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相手に「伝わる」話し方


私が年末と年初に行うことがある。それは一年の反省と抱負だ。数年前から実施を心がけている。2017年の年末は一年を振り返り、2018年の年初には抱負を立てた。

2017年、私が反省すべき最も大きな点は、人前で話す機会がほとんどなかったことだ。2016年はあちこちで話す機会があったのに、2017年はしゃべる機会が作れなかった。これは私にとって大いに反省すべき点だ。なので2018年の抱負には、人前で話す回数を2016年並みに増やす、という目標を加えた。本書はその抱負を踏まえ、話すスキルの参考とするために読んだ。

私は自分の話すスキルに劣等感を持っている。その劣等感の大部分は、活舌の悪さとしゃべっている時にたまに唾が飛ぶことからなっている。その原因も分かっている。矯正歯科医の妻から「オペ症例」と言われる私の受け口だ。それが私にとっての劣等感となり、人前で積極的にしゃべろうとする気持ちにブレーキをかけていた。

しかし、それではだめだ。独立した以上、露出を増やさねばならない。そして誰もが自分の意見をテキストで簡単に世に問える今、文章だけに頼るのでは露出効果が見込めない。本音をいうと、私はあまり自らを露出するのは好きではない。だが露出は独立と自由を得るための代償だと肚を決めている。書きつつしゃべり、人前に己をさらけ出す。そのスキルを磨かないことには私の今後はない。

だが、私には滑舌の悪さという欠点がある。その欠点をカバーできるだけのしゃべる技術。それは何だろう。そう考えた時、思い浮かんだのはアナウンサーの姿だ。彼らはしゃべることで糧を得ている。芸能人もそう。彼らもしゃべることで飯を食っている。だが、テレビで活躍する芸能人のような頭の回転の速さは私にはない。なので、アナウンサーのように話す技術で私の欠点を挽回したい。そう思ったのが本書を手に取った理由だ。

著者はアナウンサー出身でありながら、バラエティ番組でも立ち位置を確立した方だ。バラエティの手法も取り入れ、視聴者の興味を惹きつつ、報道の芯を保った番組作りをしている。その姿にはかねがね良い印象を持っていた。選挙特番のみならず、核実験や仮想通貨など、テレビが今、本当に放送すべき番組を企画し、自ら視聴者の前に立つ。そのような著者のことを今後も応援したいと思っている。

著者は1973年にNHKに入局した。そして、さまざまの部署や職務で仕事に取り組んできた。その経験は話し手として、報道者としての著者を鍛えてきたことだろう。著者は自らの職歴をさかのぼり、仕事の中で著者が学んできた話す技術を惜しみなく披露する。本書は私にとって参考となる気づきがたくさんあった。

参考になったのは、話し方の技術だけではない。職歴の語り方も同じく参考となった。私は2017年の夏から翌春にかけ、ウェブ上の連載で自らの職歴について語った。本音採用で連載しているアクアビット航海記「ある起業物語」がそれだ。本書を読み始めた時、連載はちょうど私が東京に出て仕事を始めたあたりに差し掛かっていた。連載はすでに進んでいたが、その後も私が職に就き、社会で経験を積んでいく様子を書いてゆかねばならない。転職を繰り返していく中で、それぞれの職から何を学んだのか。それを読者にどうやってうまく伝えるか。そのやり方は本書が参考となった。もちろん、それまでの連載でも職歴を伝える事は意識していた。だが、本書を読んだことで、まだ私のやり方に改善の余地はある、と思わされた。

著者がそれぞれの職場で学んだことは私にも参考となった。たとえば著者が研修を終えて最初に配属されたのは松江放送局。そこで著者は警察を担当する記者に任ぜられる。先輩から簡単な引継ぎを受けた後は、一人で取材して回らねばならない。先輩に「後任です」と紹介されたときは型どおりのあいさつを返されるが、先輩がいなくなった後、新米の記者に投げられる視線は冷たい。値踏みされ、信頼できる人間と見定められるまでは話しかけてもらえない。著者はその壁を乗り越えるのに苦労する。著者はその試練を乗り越えるにあたり、セールスマンのような動きをしなければ、と開眼する。商品を売り込む前に自分を売り込め、というわけだ。それは私が普段から励行する、FacebookなどのSNSに投稿する行いに通じている。Facebookへの投稿は、私という人間を知ってもらうためだと思っている。

