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2024年2月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括

2月。
旅は仕事とセット。
今月はまさに前半は道東で過ごし、月末は山梨で過ごしました。
旅をしながら、現地で作業や商談をしていましたし、ワーケーションツアーで移動していました。

今月は釧路、標茶、厚岸。帯広、大樹、中札内、幕別、士幌。山北、松田。甲府、塩山、甲州、都留の各地を訪れました。

仕事をしながら、旅をする。そのノウハウをいかに実現するかが私の人生のテーマです。
が、まだ私の理想にはほど遠い毎日です。

昨年秋から、私個人の力の限界を感じさせる出来事が相次ぎました。
が、経営の上で個人の力で乗り切るしかないかな、と覚悟を決めています。

昨年でついに50の齢を迎えた私の人生も少しずつ下り坂になっていることは承知です。
同時に次の世代を導かなければならない責任も感じています。

まだ老いこむには早いと考え、もうひと頑張りしようと思っています

私に与えられた時間は有限で、ますます残り少なくなっているから、
残された時間を少しでも有意義にしたい。そう思います。

生きていること、生かされていることのありがたみ。
それを常に忘れぬようにしながら、充実した日々を送りたい。
皆さんと私の思いは同じです。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちをフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。

今月は家族とは一回お出かけしました。妻とは一回、妻と長女とは三回、妻と次女とはゼロ回、長女とはゼロ回、次女とはゼロ回。


§  月表

 ・二月お出かけ
東京国際空港 (羽田空港) (HND)、たんちょう釧路空港 (KUH)、かど屋、大喜湯 春採店、釧路フィッシャーマンズワーフ MOO、魚政、946banya、BUKU BUKU あわ家、塘路駅、牡蠣場、たんちょう釧路空港 (KUH)、ホテルルートイン 釧路駅前、釧路駅、帯広駅、北海道ホテル、西5条17丁目 バス停、セイコーマート たさか店、中札内鉄道記念公園、道の駅 なかさつない、六’Cafe、十勝野フロマージュ、かつら旅館、マックスバリュ 中札内店、道の駅 なかさつない、ウェザーコックカフェ、ローソン 中札内店、紅や、セブンイレブン 中札内店、かつら旅館、マックスバリュ 中札内店、道の駅 忠類、道の駅 コスモール大樹、味の龍月、晩成温泉、ホクレン忠類給油所、道の駅 ピア21しほろ、天然温泉HOTEL 鳳乃舞 音更、元祖豚丼のぱんちょう、セブンイレブン 中札内店、かつら旅館、とかち帯広空港 (OBO)、中札内村文化創造センター、道の駅 なかさつない、かつら旅館、開拓村、LAND、夢の北広場(駅北多目的広場)、HOTEL & CAFE NUPKA、相互電業、居酒屋とっくり、ときお、COCKTAIL BAR PAL、らーめん酒屋 三楽、帯広競馬場、馬の資料館、とかちむら 産直市場、ローソン 帯広駅北店、HOTEL & CAFE NUPKA、とかち物産センター、帯広駅バスターミナル、とかち帯広空港 (OBO)、搭乗口2、東京国際空港 (羽田空港) (HND)、びっくりドンキーサンドラッグ 町田木曽店カラオケ館 町田木曽店、サイアム セラドン、花子と太郎、しながわ観光協会、高倉町珈琲、和食麺処サガミ 町田金井店、CoCo壱番屋、kicspace、台湾小館 Taiwan Bistro、プティフ・ア・ラ・カンパーニュ株式会社ジョイゾー、慶元寺、喜多見 氷川神社、万葉歌碑、麺飯坊 無双、子之三嶋神社(三島神社)、杯一食堂、横浜ハンマーヘッド、セブンイレブン、クイーンズスクエア横浜、CAFe? KALDINO アコルデ代々木上原店、大谷田公園、焼きあごラーメン 侍道、秦野駅観光案内所、山北町鉄道資料館、山北町立生涯学習センター、河村城址、丹沢山別院 最勝寺、洒水の滝、川村土功之碑、露木勝兵ヱ商店、ニューヤマザキデイリーストア 山北駅前店、薬師池公園、野津田薬師堂(高野山真言宗 普光山 福王寺)、七国山 鎌倉街道の碑、七国山、薬師池公園 蓮園、PHIL、城のホテル、勝沼ぶどうの丘、MDVs、都留市駅、都留市役所、より道の湯

・二月ツイート
https://togetter.com/li/2323286

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かける機会は、今月はゼロ回ありました。


ただし次女が帰ってきて二泊して行ってくれたので、その間は家族で夕食を一緒に食べるなど、家族団らんの時間を持つことができました。

§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で一回でかけました。


スナックジョイゾーに行く途中、お客様からお仕事の相談を受けていたので、妻を連れていきました(2/16)。
お客様と「プティフ・ア・ラ・カンパーニュ」に行き、その後はお客様のお店へ。妻の知見を活かせる機会がやってきました。
これからも仕事上で妻に手伝ってもらうことが増えそうです。

§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は三回ありました。

ある日、買い物をしに行きました。その後、びっくりドンキーで遅いお昼を食べた後、さらに買い物をしてから、三人で「カラオケ館」へ(2/12)。

その翌日も家族で「和食麺処サガミ 町田金井店」へ(2/13)。


さらに別の日は三人でスナックジョイゾーに参加しました(2/16)。この日は妻が企画したハワイアンナイト。皆さんにフラを教えていました。みんな立って踊って舞っていました。すごい!
今まで燻っていた妻の能力を生かしてもらう機会をこれからも積極的に作ろうと思います。

§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会は一回もありませんでした。

次女は少しずつ成長しています。今月から正社員となって働いています。正月の三日間も仕事にいきつつ、家にも毎日来てくれました。楽しくやっているようなので、親として安心しています。


§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は昨年の4/1付けで雇用しました。
先々月からはとあるお客様の事務担当として週一度訪問し、社会の風にあたってもらっています。

長女も次女も折を見て家族との時間を大切にしてくれています。
長女は先月も今月もkintone界隈の若手の飲み会に進んで参加していて、少しずつ自分なりに社会との接点を増やしていってくれています。とても楽しそうに若手だけの飲み会の話をしてくれました。娘以外はサイボウズさん、ジョイゾーさん、トヨクモそんな新卒だけだったそうです。頑張れ!

昨年末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。
私にできることは親の頑張る姿をみせることぐらいかな。

●私自身の二月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は関西に行く日がなく、私も北海道や山梨に滞在していた日が長かったので、関西にはそれ程多くのご縁がありませんでした。
ですが、いろいろとご縁が繋がっています。

今月もオンラインでのやりとりだけあげれば、城崎、京丹後、福山、広島、高知の方とはやりとりしています。岡山にルーツがある方とも。
遠からずまた関西に行くはずです。


§  今月の交流 今月は、仕事に絡んだイベントが多かったので、飲みも含めた交流は比較的多めでした。

私の場合、公私混同の毎日です。私的な付き合いなのか、仕事をからめた付き合いなか、もうあまり区別できません。また、区別もしないようにしています。
皆さんとの交流は本当に楽しかったです。



CLS道東では学びながら楽しみましたし、その翌日の大人の遠足編は塘路湖からアレキナイ川の神聖すぎる川をカヌーで下る経験をしました。さらには塘路駅に到着するSL冬の湿原号の雄姿を見届け、さらには憧れの厚岸でウイスキーを垂らしながら牡蠣を食べる幸せな時間を過ごしました。

十勝でもご縁のある人々とお会いし、kintone Café 帯広でも十勝の皆さんと交流を深めました。



スナックジョイゾーでも妻がフラを伝道し、さらにCLS道東でお会いした皆さんと再会できたのもうれしいできごとでした。

私も乾杯の発声をする栄誉を。

甲府でもワーケーションや甲府を楽しむ人たちとのひと時を楽しむことができました。

今月も皆様ありがとうございました。

●私自身の二月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、またしても書く時間が取れませんでした。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。読んでからレビューをアップするまでの時間も二年数カ月に達しようとしています。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていませんが、一人の時間がないことは見直さなければと考えています。
レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。これも長い間アップできていないので、来年から時間を作らないと。

今月、書いた本のレビューは0本()。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは3本(
CLS道東 2024 極寒編に参加してきました
CLS道東 2024 極寒編 大人の遠足編に参加してきました
kintone Café 帯広 Vol.4に参加・登壇しました。
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは1本(
RICOH kintone plusのRICOH 帳票作成プラグインの攻略ポイント
)。

なお、一昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

1月30日 1月30日 ITと芸術の共存こそが城崎の魅力
1月31日 1月31日 神々の戯れ、ゲーム作りをkintoneで
2月1日 2月1日 Gmailのポリシー変更に思うこと
2月2日 2月2日 月初から心機一転。ただしこちらのペースを押し付けない。
2月5日 2月5日 まず動くこと。やってみること。発信すること。
2月6日 2月6日 地方で観光コンテンツを考えてみる
2月7日 2月7日 ワーケーションの効能を十勝で感じ中
2月8日 2月8日 地方にいて東京への偏向を感じた
2月9日 2月9日 地方の活性化は行政の力が欠かせない
2月13日 2月13日 ワーケーションするためにやるべきこと。
2月14日 2月14日 ワーケーションはコミュニケーションあってこそ
2月15日 2月15日 ゲームには技術の粋が詰まっている
2月16日 2月16日 大人になると裸の付き合いが必要
2月19日 2月19日 誰かの人生を好転させるコミュニティを作りたい
2月20日 2月20日 差別化しないと生き残れない時代に
2月21日 2月21日 GDPは高いが、生産性は低いことに反省。
2月22日 2月22日 kintoneのカスタマイズの手段、どれを選ぶか。
2月26日 2月26日 タモリさんのように好きなものを追求して生きたい
2月27日 2月27日 街を歩くと情報発信への改善案に気づく

§  今月の読書 今月は7冊の本を読みました。内訳は、技術書一冊、ビジネス書二冊、歴史書三冊、新書一冊。

今月も本を読む時間が取れていません。が、無理やり本は読むようにしています。ところが読んでもそれをアウトプットできていないのは上に書いた通りです。
形式的にアウトプットするのなら、ChatGPTに頼るのもありですが、それは自分にとって衰退への道だと思っています。

そういえば晩成温泉にいる間、巨人の星の続きを読むことができました。全部読んでしまいたいと思います。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞はゼロ本です。

見たい映画は多いのですが、結局見る時間がありませんでした。


§  今月の舞台 舞台については、今月は一本も観ていません。

妻が最後の公演に代表として動いています。私からは何も言いません。

タカラヅカの生徒が自死を選んだ悲劇はまだ尾を引いています。
多分、タカラヅカも無事ではすまないでしょうね。



§  今月の音楽 コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月はSTYXの全アルバムを順に聴いています。現時点での最新アルバムまでたどり着きました。その一つ前のアルバムが思いのほかよくて収穫でした。この後、20曲を選ぼうと思います。


今月はカラオケに二回行きました。帯広のトキオでは昭和歌謡スナックにふさわしく私も熱唱しました。
さらに東京に帰ってからも妻と長女と三人で行きました。

また、妻がスナックジョイゾーでフラの講師を務めまして、私も一緒に踊りました。ろくに踊れませんでしたが、久々にハワイアンの雰囲気に浸りました。


§  今月の美術 今月、帯広競馬場に併設された馬の博物館に行きました。そこで観た馬をモチーフにした絵画が印象に残りました。
馬は絵になります。また馬だけを牧場なみに行く時間を持ちたいと思います。日高へ。


§  今月のスポーツ 今月は、スポーツはしていませんが、帯広競馬場でばんえい競馬を観戦しました。
あまりの寒さに外でずっと声援することはできませんでしたが、四半世紀以上ぶりにみたばんえい競馬は良かった。
乗馬もまたしたいと思いました。


あと、山北町を訪れた際、河村城跡を頂上まで登り、つかの間の山登りを楽しみました。
なかなかの急登で、かなり息切れし、体力の低下を実感しました。
山にまた登りたい欲求が増しています。


§  今月の滝 今月は久々に滝を訪れました。「洒水の滝(2/24)」。


FourSquareによると訪れたのは約八年半ぶりだそうです。私の記憶では4,5回目の訪問のはず。
前回訪れた際は、落石か何かで滝の近くまでの遊歩道が通行止めになっていて、残念な思いをした記憶があります。
今回、久々にきてみると、見事な観瀑台が設置されており、高く近くで滝を見られるようになっていました。

直瀑に近く、岩が長い年月で穿たれ、木のうろのようにえぐられた洒水の滝。
日本百名水にも選ばれていて、ひしゃくから汲んで飲むまずは美味です。

山北町の町おこしに何か協力したいと願う私としては、洒水の滝を擁する山北町は、名水の里としての可能性があるはずだと思っています。

§  今月の駅鉄 今月は三駅を訪れました。「塘路駅(2/4)」「北綾瀬駅(2/20)」「松田駅(2/24)」

塘路駅は一面の雪景色でした。
CLS道東の翌日、大人の遠足編で塘路湖からアレキナイ川へカヌーで川を下って上った後に訪れました。
別版が塘路駅近くのThe Geekへサウナに入っていたのを待つ間、ちょうどSL冬の湿原号がやってくるというので、カヌー班は先に駅でSLを待っていました。


一面の雪景色の中に黒い車体が汽笛をあげてやってくる姿は、勇壮で見栄えが際立っていました。
動くSLを見るのは相当久しぶりだったので、この美しくも力強い光景には、しばし見ほれるしかありませんでした。その前のアレキナイ川からの眺めも神々しいものでしたが、SLが走る鉄橋の真下をくぐってカヌーを漕いだ際も、もしこの上を丁度SLが通れば絵になると想像しながらカヌーを漕ぎました。
雪景色の中のSLは、この2月のクライマックスと言える光景でした。

なお、塘路駅はかつて訪れたことがあります。四半世紀以上前のことです。
その時は、一人旅の途中でした。釧路駅前に寝袋で寝転がった翌朝、ノロッコ号に乗ってやってきました。
それ以来、長きにわたったブランクをへて再訪した塘路駅は、記憶の中の面影をなんとなく宿していました。その面影を再発見したことに感無量でした。


北綾瀬駅は、お客様への商談の際に乗り降りしました。綾瀬駅から一駅区間を乗車して降り立ち、帰りは北綾瀬発小田急線乗り入れの準急で帰りました。
この区間を乗ったことで、千代田線は全線を完乗しました。
北綾瀬駅は、車庫への引き込み線を利用した線という割には駅前に住宅や商業施設が並び、閑散としている想像を裏切ってくれました。むしろ住みよい街、という印象を受けました。
一区間を往復する車両は3,4両編成ですが、小田急線直通は長大編成に変わります。つまり編成によってホームの使っていない箇所が大きいことや、車庫への引き込み線なので、奥に線路がもう一つ設置され、複線がさらに北へと伸びていることも印象に残る駅でした。」


松田駅は、山北町に行く際の乗り換えで利用しました。昨年末にも山北町から帰る際に乗り換えで利用しました。また、かつて結婚前に妻と御殿場に行き帰りした際にも利用した記憶があります。
小田急の新松田駅には、山登り仲間と何度か利用したことがありますが、松田駅で乗り換えることはこれからも増えそうです。

特に山北駅には何回か来ることになりそうなので、かつての東海道本線の大動脈を担っていたこの辺りの鉄道遺産を何かに使えないか考えてみます。


§  今月の酒楽 今月は飲む機会がまあまあありました。八軒、六日です。

とはいえ、大きく分けて3回。釧路と帯広と東陽町です。他はあまり飲んでいません。




釧路で行われたCLS道東では、カウンターに佐藤さんとジョイゾーの中嶋さんというすごい取り合わせがあり、日本酒のさまざまな取り合わせを楽しませてくれました(2/3)。福司酒造のしぼりたて生酒。小林酒造の特別純米まる田新酒。碓氷勝三郎商店の北の勝絞りたて。さらには京丹後から来た皆さんによる日本酒の差し入れ!木下酒造の玉川の中汲みや、笑顔百薬、CHIMERAといった銘酒の数々をいただきました。どれもおいしかったです。


夜の懇親会では寿司が美味しい「BUKU BUKU あわ家」。もう何をしていたのかあまり覚えていませんが、ひたすらハイボールを飲んでいた記憶があります。どうやって宿である大喜湯 春採店に帰ったのか全く記憶がないほどでした。


その翌日の大人の遠足編では、みなさんと最後、カキキンさんの経営する「牡蠣場」へ。厚岸といえば牡蠣。そしてウイスキー好きには厚岸の各種モルトが有名です。厚岸で牡蠣を食べてウイスキーを飲むことが念願でしたが叶いました(2/4)。
とても美味しかった。牡蠣もウイスキーも。

そのあとの十勝では仕事に集中する時間が長かったのですが、泊めてもらっていたかつら旅館では夜の晩酌にビールを飲んだました。



そして帯広で泊まった最後の夜は、kintone Café 帯広の懇親会(2/10)。
まずは「居酒屋 とっくり」。さらには「トキオ」で歌いながらのカラオケ。さらには三次会に「COCKTAIL BAR PAL」。何を飲んだかあまり覚えていませんが、十勝の地酒やビール、ハイボール、さらにタリスカーを飲んだように記憶しています。
十勝の皆さんとの語らいに時を忘れ、美酒に心を奪われ、料理に心地よくさせられ。


