Articles tagged with: 観光

夜更けのエントロピー


著者の名前は今までも知っていた。だが、読むのは本書が初めてかもしれない。

著者の作風は、本書から類推するにブラックな風味が混ざったSFだが、ホラーの要素も多分に感じられる。つまり、どのジャンルとも言えない内容だ。
完全な想像上の世界を作り上げるのではなく、短編の内容によっては現実世界にもモチーフを求めている。
本書で言うと2つ目の「ベトナムランド優待券」と「ドラキュラの子供たち」、そして最後の「バンコクに死す」の三編だ。これらの三編は「事実は小説より奇なり」を地で行くように、過酷な現実の世界に題材をとっている。
史実で凄惨な現実が起こった場所。そこを後年の現代人が迷い込むことで起きる現実と伝説の混在。それを描いている。
人の醜さが繰り広げられたその地に今もなお漂う後ろ暗さ。その妖気に狂わされる人の弱さを描き出す。
本書の全体に言えるのは、現実の残酷さと救いのなさだ。

本書には近未来を題材にとった作品もある。「黄泉の川が逆流する」「最後のクラス写真」の二編がそうだ。ともに現実の延長線にありそうな世界だが、SFの空想としてもありうる残酷な未来が描かれている。

残りの二編「夜更けのエントロピー」「ケリー・ダールを探して」は、過去から現代を遡った作品だ。歴史的な出来事に題材をとらず、よりパーソナルな内容に仕上がっている。

本書の全体から感じられるのは、現実こそがSFであり、ホラーであり、小説の題材であるという著者の信念だ。
だが著者は、残酷な現実に目を背けず真正面から描く。それは、事実を徹底的に見つめて初めて到達できる境地だろう。
この現実認識こそ、著者の持ち味であり、著者の作風や創作の意図が強く感じられると理解した。

以下に一編ずつ取り上げていく。

「黄泉の川が逆流する」
死者を復活させる方法が見つかった近未来の話だ。
最愛の妻を亡くした夫は、周囲からの反対を押し切り、復活主義者の手を借りて妻を墓場から蘇らせる。
だが、夫の思いに反して、よみがえった妻は生きてはいるものの感情がない。精気にも乏しく、とても愛情を持てる相手ではなくなっていた。

死者を蘇らせたことがある家族を崩壊させていく。その様子を、ブラックな筆致で描いていく。
人の生や死、有限である生のかけがえのなさを訴える本編は、誰もが憧れる永遠の生とは何かを考えさせてくれる一編だ。

「ベトナムランド優待券」
解説で訳者も触れていたが、筒井康隆氏の初期の短編に「ベトナム観光公社」がある。
ベトナム戦争の戦場となった場所を観光するブラックユーモアに満ちた一編だ。ただ、本編の方が人物もリアルな描写とともに詳しく描かれている。

日常から離れた非現実を実感するには、体験しなければならない。
観光が非日常を売る営みだとすれば、戦争も同じく格好の題材となるはずだ。

その非現実を日常として生きていたのは軍人だろう。その軍人が戦場を観光した時、現実と非現実の境目に迷い込むことは大いにありうる。
本書はブラックユーモアのはずなのに、戦場の観光を楽しむ人々にユーモアを通り越した闇の深さが感じられる。それは、著者がアメリカ人であることと関係があるはずだ。

「ドラキュラの子供たち」
冷戦崩壊の中、失墜した人物は多い。ルーマニアのチャウシェスク大統領などはその筆頭に挙げられるはず。
その栄華の跡を見学した主人公たちが見るのは、栄華の中にあって厳重な守りを固めてもなお安心できなかった権力者の孤独だ。
この辺りは、トランシルバニア、ドラキュラの故地でもある。峻烈な統治と権力者の言動を絡め、残酷な営みに訪れる結末を描いている。
正直、私はルーマニアには知識がない。そのため、本編で描かれた出来事には入り込めなかったのが残念。

「夜更けのエントロピー」
保険会社を営んでいると、多様な事件に遭遇する。
本編はそうした保険にまつわるエピソードをふんだんに盛り込みながら、ありえない出来事や、悲惨な出来事、奇妙な出来事などをちりばめる。それが実際に起こった現実の出来事であることを示しながら。
同時に、主人公とその娘が、スキーをしている描写が挿入される。

スキーの楽しみがいつ保険の必要な事故に至るのか。
そのサスペンスを読者に示し、興味をつなぎとめながら本編は進む。
各場面のつなぎ方や、興味深いエピソードの数々など、本編は本書のタイトルになるだけあって、とても興味深く面白い一編に仕上がっている。

「ケリー・ダールを探して」
著者はもともと学校の先生をやっていたらしい。
その経験の中で多くの生徒を担当してきたはずだ。その経験は、作家としてのネタになっているはず。本編はまさにその良い例だ。

ケリー・ダールという生徒に何か強い縁を感じた主人公の教師。
ケリー・ダールに強烈な印象を感じたまま、卒業した後もケリー・ダールと先生の関係は残る。
その関係が、徐々に非現実の様相を帯びてゆく。
常にどこにでもケリー・ダールに付きまとわれていく主人公。果たして現実の出来事なのかどうか。

人との関係が、本当は恐ろしいものであることを伝えている。

「最後のクラス写真」
本編は、死人が生者に襲いかかる。よくあるプロットだ。
だが、それを先生と生徒の関係に置き換えたのが素晴らしい。
本編の中で唯一、生ける存在である教師は、死んだ生徒を教えている。

死んだ生徒たちは、知能のかけらもなくそもそも目の前の刺激にしか反応しない存在だ。
そもそも彼らに何を教えるのか。何をしつけるのか。生徒たちに対する無慈悲な扱いは虐待と言っても良いほどだ。虐待する教師がなぜ生徒たちを見捨てないのか。なぜ襲いかかるゾンビたちの群れに対して単身で戦おうとするのか。
その不条理さが本編の良さだ。末尾の締めも余韻が残る。
私には本書の中で最も面白いと感じた。

「バンコクに死す」
吸血鬼の話だが、本編に登場するのは究極の吸血鬼だ。
バンコクの裏路地に巣くう吸血鬼は女性。
性技の凄まじさ。口でペニスを吸いながら、血も吸う。まさにバンパイア。

ベトナム戦争中に経験した主人公が、20数年の後にバンコクを訪れ、その時の相手だった女性を探し求める。
ベトナム戦争で死にきれなかったわが身をささげる先をようやく見つけ出す物語だ。
これも、ホラーの要素も交えた幻想的な作品だ。