とはいえ、私のワークスタイルは、著者が例えたようなセールスマンの営業手法に比べると若干の違いがある。私の場合、どちらかというと案件ありきで話をすることが多い。何かを無から売り込むのではなく、まずお客様にニーズがあり、それを受けて私が提案することが多い。だから本書で描かれるような、何度も繰り返し自分を売り込むことで仕事を円滑に回せるようになった、というケースは当てはまらないことも多い。案件ありきで私が呼ばれ、その後、一度か二度の訪問をへて受注が決まることがほとんどだ。ただ、私は一度案件を受注すると、その後も継続して案件をいただくことが多い。それは、仕事そのものもそうだが、私という人間を見てもらえたからではないかと思っている。そのためにはお客様との雑談が重要になる。そのためのネタを事前にSNSに発信しておき、自分がこういう事に関心があるとさりげなく発信する。それが雑談につながり、雑談が信頼を生み、それが仕事につながる。そうした意味で、雑談を大切にするという著者の学び取った極意にはとても共感できるのだ。

あと、共通体験の重要さに著者は触れている。これはわかる。お互いの共通体験を増やすことで、話のタネが増える。これも私がFacebookにいろいろと書き込む理由の一つだ。いわば私から共通体験のネタを提供する。それが商談の場で会話を生み、共通の場を作る。もちろん、それがどこまで効果を上げているのかは分からない。だが、何かしらの効果はあると信じている。

あと、話し上手は聞き上手という言葉も出てくる。これもよくわかる。本書を読む4年前に私が読んだ『最高の仕事と人生を引き出す 「聞き方」の極意』(レビュ-)でも学んだことだ。

著者はその後、広島放送局でも経験を積む。警視庁の担当として夜回りで事件のネタを探す過酷な日々だったようだ。その次に著者が苦労したこと。それは記者レポートを担当したことだ。テレビのニュース画面に登場し、現場の状況をレポートする。この経験は著者を表現者として次のステージに進めた。著者が記者レポートの仕事を通して学んだことの大切さ。まず始めに朗読なのかリポートなのかを意識すること。つまり、書かれた文章を読むだけなら誰にでもできるが、それは単なる朗読に過ぎない。そこでリポートを極めるため、著者はいくつかのメモだけを手元におき、即興で文章を組み立ててしゃべる訓練をしたという。もう一つ著者が説くことがある。それは書き言葉と違い、しゃべり言葉は後から読み返すことができないという真理だ。つまり、話す順序をきちんと考えなければ聞き手には話す内容が伝わらないという気づき。これはとても重要なことだ。この章で著者が訴えることは、私も普段あまり意識できていなかったことだ。ここで学んだことは、私は多分、音読の訓練から行うべき、という反省だ。私には黙読の習慣が身につきすぎてしまっている。黙読ではなく朗読。この習慣が身につけば、書き言葉の文体にも良い影響を与えるに違いない。

ここでは著者の失敗したエピソードが一つ披露される。それは、活舌の悪い著者が、タクシーの運転手に警視庁までと言ったつもりが錦糸町に連れていかれた、というもの。活舌に劣等感を持つ私には勇気づけられるエピソードだ。

あと、つかみの言葉をしっかり考えることの重要性も述べられている。そのために著者は、普段から目の前に広がる光景を即時に描写し、頭の中でしゃべる練習に励んだそうだ。その中で著者が掴んだ極意の中には、「手あかのついた言葉は何も語っていないのと同じ」や、「専門用語を安易に使うな」というのもある。両方ともに私にとっては耳の痛い警句だ。