スナックジョイゾーでは、私の持っている年間パスポートを使っての企画があったので、フラのグッズですでにカバンはパンパンでした(2/16)。
そのため、差し入れは持ち込みませんでした。その替わり皆さんからの差し入れをおいしくいただきました。私が以前のスナックジョイゾーで差しいれた桜尾GINのLimitedを空けさせてもらいました。
フラで運動した後のお酒はおいしい。
あと、道東でもご一緒だった中井さんが来られていて、しかも道東でご一緒だった雪川酒造の山平さんの醸したワインを差し入れてくださいました。このワインがめちゃ美味しかった。CLS道東で飲めなかったのが残念でしたが、牡蠣場での山平さんの醸造人としてのこだわりをみていただけに、納得のおいしさでした。




なお、今月は一人飲みも何度かしました。CLS道東の前夜に釧路入りしたのですが、前夜祭の申し込みを忘れていたこともあって、仕事するために早めに宿である大喜湯 春採店で。その前に末広町のつぶ貝で有名なかど屋で夕食をいただいたのち、目の前のセイコーマートで北の誉の一合瓶を買って飲みました。

さらには、帯広空港で買ってきたBrasserie KnotのYAMASACHIもいただきました。


あと、商談で横浜の山下公園近くに伺った帰り、行きたいと思っていた横浜ハンマーヘッドのセブンイレブンに立ち寄りました。ここのお店はクラフトビールの品ぞろえが半端ないことで知られています。私も感銘を受けました。
そして、せっかくなので、南知多のベルガモットIPAを購入して帰り、後日いただきました。おいしかった。

§  今月の旅行 今月は、九泊十日の道東の旅に尽きます。
もちろん仕事に絡めていますが、金曜日の夜に釧路空港に降り立ってから、翌週の日曜日の夜の帯広空港から飛び立つまでの間、ずっと道東にいました。
その旅の様子は以下のブログにまとめましたので、ここでは繰り返しません。素晴らしい十日間でした。
CLS道東 2024 極寒編に参加してきました
CLS道東 2024 極寒編 大人の遠足編に参加してきました
kintone Café 帯広 Vol.4に参加・登壇しました。





なお、上の記事では十勝にいる間の詳細についてはあまり触れていません。十勝にいる間、中札内村や大樹町でも五泊六日の過ごしました。全てお客様の宿泊施設です。雪景色の毎日でした。お湯にも恵まれました。合間には四か所のサウナにも入りました。
十勝の大地の広さはすなわち可能性。仕事の成果もあげつつ、弊社の可能性も拡げられたように思います。

別の日には昨年のkintone Café 神奈川で忘れ物として誤って持ち帰ってしまったヤッケを返しに山北町へ。
山北町の魅力をさらに探るため、前回にはよる暇がなかった河村城址を登り、攻城を果たしました。さらには山をくだってから洒水の滝を久々に訪れました。上に書いた通りです。

さらに月末から翌月初にかけては山梨ワーケーションに参加しました。お客様への訪問があったので、私だけ初日の夜からの参加でしたが、初めての方々と有意義な時間を過ごしています。

今月、足跡を残した地は以下の通り。

東京都
 町田市、大田区、港区、品川区、渋谷区、千代田区、江東区、狛江市、世田谷区、調布市、足立区、
神奈川県
 川崎市多摩区、川崎市川崎区、大和市、横浜市旭区、横浜市中区、横浜市西区、秦野市、松田町、山北町
北海道
 釧路市、標茶町、厚岸町、帯広市、中札内村、幕別町、大樹町、士幌町、音更町
山梨県
 甲府市、甲州市、都留市


§  今月のその他活動 ・公園は四か所。「中札内鉄道記念公園(2/5)」「夢の北広場(駅北多目的広場)(2/10)」「大谷田公園(2/20)」「薬師池公園(2/25)」

・美術館はゼロカ所。

・駅は三駅。「塘路駅(2/4)」「北綾瀬駅(2/20)」「松田駅(2/24)」

・滝は一カ所。「洒水の滝(2/24)」

・温泉は五カ所。「大喜湯 春採店(2/2)(2/3)」「森のスパリゾート北海道ホテル モール温泉(2/4)」「晩成温泉(2/8)(2/9)」「天然温泉ホテル鳳の舞音更(2/9)」「より道の湯(2/29)」

・山は二山。「城山(2/24)」「七国山(2/25)」

・酒蔵は二か所。「勝沼ぶどうの丘(2/29)」「MCVs(2/29)」

・神社は二か所。「喜多見 氷川神社(2/17)」「子之三嶋神社(三島神社)(2/18)」

・寺は三寺。「慶元寺(2/17)」「丹沢山別院 最勝寺(2/24)」「野津田薬師堂(高野山真言宗 普光山 福王寺)(2/25)」

・教会はゼロカ所。

・史跡は四カ所。「花子と太郎(2/13)」「万葉歌碑(2/18)」「川村土功之碑(2/24)」「七国山 鎌倉街道の碑(2/25)」

・博物館は一か所。「馬の資料館(2/11)」

・遺跡はゼロカ所。

・城はニ城。「河村城(2/24)」「谷村城跡(2/29)」

・灯台はゼロカ所。

・動物園はゼロか所。

・水族館はゼロか所。

・土木遺産はゼロか所。

・マンホールカードは三枚。「東京都大田区(2/13)」「神奈川県秦野市(2/24)」「山梨県都留市(2/29)」

・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。

なお、昨年の夏ごろから信長の野望 出陣でアカウントを作り、様々な場所を巡っています。市区町村ごとに完全に訪れると制覇ができます。
遠征という機能を使って制覇したのではなく、実際に訪れた場所で制覇した市町村について、ここに記しておきます。
・長野県北安曇郡白馬村 2023/11/12
・長野県北安曇郡小谷村 2023/11/12
・山梨県南都留郡山中湖村 2023/12/16
・神奈川県足柄下郡真鶴町 2024/1/25


私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、バラエティ豊かな移動ができました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでもこうした場所を訪れてから死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。


加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。一昨年の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。


死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。そのためにもこうして書き残しておこうと思います。


今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、一昨年の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。

そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を38句。いずれもツイートまとめに載せています。


一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月も自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。
頼りない経営者であり父であり夫であるにもかかわらず、家族が常に一緒に行動してくれることに感謝します。


CLS道東 2024 極寒編 大人の遠足編に参加してきました


奇跡的に5時頃に目覚めました。
なぜなら、前夜、CLS道東の懇親会からどうやって宿に帰ったのか全く覚えていないからです。普通、そこまで飲んでいると目覚められません。
目覚ましをかけたおかげで、8時頃に起きられました。

泊まっていた大喜湯にお願いしてタクシーを呼んでもらい、私はその間に朝風呂に入りました。
正直、二日酔いで頭もぼーっとしています。しかし、朝風呂とコーヒーで少しだけ頭はしゃっきりとし、迎えのタクシーに乗りました。

MOO前のローソンでタクシーを降り、ローソンでおにぎりを食べて歯を磨き、バスの集合時刻の10分前に間に合いました。
よかった。寝過ごしていれば、今日の大人の遠足編に参加できない失態をさらすところでした。

とはいえ、私は大人の遠足編でどこにいくのか、あまり具体的に把握していませんでした。
私が知っていたのは塘路湖と厚岸を訪れることだけでした。でも、道東が好きな私には、それだけで十分魅力的。

皆さんも前夜はかなり盛り上がっていたようです。私など序の口で、もっと遅くまで飲んでいた方も多かったようです。
実際、バスの皆さんの多くがまだ眠気に襲われているようでした。

それでも、ガイド役を務める琴絵さんは立派。20名弱の眠気に襲われた皆さんを率い、釧路周辺を案内してくださっています。
『ホテルローヤル』のモデルとなったホテルとか、私も初めて見ました。新たな情報も取り入れつつ、私は眠るどころではなく、ひたすら大好きな道東の眺めに見入っていました。

やがてバスは釧路町を経て標茶町へ。塘路駅では迎えに来てくださったカヌーのガイドさんのワゴンに乗り換え、塘路湖畔へ。


湖畔には二梃が横に連結された形のカナディアン・カヌーが浮かんでいました。このようなカヌーがあることも初めて知りました。そもそも川下りのカヌーに乗るのが初めて。
湖岸の氷にバランスを崩しそうになりながら、六人でカヌーに乗り込んで出発。


まずは、塘路湖の中心部に向けてカヌーは進みました。
はるか先まで広がる湖面には、ワカサギ釣りのテントが散在しています。
氷に覆われた湖面は、ただ白く、ただ静寂で、私たちの感動する言葉だけが聞こえます。


湖面には白鳥が優雅に浮かんでおり、周りの風景に完璧に溶け込んでいます。
風景に見とれる私たちの前で、私たちの動きを察知したのでしょうか、白鳥は飛び去っていきました。
その姿はエレガントの一言。騒々しい都会からきた私たちに自然の品格とは何かを示してくれました。
私のiPadではうまく写真が撮れなかったので、同行した佐竹さんの写真をお借りします。写真だけでも美しさが思い浮かびます。


カヌーはそこから逆を向き、塘路湖から流れ出ているアレキナイ川へ。その穏やかな流れにそって、釧路川との合流点まで下っていきました。

あたりは凛とした寒気に覆われています。ところが身も心も凍えるどころか、その神聖さに洗われて温かい気持ちになりました。
音もなく流れる川。辺りには何の物音もしません。私たちの会話とオールを漕ぐ音。カヌーが水をかき分ける音。それだけが辺りを支配しています。


川の水の方が外気より温かいため、水蒸気が川から立ち上り、それが倒れた木々の枝にびっしりと霧氷となって幻想的な光景に彩りを与えています。
辺りを占めるのは白で覆われた世界。そうでありながら、目に見える全てがいきいきと色彩で彩られているように錯覚します。

樹々に止まる鳥があたりを自由に飛び回っています。川岸にはタラの芽を食べる親子鹿の姿も見られました。
人手が振れていない自然はこれほどまでに尊いのか。自然に対する畏敬の念が自然と沸いてきます。

こういうコンテンツは、都会で味わえません。
動画でもブログでも再現は不可能です。
今書いているこの文章でも私の味わった感動の百分の一も表せていません。
だからこそ、人は旅に出るのでしょう。体感するため、経験するため。

地方を活性化させるためには、こういうコンテンツを武器にすることです。
ただ、人をたくさん呼んでしまうと、自然の良さが失われてしまいます。

快適さと安定・安心を求めるのが人の本性であるとするならば、相反する刺激を求めるのもまた人。
都市と地方、集中と過疎。
それらの相反するキーワードをまとめつつ、地方をどうやって創生するか。

東京から塘路まで来るのは大変でも、釧路から塘路はそれほど離れていません。
釧路経済圏の経済を活性化し、そこに人を集め、道東にしかないコンテンツが好きな方に集まってもらえるだけのメリットを感じてもらう。

現実的に大都市から標茶町に移住する方を募っても、一部の方しか来ないはず。でも、釧路に来てさえくれば、移住者も道東も共存できるのではないか。

川に揺られながら朧げに考えていたことをまとめてみました。


神々しいとしか言いようのない川を下る体験は、自然に生かされている自分、という気づきももたらしてくれました。
自分の本性を押し殺し、これからも都会に住み続けることが果たして自分にとってふさわしいのだろうか、とか。
そもそも、このような寒さの道東に住み続けることが現実的なのか。冬の道東へのあこがれは、甘ったれた都会人の妄想に過ぎないのか。


川はゆったりと流れ、釧路川との合流点に。
今までの緩やかな流れとは打って変わり、釧路川の本流の流れは早く、そして力強い。
川面にはシャーベット状になった氷が連なり、しゃりしゃりと音を立てながら川岸を削っています。

穏やかなアレキナイ川の流れから、自然の荒さが少し垣間見える釧路川の流れへ。
自然の現実を少しかいま見たところで、私たちは再びアレキナイ川の流れを遡っていきました。


いくら川の流れが緩やかでも、川を遡るには協力が必要です。みんなでオールを漕ぎました。
そのため、行きのように自然を見ながらのんびり感動に浸る時間は減りましたが、これもまた自然の現実。

そうやってオールを漕ぎながらも、カワセミやオオワシやヤマセミやカラス、スズメやゴジュウカラ、マガモなどさまぞまな野鳥が私たちの目を楽しませてくれます。鹿の姿も見かけました。そうやって漕いでいるうち、塘路湖を出てすぐにある釧網本線の鉄橋をくぐり、インバウンドの観光客も含め多数のカヌーと挨拶しながら、元の湖岸に戻りました。

とにかく感動の時間でした。本当にありがとうございます。
コーヒーも振る舞ってもらい、塘路駅まで送ってもらいました。


さて、塘路駅で少し待てば、SL冬の湿原号がやってきます。約一時間ほどSLの到着を待ちました。
塘路駅への訪問は、私にとって約4半世紀ぶり。
かつて一人旅で北海道を回った際、釧路駅前で寝袋で野宿し、翌朝のノロッコ号に乗った時の終着駅が塘路駅でした。それ以来です。
駅巡りが趣味の一つの私にとっては、ぜひとも再訪したい駅でした。今回、このような貴重な時間があったことに感謝です。


しばらく待っていると人が集まり始めました。カヌーに乗っていても釧網本線の鉄橋に三脚を構える人々の姿がありましたが、SLを目当てにする撮り鉄はたくさんいるようですね。
やがて、彼方から汽笛が聞こえ、煙が見えてきました。やがて、SLの勇壮な姿がやってきました。


塘路駅は雪景色の中にあります。辺りは白。そこに入線してきた黒いSLの存在感は抜群です。雪景色の中、黒いSLが白い煙と黒い煙を盛んに吐き出し、辺りは黒と白の二色に染まりました。まさにコントラストの妙です。


動くSLを見るのは本当に久しぶりです。
かつては日本各地を、北海道各地を走り回っていたSLも、今や観光客向けの貴重なコンテンツとして余生を生きています。各地の公園に安置されているSLを見る機会は多いですが、動いているSLはまだまだ観光資源になりうるはず。
環境にとってどの程度SLが許容されるのかは分かりませんが、季節運行ではなく、通年運行にしてもよい気がします。

標茶まで去っていくSLの後ろ姿をみていると、可能性しか感じませんでした。
今や、都会でSLが走れる余地はまったくないはず。
SLこそ、広大な釧路湿原だからこそ許され、人を集められる存在になるのではないでしょうか。

丁度SLが去っていくタイミングに合わせて、近くのTHE GEEKでサウナで整っていた皆さんも戻ってこられました。
それぞれがそれぞれの好きなコンテンツを選び、楽しめる。素晴らしいですね!アテンドしてくださったジョイゾーの皆さんのプランが素敵です。

さて、バスは続いて厚岸へ。
これまた、私にとって楽しみな場所です。


かつて友人と二人で北海道を一周した際、厚岸に立ち寄った記憶はあります。ですが、その時はただ通り過ぎるだけでした。
その数年後にウイスキーとその周辺の文化を愛するようになり、Whisky Tourismを趣味の一つにしました。それから約二十年後、厚岸にウイスキー蒸留所ができたことも知ってました。
私が釧路に来始めた一昨年の夏から、厚岸にはいずれ行きたいと思っていました。

昨年夏のCLS道東の会場でも厚岸のモルトと牡蠣の取り合わせを楽しみました。昨年の10月には釧路のWhisky Bar 高森で多様な厚岸のシングルモルトやブレンデッドウイスキーを楽しみました。
私の中の厚岸へのあこがれが高まるばかりです。

そこにきて、今回の大人の遠足編です。厚岸にいって牡蠣が食べられる。ついに。

今回はカキキンさんの運営するオイスターバー 牡蠣場を貸し切りです。しかも普段は昼にやっていないのにお願いして開けてもらう贅沢。


牡蠣を使ったありとあらゆる品々が舌と胃袋を満たしてくれます。
カウンターには贅沢にもウイスキーを振りかけるための瓶が。好きなだけ牡蠣にふりかけられます。牡蠣だけではなく料理にも。中に入っているのはLightly-Peatedのサロルンカムイ。なんという贅沢な時間!


暖炉がふんだんに焚かれ、暑いとすら思える室内。そこから窓の外に広がる景色は氷が浮かぶ厚岸湖。快晴の空と対照的な白がまぶしく窓の外で光っています。
景色と振舞われる料理のすべてがここでしか味わえないもの。おそらく、どれだけ冷蔵技術が進んだとしても、目の前の景色までは持ってこられません。
素材が新鮮なことも当然ですし、景色を含めた場の空気までは都会では再現できません。二十名弱の旅仲間と共有できる時間は尊い。
まさに厚岸でなければ体験できない時間と空間と味覚です。





CLS道東のレビューの記事でも書きましたが、雪川醸造の山平さんが中嶋さんと商談を進める姿もとても印象に残りました。
必ず再訪したいと思いました。訪れた私たちにとって、また再訪するためのプレゼントも琴絵さんからいただけたことですし。
カキキンの中嶋さんやスタッフの皆さん、ありがとうございました。琴絵さんにも感謝!