‘2020/08/14-2020/08/15


図説滝と人間の歴史


滝が好きだ。

みていて飽きない稀有なもの。それが滝だ。旅先で名瀑を訪れると時間のたつのを忘れてつい見入ってしまう。滝ばかりは写真や動画、本を見ただけではどうにもならない。滝の前に立つと、ディスプレイ越しに見る滝との次元の違いを感じる。見て聞いて嗅いで感じて。滝の周囲に漂う空気を五感の全てで味わう。たとえ4K技術が今以上に発達しても、その場で感じる五感は味わえないに違いない。

私の生涯で日本の滝百選は全て訪れる予定だ。本稿をアップする時点で訪れたのは25カ所。まだまだ訪れる予定だ。私が目指す滝には海外も含まれている。特にビクトリア、 ナイアガラ、イグアス、エンジェル、プリトヴィツェの五つの名瀑は必ず訪れる予定だ。

今までの私は滝を訪問し、眼前に轟音を立てる姿を拝むことで満足していた。そして訪れるたびに滝の何が私をここまで魅了するのかについて思いを巡らしていた。そこにはもっと深いなにかが含まれているのではないか。滝をもっと理解したい。直瀑渓流瀑ナメ瀑段瀑といった区分けやハイキングガイドに書かれた情報よりもさらに上の、滝がありのままに見せる魅力の本質を知りたい。そう思っていたところ、本書に出会った。

著者はオーストラリアの大学で土木工学や都市計画について教えている人物だ。本書はいわば著者の余技の産物だ。しかし、著者が考察する滝は、私の期待のはるか先を行く。本書が取り上げるのは滝が持つ多くの魅力とそれを見るための視点だ。その視点の中には私が全く思いもよらなかった角度からのものもある。

例えば絵画。不覚にも私は滝が描かれた絵画を知らなかった。もちろんエッシャーの滝はパズルでも組み立てたことがある。だがそれ以外の西洋の滝を扱った絵画となるとさっぱりだ。本書は絵画や写真がカラーでふんだんに掲載されている。数えてみたら本書には滝そのものを撮った写真は67点、絵画は41点が載っている。それらの滝のほとんどは私にとってはじめて知った。自らの教養の足りなさを思い知らされる。

本書では、滝を地学の観点から扱うことに重きを置いていない。滝が生まれる諸条件は本書でも簡潔に解説されており抜かりはない。滝の生成と消滅、そして学問で扱う滝の種別。それらはまるで滝を語る上でさも重要でないかのようにさらりと記される。そういったハイキングガイドのような記述を本書に期待するとしたら肩透かしを食うことになるだろう。

本書の原書は英語で書かれている。翻訳だ。この翻訳が少し練れていないというか、生硬な文章になっている。少し読みにくい。本書はそこが残念。監修者も付いているため、内容については問題ないはず。だが、文章が生硬なので学術的な雰囲気が漂ってしまっている。

だが、この文章に惑わされて本書を読むのをやめるのはもったいない。本書の真骨頂はその先にあるのだから。

地質学の視点から滝を紹介した後、本書は滝がなぜ人を魅了するのかを分析する。この分析が優れておりユニーク。五感で味わう滝の魅力。そして季節毎に違った顔をみせる滝の表情。増水時と渇水時で全く違う表情を見せる滝。著者は世界中の滝を紹介しつつ、滝についての造詣の深さを披露する。

そして、著者は滝の何が人を魅了するのかを考察する。これが、本書の素晴らしい点だ。まず、滝の姿は人々に大地の崇高さを感じさせる。そして滝は人の感情を呼び覚ます。その覚醒効果は滝に訪れると私の心をリフレッシュしてくれる。また、眺望-隠れ場理論と呼ばれるジェイ・アプルトンの理論も紹介する。この理論とは、眺望の良いところは危険を回避するための隠れ場となるとの考えだ。「相手に見られることなく、こちらから相手を見る能力は、生物としての生存に好ましい自然環境の利用につながり、したがってそうした環境を目にすることが喜びの源泉になる」(72p)。本能と滝を結び付けるこのような観点は私にはなかった。

また、もう一つ私に印象を残したのは、滝とエロティシズムを組み合わせる視点だ。私は滝をそういう視点で見たことがなかった。しかしその分析には説得力がある。滝は吹き出す。滝は濡れる。滝はなだらかに滑る。このような滝の姿から想像されるのは、エロスのメタファーだ。あるいは私も無意識のうちに滝をエロティシズムの視点で感じていて、そこから生命の根源としての力を受け取っているのかもしれない。

また、楽園のイメージも著者にとっては滝を語る上で欠かせない要素のようだ。楽園のイメージを著者は滝がもたらすマイナスイオン効果から結びつけようとしている。マイナスイオンが科学的に正しい定義かどうかはさておき、レナード効果として滝の近くの空気が負の電荷を帯びることは間違いないようだ。マイナスイオンが体をリフレッシュする、つまり滝の周りにいると癒やされる。その事実から著者は滝に楽園のイメージを持ってきているように受け取れた。ただ、マイナスイオンを持ち出すまでもなく、そもそも滝には楽園のイメージが付き物だ。本書は滝に付いて回る楽園のイメージの例をたくさん挙げることで、楽園のイメージと滝が分かちがたいことを説いている。

著者による分析は、さらに芸術の分野へと分け入る。絵画、映画、文学、音楽。滝を扱った芸術作品のいかに多いことか。本書で紹介されるそれら作品の多くは、私にとってほとんど未知だ。唯一知っていたのがシャーロック・ホームズ・シリーズだ。ホームズがモリアーティ教授と戦い、ともに滝へと落ちたライヘンバッハの滝のシーンは有名だ。また、ファウストの一節で滝が取り上げられていることも本書を読んでおぼろげに思い出した。そして滝を扱った芸術といえば絵画を外すわけにはいかない。本書は41点の絵画が掲示されている。その中には日本や中国の滝を扱った絵画まで紹介されている。著者の博識ぶりには圧倒される。日本だと周文、巨勢金岡、円山応挙、葛飾北斎の絵について言及されており、葛飾北斎の作品は本書にも掲載されている。私が本書に掲載されている絵画で気に入ったのはアルバート・ビアスタット『セントアンソニーの滝』とフランシス・ニコルソン『ストーンバイアーズのクライドの滝』だ。

芸術に取り上げられた滝の数々は滝が人間に与えた影響の大きさの表れだ。その影響は今や滝や流れそのものを人間がデザインするまでに至っている。古くまでさかのぼると、古代ローマの噴水もその一つだ。ハドリアヌス帝の庭園の噴水などはよく知られている。また、純然にデザイン目的で作られた滝もある。本書はそれらを紹介し、効果やデザインを紹介し、人工的な滝のありかたについてもきちんと触れている。