続いて著者はテレビスタジオでキャスターとして働くようになった経験を語る。ここで得た経験はどちらかといえばテレビ業界で使われるテクニックに偏っている。しかし、フリップ(NHKではパターンと呼ぶらしい)の効用について触れるなど、著者の経験をテレビ寄りだからといって見逃してはならない。例えば私たちがプレゼンテーションを行う際、画面にアニメーションを付けたり、ホワイトボードを併用したりすることがある。まさにその手段にも通じるのがテレビの手法だ。テレビに代表されるようなビジュアルと音声の併用は、プレゼンテーションの上でも役に立つはずだ。動画の利用がは今後のテーマとして重要なので、テレビのみに通じる手法だと捨てておくのはもったいない。

続いて著者が触れるのは、週刊こどもニュースを担当した時の苦労だ。子どもに対しては、大人に対する手法は通用しない。まず、わかってもらうための言葉を吟味しなければならない。著者が本書で一番語りたいと力を入れたのはこの点だ。著者を単なる記者出身のキャスターから、一皮むけさせたのは、週刊こどもニュースでの体験が大きいと著者は言う。子どもに向けた分かりやすい表現を心掛けたことで、著者は表現者として他の人とは違う存在感を身に着けたのだろう。

分かりやすく。難しい内容だからこそ、余計に分かりやすく。このことは私が以前から改めなければ、と自分を戒めつつ、いまだにうまくできていない課題だ。簡単な言葉を使いながら、内容に深みをだす。これこそ私が以前から試行錯誤している部分なのだから。

本書は以下のような構成からなっている。
第1章 はじめはカメラの前で気が遠くなった
第2章 サツ回りで途方に暮れた
第3章 現場に出て考えた
第4章 テレビスタジオでも考えた
第5章 「わかりやすい説明」を考えた
第6章 「自分の言葉」を探した
第7章 「言葉にする」ことから始めよう

1章から5章までは著者の職歴と経験が語られ、6章と7章はまとめに相当する。どこを読んでも本書からは得るものが多い。私も本書を読んだことで、少しずつしゃべる技術に向上がみられた。だが、まだ著者のレベルには程遠い。引き続き精進したいと思う。

‘2018/01/10-2018/01/17


王とサーカス


当ブログで著者の作品を扱うのは、本作が四作品目となる。二番目に読んだ『さよなら妖精』は、ユーゴスラビアからきた少女マーヤの物語だった。語学留学で日本にやって来たマーヤが日本の文化に触れ、クラスの皆と交流を深める様子を描いた一編だった。とても幻想的で余韻の残る一編だ。皆に鮮烈な印象を与え、帰国していったマーヤ。その後も彼女を手助けしようと試みる主人公。それに対し、全ての事情を知ったうえで手助けをやめたほうがよいと助言する少女。その少女こそが、本作の主人公太刀洗万智だ。あとがきによると、太刀洗万智は著者の他の作品には登場していないそうだ。つまり、本書が二度目の登場ということ。

なお、本書の中に『さよなら妖精』を思い起こさせる描写はほぼ登場しない。57ページと133ページにそれがほのめかされてはいるが、『さよなら妖精』を読んでいない読者には全く意味をなさないはずだ。本書は安易な続編とは一線を画している。あとがきでも著者は『さよなら妖精』を読んでいなくてもよい、と述べている。

高校三年生だった万智を、10年以上の年月をへて著者の作品に再登板させた理由は何か。それはおそらく、二つの作品に共通するテーマがあるからだろう。そのテーマとは、日本から見た外国、外国から見た日本。そして著者にとってそのテーマを託せるのが、自らが創造した太刀洗万智だったという事だろう。『さよなら妖精』で彼女が得た経験の重みの大きさを物語っている。一人の女性が見聞きする外国と、彼女が知る外国から見た日本。それが本書にも、大きなテーマとして流れている。

日本から見た外国は、外国から見た日本とどう違うのか。一対一の関係でありながら、その伝わり方は全く違う。相手が遠く離れているうえに、間に挟むジャーナリストの紹介の仕方にも左右されるからだ。旅人が外国で受け取る印象はリアルだ。それでいて、現地の人でなければわからないこともある。しょせん旅人であるうちは表面的な理解しかできない。ましてや現地の人が行ったことのない日本に対して持つ知識など、さらに実態からかけ離れているに違いない。

