてもよかった。でも、どことなく全編につぎはぎのようなぎこちなさが感じられたのだ。でも、それはささいなこと。娘たちはとても本作を気に入ってくれた様子。今までに観た日本映画で二番目に好きといっていたくらいなので。妻も私も本作はよかったと思う。

ここまで鎌倉を妖しく魅力的に描いてくれたからには、行きたくもなるというもの。その際はぜひとも事前に原作をしっかり読んでから散策したいと思う。

’2018/01/03 TOHOシネマ日劇


猫のいる日々


横浜の港の見える丘公園の一角に、大仏次郎記念館はある。著者の仕事が収められた文学館だ。こちらの記念館に訪れたのは2015年10月末のこと。本書を読み始める50日ほど前だ。館内では学芸員の方に丁寧に説明していただき、ただ展示品を眺めるだけにとどまらず、著者の遺した足跡をより深く理解できた。

こちらに訪れる前、私が著者に対して知っていたのはわずか。通俗・歴史小説の書き手としてなんとなく認識していた程度だった。しかし記念館の展示を観て、私の認識がいかに浅いレベルであったかを知った。著者は通俗・歴史小説の書き手としても一流だったが、それだけではない。日舞・歌舞伎からバレエ・リュスなどの西洋舞踊にも造詣が深かった。また、フランスの近現代史にも通じ、フランスに関する多彩な角度からの書物を著している。また、純文学の分野でも傑作をものしたかと思えば、一流劇場で掛かるような戯曲も発表している。さらには「天皇の世紀」という日本の近代史をライフワークとしていた。そして本書のようなエッセイも多数残している。実は横浜だけでなく、日本の文学史上でも有数の巨星であったのだ。

今回、こちらの記念館を訪れるのは初めてのこと。しかもこちらの記念館を訪れたのは、近所の神奈川近代文学館で催されていた柳田國男展の会場と間違えてだった。しかし、私にとっては怪我の功名では済まぬほどの深い印象を著者の業績から受けた。

本書は著者が残した多数のエッセイの中の一つに数えられる。稀代の猫愛好家として知られた著者が発表した、猫に関するエッセイ・小説・童話を集めた一冊である。記念館でも著者と猫の関わりは展示されていた。しかし、著者と猫の関わりを知るには展示物よりも本書の内容が全てだ。全編とにかくねこねこねこネコ子猫猫ネコ。猫しか出てこないのである。

本書の中のエッセイにはさまざまなネコエピソードが登場する。

「来世は猫だ。」という書き出しから始まる『ホテルの猫』
「この次の世には私は猫に生まれて来るだろう。」と終わる『台風記』
「私は物など書かないでネコのように怠けて好きなことをして日だまりで寝ていたい」と始まる『わが小説-スイッチョ猫』
「女房の話だと、私の家に住んだ猫の数は五百匹に余る」という文が冒頭に来る『白ねこ』

全部で58編の随筆が猫の事。さらに小説が一編、童話が四編。いずれも猫が登場する。

その中にはフランスにあるル・シャ家という猫を姓とした一族についてのエッセイが2つ。ほぼ同じ内容で載っているのもご愛敬だろう。『ねこ家墓所』『猫家一族』

あまりに猫好きが有名となり、ひっきりなしに捨て猫を敷地に投げ込まれる。「猫が十五匹以上になったら、おれはこの家を猫にゆずって、別居する」と宣言するほどの猫屋敷。『猫の引越し』

私は今まで猫好きな文豪とは内田百閒氏のことだと思っていた。内田百閒氏といえば『ノラや』である。愛猫ノラが家出したことで取り乱し、辺りを探し回る顛末を延々と書き連ねる百閒氏にネコ好きで勝る文豪はいるまい、と。しかし著者もまた猫好きでは百閒氏に劣らない。そして百閒氏のようにネコ可愛がりにメロメロになるのではなく、猫に対して人間の矜持を保ちつつ、ネコに溺れている著者の様子がまたよい。

猫は人間に対して媚びないから猫なのである。同じように人が猫に対して媚びてはいけない。私も猫好きだからその点は良く分かる。その点、著者の猫に対する態度は本書のエッセイを通して凛としていて気持ち良い。猫には媚びないのが一番である。

また、これは猫とは関係ないが、本書の文章は実に読みやすい。私は著者のことをもう少し古い時代の方と思い込んでいた。しかし著者の文体は漢文調でも文語調でもなく、分かりやすい口語体で統一されている。これは通俗小説の書き手として分かりやすい文体に気を遣っているからだろう。

巻末に収められた『白猫』という小説はエッセイに比べてずいぶん長めの分量となっている。短編と中編の間くらいの紙数はあるだろうか。その内容とは、戦時中から戦後の横浜を生きる敏子の目からみた、銃後の市民の戦争や軍隊に対する本音が描写されたものだ。昭和二十年の十月から発表を始めたというから、敗戦後すぐである。空襲下、統制され文筆活動を制限されていた著者の鬱々とした気持ちを発散させるような、戦時下の窮屈さや軍部の独走を批判する内容となっている。この物語において敏子のささくれた心を癒す動物として白猫が登場する。

童話四編も実によい。中でも著者自身がエッセイ『わが小説-スイッチョ猫』で自賛する『スイッチョ猫』は今の世でも通用する優れた童話だと思う。私は『子猫が見たこと』という復員軍人が家に帰ってくる様を描いた一編の童話にも印象を受けた。

没後40年を過ぎた今、著者の名前はだんだんと忘れられていきつつある。その多数が絶版になった著者の作品の中でも、本書はロングセラーとしての扱いを受けているらしい。本書を読むとロングセラーになっている理由がよく分かる気がする。今後、私がネコを描いたエッセイについて良いのない?と聞かれたら本書を薦めようと思う。

‘2015/12/12-2015/12/16


月と蟹


著者の作品を読むのは「向日葵の咲かない夏」に続けて2作目。妙に心をざわつかせる作風故、積極的に読みふけりたい作家ではないのだが、直木賞受賞作ということから、手にとってみた。

妙に心をざわつかせると書いたのも、著者が少年時代の持つ一種の危うさを巧みに書くゆえに、自分の子供時代の暗部を掴みだされるように思えるから。

本書は特に子供の心の不条理さが、主人公の家庭の不安定さ、満たされぬ環境とあいまって、不気味なほどに、心に刺さる。不条理さゆえに行き場のない、少年の閉ざされた、切羽詰まった心の闇が、ざりがにに対する残酷な行為となって、現れてくる。

その砕け散りそうな切り立った崖のような危うさは、全編を通して一貫しており、この主人公がざりがにだけでなく、何に、誰にどういう風にして暴発してしまうのか、という怖いもの見たさの一点で、ページを繰る手が止まらない。

ホラーやサスペンスで怖がらせる作品は世に色々とあるが、少年の心の闇の深さで、これほどまでに読者を恐れさせ、嫌な気持ちにさせる作品というのはそうそうないのではないか。

大人になった今、少年期の闇を潜り抜け、生きていることが、実はどれだけ危うく、得難い経験であったかと、思わせるのが本書。

’12/03/29-12/03/30