帰りのバスの中で、道東の景色を眺めながら、前日のCLS道東のブログを少しずつ書き始めました。


と、私の通路を挟んだ反対側の小島さんの席に琴絵さんがやってきました。
なんと、琴絵さんがやっているVoicyの収録を小島さんを迎えて行うというのです。
Voicyの収録が目の前で行われる!これをチャンスといわずしてどうするのか。

私もブログを書くために開いたパソコンを閉じ、二人の対談に聞き入っていました。
Voicyはあとからある程度の編集ができるとは知っていましたが、それは各チャプターの並びだけ。
#56 パラレルマーケター 小島英揮さんを迎えて、CLS道東を語ります
ここで語られる内容は、私が目の前で聞いた内容と同じです。

つまり、完全に即興でこれだけの対談が成り立ったわけです。
まさに、私にとって生きた見本を目の前で見せてもらえました。

登壇とはライブです。前もって資料を作っていれば、ある程度は話せます。
ですが、資料もなしにその場で即興で話す、しかも対談とあれば、前もって深く考えていなければとてもできるものではありません。
しかも、どもったり、えーとかあーとかの間投詞もなく、それでいながら即興で話し合える二人に感心しながら聞いていました。
CLSの事やコミュニティやマーケティングについて普段から考えておられる証拠ですね。学びになりました。


空港でかなりの方が釧路を離れられました。そこから釧路市観光国際交流センターまでの道中も、琴絵さんと小島さんの対談は続きます。
CLSやコミュニティだけではなく、部下への接し方、組織についてなど、Voicyに収まっていないためになる話が聞けました。

自由と安定。その中で小島さんがおっしゃったキーワードです。
私もその両立を目指しています。個人としても、弊社のメンバーが実現できるようにも。

その意味でもとても興味深い一日でした。小島さんと琴絵さんには感謝です。
バスを降りた後、高知からはせ参じてくださった片岡幸人さんと釧路駅前まで歩きながら語りました。
CLS高知を運営されて、こうしてCLS道東まできてくださる事には頭がさがります。
それとともに、私も移動しつつ、自分の仕事もこなせるだけの力を持ちたいと願いました。

今回の大人の遠足編は、私の個人的な喜びを満たしてくれる機会でした。そして、さらに学びの場でもありました。
地域コンテンツの充実が都会にとって何を意味するのかについて。そして山平さんが見せてくれたようなその場で機を逃さずに商談する行動力について。最後にVoicyを使ったその場で語れるだけの自己研鑽の重要性です。
それらを満たすことによって、私が地域に対して何らかの提案ができるようになることを願っています。

まだ私にはできることがある。努力すれば、伸びしろだってある。
またこうやって道東を旅し、仕事もし、人と交流がしたい。
今回、道東を訪れ、皆さんと一緒に旅ができたことは、間違いなく私にとって更なる良い効果を与えてくれるはずです。

皆さんへの感謝の心と決意を抱きながら、帯広への特急おおぞらに乗りました。帯広では仕事をするために。
今回の皆さんには感謝です。CLS道東、懇親会、大人の遠足編で会った皆さんに。


CLS道東 2024 極寒編に参加してきました



2024年2月3日に開催された「CLS道東 2024 極寒編」に参加してきました。
告知ページはこちらです。

CLSはコミュニティ・リーダーズ・サミットの略です。
つまり、全国の様々な地域・職種のコミュニティを率いる方々が集ってコミュニティのあり方や取り組みを紹介し、共有する場です。皆さんがそこで学び、コミュニティ活動に実践することが趣旨です。

私はCLS道東の初開催から全てに参加しています。

なぜ毎回参加するかというと、コミュニティ運営についての学びが得られるからです。

私は、kintone Caféというコミュニティ運営に複数の支部で関わっています。最近では、新たな支部の立ち上げや休眠していた支部の再活性化にも携わっています。

また、弊社も山梨県に関わりを深めています。
山梨県への関わり方をどうすればよいかについては、まったくの未経験からのスタートでした。

弊社の場合、役員である妻がGoodWay社とのご縁を深めました。そのご縁から、学生団体トップファンや山梨県活性化プロジェクトなどに人脈を拡げつつあります。
私もまた、kintone関連のイベントを通じて山梨での知己を増やしています。

山梨県ではこのように既存のコミュニティに参加してから、新たなコミュニティの立ち上げに関わりました。さらに、自社でも新たなコミュニティの創生も模索しています。

私と妻は共に、人口減少に悩む山梨県の役に立ちたいと志しています。そして、これからの働き方や暮らし方を考える上で山梨が適しているのではないかと考えています。
そこで、山梨に弊社の拠点を構えることを考えています。山梨に拠点を構え、リモートワークにより首都圏や他地域の案件は引き続き対応します。それと同時に、山梨での案件を増やすことで仕事を通じて地域に貢献したいという思いが増しています。
そうした活動を通して山梨のために還元できるやり方として、単なるクラウドを用いたシステム構築だけでなく、雇用創出やコミュニティ作りを組み合わせることが有効だと確信しています。

ゼロから人脈を広げるには、具体的にどのような行動を取るべきか。山梨で上記のような活動をするには何を考え、どう動くべきか。
CLSからは多くの事を学びました。
今までは、コミュニティのイベントに参加するだけだった私が、コミュニティの立ち上げや創出にも関われるようになったのも、CLS道東やCLS高知で得た知見があったからです。
今回のCLS道東でもそれぞれの地で活動されるコミュニティの運営事例を伺うことができました。


さて、CLS道東が始まりました。
風邪をひいているにもかかわらず司会役を全うしたみうみうさんによる開会のあいさつの後は、早速本編へ。その前に四宮琴絵さんからは946BANYAの入場者数が一万人を超えたというとてもうれしいニュースと記念すべき一万人目のお二人に花束贈呈が。おめでとうございます!


今回は参加者の名札が三種類用意されていました。どれも、秋田さんによる手書きでとてもすばらしかったのです。私はSLを選びました。


「トークセッション1【道東の魅力を掘り起こすー地域と人を巻き込む方法】」
モデレーターの塩崎さんの進行のもと、スピーカーの堀田さんと達川さんが士幌町と標茶町で取り組まれてる事業を話されていました。


堀田さんは株式会社atLOCALの代表として道の駅ピア21しほろの運営を行われています。
道の駅を民間に委託するにあたり、士幌町内で立候補する事業者がいなかったそうです。このままでは町外の事業者によって道の駅から士幌らしさが失われてします。それに危機感を感じ、会社を立ち上げられたとか。

堀田さんが中札内村のご出身で中札内村のJAにおられたという経歴も興味をひきました。
なぜならCLS道東の数日後に中札内村で三泊する予定があったからです。
また、士幌町の隣の音更町にお客様の現場視察の予定もありました。ということは、その際にピア21しほろに立ち寄れそうです。
また、弊社はJAさんにDX支援をしています。その中では直売所のDX推進もやるべきミッションの一つです。堀田さんの取り組みから学べる事は多いのではないかとひらめきました。

日本一町民に必要とされる道の駅という運営方針にも興味があります。道の駅の運営を町の人にも来てもらうためには、運営側としては表に出ない方がよい。
実際、道の駅ピア21しほろのウェブサイト(https://pia21shihoro.jp/)にはatLOCAL社はほぼ出てきません。商品にもロゴはだしていないそうです。

数日後、実際に「道の駅 ピア21しほろ」に伺いました。そこで、堀田さんと懇談し、あらためてその運営方針やお考えについてうかがいました。
実際、「道の駅 ピア21しほろ」には地元の方と思しき方々の姿が多く見られました。また、スタッフと活発に意見を交わすミーティング中の堀田さんの姿もみることができました。
ミーティングで話される内容や指示内容が具体的であることも印象に残りました。この熱意こそが道の駅 ピア21しほろが町民に受け入れられた理由であることに納得しました。

余談ですが、「道の駅 ピア21しほろ」を訪れた翌日に、堀田さんのご実家である中札内村の「焼肉 開拓村」にも訪問できました。中札内村ではよく知られたお店だそうで、そのご縁には驚きました。ボリューム満点で肉もめちゃ美味しかったです。まさにCLSが生み出すご縁です。


また、達川さんは標茶町でTHE GEEKというサウナ&クラフトホステルを営んでおられます。ウェブサイトはこちらです。
達川さんは兵庫の宝塚のご出身で横浜の戸塚で仕事をする中、訪れた塘路に一目ぼれしたそうです。そこから知己もいない中、単身で挑戦を始めたそうです。
誰も知り合いがいない中、イベントを企画し、一人で黙々と準備をしていたら、みかねた地元の方が助けてくれたり、免許停止を食らった状態で移動に難儀していたら地元の方が助けてくれたり。

山梨で挑戦しようという今の弊社にとって共感できるストーリーがありました。

私も達川さんの経歴には親近感を持ちました。宝塚の隣の西宮で育ち、戸塚からそう離れていない町田に住んでいるからです。
ところが今の私は24年強の間、町田から離れられずにいます。達川さんはそこからもう一段高いレベルへ挑戦し、見事に成果を出しつつあります。その心意気は、学ばねばならないでしょう。

よく都会から田舎への移住にあたってよく聞くネガティブ情報として、地元の方に受け入れられないとか排除されるとかの声はよく聞きます。
お二人を見ていると、やり切ることで地域に受け入れられた人の達成感がありました。懸念よりも実際に地域に飛び込んでいくことで地元の方々の共感を得る。とても大切なことだと思います。
とても励みになったお二人のセッションでした。


ここで休憩。私はせっかくなのでお隣の大道東まつりで中札内いなか鶏に反応して、カレーを頂きました。めちゃ美味しかった。



さらにここで日本酒コーナーに吸い寄せられ、佐藤さんの元に伺うと、まさかのサウザーさんことジョイゾーの中嶋さんが!ジョイゾーさんへのご入社おめでとうございます!


「トークセッション2【京丹後で繋がるローカルとソーシャル】」
モデレーターの高山さんの進行のもと、スピーカーの長瀬さんと岸さんと渡邉さんが京丹後市で取り組んでいる事業について話されていました。

京丹後市といえば豊岡のお隣です。つい七日前、私が滞在していた城崎の近くです。
また、京丹後市は10年ほど前、両親とうちの家族で旅行にいき、夕日ケ浦などを訪れた思い出の場所でもあります。

Tangonianの皆さんからは興味深いキーワードがたくさん伺えました。
「コミュニティツーリズム」
「地域を「観光地」から「関係地」へ」
「繋がるローカルとソーシャル」
どれもが新鮮なキーワードです。

そうしたキーワードから通して教わったのは、コミュニティツーリズムが事業として成り立つことです。
観光客も地元の人も生身の人です。データではありません。
地元で働く人々は観光目的で生計を立てていません。そうした人に対し、浅薄な観光客を紹介すると信頼を損ねてしまいます。つまり信頼貯金がなくなってしまうのです。そうならないために本当に信頼できる人を絞って紹介する。つまり、お互いにとって無理のない形で共感を作る。

Tangonianの皆さんの取り組みからは、インバウンド需要をうまくとらえ、それを基にした地域おこしや地域創生が事業として成り立つ可能性を学びました。

私が役に立てるのはクラウドを活用した情報システムの構築です。
旅が好きで地域のために役立ちたいと思っている私ですが、どうすれば地域創生についてお客様に対価としていただけるサービスを提供する方法がよくわかっていません。


コミュニティツーリズムの考え方は、私にとって新たな気づきを与えてくれたように思います。
Tangonianの皆さんありがとうございました。

続いてはサポーターセッション。


「サポーターセッション1 生活協同組合コープさっぽろ」
長谷川さんといえば、武闘派CIOとして著名な方です。このセッションでは長谷川さんが広報担当として売り出したい方(お名前を失念してしまいました・・・・)と掛け合う様子がとても面白く、私も妻と同じようなスタイルで登壇できへんかなぁとつい考えてしまいました。
こういうのも新たなコミュニティの形です。
登壇慣れしていなくても、コミュニティ活動に不慣れでも、こういう場数を踏むことで人は成長していく。その過程が見られたような気がします。


「サポーターセッション2 KEEN株式会社」
KEENさんの事業の中でKEEN Managerは面白いと思いました。
発信者とは育てることも必要でしょう。ですが、発信が好きかどうかは育てる前からわかるはず。つまり、将来のコミュニティにとって欠かせない発信者を発掘することは、コミュニティの継続にとってやるべきことです。それをやってくれるのがKEEN Manager。そういうニーズはお客様の中にありそうなので、頭に入れておき、今後に提案できる機会があればよいと思いました。


「サポーターセッション3 雪川醸造合同会社」
ワイン、飲んでますか?というタイトルでしたが、今回のCLS道東の懇親会ではワイン飲めずに終わりました。
上に書いた通り、日本酒と山椒のマリアージュを教えてくださった佐藤さん、サウザーさんの二人がタッグを組んだ日本酒ブースに吸い寄せられてしまったためです。

ワインの複雑なウンチクやしきたりから脱して、もっとも楽しくワインを飲むように訴える山平さんの話は印象に残りました。
「果実味、酸、余韻」というキーワードは覚えました。今後はこのキーワードを軸にワインを語ろうと思います。
私はワインを極めることはあきらめていました。ですが、ワインもこの三つのキーワードで語ればより面白い世界になるはずです。

山平さんとは翌日の大人の遠足でもご一緒させていただきました。
カキキンさんのオイスターバー牡蠣場にて、牡蠣の殻がワインづくりに使えると、商談を申し込んでいた山平さんの姿がとても印象に残りました。
機を見て素早くご縁を結ぶ。商いとはこうあるべきです。遠足の最中であってもアンテナを立てて次への動きができる。よい見本を見せてもらいました。


続いては、9名の方によるLTタイム。
実は十日ほど前にLT枠に欠員が出たので、LTやりましょうか?と申し出ました。ところが、私がもたついているうちに別の方がLT枠に申し込みました。私のLT登壇の機会は失われました。

今回の皆さんのLTを聞いていて、早いうちに、CLS登壇の実績解除は果たさねばと思いました。
CLSは学びの場として有効です。ただ、参加するにつれ、学べることはどうしても減っていくはずです。それでも、登壇さえすれば、きっと次の展開が開けるはず。
CLS道東に何度も来ていると、顔見知りの方が増えてきます。ただ、顔を知っていることと、実際の活動内容を知る事には大きな隔たりがあります。
皆さんのLTを聞いていて、この方が何の活動をしているかについての情報がアップデートされる感覚を味わいました。
それは私も同じ。よく顔を見るkintoneのエバポロシャツ来ている奴はなに?と思われていることでしょう。それを、皆さんの前で登壇することで情報をアップデートしてもらう。次回は登壇を目指します。


さて、LTタイムの後は、
「ワークショップ 【各地のCLS運営を招いてのワークショップ】」
として、CLS高知の小林さん、CLS道東の四宮さん、そして今度CLS三島らへんを立ち上げる川村さんによるもの。

この組み合わせはとても興味深いものでした。
なぜなら、冒頭に書いた通り、弊社にとって山梨でのコミュニティづくりは避けては通れないからです。その際に参考となるのが、コミュニティのあり方の一つの到達形であるCLSだと思います。


前回、CLS道東に参加した後、CLS三島が立ち上がるとの話を聞きました。それを聞く前は、CLS山梨もありかな、と思っていました。が、CLS三島らへん(らへんというキーワードは微妙)と重なる可能性もあるため、山梨でのCLS開催は控えておいたほうがよさそうです。
ただ、それでもCLSのプラットフォームから学べることは多くあると思っています。山梨のほかに山北や真鶴でも地域創生のご相談を頂いている今となってはなおさらです。

CLS高知やCLS道東は地域が持つ強いコンテンツ(風土や景色や食)がを生かせます。CLS三島らへんもまた、箱根や富士、伊豆といった国内有数の観光地を近隣に擁しています。
かつて函南や三島にはよく訪れていました。妻が持っていた山の家があったからです。だから、三島の持つコンテンツの豊かさは理解しているつもりです。
CLS三島がどのように育っていくのかについても、とても興味があります。


CLSとは私にとっては学びの場でした。ということは、まだ参加したことのない方にとっても十分な学びの場となるはず。
CLS三島らへんは首都圏からも行きやすいですし、日程も発表されたので参加したいと考えています。


丁度のその時間に美しい釧路の夕陽が落ちました。コンテンツの強さを象徴する場面です。


さらにCLSの創始者である小島さんの誕生日が今日であり、まさかの誕生日プレゼントが!!
厚岸のボトルもうらやましいし、秋田さんが描かれた小島さんの似顔絵がとても素敵でした!おめでとうございました!