本来、それを仲立ちするのはマスメディアによる報道だ。つまりジャーナリズム。見たことも行ったこともない異国を理解するには、ジャーナリストの力を借りなければならない。ジャーナリストは自国の情報を携えたまま、異国で情報を収集する。それは個人が内面で受け取るやり方に依存する。そして、そのジャーナリストが書いた記事は、マスメディアに乗る。不特定多数の読者に対して一方向でまとめて発信される。そこには一対一の関係はない。不特定多数の読者が記事をどう読むかはまちまちなので、さらに一対一の関係とは程遠い情報の伝達がされる。だからジャーナリストは、大勢の受けてに等しく伝わるような発信の仕方を心がけるのだ。

本書が追求するのはジャーナリストのあり方だ。ジャーナリストとは何を伝えるべきなのか、もしくは何を伝えてはならないのか。記事の中で取り上げられる取材対象の意図をどこまで汲み取るべきなのか。そのような心構えは駆け出しのジャーナリストなら誰もが叩き込まれているはず。ただし今ではそうした心得も怪しくなってきた。1980年代に写真週刊誌が行き過ぎた取材をしたことによって、ジャーナリストが持つべき心構えがそもそも受け継がれていない、という疑問が世間に生じ始めたからだ。さらにインターネットによって情報の流通のあり方が変わった。今は素人のジャーナリストがSNS界隈に無数に湧いている。そしてはびこっている。もはやジャーナリズムとは有名無実に成り果てているのだ。ジャーナリストの心構えを遵守するのがプロのジャーナリストだけであったとしても、世にあふれるツイートやウォールや記事の前ではジャーナリズムなどないに等しい。

女子高生が自分の自殺をツイキャスで放映したり、自殺原場で居合わせた人がその様子をカメラに収める。そしてそれをネット上に流す。今は素人でも即席のジャーナリストになれる時代。その流れは誰にも止められない。

だからといって、ジャーナリズムのあり方をこのまま貶めておいて良いのだろうか。誰もがジャーナリストになれる時代の宿命として諦めたほうがよいのか。いや、報道のあり方と、ジャーナリストとしての心構えが有効であることに変わりはないはず。報道する側と報道される側。その構図は、文明が違っても、技術が進んでも変わらないはずだから。

著者が本書を著したのも、あとがきで少し触れているとおり、知る欲求についてひっかかりを覚えたからだという。つまり、ジャーナリズムについて思うところがあったからだろう。著者はその舞台としてネパールを選んだ。ネパールとは中印国境に位置する国だ。歴史的にも中国とインドの緩衝国としての役割を担っており、今もその影響で軋轢が絶えない。近くのブータンが国民総幸福量という政府による独自の指標を発表しているのとは大違いだ。ネパールの物騒な情勢を象徴する事件。それこそが、本書で取り上げられるネパール王族殺害事件だ。国王夫妻や皇太子を始め、十名もの王族が殺害された事件。公式には、結婚に反対された皇太子が 泥酔して銃を乱射し、挙句の果てに自殺したことになっている。しかし、陰謀説がまことしやかにささやかれているのも事実だ。それはネパールが引き受けて来た緩衝国としての葛藤と無関係ではない。

太刀洗万智はフリーのジャーナリストとして、アジア旅行の特集を取材するためにネパールへとやってきた。そして、ネパールの激動に遭遇する。王族がほぼ殺される。その事件がネパールに与えた影響の大きさは、日本で同じようなことが起こったと仮定するだけで想像できるだろう。宮殿前広場に群がり、怒号をあげる群衆たち。ネパール全体が動揺し、不穏な空気に包まれる中、太刀洗万智は一連の出来事をフリーのジャーナリストとして報道しなければならないとの使命感に囚われる。

