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大阪 - 大都市は国家を超えるか


いまさら言うまでもなく、私の故郷は兵庫の西宮である。
私の実家から一時間も自転車をこげば梅田。完全に大阪経済圏の中に組み込まれている。
家から甲子園球場の場内アナウンスが聞こえる場所。私の人生の基盤は甲子園球場の近くで培われた。

東京に転居し、一旗をあげようとやってきてから早くも二十三年の月日がたった。だが、私にとって今も兵庫が故郷と言う意識には変わりない。
むしろ、首都圏のラッシュアワーや混雑のひどさに辟易しているが故に、東京に愛着を感じられずにいる。無論、東京への一極集中には断固として反対の立場だ。

首都圏だけではなく、大阪のような諸都市が等しく成長する。
東京だけを衰退させる理由はないが、わが国にあるあまたの都市でも、一つの都市に控えてもらうくらいの規模感。それがちょうどいい。本気でそう考えている。

ただし、そのためには大阪が頑張らなくては。東京都までの規模に肥大する必要はないが、せめて東京で飽和した人口の一部くらいは大阪が引き受けてほしい。東京の持っている権益や集中の一部は大阪が担うくらいの気概を持ってほしい。

今でこそ大阪はわが国の第二、第三の都市としての地位に甘んじている。
が、江戸時代までの大坂は天下の台所との異名がつけられていたように、日の本一の経済都市だった。大阪の活況は明治維新をへても変わらず、むしろ関東大震災で壊滅した首都から被災民を受け入れ、煙都の異名をとるほどだった。
小林一三氏が育て上げた阪急電車は、鉄道会社による地域活性化の強力なモデルケースとなったが、それが首都圏ではなくまず大阪で始まったことでも、大阪の当時の優位は明らかだ。

ただ、このところ大阪に元気がなかった。戦後からずっと。
その状況に変化が生じたのは、ここ二十年のことだろうか。
今や、日本のお笑い文化は大阪文化で育った芸能人が席巻している。

そんなところに登場したのが日本維新の会だ。特に弁護士の橋下氏が大阪府知事に、さらには大阪市長にも就任した事で脚光を浴びた。維新の会が一生懸命、大阪をよくしようと頑張っている。
私も東京にいながら、大阪を応援したい思いは強い。
そう思って本書を手に取った。

残念ながら日本維新の会が企図した都構想は住民投票の結果、否決された。
都構想とは、東京都のように、大阪府と大阪市の行政機構を統合し、大阪都として一新を図るものだ。
それによって財政の無駄は減り、職員や議員も削減できる。これが維新の会が打ち出した構想だ。大阪の抜本的な改善。

本書は、大阪がどういう形で発展し、どう没落したのかを分析している。
それは、大阪都構想の妥当性も検証することにつながる。

残念ながら、大阪都構想が住民投票で否決されたのは、住民から見ればより広い範囲の単位に行政機関が再編されることで、住民サービスが低下することを嫌ってのことだろう。
維新の会の構想に反対する勢力の情報発信に負けたともいえる。

そもそも、大阪都構想は日本維新の会の専売特許ではない。すでに戦後、当時の大阪市長が提唱していた。
大阪府の反対でとん挫した上に、戦後の復興にともなっての都市計画の決定権が都市から国に移管されたことが決定的だった。その時点で東京都になっていたので東京以外の都市は都構想の対象から外されてしまったのだ。

東京が二十三区制で長年運営できている以上、大阪でもやれたのではないだろうか。
だが、本書を読むと物事はそう単純ではない。
東京の場合、二十三区と周辺の市を比較すると、都市の指標の格差が歴然としていたという。だが、大阪の場合、大阪市と周辺の市がほどよくバランスのよい人口構成になっていたようだ。
上に挙げたように、阪急などの鉄道会社の発展が早かったことも集中しなかった原因なのだろう。

また、本書にも書かれているとおり、大阪市域の面積は実は広くない。それも他の大都市と違う大阪の外部要因だ。
大阪市域は狭く、周辺市には交通の便も整備されたことで人口が流入した。そして、都市計画の権限がなく予算も取れずに大阪市は発展の糸口を失った。
せいぜい、大阪港の埋め立てで市域を拡張したのみ。そうした対応が限界にきたのが大阪の経済力低下の原因なのだろう。

周辺の市を統合しようにも、都市計画の権限を国に握られている。
こうみていくと、大阪府と大阪市の統合は必然のように思えてくる。
維新の会は、市民サービスの維持について、もっと積極的に有権者にアピールしたほうがよかったのではないか。丁寧に周知すれば理解ももらえたはず。

結局、否決された理由は変化を嫌う意向もあったのだろう。そして、議員特権が失われる議員からのロビー活動もあったのだろう。

橋下氏が府知事を辞任し、市長に就任する離れ業を成し遂げても、住民に否決されたのではどうしようもない。
橋下氏が政界を引退したのち、跡を継いだ松井市長によってふたたび都構想は住民投票にかけられた。が、その際も否決された。
ようやく手続き上議題に上がった都構想も、廃案にいたってしまった。

実は、本書が発売されたのは二〇一二年である。つまり第一回の住民投票よりも約三年前。つまり、本書は二度の都構想の否決については触れていない。

結局、住民サービスの低下以外にも、統合によるコスト増や統合効果が薄いなどの反対意見を克服できなかったということか。
そして、すでに今の発展した社会の中にあって、巨大な変化を伴う大阪都構想はやぶれる宿命だったのかもしれない。

だが、もし大阪都構想がだめならば、より大きな単位の統合が必要な道州制はもっと難しいはずだ。

本書をもとに、再度挑戦する志を持った方が表れてもよいと思う。
期待したい。

2020/12/1-2020/12/6