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Winny


本作を観て、映画館のエンドロールで涙が出そうになった。とても素晴らしい映画だった。
すべての技術者に見てほしいと思えた。

今までに私はいろいろな映画を観てきた。
それらの映画のいくつかは私をとても感動させてくれた。
だが、本作から受けた印象はまた違うものだった。それは今まで観た映画の中で最も私自身の人生に近かったからではないかと感じている。

本作は、金子勇氏の戦いを描いている。
金子勇氏とは、ファイル共有ソフトWinnyを開発したことで逮捕され、のちに無罪を勝ち取ったことで知られる技術者だ。

私は技術者として20代半ばから今に至るまで活動を続けている。
今の私は会社を経営し、メンバーを雇用し、売り上げも伸ばすまでに至った。傍目から見ると順調なのだろう。
だが、私が最もプログラミングをしていて楽しいと思えたのは、20代後半から30代に差し掛かる頃だ。
当時はまだインターネットに信頼できる情報が乏しく、書籍が主な情報源だった。お金もなく、本屋で立ち読みした内容を頭に叩き込み、パソコンの前に向かってはそれを実践していた。

本作にも金子少年が本屋と電気屋を往復するシーンが描かれている。
私もあの少年のようにコーディングを学んでいた。金子少年の気持ちの高まりがよくわかる。深く感情を移入させられたシーンだった。

自分の描いたことがその場で実現できる。なんと素晴らしいことだろう。
当時の私はくめど尽きぬプログラミングやデータベースやサーバーの知識を浴び、毎日がやりがいに満ちていた。

金子氏がWinnyを発表したのは2002年のことだが、私がコンピューターの知識をむさぼるように得ていたのも、ちょうどその頃だ。

もちろん当時の私には金子氏のようなビジョンもスキルもなかった。
私が金子氏のように逮捕されるようなソフトウエアを作ることはできなかっただろう。
だが、当時の私に金子氏のようなスキルがあれば、おそらく自分の知識欲の赴くまま、突き動かされるままに、Winnyのようなものを作ったはずだ。おそらく、悪意を持った使用者によって著作権か侵害される可能性もあまり深く考えずに。もし問題が生じたら、プログラムを改修して対応すれば良い、と考えたはずだ。
つまり、金子氏の逮捕は、私にとってひとごとではない。

当時の私にとって、プログラミングとは紛れもなく自己表現であった。本作にも登場する金子氏の言葉「Winnyは私の表現なのです」のように。

幸いなことに、私はファイル共有ソフトでファイルをアップロードしたことはない。そもそもインストールすらした事はない。Winnyだけじゃなくて類似のソフトウエアも含めて。
また、今の私は会社を経営する身であり、順法の必要性もコンプライアンスの重要性も理解しているつもりだ。

それを前提とした上でも、私は金子氏が逮捕された理由については、司法側に批判的な立場だ。
金子氏が逮捕された理由は、著作権法の侵害のほう助容疑。つまり、著作権の権利を侵害する手助けをしたのではないか、ということだ。技術自体が罪に問われたわけではない。
つまり、具体的な作品を違法アップロードした行為が罪に問われ、そのツールを開発した目的が著作権を侵害することにあったのではないか、ということだ。

もちろん、それは違う。だが、司法側の論理によれば、不特定多数のユーザーに対しソフトウエアを公開するにあたり、ユーザーの誰かがそのソフトウエアを使って著作権の侵害が予想されるなら、開発者はそのソフトウエアを公開してはならない。
その論理が認められるなら、逮捕されるべきは金子氏だけではない。
極論であることを承知でいうと、金子氏が逮捕されるなら、wwwを開発したティム・バーナーズ=リー氏も、GPT-4の開発者やMidJourneyやStable Diffusionの開発者も同じく逮捕されるべきだと考える。どれも著作権の侵害をもたらすソフトウエアだから。
同じ論理を延長させるなら、ブロックチェーンの考えを公表したサトシ・ナカモト氏すら、通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律を侵害した罪で逮捕されるべきだろう。

だが、そうした方々は逮捕されていない。もはや逮捕するには不可能なほど、それらの技術が広く使われているからだ。
だが、それらの技術は著作権の侵害に深く関わってしまっている。直接的に何かのメディア作品を侵害したというより、社会の根深いところに既存の法権利や考え方に決定的な影響を与えてしまった。
私の個人的な意見としては、Winnyは法権利や社会を混乱させる技術をこれ以上生み出させないための見せしめにされた気がする。