彼女はネパールをさまよう中、少しずつ人脈を増やす。その中で得た一つのつてがラジェスワル准尉にたどり着く。ラジェスワルは惨劇の当日、王宮で警備についていた。つまり事件を目撃した可能性が高い。だが、会ったラジェスワルからは、にべもなく拒絶される。そればかりか、ジャーナリストとしての存在意義をラジェスワルから問われる。彼はこう語る。「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ。意表を衝くようなものであれば、なお申し分ない。恐ろしい映像を見たり、記事を読んだりした者は言うだろう。考えさせられた、と。そういう娯楽なのだ。それがわかっていたのに、私は既に過ちを犯した。繰り返しはしない」(p175-176)。彼女はそれを突きつけられ、何も言い返せない。ラジェスワルの「タチアライ。お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死は、とっておきのメインイベントというわけだ」(P176)「だが私は、この国をサーカスにするつもりはないのだ。もう二度と」(P177)という言葉が彼から発せられた止めとなる。

このラジェスワルのセリフが本書のタイトルに対応していることは言うまでもない。このやり取りこそ、本書の肝となっている。

しかし、太刀洗万智がラジェスワルに答えを述べる機会は失われる。ラジェスワルが死体で発見されたからだ。彼女はその死体も目撃する。死体に「INFORMER」と刻まれた死体。つまり密告者。隠密裏に会っていたはずなのにラジェスワルは密告者として殺されたのだ。彼女もラジェスワル殺害の関係者として、取調を受ける。

ネパールに居合わせたジャーナリストとしてルポルタージュの依頼を受けた太刀洗万智は、ラジェスワルの死の謎を解きながら、ジャーナリストとしての在り方を見いだそうと苦悩する。苦悩しつつ、取材を続ける。

彼女は結局、ジャーナリストとしての自らをもう一度見つけ出す。本書の謎解きにはあまり関係ないので書いてしまうと「「ここがどういう場所なのか、わたしがいるのはどういう場所なのか、明らかにしたい」BBCが伝え、CNNが伝え、NHKが伝えてなお、わたしが書く意味はそこにある。」(403P)という結論を得る。

そして、彼女はラジェスワルの死体に刻まれたINFORMERという文字は記事にも起こさず、撮った写真も載せない。それは彼女がラジェスワルから学んだジャーナリストとしてのあり方に背くからだ。伝えることと伝えるべきことに一線を引く。それは伝える側にあるものとして最低限守るべき矜持。

あとがきで著者は、私たちが毎日むさぼっている「知るという快楽」への小さな引っかかりについて書いている。まさにそうだ。本書が教えてくれるのは、知ることへの問いかけ。情報が氾濫している今、知る快楽は無尽蔵に満たせる。そしてそこから得た気づきや考えを披露したいという欲求。それを満たす場も機会もありあまるほど与えられている。私もそう。知識をむさぼることに中毒になっている。日夜を問わず常に情報を得ていないと、落ち着かない。本は二、三冊携帯していることは当たり前。それに加えてパソコン、スマホ、タブレットも持ち歩いている。知識をため込みつつ、日々のネタをSNSに発信している。にわかのジャーナリストこそ、私だ。

私は多分、これからも情報に囲まれ、情報を咀嚼し、情報を発信しながら生きていくことだろう。それはもう私の性分であり病だ。死ぬまで止められそうにない。だからこそ、発信すべき情報については、気をつけねばならないと思う。SNSを始めた当初から、発信する情報は他人に迷惑をかけないよう絞ってきたつもりだ。だが、これからもそうでありたい。そして素人ではあるけれど、プロのジャーナリストと同じく自分が書いたものには責任を持つ。そのために実名発信を貫くことも曲げない。にわかのジャーナリストであっても、すたれつつあるジャーナリズムをほんの一部でも伝えていきたいし、そうできれば本望だ。

著者がミステリーの分野で有名だから、本書もきっとエンターテインメントのカテゴリで読まれることだろう。だが、本書がそのために遠ざけられるとしたら惜しい。本書が問いかけるテーマとはより広く、もっと深い奥行きを持っているのだから。何らかの発信を行っている人にとって、本書から得られるものは多いはず。