滝を美的にデザインできるのならば、滝をもっと人間に役立つように改良できるはずだ。例えば用水のために人工的に作られたマルモレの滝。マルモレの滝の作られた由来が改良の代表例として本書に取り上げられる。他にも水力発電に使われるために水量を大幅に減らされ、滝姿を大幅に変えられた滝。そういった滝がいくつも本書には紹介される。改良された滝が多いことは、滝の本来の姿を慈しみたい滝愛好家には残念な話だ。

人工的に姿を変えられる前に滝を守る。そのため、観光化によって滝の保全が図られる例もある。本書には観光化の例や工夫が豊富に紹介される。私が日本で訪れた多くの滝でも鑑瀑台を設け、歩道を整備することで観光資源として滝を生かす取り組みはおなじみだ。観光化も行き過ぎると問題だし、人によっては滝原理主義のような考えを持つ人もいるだろう。私は華厳の滝(栃木)や仙娥滝(山梨)や袋田の滝(茨城)ぐらいの観光化であれば、特に気にならない。もちろん滝そのものに改変を加えるような観光化には大反対だが。

こうして本書を読んでくると、滝とは実にさまざまな切り口で触れ合えることがわかる。このような豊富な切り口で物事を見る。そして物事の本質を考える。それが大切なのだ。私も引き続き滝を愛好することは間違いない。何も考えずに滝の眼前で何時間もたたずむ愛しかたもよいと思うし、場合によっては滝を考え哲学する時間があってもよい。本書を読むと滝の多様な楽しみ方に気づく。そうした意味でもとても参考になる一冊だ。図書館で借りた一冊だが、機会があれば買おうと思っている。

‘2017/04/21-2017/04/22


長崎の旅 ハウステンボスの魅力について


妻と二人で長崎を旅したのは2000年のゴールデン・ウィークの事です。前年秋に結婚してから半年が過ぎ、一緒の生活に慣れてきた頃。そんな時期に訪れた長崎は、妻がハウステンボスでつわりに気付いたこともあり、とても思い出に残っています。

それ以来16年がたちました。娘たちを連れて行きたいね、と言いながら仕事に雑事に追われる日々。なかなか訪れる機会がありませんでした。今回は妻が手配し、娘たちを連れて家族での再訪がようやく実現しました。うれしい。

2016/10/30早朝。駐車場に車を停め、踏み入れた羽田空港第一ターミナルは人影もまばら。諸手続きをこなし、搭乗口へと。私は搭乗口の手前の作業スペースでノートPCを開き、搭乗開始を待ちながら作業します。家族四人揃っての飛行機搭乗は11年ぶり。ハワイに旅行して以来のことです。実は私にとっても飛行機搭乗は10年ぶりとなりました。今回はスカイマークを利用したのですが、LCC(Low Cost Carrier)自体も初めての利用です。機内ではスカイマークデザインのキットカットが配布され、旅情を盛り上げてくれます。

やはり飛行機は速い。2時間ほどで福岡空港に着陸です。私にとって九州に上陸するのも前回のハウステンボス以来です。心踊ります。ただでさえ旅が好きな私。海を渡ると気分も高揚します。空港のコンコースを歩く歩幅も二割り増し。目にはいるすべてが新鮮で、私の心を明るく照らします。

福岡市営地下鉄に乗るのは20年ぶり。全てが懐かしい。ちょくちょく福岡に来ている妻に交通の差配は任せ、JR博多へ。みどりの窓口でハウステンボス号のチケットを購入し、いざホームへ。お店を冷やかし、パンフレットを覗き、街ゆく人の博多弁に耳を澄ませます。よかたいばってん。旅情ですね。

ホームに降り立つと、フォルムも独特なJR九州の車両群がホームにずらりと並んでいます。その光景に浮き立つ気分を抑えられません。鉄ちゃんじゃなくともワクワクさせられる光景です。もともと妻がJR九州には良い印象を持っていて、ユニークなデザインの車両については妻から話を聞いていました。私自身、ハウステンボス号に乗るのも、ユニークな車両群に会えるのをとても楽しみにしていました。そんな期待を裏切らぬかのように、やがて入線して来たハウステンボス号は、二種類の異なる車両が連結されていました。ハウステンボス号にみどり号が連結されているのです。

家族揃っての鉄旅は良いです。かつてスペーシアに乗って日光に行った事が思い出されます。本当はもっと何度もこういう旅がしたかったのですが。ま、過ぎた事を言っても仕方ありません。

鳥栖から長崎方向に転じたハウステンボス号は、佐賀の主要駅に停車していきます。私にとってなじみのない佐賀の駅はそれぞれの地の色あいで私を迎えてくれます。吉野ヶ里遺跡らしきものが見え、世界気球選手権大会が線路側で開催されています。有田では街に林立する窯の数に目をみはります。旅情です。旅です。

私は家族と会話したり、車窓をみたり、国とりゲームをしたり。そして、飛行機に乗っている時から読み耽っていた「ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」」を読み切ったり。この本のレビューは、いずれ読読ブログでもアップする予定です。本を読み終えた翌日、家族で長崎の街を歩いたのですが、この本を読んでおいたことは、長崎の街を歩くにあたって得るものがたくさんありました。

早岐の駅で佐世保に向かうみどり号から切り離され、ハウステンボス号は運河沿いを走ります。そして間も無くハウステンボス駅に到着。駅から、運河を挟んでそびえ立っているホテルオークラJRハウステンボスが見えます。ここからのハウステンボスはとても映えます。写真を撮りまくりました。期待が高まります。

私は今回でハウステンボスに来るのは3回目です。そして、ハウステンボス駅を利用するのはたぶん初めて。小ぶりな駅ですが、駅舎の面構えからしてハウステンボス感を爆発させています。これは駅鉄として、駅の全てをくまなく撮らねば。

入り口に向かったわれわれですが、実はまだこの時点で入園券を買っていませんでした。宿泊するウォーターマークホテル長崎・ハウステンボスのみ予約済の状態。16年ぶりの訪問は、正面から見て一番奥にあるホテルへの行き方もすっかり忘れてしまっています。正門から宿泊者用通行券のようなパスを使って入場すると思ったら、そんなものはないとのこと。外をぐるりと回るか、送迎バスに頼るしかないとか。結局、着いて早々、ハウステンボスの外周を送迎バスで回ってから中に入ることになりました。

前回来手から16年。ハウステンボスは波乱の年月を潜り抜けたといいます。一度は会社更生法が適用されたとも。そんな状態からHIS社のテコ入れで復活し、今や日本屈指のテーマパークになった経緯は、まさにカムバック賞もの。何がそれほどハウステンボスを復活させたのか。どれほどすごくなったのか期待していました。ですが不思議です。正門や外周からみたハウステンボスにオーラが感じられないのです。ディズニー・リゾートのように、エリアごと夢と魔法の世界でラッピングしたような演出には出会えずじまい。統一感がなくバラバラな世界観が散らばっているように思えます。