そしてその後は武市さんの集合写真家としての強力なリーダーシップのもと、全員で集合写真を撮りました。

今回は若干前回よりも人数が減ったように思います。
毎回お見えになっていた釧路市長やえぞ財団の皆さん、惣田さんもお見掛けしませんでした。
(鈴木議員も来ていないと書きましたが、お見えになっていたそうです。琴絵さんからFacebookでご指摘いただきました。ありがとうございます。また、失礼しました)

ただ、こういうのは当然ながら任意参加であり、皆勤だからえらいということはありません。
今後、私もやむを得ない事情によって来られなくなることもあるはずです。


夜の懇親会ではゆっくり話せなかった方々と多くのお話ができました。とても楽しい時間でした。また、その後の二次会、三次会もかなり楽しみました。どうやって宿である大喜湯 春採店に帰ったのか、全く覚えていないぐらいに。
ただ、酔った中でも皆さんと交流を深める中で私なりにCLS道東に来る理由、学ぶべき内容や学んだ内容も整理できたように思います。

実際に私がコミュニティを作り始める前と後では、CLSから受ける情報の質も大きく変わったように思います。
作り始めた今だからこそ、実践されている方々から受け取る情報が明らかに変わったように思います。
そして、山梨やその他の知己で弊社が展開するコミュニティづくりに、今回のCLS道東で学んだことは活かせるはずです。

次の海霧編にもまた来て、学びたいと考えています。
また、その時には私からも何かの取り組みで得た情報を共有したいと思っています。

まずはご参加の皆さん、スタッフや登壇者の皆さん、HOKKAIDO DESIGN CODEやジョイゾー社の皆さん、その他、ご縁のあった皆様、本当にありがとうございました。

XのPOSTまとめサイトはこちらです。


輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路に参加してきました


前夜祭の楽しさから一夜明け、本日はいよいよちいクラの全国大会です。
オーガナイザーは9時に集合という指示を受け、私も妻と共に9時前に会場に入りました。

私は立場上、9時に入る義務はありません。
とはいえ、弊社も甲府で開催する予定のちいクラ山梨を企画運営します。
もちろん、ちいクラ山梨の運営は妻の役割です。しかし、私も当日はサポートをする必要があると予想しています。
それもあって、雰囲気や準備などを見ておかねばと思いました。


釧路市観光国際交流センターは、いつも釧路を訪れる際に必ず立ち寄るMOOフィッシャーマンズワーフのすぐそばにあります。
広い会場では設営がほぼ終わり、次々とマルシェの店舗を出す方々がお店の飾り付けや設営準備に勤しんでいました。妻もオーガナイザーの一員として朝礼に出席し、朝礼の後もそれぞれの役割を果たして行きます。

私自身も、この日の夕方、ちいクラ全国大会が終わった直後に、別のイベントでオンラインでLT登壇する予定がありました。そのため、どの場所であれば接続ができるか、どの場所であれば音声がクリアになるのかを把握する必要がありました。そこで会場の中だけでなく、建物の外も歩きまわりながら、ロケーションハンティングに勤しんでいました。

場所のめどがつき、作業していたところに妻からの連絡があったので、会場に戻りました。

すると、妻はマルシェでお店番の役割を与えられていました。そして、何やら楽しそうにお店の店番をしていました。マリモデザインファクトリーさんのショップです。

こちらでは、オーガニックな素材や鮭が美味しく食べられるお皿などユニークな商品が展示されています。同じオーガナイザー仲間として妻とも仲良くしてくださっていると言うことで、私もいろいろなご縁を結ばさせていただきました。

他のショップもいくつか覗かせていただきました。

中でもCLS道東で私に日本酒と山椒のコラボレーションを教えてくださった佐藤さんのブースでは変わり種日本酒もいただきました。
さすがにこの日は夕方に登壇の予定があったので一杯だけにしましたが。


他にも会場にkintoneがいたことも書いておかないと。サイボウズ災害支援プログラムです。
サイボウズ災害支援プログラムサイト

ここ数年の日本は、明らかに災害が増えています。そうした災害の際にkintoneなどのツールを活用し、ボランティアの受け入れや指示、災害場所の迅速な把握などに使ってもらう取り組みです。

私もkintone Café 神奈川でスタッフがサイボウズ災害支援プログラムについて話しているのを聞いていました。そのため、内容についてはおおよそは知っていましたが、きちんと聞くのは今回が初めて。代表の柴田さんとも初めてきちんとご挨拶ができましたし、驚いたのはあっとクリエーションの黒木さんまでが釧路に駆けつけてくださっていたことです。だいぶ前に黒木さんとは、神戸でお会いしたことがありますが、まさか、こういう出会いに恵まれるのも、このちいクラの良さでしょうね。
そうしているうちにいよいよ本編のプログラムが始まりました。


まずは地元の釧路鳥取傘踊り保存会による傘踊りの演舞披露から始まりました。
私は釧路に鳥取という地名があることを知っていましたし、それが鳥取からの開拓者にちなんでいることも推測していましたが、この傘踊りについては知りませんでした。
開拓の志に燃えた当時の人々の思いを、今もこうやって受け継いていることは素晴らしい。


続いて、サイボウズの青野社長による講演です。
私は初めて大塚商会のセミナーで青野社長の講演を聞いてから、今までに何度も青野社長の講演は聞いてきました。ただ、地域をテーマにした講演は聞いた記憶がありません。

東京などの大都市と地方の格差は埋まるどころかますます開いています。
衰えていく一方の地方を活性化するにはどうするか。その地の産業の力を育てるしかない。
ただ、わが国の場合、地方どころか都市にすらIT人材が枯渇しており、諸外国に比べてもIT技術者の割合が少ない状況にあります。

kintoneのようなローコードツールを使えば、地方にもITの力を導入できるはず。

ちいクラの開始にあたっての思いも含め、あらためてサイボウズさんの理念は一貫していると思いました。

そして、最前列で青野社長の講演を聞いていた妻にもその理念は伝わったはず。
なぜ私が地方に肩入れするのか、という理由も含めて。


続いてはちいクラの本編がスタートです。
ちいクラといえばアイスブレイクに必ず設けられている大人の本気のラジオ体操。
会場に集った皆さんにラジオ体操の手本を示すため、壇上に五人のオーガナイザーが現れます。
ん?その中に見知った顔が。なんとうちの妻が混じっているではありませんか!

まだ一度もちいクラを開催していないにもかかわらず、いきなりオーガナイザーデビューを果たしてしまった妻。
まずはおめでとうです。

そしていつもの音楽に乗って体を動かす皆さん。ところが私はラジオ体操が久しぶりすぎて、周りの人と右左を逆に踊っていました。
あれ?さては壇上の妻を見つめすぎたかな?

さて、いよいよ本編が始まります。
ここからは全国各地の地域クラウド交流会で選ばれた方々が、それぞれの思いを発表する場です。
プレゼンターご本人と一緒に登壇するのは各地のオーガナイザーの皆さん。

さすがというべきか、皆さんの思いがそれぞれ熱い。
特筆すべきは、ほとんどのプレゼンターの方が個人の思いだけで登壇までされていることです。
何かの企業の後ろ盾や組織ぐるみでの登壇ではなく、個人の思いだけで発表までしてしまうこの熱量。

同じ時刻、はるか高知ではCLS高知が催されています。
そちらではさまざまなコミュニティのあり方や運営が議論されているはず。既存のコミュニティも含めて、多くは他の企業に所属されている方が運営しています。
その一方、ちいクラでは個人の方がそれぞれの思いを聴衆に問い、支援を求めています。

いうまでもなく、どちらにも優劣は付けられません。
ただ、ちいクラは個人の思いがダイレクトに表出されるので、私たちの感情に響くかもしれません。

実際、皆さんのプレゼンによって私も感情を揺り動かされました。
cocoスペースの今野さんの壇上で感情をあふれさせる姿。前夜祭でもお隣で話させてもらった釧路の秋田さんの苦しみを乗り越えた姿。秋田さんは見事に優勝しました。おめでとうございます。
甲賀で馬と人の居場所に取り組む稲増さんの内容には興味を持ちましたし、仙台で高校生向けのオンライン学習サービスを立ち上げた佐々木さんの取り組みはこれからのわが国に直結するはずです。
豊岡の守本さんの取り組みは同じ地元としてとても共感し、社会的処方という言葉も教わりました。豊岡の久保さんは懇親会でお話し、同じ阪神間にご縁があることと、私の次女のキャリア形成に参考になりそうな取り組みをされているのでとても共感しました。
郡山の相樂さんの助産師としての取り組みは、まさにこれから少子化と戦っていかなければならない希望そのものです。


さて、続いては、これまた地元釧路の昭和小学校の金管バンドによる演奏です。
これがまた、とても上手かった!
私の次女も中学校の頃、吹奏楽部でユーフォニアムを担当していたので、私も何度も演奏会を聴きに行きました。
なので、最初は小学生の演奏ということが信じられませんでした。お見事!


続いては、オーガナイザーの四宮琴絵さんによるファシリテーションのもと、サイボウズの青野社長、蝦名釧路市長、漫画家の最上うみみさんによるトークセッション。
なかなか意表を突く人選ですが、これが面白かったし、参考になりました。
青野社長は著書や講演、サイボウズさんの社風として私もなじんでいます。そして、蝦名市長は毎回CLS道東に必ず顔を出してくださるばかりか、懇親会にも登場し、私も何度かお話しさせていただいた方。その政治家らしからぬフランクでオープンな人当たりに好感を持っていました。そこに最上さんのアーチストとしての感性が入ることで、セッションの内容が予測できなくなりました。
まさにセッションの中に登場した通り、掛け算が生み出す予想できない変化が期待できそうです。アドベンチャーと地域の力と漫画が何かを生み出せるのではないか。そんな期待を持たせてくれるセッションでした。

私はまだ、ファシリテーターを行った経験はあまりありません。未経験者からの意見からではありますが、見事なコラボレーションを生み出した琴絵さんのファシリテーションには感心しました。春先のCLS高知でもかすがい製菓の原さんのファシリテーションに感心した時と同じ感覚です。
いつかは私や妻もこういう場でもファシリテーターとしてトークセッションを切り回せるようにならないと、と思わされました。


さて、これをもってちいクラ全国大会も終了です。
そして皆さんで集合写真の撮影。
この時の私の心は少し焦っていました。なぜならこの後、SORACOM UG ExplorerのLT登壇が控えていたからです。朝の時点で登壇する場所のめどはつけておいたので、接続や音声障害の懸念はなかったのですが、そもそも時間に間に合わなかったらどうしよう。

結論からいうと、登壇は無事に終わりました。登壇については別ブログで取り上げたいと思います。

さて、会場を移動し、946BANYAでの懇親会です。
この懇親会もとても楽しい時間を過ごすことができました。
いちいち皆さんとの会話は繰り返しません。

例えば、
サイボウズのソーシャルデザインラボの皆さんと会話ができました。
但馬信金の皆さんとも会話ができました。
蝦名釧路市長とは結構長い時間お話をさせていただきました。前後半の二部制に分かれ、後半は妻も交えて。
5月のkintone hive sendaiのアフターhiveの場で一緒に業務改善のワークショップに取り組んだ宮城第一信金の皆さんからは先方から気づいてお声がけいただきました。
久保さんとは同じ阪神間にご縁があったことで盛り上がりました。
札幌と和歌山を結ぶ活動をされているさとうさんともご縁がつながりました。ほかにも皆さんとの貴重な時間がとてもうれしかったです。

最後の挨拶でジョイゾーの小渡さんが男泣きを見せる姿に私ももらい泣きしてしまいました。地域のご縁から採用につながり、しかも今や八面六臂の活躍をなされている小渡さんと、小渡さんに活躍の場を与えられたジョイゾーさんにうらやましさを感じると同時に、弊社も同じような方に入ってもらうようにならなければ、という決意が沸きました。

妻もまた、皆さんとの交流のパイプを太くしていたようです。
そこで、その後の二次会は妻と私は別々の行動をしました。
私は、デジラポを見学させてもらえるというので、そちらの皆さんと行動を共にし、妻はオーガナイザー仲間と釧路の夜に繰り出しました。


デジラポは釧路市役所の目の前のビルに位置しています。
ここがすごい内容でした。コワーキングスペースとしての機能はもちろんですが、子供が情報技術に興味を持ってもらえるような設備が充実しています。
ロボット、IoT、メタバース、3Dプリンター、カッティングマシーン、ドローン。なんとこれらのツールがたくさん使えるとのこと。
まさに技術者にとっては垂涎の場所。釧路に高専があることは上にも書きましたが、釧路はジョイゾーさんの拠点でもあるし、今後はデジタルの街として名をはせるかもしれません。
デジラポサイト

さて、ここで三々五々、散会した私たち。
私もせっかくなので、ここ1年半で釧路を三回訪れていながら、まだいけていなかった場所を巡りました。
モシリヤチャシ跡と、Whisky Bar 高森さんです。
うーん、厚岸おいしかった!!! 見事に釧路の夜が締まりました。

本日も皆さん、ありがとうございました!

翌日もちいクラツーリズムで釧路湿原、鶴居村、摩周湖、硫黄山を巡りましたが、それはいずれ別ブログで取り上げたいと思います。


スナックジョイゾー&輝け!!第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路前夜祭に参加してきました


本稿のタイトルは長いですが、それは二つのイベントが同時に開催されたからです。
以下は、妻と一緒にこの二つのイベントに参加してきたレポートです。

前夜は三次会まで帯広で飲み明かしていました。投宿していた北海道ホテルに着いたのは2時ごろだった気がします。

ところがこの日は平日。朝九時からオンラインで東京のお客様と打ち合わせがありました。
お客様と話す際、私の喉はかなりかれていたことでしょう。


打ち合わせが終わると、帯広で旅情を味わう間もなく、すぐに釧路へと向かいました。帯広で仕事をすることも考えましたが、天気はあいにくの雨でした。帯広の地を堪能する暇もなく、駅で食べた豚丼だけで釧路に向かいました。
そんな風に早めに釧路に移動する必要があったのは、夜のイベント前に妻と釧路で合流するためです。


そこで、11時39分発のおおぞらで釧路に向かいました。この便については、昨夜三次会まで一緒だった濱内さんに教えてもらいました。ありがとうございます。
別車両に乗ってらっしゃった濱内さんも同じく向かう先は釧路!いざ!ちいクラへ!


釧路に着いた私は、まっすぐ釧路フィッシャーマンズワーフ MOOにある「946BANYA」に向かいました。
946BANYAでは明日、第4回地域クラウド交流会全国グランプリ in 釧路(ちいクラ全国大会)の懇親会が催されます。
そして、あとで訪れる夜のイベント会場(炉ばた浜番屋)とは川を挟んだ対岸にありました。妻と待ち合わせるには最適の場所です。
また、私もここでなら作業ができるとあたりをつけていました。

私の予想通り、946BANYAでは仕事が快適に進みました。オフラインの作業も、東京のお客様とのオンライン会議も、全てが円滑でした。
釧路でも仕事ができる今の情報環境には本当に感謝しています。この事は言葉に尽くせません。

さて、時間が来たので、私と妻は菅原さん原田さんと連れだって会場となる炉ばた浜番屋に移動しました。


今回はこちらの会場で本稿のタイトル通りの二つのイベントが開催されました。
とくにスナックジョイゾーは、釧路で初の出張開催。いつも催されている東陽町でも同時に開催され、窓と言われる縦長のデジタルサイネージを使って双方の会場で二元中継し、それぞれスナックジョイゾーを開催してしまう斬新な試み。さらに、それをちいクラの前夜祭と絡めてしまうあたりが、ジョイゾーさんの発想力を現しています。

中継だけならツールを使えば簡単にできてしまうでしょう。ですが、釧路と東陽町に同じ機材を導入し、それをお店に持ち込んでしまうまでの準備は大変だったはずです。
ジョイゾーさんに拍手ですね。



私は皆様のお膳立てに感謝しながら、美味しい料理を楽しみ、会話に花を咲かせていました。

思い起こせば七月のCLS道東でも、こちらの浜番屋で花咲蟹を食べたのでした。
別の方のSNS投稿でこのお店から蟹を自宅発送できることを知った妻から、なぜ家に送ってくれないのかとお叱りのメッセージがあったので、帰りの新千歳空港で蟹を買って送ったのも思い出です。
そんな過去の失敗も、今回浜番屋に妻を連れてきたことで帳消しになったのではないでしょうか。

今回、妻が釧路に来たのは、ちいクラ全国大会があるからです。そして、私にとってもこうした地方でのイベントに妻と同行するはじめての機会でした。
この夏、妻はちいクラのオーガナイザーとしての研修を受け、晴れてオーガナイザーとして認定されました。
そのため、妻は初めから釧路に来ることに積極的でした。はたから見れば、妻のイベントに私が従順についていったように見えるかもしれません。

ですが、ちいクラに妻を巻き込んだのは私の目論見でした。
発端から話すと、今年の春先にジョイゾーの四宮琴絵さんから連絡がありました。オーガナイザーになる人を募集しているので誰かいないか、と。
私はそれを聞いた途端、これは妻にやらせよう、やらせるべきだ、とひらめきました。

妻は結婚してから20数年の間、いろいろなコミュニティや集いに参加していました。そしていいように使われ、数年で疲弊してそのコミュニティを離れることを繰り返していました。
私よりも弁舌が立って頭も回るのに、お人好しでいいように使われてしまう。そして疲れ切って消耗する。それが毎回のパターンでした。まさに琴絵さんからお誘いいただいた時も某コミュニティの中で疲弊の極にありました。
私はそれをとてももどかしく見ていました。適所におけばいきいきと活躍できる妻なのに、なんともったいない、と。

今回のちいクラオーガナイザーの話を琴絵さんから受け、妻にやらせようと思った背景にはそういういきさつがありました。
ちいクラならば、サイボウズさんの事業なので、私もある程度は知っています。理念にも共感しています。アホはええけどウソはあかん、という社風を擁するサイボウズさんになら裏切られることはないでしょう。
また、私自身もちいクラには今まで墨田や郡山で三回ほど出たことがあり、なじみもあります。
また、会社としてオーガナイザーに登録する必要があるため、弊社にとっても必ずプラスの効果があらわれるはず。

そうした背景もあって私も初めから妻のオーガナイザー就任は後押ししてました。そして、ぜひ妻にはちいクラ全国大会に行くべきだと伝えていました。
今回のちいクラ全国大会の日程はCLS高知と重なっていましたが、私は最初から釧路を選んでいました。七月にCLS道東で訪釧した際も、10月21日にはCLS高知ではなくちいクラ全国大会に来るからよろしく、と皆さんに言っていたくらいです。