‘2017/10/09-2017/10/16


広島 昭和二十年


2016年も師走に入った。師走とは一年を総括する時期だ。

今年一年、日本国内ではさまざまなニュースが報じられた。人によって印象に残ったニュースはそれぞれだろう。私がもっとも印象を受けたのは、オバマ大統領が広島の原爆記念碑に訪れ、献花したニュースだ。

十月になり、家族で長崎を旅行した。その際に原爆資料館にも訪れ、オバマ大統領が手づから折った千羽鶴も目にした。原爆を投下した当事国がようやく原爆の外道な本質に向き合おうとしたことに感慨も深い。

長崎旅行から帰った翌週、私は仕事で淡路島を訪れた。私の仕事とは淡路島の某大学で催されている学園祭で実証試験を行うこと。合間に少し学園祭を見学する時間もあり、学生や地元のコミュニティによる展示の数々を見た。その中に何百冊もの本を無料で配布するブースが目についた。本書は、そこに並んでいた一冊だ。

運命の巡り合わせのような出会い。2016年も暮れを迎えつつあるわけだが、本書を2016年のうちに読めて良かったと思う。

本書は昭和二十年の広島を描いた日記だ。本書が特筆すべきなのは、ここに書かれた日記が昭和二十年に書かれたということだ。原爆投下のあとに当時を思い出して書かれた日記ではない。しかも著者は当時、中国新聞社の記者の職にあった。記者の目からみた昭和二十年の日記であることが、本書の価値を高めている。ここには投下前の広島が克明に描かれている。著者の過ごした等身大の日々。市民として、家庭人として、記者としての思いや日常の由なし事。自分たちの未来に何が起こるか知らぬ人々の平穏な日常が。

何も知らぬまま、市民は米英を敵とした戦争の日常生活への影響を憂い、大本営の発表を疑う。戦局がどれほど危機的な状況かも知らない。ビアホールに集い、食料品を買い出しに田舎へいき、配給切符を持ちながらも闇の相場を元に食糧を手に入れる。そして、動ける人は田舎へと疎開する。また、海辺に走る列車の海側の窓が閉ざされていることに閉塞感を感じ、灯火管制の不便さにやりきれなさを覚える。戦局が不利であることはうすうす気づきながら、軍が開発しているという、一発で戦局が挽回できるはずの爆弾が敵戦艦を吹き飛ばすことを期待する。

著者は東京に出張に向かい、中国地方の各県知事を広島に集めた会合に出席し、行政単位の再編についての会合にも出席する。記者としての職務に忠実に励む著者の日々には何のてらいもはぐらかしもない。本書の記述は市民の生活が細かく観察されており貴重な資料だと思う。

興味深いのは、原爆製造計画について市民の中に流れているの風評と、なぜ広島だけが空襲に遭わないのかを市民があれこれ取りざたしていることの記述だ。アメリカに広島からの移民が多いからとか、地形の問題であるとか。それらは原爆が落ちる前の市民の偽らざる疑問であり、希望的観測なのだ。そういったエピソードが本書をリアルにしている。

仕事、家庭、地区、親子、夫婦、同僚、後輩、先輩、同窓、同業。さまざまな関係が、日常のなかで営みを行う。彼らは決して未来を知ることはない。著者もまた、原爆が日々の営みを一変させることを知らずに、広島市の中心部から海田の方へ疎開する。身重の妻とともに。

人の日記を読むことはそうそうない。そもそも大抵の日記は個人的な内容なので、興味すら持たないものだ。だが、本書は先行きが気になる。なぜなら日記の果てに何が起こるのか、少なくとも、読者は8/6の出来事を知識として知っている。それでいて、この日記に登場する人々の身に何が起こるのかは知らない。

人類史上でも未曽有の残虐な兵器、原爆。原爆の悪は、人々の生を奪ったことだけにあるのではない。一番残虐なこととは、その瞬間に生死を選別したことだ。屋外にいたもの、屋内にいたもの、屋外でもたまたま爆心に背を向けていたもの、勤労奉仕で建物の影にいたもの、上半身裸で作業していたもの、見張り塔で空襲に備えていたもの。そして、著者のように、投下三十分前まで広島市中心部で夜番を勤めていたが、郊外に疎開した家へ帰ったもの。