ホテルでチェックインすると、内装はさすがに洗練されています。今回チェックインしたウォーターマークホテルには、前回も泊まりました。その時はたしかホテルデンハーグという名前だったと覚えています。多分ハウステンボス自体の経営権が移った時に名称を変えたのでしょう。なので、ホテルの中では特段違和感を感じることはありませんでした。でも、ホテルを出て、ハウステンボス方向に向かうと何かが違うのです。このエリアはフリーエリアになっていて、ゲートを通らずに楽しめます。石畳に旅情あふれる欧風の建物が並んでいます。それは、異国情緒を感じさせます。ですが、よくよく見ると建物に入居しているのはココカラファインだったりします。観光土産屋さんが長崎の名産品や地域限定商品を陳列しています。建物の飾り付けも自由気まま。好きなように各店がポップを掲出し、幟を立てています。ディズニー・リゾートのような統一された世界とは対極です。おしゃれな道の駅? のような感じさえ抱きます。

それでも我が家は、見かけた佐世保バーガーのお店に入ります。うわさに聞く佐世保バーガーとはどんなんや?うまいっ!旅の疲れが佐世保バーガーで満たされ、気分も上向きます。

が、せっかく上向いた気分も、北に向かって歩いて行くにつれ、違和感に覆われていきます。レトロゲームの展示コーナーがあります。ここでは私も懐かしいゲームを何プレイかしました。でも、ゲームをやりにハウステンボスに来たわけやない、と違和感だけが募っていきます。海辺のウッドデッキをあしらったような場所には、ONE PIECEをあしらった海賊船が停泊しています。そしてウッドデッキにはフードを深々とかぶった謎の人物、フォースを使いこなしそうな人がのろのろと歩いています。この何でもありな感じは、かつて私がきた時の印象とはあまりにも違っています。ディズニー・リゾートの統一された世界観に慣れた我が家の全員が同じ感想を抱いたはず。ハウステンボスって、ショボくねぇ?という。

モヤモヤした感じを抱きながら、入場券をかざしてゲートを潜ります。ハウステンボスのランドマークともいうべきドムトールンを見上げつつ、跳ね橋を渡るとそこはハウステンボスの中心部。先ほど見た謎の人物にも似た妙な通行人がどっと増えます。そう、今日はハロウィーン前日。街中が仮装であふれています。ハロウィーンがアメリカではなく欧風の街並みに合うのかどうか。それはこの際大した問題ではありません。でも、欧風な街並みに洋風の仮装をした通行人が増えたことで、フリーエリアで感じたショボさがだいぶ払拭されました。でも、何でもありな感じは変わりません。お化け屋敷やARのホラー体験のアトラクションがあり、屋外のトイレは惨劇を思わせる血糊で汚されています。

一体どこに向かえばいいのか、行くあてを見失いそうです。それでも事前に下調べしておいたチョコレートの館や、チーズの館、ワインセラー、長崎の名産物などのアトラクションを巡ります。フリーチケットで入場したとはいえ、追加料金が必要となるアトラクションには結局入りませんでした。ただ、広大な敷地を移動し、道中の景色や種々のバラエティに富んだのぼりや掲示をみていると瞬く間に時間は過ぎて行きます。ハロウィーン期間ということもあって、巨大なイルミネーションが園内で展開されています。長崎ちゃんぽんを食べ、SF映画に顔合成された私たちを登場させてくれるアトラクションや、AAAのホログラムコンサートなど、技術の粋を惜しみなく注いだアトラクションには驚かされます。そんな風に過ごしていると、閉園時間が近づいてきます。結局、園内のかなりの場所を訪れることはできませんでした。北側の風車付近や、マリーナ、庭園や美術館の地区など。

広い園内と、雑多過ぎるほど統一感のない世界観。それでいながら、オランダを模した建物が林立する中、建物を縫うように石畳の街路が縦横に広がります。パトレイバーの等身大像や、運河を挟んだ建物の側面に映し出されたプロジェクションマッピングで太鼓の達人が遊べるアトラクション。徹底的に世界観の統一を拒むかのような園内。飽きるどころか、ほぼ並ばずにアトラクションを訪れていても、遊びきれていない満腹感とは反対の感覚。園内で感じた統一感のなさは、マンネリ感や既視感とは逆の感じです。それはかえってハウステンボスの巨大さを知らしめます。

ところが夜になると印象は一変。イルミネーションが園内に点灯し、統一感のある光で満ち溢れるのです。その素晴らしさは、ドムトールンに登って園内を見下ろすとより鮮やかになります。園内がマクロなレベルで統一されています。日中に見えていたオランダ風の街路や建物は、イルミネーションの影のアクセントとして存在感を増します。光の氾濫は眼をくらませるようでいて、その裏にある街路や建物の存在をかえって主張しています。

ここに至って私のハウステンボスへの認識は改まりました。フリーエリアで抱いたショボいかも、という認識。これはハウステンボスの目指す方向を見誤っていたことによるものだと気づいたのです。

ハウステンボスの目指す方向。それは、統一感のある世界観とは逆を向いています。つまり、東京ディズニー・リゾートの作り上げる夢と魔法の国からの決別です。ディズニーキャラの住むカートゥーンの世界観。それは東京のディズニー・リゾートがガッチリと抑えています。大阪のUSJもそう。ハリウッド映画の世界観が大都市からすぐの場所で楽しめる。

たぶん、かつてのハウステンボスは、オランダの異国情緒を体験できるとの触れ込みで統一感のある世界として創りあげられたはずです。しかし、長崎という日本のはしでは無理があった。ではどうすればいいか。HISはハウステンボスが日本の周辺に位置しているという条件を逆手に取ったのです。そして、それにふさわしい方針転換をしたのだと思います。すなわち、なんでもありの世界。統一感のない世界の実現へと。

何度も東京ディズニー・リゾートに行っていると、統一された世界観に、次第にマンネリズムを感じていきます。いくら趣向を凝らしたディスプレイで飾られていても、しょせんはディズニーキャラの世界。世界観が強固であれば、そのぶん閉塞感も増します。春夏秋冬、季節ごとにイベントで色合いを変えても、ディズニーキャラの世界観の延長でしかありません。それは、観客の達成感や飽和感につながります。ハウステンボスは、世界観に左右されないがため、逆に自由な発想が展開できます。オランダ風の建物や路地はただのベースに過ぎないのです。