逮捕は技術の否定につながる。
そして、技術は進化しなければならない。
もちろん、無秩序な進化は歯止めがかけられるべきだろう。地球にとって技術が望ましくない負荷をかけてきたことも事実だ。

だが、仮にすべての技術の進化を止めたとする。
今を生きる多くの人々は喜ぶだろう。これで何も学ばずに済む。既得権益は守られ、立場は保守できる、と。地球環境はこれ以上の悪化を免れられる、とも。
だが、長い目で見れば、技術の停滞は人類の死を招く。なぜなら、遠い未来に地球環境は激変するからだ。
太陽は膨張し、地球は燃える。それを待つまでに隕石が落ちれば、人類の滅亡は早まる。
技術を進化させ、人類を滅亡させる厄災から手立てを講じなければ。技術を凍結させる選択肢には人類にはないのだ。

司法側の立場もわかる。
今を生きる人の権利を守るのが役目。人々の権利を侵害する技術を摘発する任務は理解できる。
だが、今を守る司法の視点の先にあるのは長くても数年単位だろう。その一方、技術はこの先百年、千年先を視野に入れている。
司法とは、そもそもの性質から、現実や過去の判例に縛られるしかない。未来を視野に入れた組織ではないのだ。
そういう認識のもと、未来を見据えた技術を裁くことは不可能なのではないだろうか。

今回のWinny事件の教訓とは、技術と司法側のそれぞれで視野に入れる時間軸が大きく隔たっていることが明らかになったことではないだろうか。
だからこそ、上に挙げたような新技術への逮捕者は金子氏を最後に出ていないのだと思う。

本作には宇宙や星がモチーフとして登場する。
それはまさに未来の象徴でもあり、人類の目指すべき道筋を指し示している。
そして、同時に司法と技術の埋めようもない距離の隔たりを示唆している。

司法と技術の隔たりの犠牲となった金子氏。私はもちろん金子氏とは面識はない。
本作で東出さんによって描かれた金子氏や伝え聞く話、さらに本作のエンドクレジットで流される動画からは、金子氏の邪気のない姿がうかがえる。
おそらく、金子氏は純粋に技術を極めたかったのだろう。今までに人類を進歩させてきた好奇心に突き動かされるままに。

「宇宙の広さは、人間が存在している間には解明されないでしょう。けれど、パソコンの中の宇宙であれば全て理解できるのではないか」

本作の中で登場する上のセリフは金子氏が生前に語られていたのだろう。
それを語る金子氏は東出さんが演じておられる。パンフレットにも書かれていたが、本作にも登場する金子氏のお姉さまが、本作を見て号泣されたそうだ。それほどまでにそっくりだったのだろう。

私は東出さんの出たテレビドラマや映画を見たことがない。が、役者としての本分に関係のないゴシップ記事だけが目に付く。
だが、本作を演じた東出さんの姿からは、プロの役者としての思いのようなものが感じられた。

私もそのプロ根性から学ばねばならない。金子氏の残した技術への純粋な探求心も。

弊社の主な活動範囲は技術をお客様に提供することにある。
そして本作で技術が象徴していた未来を見据え、追い求めてゆく必要がある。そうでなければ弊社の存在意義はない。
それとともに、その技術で先走って世の中を置き去りにするものではなく、お客様のために寄り添っていかなければ。
本作で司法が象徴していたように。

あと、もう一つ本作から受け取るべきメッセージは、他人のために無償で働く行為についてだ。
技術業界ではそれまでにもシェアという慣習があった。本作にも2chの画面でWinnyを投稿する様子が描かれる。
無償で公開したWinnyが世の中に波紋を巻き起こす。
技術はこうした無償の技術情報の交換を通して発展してきた。
本作には金子氏の逮捕をきっかけに各地の支援者からの入金があった描写もある。クラウド・ファウンディングのはしりだ。
本作にはそうしたシェアの考えはそれほど全面には打ち出されていない。だが、そうした行為が今の社会に大きく影響を与えていることは見逃してはならない。今の私の活動領域にも若干かぶっている。

本作はとても貴重な示唆を私に与えてくれた。
冒頭に「今まで観た映画の中で最も私自身の人生に近かったから」と書いた。それは過去だけではない。これからも近づけていかなければならない。金子氏が願った未来へと。
私も、弊社も。

‘2023/4/8 イオンシネマ板橋