なぜ私がそこまで妻を連れてくることに積極的だったかについては、もう一つ理由があります。
それはCLS高知やCLS道東、または他の地域で行われるkintone Caféや糸と魚と川のようなイベントに、なぜ私が参加するのかということを妻に知って欲しかったからです。

ある地域に全国から人が集まり、そこで各地の文化やご縁を結び合う。
それによって地域は元気になると、東京や他の大都市に人が集中する問題にも解決の道が見える。私や弊社が首都圏で埋もれるつもりがなく、地域を応援しよう、外に向けて積極的に打って出ようとの意思を皆さんに伝えられる。
それによって地域から仕事が舞い込むこともあり、地域から登壇依頼が来ることもある。
私はそう思って地域のイベントに積極的に参加しています。

妻にとっては、私のこのような活動は、旅好きの道楽の一環に見えていたかもしれません。
が、実際にこうやって一緒にイベントに参加してもらうことで、各地域から来る人たちのご縁やつながりが道楽を超え、仕事にまでつながるんだよ。地域で得たご縁が首都圏での仕事にまでつながることもあるんだよ。
それを伝えたかったのです。それには百聞は一見に如かず。一緒に釧路に来てもらい、体験してもらえればいい。

今回のイベントは、kintone CaféやCLSとはまた違うメンバーが集っていました。私にとっても新鮮な顔ぶれでした。
中でも、サイボウズ社の青野社長を始め、旧社長室であるソーシャルデザインラボの皆さんが釧路に集結しておられました。
私は普段、サイボウズの多様な部署の方とやりとりをしています。が、ソーシャルデザインラボの皆さんとはまだお会いしたことのない方が多く、今回のイベントでは貴重なご縁をいただきました。


釧路に来て早々、素晴らしいご縁に恵まれました。
妻にとっても今後の活動に向けて弾みとなる出会いだったのではないでしょうか。
もはや明日の本番は楽しみでしかない。そんなふうに思えた一日でした。

まずはこの日、お会いした皆さん、ありがとうございました。そして妻へのきっかけを作ってくださった琴絵さん、今回の準備を行ってくださったジョイゾーの皆さん、本当にありがとうございました。サイボウズの皆さんもありがとうございました。


コミュニティリーダーズサミット in 道東 2023 海霧編に参加しました


7/1にCLS道東が開催され、参加してきました。
https://clsdoto2023-jiri.peatix.com/

昨夏にCLS道東が始まってからというもの、極寒編を経て、今回で三回目の参加です。つまり皆勤です。

道東の景色や雰囲気や風物、そして人々をこよなく愛する私にとって、釧路に行けるだけでテンションは激しく上がります。
ところが今回も業務が輻輳しており、行けるかどうかは最後まで微妙でした。
一月ほど前、倶知安の知人の方に繋げていただき、商談と絡めて訪道できるきっかけができました。とはいえ、倶知安の方からすると釧路は別の国といわれるほどの遠距離。

結局、今回はCLS道東の前夜祭と本編にのみ参加し、夜の懇親会には出られませんでした。
でも、それでも行って良かったと思いました。
今回ご縁のあったみなさま、とてもありがとうございました。


今回は、10月にもう一度釧路にくる必要があり、その下見も兼ねていました。
また、弊社でも今、山梨の甲府でイベント開催の準備を進めています。それがうまく行った後は、CLS山梨を開催できないか、という思惑も胸に秘めていました。


そんな気持ちで降り立った釧路たんちょう空港からのバスでは、早速@beajourneymanさんと隣の席で。
ところが、私は会話を存分に楽しむ余裕もあまりなく、お客様対応のコーディングをしながらでした。
ホテルに着いてからも、そのお客様と少しオンラインで打ち合わせしながら、さらに若干の作業をこなす必要に駆られていました。

結局、私が前夜祭の会場である浜番屋さんへ向かったのは一時間後でした。


前夜祭では、花咲蟹の旨みとホッケの西京焼きに痺れながら、会話も楽しみました。
疲れているとはいえ、この間のCLS高知のように出だしで遅れることは避けたいと思っていました。
今回は釧路に滞在できる日程がつまっており、楽しめる時間はわずかですから。

ご一緒したテーブルにはジョイゾーの川岸さん、そしてアウェンダラプの清水さんともう一名がいらっしゃいました。川岸さんはスナックジョイゾーでもお馴染みですし、清水さんもお会いするのは三回目ですが、事前に参加お誘いのご連絡をいただくなど、私のことを気にかけてくださっていてありがたいです。
そしてもう一人、私の前に座っていた美女。最初は誰なのか気づきませんでした。
が、私のことは、しっかりと前回のCLS道東の極寒編の会場で一番日本酒を飲んでいた人として覚えていただいていました。
そう、この方は私に日本酒と山椒のマリアージュを教えてくださった佐藤さんでした。イメージががらりと変わっていて気づきませんでした。師匠に対して本当に申し訳ない。


浜番屋さんは、はじめて訪問しました。ここでは花咲蟹が旬であることを教えていただきました。その甲羅に注いだ酒の旨さといったら!!美味すぎる!

それにしても、私のことをこうやって覚えていてくださる方がいることはうれしいですね!


そして二次会は、冬の極寒編でも訪れたスグレイスさんに移動しました。
道中では、4歳の男の子を肩抱っこしながら、幣舞橋を渡るなど。

前回、スグレイスさんを訪れた際は、泊まっていた大喜湯さんから、門限のお知らせ連絡がお店にいる私宛にかかってくる失態をやらかしてしまいました。
でも、そのおかげか、ママさんも私のことをおぼえていてくださっていました。ありがたいです!

スグレイスさんでも会計クラウドについての熱い話や、川岸さんの将来の目標などいろいろな話を。
いやあ、楽しく過ごせました!皆さんに感謝です!

そして、翌朝。
この日はとても行きたい場所がありました。
それはまるひらさん。前の夜に清水さんに教わったこのお店。朝と日中しかやっていないけど美味しいラーメンが食べられると聞き、是非とも行きたくなったのです。

朝も実はオンライン打ち合わせの予定が入っていたのですが、その開始時間を10時半にしてもらい、釧路プリンスホテルからいそいそと歩く私。
そして、目当てのまるひらさんに到着しました。朝なのに店内はラーメンをすする人たちで席が埋まっています。私も着席して噂のラーメンを楽しみに待っていました。
すると、私の肩を叩く人が。なんと、前々回のCLS道東で知り合った札幌の斉藤さんです。
斉藤さんも私のことを覚えていてくださっていることがありがたい。


そしてやってきたラーメン。
今回、塩を頼みました。めちゃめちゃ美味かった。掛け値なしで生涯で食った塩ラーメンの中でベスト3に間違いなく入ります。
朝から盛況である理由も、清水さんがお勧めする理由も納得!

そして、私にはさらに行きたい場所がありました。
それは釧路埼灯台です。全国の灯台巡りをライフワークの一つにしている私ですが、まだ来られていませんでした。
CLSの前々回、前回も来る時間がなく、学生時代に北海道を車中泊で一周した友人との旅の中で春採湖畔で車中泊した際も、別の旅で一人で釧路駅前に寝袋敷いて寝た旅でも。


ようやく訪れられた釧路埼灯台の外観は、まるでおしゃれなオフィスビルのよう。広大な太平洋に向けて個性を顕示していました。





それにしても、啄木に関する史跡が集まるこのあたりの風景がまたいい。
道中の街並みは確かに若干寂れた感じが漂っています。ところが、米町界隈までくると、とても住みやすそうな佇まいに変化します。私は米町界隈の風景がとても気に入りました。
厳島神社の参道の七夕飾りも映えています。米町公園にそびえる展望台や、そこから一望できる釧路の街並みも釧路の街の栄枯盛衰を映し出していて、とても興味深い。
この辺りの旧釧路市街の活性化が課題になっていることは、前々回のCLS道東でもお話を伺いました。確かに賑わいの中心からは置いていかれているのかもしれませんが、私は釧路の中心街よりも、この辺りに釧路の可能性を感じました。
啄木は確かにこの辺りに足跡を残した偉大な文学者です。が、啄木の歌は釧路のイメージを貶める両刃の剣でもあります。
啄木を売りにすると、逆にさびれた感が増してしまう危険性もあるように思います。


逆に、釧路のこれからを強調するのに、この界隈の風光明媚な街並みを町おこしに使えないでしょうか。
また、釧路は夕陽を観光資源に打ち出してます。幣舞橋からの夕陽も確かに素晴らしいですし、極寒編でご案内いただいた際も、川面を覆う蓮の葉氷を照らす夕陽の色にとても感動させられました。
その感動を米町公園の展望台や釧路埼灯台からの眺めからみるとどうでしょうか。さらに心が動かされるはずだと思えるのです。

さて、お客様を待たせてしまいます。慌てて帰らなければ。
プリンスホテルでオンライン会議をこなし、汗だくになった体を清めます。

宿のチェックアウト時間を超えてまで打ち合わせを続け、コーディングを続け、CLS道東の会場であるMOOに移動しました。
MOOでは、大道東祭の賑わいを横目に、お客様の対応作業の続きです。
実は、この数日前にお客様がboxのルートフォルダーを消してしまう問題が起こり、新たなルートフォルダーを作る必要が生じていたのです。それに並行して別の課題も遅れていました。

そんな状態で黙々と作業する私でしたが、私を見つけて、何人もの方が声をかけてくださいました。今までのCLS道東で知り合った皆さんです。
本当にありがたいことです。


CLS本編が始まった後、可能な限り集中してみなさんのセッションを聴くようにしていました。
その一方で、boxの問題が頭の片隅に居座っています。わずかな隙を見つけながら、コーディングとテストを繰り返していました。
kintoneからAWS経由でboxのAPIを操作して、案件ごとに複数階層のboxを制御する。
新たに作ったフォルダでアクセス権を間違わずに同様の処理を実装する。難航しました。

ところが、CLS道東も中盤を過ぎた頃、ついにうまく動かせました。

それまでのCLS道東もコーディングしながら、頑張ってセッションを聴き、ツイートもしていました。
頭は冴え渡り、コミュニティ脳とエンジニア脳が私の脳内でぶつかり合って沸騰していました。

皆さんの道東を盛り上げたいとの思い。そして、その思いを旅が好きな本州の人がどう盛り上げていくかについての議論。
そうした言葉に私の脳内は熱く反応します。
そうした盛り上げ役を私が担うには、今よりもっと弊社の組織を強化し、私が旅先でコーディングする事態は避けなければなりません。
そのためには、私が行う実装や設計を教えるところまで会社をつよくしなければ。
今、まさに取り組んでいる弊社の改革を進めないことには、私も道東の皆さんに貢献できません。


CLS道東やCLS高知の常連さんの中には、そういう旅の達人がたくさんいます。
仕事を上手くプライベートに絡め、プライベートの楽しみを仕事につなげる達人たちです。
そういう人たちがいることでCLSは盛り上がり、私のような人が全国から参集します。
そう、先日のCLS高知で私の中に響いたキーワード「公私混同」ができる人たちです。
「公私混同」をより効率的に熱を持ってやりきること。


私もコーディングにめどを付けたことで、ようやく重い腰を上げてカウンターに向かいました。そして日本酒の師匠から日本酒をいただき、それに厚岸の牡蠣を合わせていただきました。美味い!
そんな私に、多くの人たちが声をかけてくださいました。
みなさん、CLS道東や高知を通して知り合った人たちです。

昨日から今日にかけ、あまりにもたくさんの人たちに声をかけられた私。

今までのCLS道東では私は登壇もしていません。また、気の利いたことも言っていません。
でも、なぜ皆さんがこれだけ私のことを覚えていてくれるのか。なぜ、声をかけてくださるのか。

これは、私に何か良いところを感じてもらえているのではないか。
実は旅の達人とはいかなくても、私のことを旅が好きな人として認めてもらえているのではないか。少なくとも、道東が好きな人として認知してもらえているのではないか。

繰り返しますが、私は今までのどのCLSでも登壇していません。セッションもLTも。
kintone界隈では多少は顔を知られている私ですが、他のコミュニティでは無名のはず。

確かに私は、イベントの当日はせっせとツイートに精を出します。そして、終わったら必ずまとめブログを書き、それを公開しています。
ですが、私の肌感覚では登壇に比べるとこうした文字による発信のインパクトは薄いはず。
それなのに、ここまで声をかけられる。
そのことが、私の中で仮説として気づきが生まれました。

それは、まず参加することの大切さです。
参加することで生まれる私という人間のブランディング。
気の利いた会話ができるわけでもない。得意な何かで人の注目を集めるわけでもない。ただ、何かしらいつもCLSの会場で見かける人。それが私です。
ですが、それだけでみなさんは私を旅が好きで、かつ、道東が気に入っている人と好意を抱いてくれているのではないでしょうか。

あるいはこの仮説は私の壮大な勘違いかもしれません。

でも、もしこの仮説が少しでも正解に近づいているとしたら、世の中にたくさんいるはずの、旅がしたいが、気の利いたことが言えないなどの理由でコミュニティに参加しない、できない人たちへのヒントになるのではないでしょうか。

これは、私の中で今回のCLS道東の最大の気づきでした。
コミュニケーションの達人でなくても、歓迎してもらえる場がある。
この気づきは、遠からず老境を迎える私に勇気を与えてくれました。
私だけではありません。私が属する第二次ベビーブームの申し子たちは、何年かの後に引退を迎えます。そして、老後の孤独に直面します。
コミュニティとは、その孤独を防ぐ処方箋になるのかもしれません。
引退してからではなく、今のうちから。

話せなくても構いません。まず参加し続けること。そして、リアルの場に顔を出し続けること。
この取り組みが大切なのではないかと思います。
ぜひ、何でもよいのでコミュニティには参加してみてください。


さて、冒頭に書いた理由で、懇親会の参加は諦めた私。19時発のおおぞらに乗らないと遥かなる倶知安までたどり着けません。


そのため、皆さんへの挨拶もそこそこに、MOOを出て釧路駅まで歩きました。
そして、夕食も釧路駅のパン屋さんで買い込んだパンをおおぞらの車内に持ち込みました。何とか発車に間に合いました。

その時点では、私は夜の宿すらも決めていませんでした。
理想は小樽の宿ですが、すでに宿は満室。そこで、おおぞらの車内で札幌市内のゲストハウスを予約しました。そして、翌朝の9時に倶知安にたどり着きました。

日月火曜の三日間を過ごした倶知安でもさまざまな出会いがありました。ですが、それは本稿では割愛します。

まずは、CLS道東で出会った皆さん、スタッフの皆さんありがとうございました!
また次のCLS道東も参加できるようにします。その前に、釧路には10月に再訪します。妻と一緒に。


CLS道東 2023 (極寒編)に参加しました


2/4に釧路で催されたコミュニティリーダーズサミット in 道東 2023 (極寒編)に参加してきました。

公式告知サイト
Twitterまとめ

昨年九月に催された第一回CLS道東にも参加し、ワーケーションを実践されておられる皆さんからの貴重な知見を学びました。
ワーケーションの意味をcls道東で教わりました

そこで学んだのは、アウトプットの質量にこだわらない姿勢です。
アウトプットにおいてワーケーションはリアルに劣る。それを率直に認め、ワーケーションで得られるインプットにこだわる。また、ワーケーションは地元でもできるとの気づき。
前後の懇親会や知床の旅や出会いなど、とても得難い経験でした。

前回の参加では大いなる知見を得た私。今回、私はアウトプットが必要な案件を多く抱えていました。そのため、釧路までの渡航自体が危ぶまれていました。正直参加は無理かなと。

ですが、行くと宣言していた以上は初志貫徹したい。そう思い、知床の流氷から海に飛び込むつもりで参加しました。
すると、参加したことで自分が次のステージに進めたのです。本稿ではそれを書きます。


今回のCLS道東のセッションで得た知見は、幾つもありました。

コミュニティの世代間格差の問題は、私も自分の課題として受け止めています。
私がサイボウズさんのエコシステムの世界に加わらせてもらったことで、人生も仕事も次の地平が拓けたことは、今までにあちこちで書き、話した通りです。
が、それはあくまでも私の経験からの話。私がそうだからといって、それは万人に共通のメソッドではありません。
私の経験を安易に若い技術者に勧める事について慎重にならなければ。世代間格差とは若い人の問題ではなく、むしろ年長者側に理由がある。
コミュニティ界隈の先達者たちが多く参加されたこのセッションは、私を諫めてくれました。そして、これからのコミュニティ運営についての大いなるヒントを与えてくれました。
得た気づきについては、下のnote
にも記しています。

もう一つ、得た知見は、会場の熱気です。
参加された方々はなぜ現地に行くのか。しかも忙しい仕事の合間を縫って。現地に行くことによって得られるものとは何か。
これも下のnoteに書いています。

上に書いた通り、今回の私はCLS道東に参加できるかすら危ぶまれる状態でした。ですが、現地に足を運んだことで次のステップに進めました。
躊躇した時はとどまらずに前に踏み出す。すると、必ず何かが得られる。
これは、今までの人生で得た私の人生観です。私の人生観は今回のCLS道東でより強化されました。

投資も同じ。投資や支出について人は慎重になるあまり、往々にして及び腰です。かつての私もずっと投資や支出には臆病でした。ただイベントに出るためだけに多額のお金を使うなどもってのほか。それが私でした。
支出が固定されており、それに対するリターンがあらかじめ見えている状態では、改善する理由を見いだすことはなかなか難しいもの。
が、お金や時間を使うとその元を取るために人は必死さを発揮します。取り組み方にも熱がこもります。工夫を凝らし、変化も生じます。