逆説的ですが、そのことに気づいた時、私は最近のハウステンボスが盛り返している理由をおぼろげに理解したように思いました。ディズニー・リゾートと同じ土俵にあがらず、統一感をあえて出さずに勝負する。そして訪問客に満足感を感じさせない。それが、次なるリピートにつながる。実際、ハウステンボスをくまなく訪れられなかったことで、かえって園内の広さに満足感を持ったくらいなので。聞くところによれば、USJも雑多ななんでもありの路線を打ち出し始めているようです。上に書いたように従来のUSJはハリウッド映画の世界観で統一していました。でも、今は何でもありの世界観を出すことで、ディズニー・リゾートと一線を画しています。そしてディズニー・リゾートを凌駕しつつあります。成功の理由とは、世界観の統一を放棄したことにあるといってもよいのではないでしょうか。いまや、世界観の統一という満足だけだと、訪問客に見切られてしまうのでしょう。

地方を活性化するヒントも、ここにあります。田舎の何でもあり感は、洗練されたスタイリッシュな都心に住んでいるとかえって新鮮です。都心は、人が多すぎる。それゆえに、固定客をつかめば経営が成り立つのです。固定客とはつまり世界観が確立している店へのリピートです。つまり、都心では世界観を固定させることが繁盛へのキーワードだったといえます。しかし、ハウステンボスは田舎にあります。田舎で都会並みの統一感を出したところで、都会の人間にははまらないのです。オランダの街並みがはまった人にはリピーターになってもらったでしょうが、そうでない方には世界観の限界を見切られてしまいます。それこそが、当初のハウステンボスの凋落の原因だったと思います。すでに都会の世界観に疲れている私には、ハウステンボスが展開するこのとりとめのなさが、とても魅力的に映りました。そして、東京ディズニー・リゾートのような感覚で、テーマパークを当てはめてしまっていた自分の感性の衰えも感じました。

すでに寝静まろうとしている店を訪れ、少しでも長く多くハウステンボスを経験しようとする我が家。ホテルに一度戻り、娘たちを寝かせた後、夫婦で再びハウステンボスに戻ります。フリーエリアと有料エリアを分ける跳ね橋のそば。ここに、深夜までやっているbarがあります。「カフェ ド ハーフェン」。16年前もここに来ました。そして妻はジン・トニックの味が違うことにいぶかしさを感じました。それはもちろんつわりの一症状でした。このbarにはそんな思い出があります。今回、大きくなった娘たちを連れて来たことに万感の思いを抱きつつ、結婚生活を振り返りました。そして、16年ぶりのハウステンボスが、世界観を変えてよみがえったことに満足しつつ、お酒を楽しみました。

また、訪れようと思います。


柳田國男全集〈2〉


本書は読むのに時間が掛かった。仕事が忙しかった事もあるが、理由はそれだけではない。ブログを書いていたからだ。それも本書に無関係ではないブログを。本書を読んでいる間に、私は著者に関する二つのブログをアップした。

一つ目は著者の作品を読んでの(レビュー)。これは著者の民俗学研究の成果を読んでの感想だ。そしてもう一つのブログエントリーは、本書を読み始めるすぐ前に本書の著者の生まれ故郷福崎を訪れた際の紀行文だ(ブログ記事)。つまり著者の民俗学究としての基盤の地を私なりに訪問した感想となる。それらブログを書くにあたって著者の生涯や業績の解釈は欠かせない。また、解釈の過程は本書を読む助けとなるはず。そう思って本書を読む作業を劣後させ、著者に関するブログを優先した。それが本書を読む時間をかけた理由だ。

今さら云うまでもないが、民俗学と著者は切っても切れない関係だ。民俗学に触れずに著者を語るのは至難の業だ。逆もまた同じ。著者の全体像を把握するには、単一の切り口では足りない。さまざまな切り口、多様な視点から見なければ柳田國男という巨人の全貌は語れないはずだ。もちろん、著者を理解する上でもっとも大きな切り口が民俗学なのは間違いない。ただ、民俗学だけでは柳田國男という人物を語れないのも確かだ。本書を読むと、民俗学だけでない別の切り口から見た著者の姿がほの見える。それは、旅人という切り口だ。民俗学者としての著者を語るにはまず旅人としての著者を見つめる必要がある。それが私が本書から得た感想だ。

もとより民俗学と旅には密接な関係がある。文献だけでは拾いきれない伝承や口承や碑文を実地に現地を訪れ収集するのが民俗学。であるならば、旅なくして民俗学は成り立たないことになる。

だが、本書で描かれる幾つもの旅からは、民俗学者としての職責以前に旅を愛してやまない著者の趣味嗜好が伺える。著者の旅先での立ち居振舞いから感じられるのは、旅先の習俗を集める学究的な義務感よりも異なる風土風俗の珍しさに好奇心を隠せない高揚感である。

つまり、著者の民俗学者としての業績は、愛する旅の趣味と糧を得るための仕事を一致させるために編み出した渡世の結果ではないか。いささか不謹慎のような気もするが、本書を読んでいるとそう思えてしまうのだ。

趣味と仕事の一致は、現代人の多くにとって生涯のテーマだと思う。仕事の他に持つから趣味は楽しめるのだ、という意見もある。趣味に締切や義務を持ち込むのは避けたいとの意見もある。いやいや、そうやない、一生を義務に費やす人生なんか真っ平御免や、との反論もある。その人が持つ人生観や価値観によって意見は色々あるだろう。私は最後の選択肢を選ぶ。仕事は楽しくあるべきだと思うしそれを目指している。どうせやるなら仕事は楽しくやりたい。義務でやる仕事はゴメンだ。趣味と同じだけの熱意を賭けられる仕事がいい。

だが、そんなことは誰にだって言える。趣味だけで過ごせる一生を選べるのなら多くの人がそちらを選ぶだろう。そもそも、仕事と趣味の両立ですら難儀なのだから。義務や責任を担ってこそ人生を全うしたと言えるのではないか。その価値観もまたアリだと思う。

どのように生きようと、人生の終わりではプラスもマイナスも相殺される。これが私の人生観だ。楽なことが続いても、それは過去に果たした苦労のご褒美。逆に、たとえ苦難が続いてもそれは将来に必ず報われる。猛練習の結果試合に勝てなくても、それは遠い先のどこかで成果としてかえってくる。また、幼い日に怠けたツケは、大人になって払わされる。もちろんその水準点は人それぞれだ。また、良い時と悪い時の振幅の幅も人それぞれ。