原爆が炸裂した瞬間の位置と行動が、その瞬間広島にいた人々の生死を分けた。その瞬間の行動は、どういう前世の綾で定められたのか。熱線が体を焦がすか否かは誰が決めたのか。その一瞬の差が、冷酷に生と死を分けた。いっそのこと、その一瞬の行動を前世の宿縁や、今世での因果のせいにできればまだいい。だが、そんな仮定自体が被爆者の方にとっては不遜にあたる。一瞬の差で生き残った被爆者にとってみれば、なぜ自分は生き残れたのか、一生かけて考える宿命を背負うことになる。思うに生き残れた被爆者の方とは、放射能障害に加え、生き残った事に罪悪感を感じるサバイバー症候群にまで罹患してしまった方々なのだと思う。あまりにも不条理な生死の境目から、自分はなぜ生き残ったのか。刹那の運命の分岐点。原爆が通常の空襲と違う人の道に外れた兵器である理由は、こういうところにもあると思う。

炸裂の瞬間を郊外の自宅で迎えた著者は、無事だった妻や義姉に家を任せ、凄惨な市内へと駆けつける。記者の鍛えられた目に凄惨な光景を焼き付け、脳裏に叩き込み、日記に書き付けた。それが臨場感の迫り来る本書の記述として結実しているのだ。

私もずいぶんと被爆者による体験記は読んできたが、それらの多くは、戦後に体験を思い出して書かれたものだろう。しかし、記者が己の五感で感じ、その記憶の鮮やかなうちに文にしたためた本書は、あの当日の様子を克明に鮮やかに描いている。それは当日に撮影された写真に劣らず貴重な記録になっている。おそらく本書は、被曝当日の目撃記録として永久に残るだろう。

本書は昭和二十年についての日記だから、終戦後の広島も描かれる。その記述のほとんどは、街の復興の様子や戦後日本を支配したGHQによる民主化政策の動きに費やされる。なかでも印象的なのは、新聞人としての自分たちの戦中の振る舞いを激しく悔やむ記述が散見されることだ。それは戦争遂行に協力した当時の言論人のほとんどに共通した意識だったのだろう。そしておそらく、この意識が左に振り切れてしまったのが朝日新聞なのだろう。著者が戦中の新聞人を自省する本書の記述を読むとそのことがよくわかる。実際、著者の周りにも共産主義へ走るものがいたことが紹介されている。

著者はおそらく、バランスの取れた人物だったのだろう。左右どちらにも記述の振れ幅が少ない。むしろ、中国新聞の復刊に力を注ぎ、身重の妻を考えて家のことに重心を置く記述が目立つ。このバランス感覚も、本書の良さとして評価したい。

一方で著者の日記から次第に登場しなくなる人がいる。それは、被爆者たち、それも重症を負った人々のその後だ。もちろん、著者に悪気はない。だが本書が誠実な日記だけに、本書の記述から、重症者の人々がケロイドをはばかって病院や家に籠りがちになったことが推し量れる。戦後、後遺症で長く苦しめられる被爆者の未来すら、本書の日記から読み取ることができる。

なお、本書で著者は、あまり人を批判しない。批判された人物を挙げるとすれば、阿南陸軍大将だ。著者は本書の中で阿南陸相の自刃を責任逃れの卑怯なふるまいと二度にわたって指弾している。後世のわれわれは阿南陸軍大将の自刃の背景には責任逃れどころか、まれに見る高潔な誇りや責任感が伴っていたであろうことを知っている。でも、著者の感想は、戦争によって不自由を余儀なくされた銃後の、しかも原爆を落とされた人が戦争直後に抱く感想としてはきわめて正直な感想だといえる。

その怒りは、同時にアメリカにも向いている。それは正当なものだし、全ての被爆者が世を去ったあとも受け継がれていくべき怒りだ。だからこそ、オバマ大統領の広島訪問と慰霊碑への献花の意義は大きい。わたしが2016年度を代表するニュースとして重要視するゆえんでもある。

‘2016/11/28-2016/12/02