お金は使ったらその隙間を埋めようとかならず戻ってくる、という言葉は、私が法人を設立した頃に参加していた交流会でもよく聞きました。
が、当時の私はその言葉の中にわずかな胡散臭さも感じていました。
が、今はその言葉が一面の真理を示していると言えます。
問題は、この学びをどうすれば説教臭を抑えつつ次代に伝えていくか。これは引き続き試行錯誤します。

あと一つ、得た成果は肌感覚の大切さです。
今回のCLS道東は冬の北海道で行われました。
私が冬の北海道に向かうのは、プライベートを含めても初めてのことです。
(極寒編)と銘打たれた今回のCLS道東。私のような虚弱な体には耐えられないのでは、と行く前から戦々恐々としていました。

が、結論からするとそれは杞憂でした。むしろ快適でした。

確かに道東の冬は過酷です。軽視してはならないのは当然です。
今回も釧路の夕焼けをご案内いただいた際、その極寒を体感しました。短時間で釧路川の川面が蓮の葉を思わせる形に凍っていく光景は、関西や首都圏、私のルーツである福井ですらも味わえないでしょう。
雪が積もる屋外を歩いていると、その過酷な自然は随所に罠を仕掛けています。鋭く光るつららは剣呑。路面のあちこちには油断すると転倒するトリックが。

そうした過酷な寒気を長きにわたってしのぎ、暮らすための工夫を重ねてきた先人の知恵。
街を歩くと凍結防止剤や砂やロードヒーターのおかげか、あたり一面の積雪にもかかわらず交通は麻痺していませんでした。
おかげで大喜湯春採店から武佐駅へも歩いて移動できました。大喜湯春採店から釧路駅まではトランクを引きずって歩けました。
歩きながら、冬の道東の現実と生活の工夫の数々を体感できたのは今回の収穫です。
屋内では半袖でアイスを食べる、という話は冬の北海道を語る際の常套句です。この言葉、頭では理解していても、関西で育った私には都市伝説にしか思えませんでした。が、よもや今回の旅で自分がアイスを食べることになろうとは。

冬の道東は、過酷ではありますが、決して人が住めない場所ではないのです。
CLS道東に参加された皆さんがアップされたワーケーションレポートからも冬のアクティビティの豊富さとして、それは感じられました。
その事実を私が理屈ではなく、自分の五感で体感できた。これもまた、今回の旅の気づきでした。この気づきは、どれだけ動画サイトや人様のブログを見聞きしてもわからない感覚です。実際に参加したからこそ得た体験といえます。

釧路から帰京して一日空け、私は山形の米沢や仙台を訪問しました。そこでも雪国の厳しい自然と対峙しました。釧路だけでなく他の地域の冬と比較できたことは、私の中に道東の冬をより多面的な経験として蓄積しました。

最後に、ワーケーションの可能性です。

今回は、前回参加した昨年の9月に比べて、私の忙しさが一層増していました。
その様な状態だったので、今回はアクティビティにはほぼ参加していません。
前日は早朝の便で釧路に到着してから、夕方まで946BANYAで仕事や打ち合わせをしていました。CLS道東の開催当日の午前は作業をずっと946BANYAで。
翌日も春採湖や武佐駅まで歩いて散歩した以外は、大喜湯春採店さんにこもって作業や打ち合わせに集中していました。その翌日も大喜湯春採店さんやくしろフィスさんでの作業や打ち合わせに没頭していました。

今までも私は多くのワーケーションツアーに参加してきました。そして、その中で必ず一日は観光の日を設けていました。
ところが今回は観光の日は設けていません。
普通だと、私のような小市民はこう考えます。「せっかく旅に来たのに、仕事ばっかりやった」と悲嘆に暮れます。
ところが、今回は不思議なことに仕事をしていても、充実感が残ったのです。

それはなぜでしょうか。CLS道東の前日にジョイゾー社の皆さんとお風呂に浸かり、夕焼けツアーに同行させてもらったからでしょうか。また、前夜と当日にたくさんお酒を飲み、参加者の皆さんと豊かな会話が楽しめたからでしょうか。
確かにそれもあるでしょう。
が、私は充実感の理由を、異世界の光景にあると考えます。
946BANYAでは仕事をしながら、目の前を流れる釧路川の川面が凍る様子に歓声を上げました。大喜湯春採店さんでは一面の雪景色を眺めながらの仕事ができました。
これが山や海ではこうはいきません。私が住む町田からは、少し足を伸ばせば山や海を見ながらの仕事ができます。が、今回の様な極寒ならではの景色だけは得ようと思っても得られません。
これこそ、普段の仕事とは違う環境です。違う環境に身を置きながらの仕事。

これこそが、ワーケーションなのだ、とようやく眼が開かれた思いです。
今回のCLS道東の参加で得た最大の成果こそ、この開眼なのかもしれません。


最後になりましたが、CLS道東に参加された皆さま、ありがとうございました。登壇者の皆さま、貴重な知見をありがとうございました。前夜祭と懇親会でお話した皆さん、ありがとうございました。武市さん、いつもお写真ありがとうございます。今回も使わせていただきます。
釧路夕焼け倶楽部の芳賀さん、夕焼けのことや釧路のことなど教えてくださってありがとうございました。大喜湯の皆さん、延泊また延泊の私にいろいろとご配慮くださってありがとうございます。
Hokkaido Design Code社の皆さん、一新したすてきな946BANYAを使わせていただきありがとうございました。
最後にJOYZO社の皆さん、聖地巡礼への同行ばかりか、お風呂や夕焼けなどご一緒させていただきありがとうございました。他にも今回の旅で御縁のあった全ての方々に心から感謝します。

また、次回も参加させていただければと思います。もちろん、高知にも。


ワーケーションの意味をCLS道東で教わりました


北海道から戻って約二週間がたちました。
東京に一日いただけですぐ大阪へ。十日ほどシステム切り替えやその他の作業でこもっていました。

北海道での交流の日々。そして大阪での仕事の日々。どちらも私にさまざまな気づきを与えてくれました。それらの気づきのうち、最も大きく感じたのはワーケーションの意味でしょうか。

9月26日 何かを変えたい熱意は通じる
9月27日 伸び代は伸び代のある場で
9月28日 ワーケーションは人が必要

ワーケーションは、リアルとオンラインの使い分けを人々に問いかけます。
コロナの流行が始まってから二年半。今更、オンラインとリアルの使い分けを考えることに意味はあるのでしょうか。
確かにオンラインでの働き方は市民権を得ました。ですが、残念ながら人は今もリアルの働き方を最善とし、場合によってはそれを人に強いています。また、オンラインの会議に渋々参加しているものの、本心ではリアルが一番と思っている人も多いはずです。

私が感じたのは、どちらにも優劣はないと言う単純なことです。臨機応変に場面に応じてリアルとオンラインを切り変えればよいだけの話。
むしろ、どちらかに決めてしまうことがおかしいのです。コロナが人々に突きつけたのはこの問いです。TPOに合わせて考えることを放棄してはならないのです。

日々の定型業務のすべてをリアルで行わせたい。
イーロン・マスク氏に限らず、そのような上司や経営者はまだ多いことでしょう。
が、日々の定型業務をこなすため、リアルで出社させる必要は本当に必要なのでしょうか。私はオンラインとリアルのどちらかに決める必然はないと考えます。
今まではアウトプットの質や量の低下を理由に、リアルが圧倒的に有利でした。ですが、時間の自由度がないことや通勤の疲れなど、リアルにこだわる事はインプットの低下をもたらしていました。

一方、すべてをオンラインで済まそうとすることも弊害の元です。
今のオンラインツールは、まだリアルほどには信頼感の醸成ができません。メタバースにしても、人間の五感の代わりにはなりえていません。
また、オンラインでは多くの人と新たに出会えますが、リアルで会う時のような深い関係は築けません。築く以前に、発展的なつながりの構築が難しいことは皆さんが知ってのとおりです。
オンラインは、リアルな距離感を構築できず、人間関係にも見えない壁が残ります。一方、メタバースでアフリカの大地を旅しても、リアルでその場の空気に触れる感動とは比較になりません。今もなお、オンラインツールから得られるインプットは少ないのが現状です。
違う場所へ移動し、そこで新たな人と交流することは心を活性化しインプットを多く増やします。インプットの質に関しては、オンラインはリアルに叶わないことは認めるべきです。

インプットが枯渇すればアウトプットも決まりきった内容になってしまいます。枯渇したまま、オンライン上で業務を続けても、アウトプットの質の低下は否めません。オンラインツールにはまだまだ改善の余地があると割り切った方がよいのです。

人と会い、人と語り、人とつながることはリアルの方が強い。特に新しい人との出会いにおいては。
これを認め、リアルでの場には積極的に参加すべきです。たとえCLS道東のように遠方であろうと。
ただしリアルといっても、毎日、仕事する場には原則として同じメンバーが集います。そこからは新たな発想や新たな行動はなかなか生まれにくいことも認めなければなりません。つまり定型業務こそオンラインで行うべきなのです。
逆に、新たな場所を訪れ、新たな人とご縁を結ぶ機会はリアルの場に積極的に参加することを推奨すべきだと思います。

CLS道東では、そうした観点からのお話が多かったように思います。参加されている皆さんの多くは、仕事しながら旅をするワークスタイルを確立した方ばかりです。とても参考になりました。

私は今までに何度かワーケーションを経験してきました。その中で、どうしても拭えずにいた葛藤がありました。
それはワーケーションにおけるアウトプットの問題です。ワーケーションにおいては、アウトプットの量と質がどうしても低下してしまいます。

ある程度、普段の業務に余裕がある人ならワーケーションは問題ないのでしょう。が、私の場合それが許されません。私のように常にさまざまなタスクを抱えている現状では、アウトプットの減少は由々しき問題です。
ワーケーションには移動が必須です。移動中には通信や電源が確保できず、宿泊先でも会話や飲み会が集中を絶ちます。どう繕っても、ワーケーションの実質は「ケーション」が多めになっていることは認めなければ。

特にシステム構築は、オンラインでできるはずの業務でありながら、集中を求められる作業です。
いつもの作業場で仕事をするよりも、生産性に顕著な低下が生じてしまいます。

今回、CLS道東のセッションの中で話されていたことの多くは私の目を啓かせてくれました。
中でも、ワーケーションのアウトプットは落ちると明確に話されていた八子さんの言葉と、ワーケーションは地元でも出来るとの古地さんの言葉は、ワーケーションについての私のモヤモヤを払拭してくれました。
私の中で今後、ワーケーションはインプットの場として明確にします。もちろんアウトプットも忘れません。連絡や、簡単な設定作業などは積極的に行います。

私は普段から、コーディングや設定の作業が一段落すると散歩に出かけていました。そして、散歩しながら必要な連絡をこなしていました。それは、古地さんがおっしゃっていた「地元でもワーケーション」の実践だったことに気付きました。
私はそのことを普段から無意識でやっていましたが、これからは意識して近所のカフェを使おうと思います。これならば移動時間のロスも減り、ワーケションのアウトプットロスも減らせます。

日々のワーケーションでインプットとアウトプットの両方を満たしつつ、数カ月に一度は遠方へワーケーションに赴こうと思います。
遠方を訪れた際は、ワーケーションでアウトプットの質量が落ちることを自覚します。そして、失われたアウトプットを上回るインプットを得れば良いと割り切ります。それは、仕事上の気づきのインプットであり、日々の仕事に疲れた心を休めるインプットでもあります。
6月の高知と9月の道東で感じたメリットを自覚しながら。

じつは私は、ワーケーションによるインプットの効果は、一介のプログラマーやシステムエンジニアの役割にとどまっている間は、あまり感じられないと見ています。
そもそも、今はオンラインで仕事ができる環境が整いつつあります。かつてのように出勤を強いられ、開発ルームに詰め込まれ、ひたすらタスクをこなすだけの仕事は既に減りつつあります。これからもさらに減っていくでしょう。さらにいうと、今後のシステム業界は単なるコーダーや設計だけしていては生き残っていけない事は明白です。そうした仕事は人工知能がどんどん担っていくことでしょう。
ですが、人とのつながりや、ビジネスのプロセスから新たな価値を見いだす仕事は、まだまだ人が担うべき領域です。今後のエンジニアにはそうしたタスクが求められるはずです。それには想像力が要ります。アウトプットに終始した同じ場所での業務からは、新たな発想を生みだす事は難しい。ワーケーションとは、インプットをどんよくに取りこみ、アウトプットを充実させるだと考えるようにします。
結局、ワーケーションによるインプットのありがたみとは、人との交流が必要になった技術者になるか、メンバーを統括し、導き、プロジェクトを推進する立場、さらに経営する立場になって初めて得られるのではないか。それが私の率直な意見です。

今回、釧路や知床でのリアルのご縁をいただくとともに、知床や大阪ではオンラインやメタバース上で全国各地の人と会話を行いました。
皆さんに感謝するとともに、その触れ合いや交流が、私に上のような思いを強く抱かせました。
ワーケーションには可能性があると。そして、都会の心中からは、もはやイノベーションが生まれにくいと。
地方創生とは無理に都市から人を引きはがすことにあるのではなく、都市ではもはや得られないインプットを得る目的の延長にあるのではないかと。


2022年9月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括

8月はコロナが猛威を奮い、今月はまた今までのように世の中が沈んでしまうのか。閉ざされてしまうのか。戦々恐々としていました。
ですが、コロナが少し落ち着いてくれたのはありがたいです。
まだまだ世の中には悲観論が蔓延し、いろいろな国論が紛糾しています。安倍元首相の国葬やコロナワクチンやマスク着用について。

そんな中、おかげさまで仕事は順調です。今月は仕事上で出張が入り、さまざまな面白い体験ができました。
特に28年ぶりに訪れた道東は、私の心を癒してくれました。
他にも今月は芸術の秋にふさわしいイベントがありました。まさに長月(長井の月)だったように思います。

とはいえ、私は全く満足していません。まだまだ行きたい場所ややりたい事はあります。どうすればそれを両立できるのか。公私で努力が必要です。

人生は有限であり、残された時間はわずかです。無数の生がそれぞれの運命のもと、懸命に毎日を生きようとしています。私も仕事に一日の大半の時間をとられています。
私の人生もいつどこで突然の幕引きを迎えるかもしれません。今、生きていることのありがたみを公私ともに忘れぬようにしながら充実した日々を送ろうと思います。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちの事をフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。

今月は家族とは三回お出かけしました。妻とはゼロ回、妻と長女とはゼロ回、妻と次女とはゼロ回、長女とはゼロ回、次女とはゼロ回。

§  月表

・九月お出かけ

町田市役所、安国論寺、くいもの屋わん 鎌倉小町通り店、焼き鳥ホームラン、麺や 植原、笹倉鉄平 版画ミュージアム、ぎゃらりー桜株、大和市文化創造拠点シリウス、一風堂、町田駅前pcr検査センター、沖縄宝島、笑卵、ライオンカレー 高槻店、お好み焼きは ここやねん 高槻駅前店、栄徳稲荷大神、つけ麺 四代目 みさわ、ジョリーパスタ 尼崎浜田店、大丸ミュージアム・梅田、大丸 梅田店、Columbia8、Starbucks、目黒 THE LIVE STATION、こんぴら茶屋、薬師池公園 蓮園、七国山、町田ダリア園、野津田薬師堂、鶴川駅前図書館、CoCo壱番屋、和泉多摩川河川敷、01CAFE SURF DINER、肉のハナマサ 鶴川店、CoCo壱番屋、魚とワイン Hanatare、福ちゃん、スシローカラオケまねきねこ南町田グランベリーパークThe City BakeryPicard、BUKU BUKU あわ家、居酒屋 藤、鳥松、つぶ焼 かど屋、天然温泉 幣舞の湯、ぬさまい広場、啄木ゆめ公園、釧路市上下水道部庁舎、港文館、釧路フィッシャーマンズワーフ MOO、岸壁炉ばた、隠れ家ダイニング カンティーナ、釧路湿原野生生物保護センター、釧路町役場 遠矢支所・遠矢コミュニティセンター、釧ちゃん食堂、釧之助 本店、釧路フィッシャーマンズワーフ MOO、釧路駅、知床斜里駅、しれとこくらぶ、知床斜里駅、網走駅、ビューポイントパーキング 流氷街道・鱒浦、原生花園駅、濤沸湖木道、止別駅、天に続く道、オシンコシンの滝、オシンコシン舘、知床世界遺産センター、カムイワッカ湯の滝、知床峠、道の駅 流氷街道網走、ヴィクトリアステーション 網走駅前店、しれとこくらぶ、原田自動車工業、シレトコラボ、ウトロ港、サツドラ 斜里店、原田自動車工業、女満別空港 (MMB)、奥芝商店 女満飛行、村一番、東京国際空港 (羽田空港) (HND)、らあめん力丸、西宮神社、夙川カトリック教会、夙川、武庫大橋

・九月ツイート
https://togetter.com/li/1951938

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は三回です。

次女が週末に帰ってくる度、家族で出かけています。
9/12に近所の「01CAFE SURF DINER」でハワイアンな気分で美味しい料理たちを。次女がかなり落ち込んでいたので、元気づける意味でも。

続いて、家族でぐりーんうぉーく多摩に買い物に行き、スシローで一緒にご飯を。さらにその帰りにカラオケを楽しみました。家族でカラオケに行くのも久しぶりです(9/18)。