著者を含めた四兄弟を「松岡四兄弟」という。四人が四人とも別々の分野に進み、それぞれに成功を収めた。著者が産まれたのはそのような英明な家系だ。だが、幼少期から親元を離れさせられ郷愁を人一倍味わっている。また、英明な四兄弟の母による厳しい教育にも耐えている。また、著者は40歳すぎまで不自由な官僚世界に身をおいている。こうした若い頃に味わった苦難は、著者に民俗学者としての名声をもたらした。全ての幼少期の苦労は、著者の晩年に相殺されたのだ。そこには、苦難の中でも生活そのものへの好奇心を絶やさなかった著者の努力もある。苦労の代償があってこその趣味と仕事の両立となのだ。

著者が成した努力には読書も含まれる。著者は播州北条の三木家が所蔵する膨大な書籍を読破したとも伝えられている。それも著者の博覧強記の仕事の糧となっていることは間違いない。それに加えて、官僚としての職務の合間にもメモで記録することを欠かさなかった。著者は官僚としての仕事の傍らで、自らの知識の研鑽を怠らない。

本書は、官僚の職務で訪れた地について書かれた紀行文が多い。著者が職務を全うしつつもそれで終わらせることなく、個人としての興味をまとめた努力の成果だ。多分、旅人としての素質に衝き動かされたのだろうが、職務の疲れにかまけて休んでいたら到底これらの文は書けなかったに違いない。旅人としての興味だけにとどまることなく文に残した著者の努力が後年の大民俗学者としての礎となったことは言うまでもない。

本書の行間からは、著者の官僚としての職責の前に、旅人として精一杯旅人でありたいという努力が見えるのである。

本書で追っていける著者の旅路は実に多彩だ。羽前、羽後の両羽。奥三河。白川郷から越中高岡。蝦夷から樺太へ。北に向かうかと思えば、近畿を気ままに中央構造線に沿って西へと行く。

鉄道が日本を今以上に網羅していた時期とはいえ、いまと比べると速度の遅さは歴然としている。ましてや当時の著者は官僚であった。そんな立場でありながら本書に記された旅程の多彩さは何なのだろう。しかも世帯を持ちながら、旅の日々をこなしているのだから恐れ入る。

そのことに私は強烈な羨ましさを感じる。そして著者の旅した当時よりも便利な現代に生きているのに、不便で身動きの取りにくい自分の状態にもどかしさを感じる。

ただし、本書の紀行文は完全ではない。たとえば著者の旅に味気なさを感じる読者もいるはずだ。それは名所旧跡へ立ち寄らないから。読者によっては著者の道中に艶やかさも潤いもない乾いた印象を持ってもおかしくない。それは土地の酒や料理への描写に乏しいから。読む人によっては道中のゆとりや遊びの記述のなさに違和感を感じることもあるだろう。それは本書に移動についての苦労があまり見られないから。私もそうした点に物足りなさを感じた。

でもそんな記述でありながらも、なぜか著者の旅程からは喜びが感じられる。そればかりか果てしない充実すら感じられるから不思議なものだ。

やはりそれは冒頭に書いた通り、著者の本質が旅人だからに違いない。本書の記述からは心底旅を愛する著者の思いが伝わってくるかのようだ。旅に付き物の不便さ。そして素朴な風景。目的もなく気ままにさすらう著者の姿すら感じられる。

ここに至って私は気づいた。著者の旅とわれわれの旅との違いを。それは目的の有る無しだ。いわば旅と観光の違いとも言える。

時間のないわれわれは目的地を決め、効率的に回ろうとする。目的地とはすなわち観光地。時間の有り余る学生でもない限り、目的地を定めず風の吹くままに移動し続ける旅はもはや高望みだ。即ち、旅ではなく目的地を効率的に消化する観光になってしまっている。それが今のわれわれ。

それに反し、本書では著者による旅の真髄が記される。名所や観光地には目もくれず、その地の風土や風俗を取材する。そんな著者の旅路は旅の中の旅と言えよう。

‘2016/05/09-2016/05/28


日本百名山


写真 2016-04-12 0 08 23

レジャーに行くなら山と海どっち? よく聞かれる話題だ。しかし、この話題に軽々しく応えてはならない。なぜか。場合によっては、この答えがプライベート上の付き合いを左右しかねないからだ。

大抵、このような質問をする方はどちらかの嗜好に偏っていることが多い。海と山両方が同じぐらい好き、という方にはまだ巡り会ったことがない。この質問に対する答えは、今後のお付き合いに大きく影響すると思っておいたほうがよい。

なので、こういった質問に対して軽い気持ちで答えてはならない。質問してきた方は、一見しただけではそういう拘りを持たない方に思えるかもしれない。でも、皆が皆、(海が好き!)と大きく書かれたTシャツを着ている訳ではない。たとえそう見えなかったとしても海好きの方に軽々しく「あの、、、山が、」と遠慮がちに答える。それだけで、今後の付き合いにわずかな隙間が生じることは保障する。

これが明らかに機嫌を損ねるのならまだいい。しかし、海彦山彦は大抵、大人なのだ。だから始末が悪い。大人は相手の趣味嗜好をきちんと尊重する。相手の嗜好に立ち入らないのが大人の嗜みだから。でも、海好きの相手の場合、相手が山好きであることがわかった場合、表立った非難や不満を一切表さずに、海系のイベントには呼ばれなくなる。逆の場合もまたしかり。残念なことに。

海好きを好きでもない山には呼ばないし、山男を海に連れ出すような無粋な真似は控える。皆、大人だから。大人は相手の趣味嗜好を尊重するからこそ大人なのだ。

さて、本書は山についての名著である。当ブログでこのような本を持ち出すからには、私が山派であることは言うまでもない。

しかし、私は元々は両刀使いであった。海に行けば自らを大いに焼き上げるまで離れない。ビーチバレーにいそしみ、磯に潜ってウニを突き刺し、沖の浮きまで泳がずには気がすまない人だった。かつての私は年中焦げていたので、黒さに関するあだ名には事欠くことがなかった。子供の頃から大学を卒業するまで、兵庫、京都、福井の海に親しむ海人こそが私だった。

しかし、四十歳を迎える頃になって自分の嗜好が山に向いていることを認めねばならなくなった。その自覚は薄っすらと30歳の頃からすでに持っていたのだが、それをはっきり自覚したのが以下に書く出来事だ。

今から、十年近く前、家族ぐるみで付き合っていた方より、船釣りの話を頂いた。早朝、葉山漁港から船に乗り、烏帽子岩を回り込んで、釣りに興じた一日は、実に楽しかった。しかし、その後のどこかのタイミングで、そのお誘い頂いた方は、私に「山と海どっち?」という質問を投げてきた。そして私は正直に「実は山の方が、、、」という回答を返してしまったのだ。嘘が付けない私の過ちであるといえる。結果は冒頭にあげた通りだ。それ以来、釣りにお誘い頂いていない。10年間。