その翌日は家族で南町田グランベリーパークへ。家族で買い物の間、私は仕事をしていました。The City Bakeryで軽食を食べ、Picardで買い物をする間だけは一緒に動き。

今月は妻がタカラヅカの代表の奉仕活動があり、私も大阪二回と北海道一回の出張があったため、他の時間は家族と過ごせていません。
ですが、実は今家族で揃ってある一つのことを考えています。まだこれからの話なのですが、楽しみになってきました。


§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人でゼロ回出かけました。

今月は妻もタカラヅカの公演があり、私も三回の出張があったため、どこにも行けていません。
上に書いた通り、いろいろとワクワクするような計画は練っているのですが。


§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会はゼロ回ありました。

今月は妻もタカラヅカの公演があり、私も三回の出張があったため、どこにも行けていません。
上に書いた通り、いろいろとワクワクするような計画は練っています。長女には弊社のCybozu Days 2022でのブースのパネルを昨年に続いてお願いしました。


§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で出かける機会はありませんでした。

今月は妻もタカラヅカの公演があり、私も三回の出張があったため、どこにも行けていません。
上に書いた通り、いろいろとワクワクするような計画は練っています。次女にも絡んでもらう予定です。

このホイル焼きは家族で過ごしているある日に次女が作ってくれたものです。


§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

今月は妻もタカラヅカの公演があり、私も三回の出張があったため、どこにも行けていません。
上に書いた通り、いろいろとワクワクするような計画は練っています。次女にも長女にも絡んでもらう予定です。

次女はとにかく、理不尽で過酷な毎日を過ごしています。怒られ、怒鳴られ。土下座させられ。
ですが、今のうちに怒られなれておくと、後の人生がグッと楽になります。
なんとか耐え忍び、人生を生き抜く強さと耐性を備えてほしい。親からはそれだけです。

この経験を先ほどから何回か書いてきた計画に活かしてほしいと思います。次女も私に一生懸命アピールをしてきます。

コロナウイルス。ウクライナ。元首相の銃撃。宗教の問題。成人年齢の引き下げ。娘たちは変化の時代に生まれついてしまいました。
気の毒とは思いますが、そこで何をするかで人生は変わってきます。そもそも安定など、幻想でしかありません。
不満だらけの日々だと思いますが、そこから歯を食いしばって生きていってほしいと思います。

●私自身の九月(交友関係)

§  関西の交流関係 七月末に関西に帰って高校時代の同級生たちと同窓会をしていたはずでした。が、コロナでなくなりました。今月末も実は同じく飲み会の話がありました。が、予定が合わず延期になりました。

今月は二回関西に仕事で帰ったのですが、誰にも会えていません。

一方で、東京にいる高校時代の同級生たちとは来月に合おうという話が出ていて、こちらは実現しそう。楽しみにしたいと思います。

むしろ今月のハイライトの一つは、高校時代からずっとつながりのある友人が「目黒 THE LIVE STATION」でDream Theaterの超名盤「Images And Words」のアルバム全曲を完全コピーしたことです(9/10)。
私も誘われたのですが、素晴らしい演奏でした。あんな難解な曲をよくぞ弾きこなした他のメンバーもすさまじいと思いました。
高校で同じ机を並べ、遊んだ友人。大学も意思をもって手に職のつけられるところに進学し、今では独立しています。そんな友人がさらに素晴らしい演奏を繰り広げたことに、私は心の底から感動しました。

§  今月の交流 今月は、結構飲み会がありました。七回。十三軒。多くは仕事上のイベントにからんでのものでした。

「くいもの屋わん 鎌倉小町通り店」はkintone Café 神奈川 Vol.13 & SORACOM UG 東京の合同イベント(9/3)の懇親会一次会でした。
おそらく私がCLS道東への参加を誘われたのはこの時だったと思います。イベントも成功し、飲み会も楽しかった。
「焼き鳥ホームラン」はその日の懇親会二次会です(9/3)。藤沢駅に隣接した雑居ビルにあるなかなかユニークなお店です。ここでも楽しい時間を過ごせたように思います。
参加者でICQやめっちゃディープなインターネット黎明期のネットワーク技術者ならではの苦労話に花を咲かせていました。

「お好み焼きは ここやねん 高槻駅前店」はお客様の事前テストの立ち合いを終え、二人で入ったお店です(9/7)。
私もこのところ、高槻の面白いお店を教えてもらっています。高槻は粉もん系が面白い。

「アークヒルズカフェ」と「Bubby’s New York」はビジネスマッチング会で利用し、飲みました(9/9)。

「目黒 THE LIVE STATION」はワンドリンクで一杯だけ飲みました(9/10)。こちらはとにかくライブが最高でした。

「魚とワイン Hanatare」は個人的にお世話になっている人を含め、四人でビジネスの話をしました。お店や会話が美味しいひと時でした(9/15)。

「スナックジョイゾー」は、kintone関連でお世話になっているジョイゾーさんが自社のフリースペースで催しているイベントです(9/16)。
高知で一緒に代表の四宮さんと登壇し、鎌倉にお誘いして一緒に登壇してもらったことへの御礼を込めて伺ったのですが、雰囲気や規模感などがとても心地よかったです。このうちの何人かとは釧路でもお会いしました。

実はスナックジョイゾーに参加したこの日、東陽町から最寄り駅に帰りついたのは終電だったのですが、少し小腹がすいたのでお店に入りました。そこにいたのは学童で一緒に何度も遊んだり笑ったりしたパパでした。
このお店はかつて学童のパパママたちと夜通し飲み明かしていた時期に最後に訪れるお店としておなじみでした。ここで30代の仕事が苦しく、学童のパパママたちのさまざまな日々に救われていた頃を思い出しました。まだ地元に呑める友人たちが多く住んでいることに感謝です。

「BUKU BUKU あわ家」「居酒屋 藤」「つぶ焼 かど屋」は釧路に飛んで参加したCLS道東の前夜祭です(9/22)。ジョイゾーさんのメンバー数人やkintone Café 高知と神奈川で一緒に参加したSORACOMの皆さんも参加しておられたのですが、とにかく楽しく、私は最後のお店にタブレットを忘れてしまったほどでした。
「岸壁炉ばた」「隠れ家ダイニング カンティーナ」は、CLS道東(9/23)の懇親会で使った場所でした。こちらも釧路の豪快な料理と会話がとても面白かったです。

CLS道東の翌日は有志で釧路近郊を大人の遠足として巡りました(9/24)。プロのバスガイドとして活動されている方や昨日と一昨日に楽しんだ方々と。釧路湿原野生生物保護センターやAIとアート展、釧ちゃんでの焼肉など。楽しかったです。
その日は釧路から知床斜里駅まで釧網本線に乗って移動したのですが、途中の標茶まで一緒に乗った方と、この三日間の思い出を語りながらの旅ができました。旅はいいですよね。


知床の一日目(9/25)は一人で思う存分あちこちを観光しました。そして最終日。この日(9/26)も一人で当初は観光するつもりでした。が、主催者の方につないでいただいたご縁からお誘いいただいたので、前日に続いてウトロ漁港へ再訪しました。
ここで再会したのがCLS道東で隣の席に座っていた方。大人の遠足でもお隣でした。この方がお連れされていたお子さんたちが遠足の時とは違い、私にとってもなついてくれました。
今までの私ならば折角道東に来た貴重な時間だからとお誘いを断っていたかもしれません。それだけにウトロ港での出会いと会話は、鮮烈な印象を与えました。この親子には帰りにも知床斜里から女満別空港まで送ってもらいました。道中はあっという間の旅でした。屈託なくゲラゲラと笑うお子さんたちと過ごしていると、自分の悩みを忘れます。多分、私はこの車内の楽しさを決して忘れないことでしょう。

今月の私と交流して下さった皆さんに感謝です。


●私自身の九月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2020年に読んだ2冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年十一カ月以上になろうとしています。今は本当に物を書く時間がとれていません。
はやく遅れを取り戻したいと危機感を持っています。質を落とさずにこの期間を縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。このところプライベートの時間が仕事によって犠牲になっています。レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は私の中のワークライフバランスのバロメーターです。

「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記-エンジニアによる発信」)
私がキャリアを構築する上で、発信が大きく身を助けてくれました。発信についてあれこれをつづっています。

今月、書いた本のレビューは2本(
本格小説 上
本格小説 下

今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは1本(
kintone Café 神奈川 Vol.13を開催しました
) 。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、今年の頭から毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

8月30日 8月30日 技術説明動画の改善点とは
8月31日 8月31日 kintoneとIoTの可能性を探る
9月1日  9月1日 心理的安全性は容易く成せない
9月2日  9月2日 災害は今、私達の未来を脅かして
9月5日  9月5日 アウトプットは自分のためにやる
9月6日  9月6日 クリエイティブな仕事のリスクが
9月7日  9月7日 エンジニアにとって必要なスキル
9月8日  9月8日 kintone導入に際しての道標
9月9日  9月9日 長寿の余生を生き残るために
9月12日 9月12日 何かに全力燃焼する季節です
9月13日 9月13日 名刺を交換して終わりではなく
9月14日 9月14日 日本語以外を扱えない危機
9月15日 9月15日 過疎化をITの可能性の場に
9月16日 9月16日 人前で話す前にはリハーサル!
9月20日 9月20日 リアルの場とサポーターの必要
9月21日 9月21日 いくつであろうと挑戦は気付き
9月26日 9月26日 何かを変えたい熱意は通じる
9月27日 9月27日 伸び代は伸び代のある場で
9月28日 9月28日 ワーケーションは人が必要

§  今月の読書 今月は7.5冊の本を読みました。内訳は、歴史本二冊、農業本二冊、純文学一冊、SF二冊。伝記0.5冊。

今月は旅の移動があったはずなのですが、そこでも仕事の連絡や資料造りに追われ、読める本が減っています。

私が昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、一昨年の11月に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版したいとの思いは増すばかりです。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。

今年は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を全て見ようと決意しています。今のところ第三十六回まで全て見ることができています。何とか録画を駆使しながら。面白いですし、俳優さんの演技が素晴らしいです。
なお、観に行きたい映画はいくつかあるのですが、なかなか行く暇が取れません。


§  今月の舞台 舞台については、今月は0本です。

§  今月の音楽 今月は芸術の秋にふさわしく、音楽に関するイベントが複数ありました。


まず、大丸梅田店で催されていた尾崎豊展に行ってきました(9/9)。9月には二回大阪へ出張で行きました。その一回目は仕事に終始していたため、せめて最後にと訪れてきたのです。開催している事すら知らず、私の母に教えてもらいました。
直筆の歌詞カードや私物の数々、手紙など本人の息吹が伝わるものの数々。それらは、偶像化してしまった本人を再び私の手元に感じさせてくれました。
一人の人間として思いを歌に託していたら、予想を超えて巨大な成功をつかんでしまったことで戸惑う彼は、私たちと同じです。ただ少し曲を作る才能が人より秀でていただけの青年の苦悩と栄光を感じられた良い展示会でした。

その翌日、友人から誘われて向かったのは「目黒 THE LIVE STATION」(9/10)。ここで友人たちのバンド「EUGLENA」があのDream Theaterの超名盤「Images And Words」の全曲を完全コピーし、再現するというので楽しみにしていました。
私にこの名盤を教えてくれたのがその本人。
それはかつて私が別の友人とスキー場のはしごをしていた時のことです。私たちも若かったので冬季の諏訪湖畔で車中泊をし、翌日は横浜経由で帰ろうとしました。二人とも関西在住なのに何を考えていたのでしょう。
宿に泊まる金などある筈がないのに、横浜の日吉でご両親と住んでいた彼の家に押しかけ、泊めてもらうという今では考えられない暴挙をしでかしました。このアルバムはその翌朝、友人がお勧めとしてその場でカセットテープにダビングしてくれたものです。宮沢りえの「ドリーム・ラッシュ」が完全に消しきれず、アンニュイな彼女のボーカルの上に激しくプログレッシブなメタルサウンドが流れるこの音源はまだどこかに残っているはずです。そのテープこそまさにプログレッシブの極致。
私はこの時からDream Theaterが好きになり、来日公演も二回聴きに行きました。しかも一人で。私にとってここまではまったアーチストは他にありません。

アルバムの歌詞もある程度は諳んじられます。この素晴らしい名盤を五名のバンドが再現する。私もワクワクしていました。その一方でいくらなんでも完全はむりでしょう、と軽んじる気持ちもありました。
ところが、彼らはやり遂げてしまったのです。感動しました。あの変拍子。超絶ソロ。素晴らしい。もう私は感動してしまいました。人間、練習すればなんでもできてしまうのですね。

コロナが始まってから’70’sを中心に活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月は先月から聴き続けてきたDiana Rossを聞き終え、私が好きな20曲を選曲しました。この中では私が知らなかった名曲もありました。

あと、今月は久しぶりに家族でカラオケに行きました。


§  今月の美術 今月は、いくつか芸術の秋にふさわしい出来事がありました。

まず、鎌倉の安国論寺さんにてkintone Café 神奈川 Vol.13 & SORACOM UG 東京の合同イベントを主宰しました(9/3)。境内の観音堂という建物で行ったのですが、ここに安置されていたのが南無幸福観世音菩薩。菩薩様の見守る中で登壇し、話をするのは新鮮でした。

その翌日、私は大和の笹倉鉄平版画ミュージアムへ行ってきました(9/4)。

この方の絵が私は以前から好きで、近くにミュージアムがあるのなら一度は行っておきたいと思っていました。
小規模なミュージアムではありますが、20点ほどの作品が飾られ、それのどれもが笹倉鉄平氏の魅力を伝えてくれていました。
美術館を出た後、小さな庭とテーブルが設えられていたので私はそこを借りて仕事をしていました。すると併設のCaféの方からお声がけを頂き、コーヒーを御馳走になりました。その際、お店には館長さんがおられました。しばらく会話をするうちにお仕事の話に繋がりました。

さらに、館長さんからは近くの「ギャラリー桜株」をお勧めされました。
そこで訪ねてみると、ここは画家の九十九伸一氏の作品が掲げられていました。五感を感じられるような九十九氏のタッチは笹倉氏のそれとは違います。
が、絵から感じられるプリミティブな勢いが何か私に訴えかけてきました。
そもそも画廊に一人で訪れたことのある経験があまりない私でしたが、それが却って貴重な時間につながりました。


§  今月のスポーツ 今月はスポーツに関しては特筆すべき点はありません。

大リーグの大谷選手やヤクルトの村上選手の活躍は今さら言うまでもなく、私もワクワクしています。


§  今月の滝 今月は三つの滝を見ることが出来ました。「オシンコシンの滝(9/25)」「三段の滝(9/25)」「カムイワッカ湯の滝(9/25」

かつて28年前に友人と北海道を一周しました。その旅の中で、カムイワッカ湯の滝を訪れました。訪れただけでなく、その場でトランクス一丁になって一の滝の滝壺で温泉気分を味わいました。今回、知床に来るのはその時以来。
当時は今のように滝に嗜好を持っていませんでした。それでも上川町の流星の滝やカムイワッカ湯の滝を訪れたのですから、少しは滝に興味を持っていたのでしょう。

今回は知床のメインの目的はオシンコシンの滝でした。国道334号、知床国道からすぐの場所にあるこの滝は、日本の滝百選に選ばれています。
左右に分かれた滝身は右側が多くの水を落とし、左側は少し控えめ。それでも水が落ちるさまが粉雪が降りかかるようなような印象を与えたこの滝は私を魅了しました。
私は自分が訪れたことのある四十三カ所の日本の滝百選の滝にオシンコシンの滝を含めていました。かつては知床遊覧船の船の上から見たと勘違いしていましたが、おそらく私は見ておらず、今回初めて見たかもしれません。これで名実ともに訪れたと誇れる気がします。

三段の滝は、オシンコシンの滝から少し行った先にあります。
この滝はかつて見た記憶が全くありません。今回初めて訪れたのでしょう。この滝も国道334号の脇からすぐの場所にあります。こうした滝が道路のすぐそばでみられるのは知床の魅力の一つだと思います。
半島全体で90ほどの川があるとか。それぞれの川が合流しないのは急峻な地形にあると学びました。

カムイワッカ湯の滝は上に書いた通りです。今回、裸足になって一の滝からさらに上に向かいました。前回は一の滝の滝つぼで満足してしまい、それより上に行くことはありませんでした。
今回はその上の二の滝まで写真に収めてきました。本来は四の滝まであるそうですが、二の滝の手前から上は落石で閉鎖されていました。ガイドの方がいずれ復活予定があるとおっしゃっていたのでまた来たいと思います。
それにしても今回は水が温かったものの、お湯というには少し冷めていました。かつての記憶ではもう少しあったかかったはず。9月下旬だからでしょうか。
かつては無鉄砲だったので、人前で気にせず服を脱ぎましたが、今回はそこまではしませんでした。腹も出てきているし。

§  今月の駅鉄  趣味の駅訪問は五駅です。「釧路駅(9/24)」「知床斜里駅(9/25)」「網走駅(9/25)」「原生花園駅(9/25)」「止別駅(9/25)」