しかし、そうやって応えたことにより、私の意識は山に向いた。元々、幼少の頃より六甲の山々は家族ハイキングの定番コース。冬の金剛山にも連れていかれたこともあるし、冬山はスキーのゲレンデとして何度も登山と下山を繰り返したものだ。つまり山好きになる素地はあったのだろう。

しかし、山を攻略する機会は全く持てていないのが現実だ。そうしている間に不惑の年を迎えてしまった。関東に来てから上った山といえば、精々が高尾山や、丹沢の二の塔、三の塔が関の山。

一方で、不惑の歳になってから、滝の魅力に惹かれるようになった。今では独り、旅先で滝を求めて歩くまでになった。こうやって書いていても滝に行きたくてうずうずする自分がいる。滝の魅力については別にブログに著そうと思っているが、滝の前にいると1時間でも2時間でもいられる自分が不思議だ。なぜ、これほどまでに滝に惹かれるのか、自分でもわからない。

滝を求めて山道を歩くことは、すなわち山登りと一緒。そんな境地に至っている。あちこちの滝を巡るには、その滝を懐に抱える山を極めることと同じ意味。一度山についての本を読んでみようと思った。それならまず、山の名著として不朽の名を背負う本書に手を出してみるのが定石。

さて、前書きが長くなった。前もって断っておくと、私が本書で取り上げられた日本百名山のうち、登頂を果たした山は皆無である。ゼロ。

全く山に関してはハイカーレベルの初心者が私。しかし、本書で取り上げられた山々を称賛する著者の言葉には、心をくすぐられる。著者は実際に百山全ての頂を踏んでいる。説得力が違うし、まだアルピニストやクライマーが珍しい昭和初期から登山に取り組み、山登りがレジャー化する高度経済成長期においては登山に対する識者となった。その立場からの知見、意見が本書には散りばめられている。特に、登る人のまれな孤高の名峰を語る時、著者の筆は実に楽しそうだ。まだ登ったことのない私にも、その魅力は充分に伝わった。

本書を読み、せめて日本二百名山くらいから登ってみようと恋い焦がれる日々を送っている。

先日、とあるご縁から某県の山岳会員の方と飲む機会があった。2016年はその御指導の元、山デビューを果たしたいと思っている。

あとは、残り少ない人生で、どれだけ登れるか。富士山、甲斐駒ヶ岳、曇取山、大山、木曽駒ヶ岳、八ヶ岳あたりは登るまで死ねない。まだまだやりたいことのありすぎる人生。自分の人生を納得して死ぬための目標として、登山は値するのではないかと思っている。決して安い趣味ではないことは承知の上で。

大人として、相手の趣味を尊重することはもちろんだ。だが、その前にまず自分自身が趣味人としてある程度の域まで達しないことには、自分自身も尊重できなくなってしまう。残り何十年の人生で、まずは2016年、一歩を踏み出そうと思う。

‘2015/5/9-2015/5/13


「我が国を観光立国に」の成果を支持します。


1/30付の菅内閣官房長官のブログは、日本の観光立国化がテーマです。内容は、安部内閣における観光立国政策の成果を自賛するものです。

私もこの成果には全面的に賛同します。むしろ、安部内閣の一連の実績の中でも特筆すべき成果ではないかと思っています。

アベノミクスは頑張ってはいるものの、その評価はまだ定まっていません。その評価はおそらくは歴史に委ねられるでしょう。少なくとも今の我々には景気浮揚策の成果は実感として感じられません。改憲についても、道半ばです。私自身、ここここに書いたとおり、改憲派です。それでも今の安部内閣の動きには拙速との思いが拭えません。沖縄の基地問題にしても、同じです。国際政治のバランスからするとやむを得ない判断かもしれませんが、沖縄県民の一定割合の民意が蔑ろにされていることは否めません。

それに比べ、安部内閣が成し遂げた観光立国の成果については文句の付け入る隙がありません。積極的に評価すべきでしょう。

2010/7/26に民主党の前原氏の講演を拝聴したことがあります。当時の前原氏は民主党政権にあって国土交通大臣の重責を担っていました。講演の中で羽田や成田のハブ空港化について熱く語っていらしたことは覚えています。が、観光立国に向けては具体的な案はありませんでした。多少は触れていたものの、具体的な案までは踏み込むことなく、まだ観光立国化への案は練れていない印象を受けました。

それに比べ安部政権は、我が国の観光立国化を着実にやり遂げつつあります。掛け声だけではなく、良し悪しはあれ爆買いという成果は挙げています。観光立国化こそ、今後の日本が目指すべき政策。私はそう思います。日本は今、どのような国として世界から見られているのか。今後の日本のあり方とはどういうものなのか。日本が積極的に世界に主張し、発信すべきという意見も良く耳にします。しかし日本は東洋の果てに位置しています。終着点として諸国の文化を受け入れ、日本独自の文化として咀嚼することにこそ、日本の本分がある気がしてなりません。

日本が技術立国であった過去も今は危うい状態です。技術は移転します。残るとすればITではカバーできない職人技の部分でしょう。しかし、日本人が誇るべきものは、職人技でもない気がします。技術よりも職人技よりも、その背後にある職人気質ともいえるメンタリティー。この心性をこそ誇るべきではなかったか。日本が世界に範を示せるとすれば、日本人の心性こそ相応しい。そう思います。「MOTTAINAI」や「武士道」、先の東日本大震災の際に見せた統制。敗戦直後は混乱の極みにあり、マナーがてんで成っていなかった日本人も、今や世界にその民度を誇ることができるまでになりました。

一方、今の日本の少子化はもう挽回不可能なレベルに達しています。残念ながら、今後は移民受け入れもやむを得ないでしょう。というか、移民受け入れすることなしには、日本の将来は立ち行かない。そんな状態にまで追い込まれています。移民受け入れにあたっては、日本国民の外国人に対する態度も変えねばなりません。かつての日本は中国や朝鮮半島からの移民を受け入れ、日本文化に取り込んでいきました。その時の経験を活かし、拙速に移民を受け入れずに、緩やかな移民の受け入れを日本全土均一に行うことが重要だと思います。

昨年来日した観光客は、空前の数を達成しました。皆さん、意識してはいなかったかもしれませんが、日本人のメンタリティーの由来を知りたくて来日したのではないでしょうか。日本人の心性の秘密は何か。このミステリアスな国の真髄はどこにあるのか。観光客が求めた場所は、以下のリストに挙がっています。

そのリストは、世界的に知られた観光情報サイトであるTripAdvisorが発表しました。「外国人に人気の日本の観光スポット ランキング 2015」。ここに上げられた30の観光地のうち、現代日本を反映する場所は僅かです。17位の「横浜みなとみらい21」と26位の「渋谷センター街」と30位の「六本木ヒルズ展望台」くらいでしょうか。技術面に範囲を広げても27位の「トヨタ産業技術記念館」が入るくらい。あとは、日本の伝統に根差した場所がほとんどです。

このリストにはもう一つ特徴があります。それは東京や奈良、京都以外の場所も多数ランクインしていることです。東京は世界有数の大都会です。しかし観光客の多くは東京をそれほど重視していません。東京ではなく地方にこそ日本の心性が残っているとでも云うかのように。このリストを見ているだけで、そういった意思が感じ取れます。戦後、多くの観光客が日本に惹かれて訪れました。その中には永住された方もいます。そういった方々は自らが身を置く世界のあり方に疑問を感じ、日本に単なるオリエンタリズムではない何かを求めに来たと思いたい。なので、本リストから知る限りでは、それら観光客の方々が東京だけを見ていないことに、私はむしろ安心しました。むしろ、世界は東京に日本を求めていないのでは、という気にすらなります。もちろん、ビジネスや政治の場としての東京は、引き続き存在感を残すでしょう。でも観光客が日本の躍進の秘密や謎めいた文化の根源を東京に求めていないとすれば? 東京は現代日本の繁栄の証。戦後復興し発展した日本を展示する場に過ぎないのかもしれません。ショーウインドウは着飾っていても、バックヤードが荒廃していればそれは虚飾です。そのことは我々日本人が一度認識を改めるべきだと思います。

まずは日本の全土を魅力的にする。そのためにも安部内閣による観光立国化への取組は、後世に残る政策となるかもしれません。日本の観光立国化が成れば、観光振興を通して地方分散に進むまであと一息です。地方分散と移民受け入れが同時に進み、なおかつ日本文化が見直され、活性化される。そうなればいうことはありません。

とかくタカ派扱いされがちな安部政権ですが、こういった取り組みは応援したいと思います。「美しい国へ」がこういったやり方で達成されるとすれば、望ましいことこの上ないでしょう。


県庁おもてなし課


この題材の取り上げ方は見事。著者お得意の恋愛ストーリーと地方振興にからめ、さらには主人公の成長譚と公務員問題の提起までを一編にまとめてしまったことには脱帽の他ない。公務員が主人公というのもいい。

本書の舞台は高知。著者の郷里だとか。本書のあちこちで高知の魅力が語られ、著者にとっては、故郷愛を満たしつつ、返す刀で故郷への恩返しもするという欲張りな小説でもある。

高知県庁のおもてなし課に勤める主人公掛水は、県の観光振興策を観光大使という形でまとめ、方々に依頼する。そのうちの一人が東京で小説家として活躍する吉門喬介。吉門喬介から散々に役人思考についてダメ出しをくらうが、そこから紹介された人脈の力を得て、人間的に成長し、観光振興にむけて努力する、というのが大筋。これだけで主人公の成長物語として充分成立するが、さらに著者は構成に工夫を凝らす。吉門喬介に紹介された地元高知の観光コンサルタント清遠和政は凄腕だが、かつては高知県庁に在籍していた男。異彩を放つ観光振興案を連発するも、あまりに役人の枠からはみ出た思考が持て余された末、閑職に追いやられ、退職を余儀なくされた経歴をもつ。実は吉門喬介の父でもある。吉門喬介から紹介されて訪れた掛水にかつて果たせなかった高知の観光振興を託し、一肌脱ぐという清遠和政の魅力もよい。そこに吉門喬介が長期取材と称して高知に帰省し、父子で力を合わせて観光振興に腕を振るうという筋も合わさり、重層的な構造となっている。

さらには吉門喬介の血の繋がらない妹や、主人公の下で観光振興にはげむバイトの明神多紀など、著者お得意の恋愛模様のお膳立てにもぬかりない。本書は軽く読める本なのだが、実は物語の構造としては一筋縄ではいかず、さらっと流し読みするには惜しい本である。

本書は地方振興、観光誘致のモデルケースとして大変参考になる。いや、観光に限らず、客商売をする者にとってもよい参考書としても使えること請け合いだ。本書内では反面教師としての役人思考が頻繁に槍玉に挙げられる。それは著者が実際に経験したやり切れなさであり、全国の自治体に共通する悪習でもある。逆にいうと、その点こそが高知県が観光誘致で一頭抜けだすチャンスでもある。著者の小説家としての本能に加え、郷土の観光大使としての使命感は、本書で存分に発揮されているといえよう。本書の観光コンサルタント清遠和政のネタ元は実は著者自身ではないかとも思えるくらいである。観光政策というやりがいのある分野で故郷に関わり、本書のような果実を得た著者は、実にうらやましい。数多くのトラベルミステリー、星の数ほどある旅行記、砂の数ほどある観光パンフレットをはるかにしのぎ、本書一冊で観光大使百人分の役目は担ったのではないか。

巻末には著者と食環境ジャーナリスト、食総合プロデューサーである金丸弘美氏、そして高知県庁おもてなし課にお勤めのお二方との対談まで収められている。これもなかなか他の小説には見られない趣向だ。対談でも著者の郷里愛は炸裂し、読む者を紙面に引きずりこむ。本書で語られる印象的なエピソードは、実際に著者が高知県から依頼された際の体験を下敷きにしているとか。あまりに残念な役人思考に業を煮やしたのが、本書が生まれるきっかけとなったそうだ。もっとも対談相手となった職員お二方の発言を見ると、すでに役人思考から脱却しているように思える。それが証拠に、高知県の最近の観光パンフレットには見るべきものが多い。「リョーマの休日」「高知家へようこそ」など、秀逸なコピーが目を引く。私はアンテナショップ巡りが大好きで、永田町にある都道府県会館地下の全県観光パンフレットコーナーにもよく行く。その私が目立つと思うのだから高知県の観光キャンペーンは他県よりも秀でているのではないだろうか。それもこれも著者の故郷愛のなせる業だろう。人と生れてやりたいことは多々あれど、行政を変えていくことほど痛快なものはない。

先日、銀座にある高知県アンテナショップに訪れたが、名産のゆずを中心に、実に豊かな品揃えであった。実は、高知には四半世紀ほど前に行ったきりで、相当の期間ご無沙汰している。本書を読み、アンテナショップに行くだけで高知観光した気になってしまったのだが、それではいけない。次女が好きだったやなせたかしさんのミュージアムに行く計画も沙汰やみとなってしまった。私自身が高知に長期出張するという話も流れてしまった。このままでは今が旬の高知の観光行政の素晴らしさが味わえなくなってしまう。行くと云ったら行かねばならぬ。本書を読んだからには。

’2014/11/1-2014/11/1