釧路駅はかつて26年前、駅前に寝袋を敷いて寝た思い出の場所です。ただ、私の中で寝袋を敷いた場所や駅前の様子の記憶があいまいになっていました。駅本屋の建物のすぐ脇だった事は覚えていましたが、今回久々に訪れて当時の私が寝袋を敷いた大体の場所を思い出せました。
釧路駅は道内屈指の大ターミナルであるはずです。が、釧路の経済の落ち込みと共に鉄道需要の落ち込みの激しさも感じずにはいられませんでした。
特に駅の北側のさびれ方が激しく、今回出席したCLS道東の余韻もあって釧路駅を応援したくなりました。
今回、私は釧路駅から知床斜里まで釧網本線を乗車しました。28年前にはノロッコ号に乗って塘路駅までを往復しただけでしたが、塘路駅から先は自分にとっても新たな旅路。
しかも標茶駅までは一緒に同行者もいました。釧路でのイベントの前夜祭から翌日の大人の遠足までの三日間を過ごした方と。この方は標茶に実家があるらしく、学生時代は釧路と標茶の間を毎日乗っていたそうです。沿線の事をさまざまに教わりました。
私たちが乗ったルパン三世のラッピング列車は途中、シカ追いの警笛を4回も鳴らしていました。そのうちの一回は林の中へ駆け去っていく鹿の後姿も見られました。この後、摩周駅の手前でついに列車が鹿に衝突しました。激しい衝撃と共に。10分以上現場に停車しましたが、北海道の自然の豊かさを実感した瞬間です。


翌朝、網走までレンタカーを借りに行かなければならず、早朝の列車に乗るため知床斜里駅に向かいました。
そこにはYOKOHAMAとかIZUKYUSHIMODAとかかれた車両がノロッコ号の機関車に引かれてやってきました。ツイートしたところ、何人かの鉄の方には刺さったようです。私が見たのは貴重な列車だったようです。
前夜到着したときは駅の事はあまりよく分かりませんでしたが、曙の中でみた知床斜里駅の駅舎はとても立派で、駅舎には観光案内所も入っていました。来月から新たなお店も駅舎内にオープンするようです。
駅前にはオジロワシの巨大なオブジェも立ち、知床の入り口として好感の持てる佇まいでした。

列車は止別駅や原生花園駅に停車しながら、私が下りる網走駅へ。網走の街に来たのは28年ぶり。その時はただ通過しただけで、駅に対しての記憶はありません。
ちょうど札幌からの特急オホーツクが入線してきたので、駅の中を巡りました。
入口には網走刑務所を模した看板やレンガ造りの塀も立っており、網走市の玄関口に相応しい魅力をかもしだしています。

さて、網走の駅から3キロを歩いてレンタカー屋さんで車を借りた後、私は知床へ向かいました。
その途中、原生花園駅に寄りました。ここも28年前に友人との一周旅行の際に訪れた場所です。
原生花園の広大な広がりとオホーツク海のただ真一文字に結ばれた水平線の尊さ。そして知床連山がはるかに見える景観の素晴らしさ。反対側には涛沸湖が日の光をきらめかせ、原野には馬が悠然と草を食んでいました。
かつて訪れた時の印象は忘れてしまいましたが、今回、鮮烈な印象でまた刻み付けることができたように思います。北海道の駅百選を選ばせてもらえるなら、ぜひとも含めたい駅です。この駅からの景色は素晴らしすぎます。

止別駅は、知床斜里から乗ってきた列車の中で印象に残ったので寄りました。
車窓を通して、ちょうど高校の部活に向かうと思われるジャージ姿の高校生の女の子が乗ってくるのを見かけました。その時、駅舎を通らずに脇の道を抜けてホームに入ってきたのです。ホームも荒れた土のような感じで、それがホームの存在を私から消しました。
つまり海外の鉄道のように地面から直接列車に乗り込むように見えたのです。しかもその女の子がとても整った顔をしていて、それがこの駅の印象を強めました。
そこで車で戻る途中で立ち寄ってみたのです。ホームはきちんと設けられていて、さすがに地面から直接列車に乗り込む構造ではなかったけど、駅舎は実は「えきばしゃ」というラーメン店を兼ねており、私が訪れたときはまだ開店準備中でしたが、実に美味しそうなメニューも備わっていました。
また、釧網本選の駅はどの駅も駅舎が木造で味わいがありました。この止別駅もそう。いつまでも残って欲しい駅と路線です。

ちなみに件の女の子は網走の一つ手前の桂台駅で降りていきました。網走南が丘高校のジャージを着た高校生がたくさんおりていきました。同じ学校の子たちなのでしょう。桂台に到着する時点で、列車の中はほぼ満員でした。こういう様子を見るたびに、廃線を拙速に決めてしまってよいのか、と思ってしまいます。なんとか自治体も含めた存続に努力してほしいものです。


§  今月の酒楽 今月は上にも書いた通り、何度か酒席に御呼ばれしました。

が、今月は凝ったお酒についてはあまり飲んでいません。楽しくビールやハイボールやサワー系に終始していました。会話と料理に十分満足していたからです。

ただ、レンタカーを返しに帰る途中で道の駅あばしりで購入したジャガイモ焼酎「清里」は、今月の一本として取り上げられるはずです。
弊社のアクアビットはジャガイモを原料とした蒸留酒の名前からとっています。
今回の釧路と知床の旅を通して感じた、弊社アクアビットのこれから。その変化の象徴としてジャガイモ焼酎の形で示してくれた「清里」を購入しました。


§  今月の旅行 
今月は、大阪出張が二回と、北海道出張がありました。

二回の大阪出張のうち一回目は、仕事に終始し、帰りに寄った尾崎豊展しか旅らしいことしていません。
二回目の大阪出張は、9月の末に来たばかりなので、まだ旅が出来るかも分かっていません。


北海道出張は、仕事も含めてとても充実しました。その詳細は駅や滝、交流の欄ですでに触れているので、ここでは繰り返しません。

ここ数年、私もワーケーションに取り組んでいます。どうすれば自分の人生をより豊かにできるか。仕事と絡められないか。

北海道出張のメインはCLS道東です。参加された方々の多くは釧路を中心とした道東の活性化を考えておられましたが、そのキーワードとなるのは旅行です。道東の経済を活性化させるには、まず道外の人との交流からどうすれば人々に道東に来てもらえるか。今月はその大いなるヒントを頂けたように思います。
9月28日 ワーケーションは人が必要



§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は三カ所。「薬師池公園(9/11)」「町田ダリア園(9/11)」「啄木ゆめ公園(9/23)」
・美術館は二カ所。「笹倉鉄平版画ミュージアム(9/4)」「ぎゃらりー桜株(9/4)」

・駅は五駅。「釧路駅(9/24)」「知床斜里駅(9/25)」「網走駅(9/25)」「原生花園駅(9/25)」「止別駅(9/25)」
・滝は三カ所。「オシンコシンの滝(9/25)」「三段の滝(9/25)」「カムイワッカ湯の滝(9/25」

・温泉は一カ所。「天然温泉 幣舞の湯(9/23)」
・山は一山。「七国山(9/11)」
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は二カ所。「栄徳稲荷大神(9/7)」「西宮神社(9/29)」

・寺は二カ所。「安国論寺(9/3)」「野津田薬師堂(9/11)」

・教会は一カ所。「夙川カトリック教会(9/29)」

・史跡はゼロカ所。
・博物館は四カ所。「大丸ミュージアム・梅田(9/9)」「港文館(9/23)」「釧路湿原野生生物保護センター(9/24)」「知床世界遺産センター(9/25)」
・遺跡はゼロカ所。
・城はゼロ城。
・灯台はゼロカ所。
・動物園はゼロか所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは二枚。「北海道釧路市(9/23)」「北海道斜里町(9/25)」
・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。


私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月もある程度訪れることはできたとはいえ、高知ですらまだ百カ所以上は行きたい場所があります。
加齢によって日々、気力は減退していきます。月末の熱暑はお出かけの気力を奪います。そのまま、あきらめを自らの自然な感情と勘違いしたまま、かつての欲求を忘れ老いてゆく。これだけは防ぎたいと思っています。


人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。ハイキングが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。その経過もこうやって記事にまとめます。

今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。
だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。
コロナに人生を台無しにされるぐらいなら、一人でも旅を敢行したいと思います。会話は控え、マスクに口と鼻を隠した黙旅を。
咋秋に遭難したように、命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もしないままなら命は枯れてしまいます。

家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。
人はいつか死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。何をしても最後には死にます。一昨年の九月に読んだ「「死」とは何か」という本には死生観を持つことの大切さが書かれていました。昨年の九月にはそれに加えて沢庵和尚の生涯から権力にこびず、わが道を行く生き方を学びました。

一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は俳句を17句、川柳を1句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


硝子の葦


帯のうたい文句にこう書かれている。
「爆発不可避、忘却不能の結末
ノンストップ・エンタテイメント長編!」
さすがにこの文句は盛りすぎだと思う。
でも、一気に本書を読めたのは確か。

序章で厚岸の街を舞台に起こった爆発事故。そこで亡くなった幸田節子は、なぜ死ななければならなかったのか。本書は冒頭に爆発事故を置くことで、なぜ爆発事故が起こったのかという謎を読者に提示する。その謎を解きほぐすため、爆発事故までの出来事を追ってゆくのが本書の構成だ。厚岸といえば、北海道の東に位置する牡蠣が有名な海辺の町だ。だが、厚岸はさほどにぎやかな街ではない。それどころか単調な気配が濃厚だ。

ところが、そんな街に住む幸田節子の周囲は単調とは程遠い。複雑な家に生まれたためか、節子は人間をさめた目で見る。さらに人生に対しても乾いた感性でしか向き合えないようになってしまった。彼女は厚岸で飲み屋を営んできた母の律子から虐待を受けていた。律子の男との関係は奔放で、節子の父親も流しの漁船員だという。一夜だけの関係を結んだだけで行方知れずになった父。父を知らず、奔放な母に育った節子は、尖ったりグレる前に、人生を達観してしまった。達観のあまり、人生を平板なものと考えている。そして何の期待も希望も持たずに人生を過ごしている。だからこそ節子は母の元愛人だった喜一郎からの求婚を受け入れたのだ。喜一郎の求婚は、気楽な人生を送らないか、という愛情とは遠い言葉だった。そして節子は、喜一郎の経営するラブホテルに隣接した住居で日々を送っている。

節子は日々を無意味にしないため、短歌の会に参加している。喜一郎の援助のもと、自費出版で歌集も出した。そのタイトルが「硝子の葦」。葦は中が空洞であり、うつろ。硝子は折れやすくもろい。まさに節子の人生観そのもののようなタイトルだ。

そんな節子の日々は、喜一郎が事故を起こし、意識が不明のままというニュースで一転する。ニュースが入って来たその時、節子は結婚する前まで勤めていた税理士事務所の所長澤木と情事の最中だった。澤木は長年喜一郎の事業の経理を担当しており、なにくれとなく節子にも目をかけてくれている。喜一郎の事故をきっかけに、次々に節子の周りに事件が起こる。

節子の作風は性愛。男女の営みをテーマに取り上げるのは、ラブホテルの隣に住むことで己の人生に溜まってゆくオリを取り除くためだろうか。だが、節子の歌は、会の中で節子を少し浮いた存在にしていた。ところがもっと浮いているのが同じ会に属する佐野倫子。家族の健やかな平和と穏やかな日常を描く彼女の短歌に何か偽善のにおいを感じ、節子は佐野倫子を遠ざけていた。それなのに、佐野倫子の方から節子に近づいてくる。

節子の予感は正しく、佐野倫子の旦那の渉は倒産した地元百貨店の親族。日々、生活感のなさを発揮し、落ちぶれた己のうっぷんを妻子にぶつけるダメ夫。娘のまゆみは日々虐待を父から受けている。

そんな日々を描きながら、物語は徐々に疾走を始める。冒頭にあげた帯の文句ほどにはスピード感はないが、物事が次々につながっていき、そして冒頭の爆発事故に至る。その後、どうなってゆくのかは、これ以上書かない。ミステリの要素と犯罪小説の要素が濃い本書。その中で核となる節子の人生の転換がわざとらしくないのがいい。

なぜわざとらしさを感じなかったのか。それは、本書の中で随所に描かれる色彩と関係があるのかもしれない。冒頭から爆発の火と煙で幕を開ける本書。そして主な舞台となるのは、けばけばしいラブホテル。カバーイラストにもある壊れた車の鮮やかな朱色。読者は本書にちらつく艶やかな原色のイメージに気づくはず。ところが、節子の心情を表わすかのような乾いた世界観と、原野を思わせる北海道のイメージが本書の色合いを徐々にセピアに変えてゆく。原色からセピアへと色褪せていく描写。それが節子のあり方にわざとらしさを感じられなかった原因かもしれない。短歌の会という限られた場の閉塞感とラブホテルから漏れ出る性愛の爛れた感じが、節子の乾いたセピア色の世界にアクセントを加える。本書の色相はセピアの中に原色が時折混じり、それが本書のアクセントだ。その原色は節子という一人の女性が願った輝きだったとも解釈できる。

著者の作品を読むのは初めて。Wikipediaの著者の項に書かれていたが、著者の実家は本書と同じくラブホテルだったそうだ。しかも名前まで同じ「ホテルローヤル」。だからこそ著者は、ここまで実感を持ってラブホテルを書けるのだろう。しかもどこか距離をおいて男女の営みを眺めるような視点で。しかも著者は釧路出身だという。厚岸にほど近い地に育ち、道東に広がる原野になじみ、それでいてラブホテルの色彩感覚を知る。だからこそ本書のような色彩感覚が生み出せたのだと思う。

私はあの道東の色を忘れたような色彩感が好きだ。厚岸も。その近くの霧多布湿原も。かつて訪れた道東の静寂にも似た色合い。本書から感じたのは道東の色遣いだ。本書を読み、また道東に行きたくなった。そして、著者の他の作品にも目を通したくなった。旅情にも通じる色彩の描写を楽しむのも、本書の読み方の一つかもしれない。

‘2017/08/04-2017/08/05


脱獄歴六回の記録保持者 五寸釘寅吉の生涯


網走刑務所には二回訪れている。一回目は大学時代に友人と。二回目はまだ小さい長女やワンちゃんもつれて家族で。二度も私に足を向けさせた網走刑務所は実に興味深い場所だ。多分、次に道東を訪れた際にも博物館網走監獄は訪れることと思う。見学が終わった後は売店がある。二回目に訪れた時だったか、見学の記念に売店で売っていた本を購入した。その時に購入したのは、昭和の脱獄王として知られる白鳥由栄氏の伝記だ。白鳥由栄氏といえば、吉村昭氏による「破獄」のモデルにもなっている。とても面白く、劇的な生涯を送った方だと思う。

今回、ブックオフで偶然見つけたのが本書。本書で取り上げられている五寸釘寅吉は、昭和の脱獄王ではなく明治の脱獄王だ。本書の記載によると、白鳥由栄氏とともに網走刑務所の名を世に知らしめた二大人物として知られているらしい。

ただ、私にとって五寸釘寅吉はほとんど未知の人物である。辛うじて二度の網走訪問で名前を記憶に残しているぐらい。五寸釘寅吉とは、足を貫いた五寸釘をものともせずに十二キロの道を逃げたところから名づけられたようだ。

明治のことゆえ、白鳥由栄氏の時代より警備も緩かっただろう。上に挙げた書籍で取り上げられた白鳥由栄氏の脱獄に比べると、派手さや話のネタとしては弱いかもしれない。でも、生涯で6度の脱獄はやはりすごいと思える。

また、本書に紹介されている五寸釘寅吉の逸話には、網走監獄の草創期に関係するものが多い。それがとても興味深い。博物館網走監獄で教えられる知識はたくさんあるが、今の北海道の道路網のかなりを囚人たちが作り上げたこともその一つだ。労役として北海道の荒涼とした原野に道を拓く。そこには想像を絶する過酷さがあったことだろう。実際に過酷さの一端は、博物館で知ることができる。展示されている監獄の足錠や重しのインパクトはとても大きい。だが、私は道路労役の過酷さからも重い印象を受けた。

本書には、釧路から網走への道路開削にも、囚人たちの労力の貢献が多大だったことが紹介されている。五寸釘寅吉もそのうちの一人だった。本書によれば網走監獄ができるにあたり、釧路集治監から囚人が移動された。五寸釘寅吉は、その際に囚人たちの取りまとめ役となったらしい。つまり、五寸釘寅吉は網走刑務所の草創期を知るばかりか、立ち上げに関わった一人でもあるのだ。

また、五寸釘寅吉は網走で一度は脱走したものの、後年は模範囚としてどこでも自由に行ける立場だったらしい。若き日こそ、血の猛るままに脱走を繰り返したものの、ひとたび自分を理解する人物に恵まれると、その牙を収める性質だったようだ。怒りが人間の能力を拡げることを示す実例であるとともに、心理学の観点からも興味深い事例だ。

寅吉は彫り物の達人であり、刑務所の歴代の正門看板には、寅吉が書いたものもあったらしい。また、73歳で出所した後は、五寸釘寅吉自身を出し物とした一座に加わり、 防犯の心得を説くなどしていたらしい。また寅吉の肉体は痛覚のない特異体質だったことも紹介されている。

全般に本書は構成が散漫な印象がある。それもそのはず、著者は長年網走信用金庫で勤めた人物だ。地元の網走の郷土史、中でも網走刑務所の歴史に興味を持ち著作を世に問うているそうだ。たとえば本書のような。いわば在野の郷土史家といってもよいだろう。そのため、構成に難があるのは目をつぶりたいと思う。でも、地方史とはこういう在野の有志によって支えられていることは間違いない。今後も著者の著作が博物館網走監獄で扱われ続ける事を望みたいと思う。

‘2016/06/25-2016/06/26